メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

没後40年 高島野十郎展

2016-04-20 21:03:42 | 美術
没後 40年高島野十郎展 光と闇、魂の軌跡
2016年4月9日(土)- 6月5日(日)目黒区美術館
 
高島野十郎(1890-1975)を知ったのは2008年のNHK新日曜美術館が最初で、2009年1月に銀座永井画廊での展示で、幸い数点の代表作を見ることができた。
 
今回の展示は、生前は無名に近く孤高の画家と言われた画家の全貌をを示す数多くの展示からなっている。前記の展示でよく覚えている「からすうり」、「法隆寺」、いくつもの「月」、多くの「蝋燭」などは今回も目立っているが、福岡県の裕福な作り酒屋に生まれ、東京帝国大学農学部水産学科を首席で卒業、家の反対を押し切って画家になったが、それでも洋行もして、私が見るに、この人の作品としてはのびのびした気持ちのいい風景画もあって、そういう中で見ていくと、かなり多彩な面をもった画家であるなと思う。大學の恩師の肖像画には、画家の人柄のよさを感じる。
 
それでも上記の作品や、凄味を感じさせる「自画像」など、よく見ると、細密な描写がやはり中心だ。
 
今回見ていて気がついたのは、同じ静物でももぎ取られている果物などは、その焦点がよくあった描写(桃のうぶげ!)は瑞々しい生命力を感じさせるが、からすうりをはじめ、茎や葉がついた花などは、むしろそれらの生命力を画家が吸い取っているように見える。これは対象のすべての点に焦点があてられている(その結果むしろ本質が現れるともいえる)ということにもよるように思われたが、どうなんだろうか。
 
今回感心したのが多くの「月」で、こんなに暗い空を背景にしたただの月(たいてい満月のように見えるが)が、見る者に不思議な落ち着きというか温度のない安心感を与える。
 
「蝋燭」は、世話になった人にあげたもので、売り物ではなかったそうだが、一つ一つの違いと共通点は、何か永遠の追及なんだろう。
 
ともかく、没後しばらくなら普通50年というところを、なぜか40年で画家の全貌を見ることができたのは幸いだった。

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