安全問題研究会~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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【管理人よりお知らせ】カテゴリ再編の実施について

2018-04-29 22:23:57 | 運営方針・お知らせ
管理人よりお知らせです。

新カテゴリとして「原発問題/福島原発事故刑事訴訟」を設置しました。

2015年7月の検察審査会による2度目の「起訴相当」議決により、福島原発事故では、勝俣恒久東京電力元会長ら旧3役員に対する刑事訴訟が始まっています。この訴訟は、昨年6月に第1回公判が始まった後、半年以上休廷、2月に第2回公判が行われましたが、4月以降は週1回のペースで公判が行われています。5月以降もこのペースに基本的に変わりはありません。

このままのペースで進んだ場合、科学ジャーナリスト、添田孝史さんによる福島原発事故刑事訴訟の傍聴記もそれに合わせてハイペースで更新されていくことになります。このままでは、他の原発関係記事が刑事訴訟傍聴記の中に埋もれてしまうことになりかねません。

このような事情から、刑事訴訟傍聴記を他の原発関係の記事と分離したほうがいいと判断し、そのための新カテゴリを設けることにしました。

今後、福島原発事故の刑事裁判に関する記事を「原発問題/福島原発事故刑事訴訟」カテゴリで、それ以外の原発関係記事は「原発問題/一般」カテゴリで扱うことになります。原発事故をめぐって行われている各地の損害賠償(民事)訴訟や原発差し止め訴訟など、刑事訴訟以外の裁判は「原発問題/一般」カテゴリで扱います。

これで、「福島原発事故に伴う放射能測定値」も合わせると、原発関係のカテゴリは3つに増えることになります。「福島原発事故に伴う放射能測定値」カテゴリが現在、休眠状態で今後の取扱いも決まっていない中、3つの原発関係カテゴリを今後どうするかは頭の痛い問題ですが、整理も困難であり、今後もしばらくこの状態が続くことになります。

なお、新カテゴリ設置に合わせ、既存のカテゴリについても一部名称を変更しました。具体的には、「鉄道趣味」を「鉄道/趣味の話題」に、「鉄道・公共交通安全問題」を「鉄道・公共交通/安全問題」に、「鉄道・公共交通政策」を「鉄道・公共交通/交通政策」に、「原発問題」を「原発問題/一般」に、それぞれ変更しています。これらは単なる名称変更であり、記事の分類基準としては以前と変わりません。

この結果、当ブログのカテゴリ数は1つ増え、17となりました。管理人としては、増えすぎで整理したいとの思いもありますが、なかなか困難な状況です。


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【福島原発事故刑事裁判第9回公判】法廷で態度が悪い酒井氏、これぞ無責任東電の象徴

2018-04-28 23:05:49 | 原発問題/福島原発事故刑事訴訟
福島原発事故をめぐって強制起訴された東京電力旧3役員の刑事訴訟。4月27日に行われた第9回公判の模様を伝える傍聴記について、福島原発告訴団の了解を得たので、掲載する。執筆者は前回に引き続き、科学ジャーナリスト添田孝史さん。次回、第10回公判は大型連休明けの5月8日(火)、第11回公判は翌5月9日(水)に行われる。

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第9回公判傍聴記 「切迫感は無かった」の虚しさ

 4月27日の第9回公判は、前回に引き続いて、津波評価を担当する本店原子力設備管理部土木グループ(2008年7月からは土木調査グループ)を統括していた酒井俊朗氏が証人だった。

 裁判官とこんなやりとりがあった。

裁判官「早急に対策を取らないといけない雰囲気ではなかったのか」
酒井「東海、東南海、南海地震のように切迫感のある公表内容ではなかったので、切迫感を持って考えていたわけではない」
裁判官「15.7mが現実的な数字と考えていたわけではないのか」
酒井「原子力の場合、普通は起こり得ないと思うような、あまりに保守的なことも考えさせられている。本当は、起きても15mも無いんじゃないかとも考えていた」

 高い津波は、切迫感がある現実的なものとは認識していなかった。だから罪はない、と主張しているように聞こえた。

 東電幹部が乗用車の運転をしていて、それによる事故の責任を問われているならばこの論理も説得力を持つだろう。しかし責任を問われているのは、原子力発電所の「安全運転」についてだ。事故の死者は交通事故の数万倍になる可能性もあり、東日本に人が住めなくなる事態さえ引き起こすのである。はるかに高い注意義務がある。

 そのため、普通は起こり得ないようなことまで想定することが原発の設計では国際的なルールになっている。具体的には、酒井氏が説明したように、10万年に1回しか大事故を引き起こさないように安全性を高めなければならない。

 数十年間の運転中に起きる確率は低いから、その津波に切迫性は無い。あるいは、これまで福島沖で発生したことは過去400年の文書には残っていないから現実感は無い。そんな程度では、高い津波にすぐに備えない理由にならないのだ。

◯地震本部の長期評価(2002)は根拠がない?

 相変わらず弁護側の宮村啓太弁護士の尋問の進め方はわかりやすかった。法廷のスクリーンで映し出すグラフの縦軸、横軸の読み方を丁寧に説明するなど、プレゼンテーションのツボがおさえられている。原発のリスクを示す指標である確率論的リスク評価(PRA)について、宮村弁護士の解き明かし方は、これまで聞いた中で一番わかりやすかった。PRAの専門家である酒井氏が「あなたの説明がよっぽどわかりやすい」と認めたほどだった。

 そのプレゼン術で、宮村弁護士は、地震本部の長期評価(2002)の信頼性は低いと印象づけようとしているように見えた。

宮村「長期評価をどうとらえたのですか」
酒井「ちょっと乱暴だと思いました。これは判断であって、根拠が無いと思っていました」

 言葉を変えながら、こんなやりとりが何度も繰り返された。

 そして、宮村弁護士と酒井氏が時間をかけて説明したのが、米国で行われている原子力のリスク評価の方法だ。法廷では、酒井氏が電力中央研究所でまとめた研究報告(注)が紹介された。

 酒井氏は、どんな地震が起きるか専門家の間で考え方が分かれている時は、専門家同士が共通のデータをもとに議論することが大切であると強調した。

 不思議なのは、酒井氏の研究報告が「長期評価の信頼性が低い」という弁護側主張と矛盾していることだ。長期評価(2002)は、文部科学省の事務局が集めた共通のデータをもとに専門家が議論して、地震の評価を決めている。酒井氏の推薦する方法そのものである。

 一方、東電が福島沖の津波について2008年に実施したのは、個々の専門家に、共通のデータを与えることなく、意見を聞いてまわる調査方法だった。「米国では問題があるとして使われなくなった」と酒井氏が証言した方法そのものである。

 酒井氏の証言には、こんな「あれっ」と思わされる論理のおかしさがあちこちに潜んでいた。

◯東北電力も高い津波を予測していた

 この日の公判で、東電や東北電力が事故後7年も隠していた新しい事実も明らかにされた。2008年3月5日に、東電、東北電力、日本原電などが参加して開かれた「津波バックチェックに関する打合せ」の議事記録である。

 これによると、東北電力の女川原発も、地震本部の長期評価(2002)の考え方に基づき、これまで発生した記録のない宮城県沖から福島県沖にまたがる領域でM8.5の津波地震を想定していた。東電だけでなく東北電力も、明治三陸沖地震(1896)のような津波地震が、もっと南で起きる可能性を検討していたのだ。この場合、女川原発での津波高さは22.79mの津波と計算されていた。

 長期評価によれば、女川(敷地高14.8m)も水没すると予測されていたのである。2008年3月時点では、東電は長期評価を取り込む方向で動いていたが、それに対して東北電力は難色を示した可能性がある。

完全に手詰まりだった

 「津波対策のため原子炉の運転を停止すべきであると考えたことはあるか」という質問に、酒井氏は「ありません」と言い切った。「何かしらの指示が出されれば止めて対策というのは、どこの国もしていない。運転中に評価をして対策を取るのがスタンダードだと今も思っている」と証言した。

 しかし、運転継続しながら対策を取るのは、「一定の安全性が保障されていること」が前提だ。それは酒井氏自身も認めた。

 耐震バックチェック(古い原発の安全性再確認)は2006年9月に開始され、揺れについての報告書(中間報告書)を、各電力会社が2008年3月に提出した。運転しながら確認作業は進められたが、旧来の想定を超えても、重要部分はすぐには壊れない余裕があることを電力会社はあらかじめ確かめていた。

 ところが津波は違う。古い想定に余裕はなかった。新想定が数cm高く見直されるだけで、その想定津波のもとでは非常用発電機など最重要設備が動かなくなる。それなのに運転しながら対策を進めることは、リスク管理上とても許容されることではない。

 事故の4日前、2011年3月7日、東電は保安院から津波対策を早急に進めるよう迫られていた。翌月には地震本部が貞観地震が再来する可能性について報告書を公開する手続きを進めており、地元自治体への説明も始めていた。

 「地震本部が予測する貞観地震に、原発は耐えられるのか」と地元から問われた時、困った事態に陥る。東北電力は安全性をすでに確かめ、2010年にはこっそり報告書をまとめていた。ところが福島第一は非常用発電機や原子炉を冷やすポンプが動かなくなる。それが露見したら、運転継続は難しくなる。

 もし、すぐには問題に気づかれなかったとしても、その先の見通しも暗かった。2016年までには津波対策を終える予定としていたが、その工法に目処は立っていなかったのだ。

 そんな八方塞がりのもと、東電は漫然と福島第一の運転を続けて、事故の日を迎えた。

 酒井氏は、福島第一を襲った大津波について「想定で考えているからといって、やっぱり来たかというより、びっくりしました」と述べた。

 大津波の4年前、東電の柏崎刈羽原発が震度7の直下地震に襲われたばかりだった。酒井氏は、その原因になった活断層評価もとりまとめていた。

 そして福島第一の津波である。これも自分が想定評価の責任者。自分が調査を担う東電の原発ばかりが、めったに起きないはずの地震に連続して襲われることは無かろうと、高をくくっていたのではないだろうか。

注)酒井俊朗「確率論的地震動ハザード評価の高度化に関する調査・分析―米国SSHACガイドラインの適用に向けて」2016年7月 電力中央研究所報告 調査報告:O15008

手足を組み、リラックスした様子で証言する酒井俊朗氏 絵:吉田千亜

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【金曜恒例】反原発北海道庁前行動(通算288回目)でのスピーチ/福島でのモニタリングポスト撤去を許すな

2018-04-28 13:33:50 | 原発問題/一般
4月から札幌市に転居したことによって、毎週金曜日夕方6時半~7時半に北海道庁前で行われている反原発金曜行動に参加しやすくなった。今後はできる限り参加し、スピーチもしたいと思っている。また、スピーチをした場合は、その内容もできる限り当ブログに掲載することにする。

そういうわけで、昨日行われた通算288回目の道庁前行動での当ブログ管理人のスピーチを掲載する。

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今日は直前に行われた安倍首相やめろデモから引き続きご参加の方もいるようで、本当にお疲れさまです。さて、今日は福島県内で街頭に設置されている放射線量計、モニタリングポストが撤去されようとしている動きについて、皆さんに知っていただきたいと思います。

原子力規制委員会は、3月20日の会合で、福島県内の街頭に約3000台あるモニタリングポストのうち、避難区域外にあるもの、約2400台を2020年までに撤去することを決めました。いうまでもなく、2020年といえば東京五輪の年です。福島原発の汚染水について「アンダーコントロール」と豪語した安倍政権は、自分の言葉と反する、不都合なものはオリンピックまでにすべて痕跡を消し去りたいということなのでしょう。

なぜ、このようなことが決められたのかは、今年1月17日の更田(ふけた)豊志・原子力規制委員長の発言に示されています。更田委員長は、空間線量が年間ミリシーベルトの場所で生活している人にガラスバッチを付けてもらって個人の被曝線量を計測した結果では実際には7分の1だったので、「1マイクロシーベルト/時のところで居住してもミリシーベルト/年に達しないという感触で」、まずは空間線量と被曝線量との相関式を作り直すべきだと述べたのです。

記者からの質問に対して更田委員長は「根拠は実測値です」と答えています。福島県伊達市が実施したガラスバッジによる外部被曝線量測定を根拠にしているようですが、人は24時間ずっと外にいるわけではなく、1日の3分の2は屋内で過ごすので、ガラスバッジ測定ではどうしても外部被曝線量は低く計測されることになります。その測定結果に基づいて、外部被曝の線量基準を従来より緩めようと、要するに住民の被曝防護策も緩め、後退させようというのが国や県の一貫した政策と言えます。被曝からの住民防護策をできるだけ緩め、できるだけカネをかけないようにしたいと考えている国や県にとって、24時間ずっと外に立ち、24時間の外部線量を測定し続けるモニタリングポストの存在は都合が悪く、だからこそ撤去が打ち出されたのだと思います。そうとでも考えなければ、巨額の税金を投じて設置したモニタリングポストを、またカネをかけて撤去する理由がそもそもわかりません。

原発事故当初はあれほど声高に叫ばれていた除染さえ、今後は縮小していく方向性が打ち出されている。こうした福島県内の状況があります。住民の健康に重大な影響を与えるかもしれない、放射能汚染という「不都合な真実」と真摯に向き合い、根本的な対策を講じるのではなく「とりあえず目の前の臭いものに蓋をして、見ないようにしていればいい」というのが、原発事故に限らず、安倍政権が他の問題でもこの間、とり続けてきた姿勢で一貫しています。しかし、森友問題に見られるように、そうしたごまかしは必ず破たんする運命にありますし、そんなごまかしの中からは問題の解決も、まともな民主主義も生まれてくるわけがありません。いま問題になっている隠蔽、改ざん、ごまかし、はぐらかし、居直りという点は、原子力ムラのほうがずっと先輩で、森友など足下にも及びません。そもそも原子力基本法は、「平和・安全・民主」を原子力の目的と定めていますが、本当にこの3原則を厳格に適用するなら、原子力などしょせん滅びるしかない代物なのです。

もうひとつ、重要な事実を指摘しておきたいと思います。先ほど私は、更田規制委員長が「伊達市でのガラスバッチによる実測値」を基に線量基準の緩和を打ち出してきていると述べました。伊達市といえば、ICRPと住民が対話をする「ダイアログセミナー」をこの間、ずっと行ってきた自治体です。対話といえば聞こえがいいですが、要するに「楽しく笑っていれば放射能とも共存できる。楽しく福島で暮らしていきましょう」と住民を説得するためのセミナーです。主催しているのはICRP第4委員会委員長で、「放射能汚染地でも楽しく暮らせる」というICRP勧告(ICRP勧告111号「原子力事故又は放射線緊急事態後における長期汚染地域に居住する人々の防護に対する委員会勧告の適用」)を中心になってまとめた人物でもあるジャック・ロシャール氏です。いわばエートス運動の中心的役割を果たしてきた伊達市で、その中心にいた人物が主導して考え出した計測方法を根拠に、「今までの放射線防護策は厳しすぎるから緩めよう。それと矛盾する数値を示すものは全部、痕跡を消していこう」というのが、モニタリングポスト問題の中心的狙いなのです。そんなやり方が認められるでしょうか。

私は、事故以降2年間を福島県西郷村で過ごしました。私の地元にもモニタリングポストは立てられましたが、住民が真剣にその数字を見ていたのは事故後のせいぜい数ヶ月でしょう。半年過ぎる頃には、住民はモニタリングポストから目を背けるようになりました。1年も経つとその段階も過ぎ、周囲の風景にすっかり溶け込んで日常の一部と化したモニタリングポストの数字に目を向ける地元住民は誰もいなくなりました。「誰も見ていないなら外してもいいじゃないか」と思う方もいるかもしれません。しかし、目に見えない、音もしない、匂いも痛みも感じない、そんな放射能にここが汚染されているのだと可視化し、わからせてくれる唯一の存在がこのモニタリングポストなのです。もしこれが撤去されたら、これから生まれてくる子どもたちは、周囲に教えてくれる大人がいない限り、ここが放射能と折り合いをつけながら生きていかなければならない特別な場所なのだということを知らないまま、大人にならなければならないかもしれないのです。

幸いなのは、地元・福島で、モニタリングポストの撤去に反対して行動する人々がいることです。少ないながらも、地元であきらめずに行動をし続ける人がいるということも、今日は皆さんに知っていただきたいと思いました。今後、規制委への申し入れ交渉なども計画されるようです。ここに来ている皆さんだけでも、そうした人々を支えていただきたい、支援をしてほしいと最後にお願いを申し上げ、私の話を終わります。

JR郡山駅前のモニタリングポスト(2012年冬、当ブログ管理人撮影)

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【福島原発事故刑事裁判第8回公判】「2年4か月、何も対策進まず」/カギ握る「武藤氏の1か月半」

2018-04-26 23:08:31 | 原発問題/福島原発事故刑事訴訟
福島原発事故をめぐって強制起訴された東京電力旧3役員の刑事訴訟。4月24日に行われた第8回公判の模様を伝える傍聴記について、福島原発告訴団の了解を得たので、掲載する。執筆者は前回に引き続き、科学ジャーナリスト添田孝史さん。次回、第9回公判は4月27日(金)に行われる。

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●「2年4か月、何も対策は進まなかった」

 4月24日の第8回公判は、128人の希望者から抽選で選ばれた66人が法廷で傍聴した。

 この日の証人は酒井俊朗氏。酒井氏は、第5回から第7回までの公判で証言した高尾誠氏の上司だった。

 酒井氏は1983年に東電に入社。1986年に本店原子力建設部土木建築課に配属された。それ以降、組織改編で所属先の名前は「原子力技術・品質安全部土木グループ」「原子力設備管理部土木グループ」などと変わったが、ずっと原発の津波や活断層評価の仕事に携わってきた。2006年7月に土木グループを統括するグループマネージャーになり、事故前年2010年6月まで務めた。現在は電力中央研究所に所属している。

 酒井氏も、高尾氏と同じように、地震本部の長期評価(2002)に基づく15.7mの津波を想定する必要があると2007年段階から考えていたと証言した。原発の安全性を審査する専門家の意向を踏まえると不可欠というのが大きな理由だった。

 ところが慣例として、審査までには対策工事を終えていなければならない。大がかりな対策工事は目立つから、着手する段階で、新しい津波想定の高さを公表する必要がある。東電は運転を止めないまま工事したい。しかし従来の津波想定より約3倍も大きな値を公表した途端、「運転を止めて工事するべきではないか」と、当然住民は思う。それに対し、運転を続けながら工事しても安全だと説得できる理由が見つからない。

 そして、ずるずると数値の公表と対策実行は遅れた。酒井氏の証言で、そんな東電の社内事情が明らかにされた。

 「(15.7mが算出された)2008年3月から(担当を外れるまでの)2年以上、何も対策は出来ていなかったのではないか」という検察官役の渋村晴子弁護士の質問に、酒井氏は「私の知る限り対策の検討は進んでいない」と答えた。

 酒井氏は、「(津波対策の工事が必要になることは)120%確実だと思っていました」とも証言した。浸水で壊れた後に冷却再開するため、予備のポンプモーターを用意するなど暫定策も社内で挙げられていた証拠も示された。しかし、そんな簡単で安くて早い対策さえ、事故時まで何一つ実行されていなかった。

●今村東北大教授の意向、大きかった

 酒井氏は、15.7mの想定を避けられないと考えた理由として、今村文彦・東北大教授の意向を挙げた。今村教授は、原子力安全・保安院で、古い原発の安全性を確かめる耐震バックチェックの審査に加わっていた。酒井氏は、今村教授について「無理難題を言わない、バランスがとても良い方」だと証言。2008年2月、今村教授に高尾氏が面談し、その際に今村教授は「福島県沖海溝沿いで大地震が発生することは否定できないので、波源として考慮すべきである」と指摘していた。

 酒井氏は「この話を聞くまでは、社内の意思決定結果に基づいて、それで津波対応に臨めばいいと考えていた。しかし、審査する人が入れろといってるんだから、入れざるを得ない。審判が言っているのだから、絶対だ。入れなきゃ(審査に)通らない」と述べた。

●「土木学会は時間稼ぎ」の認識

 注目されたのは、酒井氏が土木学会に審議してもらうことを「時間稼ぎ」と認識していた、と証言したことだ。

 2008年夏には、15.7m予測とは別に、研究が進んだ869年貞観地震の再来も懸念されるようになってきていた。これについて、酒井氏は2008年8月18日、部下にこんなメールを送っていた。

 「869年の再評価は、津波堆積物調査結果に基づく確実度の高い新知見ではないかと思い、これについてさらに電共研で時間を稼ぐ、は厳しくないか」。

 電共研とは「電力共通研究」の略で、電力会社がお金を出し合ってシンクタンクなどに資料集めや解析作業を依頼し、それをもとに土木学会で専門家に審議してもらう仕組みだ。

 2008年7月31日に、酒井氏の上司で被告人の武藤氏は、15.7m予測をすぐには対策に取り入れず、電共研で3年ぐらいかけて審議してもらう方針を決めていた。

 渋村弁護士が「7月31日の決定も感覚的に『時間稼ぎ』と思っていたのか」と尋ねると、酒井氏は「そうかもしれない」と否定しなかった。

 その瞬間、傍聴席からは低く「オー」と声が漏れた。

カギ握る「武藤氏の1か月半」

 酒井氏や高尾氏ら津波想定の担当者らは2008年6月10日に、武藤氏に15.7m想定を取り入れるべき理由や対策工事の検討内容を説明した。酒井氏の証言によれば、この時は説明途中で一つ一つかなり技術的な質問が武藤氏からあり、一時間半ぐらいかかった。

 2回目の説明が、約1か月半後の7月31日だった。今度は、ほとんど質問も挟まず30分ぐらいの説明を聞いた後、すぐに武藤氏が対策着手先送り(ちゃぶ台返し)の方針を酒井氏らに伝えた。

 酒井氏は「6月10日から1か月以上経っていたから、こういう方向性でものごとを考えられていたんだなと思いました」と証言。そして、それは酒井氏らが考えていた、対策を進めるというシナリオとは異なっていた、とも述べた。

 この間7月21日には、武藤氏、武黒氏らが出席して「中越沖地震対応打合せ」(いわゆる御前会議、ただしこの回は勝俣氏は欠席)も開かれていた。この回には、2007年の地震で大きな被害を受けた柏崎刈羽原発の耐震強化にかかる費用が巨額になること、それと同等の対策を福島第一、第二に施すのにかかる費用が「概算900億円、ただし津波対策を除く」と報告されていた。

 6月10日から7月31日の間に、武藤氏は何を考え、誰と相談し、「ちゃぶ台返し」の方針を決めたのだろう。巨額の対策経費や、対策工事の間、福島第一、第二の計10基が止まるリスクがあることは、武藤氏の判断に、どう影響を与えたのか。それらを解き明かしていくことが、裁判で今後の一つのカギになりそうだ。

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【管理人よりお知らせ】ノーモア尼崎事故!生命と安全を守る4.21集会にご参加ください!

2018-04-19 23:41:11 | 鉄道・公共交通/交通政策
管理人よりお知らせです。

2005年4月25日に起きた尼崎事故(JR福知山線脱線事故)から間もなく13年を迎えます。事故現場に近い尼崎市では、今年も恒例の「ノーモア尼崎事故!生命と安全を守る4.21集会」が開催されます。日時、場所は以下の通りです。

日 時:2018年4月21日(土)午後2時~4時(午後1時30分開場)
場 所:尼崎市立小田地区会館地図、尼崎駅南口より徒歩5分)

なお、この集会では安全問題研究会がJR北海道ローカル線問題の報告を行います。このほか、JR西日本労働者による現場からの報告もあります。報告に使用するレジュメを安全問題研究会サイトに掲載しましたので、ご自由にお使いください。集会終了後は例年通り、事故現場までのデモと献花を行います。

ひとりでも多くの皆さまのご参加をお待ちしております。

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【福島原発事故刑事裁判第7回公判】原発の運転停止恐れ、「錦の御旗」土木学会で時間稼ぎ

2018-04-19 22:45:39 | 原発問題/福島原発事故刑事訴訟
福島原発事故をめぐって強制起訴された東京電力旧3役員の刑事訴訟。4月17日に行われた第7回公判の模様を伝える傍聴記について、福島原発告訴団の了解を得たので、掲載する。執筆者は前回に引き続き、科学ジャーナリスト添田孝史さん。次回、第8回公判は4月24日(火)に行われる。

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●「錦の御旗」土木学会で時間稼ぎ

 4月17日の第6回公判は、希望者170人から抽選で選ばれた65人が傍聴した。

 この日は、10日、11日に引き続き東電・高尾誠氏の3回目の証人尋問。弁護側の宮村啓太弁護士が反対尋問を続け、その後、検察官役の神山啓史弁護士らが再主尋問、さらに裁判官が質問した。

 高尾氏の証言を聞いていると、2007年以降の福島第一原発は、ブレーキの効かない古い自動車のようだった。

 ブレーキ性能(津波対策)が十分でないことは東電にはわかっていた。2009年が車検(バックチェック締め切り)で、その時までにブレーキを最新の性能に適合させないと運転停止にするよ、と原子力安全委員会からは警告されていた。ところがブレーキ改良(津波対策工事)は大がかりになると見込まれ、車検の日に間に合いそうにない。そこで「あとでちゃんとしますから」と専門家たちを言いくるめて車検時期を勝手に先延ばしした。「急ブレーキが必要になる機会(津波)は数百年に一度だから、切迫性はない」と甘くみた。

 一方、お隣の東北電力や日本原電は車検の準備を2008年には終えていた。それを公表されると、東電だけ遅れているのがばれる。東電は「同一歩調を取れ」と他社に圧力をかけて車検を一斉に遅らせた。

 そして2011年3月11日。東電だけは予測通りブレーキ性能が足りず、大事故を起こした、という顛末だ。以下、細かくみていこう。

●土木学会を言い訳にしたのは東電だけ

 宮村弁護士は「武藤氏は、福島沖でどんな津波を想定すべきか土木学会に審議を依頼した。2012 年10月にまとまる予定だったその結果が厳しいものであろうとも、それに従い、対策を行うことにしていた。その東電の方針に、多くの専門家から異論は出なかった」という事実を、当時の会合記録や高尾氏の証言から固めていった。

 権威ある学会に検討してもらい、その結果に素直に従って対策をとる。その進め方に専門家の同意も得た。ここだけ聞いていると、武藤氏は悪くなかったのではないかという主張も説得力を持つように見える。話がわかりやすく、喋り方も明瞭で、資料の使い方もうまい宮村弁護士の話に引き込まれると、ますますそう思えてくる。

 しかし注意深くみていくと、その論理はところどころ破綻している。

 一つは、そもそも土木学会に審議してもらう必要性は全くなかった、ということだ。2008年7月31日に武藤氏が津波対策の先延ばし、いわゆる「ちゃぶ台返し」を決めた時の会合資料によれば、東北電力女川原発と日本原電東海第二原発は、どちらも2008年12月に津波想定の見直しや対策も含めたバックチェック最終報告を提出する予定だった。

 東北電力は、土木学会が2002年にまとめたマニュアル(津波評価技術、土木学会手法、青本とも呼ばれる)では想定していない貞観地震をバックチェック最終報告には取り入れていた。長谷川昭・東北大教授の「過去に起きた最大規模の地震を考慮することが重要であり、867年貞観地震の津波も考慮すべきである」という意見をもとにしていた。貞観地震を想定すべきかどうか、土木学会で審議してもらう必要がある、などとは考えていなかった。

 日本原電も、土木学会手法(2002)より大きな茨城県の想定(2007)を取り入れていた。その採用にあたって、やはり土木学会の審議が必要とは考えていなかった。「土木学会に時間をかけて審議してもらう」と言ったのは、東電だけなのだ。

 地震動(ゆれ)のバックチェックと較べても、土木学会に委ねる必要がないことはわかる。東電では建築グループが揺れの想定を決め、土木調査グループが津波の想定を決める。建築グループは揺れの想定を決める際に、地震本部の長期評価(2002)を取り入れたが、その際に学会で審議してもらったわけではなく、自社の判断で決めている。なぜ、津波は長期評価を取り入れるかどうか、土木学会に判断してもらわないといけなかったのだろうか。土木調査グループが「不可避」と考えていた想定を、3年もかけて検討してもらう理由が見当たらない。

 土木学会における審議の実態については、石田省三郎弁護士が尋問の中で明らかにしていった。それは電力会社が主体となっており、とても「第三者の審議組織」とは言えないものだ。土木学会津波評価部会で幹事長をしていた松山昌史・電力中央研究所上席研究員は、政府事故調のヒアリングに対し、「事業者(電力会社)に受け入れられるものにしなくてはならなかった」と述べている(注1)。

 一つ残った疑問は、土木学会を使って時間稼ぎをする方法を、誰が思いついて武藤氏に教えたのか、ということだ。土木学会に審議してもらうことで数年の間、津波対策完了までの時間を先延ばしするのは、なかなかずる賢く、責任問題をあいまいにするには良い方法だ。社内の意思決定過程を詳しく知りたい。

 東電幹部の責任問題からは少しそれるが、東電の面談記録に残された土木学会に関わる専門家たちの無責任ぶりも公判で明らかになった。そもそも、津波想定の見直しを含む、古い原発の耐震安全性のバックチェックは、耐震指針が改訂された2006年9月から3年以内が締め切りだった。当時、指針を担当する原子力安全委員会の水間英樹・審査指針課長は、電力各社に対して「3年以内、(13か月に1回行う)定期検査2回以内でバックチェックを終えてほしい。それでダメなら原子炉を停止して、再審査」と強く求めていた(注2)。

 ところが東電が面談した研究者らは、バックチェックを実質2012年以降まで引き延ばす東電の方針に、一人を除いて異論を述べなかった。原発のリスク評価を先延ばしするという重大な判断を、津波というごく一部の領域の専門家たちが、密室で了承してしまったのだ。本来は、原子力安全・保安院や安全委が開く公開の会合で、津波以外の分野の専門家も交えて「津波評価の先送りをしてもいいか」は検討しなければならないテーマだったはずだ。そして、津波を例外扱いする理由は、おそらく見つからなかっただろう。

●長期評価の対策で事故は防げなかった?

 宮村弁護士は、15.7mの津波に備えた対策をしていても事故は防げなかった、というストーリーも詰めていった。第2回、第4回の公判の時と同じように、「地震本部の長期評価にもとづいて津波対策を実施していたら、2011年の東北地方太平洋沖地震の時、津波はどのくらい福島第一に浸水したか」というシミュレーションにもとづいて、高尾氏とやりとりを続けた。

 ただし弁護側の期待通りには、高尾氏が答えなかったように見える場面もあった。東電のシミュレーションは、敷地の南部などごく一部の区間だけに防潮壁を設置する前提にもとづいている(第4回傍聴記のシミュレーション2を参照)。宮村弁護士は「通常考えられる位置に設置したら、誰がやってもこの位置に設置することになるのか」と質問。高尾氏は「現場の施工性などを考えると、つなげる、つなげない、の判断は、誰がやっても同じにはならない」と、シミュレーションの前提が不確実であることを指摘した。

 第4回公判でも、東電設計の久保賀也氏が、この防潮壁配置について、検察官側の石田省三郎弁護士の「敷地の一部だけに防潮壁を作る対策は、工学的にあまり考えられないのでは」という質問に「そうですね」と認めていた。東電関係者でさえ、このシミュレーションに不自然な点があることを隠していないのだ。

 10m盤の一部だけに防潮壁を作ると、波のエネルギーが横に回り込んで、非常用ポンプなどがある4m盤の水位は対策前より上昇してしまうこともシミュレーションから示唆された。これではバックチェックの審査に通るとはとても思えない。

 実際には、事故前の時点では、東電は既設の防波堤のかさ上げと、4m盤を取り囲む防潮壁の組み合わせなどを検討していた。神山弁護士が東電の社内資料から明らかにした。10m盤敷地の一部だけに防潮壁を作る案は、起訴を逃れるための「後知恵」にすぎないように思われる。

●「運転停止」の可能性を恐れる

 冒頭陳述で、検察官側(指定弁護士)は「運転停止以外の「適切な措置」を講じることができなければ、速やかに本件原子力発電所の運転を停止すべきでした」と述べた。

 今回の公判では、運転停止の可能性について考えていたかどうかも証人とやりとりがあった。

 「運転を停止することは考えていなかったのか。運転をしながら評価と対策をすることを進めたのか」という宮村弁護士の質問に、高尾氏は「地震動のバックチェックもそうなので、津波も同様に考えていた」と証言。裁判官も「事故発生までに、原子炉を止めて工事することを提言した人はいるか」と質問し、高尾氏は「いないと思います」と答えた。

 一方、土木学会の審議が終わるまでに対策工事が完了していなければ、場合によっては運転が継続出来ない可能性があると考えていたとも証言した。

 地震動については、東電はバックチェック開始から1年半で報告書を出した。運転しながら検討した期間は1年半にすぎない。ところが津波については、東電は報告書提出を2016年まで先送りする計画にしていた。2007年に「津波対策は不可避」と認識していながら、対策終了まで9年も対策不十分な状態で運転を続けようとしていたのだ。この判断の是非が、今後さらに問われることになるだろう。

3回のまとめ

 冒頭陳述で被告人側はこう主張していた。

(1)地震本部の長期評価(2002)にもとづく15.7mの津波予測は試算にすぎず、対策のもとにするには不確実性が高かった。

(2)15.7m想定が妥当なのか土木学会に審議してもらい、その結果に従う予定だった。

(3)たとえ15.7mの試算にもとづいて対策をしていたとしても、東日本大震災時の津波は、試算していた津波と襲来する向きや、浸水の規模が違う想定外のものだったので、事故は防げなかった。

 高尾氏の3回にわたる公判の証言で、(1)の主張を支えるのは、かなり難しくなっただろう。「長期評価に備えた対策は不可欠と考えていた」と何度も明言したからだ。(2)についても、東北電力や日本原電が土木学会の審議を経ないでも独自に新知見を取り込んでいたことがわかり、東電が津波対策のめどを立てるまでの時間稼ぎにすぎなかった可能性が強まってきた。残る(3)も、この主張を支えるシミュレーションの前提が、高尾氏や久保氏(第3回公判証人)の証言で揺らぎ始めた。弁護側が今後、最も重視する(3)の主張について、どうやって補強して説得力を持たせるのか、注目される。

注1)http://www8.cao.go.jp/genshiryoku_bousai/fu_koukai/pdf_2/054.pdf のp.10

注2)鎭目宰司「漂流する責任:原子力発電をめぐる力学を追う(上)」岩波『科学』2015年12月号p.1204

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【至急】米山隆一・新潟県知事への手紙

2018-04-18 00:52:55 | 原発問題/一般
現在、米山隆一・新潟県知事の「女性問題」がメディアで報道されている。泉田芳彦前知事の方針を受け継ぎ、福島原発事故の検証なくして柏崎刈羽原発の再稼働の議論はできないとして、事故の検証に意欲を見せてきた米山知事を失えば、日本の反原発運動にとって大きな痛手になることは間違いない。

さて、どうしたものかと思っていたら、米山知事に宛て、辞任しないよう求める手紙を送るという方法を思いついた。明日朝、FAX送信する予定にしている。米山知事が、この手紙を見て辞任を思いとどまってくれることを望んでいる。

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2018.4.18

 新潟県知事 米山 隆一 様

 報道を拝見し、大変驚いています。

 私は、福島第1原発事故当時、福島県西郷村に住んでおり、事故後も2013年3月まで2年を西郷村で過ごしました。その後、全国転勤の職場の転勤で北海道に転居し現在に至ります。

 事故後の福島県内のあの混乱状態は、今でもはっきり覚えています。「鼻血が出て止まらない」と避難先を探して走り回る人、「子どもに汚染食品を食べさせなくない」と食品を測定器にかける人、親族がくれた食べ物を食べさせるかどうかで家族内で揉めている人たちの話を毎日のように聞きました。多くの農家が先行きを悲観してみずから命を絶ちました。いまだに自宅に帰れない人も4万人近くいます。この苦しみを、私は二度と他の地域の人たちに味わってもらいたくありません。

 現在、私は東京電力の責任を問うため、勝俣恒久元会長ら東電役員の刑事裁判を支援しています。東電が、子会社がまとめた津波予測の数値を過小にするよう働きかけてまで、多額の資金がかかる安全対策を避けようとしていたことが、この間、裁判を通じて明らかになっています。最も明白な被害予測さえ改ざんし、葬り去ろうとする無責任な東電に原発を運転する資格などありません。このまま東電に柏崎刈羽原発の再稼働を許せば、日本国と日本の市民は世界の笑い者になるでしょう。

 米山知事にも、福島原発事故の検証を行うという重要な責任があります。知事に投じられた50万人の有権者の票は、この検証に希望を託してのものであり、この50万票を辞任によって裏切ることがあってはならないと考えます。女性問題が些細な問題だとは思いませんが、世界最大の惨事となった福島原発事故の検証よりも重大な問題など今の日本にはありません。もし米山知事が任期を全うしないまま、志半ばで辞任した後、柏崎刈羽原発が再稼働、再び事故を起こし、新潟県民が流浪の民となるような事態を避けなければなりません。

 チェルノブイリ原発を抱えるウクライナ共和国は、経済危機・エネルギー危機のため、1986年に事故を起こした4号炉以外の原子炉をその後も動かさざるを得ませんでした。最後まで稼働を続けた3号炉が止まったのは2000年のことです。事故原因の究明も十分に行われず、事故を起こした電力会社に事故後14年間も原発の運転を許してきたウクライナが、その後、経済危機や内戦を経験し、今なお苦難に見舞われ続けていることを、私は偶然とは思いません。

 先の大戦の歴史ともきちんと向き合ってこなかった日本が今度はきちんと向き合えるか、それとも再び歴史から目を背けるのか問われています。日本がもし福島原発事故の検証を行わないまま再び歴史から目を背けるなら、ウクライナと同じ苦難が未来の私たちを待ち受けるでしょう。

 今から35年前、小学校を卒業するときに恩師が卒業文集に書き残してくれた言葉を私は今も忘れません。「目覚めたら、もう死んでもいいという仕事をせよ」。核と原発を廃絶し、子どもたちに健康で豊かな未来を残すことは、私にとって命をかけるに値する仕事です。これまで様々な困難の中でこの問題に取り組んでこられた米山知事に敬意を表します。

 福島県民は、現在進行形の事故と、その後の苦難の中を生きています。私自身、事故後の福島を生きた者のひとりとして、米山知事には最後まで福島原発事故の検証を続けていただくことを望みます。知事が職にとどまり、今後も原発事故の検証に全身全霊をもって取り組まれるなら、私も全身全霊をもって支援する用意があります。

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【福島原発事故刑事裁判第6回公判】大企業サラリーマンの悲哀と「他社の先進的対策にまで介入し潰す東電」

2018-04-13 22:55:19 | 原発問題/福島原発事故刑事訴訟
昨日に引き続き、2日連続で開かれた福島原発事故刑事訴訟の傍聴記を掲載する。執筆者は昨日に引き続き、科学ジャーナリスト添田孝史さん。

なお、細かいことだが、以下の傍聴記の中で、『検察が押収していながらこれまで公開されていなかった関係者の電子メール……』とあるが、検察は福島第1原発事故では強制捜査(家宅捜索)は一切行っていないから、厳密には押収ではなく任意提出にすぎない。『検察が押収していながら』の部分は『検察が任意で提出を受けながら』に訂正した方がいいように思われるので、念のため補足しておきたい。

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2008年8月以降の裏工作

 4月11日の第6回公判は、希望者157人に対し傍聴できたのは68人だった。

 この日の証人は、前日に引き続き東電・高尾誠氏。検察官役の神山啓史弁護士が尋問を続け、さらに午後の休憩以降は、弁護側の宮村啓太弁護士が質問した。

 前日10日は、2007年11月から2008年7月31日の武藤元副社長が津波対策先送りを決めた「ちゃぶ台返し」までの動きが中心だった。この日の公判は、それ以降、事故発生までを中心に時系列に沿って尋問が続けられた。

 「ちゃぶ台返し」決定と同時に、もともとは2009年6月に終える予定だった津波対策を先延ばしするために、武藤氏の指示のもと、東電は様々な裏工作を開始する。安全審査を担当する専門家の同意をとりつける作業、他社が東電の先を行かないようにする調整、原子力安全・保安院との交渉などだ。検察が押収していながらこれまで公開されていなかった関係者の電子メールをもとに、数多くの新事実が明らかにされた。

◯「甘受するしかなかった」高尾氏

 この日の公判で、東電社内に2010年8月に設けられた「福島地点津波対策ワーキング」という組織の位置づけが初めて明確になった。このワーキングは、本店原子力設備管理部(吉田昌郎部長)のもとにある津波対策に関わる部署(高尾氏の所属する土木調査グループ(G)、機器耐震技術G、建築耐震Gなど)が参加して立ち上げられたものだ。なぜか政府事故調は「頭の体操的なもの」として役割を軽視していたが、高尾氏の証言した実態は大きく異なっていた。

 このワーキングは、まず2009年6月ごろに高尾氏が一度提案していたが、上層部に拒否されて断念していたのだという。2008年から検討されていた津波対策は、各部署がばらばらに海水ポンプや建屋の水密化などを検討していた。高尾氏は「全体がわかる人がキャップになって有機的に結びつけて検討する必要があると考えた」「将来的に対策工が必要になる可能性は高い。そのために早期に検討、工事を行う必要がある」としてワーキング構想の資料を作り、上司に進言した。

 しかし「そのような会議体は不要である」と上層部は拒否。高尾氏は「最適化されているように見えなかったので進言したが、しっかりやっていると拒否されたので、甘受するしかなかった」と証言した。

 一旦つぶされた構想を、高尾氏は2010年7月に自身がグループマネジャーに昇任したのち、ふたたび提案。そのころ直属の上司らも交代していたことも要因になったのか、今度は受け入れられてワーキングが発足した。

 「もし1年早く、最初の進言の時にできていれば」と、海渡雄一弁護士は記者会見で悔やんでいた。建屋やモーターの水密化などの対策はそれほど時間がかからないからだ。

 高尾氏は、武藤氏の指示のもと研究者への説得工作も行っていた。2008年10月ごろ、秋田大学の研究者に面談した際の記録には「長期評価の見解を今すぐ取り入れないなら、その根拠が必要でないかとのコメントがあった」「非常に緊迫したムードだったが、(東電の方針を)繰り返し述べた」と書かれていた。大組織のサラリーマンの悲哀を感じさせる記録だった。

◯東電の「貞観隠し」

 この時期の東電「裏工作」で最も悪質なのは、先行する他社の津波想定を、自分たちの水準まで引き下げようとしていたことだろう。

 2008年秋に、東電は平安時代に発生した貞観地震(869年、マグニチュード8.4)の最新論文を入手した。津波堆積物を解析したこの論文は、貞観地震は福島県沖(地図の佐竹モデル8、佐竹モデル10)で起きたと推定していた。東電が論文に従って計算したところ、この地震による福島第一への津波高さは9m前後になり、原子炉建屋のある高さ10mの敷地には遡上しないものの、海岸沿いにある重要な非常用海水ポンプなどが水没して機能しなくなることがわかった。

佐竹モデル8、佐竹モデル10


 東電は「まだ研究途上で、どこで地震が起きたか確定していない」として、津波想定に取り入れないことを決め、東北電力など近くに原発を持つ電力会社に伝えた。ところが東北電力は、女川原発の津波想定に、この論文の成果を取り入れる方針を決めており、東電に同社が(報告書に)記載することは不都合でしょうか」と尋ねていた。

 これに対して東電は「同一歩調が当社としては最も望ましい。女川では(貞観津波を想定しないと)話にならないということであれば、あくまで「参考」として(保安院に)提示できないか」と東北電力に意見を伝えていた。

 結局、東北電力は貞観津波について東電の意見通り「参考」扱いに変えた。さらに報告書の提出を約1年以上遅らせた。提出遅れに東電が関与したかどうかは今のところ不明だ。

◯反対尋問と残った疑問

 宮村弁護士による反対尋問は、2002年の長期評価による津波地震の津波よりも、東日本大震災の時の津波が大きいから、長期評価に備えた対策では事故を防げなかったという従来の弁護側の主張に沿ったものだった。弁護側の主張を補強する新たな事実は示されなかった。

 残った疑問は、当初2009年6月とされていた津波想定の報告書提出が、2016年まで引き延ばされた経緯だ。これは高尾氏ら実務担当者の業務にも影響が大きいと思われるが、公判では触れられていない。次回公判や、今後証人として登場してくるであろう高尾氏の上司らの証言で、さらに解明が進むと期待している。

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【福島原発事故刑事裁判第5回公判】津波対策のキーパーソン、対策先送りに「予想外で力が抜けた」

2018-04-12 22:42:30 | 原発問題/福島原発事故刑事訴訟
福島原発事故をめぐって強制起訴された東京電力旧3役員の刑事訴訟は2月28日の第4回公判の後、3月はいったん休廷、4月から再開された。今後は週1回ペースの公判により急ピッチで真相解明が進むものと期待される。

4月10日~11日に行われた第5~6回公判の模様を伝える傍聴記について、福島原発告訴団の了解を得たので、今日と明日の2回に分けて掲載する。執筆者は前回に引き続き、科学ジャーナリスト添田孝史さん。

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津波担当のキーパーソン登場

 4月10日の第5回公判は、希望者165人に対し傍聴できたのは68人だった。

 この日の証人は東電の高尾誠氏。私が高尾氏の姿を見たのは6年ぶりだった。ずいぶん白髪が増えていたが、表情は以前よりすっきりした感じに見受けられた。武藤栄元副社長の津波対策先送りに「予想外で力が抜けた」とまで率直な証言をする、その覚悟を決めていたからだろうか。

 高尾氏は1989年に東電に入社。柏崎刈羽原発の土木課で4年働いたのち、1993年に本店原子力技術部土木調査グループに異動。その後は東通原発に勤務した期間(3年)をのぞいて、事故まで約15年間、本店の土木部門で津波や活断層の調査を担当していた。東電の津波対応の全てを知っている「最重要の証人」(海渡弁護士)である。今回を含めて計3回の公判期日が高尾氏の尋問にあてられていることからもわかる。

 公判は、検察官役の神山啓史弁護士の質問に高尾氏が淡々と事実関係を答える形で進められた。

◯長期評価が焦点

 焦点は、2002年7月に地震調査研究推進本部(地震本部)が発表した長期評価を、東電の技術者はどう考えていたかだった。この長期評価は、福島沖の日本海溝沿いでM8級の津波地震が起きうると予測していた。その津波高さを計算すると15.7mになる(第4回公判傍聴記参照)。

 高尾氏の証言で明らかになった重要な事実は、津波想定を担当していた東電本店の土木調査グループの技術者たちは、2007年11月以降ずっと福島沖M8への対策が必要だと考えていたことだ。東電の事故調査報告書は「15.7mは試し計算である」として、本気では取り組んでいなかったかのような記述をしていたが、それは誤りであることがはっきりわかった。

 地震本部の長期評価を取り入れるべきだと考えた理由として、高尾氏は以下のような項目を挙げていた。

1.専門家へのアンケートで、長期評価支持が半数を超えていた

2.東通原発の設置許可申請で、長期評価を取り入れていた

3.地震本部は国の権威を持つ機関である

4.原子力安全・保安院で古い原発の安全チェックをする会合の主査である阿部勝征・東大教授(故人)が、長期評価を強く支持していた

5.確率論的な津波評価でも、敷地を超える津波が発生する確率は、対策が必要と判断される値だった

◯現場は一貫して「対策必要」

 高尾氏ら現場の技術者は、2007年11月からずっと対策の検討を進めていた。「対策を前提に進んでいるんだと認識していた」と高尾氏は証言した。それが2008年7月31日、わずか50分程度の会合の最後の数分で、武藤副社長から突然、高尾氏が予想もしていなかった津波対策の先送りが指示される。高尾氏は「それまでの状況から、予想していなかった結論に力が抜けた。(会合の)残りの数分の部分は覚えていない」と証言した。今回の公判のクライマックスだった。

 高尾氏の上司である酒井俊朗氏は、この日の結論について、他の電力会社に以下のようなメールを送っていた。

 推本《地震本部》で、三陸・房総の津波地震が宮城沖~茨城沖のエリアのどこで起きるか分からない、としていることは事実であるが、 原子力の設計プラクティスとして、設計・評価方法が確立しているわけ ではない。(中略) 以上について有識者の理解を得る(決して、今後なんら対応しないわけではなく、計画的に検討を進めるが、いくらなんでも、現実問題での推本即採用は時期尚早ではないか、というニュアンス)。   以上は、経営層を交えた現時点での一定の当社結論となります。

 
 11日以降の公判で、この「有識者の理解を得る」ために東電が何をしたかが明らかになるだろう。

◯浮かび上がった疑問

 公判を聞いていて、いくつか疑問が浮かんだ。東電は、他の電力会社とも連絡をひんぱんに取り合っていたことがこの日の公判で示された電子メールで明らかになった。それによると2008年7月時点で、東北電力はバックチェック最終報告書を2008年12月に予定していた。ところが実際には2010年春まで延ばされ、報告書も公開されなかった。この背景に、東電が津波想定を先延ばしたことがあるのではないのだろうか。東北電力が先行して最終報告を出すことに、東電が抵抗したのではないかということだ。東北電力が先にだせば、東電が高い津波の対策ができず最終報告を先延ばししていることが明らかになってしまうからである。

 もう一つは、東北大学・今村文彦教授の意見が変わってしまったことだ。今村教授は、原発の安全審査にかかわる津波の専門家として、東電も重く見ていた。2008年2月26日に高尾氏が面談した時は、「福島県沖海溝沿いに大地震が発生することは否定できないので波源として考慮すべきであると考える」と話していたと、公判で示された東電の記録でわかった。またアンケートでも、長期評価を支持する方に多くの重みを置いていた。

 しかし住民らが東電や国を訴えている集団訴訟に、今村教授が出した意見書では「福島県沖の日本海溝沿いでも発生することを想定した津波対策をすべきであったとはいえない」と述べている。今村教授はいつ、考えを変えたのだろうか。これも今後の公判で解明を期待したい。

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【管理人よりお知らせ】札幌への移転を機に、改めてご挨拶申し上げます。

2018-04-09 22:42:18 | 運営方針・お知らせ
管理人の転勤に伴い、当ブログと安全問題研究会及び「罪団法人 汽車旅と温泉を愛する会」は新ひだか町から札幌市に本拠地を移しました。新ひだか町時代からの読者の皆様にはおなじみの当ブログですが、検索等で当ブログにたどり着いた皆様もいらっしゃるかと思いますので、本拠地移転を機に、改めて当ブログについて、ご挨拶をかねて若干のご紹介を致します。

当ブログ管理人は、幼少時から鉄道ファンとして過ごしてきましたが、2000年の営団地下鉄日比谷線脱線事故、2005年のJR福知山線脱線事故に強い衝撃を受け、2006年、千葉県勤務時代に当ブログを設置しました。とはいえ、千葉勤務時代は忙しさのため作っただけでほぼ放置しており、本格的に更新をするようになったのは2007年、福島県に転勤してからのことです。そのため、実質的には福島がスタートだと思っています。

設置直後は鉄道と公共交通安全問題をメインテーマとして出発しました。2011年3月の福島第1原発事故以降、原発関係も鉄道と並ぶメインテーマとしました。その後はこの2大テーマにこだわらず、時事・社会問題や、管理人が参加した集会、デモなどの活動も取り扱うようになりました。しかし、取り扱う対象が広くなりすぎて管理人の手に負えなくなってしまったため、再び2大テーマ中心に戻し、現在に至ります。

当ブログには現在、13のカテゴリーを設置しています。各カテゴリーで扱う記事の内容については、2013年4月5日付記事で説明しているとおりです。

なお、今回、札幌市への移転を機に当ブログは従来の「人生チャレンジ20000km」から「安全問題研究会」へ名称を変更することにしました。「人生チャレンジ20000km」の名称は、旧国鉄が1980年から始めた鉄道ファン向けの全線完乗キャンペーン「いい旅チャレンジ20000km」に由来しています。当ブログが、管理人のライフワークとしている鉄道全線完乗活動を記録するためのブログとして発足した経緯から、設置に当たってこの名称としたのはきわめて自然の成り行きでした。

その後、当ブログ管理人の活動のメインが趣味としての鉄道や全線完乗から、鉄道含む公共交通の安全問題やローカル線問題に移ったことにより、当ブログの名称を「安全問題研究会」に変更したいとの思いは、すでに10年くらい前からありました。その決断ができなかったのは、鉄道ファンとして、全線完乗のための活動を継続しており、その目標を捨てたわけではないことを示しておきたいとの思いがあったからです。今回、名称変更をようやく決意しましたが、全線完乗継続への思いはまったく変わりありません。当ブログ管理人は引き続き、全線完乗のための活動を継続します。

当ブログは、差別排外主義と戦争・軍拡に反対し、まじめに汗を流して働いている人、社会的に弱い立場にある人も尊重され、人間らしく生きることができるような社会的経済的条件を作ることを目標としており、記事の取捨選択や記述はこの目的にかなうよう、高度な政治的判断に基づいて行っています。このため、「なぜこのネタを取り上げるのか/取り上げないのか」に関するご質問をいただいても、原則としてお答えできませんのでご了承ください。

また、当ブログの記事には「敵」と認定した勢力(差別排外主義者、戦争・軍拡・原発・貧困推進勢力)に対する厳しい批判を含むものが多く、常にリスクを抱えているため、事前に大手メディア並みの綿密な裏付け取材や情報収集を行った上で、掲載可能と判断したもののみ掲載するというスタンスを取っています。ただ、あくまでも個人ブログという性質上、当ブログの記事を引用等の形で利用される場合には、ご自身の責任で行っていただきますようお願いいたします。

こうした政治的スタンスは設置以来12年間まったく変わっていません。当ブログにとっての明確な敵は差別排外主義者、戦争と軍拡、経済的新自由主義、原発を推進する勢力のみです。当ブログがこれ以外の人々を「敵」と認定することは原則としてありません。当ブログは今後も理想実現のため、最大限の努力を続けていきます。よろしくお願いいたします。

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