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原発への「全面回帰」決めた経産省「GX基本方針」 それでも原発は死滅に向かう

2023-03-25 23:28:52 | 原発問題/一般
(この記事は、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2023年4月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 岸田政権は2月10日、国会でのまともな審議もないまま「GX基本方針」を閣議決定した。GXとはグリーン・トランスフォーメーションのことで、脱炭素をめざす経済社会システム全体の変革だと政府は説明する。この「GX基本方針」に原発の全面復活を目指す方針を書き込んだのだ。

◎建て替えに制限

 政府は、当初「まずは廃止決定した炉の建て替え」とする原案を与党に提示した。この建て替え場所を明示しない表現には隠れた狙いがあった。

 たとえば九州電力の中で、老朽原子炉である佐賀・玄海原発の廃炉を決定すれば、鹿児島・川内原発で「建て替え」と称して事実上の新増設を可能にできる。原発推進派は、このような〝原発ロンダリング〟とでも呼ぶべき手法による建て替えをGX基本方針に潜り込ませ、老朽原発の建て替えへと一気に突破することを狙っていた。

 ところが公明党から「抑制的な活用の範囲内になるように表現を変えてほしい」と強い要求があった(1/29朝日)。その結果、原発の建て替えは「廃炉を決定した原発の敷地内での建て替えに限り」認めるという表現に変更された。

 表向きは単なる表現の修正に見えるが、建て替えが廃炉となる原子炉と同一原発の敷地内に限定されたことには重要な意味がある。

 建て替え場所を確保するには、廃炉とした原子炉敷地をいったん更地に戻す必要がある。だが原子炉の高レベル放射性廃棄物から強い放射線が出る。撤去しないと作業員が立入りできないため、結局廃炉作業もできず、同一原発の敷地内で建て替える場所もつくれない。

◎トイレなきマンション

 現状では、廃炉作業で出る高レベル放射性廃棄物を敷地外に持ち出したくても、処理方法も場所も決まっていない。廃棄物処理候補地とされる北海道寿都町、神恵内村で進む文献調査は、2020年8月の受け入れ表明から2年で終了し、概要調査へ移るとみられていたが、2年半経過した現在も終わっていない。概要調査移行後も紆余曲折は必至で、政府計画でも受け入れまで20年を見込んでいるが、さらに遅れる可能性が高い。



 新たに原発を誘致する地域が現れれば、廃炉作業を伴わないため「建て替え」に名を借りた新増設が可能になるが、そもそも福島原発事故以降、新規誘致に動く地域が現れないことから「建て替え」に方針転換されたのが実情だ。すでに原発が立地している場所での新増設であれば、用地買収、地元同意など面倒な手続きが不要となるからだ。

 こうした現状で建て替えを「廃炉を決定した原発の敷地内」に限定されることは、実質的には建て替えが当面、止まる可能性が大きくなったことを意味する。背景には原発全面活用への強い世論の反発がある。

 だが決して安心はできない。建て替えが容易に進まないことで、今後は「老朽原発の稼働期間延長」だけに絞られ、一層危険になったとの見方もできるからだ。運転期間延長阻止は極めて重要な課題となっている。

◎廃棄物の行き場なし

 高速増殖炉「もんじゅ」は廃炉が決まっている。六ヶ所村の高レベル放射性廃棄物再処理施設も昨年、26回目の操業延期が決定。2024年までは稼働できないことがすでに決まっている。使用済み核燃料の行き先も失われつつある。

 一部原発では、プール内の燃料の間隔を狭めて貯蔵容量を増やす「リラッキング」を実施しているが、現状のままでは川内原発1号機はあと約12年、川内原発2号機はあと約5年で貯蔵量が限界に達する。政府方針の一方で、使用済み核燃料が取り出せないため、原発が次々と停止していく。そんな〝不都合な未来〟も次第に見えてきている。



 原発全面活用に向け安全規制を骨抜きにする案には、原子力規制委員会の論議で石渡明委員が反対し、異例の多数決決定となった。かつてない事態だ。政府が強引に復権を狙ったとしても原発の未来は暗い。闘いで原発廃止に追い込む展望は開けている。

◎原発回帰は許さない 経産省・資源エネルギー庁、原子力規制庁に要請行動

 こうした中、福島みずほ参院議員の協力も得て、2月24日、オンライン参加を含め約50人で中央省庁要請行動を実施。原発回帰政策をめぐっては、経産省・資源エネルギー庁、原子力規制庁に対する要請行動を実施した。

 経産省・資源エネルギー庁は「資源エネルギー庁に対し、誹謗中傷のメールが続いている」との理由で入場者を5人に制限する不当な扱い。福島原発かながわ賠償訴訟原告・村田弘さんとともに原発運転期間延長撤回を求めた。

 経産省は「閣議決定された方針は遂行する義務がある」と国策強行の意思をあらわにした。現在国会に提出されている法案は、原発の運転期間に関する規定を原子炉等規制法から電気事業法に移管することを内容としている。成立すれば原発の運転期間は安全規制から利用を前提とした規制に変わる。運転期間や継続、停止の判断は「原子力規制委の判断」と逃げの態度だ。

 続いて要請した原子力規制庁は「原発の利用面より科学的・技術的安全性を優先する姿勢に変わりない」としながらも「運転期間をどうするかは利用規制の観点から経産省・エネ庁が決める」とこちらも逃げに終始した。

 停止期間を運転可能期間に上乗せすれば、より老朽化した状態での原発の運転になることは明確だ。それを認めようとしない原子力規制庁に対し、福島議員が「人間は寝ている間は歳を取らないと言っているのと同じだ」と撤回を迫る場面もあった。

 事故やトラブルが起きても停止命令などの責任を果たす姿勢は、経産省・原子力規制庁のどちらにもない。第2の事故を防ぐには原発即時全面廃炉以外にないとの確信が深まる。経産省と原子力規制庁との間で発言が矛盾し、この点の追及も今後の課題として浮かび上がった。

(2023年3月19日)

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【訃報】ノーベル文学賞受賞作家・大江健三郎さん死去

2023-03-15 23:38:54 | 原発問題/一般
ノーベル賞作家の大江健三郎さん死去、88歳 戦後文学の旗手(朝日)

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 戦後文学の旗手として、反核を訴え続けたノーベル賞作家の大江健三郎(おおえ・けんざぶろう)さんが、3日午前3時過ぎ、老衰のため死去した。88歳だった。葬儀は家族で営んだ。喪主は妻ゆかりさん。後日お別れの会を開く予定。

 1935年、愛媛県大瀬村(現内子町大瀬)に生まれる。東京大学仏文科在学中の57年、東大新聞の五月祭賞を受賞した「奇妙な仕事」が評価され、文芸誌に「死者の奢(おご)り」を発表。新世代の作家として注目を集め、翌58年、戦時下の村で黒人兵を幽閉する「飼育」で芥川賞を受賞した。集団疎開した少年たちが疾病の広がる山村に閉ざされる第一長編「芽むしり仔(こ)撃ち」を同年刊行、初期の代表作となった。都市の無力な若者のアイデンティティーを問う長編「われらの時代」(59年)などを経て、61年、17歳の少年がテロリストになってゆく問題作「セヴンティーン」を発表。64年、脳に障害のある長男の誕生を描いた「個人的な体験」(新潮社文学賞)で作家として転機を迎える。苦悩を抱えて生き、無垢(むく)なものに再生される主題の作品を以降、繰り返し描いた。

 「反核・平和」の訴えは創作にとどまらなかった。60年には石原慎太郎や江藤淳らと「若い日本の会」を結成。日米安全保障条約に反対する活動に加わった。広島での取材体験を元にしたノンフィクション「ヒロシマ・ノート」を65年に、「沖縄ノート」を70年に刊行した。95年にはフランスの核実験に抗議して、同国で開催予定のシンポジウムを辞退。この件を批判した仏作家クロード・シモンとはルモンド紙上での論争に発展した。

 94年に川端康成に続いて日本人で2人目のノーベル文学賞を受賞した。故郷の四国の村から国家、宇宙へと神話的な文学世界が広がる「万延元年のフットボール」(67年)が翻訳され、評価されていた。受賞記念講演の題は「あいまいな日本の私」。文化勲章にも内定したが、「国家と結び付いた章だから」と辞退し、話題になった。

 2000年の「取り替え子(チェンジリング)」以降、自身を想起させる老作家を主人公とした長編の刊行を続けた。13年に発表した「晩年様式集(イン・レイト・スタイル)」が最後の小説となった。

 生涯、社会に関わり続け、04年に日本国憲法を守る「九条の会」を加藤周一や井上ひさしらと結成。東日本大震災以後は反原発のデモや集会にたびたび参加した。

 主な受賞歴に、67年「万延元年のフットボール」で谷崎潤一郎賞、73年「洪水はわが魂に及び」で野間文芸賞、83年「新しい人よ眼(め)ざめよ」で大佛次郎賞、94年度の朝日賞。77~84年と90~97年に芥川賞選考委員。01~07年度に朝日賞選考委員。選考をひとりで行う大江健三郎賞を05年に創設、14年の終了まで国内の気鋭の作家に光をあてた。

 朝日新聞では92~94年に文芸時評を担当したほか、コラム「定義集」「伝える言葉」を連載した。

 18~19年に「大江健三郎全小説」(全15巻)を刊行。21年には自筆原稿など資料約50点を東大に寄託し、研究拠点「大江健三郎文庫」の設立準備が進んでいた。
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私は直接の面識はもちろんないが、毎年3月に開催されていた「さようなら原発全国集会」で、横断幕を持ち、デモの先頭を堂々と歩く大江さんの姿にはいつも大きな勇気をもらった。瀬戸内寂聴さん、木内みどりさん、城南信金の吉原毅元理事長ら著名人とともに、長く全国の反原発運動を束ねていただいた功績は、私の拙い語彙では到底表現できないものだ。

2015年頃から体調不良の噂とともに、集会・デモに参加する姿を見る機会が少なくなり、ここ数年はコロナ禍で集会が規模縮小、デモもほとんど中止を余儀なくされるなかで、お見かけする機会もなくなっていた。

ノーベル文学賞を受賞した日本人は、大江さんの他は川端康成だけである。「政府・自民党御用放送」NHKにとって、政府方針に反対する運動がどんなに煙たくても、ノーベル賞作家から発言があれば報道せざるを得ない。反原発集会・デモをメディアにきちんと取り上げ、報道させるうえで、大江さんの存在は大変大きかった。

私は、自分が参加する集会、デモなどの行動は、必ず写真撮影し、記録に残すことにしている。そのときはたいしたことがないと思うような写真でも、時間の経過とともにそれが大きな意味を持つようになるという経験を、私は運動に限らず、趣味活動でも何度も経験してきたからだ。だが、自分が撮影した「さようなら原発」全国集会の写真の中に、大江さんの写ったものは残念ながら見当たらなかった。2013年以降、北海道に住むようになったため、自分で思っていたほど東京の集会に参加していないことが原因だ。

瀬戸内寂聴さんも、木内みどりさんも鬼籍に入るなど、福島原発事故直後から反原発運動を率いてきた著名人がこのところ相次いで世を去っている。改めて12年という時の流れを感じる。3.11以降、日本人の底流に脈々と流れてきた反原発、脱原発の意識が次第に怪しくなっているのは、単にウクライナ戦争に伴うエネルギー事情の変化だけではないように思う。発信力の大きな著名人の助力が得られなくなってきていることも、その背景に間違いなくある。反原発運動の今後の行方を占う上で、今が最大の踏ん張り時だろう。

著名人、ビッグネームとその発信力に依存していれば何となく反原発の波に乗れた時代は、大江さんの死去で完全に過去のものとなった。NHKが市民による脱原発の集会・デモなどの活動について報道することは、この先、永遠にないかもしれない。これからは、発信力が小さくても、私たちひとりひとりが自分の頭で考え、自分の足で歩き、自分の言葉で「原発いらない」を表現することで、運動をアップデートしていかなければならない。

少なくとも私は、3.11を福島県内で経験した者のひとりとして、これまでも自分の言葉で被害を伝え、最も苦しんでいる被害者、避難者と連帯することに力を注いできたと思っている。その言葉のいくつかは「原発問題資料集」に結実している。大江さんの遺志を受け継ぎながらも、それにのみ頼るのではなく、私はこれからも自分自身の言葉で、被害を伝えていく地道な取り組みを続けていきたい。

大江さん、ありがとう。ゆっくりお休みください。「日本の原子力の死の瞬間を見届ける」ーーそれこそが私の、人生における唯一の目標です。私たちはたとえ最後のひとりになっても、原発復帰への流れに、命ある限りあらがい続け、あなたが志半ばで実現できなかったその夢を必ずかなえます。もしも実現するときが来たら、必ずあなたの墓前に報告にうかがいますので、もう少し待っていてください。

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【週刊 本の発見】『ヤジと民主主義』

2023-03-03 20:25:51 | 書評・本の紹介
(この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」の書評コーナー「週刊 本の発見」に寄稿した内容をそのまま転載したものです。)

『ヤジと民主主義』(北海道放送報道部/道警ヤジ排除問題取材班・編、ころから、1,800円+税、2022年11月)評者:黒鉄好

 たかがヤジ、されどヤジ。私たちの住む場所が真の民主主義社会かどうかは、こんなときにこそはっきりする。

 2019年参院選で、自民党候補の応援演説のため札幌市を訪れた安倍晋三首相(当時)に向かって「安倍やめろ」「増税反対」などとヤジを飛ばした9人が警察によって強制排除された。警備に当たっていた道警警察官は、演説の進行に影響のない軽微なヤジを飛ばしただけに過ぎない市民の腕をつかんで強制的に演説会場から排除した。

 警察官職務執行法違反で北海道警が刑事告発されたが不起訴となる。検察審査会でも排除された市民の訴えは認められず、刑事責任追及の道は閉ざされたが、道警の責任を問う国家賠償訴訟に2人の「被排除者」が立った。

 国賠訴訟は、強制排除の場面を撮影したスマホ動画が証拠提出されたことにより原告有利に進んだ。道警は、警職法に基づく正当な排除だったというみずからの主張を裏付ける証拠を法廷にまったく提出できなかった。道警が裁判で提出した証拠は、あろうことか、ヤフーニュースのコメント欄に匿名で書き込まれた応援コメント(そのほとんどが自民党支持の「ネトウヨ」のものと思われる)だった。もちろん、そんな「証拠」は司法からはまったく相手にされず、1審・札幌地裁は2022年3月25日、道に賠償を命じる判決を言い渡す。ヤジを「表現の自由」と認める原告全面勝訴判決だった。原告は鈴木直道北海道知事に控訴しないよう求めたが、道は控訴。国賠訴訟は高裁に移っている。

 強制排除は多くのテレビカメラが回っている前で公然と行われた。2003年11月に発覚した道警裏金問題を内部告発した元道警警察官・原田宏二さんは、権力監視の使命を忘れた道内メディアは「なめられている」と苦言を呈する。原田さんが告発した道警裏金問題を北海道新聞は追及したが、この過程で傷ついた道新が道警と不自然な形で「手打ち」をして以降、道新は道庁、道警にまったく物を言わなくなった。事件の背景にはこのような地元メディアの劣化もある。今回、北海道放送(HBCテレビ)取材班がこの事件の入念な取材を続け、ドキュメンタリー番組の制作に続いて本書を出版したことは、メディア人としての反省があるとみずから告白している。

 本書では、2人の原告は実名、顔出しで堂々としているが、今回、私の政治的判断でここでの実名紹介はあえて伏せる。というのも、この国賠訴訟で道警が敗訴したことで思うような要人警護ができなくなったことが安倍元首相殺害の原因であるといういわれのない誹謗中傷が2人を対象に行われているためである。原告攻撃の先頭に立っているのが道見泰憲・北海道議会議員(自民)であるのはひときわ許しがたい。道見議員が安倍国葬反対派をツイッターで「黙ってろ」などと恫喝したこと、統一協会との関係を問われた際に「関わってるよ」と公然と開き直っていることを暴露しておこう。

 原告の1人は、国賠訴訟を通じ、闘いで権利を切り開く楽しさに目覚め、今は札幌地域労組の専従職員として働いている。同労組の鈴木一・副委員長がレイバーネットの会員であることも忘れずに紹介しておきたい。

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