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楢葉町の「中間貯蔵施設住民投票拒否」とその背景を考える

2014-01-30 22:57:24 | 原発問題/一般
道筋見えず、いら立ち 「中間貯蔵」楢葉、拒否の意向(福島民友)

楢葉町の住民投票条例案、再び否決 中間貯蔵施設めぐり(朝日)

「フクシマを核処分場にする計画」を改めて検証してみる(ブログ「反戦な家づくり」)

福島県楢葉町で、除染に伴って出る汚染廃棄物の中間貯蔵施設受け入れの是非を巡って住民投票を行うよう市民グループが求めていた問題で、楢葉町議会は請求を僅差で否決した。否決は昨年秋に続き2度目で、住民投票実施を求める声はまたも葬られた。

中間貯蔵施設を受け入れるかどうかを巡っては、福島県内世論も真っ二つに割れているように見える。「『低濃度』だから問題ない」「受け入れないと県内各地の除染が進まない」「候補地がゴネているから除染が進まないと受け止められる」として受け入れを容認(あくまで推進ではなく、消極的容認が大半だろう)する声の一方、「受け入れれば『県内を最終処分場にしない』との約束は反故にされ、最終処分地になる」「受け入れれば『危険』とのイメージができ、若い世代を中心に住民帰還が困難になる」として受け入れに反対する声もある。

当ブログは、従来から、予防原則の立場に立ち、少しでも発癌リスクを増やすおそれのある放射線被曝はできる限り低減すべきとの考えであり、この春にも避難区域解除が見込まれる「避難指示解除準備区域」(被曝量20mSv/年以下)を含め、住民は帰還すべきでないと思っている。避難・移住をできるだけ広く認めるべきだ。

中間貯蔵施設についての当ブログの立場を明らかにしておくと、現時点での設置は時期尚早と思っている。何よりも、福島県内でまことしやかにささやかれている「中間貯蔵施設ができれば除染が進む」論自体がかなり怪しい。国や県は除染で県内の空間線量が下がったと盛んに効果を宣伝しているが、福島原発事故で放出された放射性物質の中には半減期が2年と短いセシウム134が大量に含まれていた。除染など行わなくとも、自然減衰により3~4割程度、空間放射線量が減ることは当初からわかっていたことだ。それに対し、除染で放射線量が「低減した」といっても低減率は2~3割程度であり、自然減衰の影響か除染の効果か検証できない程度にとどまっている。

福島では森林除染が行われておらず、風雨のたびに山林から住宅地に放射性物質が流れ込んで除染の効果を見えにくくしている。それに、そもそも壊れた原子炉から環境中への放射能漏出が止まっておらず、放射性セシウムだけで1時間当たり1000億ベクレルもの垂れ流しが続いている現状で、除染がいたちごっこに過ぎないことは最初からわかっていたことだ。いわば「汚染の元を絶たないで汚れる端から掃除をしている」状況は、原発事故当初から何も変わっていない。これで「中間貯蔵施設ができれば除染が進む」とはとうてい考えられない(「作業としての除染」は進んでも放射線量の低減にはつながらないと言ったほうがより正確であろう)。にもかかわらず除染が続けられているのは、福島県内の雇用対策の部分が大きい。

2つ目として、中間貯蔵施設を受け入れれば最終処分場になることは確実だ。政府は「最終的には県外に汚染廃棄物を搬出できるよう法制化も検討する」と表明している。しかし、高濃度に放射能汚染されてしまった福島県内ですら受け入れ先がないものを他の地域で受け入れてもらえると考えるのは甘すぎる。政府が「初めは県外」と約束しながら、究極の迷惑施設であるためどこにも引受先が現れず、約束はやがて反故にされ、そのうち地元の人たちが「約束が違う」と怒り出す…つい最近も、そんな話を私たちはどこかで聞いた記憶がある。そう、沖縄における米軍普天間基地の「移設問題」と同じように、最終的には福島に固定化、という流れになるだろう。

そして、3つ目。当ブログが中間貯蔵施設設置に反対するのはこの理由が最も大きいが、もしこれを地元が認めれば、「受け入れるのは除染土のみであり、高レベル廃棄物はお断り」という約束を彼らは必ず反故にし、使用済み核燃料の処分場にするだろう。そして、使用済み核燃料の処分場が見つかれば、日本の原発は「トイレのないマンション」状態を脱するおそれがある。つまり、原発が永遠に止まらないという悪夢が待っているかもしれないのだ。

高レベル放射性廃棄物の処分については、すでに、内閣府原子力委員会からの諮問に対して、2012年9月、日本学術会議が「日本では長期にわたって安定した地盤がなく、地層処分は不可能。当面は一時保管とすべき」とする答申をまとめ公表している(こちら)。この面からも、日本学術会議の答申をいわば「錦の御旗」にして、中間貯蔵施設が「高レベル廃棄物最終処分場」に化けるおそれは十分にある。

当ブログ読者の中には、「いくら何でも、そこまで露骨なだまし討ちはあり得ないだろう」と、この期に及んでなおありもしない政府の「善意」を信じたい人もいるかもしれない。しかし、そうだとすると、当ブログにはどうしても拭い去ることのできない大きな疑問がある――中間貯蔵施設の設置場所が「帰還困難区域」である大熊町・双葉町はともかく、「避難指示解除準備区域」として(当ブログは反対だが)少なくとも国・県の基準ではじゅうぶん帰還が可能と考えられている「低線量」区域の楢葉町がなぜ中間貯蔵施設の候補地になっているのだろうか――? なにしろ、楢葉町の空間放射線量はこちらに掲載されているとおりであり、当ブログ管理人が昨年3月まで住んでいた福島県白河地域の放射線量とほとんど変わらないのだ。

ここで、以前、当ブログで一度ご紹介した「反戦な家づくり」というブログを再び想起してほしい――「フクシマを核処分場にする計画」を改めて検証してみると題する2011年5月21日付け記事の中に、驚くべき記述がある。

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■■ 最終処分場探しは、本気の本気で進められている

国の方針として、最終処分場は2020年には候補地を確定して、2035年ごろには操業開始 ということになっている。2020年に候補地を確定させるとなると、もう今頃はいくつかに候補を絞って、技術的な検討と地元説明に全力をあげなくてはならない時期だ。

しかし、これまで、高知県東洋町をはじめ、多くの町が手を上げたが、ほとんどは地元の反対でつぶれている。詳しくは、「環境と原子力の話」というホームページの中の、こちらに詳しくまとめられている。こんなに多くの動きがあったのかと、驚くばかりだ。

処分場誘致の動き

 
なかなか表沙汰にならない動きを、丹念にまとめられており、とても貴重な資料。この中で、注目すべきは、福島県楢葉町と、青森県東通村だ。

楢葉町は言うまでもなく福島第2原発のある場所。東通村は東通り(ママ)原発のある場所。いわば、毒を食らわば皿まで、ということ。なにせ、原発の地元は、極端に反対をしにくい場所だ。どんなことであれ、原発に歯向かうことは村八分になる。少なくとも、3月11日までは。

だから、多くの場所は何やかんや言いつつ、とりあえずは撤回や拒否という結論が出ているのに、この2箇所は拒否という結論になっていない。つまり、現役の候補地なのである。

この点を見ても、原発直下が最終処分場という考えは、荒唐無稽でも陰謀論でもなく、もっとも確率の高い候補地として進められてきたことがわかる。

(中略)

地図〔略〕の下の方に見える楢葉町が、2009年に「高ベル核廃棄物処分場」に立候補した町。今でもその時の町長が現役のはず。
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そう、楢葉町はなんと高レベル放射性廃棄物最終処分場の現役候補地だったのである。立候補したのは、記事にあるように2009年だ。中間貯蔵施設の候補地が帰還困難区域内とされた大熊町・双葉町を尻目に、楢葉町だけ低線量区域であるにもかかわらず中間貯蔵施設の候補地となった背景に、当ブログはこの問題があると見ている。国にとって、この手の迷惑施設を押しつける上で最も面倒なのは地元同意を取り付けることだが、「高レベル放射性廃棄物最終処分場候補地として、カネ欲しさに自分から手を挙げるような自治体であれば説得は容易」「地元同意のハードルなんて事実上ないに等しい」と国は考えているだろう。要するに楢葉町民は舐められているのだ。

もし、楢葉町が何らの抵抗もせず、唯々諾々と中間貯蔵施設を受け入れたらどうなるか。「高レベル放射性廃棄物最終処分場として、必ずなし崩し的に持って行かれる」と当ブログは断言できる。楢葉町が抵抗すれば、国は間違いなく恫喝してくるだろう――「お前たちは高レベル放射性廃棄物最終処分場候補地にみずから名乗りを上げたではないか。除染廃棄物程度の低濃度のものの受け入れに今さら反対するのか」と。そして、自分たちが原発を推進し、事故を引き起こした責任を棚に上げ、こうも言うだろう――「お前たちのエゴのせいで、福島の他の地域で除染が進まず、子どもを持つお母さんたちが被曝の恐怖に震えている」と。福島県民同士をいがみ合わせ、分断支配しようとする策動がまた始まるだろう。

だから、当ブログははっきり言う。少なくとも、国として脱原発の方針が確定するまでは、福島県内のいかなる市町村も「中間貯蔵施設」を受け入れてはならない。福島県民は一致団結し、「オール福島」として断固抵抗すべきだ。「高レベル放射性廃棄物最終処分場候補地にみずから名乗りを上げたお前らが、中間貯蔵施設に反対するのはおかしい」と国に恫喝されたら、楢葉町民はこう言ってやればよいのだ。「立候補した2009年当時と3.11以降は違う。小泉純一郎でさえ180度変わったのだから、俺たちが変わって何が悪い」と。

将来、日本が国として、決して後戻りすることのない揺るぎない脱原発の方針を決めたら、そのとき、放射性物質の処分場を帰還困難区域に置くことは、放射性物質の拡散防止の観点からやむを得ないと思う。その時にこそ、帰還困難区域を抱える県内自治体は、胸を張って処分場を引き受ければいい。

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強烈な既視感、そして「失われた20年」~日本政界を概観して

2014-01-25 22:02:46 | その他社会・時事
(当エントリは、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2014年2月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 ●時代が1周し、元の木阿弥?

 新しい年、2014年が始まったが、どうも筆者の気分は冴えない。昨年末に悪名高い秘密保護法が成立したことももちろんその原因のひとつだが、昨年夏の参院選で自公与党が過半数を回復、「ねじれを解消」してからというもの、筆者は、安倍政権下の政界風景に強烈な既視感(デジャヴ)を感じるのだ。

 『(2013年は)2000年代に見ていた夢から醒めることを余儀なくされ、変わることを拒否する日本社会/日本人の無意識の力の強さを再認識した年』ではなかったか――そう訴えるのは、著名ブロガーのSeaSkyWindさんだ。彼は、『それがはっきりと現れたのは、何より政治分野』であるとして、以下のように続ける。

 『55年体制と言われた自民党一極支配体制を変革するべき、という有権者の願いは、一旦は民主党への政権交代という形で実現したが、まだ立ち上がったばかりで本来多少時間をかけて育てて行くべき新政権は、ヨチヨチ歩きを始めた途端に『東日本大震災』という未曽有の大事件に巻き込まれた不幸もあり、また、外交的にもあまりの未熟さを露呈し、あっという間に潰えてしまった。その結果、55年体制ではまだ最低限維持されていたとされる、野党の最後の拒否権(憲法改正に対する拒否権等)も霧散してしまったし、さらに言えば、自民党の中味も、かつてのような強力な派閥がなくなったことの負の側面が表面化して、外交等舵取りが拙い印象の強い現首相のバランサーがいなくなっているという意味で、旧体制以上に危うい存在になってしまっている。

 昨年末に大きな騒ぎになった特定秘密保護法など、過去の自民党なら、まず自民党内部でもっと反論が出て喧々諤々の議論になったと思えてならない。原発の再稼働問題にしてもそうだ。皮肉なことに、政界を引退したはずの小泉元首相が原発再稼働反対を主張して注目されているが、これなど、かつてなら自民党内部で議論され、党内で解決されていたのではないのか。もちろん、かつてのような派閥政治の復活を望むわけでは決してないが、バランサーを欠いた今の自民党の危うさは返す返す気になる』。

 もちろん、こうした意見には賛否両論があるだろう。特にメディアの罪は大きいと筆者は考えている。秘密保護法案が国会に上程された11月下旬以降、各メディアは反対の論陣を張ったが、そもそも衆参「ねじれ国会」当時、政府・財界の意向を受け「決められない政治からの脱却」を散々訴えたのは他ならぬメディアではなかったか。安倍政権の数に任せての暴走は、メディアが訴えてきたとおりの状況になったからこそもたらされたものではないのか。「数の横暴」「強行採決」と批判するなら、まず「決められない政治からの脱却」を煽ってきたことに対するメディア自身の総括が必要だ。

 衆参両院で自公与党が過半数を回復したことにより、政治改革はもとより、政権交代への展望も急速にしぼんだように思う。秘密保護法を審議する国会では、他にポイントを稼ぐところがない野党側が、テレビ映りを意識してここぞとばかりに居丈高に追及、どのような問題の多い対決法案でも最後には成立するとわかっている政府・与党側はそのときだけ平身低頭の姿勢で「政府としては、皆様の意見を真摯に受け止め、しっかりと御説明をして参りたい」などと答弁することが多かった。こうした姿は、55年体制下においては日常的に見られたものであり、政権交代がないことを前提にするならきわめて合理的な国会審議といえる。巨大な政府・与党と、それを追及する何でも反対の抵抗野党――ねじれ国会の解消は、1強多弱といわれた55年体制の再来のようだ。

 冒頭に紹介したSeaSkyWindさんの意見に、筆者は全面的でないとしてもおおむね同意できる。自民党に代わる政権交代可能な新たな保守・中道政党を作るという試みは、1993年に成立した細川政権と、2009年に成立した民主党政権の挫折により大きく後退させられてしまった。そのときのキーパーソンだった細川護煕元首相が今、「脱原発」の東京都知事選候補者としてクローズアップされていることに筆者は運命の皮肉を感じる。20年で時代がぐるり1周し、再びあのときの「殿」のお成り…というのでは、やはりこの間は失われた20年であったのかと思わざるを得ない。

 フランスでは2012年、社会党のオランドが国民運動連合(保守)のサルコジを破り、政権の座に就いたが、「左翼政権」成立後もシリアへの軍事介入に積極的な態度を見せ、また、マリ共和国や中央アフリカに対しては実際に軍事介入を続ける同国の姿勢を見ていると、「政権の枠組み」論だけで明日にも私たちの望む政策が実現するかのような誤った政治的評価は慎まなければならないことが理解できよう。私たち自覚した市民による、院外における大衆闘争・直接行動のみが未来への扉を開くのであり、政権交代が遠のいたからといって、私たちがいたずらに展望を見失うことは避けなければならない。

 とはいえ、自民党に代わる政権交代可能な新たな枠組みを作るという試みそれ自体は否定すべきでない。そうした試みの中から「よりまし」な政権の枠組みが生まれることはあり得るからだ。ただ、政策よりも「人」が重視される現在の野党陣営の離合集散の中からは、「よりまし」な政権の枠組みすら展望できない。このままでは、おそらく20~30年後も「自民党に代わる新たな野党」が模索され続けているであろう。

 筆者がそのように断言できるのは、自民党とはなにか、そしてそれが日本の政治・行政の中でいかなる役割を担ってきたのかに関する科学的考察を彼らが全く欠いているからである。「彼を知り己を知れば百戦殆(あや)うからず」(孫子)という言葉があるが、自民党を倒したいと願うなら、まず「彼を知る」ことから始めなければならない。

 何度失敗を繰り返しても学習せず離合集散ばかりを繰り返す進歩のない野党陣営に代わり、本稿筆者が大胆に自民党政権の分析を試みることにしよう。

 ●自民党は果たして「政党」なのか?

 『(2009年)8月選挙での自民党政権の敗北とは、保守二大政党間の政権交代というものではなくて、戦後政治支配レジームの解体と捉える必要があると考えている。50年にわたって続いた自民党支配とは、長期にわたって存続した特定の国家体制――自民党と国家機構が制度的に癒着した体制――を表わしていた。自民党とは、この国家体制のつくりつけの装置であった。それは、政権交代を前提にした政党ではなかったのである。自民党は、メキシコを半世紀以上支配した制度的革命党や、ほとんど国家そのものと同一視された1947~77年のインドの国民会議派、スハルト独裁と一体化したインドネシアのゴルカル体制、いや中国における中国共産党支配とさえ共通点をもつ政治的支配制度そのものであった…(中略)…自民党はアメリカの民主、共和両党やイギリスの保守党、労働党のような二大政党の一極としての政党ではなく、戦後国家に作りつけの統治装置として存在していたことから、それを倒して成立した民主党政権は、一方において、この装置全体への選挙民の不信と拒否の受け皿として信任されたと同時に、逆説的に、自民党を取り外した姿でのこの装置の相続人として、その形式をそのまま引き継いだという点に注目すべきであろう。…(中略)…民主党はしたがって過渡的政党であり、民主党政権は過渡的政権であろう』

 これは、『季刊ピープルズ・プラン』第49号(2010年春号)に掲載されたピープルズ・プラン研究所の武藤一羊さんによる論考である。2009年夏の政権交代による鳩山政権成立から半年経った頃のものだ。自民党を、欧米各国の2大政党体制における「2大政党の1極」とみなすのではなく、自民党そのものを国家権力機構の一部と見る考え方は、割合多くの識者から指摘されており、武藤さんや本稿筆者が初めてではないと思う。武藤さんが指摘するように、日本における自民党は、欧米資本主義各国の政党のように、政権交代を前提として作られたものではない。武藤さんは件の論考中で触れていないが、むしろそれは、東西冷戦の中「反共の防波堤」として日本を機能させるために考案された装置であった。日本社会党に政権が渡り、日本が社会主義化はしないまでも「反共の防波堤」としての機能が大幅に低下することを怖れた日米支配層の政治的意思を反映する形で保守合同が行われたのが1955年であり、その経緯からしても自民党とは政権交代させないために考案された日本官僚支配システム「つくりつけの装置」と見なければならないのである。

 冒頭に少し触れた国会における法案審議のあり方など、政権交代をむしろ当然の前提とする欧米各国の常識では不可解な出来事の多くも、この考え方に立てば容易に説明がつく。自民党政権下の日本では、政府提出法案が成立するかどうかを予測するには、国会よりも自民党内の担当部会での審議を見るほうが正確だった。自民党内に、中央省庁に対応したいくつもの部会が置かれ、族議員を中心にその分野に詳しい議員が所属。賛成派、反対派の両方が存在する部会では、政府提出法案に対し、激しい意見が闘わされる。議論に一定の時間を費やした段階で、部会長が一任の取り付けをはかり、ここで一任が取り付けられた場合には、部会長が党執行部に報告。法案提出となり、国会では部会で反対した議員も一丸となって成立に全力を尽くす。一方、部会長が一任取り付けに失敗した場合も党執行部に報告するが、この場合、政府法案の国会提出は見送られる。法律に全く根拠のない、与党によるインフォーマル(非公式)な形での法案事前審査だが、事実上この事前審査が政府提出法案の生殺与奪を握っていたから、官僚は自民党の担当部会で了承を取り付けるために必死で法案を練り、説明に奔走した。官僚からは、自民党単独政権の時代のほうがむしろ法案の審査は厳しかった、との声すらある。

 こうした法案成立過程を見ていると、武藤さんが自民党政権の特質の中に中国共産党政権との類似性を見たのにもうなずける。旧ソ連をはじめとする社会主義国の1党支配体制の下では、実質的に法律案を決めるのは党政治局であり、議会(旧ソ連では最高会議、中国では全人代)は実質的な追認機関に過ぎなかった。

 2009年に政権から転落するまで、自民党のホームページのトップに「デイリー自民」というコーナーがあり、各担当部会での法案審査の概要もここで公表された。しかも公表はたいていの場合、マスコミが報道するよりも早かった。こうした事実を知っている筆者からすれば、政府提出法案に対する党の方針、いやそれどころか党の基本政策さえいつ、どこで、誰によって決まったのかわからないまま事が進んでいく民主党政権のあり方は問題外であり、揺籃期にあったとはいえ民主党政権の稚拙さを印象づけるにはじゅうぶんだった。

 ●今に生きるサルトーリの考察

 筆者が、少なくとも戦後では最も有能な政治学者として評価している人物のひとりにジョヴァンニ・サルトーリ(イタリア、1924年~)がいる。世間を納得させ得る「政党制の類型化」に世界で初めて成功した人物だ。サルトーリによれば、世界の政党制は以下のように分類できる。

 ◇非競合的政党制
  一党制…1政党のみの存在が許されているもの
  ヘゲモニー政党制…特定の1政党の支配権が法的制度的に保障されているもの
 ◇競合的政党制
  一党優位政党制…政党間の自由な競争が許されているにもかかわらず、長期間1党支配が続き、政権交代がないもの
  二大政党制…並立する2大政党が政権交代しながら競い合うもの
  穏健な多党制…政党間のイデオロギーの差異が小さい多党制で、各党が競争しながら連立して政権を構成するもの
  分極的多党制…政党間のイデオロギー距離が大きく多極構造をもつ多党制

 一党制は、共産党のみ存在が許されていた旧ソ連が典型例である。ヘゲモニー政党制は、武藤さんが考察したインドネシア・スハルト政権下における与党ゴルカルや、中国共産党支配体制がここに含まれる。中国の政治体制を一党制に含めないのは、中国共産党以外に8つの合法的な衛星政党(民主諸党派)が存在するからである。朝鮮民主主義人民共和国の政治体制も、朝鮮労働党以外に2つの衛星政党が認められている点で、一党制ではなくこちらに属する。ただ、中国や北朝鮮の衛星政党は、いずれも支配党を補完するためのもので、党の運営資金は支配党(中国共産党、朝鮮労働党)から支給されており、また支配党に挑戦したり、取って代わったりすることは認められていない。

 注目すべきなのは「一党優位政党制」だ。政党間の自由な競争が許されているにもかかわらず、長期間1党支配が続き、政権交代がないものをこのように命名した上で、サルトーリは一党優位政党制の典型例として、インドの国民会議派政権と並び、日本の自民党政権を挙げている。

 ヘゲモニー政党制と一党優位政党制は、複数の政党が存在する中で、どちらも特定の1つの政党が長期間政権を担当し続ける点において表象的には同じもののように見えるが、この2つの違いは「特定政党による長期単独支配が法的制度的に保護されているか否か」がポイントであるとサルトーリは述べている。なぜ一党優位が発生するかについて、筆者は有力な資料・文献にたどり着けていないが、「与党は与党であることそのものが有利に作用し、次の与党の立場が準備される」のであり、野党もその逆と考えるのが適切であろう。長く与党の座を続けていれば、有能な人材も資金も情報も与党に集中するようになる。そのことが一党優位の源泉になるのだと考えられる。

 政党制の類型化に世界で初めて成功した政治学者の見解でも、日本の自民党政権は欧米各国の2大政党制とは似て非なるものである。現代日本の政治体制のまま2大政党制を確立することは困難であることが理解できよう。

 ●野党も果たして「政党」なのか~院内集会の風景から

 サルトーリが例示するほど世界的に見ても特徴的な一党優位政党制である日本で、野党はいかなる役割を果たしているのか。筆者の見解では、市民団体と官僚の仲介役以上の役割は果たしていないように思われる。

 最近、国会内では毎週のように様々な院内集会が開かれているが、そうした風景を見ていて思うのは、院内集会が「何も知らない政治家に、自覚し学習した市民が一方的に教えてあげる場」「市民が直接官僚を引きずり出し追及する場」になってしまっていることだ。本来であれば、選挙を通じて選ばれた政治家が市民を越える知識と知恵を持ち、行政(官僚)と市民をつなぐ存在として機能していなければならないが、院内集会でしばしばこうした風景が見られる背景に政治家と政党の機能不全があることは指摘しておかなければならない。

 政権に長期間参加できない野党の国会議員の中には、こうした院内集会の仲介や参加がむしろ本来の仕事に近い状況になっている人も多いが、国会議員が国会で政府を追及できず、市民が官僚を引きずり出す場としての院内集会をセットしたり、参加する市民に後ろからついて行ったりするだけの状況は嘆かわしいことこの上ない。この程度の国会議員に歳費を支払うこと自体が税金の無駄遣いレベルであり、市民が官僚を直接追及できるほど勉強し力をつけている現在、このままでは国会議員不要論さえ起こりかねない。

 ●自民党を倒すと日本が倒れる?

 与党は統治機構の一部を成す「つくりつけの装置」として、またこれに対する野党は院内集会をセッティングする存在としてしか機能せず、自民党・官僚が一体化した「日本というシステム」と市民が直接対峙し交渉するのが日本の政策決定の実態であることをこれまでに見てきた(ここで筆者のいう広義の「交渉」には政策決定時におけるパブリック・コメントへの意見提出、電話・FAXによる抗議など、およそ政策決定に影響を与えようとするすべての行為が含まれる)。こうした事実を検証すれば、みんなの党や「結いの党」、生活の党や日本維新の会などが繰り広げている空騒ぎのレベルではどうにもならないことが理解できるであろう。起きている事実から一定の推論を導く本稿のような冷静な検証を欠いたまま、「誰を親分として立てるか」のみに心を奪われている彼らが自民党を倒すことなど、おそらく100年後も不可能である。では、どうすれば自民党を倒せるのか?

 もう一度、冒頭の武藤さんの論考に戻ろう――もし彼の言うように、自民党が「国家体制のつくりつけの装置」であり、「中国共産党支配とさえ共通点をもつ政治的支配制度そのもの」であるならば、自民党支配が倒れることはそのまま、日本国憲法に依拠してきた戦後日本体制の崩壊につながるであろう。共産党一党支配を解体した瞬間ソ連そのものが消滅したように、自民党政権の墓場はそのまま戦後日本体制の墓場になるであろう。半世紀にわたって日本を支配し続け、戦後日本そのものでもあった自民党を倒すのはそれほどの難事業であり、もはや戦後日本体制もろとも彼らを吹き飛ばすことでしか解体は不可能である。

 自民党政権による長期1党支配を可能ならしめた要因のうち上記は政治的なものだが、武藤さんはまた、経済的側面からも自民1党支配を考察している。そこではこのように述べられている――『このような支配を裏付けたのは戦後日本資本主義の一国主義的資本蓄積様式――日本国領土を生産・輸出基地とする蓄積様式――であったから、1980年代に開始され、90年代に大波のように日本を巻き込んだ世界資本主義の新自由主義的グローバル化は、この国民統合の前提を掘り崩さないわけにいかなかった。そして2001年に登場した小泉政権は「構造改革」という名におけるグローバル化と、民営化による福祉と公共サービスの解体を推進し、自民党体制の国民統合基盤そのものをあえて破壊した。小泉はこの「改革」への「抵抗勢力」は粉砕する、そのためには自民党をぶっ壊してもいいと宣言した。そしてその通り、自民党はみずからの基盤をぶち壊し、自壊の道に入った』。

 自民党が一貫して追求してきた公共事業による「土建国家体制」「ゼネコン資本主義」は、まさにこの戦後日本資本主義の一国主義的資本蓄積様式だったのだと改めて理解した。そしてアベノミクスは明らかに、日本経済が世界経済に組み込まれグローバル化した現在では実現不可能となったこの方式に回帰しようとしている。

 そこにまで考えが至り、私は改めて、ああなるほど、と膝を打った。過去2回の国政選挙――2012年衆院選、2013年参院選における安倍自民のスローガンがなぜ「日本を、取り戻す」であったのか。そして、実現不可能な「過去モデル」に戻ろうとしている安倍自民の前に、なぜ今になって突然、小泉純一郎が立ちはだかったのか。ようやく全容を理解できたような気がする。

 武藤さんの論考が正しいとするならば、戦後日本体制は風前の灯と見るべきであろう。まもなく日本版「ソ連消滅」の日が訪れるであろう。ソ連崩壊を巡るエピソードのひとつとしてチェルノブイリ事故が添えられたように、戦後日本体制もろとも自民党政権が消滅するとき、福島事故がエピソードのひとつとして添えられるであろう。

 おそらくあと数年経てば、政権交代よりも、むしろ「ポスト戦後日本体制」をにらんだ新しい時代への胎動が始まると筆者は予測する。私たちはその新しい時代に備えなければならない。大企業・財界や右翼の立場ではなく市民の立場で、第2次世界大戦と侵略戦争の反省に立った「不戦の誓い」、そして日本国憲法が残してくれた民主主義的諸権利を、どのようにして新しい時代に引き継ぐのかを構想しなければならない。いざそのときが来て慌てふためくようでは、「旧ソ連時代のほうが良かった」と過去を回顧するロシアと同じになりかねないと思うから。

<参考文献・資料>
・2014年年頭所感/2013年総括および2014年の抱負(SeaSkyWindさんのブログ)
・鳩山政権とは何か、どこに立っているのか―自民党レジームの崩壊と民主党の浮遊(武藤一羊さんの論考、『季刊ピープルズ・プラン』第49号(2010年春号))

(2014.1.19 黒鉄好)

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「JR北海道の安全と北の鉄路を考える1.22道民のつどい」報告

2014-01-25 20:38:32 | 鉄道・公共交通/安全問題
1月22日、「JR北海道の安全と北の鉄路を考える1.22道民のつどい」(主催:北海道交運共闘・道労連)が札幌市内で開催され、200人(主催者発表)が集まりました。この参加者数は主催者の予想をはるかに超えたようで、会場に用意されていた座席は100人分ほど。参加者の約半数が後方で立ち見という気の毒な状況でした。直前に地元紙・北海道新聞で報道されたことが大きかったようです。尼崎事故の起きた4月に、毎年、追悼と検証のための集会が数百人規模で開催されている関西地方を除けば、国鉄闘争終了後、JR問題でこれだけ集まった集会は初かもしれません。

なお、この集会の報告記事を、レイバーネット日本安全問題研究会の各サイトにアップしました。どちらも同じ内容で、どちらでも見ることができますが、安全問題研究会のサイトでは、この集会のプログラムや各発言者のレジュメもダウンロードできますので、これらの資料をご希望の方は、安全問題研究会サイトからご覧ください。

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【福島原発告訴団よりお知らせ】汚染水に関する告発が福島県警に受理されました

2014-01-22 22:55:15 | 原発問題/一般
「汚染水」2度目の告発受理 県警が申立人6042人追加(福島民友)

第二次汚染水告発 正式受理!(福島原発告訴団のブログ)

上記リンク先サイトにあるとおり、2013年12月18日に行った福島原発告訴団による汚染水問題での刑事告発が、福島県警によって受理された。第1次、第2次の告発人数は合計で6045人。告発容疑は「人の健康に係る公害犯罪の処罰に関する法律」違反。広瀬直己社長ら現・旧幹部32人と、法人としての東電に対する責任を追及している。

強制捜査も行うことなく東電を不問に付した腰抜け検察の悪しき前例にとらわれず、福島県警には厳正な捜査を要望する。

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「祝婚歌」の詩人・吉野弘さん死去 

2014-01-21 22:59:24 | その他社会・時事
詩人の吉野弘さん死去 「祝婚歌」など(朝日)

詩人の吉野弘さんが死去した。吉野さんといえば、「祝婚歌」という詩で知られており、この詩は今もなお、新たな門出をする新郎新婦の前で、上司や先輩などが朗読することも多い。吉野さん自身が、生前、自由に使用してくれてかまわない、という趣旨の発言をしており、ここで、祝婚歌をご紹介させていただくことで追悼に代えたい。

祝婚歌

二人が睦まじくいるためには
愚かでいるほうがいい
立派過ぎないほうがいい

立派過ぎることは
長持ちしないことだと
気づいているほうがいい

完璧をめざさないほうがいい
完璧なんて不自然なことだと
うそぶいているほうがいい

二人のうち どちらかが
ふざけているほうがいい
ずっこけているほうがいい

互いに非難することがあっても
非難できる資格が自分にあったかどうか
あとで疑わしくなるほうがいい

正しいことを言うときは
少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは
相手を傷つけやすいものだと
気づいているほうがいい

立派でありたいとか
正しくありたいとかいう
無理な緊張には色目を使わず
ゆったりゆたかに
光を浴びているほうがいい

健康で風に吹かれながら
生きていることのなつかしさに
ふと胸が熱くなる
そんな日があってもいい

そしてなぜ 胸が熱くなるのか
黙っていてもふたりには
わかるのであってほしい

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函館市、自治体初の原発建設差し止め訴訟へ

2014-01-18 22:29:40 | 原発問題/一般
函館市、大間原発差し止め3月提訴 国・電源開発に 自治体初の訴訟(北海道新聞)

函館市が、対岸の青森県で建設が進む大間原発の建設差し止めを巡って、3月に提訴する意向を固めた。提訴の意向は原発事故直後からあったようだが、工藤市長はかなり優柔不断で、決断できないままここまで来てしまった。東京都知事選で脱原発が争点といわれる今を逃せば、チャンスは失われるとの判断だろう。

函館市は、大間原発の予定地である下北半島の突端から、直線距離で約20km。福島第1原発を基準にすれば、南相馬市、浪江町などの地域に相当する。しかも、海を隔てているとはいえ、いざそのときが来た場合、放射能の飛散を防ぐ山脈などの障害物は何もない。風向き次第では、飯舘村(30~40km圏)以上の悲劇が予想されるにもかかわらず、立地自治体として扱われることもなく、意見表明をする道は閉ざされてきた。原発から80km圏内の白河地域に住みながら、高い放射線量に苦しんできた当ブログの経験からも、司法判断を仰いででも建設を阻止したいとの市長の思いはよく理解できる。当ブログは、函館市の訴訟を全面的に支持する。

<写真は、函館市の観光名所・二十間坂の女神像。「大間原発無期限凍結!」のたすきが掛けられ、観光客の人気となっている。>

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金曜官邸前行動に宇都宮健児氏~そして、都知事選を考える

2014-01-17 23:07:00 | 原発問題/一般
1月17日、金曜恒例の首相官邸前行動(首都圏反原発連合主催)に、東京都知事選に立候補を表明している宇都宮健児さん(元日弁連会長)が訪れ、スピーチをした。宇都宮さんは「無力な人はいくら集まっても無力だが、微力は集まれば大きな力になる。私たちは微力だが無力ではない」と、脱原発に向けた結集を呼びかけた。

宇都宮けんじさんの発言~1.17「再稼働反対」官邸前行動


小泉元首相の後押しを受け、細川護煕元首相が脱原発候補として「事実上の立候補を表明」しているが、ポスターには細川氏の氏名のみ、未だ公約集も作成できず、出馬表明の記者会見も開けない状況にある。細川氏が脱原発以外の基本政策についてどのような見解を持っているのかは全くわからない。当ブログはとても細川氏を推す気にはなれない。

そもそも、猪瀬前都知事に対する徳洲会グループからの5000万円「借り入れ」が問題になったあとの出直し都知事選に、東京佐川急便から1億円を受け取った元首相を出馬させる意図が不明だし、今に至る民意の全く反映しない国会を作り出す原因となった衆議院への小選挙区制導入は細川政権が決めたものだ。その後、国民の大半が寝ている深夜に突然、公約になかった「国民福祉税」導入を発表するという「だまし討ち増税」を決めた。挙げ句の果てに、東京佐川急便からの「疑惑の1億円」を受け取り、勝手に政権を投げ出した。細川氏のせいで、自民党政権を倒すという政治改革は道半ばで挫折し、日本国民はその後復活した自民党政権による新自由主義路線の本格化の中で格差と貧困のどん底に突き落とされた。今、もし私に「日本を悪くした10人の政治家(平成編)」という本を書かせてもらえるなら、間違いなくその10人に細川氏は入る。

このような正体不明の人物を、弁護士の河合弘之氏とルポライターの鎌田慧氏を中心とする市民団体が支援し、31人もが名前を連ねているという(参考記事)。本当にそれでいいのか。脱原発さえ実現すれば、弱者切り捨て、福祉・教育破壊、新自由主義の小泉首相の支援を受ける候補でいいのか。関係者(特にここで名指しした人物)には、当ブログとして強く、再考を求める。

「マルチイシュー(複数争点)では闘えない。脱原発のシングルイシュー(単一争点)でなければならない」という考えも相変わらず強いが、当ブログはこの考え方にも異議を唱えたい。昨年末、秘密保護法に反対して開かれた東京・日比谷公園の集会では、原発、労働運動、生活保護、沖縄、TPP(環太平洋経済連携協定)、人権、憲法、反戦とあらゆる分野から安倍政権に抗議する発言が行われた。すべての分野から秘密保護法の危険性を指摘し、反対する闘いの中で、マルチイシューかシングルイシューかという論点には決着がつけられたと当ブログは考える。

正確性には定評のある自民党情報調査局による情勢調査で、細川氏よりも宇都宮氏のほうに勢いがあるとの結果が出た、との報道もある(ソースは失念したが、某週刊誌の報道による)。当然だろう。「発言は脱原発に関する内容のみ、労組・団体旗は禁止、政党党派お断り」のシングルイシュー路線が幅を効かせていた一昨年~昨年から情勢は根本的に変化した。暴走する安倍政権による「悪政全面展開」と、これに対抗する市民の闘いの「全面展開」が激突しているのが現在の状況だ。そうした情勢認識を欠いたまま、都知事選でもシングルイシュー路線を走る細川グループは、「国政レベルの問題であるエネルギー政策は地方選にふさわしくない」との政府与党、原発推進派の前に瓦解するであろう。

もちろん当ブログは、「地方選だから原発政策を問うてはならない」などと主張するつもりはない。東京は長い間、「危険物」である原発を福島や新潟に押しつけ、そこから送られる電気で贅沢な生活を享受してきた。福島原発事故は、加害者(都市)と被害者(地方)という構造を最も先鋭的な形で私たちに突きつけた。なにしろ、東電は自社の営業エリア内に1基も自社の原発を持たないのだ(東電管内にある茨城県・東海第2原発は日本原子力発電が所有しており、東電のものではない)。

これほど露骨な差別がどこにあるだろうか。東京と地方の差別が語られるとき、沖縄に75%が押しつけられている米軍基地のことが決まって引き合いに出される。しかし米軍基地は東京にも存在する(横田基地)。ある意味で、原発の差別構造は米軍基地以上だとすら言えるのである。

東京都知事選で、原発・エネルギー問題が主要争点のひとつになることはかまわない。いやむしろ、上記のような理由から、東京でこそ原発問題は問われるべきだと考える。ただしそれには条件がある。「東京の加害者性」を前面に打ち出すことだ。人は誰でも自分の過ちを直視するのは避けたいと思う。しかし、「国政レベルの問題であるエネルギー政策は地方選にふさわしくない」という批判をかわすためには、東京でしか問えないことこそ前面に打ち出すべきである。2012年11月15日--福島原発告訴団による第2次告訴の日、告訴団関東事務局で告訴人のとりまとめに当たってきたある事務局員はこう述べた--「(電力消費地に住む)加害者としての責任を感じ、活動に取り組んだ。立件を心から祈っている。告訴が国を動かす力になってほしい」と。だからこそ、当ブログは電力消費地としての東京の加害者性を正面から問う、という条件が満たされる限りにおいて、原発・エネルギー問題の争点化に同意する。

2012年からの3年間で都知事選はすでに3回目だ。そのこと自体が、東京のかつてない政治的混迷と混乱を象徴している。この国の首都をこのまま東京に置き続けて大丈夫なのかという根本的疑問すら生じさせるほどだ。そのような混迷と混乱の中で、東京都知事に最もふさわしいのは誰か。オリンピックという巨大な利権がうごめく首都の舵取りを誰に任せるべきなのか。私たちは今こそ原点に立ち返ってこの問題を考えるべきである。2012年11月に発表された、前回都知事選の際の宇都宮氏の支持母体「人にやさしい都政を作る会」の声明文をいま一度思いだそう。

『<声明> 私たちは新しい都政に何を求めるか(一部抜粋)

どのような都知事を私たちは求めるか。

第一は、日本国憲法を尊重し、平和と人権、自治、民主主義、男女の平等、福祉・環境を大切にする都知事である。

第二は、脱原発政策を確実に進める都知事である。石原知事は、原発問題を「ささいな問題」と呼んだが、冗談ではない。東京都民は福島原発からの電気の最大の消費者であり、東京都は東京電力の最大の株主だ。福島原発事故の結果、豊かな国土が長期にわたって使えなくなり、放射能汚染による被害は、むしろこれから顕在化する。原発事故と闘い、福島をはじめとするこの事故の被害者を支えることは東京都と都民の責任である。これまで原発推進政策を推し進めてきた政官業学の原子力ムラと闘うことは、この国の未来を取り戻すことである。政府、国会、経産省、東電を抱える東京での脱原発政策は、国全体のエネルギー政策を変えることになる。

第三は、石原都政によってメチャメチャにされた教育に民主主義を取り戻し、教師に自信と自律性を、教室に学ぶ喜びと意欲を回復させる都知事である。

第四は、人々を追い詰め、生きにくくさせ、つながりを奪い、引きこもらせ、あらゆる文化から排除させる、貧困・格差と闘う都知事である。

以上のような都知事を私たちは心から求める。このような都知事を実現するため、私たちは全力で努力する。』

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JR北海道の相談役(元社長)、自殺か

2014-01-15 23:29:09 | 鉄道・公共交通/安全問題
JR北海道の相談役、遺体で発見 北海道・余市港(朝日新聞)

JR北海道の相談役で元社長の坂本真一氏と見られる遺体が小樽沖で発見され、本人と確認された。JR北海道役員の自殺は、2011年、石勝線特急列車トンネル火災事故直後に起きた中島尚俊社長に続き2人目だ。JR北海道は、わずか2年半の間に役員2人がみずから命を絶つという異常事態を迎えた。

「国鉄改革は成功」「成果があった」などと今なお寝言を言い続けている人たちに、当ブログは問いたい。JR西日本では無罪となったものの、福知山線脱線事故を巡って歴代の社長のうち4人が被告席に座った。JR北海道では歴代社長のうち2人がみずから命を絶った。

JR北海道で今、レール検査データの改ざんが問題になっているが、JR東日本は信濃川からの取水量を少なく見せるため、信濃川発電所に設置した流量計を改ざんしていたことが2008年に発覚。JR西日本でも、航空・鉄道事故調査委員会報告書の内容を書き換えさせるため、山崎前社長(当時)が事故調委員に働きかけていたことが2009年に判明している。JRグループ全体で「事故と改ざんと自殺」が年中行事になっている。日本中見渡しても、こんな異常事態に見舞われている企業はない。これでも「国鉄改革は成功」なのか。

やはり、JRグループ全体に、メスを入れるときが来たと感じる。

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JR北海道レール検査データ改ざん問題、国交省が史上初の「監督命令」へ

2014-01-14 23:50:35 | 鉄道・公共交通/安全問題
JR北海道社員「危険認識しながら放置」 データ改ざん、国交省は監督命令検討(北海道新聞)

JR北海道によるレール検査データの改ざん問題で、国交省がJR会社法による史上初の「監督命令」を出す方向で検討中との報道が行われている。北海道新聞の報道は上記リンク先の通りだが、道内メディアの中にはすでに決定事項のように報じているところもある。鉄道事業法による事業改善命令と併せて出される見込みだが、JR会社法による監督命令が出されれば、国鉄分割民営化でJRが発足して以来初の不名誉な事態となる。

JR会社法とは正式には「旅客鉄道株式会社及び日本貨物鉄道株式会社に関する法律」といい、現在はJR北海道、四国、九州、貨物の4社のみが適用を受ける特別法だ。とはいえ、JR会社法に基づく「監督命令」と、鉄道事業法に基づく事業改善命令がどのように異なるかについて、説明ができる人は多くないだろう。なにしろ当ブログと安全問題研究会ですら、JR会社法による監督命令の制度は、道内メディアの今日の報道で初めて知ったのだから。

とりあえず、2つの制度がどう違うのか、各法律を見よう。

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1.鉄道事業法に基づく「事業改善命令」とは?

鉄道事業法(昭和61年法律第92号)

(事業改善の命令)
第23条 国土交通大臣は、鉄道事業者の事業について輸送の安全、利用者の利便その他公共の利益を阻害している事実があると認めるときは、鉄道事業者に対し、次に掲げる事項を命ずることができる。
 一 旅客運賃等の上限若しくは旅客の料金(第十六条第一項及び第四項に規定するものを除く。)又は貨物の運賃若しくは料金を変更すること。
 二 列車の運行計画を変更すること。
 三 鉄道施設に関する工事の実施方法、鉄道施設若しくは車両又は列車の運転に関し改善措置を講ずること。
 四 鉄道施設の使用若しくは譲渡に関する契約を締結し、又は使用条件若しくは譲渡条件を変更すること。
 五 他の運送事業者と連絡運輸若しくは直通運輸若しくは運賃に関する協定その他の運輸に関する協定を締結し、又はこれを変更すること。
 六 旅客又は貨物の安全かつ円滑な輸送を確保するための措置を講ずること。
 七 旅客又は貨物の運送に関し生じた損害を賠償するために必要な金額を担保することができる保険契約を締結すること。
2~3 (略)

第69条 次の各号のいずれかに該当する者は、一年以下の懲役若しくは百五十万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。
 一 (略)
 二 第23条第1項の規定による命令(輸送の安全に関してされたものに限る。)に違反した者
 三~五 (略)

第70条 次の各号のいずれかに該当する者は、百万円以下の罰金に処する。
 一~十 (略)
 十一 第23条第1項の規定による命令に違反した者(前条第二号に該当する者を除く。)
 十二~十七 (略)
------------------------------------------------------------------------------------------------
2.JR会社法に基づく「監督命令」とは?

旅客鉄道株式会社及び日本貨物鉄道株式会社に関する法律(昭和61年法律第88号)

(監督)
第13条 会社は、国土交通大臣がこの法律の定めるところに従い監督する。
2 国土交通大臣は、この法律を施行するため特に必要があると認めるときは、会社に対し、その業務に関し監督上必要な命令をすることができる。

第20条 次の各号のいずれかに該当する場合には、その違反行為をした会社の取締役、執行役、会計参与若しくはその職務を行うべき社員又は監査役は、百万円以下の過料に処する。
 一~七 (略)
 八 第13条第2項の規定による命令に違反したとき。
------------------------------------------------------------------------------------------------

JR会社法の監督命令の規定は、至ってシンプルなものだが、鉄道事業法による事業改善命令と大きく異なる点がある。「事業改善命令」が、その対象を「輸送の安全、利用者の利便その他公共の利益を阻害している事実があると認めるとき」に限定しているのに対し、「監督命令」には対象とすべき事業の制限がないことである。つまり、JRが行っている「すべての事業」(当然、鉄道以外でもJR本体が行っている事業はすべて含まれる)について命令を出すことができる。

また、罰則についても違いがある。

(1)事業改善命令に違反した者:100万円以下の罰金(輸送の安全に関わるものであれば、1年以下の懲役若しくは150万円以下の罰金)
(2)監督命令に違反した会社の取締役、執行役、会計参与若しくはその職務を行うべき社員又は監査役:百万円以下の過料

具体的な違いについては、若干、専門的になるが、事業改善命令違反が「罰金」つまり刑事罰であるのに対し、監督命令違反は「過料」つまり行政処分であることだ。誰が対象になるのかについても若干、専門的になるが、「罰金」は刑事罰であり現状では個人にしか科せられないため、過去の裁判例に従えば現場責任者レベルと想定されるのに対し、監督命令違反の場合、わざわざ対象者を「取締役、執行役、会計参与若しくはその職務を行うべき社員又は監査役」に限定しているところに大きな違いがある。

今回、監督命令が発動されることになれば、JR北海道に与える影響は事業改善命令より数段、大きいだろう。現場レベルでの安全管理にとどまらず、「企業体質」のような曖昧でつかみどころのないものに対しても発動が可能だし、対象者を「取締役、執行役、会計参与若しくはその職務を行うべき社員又は監査役」に限定しているから、国交省として「現場より経営陣の責任を重視する」という明確なメッセージになる。さらに、命令違反があった場合に科せられるのは「過料」つまり行政処分だから、対象者は「前科一犯」にならなくてすむ。発動され、有罪判決が確定すれば「前科一犯」になる鉄道事業法の事業改善命令と比べ、発動のハードルは大幅に下がるものと考えられる(交通違反者に対する「違反点数」や「反則金」などの行政処分が、刑事罰に比べてはるかに発動しやすいことを想起すればよい)。

国鉄分割民営化を強行し、今日の事態が生まれた責任の一端を負わなければならない立場の国交省に、こうした命令を発動する資格があるのか、という議論はひとまず置こう。そうでなくても、JR北海道、四国、九州、貨物4社の株式はすべて鉄道・運輸機構(独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構)が保有しており、4社は事実上国の完全子会社の状態である。これに加え、JR会社法による監督命令が出される事態になれば、JR北海道は完全に株式会社としての経営の「自律性」を失うことになるかもしれない。しかし、当ブログと安全問題研究会は、いわば「因果応報」だと考えている。そもそも、国鉄分割民営化そのものが「国民の公共交通」を解体し、その資産を財界に差し出すとともに、「経営の自律性」の名において、国民と国会による統制からの経営の解放を目指そうという不純な動機から出発したのだ。誰による統制も受けない財界とJR経営陣による「やりたい放題」を認めた結果がこれだというだけの話だ。当事者能力のない経営陣が一掃され、経営権を国に召し上げられる末路をたどればいい。

私たちの立場ははっきりしている――JRとその関連企業で働く労働者を守りながら、誰の統制にも服さないJRという怪物を、新しい時代に対応した国民の公共交通として再編し直すことである。

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千葉県沖でスロースリップ発生か、念のため注意を

2014-01-10 23:18:32 | 気象・地震
房総沖で「スロー地震」…収束へ?でも注意を(読売新聞) - goo ニュース

昨年末からM4~5級の群発地震が続いている千葉県沖で、スロースリップが発生していたことを防災科学技術研究所が発表した。すでに収束に向かっているという。気がかりなのは、千葉県沖でのスロースリップの発生頻度が最近非常に増えていることだ。前回のスロースリップは2011年10月に観測され、わずか2年3ヶ月しか経っていない。2011年10月のスロースリップも4年ぶりの発生だったが、それ以前は6~7年周期での発生だったから、「周期が短くなった」として騒がれた。

スロースリップはスロー地震とも呼ばれ、地表の揺れを伴わずに地下のプレート境界だけが通常の地震よりもゆっくりと動く現象だ。プレート境界型地震が発生する直前にも観測されるとされるが、こちらは前兆滑り(プレスリップ)と呼ばれ区別される。東海地震の予知は、この前兆滑りの観測として行われている。



日本近海のプレート境界の概念は上の図の通りだ。千葉県沖を含む関東沖では、4つのプレートが移動しながらぶつかり合うという世界的にも例のない珍しい場所にある。

今回のスロースリップが大地震の前兆かどうかについては、相反する2つの考え方ができる。1つ目は、プレート同士が押し合うことによって溜まる固着域(アスペリティ;ぶつかり合う2つのプレート同士が密着している区域)のストレスが、スロースリップによってある程度発散されるという考え方である。この考え方に立てば、スロースリップはプレート境界型地震の発生を遅らせ、あるいはその規模を小さくする効果を持つ、ということになる。

2つめの考え方は、これがスロースリップではなく前兆滑りだとする考え方である。この考え方に立った場合、結論は逆になり「大地震の発生が迫っている」ということになる。

今のところ、どちらに相当するのか当ブログが判断をするのは極めて困難である。ただ、上記のどちらの考え方を採るとしても、「千葉県沖のプレート境界にかかる力が3.11以降、以前より増している」ことだけは確実に言える。スロースリップの発生間隔が以前より短くなっていることがその証拠である。長期的(数十~数百年スパン)で見た場合には、大地震の発生間隔は以前より短くなる、あるいは地震の規模は以前より大きくなる方向だと考えなければならないであろう。念のため、首都圏~東北にお住まいの方は警戒を怠りなくするほうがいい。

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