「あの頃ペニー・レインと」(Almost Famous 2000年米)
この製作・監督・脚本は、キャメロン・クロウ(1957~)で、彼が15歳の頃すなわち70年代初頭に、関心を持ち出したロックの世界に入り込み、記事を書き出して、やがて「ローリング・ストーン」誌に入るまでの経験をもとにした話である。
彼は幼くして父を亡くし、教師をしている厳格な母親と姉の3人家族、母親は姉が流行の音楽にちょっと夢中になってもそれを取り上げてしまうほど。それがいやで姉は家を出、スチュワーデスになる。
彼女は母に内緒で弟に何枚かのレコードを残すのだが、それが彼の人生の始まり。
彼(パトリック・フュジット)は15歳なのだが幼く見える、さらにどうも入学時に親が年齢をごまかし、また出来るので飛び級もしたらしく、知らない人には17~18で通す。
そしてあるバンドのツアーにもぐりこんで取材を開始、マイナーな媒体に書き始める。このバンドをかこむバンド・エイド(多くはいわゆるグルービー)にいるアイドル役が通称ペニー・レイン(ケイト・ハドソン)で、彼は彼女に次第に夢中になっていく。
70年代のロックシーンを、ここで出てくる名前でいくとフー、クリーム、レッド・ツェッペリンその他をよく知っていると、この映画の細部をもっと面白く味わうことが出来るのだろう。
がしかし、あいにく「アメリカン・グラフィティ」(1973 ジョージ・ルーカス)なら60年代前後の話だからそういくのだが、70年あたりから、サイモンとガーファンクルのあとはエルトン・ジョン、キャロル・キングなど、もっとボーカルっぽい方にいったから、細かいところはわからない。
映画の進行としては、このバンドツアーの中での夢(当然薬もからむ)と現実との往来が語られる。がここでの主人公はむしろバンドリーダー(ビリー・クラダップ)とペニー・レインで、この少年はなぜか落ち着きすぎているというか、やはり観察者の性格が強い。
ちょうど「アメリカン・グラフィティ」の主人公(リチャード・ドレイファス)がそうだったように(こっちはルーカスの投影だろうか)。
キャメロン・クロウというと「ザ・エージェント」(1996)と「バニラ・スカイ」(2001)が有名で、よくわからなかった「バニラ・スカイ」を本作のあと再度見てみようと思う。もっともこれはトム・クルーズの熱烈な希望によるリメイクだから、共通性があるというのは考えすぎかもしれない。
ケイト・ハドソンはこのちょっと「不思議ちゃん」的な女の子にぴたりとはまっている。アメリカ的な基準からいけば美人だろう。
ただし彼女の母親はゴールディ・ホーン、美人ではなくどちらかというとファニー・フェイスであったが、セクシーなのはこちらの方(「バタフライはフリー」(1972)など)か。
ヒロインの通称ペニー・レインはもちろんビートルズの曲「ペニー・レイン」(ペニー通り)から来ていると思われるが、映画の中で言及は一切ない。
1970頃、東京原宿にペニーレインというロック・カフェがあったそうで、吉田拓郎の「ペニーレインでバーボン」でさらに有名になった。邦題はこういうことを踏まえたものだろう。あまりにノスタルジックで甘酸っぱいタイトルという意見もあるが、日本で興味をひきつけ見てもらうためにはこのくらい必要だろう。
主人公がもっと小さいとき(別の子役がやっている)、母親が姉が持っているサイモンとガーファンクルのLPを取り上げ、こんなものきいてと言う。特にジャケットのポール・サイモンの眼を非難する。
ジャケットには見覚えがあった。今書きながら聴いている「ブックエンド」(LP)である。よく見るとポールの眼はちょっと夢の境地かもしれない。しかしこの「冬の散歩道」などが入っているLP(1968年)はだいぶ社会派になっているとはいえ、サウンドはそんなにセンシュアルでない。当時の米国、親が教師であればこういう対応が普通だったのか。