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【ほぼネタバレなし】映画「すずめの戸締まり」を見て

2022-12-04 19:27:11 | 芸能・スポーツ
すずめの戸締まり」を見てきた。新海誠監督の話題の最新作であり、災害がテーマとなるのは「君の名は」「天気の子」の前2作と同じ。ちなみに私は、「君の名は」は話題性もあり劇場で見たが、「天気の子」は前作ほどの評判でなかったためか劇場では見ず、かなり遅れてテレビ放送版で見ている。

この「すずめの戸締まり」、東日本大震災を経験している人にはお勧めできないとするレビュー・感想もあるが、私が個人的に関わっている原発訴訟の担当弁護士が、仕事の息抜きに見て「良かった」と話しているとの噂を耳にし、「その人」が評価する作品なら見ておくべきだろうと思ったことも、わざわざ劇場に足を運ぶ動機のひとつだった。

全体を通していえば、この作品から受ける印象は前2作とはかなり異なる。福島県であの3.11を経験した1人として見ても違和感・拒絶反応などはなく、むしろヒロイン・岩戸鈴芽(すずめ)に素直に感情移入できた。2時間の上映中、スクリーンから目を逸らすことが一瞬もなく、文字通り「釘付け」だった。こういう作品に出会えることは、近年ではとても珍しい。

新海作品の特徴は、人々の生活空間である<リアル>と、非日常が織りなす<ファンタジー>の世界を、主人公やヒロインが自由に行き来しながら、人類に災厄をもたらそうとするものと戦いつつ、それが主人公やヒロインの過去の記憶や経験とつながっていて、<リアル>と<ファンタジー>が最後に結合したところで張られていた伏線が回収される、というストーリー構成と表現技法にある。新海作品は、主人公やヒロインがこの<リアル>と<ファンタジー>の世界を行き来する場面では、必ずその作品の象徴となっている「ツール」が登場し、そのツールを介して、ここからここまでは<リアル>でここから先は<ファンタジー>という切り替えが、まるでスイッチをON-OFFするかのようにはっきりした形で行われるところに特徴がある。「君の名は」を例に取れば、それは主人公とヒロインとの「入れ替わり」によって描き出される。

下手な作品では、この切り替えが曖昧で、結局どこまでが<リアル>でどこからが<ファンタジー>なのかが判然としないまま終わってしまう、というものもあるが、新海作品はこの「切り替え」がどこで行われているかがはっきり描かれているため、本来なら断絶しているはずの<リアル>と<ファンタジー>との行き来にまったく違和感がなく、物語を理解しやすい。この表現技法はもちろん今作品でも踏襲されており、<リアル>と<ファンタジー>の行き来にはある「ツール」が登場するが、それはぜひ作品をご覧いただきたい。

新海監督の作品は、2000年代頃に量産された「ネタ・記号消費」「キャラ萌え」だけの作品群とは明らかに(比較対象にすること自体が失礼というレベルで)一線を画していたし、主人公やヒロインが根拠なく万能感を漂わせていた「痛い」セカイ系とも一線を画しているように思う。カテゴリーとしてはセカイ系に属するものであっても、<リアル>の部分で描かれる主人公やヒロインは等身大で、「うちのクラスにもいそうな少年少女」として描かれ、現実から遊離しているようには見えない。新海監督がここ数年でオタクのみならず、多くの一般市民からの支持を獲得できた背景に、この<リアル>部分の、地に足の着いた描き方があることは間違いない。

ストーリー構成も表現技法も、そしてそのようなキャラ設定も前2作とほぼ同じなのに、見終わった後に受ける印象が前2作と異なる理由は、私は大きく2つあると思う。1つ目は、「すずめの戸締まり」から感じる強いメッセージ性である。前2作では、新海作品独特のスケール感のある<物語>は感じても、それを通じて新海監督自身が視聴者に何かを訴える目的を持ったメッセージ性はあまり感じなかった。それが、「すずめの戸締まり」では大きく違っている。特に、すずめの最後の場面でのセリフは、メッセージ以外に解釈することがまったく不可能なほどはっきりとしたものだ。

2つ目は、「作品自体の立ち位置」にある。新海監督の思惑は別として、前2作はあくまでエンタメとして、<物語>を十分に楽しんでもらえればいい、という立ち位置だったように思う。リーマンショックが起きた2008年以降、東日本大震災(2011年)、コロナ禍(2020年)、ウクライナ戦争(2022年)と世界史的事件が続き、しかもその発生間隔はだんだん短くなっている。新海監督が災害をモチーフに多くの作品を送り出してきたのは、こうした内外情勢と決して無縁ではない。

しかし、前2作は視聴者に向けた強い形でのメッセージは発しなかった。世界史的大事件続きで自信を失い、疲弊し、危機管理がろくにできないまま<災後>を漂流し続けている日本社会に苛立ちながら、ともかくもペースを落として「伴走」するーー前2作はそういう立ち位置にあったと思う。

「すずめの戸締まり」では、その立ち位置がはっきり変わっている。日本社会との「伴走」から「1歩前に出る」に意識的に変えている。これはあくまで私個人の解釈に過ぎないが、だからといってまったく無根拠にそう解釈しているのでもない。この1点だけはネタバレをお許しいただきたいが、最後のシーンで、被災した幼き日のすずめに対し、現在のすずめが未来への希望を語っているところに私は「立ち位置」の変化を見たのである。

多くの世界史的事件がうち続く中で、日本社会、そして日本人はいつの頃からか<未来>に怯え、恐れるようになった。不確実な未来に賭けるくらいなら、甘美で、栄光の象徴だった過去にいつまでも耽溺していたいーーそんなメンタリティに日本社会全体が飲み込まれつつある。前述した世界史的事件ーーリーマンショック、東日本大震災、コロナ禍、ウクライナ戦争ーーはいずれも歴史的不可逆点(それ以前の世界に戻りたくても、二度と戻ることができない決定的分岐点、フェーズの転換点)である。そんな歴史的不可逆点を、世界はたった15年足らずの間に3度、それに東日本大震災が加わった日本社会に限っていえば、実に4度も経験しているのだ。

こんな極限状態が長期にわたって続き、メンタルの弱らない人のほうがどうかしている。だからこそ新海監督は前2作では無理に日本社会と日本人を<リード>しようなどという野心は持たず、物語作りに専念したのだと私は解釈している。しかし、ウクライナ戦争という新たな危機を迎えても、未来への想像力を持てず、むしろ、やれ五輪だ、万博だ、原発再稼働だと叫び、日本社会にとって「栄光だった昭和」に歴史を巻き戻そうとする動きがこのところ急激になっている。五輪も万博も原発も「栄光の時代」には必要だったのかもしれない。しかし原発は3.11で、五輪はコロナ禍での強行開催と汚職によって失敗がすでに露わになっている。<未来>がどんなに不確実でも、日本社会、いやそれ以前に人間自体、未来に向かってしか進むことができない。栄光の過去を参考にするのは、それが<未来>を切り拓く上で役立つ限りにおいてであって、<未来>に役立たないならば、どんなに栄光の過去であっても別れを告げ、不確実な<未来>をできる限りよいものにするために、ひたむきに進むしかないのだ。

同じくこの作品を見た「シロクマ」さんが、ブログ「シロクマの屑籠」11月24日付記事「生きるって本当はこういうことだ──『すずめの戸締り』雑感」で感想を述べている(ネタバレがあるので、それが嫌な方はリンク先へは飛ばないでほしい)。シロクマさんはこう書いている--

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 「生きるって本当はこういうことだ」を肯定的に描いてみせ、希望を示すこと、それが今作『すずめの戸締り』〔原文ママ〕の通奏低音で、前作『天気の子』ではあまり聞こえてこず、前々作『君の名は』でもそんなに強く聞こえてこなかったものだった。私は、ここが本作のいちばん濃いエッセンス、主題に限りなく近いものだと想像する。
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この解釈に、私はほぼ全面的に同意する。すずめは、次々と立ちはだかる困難に対し、恐れず果敢に立ち向かうひたむきなヒロインとして徹頭徹尾、描かれている。時には巨大な困難に、全身全霊を込めて体当たりしてでも、目標に向かって突き進む。そして、ラストシーンですずめに未来への希望を語らせる。新海監督は、ついに日本社会の「伴走者」であることをやめ、1歩前に出る決意をしたのだーー不確実な未来にいつまでも怯え、変化と挑戦を頑なに拒み、過去への回帰を目指そうとする日本社会に対し、前に出るよう促すために。何かにひたむきに挑戦し、または困難にひたむきに立ち向かう人々を無根拠にあざ笑う「日本人の心の中のひろゆき」と決別し、希望へと向かわせるために。

何かにひたむきになること。今の日本社会に必要とされながら、最も欠けているものだ。それを新海監督は今回、「すずめ」というヒロインの生き様を通じ、見事に描ききった。私がすずめに、割と素直に感情移入できたのは、3.11以降の12年近い年月を、少なくともひたむきに、すずめのように生きてきたからだと思う。原子力のない未来に想像力を働かせ、少しでも原子力の復活、延命を狙うすべてのものと、文字通り体当たりで闘ってきた。どんなに時代が変わっても、許せないものは許せないという、ただその1点を胸に秘めて。

甘美で栄光に満ちていた過去には、どんなに望んでも決して戻れない。未来がどんなに不確実でも、人間はそこに向かうしかない。どんなに巨大な困難でも、体当たりでしか未来は開けない。こんな当たり前のことを、「すずめ」の生き様を通じて改めて示さなければならないほど、日本の衰退は深刻さを増している。政治、経済、社会、文化ーー衰退はあらゆる領域に及んでいるが、特に最も深刻なのは日本の「人心荒廃」である。このどん底の絶望から、日本が再びはい上がれるかどうかは、どれだけ多くの日本人が「すずめ」になれるかにかかっている。

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第104回高校野球選手権大会講評

2022-08-24 23:53:48 | 芸能・スポーツ
仙台育英の全国制覇を伝える地元紙、河北新報号外(PDF)

第104回全国高校野球選手権大会は、8月22日の決勝戦で仙台育英(宮城)が下関国際(山口)を8-1で破り、初の全国制覇を成し遂げた。仙台育英としてはもちろん初優勝。宮城県勢、東北勢としても初優勝。100年に及ぶ大会の歴史で、優勝旗の白河の関越えは初めて。快挙がついに成った。

ここ数年は、原発問題、JRローカル線問題にコロナ禍、ウクライナ戦争と内憂外患が続き、当ブログにとっても高校野球の講評記事どころではないのが実情で、2018年夏の大会(第100回)を最後に講評記事も書いていなかった。

コロナ禍の影響で、過去2年続いてきた入場制限もようやくなくなり、声を出しての声援禁止やマスク着用義務が残るものの、ブラスバンドや鳴り物・拍手・手拍子の応援は解禁となり、久しぶりに日常感が戻る中での大会となったが、今回の大会を講評する上で、前提条件として念頭においておかなければならないのは、新型コロナ感染拡大が始まる以前の「日常」を知らない野球部員(それは野球部に限らず、他部も同じだが)だけで構成される初の大会だったことだ。その影響は、甲子園の応援席に日常感が戻ってきた今回の大会全般にも、色濃く出ていたように思われる。

過去の甲子園講評記事でも書いているように、当ブログ管理人は平日日中は本業のため、テレビ中継を見られるのは土日祝の試合に原則、限られる。全試合を観ているわけでもない中、細かいプレーに至るまでの論評はできないが、今年の大会では、天候に恵まれ、雨天順延が1試合もなかった。わずかに開会式が30分遅れ、準々決勝が45分遅れの開始となったほか、日程消化は順調に進んだ。また、記録を改めて確認する必要があるが、延長戦が少なく、私の記憶では延長13回を越え、タイブレークとなった試合はなかったのではないか。

また、これも記録を確認する必要があるが、先制点を取ったチームが中盤~終盤以降も順調に追加点を挙げ、「気がついてみれば大量得点差で逃げ切る」というパターンの試合が多く、逆転ゲームが少なかった印象を受ける。ワンサイドゲームでも、実際には、点差ほどの実力差があったとは当ブログは考えていない。どちらが先に流れをつかむかの違いだけで、実力伯仲、紙一重だったように思われる。先制点を挙げた仙台育英が、満塁本塁打で中盤に突き放し、逃げ切った決勝戦も、その意味では今大会の象徴だったように思う。準優勝の下関国際との間に、点差ほどの差があったとはまったく思っていない。

私は、コロナ禍の影響は、この点にこそ色濃く現れていたように思う。対外試合が制限され、今年の大会に出場した学校は、予選段階での対戦相手も含め、コロナ禍以前と比べ「場数を踏む」ことができていなかった。コロナ禍は全国どの学校にも同じ影響を与えているので、これにより有利な地域・学校/不利な地域・学校の差が現れたとは思わない。だが、対外試合の制限によって鈍った「実戦感覚」が取り戻せないまま、どの学校も苦労している様子が、当ブログのように長く「甲子園ウォッチ」を続けているとよく見えるのである。

特に、監督の采配には疑問を感じるものが少なくなかった。投手交代のタイミングなどにはとりわけそれを感じる。1~2点のビハインドの時にスイッチしておけば逆転の目もあり得たのに、決断が遅すぎ、4~5点差が付いてからようやく投手交代というシーンを何度も見た。上述したような「先制点を取ったチームが中盤~終盤以降も順調に追加点を挙げ、気がついてみれば大量得点差で逃げ切るというパターンの試合が多い」という今大会の傾向に序盤で気づいていれば、ビハインドの少ないうちにスイッチしなければならないということが理解できたはずである。その意味では、最も実戦感覚が鈍っていたのは選手よりも実は監督だったのかもしれない。

その鈍った「実戦感覚」を、甲子園でいち早く取り戻した学校が上位に進む一方、それを取り戻すことのできなかった学校から順に散っていったというのが、大会全般を見た率直な感想である。強豪校、優勝経験を持つ学校といえどもこのコロナ禍の呪縛からは逃れられなかった。それでも、当ブログ管理人は「出てくれば必ず優勝」の実力を持つ大阪桐蔭が今回も出場してきたことで、大阪桐蔭の優勝は揺るがないだろうし、逆に言えば「大阪桐蔭を倒せる学校が出てくるかどうか」が今大会の唯一の見所だとすら思っていた。なので、率直に言って、東北勢初の全国制覇がこんなところで成るとは、大会開始時点では露ほども思っていなかった。

天理、智辯和歌山などの優勝候補が早々に散り、中盤で横浜、日大三など関東の強豪も散った。東北勢初の全国制覇の夢を再三にわたって阻んできたのは関東勢である。その関東勢と並んで、東北勢初の全国制覇の夢を3度も阻んでいる大阪桐蔭が残っている限り、あり得ないと思っていた。

東北勢初の全国制覇の夢がかなうかもしれないと思ったのは、準決勝で大阪桐蔭が下関国際に敗れる大波乱が起きてからである。下関国際の準エース・仲井の緩急をつけた巧みな投球術を前に、大阪桐蔭の強力打線がここまで苦しむのは、はっきり言って想定外だった。そして、その仲井が決勝で満塁弾を浴びるのはさらに想定外だった。エース級投手を5人も擁するという、甲子園の長い球史でも希な層の厚さで、仙台育英は甲子園100年、一度も成し遂げられなかった「深紅の大優勝旗の白河の関超え」の偉業を、ついに、ついに成し遂げた。2011年3月11日--東北の運命を狂わせ、多くの人を苦難に追いやった「あの日」を福島県で迎えた当ブログにとっても、この優勝は我が事のように嬉しく、喜びもひとしおである。

とはいえ、当ブログは7年前、第97回(2015年)夏の大会の講評でこのように書いている。

-------------------------------------(以下引用)----------------------------------------

特に、一昨年4強入りした日大山形、昨年16強入りした山形中央に続き、今大会も鶴岡東が16強入りした山形県勢の躍進には目を見張るものがある。山形県民にとっては、1985年の大会で、東海大山形がPL学園(大阪)に29-7で敗れた後、「我が県勢はなぜこんなに弱いのか」と県議会で取り上げられるほどだった。それから30年かかったが、かつては「初戦敗退常連県」だった山形県勢が4強1回を含め、3年連続16強以上というのは驚くべき躍進だ。しかも、同じ学校ではなく、3年続けて別の学校が出場しながらすべて16強以上という結果は「山形野球」の底上げを物語る。当ブログは、誤解を恐れずあえて断言しよう――「全体として強くなった東北野球の中でも、最も強くなったのは山形県勢である」と。

最後に、決勝戦で散った仙台育英についてひと言触れておこう。東北勢初の優勝はまたも決勝戦の厚い壁に跳ね返された。東北勢の準優勝は、春の選抜を含めこれで実に11回目という。東北の高校野球ファンにしてみれば、準優勝はもう見飽きた、そろそろ優勝が見たいという気持ちだろう。・・・今ではすっかり国民的行事として定着した高校野球だが、元々は教育活動としての部活動に過ぎない。優勝はたしかに尊いが、それだけが目標であってはならない。前述したように、30年前は初戦敗退常連県だった山形県勢が3年連続16強以上となるなど、細かいところまで検証すると、この間、成果ははっきり見えている。少なくとも、東北勢優勝の可能性は、この間退潮の著しい九州勢や四国勢よりは高いと考えて良いだろう。閉会式で奥島高野連副会長が「東北勢の全国制覇は近い。そう思わせる準優勝でした」と総括したように、遅かれ早かれその日は訪れる。

-------------------------------------(引用終了)----------------------------------------

少なくとも、東北勢優勝の可能性は、この間退潮の著しい九州勢や四国勢よりは高い--今回の仙台育英の全国制覇で、7年前の当ブログの予測通りとなった。九州・四国勢は、強いときは強いが、弱いときは弱いというふうに、かなり波がある。これに対し、21世紀に入る頃から、東北勢は安定していて、とにかく1~2回戦段階で負けなくなっている。いわば東北地方全体のレベルが底上げされ、1~2回戦を多くの学校が突破し、上位に進めるようになったことが今日の状況を作った。その意味では、東北勢の2回目の全国制覇の日も、遠からず訪れるであろう。当ブログとしては、次は「福島県勢」の全国制覇を願っている。

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第100回高校野球記念大会講評

2018-08-22 01:21:13 | 芸能・スポーツ
夏の全国高校野球記念大会は、大方の予想通り「やはり」大阪桐蔭の優勝で幕を閉じた。同一高校が春夏連覇を2回達成したのは高校野球史上初。桑田真澄・清原和博のあの「KKコンビ」を擁した80年代のPL学園でさえ成し得なかった快挙だ。

KKコンビ時代のPLも「憎たらしいほど強い」と言われたが、それでも1984年春の選抜で岩倉高校(東京)に負けたり、同じく84年夏の大会では、その後長く常総学院の監督として君臨することになる屈指の名将・木内幸男監督率いる取手二(茨城)に負けたりするなど結構取りこぼしもしている。もともと大阪代表にとっては、甲子園で勝つよりも大阪府予選で勝つほうが難しいといわれているが、甲子園に「出てくるのが当たり前」、出てくれば「優勝するのが当たり前」と認識され、負ければそれだけで厳しい批判にさらされるというプレッシャーの中、それでも下馬評通りに優勝してしまうところに大阪桐蔭の底力を感じる。当ブログの個人的感想だが、大阪桐蔭の強さは往時のPLすら上回っており、倒せるチームはここしばらくは現れないだろう。大阪桐蔭の「黄金時代」は、少なくとももう5年程度は続くのではないだろうか。

準優勝した金足農業(秋田)は、その84年の大会でKKコンビのいるPLを相手に中盤までリードし、あわや勝つかと思わせるほど互角の戦いを演じた過去があるだけに、開会式で学校名を聞いた瞬間、台風の目とまではいかなくとも小旋風くらいは巻き起こすだろうと直感的に思っていたらその通りになった。東北勢悲願の初優勝はまたもならなかったが、「黄金時代」を迎えた大阪桐蔭と対戦しなければならなかったことは大変気の毒だ。大阪桐蔭はいわば「別格」であり、事実上の優勝と思っていい。胸を張って秋田に帰ってきてほしい。

東北勢は、春夏合わせてこれで12回目(春3回、夏9回)の準優勝となった。毎回、あと1歩のところまで来ながらどうしてあと1つが勝てないのだろうと、東北に6年暮らした当ブログも大変悔しく思う。しかし、夏の大会に限ったデータだが、東北勢が決勝に進出したのは高校野球の前身、中等学校野球大会の歴史が始まった第1回(1915年)のほか、1969年、1971年、1989年、2003年、2011年、2012年、2015年(参考記事)。1915~2000年の85年間で4回しか決勝進出できなかった東北勢が、2001年以降のわずか17年間で今回含め5回も決勝進出したのである。大会期間中、「甲子園「四国凋落と東北躍進」の明らかな根拠~データで読み解く「甲子園」強豪地方の変遷~」(東洋経済オンライン)という記事が掲載されたが、四国勢凋落はともかくとして、東北勢の躍進についてはこの記事に異存はない(この記事に対しては、同じ期間での比較でなければ意味がない、などとする批判があるが、各地域が最も強かった時期を取り出して比較することにはそれなりの意味があるし、何十年もの間、高校野球を見続けてきた当ブログの皮膚感覚とも一致していて問題ないと考える。むしろ、同じ期間での比較でないと意味がないと騒いでいる人たちは、一昨年~昨年とセ・リーグV2を果たした広島が、今年も首位を走っているのに、巨人V9時代と同時期の広島とを比較して、巨人のほうが強いと主張するのと同じ誤りを犯している)。

大会全般を振り返っておこう。

今年は、通算100回の記念大会ということもあり、盛り上がったというより「盛り上がってくれなければ困る」人たちが、往年のプロ野球選手を次々登場させる「レジェンド始球式」を仕掛けるなど集客に向けた試みも抜かりなかった。通常は49校の代表校も56校と大幅に増やした。だが、結果的にはこうした仕掛けがなくとも十分に見ごたえのある大会だった。

今大会が面白かったのは、なんといっても大量得点差のゲームが少なく接戦が多かったことだ。大半の出場校がビッグイニングを作れる力を持っている中で、逆転可能な得点差(おおむね5点以内)に収まるゲームが多かった。そしてその結果として逆転試合も多かった。1~2年生の活躍が目立ったのも今大会の特徴で、来年~再来年に向けて楽しみが持続するのはうれしいことだ。

昨年春の選抜で1日のうち2試合が延長15回引き分け再試合となった「反省」を踏まえ、延長戦による選手の疲労対策として今年春の選抜から導入されたタイブレーク制(延長13回以降は毎回の攻撃を無死1、2塁からスタートさせる)は、選抜では適用される試合がなかったが、今大会は2試合が適用対象になった。タイブレーク制は、地方大会ではここ数年で徐々に導入され始めていたが甲子園では正式導入は今年からだ。タイブレークとはどういう意味なのだろうと思っていたが、「タイ」スコアをブレーク(破壊、打破)するという意味なのだと推測される。

このタイブレーク制が思わぬドラマを生むことになった。8月12日、大会8日目(2回戦)の星稜(石川)×済美(愛媛)戦。タイブレークの末、甲子園の長い歴史上初の逆転満塁サヨナラ本塁打によって済美が勝った1戦は、間違いなく球史に長く語り継がれる名勝負だろう。試合結果を伝えるインターネットの記事に対して、「星稜はいつも負けて伝説を残すチーム」だとのコメントがあったが、なるほどと思った(参考記事:星稜、また敗れて伝説 延長13回激闘「勝ちたかった」)。ついでに言えば、済美の中矢太監督は、かつて1992年の大会で、松井秀喜(星稜)にあの「5打席連続敬遠」を指示して社会問題となった明徳義塾(高知)・馬淵史郎監督の教え子で、その大会にも明徳の選手としてベンチに入っていた。不思議な因縁のある試合だった。

新しい制度のため整理しておくと、タイブレークは決勝戦には適用されないが、決勝戦が延長15回で引き分け再試合となった場合、再試合には適用される。もちろん決勝戦以外にも適用だ。適用の場合は13回表の攻撃から。打順は前の回からそのまま引き継ぎ、無死1、2塁からスタート。出塁する走者は打者から見て最も遠い打順の2人(例えば、前回の攻撃が6番打者で終わったとすると、7番打者からの攻撃となり、走者は5、6番打者となる)。けがをした選手が治療するため一時的に代走を務める「臨時代走」の場合、投手は免除となるが、タイブレークの場合の走者は投手も免除とはならない。タイブレークのため出塁した1、2塁走者が生還した場合、自分の責任で出した走者ではないので、得点を与えた相手チームの投手には失点のみが記録され、自責点は記録されない――との運用になっている。従来の公認野球規則に沿ったもので、妥当な運用と言えよう。

当ブログは、タイブレークになれば後攻チームが圧倒的に有利なのではないかと予測していた。結果的には先攻チーム、後攻チームが1勝ずつで後攻チームが特段有利との結果にはならなかった。だがよくよく考えてみればこれは当然の結果で、もともと延長戦だからと言って後攻チームが圧倒的に有利なわけではない(毎回、サヨナラ勝ちのプレッシャーを相手チームに与えることができる一方、先攻チームは本塁打以外で大量得点を挙げ一気に試合を決めることができる利点があり、一長一短である)。その上に、両チームにとって公平な新しい条件が加わるだけだから、先攻チームと後攻チームの勝率に変化が出るほうがおかしいわけで、当ブログとしては不明を恥じねばならない。

タイブレークの導入は延長戦が延々続くという事態を避け、選手の過労対策という意味でも根本的対策には程遠いものの、一定の効果があったと思う。タイブレークが今後の高校野球を変えるかどうか、現時点では判断し難いが、延長13回以降の攻撃が無死1、2塁から始まるこの制度の導入により、今後は強攻策だけのチームに対して、バントなど小技で着実に走者を進めるタイプのチームが有利になる効果はありそうだ。特に決勝まで進んだ金足農業は、タイブレーク適用試合こそなかったものの、大会14日目(8月18日)の準々決勝での近江(滋賀)戦では3得点がすべてスクイズによるものだった。

ここ20年くらい、小技が使えなくても本塁打を打ちまくって相手を圧倒すればいいというメジャーリーグばりの大味なチームが甲子園の主流を占め、当ブログは辟易としていた。大技だけでなく小技も多用できるチームが上位に勝ち残れることを高校野球の「原点」と定義するならば、タイブレーク制の導入という思わぬ形で高校野球に「原点回帰」の可能性が出てきたと当ブログは考える。これは長期的に見ればよいことである。

タイブレークに関しては、「自分の責任で背負ったわけではない走者の生還で試合の決着がつくのはおかしい」との批判のほか、「過去の記録とタイブレーク制適用下での記録の整合性がつかなくなる」との批判もある。だが、どちらも当ブログはやむを得ないと考える。そもそも両チーム同じ条件なのだから許容すべきであろうし、タイブレークが適用されない試合にこの批判は当てはまらない。むしろ、1991年に行われた甲子園のラッキーゾーン撤去のほうが、全試合、全選手の記録に影響するのだから大事件だっただろう。ラッキーゾーン撤去の前後の記録さえ通算・比較されてきたことを考えると、この程度のことが問題になるとは思わない。

プロ野球に話は飛ぶが、「1964年に年間本塁打55本を達成した王貞治(巨人)と、2001年に同じく年間本塁打55本を達成したローズ(近鉄)ではどちらが上か」と尋ねられた場合、みなさんならどう答えるだろうか。1964年当時、巨人が本拠地としていた旧後楽園球場の両翼は90mに対し、ローズがいた当時の近鉄が本拠地としていた大阪ドームの両翼は100mである。これだけを見れば、広い球場で55本塁打を記録したローズのほうが上であるように思える。しかし、ローズが55本塁打を記録した当時の年間試合数は143試合であるのに対し、王が55本塁打を記録した1964年は年間140試合だった。この意味では、試合数が少ないにもかかわらず同じ本塁打数を打った王のほうが偉大だとの反論もできる。記録とはもともとそのようなものであり、結局は各自がそれぞれの価値観で評価するしかないものである。

100回記念大会の目玉企画「レジェンド始球式」に不思議な因縁を感じたのは、開会式初日、松井秀喜が始球式を行う第1試合を彼の母校、星稜が引き当てたことだ。昨日の準決勝でも、金足農業が出場する試合の始球式を桑田真澄(PL~巨人)が務めたが、1984年の大会におけるPL×金足農業の試合を知るオールドファンにとってはこれも不思議な因縁だ。

最後に、山口直哉(済美)、吉田輝星(金足農)など何人かの投手は地方予選から甲子園での敗退までを1人で投げ抜いたが、予想していた通り「投げ過ぎ」批判が上がった。近年は選手の健康管理の観点から、エース級投手を複数用意して戦うスタイルが主流になっている。これに対しては、元ロッテの里崎智也氏が「甲子園での高校野球で球数制限は必要か」(日刊スポーツ)と題する記事で「私は高校時代に鳴門工で野球をしたが、同じ部員で高校卒業後、野球を続けたのは私1人だった。1つ上の先輩にも聞いたが、1人しかいなかった。草野球などを除き、本格的な野球を継続する選手は一握り。野球部でも高校卒業後は、将来の仕事に向けて進む人が大部分で、全員がプロ野球を目指すわけではない」として投球数制限に反対している。しかし、「卒業後も野球を続ける選手がほんの一部」であることを理由に選手全員が不合理な精神主義に付き合わされる必要性はまったくないわけで、里崎氏のこの主張は時代遅れの誤ったものと言わなければならない。一部の不合理な行動に全体が支配され疲弊していくのは、野球界、スポーツ界に限らない日本社会全体の悪弊である。

「投球数制限が導入されたら、ぎりぎりの選手数で大会に出場している学校が不利になり、ますます学校間格差が開く」と里崎氏は主張しているが、別にそれでいいではないか。全国からプロ入りを目指す選手が集まってくる大阪桐蔭などは今や完全に「プロ野球予備校」状態であり、そのことの是非自体が問われるべき新たな段階に入っている。むしろ、今の状態のまま進むより、甲子園出場校を「プロ野球予備校」と「それ以外の健全な教育活動としての野球部を目指す学校」に分離し、それぞれを別の大会にするなどの抜本的改革が必要なのではないか。そう思わせられるほど最近の大阪桐蔭の強さは異常なレベルと言える。今後に向け、ひとつの問題提起としておきたいと思う。

東京の夏が昔より断然暑くなっている、とする報道もある。地方予選段階では、京都府大会が今年から最も熱くなる午後1~4時の時間帯の試合を取りやめ、従来この時間に行われていた試合をナイターに繰り下げる措置を取った(参考記事)が、地方予選段階でのこうした取り組みは甲子園での全国大会でも取り入れてはどうだろうか。

何かと話題の多かった区切りの100回大会も終わり、猛暑日続きだった異常な夏にもようやく陰りが見えてきた。100年の歴史の重みが積もり、すっかり国民的行事と化した高校野球だが、昭和の遺物とでもいうべき矛盾も噴出し、今後に向けた改革の方向性もよりはっきりしてきた。守るべき点は守り、改めるべき点はきちんと改める。それこそが、戦争や震災という苦難の中でもこの行事を作り、育て、守ってきた歴史の先人たちに対するあるべき姿勢だと当ブログは考える。関係者一同、そのために改めて英知を結集してほしい。

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第89回選抜高校野球大会を振り返って(大会講評)

2017-04-01 21:09:00 | 芸能・スポーツ
第89回選抜高校野球は、史上初の大阪勢同士の対戦となった結果、大阪桐蔭が8-3で履正社を破り優勝を果たした。大阪桐蔭は、昨秋の近畿大会では履正社に敗れており、リベンジを果たしたことになる。同じ都府県同士の決勝対決は1972年の日大桜丘-日大三(ともに東京)戦以来45年ぶり、史上5度目。

では、例年通り大会を振り返っておこう。

今年の大会は、開会式直後の1回戦第1試合(呉-至学館)がいきなり延長戦となったのを初めとして、2回戦までに6試合が延長になるなど、延長戦の多い大会だった。特筆すべきなのは、なんと言っても大会7日目の3試合のうち、第2試合の福岡大大濠(福岡)-滋賀学園(滋賀)、第3試合の福井工大福井(福井)-健大高崎(群馬)の2試合がいずれも延長15回で決着がつかず再試合にもつれ込んだことだ。「2試合連続の延長15回引き分け再試合」「1大会で2試合の延長15回引き分け再試合」は長い高校野球の歴史でも、春夏の大会通じて史上初という珍しい記録が生まれた。

大会2日目の報徳学園(兵庫)-多治見(岐阜)戦で21-0のような極端なワンサイドゲームもあったものの、これは例外といってよく、接戦が多かったのが今大会の特徴といえる。各校とも守備が堅く、エラーはしても得点に結びつくような決定的なものは少なかった印象だ。全体的に要所要所を好守で締めるチームが目立ったことも接戦の試合を増やした要因といえよう。

ただ、延長戦となった6試合も、データを詳細に検討すると違う側面が見えてくる。全体的に、2桁安打を放ちながら得点が安打数の半分以下というチームが多かった。チャンスにあと1本が出ず、本塁が遠いチームが多かったことも接戦、延長戦を増やした理由として指摘しておく必要がある。高校野球は「春は投手力・守備力、夏は総合力」と言われることが多いが、全般的に「守高打低」で、打撃より守備のチームが目立ったことはこの定石通りといってよいだろう。

同一都道府県から複数の高校が出場する「アベック出場」が多かったのも今年の大会の特徴だ。大阪2校に加え、盛岡大付、不来方(21世紀枠)はいずれも岩手。群馬からは前橋育英、健大高崎。東京から早稲田実、日大三。報徳学園、神戸国際大付(いずれも兵庫)、智弁学園、高田商(いずれも奈良)に明徳義塾、中村(21世紀枠)はいずれも高知。九州からも、福岡大大濠、東海大福岡の福岡勢に秀岳館、熊本工の熊本勢。出場全32校のうち、18校と実に半数以上がアベック出場だ。こんなにアベック出場が多かった大会は記憶にない。これが単なる偶然なのかどうかは今後の推移を見守る必要があるが、「強い都道府県はより強く、弱い都道府県はより弱く」の格差拡大の結果がアベック出場の続出だとしたら、手放しで喜ぶことはできない。

ここ10年ほど、高校野球では関東・東北勢が際立って強く、関西、九州勢が弱い「東高西低」が続いてきたが、今回の大会は、この流れを覆すように西日本勢が久しぶりの強さを発揮した。特に、近畿勢の強さは当ブログ管理人が球児だった往年を偲ばせるものがあった。8強に残ったのは、決勝で対決した大阪勢のほか、報徳学園の近畿勢3校。福岡大大濠、東海大福岡、秀岳館の九州勢3校。東日本勢は健大高崎と盛岡大付の2校にとどまった。4強は、大阪2校に報徳、秀岳館。東日本勢は1校も残れなかった。

ただ、顔ぶれを見ると、大阪桐蔭、履正社、報徳の「常連」校が強さを見せたに過ぎず、これをもって近畿勢全体の底上げといえるかどうかは、これまた推移を見守る必要があろう。東日本大震災以降の東北勢の強さは一時、目を見張るものがあったが、震災から6年目を迎え、そろそろ震災の「魔法」も切れてきたのだろうか。

印象に残った学校としては、21世紀枠での出場を果たした不来方を挙げたい。春の選抜大会は、1年生が不在で、新2、3年生のみのチーム構成となるため、ベンチ入り選手が少ない学校が出場権を得ることがしばしばあるが、当ブログが調べたところ、ベンチ入りの選手が10人での出場は、1987年の大成(和歌山)があるくらいでほとんど例がない。11人での出場であれば、高校野球史上に残る名将・蔦文也監督に率いられ、「さわやかイレブン」の愛称で甲子園に旋風を巻き起こした池田(徳島)の例がある。こうしたベンチ入り選手数の少ない学校がしばしば旋風を巻き起こすのも、夏の大会にはない春の選抜独特の醍醐味といえる。不来方は惜しくも初戦敗退したが、1年生を加えた新布陣で、また夏に戻ってきてほしい。

春はセンバツからと言われる。当ブログ管理人の住む北海道では、3月中旬になっても時折、大雪の降ることが珍しくないが、選抜が終わる4月初旬には大雪が降ることもなくなり、皮膚を突き刺すような痛く冷たい風からようやく解放される。草花の芽吹く春、敗退した球児たちも、頂点を極めた球児たちも、草花とともに成長し、夏を目指して大輪の花を咲かせてほしい。

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”SUNRIZE ROCK FESTIVAL2016 in EZO”で、大黒摩季、6年ぶり復活ライブ

2016-08-13 23:31:55 | 芸能・スポーツ
大黒摩季、故郷で完全復活 6年ぶり涙のライブ「ホーム、ただいま~!」(オリコン)

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 2010年11月から活動休止中だったシンガー・ソングライターの大黒摩季(46)が13日、故郷の北海道で開催された野外フェス『RISING SUN ROCK FESTIVAL 2016 in EZO』(石狩湾・新港ふ頭)に出演。完全復活を果たし、10月16日に再び故郷・札幌で単独ライブを行うことを発表した。

 午後2時50分、この日のために集結したスペシャルバンドのメンバー(Dr:青木和義=T-BOLAN、Ba:徳永暁人=doa、Sax:勝田一樹=DIMENSIONら)がステージに登場。20年前の夏、日本中を沸かせていたNHKアトランタ五輪テーマソング「熱くなれ」のイントロとともに大黒が登場すると「お帰りなさい!」「待ってたよ~!」という大歓声があがった。

 復帰の第一声は「ホーム、ただいま~!」。立て続けに「DA・KA・RA」「チョット」「別れましょう私から消えましょうあなたから」「Halem Night」とヒット曲を畳み掛けた。鳴り止まない拍手や歓声に思わず涙しながら、1990年代を代表するヒット曲の連発で常に会場は興奮状態。

 「『もう一度歌えるかな?』って何度も思っていたから、きょうこの場に立てるのは奇跡です! なまら(とても)楽しい」と満面の笑み。「ただいま!って月並みですけど勇気出して良かったな~、って思いました」と心の底からライブを楽しんだ。

 子宮疾患の治療と不妊治療を理由に無期限で活動を休止し「大黒摩季として復帰できるのか?という不安の日々の連続だった」という大黒だが、6年間のブランクを感じさせないパフォーマンスで8000人を盛り上げていた。
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予告通り、『RISING SUN ROCK FESTIVAL 2016 in EZO』に行ってきた。目的はもちろん、6年ぶりに復活した大黒摩季を見届けるためだった。初めは客の入りもそこそこかな、と思ったが、始まる頃には8000人が集結。会場は立錐の余地もないほどになった。

2010年に活動休止する直前には、過去の自分の曲でさえキーを下げなければ歌えないほどの状況に陥っていたが、結論から言えば、この日の大黒摩季の声は全盛期とまでは行かないものの、相当程度戻ったと判断する。何しろ、6年ものブランクがあったにもかかわらず、オープニングの「熱くなれ」以外はすべて原曲のキーのままで歌えたからである。逆に言えば、活動休止直前の体調は相当深刻だったということになる。

セットリストは以下の通り。

熱くなれ
DA・KA・RA
チョット
別れましょう私から消えましょうあなたから
Harlem Night
永遠の夢にむかって
あなただけ見つめてる
夏が来る
いちばん近くにいてね
Anything Goes
ら・ら・ら
Higher↑↑ Higher↑↑(新曲)

オープニングは「熱くなれ」「夏が来る」のどちらかだろうと思っていた。現在、リオ五輪開催期間中という事情を考えると、1996年アトランタ五輪NHK中継テーマソングに起用された「熱くなれ」が最有力、2番候補が「夏が来る」と予想したら、その通りになった。エンディングが「ら・ら・ら」でなかったことは意表を突く展開だったし、「Anything Goes」は完全に予想外だった。今回、大黒摩季がビーイングに復帰したという事情もあり、ビーイング以外から発売された曲はいろいろな意味で歌いにくくなると思っていたからだ。

ちなみに、ステージ終了間際、10月16日に札幌・ニトリ文化ホールで第2弾のライブを行うことが発表されるというサプライズもあった。今後の大黒摩季の活動が楽しみだ。

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大黒摩季、6年ぶり活動再開へ

2016-06-20 21:27:17 | 芸能・スポーツ
大黒摩季6年ぶりに活動再開…手術で子宮腺筋症完治(スポーツ報知)

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 子宮疾患の治療のため活動休止中だったシンガー・ソングライターの大黒摩季(46)が、6年ぶりに歌手活動を再開させることが19日、分かった。5年にわたる投薬治療と手術の結果、子宮腺筋症が完治したため復帰を決意。原点回帰の思いが強く、8月に故郷の北海道で復活ライブを行う。

 大黒は2010年11月から子宮疾患と不妊治療のため、歌手活動を休止して投薬などを続けてきたが、昨年11月の手術で子宮腺筋症が完治したのを受け、満を持して復帰を決断した。

 約6年ぶりの歌手活動再開に決意のコメントを寄せた。「現役時代の自分がどんなだったのかも忘れてしまう程に離れた世界故、焦らずゆっくりと。再び歌える喜びをかみ締めながら一歩一歩、着実に、新たな大黒摩季を創っていきたい」。妊活は継続するが、一時中断して音楽を最優先に進んでいく。「私が音の世界に戻ることで、心の過労がルーティーンになってしまっている同年代はもちろん、思うように生ききれない殺伐とした世の中の体温が、1℃でも上がってくれたら最高です」と熱いパフォーマンスを約束した。

 昨年の手術後から、リハビリと並行してボイストレーニング、体力づくりなど復帰に向けた準備を開始。発売は未定だが、精力的に制作活動に取り組み、新曲のレコーディングも始めている。長年酷使してきた声帯も休養中に回復し、歌声を聴いたレコード会社関係者は「全盛期の歌声だね」と太鼓判を押すほど。一番の魅力だったハイトーン・ボイスもよみがえった。

 原点回帰として、92年のデビュー時から99年まで在籍したレコード会社「ビーイング」とタッグを組み、地元の北海道から復活の第一歩を踏み出す。8月11日にファンクラブ限定ライブ(札幌・ベッシーホール)、同13日にはライジングサン・ロック・フェスティバル(石狩湾新港樽川ふ頭)に出演する。大黒は「幼い子供が立ち上がり、歩き始めた―、それくらいの心もとない境地ながら、ファンの皆さんとのいとしく熱いライブを描くとじっとしてもいられない」と心待ちの様子。「故郷の温かい懐に抱かれながら、この胸が張り裂けんばかりに蓄電したロックエネルギーを大放出し、思う存分大きな音と戯れて熱いスタートを切りたい」と気合を込めた。

 ◆大黒 摩季(おおぐろ・まき)1969年12月31日、札幌市生まれ。46歳。92年に「STOP MOTION」でデビュー。同年「DA・KA・RA」が110万枚のセールスを記録。「あなただけ見つめてる」「夏が来る」「ら・ら・ら」などヒット曲多数。03年11月に一般男性と結婚。活動休止中は新人アーティスト育成や北海道・長沼中学校の新校歌「希望の丘」を寄贈した。
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長年の大黒摩季ファンを公言してきた当ブログ管理人にとって、これはかなり嬉しいニュースだ。場合によっては今年一番嬉しいニュースかもしれない。病気で仕方ないとはいえ、無期限活動休止から6年を過ぎ、そろそろ復帰は無理かな……と思い始めた矢先だった。

驚いたのは、復帰がビーイングからだということ。ビーイングは大黒摩季にとって、自分の才能を見いだしてくれた恩義あるレコード会社である一方、初期にはバックコーラスばかりでなかなかデビューさせてもらえなかった。しびれを切らした大黒摩季が、「STOP MOTION」の録音テープを置き土産に、米国に飛んでしまったこともあるほどだ(ちなみに、このときの録音テープを大黒摩季の米国滞在中に聴いた社長が、大黒摩季を呼び戻したことが、後にデビューにつながる)。

会社の方針で、メディア露出はダメ、ジャケットの顔写真に正面からのものはないなど、制約も多かった。90年代後期に「充電期間」を置いた後は東芝EMIに移籍、ビーイングを離れた。そのような経緯をたどっているだけに、ビーイングからの復帰というのはかなりの「サプライズ」と言えよう。

『長年酷使してきた声帯も休養中に回復し、歌声を聴いたレコード会社関係者は「全盛期の歌声だね」と太鼓判を押すほど。一番の魅力だったハイトーン・ボイスもよみがえった』とは、にわかには信じがたいが、これが事実なら、かなり期待できると思う。

メディア露出がほとんどないため、「作詞作曲担当、ビジュアル担当、歌担当と大黒摩季は3人いる」などという都市伝説が流れた時期もあった。それだけに、1997年8月1日、レインボースクエア有明で行われた初の野外ライブに参加したときの興奮と感動は、20年近く経った今も忘れることができない。ライブ中盤に入った夜8時、「ミュージックステーション」の生中継が入った。「大黒摩季って、ホントにいたんだね~」と驚いたように言う司会のタモリの姿が有明のスクリーンに映し出され、会場がどっと沸いたのを覚えている。今はビックサイトなどの建物が建ち並ぶ有明地区が、開発途上でまだ更地に近かった、今からは考えられない時代だった。

ちなみに、当ブログ管理人は九州の地元で就職4年目の年だった。この有明ライブのためだけに、九州から上京した。進学でも就職でも地元を出たことがなかった私が、生まれて初めて東京を訪れたのがこの有明ライブの時だった。どうしても乗ってみたかった、九州初東京行きの寝台特急に初めて乗ったのもこのとき。そういう意味では、今も思い出がたくさん詰まった忘れられないライブだった(このときはまだ、半年後に自分が転勤で横浜勤務になるなんて、まったく思っていなかった)。有明ライブが終わってすぐ、私は大黒摩季ファンクラブの会員になった。ファンクラブなるものに籍を置くのも、これが初めての体験だった。

「充電期間」を終え、東芝EMIに移籍した後の大黒摩季は、ビーイング時代からは想像もできないほど露出も増え、ファンにとってはそれまでの「神秘的な存在」から「身近なロックアーティスト」に姿を変えた。だが、それと引き替えるように声量は下がり、迷走が始まった。2000年代終わり、無期限休業に入る直前には、過去の自分の楽曲さえキーを下げなければ歌えないほどで、ファンを続けるのが最もつらい時期だった。アルバムが出るたびに、ファンを続けていけるか、何度も自信を失いかけた。当ブログの過去ログにも、かなり辛辣なことを書いている時期がある。

無期限活動休止に入った後、私はいつしか1年1回更新のファンクラブも更新せず、自然退会するままに任せてしまった。90年代終わりの「充電期間」にもやめたいと思わなかったファンクラブを辞めてしまうほど、大黒摩季から心が離れた時期もあることを、正直に告白しなければならないだろう。

大黒摩季をはじめビーイングの黄金時代だった90年代はまた、日本の音楽シーンの黄金時代でもあった。小室哲哉にけん引され、ミリオンセラーが次々と飛び出し、CDが飛ぶように売れた時代だった。だが、大黒摩季が活動休止に入る頃、様相は一変し、CD売上は冬の時代に入っていた。大黒摩季が抜けてしまった「穴」を埋める存在は、芸能界・音楽界に見当たらなかった。2010年代の日本の音楽シーンには「歌手」はいても「アーティスト」は不在だった。

大黒摩季が活動休止してから、私は音楽自体を聴かなくなり、次第に身の回りの生活から音楽が消えていった。車を運転しながら聴くFMラジオも、せっかくの高音質がもったいなく思うほど情報番組ばかりになり、音楽番組は激減した(ややもすると、音質の良くないAMラジオのほうがよく音楽を流している)。印象にも記憶にも残らない「J-POP」ばかりの日本の音楽シーンに、もし今、大黒摩季がいてくれたら……と思ったことは、この間、一度や二度ではなかった。その思いは、無期限活動休止から時間が経てば経つほど強まっていった。その意味では、私もまた心の奥底で、大黒摩季が帰ってくるのを待っていたのだと思う。

帰るべき場所があり、ファンがいつまでも待ってくれている。その場所に、病気を完治させ、満を持して帰る。これ以上の幸せはないと思う。復帰のパートナーにビーイングを選んだのも、何となく感覚的に理解できる。大黒摩季にとって、過去に色々あったとしても、帰るべき場所であるとともに、自分の最もよき理解者。きっと、明るい未来が待っていそうな気がする。とりあえず、8月13日の「RISING SUN ROCK FESTIVAL 2016 in EZO」には参加したいと思う。

ファンクラブにも、おそらく復帰することになるだろう。ただ、無期限活動休止の6年間にも、大黒摩季を見捨てず、我慢してずっと待っていたファンのみなさん、ファンクラブに留まって復帰を信じて待っていたファンのみなさんからすると、私は「落伍者」だし、「最も苦しいときに支えてあげなくて、何がファンなのか」という人がもしいたら、その咎めは甘んじて受けるしかないと思っている。でも、こうして復帰のニュースを聞くと、やっぱり戻りたい。会場が一体となって、ひとつの家族のようだったあの「輪」の中に、戻りたくて戻りたくて仕方なくなってきたのだ。こんな私を、ファンとして、再び迎えてくれるなら、大黒摩季と同じように「原点」に戻って、また1からやり直す道を私に与えてほしいと思っている。

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第88回選抜高校野球大会を振り返って

2016-04-01 22:33:04 | 芸能・スポーツ
当ブログ恒例の高校野球大会講評。少し時間が経ってしまったが、大会の余韻が残っているうちに書き留めておくことにしよう。

まず、智弁学園(奈良)の優勝が春夏を通じて初めてというのは、長年高校野球をウォッチしている身としては意外な気がする。甲子園と言えば智弁、智弁と言えば甲子園というくらいに両者の関係は深く、甲子園を縦横無尽に駆け回る智弁の赤い文字なくして球史を語ることはできないくらい、高校野球ファンにはおなじみだからである。「智弁=常勝チーム」の印象が強いのは、兄弟校である智弁和歌山のイメージも大きい。甲子園での対戦成績も、智弁和歌山が上回っている。

今大会は、久しぶりに西日本勢が気を吐いた大会だった。8強が智弁学園(奈良)、滋賀学園(滋賀)、龍谷大平安(京都)、明石商(兵庫)、秀岳館(熊本)、木更津総合(千葉)、高松商(香川)、海星(長崎)。木更津総合以外の7校はすべて西日本勢だった。8強に西日本勢が7校、うち4校が近畿勢というのは、いずれも近年では珍しい。このどちらも前回はいつだったか、球史をかなり遡らなければ見つけられないと思う。特に、近畿勢は最近では8強にまったく残れないことも少なくなかっただけに、この成績は特筆すべき出来事だ。1回戦段階で西日本勢同士の対戦が多かったことが原因かとも思ったが、21世紀枠同士の対戦となった大会3日目の小豆島(香川)―釜石(岩手)戦のように、東西対決となった試合も一定程度、西日本勢が勝っている。

だが、この結果をもって「西日本勢の復権」と結論づけるのは早そうだ。どちらかといえば、西日本勢の優位というより、東日本勢のレベルが例年ほど高くなかったことが、相対的に西日本勢を浮上させたのではないか。ここ数年、飛ぶ鳥を落とす勢いだった東北勢も早々と敗退する学校が目立った。暴投など記録に表れないプレーも目立ち、完成されていないチームが多かった印象だった。ここ10年ほど、高校野球は東日本勢優位の大会が続いており、東日本勢の地方大会を含めたレベルの底上げもはっきり見えている。今大会に出場した東日本勢の多くは、チームの強化に努めなければ、このままではほとんどが夏の大会には出場できないだろう。

相対的に東日本勢のレベルが例年より低かったとする当ブログの分析にはそれなりの根拠がある。今大会2日目(3月21日)、1回戦の八戸学院光星(青森)―開星(島根)戦で、2回裏の攻撃中、1塁走者が2盗した際、2塁に投球しようとした開星の捕手の前に、三振を喫した光星の打者が立ちふさがり、守備妨害となるシーンがあった。同様のシーンは、大会7日目(3月26日)の第3試合、2回戦の木更津総合―大阪桐蔭戦でも見られ、木更津総合の打者が守備妨害でアウトとなった。

こうした守備妨害などの反則行為で打者がアウトにされるのは、甲子園の高校野球では通常、1大会に1度あるかないかの珍しいプレーだ。当ブログ管理人は平日日中は仕事のため、甲子園大会をリアルタイムで観戦できるのは土曜、日曜、祝日に限られる。当ブログ管理人が観戦した日に限っても、今大会、東日本勢の随所にこうした巧拙以前の雑なプレー、対戦相手への敬意やフェアプレー精神に欠けるプレーが見られたことは、東日本勢のレベルが例年より低かったことを示す何よりの証拠である。勝つチーム、勝てなくても観客席のファンに爽やかな印象を残すチームは、ひとつひとつのプレーをていねいにこなすことから生まれる。守備妨害などの反則行為をしたチームは、心してていねいなプレーをするよう、チームを再建してほしい。

1~2回戦段階では、ロースコアの接戦が多かったが、一部に極端なワンサイドゲームもあった。ロースコアの試合が多かったことは、総じて、打撃力が完成されていないことを意味している。

今大会は、春の選抜としては好天に恵まれた。風の強い日、雨に見舞われた日もあったが、総じて日程消化は順調に進み、雨天順延は1試合もなかった。球児にとってはプレーしやすい環境だったといえよう。

当ブログの高校野球大会講評では、毎回、甲子園の中だけでなく、それを取り巻く社会情勢などにもコメントしている。高校野球大会も社会の一部であり、社会と遊離しては存在できないとの思いからだ。その中で、触れておかなければならない残念な出来事が今大会でも2つあった。

ひとつは、大会直前になって発覚したプロ野球での賭博問題だ。職業野球、商業野球と教育活動の一環としての高校野球ではそのあり方が異なるとはいえ、同じ「野球」という名称を使用している以上、プロ野球の影響は陰に陽に高校野球にも及ぶ。最初に賭博問題が発覚した巨人の球団編成代表が「お金をかけなければモチベーションが上がらない」などと賭博に関わった選手を擁護する発言をしていることも、一般社会の感覚とはかけ離れている。賭けた金額が少額であれば良いとの擁護論もあるが、日本の刑法は1円でも賭ければ賭博罪が成立することを規定しており、警察当局も賭け事をしないようたびたび呼びかけている。法律違反の賭博行為が蔓延するプロ野球界の実態もさることながら、選手も、球団上層部も、そして日本プロ野球機構も、ほとんど誰も責任を取らず、何食わぬ顔でシーズンに突入していくプロ野球界の腐敗に、そろそろ誰かがメスを入れる時期に来ていると思う。プロ野球界に自浄能力がないならば、当局にその解決を委ねることも今後は考えなければならないだろう。こうしたプロ野球の実態を見て、高校球児たちがどのように感じているのか気がかりだ。

もうひとつは、滋賀県議による滋賀学園の選手たちへの暴言事件だ。開会前の3月16日、激励会のために滋賀県庁を訪れた同校送迎バスの停車位置に激怒し、吉田清一滋賀県議が滋賀学園の選手たちに向かって「お前らなんか1回戦負けしろ」と暴言を吐いた問題だ。本人は「叱り方の一形態」だと弁明しているようだが、選手たちを成長させる上では何も好影響を与えない鬱憤晴らし的表現に過ぎないし、そもそも滋賀学園のバスがその場所に停車していたのは県教委の指示だったとする報道もある。全都道府県から代表校が送られる夏の大会ほどではないが、春の選抜も出場校は郷土代表であり、地元の人たちはそれを誇りに思っている。吉田県議は自民党会派所属だが、地元と郷土を何よりも重んじる保守政党の議員とは思えない。事実関係を確認もせず、短絡的に発言をする人物が地元政界にふさわしくないことは自明だ。

もともと滋賀県議会の自民党議員団は、嘉田由紀子前知事への対応をめぐって揺れた後、分裂騒動も起きた。嘉田知事の引退後は勢力を回復しつつあり、県議会のサイトを見ると、いつの間にか単独過半数に1議席足りないだけの最大会派に復帰。公明党県議団と合わせれば、中央の与党(自公)の枠組みで過半数を制している。嘉田知事与党だった地域政党「対話でつなごう滋賀の会」(対話の会)は2015年9月に解散、県議会の「対話の会」は民主党県議団と合流し、第2会派「チームしが」となっている。嘉田知事時代の苦しい状況から一転、県議会過半数に復帰できた現状が吉田県議の失言の背景にあるとしたら、中央での安倍政権と同じ「1強自民の緩み」を指摘しなければならない。

いずれにしても、今大会も終わりを告げた。球児たちにはまた打撃、守備、走塁の腕を磨き、甲子園のグランドに戻ってきてほしい。

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第97回(2015年)夏の高校野球を振り返って

2015-08-21 23:55:29 | 芸能・スポーツ
第97回夏の全国高校野球は、東海大相模(神奈川)の45年ぶり2回目の優勝で幕を閉じた。45年前(1970年)の優勝時、東海大相模の監督は原貢さん。いうまでもなく、原辰徳・巨人監督の父である。改めて45年という歴史の重みを感じる。

高校野球が始まって今年は100年の、記念ではないが節目の年。それなのに今年が第100回大会でないのは、太平洋戦争中の1943(昭和18)~1945(昭和20)年までの3年間、大会が中止に追い込まれたからである。1943年度に入学した生徒たちは、在学中、一度も野球ができないまま卒業しなければならなかった。戦後70年の節目でもある今年、改めて野球ができるほど平和であることに感謝するとともに、安倍政権の「戦争法制」を阻止しなければならないと思う。学生たちが白球ではなく黒光りする武器を持ち、甲子園の土の上ではなく遠い異国の土の上を行進しなければならなかった、あの時代を繰り返さないために。

今年の大会を一言で形容すれば、人気も実力も話題性も、すべて関東勢が独占した大会だった。特に早実(西東京)の清宮幸太郎は、まだ1年生ながら大物の予感を大いに感じさせ、ブームの様相すら呈した。1人の選手を巡ってここまでフィーバーが起きたのは、ハンカチ王子こと斎藤佑樹(早実→日本ハム)以来だろう。その斎藤が、プロ入り後は全く精彩を欠き、日本ハムでお荷物的存在になりつつあることを考えると、清宮には今後の頑張り次第で先輩を超える可能性は十分にある。ただ、斉藤がプロ入り後に精彩を欠くことになった最大の原因が、必要以上に彼をちやほやし、フィーバーを起こした周囲にあるだけに、清宮には斉藤先輩の轍を絶対に踏まないでほしいと思う。

例によって、個別の試合を取り上げて論評する余裕が当ブログにはないが、大会全体を概観すると、

(1)例年以上に「東高西低」が際立っていた
(2)打撃戦がほとんどを占め、ロースコアの投手戦がほとんどなかったものの、極端なワンサイドゲームも少なく熱戦が多かった
(3)失策があまりに多く、当ブログの我慢の限界をはるかに超えていた

――等が、今大会の特徴として挙げられる。

(1)に関して言えば、ベスト16のうち関東勢は早実、東海大甲府(山梨)、花咲徳栄(埼玉)、東海大相模、作新学院(栃木)、健大高崎(群馬)、関東第一(東東京)と7校。これに鶴岡東(山形)、秋田商(秋田)、仙台育英(宮城)、花巻東(岩手)の東北勢4校を含めると、16校中11校を関東・東北勢で占めた。

特に、一昨年4強入りした日大山形、昨年16強入りした山形中央に続き、今大会も鶴岡東が16強入りした山形県勢の躍進には目を見張るものがある。山形県民にとっては、1985年の大会で、東海大山形がPL学園(大阪)に29-7で敗れた後、「我が県勢はなぜこんなに弱いのか」と県議会で取り上げられるほどだった。それから30年かかったが、かつては「初戦敗退常連県」だった山形県勢が4強1回を含め、3年連続16強以上というのは驚くべき躍進だ。しかも、同じ学校ではなく、3年続けて別の学校が出場しながらすべて16強以上という結果は「山形野球」の底上げを物語る。当ブログは、誤解を恐れずあえて断言しよう――「全体として強くなった東北野球の中でも、最も強くなったのは山形県勢である」と。

準々決勝(8強)段階でも、早実、花咲徳栄、東海大相模、関東第一、仙台育英、秋田商の関東勢4校、東北勢2校が残った(残る2校は九州国際大付(福岡)、興南(沖縄)の九州勢)。準決勝は関東勢3校、東北勢1校。今大会が、例年にも増して関東・東北勢中心の大会だったことに異論はないと思う。

関東・東北勢優位があまりに極端だったせいか、毎日新聞(参考記事:夏の甲子園:「打高投低」「東高西低」が顕著に)や、夕刊紙「日刊ゲンダイ」(参考記事:様変わりした甲子園勢力図 「東高西低」はいつから、なぜ?)などのメディアが相次いで「東高西低」問題を取り上げた。だが、一昨年(過去記事)、昨年(過去記事)とすでに「東高西低」を指摘している当ブログから見れば「今さら」感は拭えない。

(2)に関しては、ほとんどの試合が打撃戦だったが、追いつき追い越し、追い越されのシーソーゲームも多く、観客を飽きさせない実力伯仲の大会を象徴していた。

そして(3)だが、この問題を当ブログは過去にも指摘している。守備より打撃を優先させる野球であってもかまわないが、今大会で無失策試合は大会3日目、1回戦の敦賀気比(福井)-明徳義塾(高知)戦と、大会9日目、2回戦の鳥羽(京都)-津商(三重)戦のわずか2試合のみ。これ以外のすべての試合でエラーが記録され、中には記録に残るだけで1試合3失策以上の学校もかなりあった。

今大会は、特に打撃に関して言えば、各出場校の間に大きな差はなかったように思う。どのチームもビッグイニングを作る力があり、やや極端な言い方をすれば、初戦で敗退した学校も優勝した東海大相模も、こと打撃に関する限り、差はあっても紙一重に過ぎなかったのではないか。

打撃力に大きな差がないだけに、通常であれば試合の行方を決めるのは打撃力以外の部分(守備力、投手力)となる。先にエラーをしたチームから順に敗退し、甲子園を去るのが通例だが、今年はデータを見る限り、両チームともエラーが多いため、エラーが勝敗の行方に決定的影響を与えない試合も多かったように思う。相手より多くのエラーが記録されながら勝っている学校も多く、「エラーで失点しても、それ以上に打って取り返し、勝つ」というメジャーリーグ並みの試合をするチームが例年にも増して多かった。

そんな中、エラーの多かった今大会を象徴していたのが、大会4日目の第1試合、初出場の津商を相手に初戦敗退した智弁和歌山だろう。記録に残るだけで実に7失策を喫し、「長い監督生活の中でも、生徒たちがこんなにエラーをするのを見たことがない」と監督みずから声を絞り出さなければならないほど壊滅的な守備の崩壊だった。「エラーで失点しても打って取り返す」がいくら今大会の趨勢とはいえ、これほどの守備崩壊では取り返しようもない。対戦相手の津商も3失策。両校合わせて2ケタ失策という締まりのない試合こそ、今大会の象徴だった。

これまでの当ブログであれば、「守備力の強化が今後の課題。打撃ばかりでなくもっと守備練習を」と苦言を呈していたことだろう。しかし、毎年のように同じことを指摘しなければならないとすれば、それは日本の高校野球の質が以前と変わってきていることの現れかもしれない。多くの高校野球指導者がそうしたスタイルを容認し、問題とも思っていないのだとすれば、単に当ブログ管理人の頭が「古い」だけであり、ひょっとすると意識を変えなければならないのは当ブログのほうなのかもしれない。したがって、今回はそのような指摘はやめる代わりに、このような状況が長く続けば、日本のプロ野球が10年後、メジャーのような方向に大きく「様変わり」する可能性に触れるにとどめたい。

最後に、決勝戦で散った仙台育英についてひと言触れておこう。東北勢初の優勝はまたも決勝戦の厚い壁に跳ね返された。東北勢の準優勝は、春の選抜を含めこれで実に11回目という。東北の高校野球ファンにしてみれば、準優勝はもう見飽きた、そろそろ優勝が見たいという気持ちだろう。だが、当ブログの見るところ、今大会の仙台育英よりも、2年連続準優勝を成し遂げた2011~2012年の光星学院(青森、現在の八戸学院光星)のほうが強かったように思う。

何人かのインターネット民が指摘しているように、東北勢は「東北勢初優勝の重荷」を背負いすぎているのではないか。特に、東北勢の中でも激戦区である宮城、岩手県勢には、被災地という事情もあり大きな重圧がかかっているように感じる。優勝なんてできなくてもいいし、「復興のために懸命に頑張っている地元の人たちへの恩返し」のような余計なことは考えず、元気に、のびのびと自分たちの野球をやりきるという姿勢に徹したほうがいいように思う。こんな言い方をするのは大変失礼だが、東北勢初優勝は、案外、期待されてもいないような意外な学校(山形県勢や秋田県勢の、例えば初出場校)によって達成されるのではないかという気が、最近はしてきた。

今ではすっかり国民的行事として定着した高校野球だが、元々は教育活動としての部活動に過ぎない。優勝はたしかに尊いが、それだけが目標であってはならない。前述したように、30年前は初戦敗退常連県だった山形県勢が3年連続16強以上となるなど、細かいところまで検証すると、この間、成果ははっきり見えている。少なくとも、東北勢優勝の可能性は、この間退潮の著しい九州勢や四国勢よりは高いと考えて良いだろう。閉会式で奥島高野連副会長が「東北勢の全国制覇は近い。そう思わせる準優勝でした」と総括したように、遅かれ早かれその日は訪れる。トンネルは長ければ長いほど、抜けたときの明るさも喜びもひとしおである。そのように前向きに考え、次の機会を焦らず騒がず粘り強く待つことにして、当ブログ恒例の大会講評を締めくくりたい。

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上甲監督、胆道ガンで死去

2014-09-02 23:56:21 | 芸能・スポーツ
済美 上甲正典監督が死去 67歳、胆道がん…センバツ2度制覇(スポニチ)

済美高校野球部監督だった上甲正典さんが、まだ67歳の若さで帰らぬ人となった。夏の甲子園大会期間中に体調を崩し、わずか半年あまりでの急逝だ。

当ブログは、上甲監督の精神主義的な選手起用のあり方には批判的で、昨夏、今年と甲子園総括で疑問を呈してきた。今年の大会後には、選手起用のあり方が時代遅れだとして引退勧告も行ったが、まさかこのような形で上甲さんが済美の監督を離れるときが来るとは夢にも思っていなかった。胆道ガンを患っていたことも報道で初めて知った。

取手二高~常総学院の監督を務めた木内幸男さんのように79歳まで監督を務めた人もいる中で、67歳とはあまりに早すぎる。最近は賛否両論あったが、一時代を築いた監督であることは確かだ。当ブログとしても謹んで哀悼の意を表する。

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第96回夏の全国高校野球大会講評

2014-08-27 21:53:02 | 芸能・スポーツ
大阪桐蔭、雑草魂4度目逆転勝ち!2年ぶり4度目全国制覇(スポーツ報知)

<夏の高校野球>総括…「打高投低」の傾向が顕著だった大会(毎日)

第96回夏の全国高校野球大会は、終わってみれば優勝候補の「本命」大阪桐蔭が2年ぶり4回目の優勝を成し遂げ閉幕した。今回も、グラウンド内外でいろいろあった大会だったが振り返っておこう。

今大会は悪天候に泣かされた大会だった。台風接近で開会式がいきなり2日間順延となった。開会式が2日続けて順延になったのは甲子園史上初の珍事で、波乱の予感を抱かせた。これ以降は、悪天候の中でグランド整備をしながら必死に日程を消化したが、球児たちには気の毒な大会だった。

悪天候の影響で8月9日(土)の試合がなくなり、16~17日の週末も大雨の中の試合となった。また、休養日もずれ込んで23日(土)に当たるなど、最も観客動員が見込める週末に試合がなかったり悪天候だったりすることが続いた。テレビ観戦している限り観客動員に大きな影響はなかったようだが、球場での物販の売り上げ等には大きな打撃だったのではないかと想像している。

毎日新聞の記事にある通り、打高投低の傾向が強く出た大会だった。甲子園大会は「春の投手力、夏の総合力」と言われ、夏の大会で打撃が勝負を決めるのは例年のことだが、とにかく今年は逆転試合が多かった。大垣日大×藤代戦で、0-8から逆転勝ちした大垣日大のように、大量得点差をも跳ね返す逆転試合が多かった。決勝戦も、先制点を奪われた大阪桐蔭が逆転勝ちするなど今大会を象徴する幕切れだった。調べたわけではないが、全試合の半分近くが逆転試合だったのではないか(あるいは半分以上かもしれない)。

こうした試合展開は、観戦している側にとってはスリリングでいいものだが、プレーしている球児たちには気が気ではなかったのではないか。「あまりに逆転試合が多すぎて、選手たちが先制点を奪うのに躊躇しなければいいが」と余計な心配をしてしまうほどの逆転劇の多さだった。

逆転劇が多かった大会を象徴するように、延長戦、サヨナラ試合も多かった。忘れられない光景だったのが、1回戦、鹿屋中央(鹿児島)×市和歌山戦だ。1-1の同点で迎えた延長12回裏、鹿屋中央の攻撃だった。1死1、3塁で打者が放ったのは二ゴロ。二塁手が捕球後、本塁に送球すべきところを誤って1塁に投球。打者走者は刺したものの、3塁走者が生還して鹿屋中央がサヨナラ勝ち…。

私は一瞬呆気にとられ、「ああ、アウトカウントを間違えたのだ」と事態を理解するのに少し時間を要した。二塁手は緊迫した場面で頭が真っ白になり、アウトカウントを含めすべてが飛んでしまったという。「甲子園には魔物が棲む」ということを改めて思い知らされた、あまりに残酷な瞬間だった。

こうした逆転試合の多さを受けて「投手力の整備が今後の課題」とする報道も一部にあったようだが、優れた投手を擁するチームがことごとく地方大会で敗れ、甲子園に出場できなかったことも打高投低の大会となった背景として挙げられる。昨年の第95回大会の講評で、当ブログは投手を中心に2年生に逸材が多い大会だったことを指摘、「プロ野球のスカウト陣には悩ましいところだが、来年に向け、楽しみが温存されたと肯定的に捉えよう」としていた。本来なら昨年の大会を沸かせた2年生たちが3年となり、甲子園を盛り上げてくれるはずだったが、そのほとんどが地方予選敗退で甲子園に出場できなかったことが、今大会をより一層打撃優位の大会へと変えたのである。

そのうえ、優勝候補と目された強豪・有名校が1回戦段階で次々と敗れる波乱もあった。開会式直後の初日の第1試合で、春のセンバツ覇者・龍谷大平安(京都)が春日部共栄(埼玉)に敗れたのがその象徴だったように思う。出場全49校の中で最初に甲子園を去るのがよもや春の覇者になるとは、一体誰が予想できただろうか。智弁学園(奈良)、広陵(広島)などの強豪校も1回戦で散った。戦国時代にふさわしい大会だった。

全体としては、東日本勢が今回も優勢だった。西日本勢が久しぶりに気を吐いた今年の選抜大会の講評で、当ブログは「東日本勢中心に展開してきたここ数年の大会の趨勢が、今年を境にまたかつてのような西日本勢中心に戻るのか、それとも再び東日本勢が勢いを盛り返すのか。夏に向け、これも楽しみな点」としたが、結果としては再び東日本勢優位に戻った感がある。特に、東北勢は角館(秋田)を除く5校が揃って1回戦を突破、山形中央は3回戦に進出した。

特筆すべきは東海・北信越勢5校が揃って1回戦を突破したこと。これは初の快挙だ。目を見張る強打で4強に残った敦賀気比(福井)を中心に、それぞれがきらりと光る個性に満ちた東海・北信越勢。三重の準優勝は、東海・北信越勢が活躍した今大会の象徴だ。日本文理(新潟)は、甲子園でも上位進出がすっかり定着した感がある。かつて言われた「雪国のハンディ」はすっかり過去のものとなった。

逆に、西日本勢はまた低迷した。大阪桐蔭が優勝して面目を保ったが、1回戦開催中、「近畿勢 全滅か」というツイッターのタイムラインが回るほど一時は全校敗退の危機に見舞われた。九州勢も沖縄尚学が8強に残り、鹿屋中央がなんとか初戦を突破したが、それが精いっぱいだった。準々決勝~決勝の顔ぶれを見る限り、表向きは西日本勢が頑張ったように思えるが、これは1回戦段階で西日本勢同士、東日本勢同士の対戦が多かったため、西日本勢も多く生き残れた影響が大きい。1回戦の対戦成績を注意深く見てみると、東西対決となった試合はほとんど東日本勢が勝っている。春のセンバツのように1回戦で東日本勢同士、西日本勢同士が対戦しないような組み合わせ抽選が行われていれば、西日本勢はもっと苦しい戦いを強いられていた可能性もある。打高投低と並び「東高西低」もここしばらくは続きそうだ。

今大会の大きな話題として、「機動破壊」をスローガンに掲げた健大高崎(群馬)の「大量リード下における盗塁」と、東海大四(南北海道)・西嶋亮太投手の超スローボールの是非が問われた。結論から言えば、当ブログはどちらも戦術、技術の一環として「問題なし」の立場だ。

健大高崎は、2011年の初出場から機動力野球を売り物にしており、今大会でもその機動力はひときわ目立った。みずから「機動破壊」のスローガンを掲げ、2回戦の利府(宮城)戦では11盗塁。合計では26盗塁となり、大会記録にあと3と迫った。準々決勝で大阪桐蔭に敗れたが、ここで4強に進出してもう1試合多く戦っていれば確実に大会記録更新だった。

こうした同校の姿勢に、「大量得点差でリードしているときは盗塁を控える」というメジャーリーグのマナー(?)を持ち出し、フェアプレー精神に反する、との指摘がなされた。しかし、そうしたマナーが存在するということを当ブログは初めて聞いた。20年以上前、自分の野球部時代にもそんな話は聞いたことがない。それに、8点差でも逆転されるような今大会の流れの中で、なぜ同校がみずからの最大の武器である「足」を封印しなければならないのか。勝利が野球のすべてではないとしても、それで逆転負けを喫したら誰か責任を取ってくれるのか。本塁打を打ちまくる野球もいいが、足を生かして走者が貪欲に次の塁をめざす野球のどこが悪いのか。「柔よく剛を制す」ということわざもある。健大高崎のようなチームがいることが、甲子園ファンにとって「スパイス」になっている。

西嶋投手の超スローボールについても、打者のタイミングを外し、打たれにくくする投球術のひとつであり、外野からとやかく言われる筋合いはない。それでストライクになれば大したものだし、外れればカウントを悪くして自滅するだけのことだ。

ところで、優れた投手を擁するチームがことごとく地方大会で敗れ、甲子園に出場できなかったことが打高投低の大会の背景であることは上ですでに触れたが、その象徴だったのが安楽智大投手を要する済美(愛媛)の地方大会での敗戦だ。安楽投手の投げ過ぎはすでに昨夏から問題とされており、「地方大会で負けたことが逆によかったのかもしれない」とする論調も一部にあった。私も安楽投手の今後を考えるならそれでよかったと思っている。

済美に関しては、野球部でいじめが発覚するという大変残念な出来事もあった。この影響で済美は対外試合禁止処分となり、安楽投手も高校日本代表の選考から外れるに至った。当ブログには、野球部でのいじめ問題と安楽投手の「使い潰し」の根は同じところにあるように思える。上甲正典監督はかねてから「高校生に投球制限は不要」が持論であり、安楽投手の連投を容認してきた。1991年の大会で投げ過ぎのため肘を壊し、プロに進んだものの野手転向を余儀なくされた結果、短期間で引退に追い込まれた大野倫投手(沖縄水産~巨人)の悲劇を、当時から宇和島東の監督として間近に見ているにもかかわらず、である。いじめ問題もこうした指導法が根底にあることは想像に難くない。

時代はとっくに変わり、甲子園では投手の連投を避けるため、複数のエースを擁し交代で投げさせるのが主流になっている。地方大会では今年からタイブレーク制(延長戦に入った場合、1死満塁から攻撃を始める制度)が導入された。より一層選手の体調に配慮した大会運営にすることはコンセンサスと言っていい。そうした中、昭和にタイムスリップしたかのような「根性論一辺倒」の前時代的、反科学的な指導法を取り続けた結果、投手の使い潰しも部内でのいじめの発生も防ぐことができなかった上甲監督には率直に言って疑問だし、もはや彼の時代は終わったと考える。当ブログは上甲監督に引退を勧告する。

最後に「場外戦」的話題として、春日部共栄高校の「おにぎりマネ」問題に触れておこう。ことの経緯は報道されている通りだが、春日部共栄高校の3年生女子マネージャーが、選手のためおにぎりを握り続け、そのために選抜クラスから普通クラスに転籍したとして話題を呼んだ件だ。マネージャーの高校野球における歴史は古く、選手と事実上一心同体の存在として、陰から選手たちを支えてきた。かつてはベンチ入りもできなかったが、96年の大会から「公式記録員」枠でマネージャーも1人に限りベンチ入りできるようになったことは、古い高校野球ファンにはよく知られている(監督同様、背番号がないため試合中のグラウンド上には出られず、いわゆる「伝令」もできない)。

こうした女子マネージャーの存在が、今頃になってクローズアップされた背景に、安倍政権の女性「活用」方針があることは想像に難くない。女性「活用」問題については、そのうち別エントリで論じたいと思っているが、この話題が出た当初、「ジェンダー論の観点から餌食になるな」と思ったら案の定、論争になった。「男性=表舞台に立つ人」「女性=陰から支える人」という構造がジェンダー論の観点から認めがたいと捉えられることは容易に予想できたし、古くは1975年、「あなた作るひと、わたし食べるひと」という食品会社のCMが、性別役割分業の観点から批判され放送休止に追い込まれた出来事を思い出した。

このことをどう捉えるかは当ブログにも判断は難しい。性別役割分業否定論を根拠とした反対論、「おにぎりを握ることが本人のキャリアに結びつかず、そのために選抜クラスを捨てることが社会的損失に当たる」とする反対論もあった。容認論の多くは「本人の選択だから」というものが多いが、当ブログにはどれもどうもすっきりしない。性別役割分業という観点でいえば、これが仮に「女子スポーツ部の男子マネージャー」という逆のパターンだったらどうかと考えると比較的すっきりするのではないか。「性別ゆえに表舞台に立つ道が初めから閉ざされている中で、表舞台に立つ選手を陰から支える」という存在を私たちの社会が容認するかしないか、という問題である。

本人の選択ならいいんではないの、と思う半面、「強制でなければなんでも容認なのか」と言われたらそうとも言えない。たとえば、生活のために性風俗産業で働くことを「本人の意思で選んだ」女性に対し、それを容認すべきかどうかと尋ねられたら、当ブログは明確に「否」と答える。生活のために女性がそのような事態を不本意ながら受け入れざるを得ない社会は改善されるべきなのだ。

もっとも、大人社会の性風俗産業と同一視するのはいささか極端かもしれない。「陰から支える」役割はどんな時代のどんな社会にも必要だし、日本社会のように「神輿に乗る人よりも、担ぐ人のほうが真の権力者」であるというケースも珍しくない。みずから望んで表舞台に立たず、誰かを支える「参謀」役となる場合もある。当ブログ管理人もその典型であり、組織のトップに立てる器ではないと思っているから、名参謀役ができるならそれが一番いいと思っている。ただ、その役割が性別で自動的に規定されるなら、それは本人の意思とは別のレベルで改められなければならない。

キャリアの毀損という観点でいえば、このマネージャーは普通クラスではなく特進クラスへの転籍とする一部報道もある。春日部共栄高校の選抜クラスは偏差値が70、特進は67であり、当ブログ管理人から見ても雲の上のような存在だ。実際、受験競争を生き抜いた世代である当ブログ管理人から見れば、偏差値など65を超えれば大勢に影響はなく、70でも67でもその後の人生は大きく変わらないような気がする。「レベルを落として67」の頭脳があれば、その後の人生は彼女次第ではないかとも思える。今後の彼女の人生に幸多くあることを願っている。

むしろ、当ブログが違和感を覚えたのは「上から目線」で、ジェンダー論だのキャリアだのを振りかざして説教を垂れる大人たちのほうだ。東京都議会で、少子化問題への取り組みを質した女性都議(塩村文夏さん)に対し、「お前が産め」という女性蔑視、人権侵害のヤジが飛んだのはついこの間の出来事である。この国の大人たちは、高校生の振る舞いをとやかく言う前に、自分の身の回りで起きている女性差別を根絶するほうが先だ。それすらもできない大人が高校生に対し、偉そうにジェンダーだのキャリアだのを説いても、当の高校生には響かないばかりか白けるだけであろうし、大人がこんなことをしている限り、女性の社会進出指数が世界105位の日本の惨状も変わることはないと思う。

今回もいろいろなことがあった高校野球大会だった。甲子園から高校球児が消えると、厳しかった夏も終わりが見えてくる。実際、ここ数日で朝晩は急激に涼しくなった。球児たちは冬に耐え、また来年の甲子園で美しい花を咲かせてほしい。

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