安全問題研究会~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

公共交通と原発を中心に社会を幅広く考える。連帯を求めて孤立を恐れず、理想に近づくため毎日をより良く生きる。

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私たちは根室線をなくしてはならないと考えます
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本日の放射能測定値

2012-08-31 23:41:56 | 福島原発事故に伴う放射能測定値
1.測定年月日、時間
 2012年8月31日(金) 午後6時40分~6時50分

2.測定時の気象条件(晴/曇/雨/雪の別及び風向、風速)
 天気:晴
 風向・風速:南東 6m

3.測定場所及び測定結果(単位:マイクロシーベルト/時)
(1)福島県 JR新白河駅西口(高原口)
  ・新白河駅西口バス停横の土壌地
   大気中(高さ100cm)   0.47
   土壌(高さ10cm)    0.53

  ・新白河駅西口駐車場
   大気中(高さ100cm)   0.35
   舗装路面(高さ10cm)  0.36

(2)自宅室内(RC)    0.15

<放射線量測定に関するお知らせ>
次の定期測定は、2012年9月6日(木)に実施します。

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8月30日明け方の地震について

2012-08-30 21:52:58 | 気象・地震
「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震」について(第65報)~平成24年8月30日04時05分頃の宮城県沖の地震について(気象庁報道発表)

30日明け方に起きた地震については、あの日を思い出して身構えた人も多かったのではないだろうか。仙台市宮城野区と南三陸町で震度5強を記録した。

地震の規模はM5.6、震源深さは60km(速報値)。発震機構(地震のメカニズム)は北西-南東方向に圧力軸を持つ逆断層型。北米プレート内部での地震で、逆断層型であることもあり、気象庁は東日本大震災の余震と判断したようだ。現時点ではこの判断でよいのではないか。

ただ、震度5強を記録した割には被害(人的、物的被害)の報告が少なすぎる気がする。被害は少ないに越したことはないが、M5.6、震源深さ60kmということを考えても本当に震度5強だったのか疑問が残る。

最近も、8月12日、福島県古殿町で震度5弱を記録した地震について、地震計のプログラムミスを理由とした震度の「引き下げ訂正」が行われた(第一報続報)。このところ、実際はそれほど揺れていないのに震度が過大に発表されている印象を持つ。これは、気象庁の報道資料の信頼にかかわることであり、気象庁にはもう一度、震度計の総点検を含めた対策をお願いしたい。

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夏休み~和歌山電鉄乗り潰しの旅

2012-08-29 23:53:13 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
大阪滞在最終日。もう1つくらい未乗路線をつぶしておこうと思い、和歌山電鉄に向かう。北の能勢電鉄、南の和歌山電鉄のどちらを選ぶか迷ったあげくの選択だ。滞在中の荷物を全部持ち、大阪を発つ。

新大阪で荷物をコインロッカーに預け、特急「くろしお13号」に乗り込む。大阪駅構内を通らず、梅田貨物駅を通過しながら地上を走っていく「裏ルート」は何度乗っても楽しい。西九条駅から大阪環状線に入り、「表ルート」に戻った列車は環状線から阪和線へ。

和歌山で降り、和歌山電鉄が発車する9番乗り場に行く。15:20発の列車に乗り込む。車両は南海電鉄、そのまんま。30分で終点、貴志に到着。駅の外観もネコの顔になっている。(写真。斜めになっていて申し訳ありません。撮影失敗しました…)

和歌山電鉄といえば、なんと言ってもネコ駅長の「たま」が待っている。駅構内で人が群れているので「たま」はすぐに見つかった。しかし、ショーウィンドーの中に時々「お出まし」になるだけで、「たま」に話しかけたり触ったりすることはできない。せっかくのネコ駅長なのに…。これなら直接話したりできる分だけ、会津鉄道・芦ノ牧温泉駅のネコ駅長「ばす」のほうがいいかも。

折り返し、16:30貴志発の電車に乗る。こちらは「おもちゃ電車」(サムネイル写真参照)だ。南海の車両だが、大胆に改装して車内はこんな感じ

南海の赤字路線(貴志川線)を承継しただけあって、和歌山電鉄は今後も厳しい状況が続くと思うが、こうした様々な経営努力が認知され、今日も乗客には若い女性が多かった。和歌山電鉄が経営再建の成功例になることを祈っている。

【完乗達成】和歌山電鉄

旧南海貴志川線時代にも乗ったことがなく、初めての乗車で達成。

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夏休み~北近畿タンゴ鉄道を旅する

2012-08-28 23:02:29 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
夏休みを利用して、国鉄・JR特定地方交通線転換第三セクター(三セク)で数少ない未乗路線となった北近畿タンゴ鉄道を旅してきた。当ブログ管理人は8月24日午後から29日まで大阪市内に滞在している。

宿泊している大阪市内を9:10発「こうのとり3号」で出発。福知山で降り、いきなり宮福線から北近畿タンゴ鉄道線に入ることも考えたが、豊岡まで乗った方が後が楽なので、当初計画の通り豊岡まで行く。豊岡到着直前に「踏切支障」で急停車。2分の遅れを出し、11:43に到着したが、結果的にはこの遅れは痛かった。11:46発の宮津線232Dまで乗り継ぎ時間はわずか3分!

西舞鶴到着後に気付くのだが、北近畿タンゴ鉄道には「1日フリー乗車券」があったのに、乗り継ぎ時間がなさ過ぎて買う時間がなかった(乗車駅証明書をもらうだけで精一杯の状況)。宮津線全線(豊岡~西舞鶴)を完乗すると片道1,680円なのに対し、1日フリーは1,200円だから宮津線を片道全線乗るだけで元が取れる。通常、1日フリーは片道全線乗った程度では元が取れない金額設定にするのが普通だから、この安さは破格である。他の鉄道会社だったら1,800円くらいにするだろう。

232DはKTR800形気動車(サムネイル写真参照)の単行だが、車内に入ると蒸し暑い。エアコンが故障して全く効いていないのだった。すでに先客はあきらめたと見え、あちこちで窓が全開になっているので私もそうする。列車はすぐに発車した。窓からの風は…生暖かくて気持ちよくない。

途中、丹後神野では特急「たんごリレー81号」(写真)と交換。列車は熱風をまき散らしながら進む。蒸し暑い車内で熱中症を防ぐため、お茶とスポーツ飲料を飲んでいたらトイレに行きたくなったが、どの駅でも停車時間が短い。

宮津で10分停車というので、この時間を利用してトイレ、弁当と追加の飲料調達、そしてサムネイル写真にあるKTR800形の撮影を済ませた。食事を車内でしているうちに、列車は西舞鶴に到着。KTR8000形(写真)を撮影する。

いったん改札を出ると、1日フリーを見つける。宮津線を乗り終えてしまったし、今さらと思ったが、これから宮津線を天橋立まで行き、1駅戻って宮津から宮福線を全線乗る計画だ。通常運賃と比べて、今からでも安くなるのは確実だったので買う。豊岡で買えていたら、ここまでの無駄な運賃を払わずにすんだのに。

西舞鶴14:05発231Dに乗り込む。232Dに使われていた車両は回送として車庫に引き上げたので、同じKTR800形でも別の車だが、なんとまた冷房の効きが悪い。今度はさすがに窓を開けている客はいないが、うちわであおぐ乗客の姿があちこちに見られる。

定刻発車。この列車もまた蒸し風呂だ。あの有名な由良川鉄橋を渡る。「川の上を直接飛んでいるようだ」と評した乗車ルポもかつてあったが、この程度のところは他にも何か所かはある。

14:47、天橋立に到着。帰りに乗ろうと思って当てにしていた「こうのとり22号」が北近畿タンゴ鉄道線内は臨時乗り入れで今日は福知山からしか運転していないので、帰りの時刻を確認。15:58発238Dで乗り継げることを確認し、天橋立観光に行く。日本三景と言われるだけあって壮観だが、時間の関係で全景が見える場所には行けなかった。行ければあの「股のぞき」をやってみたかったのだが…。いずれにしても、これで私は日本三景を制覇したことになる。

天橋立は砂浜になっており、海水浴客がいた。もう8月下旬だが、頭がおかしくなりそうなこの猛暑ではまだまだ十分泳げる。

何枚か写真を撮影し、戻ろうとしたら、さっき渡ってきたはずの橋がなくなっている。あれっ、確かここから来たはずなのに思い違いだったかな、と思ったら回旋橋だった。ちょうど大型船がくぐるため旋回させて水路を開けていたのだ。(旋回中の写真 通常時の写真

駅に戻り、15:58発238Dに乗り、宮津に向かう。宮津に16:03着。いよいよ宮福線だ。

北近畿タンゴ鉄道は、現在の姿になるまで複雑な経緯をたどっている。宮福線は、国鉄線として国が建設すべき路線を定めた鉄道敷設法の別表第79号ノ2(京都府宮津ヨリ福知山ニ至ル鉄道)として建設計画が決まったが、未開業のまま、1980年に国鉄再建法が成立・施行されると建設が凍結された。再建法による建設凍結は、ローカル鉄道が建設を続けるのであれば例外的解除が認められるため(同法14条)、宮福線を建設する第三セクターとして1982年、地元自治体が出資して「宮福鉄道株式会社」が設立。工事凍結は解除され、凍結前に工事を行っていた日本鉄道建設公団が工事を再開、1988年7月に全線が開業した。

一方、再建法に基づき、第3次特定地方交通線(廃止対象路線)に指定された宮津線も同社が引き受けることになり、1989年、北近畿タンゴ鉄道に改名。翌90年に宮津線も引き受け現在の姿になった。宮津線は、国鉄再建法に基づく特定地方交通線としては最後の第三セクター転換。89年に転換した平成筑豊鉄道の3線(伊田、田川、糸田線)と同様、JR発足に間に合わず、JRからの転換となっている。特定地方交通線転換第三セクターの多くは1社1路線だが、この北近畿タンゴ鉄道、上述の平成筑豊鉄道の他、土佐くろしお鉄道も複数の路線を経営している。

余談だが、宮福線がまだなかった国鉄時代、京都から山陰本線を経由して城崎(現在の城崎温泉)まで走る気動車特急「あさしお」(キハ82系)があり、その一部は舞鶴~宮津線を経由していた(いわば、山陰本線経由の「あさしお」が現在の「きのさき」の前身で、舞鶴~宮津線経由「あさしお」が現在の「はしだて」の前身といえるかもしれない)。宮津線経由の「あさしお」は、途中、綾部、西舞鶴、豊岡で3回も進行方向が変わる列車として鉄道ファンに有名だった。当時の鉄道雑誌の乗車ルポを見ると、「方向オンチの人はなにがなんだかわからなくなるだろう」という記述がある。もし、妻がこんな事態に遭遇したら、「どこ走ってるの?」と目を丸くするかもしれない。

宮津からは16:07発の122Dに乗り込む。この列車もKTR800形ということで冷房の利きが悪いのは覚悟したが、意外にも(?)この車両の冷房は正常に効いている。宮福線はさすがに88年開業の新しい路線だけに路盤もよくほとんど揺れない。だが、いかんせんKTR800形自体があまりエンジンパワーがあるわけではない。ちょうど夕方の時間に入ってきたこともあり、高校生らを乗せながら、列車は定刻、17:01に福知山に着いた。

福知山からは、あらかじめ指定席を押さえていた「こうのとり22号」で大阪に戻る。

【完乗達成】北近畿タンゴ鉄道(宮津線、宮福線)

今回、北近畿タンゴ鉄道の完乗を達成したが、乗ってみて、この鉄道の将来に不安を抱いたことも事実だ。宮福線も、宮津線宮津~西舞鶴間もせっかく電化したのに、電車はJRからの乗り入れだけで、北近畿タンゴ鉄道は転換当時から運用しているKTR800形を初めとして気動車しかない。そのKTR800形も20年以上経ち、さすがに窓枠などあちこちに錆が浮き、塗装は一部落ちるなど衰えは明らかだった。冷房故障のまま走らせるなどメンテナンスも十分とはいえない。そういえば宮津駅ホームの発時刻表示もLED電球が切れかけたままになっており、「貧すれば鈍する」を地で行っていた国鉄末期を見るようだった。

現在、とりわけ宮津線宮津以西(豊岡~宮津)の成績が悪く、列車の大幅な減便や部分廃止の噂も流れるが、この付近は他の交通事情もあまりよくないため鉄道へのてこ入れが必要だ。

KTR800形など会社発足当時から走っている車両はそろそろ置き換えが必要な時期に来た。置き換えの際は電車を導入すべきだ。特に宮福線はあんな立派な設備があるのにJR乗り入れ特急しか電車がないというのはあまりにもったいない。電車を導入するだけで、宮福線は大幅なスピードアップも可能だろう。

山陰線も京都~城崎温泉まで電化されたのだし、いっそ豊岡~宮津間も電化してはどうか。そうすれば北近畿タンゴ鉄道は全線電化となり、気動車を持つ必要はなくなる。豊岡以西の山陰線から天橋立直通の電車特急も走れるようになる(需要がどれだけあるかはわからないが…)。幸いなことに、現在は京都府など沿線自治体が赤字補てんに積極的なため何とか持っているが、今後はこの地域全体の将来像を考えなければならない。

なお、この完乗達成により、いよいよ国鉄~JR特定地方交通線転換第三セクターの未乗車は2社2線だけになった。残るはくま川鉄道の全線と、平成筑豊鉄道門司港レトロ観光線である。もっとも、門司港レトロ観光線は旧JR貨物専用側線の観光鉄道転用であり、国鉄転換三セクに分類するのはふさわしくないので、乗車記録上の取り扱いは今後、検討したい。

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「聞いて下さい・福島の声を」集会報告 : エートスプロジェクトと弁当問題

2012-08-28 21:51:24 | 原発問題/一般
レイバーネット日本より

20120826 聞いてください★福島の声を★ 堀切さとみ・森園かずえ


池袋・エポック10で「聞いて下さい・福島の声を」という集会があった。

「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」の森園かずえさん(写真)の話と、埼玉に集団避難した双葉町の映画「原発の町を追われて」の二本立て。映画製作をつうじて、ふるさとを追われた人たちの無念さと向き合ってきた私だったが福島県にとどまって暮らす苦悩の深さをつきつけられて、あらためて福島の人たちの、一筋縄ではいかない悔しさを思った。

○福島のさまざまな苦しみ

森園さんのことは、官邸前行動で「命を刻め!」と叫んで泣き崩れた姿を、ユーチューブで見て知っていた。郡山の自宅で、つれあい、二匹のネコと暮らしている。(私も埼玉のアパートで、二匹のネコと暮らしてますと言って森園さんと意気投合)

自宅は、二階の線量が高いため一階にしか住めない。自分に子どもがいなかったことに感謝しつつも、猫を被ばくさせてしまっていることを詫び、二階まで高くのびた大好きな植物を除染のために切り倒したときは、一晩泣いたという。

そんな森園さんは、地域の子どもたちがまったく守られていないことに心を痛めている。汚染土が積まれた真横を、小学生がマスクなしで通学する。いくら除染しても線量が下がらないコンクリートのプールサイドに、鉄板と人工芝を敷いて子供たちにプール指導をする小学校。市に中止してほしいと申し入れをすると、わかりましたと言ったそばから翌日にも再開されているという事実・・・。

モニタリングポストも、線量が高いと市民が怖がるという理由で、低い線量が出るメーカーの機械を併設したり、すでに除染してある場所に設置したり。

そういう状況の中で一番悔しいのは、疑問視する大人があまりにも少ないことだ。「こどもを守れ」という声は、首都圏ではこんなに大きくなっているのに。

政府交渉などで東京と郡山を往復する森園さんは、そうした矛盾を一手に抱え込んで生活しているのだ。

○「フクシマは安全だ」という踏み絵

「エートスプロジェクトって知ってますか?」

森園さんが質問すると、会場からはパラパラと手が挙がった。「まだまだ知ってる人、少ないですね。このプロジェクトのことを話そうとすると悔しくて・・」。

エートスプロジェクトというのは、原発事故の被害を最小限に見せようという意図をもった者たちが、福島県内で推し進めている安全キャンペーン。チェルノブイリの時に始まっていたという。

福島原発事故直後、長崎大の山下俊一が福島入りし「年間100ミリでも大丈夫」「放射能の影響はニコニコ笑ってる人には来ません」といって回ったが「放射能より怖いのは、放射能を恐れる不安感」「必要なのは心の除染」という働きかけは、福島県内でますます強くなっている。

最近でも「ピーチ・プロジェクト」といって、大阪の小学生を招き、福島の桃の食べ放題をさせるイベントが計画された(抗議によって中止になった)ことは知っていたが、汚染の高いところでスポーツ大会が開かれ、東北出身の駅伝選手・柏原クンなどが参加したり。気持ちを盛り上げてくれるのをありがたがる人が多い中、選手生命が短くなるのではと森園さんは心配していた。

福島県内はどこまで情報から遮断されてしまっているのか。会場から、福島では小出裕章の講演を聞く機会はないのかという質問が出た。森園さんは「小出さんの話を聴きにくる人はいつも同じ人たち。福島はあまりにも早い段階で、山下俊一イデオロギーが入り込んでしまった」という。

さらに「山下さんのことは、福島の人も本当は大嫌いなんです。だけど福島で暮らすからには、’安心・安全’を言われたいんです」

○住民対立の陰にかくれて

マスクをしているかいないか。福島県産の野菜を買うか買わないか。そうしたことが時に踏み絵になり、日常的にも「あの家はそうなのね」という区別分けを住民自らがしていく。「命を刻め!」そう叫びながら福島に住み続ける森園さんのような人を追い詰める力は、まぎれもなく強まっている。このことは、県外避難の双葉町を追いかけている私も痛感することだ。

映画にも出てくるが、同じ双葉町の中でも、福島から出て行った奴は許せないという声があったり、役場を県外に移したことに反発し、町長を辞めさせようとする議会の動きもあり、福島を安全と思うか思わないかの違いで、住民が対立する構造が作られている。

集会の後、何人かの人から聞かれたのは、双葉町の「弁当問題」のことだ。双葉町役場のある埼玉県・旧騎西高校は唯一、国から弁当が無償で配布されていたが、他の避難場所にいる町民からの反発を招きこの九月から弁当を有料にすることになった。井戸川町長は介護が必要なお年寄りなど、他に行くところのない人たちの「最後の砦」をまもるべく、最後まで有料化を食い止めようとしていたがおさえきれなかったのだ。

本来、すべての原発避難民に対し国家予算で食費など保障するのは当たり前のことだ。それを一部(旧騎西高校)にしか保証してこなかった国の在り様が問われることもないまま、即自的な住民感情でものごとが動いていく。私はこれが、涙が出るほどくやしくてたまらない。

双葉町の人たちは、必ずしも先進的な町民ではない。ある意味当たり前の、さまざまな利害感情に翻弄されるフツーの人たちだと思う。だからこそ、県外に役場を移したことでその動向が注目される中、町民どおしのやっかみばかりがクローズアップされることは容易に想像でき、そして本当に責任をとるべき人間が守られてしまうのだ。

○何事もなかったかのように

帰りがけ、映画をみた男性が「ちょっと、いいですか」と声をかけてくれた。「あなたは線量が高いからといって、福島県から誰もいなくなってもいいと思うんですか?」

映画のトーンは、たしかにそうですね・・。私は「本来、人が住んじゃいけないところですよ」と言った。言いながら、「双葉に戻れなくても、双葉町に一センチでもいいから近いところで死にたい」というお年寄りのことを思っていた。

井戸川町長は、一センチでも‘爆心地‘から離れて暮らすべきだという信念のもと、埼玉に避難を促した。でも、子育て世代ならまだしも高齢者はいいのでは・・・・・。私自身、気持ちは揺らぎ、町長に聞いたことがあった。

「年寄りが戻りたいから戻るっていうだけの話じゃない。介護する若者の手が必要でしょう。家系の継承っていうのが一番大事なんですよ。だから、年寄りは若い人を犠牲にしちゃいけない・・・・井戸川町長はそういってました」

そう言ったら、その男性はあっけないくらいに納得してくれた。線量が高いにもかかわらず「あと何年もないのだから、ふるさとで死にたい」という、高齢者の思いを利用して帰還政策がすすめられているが、じゃあ果たして、高齢者は戻ってよかったと思っているのか。一年以上放置され、荒れ果てたところで暮らすには実際のところ困難だらけだ。でも目に見えず臭いもない放射能の中で、人はたしかに今、そこで暮らすことはできる。

「今」だけでいい利権集団にとっては、福島にたくさん人が戻り、平穏な日々がちょっと続けば、それでいいのだ。しかし、先を見つめ、将来を案じる人はいる。「日本を滅ぼしたくない」という双葉町長。「故郷をほこりに思うけれど、戻らない」という双葉町民。彼らは「自分たちは棄民だ」という。

野田首相がいう、棄民ではない国民って、いったい誰のことだ? 問いただしてみたい。そして、小出裕章氏がつい先日講演で語った「一度しかない人生。自分の思うように生きるべき」という言葉をたとえ空しい問いかけだとしても、一人ひとりが胸に刻むべきなんだと思うのだ。

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北海道で震度5弱の地震

2012-08-26 06:41:48 | 気象・地震
平成24年8月25日23時16分頃の十勝地方南部の地震について(気象庁報道発表)

昨夜、北海道十勝地方で震度5弱の地震があった。報道発表のとおり、地震の規模はM6.1、震源深さは49km、発震機構(地震のメカニズム)は北西-南東方向に圧力軸を持つ逆断層型(速報)だ。北米プレート内部が震源である。

この地域はいわゆる地震の巣であり、2004年、2010年にも全く同じ場所で中規模の地震が起きている。地震自体は珍しいことではないが、少し気になるのはこの地域で最近、中規模の地震が続いていることだ。2012年に入ってからだけでも、M4.1が1回、M5.1が1回、M5.2が1回発生しており、しかもそのうち2回は7月以降に集中している。この地域での地震活動は明らかに活発化している。

東北では、北米プレート内部を震源とする中規模の地震がしばらく続いた後(岩手・宮城内陸地震など)、プレート境界での大規模な地震(東日本大震災)につながった。今、この地域を見ていると、4~5年前の東北と非常に状況が似ている。数年後に北海道沖のプレート境界で大きな地震が起きることも視野に入れ、念のため警戒をしてほしい。

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「もうひとつの電力人災」福島・新潟豪雨から見えてきたもの~原発でなければそれでいいのか?

2012-08-25 21:44:08 | 原発問題/一般
(当エントリは、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2012年9月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)


 「シーベルト 低い地域に 大豪雨」

 これは、昨年の暮れ、福島県の地方紙「福島民報」に載った「2011年回顧川柳」の優秀作品である。震度6強の大地震と津波、そして原発事故に見舞われた福島県にとって2011年は回顧どころではなかったと思うが、千年に一度といわれる未曾有の大災害すら川柳のテーマにして笑い飛ばしてしまうところに庶民の知恵としたたかさを見ることができる。

 ところで、この句が表しているのは2011年7月に発生した福島・新潟豪雨である。7月27日から30日にかけて、福島県南会津郡只見町では711.5 ミリという猛烈な雨が降った。これは同町の平年の7月月間降水量の2倍以上に相当する雨であり、それがわずか4日間で降ったことになる。新潟県側も含め死者3名を出す大惨事だったが、原発事故の余波で県内全域が大混乱する中、この水害は県内メディアでもきわめて限定的な形でしか報じられなかった。

 あれから1年――今、この時期に本誌で福島・新潟豪雨のことを取り上げるのには理由がある。この水害の発生の仕方からその後の関係者の対応、被害者の怒りとその後の闘いに至るまで、何もかもが原発事故とそっくりの経過をたどっているからである。大震災と原発事故の陰に隠れているが、この水害もまた、福島県を襲った苦難として決して忘れてはならないと思う。今回は、福島・新潟豪雨の背景と、地元住民のその後を見ていく。

 ●6回目の避難

 福島県内では只見川、黒谷川、伊南川が氾濫。特に被害が大きかった金山町、只見町ではJR只見線の鉄橋3本が流された結果、1年経った今も会津川口(金山町)~大白川(新潟県魚沼市)の間で不通が続く。このうち只見(只見町)~大白川は今年秋に運行再開する見込みとなったが、会津川口~只見間は工事も未着手で全線再開の見通しは立たない。

 また、福島県内8市町の約7千人に避難勧告・指示が出された。その中には、原発事故のため放射線量の低い会津地方に避難してきた人もいた。計画的避難区域となった葛尾村から柳津町の旅館に滞在していた男性は、福島市や会津坂下町などの避難所を転々とし、この旅館に移って4ヶ月だった。「これで6回目の避難。町の人たちによくしてもらって、ようやく落ちついていたのに…」とこの男性はやりきれない表情だったという。

 ●明らかな人災、そして「想定外」

 「ダムができる前は洪水はなかった。人災だ」。水害発生後、地元住民の多くからこのような声が上がった。只見線の鉄橋流出も、ダムの台船がぶつかったために起きたとして人災と考える人が多い。

 福島県会津地方は、只見川を中心に豊かな川を利用した全国有数の水力発電地域として知られてきた。最大出力の合計は160万キロワットを超え、原発1~2基分に相当する。この水力発電を地元に誘致したのは第46~47代福島県知事・大竹作摩氏だ。本誌131号(2011年9月号)で既報のとおりだが、用地買収に反対する地権者を前に、大竹知事が会津弁丸出しで「誠心誠意」説得する様子は後に小説にもなった(「ダム・サイト」小山いと子、1959年)。

 今、無駄な公共事業の象徴的存在になっている八ツ場ダム(群馬県)のように、ダムは地元住民の間に分断を持ち込み、地域社会を破壊する。会津でもきっと想像を絶する確執や恩讐があったと思われるが、それでも地元の人たちはダムと共存しようと頑張ってきた。しかし、今回、ダムを管理する東北電力と電源開発の取った行動は、ダムのため多年にわたって尽くしてきた地元住民に対する裏切りとしか表現しようのないものだった。

 「町や県から事前に何の連絡も受けていない状態で、いきなり川が決壊し、大量の水が押し寄せてきたので驚きました」。地元でも数少ないスーパーを経営する男性はこう語る。多くの集落で集中豪雨による停電が起き、メディアも防災無線も機能せず、情報が決定的に不足する中で、ダムを管理する両社が警報のサイレンも鳴らさないまま、大量の水を突然、下流に向けて放流した疑いが持たれているのだ。

 「只見川沿いに設置されているダム10基のうち、奥只見ダムと田子倉ダムは流入してくる水を一時的に貯めておくことができるのですが、急激な水量増加には耐えられないので、時間差で放水する必要があります。一方、残り8基のダムは洪水調整機能もなく、流入してきた水をそのまま下流に流すだけの発電専用ダム。もともと豪雨で水位が上がっていたところに、上流の2つのダムが水を吐き出したため、凄まじい勢いの鉄砲水となって只見川を下っていったのではないか」(金山町の会社員男性)

 「ダム直下の地域の被害が激しいのは明らか。ダムの存在が被害を拡大させているとしたら、ダムを管理する電力会社は失われた財物を補償すべきです。今後は町や住民への補償対応を含め、電力会社の責任を問う考えです」(金山町の長谷川律夫町長)

 とりわけ、ダムができる前の地域事情を知る高齢者を中心に、ダムが水害の直接原因とは言わないまでも、被害拡大の原因となったことは明らかだとして、責任追及を求める声があがっている。特に、ダム立地自治体でないにもかかわらず大きな被害を受けた金山町では「只見川ダム災害金山町被災者の会」が結成され、電力会社の責任を問う動きが広がる。町長を含め、金山町はほとんどが責任追及の方向で一致している。

 これに対し、電力会社は「過去に例を見ない豪雨災害であり、ダムの操作は国の操作規定に則って適切に行った」との見解を示す。原発事故と同様、ここでも「想定外で責任はない」との立場だ。国土交通省阿賀川河川事務所も、被災者の会が出した公開質問状に対し「各ダムの放流は適切だった」と説明、歩み寄りは見られない。

 ●真相究明を求めて~地元住民の闘い

 水害発生後、只見川に設置されている第2沼沢発電所(出力46万キロワット)は再稼働への住民同意が得られず停止したままになっている。長谷川町長は「補償交渉がまとまるまでは再稼働に同意しない」との姿勢であり、東北電力と電源開発もやむを得ないとの考えだ。

 「被災者の会」は、電力会社への賠償請求に備え、現在、被害写真などの証拠収集や被害額の算定等の作業を行っている。ダム立地自治体である只見町でも住民に責任追及の動きがあるが、町当局は立地自治体として交付金を受けてきたこともあり、表立って責任追及には動きにくいという。

 福島・新潟豪雨は2011年8月19日、国により激甚災害に指定された。これまで、激甚災害の指定は災害発生から2~3ヶ月かかることが多かったことを考えると異例の早さといえる。震災・原発事故のダブルパンチに苦しむ福島県への特別な配慮があったことは疑いないが、一方でこんな声もある。

 「国から激甚災害の指定を受けた以上、自然災害と認められたことになるので、ダム災害(の責任)を追及するのは難しいかもしれません。ただ、ダムがあったことで下流に大きな被害が出たという意見があるのだから、電力会社はもっと真剣に考えるべきです。原子力損害賠償法、公害防止法のように、ダム被害補償法の制定が必要ではないでしょうか」(被災者の会メンバーの男性)。

 被災者の会の斎藤勇一会長は「町は首都圏、仙台圏への電力供給に協力してきた。災害時のリスクが地域に押し付けられる構図は福島第1原発事故と同じだ」と憤る。立地地域に支払われる「口止め料」としての交付金。立地自治体と同等かそれ以上の被害を受けて苦しむ周辺自治体。「想定外」を繰り返し、決して自分の責任を認めようとしない電力会社…。被災者の声を聞いていると、原発事故とすべてが重なって見える。

 ●恵みと災いの非対称性

 2012年5月26日(土)~27日(日)にかけて、筆者は信濃川エコツアー(主催:千曲川・信濃川復権の会)に参加した。2009年に発覚したJR東日本による信濃川からの不正取水問題を受けて、「JRに安全と人権を!市民会議」(JRウォッチ)はこの間、不正取水の被害を受けた新潟県十日町市との関係を築き、現在まで維持してきた。

 ツアー初日の26日午後、津南文化センター(新潟県津南町)で開催された記念講演「3・11以後の地域づくりの課題―自然との包括的な関係を築くために ―」では、鬼頭秀一・東京大学大学院教授(社会文化環境学)が「河川から受ける恵みは広域に及び、災いは狭い地域の住民だけに押しつけられる“非対称性”」を今日の技術・開発に関する問題として鋭く提起した。鬼頭教授はさらに、自然の徹底的な管理を前提とした20世紀型科学技術の終焉を指摘。災害時、コミュニティの力による助け合いと「競争より相互扶助」を基礎にする新しい社会のあり方を「3.11以後の新しい価値観」として提起する。災害や不確実性をむしろ受け入れ、共生していく精神的価値観の復権こそが必要である、とした。

 災いと恵みの“非対称性”は表現こそ違うものの、高橋哲哉さんが指摘した福島・沖縄の「犠牲のシステム」と同じ問題意識と言っていい。そして、恵みだけはきっちりと自分が取り、災いは他の誰かに押しつけたいと思っている勢力が社会を支配し規定する地位にいる、というところに問題の根源がある。私たちはこの根源にこそ、恐れることなく大胆に踏み込まなければならない。

 その後のパネルディスカッションでは、内山緑さん(名水百選「竜ヶ窪池」を守る会会長)、庚(かのえ)敏久さん(パワードライブR117代表)、桑原悠(はるか)さん(津南町町議会議員)、橘由紀夫さん(環境カウンセラー、千曲川・信濃川復権の会正会員)が討論した。4人のパネラーは、いずれも饒舌ではないが、科学技術中心から人間中心の新しい社会のあり方について強い思いを持った人ばかりだった。内山さんは、「最も大切な権利である水、そして水利権が利潤のために行動する(JRや電力会社のような)私企業の所有という今のあり方でよいのか」と重要な問題を提起した。

 地球上最初の生命は海(水)で誕生し、進化とともに陸に上がり、そして人間に行き着いた。人間の身体の7割は水でできている。だから私は「水とはわたし自身・あなた自身」であると思っている。水利権が私企業に売り飛ばされるとは、つまり「わたし自身・あなた自身」が私企業に売り飛ばされるということと同じである。そのようなことは決してあってはならない。そして、災いと恵みの“非対称性”がその構造ゆえに避けられないとしても、それをできる限り縮減し、恵みを受ける者が責任も引き受ける新たな公正の実現を目指して、変革に踏み出さなければならない。

 そのことをはっきりと教えてくれたのが福島・新潟豪雨であり、そして信濃川エコツアーだった。

 ●「すべてそのまま」でいいのか

 「只見川の復旧作業は国が進めることになると思うが、原形復旧では再発防止策として不十分。しっかり安全対策を講じていただきたい」。長谷川町長は、ともすれば何でも「元どおり復旧」という安易な道に流れがちな国にもこう注文をつける。災害は確かに不幸な出来事だったが、それをもバネにして災害に強い新たな町作りをしていこうという積極的姿勢は評価されるべきだろう。

 今回の水害で被害を受けた地域は、全国的傾向を先取りして急速に高齢化が進んできた過疎地でもある。人口に占める65歳以上の比率(老年人口比率)は金山町が55.6%、只見町も41.6%だ。福島県全体の老年人口比率(24.9%)と比べても著しい高齢化である。厳しい言い方になるが、こうした極端な高齢化地域は、若者が移住・定住できる町作りを大胆に進めなければ、災害があろうとなかろうといずれ消えゆくことになる。

 今、原発事故で警戒区域、計画的避難区域となり住民が避難に追い込まれた市町村では、原発事故への恨み節とともに「早く住民が帰還しなければ町(村)が地図から消えてしまう」という声が聞こえてくる。多くの首長が、将来住民に発生するかもしれない健康被害への不安から目を背け、帰還だけを急ごうとしている。だが本当にそれでいいのか。将来への戦略も構想もない単なる「元どおり帰還」では結局、地域消滅の日を少し先送りするだけの延命治療にしかならない。この際、地域住民とじっくり対話し、その意見を汲み取りながら、今までとはまったく違う新たな町作りに向けた構想を練り上げるべきだ。帰還は、それからでも決して遅くないと思う。

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本日の放射能測定値

2012-08-24 15:49:47 | 福島原発事故に伴う放射能測定値
1.測定年月日、時間
 2012年8月24日(金) 午後12時50分~1時00分

2.測定時の気象条件(晴/曇/雨/雪の別及び風向、風速)
 天気:晴
 風向・風速:南西 5m

3.測定場所及び測定結果(単位:マイクロシーベルト/時)
(1)福島県 JR新白河駅西口(高原口)
  ・新白河駅西口バス停横の土壌地
   大気中(高さ100cm)   0.52
   土壌(高さ10cm)    0.54

  ・新白河駅西口駐車場
   大気中(高さ100cm)   0.30
   舗装路面(高さ10cm)  0.31

(2)自宅室内(RC)    0.14

<放射線量測定に関するお知らせ>
次の定期測定は、2012年8月31日(金)に実施します。

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第94回夏の高校野球を振り返る

2012-08-23 23:41:04 | 芸能・スポーツ
第94回夏の全国高校野球は、今日決勝が行われ、大阪桐蔭が3-0で光星学院(青森)を破って史上7校目となる春夏連覇を成し遂げた。光星学院は、昨夏、今春に続き3大会連続で優勝に挑んだが、決勝戦の分厚い壁に3たび泣いた。ちなみに、決勝戦が春夏連続で同一カードとなるのは、100年近い甲子園の歴史の中でも初めてのことだ。

とはいえ、光星学院の選手、関係者には大変申し訳ないが、当ブログ管理人は光星学院の3度目の挑戦も実らないだろうな、と昨夜の段階で思っていた。実は昨夜、決勝戦が春と同じカードになったと聞いて「結果も多分春と同じになるだろう」と当ブログにも書きかけたが、いろいろ考えて投稿をやめたのである。

私がそのように考えた根拠は、注意深く当ブログの高校野球関係の過去ログを読み、その上で注意深く光星学院の今大会での戦いぶりを見てきた人には理解いただけるだろう。過去ログにも書いたとおり、光星学院の最大の弱点は「強攻策しかない」こと、別の言い方をすれば「バントなどの小技が全く使えない」ことにある。夏の甲子園で全国優勝するためには、どうしてもこの弱点を克服することが必要だったが、準決勝までの戦いぶりを見て、その克服に成功しているとはとても思えなかった。強攻策頼みのチームカラーは相変わらずで、「これでは大阪桐蔭に勝つのは難しいだろうな」と正直、思ったのである。

では、例年通り大会全般を総括しよう。

今大会は、初出場校が少なく、いつも聞く名前、かつてよく聞いた名前の学校が多く、新味には欠けたが落ち着いて見ていられる大会だった。特徴的なのは、とにかく本塁打が多かったことで、大会本塁打数56は史上2位の記録となった。一方、1~2回戦段階では機動力を生かして相手チームを巧みに揺さぶる学校も多く、果敢に三盗を試み成功させるチームも目立った。全体的に、本塁打を連発するメジャーリーグのようなチームと、機動力+小技で揺さぶる、ある意味で高校野球らしいチームの両極端だった印象がある。しかし、総合力が求められる夏の大会らしく、初出場校、機動力+小技のチームは3回戦までにおおむね姿を消した。

今大会では延長戦をほとんど見なかったような気がしたので、調べてみると確かに少なく、1回戦の盛岡大付(岩手)×立正大淞南(島根)戦と龍谷大平安(京都)×旭川工(北北海道)戦のわずか2試合だけ。例年の大会では、4~5試合は延長戦があるので、やはり今年は際だって少なかった印象だ。当然の結果としてサヨナラも少なかった。だが、だからといって面白くなかったわけではなく、シーソーゲームの多かった今大会は例年と違った意味で観客を楽しませた。

1回戦段階で最大の番狂わせは、昨年の覇者・日大三(西東京)が聖光学院(福島)に敗れたことだろう。私だって、もう5年以上も福島に住んでいる県民のひとりとして、地元代表に勝ってほしいことはもちろんだが、昨年の覇者とはあまりにも格が違うと考えていたから、聖光学院の勝利には人一倍嬉しかったことは事実だ。

打者では、4本塁打を放った北條(光星学院)が光った。

今年は投手も近年まれに見る大豊作の年だった。大阪桐蔭の藤浪は春以上にパワーアップして甲子園に帰ってきた。相変わらず直球は安定して速く、スライダーもよく切れていた。2回戦の松阪(三重)戦で2ケタ奪三振を上げた西(倉敷商)などきらりと光る投手陣がいた。今年の秋から冬にかけ、プロ各球団のスカウトは忙しくなるだろう。

そして、特筆すべきは「ミスターK」ともいうべき松井(桐光学院)だ。1回戦の今治西(愛媛)戦ではいきなり22奪三振というとてつもない記録を作った。これは、1925年の森田勇(東山中)他4人が達成した1試合最高奪三振記録19を実に87年ぶりに塗り替える快挙だ。準々決勝で光星学院に敗れたが、それでも通算奪三振は68の歴代3位。この上にはもはや斎藤佑樹(早稲田実、2006年)の78と板東英二(徳島商、1958年)の83しかない。もし桐光学院が決勝まで駒を進めていたら、1大会史上最多奪三振記録更新もあり得たかもしれないが、残念だった。改めて、野球人としての板東英二の偉大さを知った人も多かったのではないだろうか(今の若い人たちには、それ以前に、板東英二が野球選手だったことから教えなければならないのかも知れないが…)。

選手以外で印象深かったのは2人の監督である。ひとりは甲子園で38勝目を挙げ、あの蔦監督(池田)を抜いて歴代6位となった馬淵監督(明徳義塾)。もうひとりは28年の監督生活を終えユニホームを脱ぐ佐藤監督(新潟明訓)だ。馬淵監督は1990年に就任、1992年には松井秀喜(星稜)に対し、あの「全打席敬遠」を指示して様々な論議を呼んだ。不祥事で一度監督を退いた後復帰、就任から21年での38勝である。一方、佐藤監督は1984年の就任から一貫してチームを指揮してきた。特に馬淵監督にはいろいろ複雑な感情を抱く高校野球ファンもいると思うが、2人の名将に改めて敬意を表したい。

あまり触れたくなかったが、大会期間中、出場校のひとつである作新学院(栃木)の野球部員が強盗事件で逮捕されるという教育活動にふさわしくない事件もあった。高野連を含め、出場を辞退させるべきか議論の末、そのまま出場継続の方針がとられた。当ブログ管理人は、連帯責任の名の下に、真に責任を負うべき者が何度も逃げてきた日本の歴史的経緯から、何でもかんでも連帯責任にすることには反対だが、今後の大会のあり方は考えなければならないと思っている。

最後に、昨年の大会から導入された新しい運営のあり方は今年も続けられた。電力不足という社会的要請の中で、苦肉の策として導入された「午前中の決勝戦」だったが、結果的には選手・関係者の熱中症対策としても大きな意味を持つ試みだった。成功と評してよいと思う。

栄冠は君に輝く ~全国高等学校野球選手権大会の歌~


君よ八月に熱くなれ 高岡健二(「熱闘甲子園」の昔のテーマ曲)

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LCC(格安航空) 値引きで空は大丈夫か

2012-08-22 21:38:11 | その他社会・時事
(当エントリは、当ブログ管理人が「週刊新社会」向けに発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 空の規制緩和によって登場したLCC(ローコストキャリア:格安航空)が続々と日本の空に参入しており、中には運賃が5千円を下回るケースさえある。高速バス業界では、運賃の極端なダンピング競争が人件費削減や労働条件の悪化として乗務員に跳ね返った結果、大事故が続く。LCCの登場で航空業界が高速バス業界のようになる恐れはないのか。

 実は、その兆候はすでに出ている。

 ●運行に余裕なく欠航の連鎖

 LCC登場で最初に顕在化した問題は頻繁に発生する欠航だ。

 今年3月、日本最初のLCCとして就航したピーチ・アビエーションでは、3月28日、長崎空港出発直前に乗務員が緊急時の脱出用滑り台を誤って作動させ、機体の修復が必要となるトラブルがあった。これ自体は乗務員の単純な操作ミスによるものだが、この日は結局長崎-関西国際空港線が3便欠航、翌29日も同じ機材を使う予定だった関空-長崎線と関空-福岡線の計6便が欠航した。翌々日の30日も4便が欠航に追い込まれた。

 このような事態を招いた原因は、LCC各社が経費を節減するため必要最小限の機体しか保有せず、ギリギリの運行体制を取っていることだ。驚くべきことに、ピーチは3路線を運行するのに3機しか機体を保有していない。どこか1便でも欠航が生じれば、欠航が連鎖的に拡大する。しかも、欠航の場合、格安運賃であるため乗客には他社便への振替輸送もなく、ピーチの別便に振り替えるか運賃の返金を受けるしかないのが実情だ。

 ピーチのコスト削減は整備場の数にも及んでいる。なんと関西空港の1カ所しかないのだ。そのため、ピーチの最終便は必ず関西空港に戻る必要がある。深夜ギリギリの時間まで運行を続けた結果、空港から先の交通機関がなくなり、乗客が空港到着後に足止めとなる事態も何度か発生している。

 国土交通省はこうした事態を改善するどころか、さらなる規制緩和を進めようとしている。そのひとつが、これまで認められていなかったオンボード給油(乗客が搭乗している状態での給油)の解禁である。発熱量が大きく燃えやすいジェット燃料に引火した場合、機内に乗客がいれば大惨事につながる。中型機や小型機の場合、給油に要する時間は5分程度だが、LCCの中には機体の「有効活用」のため空港到着後30分で折り返すケースもあり解禁を要望してきた。「その程度の時間短縮のため乗客を危険にさらすのか」という危惧の声は空港関係者にさえ存在する。

 ●高速バスの悲劇は明日の空か

 LCC登場によるパイロット不足を見越して、国交省は、これまで実際に飛行機に搭乗して行われてきた副操縦士への昇格試験をフライトシミュレーターによる実施でもよいとするなどの規制緩和も行う方針である。だが、航空機では左右2カ所の操縦席で同じ操作ができる。つまり副操縦士は運行上、操縦士と同じ責任を負っている。そのような重要な職務への昇格を実機の操縦もなく可能とするような規制緩和を行ってよいわけがない。

 高速バス業界では、2000年の道路運送法改正により、バスを5台所有し、責任者さえ置けば誰でもバス事業に参入できるようになった。乱立したバス会社同士の値下げ合戦によって、いくら走らせても利益が出ない過当競争に陥った。しわ寄せは人件費にも及び、1人で12時間近く乗務を強いられる運転手も現れた。こうした規制緩和の結果が今年4月、7人が死亡した関越道でのバス事故だ。

 公共交通の分野では、規制緩和の悪影響はすぐには現れない。社会全体が規制緩和に慣れ、ある程度恩恵も受けたところで問題が顕在化することがほとんどだ。バス業界の今日の悲劇的な姿は明日の空への警告である。

 バス業界では、関越道での悲惨な事故を受け、事実上、規制緩和から強化へ向けた動きが始まった。航空の分野でも、大事故が起きる前に過度の規制緩和、過当競争に歯止めをかけることが必要である。

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