安全問題研究会~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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【夏休み】南会津保養記2~ミニ尾瀬公園で尾瀬の雰囲気を味わう

2011-08-31 23:16:42 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
朝7時過ぎ、ゲストハウスダーラナで目覚める。すぐ目の前を国道289号が通っているが、さすがに夜間は交通量は少なかった。雨との予報に反して窓の外は薄日が差している。この季節、本来なら奥会津は涼しいはずなのだが、台風が接近しているせいか蒸し暑い。

宿を出て、少し散策する。水田には稲が穂を垂れ始めている。今年、福島県内で放射性物質による汚染を気にせず米を出荷できるのは、南会津地域だけになるだろう。

朝食は南郷トマトをふんだんに使ったサラダ。やはり甘い味が口いっぱいに広がる。トマトが苦手で、「赤い悪魔」と呼んでいる声優がいるが、このトマトなら彼女のトマト嫌いも治るかもしれない。

朝9時過ぎ、ダーラナを出て、さらに車を西に走らせる。今日は雨天でなければ、ミニ尾瀬公園に行くと決めていたので、その目的通りに進む。午前10時過ぎ、ミニ尾瀬公園に着く。

ここは、本物の尾瀬に行く暇がない人など向けに、地元の檜枝岐村が1999年に設置したものだ。本物の尾瀬はここから西南西に約10kmの地点にあり、本州では最大規模の湿原として国立公園に指定されている。福島のほか、新潟・栃木、群馬の4県にまたがっている。唱歌「夏の思い出」はあまりに有名だ。公園内にもこの曲の歌碑がある(サムネイル写真)。

ミニと名がついているとはいえ、周辺を歩くと40~60分かかる。花のピークは6~7月で、8月末のこの時期になるとほとんど花が終わっているが、それでもいくつか見ることができた。東北の高原地帯であるここ尾瀬は、1年の半分が冬といっても過言ではなく、早くも秋の気配が漂い、トンボが飛んでいた(写真)。

散策を終えて戻ったところで武田久吉メモリアルホール(写真)を見る。武田は、尾瀬の環境保護に貢献した人で、彼にまつわる展示物がホール2階に展示されている。

それはともかく、武田久吉メモリアルホールの建物の外壁に、「農林水産省補助事業 山村振興等農林漁業特別対策事業 ウルグアイ・ラウンド農業合意関連対策」という大きな看板(写真)が掲げられているのには笑ってしまった。

1993年、細川政権下でGATT(関税・貿易に関する一般協定;現在のWTOの前身)ウルグアイ・ラウンド協定により、米の輸入全面禁止政策の見直しに道を開く関税化が行われた。このとき、「国際競争に耐える足腰の強い農業づくり」のため、1994~2001年度の8年間で6兆円という気の遠くなるような予算が農水省に配分された。ウルグアイ・ラウンド対策事業というのは、この6兆円を使った事業のことなのだが、当事者の農水省関係者の間でさえ「ゲップが出るほどの予算額で、使い切れない」と囁かれていた。この6兆円もの予算がどこに使われていたのかと言えば、結局はこんなハコモノ造りだったのだ。農水省の報告書「ウルグアイ・ラウンド関連対策の検証」によれば、武田久吉メモリアルホールが建設された平成10(1998)年度はウルグアイ・ラウンド農業合意関連対策事業の5年目。全国で3,763億円が投じられている。

それから10年。TPP(環太平洋経済連携協定)への参加が大きな政治的対立軸となる中で、このときの6兆円が本当に「足腰の強い農業作り」のために使われていれば、農業と地方はこれほど苦しまなくて済んだだろう。だが、この国の常として、補助金は利権体制の中でハコモノに消え、農業の体質改善は行われなかった。それでも、この施設はまだ使われているだけましかもしれない。ウルグアイ・ラウンド農業合意関連対策事業で建設された施設の中には、10年あまりでもう使われなくなっているものがたくさんあるというのだ。未曾有の財政危機といわれながら、日本は一体いつまでこんな無駄遣いを続けるのだろうか。

正午過ぎ、ミニ尾瀬公園を出て今度は昭和村に向かう。ここも放射能汚染のほとんどない地域だ。今日の宿泊先は昭和館という歴史を感じさせる宿である。チェックインするには早すぎる時間なので、奥会津博物館南郷館を見る。ここは、実をいうと昨日、入浴に訪れた「さゆり荘」の隣。その時に訪れてもよかったのだが、閉館時間を過ぎていたため今日再訪となった。展示物は決して多くはないが、山村としての奥会津地方の人々の素朴な暮らしが見えてくるものだった。

昭和館に入る。ここは温泉宿ではないので入浴は18~21時と決められている。ビールを飲みながら軽く乾杯をする。今日は寝室にテレビもあり、携帯電話も通じるのでそれほどの退屈は感じなかった。でも、こんな時くらいネットやテレビから離れるほうが本当はいいかもしれないのだが。

夜になり、雨が降ってきた。雨音を聞きながら就寝。

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【夏休み】南会津保養記1~スウェーデン風のゲストハウスで食を愉しむ

2011-08-30 22:23:00 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
8月29日~9月2日まで夏期休暇をもらったので、南会津に遺伝子修復のための保養に行くことにした。過去ログにも書いたが、福島県・南会津は放射能汚染がほとんどなく、福島県内でありながらむしろ首都圏より安全と言っていいので、ここに来れば破壊された遺伝子の修復は確実にできるだろう。本来もっと早く行きたかったが、既報の通り愛車の調子がすこぶる悪く、どこで停まってしまうかわからない状態だったので、新車納入の時期を見ながら夏休みを決めたのである。

午後2時過ぎ、出発。国道289号線を久しぶりに走り、天下の難所、甲子峠を越えてみる。さすがに10年間の技術進歩は凄まじく、軽は軽でも以前とは違うパワー感がある。当ブログ読者向けにわかりやすい(わかりにくい?)表現でいうと、キハ28・58系からキハ181系に乗り換えた程度のパワーアップは感じる。さすがに、キハ28・58系からJR四国2000系やキハ120系に乗り換えたような極端なパワーアップ感はないが。

国道289号から121号に入り、日光方面を目指して走る。再び289号線に戻り、1時間半ほどでお目当ての
ゲストハウス・ダーラナに着く(写真)。午後4時にチェックイン後、夕食ができるまで2時間ほどかかるというので、温泉に行くことにする。最初はきらら289に行こうとしたが、あいにく火曜日は定休。近くにある奥会津さかい温泉さゆり荘で温泉に入る。温度はぬるめで、今の季節ならいいが、冬場にこれは風邪を引いてしまうかもしれない。

再び「ダーラナ」に戻る。ここは、オーナーが南会津地方の古農家を改造してゲストハウスにしたもので、スウェーデン風の造りになっている。しかしなんといっても一番お勧めなのが、シェフが腕をふるった北欧風料理である。ここのシェフはスウェーデン大使館でも腕をふるっていたほどの人なのだ。彼なら大使館の食卓にも出演できるだろう。

ダーラナのある地域は、平成の大合併で南会津町となるまでは南郷村と呼ばれ、ここで獲れるトマトは南郷トマトとして全国有数の人気を誇っている。その南郷トマトをふんだんに使った夕食はとても良いものだった。こんなに甘い味のするトマトは初めてだ。トマトを作っている地元の農家の方によれば、トマトは寒暖の差が大きいほど甘みが増すそうだ。夏は他の地域と同じように暑く、冬は北海道並みの寒さ(桜の開花は5月上旬!)である南会津・南郷地方はトマト栽培に向いているのだという。原発事故以降、中通り産の農産物に不安を覚える人が増えたせいか、トマトに限らず、白河地域からここまで農産物を買いに来る人が増えたとか。

久しぶりにワインを飲んだせいで、眠くなってしまった。ダーラナはゲストハウス(レストランに来た客に宿泊も提供するサービス)であり宿泊施設でないためか、寝室にテレビがなく、なんと携帯電話も圏外だった(シェフは携帯電話で話していたので、きっとドコモなのだろう)。これ以上、暇つぶしの手段も持たない私たちは、明日の行程も考え、早々に寝ることにした。

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今、福島に住み続けるということ

2011-08-25 21:36:36 | 原発問題/一般
(この記事は、当ブログでいったん発表した内容を、修正・加筆後、月刊誌に再掲したものです。)

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なぜ福島に住み続けるのか

「なぜ福島に住み続けるの? 避難するべきだと思う」と本当のことを知っている人は言う。私もそう思うがそれができない(しない)のには二つの理由がある。

 一つは現実的に無理だということ。多額の借金を抱え、自営業の基盤がここにあり避難したらどうして生活して行くのかすべがないというのが最も大きな理由である。中通り、浜通りの県民の多くは放射能という得体の知れないものに大きな恐怖を抱いている。避難できるものなら避難したいと考えているはずだが、避難してどうやって生活して行くのか? 避難指示区域などを除いては保証金は出ないに等しい。国が生活の面倒を見てくれると言うなら多くの人が避難を選択するだろう。お金の余裕があり、避難先、仕事のこと、子供の学校のことなどすべてを自分で判断し、可能なわずかな人だけが避難しているにすぎない。避難したいと思っても避難できない大きな現実がある。

 そして故郷を離れがたい思いも大きい。長年住み慣れた土地を離れるのは耐え難い苦痛を伴う。都会の方にはけして理解できない執着がある。農村部ではその思いはさらに大きい。農村部から農村部に移れるのならまだしも、避難先はほとんどが都会でしかない。避難すべきだと思っていてもいざ離れる決心がつく人は多くは無い。

 もう一つの大きな理由は「何」から逃げるのか? という疑問である。

確かに自分の健康や家族、子供の健康に影響を及ぼす放射能からは逃げるべきなのだろう。だがどこに安住の地が約束されているというのだろうか。

 66年前までこの国は戦争をしていた。東京は焼野原となり、広島、長崎には原爆が落とされ、沖縄の人達は地獄を見た。敗戦が平和で幸せな暮らしをもたらすはずだったのに水俣をはじめとする公害や薬害、原発という麻薬に蝕まれた貧しい農村・・・いったいどれだけの人間が得体の知れない不条理に翻弄され無念の涙を流したことだろう。世界に目を転じても同じこと、この国も世界も余りにも多くの不条理に満ち溢れているのだ。

 避難することで放射能からは逃げることができる。けれどもこの国からも、この世界からもけして逃げることはできない。私は諦めで不条理を受け入れるのでなく、不条理を不条理として受け止めそこから何を見出すことができるのかという視点でこれからを生きて行こうと思う。

 チェルノブイリ原発の避難区域に住み続けるアレクセイの暮らしを追った「アレクセイと泉」という本があった。行き場所の無い一市民の悲しみを追ったものだと長い間思っていた。けれども今は違う気がしてならない。不条理を受け止める生き方が人間の尊厳に大きな意味を持つと思えてならない。
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 ご紹介したのは、福島市にほど近い場所で自営業をしている「あだたらのおやじ」さんのブログである。この記事は福島に今なお残っている人の心情を正確に表現するものとしてご紹介しておきたいので、あえて取り上げることにする。

 放射能防御プロジェクトを立ち上げたジャーナリスト・木下黄太氏のように、福島県はもとより、首都圏からも退避可能な人は退避するよう呼びかけている人は多い。私自身、劣化ウラン弾について学習してきた過去の経験から誰よりも放射能の危険性は理解しているつもりだし、放射能の影響からできるだけ多くの人を可能な限り防御したいという立場なので、木下氏と同じように退避できる人はしてほしいと思っている。しかし一方、どうしても避難できない人もいる。そうした人たちに対し「あいつは放射能安全派だから残っているのだ」とか「御用学者を信じて避難しない奴らは勝手に死ねばいい」などという決めつけをするのはやめてほしい。

 実際には、あだたらのおやじさんのブログにあるように多くの人はできるなら避難したいと思っているが、現実にはできないのである。「逃げればいい」というのは簡単だが、それではそう言っている人間が避難費用を出してくれるのか。職を失う人に職を紹介してくれるのか。家を失う人に家のあっせんをしてくれるのか。避難せず残らざるを得ない福島県民は、今、そんな葛藤の中にある。多くの福島県民は、放射能に対してはもちろん、親切心から避難を忠告してくれる人々に対してもイライラを募らせている。「避難した後、どうしろって言うんだよ!」というやり場のない怒りに近い(本当は国と東電に怒りを向けるべきなのはわかりきっているが、実際問題、彼らが福島県民のために何かしてくれる可能性はゼロに近いという絶望がある)。そうした心情を適切に表現したものとして、冒頭紹介したあだたらのおやじさんのブログの記事は是非ご一読いただきたい。

 ●避難者にあるのは失業の自由だけ

 資本主義という経済体制の下にある限り、労働者に職業選択の自由などない。失業の自由と、食べるために仕方なく選ばざるを得ない不自由があるだけだ。職業選択の自由などと言っているのは、実際にその自由を行使できる一部の恵まれた人たちだけである。今、自主避難の権利を求めた闘いがあちこちで展開されているが、私はそうした闘いに関わり合いながら、この闘いはもしかすると私たちを支配している経済体制そのものを疑い、それとの決別を誓うことなしには勝利し得ない、きわめて本質的で体制変革的な闘いなのではないかと考え始めた。福島県民にとって本当の意味での避難の自由とは、労働者が支配層と同じように「職業選択の自由」を行使できる社会の獲得なしにあり得ないと考えるようになったのである。

 『各人はそれだけに固定されたどんな活動範囲ももたず、それぞれの任意の部門で自分を発達させることができるのであって、社会が生産全般を規制しているのである。だからこそ、私はしたいと思うままに、今日はこれ、明日はあれをし、朝に狩猟を、昼に魚取りを、夕べに家畜の世話をし、夕食後に批判をすることが可能になり、しかも、けっして狩人、漁師、牧人、あるいは批判家にならなくてよいのである』

 これは、マルクス、エンゲルス「ドイツ・イデオロギー」のあまりにも有名な一節からの引用である。労働者が特定の職業に縛り付けられることがなくなり、職業でなく「社会全体から付託された仕事」に就いているのだと言える政治体制になれば、放射能からの避難など議論するまでもなくすぐにできるだろう(それ以前に、労働者が自由にその日の労働を選ぶことができる社会に原発が存在しているとは思えないが)。

資本主義が資本主義である限り、自主避難は失業とほぼ同義語だ。そしてそれは生活をすべて捨てることを意味する。あだたらのおやじさん風に言えば、放射能の中を生きる不条理が別の不条理に比べてましではないと結論づけられたときに初めて、すべてを捨てた自主避難は可能になるのだ。現状では多くの福島県民にとって、放射能よりも失業のほうがはるかに怖いということだろう。

 昨今の地方経済の状況を見る限り、その認識は正しい。「とにかく放射能は危険だから避難しろ。避難先で非正規でも何でもいいから職を見つければいい」というのは都会の感覚である。東京の人には信じてもらえないかもしれないが、私が住んでいる白河地域でも3.11よりずっと前からすでに仕事は全くない。ハローワークに行っても派遣の求人さえ出ていない(このような状況になったのは2008年のリーマン・ショックが大きい)。そんな中で自主避難して失業に追い込まれたら、非正規ですら自分に職が回ってくるのは10年後になりかねない。

 ●東京のために犠牲を引き受け続けた福島

 「臭いもの、危険なものは蓋をして地方へ」で基地も原発も地方にすべて押しつけてきた東京にこの事態を反省してもらいたいという気持ちを私ももちろん持っている。だが反省してもらったところで彼らにこの苦しみを共有してもらえるかというと、おそらくそうはならないだろう。

 『わだぐすは、まじすえ百姓で高等小学校すか出ておりません。ただ、せえすんせええ、事に当たるをモットーとすております』

 1959年に出版された小山いと子さんの「ダム・サイト」という小説がある。福島の只見川電源開発を舞台とした作品で、用地買収に反対する地権者を前に、福島県知事が会津方言丸出しで「せえすんせええ(誠心誠意)」説得しているのがこのシーンだ。「まじすえ(貧しい)」百姓から旧制高等小学校(新制中学校)卒で知事となった大竹作摩氏が「わだぐす(わたくし)」のモデルといわれる。

 只見川水力発電所で発電される電気は今でこそ東北電力のものとして東北で使われているが、かつては東京に送られていた。その構造は、只見川の水力が浜通りの原子力に置き換わるだけで現在もなお続いている。福島の近代史は首都圏のために犠牲を払う歴史そのものだった。それでも福島はその役割を黙々と引き受けてきた。そして、放射能の爆弾を落とされた福島県民が、今度はその貧しさのゆえに避難することができないでいる。あまりにも悲しく罪深い差別の構造がここにある。

 多くの読者諸氏はご存じないかもしれないが私は全国転勤の職場に勤務している。4年前、仕事で白河の地に赴任した。ここでの勤務は2年という当初の約束とはうらはらに4年が過ぎ、福島での生活は5年目を迎えている。原発事故が起きてからは福島を出たくて仕方がなかったが、最近あまりそう思わなくなってきた。放射能防御プロジェクトによる首都圏土壌調査の結果、首都圏にも白河レベルの汚染があちこちに存在しているとわかってから心境の変化が起こり始めたような気がする。どうせどこに行っても同じなら、ここに残れる限りは残り、差別構造の下に置かれてきた福島県民と同じ視点にあえて立ちたい。その中からきっと見えてくるものがあるはずだ。それをこの手で発信し、差別解消のために精一杯働くことが、今の私に課せられた使命だと思うのである。

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新車が来ました

2011-08-24 22:20:23 | 日記
我が家に新車がやってきた。結局、いろいろ考えて今回も軽にした。車種は、前回と同じムーヴだが、さすがに10年間の技術進歩はめざましい。

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【告発キャンペーン1】消費者不在で暴走する「消費生活協同組合」の存在価値を問う

2011-08-23 23:23:11 | 原発問題/一般
今日から、原発事故に関し、「被曝からの住民保護」という基本理念に反する行動を取っていると思われる個人、企業、政府要人等に関する告発キャンペーンを随時行うことにする。当ブログですでに実施してきた山下俊一教授告発キャンペーンの続編と考えていただくとよいだろう。今回はまず手始めに、福島県南生協を取り上げる。

私の住む白河地域で活動しているのが福島県南生協だが、ここから、7月末、組合員宛に1通の文書が届いた。それも、生協担当者が戸別訪問するのでなく、他の注文商品と一緒にケースに入れられていたものである。サムネイル写真で紹介したのがその問題の文書である。

「麦茶(六条大麦使用)・2L×6をご利用いただきました組合員様へ 日頃より共同購入をご利用頂きまして誠にありがとうございます。7月1週と7月3週にご案内致しました上記商品の製造所間違いのご連絡をさせていただきます。Week案内の(日本・兵庫)ではなく正しくは(日本・静岡)でございます。静岡県富士宮市の工場で昨年収穫のカナダ産大麦と当該工場の地下水を使用し製造した商品でございます。今回製造場所間違いのためご不要の際は担当者にお申し出下さいますようお願い致します。ご利用を頂きました組合員様には誠に申し訳ございませんが、何卒ご了承下さいますようお願い致します」

このような組合員へのお詫びが記載されている文書の問題点はいくつかある。

1.放射能汚染で組合員が最もピリピリしているこの時期に、よりによって最も重要な情報である「産地」の間違い。しかも、お茶からセシウムが検出されて騒動が起きていた静岡産を兵庫産と「間違えた」という事実。

2.カナダ産大麦を使っていると弁明しつつ、水は結局静岡産。富士宮市はセシウム汚染が発覚した茶畑からある程度離れてはいるが、その水が本当に安全なものかどうかについては文書は何も触れていない。

3.そして何よりも問題なのは、配達員が組合員の自宅の目の前まで配達に来ているにもかかわらず、直接謝罪しないでお詫びの文書だけを商品と一緒に投げ込んでいくという「官僚的対応」だ。

もちろん、彼らにすれば単なる「間違い」なのかもしれない。しかし、一部の心ない生産者が行政の「風評被害」キャンペーンをいいことに、汚染隠しをして出荷しているのではないかという疑念を日本中の消費者が抱き始めているこの時期に、産地に関する情報を「間違える」ということがいかに自分たちの信用を傷つけるかを理解していないとしかいいようがない。実際に妻は「騙された。静岡とわかっていたら注文しなかった」と言っているのだ。

正確な食品検査が行われていない以上、消費者が放射能による内部被曝から自分を防衛する手段は、現状では産地情報しかない。その唯一の手がかりを「間違い」によって奪うなんて、仮にも消費生活協同組合を名乗る組織のやることではない。

もちろん、事が「今回のお茶飲料の産地だけの単なる間違い」にとどまるなら、私はこんな告発キャンペーンなど考えもしなかっただろう。しかしこの生協は、これ以外にも許し難い「間違い」を犯している。証拠? もちろん持っている。お目にかけよう(クリックで開かないときは右クリックから保存の上ご覧頂きたい)。

リンク先のPDFファイルは、一見するとなんの変哲もないただの線量計、PDM-122の広告に見える。しかし、問題はこの線量計の測定範囲が1μSv/h~1Sv/hであることだ。福島県内では確かに、今も1μSv/hを超える空間線量が常時計測されている地域がある。しかし、県の測定によると、汚染が激しいといわれている郡山市ですら今は1μSv/hを下回ることもある。最低測定単位が1μSv/hの線量計では、福島県内でも大半の地域で事実上役に立たないだろう。

一方、最高測定単位はなんと1Sv/hである(これは、メーカーである日立アロカメディカル社のサイトでも確認しているので間違いではない)。個人差はあるが、一般的には400~500mSv/hを一度に浴びるとリンパ球減少などの急性症状が出始めるといわれる。1Svなんて、吐き気を催して倒れ、髪が抜けてもおかしくないほどの高線量だが、一般住民で誰がそんなところを計測するのか。製造した日立アロカメディカル社にはもちろんなんの落ち度もないが、この線量計は明らかに警戒区域か、原発周辺地域で使うレベルのものである。

この線量計を注文した人には、「8月下旬からお届け予定」となっている。到着後、「全く反応しないのですが故障ですか?」という問い合わせや苦情が殺到するだろう。あるいは、もしかしたらその苦情さえないかもしれない。なぜならこの線量計はコイン型リチウム電池を電源として動作する仕様になっているからだ。ところが「電池、品薄で線量計「宝の持ち腐れ」(2011.7.23漬け「産経」)という記事の通り、無反応以前に電池が入手できず動作させられない可能性さえあるのだ。

こんなものを平気で売り出す時点で、福島県内の各生協が放射線と線量計について全く勉強していないことは明らかだし、「反応しない線量計を買わせることで、福島県民に健康に影響はないと安心してもらおう」という目的で故意にやっているのだとしたら、これは立派な犯罪といえる。

ちなみに、県南生協も加わっている「コープふくしま」は、NPO法人放射線安全フォーラムなる団体とともに除染プロジェクトに取り組んでいるようだが、このNPO法人は「放射線や放射能への理不尽な恐怖感は、人々に放射線そのものより遥かに大きな害を及ぼす」などと言ってのける確信犯的原発推進御用団体である。おまけに情報公開が叫ばれるこのご時世に役員名簿も予算も決算もホームページに掲載していない。こんな輩と提携して事業を行っている時点で、福島県の生協のお里が知れるというものだろう。

私が生協という組織に最初に疑いを抱いたのは、あの「中国製毒入り餃子」事件がきっかけだった。原発事故による放射能汚染という事態を迎え、今こそ生協の真価が問われようとしている局面でのこの醜態は、日本の生協が破滅に向かっていることを示す明らかな兆候である。取り扱う製品がどういうものかに注意を払うこともなく、「顔の見える関係」に安住してきた無自覚、無責任な構造がまたも露呈しつつある。市場原理にさらされ、生産地を偽ることが市場からの強制退場を意味することをきちんと理解している民間スーパーのほうが、産地表示ひとつとっても生協よりはるかに神経質になっている。たとえば私の自宅近くの大手スーパーでは「福島県郡山市産」などと市町村まで表示するようになってきている。今や一部の自覚のない生協は、民間スーパーにさえ劣っているのが実情だ。

民間スーパーが経済産業省所管であるのに対し、生協は、その事業が営利事業ではなく福祉事業であるとの考えから厚生労働省の所管となっている。しかも、生協は消費生活協同組合法という特別の法律に守られている。このことの意味を各生協はもう一度よく考えてもらいたい。

残念ながら、現在、一部の無自覚な生協の緊張感のない運営は、あまりにも消費者の望むものとかけ離れた結果をもたらしている。このままでは、私は彼らに消費生活協同組合などと名乗ってもらいたくない。各生協は設立の原点に帰り、消費者の当たり前の要求を当たり前に反映できるような運営に努めてほしい。それなくして、生協の信頼回復は決してあり得ない。

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発送電分離(電力版「上下分離方式」)は社会を救うか

2011-08-22 23:18:36 | 原発問題/一般
電力を「市場のもの」ではなく「みんなのもの」にはできないものか(attacこうとう(準備会)ブログ)

attacこうとう(準備会)ブログにて上記のような考察がされている。今日は私もこの課題について考えたいと思う。

ブログ主さんは、単純な「発送電分離」による電力自由化を批判しつつ、電力を公的管理の下に置くことを提起している。

私は、未経験の難題に直面したときは、自分の得意分野である鉄道・公共交通の分野に置き換えて考察することが多い。そうして考察していくと、いま盛んに言われている発送電分離~送電線国有化案は、鉄道・公共交通における「上下分離方式」であることに気づく。

鉄道ファンで当ブログの常連の方には説明するまでもないと思うが、上下分離方式とは、例えば鉄道であれば列車の運行部門(上)と施設(線路・軌道など)の所有・維持管理(下)を分離する経営方式である。ほとんどの場合、膨大なコストがかかるため巨大な資本投下が必要な「下」が公共セクターの担当で、さほどのコストをかけずにできる「上」は民間が担当、というケースが多い。線路は国や自治体が保有・維持し、その上に民間鉄道事業者が列車を走らせる。東北では、東北新幹線の延長開業に伴う並行在来線分離によって誕生した青い森鉄道がこの方式を採用している。青い森鉄道区間の線路や施設は県の所有だ。

これまで、旧国鉄線転換第三セクター鉄道の中には、北海道ちほく高原鉄道、神岡鉄道、三木鉄道のようにすでに廃止に追い込まれたものもある。北海道ちほく高原鉄道は単年度赤字が4億円を超えていたし、神岡鉄道も廃止直前に乗りに行ったら全区間、乗客が自分1人だけの時もあるなど、これらの廃止線の場合は経営形態でどうにかなるレベルでないものがほとんどだった。

だが、いわゆる地方開発公社のような「ハコモノ行政」型の第三セクターで乱開発のあげくに経営破綻したようなケースでは、責任の所在の不明確さが経営破綻の背後に潜んでいるケースも多く見受けられた。こうした第三セクターは、単に官民が出資しあって合弁事業をやっているという以上のものにはなり得なかった。経営破綻すると、官は官で「民間的な経営センスが生かされると思ったから公営ではなく第三セクターにしたのに、破綻したのはおまえらに経営センスがないからだ」と民に責任を押しつけたかと思うと、民は民で「はじめから採算がとれないとわかっていた事業に民を巻き込んだのはそっちなのだから官で責任取れ」などと言い始める。かくして官民がともに責任を取らないまま、破綻処理に血税が垂れ流され最後は納税者が泣く、という「いつもの図式」が性懲りもなく繰り返されてきた。

電力10社による現在の地域独占・発送電一体管理のスタイルも、政策(原発推進)は国が出し、民間電力会社が実行部隊になるという点で一種の第三セクターのような無責任体制といえる。しかも、総括原価方式(すべてのコスト~文字通りすべてのコスト、地域住民を原発推進派にするための「口止め料」に至るまで!~を電気代に上乗せできる)が取られているため、電力会社はこの無責任体制の中でも永遠に倒産せず、安穏としていられるはずだった…のだ、そう、3.11の前までは。

「生産力はますます強大となるにつれて、資本たるその性質に反逆し、その社会的性質を承認せよと要求する。・・・トラストがあろうとなかろうと、資本主義社会の公の代表である国家は、結局、生産の管理を引受けざるを得ないことになる。このような国有化の必要は、まず郵便、電信、鉄道などの大規模な交通通信機関に現れる。」(「空想より科学へ」エンゲルス)

エンゲルスが100年以上も前に明らかにしたこの定理は現在も全く有効である。巨大な資本投下が必要で、かつ共同消費性(注)を持つ社会資本には、消費されるごとに減耗が目に見える消費財と異なり市場原理は機能しない。こうした社会資本を官民結託体制の下に置いておくと、利権のために建設が続けられ、やがては供給過剰となって「社会資本のデフレ」が進行する。米国の25分の1しかない狭い国土の上にひしめき合う100近い空港、必要がないのに自然を破壊してまで建設が続く八ツ場ダム、国民を放射線障害に追いやってもなお「必要、必要」というゾンビの呻きが声高に響く原発…暴走する「社会資本のデフレ化」の事例はあちこちに転がっている。そして、ここまで読んできて察しの良い読者諸氏は気付かれるだろう。鉄道も空港もダムも原発もすべてが同じ構造なのだと。

(注)共同消費性とは、共同で使用される性質、別の表現をすれば他人が使用したからといって自分の使用可能分が減少しない性質を持つことをいう。たとえば、あなたの机の上に置いてあった10個のお菓子のうち1個を誰かが食べれば、あなたの消費可能な分は9個に減る。しかし、10メートルの道路のうち1メートルを誰かがあなたより先に歩いたとしても、そのことによりあなたの歩ける部分が9メートルに減るわけではない。あなたも前の人と同じように歩けるのである。このような形で消費される財・サービスを「共同消費財」という。鉄道、道路、ダム、空港、発電所はすべてこの共同消費財である。使用しても減少しないから、老朽化を上回るスピードで建設を続けていくと、やがて供給過剰による「デフレ化」が進行する。

市場原理が機能しない社会資本の分野では、利権を維持するため建設すること自体が目的化していく。発送電分離が実現しても、公共セクターが担うことになる「下」の問題(利権構造など)を解決しない限り、同じことが繰り返されるだろう。それは、空港の建設・維持は公共セクター、航空機の運航は民間セクターによって行われてきた「上下分離」の先例、航空業界を見れば明らかだ。政権交代するついこの間まで、日本では毎日どこかで空港が造られ続けていた。時には農民の土地を暴力で奪ってまで!

繰り返すが、共同消費財である社会資本に市場原理は機能しない。電力の地域独占をやめて競争を導入すれば無駄な原発の建設が止まるという考え方は幻想に過ぎない。

それに、市場原理は多くの失業者と貧困を生んできた。運良く仕事を失わずに済んでいる正社員だって、20年前より給与が上がったという人がいたら名乗り出て欲しい。それくらい、社会の主人公であるはずの人間が痛めつけられてきた。10年間で東京特別区がひとつ消えてなくなるほどの人たちがみずから命を絶った。そんな社会のあり方を支持するなんて私にはとても無理である。

そろそろ結論に入らねばならない。新しい電力は、私たちの経験したことがない全く新しい社会が管理すべきものだ。総無責任の利権体質でもなく、人間を破壊する市場原理主義でもない新しい社会。まだその姿がイメージできないにもかかわらず、心ある多くの人によって待望されている人間中心の新しい社会。

電力という魔物を管理する資格を持ちうるのは、そうしたまだ見ぬ新しい社会のみである。

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【翻訳記事】福島メルトダウンの背後にある衝撃的事実(英インディペンデント)

2011-08-21 23:11:59 | 原発問題/一般
http://eigokiji.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/post-27f6.htmlより

日本は、原発災害は、想定外の津波と地震の組み合わせで、ひき起こされたと主張している。だが新たな証拠は、日本の原子炉は事故を起こす運命にあったことを示唆している

The Independent

David McNeill in Tokyo and Jake Adelstein

水曜日、2011年8月17日

それは日本で進行中の原発事故ミステリーの一つだ。津波が襲う前に、3月11日の地震は、福島第一原子力発電所に対して、一体どれだけの損傷を与えたのだろう?

リスクは高い。もし、地震が、原発と、核燃料の安全性を、構造的に損ねたのであれば、日本中のすべての同様な原子炉を停止する必要があり得るのだ。54基のほぼ全ての原子炉は、休止中(35基)か、あるいは、来年4月までに停止予定であり、原発再稼働に関するあらゆる論議に、構造的な安全性の問題がのしかかっている。

この議論において、原発の運営者である東京電力と、日本政府は、とうてい信頼に足る裁定者とは言えない。3月11日後の数日間、"メルトダウンはしていない"と、政府のスポークスマン、枝野官房長官は繰り返した。東京電力の当時の清水正孝社長は、周知の通り、容易には信じられない発言として、後刻、"想定外の事故だった" と語った。事故から五ヶ月たって、枝野官房長官が話していた時点に、メルトダウンが既に起きていたことを我々は知っている。想定外どころか、事故は業界の評論家達によって、繰り返し警告されていたのだ。

何ヶ月もの嘘と虚報の中、定着している話が一つある。地震こそが原発用の電力を損壊し、原子炉6基の冷却を止めた、というものだ。津波が、そこで40分後に、原発の予備発電機を押し流し、あらゆる冷却を停止させ、世界で初めての三重メルトダウンを生じさせた、一連の出来事を引き起こしたのだ。

津波が施設に到達する前に、もしも再循環水配管と冷却水配管が地震の後で破裂していたらどうだろう?電力が停止する前に?建設後40年の老朽第一号炉、日本で依然稼働しているお祖父さんの古炉形に詳しい人々で、これに驚く人はまれだ。

破損して、劣化しつつある、きちんと修理されていない配管と冷却装置の問題は、長年指摘されていた。2002年9月、東京電力は、極めて重要な循環水配管の亀裂に関するデータの隠蔽を認めた。この隠蔽を分析した、原子力資料情報室は、こう書いている。"隠蔽された記録は、再循環配管として知られている原子炉の部品の亀裂に関係している。これらの配管は、原子炉から熱を取り出すために取り付けられているものだ。もしこれらの配管が破裂すれば、冷却液が漏出する深刻な事故となる。"

3月2日、メルトダウンの9日前に、政府の監督機関、原子力安全・保安院は、再循環ポンプを含め、原発機器の極めて重要な部分の検査をしそこねていることに対し、東京電力に警告した。東京電力は、検査し、必要があれば修理をし、原子力安全・保安院に、6月2日に報告するよう命じられていた。現時点では、その報告書は提出されていないようだ。

インデペンデント紙は、原発で何人かの作業員と話したが、皆、同じような話をくり返した。津波が襲う前に、配管と、少なくとも原子炉の一基に、深刻な損傷が起きていた。今でも事故が起きた原発で働いていたり、関係したりしているため、全員が匿名にしてほしいと希望した。事故が起きた日に、福島原発にいた保守技術者の作業員Aは、シューと音をたてて、洩れる配管を思い出している。

"ばらばらになる配管をこの目で見ましたし、原発中では、もっと色々壊れているだろうと思います。地震が原発内部もかなり損傷させたことに疑問の余地はありません... 一号炉タービン建屋の壁の一部がはがれ落ちるのも見ました。あの亀裂は、原子炉に影響したかも知れません。"

原子炉壁は極めて脆弱だと、彼は言う。"炉壁が余りに堅牢だと、内部からのわずかな圧力で、ひびが入る可能性があるので、壊れやすく作られている必要があるのです。もし内部で圧力が維持されれば...内部の機器を損傷する可能性があるので、圧力が逃げられるようになっている必要があるのです。危険な時には、たわむように設計されているのです。そうでないと、もっとひどいことになり得ます。他の人々にとっては衝撃的かも知れませんが、我々にとっては常識です。" 30代後半の技術者で、やはり地震の際に現場にいた作業員Bはこう回想する。"地震は二度襲ったように感じられ、最初の衝撃は余りに強く、建屋が揺れ、配管が曲がるのが見えました。数分間のうちに、配管が破裂するのを見ました。壁からはがれ落ちるものもありました...

"誰かが、皆避難しなければだめだと叫びました。けれども、冷却水給水用配管だと思われるものを含め、何本かの配管がひび割れしているぞと言われ、私にも見えたので、私は避難しながら、大変に心配でした。それは、冷却液が原子炉炉心に到達できないことを意味しています。もし十分な冷却液を炉心に送り込めなければ、炉心はメルトダウンします。原子力学者でなくても、そんなことはわかります。" 車に向かって進む際に、第一原子炉の建屋の壁が崩壊し始めるのが見えた。"穴があいていました。最初の数分間、誰も津波のことは考えていませんでした。私たちは生き残ることを考えていました。"

地震が原子炉に大きな損傷を引き起こしたという疑念は、数分後に、原発から漏れた放射能についての報告によって強化される。ブルームバーグ通信社は、午後3.29、津波が襲う前、原発からおよそ1.6キロの所で、放射能警報が鳴ったと報道している。

地震が、原子炉に対して、直接的な構造上の損傷を引き起こしたことを、当局が認めたがらない理由は明白だ。「東京電力: 帝国の暗黒」の著者、恩田勝亘氏は、こう説明している。政府や業界がそれを認めれば、"彼らが運用しているすべての原子炉の安全性にまつわる疑念が生じます。彼等は、同じシステム上の問題、同じ配管損傷を抱えた、多数の古めかしい原子炉を運用しているのです" 地震は、もちろん日本では日常茶飯事だ。

元原発設計者の田中三彦氏は、3月11日に起きたのは、冷却液損失事故だと説明している。"東京電力が公開したデータは、地震から数時間後の、冷却液の膨大な喪失を示しています。これは電力喪失のせいにはできません。既に、冷却装置には大変な損傷があったので、津波が到来するずっと前から、メルトダウンは不可避だったのです。"

公開されたデータは、地震直後機、午後2.52に、AとB系統両方の緊急循環冷却装置が自動的に起動したことを示していると彼は言う。"これは、冷却液の喪失が起きた場合にのみ、起こります。" 午後3.04から3.11の間に、格納容器内部の水噴霧装置が起動した。田中氏は、これは他の冷却装置が駄目な場合にのみ、使われる緊急対策だと言う。午後3.37頃に、津波が到来し、すべての電気系統を破壊する頃には、原発は、既にメルトダウンに向かって進んでいたのだ。

原発の現場検査を行い、東京電力のデータ改竄について、最初に内部告発をしたケイ菅岡氏は、事故が起きたことに驚いていないと語っている。日本政府宛の、2000年6月28日付け書面で、東京電力は、原発において、ひどく損傷した蒸気乾燥機を、彼が問題を指摘してから10年間稼働し続けていると警告した。政府は警告を二年間、放置していた。

"私はいつも単に時間の問題だと思っていました。" 事故について彼はそう語っている。"今は、自分が正しかったことが幸福と思えない、人生の一時期です。"

調査期間中、恩田氏は東京電力の原発で働いた何人かの技術者と話をした。一人は、配管が図面と合わないことがよくあったと語っていた。その場合、唯一の解決策は、重機を使い、配管を十分近くに引き寄せ、溶接して、閉じることだ。配管の検査は、ぞんざいなことが多く、近寄りがたい配管の裏側は無視されることが多かった。修理作業は大急ぎで行われる。必要以上に長く、放射能に曝されたい人などいないのだ。

恩田氏はこう補足した。"福島原子力発電所を初めて訪問した際、配管の蜘蛛の巣でした。壁や天井の、地上の配管。配管を跨ぎ、配管の下をくぐって歩かなければなりませでした。時には、頭を、配管にぶつけました。原子炉の熱を制御し、冷却液を運ぶ配管は、原子力発電所の静脈と動脈です。炉心は心臓部です。もし配管が破断すれば、不可欠な冷却水が炉心にまわらなくなり、心臓マヒになります。原子力の用語で、メルトダウンです。簡単に言えば、冷却液を運び、熱を制御している配管が破裂すれば、原子炉炉心は冷却できません。冷却液が炉心に届かないのですから。"

1977年から、2009年まで東京電力に勤務し、元福島原発の安全担当者だった蓮池透氏は、"福島原発の原発事故の緊急対策には、炉心冷却のために海水を使うという記述はありません。海水を炉心に注入は、原子炉を破壊することです。それをする唯一の理由は、他の水や冷却液が使えない場合です。"と語っている。

3月12日の夜明け前、原子炉の水位は急落し始め、放射能は上昇し始めた。当日午前4時過ぎに発表した東京電力の報道発表にはこうある。"格納容器内の圧力は高いが安定している。" 発表の中には、多くの人々が見落としている一つの記述が埋もれていた。"緊急冷却水循環システムが炉心内の蒸気を冷却していた。それが機能を停止した。"

午後9.51、社長命令で、原子炉建屋内は立ち入り禁止区域となった。午後11時頃、原子炉の隣にあるタービン建屋内の放射能レベルは、一時間0.5から1.2 mSvのレベルに達した。言い換えれば、メルトダウンは既に進行中だったのだ。このレベルだと、20分間、このレベルの放射能に曝されれば、日本の原子炉作業員の許容量5年分を超えてしまう。

3月12日の午前4時から6時のある時点で、吉田昌郎所長は、海水を原子炉炉心に注水するべき時期だと判断し、東京電力に通知した。海水は、水素爆発が起きてから数時間後、午後8時頃まで、注水されなかった。その頃では、おそらく既に遅すぎた。

3月末、東京電力は、"福島第一原子力発電所一号機の原子炉炉心状態"という題名の報告書中で、少なくとも、こうした主張のいくつかを 多少は認める方向に進んだ。報告書には、配管を含め、重要な設備に、津波前に損傷があったとある。

"これはつまり、日本と海外の業界による、原子炉は堅牢だという保障は、吹き飛んだということです" と、独立した放射性廃棄物コンサルタントで、グリーンピースと協力しているショーン・バーニーは語っている。"地震危険度の高い地域にあるすべての原子炉に対し、基本的な疑問が生じます"

バーニー氏が指摘している通り、東京電力も、冷却液喪失の16時間後、第一号炉爆発の、7ないし8時間前の、大量の燃料溶融を認めている。"こうしたこと全てを彼らは知っていたに違いありませんから、膨大な量の水で水浸しにするという彼等の決断は、太平洋への漏洩を含めて、更なる膨大な汚染を、必ずひき起こすものでした。"

地震によって、原発がどれほど損傷したのか、あるいは、この損傷だけが、メルトダウンの原因なのかは誰にもわからない。ただし、東京電力のデータと、目撃者の証言は、損傷がかなりのものであったことを明らかに示している。

蓮池氏はこう語っている。"東京電力と日本政府は色々説明していますが、辻褄があいません。彼等がまだ提供していない一つのことは、真実です。そうすべき頃合いです。"

記事原文

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【翻訳記事】福島の放射能で危機感を抱く医師たち(アルジャジーラ)

2011-08-21 23:07:10 | 原発問題/一般
http://bilininfojp.blogspot.com/2011/08/blog-post_19.htmlより

日本の医師ら、福島の放射能起因の公衆衛生上の問題を警告

ダール・ジャマイル

2011/8/18 14:09 アルジャジーラ(原文

重大な事故を起こした福島第一原発からいまだに放射性物質が放出される中、科学者や医師らは食物、土壌、水、空気中の放射性物質の濃度観測を義務づける国の政策の策定を求めている。

東京大学先端科学研究所教授でアイソトープセンター所長の児玉龍彦氏は、7月27日に参議院厚生労働委員会で証言した際にこう尋ねた。「原発からどれだけの放射性物質が放出されたのでしょうか?」

「政府とTEPCOはまだ放出された放射性物質の総量を報告していません」と児玉氏は述べた。[福島第一]原発では最近、極めて高い放射能レベルが検出されたが、事態はそれより遥かに悪いと同氏は確信している。

日本では、政府による放射性物質の観測がなされていないことに対する懸念が広がっている。そのため、人々は独自に観測を開始するに至ったが、それにより気味の悪いほど高レベルの放射能が見つかっている。

児玉氏の所属するセンターでは全国27か所にある放射能測定施設を使って福島の状況を綿密に観測してきた。そしてその結果は恐るべきものだ。

児玉博士によれば、継続中の福島原発の事故がこの5カ月強の間に放出した放射性物質の総量は、「広島型原爆」29個分以上に相当する。また、放出されたウランの量は広島型原爆「20個分に相当」する。

児玉氏は他の科学者たち同様、福島がもたらした現在の危機のことはもちろん、それに対する政府の不充分な対応に懸念を抱いている。彼は、政府が汚染地域の除染を開始するための大規模な対策を開始する必要があると確信している。

日本政府の原発事故対応への不信感は、影響を受けた各県の住民のあいだでは今や普通だ。人々は自分たちの健康を心配している。

最近、原発で観測された値は驚くべきものだ。

8月2日、毎時1万ミリシーベルト(10シーベルト)が原発で観測された。これは人間にとって致死的な線量で、一人の人間を1-2週間以内に殺すだけの放射能だと日本の文科省は述べた。

1万ミリシーベルトは胸のエックス線約10万回分に等しい[訳注:記事原文そのままです]。

これは地震と津波によって原発が重大なダメージを被った3月時点で観測されたレベルを2.5倍上回る量である。

観測をしたのは福島第一原発を運転する東京電力(TEPCO)である。東電は、放射能を計測する機械を離れた場所から使ったのだが、正確な値を見定めることはできなかった。その計測器の最大値が1万ミリシーベルトだったからだ。

東電はさらに原発の外のがれきから毎時1000ミリシーベルトを、またある原子炉建屋の内部では4000ミリシーベルトを観測した。

福島の事故は国際原子力事象評価尺度(INES)で「レベル7」と評価されている。これは最高レベルで、1986年のチェルノブイリ原発事故と同じである。「広範囲にわたる健康影響及び環境影響をともなう放射性物質の大規模放出。計画的で拡張的な対策の実施が要求される」と定義づけられている。

この尺度でレベル7と評価された原発事故は福島とチェルノブイリのみである。これは地震の相対的なマグニチュードを表すのに用いられるものと同様、対数的な尺度である。レベルが一つ上がるごとに、事故の重大さは約10倍増す。

日本の医師たちは健康への影響が出ている患者たちをすでに診察しており、原発事故の放射能起因とみている。

千葉県の船橋二和病院の医師、ヤナギサワ・ユウコ博士はアルジャジーラに対し「子どもたちの間に鼻血や強い下痢、風邪のような症状が増え始めました」と語った。

博士はそれらの症状が被ばくによるものとした上で、このようにつけ加えた。「私たちは、これまで頼ってきた総体的知識では説明できない新しい状況に遭遇しています。福島第一原発の状況はまだ安定化していませんし、終わりも見えてきていません。まだ核物質は封印されていませんので、放射能が環境中に流出しつづけています。」


健康への懸念

最近、高い放射性物質の値が観測されたことについて、日本の茨城県で取材しているアルジャジーラのアエラ・カラン記者はこう述べた。「この場所は事故発生以降ずっとこのように汚染されていた可能性が高いが、誰も今まで気づかなかったのだろう。」

福島原発の作業員たちの年間許容被ばく線量は250mSvである。

東電の広報担当者松本純一氏は、高線量が確認されたのは「今後の作業に支障のない場所です」と述べた。

しかし栃木県によれば、福島第一原発から160km離れた栃木市で加工された茶から政府の基準値を上回る放射性セシウムが発見された。これは7月上旬に市内で収穫され、加工された茶葉から検出されたという。

政府の暫定基準値の3倍以上の値だった。

ヤナギサワ医師の病院は福島から約200kmの地点にある。彼女は被ばく起因と思われる健康被害を目のあたりにし、政府のあまりにも不十分な対応に懸念を抱いている。

彼女の話によれば、4月25日に子どもの被ばく許容線量を年間1ミリシーベルトから年間20ミリシーベルトへと引き上げたのが、これまで政府がとった唯一の対応だという。

「これには医学的観点から大きな批判が湧きました」とヤナギサワはアルジャジーラに語った。「これは内部被ばくと低線量被曝の両方に関わる問題であることは間違いありません」。

グリーンピース・ジャパン事務局長の佐藤潤一氏は「子どもの被ばくレベルを大人の最大許容値の20倍に引き上げるのはまったく狂っています」と述べた。

「政治的に都合がいいとか、平時と変わらない印象を与えたいなどということのために政府が安全基準値を引き上げるのは許されません。」

米国国立科学アカデミーは「電離性放射線による生物学的影響Ⅶ」(BEIRⅦ)において低線量電離放射線による人体への影響に関する信頼性の高い推論を発表した。

この報告書は、リスクフリーの電離性放射線への被ばくなどというものは存在しないということを証明する、豊富な科学的証拠に基づいている。

BEIRⅦ報告書は、次のように推測している。放射性物質1ミリシーベルトにつき白血病以外のあらゆるタイプのがんのリスクが1万人に1人ずつ増える。白血病のリスクは10万人に1人ずつ、ガンによる死亡リスクは1万7500人に1人ずつ増える。

1985年にノーベル平和賞を受賞した「社会的責任のための医師団」の設立時の会長、ヘレン・カルディコット博士も、同様に日本の原子力災害による人体への影響を懸念している。

「放射性物質は精巣や卵巣に入りこみ、糖尿病、嚢胞性繊維症、精神遅滞のような遺伝性の病気を引き起こします。これら我々の遺伝子を介して後世代に永遠に引き継がれていく病気は、2600種類あります」

これまでのところ、急性放射線障害のケースが出たのは現場で働く東電[訳注:下請け]の作業員のみである。ヤナギサワ博士によれば低線量被曝、特に子どもたちにとってのそれが、医学界の多くの人々がもっとも懸念していることであるという。

「人間はまだ、低線量被曝や内部被ばくを正確に計測できる能力を持っていません」と博士は説明する。「(安全ではないということが)まだ科学的に証明されていないからといって安全だと主張するのは、間違いでしょう。我々はまだ状況を科学的に証明するだけの充分な情報を集めきれていないというのが事実です。そのような中で、年間1ミリシーベルトを20倍に引き上げて安全だなどと言えるはずは決してありません。」

彼女の懸念は、日本政府による新しい被ばく基準値が大人と子供の違いを考慮していないことだ。子どもの被ばくに対する感受性は大人の数倍だからである。

アルジャジーラは菅直人首相のいる官邸にコメントを求めた。

首相官邸の広報副官房長官の代理として、シタカノリユキ氏が次のように語った。日本政府は「“緊急時被ばく状況の参考レベルは年間20-100ミリシーベルト”とございます、ICRP(国際放射線防御委員会)の2007年度の勧告を参照しております。我々は過度の被ばくを回避するために、計画的避難区域と、年間20ミリシーベルトのレベルに達する地点では特定のスポット的な避難勧奨区域を定めております」。

首相官邸は、除染の努力に約230億円(3000万ドル)が割り当てられることになっており、政府は「8月末ごろまでに」除染政策を固める計画である、とシタカ氏は説明する。さらに二次予算として被災地域における健康管理とモニタリング作業に970億円(10億2600万ドル)を割り当てる、という。

「急性放射線障害」の問題を尋ねると、シタカ氏は東電[訳注:下請け]の作業員6人が250ミリシーベルト以上被ばくしたとの報告を日本政府が東電から受け取っていることを挙げたが、市民の急性放射線障害の報告があるかどうかについては何も触れなかった。

福島の危機に対する対応について、首相官邸はアルジャジーラに対し、「すべての作業員に対するIDコードを使った自動的な線量管理システムの導入と、24時間体制での医師常駐など、取りうる限りのすべての対応策は取ってきております。中長期的なものを含めて健康管理をさらに改善させる問題に日本政府は引き続き取り組んでまいります。」と述べた。

シタカ氏は、児玉氏の調査結果については何もコメントしなかった。

内科医師でもある児玉氏は、過去数十年間に渡って東大病院の放射線施設で放射性物質の除染に取り組んできた。

児玉氏は言う。「東京では3月21日に雨が降り、放射性物質が毎時2マイクロシーベルトにまで上がりました。それ以来、ずっと高いレベルが続いています」。そして、自分が政府に提出した測定結果に対する適切な対応はなされていないとつけ加えた。「当時、枝野官房長官は日本人に対し、人体にただちに影響はないと言っていました」。

内部被ばくのエキスパートである児玉氏は、政府が食物中の放射性物質の計測に向けた強力な対策を取っていないことを懸念する。

「すでに事故から3カ月が経っているのに、なぜそんな簡単なことがまだ行われていないのでしょうか?」と彼は言う。「私は本当に腹が立って、怒りが爆発しました。」

児玉氏によれば、内部被ばくによってもたらされる主要な問題はガン遺伝子の生成だという。放射性物質が不自然な細胞変異を引き起こすためである。

「放射性物質は、妊婦の体内の胎児、青少年、そして成長期の人間の増殖性の高い細胞にとって高いリスクがあります。大人にとってさえ、髪の毛や血液、腸管上皮などの増殖性の高い細胞は放射性物質に敏感です。」


子どもたちはより危険

慶応大学医学部放射線科の近藤誠氏は、事故後まもなく「子どもへの放射性物質の影響は大人への影響とは格段に違う」と警告した。

近藤氏は、被ばくによって子どもがガンを発症する確率は大人より何倍も高いと説明する。

「子どもの体は未発達ですから、たやすく放射性物質の影響を被ります。それによりガンや、発達遅滞が引き起こされます。また脳の発達にも影響します」と同氏は述べた。

ヤナギサワ氏は、日本政府の避難基準、および被ばく許容線量の20ミリシーベルトまでの引き上げは、「子どもの健康に危険をもたらしうる」ため、「子どもたちはより大きなリスクにさらされている」とみている。

北海道ガンセンター所長で放射線治療の専門家である西尾正道氏は、7月27日に「福島原発事故の放射性被ばく対応策の問題:現状に対する懸念」という論文を公開した。

被ばく許容線量のこのような劇的な増加は、「人々の命を軽々しく扱う」ことに等しい、と西尾氏はこのレポートで述べた。

同氏は20ミリシーベルト[という基準]について、とりわけ放射性物質に対してはるかに敏感な子どもたちにとっては高すぎると確信している。

カルディコット氏は「子どもだろうと誰だろうと、放射性物質はどんなレベルでも許容できるものではありません」とアルジャジーラに告げる。「子どもたちは大人より20倍以上も敏感です。子どもたちはいかなるレベルの放射性物質にもさらされてはいけません。絶対に。」

7月上旬、日本の原子力安全委員会は、3月下旬に行われた調査の結果、福島県の子どもの約45%が甲状腺被ばくをしていたと発表した。委員会はそれ以来まったく調査を行っていない。

ヤナギサワは言う。「日本政府は今、低線量被曝/内部被ばくの影響を過小評価し、避難基準を引き上げようとしていません。チェルノブイリで採用された避難基準にすら[達していないのです]。人々、特に子供たちの命が危険にさらされています。政府は施策の優先順位のトップに人々の命をおいてはいないことが明らかです。」

カルディコットは、放射性物質が見つかった地域の人々の健康を守るためのもっと強力な対応策が欠落していることは「厳しい非難に値する」と感じている。

「これらの高放射能汚染地帯から数百万人、特に子どもたちが避難する必要があります。」

ヤナギサワ博士は、被ばくに起因する不妊や流産のケースの増加とともに、「晩発性障がい」を懸念している。

「ガンのケースが増えるであろうことは疑いの余地がありません」と彼女は述べた。「子どもの場合、甲状腺がんと白血病は数年後に現れうるものです。大人の場合、数十年間の間にさまざまなタイプのガンが増えるでしょう。」

ヤナギサワは、福島原発の作業員の間のガン発症率は「間違いなく」増加すると述べた。また、嗜眠、アテローム性動脈硬化その他の慢性病も、被害を被った地域の一般住民の間に増えるだろうと述べた。

ヤナギサワ氏は、原爆の被害者の声に耳を傾けるべき時であると信じている。「被ばくするということ、直ちに影響はないといわれるということ、そして後年ガンに苦しむということ-長期間に渡ってこのように苦しむのというのはどういうことであるか、それを本当に知っているのは原爆を生き残った人々だけです。」と彼女はアルジャジーラに述べた。


放射能汚染した食物と水

日本政府の緊急災害対策本部が行った調査で福島県の水道水から放射性物質は検出されていないと、厚生労働省は8月1日のプレスリリースで述べた。

政府は不検出とは「幼児の許容値(放射性ヨウ素)を超過する結果が出ていないこと」と定義づけている。そして「水道水中の放射性ヨウ素が100bq/kgを超過した場合、幼児に水道水で薄めた粉ミルクを与えることや水道水を飲ませることを差し控えるべきである」と言う。

だが6月27日に発表されたある研究結果では、福島県の住民15人の尿から放射性物質への陽性反応が出た。

広島大学放射線生物学科名誉教授鎌田七男博士は、内部被ばくの計測をするために2度福島県に行き、研究の指揮を執った。

「内部被ばくのリスクは外部被ばくより遥かに危険です」と鎌田医師はアルジャジーラに述べた。「そして、福島の住民の方々にはまさに内部被ばくのリスクがあるのです」

厚生労働省によれば、福島県産のいくつかの生産物は、出荷制限されたままである。生乳、ホウレンソウやカキ菜を含む野菜、キャベツなど葉物野菜、シイタケ、タケノコ、牛肉などだ。茶葉の流通はいくつかの県で制限されたままである。これには茨城県全域、そして栃木県、群馬県、千葉県、神奈川県の一部が含まれる。

岩手県はセシウム汚染のために8月1日にすべての牛肉の出荷を止めた。そのようにした4番目の県である。

岩手県農林水産部の専門家ジュンイチ・トクヤマ氏はアルジャジーラに対し、この危機に対してどう対処すべきなのか自分にはわからないと述べた。

福島原発から300km離れた岩手県にホットスポットが見つかるとは思わなかったので驚いたという。

「この汚染の最大の原因は、高濃度に汚染された稲わらが牛に与えられたことです」とトクヤマ氏は言った。

鎌田医師は、日本政府の福島の災害に対する対処の速度はあまりにも遅いと感じている。そして政府は福島県の「すべての町や村」で被ばく線量をチェックする必要があるという。

「政府は全体的な放射線量地図を作るべきです」と彼は述べた。「それから人体への被ばくの影響のレベルを懸念すべきです。福島県内の被ばく線量マップを作るべきです。福島だけではなく、おそらく福島の他にもホットスポットがあるでしょうから、地上の線量をチェックする必要もあります。」

カルディコットは、世界中の人々は福島第一原発で起こっている原子力危機に懸念を抱くべきだと言う。放出されつづける放射性物質は世界的な影響をもたらす。

事故を起こした原発からは11000トン以上の放射性の汚染水が海に放出されている。

カルディコットは言う。「これらの放射性物質は藻類の中で生体濃縮し、それを甲殻類が食べ、甲殻類はまずは小型の魚、それから大型の魚に食べられます。大型魚の中に放射性物質が高度に濃縮しているのはそのためです。人間は食物連鎖の頂点にいますから、最終的にもっとも多くの放射性物質をとりこみます。」

米国による広島への原爆投下から66年にあたる8月6日菅直人首相は述べた。「原子力については、これまでの“安全神話”を深く反省し、事故原因の徹底的な検証と安全性確保のための抜本対策を講じるとともに、原発への依存度を引き下げ、“原発に依存しない社会”を目指していきます。」
しかし医師や、科学者、農業専門家、そして日本の一般大衆の多くは、原発事故へのより強い対応が必要だと感じている。

児玉氏は、政府が汚染地域の除染を始めるための大規模な対策を取り始めるべきだと確信している。同氏は鉱山から漏れ出た水銀が中毒を引き起こしたイタイイタイ病の例を挙げる。イタイイタイ病のばあい、最終的に日本政府は1500へクタールを除染するのに8千億円を費やしたと言う。

「その範囲が1000倍広かったら、いったいどれほどのコストがかかるでしょうか?」

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第93回夏の高校野球を振り返る

2011-08-20 14:02:30 | 芸能・スポーツ
第93回夏の全国高校野球は、日大三(西東京)が光星学院(青森)を11-0で破り、10年ぶり2回目の全国制覇を成し遂げた。小倉全由監督にとっても2回目の優勝。光星学院は東北勢として6回目の全国制覇に挑んだが、6回目の挑戦も敗れ、惜しくも散った。東北勢の決勝進出自体、夏の大会では1969(昭和44)年の第51回大会以来42年ぶりだ。このとき決勝に進出したのは光星と同じ青森代表の三沢だった。松山商(愛媛)との延長15回引き分け再試合を経て松山商が優勝したこの戦いは甲子園史上に残る、勝敗すら超越した名勝負として現在まで語り継がれている。

では、例年どおり今大会を振り返ろう。

今年は被災地に当たる関東・東北勢が頑張った大会であったように思う。決勝で対戦した両校を初め、関東勢がベスト8に3校(習志野・作新学院)、東北勢が1校残った。その他、関西勢が2校(智弁学園(奈良)、東洋大姫路(兵庫))、中国勢が2校(関西(岡山)、如水館(広島))残った。東日本大震災の影響を受けたのかどうかわからないが、関東・東北勢は背中に被災者の魂とでも形容すべき、何か見えない力を背負っているような気がした。一方、今年の選抜で好成績を収め、レベルが高いと思われた九州・沖縄勢、四国勢はベスト8に1校も残らなかった。特に九州・沖縄勢8校のうち6校は初戦敗退。九州勢がベスト8に1校も残れなかったのは16年ぶりという寂しい結果となった。

全体的に、今年は9回に大逆転という試合が多く、大量得点差を跳ね返しての逆転劇も目につくなど、「あきらめなければ勝てる」を実証する実力伯仲の面白い大会だった。とりわけ2回戦、大会8日目の帝京(東東京)-八幡商(滋賀)戦では、帝京投手陣に完璧に抑えられ、8回まで2塁も踏めなかった八幡商が、9回に突然単打を3つ固め打ちした後、逆転満塁弾を放ち、そのまま帝京の反撃をかわした。この試合は、優勝候補の一角・帝京が敗れる番狂わせであるとともに「あきらめなければ終盤に逆転」「実力伯仲」の今大会を象徴する試合だったように思う。

また、全体的に打高投低で、強打、集中打が試合を決めることが多かった。これは近年、夏の大会の全般的傾向といえるが、守備に関しては残念ながらレベルの高い大会とはいえなかった。さすがに3回戦以降は少なくなったが、1回戦、2回戦段階では、ボールを落として拾い直したり、捕球後握り直すうちに投球が遅れ、内野安打や走者生還につながるケースが多かった。こうした記録に表れない守備上のミスが決勝点になることも多かった。守備に関しては東日本大震災で直接被災地とならなかった西日本地区の出場校も含め、練習不足がはっきり出ていたと思う。ただ、未曾有の災害で日本中が浮き足立っていた今春以降の社会状況を見ると、ある程度やむを得ないとは思っている。

その中で、優勝した日大三の吉永は大会屈指の好投手といわれた前評判に違わない投球ぶりで優勝に大きく貢献した。結果的には、今日の決勝戦が最も投球内容としてはよかったのではないか。準々決勝あたりまでは、走者を背負うとストライク、ボールがはっきりし、球が荒れる弱点もあった。ただ、決勝までの5試合で投球数640球(1試合平均130球弱)はまずまずの投球内容で、与四死球が多い割には投球数は多くない。適度に荒れた球に相手打線が苦しみ、早打ちをして倒れていった様子がデータからもうかがえる。走者を抱えたときのコントロールの問題は技術より精神面が大きいので、今後試合数を重ねて克服できれば、140km台の速球と合わせてプロでも十分通用する投手だと思う。

印象深かった学校としては、初出場ながら屈指の機動力を見せた健大高崎(群馬)を挙げておきたい。地方予選6試合で26盗塁というずば抜けた機動力は1回戦で遺憾なく発揮され、甲子園でもなかなかお目にかかれない2ランスクイズという貴重なシーンも見せてもらった。だが、2回戦で屈指の強豪・横浜に敗れ甲子園を去った。機動力だけでも勝ち上がれない甲子園は厳しい世界だが、イチローを見てもわかるように俊足は内野ゴロを内野安打に変えてしまう大きな武器だ。その俊足をもってまた甲子園に来てほしい。

そうそう、今年の甲子園の忘れ得ぬ思い出として、いい話があるので記憶にとどめておこう。大会7日目(8月12日)、東京都市大塩尻(長野)-明豊(大分)戦での出来事だ。奪三振を“訂正申告”都市大塩尻、正々堂々散る(スポニチ)という見出しの記事を参照いただきたいが、この試合の6回、明豊の攻撃中、東京都市大塩尻が1点失った後、なお無死三塁の場面だった。5番の佐藤を内角高めのカーブで空振り三振に仕留めたと思われたが、捕手の古谷が「バットに当たっていました」と審判に正直に申告。判定はファウルに訂正された。その後、佐藤は四球で出塁し、これをきっかけとして東京都市大塩尻は6点を失った。

自校に有利な誤審であり、黙っていればそのまま試合は進み、東京都市大塩尻は勝てたかもしれない。だが主将の古谷は「常に敵味方関係なく、正々堂々とプレーしろと監督に言われている。後悔はありません」と、さわやかな笑顔で甲子園を去った。

原発事故以降、「いかにウソをつき、情報を隠して他人を騙すか」しか考えない大人ばかりになってしまった絶望的なこの国で、ひとりでも彼のような若者がいることにいちるの希望が見えた気がする。ぜひそのまま古谷君には正しく美しい大人になり、腐り切ったこの国を変えてほしいと思う。

地方予選段階の大きな話題としては、常総学院(茨城)の木内幸男監督(79)の引退を挙げておきたい。甲子園で木内監督の名声を高からしめたのは1984(昭和59)年、取手二高を率いた夏の大会で、桑田真澄、清原和博の「KKコンビ」を擁し、高校野球史上最強といわれたPL学園(大阪)に終盤、追いつき、打ち砕いて初出場初優勝という快挙を成し遂げたことだ(ちなみに茨城県勢としてもこのときの取手二が初優勝)。その後は常総学院に移り、ここでも2001年、2003年に全国制覇を成し遂げた。いったん引退、2007年に監督に復帰したが、さすがに高齢による健康問題がささやかれる中での引退となった。PL学園・中村監督、沖縄水産・栽監督、池田高校・蔦監督などと並ぶ甲子園名監督に数えて間違いないと思う。長年の労をねぎらいたい。

東日本大震災による節電の影響で、決勝戦も午前開始となるなど異例ずくめの展開となった今大会だが、節電という社会的要請があったとはいえ、準決勝、決勝では午前中に試合を終えてしまう今回の運営方式は、選手や関係者、観客の熱中症対策という意味でも今後のモデルケースとなるだろう。そもそも、電力も気温もピークとなる時間帯にわざわざ決勝戦を構える今までのやり方に無理・無駄が多すぎたのだ。教育活動の領域を大きく踏み越え国民的行事となった高校野球だが、あくまで原点は「部活動、教育活動」である。頑張れ一辺倒の精神主義ではなく、時代の要請に応え、気象条件に合わせて無理なく実施する柔軟で合理的な大会のあり方をともに考え、実行していくことも立派な教育活動なのではないだろうか。ぜひ、今回の大会で得た新しいスタイルが定着するよう、この方式は来年以降も継続してもらいたいと思っている。

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白河がついに「歴代最長勤務地」に

2011-08-19 23:33:14 | 日記
1994年4月に今の勤務先に就職してから17年経過し、現在18年目。この間、振り出しの九州から数えて現在まで転勤で5カ所を回ったが、8月17日で現在の勤務地である福島・白河勤務が4年5ヶ月。4年4ヶ月勤務した名古屋を超え、歴代最長となった。

人生とは不思議なもので、苦しくて転勤したいと思うときほどその時はなかなかやってこない。名古屋時代も事務所移転計画があり、最後の半年は毎日深夜帰りの時もあるなどとにかく苦しかった。前のめりになりながら、気づいたら4年4ヶ月が経過していた、そんな感じだ。逆に、快適に過ごしていて転勤したくないと思っていた職場はことごとく勤務期間が短かった。

現在の白河には2007年4月、出向により赴任した。当初は2年との約束だったが今やそんな話はどこへやらという感じだ。原発事故もあり、いつまでもここに残り続けるのは不安だが、今さら首都圏に転勤しても現実はほとんど変わらないし、むしろ柏・三郷・松戸などのホットスポットにはここより線量が高い地区もある。そんなところに異動するくらいならここにとどまった方が安全なくらいだ。西日本に転勤するのでなければ、今やどこがよりましかという相対的選択でしかなくなりつつある。はっきり言えばもう東日本はどこも同じだ。

我が愛する水樹奈々様が、今年5月22日付け産経新聞のインタビューで「周囲の目を気にしすぎたり、他人をうらやんだりしているときは、不思議とうまくいかない。あれこれ考える暇があるなら自分を磨き、前に進もうと考えるようになった」ら成功した、と答えている。私もこの言葉を胸に刻み、他人は他人、自分は自分と割り切り、できることに精一杯取り組んでいきたい。

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