人生チャレンジ20000km~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

公共交通と原発を中心に社会を幅広く考える。連帯を求めて孤立を恐れず、理想に近づくため毎日をより良く生きる。

当ブログのご案内

当サイトは列車の旅と温泉をメインに鉄道・旅行を楽しみ、また社会を考えるサイトです。

「あなたがすることのほとんどは無意味でも、あなたはそれをしなくてはなりません。それは世界を変えるためではなく、あなたが世界によって変えられないようにするためです」(マハトマ・ガンジーの言葉)を活動上の支えにしています。

<利用上のご注意>

当ブログの基本的な運営方針

●当ブログまたは当ブログ付属サイトのコンテンツの利用については、こちらをご覧ください。

●その他、当サイトにおける個人情報保護方針をご覧ください。

●当ブログ管理人に原稿執筆依頼をする場合は、masa710224*goo.jp(*を@に変えて送信してください)までお願いします。

●当ブログに記載している公共交通機関や観光・宿泊施設等のメニュー・料金等は、当ブログ管理人が利用した時点でのものです。ご利用の際は必ず運営事業者のサイト等でご確認ください。当ブログ記載の情報が元で損害を被った場合でも、当ブログはその責を負いかねます。

●管理人の著作(いずれも共著)
次世代へつなぐ地域の鉄道——国交省検討会提言を批判する(緑風出版)
地域における鉄道の復権─持続可能な社会への展望(緑風出版)
原発を止める55の方法(宝島社)

●管理人の寄稿
規制緩和が生んだJR事故(国鉄闘争共闘会議パンフレット「国鉄分割民営化20年の検証」掲載)
ローカル鉄道に国・自治体・住民はどう向き合うべきか(月刊『住民と自治』 2022年8月号掲載)
核のない未来を願って 松井英介遺稿・追悼集(緑風出版)

●安全問題研究会が、JRグループ再国有化をめざし日本鉄道公団法案を決定!

●安全問題研究会政策ビラ・パンフレット
こんなにおかしい!ニッポンの鉄道政策
私たちは根室線をなくしてはならないと考えます
国は今こそ貨物列車迂回対策を!

【管理人よりお知らせ】Youtube「タブレットのチャンネル」への動画アップロードを当分の間、中止します

2017-08-31 19:28:44 | 運営方針・お知らせ
管理人よりお知らせです。

すでに過去ログでもお伝えしておりますように、当ブログは固定インターネット高速回線サービスのない地方の過疎地を拠点に活動しています。

インターネットには携帯電話会社が提供するモバイルルーターでアクセスしていますが、現在の契約では1ヶ月のパケット容量が7gbpsに制限されており、動画の視聴、アップロードを行うにはきわめて脆弱なネット環境といえます。

それでも、動画チャンネルを開設している以上、自ら撮影した鉄道動画を定期的にアップロードするため、出張や遠征時に滞在先のホテルから高速WI-FI経由で動画のアップロードを試みるなどの努力を続けてきました。

しかし、最近はホテルや公共施設のWI-FIも接続する人が増えたせいか、以前と比べて速度の低下を実感することが増えています。夜、寝る前に動画アップロードを始めても、朝の起床時にアップロードが終わっていないことも珍しくありません。出張や遠征時の宿泊先でも、次第に動画のアップロードを行うことは困難になってきています。

そこで、当ブログとしても大変苦渋の選択ですが、自宅に安定したインターネット環境が構築できるようになるまで、当分の間、Youtube「タブレットのチャンネル」への動画アップロードを行わないことにします。申し訳ありませんが、ご理解をよろしくお願いします。

なお、動画アップロードを再開できる状況になりましたら、改めてお知らせ致します。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【管理人よりお知らせ】日高本線・鵡川~日高門別間の先行復旧を求める署名を開始しました

2017-08-30 23:09:47 | 鉄道・公共交通/交通政策
 日高本線は、2015年1月の高波災害による不通から2年半経過しましたが、JR北海道は沿線からの復旧の要望にもかかわらず、復旧工事を始めないまま地元自治体に一方的に廃線を通告しました。地元が納得できる復旧費の根拠も示さないなど不誠実な姿勢を続け、沿線自治体との協議は暗礁に乗り上げています。そもそも被災しておらず、今すぐにでも運行再開が可能な鵡川~日高門別間を運行しないのはJR北海道の怠慢であり、公共交通事業者としての責任を放棄するものです。

 このたび、地元で日高本線の全面復旧を目指す2団体(JR日高線を守る会、JR問題を考える苫小牧の会)が共同で、被災していない鵡川から日高門別までの先行復旧を求める署名運動を始めることにしました。署名は日高管内以外・道外からでもかまいません。ぜひ、みなさまのご協力をお願いします。

署名用紙(PDF)
呼びかけビラ(PDF)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【転載記事】1983年にまとめられた原発テロ被害想定に関する報告書

2017-08-29 23:52:55 | 原発問題/一般
反原発運動筋から当ブログ管理人宛に、外務省ホームページに掲載されている「原子炉施設に対する攻撃の影響に関する一考察」と題する報告書を紹介するメールがきた。一読したところ、大変興味深い内容であり、当ブログに掲載すべき内容だと判断したので、読者の皆さんにもお知らせする。

1983年度に、外務省が財団法人「日本国際問題研究所」に委託して行わせた研究結果に関する資料で、当時は「反原発運動への影響」を考慮して極秘とされた。発電量100万kwh級軽水炉の格納容器が外部からの攻撃で破壊され、「主要54核種」のうち11%が大気中に放出された場合の被害想定を、以下のとおりとしている。

・緊急避難をしなかった場合

 急性死亡 平均3600人 最大18000人
 急性障害 平均6300人 最大41000人

・緊急避難(原発から風下10マイル(約16km)の区域の住民を5時間以内に避難)をした場合

 急性死亡 平均 830人 最大 8200人
 急性障害 平均3600人 最大33000人

特に、急性死亡は避難しない場合と比べて大きく減っている。

晩発性障害に関しては、がん死亡者を平均8100人、最大24000人と見積もっている。緊急避難に成功した場合の推定であること、緊急避難に成功しても晩発性障害によるがん死亡のほうが急性死亡より平均で10倍、最大で3倍も大きくなっていることが重要な点だ。緊急避難しなかった場合の晩発性障害は推定されていない。

この報告書では、「問題は現実に緊急避難がどの程度可能かであって、……緊急避難させることは容易でないし、特に夜間などを考えれば尚更である」と、避難の困難さを認めている。また、「長期にわたる土地利用制限の最大の原因は放射性セシウム(Cs-137)による地表汚染にある。表面の土壌を削り取ったり、汚染されていない土を運んで来て盛ったり、上下に深く耕すとかすれば、その放射線の影響を軽減しうるが、広い地域にわたって実施することは困難である」と、広域除染の困難さも認めている。

この報告書は、スリーマイル原発事故を参考にして影響を評価していると考えられる。福島原発事故はおろか、チェルノブイリ原発事故(1987年)もまだ発生していない段階での被害想定だが、現在、福島で起きている事態に照らしてみれば、かなり正確な予測だったといえる(特に正確なのは、甲状腺がんなどの晩発性障害、広範囲にわたる土壌汚染とその除染が困難である点など。急性死亡や急性障害は福島原発事故には当てはまらない)。

緊急避難に成功しても急性障害より晩発性障害のほうがはるかに影響が大きいことが30年も前に報告されていたとは驚きだ。民間シンクタンクによる被害想定とはいえ、外務省が委託した研究結果であり、当然、日本政府はこの結果を知っていたはずである。それにもかかわらず、福島住民を避難もさせなかった日本政府の行為は、やはり「緩慢な殺人」だといわざるを得ない。

一部、不鮮明で読みづらい箇所もあるが、読者のみなさまには、ぜひ全文を読むことをお勧めする。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

総選挙で躍進したコービン労働党 安倍1強に呻吟する日本の市民が汲み取るべき教訓は?

2017-08-25 18:25:15 | その他社会・時事
(当エントリは、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2017年9月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 すでに2ヶ月以上経過してしまったが、6月8日(現地時間)に投票が行われた英総選挙は、EU離脱に向け、保守党が大勝して引き続きメイ首相が主導権を維持するとの下馬評を覆し、終わってみれば保守党が下院(庶民院とも。日本の衆院に相当)で単独過半数割れを起こすという番狂わせとなった。単独では予算も法律案も通せなくなった保守党は、北アイルランドの地域政党、民主統一党(DUP)の閣外協力(注1)を得てなんとか政権を維持する見込みだという。

 キャメロン首相時代以来の「ハング・パーラメント」(どの政党も単独で過半数を握れない「宙吊り議会」)を生み出した背景に何があるのか。7月の都議選で自民を大惨敗させ、安倍1強が大きく揺らいでいるものの、自民1党支配体制にはまったく変化がなく、安倍政権に呻吟している日本の市民がコービン労働党の勝利から汲み取るべき教訓は何か。日本で年内にもあり得ると噂される「改憲一か八か総選挙」に向け、改憲阻止を確実なものにするためにも整理しておくことはきわめて重要である。

 ●英市民が手弁当で作った「野党共闘」

 「今年で英国に住んで21年目になるが、こんな選挙前の光景は見たこともない」――労働党が下馬評を覆して躍進、保守党が過半数割れを起こした選挙結果をこう評するのは、福岡市出身で1996年から英国に在住する保育士、ブレイディみかこさんだ。彼女は、選挙期間中の光景をこのように書き綴っている。

------------------------------------------------------------
 総選挙の3日前、息子の学校の前でPTAが労働党のチラシを配っていた。「私たちの学校を守るために労働党に投票しましょう」「保守党は私たちの市の公立校の予算を1300万ポンド削減しようとしています」と書かれていた。息子のクラスメートの母親が、「労働党よ。お願いね」とチラシを渡してくれた。

 その翌日、治療で国立病院に行くと、外の舗道で人々が労働党のチラシを配っていた。「私たちの病院を守るために労働党に投票しましょう」「これ以上の予算削減にNHSは耐えられません。緊急病棟の待ち時間は史上最長に達しています」と書かれていた。配偶者が入院したときに良くしてくれた看護師がチラシを配っていた。彼らはみなNHSのスタッフだと言っていた。

 今年で英国に住んで21年目になるが、こんな選挙前の光景は見たこともない。

 一般庶民が、(それも、これまではけっこうノンポリに見えた人々まで)それぞれの持ち場で、自分の職場や病院や子供の学校を守るために立ち上がっていた。

 ほんの7週間前、保守党に24%の差をつけられ、1970年代以来最悪の野党第一党だと言われていた労働党の大躍進を可能にしたのは彼ら地べたの人びとだ。
------------------------------------------------------------

 保守党の緊縮財政、そして福祉・教育・医療切り捨てに怒る英国市民が、労働党を勝たせるために地域から行動する姿を生き生きと描き出している。労働党勝利を願いながら何もせず傍観するのでなく、自分のできる範囲でできることを最大限にやりきるのは今も昔も変わらない運動の基本だ。英国市民は、その歴史上初めて自分たちの手弁当で保守党敗北、労働党躍進という選挙結果を下から作り上げたのである。

 労働党躍進の背景に「英国版野党共闘」の存在があったことも重要だ。公式に労働党との選挙協力を表明し、自分たちの候補を取り下げたのは緑の党だけだが、この他にも自由民主党、女性の平等党、ナショナル・ヘルス・アクション党の活動家たちが水面下で労働党に協力した。自由民主党は1980年代まで社民党との間で自由=社民連合と呼ばれる政党連合を結成していた。その母体となった自由党は、英国に議会制度ができた当時の2大政党、ホイッグ党(民党)の流れを汲む中道政党だ。ナショナル・ヘルス・アクション党とは初めて耳にする名前だが、“National Hearth Action”のことだとすれば、直訳で「国民皆保険のための行動」党という意味になる。NHS(英国版国民皆保険制度)改悪反対だけを目的とした単一争点政党(いわゆるシングル・イシュー政党)だろう。いずれにせよ、こうした「保守党的でない」諸勢力が、労働党の下で公然と、または水面下で緩やかに連携したことも労働党の前進に寄与したことは間違いない。

 もともと、労働党首へのコービンの就任はいくつもの偶然の連続の賜物だった。ストップ戦争連合議長を務めるコービンの運動家としての力量は折り紙付きだが、政治家としての力量には疑問符が付けられていた。労働党政権当時、閣僚など政府要職の経験もなければ党役員経験もほとんどない。党内最左派で、鉄道の再国有化(注2)などを訴えるその公約は前時代的で実現不可能な夢物語と思われていた。数十年来の古い労働党支持者の間でさえ、コービンが首相になる姿は想像できないという声が多かった。要するにコービンの公約や主義主張は「永遠の野党」のものだという評価が大勢だったのだ。

 ●国民を脅して自滅したメイ首相、希望を与えて成功したコービン

 NHSは第2次大戦終了直後の労働党政権が作り出したものだという(ケン・ローチ監督映画『1945年の精神』より)。第2次大戦における英国勝利の立役者だったウィンストン・チャーチルは選挙敗北で労働党のアトリーに政権を譲っていた。ソ連の第2次大戦勝利による社会主義国家の拡大に危機感を抱いた英国は、アトリー政権下で大企業の国有化を進め、福祉国家路線を歩き始めていた。誰が言い出したのかわからないが、当時、英国でこんなジョークが流行したという話がある。

------------------------------------------------------------
 アトリー首相と野党・保守党のチャーチル党首が大規模産業国有化政策をめぐって激しい議論を闘わせた後、国会は一時休憩に入った。先にトイレに入ったアトリーが、出入口から見て最も手前の便器で用を足しているとき、チャーチルが入ってきた。彼は、出入口から見て一番奥、アトリーから見て最も遠い位置にある便器で用を足し始める。

 「どうしたんだい、ウィンストン。なんだか俺を避けているみたいじゃないか」

 アトリーがそう言うと、チャーチルが答える。

 「ああ。お前は大きいものを見ると、何でも国有化しようとするからな」
------------------------------------------------------------

 いかにもイギリスらしく、品位にやや欠けるものの、ウィットに富んだジョークと言えよう。NHSは、このような世界情勢を背景に、大きな政府路線を掲げる労働党政権によって確立した制度なのだ。その後、新自由主義を掲げて首相になったマーガレット・サッチャーも、国民の健康を保持することが国力の増強にも寄与することを理解し、NHSだけは民営化などを一切、行わなかったという(マイケル・ムーア監督映画『シッコ』より)。

 しかし、メイ首相はサッチャーですら手を付けなかったこの領域に今回、無謀にも手を出した。国民投票によるEU離脱決定後、「いま必要なのは、社会のすべての人々のために機能する経済」だと表明したはずの自分の発言をも投げ捨て、高齢者の医療費を死後、彼らの持ち家を処分させることで支払わせようとする制度の創設を公約に掲げた。労働党は、この保守党の公約を「認知症税」制度だと批判。慌てたメイ首相は、この公約は批判されているような認知症税などではなく、高齢者が「生きている間は自宅に住める人道的な制度」だと、安倍首相も真っ青の珍妙きわまる説明をしたが、賢明な英国民には通じなかった。「認知症税」制度創設の公約は結局、撤回に追い込まれた。

 口下手で自分のスピーチ能力に自信のないメイ首相は、コービンとの党首討論に出席しなかった。一方、コービンはNHSや教育、福祉への大規模な財政支出の拡大、鉄道の再国有化などを訴え、テレビ討論でこう述べた――「我々のマニフェストは未来への投資、若者たちへの投資についてのものです。これを法制化して実行できることを誇りに思います」。コービンの目はいつになく生き生きとしていた。

 テレビ討論で、客席に陣取っていた中小企業経営者から「長年の労働党支持者だったが、もう支持するのをやめる。あなたは法人税を26%に引き上げて何をしたいのか」と問われたコービンは、「逆に聞きたいが、あなたは公立学校の一クラスの人数が増え、ぎゅうぎゅう詰めになっているのを見てうれしいですか。子どもたちが、お腹を空かせて学校に行かなければならないのを見てうれしいですか」と反論。「2010年まで法人税は28%だった。保守党政権が減らした法人税を労働党は元に戻すだけだ。この国は富める者と貧しい者とに分断されている。あなたが長年の労働党支持者というなら考えてみてください。我々がどうやって福祉国家やNHSを作ったのか。それは終戦直後の労働党政権が未来に投資する勇気を持ったからです。労働党に任せてくれるなら、我々は再び同じことをやります」と述べ喝采を浴びた。別のメディアとのインタビューで「あなたが強く主張してきた王室廃止などの公約が、なぜ労働党のマニフェストに入っていないのか」と問われたとき、「それは僕が独裁者ではないからです」と答えたことも、党内民主主義を尊重する姿勢を有権者に印象づける上で大きく寄与した。

 労働党の躍進の背景にはこのような大きな流れがあった。政権交代が当たり前の欧米諸国では、どんなに躍進しても政権を奪取できなければ勝利とは評価されない。その意味で、今回の選挙結果は「コービン労働党の半分だけの勝利」と言えるだろう。

 ●日本の市民と野党が汲み取るべき教訓

 時代の主役は依然としてテレビであるものの、インターネットが力を付けつつある現在、説明能力こそが政治家の命運を左右する傾向はますます強まっている。米大統領選におけるドナルド・トランプ勝利は荒唐無稽なことのように思われているが、良い悪いは別として、自分のやりたいこと、目指しているもの、日々思い、考えていることを自分の言葉で発信できる指導者が有利になるのが最近の傾向だ。ヒラリー・クリントンにはトランプが持つような、ある種の明快さがなかったことが敗因のように思われる。

 日本で野党が存在感を発揮できない最大の理由も「卓越した説明能力を持つリーダーの不在」が挙げられる。筆者が各種の集会に参加していて実感するが、野党党首や国会議員たちのスピーチ能力も、話している内容も、日本では市民団体のメンバーとそれほど大きく変わらない。単なる「○○反対、阻止」だけでなく、コービンがそうしたように、自分たちならどうするか、明確なビジョンを語る政治家を登場させなければならない。

 「脅しより希望が勝つ」(英「ガーディアン」紙ライター、ゾーイ・ウィリアムズ)は、この選挙から得られる2つ目の教訓だ。日本の野党は「もし共謀罪が導入されたら今よりもっと悪くなる」と有権者を脅すのは得意だが、「私たちに任せてくれたらこういうふうなバラ色の未来が待っている」という話は過去、ほとんどしてこなかった。労働党が今回やったように、私たちが新自由主義をやめて人々の生活にかかわる部分に税金を投入していくことでバラ色の未来が待っている」ということをもっとアピールすることが、今後の闘いの上で必要だ。希望なきところに未来はない。

 日英の大きな違いがひとつある。英国の労働党は過去に何度も政権を担当した実績を持つが、一党優位政党制が最も極端な形で続く日本では野党の政権担当期間はごくわずかで特筆するような実績も上げていない。日本共産党のように一度も政権担当の経験がない野党も存在する。コービンのように、過去の政権担当時の実績を売りにすることはできないし、何かのビジョンをアピール的に掲げたとしても「どうやって実現するのか」と厳しく問われるだけであろう。

 しかし恐れることはない。政権獲得の見通しが当面ないからこそできることもある。実現可能性を気にせず、思い切り理想主義的で、絵空事のような公約を掲げればよいのだ。万年野党こそ自分たちの有利なポジションを利用すべきだろう。うまくいけば、与党が自分たちの公約にこだわりすぎて失敗したときに、少し現実主義的な案に揉み直して丸呑みしてくれるかもしれないからだ。政権交代ができなくても、それは政策の転換を勝ち取ることにつながる。ただし、政策の転換を勝ち取るには今の自公政権は強力すぎる。もう少し彼らの力を弱めることが必要だ。理想のビジョンを掲げつつ、自公に対する徹底的な批判を並行して展開しなければならない。

 教訓の3つ目は「最も大切なのはいつの時代も経済政策」ということだ。経済というと、市民セクターの人々はすぐに「カネ儲けの話なら願い下げだ」「資本主義反対」と脊髄反射的に拒否することも多い。だがこの場合の経済とは、労働党の言葉を借りれば「ブレッド&バター問題」(直訳すれば「パンとバター問題」)。要するに貧困層を含め、すべての人々を満足に食べさせるための経済政策という意味であり最重要課題だ。市民派、左派と呼ばれる人たちはこれまで、あまりにこの問題を軽視しすぎたように思われる。反原発、基地反対、確かにそれはすばらしいが、人間は腹が減っては戦はできないし、空腹に耐えて反原発デモに来いと呼びかけたところで、「まずは飯を食ってからだ」で話が終わってしまう。経済学者・松尾匡は、左派こそ反緊縮を掲げ、どんどんお札や国債を刷ってカネを作り、政府支出を拡大して社会的弱者のために使えと主張している(「この経済政策が民主主義を救う~安倍政権に勝てる対案」に詳しい)。

 国債は、買いたい人、買うための経済的余裕がある人だけが買い、経済的余裕のない人は買う必要がない。その意味で、国債発行による借金は、貧困層からも容赦なくむしり取る消費税に比べ、はるかに公平でかつ能力に応じた負担といえる。国の借金は増えるが、医療・教育・福祉などの「未来への投資」は必ず健康な国民、優秀な労働者の増加を通じて社会的利益として戻ってくるであろう。

 教訓の4つ目は、左派、リベラルの旗をしっかり立て、野党共闘を構築することである。左派的な態度を明確にしない曖昧な立場のマニフェストでは、緑の党、自由民主党、女性の平等党、ナショナル・ヘルス・アクション党との公然たる、あるいは水面下の協力体制は成立しなかっただろう。弱者救済、反緊縮、そして鉄道などの社会資本は民営から国営へ。保守党に対し、オルタナティブとなるような左派、リベラルのしっかりした旗の下における野党共闘だったからこそ、コービン労働党は英国国民の心を捉えたのだ。

 日本でも野党共闘の動きは「市民連合」を軸に進められつつある。だが、民進党の政策を基本にし、「一緒に闘いたければお前たちが我々に歩み寄れ」という姿勢では掛け声倒れに終わるだろう。そもそも民進党の基本政策は新自由主義、緊縮財政でコービン労働党とも、日本の市民が求めているものとも相容れないし、経済以外の政策を見ても自民党と大差ない。英国のような「左派的野党共闘」となるにはあまりに右寄り過ぎ、この旗の下で結集するには他の野党(とりわけ日本共産党)にとって失うものが多すぎる。それこそが野党共闘の阻害要因になっていることを、いい加減、民進党は自覚すべきだ。左右対立で党内のとりまとめができないなら、思い切って右派に離党を促し、残った者だけで左派、リベラルの旗をしっかり立てる。その旗の下に「自公政権的でない」市民と野党を束ねる。そのような地道な行動なくして、真の野党共闘は構築できないと知るべきだ。

 ともに立憲君主制であり、議院内閣制であり、島国であり、小選挙区制であり、民意を2大政党に吸収させたいと願いながら実現せず、未来より過去にノスタルジーを抱いている。こうしてみると、日英両国はあまりに似ていて兄弟のようだ。これだけ似ているのだから、英総選挙の結果から教訓を引き出すという筆者の本稿における作業も、きっと日本政治の閉塞状況を打破する上で役に立つものと信じたい。

<参考資料・文献>

コービン労働党が奇跡の猛追。「21世紀の左派のマニフェスト」とは?(ブレイディみかこ氏の2017.5.31付け記事)

●コービン労働党まさかの躍進。その背後には地べたの人々の運動(ブレイディみかこ氏の2017.6.9付け記事)

注1)閣外協力とは、一般的に、政権内に閣僚を送り込まず、与党と政策協定を結び、国会で政府提出議案に賛成するなどして閣外からほぼ全面的に政権に協力することをいう。日本ではなじみのない言葉だが、与野党対決法案を含め、自公政権が提出した議案のほとんどに賛成している日本維新の会は、自公両党と政策協定こそ結んでいないものの、欧米諸国の定義に従えば実質的な閣外協力「与党」と評して差し支えないであろう。

注2)英国の鉄道は、日本にならって分割民営化されたが、「上」(列車運行部門)と「下」(設備保有部門)合わせて100社以上に分割されるというでたらめなものだった。2000年、保線の不備から線路が砕け列車が脱線、4人が死亡した「ハットフィールド事故」をきっかけに、英政府は民営化の失敗を宣言。「下」部門のレールトラック社(営利組織)を「ネットワークレイル社」(非営利組織)に改めた。「下」の非営利事業化はすでに実現していることから、コービンの言う再国有化とは、上下を共に国有国営に戻す「再国鉄化」を意味するものと受け止められている。

(黒鉄好・2017年8月20日)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

2017年 六ヶ所ピースメッセージ

2017-08-22 21:37:50 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
昨年に引き続き、今年も六ヶ所ピースサイクルへのメッセージ依頼があった。以下、当ブログが寄せたメッセージをご紹介する。

------------------------------------------------------------------------
六カ所ピースメッセージ

 青森県知事 殿
 六ヶ所村長 殿
 日本原燃株式会社代表取締役社長 殿

 六ヶ所村の使用済み核燃料「再処理」工場とともに核燃料サイクルの中核的施設であった高速増殖炉「もんじゅ」はついに廃炉が決まり、核燃料サイクル政策の完全な破たんはもはや覆い隠すことができなくなりました。

 日本政府は、フランス政府との間で新型高速炉「ASTRID」共同研究の道を探るなど、なおも核燃料サイクルにしがみつこうとしています。しかし、「ASTRID」も実現の見通しはありません。「もんじゅ」が破たんした以上、「核燃料サイクル」政策の中でこれと一体だった六ヶ所村の「再処理」工場だけを残す選択はあり得ません。核燃料サイクル計画全体の破たんを認め、「再処理」からも撤退すべきです。

 「もんじゅ」の失敗は、日本の商業用原発が向かう「未来」の予想図でもあります。使用済み核燃料の行き場がなくなり、日本の商業用原発はいずれ全面停止となるでしょう。

 未来のない原子力推進から脱原子力へ、青森県、六ヶ所村、日本原燃が、勇気を奮って、政策を転換するよう強く望みます。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

33回忌の節目迎えた「御巣鷹」 悲劇の地から「安全の聖地」への新たなステージ

2017-08-16 23:19:23 | 鉄道・公共交通/安全問題
1985年8月12日に起きた日航123便ジャンボ機墜落事故から32年となった。麓の川では灯籠流し、「慰霊の園」では上野村主催の慰霊式と、今年も恒例の追悼行事が滞りなく行われた。

32年というのは数字上は節目ではないが、仏教では33回忌の節目に当たる。37回忌、50回忌の法要を行う宗派もあるが、37回忌はともかく50回忌となると、弔う側も「弔われる側」になっている場合がほとんどで、行われている実例を見聞きしたことはない。多くの宗派は33回忌で「弔い上げ」として法要の区切りにすることが多く、仏教の上では大きな節目の年であったと言えよう。


慰霊を伝える記事(2017年8月13日付「北海道新聞」)



実は、筆者は8月11~12日にかけて都内にいた。せっかく事故当日の12日に都内にいるのだから、御巣鷹の尾根に足を伸ばし、事故当日の追悼の雰囲気がどのようなものか知りたいと思った。真夏とは思えない雨天続きの異例の天気の中を、新幹線で高崎まで行き、高崎駅でレンタカーまで借りて現地入りを目指した。だが、現地を前にして、交通整理に当たっていた警備員(日航職員?)に「遺族の方ですか?」と問われ、違うと正直に答えたところ「遺族以外の方の登山は事故当日はご遠慮いただいております」と言われ、引き返すことになってしまった。

メディア報道を見ると、この事故の直接の犠牲者遺族でない方々、例えばJR福知山線脱線事故の遺族なども慰霊登山をしている。遺族だと「虚偽申告」をして慰霊登山を強行するという方法もあり得た。だが、事故の傷が癒えないまま、今も悲しみを抱いてここに来ている遺族を前にしてそのような行為をするのは気が引けたし、天気もあまりよくなかったため、無理をせず引き返すことにしたが、せめて「慰霊の園」だけでも訪問したいと思った。幸い慰霊の園は出入り自由だったので、お線香をあげてきた。

御巣鷹の尾根慰霊登山の体験記をアップしているブログやサイトはそれなりの数、存在しているが、「事故当日の8月12日は遺族以外は登れない」とはどのブログ・サイトにも書いていなかったから行けると思っていた。筆者の事前調査不足が原因であり、誰を恨むつもりもないが、事故27年の2012年に訪問した際も、尾根の入口まで来ながら、雷鳴が轟き始めたため登山を断念している。3回訪問して無事、尾根に登れたのが1回だけとは、噂には聞いていたが、なかなか厳しい山だ。

そんな「御巣鷹の尾根」だが、記事にあるように、事故から30年以上の時を経て位置づけが大きく変わってきた。高齢化した遺族の中には尾根への登山を断念せざるを得ない人たちが出てきたが、それに代わるように、遺族の子や孫といった若い世代が慰霊登山を引き継ぎながら今日まで来ている。直接の遺族でない方の慰霊登山も(8月12日を避ける形で)増えてきた。この事故を初め、JR福知山線脱線事故など多くの公共交通の事故と向き合ってきた柳田国男さんのコメントが、その変化をうまく言い表している。「大事故も、歳月の中でポジティブな意味を持ち得る。遺族だけでなく、日航や地域住民なども加わり、山を守り育ててきた。それが磁場のように、人を呼び寄せる力を与えたのだろう」。

「悲劇の地」から「安全の聖地」へ――御巣鷹の尾根は、もちろん順風満帆に変化を遂げてきたわけではなく、この間、様々な紆余曲折があった。そのようなポジティブな変化の背景を、美谷島邦子さんの存在を抜きにしては語れないだろう。美谷島さんは、遺族でつくる「8.12連絡会」の事務局長を、創設以来30年以上にわたって一貫して務めてきた。日航に責任を取らせたい、事故の真相を究明したい、二度と同じ事故を起こさせたくないという「筋」を通しながらも、時として苦しむ遺族にも柔軟に向き合い、相談に乗ってきた。8.12連絡会にならってJR福知山線脱線事故遺族が作った「4.25ネットワーク」が事実上、休眠状態になっている中で、公共交通事故の遺族会としては最も古い8.12連絡会が今なお活動を続けているのは、美谷島さんの卓越した能力・見識・人望に負うところが大きい。

『1989年11月22日、日航機事故から4年3ヵ月、検察の下した結論は、全員不起訴でした。事故の責任は、誰ひとり問われませんでした。現実に、何らかの原因で520人は死んでいったにも関わらず、です。法律っていったい、誰のためにあるのだろう。ごく普通の市民の生活や命が守られるためにあるはずなのに。市民の感覚が生きた司法の仕組みが欲しい。今ある法の仕組みの中で、私たち市民に与えられた手段は限られているけれど、できることはすべて取り組もう。そう思いました』

この一文は、筆者も加わっている福島原発告訴団が東京電力を告訴・告発した際に、美谷島さんが福島原発告訴団宛てに寄せてくださったものである。企業犯罪で誰も責任が問われない、この国の巨大な無責任システムへの無念と怒り、そしてそれを社会を変えるエネルギーにしていこうとする美谷島さんの決意が感じられる。私たちも大いに励まされるし、懸命に取り組んできた先達である美谷島さんの決意を私たちも引き継ぎたいと思っている。

美谷島さんがかつて直面し、藤崎光子さんたちがJR福知山線事故で再び直面し、そして筆者が今、福島原発事故で三たび直面している「無責任システム」という名の巨大な壁。しかし、少しずつ世の中が進歩していることも感じる。JR福知山線事故、福島原発事故では美谷島さんたちがかなえられなかった強制起訴を実現した。美谷島さんたち、日航機事故の遺族が望んだ「再発防止」の願いは、何よりも御巣鷹を最後に32年間、1件の航空死亡事故も起きていないことによって事実上かなえられている。「今度あのような大事故を起こしたら、間違いなくうちの会社はなくなります」。JALの経営破たんのあおりで不当解雇された165人の労働者のうち、あるパイロットの被解雇者に話を聞く機会があった。こう話す彼の目は真剣そのものだった。

政府が、ありもしない急減圧をでっち上げ、ウソで塗り固めた事故調査報告書を発表しても、遺族と心ある労働者の真摯な取り組みによって、32年間航空死亡事故ゼロという金字塔が打ち立てられた。市民・遺族・労働者によって下から作られた航空安全文化という、日本社会にとってかけがえのない財産。御巣鷹は今、その財産の象徴としての地位を確立しつつあるのだ。

8月12日、御巣鷹の尾根への登頂は、遺族でないという理由で実現しなかった。だが、事故当日、遺族以外の入山を制限しなければならないほど多くの人々が御巣鷹に関心を寄せているという事実に筆者は満足を覚えた。この「山」に関する限り、安全問題研究会の役割は終わりつつある。残された課題は、事故原因調査のやり直しを国に、165名の被解雇者の職場復帰をJALに、それぞれ求めていくことくらいだろう。御巣鷹の尾根への慰霊登山は、もう遺族の子・孫や安全文化の新たな担い手として登場した若者に任せ、安全問題研究会はしばらく、JRローカル線問題と原発問題に徹してもよいのではないか――今、私にはそんな思いも芽生え始めている。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【転載記事】福島・茨城の子どもたちの7割で今も内部被曝が続いていることを示す論文が発表

2017-08-05 23:54:36 | 原発問題/一般
福島・茨城の子どもたちの7割で今も内部被曝が続いている――そんな内容を追跡調査によって明らかにした論文が神戸大学から発表された。著者は山内知也さん。この間、福島の子どもたちに寄り添い、内部被曝の実態を追い続けてきた信頼できる研究者だ。

この他にも、自然界に存在する天然放射能・カリウム40とセシウム134・137の体内における挙動や影響の違いを考察している(「放射能はもともと自然界に存在していたのだからこの程度の内部被曝は影響がない」との非科学的な主張を続けている「御用学者」を論破する根拠を提供している)。過去の核保有国による大気圏内核実験の影響を除去できるような測定方法を採っていることも特徴だ。西日本と福島・茨城の子どもたちの尿検査の結果を対比することで内部被曝の影響を明らかにするという、オーソドックスで確実な手法によっている。

福島を中心に、子どもの健康への影響を心配する市民たちが、尿検査の実施をあれほど強く求めてきたにもかかわらず、国も県も頑として応じなかった理由がわかった。尿検査によってこの結果が明らかになることを国・県の「御用学者」側はとっくに知っており、だからこそ尿検査を拒み続けてきたのである。

注目の論文は、神戸大学サイト内の東京電力福島第一原発事故後の延べ100人の子どもの尿中の放射性セシウム濃度測定結果から見ることができる。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【訃報】気象解説者・倉嶋厚さん死去

2017-08-04 23:28:53 | 気象・地震
気象キャスター・エッセイストの倉嶋厚さん死去(読売)

-----------------------------------------------------
 気象キャスターの草分けで、エッセイストとしても知られる倉嶋厚(くらしま・あつし)さんが3日、腎盂(じんう)がんのため、埼玉県内の病院で死去した。

 93歳だった。告別式は家族葬で行う。

 長野市生まれ。中央気象台付属気象技術官養成所(現・気象大学校)卒。気象庁に入り、主任予報官や鹿児島地方気象台長などを歴任した。定年退職後の1984年からNHK「ニュースセンター9時」の気象キャスターを務め、天気予報を楽しい語り口で解説してお茶の間の人気者になった。日本の気候風土をテーマにしたエッセーにも定評があった。

 2002年には、うつ病を克服した体験をつづった「やまない雨はない」を出版し、話題を呼んだ。自殺防止のための講演活動にも力を注いだ。
-----------------------------------------------------

気象解説者の倉嶋厚さんが死去した。途中、うつ病を発症するなどの苦難に見舞われながらも、93歳の大往生。当ブログ管理人にとっては、気象学への興味を持つきっかけを作ってくれた恩人である。倉嶋さんと出会わなければ、私が気象や地震などに関する解説記事をこうして書くこともなかっただろう。

読売の記事は倉嶋さんの肩書きを気象「キャスター」としているが、最近のチャラチャラした「お天気お兄さん/お姉さん」とは違い、気象「解説者」との呼称がふさわしいと思う。「明日の天気、○○地方は××」と読み上げるだけのものがほとんどだった当時の「天気予報」を、気象に関する情報を総合的に解説する「気象情報」へと脱皮させるきっかけを作った人である。

NHK「ニュースセンター9時」(現在の「ニュースウォッチ9」の前身)での気象解説に加え、1985年4月から1年間にわたって放送されたNHK「金曜お天気博士」での解説は本当に面白く、飽きさせなかった。「1年見たらあなたも予報官になれる」がキャッチフレーズのこの番組の影響で、当ブログ管理人が気象庁の予報官になりたいと思い始めたのはこの頃だった。ちょうど、当時のクラス担任が理科の教師だったので、その夢を伝えたところ「それには気象大学校というところに行かなければならないが、京大理学部と同じくらいの学力が必要だ」と言われて断念した。気象予報士の制度は当時はなく、天気予報業務をするには気象庁に入り、予報官になるしか道がなかった。気象庁以外で天気予報業務を許されていたのは日本気象協会だけで、天気予報業務は完全に「官」の独占という時代だった(当時から「ウェザーニュース」など民間の気象会社はあったが、気象庁が発表した予報をメディアで流すのがこれらの会社の仕事だった)。

代わりに、この担任の教師に勧められて、天気図の作成をほぼ1年間続けた。NHKラジオ第2で放送されている「気象通報」という番組を聴き、その内容を天気図に落としていくというものだった。気象通報は20分番組で、当時は9時10分~30分(気象庁予報部の6時発表分)、16時00分~20分(同、正午発表分)、22時00分~20分(同、18時発表分)の3回放送。この他、当時はラジオたんぱ(現在の「ラジオNIKKEI」)でも1日1回、放送されていた記憶がある。現在と異なりインターネットがなかったため、遠洋漁業に出ている漁船員や登山中の山岳部員など、自分のいる場所の天気を予測する必要のある人たちを中心に、気象通報は重宝されていた。

気象通報の放送で使用されるデータは、気象庁のホームページに掲載されており、過去1週間分に限り見ることができる。私が天気図を作成していた1985年当時は、韓国の都市名は「釜山」(フザン)、済州島(サイシュウトウ)など日本語読みのところも多かった。サハリン・ポロナイスクの当時の呼称は旧日本時代の敷香(シスカ)、現在の「ルドナヤプリスタニ」は当時は「テチューヘ」だった。番組の最後に海上自衛隊による射撃訓練の告知、さらに、3ヶ月に1回程度、気象庁水路部が発表する「黒潮海流予報」が放送されることもあった。こうした気象通報の内容の変遷に関しては、個人の趣味サイトだが、埼玉県熊谷市在住の「クゲール」さんによる3776NETの「天気図&気象通報伝説」に詳しく掲載されている。「測候所の自動観測化で気象通報が危ない!」と題した記事は、わずか1年間とはいえ、天気図作成を実際に行ったことのある私にとっては、非常に説得力のあるものになっている。

私は今も時々気象通報を聴くときがある。一般の人にとっては単調でつまらないデータの羅列かもしれないが、私が今でも気象通報を聴くだけで、おおよその天気図が脳内に浮かび、翌日~翌々日の天気程度なら予測を立てられるのも、この天気図作成の経験があるからだ。

気象通報は、現在は16時00分~20分の1日1回だけの放送になってしまった。インターネットの発達などを理由に2014年度から縮小されたようだが、私は今でもこれに納得していないし、NHK籾井会長時代の最大の改悪だと思っている。遠洋漁業の漁船員、山岳部員といった人たちは、基地局から遠すぎてインターネットの使えない環境に置かれることも珍しくなく、これらの人々にとってラジオで聴ける気象通報は命綱と言っていいからである。

実は、当ブログ管理人は、今、気象予報士の資格の取得を考えている。独立できる資格ではないし、近年は人気も下降気味だが、防災、農業関係などきめ細かな気象情報を必要とする企業・団体は数多いし、近年のゲリラ豪雨の多発などを受けて、人々の気象への関心は高まる一方だ。今の仕事と職場に大きな不満はないものの、将来、何らかの理由で今の職業を続けられなくなった場合に備え、食い扶持は少しでも増やしておくほうがいいと思っている。もし、倉嶋さんに出会っていなかったら、気象予報士に挑戦しようなどとはおそらく考えもしなかっただろう。その意味で、倉嶋さんは私の人生にも多くの影響を与えた人だと思っている。改めて哀悼の意を表したい。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【管理人よりお知らせ】安全問題研究会サイトに「当面のJRグループ組織体制改革私案」を掲載しました

2017-08-02 21:53:05 | 鉄道・公共交通/交通政策
管理人よりお知らせです。

安全問題研究会サイトに「当面のJRグループ組織体制改革私案」を掲載しました。「JRグループの抜本的な組織再編について(説明)」と具体的な再編の「イメージ図」から成っています。

この私案は、深刻な経営危機に陥っているJR北海道の救済を第1の目的としながらも、JRグループによる鉄道事業が今後も持続可能になるような抜本的な改革を目指して、当研究会がまとめたものです。

具体的には、JRグループ各社が保有している線路及び地上施設を政府が買収し、新たに設立する日本鉄道保有公団(仮称)の所有に移すことを骨子としています。現在は上下一体で運営されているJRグループの体制を抜本的に改めて上下を分離するとともに、「下」(線路及び地上施設の保有及び維持管理)を国有化するというものです。

国鉄再建の議論が本格化する前の1982(昭和57)年、当時の運輸省(現国土交通省)内で策定され、小坂徳三郎運輸相が鈴木善幸首相(いずれも当時)に上申した幻の上下分離案――「国鉄再建方策」をモデルにしています。当時としては先進的で、現在もなお色あせることのない上下分離案を、今度こそ幻から現実にしたいと考えています。

なお、この案を携え、当研究会は今後、省庁、議員要請等を行う計画です。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする