メドレー日記 Ⅱ

by 笠羽晴夫 映画、音楽、美術、本などの個人メドレーです

オーレル・ニコレと十勝沖地震

2006-06-11 22:39:57 | 音楽一般
日フィルのブルックナーのところで他の曲の独奏者として出ていたオーレル・ニコレに触れたが、そのあとこれまで気になっていたことを確認したくなった。
 
1960年代は日本でフルートがはやり、ランパル、ジュリアス・ベーカーなどが人気であった。そのほかにも、現代ものが得意なガッゼルローニ、そしてこのオーレル・ニコレもそのちょっと硬質な音とすっきりした音楽のつくりで人気があった。確かカラヤンがベルリンフィルの常任になったときにはそこの首席で、このポジションは後にゴールウェイ、ツェラーなど名手が継いだのではなかったか。
 
ニコレはだから随分何度も日本に来ており、私も1970年前後数回聴いている。そのうちどれか、日比谷公会堂での演奏中に大きな地震が起こった。確か震源地は北海道、それも十勝だったはずである。
 
1970年ころからは、コンサート、映画、展覧会、読書など、感想は書かないが日付と名前など最小限の客観的な事実のメモをとっている。それを探してみたがこの件は出てこない。残っているチケットも違うときのようである。
 
そこでネット上で調べてみた。まず「十勝沖地震」。最近は2003年9月26日が数多く扱われているが、その前の大きなものとして1968年5月16日のものがあった。本震は午前9時48分であるが、それとほぼ同じ規模の最大余震は午後7時39分とある。
 
これにほぼ間違いないのであるが、この日にニコレのコンサートが確かに行われたという記録が欲しい。
いろいろと検索していたら、ようやく「日比谷公会堂 その50年の歩み」(昭和55年2月発行)という資料の一部「来日外国演奏家名簿(抄)」というものがあった。(クラシック・ニュース)
ここで1968年5月16日、確かにオーレル・ニコレのコンサートという記録(記述はそれだけ)がある。
 
記憶が正しければオール・バッハのプログラムで、小林道夫がチェンバロの伴奏をしていた。7時39分ということは、7時に開始してから2曲目の後半あたりだろう。地震が起こったとき客席は少しざわざわし、ニコレも何かなという顔をして少し上を向き、揺れている照明器具を見ていたが、演奏にはまったく影響せずそのまま曲の最後まで続けた。
これはニコレにとっても強い印象を残したのだろう。確か後日、地震の見舞いにと何らかの寄付をしたはずだ。
 
  
ようやく喉の痞えが降りた、38年前のアリバイ。

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