安全問題研究会~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

公共交通と原発を中心に社会を幅広く考える。連帯を求めて孤立を恐れず、理想に近づくため毎日をより良く生きる。

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当サイトは列車の旅と温泉をメインに鉄道・旅行を楽しみ、また社会を考えるサイトです。

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●管理人の著作(いずれも共著)
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【管理人よりお知らせ】汽車旅と温泉を愛する会サイト復活、当ブログの名称変更について

2013-08-31 09:25:34 | 運営方針・お知らせ
管理人よりお知らせです。

突然ですが、2010年10月にinfoseekのwebサーバーサービス終了に伴い消失してしまった「罪団法人 汽車旅と温泉を愛する会」サイトを復活させることにしました。「本運用」は9月1日からの予定でしたが、すでに閲覧は可能な状態になっています。こちらまたはPCにて閲覧の方は「当ブログのご案内」からも飛ぶことができます。

当ブログの画面左側、ブックマークに入れていた「日本の鉄道全線乗車の記録」「鉄道車両記号一覧表」をご覧になりたい方は、「罪団法人 汽車旅と温泉を愛する会」トップページから行くことができます。

復活に伴い、消失前の旧サイトのコンテンツは整理することにしました。更新予定もなく、閲覧もほとんどされていなかった「漫画・アニメの部屋」「音楽の小部屋」の復活は見送り、消失前から閲覧の多かった鉄道関係、社会問題のコンテンツに限り復活させました。

鉄道関係のコンテンツは、当ブログまたは安全問題研究会と重複するものを除き、消失前と同様の姿で復活させています。旧「ノンセクションの部屋」は、「社会・時事問題の部屋」に名称変更の上、ほぼ従来通り復活させています。

なお、消失前のサイトの構成を引きずったままアップしてしまったため、あちこちリンク切れや写真の見られない箇所などがあります。追って復旧させていきますので、しばらくお待ちください。「トップに戻る」をクリックしても戻れないときは、ブラウザの「戻る」ボタンにて戻ってください。

サイトを復活させた理由ですが、gooブログでは画像以外のファイルを添付できないことです。「日本の鉄道全線乗車の記録」「鉄道車両記号一覧表」を掲載するには結局、サーバースペースが別に必要で、それならいっそ旧サイトを復活させた方が便利だと思いました。サイトの復活は、消失以来ほぼ3年ぶりです。ただし、更新は今後も当ブログがメインになり、サイトのほうは年に数回レベルの更新にとどまることになると思います。当ブログを「罪団法人 汽車旅と温泉を愛する会」「日本の鉄道全線乗車の記録」「鉄道車両記号一覧表」「安全問題研究会」などのサイトに飛ぶための、いわばポータル的なものとしてご利用いただければ、と思います。

これに伴い、当ブログの名称も、再び以前の「人生チャレンジ20000km」に戻しました。今後とも、当ブログと「罪団法人 汽車旅と温泉を愛する会」サイト、そして安全問題研究会をどうぞよろしくお願いします。

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【速報】金曜官邸前行動に小出裕章氏

2013-08-30 22:07:28 | 原発問題/一般
今日の金曜官邸前行動(首都圏反原発連合主催)に京都大学原子炉実験所・小出裕章助教が初めて参加した。小出さんは、あさって9月1日日比谷公会堂で開かれる「9.1さようなら原発講演会」で講演のため上京している。

小出さんは、「これだけ多くの皆さんが、原発事故以降、毎週、集まってデモをし続けているのは大変すばらしいこと。私も研究者になって以来、1人になってもいいからずっと(反原発の活動を)やっていこうと決めてやってきた。これからも皆さんとともに闘っていきたい」とスピーチした。

なお、東京近郊の方で、9月1日、関心のある方は、ぜひ講演会にご参加いただきたい。

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書評:“What was 国鉄闘争”

2013-08-28 21:03:31 | 書評・本の紹介
(当エントリは、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2013年9月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 「今度、”What was 国鉄闘争”という本が出ることになった。郵送するので、ぜひ読んで、できれば「地域と労働運動」誌に書評を書いてもらえないか」。そんな依頼が「ぶなの木出版」の川副詔三編集長からあったのは6月のことだったと記憶する。「でも私は国鉄闘争なんて、関わったのは四党合意以降の10年程度。25年の闘いの半分も関わっていない私が書評など書いていいんですか」と聞くと「それでもかまわない」とのお返事だった。なにしろ25年もの長い闘いである。国鉄闘争に、最初から最後まで(しかも、中抜けもせず)関わり続けられた人は多いようで意外に少ない、との話もある。それなら私でも問題ないのかもしれないと思い書評を引き受けた。

 「国鉄闘争に、最初から最後まで、しかも、中抜けもせず関わり続けた」人物のひとり、立山学さんは、歴史的解決を見ることなく旅立ってしまった。「JRの光と影」(岩波新書)を読んで立山ファンになり、自分の同書にサインまでしてもらった私は本当はもっと立山さんの薫陶を受けたかった。

 私の国鉄闘争との関わり方は他の人とはかなり違っている。物心ついた頃から鉄道ファンとして歩んだ。私の自宅近くに国鉄小倉工場(今もJR九州小倉工場として現存)と南小倉駅があり、制服を着て通勤する国鉄職員がいつも自宅の前を通っていた。南小倉駅に遊びに行くと、いつも駅員がお茶を入れてくれたり、ホームに連れて行っては信号機の意味など教えてくれる。私と同年代か上の世代の鉄道ファンは、鉄道ファン人生への入口で大なり小なりこうした「原体験」を持っている。国鉄時代は鉄道ファンもいわば「鉄道ムラ」の一員で、ファンから見れば今とは比べものにならないくらい鉄道の現場が近かった。今の時代感覚では「馴れ合い」と言われかねないが、そうした中でも「やるときはやる」「やるべきことはやる」のが国鉄職員であり、鉄道員魂だった。

 私は、今だから懺悔しておかなければならないことがある。四党合意の存在がメディアにすっぱ抜かれた頃のことだ。“What was 国鉄闘争”でも触れられているように、「最も高い値段で自分達を売れる」時期だった1990年代後半、国労はこの最も大事な局面で被解雇者の職場復帰に失敗していた。そこで出てきた四党合意報道に、私は当初「ここで採用がなければ一生チャンスは来ない」と思い、某鉄道雑誌の読者投稿欄に「この機会に解決を」とした投稿を行ったことがある。今から考えれば「ゼロプラスアルファ」の合意に過ぎなかった四党合意を当初、解決の最後の機会と捉えたのは私の本質的過ちだった。投稿をボツにしてくれた某誌編集部に今はとても感謝している。(余談だが、被解雇者に向かって「ゼロプラスアルファ」と言い放った甘利明が、復活した自民党・安倍政権でのうのうと要職に居座り、今もTPP・原発再稼働の旗を振っているのは許し難いことだ。)

 あいまいだった私の認識はその後、「人らしく生きよう~国労冬物語」(ビデオプレス)を見て根底からひっくり返る。四党合意を吹き飛ばしたあの歴史的な「7・1臨大」の後の国労大会が行われている社会文化会館前で、四党合意反対派を支持するスピーチをしたときが、私の支援者としてのデビューだった。

 そういえば、社会文化会館も老朽化を理由に取り壊された。気がつけば国鉄闘争の「舞台」もどんどん消えつつある。急速に風化しつつあるけれども、「思い出」と呼ぶにはまだあまりに生々しすぎるこの時期に、国鉄闘争とその成果、教訓を次代に語り継いでおくことはきわめて重要なことであり、その意味からも今般の本書の刊行は時宜を得たものといえるだろう。

 当事者ではなく鉄道ファンという特殊な立場からの支援者であった私にとって、本書の中で特に興味深く読んだのは、国労高崎の縦横無尽の闘いぶりを描いた関口広行さんの「国鉄闘争から新たな闘争へ」だ。この章を読むと、当局の攻撃にさらされながらも持ちこたえ、地本ぐるみで闘う闘争団・鉄建公団訴訟原告団を最後まで支え続けた高崎地本の「パワーの源泉」とその理由がよく理解できる。 果敢に地域に打って出る機動性と柔軟さは、国鉄時代からの経験の蓄積がもたらしたものだ。

 国労高崎の闘いは、その後2000年代に入ると国鉄闘争を側面から支援する力として重要性を増す。やがてこの闘いはJR内の国労グループとの連携で「JRウォッチ」の主力となり、ついに2008年、信濃川不正取水(水泥棒)事件の発覚によってJR東日本を追い詰める力になったのである。いま、信濃川不正取水事件は、株主代表訴訟に引き継がれ、法廷で争われている。信濃川現地で、保守系の心ある人たち(根津東六・元十日町市議など)ともつながりながら、JRの企業体質を告発し、交通ユニオンとして地域の足・公共交通を守る闘いにつながっている。

 公共交通を守る闘いで言えば、今、JR北海道が未曾有の危機を迎えている。数年前から始まったディーゼル特急車両の炎上事故は今年に入りますます加速、炎上事故だけで年間10件の大台に乗ることが確実な情勢だ。地元紙「北海道新聞」は国鉄分割民営化によって主力の40代が10%しかいない歪な社員の年齢構成、技術の伝承の失敗などを背景として指摘している。同紙読者投稿欄には、国鉄分割民営化と国労潰しが最近の安全崩壊の原因だとする鋭い読者投稿が臆することなく掲載されている。国鉄「改革」の際最も恐れられていたことが、最も恐れられていた形で表面化したといえる。このことだけでも国鉄「改革」は検証される必要があるし、公共交通(特に地方路線)切り捨てと安全問題は全く解決していない。これら「終わっていない諸問題」にも私はこれまで同様取り組んでいきたいと思う。

 最後に、本書は、私たちの世代にとっては初めからあるのが当たり前のように感じられる東京総行動がどのようにして作られてきたかなど、歴史的なことが数多く書かれている。25年の闘いの中で、国鉄闘争は、今、あらゆる労働組合と労働運動が通過しようとしている道をすでに経験してきた。当時と今では時代背景が異なるため、彼らのノウハウをそのまま現在の闘いに適用できないとしても、少し修正を加えればすぐに役立つ示唆に富んでいる。

 1047名首切りの張本人、中曽根元首相が「国労を潰せば総評が潰れる」「意識的にやった」と公言してから四半世紀。ブラック企業でこき使われ、ボロ雑巾になって死ぬ第1の道と、奴隷化を拒否する代わりに孤高に飢えて死ぬ第2の道とどちらがよいか、という資本からの無慈悲な問いかけが正規、非正規問わず全労働者に突きつけられている。本書は、そのどちらでもない第3の道を照らし出す――労働者がみずから事業を興し、労働しながら経営にも携わる第3の道。ぜいたくはできなくても心豊かに、助け合いながらすべての人々が尊重され、人として生きることができる新たな道。1000人を超える被解雇者が四半世紀もの間、自活し続けた体験を目にすれば、それが「空想的ユートピア」でなく実現可能な目標であることが理解できるだろう。

 正規と非正規、公務員と民間、女性と男性、高齢者と若者問わず、すべての「働く人たち」に対し、国家権力・国鉄、JRと闘ってきた闘争団・原告団から贈られた輝かしいプレゼントである。ひとりでも多くの労働者が本書を手にすることを希望している。

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(管理人よりお知らせ)

このたび、四半世紀もの長きにわたったJR不採用問題(国鉄闘争)を総括した上記の本が出ました。申込用紙は、サムネイル画像をクリックするとダウンロードできます。どちらかといえば、労働運動に携わってきた人向けの書籍ですが、「一生懸命働いても、なぜ自分の暮らしはよくならないんだろう」と疑問を持っている一般の人にとっても、大変役に立つものです。ぜひお買い求めください。

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福島原発事故を過小評価する国連科学委にベルギー代表団が激怒、原発推進派に亀裂

2013-08-23 18:47:18 | 原発問題/一般
福島原発事故で、健康への未知の影響を心配し行動する日本の市民を強力に後押しする国連、アナンド・グローバー報告については、すでに当ブログでお伝えした(過去ログその1その2)。日本政府はこの報告に対し、反論にもならない幼稚な反論を繰り返した挙げ句、官民、メディアこぞってこの報告を黙殺する代わりに、福島原発事故で大きな健康被害は出ないとして、子どもの甲状腺ガンが増え続ける日本の現状を無視する国連科学委員会(UNSCEAR)報告を大々的に宣伝した。

ところが、この国連科学委員会報告に対し、「福島原発事故の影響を過小評価するものだ」としてベルギー代表団が激怒するという一幕があったようだ。国連科学委員会報告に対するベルギー代表団の批判的見解の内容が当ブログにも回ってきたので、以下、新居朋子さんによる翻訳でお知らせする。内容はきわめて正当なものであり、「住民の避難は比較的速やかに行われ、食品の検査は満足できるレベルである。従って被害はおそらくチェルノブイリよりは少なくてすむだろう」の部分を除いてほとんどの部分に当ブログは同意する。皆さんもぜひこの見解を読んでほしい。

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原文はこちら

日本語訳はこちら

UNSCEAR、怒るベルギー代表:『福島原発事故被害は過小評価されている』

原子力事故や放射能の被害を評価する任務を負う国連機関 UNSCEAR内部で議論に火花が散っている。UNSCEARは最近ウィーンで開催された会議において用意された暫定報告書を、各国専門家の議論に委ねた。この報告書がベルギー代表団を激怒させたのだ。ベルギー代表団メンバーによれば「報告書全体が福島原発事故の被害を過小評価するために執筆、作成されている感が否めない。チェルノブイリやその他の研究から得られた情報のレベルからさえも後退している。」と言う。

ベルギー代表団を構成しているのは、モル核エネルギー研究センターやさまざまな大学の専門家たちである。他国の多くの専門家たちとともに、彼らは五月にウィーンで開催された会議に参加した。UNSCEARは来秋、国際連合総会に報告書を提示しなければならない。

ブリュッセルに帰国後、ベルギー放射線防護協会(ABR)でのプレゼンテーションにおいて、代表団団長ハンス・ファン=マルケはUNSCEARの暫定結論に対する非常に批判的な意見を明らかにした。この批判はグリーンピースや反原発派からではなく、”原子力推進派内部”から噴出しただけに衝撃的である。我々の得た情報によると議論は過熱を尽くし、ベルギー代表団のショックはあまりに大きかったため、報告書への署名拒否さえちらつかせているそうだ。また何人かのメンバーは会議からの退場も考えたと言う。ベルギー代表団の発言と、またイギリスの専門家やその他何人かの専門家の発言の行われた結果、彼らの見解も改訂版を編集するうえで考慮に入れられる可能性はあると言う。しかし過去の歴史からこの手の組織においては、プログラムや文書の最終的な方向性は事務局と報告官によって決定されることがわかっている。最終稿が議論をきちんと反映しているかどうか、最大の注意が支払われることになるだろう。

批判

一般的な見解については誰も異論はない:日本は幸運に恵まれており、放射能の大部分は太平洋の方向に流れた。住民の避難は比較的速やかに行われ、食品の検査は満足できるレベルである。従って被害はおそらくチェルノブイリよりは少なくてすむだろう。

しかし地上への放射性物質降下量は無視できる量ではなく、従って住民の健康や将来への被害も無視できるものではない。その上、放射性物質の降下は福島市や郡山市(人口30万人)のように人口密度の高い地域で起こっている。

UNSCEARの報告書が提示しているデータの多くは不完全であり、また提示の方法に問題がある。一般市民が受けた被曝量は不適切な方法を使って少なく見積もられている。これは事故現場で働いている作業員数万人の被曝量に関してもまったく同様である。そして日本政府も東電もこの件に関する詳細の公表を拒んでいる。安定ヨウ素剤が配られなかったことも明白であり、甲状腺検査の実施は一般に遅すぎた。そのために現時点でUNSCEARの報告書が主張しているように将来事故の影響はほとんど現れないだろうと断言することはできない。

またUNSCEARによる分析は、速断で胎児や遺伝を脅かす潜在的な危険を強制的に除外してしまっている。発癌リスクに関しては、明白な病変を引き起こすには放射線量が低すぎるため、懸念をする必要はないと評価している。このような仮説はベルギー人も含め多くの専門家を激怒させた。というのも上記の通り、一方では被曝量の評価が適切でないうえ、他方ではチェルノブイリの情報や近年行われた数多くの研究から低い線量でも健康に影響の現れ得ることが示されているからである。しかしながらUNSCEARはこのような放射線科学の発展から明らかに後戻りをしようとしている。各国からの代表者たちの一部は、今回の会議においてだけでなく、ここ数年間繰り返し、年間100ミリシーベルトという敷値の下ではいかなる健康被害も起こらないという考えを通そうと試みている。しかし国際放射線防護委員会(ICRP)は、平常時においては一般市民は年間1ミリシーベルト、原子力産業従事者は年間20ミリシーベルトの被曝量を越してはいけないと勧告しており、また事故時においては、一時的な基準の超過は大目に見られるものの、超過は持続的であってはならないとしていることを今一度確認しておきたい。

最新の研究では様々な分野において年間10から100ミリシーベルトの間の低線量被曝でも、健康に影響のあり得ることが示されている。被害は癌だけではない。胎児への影響、遺伝のかく乱、心臓血液疾患や白内障なども問題となる。

チェルノブイリと同じ被害の否定が福島でも行われるのか?

いくつもの報告書が机上にあり、完成を待っている。そのひとつは子供たちについての報告書だ。子供は被曝が起こった場合、特別に保護し、監視しなければならない対象である。この子供たちについての報告書はフレッド・メットラー教授率いるアメリカチームが請け負ったのだが、メットラー教授と言えば、チェルノブイリ・フォーラムで公表された報告書の著者の一人である。当時の報告書はチェルノブイリ事故被害を過小評価しているとして、大変に議論を沸かし、批判を浴びたものである。彼はまたも臭いものに蓋をしようとしているのか? 少なくともメットラー教授による今回の子供についての報告書では、低線量被曝が子供たちにもたらす健康被害に関する一連の研究や発見、論点が先験的に除外されてしまっている。このテーマに関する欧州原子力共同体(ユーラトム)の専門家グループによる報告書さえ、メットラー教授は考慮に入れようとしなかった。

もうひとつ関連する報告書の中で無視され、ほとんど議論されていない非常に重大な問題がある:それは持続的な慢性被曝のケースである。これは例えばある身体器官が内部から被曝を受ける場合に起こるものだ。実際、放射性物質が体内に均等に分散するか、あるいは逆に特殊な部位に蓄積するかによって、現れる健康被害は異なるらしいことがますます明らかになっている。つまり同じ被曝量でも被曝が起きている部位によってその影響は異なるということだ。このことは既に何年も前にチェルノブイリ事故における数々の影響を研究したベラルーシの科学者ユーリ・バンダジェフスキーが発表した仮説と一致する。

分裂・・・

福島原発事故(そしてチェルノブイリ原発事故)の被害を過小評価し、放射線防護に関する最新研究がもたらした結果から後戻りしようとする試みはいったいどこから発生しているのか? それは主にロシア、ベラルーシ、アメリカ、ポーランドそしてアルゼンチンの専門家によって構成される派閥からなのである。彼らの多くはUNSCEARだけでなくIAEA、そしてICRPの中心人物でもある。その一人、アルゼンチン人のアベル・ゴンザレスの就いている役職はアルゼンチン国内の原子力産業のものも含めて数知れず、前回のセッションでは、ベルギーの専門家が利益の混同を批判する書面を送ったほどである。しかしUNSCEARはこの批判書を議事録に記載することを拒否した。ゴンザレス、メットラー、ロシアのベラノフ(元IAEA職員であり、UNSCEAR報告書の一つの編集長)それに数人のポーランド人が、フランスのチュビアナ教授に代表される派閥とダイレクトにつながって、低線量被曝が起こしうるあらゆるネガティヴな影響に関する考えを頑なに拒絶しているのである。彼らは一丸となってこの路線を堅守しようとし、非常に活発な国際的拠点を築き上げている。彼らはUNSCEARやIAEA(UNSCEARの会議はIAEAの建物内で開催される)の事務局における戦略的なポストを占拠している。そして今日では日本人も彼らと見解を分かち合うようになっている。福島原発事故による影響を最小限に抑え、停止中の原発を再稼動させるのに懸命だからだ。

その他の原子力大国、例えば中国やインドの代表は何も口出しをすることなく、UNSCEARの文書を黙認している。フランスのCEA(フランス原子力庁)やIRSN(放射線防護・原子力安全局)の専門家たちは、過去には日本が情報を滞らせていることを嘆いていたのに、今回はほとんど意見を発しなかった。スウェーデン、ドイツの専門家たちも言葉少ない。当然各国内の専門家たちの間でも異なる意見が存在するのだろうが、やはりUNSCEARが出した結論と原子力エネルギーの地政学との間に類似性を認めたくなるものである。ここで問題となっているのは各国の公式の代表専門家たちだからである。

かくして、一石を投じたのはベルギーの専門家たちだったのだ。イギリスの専門家たち、それにオーストラリア人の議長が彼らを支持した。またユーラトムの会議に参加しているヨーロッパの専門家たちは、UNSCEARの《過小評価派》に比べて、低線量被曝の影響をずっと気にかけている。

いったいこれらの問題についての議論や科学的疑問はどこに行ってしまったのかと思わざるを得ない。少なくとも低線量被曝の影響を否定する一派は、来秋提示されるUNSCEARの報告書に彼らの見解が反映され、国連によって有効とされることを熱望している。それに対してベルギー人をはじめとするその他の専門家たちにとっては、それは放射線防護知識に関する最新の進歩に対する許しがたい後退を表すことになるだろう。

マルク・モリトール記
Marc MOLITOR
ベルギーRTBF(フランス語圏ベルギーTVラジオ局)

http://www.rtbf.be/info/societe/detail_1es-delegues-belges-indignes-on-minimise-les-consequences-de-fukushima?id=8042566

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第95回夏の全国高校野球記念大会について

2013-08-22 21:09:55 | 芸能・スポーツ
夏の全国高校野球は、今日決勝戦が行われ、前橋育英(群馬)が4-3で延岡学園(宮崎)を破り初出場で優勝の快挙を成し遂げた。群馬県勢の優勝は1999年の桐生第一以来2度目。一方、宮崎県は過去の優勝経験がない。当ブログ管理人は九州出身者として、また優勝経験のない県の代表である延岡学園の優勝に期待したが、かなわなかった。

いつも、春夏の高校野球の講評記事ではいろいろ書いている当ブログだが(今年春は引越の忙しさで書けないまま終わってしまったが)、今大会はとりわけ言いたいことが多くある。とりあえず、それらは最後に主張することにし、まずは、いつも通り、今大会を振り返ろう。

今大会を振り返って特徴的に言えることは、

(1)3回戦までは攻撃に「ビッグイニング」ができて大量得点差となる試合が多かった一方、準々決勝以後は投手戦にせよ打撃戦にせよ、1点を争う好ゲームが多かった

(2)大会全体を通し、悪送球が大変多く、守備に課題を残した

(3)2年生に逸材が多かった(特に投手)

(4)関東・東北勢を軸に大会が展開する新しい時代に入った

(5)特定の強豪校、特定の「スーパースター」に依存する旧来型のスタイルより、地域の野球力全体の底上げ、チーム力での勝利を意識する新しいスタイルの優位性がますますはっきりした

…等々である。このうち、一見相互関連性がないように思える(4)と(5)は密接につながっているのでまとめて述べる。

(1)については改めて繰り返すまでもないだろう。特に大量得点差となったのは、大会3日目(8月10日)、作新学院(栃木)が桜井(奈良)に17対5で勝利した試合。そして、大会10日目(8月17日)の3回戦、鳴門(徳島)が常葉菊川(静岡)に17対1で勝利した試合である。ただ、準々決勝以降の7試合に限れば、1点差の試合が5試合、2点差が1試合と大変締まった展開。準々決勝は4試合のうち2試合が延長戦となり、スタンドと全国の高校野球ファンを湧かせた。

ただ、大会全体を通して悪送球が目についた。とりわけ、得点された後に追加点を阻止するため、塁上に残った走者を刺しに行って悪送球となり、かえって追加点を与えたりピンチを広げたりするケースが目立った。焦る気持ちは分かるが、こうした場面でこそ精神面を含めた基礎的な守備力が問われる。ピンチの時こそ落ち着き、野手がグラブを構えているところをめがけて送球するという基本に忠実なプレーをできるようにするためには、実践形式での練習を数多く積むことが必要だ。各代表校が守備練習をきちんとしているのか疑問に思わざるを得ない。

投手に限って言えば、2年生に逸材が多い大会だった。大会屈指の好投手といわれた安楽智大(済美)を初め、優勝投手となった高橋光成(前橋育英)、伊藤将司(横浜)等々。野手でも、並み居る3年生を抑えてレギュラー入りした2年生が多かった。プロ野球のスカウト陣には悩ましいところだが、来年に向け、楽しみが温存されたと肯定的に捉えよう。

ただ、安楽は敗れた花巻東(岩手)との3回戦だけは別人のように不調だった。本人も監督も否定するが、背景に米国メディアも指摘した投げすぎ、疲れもあることは間違いないだろう。

今回の大会は、関東・東北勢がとにかく強かった。特に東北6県(青森、秋田、岩手、宮城、山形、福島)の代表のうち、秋田商を除く5校がすべて初戦を突破した(秋田商は1回戦が不戦勝で初戦が2回戦だったので、記録上は6校すべてが1回戦を突破したことになる)。これは高校野球史上初めてであり、まさに快挙だ。しかも花巻東と日大山形は4強入りした。4強のうち2校が東北勢というのも私の記憶にない。花巻東は、菊池雄星投手(現・西武)を擁した2009年の実績もあり4強入りに驚きはなかったが、日大山形は予想外で嬉しかった。山形県民は、かつて1985年の大会で、東海大山形がPL学園(大阪)に29対7で敗れたことがトラウマになっているといわれる。そのマイナスの記憶を一気に払拭する日大山形の躍進は、山形県民を勇気づけたに違いない。

東北勢の躍進については、なぜ東北野球は強くなったか 花巻東・日大山形が4強入り(産経)が詳しく報じている。かつて、東北勢は関西圏の中学から入学したよそ者ばかり、と批判を受けた時期もあったが、リンク先の産経の記事にあるように今はほとんど地元出身者だ。冬場の練習不足を補うためリーグ戦を創設するなどの努力が、地域全体の「野球力」の底上げにつながったと報じられている。こうした実践形式の練習を多く積むことは、上述した「ピンチでの悪送球」のようなミスを減らす精神力をも養ってくれる。

総じて、甲子園は関東・東北勢を軸に大会が展開する新しい時代に入ったと思う。対照的に、九州勢は8強に残ったのが延岡学園1校だったが、その延岡学園が決勝に残りひとり気を吐いた。四国勢は8強に2校が残るなど健闘した。残念だったのは近畿勢で、最後まで残った大阪桐蔭が3回戦で敗れ、8強に1校も残れなかった。

なぜ西日本勢が甲子園で勝てなくなってきているのか。東北勢躍進を伝える上述の産経の記事にヒントがあるように思う。東北勢と対照的に、近畿勢は圧倒的な力を持つ強豪校が1校あって、その学校に県全体が依存する構造になっている(その強豪校の代表が、かつてはPL学園であり、最近では履正社や大阪桐蔭であろう)。

特に典型的なのは奈良県だ。今年、奈良からは桜井が初出場したが、奈良代表は40年以上にわたって智弁学園、天理、郡山の3校が独占しており、この3校以外が夏の甲子園に代表として出場したのは1971年以来、実に42年ぶりのことになる。その桜井は、冒頭に記したとおり、初戦で作新学院に大量得点差で敗れた。

奈良、大阪、兵庫などの代表は、特定の強豪校が出場したときは強いが、それ以外の学校が出場したときは1~2回戦で敗れることも多い。これは、地域全体の「野球力」の底上げができていない証拠だ。過去の成功体験に拘り、特定の強豪校に依存する構造を変えられなかったことが、地域全体で強くなってきた東北勢に比べ、近畿勢が甲子園で勝てなくなってきた背景にあると考えられる。

このことは選手起用にも言える。安楽投手に依存しすぎた済美が結局、8強に残れなかったように、スーパースター依存型のチームが甲子園で勝つことはかつてと比べ次第に難しくなってきている。複数の投手を擁し、適度に継投させながら負担を分散させる近代的チームプレー型の学校が優勢になってきたことは、長い目で見れば好ましい。

この点に関しては、米国メディアが安楽投手の登板過多、投げすぎを「狂気的」と評したことから、大会中であるにもかかわらず、投手起用のあり方について一部で熱い議論が交わされた。安楽投手本人は投げすぎを否定、済美の上甲監督も「高校生に投球制限はふさわしくない」と意に介さなかった。だが、かつて1991年の大会で、県予選から甲子園の決勝戦までひとりで投げ抜いた大野倫投手(沖縄水産)が決勝戦で肘を壊し、巨人にドラフト指名されたものの、プロ入りと同時に野手に転向を余儀なくされ、結果として短期間で引退に追い込まれるという悲劇もあった。宇和島東の監督として1980年代から指導的地位にあった上甲監督は、当時の大野投手の悲劇も知っているはずだ。にもかかわらず、かつての精神主義的な投手起用のスタイルを引きずっているのには率直に言って疑問を感じる。

今年の甲子園では、初の試みとして、準々決勝と準決勝の間に1日の休養日が設けられた。選手を消耗品として使い潰す甲子園から、世界に通用する一流選手の登竜門として、選手の限られたリソースを保全しつつ上手に活用する新しい甲子園へ…一進一退を続けているように見えても、時代は確実に変わっているのだ。

最後に、熱中症対策と大会運営で感じた点を述べて本記事を終えることにしよう。

今年の夏は、高知県四万十市で41度を記録するなど、観測史上最も暑い記録を更新することが確実な情勢だ。通常の年でも甲子園のグランドは50度近くに達すると言われるだけに、今年の甲子園はひょっとすると55度くらいあったかもしれない。このような環境の下で昼間にプレーさせるのがよいかどうかは今後に向けた検討課題として考えるべきだろう。実際、今年は観客も10人以上が熱中症で搬送された。選手に目を転じても、前橋育英×常総学院(茨城)戦で、常総のエース・飯田晴海投手が熱中症に起因すると思われる足のけいれんに見舞われ降板、その直後に2-0から追いつかれ、逆転負けを喫するという「事件」もあった。常総学院にしてみれば、相手チームのほかに猛暑という思わぬ敵がいた格好だが、これを「根性と気合で乗り越えろ」というのはあまりに酷だ。気温が一定以上となったら試合を中断する、最も暑い時間帯の試合は避け、大胆にナイターを導入するなど新しい取り組みがあってもよいと思われる。

全体的に、記念大会にふさわしいよい大会だったと総括できるが、後味の悪さを残したのは、高野連・審判部によって行われた花巻東・千葉翔太選手に対する不可解な「行政指導」だ。ひとつは2塁走者が相手捕手のサインを盗み打者に伝達する行為があったとして指導を受けたこと。もうひとつは不可解な「カット打法禁止令」だ。詳細はリンク先の記事をご覧いただきたいが、プロ野球をはじめ他の野球ではいずれも(推奨される行為ではないが)ルール上、少なくとも禁止されていないこれらの行為について、「カット打法を行った場合、バントとみなすことがあり得る」という高校野球だけのローカルルールを根拠として事実上の自粛を求めたのは、審判部による、公認野球規則に基づかない恣意的な権力の行使であり慎まなければならなかった。

高野連・審判部がこうした不可解な行政指導を行った理由は推測の域を出ないが、「選手を消耗品として使い潰す甲子園から、世界に通用する一流選手の登竜門として、選手の限られたリソースを保全しつつ上手に活用する新しい甲子園への転換」あたりが理由だろうと思う。高校野球も教育活動である以上、選手の健康と成長を保持するように大会を運営することには大義があり社会的合意も得られるであろうから、審判部はきちんと理由を明示すべきだったし、さらに言えば、投手の身体を壊さないようファウルの球数に制限を設ける独自規定を置いてもよいと思う(一例として、「2ストライクに達した後、8回ファウルを打った打者は三振とする」といった形でルール化すればよい)。そうした努力もせず、時と場合により、審判部の胸先三寸でカット打法による打球をバントとみなしたり、みなさなかったりすることができるような恣意的な運用の余地を残したことは高野連の怠慢といわれても反論できないだろう。千葉のような器用な選手が出てくることが想定外だったことは否めないとしても、今後のために体制を整備すべきだ。

3年ぶりに決勝戦を午後開催に戻したことにも当ブログは異議を唱えたい。福島第1原発事故に伴う電力不足という社会的要因があるとしても、気温の比較的低い午前中に決勝戦を移したことは、選手・観客の熱中症対策にも有効だとして、当ブログは支持を表明してきた。今回、高野連・大会本部は、電力危機が去ったと見たのか、3年ぶりに決勝戦を午後に戻した。しかし、折からの猛暑ともあいまって、今日の午後、全国的に電力需要が逼迫し、電力使用率が97%に達した関西電力が他の電力会社から緊急に電力融通を受ける事態になった。決勝戦が昨年までと同様、午前中であればこの事態は避けられた。

なぜこのような判断をしたのか。高野連・大会本部の判断は批判的に検証されるべきと当ブログは考える。こうした無理・無駄を重ね、選手にも観客にも不必要な負担をかけた挙げ句のはてに、電力不足だから原発再稼働というのでは言語道断である。福島で今なお原発事故のため15万人が帰宅できず、汚染水が漏れ続け収束の糸口さえつかめない状況を認識するならば、決勝戦は昨年までの午前開催に戻すべきだ。高野連・大会本部に猛省を促したい。

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これは真夏の夜の怪談か?~「猛暑の後には大地震が来る」説について

2013-08-17 23:40:50 | 気象・地震
当エントリで記載する内容を信じるか信じないかは読者諸氏にお任せする。科学的根拠を持つものとは言えず、単なる統計学上の大まかな傾向に過ぎないからである。それでも当ブログがこうした不確実な話を取り上げるのは、第1には、いざその時が来てから「やっぱり事前に警告しておけばよかった」と後悔することがないようにしたいから。第2には、科学とか科学者を標榜する人たちが3.11以降市民の信任を失って「何が本当の科学か」が不透明になってきており、従来の「科学的立場」からは笑い飛ばされそうだったこの手の話の価値が増していると考えるからである。

確証が持てないが警告の意味でこの話題を取り上げているものと理解していただきたい。もし、この話が信じるに足りないと考える方は、「真夏の夜の怪談」と受け取っていただいてかまわない。

四万十、4日連続40度以上…国内初(読売新聞) - goo ニュース

高知県四万十市(西土佐江川崎)で8月10~13日まで4日間連続で最高気温40度超えとなったことは、すでに各メディアで報じられた。この夏の異常猛暑は、統計史上110年間で「最暑」と言われた2010年夏をも上回る勢いとなっているが、このところ各個人ブログなどで話題になり始めているのが「猛暑と大地震の関係」だ。

1923年夏 記録的猛暑→1923年9月 1日 関東大震災
1994年夏 記録的猛暑→1995年1月17日 兵庫県南部地震(阪神・淡路大震災)
2010年夏 記録的猛暑→2011年3月11日 東北地方太平洋沖地震(東日本大震災)

ここではいちいち紹介しないが、この猛暑と大地震の関係に触れている個人ブログは検索すれば比較的簡単に見つかる。ネット民には、こうした法則性を見つけるのが得意な人が多い(その理由も想像がつくが、当エントリの主題ではないので割愛する)。

にわかには信じがたい「法則性」だが、実際に調べてみると、1923年8月6日、徳島県板野郡撫養町(現・鳴門市)で42.5度という当時ではあり得ないほどの極端な最高気温が観測されていた(出典:ここ)。この気温が正式記録ではなく参考記録とされているのは、ここの観測点が中央気象台(気象庁の前身)の正式観測点でなく委託観測所だったことによるもので、温度計の精度が不足していたからではないことに注意を要する。

また、この年、東京でも35.1度という当時としては常識外れの気温が記録された、と記載している個人ブログもある。出典は明記されていないが、気象庁のデータベースを見ると、関東大震災が起きる直前の東京の8月の「月平均気温の平均値」は1922年(震災前年)が27.3度、1923年(震災の年)が27.2度。その前後の年と比べて突出して高くなっている。例えば1921年は25.3度、1924年は26.2度。それ以外の年もおおむね同様で、1922~23年が異常なのだ。

次に1994年を見よう。同じ気象庁のデータで、8月の東京の「月平均気温の平均値」は28.9度。1978年と並んで、この時点での戦後タイ記録となった。驚くことに、この記録は翌95年(阪神大震災発生直後)にあっさり破られ29.4度を記録。この95年の記録が破られるのは、…なんと2010年(29.6度)である。

ちなみに、1978年は、6月に宮城県沖地震(M7.4、最大震度5)が発生している。95年とあわせて考えると、「大地震は発生直前も暑いが、発生直後も暑い」といえそうである。

こうしてみると「猛暑の後に大地震」は荒唐無稽な説ではなく、統計的にはじゅうぶん検討に値すると思う。ただ、これ以外にも記録的猛暑だった年はあり、「猛暑の後に必ず大地震」ではないことに注意が必要だ。「後で振り返ってみれば、あのときもそうだった」的な後知恵の域を出ないが、戦後の代表的な大地震の前後の年に平均気温が高温で推移していることは興味深い。「国内各地で次々と最高気温の記録が塗り替えられるような年があった場合は、念のためその後1年程度は大地震に注意すべき」程度のことは言ってもかまわないと思われる。

数学の世界では、「aであるときは、bである」という命題が真であるとき、aをbであるための「十分条件」、bをaであるための「必要条件」と呼ぶことになっているが、「夏が記録的猛暑だと、大地震が起きる」という命題を立てたとき、これが真であるとは言えないから(猛暑の後、「必ず」大地震が来るとは限らないため)、猛暑は大地震発生の十分条件とは言えない。しかし、「必要条件」に該当する可能性はあるかもしれない(上記以外の地震についてもう少し精査が必要。もし、上記以外の地震についても同じことが言えるなら、その時は必要条件と言える)。

難しいのは、1923年夏に桁外れの気温が観測されたのが高知県鳴門市であるにもかかわらず、その後大地震に見舞われたのが東京であったように、この説から地震の発生場所を事前に推定することは不可能であることだ。これができるようになれば、地震予知に1歩近づけると思うのだが…。

いずれにせよ、今年の異常猛暑が「大地震の警告」の可能性はじゅうぶんある。当エントリを信じる方は、向こう半年から1年程度、大地震に念のため警戒してほしい。

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現役プロ野球選手のブログに御巣鷹事故が取り上げられる

2013-08-14 23:25:53 | 鉄道・公共交通/安全問題
プロ野球・千葉ロッテマリーンズの現役選手、神戸拓光外野手が個人で運営するブログに、JAL123便御巣鷹事故が取り上げられ、昨日あたりから話題になっている。

「茜雲」と題した日航機墜落事故関係の記事神戸拓光外野手のブログより)

現役プロ野球選手という珍しさもさることながら、その内容が大変すばらしいものであることも理由だろう。リンク先をお読みいただければ、神戸選手が大変よくこの事故のことを勉強していることが分かる。このブログの記事に私が付け加えることは何もないほどだ。

神戸選手は1985年2月生まれとのこと。自分の生まれた年にこの事故が起きたことも、関心を深める原因になったようだ。彼のような発信力のある人がこの事故のことを勉強し、発信してくれることは私にとっても大変ありがたいと思う。

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2005年頃から相次いだ一連の安全トラブルを契機に、日航は社内に安全啓発センターを設置するなど、自社の過去の事故とある程度真剣に向き合うようになった。日航のサイトには、安全啓発センターJALグループにおける123便以外の主な事故を解説したページまである。公共交通関係企業で、サイトにこんなことを載せているのは日航くらいではないだろうか。

一方で、倒産からの再建の過程で再び利益ばかり追うようになった、との声も聞かれる。当ブログとしても、引き続き日航の動向を注視していきたい。

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(安全問題研究会コメント)28回目の「8・12」を迎えて~原因究明なきB787運行再開と空の規制緩和に抗議する

2013-08-13 21:05:59 | 鉄道・公共交通/安全問題
1.単独機の死亡事故としては世界の航空史上最悪となった1985年8月12日の日本航空123便旅客機墜落事故から28年を迎えた。安全問題研究会は、亡くなられた520名の乗客・乗務員に改めて深く哀悼の意を表する。

2.今年の御巣鷹山には、この事故の遺族のほか、東日本大震災に伴う大津波で我が子を失った親や、一昨年5月、関越道で起きたバス事故で重傷を負った男性の母親など、多くの事故・災害遺族や関係者が訪れた。日航社長も例年通り事故現場まで登った。御巣鷹の尾根は、公共交通の安全のシンボルとしてますます重要な位置を占めつつある。

3.当研究会も昨年夏、永年の悲願だった御巣鷹山への慰霊登山を敢行した。登山者を拒むかのような険しい山の尾根に立てられた無数の墓標に息をのんだ。このような険しい山中で散っていった520名の無念は察するに余りある。

4.日米航空当局は、燃料漏れやバッテリーからの発火などのトラブルが相次いだ新型機・ボーイング787について、今年1月、異例の運行停止命令を出したが、抜本的な再発防止策がとられないまま運行再開を認めた。ボーイング社は、NTSB(米国国家運輸安全委員会)が開催した意見聴取会で、バッテリーの安全対策について「日本のユアサ社が確認しているので問題ないと思っていた」と責任放棄ともとれる発言をした。事故後に講じた「再発防止策」も、バッテリー発火時に火が周辺に燃え移らないよう容器に密閉、排煙用の排気管を設けただけのものだ。

5.B787型機は、従来機より大幅に軽量化され、機体の製造コストや燃料費を大幅に削減できる(燃料費はB767の2割減といわれる)。ボーイング社や航空会社にとって大きな利益をもたらす機種であることが、日米航空当局が同機の運航再開を急いだ背景にある。

6.最近、日本政府が老朽化によって退役予定の政府専用機(1991年就航、B747型機)の後継としてB777型機を選定する方針であることが報道された。未曾有の財政危機の中で、経費が大幅に削減できるB787型機が政府専用機として採用されなかったことはB787の危険性の傍証だと当研究会は考える。政府要人が乗れないと判断した航空機に国民は乗れというのであれば、日本政府のしていることは事実上の殺人である。

7.このようなボーイング社、日米航空当局の姿勢には御巣鷹事故の遺族も懸念を抱いている。慰霊登山に訪れたある遺族は「安全が置き去りにされている」と国交省の航空行政を批判する。当研究会も、航空機メーカーと航空会社の利益を最優先し、人命を軽視する日米航空当局に強く抗議する。

8.同時に、当研究会は、2010年に不当解雇された日本航空労働者の解雇撤回を強く求める。すでにこの解雇が不要であったことは、稲盛和夫・日本航空元会長自身が明らかにしている。安全のため発言し、行動する労働者の不当解雇を放置すれば、必ず事故となってはね返るであろう。

9.当研究会は、B787の運行再開の撤回、無理な運行体制の問題が指摘されているLCC(格安航空)の見直し、不当解雇者の職場復帰を引き続き求めてゆく。当研究会が目指すのは空の安全であり、御巣鷹山はその原点である。昨年の慰霊登山で見た光景を胸に刻み、航空機事故による犠牲者をこの山で最後にするため引き続き活動していく決意である。

 2013年8月12日
 安全問題研究会

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【重要・福島原発告訴団より】本日の新聞紙上における原発事故「不起訴」報道について

2013-08-09 21:46:53 | 原発問題/一般
原発事故、全員が不起訴へ 東電前会長や菅元首相ら(朝日新聞) - goo ニュース

管理人より緊急のお知らせです。

本日、朝日、時事通信の他、北海道、東京など地方紙も含めた各紙において、検察当局が、福島原発事故で告訴・告発を受けた関係者全員を不起訴にする方針を固めた旨の報道が行われました。このうち朝日新聞の報道については上記リンク先の通りです。

この報道を新聞紙上で確認した方から、福島原発告訴団事務局に問い合わせが殺到しており、今朝から、事務局の電話は鳴りっぱなしの状態です。

当ブログは、福島原発告訴団の1告訴人が個人の立場で運営しているものであり、事務局とは関係ありませんが、こうした状況を踏まえ、特に問い合わせの多い内容について、以下の通り事実関係を述べておきます。

問い合わせで最も多かったのが「菅直人・元首相、枝野幸男・元官房長官、海江田万里・元経産相の3名について、福島原発告訴団は告訴しているのか」というものですが、福島原発告訴団はこれら3名を含め、政治家は一切、告訴・告発の対象としていません(告訴・告発対象者のリストはこちら)。告訴・告発対象者に政治家を含めるべきか否かについては、告訴団内部に様々な意見がありましたが、最終的に見送りました。

政府・東電関係者に対する告訴・告発は福島原発告訴団だけではなく、作家の広瀬隆さん、金沢市の市民団体なども行っており、これらのグループの中には政治家を告訴・告発の対象に含めているところもあります。福島原発告訴団による第1次告訴の後に、これらのグループも含めた告訴がまとめて受理され、全体でひとつの告訴事件として捜査が行われてきたのがこれまでの経過です。内容の酷似した複数件の告訴・告発がほぼ同時期に行われた場合、まとめて1件として受理されることは、珍しいことではありません。

朝日新聞等で今朝から報道されているのは、福島原発告訴団を含む「各地の市民団体等」が行った告訴・告発に基づいて捜査が行われてきた政府・東電の業務上過失致死傷罪等の案件について、近く不起訴の判断が示される見通し、との観測に基づく報道であり、福島原発告訴団としては政治家を告訴・告発の対象としていないことを改めて強調しておきたいと思います。

「不起訴の判断は最終決定なのか」との問い合わせも多く寄せられていますが、上記のような事情から、メディア各社の予測報道であり、現時点では検察当局としての最終決定ではないことも併せて申し添えておきます。

ただ、告訴受理から既に1年を経過し、検察当局が近く最終判断を下す見通しであること、また、その内容が不起訴であることは、私たちも相当に確度の高い情報を得ています。私たちは、初めから不起訴決定後をある程度見据えた方針の下に運動を続けてきており、不起訴になったからといって今後の展望を失うことはありません。

たとえ不起訴であったとしても、「あらゆる戦争、あらゆる公害、あらゆる事故や企業犯罪で、ことごとく加害者・企業の側に立ち、最も苦しめられている被害者を切り捨てるための役割を果たしてきた」日本政府を変え、「政府が弱者を守らず切り捨てていくあり方そのものを根源から問うこと、住民を守らない政府や自治体は高い代償を支払わなければならないという前例を作り出すこと」を目標とした福島原発告訴団結成の初心に改めて立ち返り、今後も皆さんとともに闘っていきたいと思います。

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<安全問題研究会コメント>高速バス新制度への移行を歓迎する~国交省は規制緩和と人柱行政の反省を~

2013-08-04 23:57:44 | 鉄道・公共交通/安全問題
1.8月1日、乗合バス事業の見直しに伴って、新たな高速バス制度が発足した。これにより、従来の高速ツアーバス制度は廃止され、高速乗合バスに一本化されたことになる。安全問題研究会は、新制度への移行を歓迎する。

2.今回のバス制度見直しは、昨年5月、関越自動車道で7人が死亡した悲惨な事故を契機とするものである。国交省は、この間、バス事業労使、旅行業界などの利害関係者および有識者、バス趣味雑誌編集長等からなる「バス事業のあり方検討会」を設置。事故が多発する情勢の中、新たな規制の方向性について、各界各層を代表する委員による真摯な議論が続いてきた。今回、検討会が一定の結論を得て、バス事業者間の際限のない競争に歯止めをかける新たな規制制度が発足したことは、検討会各委員の多大なる努力によるものである。当研究会は検討会各委員に対し敬意を表する。

3.新制度では、旅行業法の適用を受け、旅行業者が責任主体となって貸切バス事業者に運行を委託するツアーバスの業態を廃止。高速バスを運行するすべての業者に道路運送法を適用し、自社でのバス車両保有、バス停の設置、運行の事前届出を義務づけた。ワンマン運転についても、実車距離400km、運転時間9時間(夜間)、実車距離500km、運転時間9時間(昼間)をワンマン運行の上限とし、これを超える場合には乗務員2人以上による運行を義務づけた。また、乗務員の連続乗務も4夜までに制限された。

4.今回の規制強化により、ツアーバス事業者の大半が撤退を余儀なくされたが、この程度の規制で撤退せざるを得ないようなバス事業者は初めから参入させるべきでなかったものと当研究会は考える。乱立していたバス事業者が整理されることは、バス事業者の旅行業者に対する発言力を強化することにつながる。顧客としての優越的地位を利用して、旅行業者が常識では考えられない過密スケジュールでの運転をバス事業者に強いていた従来の悪慣行が大きく是正されるものとみられる。ワンマン運行の上限の強化も、乗務員が極度の疲労を抱えたまま乗務せざるを得ない状況に一定の改善をもたらすと予想される。

5.しかしながら、過当競争の中、バス事業者は間断のないコスト削減圧力にさらされている。この機会に、当研究会は国交省に対し、バス事業者に対する不断の検査、チェックの徹底を期するよう改めて求める。もしこの検査、チェックが有効に実施されなければ、今回のせっかくの規制強化も画餅に終わるであろう。

6.国交省が今回、バス事業の規制強化に踏み切ったこと自体は評価すべきものだが、関越道事故に先立つ2007年2月、大阪府吹田市で27名が死傷するあずみ野観光バス事故が起きている。本来であれば、そのとき速やかに対策を講じるべきだったにもかかわらず、国交省は有効な対策を取らなかった。その後、2010年9月に総務省行政評価局による「貸切バスの安全確保対策に関する行政評価」が行われ、バス事業者に対する指導監督の徹底が求められたにもかかわらず、ここでも有効な対策を取らなかった。こうした国交省の姿勢こそが関越道事故を引き起こしたのである。当研究会は、犠牲者が出なければ抜本的対策を講じない国交省の「人柱行政」の責任を問うべきと考える。

7.また、今回の関越道事故が明らかにしたことは規制緩和の失敗であり破たんである。2000年の道路運送法の改正により、バスを5台所有するなどの条件を満たせば誰でもバス事業に参入できるようになった。このことが過当競争を生み、バス業界のモラル崩壊につながった。ツアーバスに至っては、利用客に対する契約上の責任はバス事業者でなく旅行業者が負うこととした。しかし、バス車両を保有せず、運転手を雇用もしていない旅行業者が利用客に対する安全上の責任など負えるはずがなく、このような無責任体制を作り出した規制緩和の責任は重大である。

8.責任を取るべき立場にある国交省は、反省も遺族への謝罪もなく、なし崩し的に規制強化に梶を切っている。当研究会は、関越道事故で犠牲となった7名の無念に応えるためにも、上記の事実について国交省の責任を追及していく。そして、JR北海道のたび重なる事故、ボーイング787の発火などにより、全面崩壊の危機に瀕している公共交通の安全を再建するため、今後も奮闘する決意である。

 2013年8月4日
 安全問題研究会

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