安全問題研究会~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

公共交通と原発を中心に社会を幅広く考える。連帯を求めて孤立を恐れず、理想に近づくため毎日をより良く生きる。

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●管理人の寄稿
月刊『住民と自治』 2022年8月号 住民の足を守ろう―権利としての地域公共交通
核のない未来を願って 松井英介遺稿・追悼集(緑風出版)

●安全問題研究会が、JRグループ再国有化をめざし日本鉄道公団法案を決定!

●安全問題研究会政策ビラ・パンフレット
こんなにおかしい!ニッポンの鉄道政策
私たちは根室線をなくしてはならないと考えます
国は今こそ貨物列車迂回対策を!

札幌市営地下鉄全線に乗る

2012-10-31 22:34:20 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
(写真と以下の記事は関係ありません)

せっかく北海道に来ているので、次の仕事先への移動時間を利用して札幌市営地下鉄の全線完乗を試みる。

帯広市内から特急「スーパーおおぞら」新札幌へ移動。東西線に乗り、終点の宮の沢へ。宮の沢から折り返し大通へ。

続いては南北線だ。まずは真駒内まで移動。真駒内終演はまさに今が紅葉の見頃で、木々が見事な色に染まっている。真駒内から折り返して麻生(あさぶ)まで乗り通す。麻生から折り返して札幌へ。ここで軽く昼食を摂る。

最後に残った東豊線だ。札幌から福住に移動。折り返して栄町まで乗車。これで、札幌市交通局のうち市営地下鉄分は完乗。残るは市電のみとなった。市電にも乗車したかったが、時間の関係で次の機会に譲ることにした。

札幌市営地下鉄には今回、初めて乗ったが、南北線を真駒内に向かう途中、通常の鉄道のようなゴトンゴトンというジョイント音ではなく、ザーッと何かが擦れるような独特の走行音がすることに気付いた。真駒内駅で降りた際に線路を確認すると、通常の鉄道のような鋼鉄の2本のレールではなく、コンクリート製の案内軌条が中央に1本あり、車両はこの案内軌条にまたがるようにしてゴムタイヤで走行している。跨座式モノレールによく似た走行方式だが、札幌市では案内軌条式としているようだ。

雪の多い札幌では、あえて案内軌条式とすることで、他線区との安易な直通運転を防ぎ、車両を地下鉄区間に押し込める役割を果たしている。地上を走る相互乗り入れ区間の雪の影響が地下鉄区間に波及することを防ぐ上で有効な方式といえるが、他線区との直通運転ができないことは、ネットワークとしてはマイナスに働く。雪国の路線として運行の定時性とネットワークの有効性を同時に追及することはなかなか難しい課題だと思った。

【完乗達成】札幌市営地下鉄東西線、南北線、東豊線

【参考写真】魅力あふれる北海道の車両たち








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北海道出張…財政破綻から5年の夕張の今、そしてJR北海道の評判

2012-10-28 21:42:19 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
今日から出張で北海道に来ている。仕事は明日から始まるが、朝一番から現場というしんどい業務なので、前泊することになった。現場仕事だというのに、すでに天気は雨。今週1週間、曇時々雨の予報が続く。ったく、なんてこったい。

飛行機の都合で、新千歳に降り立ったのは昼過ぎ。泊まるホテルは帯広市だが、まっすぐ向かうというのも何なので、未乗区間を乗り潰す。とはいえ、2~3時間の空き時間で乗り潰しができるほど北海道は甘くなく、帯広に向かう途中の石勝線夕張支線に乗るだけにする。

新千歳空港駅から南千歳に移動。南千歳14:32発2639Dで16:11夕張着。

夕張市は、5年前の2007年に財政が破綻した。以降、職員の大幅削減、給与の大幅(4割)カット、市民サービスの削減など職員にも市民にも痛みを伴う形で財政再建に乗り出したが、累積債務は353億円もあり道のりは厳しい。主要産業だった炭鉱の閉山の後、これに代わる新たな産業を創出できないでいる。

列車の窓から流れる夕張の町並みを眺める。建物に明かりが点り、車が行き交い生活臭は感じるが、町の活気のなさは一目瞭然だ。タクシー・運送会社、クリーニング業者、飲食店など、市民にとってなくてはならない生活密着型の零細産業はあるが、多くの雇用を吸収し、地域の明日につながる産業の影は見えない。これでは若い人たちが転入し定着することは難しい。大赤字の町なのに、かつての炭鉱住宅の名残なのか、身分不相応の立派な団地があるところに「栄華の夢の跡」が見える。「厳しいな」…列車の窓から一瞥しただけなのに、つい、そんな言葉が私の口をついた。

苦境の中にある夕張の姿は、多くの「限界集落」を抱える自治体にとって対岸の火事ではない。衰退の進行度が違うだけで、手をこまねいていては多くの地域がいずれ辿る道だということははっきりしている。

私の地元、福島にしても同じことだ。原発事故から「復興」と唱えればすべてが解決するかのような妄想にふけっている自治体、首長たちが大勢いる。彼らときたら、産業育成も地域振興も怠ってきた自分たちの過去の怠慢を棚に上げ、地域衰退があたかも自主避難者のせいででもあるかのような「自主避難者=裏切り者、非県民」「復興のために踏みとどまる者=英雄」というばかげたキャンペーンを続けている。地域衰退の原因は何か。どうしたら復興できるか。そうした疑問に向き合わず、衰退を他人のせいにするだけのキャンペーン、持続可能な産業を興す努力もせず「食えなければ原発の収束作業か除染にでも従事していろ」といわんばかりの棄民政策では、いずれ夕張以上の惨劇が福島を襲うだろう。

やはり、国や自治体にはもう任せておけない。住民が立ちあがり、自分たちで知恵とカネを出して持続可能、地産地消、地域循環を柱とした新しい産業を興し、「大資本に食い物にされる資本主義」への対抗軸を示さなければならないとの思いを強くする。夕張の破綻は確かに残念なできごとではあるけれど、「再生へのスタートラインに日本で最初に立てたのだ」と気持ちを切り替えるしかない。31歳、全国最年少の市長を迎えた夕張市の実験は思いのほか注目されている。一番手だけに何をやっても注目されるし、モデルケースがないのだから失敗しても許される。「これ以上悪くなりようがないのだから、後はよくなるだけ」「市長もまだ若いから」で許される有利な条件のうちに、大胆に色々やってみればいい。苦難を他人のせいにするしか能がない福島のダメ自治体、ダメ首長たちも大いに触発されるかもしれない。

16:19発、2636Dで足早に折り返す。16:41着の新夕張で降り、16:48発特急「スーパーおおぞら9号」で帯広へ。今日から30日までは帯広泊となる。

帯広到着後、夕食も兼ねて寿司屋に繰り出す。福島では汚染の可能性が消えない食材を避け続ける生活が続き、いつしか食卓から遠のいたり、消えてしまったりした物が多くある。葉物野菜などその際たる例だ。だがここでは地元産のほうれん草のおひたしが並ぶ。ほうれん草の味が、懐かしく感じられる。

朝、仕事に行き、夕方、家族の待つ自宅に帰る。食材を自由に選び感謝しながら食べる。そんな当たり前の生活を送ることすら、福島でも夕張でも難しくなった。それなのに、その原因を作った者たちは雲隠れし、今、彼らに代わって行政を預かる者は苦難を他人のせいにしてお茶を濁すだけだ。

「厳しいな」…さっきと同じ言葉が、また脳裏に浮かんだ。

【完乗達成】石勝線

余談だが、寿司屋でのできごと。カウンター席に座った客と店主が話をしている。帯広が石勝線沿線であるせいか、話題は2011年5月に起きたJR北海道の特急列車火災事故に。「お客が自主的な判断で車外に避難したからよかったけれど、あのまま車内に残っていたらみんな死んでた。車両と一緒に丸焼けだ」「車掌は列車指令に判断を求めたが、指令は乗客はそのままにしていろと言うだけ。車掌も指令も訓練が全くされてもいないし、たるんでいる」。安全トラブル続きのJR北海道の評判は地元でもガタ落ちだ。

ただ、店主の話しぶりが昔々、政府やマスコミが大宣伝した「たるみ国鉄」キャンペーンと同レベルなのが気がかりだった。労働者が有事に適切な対応ができないのには会社の体質というもっと大きな問題がある。そこに切り込むことなく、誰それがたるんでいる、と言うだけでは昔と同じことの繰り返しになってしまう。そんな危惧も抱いた。

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【管理人よりお知らせ】東京団結まつりにお集まりください

2012-10-27 00:14:34 | 原発問題/一般
管理人よりお知らせです。

あさって28日、毎年恒例の団結まつり(公式サイト)が東京・亀戸中央公園で開催されます。また、明日27日には前夜祭企画が行われます。

今回は、原発問題をめぐり、福島県教職員組合郡山支部の中路良一さんが、福島原発告訴団の現状、また放射能から子どもたちを守る学校現場の様々な取り組みについて報告を行います。

中路さんは、あさってのまつり本番でも福島からの報告を行います。貴重な福島の声を聞くよい機会ですので、ぜひご参加ください。

また、今年も不当解雇されたJAL争議団を初め、様々な争議団が解雇撤回などを訴える予定です。

詳しくは、チラシ(サムネイル参照)や団結まつり公式サイトをご覧ください。当サイト管理人は、今年は仕事の都合で前夜祭しか参加できません。

なお、会場となる亀戸中央公園は、首都圏でも放射線量の高い江東区にありますので、参加される際は、各自、放射線防護対策を行ってください。

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地震予知できない学者に禁固刑を科したイタリアと地震予知の現状

2012-10-26 22:25:07 | 気象・地震
地震学者らに禁錮6年 イタリア「安全宣言」直後に発生(朝日)

具体的な経過は記事をご覧いただきたいが、地震予知が現状では未知の分野とされる中で、根拠なく安全宣言を発した地震学者に実刑が下された。イタリアの地震学者が気の毒になってくる。原子炉が壊れてからも「安全」と言いまくり、罪にも問われない日本の御用学者は一度厳罰に処せられたほうがいいと思うが…。

昨夜も石巻市で震度5弱を記録する地震があったが、10月20日、茨城県在住を名乗る人物により、あるオカルト系予知・予言サイトに「自分の家の井戸水が突然、枯れた」という注目すべき書き込みがあった。内容の真偽がわからないので話半分に聞いておこうと思いながら、警戒だけはしておいたが、まさか本当に宮城で震度5弱が来るとは思っていなかったので若干、驚いたところだ。

現状では、地震予知は「ナマズが暴れると地震」という民間伝承と同等か、悪ければそれ以下の水準で、全く当てにできない。この例のような「井戸が枯れる」とか、イルカやクジラが数十頭単位で打ち上げられる、という話のほうがよほど予知としては信頼が持てる。

今、地震予知につながるものとして期待されている前兆滑り(プレスリップ)にしても、大地震の直前に必ず起こるという確証は今のところ持てないし、逆に前兆滑りがあったから必ず大地震が来るというものでもない(現に、千葉県沖では数年に1度の割合で地震を伴わない前兆滑りは起きている)。

大規模地震対策特別措置法(大震法)では、東海地震の発生が確実になった段階で首相が「警戒宣言」を出せることになっているが、警戒宣言が出されたら交通や物流は麻痺する。国民の生命のために警戒宣言が2~3回は空振りになってもいいという社会的合意があればよいが、原発事故で明らかになったように、この国は命より経済が優先だ。この国の支配層は、国民の反発を恐れて公の場では口にしないが、本音では「たかが10万人や20万人の命ごときで経済を止めるなんてあり得ない」と思っているだろう。政府や経済界がこの体たらくで、警戒宣言など出せるはずがないと当ブログは思うのだ。

このように考えれば、いざというときが来ても、予知はできず警戒宣言も出ない。「そのとき」はある日突然やってくる。残念ながら、政府に投じた税金はドブに棄てたのだと割り切り、自分の身は自分で守るしかない。そのためには、動物の異常行動などの「宏観異常現象」を注意深く観察しながら備えるしかないのだろう。

私は、当ブログのリンク先にもなっているNPO法人大気イオン地震予測研究会 e-PISCOを、宏観異常現象に偏重した団体だと思っていたが、今、この時を迎えてみるとe-PISCOには先見の明があったと思う。宏観異常現象の収集、体系化のほうが実用的な地震予知につながる可能性がある。もうしばらく、e-PISCOとの付き合いは続けていくほうがいいように思う。

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本日の放射能測定値

2012-10-25 21:03:57 | 福島原発事故に伴う放射能測定値
1.測定年月日、時間
 2012年10月25日(木) 午後7時40分~7時50分

2.測定時の気象条件(晴/曇/雨/雪の別及び風向、風速)
 天気:晴
 風向・風速:西南西 1m

3.測定場所及び測定結果(単位:マイクロシーベルト/時)
(1)福島県 JR新白河駅西口(高原口)
  ・新白河駅西口バス停横の土壌地
   大気中(高さ100cm)   0.51
   土壌(高さ10cm)    0.56

  ・新白河駅西口駐車場
   大気中(高さ100cm)   0.29
   舗装路面(高さ10cm)  0.33

(2)自宅室内(RC)    0.16

<放射線量測定に関するお知らせ>
次の定期測定は、管理人出張のため、2012年11月2日(金)に実施します。

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【管理人よりお知らせ】「福島原発事故と女たち~出会いをつなぐ」が発行されました

2012-10-23 21:44:50 | 書評・本の紹介
管理人よりお知らせです。

福島原発事故と女たち 出会いをつなぐ」(近藤和子・大橋由香子/編)が、梨の木舎から発行されました。本書は、福島原発事故後、避難した人、福島に残った人それぞれの立場から、14人の女性たちの思いを綴った本です。

当事者でありながら知られているようで意外と表に出ることの少ない福島の女性たちが、いま何を考え、思いながら暮らしているのかを、ぜひ見ていただきたいと思います。

私の妻のほか、当ブログのリンク先サイトである「やいちゃんの毎日」管理人・人見やよいさん(フリーライター)などが登場する前半は、福島の今がわかり、大変興味深い内容になっています。

フェミニズム運動の立場から福島原発問題が語られている後半部分については、当ブログが詳細な論評をすることは控えますが、反原発デモに来るのが母親ばかりとか、政治性のない「母親」という安心感から彼女たちにマスコミが飛びついたのではないか、あるいは、結局、女は母でないと1人前ではないと言われているような気がする、等の主張には、いかにも昔のフェミニズム運動的な「古さ」も感じ、違和感も覚えます。

実際のところ、フェミニズム運動が提起したそうした問題は今に至っても何も解決していないのかもしれません。しかし、そうした運動スタイルが問題を解決しなかったことは事実だし、若い女性(おおむね30代まで)にとってはそうした運動的次元を超えたところで意識が形成され、動いて行っているのではないか、という気がします。

要するに何が言いたいのかというと、男か女かという対立軸ではなく、もっと柔軟な「自分らしさと社会的協調性の両立」という中で、自己実現をしながら女性の社会的地位を確立していこう、と考えている(ように見える)若い女性に、そうした昔のフェミニズム運動的な主義主張が受け入れられるかというと、やや疑問な気がするのです。

とはいえ、前半部分だけでもかなりお勧めの1冊ですので、ぜひ、お買い求めください。

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地震予知は無理? 学会が方向転換も

2012-10-18 22:08:52 | 気象・地震
地震予知の研究50年間「成功率ゼロ」常時監視の東海地震でも無理なのか(J-CAST)

活断層型地震の典型である阪神・淡路大震災に続き、プレート(海溝)型地震の典型である東日本大震災も予知できなかったことで、地震学会は大きな沈滞ムードにあるようだ。地震予知など無理、やめて防災・「減災」対策に専念しようという声が次第に学会で大きくなりつつある。

当ブログは、地震を予測できなかったことに対して一定の反省は必要と思うものの、予知に関する研究を全面的にやめてしまうのは、せっかくの過去の研究成果を捨て去るものであり、賛成できない。

もともと地震予知なんて、現状では星占いと同じ程度のものだと当ブログはかねがね主張してきた。その真意は、地震予知に意味がないというのではなく、星占いと同じ程度に参考にすればよい、というほどのものである。私自身は興味がないが、星占いが好きな人は、今日のラッキーカラーが例えば青だとすると、青い物を身につけて幸運を呼び込もうとするだろう。そんな物で幸運が呼び込めるとは思えないけれど、幸運がやってくると、それを身につけていたおかげだと感謝できるし、たとえ何もなかったとしても、これを身につけていたおかげで悪いことが起きずに済んだと思える。それと同じように、大地震が起きたときに、予知があったおかげで被害を最小限に抑えることができたと思えるようなものとして、肩肘張らず、構えず「予知」と付き合っていけばいいと思うのだ。

実際、地震予知連委員まで務めたある地震学者が、地震予知を競馬に例えてこう言っている。

「ゲートが開いてスタートした直後、すべての馬が横一線の時にどの馬が勝つかと聞かれても困る。しかし、ゴール直前まで来れば、誰が見てもどの馬が勝つかはすぐにわかる。本来、地震予知とはそのようなものです」

この委員は、平常時を競馬のスタート時、前兆現象が頻発するようになる時期を特定の馬が先頭に立つとき、地震発生をゴール時に例えてこのように表現したものだが、これは逆に言えば、平時において地震予知がいかに難しいかを吐露したものといえる。「阪神でも東日本でも誰もどの馬が勝つかわからなかったではないか」という声もあるかもしれない。しかし、競馬だって毎度毎度当たる人がいないのと同じことである。

日本における地震予知の最大の問題点は、肯定派も否定派も予知に過大な期待をかけすぎていることだろう。肯定派は完璧な予知体制を目指し、否定派は一度でも予知に失敗すると鬼の首を取ったように騒ぐ。不完全なものを不完全と自覚しつつ、みんなで育てていこうという姿勢が見えないように思う。何でもかんでもゼロか100%かの不毛な二項対立的議論しかできず、ジリジリと後退していく日本社会の閉塞状況を反映している。

宝くじに当選する確率がどんなに低いからといって、買わなければ当選確率はゼロであるのと同じように、地震予知も、可能性が低いからといってやめてしまっては、過去の研究成果も未来への可能性も完全に否定されてしまう。もっと肩の力を抜き、100年後に予知に近づければいいというくらいのゆったりした気持ちで息長く取り組んでもらいたい。たとえ予知は無理でも「何年以内に大地震の可能性が何%」程度の予測ができれば備えになるし、それで一命を取り留めれば、予知があってよかったと思える程度にはなる。国民の立場に立った実用的な予知とは本来、そのようなものであり、試験管の中での実験結果を予測するような精緻な予知など国民は求めてもいないのである。

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本日の放射能測定値

2012-10-18 20:31:02 | 福島原発事故に伴う放射能測定値
1.測定年月日、時間
 2012年10月18日(木) 午後7時00分~7時10分

2.測定時の気象条件(晴/曇/雨/雪の別及び風向、風速)
 天気:曇
 風向・風速:北北西 7m

3.測定場所及び測定結果(単位:マイクロシーベルト/時)
(1)福島県 JR新白河駅西口(高原口)
  ・新白河駅西口バス停横の土壌地
   大気中(高さ100cm)   0.46
   土壌(高さ10cm)    0.59

  ・新白河駅西口駐車場
   大気中(高さ100cm)   0.29
   舗装路面(高さ10cm)  0.38

(2)自宅室内(RC)    0.18

<放射線量測定に関するお知らせ>
次の定期測定は、2012年10月25日(木)に実施します。

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鉄道模型のカワイ倒産、「ホテル紅葉」閉館へ

2012-10-17 22:36:52 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
今日は、鉄道・旅行関係で残念なニュースが2つ、聞こえてきた。

Nゲージ、「箱庭シリーズ」で有名な河合商会が倒産(帝国データバンク)

鉄道ファンには河合商会というより、Nゲージのカワイといったほうが通りがいいだろう。今は休業しているが、私もカワイのNゲージ鉄道模型はいくつか所有している。

KATO(関水金属)TOMIXの大手2社には及ばないが、それ以外のライバルメーカー(例えばマイクロエース)とはラインナップ、品質とも遜色なく、独特の存在感を発揮していた。

鉄道模型事業は堅調といわれる中、他の事業が足を引っ張る形での倒産は本当に惜しいと思う。カワイNゲージの灯を消してはならない。どのような形でもよいから何とか残せないものだろうか。

「びわ湖紅葉」閉館へ 客伸び悩み施設老朽化(京都新聞)

滋賀県の老舗温泉旅館「ホテル紅葉」が2013年1月いっぱいで閉館するとのことだ。記事にもあるように、施設の老朽化がひとつの契機になっている。高度成長期に建てられた温泉地の旅館の多くが施設の更新時期を迎えており、今後、施設が更新できず閉館に追い込まれるホテルが増えるのではないか。

団体旅行から個人旅行へと旅行のニーズも移り変わる中で、団体旅行客が貸切バスで乗り付けてくることを想定して、駅から離れた温泉地のど真ん中に豪華な建物を構えるというビジネスモデルが再考を迫られているのは、時代の流れだろう。

私自身は1度も利用したことがないこのホテルの名前をなぜ知っているのかというと、子ども(小学生くらい)の頃、下のようなCMがテレビで流れていたからだ。放送されていたのは1970年代末か1980年代前半頃と思われる。このCMは「関西ローカル」とされているものの、私が幼少期を過ごした九州でも頻繁に流れており、見たという人も多いのではないか。

ホテル紅葉のCMは、画像を効果的に使うことによって、ホテルの外観、立地条件、機能、特徴、セールスポイントのすべてをわずか30秒で余すところなく表現し、演歌調の歌で旅情を誘いながら見た人すべてを「行ってみたい」と思わせる。おそらく日本CM史に残る名作と思う。

年末年始、最後の見納めに「紅葉」に泊まってみるかなぁ。


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シアヌーク・カンボジア元国王死去、大国に翻弄された波乱の人生

2012-10-16 20:40:44 | その他社会・時事
シアヌーク前国王死去 カンボジア国民統合の象徴(共同)

シアヌーク・カンボジア元国王が死去した。その89年間は、まさに大国に翻弄され続けたカンボジアの歴史そのままの波乱の人生だった。

1949年にフランスから独立後国王に即位。平和で穏やかな国だったカンボジアが一変するのは1970年、米国の支援を受けた親米派ロン・ノル将軍によるクーデターからだった。シアヌーク国王はこのとき追放、カンボジアはロン・ノル将軍の下でクメール共和国となった。

やがて、隣国ベトナムでの戦争がカンボジアにも波及。ベトナム戦争が終結した1975年、米国の敗退に合わせるようにカンボジア共産党(クメール・ルージュ)政権が成立。急激な農業集団化や貨幣経済廃止など極端な共産主義政策がとられた結果、多くの国民が餓死した。逮捕や処刑も相次ぎ、クメール・ルージュ政権下で死亡したカンボジア国民は200万人ともいわれる(クメール・ルージュ政権下での虐殺は、ハリウッド映画「キリングフィールド」にも描かれた)。

1979年、ベトナムの軍事介入によりクメール・ルージュ政権は崩壊。ベトナムの傀儡であるヘン・サムリン政権が誕生した。クメール・ルージュ時代の極端な政策は廃止されたが、引き続きベトナムの指導の下で社会主義政策がとられた。

ベトナムの支配に反対する旧勢力、シアヌーク派、ソン・サン派(旧ロン・ノル派)、クメール・ルージュによる「反ベトナム三派連合」が形成され、ベトナム軍と「三派連合」との間で内戦が続いた。倒し、倒される関係にあった国王派、親米派から共産主義勢力までが反ベトナムの1点だけで共闘した三派連合は、文字通り「呉越同舟」状態だった。

ベトナムと三派連合との内戦は、1989年、ベトナム軍撤退でようやく終結。国連による暫定統治の後、1993年、初めて民主的な選挙が行われ新政権が発足した。王政に戻ったカンボジアで、シアヌーク氏は「内戦に明け暮れ、疲弊した国民を再統合するための象徴」として再び国王に即位する(2004年に退位)。クメール・ルージュの残党が埋設した地雷の処理に自衛隊が派遣され、クメール・ルージュ関係者らの裁判が行われたことは記憶に新しい。

戦乱に明け暮れたカンボジアで時代に翻弄されたひとりの国王の波乱に満ちた人生から、21世紀の私たちがくみ取るべき教訓は、実はそれほど難しいことではない。民族自決権(各民族が自分たちの政治・社会体制を自ら選び取る自由)や民主主義の尊重、いかなる理由によっても武力による紛争解決をしてはならない(武力によって物事が解決することはない)ということである。

カンボジアは、長かった戦乱の時代が終わり、あまりにも大きな犠牲の上に平和がようやく訪れた。しかし、アフガニスタンのように今なお戦乱の中で社会的弱者が苦しみ続ける国もある。武力でなく平和的アプローチによって私たちに何ができるのか。世界、そして人類に突きつけられている課題は依然として大きい。

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(注)クメール・ルージュについて

カンボジアはクメール民族の国である。クメール・ルージュとはカンボジアの公用語、クメール語で「赤いクメール人」を意味する。もともとは、シアヌーク国王(ベトナム戦争以前)時代に国費留学した学生たちが、留学先のフランスで共産主義にかぶれて帰ってくるのを見て激怒したシアヌーク国王が彼らをこう呼んだのが始まりである。このときの「赤いクメール人」たちが、後にカンボジア共産党の主力メンバーとなったことから、クメール・ルージュはカンボジア共産党の別名として国際的に広く使われるようになった。名付け親のシアヌーク国王にしてみれば、自分が「赤いクメール人」と罵った相手と、後に三派連合として組むことになるとは夢にも思わなかったに違いない。

日本のメディアは彼らを「ポル・ポト派」と呼んでいたが、厳密に言うとこれはあまり適切な呼称とはいえない。なぜならポル・ポト派はクメール・ルージュの中のひとつの派閥であって、他にもポル・ポトに次ぐ実力者といわれたキュー・サムファン議長を中心とする派閥なども存在していたからである。ポル・ポト派をクメール・ルージュ全体の呼称として使うのは、日本でいえば「森派」とか「古賀派」を自民党全体を表す別名として使うようなものである。
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カンボジアの歴史については、古い資料だが、岩波ブックレットNo.284「ポル・ポト派とは?」(小倉貞男・著、1993年)が詳しい。当エントリもかなりの部分をこのブックレットに基づいて記述している。

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