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【金曜恒例】反原発北海道庁前行動(通算336回目)でのスピーチ/チェルノブイリデー33年札幌集会に参加して

2019-04-28 20:16:35 | 原発問題/一般
 皆さんお疲れさまです。

 旧ソ連・ウクライナ共和国でチェルノブイリ原発事故が起きたのは、1986年4月26日でした。今日はそれからちょうど33年に当たります。当時私は高校生でしたが、日本のテレビでも流されていた旧ソ連国営テレビのニュースが「チェルノブイリ原発で原子炉が損傷し、放射能漏れが起きました」と伝えていたことを今でもはっきり覚えています。当時のソ連のメディアもメルトダウン、炉心溶融という言葉は使いませんでした。福島事故が起きた当時の日本のメディアとまったく同じです。政治体制、経済体制は違っても、事故をできるだけ小さく見せようとする官僚の思考回路や行動原理は同じなのだということを、当時のソ連と今の日本のメディア報道を比べてみて、改めて強く感じます。

 札幌では毎年、この日にチェルノブイリデー集会が行われていますが、今年も行われたので、今日の昼、仕事を中抜けして行ってきました。集会では3人の方が発言しました。泊原発現地からは「後志・原発とエネルギーを考える会」の佐藤英行さんが報告しました。「昨年9月の胆振東部地震の際、震源地の厚真町では揺れが1700ガルを超えていて、震源から50km離れた場所でも700ガルを超える揺れがあった。でも泊原発は500ガル程度の揺れにしか耐える設計になっていない」「非常用ディーゼル発電機の端子に電線がきちんと接続されないまま胆振東部地震でのブラックアウトを迎えていた北海道電力は、原子力規制委員会から今年3月までの再発防止策策定を求められていたが、期限までにできず2~3ヶ月延期を申し入れたという。たかが端子の接続程度の再発防止策が半年経ってもできないことはあり得ず、端子接続ミスを超える“何か”があると考えざるを得ない」と佐藤さんは話しました。

 幌延町の深地層研究所の現状については「核廃棄物施設誘致に反対する道北連絡協議会」代表委員の東(あずま)進さんから報告がありました。深地層研は研究施設であり、核廃棄物の最終処分場にはせず、開設から20年で閉鎖するとの3者協定がある以上、20年を迎える今年限りで約束通り閉鎖するよう、東さんは訴えました。

 しかし、なんと言っても今日の集会で最も印象深かったのは、福島県伊達市からの避難者である安達和叶(わかな)さんの発言です。「事故当時、中学校で自分はマスクをしていたら誰もしている人がいなかった。ある日、友達になぜマスクをしているのかと聞かれ、「花粉症もあるけど、(放射能を)気にしているんだよね」と答えると「実は私も」と言われ、その友達と「私たち、ちゃんと子どもを産めるのかしら」と話をしました。高校時代は心身ともにどん底で、「誰がこんな状況を作り出したの? 私は誰を責めたらいいの? 誰か答えて」と悶々とする3年間でした」と安達さんは話しました。もちろん責める相手は国と東電、そんなことは福島県民はみんなわかっているんです。でも彼らを責めたところで3.11前の福島が戻ってくるわけでもなく状況も改善しない。3.11を福島県で迎え、その後も2年間過ごした私にとっても大いに共感できるスピーチでした。大人も子どもも、避難した人も福島に残った人もみんな苦しんだ――その訴えにひとりでも多くの人が耳を傾けてくれることを望みます。

 安達さんの話で印象深かったことはまだあります。「福島の学校の先生に、自主避難することを報告したら、背中を押してくれるどころか、お前が避難したら風評被害が広がるから行くなと言われた。福島で起きているのは風評ではなく実害。お互いに考え方が異なる中で、子どもの前で互いに傷つけ合う大人を見て、大人への信頼が崩れ去った」ということです。その話を聞いたとき、私は昔聞いた「ある話」を思い出しました。

 昨日、4月25日がJR福知山線脱線事故の日だったということで、先ほど、別の方から福知山線事故についての発言がありました。私は今、JR北海道の路線問題にも取り組んでいますが、この問題を生んだ国鉄分割民営化の際、JRに採用されないまま最終的にどこにも再就職できなかった方が1047名残りました。これらの方は、JRへの採用を求めて闘ってこられたのですが、その中に東京で蒸気機関車の運転士だった佐久間忠夫さんという方がいました。その方は、14歳、今なら中学生の年齢で国鉄に入ったのですが、子どもの頃、学校で昨日まで「お前たちは天皇陛下の赤子なのだから陛下のために死になさい」と軍国主義を教えていた教師たちが、一夜にして「日本は戦争をしない憲法になったのだから平和を愛する国民になりましょう」と平和主義を教えるのを見て大人への信頼が崩れたという話を以前、私にしてくださいました。学校での姿も、着ている物もすべて昨日までと同じなのに、言っていることだけが180度正反対。若き佐久間さんはその姿を見て「大人って何なんだ。信念も価値観も世の中が変わるのに合わせていとも簡単に投げ捨て、昨日までと180度正反対のことを言って恥じない。そんな大人は信じられない」と大人に対してそれまで持っていた信頼が崩れたというのです。それから佐久間さんは「大人がそう言っているのだから多分そうなんだろう」という考えをするのだけは絶対にやめよう、自分の頭で考えて自分の足で歩く人生を最後まで貫こうと決意され、亡くなるまで実際にそうあり続けた方でした。だからこそ国鉄を解雇されたときも「自分が間違ったこと、やましいことをしたから首になったわけではない」と自分を貫く生き方ができたのだと私は思います。若い安達さんが、最も多感な時期に悩み、苦しみ抜いて大人への信頼が崩れたと聞いたとき、私はふとそんなことを思い出していました。

 繰り返しになりますが、今日はチェルノブイリから33年の日です。この事故を起こしたソ連は5年後の1991年、世界地図から消えました。子どもたちに軍国主義を教えていた大日本帝国はやはり敗戦で世界地図から消えました。そのように考えると、原発事故というのはソ連だけでなく日本にとっても、先の敗戦に匹敵する出来事だったと私は思うのです。日本国は幸いまだ地図から消えてはいませんが、このまま安倍政権を放置し続けるなら、いずれ同じように地図から消える日が来るのではないかという思いが私の胸から消えません。そんな状況に追い込まれた日本を私たちが立て直すためには、70年前、まだ子どもだった佐久間さんが大人を信じられなくなることと引き替えに手に入れたすばらしい憲法、戦争をせず、平和と人権を守り抜く決意を書き込んだ日本国憲法にもう一度しっかりと軸足を置いて、そこから再出発する以外にないのではないでしょうか。

 おそらく最初で最後になるであろう、この10連休には憲法記念日などの大切な祝日、また祝日ではありませんが労働者の日であるメーデーが含まれています。そうした日に思いを馳せながら、私はこの10連休を有意義に過ごしたいと思います。

190426チェルノブイリデー札幌集会(01)泊原発の現状報告@佐藤英行さん


190426チェルノブイリデー札幌集会(02)福島の現状報告@安達和叶さん


190426チェルノブイリデー札幌集会(03)幌延問題報告@東進さん

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新幹線「のぞみ」台車亀裂事故で国の事故報告書が公表 「正常性バイアス」は重要な指摘だが原因はそれだけか?

2019-04-25 23:59:17 | 鉄道・公共交通/安全問題
(この記事は、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2019年5月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。なお、管理人の判断により「原稿アーカイブ」ではなく「鉄道・公共交通/交通政策」カテゴリで掲載しました。)

 2017年12月、博多発東京行き山陽~東海道新幹線上り「のぞみ34号」の台車に亀裂が発生、名古屋駅で運転を打ち切った事故に関する運輸安全委員会の事故調査報告書が3月末に公表された。JR西日本社員に極力、列車運行を継続したいという心理が働き重大事態との認識ができなくなる「正常性バイアス」が事故の原因と結論づけている。「正常性バイアス」は、福島第1原発事故でも東京電力が事前対策を怠った原因のひとつに挙げる声があり、重要な指摘に違いないが、公共交通の安全問題を長年見つめてきた当研究会の目には違う光景も浮かぶ。

 ●事故の経緯について

 1年以上前の事故でご記憶の向きも少ないと思うので、ここで事故の経過をもう一度まとめておこう。

 2017年12月11日、年末年始の繁忙期を間近に控えた時期に事故は起きた。博多駅を東京に向け発車(13時33分)したのぞみ34号の乗務員が異変に気付いたのは発車間もない小倉駅(13時50分)でのこと。7~8号車付近で異臭を感じたが、列車指令に報告するのみでそのまま運行を続けた。さらに異変が起きたのは福山駅発車(14時59分)後だ。13号車の車内でもやが発生、視界が悪くなる現象があった。

 岡山駅到着(15時16分)とともにJR西日本の車両保守担当社員3名が乗車する。異音が気になった保守担当社員は列車指令に対し「床下を点検したい」と報告。列車指令から「走行に支障があるか」と問われたのに対し、「そこまではいかないと思う」と応答。「新大阪駅で床下点検をやろうか」と提案したが、列車指令が別の指令員からの問い合わせに対応していたため、この重要な提案に応答できなかったとされる。モーターに異常があるかもしれないと考えたのか、乗務員は岡山~新神戸間でモーター開放(異常を疑ったモーターを電気回路から切り離し、走行に使用しないようにすること)の処置を行ったが異音に変化はなかった。

 列車はそのまま新大阪でも点検を行わず、「異音あり」との引き継ぎのみで乗務員の交代(JR西日本→東海)を行い、発車。車両保守担当社員が名古屋駅到着時に異音を感じて床下点検を実施したところ、台車枠に亀裂を発見。そのまま運転を打ち切った。

 以上が事故調査報告書に基づく事実経過である。当時の報道によれば、亀裂は台車枠側面17cmのうち14cmに達し、破断まであと3cmという間一髪の状態だった。東海道新幹線上り列車で名古屋の次の停車駅は1時間20分後の新横浜。名古屋で運転を中止しなければ、この間のどこかで破断に至っていた可能性は高い。東京~新大阪間の開業から54年目にして初めて起きた重大インシデントとして、運輸安全委員会がこの間、調査を続けてきた。

 ●乗務員、指令員の判断は妥当か

 小倉駅到着までに異音、異臭を感じたにもかかわらず列車運行を中止しなかった判断については疑問が残る。「焦げるような臭い」を感じたと関係者は証言しており、通常は発生しない異常な摩擦が発生していたとなれば火花が散る、火災が発生するなどが考えられるからだ。JR各社は安全確保と同時に列車の安定運行の責任も負っており、列車を止めにくい事情はわかるが、博多発の上り列車の場合、九州から本州に入れば一気に乗客が増え、ますます運行中止が難しくなる。新関門トンネルを越えた新下関駅には車両を引き揚げ留置できる線路もあることから、新下関まで様子を見て、乗客が少ないうちに運行を中止する判断もあり得た。

 異音、異臭の報告を受けた列車指令が車両保守担当社員の乗車を手配し、岡山駅から乗車させたことについては、運行継続を前提としている限り絶対に必要な措置である。乗車した社員が床下点検を行うべきだと判断したのも、彼らの役割を考えれば当然のことだ。列車はすでに岡山を発車しており、この次に大規模な車両基地があるのは新大阪だから、異常が発見された場合の対応も含め、新大阪が適当と考えた社員の判断はこの時点ではやむを得ない。乗務員が異臭、異音の報告を受けてなぜモーター開放の措置を執ったかは不明だが、通常、異音は動く部分で発生するから、回転部分であるモーターを真っ先に疑ったとしても、この時点では不自然とは言えない。

 列車指令からの問いかけに「走行に支障があるとまではいかない」と応答した車両保守担当社員の判断、そして列車指令が新大阪駅で床下点検をやりたいとの提案を聞き漏らしたことは事故発生原因にかかわる重大問題で、運輸安全委がここにこだわったのは納得できる。

 ここまでで重大なミスと言わざるを得ないのは、列車指令から指示がないまま、新大阪駅でJR西日本、東海のどちらも車両点検をしないまま列車を発車させたことだ。ここでの点検で異常を発見した場合、直ちに乗客を降ろし、鳥飼車両基地(新大阪~京都間)に車両を移動させればダイヤへの影響も最小限で済んだだけに悔やまれる。

 一方で、JR西日本、東海両社が、新大阪発車後も車両保守担当社員を降ろさず、乗車させたまま列車の監視を続けさせたことは好判断と言えよう。結果的に名古屋駅で再び異音を聞き、車両点検で亀裂を発見したのは彼らだった。会社間の境界だからといって彼らを新大阪駅で降ろしていたら、「のぞみ34号」は異音にも亀裂にも気付かれないまま走り続け、破局に至っていた可能性が高かった。この判断をした根拠はわからないが、現場を知る者にとってそれだけ不安な状況だったに違いない。駅に到着するときに都合よく異音が発生してくれるとは限らないから、今回は幸運なケースだったとは思うが、列車がスピードを上げるときや落とすときは、モーターや車輪の回転数が急激に変わるため、安定走行の時よりは異音が発生しやすい状況が生まれることは、指摘しておいてよいだろう。

 2017年12月11日、月曜日。危機を迎えながら走っていた「のぞみ34号」は、判断ミスと好判断のせめぎ合いの中で、かろうじて間一髪、破局を免れた。報告書からは、そんな危うい当日の状況が見えてくる。

 ●「正常性バイアスが原因」と断定

 「JR西日本の関係者が異音、異臭等を認めながら、列車の走行に支障があると判断するに至らなかったこと」について、報告書は(1)司令員の「列車の走行に支障があるか」との問いかけに対して、車両保守担当社員から「そこまではいかないと思う」との返答を得ていたことなど、指令員は、異常の重大性を理解するための明確な情報が得られていない状況にあったこと、(2)車両保守担当社員と指令員との認識の隔たりがあったこと、(3)車両保守担当社員が専門家であることから、本当に危険なときはそう言うはずだと思っていた指令員と、「床下点検の実施の判断は指令員の権限」と考えていた車両保守担当社員が、列車運行継続の判断について相互依存していたこと――を指摘。「大したことにはならないだろうとの心理」(正常性バイアス)、「列車の走行には支障がないだろう(支障ないとありがたい)」という自分の思いを支持する情報に対し意識が向く心理(確証バイアス)が作用した可能性が考えられる、とした。その上で報告書は、「何が起きているのか分からない事態は重大な事故に結びつく可能性があるとの意識を持って状況を判断し、行動することが重要」として、「適切な判断を行うための組織的取り組み」を鉄道事業者に対して求める内容となっている。

 車両の運行体制や点検、整備などの技術的側面に触れることはあっても、列車を動かす側の心理にまで踏み込んで運輸安全委がこうした指摘を行ったことは注目に値する。福知山線脱線事故でもJR西日本による厳しい社員締め付け教育(日勤教育)の問題性に触れる場面はあったが、それはあくまで副次的な位置づけに過ぎなかった。

 今回の報告書では、「再発防止策のポイント」に2ページが割かれ、台車亀裂防止の技術面と、現場が列車を止められない心理面が1ページずつ、ほぼ同等の文量となっている。事故の形態によりケースバイケースの部分はあるものの、運輸安全委が「巨大技術を扱う人間の問題」を以前より重視するようになっているのであれば、好ましい方向への変化といえよう。福島原発事故でもしばしば問題にされるが、技術面もさることながら「安全対策を行うべきであるのにしない」「列車を止めるべきであるのに止めない」という人間の行動こそが今、まさにクローズアップされているからである。「前進はできても退却ができない旧日本軍」以来連綿と続く日本人の「失敗の典型例」がここでも繰り返されていることは間違いない。

 ●その他の問題をめぐって

 この事故をめぐっては、他にも指摘しておかなければならないことがいくつかある。台車枠が亀裂に至った原因としては、メーカーである川崎重工業が台車枠製造の際、設計よりも薄く削ってしまったため強度不足に陥ったことがすでに分かっている。川崎重工業は謝罪会見を行い、社長みずから報酬の50%カットなどの処分も行った。川崎重工業に不信を抱き、同社からの部品納入を減らしているJR東海と対照的に、JR西日本は事故後も川崎重工業との取引を変わらず続ける。福知山線脱線事故から12年後の事故から見えてきたのは、相変わらず列車を止められないばかりでなく、事故から学ぶこともないJR西日本の姿勢である。

 「JR西は、(福知山線脱線事故以降の同社は)安全だと言い続けてきたが、それがゼロに戻った。苦しんできた12年間は何だったのか」。福知山線脱線事故で夫の浩志さん(当時47歳)を失った遺族の原口佳代さんはそう語る。長女早織さん(当時23歳)を事故で失った大森重美さんも「きちんと連絡が取り合えないなんて、あきれるしかない」と、変わらないJR西日本の体質に疑問の声をあげる。大森さんは現在、企業にも刑罰を科せるような法制定を求める団体「組織罰を実現する会」代表として活動を続けている。事故は福知山線脱線事故遺族からも大いに疑問を投げかけられている。

 「ハードウェアにより異常を検知するシステムを構築して、乗務員や指令に異常の発生やその程度を知らせる仕組みを検討することが望ましい」。報告書「再発防止策のポイント」が今回、行った重要な指摘だ。昨年4月、福知山線脱線事故の再発防止を目指す市民で作る「ノーモア尼崎事故!生命と安全を守る尼崎集会」で講師に招かれた筆者は講演で次のように指摘した。「鉄道と航空機は異なるシステムなので、すべて航空機と同様にすることはできないと思う。だが今回の事故で、新大阪駅での床下点検を求める車両保守担当社員の声を、列車指令が他の指令員(事故発生当時は「上司」とされていた)との対応に気を取られて聞き落としたことは重大問題だ。航空の場合、緊急事態を宣言した航空機がある場合、管制室にある全管制官のモニター画面に一斉に便名と“EMG”(緊急事態)が表示され、同時に警告音も鳴って知らせるシステムがもう30年以上前から運用されている。管制官の上司も警報を聞き、部下の管制官と同じモニター画面を覗き込めば、わざわざ聞かなくても緊急事態発生とその便名が把握できるシステムだ。上司に『何があったのか』と聞かれて指令員が答えているうちに、列車からの重大な連絡を聞き漏らすようでは本末転倒であり、鉄道の列車指令室にも航空管制室と同じようなシステムがあれば、それだけでも随分違うのではないだろうか」。今回、ここまで具体的でないとしても、それに近いシステムの整備を検討するよう運輸安全委が報告書で提言したことで、安全問題研究会の認識の正しさが裏付けられたものと思っている。

 今年もまもなく4月25日がやってくる。本号が読者諸氏のお手元に届く頃、メディアでは福知山線脱線事故から14年目の特集が行われているに違いない。事故の風化とともに「かつて来た道」を再び歩みつつあるJR西日本に対し、当研究会は、14年前の初心に帰るよう、改めて強く警告しなければならない。

(黒鉄好・2019年4月21日)

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「あるくラジオ」に出演して~映像がないからこその面白味

2019-04-18 23:50:22 | 鉄道・公共交通/交通政策
あるくラジオ第5回 : 切り捨てられる北海道〜JR民営化30年後の末路

「切り捨てられる北海道~JR民営化30年後の末路」をテーマに「あるくラジオ」に出演した。私にとっては、ネットメディアへの出演は2017年の「レイバーネットTV」以来だ。

JR北海道が「自社単独では維持困難」な10路線13線区を公表したのは2016年11月。それから2年半近く経っているのに、先日の参院予算委員会で野党議員が「10路線13線区の営業キロがJR北海道全体の半分に及ぶ」と発言すると議場内にどよめきが起きたという。北海道内では死活問題となっているJR北海道の路線廃止問題に対し、道外の認識が2年半経過してもその程度ということにまず驚かされた。このままの状況で参院選に突入するのはまずい。この問題を政治的争点に押し上げなければならない。そう考えたことが出演の最大の動機だった。

ラジオというメディアを、私は当初「テレビに映像がないだけ」だと割と簡単に考えていた。私にはこれまでこの問題や、3.11を福島で経験したこともあって原発問題でも多くの講演依頼があった。見栄えのするスライド資料などを事前に作成して臨むことも多かったが、ラジオでは見栄えのする資料など作成しても意味がない。今回は、JR北海道が公表している決算資料や、基本的なデータ・資料集だけを手に「出たとこ勝負」感覚で臨んだ。手持ちのデータ・資料集に入れる内容は、膨大なファイルの中から、本番3日前に直感的に選んだ。過去の講演での経験から、問題のポイントがどこにあるかはわかっていた。

子どもの頃に放送部などの経験もない私にとって、映像がないため「言語化できないものは伝えられない」というラジオの特性を本当の意味で理解したのは本番開始直前だった。「非難」と「避難」、「勧告」と「韓国」など誤解を招きやすい同音異義語、一般の人も多く聴く可能性がある中で関係者しかわからない労働組合用語なども避けよう、と覚悟が固まった。だがいざ本番が始まってみると、事前に作られた進行表と松原明さん、しまひでひろさんの的確な仕切りもあり、テレビよりは気負わずに北海道の現状をオープンにできたと思う。テーブルの上に置いたペットボトルのお茶には手を付けることができなかったが、後半が始まる頃には渇きを癒やすために飲んでもいいのかな、と思えるほど余裕が生まれていた。

オープニングでは、「人らしく生きよう~国労冬物語」の予告編音声が流された。1987年、分割民営化に反対しているという理由だけで1047名の鉄道員が解雇された。映画はその闘いの経過と被解雇者のその後を丹念に追っている。実際は黒字なのに赤字と偽って企業を倒産させ、労働者を解雇するやり方は以降、民間企業にも広がった。「ニッポン総ブラック化」の原点がここにある。この春、久しぶりの上映会が都内で開かれ、また新鮮な驚きと感動をもって迎えられたという。被解雇者の家族・藤保美年子さんが壇上で訴える音声を聴くと、私は今もはっきり「あのシーン」が甦る。メディアが伝えなかった「もうひとつの歴史」を刻んだ珠玉のひとコマは、いつまで経っても色褪せることがない。

「人らしく生きよう」は私の人生を変えた作品でもある。この作品に出会わなかったら、これほど多くの人々との出会いも現在の私もなかったことは間違いない。今回の出演でこの作品にまつわる私自身の「秘話」も語らせていただいた。それが何かは番組を聴いてほしい。

「あまり小難しい話や政治的な話をするよりも、映像もないんだし、フランクにやった方がいい」と本番前にアドバイスを受けた。とはいえ私はリスナーとともに「次」への解決策を模索したいとの思いもあってわざわざ札幌から上京している。政治的に特定の層にしか受けないような話より、政治的内容であっても普遍的な話をするほうが無党派層を含め最大級のアピール効果を持つから、そうしてもらいたいという要求だと私は受け止めた。

それなら、これまで各地で講演してきた内容から大きく変える必要もない。「そんなもんバス転換でいいよ」程度の軽い認識を持たれている日高本線が九州に当てはめると博多(福岡市)~長崎に匹敵する路線距離を持っていること、東京の人たちが「北見のタマネギを食べたい」と求めるから貨物列車に乗せているのに、その線路の除雪費用はJRグループの中では日本一高い運賃を通じて道民がほとんどを負担していること……などを訴えた。政府与党の人たちが聴いても「JR北海道の現状がおかしい」とわかるような発言に徹したつもりだ。

現地(新ひだか町~合併前は静内町と呼ばれていた)との電話中継も、「あるくラジオ」としては初の試みだった。中継に応じてくださったのは地元の中心的団体「JR日高線を守る会」の村井直美さん。将来、この路線に乗って通学することになるかもしれない2人のお子さんのためにも今、路線をなくすわけにはいかない。代行バスの不便さ、車いすの障がい者が代行バスに乗れず苦労していている姿--村井さんの目には、普通の人には見えない色々なものが見えている。「列車から馬が見える風光明媚な路線は全国でここだけです」と村井さんは胸を張る。馬、海、山が次々車窓に展開する路線は確かにここくらいしかない。まだ完全乗車は達成していないが、すでに全国JR線の9割以上に乗り、直接この目で確かめた私が言うのだから間違いない。こんな路線をなくしていいわけがない。

こうして、1時間の放送は思ったよりもあっという間に終わった。テレビのような勢いも、新聞のようなお堅さも必要とはされないラジオの特性を生かし、問題の本質はきちんと押し出し、主張すべきことはきちんと主張しながら若干「緩め」のトークに徹したこともあり、リアルタイムやアーカイブで聴いた人の評判もいいという。ひとまずほっとした。松原さんからは「黒鉄さんはラジオ向きのキャラ」とのありがたいお言葉もいただいた。「事実に基づいて、感情的にならず淡々と主張することができる」ことが理由だという。

ラジオはテレビとはまったくの別物だと、はっきり理解した。ラジオという媒体にはどんな人が向いているのか。「事実に基づいて、感情的にならず淡々と主張する」こと以外にいくつか必要条件があるように思う。まず「言語化できないものは伝えられない」というラジオの特性から考えて、語彙が豊富であること、同音異義語を避けるなど聴取者への配慮ができることは最低限、必要だろう。このあたりは、レイバーネットを初めとするいくつかの媒体で、ライターとして現役で活動していることが大いに役に立ったと思う。「言葉でしか勝負できない」という意味では、ラジオと活字媒体はよく似ているからだ。

ラジオを含むメディアは今、時代の転換点にある。日本民間放送連盟(民放連)が最近になってラジオのAM(中波)帯での放送をやめ、設備にカネのかからないFM(超短波)帯に移行したいと言い出しているのも変化の表れだ。メディアの主役は新聞→ラジオ→テレビの順に交代してきた。ラジオが新聞を圧倒したのは新聞にない速報性があるからだ。テレビがラジオを圧倒したのはラジオにはない映像があるからだ。このように、メディア界では既存のものに「まったく新しいもの」を付加できた勢力が主役を奪ってきた。

インターネットがテレビから主役を奪うという予想に異議を唱える人はほとんどいないだろうが、私はあえてそれを唱えたい。なぜならテレビとネットでは「見えるもの」(画像と音声)に違いはないからだ。最も違うのは、プロでなくても発信側になれることだが、それをいいことにヘイト動画などが跋扈している現状を見ると、ネットで人々が幸せになったようにはどうしても思えない。テレビやネットの時代になって映像重視の傾向と反比例するように「言葉」は軽視され雑に扱われるようになった。テレビ時代、ネット時代になってから政治家や官僚の暴言、失言が増えたのは、言葉で勝負しようという気概が彼らから失われたことにも原因があるのではないかと思えてならない。私のように、ほとんど「言葉だけで勝負」しているライターにとって、言葉が雑に扱われ、共通言語を持っているはずなのに政治的立場の違う人とは対話も成立し得ない日本社会の現状は耐えがたく、今こそ雑な扱いを受けている「言葉」の復権が必要だとずっと思っていた。その意味で、ラジオ出演のオファーを受け、それが成功したことは私にとって大きい。

何度でも繰り返すが、言語化できないものは表現も伝達もできないラジオが「言葉」を失ったら終わりだ。異なる立場の人たちを対話で相互理解し合う社会を再建するための足がかりとして、ラジオは意外に有効なのではないか。そんな感触を抱いた。

この日の放送は、松原さん、しまさん、私と男性3人での放送となった。顔の見えないラジオでは、声が聞き分けられないと誰が話しているのかわからなくなる。誰が何を話しているのかリスナーがきちんと聞き分けられるようにする意味でも、男性と女性がともにスタジオにいることが望ましい。その意味では、事前に人選が決まっていたとはいえ、村井さんの電話でのゲスト出演が結果として大変効果的だったことも忘れずに報告しておきたい。なお、この放送は https://aruku-radio.jimdofree.com/ で聴くことができる。

放送終了後は、スタジオ内の3人で食事に繰り出した。「人らしく」の上映運動が始まったのは2000年7月の国労大会以降だから、松原さんとはもう20年近いお付き合いになる。年月の流れを実感するとともに、日ごろ地方に住んでいる私にとって、松原さんとこんなに長時間、話をしたのも久しぶりだ。最も興味深かったのは、最近、市民上映会などで大ヒットする映画がどれも希望のない作品ばかりだということだった。それを聞いて日本の市民も強くなったな、と思った。こんな市民がふがいない野党だらけの状況の中で、史上最強の安倍政権と闘い、いまだ改憲を阻止しているのだ。

13~14世紀イタリアの詩人、ダンテ・アリギエーリの叙事詩『神曲』地獄篇第3歌に「地獄の門」が登場する。オーギュスト・ロダンの、この叙事詩を模した作品「地獄の門」には『この門をくぐる者は一切の希望を捨てよ』という有名な言葉が刻まれている。この「地獄の門」の一角には有名な銅像「考える人」がある。自分の頭で考える人は、時として地獄の門をくぐってしまう。ロダンはこれらの作品を通じて、そう警告したかったのかもしれない。

だが私はそれでもいいと思っている。地獄の業火で焼かれる覚悟をした者にしか見えない事実もあるのだということを、福島での3.11の経験を通じて知ったからだ。フェイクニュースを垂れ流す側に与するつもりはない。私は人生を賭けて真実を見通し、告発する存在でありたい。たとえその結果が一切の希望を捨て、地獄の門をくぐることであるとしても。

(文責・黒鉄好)

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【金曜恒例】反原発北海道庁前行動(通算333回目)でのスピーチ/避難者への家賃補助打ち切りに抗議する

2019-04-12 23:38:13 | 原発問題/一般
 皆さんお疲れさまです。

 新しい年度を迎えて、皆さん、新しい気持ちでいらっしゃる方もいると思いますが、今日は、それどころではない人のお話を急遽、しなければなりません。

 福島原発事故に伴う自主避難者の方に対して行われてきた、月最大2万円の「家賃補助」がこの3月いっぱいで打ち切られました。これは災害救助法に基づいて、自主避難者に対して行われてきた住宅の無償提供が2年前に打ち切られたことによる「激変緩和」措置として導入されたものです。もともとは無償提供が終わると同時に自主避難者への住宅支援は打ち切られる予定でしたが、被災者、避難者、そして彼らを支える原発事故被害者団体連絡会(ひだんれん)などが粘り強く行政交渉などを重ねる中から勝ち取った、自主避難者に対する住まいの支援としては唯一と言っていいものです。避難者や「ひだんれん」などは、この家賃補助を打ち切らないよう再三にわたって求めてきましたが、福島県は聞く耳を持たず、打ち切りを強行しました。

 それでも、内堀知事も参加した場で、避難者と国、県が忌憚のない話し合いを続けた結果の打ち切りであるならまだ納得もできるでしょう。しかし、住宅無償提供の時代から、内堀知事は避難者との面会要請に1度も応じていません。この間何十回、いや何百回出席要請をしたかわかりません。福島県産品の「風評被害撲滅セールス」のためなら地球の裏側まででも出かけていくくせに、隣に避難者が立っていても、無視して通り過ぎるのが内堀知事のこれまでの姿勢でした。そんな姿勢を続けられたあげく、知事の生の声も、考え方も聞かないままの一方的な打ち切りで納得している避難者などひとりもいません。

 「福島を見捨てて勝手に出て行った人を助けてやる必要はない」――インターネット上にはそのような心ない避難者へのバッシングであふれています。そうした声の存在が、県を調子づかせていることも事実でしょう。しかしそれは正しいでしょうか? そうではありません。そのことは、まさに今日、福島産水産物の禁輸措置をめぐる日本と韓国のWTO(世界貿易機関)での紛争で、日本産水産物の禁輸を続ける韓国の措置が認められたことに示されています。国際社会が、土壌汚染の測定もせずに安全と言い繕い、汚染水が絶賛ダダ漏れ中の日本近海で獲れた水産物を輸出する日本政府の政策から自国民を守るための韓国政府の措置を正しいと認めたことを意味しています。放射能に汚染されている恐れがある食品を「食べて応援」するなどといった非科学的な政策は、島国「日本ムラ」では通用しても国際社会では通用しないのです。台湾でも、政府が進めてきた福島産水産物の輸入解禁の動きが国民投票で否決されています。

 事故から8年以上経った今なお、国際社会の福島を見る目がこれほど厳しいなかで、福島に住めないから別の場所に移ろうと考える福島県民がいることは不思議でも何でもありません。これまでの避難者訴訟でもほとんどの判決が避難の合理性を認め、国、東電に賠償を命じています。原発を推進してきた国、交付金に踊らされて疑いもせず原発を追認し受け入れてきた県はますそのことを反省するのが先です。加害者である国や県が住宅補助打ち切りで避難者を困窮させ、追い詰めるなど本末転倒であり言語道断です。

 福島の地元テレビ局、TUF(テレビユー福島)の夕方の報道番組「Nスタふくしま」が3月29日の放送でこの問題を取り上げています。Youtubeにもアップされており、見ることができますので皆さんも是非見ていただきたいと思います。

2019.3.29放送 TUF(テレビユー福島)ニュース
「Nスタふくしま/自主避難者大きな局面 家賃補助打ち切りまであと2日」(8分40秒頃から)


住宅支援を受け、新潟県に避難している男性は「この国では一度被害者になったら幸せになってはいけないのか」と怒りを露わにしました。何の落ち度もない避難者に「日本は被害者が幸せになってはいけない国なのだ」と言わせるこの国はいったい何なのでしょうか。激しい怒りが湧きます。自主避難者の中には、もちろん福島県中通りなど避難指示区域にならなかった地域からの避難者もいますが、避難指示区域が解除になった地域からの避難者もいます。その人たちに至っては、国が避難せよと言うから避難したのであり、勝手に避難指示を解除しておいて戻らなかったら家賃補助を打ち切るとは何という仕打ちでしょうか。何度でも繰り返しますが、国は安全になったから避難指示を解除したのではありません。賠償を打ち切り国の対策費を安くするためです。

 ICRPの勧告に基づいて年間1mSvとされた一般市民の被曝基準は、少なくとも「公式的には」撤回されていません。私が昨年11月9日、第314回目のこの行動の際に述べたとおりです。「緊急時被ばく状況における人々の防護のための委員会勧告の適用」と題されたICRPの勧告第109号(113)項では『委員会は、緊急事態に起因する長期被ばくの管理は、現存被ばく状況として扱うべきであると勧告する』、またこの勧告(114)項は『緊急事態に起因する現存被ばく状況は、ある集団が既知のまたは評価可能なレベルの被ばくを伴う地域に引き続き居住する必要性によって特徴づけられる』と明確に定めています。「原発事故を起こした国の政府が、汚染された地域の住民を避難させず、そのまま汚染地に居住させる」と決めた時点で「現存被ばく状況」へと移行すべき、つまり日本政府が福島の住民を避難させないと決めた時点で住民の被曝基準を「現存被ばく状況」における下限値である年1mSvとしなければならないのです。

 しかし日本政府は、このICRP勧告すら踏みにじる年間被曝量20mSvで避難指示を解除しました。原発労働者がこの水準で被ばくし続けた場合、5年で現場を離れなければならない放射線量です。ここに、帰還した住民は向こう何十年も住むのです。妊婦も子どもたちもです。「住めない」と判断して避難継続の道を選ぶ人がいるのは当たり前です。

 原発事故から8年。今、家賃補助を必要としているのは、心身の病気を抱えて働けない人など、そうでなくても極限状態に置かれている人が中心です。この人たちをこれ以上追い詰めた場合、自死の道を選ぶ可能性すらあります。国の政策の失敗でこのような状態に追い込まれている人たちに対する二重の加害行為という意味でも、私たちはこの非人道的蛮行を絶対に許してはならないと考えます。私は、何としても住宅支援の打ち切り撤回を求めたいと思います。

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北海道知事選の知られざる真実;鉄道存続願う元町長(自民党)も石川候補支援/恥ずべき差別主義者の支援受ける鈴木候補

2019-04-04 21:09:02 | 鉄道・公共交通/交通政策
(この記事は、当研究会代表が「レイバーネット日本」に投稿した内容をそのまま掲載しています。)

 全国の知事選では唯一、与野党が激突する天王山・北海道知事選(4月7日投開票)も残りわずか。今日(4月3日)、大きな動きがあった。廃止の危機に瀕しているJR日高本線を存続させるため、政治的立場の違いを超えて共闘してきた私の「同志」が一大決意をしたのだ。

 その「同志」とは、北海道日高管内・新ひだか町の酒井芳秀前町長。生粋の自民党員だ。北海道議会議員を5期20年務めた後、今回引退する高橋はるみ知事が初挑戦した16年前の道知事選にも立候補している。惜しくも落選後は地元の旧静内町で町長となり、静内町とお隣の旧三石町が合併によって新ひだか町になってからもずっと町政を預かってきた。

 私との出会いは3年前だ。「ローカル線を廃止しながら、すぐ隣に道民が望んでもいない北海道新幹線を作るのはおかしい」と、安全問題研究会代表として北海道新聞にコメントを寄せた私を紙面で見た酒井町長から「路線存続のためアドバイザーになってほしい」と請われた私は、日高本線存続のため非公認ながら酒井町政のアドバイザーとして、この間、JR日高本線を廃止から守るために活動しながら苦楽をともにしてきた。酒井前町長は私の父と同い年で、ご夫人も私の母と同い年。そんなこともあって、酒井前町長は、実家(九州)から遠く離れた私にとって第2の親のようなものだ。

 ところが、日高本線を廃止に追い込みたいJR北海道と道は、酒井町長を路線廃止の最大の障害と見て、昨年の町長選で道庁職員を「刺客」として送り込む。このため落選に追い込まれた酒井前町長。自民党員でありながら、今日の「赤旗」紙面に臆することなく堂々と登場。石川候補への支援を訴えた。

2019年4月3日付け「しんぶん赤旗」


 自民党関係者が赤旗に出るのは別に酒井前町長が初めてではない。政権中枢に異を唱えたいとき、引退した議員OBなど自民党関係者が赤旗紙面に出ることは過去にもあった。だが、自民党に政治家人生を捧げてきた人ほど、「赤旗」への登場はみずからの政治的退路を断つまさに一大決意だろう。

 私は今度の知事選ではネガティブ・キャンペーンはしないつもりでいた。あれだけモリカケ問題で頑張ったのに安倍政権は結局倒れなかったからだ。もはやネガキャンでは安倍は倒れない。沖縄の若者たちがしたように、支持する候補の人柄を宣伝し押し上げる戦術のほうが有効であることが玉城デニー知事の当選で証明された以上、若者に謙虚に学び、戦法を変えるべきだと考えたからである。前回、石川候補の人柄を宣伝する記事を書いたのも「戦術変更」の一環のつもりだった。

 だが、酒井前町長の並々ならぬ決意を見て気が変わった。「同志」であると同時に自分自身にとっての「第2の親」である酒井前町長が重大な決意をするなら、私もしなければならない。そこで、この間、誰にも語らなかった「知られざる真実」をここに書くことにする。選挙で有権者が正しい選択ができるためには、候補者に関する正しい情報が提供されていることが必要だと思い直したからでもある。

 ご紹介した「赤旗」の記事。酒井前町長はあえて名前を伏せているが、酒井前町長の口封じのために道庁と一体となって刺客を立てた自民党道議とは、日高選出の藤沢澄雄議員である。日本会議のコアメンバーであり、改憲派の極右だ。過去には「アベ政治を許さない」クリアファイルを使用している学校教員に難癖を付け、道教委を動かして全道の学校で「クリアファイル調査」をさせるという重大な教育の自由への介入もした。その藤沢議員が「誰も乗っていない日高本線は要らない」として廃止運動の先頭に立っている。実際には、代行バスでの移動が難しい地元・新ひだか町の障がい者が「2015年1月の高波災害でもう4年以上不通のままの日高本線を復旧させてほしい」と再三訴えているのに、藤沢議員はまったく聞く耳を持たない。なんとしても放逐せねばならない安全問題研究会にとって不倶戴天の敵だ。

 当研究会は今年1月、道議会に対し、藤沢議員の政務活動費に関する情報公開請求を行った。その結果、出てきたのが以下の領収書だ。




 「LGBTには生産性がない」発言で「新潮45」が廃刊に追い込まれる原因を作った自民党の差別主義議員・杉田水脈。その札幌での講演会に参加した際の領収書である。日付は2018年3月17日。まだ杉田議員が「例の発言」を行うよりも前である。藤沢議員は、インターネットでも一切、政務活動費の使途を公開していない。まさか日高から札幌くんだりまで来て、道議会で自分の政務活動費の調査をする者などいないと高を括っているのだろう。だからこそこの領収書からは藤沢議員の「本心」が透けて見える。

 私はこれを見た瞬間、藤沢議員が車いすの障がい者の訴えに一切耳を傾けず、無視し続けている理由がわかった気がした。障がい者などの「生産性がない者」は生きる価値がない。だから、そんな連中しか利用しない鉄道も無駄であり、要らないーーそれが藤沢議員の本音なのだ。

 知事選に立候補している鈴木直道候補は、この藤沢議員の改憲セミナーに参加した。藤沢議員は、当初、吉川貴盛農水相(自民党北海道連会長)が官邸直結で鈴木候補を押しつけてくる動きにあれほど反対し、和泉晶裕・国交省北海道局長を擁立しようとする仕掛け人だったくせに、官邸が力尽くで鈴木候補への一本化を決めるとあっさり「投降」して鈴木候補の応援を始めた。官邸などの強者には媚びへつらい、教員労働者や障がい者などの弱者は居丈高に威圧する。「強い者には弱く、弱い者には強く」の権威主義丸出しで、信念も矜持もなくひらひらと態度を翻す最低最悪の変節漢。その上極右の差別主義者。私がこの世で最も嫌いなタイプの男、それが藤沢澄雄だ。

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<参考記事>知事選告示まであと3日 最後の討論会(HTBニュース)

鈴木氏は週末、日本会議に所属する自民党道議が開いた憲法改正セミナーに参加しました。

藤沢澄雄道議「私たちの手で、今の時代に合った憲法改正に向けて、突き進んでいきたいという気持ちであります」

憲法改正を推進するこのセミナー。鈴木氏も壇上に上がりました(以下略)
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 鈴木候補に私は問う。こんな男の支援を受けて恥ずかしくないのか。その答えは、鈴木候補が市長として夕張でやってきたことを見れば明らかだ。日本唯一の財政再建団体に転落した夕張市で「借金返済」を口実に公共サービスはほぼすべて解体。ゴミ処理場も造れず、野ざらしになったゴミにカラスがたかるほど街は荒廃した。行政サービスに頼らなければならない弱者はとっくに街を出て行った。JR北海道から頼まれもしないのに、自分から石勝線夕張支線の「攻めの廃線」を申し出たのは夕張解体の最後の総仕上げだった。弱者が自分から街を捨てざるを得ないように、公共サービスを解体していくーーそれが鈴木市政の「確かな実績」だ。

 夕張に今なお残る「強者」たちの間で、鈴木候補はジャニーズ並みの人気だという。イケメンにキャーキャー言ってはしゃいでいる人たちは、本当にそれでいいのか。私の言うことが信じられないなら、もう一度鈴木候補が誰の支援を受けているか見てみるがいい。甘いマスクで今日は笑顔を振りまいていても、みなさんの人間としての「生産性」が少しでも低下したと見れば、明日、みなさんを北海道から追い出すだろう。

 もう15年近く前だろうか。国鉄闘争華やかなりしころ、鉄建公団訴訟原告団の集会で、ゲストに招かれた評論家の佐高信さんは私たちにこう警告した。「本当の悪人は悪人面をしていない。真の悪人ほど笑顔を振りまきながらやってくる。畳の上で死ねないのは末端のチンピラで、真の悪人は安らかに畳の上で死ぬ」。投票日まであと4日。道民・有権者は鈴木候補の甘いマスクと笑顔の下に隠された、新自由主義者としてのどす黒い本性をきちんと見なければならない。北海道が焼け野原になる前に。

(文責:黒鉄好)

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「北海道独立宣言」いいじゃない?~石川知裕さんは素敵な候補です/北海道知事選終盤情勢

2019-04-02 20:57:38 | 鉄道・公共交通/交通政策
(この記事は、当研究会代表が「レイバーネット日本」に投稿した内容をそのまま掲載しています。)

 3月21日に告示された北海道知事選も、早いもので終盤戦に入った。全国で唯一、与野党が真正面からぶつかる統一地方選前半の天王山だ。地元紙「北海道新聞」によれば、すでに道内有権者の7割が投票する候補を決めたとされる。その北海道新聞は、依然として鈴木直道候補(前夕張市長、自民・公明推薦)有利と伝えたものの、石川知裕候補(元小沢一郎議員秘書、立憲、国民、共産、自由、社民推薦)が「追い上げの勢いを増している」と伝えた(4/1付け朝刊)。

 これをどう読めばいいのか。「追い上げている」では表現として抑制的すぎるが、「追いついた」という確証はまだ持てないといったところだろう。私は残り1週間次第で石川候補の「逆転が視野に入った」と見ている。なぜなら、札幌での私のこの間の「皮膚感覚」と一致しているからだ。

 札幌市民が「チカホ」と呼んで親しんでいる、札幌駅と市中心部の大通公園を結ぶ地下歩道で、先日の仕事帰り、石川候補への投票を呼びかけ、のぼりを手に練り歩く運動員の姿を見た。市民は熱狂するふうでもないが、拒絶という感じでもなくすれ違っていく。反応が読みにくい選挙であることは確かだ。どちらの陣営にも風は吹いていない、と言っていい。

 対照的に鈴木陣営の運動員を私はまだ一度も見ていない。圧倒的な組織力を誇る自公両党の推薦があるにもかかわらずだ。その一方で、鈴木陣営の運動員が大票田・札幌の事情をあまり理解していないのではないか? と思わせるちょっとした「事件」も起きている。今は明らかにできないし、鈴木候補が勝ってしまえば笑い話として回収されてしまうようなことだが、もし石川候補の地滑り的逆転勝利につながれば、鈴木陣営が「敗戦の象徴」として振り返ることになるかもしれない出来事である。

 自公推薦の鈴木候補は、自民党の常套手段である「徹底的な争点隠し」に明け暮れている。先日、私が今回の知事選で最大の争点とした「3つのR」(JR、IR、Radiation(原発、放射線))について、態度表明を避けているのだ。ジャーナリスト横田一さんは、北海道胆振東部地震(昨年9月)の被災地・安平町で選挙演説の第一声を発した鈴木候補を直撃。「これらの争点について、触れない理由は何でしょうか」と声をかけたが、無言のまま街宣車で走り去った、と伝えている。徹底した争点隠しで組織戦を展開し、勝ったら「信任された」とばかりに中央直結でやりたい放題にやってくる、というトランプばりの「オレ様民主主義」が脳裏にちらつく。

<参考記事>北海道知事選、与党候補の鈴木直道・前夕張市長が自民党の常套手段、“争点隠し”の選挙戦を展開(ハーバー・ビジネス・オンライン)

 鈴木候補本人は、JR北海道から頼まれもしないのに自分から「攻めの廃線」として石勝線夕張支線(新夕張~夕張)の廃止を提案した「実績」を宣伝されてはよほど都合が悪いのだろうが、ビルの屋上から飛び降りようかどうか迷っている人の「背中を押してやる」ことを通常「攻め」とは言わない。それは単なる自殺ほう助に過ぎない。その痛みをようやく夕張市民がわかってきたのだろう。今朝の道新は、夕張市のある空知管内で、石川候補が鈴木候補に並んだことを伝えている。

 「鈴木道政になったら北海道から鉄道路線が全部なくなる」と思っている道民は多い。鈴木候補は、もしそれが杞憂に過ぎないというならきちんとそう説明すべきだ。黙っていては「やっぱり鉄道を全部なくすつもりなのだ」と思われても仕方ないと思うのだが。それともやはり鉄道は要らないと思っているのか。

 重要な争点でことごとく沈黙を続けるやり方はフェアではない。泊原発再稼働問題はどう考えるのか。原子力規制委員会が“世界一厳しい”(と自称しているだけの)基準によって合格させた原発は再稼働するという安倍政権の方針に唯々諾々と従うつもりなのか。現に今朝の道新は、曖昧な姿勢をとり続ける鈴木候補が「再稼働に含みを残した」と報道している。黙っていては道民の大多数もそう思うだろう。そんな心配はないというならきちんと説明すべきだ。

 対照的に、石川候補はこうした論点から逃げることなく明確に答えている。「原子力に頼らない社会を作る」として脱原発の方向性を明確にした。電力総連がバックに控える国民民主党の推薦を受けながら、こうした姿勢をはっきりさせたことは評価すべきだと思う。鉄道についても、石川候補はJR北海道研究会など沿線団体が行った公開質問状に対して、「国が線路を保有する上下分離を目指す」とその方向性を明確にする。JRが赤字路線を切り離し、押しつけるために持ち出してきた「市町村が線路を保有する上下分離」ではなく、国に責任を持たせようとの姿勢は評価できる。

 「国が線路を持つなんて夢物語だ」と思う道民もいるかもしれない。しかし、鈴木善幸内閣当時、国が「日本鉄道保有公団」を設立して国鉄から線路を切り離し、国鉄は列車運行に専念するという上下分離案が、運輸大臣私案の形ながら運輸省内で作成されていた。そんな驚くべき事実を「北海道新聞」が2016年12月30日付紙面で報じている。情勢次第では国鉄改革がこちらに向かう可能性もあったのである。私案とはいえ、政府部内でこうした案が作られていたことは、その実現性に問題はないということである。

<参考記事>「揺れる鉄路」第1部・民営化の幻想~消えた「上下分離」案(北海道新聞)


 石川候補が「国が線路を保有する形での上下分離」という具体的なスキームにまで踏み込む形でJR北海道研究会の質問に答えたことに私はいい意味で裏切られた。小沢一郎議員の政治資金問題に絡んで5年にもわたる公民権停止処分を受けていた間も、石川候補が遊んだり腐ったりするのではなく、地道に政策の勉強に励んでいたことは、この回答ひとつ取ってみても容易にわかる。石川候補は、当初、2017年総選挙に立候補するつもりで準備を進めていたが、投票日が公民権停止処分の解けるわずか2日前という不運さで、香織夫人が代わりに立候補せざるを得なかった。今回、知事への立候補要請が来た際も「そんなツキのない男で大丈夫なのか」と不安を訴える声もあった。「負けてもここで名前を売っておけば次の国政復帰の際に弾みになる」などと初めから敗戦覚悟の陣営幹部もいたと伝えられている。

 だが、ここに来てはっきりと逆転勝利が視野に入るところまで追い上げてきた。「自分の母親にまで、学校の同窓会などを通じて石川候補への立候補依頼が来ている」との報告が私の元に届いている。石川候補を支援する地縁、血縁などの組織が稼働してきている。石川候補は十勝管内・足寄町が生んだ生粋の道産子だ。「菅官房長官に面会を希望すればいつでも時間を取ってくれる」と自慢げにひけらかし、酒席で年長者にお酌もしない鈴木候補を、内心では良く思っていない高齢者は大勢いる。そんな官邸言いなりの落下傘候補なんかに負けてたまるか!

 石川候補は「北海道独立宣言」というスローガンを堂々と掲げる。今まで日本からの独立論は、沖縄では酒の肴に語られることはあったが北海道でこんなにおおっぴらに語られるのは初めて聞いた。もちろん本気で言っているわけではなかろう。「独立独歩の気概を持て」と道民を叱咤激励する意味合いが強いスローガンだ。だが私は夢があっていいと思う。鈴木候補が「社会資本をスリムにして無駄を減らそう」などと夢のかけらもなく辛気臭い顔をしている今こそ夢を掲げる候補がいてもいい。私自身は、もう北海道も沖縄もいつでも日本から独立してもいいと思っている。なぜ食糧自給率200%の北海道が、自給率1%の東京から落下傘で降りてきた若造ごときにデカい顔をされなければならないのか。東京だけで日本が成り立つと思っているならやってみろ。文句があるなら北海道産の食料など食べなくてよい。道民はそれくらい堂々と主張すべきだし、中央や官邸がこれ以上北海道を収奪し続けるなら、自給率200%の食料を持って独立すれば良いのだ。

 今年1~2月にかけて「地域と労働運動」誌に、北海道と沖縄が同時に日本から独立を試みたらどうなるかのシミュレーションを兼ねて記事を書いたら想像を超える反響があった。食料もエネルギーも自給できず外部に依存する東京など、地方が団結すれば敵ではない、というのが書いてみての結論だった。にわかには信じられないかもしれないが、興味のある方は読んでいただければと思っている。

2019年 私の初夢~沖縄と北海道が日本から分離独立!?(その1)

2019年 私の初夢~沖縄と北海道が日本から分離独立!?(その2)

 石川候補と同じ足寄町出身の鈴木宗男・新党大地代表と彼の盟友である歌手・松山千春は「共産党と手を組んだ石川は足寄の裏切り者」とネガティブキャンペーンを続ける。いくら政策で勝負ができないからといって、半世紀前を思わせる古色蒼然とした反共攻撃とは、底が浅いにも程がある。石川さんの夢を少し見習ってはどうか。自民党は「野党は対案も出さず反対ばかり」などとこれでよくも言えるものだ。

 明るく夢を語る石川候補か、辛気臭く「無駄を減らそう」と訴える鈴木候補か。
 堂々と政策語る石川陣営か、論争から逃げ「共産党と組む者は裏切り者」と誹謗中傷を繰り返す鈴木陣営か。
 鉄道残し、原発なくす石川候補か、原発残し鉄道なくす鈴木候補か。

 考えるまでもないだろう。私は今年2月、鉄路維持を訴える札幌市内の集会で石川さんの肉声を聞いたが、ポジティブで明るいキャラクターは魅力的だ。彼なら何とかしてくれるのではないか、多くの道民に彼の「夢」になら賭けてもいいのではないか、と思わせるだけの魅力を持っている。投票日は4月7日。1人でも多くの道民が石川さんの魅力と「夢」に賭けてくれるなら、私としてこれに勝る喜びはない。

(文責・黒鉄好)

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