安全問題研究会~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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こんなにおかしい!ニッポンの鉄道政策
私たちは根室線をなくしてはならないと考えます
国は今こそ貨物列車迂回対策を!

サーチエンジンに「安倍を」と入れたら出てきた結果が凄すぎる件

2020-02-29 23:26:37 | その他社会・時事
先ほど、ネットで何の気なしに「安倍を」と検索エンジンに入れてみたら、上の画像のような結果が出た。

ヤフーなどの大手ポータルサイトでは、投入したキーワードに関連づけ、頻繁に検索されているキーワードが表示される。つまり、これらが今、安倍首相に関連して最もよく検索されている単語ということだ。

正直、ネットを見てこれほど身震いしたのは久しぶりだ。なぜ首相には自治体のトップのようなリコール(解職請求)制度がないのだろうか。この男を今すぐ辞めさせないと本当にまずいと思う。

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原発事故から10年目の福島 誰のための「復興」なのか?

2020-02-15 23:13:43 | 原発問題/一般
(この記事は、当ブログ管理人が「原発井戸端会議・神奈川ネットワーキングニュース」No.383に発表した原稿をそのまま掲載しています。なお、管理人の判断で「原発問題/一般」カテゴリでの掲載としました。)

 私は復興という言葉が嫌いである。風評という言葉と並び、時の支配者たちに都合よく使われてきた歴史があるからだ。イラク戦争後、サマワに自衛隊を派兵するときも「イラク復興支援」と呼ばれた。小泉純一郎首相(当時)は、今でこそ脱原発も主張しているが、「自衛隊の行くところが非戦闘地域」と国会で強弁した挙げ句、現地での殺人につながりかねない派兵さえ復興という「包装紙」にくるんで強行した。戦争や災害などの混乱に乗じて大企業をぼろ儲けさせるショック・ドクトリン。復興はそれを押し通すためのマジックワードなのだと覚えておいて損はない。

 福島に関してもまったく同じである。2019年12月4日、福島復興再生特別措置法に基づく事業やそこでの予算の使われ方について会計検査院が公表した報告「福島再生加速化交付金事業等の実施状況について」からは福島の「人間なき、ハコモノだけ復興」の実態が見える。

 報告書を見ると、災害公営住宅整備事業、交通安全施設等整備事業、公立学校施設整備費国庫負担事業、認定こども園整備事業、廃棄物処理施設改良・改修事業、原子力災害被災地域産業団地等整備等支援事業……と、よくもこれだけ揃いも揃えたりというほどハコモノ建設が並ぶ。このうち災害公営住宅整備事業には、2017年度末時点で1872億円(うち復興公営住宅に1529億円)もの巨費が投じられている一方、モニタリングポスト(空間線量測定装置)設置用の予算「放射線測定装置・機器等整備支援事業」には4億3千万円しか配分されていない。しかもこれは2017年度までに交付された累計予算額だ。「復興」が始まった2012年度から6年間でこの額だから、単年度で見るとたったの7200万円。いかに日本政府が「人間」を軽視しているかがわかる。これでは棄民政策といわれて当然だ。日本政府はハコモノを建てれば放射能が消えるとでも思っているのか。

 今、放射能による健康被害を恐れて「自主的」に避難し国家公務員住宅に住む人たちが、毎月執拗に送り続けられる「家賃2倍請求書」を前に途方に暮れている。報告書を見ると「東日本大震災特別家賃低減事業」なる項目があり、予算交付ができる仕組みになっている。それなら使えばいいと素人は思ってしまうが、この制度は福島復興再生特別措置法に基づく「帰還環境整備」事業の一環として創設されたものだから、福島に戻る人や県内避難者にしか適用できないのだ。それを象徴するように、報告書ではこの事業の予算交付額が空欄のままになっている。「県からの要望がなかったため予算を交付しなかった」と会計検査院は報告している。帰還者はそもそも少ない上に、もともと自宅を持ち、しかも被災規模の小さかった人が多いため、手を挙げる人がいないのである。家賃補助を切実に願う県外避難者は政策的、意図的に無視し、政府が県外避難者を帰還させるために創設した家賃補助制度はまったく利用者がいない。報告書からはそんな実態も浮かび上がった。

 復興公営住宅についても、報告書は空室率が13%とほぼ6分の1弱に上り、「入居者の転居等に伴い定期的に入居者を募集しても空室が解消されない状況にある」と指摘する。一事が万事「ニーズあるところに政策なく、政策あるところにニーズなし」では何のための事業なのか。

 2019年春、モニタリングポスト撤去の動きが表面化した。反対する福島住民によって「モニタリングポストの継続設置を求める市民の会」が結成された。撤去反対の動機は「自分の目で数字を見て安心したい」「廃炉作業終了まで設置を継続してほしい」。福島で暮らす以上どれも当たり前すぎる要求だ。「市民の会」が呼びかけた撤去反対の署名は県内外から3万5千筆が集まり、原子力規制委員会はいったん決めた2020年度末での撤去を撤回した。

 規制委は、モニタリングポスト撤去の提案理由として「予算確保が難しい」を挙げていたが、報告書はここでも衝撃的事実を明らかにしている。規制委に802億円もの予算が交付され、しかもその執行率はわずか49.2%。なんと半分以上を使い残している。使い残しに相当する「不用額」は482億円もある(報告書はこれが「放射線測定装置・機器等整備支援事業」の予算だとは明示していないが、福島復興再生特別措置法に基づいて規制委が管轄する予算は事実上これしかない)。モニタリングポストを670年間も設置し続けられるほどの巨費が使われないまま眠っていたのだ。もう二度と「予算がない」などと言わせてなるものか!

 ゼネコンが儲かるハコモノ建設には使い切れないほどの巨費を投じる。家賃補助制度に至っては使いたい人は使えない一方、国が使ってほしいと思っている人からは相手にされず予算が宙に浮いたまま。モニタリングポスト設置の金がないと言いながら、一方でこんな巨額の金を使い残している規制委――。会計検査院の報告書から見えてきたのはこんな驚くべき実態だ。

 「コンクリートから人へ」というスローガンを掲げて政権交代を実現した政党がかつてあった。私はそのスローガン自体が間違っているとは思わない。コンクリートがすべて悪とまでは言わないものの、ここまでコンクリートに偏重した「復興」のあり方は明らかにおかしい。人間不在の「ハコモノだけ復興」から人間中心の真の復興に、今すぐ転換しなければならない。

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部分最適と全体最適/日本ではどんな組織・政党が生き残れるのかに関する考察

2020-02-09 15:10:56 | その他社会・時事
当ブログをある程度の期間、ご覧のみなさまはお気づきかもしれないが、2020年初頭から運営方針を大きく変えている。昨年までは、管理人にとって2大ライフワークとなっている原子力問題と、公共交通問題に特化した書き込みにしてきた。しかし、この2つの問題はどちらも膠着状態で、当分の間解決の見込みはほぼない。そんななかで、解決の見込みがないとわかっている問題にばかり取り組み続けるというのは、よほど心身強健な人でないと難しい。管理人も、そんな状態が長く続き、仕事でも「詰んで」しまったため、メンタル異常気味になってしまった。

どのみち今年は東京オリンピック・パラリンピックのせいで海外はともかく9月まで国内情勢は動かないだろう。そう思い、今年は思ったことを気軽に書き綴るブログ本来のあり方に戻してみようと思ったのだ。

「逃げるは恥だが役に立つ?~離脱、脱出が2020年代のキーワードかもしれない」と題した2月1日付記事はある程度好評だったようだ。日本人は従来から逃げることを恥と捉えることが多い。むしろ負けるとわかっていても闘い、忠誠を誓った人/思想/イデオロギーと共に散る人、最後まで信念を曲げない人が賞賛される傾向にある。たとえその信念がどれだけ間違っていたとしても、またその闘いがどんなに自分に不利なルールの下で行われていたとしても、だ。

だが、果たしてそれは正しいあり方なのだろうか、という問いを立てたいと思って書いたのが2月1日の記事だった。いま自分が立っている場所でのゲームが著しく自分に不利な糞ルールで行われ、しかも内部からの改革でそれを自分有利にはならないとしても、せめて中立に近いものに改めていく道も否定されたとき、自分がその場所にとどまるべきかどうかはもっと正面から問われていいのではないか。

糞ルールの下で、いつか「負け」と判定されるときが来ることはわかっているのにそれに身をやつすのは、自分がピッチに立っている間に「負け」宣告を受けたくないだけのことが多い。いつまでもクソゲーを続けている間に消耗し、傷はどんどん広がっていく。ここでゲームから降りられたらどんなに楽だろう――そう思ったことは誰しもあるはずだ。今回、英国はその決断をしてEUというクソゲーから降りた。ヘンリー王子とメーガン妃も英王室というクソゲーから降りる決意をした。頑強に結婚に反対する保守オヤジたちといつまでも地上でクソゲーを続けるより、眞子さんも皇室から降りてもいい――そういう心境になりつつあるのではないか。

ボクシングやレスリングでは、タオルを投げてリングから降りることは敗北を意味する。だが、圧倒的に自分が不利なクソゲーを強制している相手からの一方的な「負け」宣告なんて知ったことか、自分には関係ねぇ、と割り切ってしまえば楽になる。そう考えれば、民主党政権崩壊後、なぜ日本の無党派層が誰に何を言われようが決して選挙に行かなくなったのかも理解できる。自民党だけがいつまでも勝ち続け、たまにそれ以外の政党が政権を取っても裏切られるクソゲーからは降りたほうが楽だからだ。

かくいう当ブログ管理人も、何度もこのクソゲーからは降りようと思った時期がある。自民党公認の5文字がポスターに入っているだけで、候補者が人間でなくても当選してしまうようなクソゲーに自分が参加する意味があるのか、と。最初から勝ち目のない選挙という究極のクソゲー。それでも当ブログ管理人が降りられないでいるのは、政治に無関心ではいられても無関係ではいられないからだ。それゆえ、当ブログ管理人はこのクソゲーには「プロテスト・ヴォート」(抗議投票)を超える意味はないと見て、自民党から最も遠い政策、理念を訴える政党への投票を抗議のためだけに続けてきた。

2020年代の大胆(?)予測~向こう10年の世界はこうなると題した1月25日付の記事は、誤解していただきたくないが、あくまでこのまま日本社会が進んだ場合に向こう10年代がどうなるかを予測するものであり、筆者の希望、願望は一切含まれていない。それなのに、そこを「誤読」した特に「左翼」陣営の人々からは、当ブログ管理人があたかも55年体制礼賛論者かと問い詰めるような批判を受けることがある。念のため言っておくが、当ブログ管理人は55年体制を礼賛などしていない。ただ、それでもこの体制が崩壊した後、それよりましな体制が一度でもこの日本社会に生まれたことがあるのかは問いたい。「他に適当な人がいない」から仕方なく安倍政権を支持している保守層と同じように、当ブログ管理人もまた、政権交代可能な保守2大政党制をめざして政治改革が進められてきたこの四半世紀、自民、公明、共産以外の各党が離合集散を繰り返してきた挙げ句に、何者も生み出さなかった歴史的経緯を検証する中から仕方なく「55年体制のほうがよりましだった」との結論に達したに過ぎないのだ。

いたずらに時間を浪費しただけに見えるこの四半世紀から、私たちはどんな教訓を汲み取らなければならないのだろうか。別の表現をすれば、なぜ日本には自民党に代わって政権を担いうる野党が育たないのだろうか。前置きが長くなってしまったが、2010年代を通じてずっと考え続けてきたことを今日はここに書いておきたいと思う。

政権交代可能な2大政党制が成立するためには当然ながらいくつかの前提条件がある。①官僚機構がどの政党に対してもフラットな立ち位置を取り得ること、②2大政党がいずれも全国的で強固な組織基盤を有していること、③世論が左右両極に分裂せず、対立型争点(国防、安全保障、エネルギー、民営化問題など)よりも合意型争点(政治改革、経済政策、社会福祉など)が優位であること――等は最低限必要な条件といえよう。しかし、これらのうち日本が現在満たしている条件がひとつでもあるだろうか。当ブログ管理人の答えは「ノー」である。

加えて、多くの政党が与党と野党のいずれをも長く経験し、与党の役割である政権運営と、野党の役割である与党監視、批判、チェックの役割をいずれも担えるようにならなければならない。しかし日本の場合、自民党には与党の経験、野党には野党の経験しかないから、お互いが別の役割を習得する機会がめぐってくることはほぼない。野党が政権運営の経験を積むためには一度チャンスを与えることが必要だが、日本人は未熟な新しい政権にも即結果を求め失敗を許さないから、結局未熟な勢力にはチャンスが与えられること自体がない。こうして、野党はさらに政権獲得の機会から遠ざけられるのである。

日本人が未熟な新しい勢力に政権をゆだねる気にならない、どんなに腐敗していても政権担当の豊富な経験がある老舗政党の政権がいつまでも続くのがいいと考えているなら(政権交代可能な2大政党制を求める人たちは「そうではない」と主張するだろうが、当ブログ管理人には多くの日本人がそう考えているとしか思えない)、取り得る選択はひとつしかない。自民党と野党のそれぞれを「政権担当に特化した部分最適政党」「与党監視、批判、チェックに特化した部分最適政党」として育成し、それこそ部品のように組み合わせながら全体最適を実現することである。なんだ、それじゃ55年体制そのまんまじゃないか、という人がいるかもしれないがその通りである。政権担当用の部品(自民党)とブレーカー(野党)を組み合わせて製品(政治体制)の暴走を防ぐ。55年体制は、部分最適はできても全体最適ができない日本人に最も向いている政治体制だったのである。

さしあたり、立憲民主党に対し「対案も出さずに批判だけするな」という攻撃をするのは控えたほうがいいように思う。むしろこの党を与党監視、批判、チェックに特化した部分最適政党として、150議席クラスに育てれば、自民党もうかうかしていられないと襟を正すだろう。立憲は、旧社会党のように「政権をめざさない宣言」をしてみたらどうだろうか。「自分が投票することで、間違って自民党以外に政権が渡る危険」から解放されれば、政権交代しても裏切られるのが怖くて選挙というクソゲーから降りていた多くの無党派層にピッチに戻るチャンス――自民党を政権に就けたまま、懲らしめるために選挙に行くという新たな選択肢――が生まれるからだ。

当ブログ管理人が、サラリーマンとして組織に勤めるようになって四半世紀が過ぎた。その四半世紀は、政権交代可能な保守2大政党制をめざして政治改革が進められてきた日本の歩みとほぼ重なる。その四半世紀、組織というものに身をゆだねて生きてきた当ブログ管理人もまた「本当に日本人は全体最適が苦手なんだな」とつくづく実感するのだ。各課で同じ作業をしていたり、同じ資料をあちこちでコピーしていたり、組織としての方針を出すために開催されたはずの会議が部署ごとの利害対立で機能不全を起こしたりする様子を幾度となく見てきた。各部署、各現場がそれぞれ勝手に自分たちの狭いテリトリーだけをうまく回すための「部分最適」なら日本人は他のどの民族よりも得意なのだが、組織を大所高所から見渡し、全体最適となるように調整する人がいない。完成品市場で負け続け、日本の製造業に最終的に部品産業しか残らなかったのも、狭いテリトリーだけの部分最適しかできない日本人の特性の結果かもしれない。

特に、危機管理、セキュリティ対策といった分野での日本の組織の行動を見ていると、苦手どころではなくもはや哀れみしか感じない。この分野に限っていえば、それこそ外国の民間セキュリティ会社に金でも払って任せたほうがはるかにうまくいくと思う。

この日本の苦手分野――危機管理、セキュリティ対策といった分野――は、政治に関していえば与党となったときの「政権担当能力」を表す典型的な指標である。そこで自民党に代わるまともな野党が育たない理由としては、結局のところ日本人には危機管理が苦手だからということに尽きる。自民党にしても「他よりまし」なだけで五十歩百歩であることは、新型コロナウィルス対応ひとつ見ても明らかだろう。

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翻って考えてみたい。日本ではどんな組織、どんな政党が強くなり生き残るのか。

現在、良くも悪くも安定している政党は自民党、公明党、共産党の3つである。共産党は、戦前から続く唯一の党。自民党は1955年に結成された。公明党は、1961年に前身となる公明政治連盟として発足後、1964年に現党名に変更された。現在、国会に議席を有する政党の中で、現党名になってからの歴史が長いほうから1位、2位、3位の政党である。メディアでは「江戸時代から300年続く老舗店」で看板を継いだ何代目店主の誰それさん、などの形で名店を紹介する番組や記事が多いが、これと同じである。「一度決めた看板は容易に変えないこと」が存続条件のひとつである。

2つ目は「時代に合わせて柔軟に目玉商品を変えること」である。メディアで取り上げられる老舗店は、創業時と今とで目玉商品が変わっていることが多い。「創業したときは○○だったんですが、今はそれよりも××ですね」というケースである。屋号が老舗としてのブランド価値を持つようになっても、時代は変わる。創業時の目玉商品や品揃えのままで長く商売を続けられるほど世間は甘くない。いつまでも潰れずに生き続ける老舗は、時代に合わせて目玉商品や品揃えを変えてきたからこそ現在までしぶとく生き残ってきたともいえる。

3つ目は「万人受けする品揃えとせず、一定層を固定客にできればよい」と割り切ることである。老舗店の多くは固定客でしぶとく生き残っている。店主が親から子へ、子から孫へと引き継がれるように、顧客も親の世代からずっとファン、という人は多い。

これを政党に置き換えると、「看板は時間が経てば経つほどブランドとして価値が出るので容易に変えてはならないが、目玉政策やマニフェストは時代に合わせて柔軟に変え、固定客をがっちり維持していくこと」がしぶとく生き残るための条件ということになる。自民、公明、共産の3党は、この条件を満たしているからこそ生き残っているのだ。

このうち日本共産党に関しては、興味深いエピソードがある。志位和夫委員長が30歳代の若手ながら初めて書記局長に登用されたのは1990年だった。その翌年には、東ヨーロッパ諸国での相次ぐ社会主義体制崩壊の影響を受け、西ヨーロッパ最大の共産党だったイタリア共産党が左翼民主党に名を変える。日本共産党もイタリア共産党にならい、党名を変更したほうがいいのでは? ――そう問う記者に対し、志位書記局長はこう答えたのだ。

「我々が(イタリア共産党のように)党名を変えたとしても、どうせあなた方マスコミは新党名の下にかっこ書きで「旧共産党」とお書きになるんでしょう? であるならば、我々は党名変更などせず、日本共産党のままで活動します」。

志位書記局長のこの発言には根拠がないわけではない。東ヨーロッパの社会主義国で一党支配していた政党には、共産党でない名称を名乗るケースもあった。だがこうした政党に対し、当時のマスコミは「東ドイツ社会主義統一党(共産党)」(新聞)、「ポーランドの事実上の共産党に当たる統一労働者党は、……」(テレビニュース)などと実際に報道していたからだ。どうせ「旧共産党」と呼ばれるなら共産党のままでいい……これまで見聞きしてきた各政党党首の記者会見における発言で、これほどすがすがしいものを当ブログ管理人は現在に至るまで知らない。

離合集散を繰り返してきた立憲民主党、国民民主党などの諸政党が、ネットを中心に今なお「旧民主党」「隠れ民主」などと呼ばれ続けている事実は、若かりし頃の志位書記局長のこの「読み」が正しかったことを物語っている。民主党系の諸政党がいつまでもまとまらず、彼らがめざす「大きな塊」にもなれないのは、「目玉商品を変えても看板変えるな」という老舗組織の法則の真逆――「失敗した過去の政策を変えることなく、看板だけ変える」を繰り返しているからだ。

そろそろ結論に入らなければならない。特にこの日本で、自民党に代わって政権交代可能な政党を育てるには10年や20年ではきかない長い年月を必要とする。場合によっては人間の一生に匹敵するほどの時間が必要かもしれない。「由緒あるこの党名を守り抜くためなら、死んでもいい」と党員、議員、支持者が思える程度には長く看板を維持することが必要だ。逆に、いくつかの目玉政策は維持しつつ、それ以外の政策は時代の変化に合わせて変えていく柔軟性はあっていい。そして、地道に地方から組織を作り、選挙の声が聞こえると演説を始めるのではなく、いつでもどこでも目玉政策を訴える活動を続ける。自分の生きている間に自民党を倒せなくてもいい、子どもや孫の世代にこの誇りある看板を引き継ぎ、自分たちの世代にできなかった打倒自民の夢を託す――そこまでの覚悟を持った人々が集うとき、初めて打倒自民は実現するのである。

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宏観異常現象と地震

2020-02-07 23:40:18 | 気象・地震
どうも最近、当ブログ管理人の精神状態は良くない。1月11日付の記事にも書いたが、仕事では完全に「詰んだ」状態にあることに加えて、何か大きな災害が近く起きそうな気がする。ただ、科学的根拠・エビデンスは何もなく、当ブログ管理人の「直感」のみに基づいた記事なので、信じるかどうかは読者にお任せする。

メンタルを病んだことのない、心身強健な方にはご理解いただけないかもしれないが、精神状態がおかしくなっているときは、普段当たり前に見えているものが見えなくなり、注意力が落ちたりする反面、普段見えないものが見えたり、普段は感じないものを感じ取れたりすることがある。精神を病んでいる人が「電波が来る」などという感覚を昔はまったく理解できなかったが、最近はそうかもしれないな、と思うときがある。2020年の新年を迎えて以降、表現しようのない「邪気」のようなものを感じるのだ。

最近、気になるのは動物の異常行動に関するニュースが続いていることだ。サルが独立?クーデター? 大分・高崎山の勢力図に「異変」(1/27、大分合同新聞)、暖冬で眠れず…毎日やせた蛇が家に(福井新聞)と続いて気になっていたが、ついに「リスザル12匹どこへ? 盗難の可能性 伊豆シャボテン動物公園」(静岡新聞)というニュースが飛び込んできた。伊豆シャボテン動物公園は盗難の可能性が高い、としているが、防犯カメラに不審人物が映っていないという報道もある中で、なぜ盗難とわかるのか。

大地震が近づくと、動物が異常行動を起こしたり、生活拠点をより安全な場所に移すため、突如として姿を消すことがある。宏観(こうかん)異常現象と呼ばれるもので、かつてはこうした異常行動の事例を集め、研究する大学もあった。当ブログ管理人は2007年4月から、東日本大震災を挟んで2013年3月まで福島に住んでいたが、東日本大震災直前の1年間くらいは、とにかく畳の隙間から次々とアリが部屋に侵入してくるので本当に困った経験がある。何度追い払っても、また同じところから行列を作って入ってくる。2011.3.11まで、そういう経験もしているので、宏観異常を単なる迷信だと攻撃するのは良くないと思っている。

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逃げるは恥だが役に立つ?~離脱、脱出が2020年代のキーワードかもしれない

2020-02-01 22:32:57 | その他社会・時事
 ●歴史を「横」に眺めてみると……

 2019年代最後の年の大みそか、カルロス・ゴーン被告が除夜の鐘とともに自家用飛行機でレバノンに脱出してから、もう1ヶ月経ったのかと思っていたら、今度は1月末をもって、英国のEU離脱がついに成った。2016年の国民投票で離脱が決まってから3年半も揉め続けてきたのが一体何だったのかと思うほど、2020年代開始とともにあっさりと決まった離脱。北アイルランドの帰属をめぐって長年続いた後、調停された内戦の再燃を防ぐ措置が盛り込まれたことで、離脱の最大の障害がなくなったことが背景にある。

 そして、英国王室からの離脱が決まったヘンリー王子とメーガン妃のカナダ・バンクーバー島への移住に続いて、結婚問題が暗礁に乗り上げた秋篠宮家の眞子さんにも皇室離脱の動きがあることを、週刊誌が報じている(参考:女性自身の記事)。これらの動きは一見するとバラバラで、お互いに個別の事象として何ら相互に影響を与えるようなことではないように思われる。強引に結びつけるのにも無理があると、筆者も思っていた。

 しかし、歴史を「縦」にではなく「横」に展開してみると、思わぬ発見につながることがある。一党独裁体制だった東ヨーロッパでいっせいに民主化ドミノが起き社会主義体制が崩壊したのと、中国で天安門事件が起きたのはともに1989年だが、これを単なる偶然で片付けることはできない。「一党独裁による言論抑圧」という同じ問題に端を発し、同じように民衆が抗議に立ち上がったという共通項があるからだ。違うのは、東ヨーロッパで社会主義体制は倒れたのに中国では倒れなかったという点だけだ。

 日本で長かった自民党政権が倒れ、民主党政権に移行したのは2009年。その1年後にはチュニジアで政権に抗議して1人の青年が焼身自殺したのをきっかけに、中東・アフリカ北部でいっせいに反政府運動が起き「アラブの春」と呼ばれる状況が生まれた。エジプトではムバラク長期政権が倒れた。これらも長期支配していたのが大統領個人か政党かという違いがあるものの、長期政権の崩壊という意味で共通項がある。ただ、それでも日本とアフリカは地理的に遠すぎて、強引に結びつけるのにも無理があり、偶然の要素が強いと思っていた。

 だが、今振り返れば、2008年に起きたリーマン・ショックによる経済混乱が世界に波及しており、経済混乱の結果の長期政権崩壊だったという意味でちゃんと共通項を持っている。歴史を「横」にして眺めると、案外世界はつながっているのである。

 英国のEU離脱は、離脱派、残留派に国論を二分しての激しい政治闘争の末、たまたま解決がこの時期になったに過ぎないし、ヘンリー王子とメーガン妃の件もたまたまこの時期に話が出たに過ぎないように見える。ゴーン被告も眞子さんも、火種はもう何年も前からくすぶり続けていた件が深刻さを増した結果であって、偶然で片付けようと思えばさして難しいことでもない。

 しかし、一見するとバラバラに見える一連の出来事が、ある共通項を持っていたり、ある一定の方向性を持っていたりということは、歴史を「横」に眺めてみた場合、往々にしてある。そして、現在進行形の段階ではわからなくても、後に歴史として眺めた場合、「あの一連の動きこそが時代の転換点だった」と評価されることもある。歴史感覚を持つとは、要するにそういうことである。タイムマシンに乗って未来から現在を眺めるような感覚で俯瞰してみると、バラバラに見えた出来事が線で結ばれて見えてくる――そんな瞬間があるのだ。

 英国のEU離脱、ヘンリー王子とメーガン妃の王室離脱、ゴーン被告の日本脱出、眞子さんの結婚問題による皇室離脱の可能性――これらはいずれも現にいる場所からの離脱、脱出という共通の方向性を持っている。ひとつひとつは小さな出来事であっても、こう立て続けに「脱」の方向で事件が続くと、どうやらこれが2020年代(~2030年代)を読み解くひとつのキーワードになりそうな気がなんとなくしてきた。

 ●改革挫折で「統合」の時代終了へ

 第二次世界大戦後の世界は、ともかくも「統合」の方向で動いてきた。各国がバラバラに自国の利益だけをめざして行動し、衝突したのが大戦だったという共通認識が世界をその方向に動かしてきたことは間違いない。だが、大戦終了からほぼ人間の一生に等しい75年もの歳月が過ぎ、統合から「脱」の時代へという世界的潮流がかなりはっきりしてきたように見える。これら一連の事件がその「号砲」かもしれないという思いが、新年以降、次第に強くなってきたのだ。

 生物学者ダーウィンの「強い者が生き残るのではなく、変化に適応した者が生き残るのだ」という有名な発言をご存じの方は多いだろう。種として、あるいは個として、生き残りたければ日々、激動する世界の中で変化に適応していかなければならない。統合よりも「脱」への動きが目立ってきたのは、生き残り戦略としてそのほうが合理的だと考える人が増えたからである。

 現にいる場所が本当に自分にとってふさわしい場所なのか。自分が今まで所属し、帰属していることが当たり前と考えてきた社会や集団が、多大な犠牲を払ってまでも残留するに値する場所なのか。自分自身の「ありよう」をゼロベースで考える。もう一度、スタート地点に立ち返って、自分と自分が帰属する集団との関係を捉え直し、メリットよりデメリットが勝っていると思うなら、これまでタブーと思われていた「脱」に舵を切ってみる。2020年代、そうした動きは今まで以上にはっきりしてくるだろう。

 第二次世界大戦後の世界を、思い切り乱暴に、いくつかの時代に区切るなら、1970年代までははっきり「統合」へ向かいながらも抵抗の闘いがあちこちで起きた時代だったと思う。80~90年代はモラトリアムとでもいうべき停滞の時代で、2000年代から2010年代は、世界のあちこちで改革への動きが表面化した時代だった。2010年代に入る前後に「アラブの春」が起きたのも、日本で民主党政権ができたのも「改革」への動きだったと捉えれば納得がいく。いま所属、帰属している社会集団にとりあえずとどまったまま、内部からの改革をめざす。おおむね20年スパンで時代を切り取ると、流れが見えてくるような気がする。

 しかし、結論からいうと、2010年代に試みられた改革は日本でも世界でも挫折した。「アラブの春」が結局は民主主義的な政治体制の誕生につながらなかったことは、腐敗したムバラク政権がイスラム政権に代わったエジプトを見ればはっきりしている。日本でも民主党政権は失敗した。筆者は「コンクリートから人へ」のスローガンが間違いだったとは思わないが、「政権交代などできないと思っていた日本でもできるんだ」という期待を「やっぱり日本人に政権交代なんて無理」というムードに変えてしまった民主党政権の罪は100年に一度レベルの重いものだと思う。はっきりいえば安倍政権なんてそれだけが理由で持っているようなものだ。EUで行われた改革も挫折。人々が求めていた新自由主義的政策の放棄は実現せず、EU加盟国同士、市民同士の格差を拡大させただけだと人々に思わせてしまったことが、挫折の背景にある。

 ●統合から「脱」の時代へ 大切なのはゼロベース思考

 2020年代という新しい10年代が始まったこの新年早々、「脱」への動きが加速している背景は、乱暴だがこうした動きと重ねてみるとだいたいの説明がつくと思う。自分が所属、帰属している社会集団の内部にとどまって改革をいろいろ続けてきたけれど、最終的にダメだった。改革の可能性が閉ざされたいまの場所にこのままとどまっていても未来がない。それならば、多少の危険を冒してでも今いる場所の外に出るしかない――人々がそのように考え、行動する新しい10年間(場合によっては20年間)が始まったのだ。

 「逃げるは恥だが役に立つ」というテレビドラマが数年前ヒットしたが、このタイトルの語源はハンガリーのことわざだ。「どんなに格好悪くても、生き延びればいつかチャンスはやってくる」という意味合いで使われる。最後まで主君に忠誠を尽くし、主君が倒れるときは運命を共にする「忠臣蔵」をいつまでも変わらず愛し続ける日本人には理解しがたいメンタリティかもしれない。しかし、ダーウィンの言葉の通り、変わることを拒絶し、世界潮流に背を向ける日本は少子高齢化で内部崩壊を迎えつつある。自家用飛行機で日本を脱出したゴーン被告がここまでさんざんに叩かれている背景に、単に悪事を働いたということ以上に「自分だけさっさと逃げやがって。こっちは脱出したくたってできないんだよ」という若干の妬みや羨望が含まれているように感じるのは筆者だけだろうか。日本人は、叩いている暇があるなら、むしろこの閉塞状況を「一気に飛び越えた」ゴーン被告の行動を見習い、参考にしたほうがいいと思う。

 筆者が小学生の頃、こんな出来事があった。「りんごを食べたいと思っている子どもが2人います。でもりんごは1つしかありません。そんなとき、あなたならどうしますか」という先生からの「お題」に対し、10人中9人が「もう1つりんごを買ってくる」とか「りんごを2等分し、分け与える」という無難な回答をするなか、ある男子児童が「2人の子どものうちどちらか1人、殺せばいい」と答えた。先生は「人を殺してはいけません」でその場を終わりにしてしまった。

 筆者は、子どもの頃から尖った変わり者だったから、この先生の発言に違和感を持った。殺人を肯定したいのではない。そもそも「2人の子どもにりんごが1個」という状況――供給が需要を満たせない経済状況にどうやって対処するかを問うお題であって、殺人の是非を問うお題ではそもそもなかったはずだが、という違和感である。初めは問われてもいなかった、まったく無関係な別の規範を途中から突然持ち出し、重要な選択肢の1つを検討もしないまま潰してしまうという議論のやり方にアンフェアさを覚えたのである。たとえその解決法がタブーであるという社会的合意があったとしても、だ。

 物事をゼロベースで考えるということは、このタブーを取り払ってみるということである。繰り返しておくが殺人を肯定したいのではない。この事例は極端すぎるので置くとしても、それまで誰もがタブーだと考えてきた選択肢こそが本当の意味で唯一の解決策だった、ということは歴史のある局面においてはあり得る。日本の何が問題で、どこに着地すべきかについてはもうこの20年近く議論し尽くしてきたし、大方の日本人が着地すべき場所もわかっている。それにもかかわらず、そこに「たどり着く方法」(=解決策)がない、という閉塞状態を一気に飛び越え、しかるべき場所に正しく着地するために、タブーとして排除されてきた選択肢(民営化された企業の再国有化など)をもう一度真剣に検討すべき時期にさしかかっているのではないか、と筆者は主張したいのである。

 もしそれが本当の動きにならない場合、日本からも「脱」の動きが表面化する2020年代になるような予感がする。ゴーン被告の脱出がその号砲でないことを願ってやまない。

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