安全問題研究会~鉄道を中心に公共交通と安全を考える~(旧「人生チャレンジ20000km」)

公共交通と原発を中心に社会を幅広く考える。連帯を求めて孤立を恐れず、理想に近づくため毎日をより良く生きる。

当ブログのご案内

当サイトは列車の旅と温泉をメインに鉄道・旅行を楽しみ、また社会を考えるサイトです。

「あなたがすることのほとんどは無意味でも、あなたはそれをしなくてはなりません。それは世界を変えるためではなく、あなたが世界によって変えられないようにするためです」(マハトマ・ガンジーの言葉)を活動上の支えにしています。

<利用上のご注意>

当ブログの基本的な運営方針

●当ブログまたは当ブログ付属サイトのコンテンツの利用については、こちらをご覧ください。

●その他、当サイトにおける個人情報保護方針をご覧ください。

●当ブログ管理人に原稿執筆依頼をする場合は、masa710224*goo.jp(*を@に変えて送信してください)までお願いします。

●当ブログに記載している公共交通機関や観光・宿泊施設等のメニュー・料金等は、当ブログ管理人が利用した時点でのものです。ご利用の際は必ず運営事業者のサイト等でご確認ください。当ブログ記載の情報が元で損害を被った場合でも、当ブログはその責を負いかねます。

●管理人の著作(いずれも共著)
次世代へつなぐ地域の鉄道——国交省検討会提言を批判する(緑風出版)
地域における鉄道の復権─持続可能な社会への展望(緑風出版)
原発を止める55の方法(宝島社)

●管理人の寄稿
月刊『住民と自治』 2022年8月号 住民の足を守ろう―権利としての地域公共交通
核のない未来を願って 松井英介遺稿・追悼集(緑風出版)

●安全問題研究会が、JRグループ再国有化をめざし日本鉄道公団法案を決定!

●安全問題研究会政策ビラ・パンフレット
こんなにおかしい!ニッポンの鉄道政策
私たちは根室線をなくしてはならないと考えます
国は今こそ貨物列車迂回対策を!

平泉・猊鼻渓~八郎潟の旅(3)

2008-06-30 23:19:45 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
最終日、今日は平日だが年休を取っている。

「男鹿観光ホテル」を出発した私たち一行は、再び入道崎へ行く。入道崎に時空を超えた海鮮丼という看板が立っていた。いったいどんな海鮮丼だよ、と全力でツッコミを入れたくなるが、見る限りは普通の海鮮丼だ。

午後からは、男鹿半島名物、なまはげの資料を集めたなまはげ館に行く。大晦日にしか出会えない「なまはげ」の実演もあり、当地のなまはげ信仰の概要を知ることができた。

昼食時にビールを飲んでしまったツアー幹事のK氏に代わって、午後からは素面の私がレンタカーのハンドルを握っている。秋田駅に向かって走り、4時過ぎ、レンタカーを返却、他のメンバーと別れる。
18時ちょうど発の「秋田新幹線」(奥羽本線~田沢湖線)に乗り、盛岡へ。そこから東北新幹線に乗り換えて帰宅。

【完乗達成】田沢湖線

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平泉・猊鼻渓~八郎潟の旅(2)

2008-06-29 23:02:56 | その他社会・時事
いよいよ2日目。この日こそが今回の旅のメイン、八郎潟での農家との交流である。9時頃、ツアー一行でホテルを出て、大潟村に向かう。空模様が怪しかったので、最初に水田に入ることにする。10時半過ぎ、案内の車と合流し、大潟村へ入る。

交流を申し出てくださったのは、八郎潟干拓地で水田農業を営む農家である。彼は、大潟村で13ヘクタールの水田を耕作している。個人で4ヘクタール以上の水田を耕作していれば、農林水産省が次代の担い手育成政策として打ち出している「品目横断的経営安定対策」に基づく認定農業者になれるが、それには生産調整(いわゆる減反)に協力していることが前提条件である。減反をしていない彼は、認定農業者になれない。

早速、彼の説明を受けた後、みんなで水田に入り、草取りをする。農業関係の仕事をしている私は、入社時の新人研修で水田の草取りをしたことがあるので転んだりしなかった。だが、水田初体験の妻は見事に転んで泥だらけになった。

ツアーには6歳の子どもも参加していた。水田に入るのは初めてというが、10分後にはすでに田んぼを自分の庭のように駆け回っていた。やはり子どもは覚えが早い。

1時間ほど草取りをした後は、手作りのおにぎりや焼き肉、サクランボを使ってみんなで食事。どれもみんな新鮮で美味しい。都会ではまず味わうことができない。

ひとしきりお腹が膨れたところで、彼は最近相次ぐ食品偽装問題などに関連して、語り始めた。「よく偽装偽装といわれるけれど、自分たちで作れば偽装なんて起こりようがない。みんなで農業を粗末にして、食べることを安易に他人に委ね過ぎた。食べることを自分たちの手の中に取り戻す、少しでも自分たちに近いところに引き寄せておくことがこれからの時代の課題だ」という話が、とても印象に残った。

私は、この話を聞いて、体の中に引っかかっていたものが取れたような気持ちになった。最近、食品偽装が発覚するたびに、みんなでよってたかってバッシングをし、謝罪にならない下手くそな謝罪会見を見せられた挙げ句、責任も取れないトップの下で会社だけが潰れ、従業員が路頭に迷って終わり。そして数ヶ月も経てばまた新たな偽装が発覚…という不毛なスパイラルだけが繰り返されてきた。

私は、バッシングだけのマスコミ報道に精神的疲労を感じながら、ずっと「何かが違う」と思っていた。
確かに偽装は悪い。その背景に利潤至上主義があることもわかっている。しかし、批判しているメディアにも我々国民にも、食べることを安易に他人に売り渡した責任があるのではないのか? 自分たちが何もせず、作らないでおいて、作る人たちに「偽装けしからん」と言ってもなんの解決にもならないのだ。

同じことは、農業以外にも当てはまると私は思う。行動もせず批判だけしている人間のなんと多いことか。「評論家が何億人いても社会はよくならない」「行動する人間だけが社会をよくすることができる」という単純な事実に、もうそろそろみんな気付いてもいいのではないか。

そんなことを考えさせてくれる彼の貴重なお話だった。それと同時に、食べることこそ人間の営為の中でも最も厳しいものなのだということも再認識できた。
同時に、このような農家こそ「篤農」だと思った。そして、彼のような篤農が田園に踏みとどまっている限り、まだ希望を捨ててはいけないと思った。ロシアの諺ではないが、「希望は最後に死ぬ」のだ。

食事の後は、ツアー一行で大潟村干拓博物館に行った。そこで八郎潟干拓の歴史に触れることができた。
大潟村だけで年間85万トンのコメを生産しているという事実も知った。日本の年間コメ生産量は今800万トンくらいだから、大潟村だけで日本のコメの1割を生産していることになる。

このような大規模農業があちこちで可能になるなら、経済合理性に着目した農業展開もあり得るかも知れない。だが、国土の7割が山林である日本では、大規模な土地利用型農業を展開する方法が干拓くらいしかないことも事実だ。
経済合理性に着目すれば、自然を破壊してでも干拓を進めるしか方法がない。自然環境と共存しようとすれば、大規模化の道を捨て、小規模農業にジャブジャブ補助金を投入することによってしか農業を維持できない。国が佐賀地裁で敗訴した諫早湾干拓事業は、そうしたジレンマの象徴だといえるのである。

でも私は、小規模農業に生命維持装置を付ける所得補償政策しか当面は道がないと思っているし、それでいいとも思っている。それが国民にとって高くつく話であったとしても、そこを説得し、理解を得るのが政府の仕事なのだ。

食品偽装が相次ぎ、国民の食への信頼が地に落ちた今、何かがおかしいとみんなが考え始めている。こんな状況だからこそ、国民に「高品質、高負担」の農業への理解を求める千載一遇のチャンスと当ブログは考える。「食べることを自分たちの手の中に少しでも引き寄せておく」…彼の語った方法こそ、偽装も食料危機もなくせる最高の解決策である。

彼と別れた私たちは、夕刻、男鹿半島の先端、入道崎を訪れた。「岬めぐりのバスは走る」という歌があったが(「岬めぐり/山本コウタローとウィークエンド)、いつ見ても岬はいいと思う。

その後、安宿にばかり泊まっている私たちにしては珍しく「男鹿観光ホテル」に泊まり、宴会をした。食事後は旅館街で地元の民謡の演奏を聴きながら夜が更けていった。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

平泉・猊鼻渓~八郎潟の旅(1)

2008-06-28 22:46:55 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
岩手・宮城内陸地震の影響がまださめやらないまま、その被害が一番酷かった一ノ関周辺へ、よりによって出かけることになってしまった(平泉自体は大きな被害がなかった)。

某団体主催の「八郎潟農村交流ツアー」に行くために八郎潟に行くのだが、未乗区間の北上線・田沢湖線に乗りたいがために鉄道を利用することにし、どうせ途中で通らなければならないなら、行ってしまえ!とばかりに世界遺産候補の平泉に立ち寄ることに決めたのである。

今回の旅行には、柄にもなく「周遊きっぷ」を使った。ゾーン券は「田沢湖・十和田湖ゾーン」である。北上線と田沢湖線全線がカバーされていることが決め手になった。

国鉄時代に導入され、鉄道ファンに評判の良かった周遊券が廃止されてから、気付いてみればもう10年近く経っている。周遊券廃止は旅客制度の世紀の大改悪、と鉄道ファンからは袋叩きにされた。私自身も、周遊きっぷは肝心なところでいつも役に立たなくて、そのうちに「JRグループが周遊券廃止のアリバイ作りのために売り出したダメ切符」という認識になり、次第に頭の中から消えていた。だが今回、事前に計算してみると、普通乗車券より4,000円以上安くなることがわかった。

ちなみに、事前に駅に周遊きっぷを買いに行ったとき、駅員から「私の駅員人生で初の周遊きっぷ販売です」と言われ驚いた。私が「率直に言って、これ売れてるんですか?」と聞くと「売れてません」と即答され、もう一度驚いた。「アリバイ作りのための切符」という私の認識は、あながち間違いでもないらしい。

そんなわけで、日本有数の絶景といわれる猊鼻渓にはぜひ行ってみたいと以前から思っていたのだが、温泉旅館が土石流で倒壊し、死者を出した駒ノ湯温泉の悪夢が頭をよぎった。そんな状態の時に、土石流の危険がある渓谷に入ることは危険な行為のように思えたので、猊鼻渓入りは中止しようかと思った。

しかし、猊鼻渓は震源地となった内陸部から遠いこと、すでに2週間経っており、余震も収まり始めていたこと、駒ノ湯温泉に近い「厳美渓」への立入禁止がこの日から解除となったことから予定通りの猊鼻渓入りを決めた。

新幹線で一ノ関に着くと、いきなり「駅からハイキング」中止のお知らせが張り出され、地震の影響を痛感する。一ノ関で東北本線に乗り換え、平泉駅へ。すぐに発車待ちの平泉行きバスがあったので、乗り込む。

世界遺産候補となっている平泉は、中尊寺を中心に、写真のような大小様々な建物からなっている史跡である。金色堂を除けば無料で入れる。が、やはりここのメインは金色堂だ。奥州藤原氏の栄華を伝える金色堂に、しばし見入った。

妻と2人で平泉のほぼ全部を歩いたが、他の世界遺産のようなインパクトに欠けることは否定できず、「ちょっとこれでは世界遺産は厳しそうだね」が共通認識だった。

1時間で回り終える予定の平泉だったが、そこはさすがに世界遺産候補だ。足早に回っても1時間では回りきれず、1時間半程度かかる。これから行こうという方は、最低2時間、じっくり見たい方は3時間を見ておく必要があると思う。

結局私たち2人は、のんびりし過ぎて平泉11時ちょうど発のバスに乗り遅れ、タッチの差で猊鼻渓行きバスに乗れなくなってしまった。さあどうするかと思い、平泉駅前の観光案内所に入ったところ、3時間以内なら2,000円という格安レンタカーがあった。個人経営のレンタカー業者だったが、平泉駅~猊鼻渓のバスは片道500円。2人で往復乗ることを考えればバスと変わらないから、思い切って借りることにした。

猊鼻渓までは30分程度で到着、すぐに遊覧船に乗る。遊覧船から眺めた猊鼻渓は、さすが日本百景とうならせる美しさだった。水がきれいなせいか、もたくさんいた。

猊鼻渓観光を終えた私たちは、レンタカーを返却し、平泉から東北本線でさらに北上する。北上からは、いよいよ未乗区間の北上線だ。

この北上線、かつては臨時列車だがDD51けん引の20系寝台急行「おが」が運転されたこともあった。今はローカル気動車が走るだけの線区だが、キハ100系の登場によってずいぶんスピードもアップした。
途中、車窓に雄大な錦秋湖が見えた。錦秋湖は、空梅雨気味の今年の気候もあって、岩肌が露出し、貯水量が極端に減っていた。

農村では「大雪に不作なし」と言われる。冬に大雪が降ったときは、山に雪解け水が蓄えられるため、水不足の心配がなく、干ばつによる不作の恐れがないという意味だが、錦秋湖のこの貯水率を見る限り、そうとばかりも言えないのではないかと不安になった。

北上線で横手に出た後は、奥羽本線に乗る。「田沢湖・十和田湖ゾーン券」は通称「秋田新幹線」の特急に立席に限り乗車を認めており、大曲から「新幹線」に乗って秋田入りした(注)。秋田で、他のツアーメンバーと合流し、宴会。

【完乗達成】北上線

(注)「全国新幹線鉄道整備法」では、新幹線を「その主たる区間を列車が二百キロメートル毎時以上の高速度で走行できる幹線鉄道」と定義している。このため、当ブログは、この定義に当てはまらないミニ新幹線方式を新幹線と認めない立場をとっている。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

姪っ子3人目誕生

2008-06-27 21:54:10 | 日記
実家から、妹の3人目の子どもが誕生したと連絡があった。
女の子で、母子ともに元気。超安産だったそうだ。

すでに2人、女の子がいることもあって、今度は男の子がいいという思いもあったようだが、3人娘もまた良いと思う。2人のお姉ちゃんとは10歳前後も離れているけれど、元気に育っていってほしい。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

母の還暦

2008-06-26 22:50:09 | 日記
実家の母が、今日、還暦を迎えるとともに、23年間勤めたパートを退職した。
私と妹の学費を稼ぐためという理由でパートを始め、以来23年間、家族と自分自身の生活のために働いてきた。まさか本人も、60歳定年まで働くことになるとは夢にも思わなかったに違いない。

結局、某生協店員として、店内の全部門を経験したという。客商売ということもあって、世間が休んでいる週末はいつも仕事をしていた。私たちは慣れっこになっていたが、平日と休日が逆転した勤務形態で20年以上(しかも主婦業と両立させながら)の勤務というのは並大抵のことではなかったと思う。

そういうわけで、長い間お疲れ様でした。
高校にも大学にも通わせてもらった上、就職後はやりたいようにやらせてもらったことに対し、今は深く感謝しています。
還暦を機に、ゆっくり休んで、たまには父と2人でのんびり温泉にでも浸かりに行ってください。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【鉄ちゃんのつぶや記 第36号】追悼・土本典昭監督~鉄道ファンから見た「ある機関助士」

2008-06-25 23:33:55 | 鉄道・公共交通/交通政策
 この世に生を受けたときから列車の走行音を聞いて育ち、半ば運命づけられたように鉄道ファンへと歩み出した私は、ある時期までは他の多くの鉄道ファンと同様、「鉄道記録映画とはあくまでも鉄道車両を中心とした記録であるべきだ」と考えていた。その作品に出会うまで、鉄道車両を基軸に据えない記録作品はドキュメンタリー映画の本流ではあり得ても鉄道記録映画としては傍流であると思っていたから、好んで視聴する鉄道記録映画も「20系特急あさかぜ」(1958年、岩波映画製作所)や「貨物列車日本縦断」(1968年、理研映画社)のような趣味的要素の強いものが多かった。これらの作品は、制作から30年以上経った今なおビデオ化されていることからもわかるように、いずれも秀逸・名作と評せられるものばかりであったが、どの作品も一様にニュース映画的色彩が強く、視聴者を圧倒するような迫力という点では物足りなさも感じていた。

 そんななか(2001年頃だったと記憶するが)、山陰地方のあるローカル線の撮影に関係して深い付き合いをしていた鉄道ファンの友人が「お勧めのビデオだ。ぜひ見ろ。絶対見ろ」と1本のVHSビデオテープを私に貸してくれた。その中に収録されていた作品こそ、土本典昭監督のデビュー作「ある機関助士」だった。

 この映画が作られる直前、国鉄は長くその歴史に汚点を残す三河島事故を引き起こしていた。敗戦でズタズタになった鉄道施設をろくに更新もできないまま、急激な経済成長で爆発的に輸送人員が増えたことにより、老朽化した施設の上を過密ダイヤで列車が走っていた当時の国鉄の安全はガタガタだった。とりわけ東海道本線と比べて近代化が遅れていた東北本線・常磐線でその危険は顕著であり、なかでも一部に単線区間や平面交差を抱えていた東北本線は、国鉄でも神と呼ばれる領域の人にしかダイヤが描けないと言われるほどのアクロバット的運行を強いられていた。

 首都圏~東北の輸送は現在でこそ東北本線(新幹線)ルートが主役であり、在来線特急「スーパーひたち」しか走っていない常磐線は脇役に過ぎないが、蒸気機関車全盛の当時の事情は現在とは全く違っていた。蒸気機関車は上り勾配に極端に弱く、すぐに速度が落ちてしまうため、蒸気機関車時代は多少遠回りでも平坦なルートを通る方が早いことが多かったからだ。そのため、内陸を通って勾配が急な東北本線より沿岸ルートで比較的平坦な常磐線のほうが首都圏~東北のメインルートを占めていたのである(ついでに言えば、三原~広島間で蒸気機関車C62けん引の急行「安芸」が山陽本線でなく呉線を経由したのも同じ理由からである)。

 「ある機関助士」はこうした時代背景の下に生まれた。常磐線を走る急行「みちのく」を舞台に、鉄道の安全と定時性を両立させるため奮闘する機関車乗務員に密着。顔をススだらけにしながら、全身をバラバラに打ち砕かんばかりの過酷な騒音と振動のなかで、通常よりも調子の悪い「暴れ馬」を乗りこなしてついには遅れを回復し、ダイヤを定時に戻す鉄道員の生き様を圧倒的な迫力で描き出す。当時、国鉄の安全はガタガタだったが、その一方には「新人乗務員の運転訓練で、拙い運転操作をした者には助士席から教導運転士の蹴りが飛んでくる」と言われるほどの鉄道員魂と、それに裏付けられたバンカラな気風が現場にみなぎっていた。「ある機関助士」の誕生は土本監督の技量と着眼点もさることながら、こうした国鉄乗務員の魂あってこそ初めて可能になったと私は考えている。

「ある機関助士」の根底には、あくまで人間を重視する土本監督の思想が脈打っている。このような描写は、ある層の人々からは精神主義であり科学的でないと批判されかねないものだったが、そうした批判は初めから織り込み済みだったに違いない。土本監督自身が、「どう考えても、そのときの国鉄の状況で安全がPRできるとは思わないし、特に東北へ向かう常磐線は、東海道本線なんかに比べると、新しい安全装置の設置も遅れがちなわけで、だから同じ路線が安全であるという保障はない」「でも僕は同じ路線で安全を描かなければ趣旨に沿わないだろうと思った。事故を起こしたその路線がどうなっているかを描かないと」と語っていたことからもそれは明らかだろう。土本監督は、無理を承知の上で、あえて三河島事故の舞台となった常磐線を選び、そして精神主義に傾斜する不完全さを抱えながらも、真摯に職務に精励する職員の姿を通じて安全の尊さを極限まで描き切ることに成功したのである。

 一方で、英雄主義を排し、ひとりひとりの労働者に密着する土本監督の思想と手法は、支配層にとって受け入れがたいものだったのかもしれない。事実、「ある機関助士」のできあがり具合を見て国鉄上層部は公開をためらったとされる。最後には数々の賞を受賞したこともあって国鉄は公開に踏み切ったが、みずからが制作を依頼しておきながら国鉄のクレジットさえ挿入しない当局の姿勢に、この映画に対するスタンスをかいま見ることができる。その姿勢は、後述する「豪雪とのたたかい」の冒頭に「企画 日本国有鉄道」という誇らしげなクレジットが挿入されているのとあまりに対照的である。

 私はこの作品と出会ったことで、人間が鉄道記録映画の主役になりうることを初めて理解した。考えてみれば、どんなに優れた鉄道車両も結局は運転する人間があって初めて動くのだ。その単純な事実に気付こうともしなかった自分の視野の狭さを再認識させてくれた作品でもあった。

 土本監督自身、認識していたかどうか今となっては知る由もないが、「ある機関助士」は鉄道記録映画の世界に強烈なインパクトを与えたと思う。それ以前にも、「つばめを動かす人たち」(1954年、岩波映画製作所)のように、人間を主人公にした鉄道記録映画があるにはあった。しかしそれらの作品もまた、どこかニュース映画臭くて迫力に欠けていた。しかし、「ある機関助士」の公開と前後して、鉄道職員を主役にした優れた鉄道記録映画が世に多数出るようになった。北陸本線・今庄駅で455センチの積雪を記録し、まる1ヶ月にわたって北陸全域の鉄道が不通となった1963年北陸豪雪からの復旧作業を記録した「豪雪とのたたかい」(毎日映画社)や「僕はねぇ、機関士になりたかったんだよ!」という退職間際の駅長の声と蒸気機関車のドラフト音で始まる「駅」(1964年、岩波映画製作所)などは、今見ても作中の鉄道員たちがブラウン管からお茶の間に飛び出してきそうなほどの迫力に満ちあふれており、人間を主人公にした鉄道記録映画としては第一級の作品である。

 時代を超えて今なお語り継がれるこうした鉄道記録映画のほとんどは1955~65年の間に生み出され、鉄道ファンの間では概ねこの10年間が「鉄道記録映画の黄金時代」と言われている。その黄金時代の末期に「人間」を鉄道記録映画の主役へと押し上げるうえで決定的な役割を果たした人物こそ、土本典昭監督その人なのである。

 土本さんは79年の生涯を終え、旅だった。ご存命のうちに、ぜひ一度お会いして「ある機関助士」について心ゆくまで語らい合いたいという私の希望はかなわないままとなった。

このところ、国鉄闘争やその周辺で悲しい別れが続いている。2008年だけで、高岩仁監督、労働情報の石田精一さん、そして土本監督とかけがえのない仲間を失った。もし「プロレタリア映画史」というものがこの国にあるならば、徹底して労働者階級と弱者の側に立ち続けた高岩、土本両監督を失った2008年はこの国のプロレタリア映画史が終わった年といえるかもしれない。

しかし私は悲観していない。高画質のビデオカメラが廉価となったことで、誰もがビデオカメラを手に街頭に立ち、時代の記録をインターネットを通じて発信できるようになった。未曽有の貧困と命の危機のなかで、若者たちが従来の発想にとらわれない新たな闘いを生み出し、それがインターネットを通じて即時世界に発信され始めている。その闘いのなかから、新たな土本典昭は必ずや生まれてくるだろう。

 趣味的な鉄道記録映画の楽しみ方しか知らなかった若き日の私を社会派鉄道ファンへといざなった偉大な監督。英雄主義が大嫌いだった映画界の巨星は、みずからが撮り続けたレンズの中の労働者のように、最後まで飾らず、自然体で旅立った。土本さんらしい最期だった。

(2008/6/25・特急たから)

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

岩手・宮城内陸地震

2008-06-24 21:01:09 | 気象・地震
岩手・宮城内陸地震について少しだけ述べる。

この地震があったのは6月14日。マグニチュードは7.0だった。マグニチュードは1大きくなるとエネルギーが36倍になるから、7.9だった阪神・淡路大震災と比べてほぼ36分の1程度に過ぎないのだが、それでも地表の揺れが震度6強と極めて大きかったのは、震源が約10kmと浅かったからである。
気象庁プレスリリースを見ていただくとわかるが、今回の地震は断層同士が内向きに押し合って跳ね上がる逆断層型。いわゆる活断層型地震であり、三陸沖で近い将来発生が見込まれているプレート境界型地震とは全く発生のメカニズムが異なる。

つまり、今回の地震があったからもう三陸沖の地殻のストレスは解放されたとして警戒を緩めるのは全くの誤りだということである。三陸沖地震には今後も警戒しなければならない。

最後に、今回の地震で亡くなった方へ心から哀悼の意を表する。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

カテゴリ再編のお知らせ

2008-06-23 22:20:48 | 運営方針・お知らせ
カテゴリーを再編したのでお知らせします。

廃止したカテゴリー 
「音楽(著作権除く)」→「芸能・スポーツ」に統合
「著作権問題」→「IT・PC・インターネット」に統合

音楽はエントリ数も少なく、わざわざ別建てにする必要を感じないので、今後は「芸能・スポーツ」の一環として扱います。
著作権問題は、著作権ゴロたちのエゴ丸出しの振る舞いに嫌気がさしたので原則、今後は扱いません。当ブログでこれまで取り上げてきた著作権問題はほとんどデジタルコンテンツ絡みなので、今後、どうしても取扱わざるを得ない場合は「IT・PC・インターネット」カテゴリーとします。

新設したカテゴリー
「農業・農政」
バイオエタノール問題や食糧高騰など、今頃になって食糧危機がにわかに注目を浴びてきました(農業関係者の間では、この事態を20世紀末から予想していたのですが…)。
もともと農業関係が私の本職なので、今後は取扱いも増えると思います。食の安全問題も基本的にはこのカテゴリーとします。

分割したカテゴリー
「鉄道・旅行・交通問題」
「鉄道・旅行(趣味)」と「鉄道安全・総合交通問題」に分割。エントリ数が80を超え、あまりに増えすぎたための分割です。

旅行記や全線完乗ネタなど趣味的な話題は「鉄道・旅行(趣味)」で、鉄道を初めとする公共交通機関の安全問題や経営問題、交通政策などの硬派な話題は「鉄道安全・総合交通問題」で取り扱います。

結果として、廃止2、新設1、分割による増加1とし、カテゴリ総数は11でこれまでと変わりません。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

副都心線、日暮里・舎人ライナー

2008-06-15 23:06:04 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
所用で東京に行く用事があったので、昨日開業したばかりの13号線(副都心線)に乗ってきた。

私は有楽町線も市ヶ谷~和光市間が未乗車のままになっていたので、まず市ヶ谷に行き、和光市まで乗る。その後、和光市から副都心線で渋谷へ。暫定開業区間の全線を乗った。いずれ横浜まで伸びたときには、また乗りに来る。

続いて、山手線で日暮里へ出た後、3月に開業したばかりの東京都交通局日暮里・舎人ライナーへ。

東京近郊、それも住宅地である足立区方面に向かうとあって、そこそこの乗車率を保っていた。が、そもそも新交通システムで間に合うということはその程度の乗車人員しかないと言うことでもある。おまけに他線区と一切乗り入れできない。

私は、すでに廃止された桃花台新交通(ピーチライナー)という最悪の実例を見てきているので、新交通システムの未来にあまり希望が持てないのだが…

【完乗達成】東京地下鉄有楽町線、副都心線、東京都交通局日暮里・舎人ライナー

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

秋葉原で通り魔

2008-06-08 23:25:51 | その他社会・時事
秋葉原で通り魔、7人死亡=トラックではね、刃物で襲う-25歳男を逮捕・警視庁(時事通信) - goo ニュース

------------------------------------------------------------------
8日午後0時半ごろ、東京都千代田区外神田のJR秋葉原駅近くの路上で、トラックが人をはね、降りてきた男が刃物で次々と通行人らを刺した。警視庁万世橋署員が駆け付け、殺人未遂の現行犯で男を逮捕した。男女17人が負傷し、うち男性6人と女性1人の死亡が病院で確認された。逮捕されたのは、静岡県裾野市富沢、職業不詳加藤智大容疑者(25)で、警視庁捜査1課は同署に捜査本部を設置してサバイバルナイフなど刃物2本を押収。容疑を殺人などに切り替えて調べる。同容疑者は「人を殺すために秋葉原に来た。世の中が嫌になった。誰でもよかった」と供述。同日に静岡を出発したという。死亡した7人は19歳、20歳、29歳、33歳、47歳、74歳の男性と、21歳の女性。負傷者には警察官も含まれている。
------------------------------------------------------------------

「ついに起きた」…それが私の率直な感想だ。
アキバが純粋なオタクだけの街だった頃は、「この世界を理解できないものは来るな」と拒絶するような空気が街自体にあり、それが結果的に治安の維持に役立っていた。

しかし、マスコミが無意味な「萌え」ブーム、メイドカフェブームなどをあおったせいで、秋葉原独特の空気は維持したまま、一般人を拒絶する街自体のバリヤーが消滅してしまった。その結果、最近の秋葉原は無法地帯化し、「開脚アイドル」が逮捕されるなど、お騒がせ者を誘引しやすい空気が蔓延している。
悪い言い方をすれば「ここなら何をやっても許される」的ムードが蔓延していると思うのだ。

一般人が多く出入りするようになってから、秋葉原の治安の悪化を肌で感じていたし、私自身、たまに歩行者天国を歩くと、背後に殺気を感じてつい振り返ってしまうことが何度かあった。皮膚感覚で、いつかこんなことが起こりそうな気がしたが、現実になってしまった。

秋葉原の歩行者天国も、警察がやめる口実を探しているような空気がここ1~2年はあった。今回のこの事件で、いよいよ歩行者天国も終わりではないか。

殺害された方々のご冥福を切に祈る。

  • Twitterでシェアする
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする