(この記事は、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2020年5月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)
●異様な高揚感
1月に中国・武漢で発生した新型コロナウィルスは瞬く間に世界人類を覆った。メディアで報道されているのは明けても暮れても感染者数や死者数のニュースばかりだ。
人類史的に見れば100年に一度の危機的な情勢の中で、こんなことを書くのは不謹慎のそしりを免れないと思うが、今、筆者はなぜか異様な精神的高揚感の中にある。昨年春あたりからずっと、睡眠薬が手放せないほどの精神的不調にあったのが、ここ2か月くらいは急回復し集中力も増してきている。睡眠薬をそろそろやめてもいいと考え始めているくらいなのだ。
この高揚感の原因ははっきりしないが、この間ずっと筆者を悩ませてきた忌まわしい安倍政権、日本人の誰も終わらせ方がわからなくなりつつあるこの異常な長期政権にはっきりと終わりの兆しが出てきたことが、少なくともその要因のひとつではあろう。
最近「サル化する世界」という刺激的なタイトルの著書を出版し、発売わずか2日で早くも重版に達したという内田樹(たつる)神戸女学院大学名誉教授は指摘する。「70%が反対する政策であっても、30%が支持すれば実施できるという成功体験に自民党は慣れ過ぎた。国民を分断して敵味方に分けて、味方を優遇して敵を冷遇するというネポティズム〔筆者注・縁故主義〕政治しか彼らは知らない」。内田名誉教授は「自民党がかつてのような国民政党としてもう一度党勢を回復するということはない。安倍政権が終わった時に同時に自民党という政党も終わる」と予測する(注1)。
インドネシアでスハルト長期独裁政権を支えた与党「ゴルカル」は、「ゴルカルおよび政党に関する法律」によってインドネシアでは他の政党と明確に区別されていた。ゴルカルは政党ではなく、さまざまな業界の利害を代表しつつその調整を図る「職能団体」であるとされ、その特別性のゆえに他の政党が拠点を結成してはならないとされた地方町村部にも組織を置くことが認められていた。国会でも議席の特別配分枠を与えられるなどの優遇措置と引き替えにスハルト政権を支える義務を負っていた。
朝鮮民主主義人民共和国を支配する朝鮮労働党は、全国民を「核心層」(党・政府の核心的支持層)、「敵対層」(党・政府への反対層)、「動揺層」(政治経済社会情勢によって揺れ動く両者の中間層)に三分して支配していると、朝鮮情勢に詳しい重村智計(としみつ)元毎日新聞論説委員は指摘する。朝鮮の全人口に占める比率は「核心層」30%、「動揺層」50%、「敵対層」20%だという。朝鮮労働党も30%の「核心層」だけを固めて残り70%を統治しているのだ(注2)。
独裁的な政治体制の下では、強い政治的決意で政府与党を支持する勢力が30%程度存在すれば社会を統治できることは、ゴルカルや朝鮮労働党の実例が示している。自民党1党支配体制の下で選挙も議会も司法も形骸化し、党内からの安倍後継者も反対者も現れず、30%程度に過ぎない「核心層」を固めて統治する安倍政権のスタイルは、いつの間にか朝鮮やスハルト時代のインドネシアとそっくりになっている。実現を目指すべき政策も消え、所属議員に多額の献金をしていた理美容業界を、小池百合子東京都知事の提唱した営業自粛要請の対象から除外するよう頑強に抵抗するなど、自民党の「職能団体」化も極限まで来ている。筆者の目には自民党が「日本版ゴルカル」に見えて仕方ないのだ。そのゴルカルが、スハルト政権崩壊の後を追うように雲散霧消していったことを考えると、内田さんの予測は案外いい線を行っているのではないかと筆者は思うのである。
今日のような時代の大きな変わり目には、物事の細部は大きな意味を持たないことが少なくなく、内田さんのように時代の潮流を読む大きな目を持っているほうがいい。
●テロリストも真っ青のクルーズ船対応
筆者に安倍政権の「終わりの予感」を抱かせたのは、なんといっても2月、横浜港に入港した豪華クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」をめぐる対応であった。このクルーズ船に関しては、浴びせるようなラッシュ報道があったので詳細は繰り返さないが、安倍政権の対応はわざわざ感染者を濃密で閉鎖的な船内空間に捨て置き、感染を極大化させる最悪の対応にほかならない。筆者は職業柄、動物の感染症を研究するため、細菌やウィルスを培養後、隔離して顕微鏡などでその生態を観察する研究者らと話すこともあるが、細菌やウィルス数を隔離して研究可能なレベルにまで増やすため、小さな試験管やシャーレに閉じ込めて培養することが多い。安倍政権のクルーズ船対応は、小さな試験管やシャーレに細菌やウィルスを閉じ込める培養施設のやり方とそっくりなのである。しかも、あろうことか安倍政権は「ウィルス培養シャーレ」と同じ状態に長期間置かれ、感染の危険性が極大化された乗客に対し、下船時の検査で陰性だったという理由だけで経過観察もせず、電車などの公共交通機関を使って帰宅するのを認めてしまった。
もし、東京オリンピックを「破壊」するため、直前に東京でひと騒ぎ起こしてやろうと細菌・ウィルステロを計画したものの、どうすれば最も効果的に実行できるかわかりかねていたテロリストが世界のどこかにいるとしたら、安倍政権がわざわざその手ほどきをしたにも等しい。「安倍、サンキューな」とこの地球のどこかでテロリストが微笑んでいるかもしれない。安倍政権と自民党に、なぜ破防法が適用されないのかわからないくらいだ。
結局、前号の記事でも触れたように、東京オリンピックは1年延期が決定した。この安倍政権の対応のまずさを見ていると、1年延期しても開催できるとは筆者にはとても思えず、いずれ中止に追い込まれるだろう。東京オリンピック「破壊」を企てていたテロリストたちがもしいるとしたら、彼らの野望がなんと安倍政権みずからの手で実現するのだ。
●民主主義国家での保健衛生対策には政府と市民の相互信頼が必要
新型コロナ対策を東アジア各国だけに絞ってみても、この1か月あまりでますます日本「独り負け」がはっきりしてきた。独裁国家と民主国家を一律に論ずることは適切ではないので、それぞれ見ていこう。
独裁国家である中国は、新型コロナの発生源であるにもかかわらず、武漢と湖北省を強権的に封鎖し、人の移動を禁止する措置が奏功。わずか3か月で封じ込めに成功しつつある。国会に相当する全国人民代表大会(全人代)を延期してまで人の移動を封じ込めた習近平国家主席は、大きく揺らぎかけた政治的威信を回復する可能性がある。全人代が夏までに開催できれば、中国は「新型コロナとの決戦に勝利」と大々的に宣伝するかもしれない。
同じく独裁国家の朝鮮は、中国との国境を早々と封鎖した。国営メディアの「感染者ゼロ」との報道とは裏腹に、数千人単位の感染者が朝鮮人民軍にまで及んでいるとの情報もあるが、国民の間にパニックなどは起きていない模様だ。
しかし、なんといっても最も筆者を驚かせたのは国営メディア・朝鮮中央テレビによる3月のニュース報道だ。米国で市民の不安感が増大、生活必需品の買い占めが拡大していると事実を報道した上で、こう述べている――『商業ネットワークでは必需品の需要を充足できず物価が上がり、人々が商品を大量に購入するので社会的混乱が醸成されている』。資本主義に対する社会主義の勝利とはっきり言い切らないところが憎い。自国にとって都合の良い事実を淡々と指摘、「我々式社会主義」と計画経済の優位性、資本主義の「無計画経済」ぶりをさりげなく国民にアピールしたのだ(注3)。
朝鮮中央テレビのニュースは米国についての報道とはいえ、日本も事情は同じである。多くの日本人が東アジア最貧国とみなしていた朝鮮にこんなことを言われる日が来るとは思ってもいなかった。日本ではその「無計画経済」のせいで、感染拡大が深刻化して1か月半を経た本稿執筆時点でも、いまだにマスクをめぐる混乱が続いている。
民主国家である韓国、台湾も感染封じ込めに成功しつつある。韓国は徹底したPCR検査の実施とともに、重症者だけを入院させ、軽症者は病院以外の施設で隔離する政策が奏功している。隔離という重大な私権の制限は民主国家の性格上、最小限でなくてはならないが、それでも日本のような市民の移動制限を伴わずに飲食店が再開可能な段階までこぎ着けつつある。台湾では前号で既報の通り、あらゆる政策資源を投入し、とうとう人が密集する行事の典型であるプロ野球の開幕さえ実現してみせた。
あらゆる対策が後手後手に回り、死者数こそ少ないものの感染拡大が防止できない日本と感染防止に成功しつつある韓国、台湾を分けたものは何か。筆者は、政府と市民との相互信頼があるかどうかが鍵とみる。台湾は、香港での民主化運動弾圧に危機感を抱いた在外有権者が、先の総統選ではわざわざ飛行機で一時帰国してまで投票。総統選の直前の時期、台湾へ向かう飛行機はどの便も満席だったとの証言もある。投票率は最終的に70%を超え、市民は蔡英文・民進党政権に圧倒的な信任を与えた。台湾が、強権に頼らずスマートで効果的な対策を矢継ぎ早に打ち出せた背景に、「政府は市民の良識を信頼し、市民も政府に高い投票率、高い支持率で信任を与える」という相互信頼関係が見て取れる。
韓国でも、先日行われた国会議員選で文在寅政権与党「共に民主党」が300議席中、180議席(60%)を獲得し、悲願だった議会多数の確保に成功した。投票率は66%とほぼ3分の2の有権者が投票した。民主主義国家で政府の施策が信頼を得るためには、市民の側に政府への信頼があることが絶対条件なのである。
安倍政権の政策が後手後手に回っているのは、韓国、台湾と正反対だからである。日本では政府と市民が相互信頼どころかお互いに相手を「バカ」だと思っている現状がある。安倍首相が全国一斉休校を唐突に発表した2月末の記者会見でも、直前まで「首相が会見をやったらやったでどうせ批判される」と首相周辺は消極的だったと伝えられている(注4)。この非常事態にこのような最低最悪の政府しか持てなかったことこそ、コロナそのもの以上に日本をどん底に陥れた悲劇として後世、歴史に記録されるであろう。
韓国、台湾が6~7割の高い投票率を維持し、台湾に至っては在外有権者がわざわざ帰国してまで総統選に投票しているのに、日本は自宅の隣の投票所にさえ「投票したい候補者がいない」と有権者の半分が背を向ける。そのくせ非常事態が起きると苛立ちは政府批判という健全な方向ではなく、反論できないドラッグストア店員など弱者に対し「お前のマスクはどこで入手したのか。隠しているなら出せ」などという理不尽な形でぶつけられている。こうしたサル並みの市民が安倍政権をのさばらせてきたのであり、日本の市民は内田さんからの厳しい「サル化」批判を甘受するより他になかろう。少なくない市民の間にこうした危機感があるからこそ「サル化する世界」は売れに売れているのである。
●グローバリズムからローカリズムへ、大都市から地方へ
「新型コロナが収束後、世界は変わるか」と尋ねられたら、筆者は迷うことなくイエスと答える。問題は変わるかどうかではなく「どう変わるか」だ。
すでにコロナ以前から明確に見えているひとつの方向性がある。グローバリズムからローカリズムへ、大都市から地方へという方向性である。英国のEU離脱はそのひとつの象徴だが、高い人口密度の中でどうしても人々が密接する形で生活せざるを得ない巨大都市に新型コロナは大きな打撃を与えた。巨大都市は感染症対策上の脅威とみなされ、その存在から再考を迫られるであろう。
東京都の人口は、住民基本台帳ベースでも1395万人と、1400万人が目前だ。実際には住民票を移さないまま転入している人も多く、実勢ベースなら夜間人口でもすでに1400万人を超えている可能性がある。筆者の子ども時代(今から30年ほど前)は東京都、神奈川県、千葉県の3県合計でこれくらいの人口といわれたものだ。東京一極集中の是正が叫ばれながら、事態は逆の方向に一貫して進んできた。遠くない将来、首都直下型地震や南海トラフ大地震の危険なども指摘されているが、東京への人口流入はまったく止まる気配がない。大企業の本社の大部分が東京に集中しているが、本当に東京でなければならない業務がいったいどれだけあるのだろうか。今こそ業務を真剣に総点検し、大都市過密・地方過疎の問題を解決できる「地方移転」が可能な企業は決断すべきときだ。
ドイツでは、第2次世界大戦後、大都市への人口集中を抑制する政策が採られてきたと指摘する識者もいる。大都市がナチスを生んだという反省から人口集中政策が否定されたとの主張もある。筆者が今回、本稿執筆に当たって探した範囲では、その主張を裏付ける資料は見つけられなかったものの、「少数意見を尊重する民主主義の理念ないし規模の小さな自治体を優先する補完性の原理の考え方がドイツにおける大都市の制度改革やその運用改善にあたって一般に浸透しつつあるのではないか」との仮説(注5)が提起されていることは日本でも注目されるべきであろう。実際、これらの仮説を裏付けるように、ドイツでは最も人口の多い首都ベルリンでも343万人と、東京の4分の1に過ぎないのである。人口百万人を超える都市もハンブルク、ミュンヘンを加え3つしかない。今回、ドイツで新型コロナ感染対策が比較的うまくいっている理由として、こうした人口分散政策を挙げることはあながち間違いではないであろう。
同時に少なくとも現時点で言えることは、地方の時代がこれから本当の意味で来るということである。多くの企業が人と人の接触を極力避けるため、半ば強制的にテレワーク含むリモートワークの実験に踏み出すことを余儀なくされた。この実験は長期化し、日本社会をジワジワと変えていく可能性がある。長距離、長時間「痛勤」は無駄だとの考えが広まれば、人々は余裕時間を確保し、東京でなくてもいい仕事は地方に移るであろう。半世紀近く「社畜運搬車」状態だった東京の「痛勤」電車は貨物輸送などより生産的な役割のために解放されるだろう。一方、人口が戻ってくる地方で新たな町おこしの動きが出るかもしれない。
人が地方に分散して住むようになれば、集中型エネルギー源として経済的に無駄の多い石炭火力発電や原発は淘汰され、小規模自然エネルギーへの置き換えが進む。どう見てもバラ色の方向への変化しか思い浮かばない。こうした社会への転換の中で、「集中」「重厚長大」「大量生産・大量廃棄」「経済効率」という物差ししかない自民党も時代の遺物として廃棄されるだろう。そこにこそ日本復活の鍵がある。
●生活必需品を自給できる国がポスト・コロナの勝者となる
コロナ危機は、グローバリズムの下で、国際分業体制が当たり前と考えていた世界を揺さぶり、一気に鎖国に追い込んだ。この一時鎖国状態の発生によって、自分たちの国に何が不足しているかが浮き彫りになった。アメリカは公的医療保険制度、中国は民主主義体制――。「自由・平等・博愛」が旗印のはずのフランスに、意外にも平等と博愛が不足していることも見えてきた。露骨なアジア人差別の横行がその証拠だ。
日本に足りないものが生活必需品の自給体制であることもはっきりした。世界保健機関(WHO)や世界貿易機関(WTO)など3国際機関は、このまま国境管理による鎖国政策が各地で続いた場合「国際市場における食料不足が起きかねない」との声明を発表している。
食料自給率が37%の日本は、コロナ禍が長引けば飢える可能性がある。今後どうすべきだろうか。当面、自給が可能なものはコメ、卵、牛乳だ。これらを食べて当座の危機をしのぐしかないが、コメにしても他に栄養源がなかった戦前の日本は年間1200万トン近く消費していた。今では人口が当時の1.5倍に増えているのに年間生産量は800万トンを切っている。今コメが自給できているのは「他の栄養源が豊富になり、日本人が以前よりコメを食べなくなったから」に過ぎず、コメしか食べるものがなくなったときにこの生産量で足りるのかと聞かれれば、答えはノーである。
読者のみなさんは「平成の大凶作」といわれた1993年の大冷害をご記憶だろうか。この年、厳しい冷害のため東北では作況指数ゼロの地域が続出。初夏を迎える頃には凶作の噂が広まり、早くも店頭からコメが消え始めた。最終的に200万トン近いコメが不足、日本は1961年の「完全自給達成」以降では初めて外国産米の大量輸入に追い込まれたのである。
この年――1993年のコメ生産量が790万トンといえば、現在の状況がどれだけ深刻かご理解いただけるだろう。日本のコメの生産基盤は弱体化し、毎年「平成の米騒動」当時と同じ生産量しかあげられていないのである。それでも当時のような米騒動が起きないのは、日本人が以前ほどコメを食べなくなったからだ。この状態で海外産の他の栄養源すべてがストップしたら――これ以上は、もう怖くて続けたくない。
トヨタなど一握りの大企業の利益と引き替えに牛肉・オレンジ輸入を自由化した歴代自民党政権は、国民の胃袋を満たすものを海外に差し出し、空腹の足しにならないものを守るという売国的外交政策を繰り返し今日まで来た。いわゆる保守派と呼ばれる人の手に本誌が渡るとはとても考えられないが、本来なら愛国的な保守の人たちにこそこの危機を理解してもらいたいと思っている。マスクがいつまでも市民の手に渡らない日米両国が「北」のメディアにすら笑われていることはすでに述べた。衛生用品や食料品などの生活必需品さえ満足に自給できない国は、「北」のミサイル襲来を待たずしてみずから滅ぶことになろう。くどいようだが、日本の市民にとって最大の敵は「北」ではなく自民党と安倍政権であることを今すぐ知らなければならないのである。
注1)
「打って一丸」の危うさ(ブログ「内田樹の研究室」2020年3月6日付記事)
注2)「北朝鮮データブック」(重村智計・著、講談社現代新書、1997年)P.66
注3)
この映像は動画投稿サイト「ユーチューブ」にアップロードされており、本稿執筆時点でも見ることができる。
注4)「朝日新聞」2020年2月28日付記事。
注5)「
ドイツにおける大都市制度改革の現状と課題―都市州(ベルリン・ハンブルク・ブレーメン)と中心都市・周辺地域問題-」(片木淳・早稲田大学政治経済学術院公共経営大学院教授)