メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

ブーレーズのマーラー「復活」

2006-06-03 23:39:13 | オーケストラ

ピエール・ブーレーズ(1925~)がウィーン・フィルハーモニーと録音したマーラー(1860~1911)の「復活」CD(DG)が発売された。
ブーレーズには長い間、近代から現代にかけての音楽のナビゲーターとして世話になったから、マーラーも1995年の第6以来聴いてきてこの第2番「復活」であと第8番「千人の交響曲」を残すのみとなった。第8は演奏しない人も多いから実質全部といっても良い。(どうも録音するらしい)
合唱:ウィーン樂友協会、ソプラノ:クリスティーネ・シェーファー、メゾ・ソプラノ:ミシェル・デヤング
 
まず冒頭からしばし、おやっと思うほど立体感、奥行きがある。特に木管と弦。オーケストラのせいかとも思ったが、同じウィーンを振ったメータの1975年盤(これはかなり好きな演奏)はここまで極端ではなかった。もっともホールはブーレーズがムジーク・フェライン、メータはDECCAがよく使ったゾフィエンザール、その違いはよくわからないが。
 
そしてその後も立体感と透明感はあり、乱れず、曲の構造の力は出ている。しかし、マーラーの中でも特にこの曲は、それでも最後の第5楽章になると、何か感情的な高まりがもっとないと、おさまりがつかない。
 
実はブーレーズ最初のマーラーは1970年ロンドン交響楽団(LSO)と入れたカンタータ「嘆きの歌」、未完の交響曲第10番のアダージョであり、これらは確か史上初録音のはずである。その後CD復刻はされていないようだ。
 
「嘆きの歌」のLPは持っているが、このあたりからブーレーズのマーラーへの期待は、このロマンティックな楽曲にブーレーズの眼と手が入ることによって、明晰と混沌の対照が、ストレスが強い表現を産むだろうというものであった。うまくいけば「ドイツ表現派」の絵のようになるのではないかと。
 
しかし、ライブで時々マーラーを振っているらしいとの話はあったものの、1995年まで待たねばならなかった。
ブーレーズはこの半世紀、最初は近代の決定版選集を作るかと思われるごとく、ストラヴィンスキー、ドビュッシー、ラヴェル、シェーンベルク、ウェーベルン、ベルク、バルトーク、自作などを数多くCBSに録音し、それらの多くはこれら楽曲理解のベースとなるものだった。
 
そしてその後DGにほぼ同じレパートリーを再度録音し、それらは一部の曲にある民族色への配慮、円熟した味つまり「怒れるブーレーズ」とは違うという評価も多かったようである。
しかしそれは違う。やはり彼のような人といえども初心の気合、ストレスは、このような曲に関してはプラスになりこそすれマイナスにはならない。だからマーラーの録音シリーズは開始が遅すぎたか。
  
ところで先日5月28日(日)NHK教育TVの名演奏シリーズでジュゼッペ・シノーポリ(1946~2001)が1987年フィルハーモニア管弦楽団との来日時サントリーホールで演奏した「復活」の後半が放映された。
インタビューで彼は「マーラーには「破局(カタストロフ)の意識」があり、アイデンティティーと真実の喪失があって、夢想によって仮のアイデンティティーを求めようというのがマーラーの音楽である」と言っている。特に「復活」はそうかもしれない。演奏する側、聴く側の少なくともどちらかにそういう希求がないと「復活」は熱くならないうちに終わってしまう。

実はこの1月16日の演奏は実際に聴いている。このころは少しつらい時期でもあり、特に最後のあたりは聴いていてこたえた。
 
もうひとつ実際に聴いたのは、1972年6月16日(金)東京文化会館、小沢征爾指揮
日本フィルハーモニー交響楽団、日本プロ合唱団連合、ソプラノ:木村宏子、アルト:荒道子 、日フィル解散前最後の定期(第243回)であった。(この後知られるとおり新日フィルと日フィルの2団体に分裂した形になった。)
 
解散してしまうオーケストラが最後に演奏するのが「復活」とは、聴く方がちょっと恥ずかしい選曲であるが、その当時はそんな感覚はなく素直に受け取った。
これはその後放送されオープンリールで録音したが、もうこの媒体を使わないことにしたときカセットテープにダビングしたものが手元に残っており、ダイナミックレンジが乏しいものの、聴いてみた。
 
思いのほか落ち着いて丁寧に演奏している。最後だからとセンチメンタルになるよりは、最後だから無様な演奏は出来ないというのだろう。丁寧に気合が入って続いていくがしかし、第5楽章に入ると自然にアッチェレラントが見られ、表現の強さと密度が高まっていく。
これCD復刻される価値はあると思うが。
 
 
ところでこの「復活」というのは、聴いていて自然に手を動かし指揮をしてしまうという曲の中でもその最右翼ではなかろうか。
そう、実は世の中には「復活」だけを振る指揮者が存在する。ギルバート・キャプランという人で、好きが高じて指揮法を独学し、「復活」の指揮を覚え、金持ちでもあったので一流オーケストラを指揮する機会も持つようになり、1987年にはLSOと録音、そしてなんと2002年にはウィーンフィルが録音発売(DG)に応じている。

彼は「復活」スコアの研究も行い、ウィーンフィルにも受け入れられたそうであるが、今回のブーレーズがそれを使っているかどうかはわからない。そんなに大きな違いでないからわからないだろうと言っている人もいる。
 


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