(当エントリは、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2017年9月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)
すでに2ヶ月以上経過してしまったが、6月8日(現地時間)に投票が行われた英総選挙は、EU離脱に向け、保守党が大勝して引き続きメイ首相が主導権を維持するとの下馬評を覆し、終わってみれば保守党が下院(庶民院とも。日本の衆院に相当)で単独過半数割れを起こすという番狂わせとなった。単独では予算も法律案も通せなくなった保守党は、北アイルランドの地域政党、民主統一党(DUP)の閣外協力(注1)を得てなんとか政権を維持する見込みだという。
キャメロン首相時代以来の「ハング・パーラメント」(どの政党も単独で過半数を握れない「宙吊り議会」)を生み出した背景に何があるのか。7月の都議選で自民を大惨敗させ、安倍1強が大きく揺らいでいるものの、自民1党支配体制にはまったく変化がなく、安倍政権に呻吟している日本の市民がコービン労働党の勝利から汲み取るべき教訓は何か。日本で年内にもあり得ると噂される「改憲一か八か総選挙」に向け、改憲阻止を確実なものにするためにも整理しておくことはきわめて重要である。
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英市民が手弁当で作った「野党共闘」
「今年で英国に住んで21年目になるが、こんな選挙前の光景は見たこともない」――労働党が下馬評を覆して躍進、保守党が過半数割れを起こした選挙結果をこう評するのは、福岡市出身で1996年から英国に在住する保育士、ブレイディみかこさんだ。彼女は、選挙期間中の光景をこのように書き綴っている。
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総選挙の3日前、息子の学校の前でPTAが労働党のチラシを配っていた。「私たちの学校を守るために労働党に投票しましょう」「保守党は私たちの市の公立校の予算を1300万ポンド削減しようとしています」と書かれていた。息子のクラスメートの母親が、「労働党よ。お願いね」とチラシを渡してくれた。
その翌日、治療で国立病院に行くと、外の舗道で人々が労働党のチラシを配っていた。「私たちの病院を守るために労働党に投票しましょう」「これ以上の予算削減にNHSは耐えられません。緊急病棟の待ち時間は史上最長に達しています」と書かれていた。配偶者が入院したときに良くしてくれた看護師がチラシを配っていた。彼らはみなNHSのスタッフだと言っていた。
今年で英国に住んで21年目になるが、こんな選挙前の光景は見たこともない。
一般庶民が、(それも、これまではけっこうノンポリに見えた人々まで)それぞれの持ち場で、自分の職場や病院や子供の学校を守るために立ち上がっていた。
ほんの7週間前、保守党に24%の差をつけられ、1970年代以来最悪の野党第一党だと言われていた労働党の大躍進を可能にしたのは彼ら地べたの人びとだ。
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保守党の緊縮財政、そして福祉・教育・医療切り捨てに怒る英国市民が、労働党を勝たせるために地域から行動する姿を生き生きと描き出している。労働党勝利を願いながら何もせず傍観するのでなく、自分のできる範囲でできることを最大限にやりきるのは今も昔も変わらない運動の基本だ。英国市民は、その歴史上初めて自分たちの手弁当で保守党敗北、労働党躍進という選挙結果を下から作り上げたのである。
労働党躍進の背景に「英国版野党共闘」の存在があったことも重要だ。公式に労働党との選挙協力を表明し、自分たちの候補を取り下げたのは緑の党だけだが、この他にも自由民主党、女性の平等党、ナショナル・ヘルス・アクション党の活動家たちが水面下で労働党に協力した。自由民主党は1980年代まで社民党との間で自由=社民連合と呼ばれる政党連合を結成していた。その母体となった自由党は、英国に議会制度ができた当時の2大政党、ホイッグ党(民党)の流れを汲む中道政党だ。ナショナル・ヘルス・アクション党とは初めて耳にする名前だが、“National Hearth Action”のことだとすれば、直訳で「国民皆保険のための行動」党という意味になる。NHS(英国版国民皆保険制度)改悪反対だけを目的とした単一争点政党(いわゆるシングル・イシュー政党)だろう。いずれにせよ、こうした「保守党的でない」諸勢力が、労働党の下で公然と、または水面下で緩やかに連携したことも労働党の前進に寄与したことは間違いない。
もともと、労働党首へのコービンの就任はいくつもの偶然の連続の賜物だった。ストップ戦争連合議長を務めるコービンの運動家としての力量は折り紙付きだが、政治家としての力量には疑問符が付けられていた。労働党政権当時、閣僚など政府要職の経験もなければ党役員経験もほとんどない。党内最左派で、鉄道の再国有化(注2)などを訴えるその公約は前時代的で実現不可能な夢物語と思われていた。数十年来の古い労働党支持者の間でさえ、コービンが首相になる姿は想像できないという声が多かった。要するにコービンの公約や主義主張は「永遠の野党」のものだという評価が大勢だったのだ。
●国民を脅して自滅したメイ首相、希望を与えて成功したコービン
NHSは第2次大戦終了直後の労働党政権が作り出したものだという(ケン・ローチ監督映画『1945年の精神』より)。第2次大戦における英国勝利の立役者だったウィンストン・チャーチルは選挙敗北で労働党のアトリーに政権を譲っていた。ソ連の第2次大戦勝利による社会主義国家の拡大に危機感を抱いた英国は、アトリー政権下で大企業の国有化を進め、福祉国家路線を歩き始めていた。誰が言い出したのかわからないが、当時、英国でこんなジョークが流行したという話がある。
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アトリー首相と野党・保守党のチャーチル党首が大規模産業国有化政策をめぐって激しい議論を闘わせた後、国会は一時休憩に入った。先にトイレに入ったアトリーが、出入口から見て最も手前の便器で用を足しているとき、チャーチルが入ってきた。彼は、出入口から見て一番奥、アトリーから見て最も遠い位置にある便器で用を足し始める。
「どうしたんだい、ウィンストン。なんだか俺を避けているみたいじゃないか」
アトリーがそう言うと、チャーチルが答える。
「ああ。お前は大きいものを見ると、何でも国有化しようとするからな」
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いかにもイギリスらしく、品位にやや欠けるものの、ウィットに富んだジョークと言えよう。NHSは、このような世界情勢を背景に、大きな政府路線を掲げる労働党政権によって確立した制度なのだ。その後、新自由主義を掲げて首相になったマーガレット・サッチャーも、国民の健康を保持することが国力の増強にも寄与することを理解し、NHSだけは民営化などを一切、行わなかったという(マイケル・ムーア監督映画『シッコ』より)。
しかし、メイ首相はサッチャーですら手を付けなかったこの領域に今回、無謀にも手を出した。国民投票によるEU離脱決定後、「いま必要なのは、社会のすべての人々のために機能する経済」だと表明したはずの自分の発言をも投げ捨て、高齢者の医療費を死後、彼らの持ち家を処分させることで支払わせようとする制度の創設を公約に掲げた。労働党は、この保守党の公約を「認知症税」制度だと批判。慌てたメイ首相は、この公約は批判されているような認知症税などではなく、高齢者が「生きている間は自宅に住める人道的な制度」だと、安倍首相も真っ青の珍妙きわまる説明をしたが、賢明な英国民には通じなかった。「認知症税」制度創設の公約は結局、撤回に追い込まれた。
口下手で自分のスピーチ能力に自信のないメイ首相は、コービンとの党首討論に出席しなかった。一方、コービンはNHSや教育、福祉への大規模な財政支出の拡大、鉄道の再国有化などを訴え、テレビ討論でこう述べた――「我々のマニフェストは未来への投資、若者たちへの投資についてのものです。これを法制化して実行できることを誇りに思います」。コービンの目はいつになく生き生きとしていた。
テレビ討論で、客席に陣取っていた中小企業経営者から「長年の労働党支持者だったが、もう支持するのをやめる。あなたは法人税を26%に引き上げて何をしたいのか」と問われたコービンは、「逆に聞きたいが、あなたは公立学校の一クラスの人数が増え、ぎゅうぎゅう詰めになっているのを見てうれしいですか。子どもたちが、お腹を空かせて学校に行かなければならないのを見てうれしいですか」と反論。「2010年まで法人税は28%だった。保守党政権が減らした法人税を労働党は元に戻すだけだ。この国は富める者と貧しい者とに分断されている。あなたが長年の労働党支持者というなら考えてみてください。我々がどうやって福祉国家やNHSを作ったのか。それは終戦直後の労働党政権が未来に投資する勇気を持ったからです。労働党に任せてくれるなら、我々は再び同じことをやります」と述べ喝采を浴びた。別のメディアとのインタビューで「あなたが強く主張してきた王室廃止などの公約が、なぜ労働党のマニフェストに入っていないのか」と問われたとき、「それは僕が独裁者ではないからです」と答えたことも、党内民主主義を尊重する姿勢を有権者に印象づける上で大きく寄与した。
労働党の躍進の背景にはこのような大きな流れがあった。政権交代が当たり前の欧米諸国では、どんなに躍進しても政権を奪取できなければ勝利とは評価されない。その意味で、今回の選挙結果は「コービン労働党の半分だけの勝利」と言えるだろう。
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日本の市民と野党が汲み取るべき教訓
時代の主役は依然としてテレビであるものの、インターネットが力を付けつつある現在、説明能力こそが政治家の命運を左右する傾向はますます強まっている。米大統領選におけるドナルド・トランプ勝利は荒唐無稽なことのように思われているが、良い悪いは別として、自分のやりたいこと、目指しているもの、日々思い、考えていることを自分の言葉で発信できる指導者が有利になるのが最近の傾向だ。ヒラリー・クリントンにはトランプが持つような、ある種の明快さがなかったことが敗因のように思われる。
日本で野党が存在感を発揮できない最大の理由も「卓越した説明能力を持つリーダーの不在」が挙げられる。筆者が各種の集会に参加していて実感するが、野党党首や国会議員たちのスピーチ能力も、話している内容も、日本では市民団体のメンバーとそれほど大きく変わらない。単なる「○○反対、阻止」だけでなく、コービンがそうしたように、自分たちならどうするか、明確なビジョンを語る政治家を登場させなければならない。
「脅しより希望が勝つ」(英「ガーディアン」紙ライター、ゾーイ・ウィリアムズ)は、この選挙から得られる2つ目の教訓だ。日本の野党は「もし共謀罪が導入されたら今よりもっと悪くなる」と有権者を脅すのは得意だが、「私たちに任せてくれたらこういうふうなバラ色の未来が待っている」という話は過去、ほとんどしてこなかった。労働党が今回やったように、私たちが新自由主義をやめて人々の生活にかかわる部分に税金を投入していくことでバラ色の未来が待っている」ということをもっとアピールすることが、今後の闘いの上で必要だ。希望なきところに未来はない。
日英の大きな違いがひとつある。英国の労働党は過去に何度も政権を担当した実績を持つが、一党優位政党制が最も極端な形で続く日本では野党の政権担当期間はごくわずかで特筆するような実績も上げていない。日本共産党のように一度も政権担当の経験がない野党も存在する。コービンのように、過去の政権担当時の実績を売りにすることはできないし、何かのビジョンをアピール的に掲げたとしても「どうやって実現するのか」と厳しく問われるだけであろう。
しかし恐れることはない。政権獲得の見通しが当面ないからこそできることもある。実現可能性を気にせず、思い切り理想主義的で、絵空事のような公約を掲げればよいのだ。万年野党こそ自分たちの有利なポジションを利用すべきだろう。うまくいけば、与党が自分たちの公約にこだわりすぎて失敗したときに、少し現実主義的な案に揉み直して丸呑みしてくれるかもしれないからだ。政権交代ができなくても、それは政策の転換を勝ち取ることにつながる。ただし、政策の転換を勝ち取るには今の自公政権は強力すぎる。もう少し彼らの力を弱めることが必要だ。理想のビジョンを掲げつつ、自公に対する徹底的な批判を並行して展開しなければならない。
教訓の3つ目は「最も大切なのはいつの時代も経済政策」ということだ。経済というと、市民セクターの人々はすぐに「カネ儲けの話なら願い下げだ」「資本主義反対」と脊髄反射的に拒否することも多い。だがこの場合の経済とは、労働党の言葉を借りれば「ブレッド&バター問題」(直訳すれば「パンとバター問題」)。要するに貧困層を含め、すべての人々を満足に食べさせるための経済政策という意味であり最重要課題だ。市民派、左派と呼ばれる人たちはこれまで、あまりにこの問題を軽視しすぎたように思われる。反原発、基地反対、確かにそれはすばらしいが、人間は腹が減っては戦はできないし、空腹に耐えて反原発デモに来いと呼びかけたところで、「まずは飯を食ってからだ」で話が終わってしまう。経済学者・松尾匡は、左派こそ反緊縮を掲げ、どんどんお札や国債を刷ってカネを作り、政府支出を拡大して社会的弱者のために使えと主張している(「この経済政策が民主主義を救う~安倍政権に勝てる対案」に詳しい)。
国債は、買いたい人、買うための経済的余裕がある人だけが買い、経済的余裕のない人は買う必要がない。その意味で、国債発行による借金は、貧困層からも容赦なくむしり取る消費税に比べ、はるかに公平でかつ能力に応じた負担といえる。国の借金は増えるが、医療・教育・福祉などの「未来への投資」は必ず健康な国民、優秀な労働者の増加を通じて社会的利益として戻ってくるであろう。
教訓の4つ目は、左派、リベラルの旗をしっかり立て、野党共闘を構築することである。左派的な態度を明確にしない曖昧な立場のマニフェストでは、緑の党、自由民主党、女性の平等党、ナショナル・ヘルス・アクション党との公然たる、あるいは水面下の協力体制は成立しなかっただろう。弱者救済、反緊縮、そして鉄道などの社会資本は民営から国営へ。保守党に対し、オルタナティブとなるような左派、リベラルのしっかりした旗の下における野党共闘だったからこそ、コービン労働党は英国国民の心を捉えたのだ。
日本でも野党共闘の動きは「市民連合」を軸に進められつつある。だが、民進党の政策を基本にし、「一緒に闘いたければお前たちが我々に歩み寄れ」という姿勢では掛け声倒れに終わるだろう。そもそも民進党の基本政策は新自由主義、緊縮財政でコービン労働党とも、日本の市民が求めているものとも相容れないし、経済以外の政策を見ても自民党と大差ない。英国のような「左派的野党共闘」となるにはあまりに右寄り過ぎ、この旗の下で結集するには他の野党(とりわけ日本共産党)にとって失うものが多すぎる。それこそが野党共闘の阻害要因になっていることを、いい加減、民進党は自覚すべきだ。左右対立で党内のとりまとめができないなら、思い切って右派に離党を促し、残った者だけで左派、リベラルの旗をしっかり立てる。その旗の下に「自公政権的でない」市民と野党を束ねる。そのような地道な行動なくして、真の野党共闘は構築できないと知るべきだ。
ともに立憲君主制であり、議院内閣制であり、島国であり、小選挙区制であり、民意を2大政党に吸収させたいと願いながら実現せず、未来より過去にノスタルジーを抱いている。こうしてみると、日英両国はあまりに似ていて兄弟のようだ。これだけ似ているのだから、英総選挙の結果から教訓を引き出すという筆者の本稿における作業も、きっと日本政治の閉塞状況を打破する上で役に立つものと信じたい。
<参考資料・文献>
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コービン労働党が奇跡の猛追。「21世紀の左派のマニフェスト」とは?(ブレイディみかこ氏の2017.5.31付け記事)
●コービン労働党まさかの躍進。その背後には地べたの人々の運動(ブレイディみかこ氏の2017.6.9付け記事)
注1)閣外協力とは、一般的に、政権内に閣僚を送り込まず、与党と政策協定を結び、国会で政府提出議案に賛成するなどして閣外からほぼ全面的に政権に協力することをいう。日本ではなじみのない言葉だが、与野党対決法案を含め、自公政権が提出した議案のほとんどに賛成している日本維新の会は、自公両党と政策協定こそ結んでいないものの、欧米諸国の定義に従えば実質的な閣外協力「与党」と評して差し支えないであろう。
注2)英国の鉄道は、日本にならって分割民営化されたが、「上」(列車運行部門)と「下」(設備保有部門)合わせて100社以上に分割されるというでたらめなものだった。2000年、保線の不備から線路が砕け列車が脱線、4人が死亡した「ハットフィールド事故」をきっかけに、英政府は民営化の失敗を宣言。「下」部門のレールトラック社(営利組織)を「ネットワークレイル社」(非営利組織)に改めた。「下」の非営利事業化はすでに実現していることから、コービンの言う再国有化とは、上下を共に国有国営に戻す「再国鉄化」を意味するものと受け止められている。
(黒鉄好・2017年8月20日)