人生チャレンジ20000km~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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●管理人の寄稿
規制緩和が生んだJR事故(国鉄闘争共闘会議パンフレット「国鉄分割民営化20年の検証」掲載)
ローカル鉄道に国・自治体・住民はどう向き合うべきか(月刊『住民と自治』 2022年8月号掲載)
核のない未来を願って 松井英介遺稿・追悼集(緑風出版)

●安全問題研究会が、JRグループ再国有化をめざし日本鉄道公団法案を決定!

●安全問題研究会政策ビラ・パンフレット
こんなにおかしい!ニッポンの鉄道政策
私たちは根室線をなくしてはならないと考えます
国は今こそ貨物列車迂回対策を!

衰退・凋落加速する日本 反転攻勢の目はあるか?

2024-06-30 22:37:55 | その他社会・時事
(この記事は、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2024年7月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 ●混迷都知事選は凋落の象徴

 東京都知事選(6月20日告示、7月7日投開票)がかつてない混迷の中にある。本誌が読者諸氏のお手元に届く頃はちょうど選挙運動も終盤に入っていると思う。立候補者は過去最高の56人に上るものの、その9割以上は政策実現のためでも「選良」を目指すためでもない。

 公営掲示板のポスター枠を売買する政治団体や、公序良俗に反する卑わいなポスターを貼り出し、都選管から注意を受け即日はがした陣営さえある。これがG7の一員である日本の首都で起きている出来事だとは思いたくもない。目を覆わんばかりの惨状だ。

 「迷惑系ユーチューバー」として悪名を馳せた「へずまりゅう」氏でさえ、宣言していた立候補を取りやめ、恐れをなして撤退したところを見ると、もはや都知事選は「売名」の場としてすらまったく機能していない。市民には重い負担を課しながら、自分たちだけ裏金をつくって私腹を肥やす政治にはもはや何を言っても無駄、それなら徹底的に選挙を荒らして憂さ晴らしでもしようという「終末思想」が都知事選全体の通奏低音になっていると言っても決して過言ではない。

 泡沫候補の大量立候補に伴い、供託金の没収額も1億円を超え過去最高になりそうだとする報道もある。都知事選の供託金は300万円。法定得票数(有効投票数の1割)を確実に超えられそうなのは、現職・小池百合子知事の他、最有力対抗馬・蓮舫前参院議員(立候補に伴い参院議員を失職)、石丸伸二・前広島県安芸高田市長まで。田母神俊雄・元航空幕僚長にも法定得票数突破の可能性があるが、残る52人にはまずない。仮に52人が供託金没収となる場合、その額は1億5600万円にもなる。

 ●円安ドル高の背景にあるもの――思い出した「杜海樹さんの昔のコラム」

 政治、経済、社会、あらゆる分野で日本の凋落が加速している。特に、外国為替市場の円安ドル高は円の「全面崩壊」と形容できるほどの状況にある。2020年6月1日時点で1ドル=107円92銭だった為替市場は、1年後の2021年6月1日時点でも111円10銭とほとんど下落しなかったが、2021年以降は急速に下落が加速。2022年6月1日には135円73銭と約2割も下落した。さらに、2023年6月1日には144円32銭(対前年同月比6%下落)、2024年6月1日にはついに159円79銭と、対前年度比で1割、2021年6月1日時点との比較では31%も下落した。わずか3年間でこれだけの下落率である。

 円相場は、2024年1月1日時点では146円88銭だったから、今年に入ってからの5ヶ月間で8%も下落したことになる(ここまで、いずれも終値)。下半期もこのペースで円安ドル高が進んだ場合、今年の年末には年始から16%も円が下落することになる。食料・エネルギーの大半を輸入に頼る日本でこれだけ急激な円安ドル高が進めば、経済がおかしくなって当然だ。

 本誌のバックナンバーを保管している読者諸氏に、ぜひ読み返していただきたい記事がある。2021年4月号掲載の杜海樹さんのコラム「通貨の相対的価値という問題」だ。日経平均株価がバブル期を上回る4万円台をつけるなど(この記事掲載の段階では4万円台はまだ記録していなかったが)、記録的に進んでいる株高について、多くのエコノミストが「株が高くなったのではなく日本の通貨が相対的に下落した結果」だと指摘しているというもので、興味深く読んだ。

 経済を専門に学習していない読者にとっては、もう少し詳しい説明が必要かもしれない。そもそも「物価とは何か」と聞かれたら、皆さんはなんと答えるだろうか。経済学の教科書的に言えば物価とは「通貨と財・サービスの交換価値」のことをいう。一般的に、企業の価値は株式会社の場合、株価で示されるが、実体経済の中で企業の価値は変わらないのに通貨の価値が下落しているなら、その企業の価値を表す株価には、通貨が下落した分だけ以前より高い数字を使わなければならなくなる。要するに、起きているのは円安ドル高と同じ「円安株高」現象だというのが「杜海樹説」のポイントである。3年前は「まあ、そういう説もあるよね」的な感覚で、私も正直なところ半信半疑だった。今になって改めて記事を読み返してみると、この説が正しかったことが浮き彫りになる。

 今年5月の大型連休中、東京・高島屋で開催された金製品の展示会会場から金の茶碗が盗まれる事件が世間を騒がせた。その他にも、外国人を中心とする窃盗団による高級時計盗難事件などが報道されている。強盗犯や窃盗犯のほとんどが「物」を盗む一方で、最近は現金が盗まれる犯罪がほとんど報道されていないことにお気づきの読者もいるかもしれない。

 こんな話をすると驚かれるかもしれないが、実は、経済のことを最もよく勉強しているのは強盗、窃盗、詐欺などの犯罪を働く集団である。これらの人々にとっては、逮捕・服役などのハイリスクを取ってまで行動に踏み切る以上、ハイリターンでなければ割に合わないから、何を盗むのが最も費用対効果が高いかを「熱心に勉強」しているのである。そうした犯罪集団にとって、1年で8%、3年で3割も価値が下落する日本円のような現金はハイリスクを取ってまで盗む価値もないというのが実感なのだろう。これに対して、財物の価値は変わらないから、現金の価値が下落トレンドにあるときは、財物を盗む方が「割に合う」のである(投機筋の間では「有事の金」と言われ、戦争などの有事には金の価格が上がることが多い。しかし厳密にいうと、金は、量も財物としての価値も常に不変だから、実際には金が上がっているのではなく、通貨のほうが下がっているのである)。要するに、現金ではなく財物が盗まれるのは、政府が与えた通貨の信認が低下していることを示しており、「途上国型」の犯罪なのだ。

 こうした事実を裏付けるように、今年に入ってからこの問題を特集する経済専門紙誌が増えている。例えば、週刊「エコノミスト」2024年6月4日号「円弱~国際収支の大変貌を追う」と題する特集記事では、途上国化する日本経済に警告を発している。日本経済は現在、年間5兆円近いデジタル赤字を、同じく年間5兆円近いインバウンド(海外からの訪日客)消費の黒字で埋める構造になっているというのだ。

 デジタル赤字とは、日本が海外から受け取るデジタル部門での稼ぎから、海外に対するデジタル部門での支払額を差し引いた収支のマイナスのことをいう。日本人が使っているインターネットサービス(特にSNS=ソーシャル・ネットワーク・サービス)は、X(旧ツイッター)、Amazon、Facebookなどほとんど米国製であり、これらサービスからの課金を日本人がオンラインで支払うたびに、日本から米国へ資金が流出している。日本人が使うその他のデジタルサービスを見ても、LINEは韓国発、若者に人気のショート動画投稿サービス「tiktok」は中国発のサービスであり、中韓両国へも資金が流出している。これに対し、日本製のデジタルサービスで海外から利用されるものはほとんどないから、収支が大幅なマイナスになっているのである。

 一方、インバウンド消費についても説明が必要だろう。海外からの訪日観光客が日本国内で買い物をし、それを自国に持ち帰る場合、貿易統計上は輸出として取り扱われる。こうした行為は、それが観光客個人によって行われる点が違うだけで、日本企業が、例えば車や電気製品などを海外へ輸出し、海外から代金を受け取る行為と変わらないから輸出に当たるのだ。この「観光収支」が日本は大幅な黒字になっており、デジタル赤字の大部分をここから埋めることができているという。

 日本は、デジタル時代への対応が大幅に遅れ「デジタル敗戦」ともいわれる現状を招くに至った。日本経済は、デジタルでの赤字を、インバウンドに対する「おもてなし」というアナログで稼いで埋める経済構造になっている。目下の円安ドル高は、このような日本経済の構造的要因から発生しているため、一時的な現象ではなく長期的な(おそらく数十年スパンの)トレンドとなる可能性が高い。

 「エコノミスト」誌は、「デジタル赤字を前提にどう稼ぐか」を議論しなければならないとする専門家の発言を掲載しており、日本がデジタル敗戦から脱出する道は描けていないようだ。新型コロナが猛威を振るっていた2020年当時、台湾政府が閣僚に任命したオードリー・タン氏がデジタルを活用して迅速な対策を打ち出したのに対し、日本はコロナ感染者数を医療機関から保健所にFAXで送付する態勢を続け大きな批判を浴びた。日本がデジタル敗戦から復活できるようには、私にはとても見えない。

 ●人心荒廃で日本はどこに行く?

 経済の凋落も深刻ではあるが、目下の日本にとってそれ以上に深刻なのは人心荒廃なのではないだろうか。店舗従業員や鉄道の駅員など、反論権のない相手を見つけ出しては長時間、執拗なクレームを続ける「カスタマーハラスメント」はその最たるものだろう。それだけのエネルギーがあるならなぜ政府・自民党・経団連など「上」に向けないのか。

 愚かな行動を取る層は昔から一定数存在していたが、最近、そうした事例が騒ぎになる原因として、インターネット普及で誰もが発信者になれる時代が到来したという側面はあるかもしれない。しかし、そうした発信者たちが集会、デモなどの「発信」に務めている姿は見たことがない。発信の対象になるのはあくまで個人的で、どうでもいい「私怨」のような事例ばかりだ。インターネットは、むしろ政府や権力者に異議を唱える人々に対するバッシング以外には使われなくなりつつある。

 歴史家・半藤一利氏(2021年没)は、欧米列強が江戸幕府に開国を迫った1865年を起点として、日本は40年周期で興亡を繰り返すとする説を唱えた。日露戦争に勝利し日本が列強の仲間入りをした1905年を頂点、敗戦の1945年を底とし、バブル経済を直前に控えた1985年を頂点とした。半藤説が正しければ、来年、2025年は日本にとって1945年に匹敵する「どん底」となる。

 もちろん日本史は世界史と連動しており、ウクライナ・ガザで2つの戦争が同時進行する世界には確かに終末感がある。このような「底」から這い上がるために、日本は社会、経済の両面で何をすべきか。経済に限っていえば、インバウンドへの「おもてなし」以外の新たな有力産業を育成することは急務だろう。問題は、その有力産業の候補が思い当たらないことである。当面は「おもてなし」を続ける以外になさそうだ。

(2024年6月23日)

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航空管制官、増員へ 安全問題研究会の問題提起実る

2024-06-25 21:03:13 | 鉄道・公共交通/安全問題
羽田空港衝突事故、再発防止策を正式公表 滑走路誤進入に警報音(毎日)

 東京・羽田空港で今年1月に日本航空(JAL)と海上保安庁の航空機が衝突した事故を巡り、国土交通省の対策検討委員会は24日、再発防止策の中間まとめを正式に公表した。滑走路への誤進入を知らせる警報音の導入や、管制官の増員など、ハードとソフトの両面から対策を進め、総合的に事故の防止を図る。

 航空安全の専門家らで作る検討委は中間まとめで、滑走路での衝突事故の多くは管制官やパイロットの思い込みや言い間違いなどに起因する誤進入によって起きていると指摘。ヒューマンエラー(人的ミス)が事故につながらないよう多重の対策を求めた。

 事故では1月2日夜、離陸のためC滑走路に進入した海保機に、着陸してきたJAL機が衝突。JALの乗員乗客は全員脱出したが、海保機では機長を除く5人が死亡した。

 海保機は管制の許可を得ず滑走路へ進んでいたが、管制官は気付かなかったとみられている。現在のシステムでは、管制官の手元のモニター画面に誤進入が表示されるが、検討委は警報音も追加するよう求めた。

 また、滑走路担当の管制官が監視業務に専念できるよう、主要空港には離着陸の調整を担当する管制官を新たに配置。管制官の中途採用を進め、欠員の解消を図る。

 航空機が離着陸する際に、滑走路へ入ろうとする別の機体に警告する「滑走路状態表示灯(RWSL)」についても、拡大する方針。現在は伊丹や羽田など5空港(代替設備を含む)で、滑走路を航空機が横切る場所を中心に整備しているが、今後は全国主要8空港へ広げる。

 一方、羽田の事故では、管制官が離陸順1番目であることを意味する「ナンバーワン」という言葉を伝え、海保機側が離陸許可を得たと勘違いした可能性が指摘されている。国交省は事故後、離陸順を伝えないようにしていたが、パイロット側から要望があるため、伝達の再開を検討する。

 国交省は運輸安全委員会による調査結果が出た後、最終まとめを出す方針。斉藤鉄夫国交相は24日、記者団に対し、岸田文雄首相から管制官増員などの対策を指示されたと明かし、「夏の繁忙期前までにしっかりとした体制を組みたい」と述べた。【原田啓之、安部志帆子】
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航空管制官の増員の可能性が出てきた。安全問題研究会がすでに徹底追及してきたとおり、国交省はこれまで航空機の発着回数が増えているにもかかわらず、一貫して航空管制官を減員してきた。それが事故の直接的原因ではないとしても、背景要因の1つであることは明らかだった。

特に、事故直後に相次いで掲載した記事「羽田衝突事故は羽田空港の強引な過密化による人災だ」(当ブログ2024.1.5レイバーネット2024.1.8)及び、「【羽田衝突事故 続報】航空機数は右肩上がり、管制官数は右肩下がり 日本の空を危険にさらした国交省の責任を追及せよ」(当ブログ2024.1.8レイバーネット2024.1.9)には強烈な反応があった。

安全問題研究会がレイバーネットに記事を連載してから、一般メディアが遅れてこの問題を報道し始めた。東京上空の過密化を指摘した記事「羽田事故背景に「過密ダイヤ」指摘も 世界3位の発着1分に1・5機」を産経ニュースが配信したのは1月9日。管制官不足問題を伝える記事「羽田で5人死亡の航空機事故、国交労組「人手不足で安全保てない」...遠因の指摘も」を「弁護士JPニュース」が配信したのは1月18日。「「ミスに気づいても指摘する余裕ない」…羽田事故の再発危機!現役管制官が激白「人員不足でもう限界」」を「フライデー」が配信したのは2月29日。いずれも当ブログ・安全問題研究会のほうが圧倒的に早く、初期の報道合戦は内容、スピードともに当研究会の圧勝だった。羽田事故後、管制官問題を世界で最初に報じたのは当ブログ・安全問題研究会だという自負を今でも持っている。

この間、2月6日には、国交省職員で作る労働組合、国土交通労働組合が記者会見し、航空管制官増員を求める声明を発表するなどの動きもあった(参考:当ブログ2月7日記事)。

一方、国交省は、航空局に「羽田空港航空機衝突事故対策検討委員会」を設置して対策案を検討してきたが、今回、5回にわたる審議の結果、中間とりまとめが公表された。(概要版本文)。

中間とりまとめでは、航空管制官増員の必要性について、以下の通り述べている(「羽田空港航空機衝突事故対策検討委員会中間取りまとめ」15ページより)。

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3.管制業務の実施体制の強化

 飛行場管制では、現在、航空機の離着陸等に関する管制指示等を管制官が発出することで、高密度な運航を実現しているが、今後、航空需要の増加により離着陸回数が更に増加すれば、ヒューマンエラーによる滑走路誤進入のリスクが増大することも考えられる。

 このため、管制業務の実施体制に関して、以下の対策を講じる必要がある。

(1)管制官の人的体制の強化・拡充

 飛行場管制担当は、外部監視、パイロット等との交信、システム操作・入力に加え、関係管制官との調整業務も行うなど、常にマルチタスクの状態にある。このため、飛行場管制担当の基本業務である外部監視等への更なる注力が可能となるよう、管制業務を詳細に分析し、管制官の業務分担を見直した上で、関係管制官との調整業務を専属で行う「離着陸調整担当」を、主要空港に新設することを検討すべきである。

 また、羽田空港等においては、これまでも発着容量の拡大等に合わせて、管制官の増員等の体制強化が行われてきている。しかし、近年、中途退職、育児休業等の増加により多数の欠員が発生しており、また、現在の管制官の人員では、将来的な航空需要の増大に対応しつつ、滑走路上の安全確保に必要な体制の維持・充実を図ることは困難と考えられる。そのため、管制官の人的体制を計画的に強化・拡充する必要性があることから、航空保安大学校の採用枠拡大や中途採用の促進などを通じて、欠員の解消と増員等に係る対策を可及的速やかに講じるべきである。
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増加する一方の航空機発着回数と業務量に対し、航空管制官の必要数が満たされていないことを、報告書が正式に認めた形だ。安全問題研究会の粘り強い問題提起が実を結んだと言える。この間、多くのご支援をいただいた皆さんに感謝するとともに、現場から声を上げた国土交通労働組合の闘いにも敬意を表する。

安全問題研究会としては、今後とも粘り強くこの問題を訴えるとともに、国交省がこの報告をきちんと実行するよう、引き続きしっかり監視していきたいと考えている。

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イスラエル軍関係者の宿泊を拒否した京都のホテルに連帯を表明します

2024-06-23 23:13:57 | その他社会・時事
6月11日、京都市東山区のホテルが、イスラエル人男性の宿泊客を「軍関係者の可能性がある」として拒否したことがニュースになっている。

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京都市のホテル、イスラエル人の宿泊拒否 市が運営会社を行政指導(毎日)

 京都市東山区のホテルが、イスラエル国籍の男性の宿泊を断っていたことが21日、明らかとなった。市は旅館業法に基づき、ホテルの運営会社を行政指導した。

 市によると、イスラエル国籍の男性が宿泊拒否されたという投稿が、SNS(ネット交流サービス)で拡散しているとの情報が17日に寄せられた。ホテル側に事実関係を確認したところ、男性をイスラエル軍の関係者であるとみなし、パレスチナ自治区ガザ地区への侵攻も踏まえ、宿泊予約をキャンセルするよう求めたという。

 同法は、賭博などで風紀を乱すおそれがある場合などを除き、宿泊を拒んではならないと定めている。市は、ホテルによる説明は、宿泊を拒否できる理由には該当しないと判断した。

 イスラエル大使館はホテル側に「明らかな差別事件だ」とする抗議の書面を送った。【南陽子】
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日本のメディアは、イスラエルに対して何を忖度しているのか知らないが、最も重要なことを(おそらく意図的に)無視している。旅館業法は、確かに正当な理由のない宿泊拒否を禁止している。しかし一方で、「宿泊しようとする者が賭博その他の違法行為又は風紀を乱す行為をするおそれがあると認められるとき」(旅館業法第5条1項2号)は宿泊拒否できることを定めている。「その他の違法行為」と旅館業法に規定されているにもかかわらず、毎日新聞はなぜ意図的にそこだけをぼかすのか。

イスラエル軍が行っている行為は明確な違法行為に当たる。日本も批准しているジュネーブ条約追加第一議定書第41条1項は、「戦闘外にあると認められる者又はその状況において戦闘外にあると認められるべき者は、攻撃の対象としてはならない」と明確に定めている。今、ガザで行われていることが非戦闘員への攻撃でないとすれば一体何なのか。攻撃正当化のためイスラエル政府が使っている「ガザ地区に住んでいる者は全員がハマスの戦闘員である」などという屁理屈を信じる者は、イスラエル国民の中にさえそれほど多くないだろう。

ガザで行われている人類史上最悪レベルの戦争犯罪に比べれば、イスラエル人宿泊客の宿泊拒否など取るに足らないものだ。宿泊拒否によって誰かが死んだり飢えたり傷ついたりしているわけでもない。旅館業法が定める違法行為には、当然、ジュネーブ条約に基づく戦争犯罪も含まれており、京都市の解釈は間違っている。ガザでの停戦が実現するまで、むしろイスラエル国籍者全員の宿泊を拒否すべきだと当ブログは考える。当ブログはこのホテルに断固として連帯を表明する。次の関西遠征時にはぜひ宿泊して応援したいと思っている。

<参考法令>
旅館業法
1949年8月12日のジュネーヴ諸条約の国際的な武力紛争の犠牲者の保護に関する追加議定書(略称:ジュネーブ条約追加第一議定書)

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【管理人よりお知らせ】「ALPS処理汚染水を海に捨てないで!海洋投棄を止める活動にご支援を」クラウドファンディングが第1目標、500万円を突破しました

2024-06-22 11:06:36 | 原発問題/一般
管理人よりお知らせです。

当ブログでも呼びかけてきた「ALPS処理汚染水を海に捨てないで!海洋投棄を止める活動にご支援を」クラウドファンディングが、昨日、第1目標の500万円を突破しました。実施期間を27日間も残した時点での達成です。これまでのご支援に感謝申し上げます。

子ども甲状腺がん裁判を支援するためのクラウドファンディングも、目標額1000万円を早々に超え、最終的に1762万円を集めて原発事故への怒りの大きさを示しましたが、今回のクラウドファンディングの早々の達成からも、改めて原発事故と、傍若無人な原子力ムラへの強い怒りが示されました。大手メディアが最高裁ヒューマンチェーンについて一言も報道しなくても、原発事故は風化などしていませんし市民・被害者の怒りも収まっていません。

このクラウドファンディングは、第2目標800万円、最終目標1000万円に向け、7月18日(木)までの残り26日間(本日時点)、全力疾走を続けます。このクラウドファンディングの動きは、当然、政府、原子力ムラも注目しており、彼ら原発推進派に市民の怒りを見せつける必要があります。引き続き、友人・知人に拡散していただき、最終目標達成に向けたご支援をお願いします。

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6.17最高裁ヒューマンチェーン大成功! 今世紀最大の950人が「最低裁」を完全包囲

2024-06-20 21:24:47 | 原発問題/一般
13年以上経った今なお4万人近い人々が住み慣れたふるさとを追われ、呻吟している福島第1原発事故に関し、「国に責任はない」とした最高裁は、いまや最高裁判所などと呼ばれる資格はない。国民の利益を踏みにじり、政府・東京電力に擦り寄る「最低裁判所」だ。

6月27日に行われた「原発事故は国の責任 6・17判決を正す 司法の劣化を許さない最高裁共同行動」には950人が集まり、最高裁を完全包囲した。最高裁包囲行動は、これまでも労働運動などではしばしば行われてきているが、950人という人数を集めた事例は近年ない。最高裁前行動としては21世紀に入ってから最大の参加者数になった。

これだけの意義ある大行動なのに、朝日・毎日なども含め、大手全国紙は一切報道していない。伝えたのは地元メディアの福島中央テレビと市民メディアだけだ。その中からいくつかをご紹介したい。

原発事故は国の責任!最高裁を950人のヒューマンチェーン(レイバーネット日本)
瀬戸大作さんのスピーチ「原発事故は国の責任 6・17判決を正す 司法の劣化を許さない最高裁共同行動」(レイバーネット日本)

映像付きニュースはこちら。以下の映像・写真を見ると、最高裁が「完全包囲」されていることがわかる。

「原発事故は終わっていない」950人が裁判所前で抗議 国の責任否定、最高裁判決から2年 福島(TBS/テレビユー福島制作)
6・17最高裁共同行動 ヒューマンチェーン(福島・発チャンネル)




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【訃報】伴英幸さん(原子力資料情報室共同代表)死去 反原発運動に半生捧げる

2024-06-15 17:23:02 | 原発問題/一般
共同代表 伴英幸 逝去のお知らせ(原子力資料情報室公式ホームページ;2024年6月11日)

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伴英幸さん死去 72歳 原子力資料情報室の共同代表(毎日)

 脱原発の立場から国の原子力政策を批判、点検してきたNPO法人原子力資料情報室の伴英幸(ばん・ひでゆき)・共同代表(72)が10日、がんのため死去した。葬儀、告別式は近親者のみで営む。

 1951年生まれ、早稲田大卒。生活協同組合専従を経て、90年に原子力資料情報室のスタッフになり、95年に事務局長、98年から共同代表。

 原子力政策大綱を策定する原子力委員会の有識者会議の委員や、東京電力福島第1原発事故後に中長期のエネルギー政策を見直す経済産業省の有識者会議の委員を歴任。国の原子力政策に批判的な立場で発言を続けてきた。著書に「原子力政策大綱批判――策定会議の現場から」(七つ森書館)。
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伴英幸さんが遺したバトンとは…「脱原発社会」目指し対話続けた原子力資料情報室共同代表 悼む声が広がる(東京)

 脱原発の実現を訴える市民団体「原子力資料情報室」(東京)の共同代表、伴英幸(ばん・ひでゆき)さんが10日、亡くなった。72歳だった。チェルノブイリ原発事故をきっかけに、脱原発の運動に参加。経済産業省や国の原子力委員会の会合でも委員を務め、「原発推進」側とも粘り強く議論した。「こちら特報部」の取材にも丁寧に応じてくれた。その人柄と功績に関係者から悼む声が広がっている。(宮畑譲)

◆「政府と折り合いがつかない時も対話を」

 「温和な人だったが、内に熱いものを持っていた。あと5年は一緒に活動してもらえると思っていた」

 情報室事務局長の松久保肇さんが悔やむ。松久保さんによると、伴さんは今年3月に入っても講演活動をこなしていたが、腰痛を訴え、精密検査を受けたところ、がんが進行していることが発覚し、入院した。

 見舞いに訪れた松久保さんに、伴さんは「政府と折り合いがつかない時も対話は大事」「なるべく現場に通うように」と対話と現場の大切さを伝えたという。

◆チェルノブイリを契機に市民運動へ

 伴さんは旧ソ連ウクライナで1986年に起きたチェルノブイリ原発事故を契機に、脱原発の市民運動に参加し、90年に情報室のスタッフになった。情報室は75年、物理学者の高木仁三郎さん(故人)らが、市民の側から原子力に関する情報収集や調査・研究をしようと設立。伴さんは95年に事務局長、98年から共同代表に就いた。

 「高木さんが亡くなった2000年から11年3月11日の東京電力福島第1原発の事故まで、脱原発の市民運動や情報室にとっては厳しい時代だった。その時代に、しぶとくしなやかに運動をつないでこられた」

 NPO法人「環境エネルギー政策研究所」の飯田哲也所長は、そう功績を振り返り、伴さんがつないだバトンを受け継ぐ重要性を訴える。「高木さんの後を伴さんが埋めたように、これからみんなで何ができるのか。伴さんをイメージしながら次のステージをつくっていかなくてはいけない」

◆福島事故後の混乱に「灯台」の役割

 3.11直後、前例のない事故に日本中が混乱を極めた。東電と経産省原子力安全・保安院(現原子力規制委員会)の説明は難解。楽観的な見立てを語る専門家もいた。そんな中、情報室に取材が殺到した。飯田さんは「あの時、日本中のほとんどの人が何が起きているのか分からなかった。情報室と伴さんは『灯台』の役割を果たした」と評する。

 エネルギー政策を議論する総合資源エネルギー調査会(経産相の諮問機関)の委員も務めた伴さんは、脱原発・反原発の強い思いを持ちながら、原発を推進する政府・国とも粘り強く「対話」をした。

◆いろんな人をつなげる人だった

 原子力市民委員会の座長を務める龍谷大の大島堅一教授(環境経済学)は「脱原発を目指す地域の人や研究者など、いろんな人をつなげる人だった。一方で、意見が違う政府とも話ができる。そんな人はなかなかいない。大きな存在を失った」と残念がる。

 ただ、大島さんは「松久保さんら若い世代が育った。これも伴さんがいたからだろう。彼らの個性、やり方で伴さんの意思は引き継がれていくと信じている」と強調する。

◆「このままではいけないと思ったはず」

 一方の政府は3.11から10年以上がたち、原発推進に回帰する。岸田文雄首相は昨年2月、原発の60年超運転や次世代型原発への建て替えを柱とする基本方針を閣議決定した。

 原発事故でもたらされた教訓はどこに行ってしまったのか。伴さんは18年、「こちら特報部」の取材にこう答えている。

 「3.11の直後に感じた原発への不安は拭われていない。誰もが、このままではいけないと思ったはずだ。その危機感をあらためて共有することから、脱原発社会は始まる」
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福島第1原発事故以降、当ブログの「ブックマーク」にもずっと登録したままになっている「原子力資料情報室」共同代表、伴英幸さんが死去した。私は直接の面識はなかったが、3月の入院後、がんが全身に転移し厳しい状態にあるとの情報は、反原発運動筋を通じて私も3月中には聞いていた。3.11以降の激務の中で、自分をいたわる時間はほとんど取れなかったのではないだろうか。

「福島事故後の混乱に「灯台」の役割」という東京新聞記事は、まさに3.11直後の空気を誤りなく表現している。電力業界からのおびただしい広告収入と、電通による支配が行き届いた商業メディアはこの未曾有の事態に当たっても福島の危険性をまったく報じなかった。当時、私が住んでいた福島県西郷村でも震度6強の強い揺れを記録。一時的に停電したが、数時間後、停電から復旧し使えるようになったネットで頼りにしたのが、原子力資料情報室の記者会見動画だった。会見は毎日、また福島第1原発に大きな動きがあったときは1日複数回、行われることもあった。

私たち夫婦が、福島から関西方面へ、1ヶ月にわたる避難を決断できたのも、原子力資料情報室の会見を随時チェックしていたからである。これがなければ、福島の危険に気づかず、避難を決断することはできなかったに違いない。福島第1原発からの放射能の流出は、3月12~13日頃と3月15~16日頃に大きなピークがあった。この時期に福島を離れていたことは、私たちが無用の被ばくから身を守ることにつながった。

政府から原子力関係の委員会・審議会などの就任依頼があれば積極的に引き受けた。通常、国のこの種の委員会・審議会は15人くらいの委員で構成されるが、反対派は1~2人のことが多く、しょせんは「反対派の意見も聞いた」というアリバイ作り、セレモニーに過ぎない。「多勢に無勢」の中で折れずに自分の主張を貫き通すにはかなりの覚悟を必要とする。「負け戦」とわかっていて、脱原発実現のために原発推進派と対話をし続けるのは並大抵のメンタルではできない。

加えて、この種の委員に反対派から就任する人にはもうひとつ、超えなければならない「壁」がある。それは仲間からの「裏切り」批判だ。「負け戦」とわかっていても、あえて反対派から委員が就任するのにはいくつかの大きな理由がある。①委員会・審議会の議事録として国の公文書に原子力政策への反対意見を残すことができる ②将来、国が政策転換をするときのために重要な政治的・社会的・経済的・技術的知見を提供する--などである。こうした意義を理解し、かつメンタルが強く、覚悟も持っている人が反対派から委員となるが、この種の人に対しては、一緒に反対運動をしてきた仲間から「あいつは権力・政府に取り込まれた」「裏切り・寝返り」などと批判されることがある。献身的に頑張ってきた運動家が、この手の「裏切り」批判で潰されていった実例(原子力と別の分野だが)を私は知っている。

そのような事情から、反対派でこのような委員を務めてもいいという人はごく限られていて、伴さんのような人は結果的にいくつもの委員を掛け持ちすることになる。孤軍奮闘できる人、仲間も一目置き、「裏切り・寝返り」批判が起きない程度には反対運動内部で実績を積んでいる人であることが求められる。伴さんはそんな希有な人材だった。

放射性物質の性質など技術的なことはもとより、放射能の健康への影響、核ごみ問題、原発の安全性や経済性、海外の原子力政策の動向など、原子力に関するあらゆる分野に精通し、適時適切な批判を行うことができるという意味では他の追随を許さなかった。私が反原発運動団体の役員にも就いていないのに、各地で講演ができるほど「兵隊として最強」になれたのは原子力資料情報室によるところが大きい。原子力資料情報室以外にも反原発運動団体はあるが、「たんぽぽ舎」が現場行動重視なのに対し、原子力資料情報室は理論・政策面に強く、またFoE Japanはグローバルな視野を持ち海外とつながっているなど、各団体にはそれぞれの特徴がある。

72歳はあまりに若く、松久保さんは「あと5年頑張ってほしかった」と述べているが、私はあと10年頑張っていただきたかったと思う。それでも福島第1原発事故から13年、後進は全国各地に育ってきている。確かに反原発運動にとって、巨大な支柱が折れたような喪失感はある。高木仁三郎の最後の言葉「せめてプルトニウム最後の日くらいは生きているうちに見たかった」との思いは伴さんの胸にも去来していただろう。その思いは私たちが引き継ぎ実現していかなければならない。

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【転載記事】東電「強制起訴」裁判の告訴人らが草野耕一判事を批判/週刊金曜日

2024-06-13 20:34:47 | 原発問題/福島原発事故刑事訴訟
「週刊金曜日」(2024年6月11日付)が、以下の通り東電強制起訴刑事訴訟についての記事を載せた。今の司法と電力業界の癒着ぶり、そしてその不当性を世に問う一連の裁判行動(特に6.17最高裁ヒューマンチェーン)の重要性を改めてご理解いただきたいと思う。

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東電「強制起訴」裁判の告訴人らが草野耕一判事を批判(週刊金曜日)

 2011年3月に発生した東京電力福島第一原発事故を引き起こした者たちの刑事責任を問う「東電強制起訴刑事裁判」はいま、原子力ムラと裁判所の〝蜜月ぶり〟を浮き彫りにしつつ、再び注目を集めている。

 強制起訴刑事裁判に至る振り出しは、東電の勝俣恒久元会長(84歳)ら旧経営陣に対し、1万3000人以上の市民が行なった刑事告訴・告発だった。これに対し、告訴・告発状を受理した東京地方検察庁が13年9月に出した結論は「不起訴処分」。納得しない市民らは検察審査会に異議を申し立て、同審査会は二度「起訴」議決を出す。そして16年2月、勝俣元会長ら3人は業務上過失致死傷罪で東京地裁に強制起訴された。

 この刑事裁判では、東電の津波対策を担当していた東電社員らが証人として出廷。政府の地震調査研究推進本部(推本)が02年に公表していた津波地震予測「長期評価」を受け、東電社内で計画されていた津波対策が経営陣の圧力で次々と先送りにされていく経緯が、電子メールのやり取りなどをもとに生々しく再現される。旧経営陣が強制起訴されなければ闇に葬り去られていたはずの〝人災〟を裏付ける事実が、白日の下に晒されてきた。

 それでも、勝俣氏らは一、二審で無罪となり、現在は最高裁判所の第二小法廷で審理されている。最大の争点は一、二審の裁判官らが揃って科学的根拠に乏しいと断じた推本「長期評価」の信頼性だ。

 裁判所はこれまで、太平洋沿岸への大津波襲来を的確に予測していたわが国最高峰の地震学者らの科学的知見を真っ向から否定し、予測できなかったことこそが権威の判断であり、当時の最新の科学的知見であるとする地震学者らが唱える〝役立たずの科学〟の側に軍配を上げていた。

 だが一般の市民にしてみれば、防災の役に立たない「地震学」など何ら有難味がなく、命の危険さえ招くものでしかない。市民の考える常識(社会通念)と司直(検察および裁判所)のそれは、かくもかけ離れている。

 この「長期評価」は、福島第一原発事故で避難した住民らが国に損害賠償を求めた22年6月17日の最高裁・国家賠償請求訴訟の判決でも信頼性を否定され、最高裁は「国に賠償責任はない」としていた。裁いたのは、現在刑事事件の審理を担当しているのと同じ、最高裁の第二小法廷だった。

「原子力ムラ」裁判官

 東電旧経営陣を刑事告訴した「福島原発告訴団」は現在、最高裁第二小法廷を構成する裁判官たちに注目。国の賠償責任を否定した22年6月の最高裁判決にも関わっていた草野耕一裁判官に対し、強制起訴裁判の審理から外れるよう求める署名運動を展開している。

 草野氏は、19年に最高裁裁判官に就任するまで、東電に対して法的アドバイスをしている大手法律事務所のひとつ「西村あさひ法律事務所」(旧名・西村ときわ法律事務所)の代表パートナー(代表経営者)だった。前述の「最高裁・国賠訴訟」でも「国に賠償責任はない」とする多数意見に与していた。つまり、原子力ムラに片足を突っ込んでいるような草野氏が関わる裁判では、中立と公正がまったく担保されない――というのである。

 最高裁の現役裁判官を名指しで批判する署名運動が始まるきっかけは、月刊誌『経済』(新日本出版社)23年5月号に掲載されたジャーナリスト・後藤秀典氏執筆の記事「『国に責任はない』原発国賠訴訟・最高裁判決は誰がつくったか」だった。

 同記事は、経済産業省や原子力規制庁等の政府機関と、東電や東芝、三菱重工業、日立製作所といった原発関連企業、そして大手法律事務所と最高裁が、実際の裁判や人事交流などを通じて深く結びついている実態を暴いたものだ。

 前掲の大手法律事務所「西村あさひ法律事務所」の顧問を務める元最高裁判事の弁護士が、かつて最高裁で部下だった現役の最高裁判事が裁判長を務める「国賠訴訟」に対し、推本「長期評価」の信頼性を論難する意見書を出して〝圧力〟をかけていた事実など、大手法律事務所や最高裁までが今や「原子力ムラの一員」と化している現実を赤裸々に描いていた。

最高裁前で声を上げる

 1月30日、福島原発告訴団と福島原発刑事訴訟支援団のメンバー約70人が最高裁正門前で、「草野判事は東電刑事裁判の審理を自ら回避せよ!」とシュプレヒコールを上げる。正門を見下ろすところに位置する部屋は、最高裁判事がそれぞれ持っている執務室だとされるが、そうした部屋のいくつかを見ていると、シュプレヒコールが続くなか、部屋の明かりが消されたり、開いていたカーテンが閉められたりしていた。シュプレヒコールの叫び声は、中にいる最高裁裁判官たちにも間違いなく届いたことだろう。

 その後、告訴人たちは最高裁に対し、草野判事が審理に加わらないよう求める署名4539筆を提出した。

 さらに2月11日には、『経済』誌掲載記事を執筆したジャーナリストの後藤秀典氏を招き、「大手法律事務所に支配される最高裁!東電刑事裁判で改めて問われる司法の独立」集会を開催した。この日、講演した後藤氏は、告訴人たちが行なう「草野氏名指し署名」について、次のように語っていた。

「巨大法律事務所が裁判所と国、企業の密接な関係を形作るという構造が、国を免責する22年6月の最高裁判決となって顕在化したと言わざるを得ない。でも、どうしてこんなことになっちゃったかというと、私たちが最高裁をあまり見てこなかったから。私たちの責任でもあるのかなと、私は思っています。これまで、最高裁判事一人ひとりにスポットが当たることもなく、総選挙の際に行なわれる『国民審査』でどれだけ×を書かれようと、それを理由に罷免された判事は一人もいなかった。

 今、最高裁の前で『公正な判決を出せ』と声を上げ、刑事裁判では皆さんが草野さん名指しで回避を求める署名をやっていますよね。やっぱり、私たちは貴方たち(最高裁判事)一人ひとりの行動を見ているよと意思を示すことは、今後重要かなと思います。政治家なんかに比べて裁判官は、自分が個別に攻撃されることに慣れていない。だから、最高裁の外で大騒ぎしていると、ものすごく嫌なんじゃないか。特に草野さんには『あんたやめてくれ』っていう署名まで出てきた。『名指し署名』はものすごく嫌でしょう。効果あると思います。個別具体的にこうしたことをやっていくことが、この裁判を本当に公正なものにすることに繋がるのではないか」

巨大法律事務所の金蔓

 後藤氏の講演後、福島原発告訴団の代理人を務める河合弘之弁護士は、次のように述べていた。

「僕はもともとビジネス弁護士なので、巨大法律事務所のこともよく知っている。

 ビッグローファーム(巨大法律事務所)が原発訴訟に入ってきたのは、(東京電力福島第一原発事故が起きた)3・11以降。それ以前は、原発訴訟に出てくる電力側の弁護士は、いわゆる職人みたいな、マニアックなタイプが多かったし、人数も非常に限られていた。

 電力会社はみんな金持ちだから、金に糸目をつけない。巨大法律事務所の場合、原発訴訟だと所属弁護士を10人ぐらい揃える。でかい会議室で打ち合わせをすれば、最低でも1人あたり1時間で5万円のタイムチャージ。それを何時間もするうえに、1枚当たり数万円という準備書面を100ページくらい出してくる。巨大法律事務所からすると、金脈を見つけたみたいなもの。今や原発訴訟が巨大マーケットになって、ものすごい儲け口になったんです。

 儲かるためには、勝たなきゃいけない。そのためには、最高裁に人を送り込みたい。最高裁判事から見た〝いい天下り先〟にもなりたい。そうすれば、国を負かす判決を出すはずはない――というわけです」

まるで小役人

 近視眼的に自身の天下り先を確保し、小銭稼ぎに走る最高裁の元判事たちとその〝予備軍〟らの姿は、まるで時代劇に登場する悪徳商人か小役人のようだ。原子力ムラと姑息に結託する彼らの罪は重い。だが、彼らがいつまで〝美味しい〟思いをできるのかは、保証の限りではない。時の政権がどれだけテコ入れしようが衰退・没落する一方の原子力ムラとともに〝心中〟する覚悟が、はたして最高裁と最高裁判事たちにあるのだろうか。東電刑事裁判の判決内容如何によっては、「裁判官の身分にふさわしくない行為をした」として、裁判官弾劾裁判所に訴追される裁判官も出てくるかもしれない。

 裁判官は、中立・公正な立場に立っていなければならないことはもちろんとして、外見上も中立・公正であることが求められる。最高裁も、1998年12月1日の最高裁大法廷決定で「裁判官は、独立して中立・公正な立場に立ってその職務を行わなければならないのであるが、外見上も中立・公正を害さないように自律、自制すべきことが要請される」としている。

 そして現在、東京電力「強制起訴」刑事裁判が審理されている最高裁第二小法廷に席を置く弁護士出身の草野耕一・最高裁判事は、最高裁判事への就任前、750人以上の弁護士を抱える巨大法律事務所「西村あさひ法律事務所」の代表経営者だった。同法律事務所は、東電との深い関わりがあることでも知られる。

 同法律事務所の共同経営者である新川麻弁護士は、21年から東電の社外取締役に就任。国と東電に賠償を求めた「生業(なりわい)を返せ、地域を返せ!」福島原発訴訟(生業訴訟)などが最高裁で審理されていた最中のことだった。

 同法律事務所は、東京電力や東電の名を冠した関連会社に対し、出資や株式取得に関する法的アドバイスを行なったと、事務所のホームページで堂々とPRしている。また20年12月には、同事務所顧問で元最高裁判事の千葉勝美弁護士が、東電からの依頼で「元最高裁判事」の意見だとして、最高裁で審理中だった生業訴訟に対し、東電と国の賠償責任を真っ向から否定する専門家意見書を提出していた。ちなみに、生業訴訟などに対する22年6月17日の最高裁判決(福島第一原発事故での国の責任を否定)で裁判長を務めた菅野博之氏は、最高裁行政局時代に千葉氏から指導を受けていた「後輩」だった。

 つまり、東電とそうした深い因縁を持つ法律事務所の経営者だった経歴を持つ草野判事は、「外見上も中立・公正を害さないように自律、自制すべきことが要請される」ことから、東電刑事裁判の審理から自ら身を引くべきだとして、本稿で紹介した「名指し署名」が始まった。

 草野耕一・最高裁判事に対する「名指し署名」は、紙の署名とオンライン署名の両方で現在も続けられている。

(『週刊金曜日』2024年4月5日号)

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原発関係 各種行動にご参加ください!

2024-06-12 21:16:16 | 原発問題/一般
管理人よりお知らせです。

直前のご案内になりますが、原発裁判関係で以下の行動があります。ぜひご参加ください。

【福島地裁・6月13日(木)】ALPS処理汚染水差止訴訟・第2回口頭弁論

13:00  福島地裁前集会
13:30頃 傍聴整理券配布(見込み)
14:30  開廷(~16:00頃 閉廷見込み)
※傍聴されない方、傍聴抽選に外れた方は14時30分からの並行集会にご参加ください。
 とうほう・みんなの文化センター(福島県文化センター)小ホールに移動
14:30  裁判並行集会 開会
16:30頃 裁判報告&記者会見開会 予定
※裁判終了時刻が未定のため、開始時刻が前後する場合があります。
17:30頃 閉会

裁判報告会のみYoutube「福島・発チャンネル」でライブ配信します。
※地裁前集会、並行集会はライブ配信しません。

【東京・最高裁・6月17日(月)】原発事故は国の責任 6・17判決を正す 司法の劣化を許さない最高裁共同行動(最高裁前&衆議院第一議員会館)
 
最高裁は人権を守っているか。裁判官の良心と独立、三権分立は保たれているか・・・いま、最高裁を頂点とする司法の現状を憂う声が全国に満ちています。

2年前、福島第一原発事故に対する国の責任を否定し、原発回帰政策を下支えする最高裁第2小法廷判決が出された6月17日、最高裁に係る訴訟関係当事者をはじめ、多くの市民が結集してこの声を届けましょう。

日時:6月17日(月)
場所:衆議院第一議員会館大会議室

【プログラム】
10時30分~最高裁請願行動
12時~  最高裁判所を取り囲むヒューマンチェーン
14時30分~報告集会&シンポジウム 
登壇者:大島堅一さん(龍谷大学教授)、樋口英明さん(元裁判官)、後藤秀典さん(ジャーナリスト)、長谷川公一さん(東北大学名誉教授)、黒澤弁護士

呼びかけ:6・17最高裁共同行動実行委員会
連絡先:03-6380-5442(斎藤)  iwakisimin@outlook.jp

古いですが、大変参考になる映画です。

映画「日独裁判官物語」1999年制作(制作・普及100人委員会)


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Good times,bad times あきらめない いつか飛び立てる時まで(渡辺美里さんの曲の歌詞より)

2024-06-10 23:03:16 | 日記
6月2日付け記事「閉塞感で行き詰まったとき、ふと思い出す「幼き日」の出来事」に、思わぬ反響があった。だが、私は反響があったからといっていつも続編を書くわけではない。むしろ続編を綴るのは例外中の例外である。前回の記事で若干、書き足りないことがあったので、イメージが形になっているうちに書き加えておきたいと考えたのだ。

人は、未来に希望が持てなくなると過去を懐かしみたくなる。過去は自分がすでに通過してきた道であり、風化はしても変化することはないのに対し、未来は予測不可能で不安な存在だからだ。不変のものとして残っている過去と、予測不可能で不安な未来を比較して、より安心・確実な過去に逃げ込む。その選択を誰も責めることはできない。ましてや人類を破滅に追い込みかねない大規模な戦争が、2つ同時に進行し、そのどちらにも終わる気配さえ見えない現状で、未来に期待などできる方がおかしい。

ただ、私が一般市民と違うのはマルクス主義者であることだ。私が過去を参考にするのは、それがよりよい未来を造るうえで役立つ限りにおいてである。「人間は、自分で自分の歴史をつくる。しかし、自由自在に、自分勝手に選んだ状況のもとで歴史をつくるのではなくて、直接にありあわせる、あたえられた、過去からうけついだ状況のもとでつくるのである」(「ルイ・ボナパルトのブリュメール18日」マルクス)といわれるように、未来はいつも現在の延長線上にある。戦争と混乱が世界を覆い、未来に希望が持てないときでも、マルクス主義者は「今」すなわち「あたえられた、過去からうけついだ状況」と格闘しながら未来への道を切り開かなければならないのだ。

   ◇    ◇    ◇

冒頭で紹介した6/2付け記事で書いたように、私はもともと他人と同じことを、他人と同じスピードでこなすことが苦手だった。懸命に努力しても追いつけなかった。理由もわからないまま、子ども時代はもがき続けた。同年代の子どもたちが当たり前のようにできている人間関係の構築に完全に行き詰まり、おおぜいでの外遊びから完全にドロップアウトしたのが、小学校4年生の時だった。「他のクラスメートや、同年代の友達に約束されているであろう『普通の幸せな人生』は、自分にはないかもしれない」と初めて思ったのは、このときだった。

現在では発達障害の一類型であるASD(少し前までは高機能自閉症、アスペルガー症候群などと呼ばれていた)を疑わせる顕著な傾向も、この頃には出ていた。電気屋のチラシに掲載されている時計の針がすべて10時10分を指していることなど、普通の人はどうでもいいと思って気にしないことが気になり、理由が知りたくて仕方なかった。自宅の前を通る国鉄の路線で、何時何分にどんな列車が通過するかはすべて頭に入っており、通過列車を見ることで時刻を判断できたから、小学校卒業まで腕時計を着けたことがなかった。

明らかに興味・関心・記憶力を向ける対象が偏っていた。普通の人がどうでもいいと思って気にしないようなことの理由を知るために図書館に通うなどする一方で、普通の人なら備わっていて当然のことに対する注意力ーー例えば、忘れ物をしない、自分が出した物は元通り片付けるといったことへの注意力ーーは散漫で、明らかに欠けていた。人生を半世紀以上生きた今も、そうした傾向は当時とたいして変わっていない。

自分が他人と違っていて、どう頑張って努力してもマジョリティには決してなれないことを、小学校を卒業するころには悟りつつあった。自分は「普通の多数派の人たち」とは違う人生を送ることになるとの予感は、この頃からあった。すでにこの時点で一度、県の作文コンクールで佳作を取っていたが、そのことは忘れていた。自分には何ができるのだろう、何で身を立てるべきなのだろうという疑問はあったが、それを考えずにすむよう、高校は普通科に、大学でも経済学科に進んで「あえて普通に」振る舞っていた。思えばこの頃が一番人生で平穏な時期だった。

大学当時のバイト先はスーパーで、職種は倉庫係の食品担当。倉庫から食品売場への荷物出しがメインと説明され採用されたが、実際には卸売業者から納品された商品の整理もした。売場で商品の陳列をしているときにお客さんから商品の場所などを尋ねられたら応対しないわけにいかず、接客もこなした。

最も困ったのが「これ、おいしいですか」と聞いてくる客にどう答えるかだった。おいしいかどうかは主観であり、自分がおいしいと思っている商品が目の前のお客さんにとっても同じように感じるかはわからない。小学生の頃の体験から、自分はマジョリティとは違う世界を生きているとの自覚もあったから、ヘタに「おいしいです」などと答え、お客さんの口に合わなかった場合にクレームも予想された。

結局、一瞬考えた末「売れている(または売れていない)」と答えることにした。どの商品が売れているか(この業界では「売れ筋」という)はわかっていたし、売れているかどうかなら客観的な指標で、自分の味覚よりは信用できる。後でお客さんから苦情を言われても「売れているんですけどね」と言い訳もできる。この方法で接客も無難にこなした。バブル真っ盛りでみんなが未来への希望を持っており、今で言うカスタマーハラスメント(カスハラ)のようなことも受けた記憶は全くない。私自身、接客を無難にこなして自信がつき、子どもの頃あきらめていた『普通の幸せな人生』が自分にも到来するかもしれないと、ほんの一瞬だけ夢を見ることができた。私自身にとっても、日本と日本人にとっても最後のいい時代だった。

中学生の頃、両親が近所に住んでいる日本共産党員からの勧誘を断り切れずに「しんぶん赤旗」日曜版を購読していた影響で、日本共産党の政策や主義主張は知っていたが、大学に入り、自治会執行部の座をめぐって日本民主青年同盟(日本共産党の「みちびきを受ける」とされる青年組織)と共産同戦旗派が激しく争っていた。私の所属学部の執行部は戦旗派に握られており、民青の学生が「奪還したいので協力してくれないか」と依頼してきた。ちょうど、戦旗派系サークルの部室が、対立していた革マル派によって放火される事件があったことに加え、中国で天安門事件が起きた直後。「暴力的社会主義」にはうんざりしていたので協力すると回答した。

だが、私は小学生の頃から学級委員や児童会・生徒会などの仕事はもちろん、班長の経験すら持ち合わせていなかった。人と同じことをこなすのさえ無理な私に、人並み以上の働きでメンバーをまとめる仕事なんて聞いただけで気が遠くなる。「長」のつく仕事などまったく向いていなかった私に立候補の選択肢はなかった。結局、学部内でも屈指の「お祭り男」T君が民青に請われて自治会役員選に出馬。私はとりあえず裏方に徹し、なんとかT君を当選させ、学部自治会執行部から戦旗派を追い出すことには成功した。

選挙後、私も民青に勧誘されたが、渡された全学連機関紙の「祖国と学問のために」という名称が気に入らなかったため断った。国家は資本家階級の利益を守るためにあり、それゆえ「労働者に祖国はない」というのがマルクス主義国家観の基本なのに、それを学んでいる民青系全学連が機関紙に「祖国」なんて名称を冠するのは論外だと思ったからだ。

   ◇    ◇    ◇

子どもの頃から、私は「長」のつく役職など無縁の人生を送ってきた。それは半世紀近く経った今なおまったくといっていいほど変わらない。やはり、子どもの頃に形作られた資質はそうそう変わらないものなのだ。興味・関心・記憶力を向ける対象が偏っている自覚も幼少時からある。だからこそ私はこれまで「派閥は作らず、加わらない」「主流派には乗らない」を自分の信条としてきた。主流派なんて面倒なだけだ。権力闘争に向けられるその無駄なエネルギーを、専門分野を磨くことに費やす方がよほど自分の性に合っている。

「人事部があなたの扱いに困っているらしい」という話を、職場で人づてに聞いた。ちょうど昨年の今ごろだった。私は胃がんで胃を全摘出した経験もある上、今も月に1回、精神科に通い精神安定剤の処方も受けている。平成の時代までであればとっくに出世レースからなど外れて当然だが、安倍政権が「一億総活躍」などという変なスローガンを掲げた手前、病歴を理由に昇進の道を閉ざすことも、後に続く同じような人たちを絶望させることになるためできないらしい。

前から述べているように、私自身は昇進なんてまるで興味がないし、最強の兵隊でいることが最も自分らしい人生だと思っている。私が苛立っているのは昇進できないからではない。いつまでも踊り場に留め置かれたまま、私はもう何年も待っているのに、上の階に上る階段、下の階に降りる階段のどちらに通じるドアもまったく開く気配がない。私はいつまで踊り場に居続けなければならないのか--苛立ちの原因はそこにある。どっちでもいいから決めてくれよというのが正直な気持ちである。

落ち込んだときに私がよく聴いている曲を紹介したい。渡辺美里さんの「世界で一番遠い場所」。高校に入学した年、人生で初めて買ったCDが、この曲の入ったアルバムだった。「手に入れた自由に 淋しさを感じても Good times,bad times あきらめない いつか飛び立てる時まで」--この曲のこの歌詞に、今まで何度、励まされたかわからない。飛び立つための翼を手に入れる日が私に来るかどうかはわからないけれど。

とりあえず今日は最後にこの曲を聴いて、寝ることにしよう。

世界で一番遠い場所


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閉塞感で行き詰まったとき、ふと思い出す「幼き日」の出来事

2024-06-02 23:21:08 | 日記
6月に入った。

4~5月はとにかく忙しかった。4/13、長野県大鹿村でのリニア問題学習会での報告、4/27「ノーモア尼崎事故!生命と安全を守る集会」での記念講演、5/15にはレイバーネットTV「日本の空は大丈夫か~羽田事故とJAL争議」に出演した。そして、5/25には、私が原告になっているALPS処理汚染水差止訴訟についてのオンライン報告もあった(こちらも資料を公開できるならしたいが、残念ながら有料会員向け講演会のため公開できないこと、お詫び申し上げたい)。

2週間おきに人前に出ての著述活動を続けてきており、1つが終わったら次の準備に取りかからなければならない状況で、他のことを考える余裕はまったくなかった。今後しばらくこうした予定は入っていないため、改めて自分の置かれている現状に思いを至らせると、ずいぶん閉塞感が強まっていると感じる。

定期的に全国異動のある我が職場だが、2013年4月に北海道に来てから今年で11年を過ぎ12年目に入っている。空気も水も食べ物もおいしく、本州にいるときは春になるごとに私を悩ませていたスギ花粉症とも無縁(函館など道南の一部地域を除き、北海道にはスギがない)。人々もみんなのんびりしていて、公共の場所でベビーカーを見ただけで子育て世代とクレーマーの反目が始まる東京のような殺伐としたムードは札幌でもまったくと言っていいほどない。ここの暮らしはかなり気に入っていて、もう本土帰還などできるならしたくない、このまま現状維持でも悪くないとずっと思っていた。ついこの間までは。

私の心がざわついたのは今年4月1日付の人事が公になってからである。今の職場に来る前に出向していた関連法人で、仲良く机を並べていた係長クラスのほとんどが昨年春までに課長補佐(準管理職)になった。同期採用者にはすでに課長になった人も少なからずいる。年次が後の人の中にも課長補佐昇格者が出ているが、彼らは私が経験していない本部勤務を経験している。本部経験者は同期採用者であっても「別世界(世間で言うエリートコース)の住人」なので、私には関係ないと全然気にしていなかった。ところが、年次が後で本部勤務経験もない人物が今年4月、課長補佐に昇任すると聞き、今まで「みんな早いな」と思っていたのが、逆に自分が遅れているだけだということが見えてきたのだ。

4月で異動した前の課長からはそれなりに評価を受けていると思っていた。2人で出張した際、ホテルで食事をしながら「あなたには早く昇任してほしい」と言われていたからである。だが今になって思い出してみると、課長が私に期待していたのは、他派閥に奪われていた課長補佐ポストの奪還だったことに改めて気づいた。3月に人事評価の面談をした際に課長が不機嫌だったのは、私にその期待を託したのに叶わなかったからに違いない。

課長が組織内派閥抗争の「駒」とする目的で、私自身は望んでもいない管理職レースに勝手に乗せたということに気づき、私も大きく傷ついた。管理職への忌避感情はより一層強まり、「仮に打診されても絶対に受けるか」と今は思っている。毎年秋に、人事上の希望を書いて出せる制度が職場にはある。秋までの半年で私の気持ちが変化するかどうかは見通せないが、件の課長が異動してしまったこともあり、気持ちは変わらない可能性が高い。おそらく「北海道内の職場で今まで通り係長として業務を続けたい」と書くことになると思う。

私より年次が後の人の課長補佐昇任がすでに始まっているが、私は他人のことにはそもそもあまり関心がない。職場関係者でこのブログの存在に気づいている人がいるかはわからないが、敵とみなした人物はブログ上で容赦なく打倒・粉砕を呼びかける私のような人物をリーダー職に就けることはあまりに冒険が過ぎると思うのが普通の感覚だろう。

私はこれまで原発問題での各種講演などにも呼ばれ、話をすることもあったが、どこの反原発運動団体でも役員などの職には就いていない。そのことを講演主催者に伝えると驚かれることも多く「宣伝チラシにあなたの肩書きを何と書いたらいいか」と相談されることも多かった。結局は「元福島県民」とでも書くよう依頼し、そのようにしてもらうことが多かった。きちんと勉強し知識を身につければ一兵卒でも巨大な敵と闘うことができる。むしろ私のようにリーダー職に不向きな者は「兵隊として最強」を目指すべきだというのがかねてからの私の持論である。

実際、最近はどんな人物が課長で来ても「○○さん(私の本名)は大ベテランなので仕事をいろいろ教えてください」と言われるし、本部勤務経験が浅い人が私に仕事に関する質問をしてくることもある。最強の兵隊として頼られる位置にいることのほうが、薄っぺらな管理職であることよりよほど意味のあることなのではないか。最近はそんなふうに思うことも増えている。

  ◇     ◇     ◇

そして私には「原体験」もある。今からもう50年近く前、幼稚園の頃の遠い出来事である。

当ブログ2月14日付記事で書いたように、私はもともと他人と同じことを、他人と同じスピードでこなすことが苦手だった。学校でみんなでいっせいに何かやるときに、自分だけついて行けないことがしばしばあった。懸命に努力しても、追いつけなかった。なぜだろうと考えたが、理由はわからないままだった。

特に苦手で、イヤでたまらなかったのがマラソンだった。通っていた幼稚園では、毎日、園をスタートし、決められたコースを1周して園まで戻ってくるマラソンがあった。雨が降れば中止になるので、ビリ常連の私はいつも雨を願っていた。

それでも一時期までは同じように走るのが遅かった同級生の女の子と、ビリになるのがイヤで競っていた時期もあった。仮に智子ちゃんと呼んでおこう。

私と智子ちゃんはいつもビリ争いの常連だった。毎日ビリが続くのがイヤで、私は智子ちゃんを出し抜くにはどのタイミングでスパートをかけるのがいいか、いろいろ試していた。スパートが早すぎて息切れし、ゴールまでに逆転されたので、翌日はゴール直前になってスパートをかけたがゴールまでに追いつけなかった。概して私の作戦は成功しないことがほとんどだった。

それでも、毎日ビリ固定がイヤだった私は、ある日、余力を残したまま、智子ちゃんにつかず離れずの位置をキープしておき、早くもなく遅くもない絶妙のタイミングで全力のスパートをかけた。今度こそ成功……と思った瞬間、悲劇は起きた。舗装状態が荒く、でこぼこになった路面につまずいて転んでしまったのだ。

智子ちゃんがどんどん遠ざかっていくのがわかった。起き上がろうとしたが、出血した傷が痛くて気力が萎えていくのがわかった。一方では先生が「何してるの! 速く走ってゴールして! 次の(お遊戯の)準備が間に合わないよ!」と叫んでいるのが聞こえてきた。ようやく起き上がったが走る気力もなく、よろよろと歩いてかなり時間をおいてゴールした。疲れ切っていて、先にゴールした智子ちゃんが声援を送ってくれていたことにも気づかないまま。そのことを知ったのはかなり後になってからだった。

「もうイヤだ! マラソンなんてしたくない!」

幼稚園から帰った私は母の前で号泣した。得意でもないことを集団生活の中で強いられ、疲労が限界に達していた。母には叱られるかと思ったが、意外にも何も言われなかった。代わりに言われたのは「負けるよりは勝つ方がいいに決まっているけれど、全力を尽くしてもダメなら、自分のペースで最後まで走りきるように。最後までやり抜くことは、ずるをして勝つよりもずっと価値があること」。それを聞いて心が軽くなった気がした。

その翌日から、私は自分のペースで最後まで走りきることに専念した。スタート直後からズルズルと後退していく私を見て、智子ちゃんは最初、戸惑っていたが、2~3日経つと、私が競争を放棄したのだと理解したようだった。すると、驚くことに智子ちゃんも自分のペースで走るようになった。私がいる限りビリになることはないという安心感もあったと思う。先にゴールした智子ちゃんが応援する声が聞こえるようになった。毎日ビリでも、それが自分のいるべき場所なら仕方ないと、割り切ることができるようになった。私は2年保育だったが、年長になっても後で入園してきた1年生より足が遅く、卒園するまでずっとビリのまま終わった。智子ちゃんが2年目に何位だったのかは聞かなかったし知りたいとも思わなかった。

私に速く走らせることをあきらめた先生が、それまでは直前にしていたマラソンの後のお遊戯の準備を、朝一番に整えてからマラソンに臨むように変更してくれていたことを知ったのは、卒園する直前のことだった。迷惑をかけたのにお礼を言わないまま卒園してしまい、先生には申し訳ないことをしてしまったと今は思っている。

  ◇     ◇     ◇

半世紀近く前の遠い記憶を呼び起こしたのは、今また出世レースで自分がしんがりにいるらしいということに気づいたからである。20歳代前半で私を産んだため、母は後期高齢者に入ったが実家でまだ健在である。このことを話したら母はなんと言うだろうか。もし半世紀前と変わっていないなら、「あの日」と同じように言うはずである。「負けるよりは勝つ方がいいに決まっているけれど、全力を尽くしてもダメなら、自分のペースで最後まで走りきるように。最後までやり抜くことは、ずるをして勝つよりもずっと価値があること」だと。

今の私は、この母の言葉を拠り所にして生きる以外にないと思っている。大切なのは最後までやり抜くこと。目の前に与えられた仕事、課題にしっかりと向き合い、ひとつひとつ、結果につなげていくこと。結果に結びつかないときでも、腐らずに次につながる「何か」を残すこと。マラソンがイヤで号泣しながらも、2年間、1回も途中棄権はしなかった。転んでよろめきながらも走った回数と同じだけゴールをつかんだ。あの半世紀前の経験に学ぶことが、今の私には大切なことのように思う。

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