安全問題研究会~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

公共交通と原発を中心に社会を幅広く考える。連帯を求めて孤立を恐れず、理想に近づくため毎日をより良く生きる。

第93回夏の高校野球を振り返る

2011-08-20 14:02:30 | 芸能・スポーツ
第93回夏の全国高校野球は、日大三(西東京)が光星学院(青森)を11-0で破り、10年ぶり2回目の全国制覇を成し遂げた。小倉全由監督にとっても2回目の優勝。光星学院は東北勢として6回目の全国制覇に挑んだが、6回目の挑戦も敗れ、惜しくも散った。東北勢の決勝進出自体、夏の大会では1969(昭和44)年の第51回大会以来42年ぶりだ。このとき決勝に進出したのは光星と同じ青森代表の三沢だった。松山商(愛媛)との延長15回引き分け再試合を経て松山商が優勝したこの戦いは甲子園史上に残る、勝敗すら超越した名勝負として現在まで語り継がれている。

では、例年どおり今大会を振り返ろう。

今年は被災地に当たる関東・東北勢が頑張った大会であったように思う。決勝で対戦した両校を初め、関東勢がベスト8に3校(習志野・作新学院)、東北勢が1校残った。その他、関西勢が2校(智弁学園(奈良)、東洋大姫路(兵庫))、中国勢が2校(関西(岡山)、如水館(広島))残った。東日本大震災の影響を受けたのかどうかわからないが、関東・東北勢は背中に被災者の魂とでも形容すべき、何か見えない力を背負っているような気がした。一方、今年の選抜で好成績を収め、レベルが高いと思われた九州・沖縄勢、四国勢はベスト8に1校も残らなかった。特に九州・沖縄勢8校のうち6校は初戦敗退。九州勢がベスト8に1校も残れなかったのは16年ぶりという寂しい結果となった。

全体的に、今年は9回に大逆転という試合が多く、大量得点差を跳ね返しての逆転劇も目につくなど、「あきらめなければ勝てる」を実証する実力伯仲の面白い大会だった。とりわけ2回戦、大会8日目の帝京(東東京)-八幡商(滋賀)戦では、帝京投手陣に完璧に抑えられ、8回まで2塁も踏めなかった八幡商が、9回に突然単打を3つ固め打ちした後、逆転満塁弾を放ち、そのまま帝京の反撃をかわした。この試合は、優勝候補の一角・帝京が敗れる番狂わせであるとともに「あきらめなければ終盤に逆転」「実力伯仲」の今大会を象徴する試合だったように思う。

また、全体的に打高投低で、強打、集中打が試合を決めることが多かった。これは近年、夏の大会の全般的傾向といえるが、守備に関しては残念ながらレベルの高い大会とはいえなかった。さすがに3回戦以降は少なくなったが、1回戦、2回戦段階では、ボールを落として拾い直したり、捕球後握り直すうちに投球が遅れ、内野安打や走者生還につながるケースが多かった。こうした記録に表れない守備上のミスが決勝点になることも多かった。守備に関しては東日本大震災で直接被災地とならなかった西日本地区の出場校も含め、練習不足がはっきり出ていたと思う。ただ、未曾有の災害で日本中が浮き足立っていた今春以降の社会状況を見ると、ある程度やむを得ないとは思っている。

その中で、優勝した日大三の吉永は大会屈指の好投手といわれた前評判に違わない投球ぶりで優勝に大きく貢献した。結果的には、今日の決勝戦が最も投球内容としてはよかったのではないか。準々決勝あたりまでは、走者を背負うとストライク、ボールがはっきりし、球が荒れる弱点もあった。ただ、決勝までの5試合で投球数640球(1試合平均130球弱)はまずまずの投球内容で、与四死球が多い割には投球数は多くない。適度に荒れた球に相手打線が苦しみ、早打ちをして倒れていった様子がデータからもうかがえる。走者を抱えたときのコントロールの問題は技術より精神面が大きいので、今後試合数を重ねて克服できれば、140km台の速球と合わせてプロでも十分通用する投手だと思う。

印象深かった学校としては、初出場ながら屈指の機動力を見せた健大高崎(群馬)を挙げておきたい。地方予選6試合で26盗塁というずば抜けた機動力は1回戦で遺憾なく発揮され、甲子園でもなかなかお目にかかれない2ランスクイズという貴重なシーンも見せてもらった。だが、2回戦で屈指の強豪・横浜に敗れ甲子園を去った。機動力だけでも勝ち上がれない甲子園は厳しい世界だが、イチローを見てもわかるように俊足は内野ゴロを内野安打に変えてしまう大きな武器だ。その俊足をもってまた甲子園に来てほしい。

そうそう、今年の甲子園の忘れ得ぬ思い出として、いい話があるので記憶にとどめておこう。大会7日目(8月12日)、東京都市大塩尻(長野)-明豊(大分)戦での出来事だ。奪三振を“訂正申告”都市大塩尻、正々堂々散る(スポニチ)という見出しの記事を参照いただきたいが、この試合の6回、明豊の攻撃中、東京都市大塩尻が1点失った後、なお無死三塁の場面だった。5番の佐藤を内角高めのカーブで空振り三振に仕留めたと思われたが、捕手の古谷が「バットに当たっていました」と審判に正直に申告。判定はファウルに訂正された。その後、佐藤は四球で出塁し、これをきっかけとして東京都市大塩尻は6点を失った。

自校に有利な誤審であり、黙っていればそのまま試合は進み、東京都市大塩尻は勝てたかもしれない。だが主将の古谷は「常に敵味方関係なく、正々堂々とプレーしろと監督に言われている。後悔はありません」と、さわやかな笑顔で甲子園を去った。

原発事故以降、「いかにウソをつき、情報を隠して他人を騙すか」しか考えない大人ばかりになってしまった絶望的なこの国で、ひとりでも彼のような若者がいることにいちるの希望が見えた気がする。ぜひそのまま古谷君には正しく美しい大人になり、腐り切ったこの国を変えてほしいと思う。

地方予選段階の大きな話題としては、常総学院(茨城)の木内幸男監督(79)の引退を挙げておきたい。甲子園で木内監督の名声を高からしめたのは1984(昭和59)年、取手二高を率いた夏の大会で、桑田真澄、清原和博の「KKコンビ」を擁し、高校野球史上最強といわれたPL学園(大阪)に終盤、追いつき、打ち砕いて初出場初優勝という快挙を成し遂げたことだ(ちなみに茨城県勢としてもこのときの取手二が初優勝)。その後は常総学院に移り、ここでも2001年、2003年に全国制覇を成し遂げた。いったん引退、2007年に監督に復帰したが、さすがに高齢による健康問題がささやかれる中での引退となった。PL学園・中村監督、沖縄水産・栽監督、池田高校・蔦監督などと並ぶ甲子園名監督に数えて間違いないと思う。長年の労をねぎらいたい。

東日本大震災による節電の影響で、決勝戦も午前開始となるなど異例ずくめの展開となった今大会だが、節電という社会的要請があったとはいえ、準決勝、決勝では午前中に試合を終えてしまう今回の運営方式は、選手や関係者、観客の熱中症対策という意味でも今後のモデルケースとなるだろう。そもそも、電力も気温もピークとなる時間帯にわざわざ決勝戦を構える今までのやり方に無理・無駄が多すぎたのだ。教育活動の領域を大きく踏み越え国民的行事となった高校野球だが、あくまで原点は「部活動、教育活動」である。頑張れ一辺倒の精神主義ではなく、時代の要請に応え、気象条件に合わせて無理なく実施する柔軟で合理的な大会のあり方をともに考え、実行していくことも立派な教育活動なのではないだろうか。ぜひ、今回の大会で得た新しいスタイルが定着するよう、この方式は来年以降も継続してもらいたいと思っている。

この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 白河がついに「歴代最長勤務... | トップ | 【翻訳記事】福島の放射能で... »

芸能・スポーツ」カテゴリの最新記事