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【週刊 本の発見】『就職氷河期世代~データで読み解く所得・家族形成・格差』

2025-07-03 19:08:03 | 書評・本の紹介

(この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」の書評コーナー「週刊 本の発見」に寄稿した内容をそのまま転載したものです。)

『就職氷河期世代~データで読み解く所得・家族形成・格差』(近藤絢子・著、中公新書、本体880円、2024年10月)評者:黒鉄好

 書店でタイトルを見た瞬間、反射的に手に取り、気づけば購入していた。何よりも氷河期世代の入口世代に当たる私にとって自分たちのことを書いた本だからである。

 「生きさせろ!」(雨宮処凛、2010年)や「希望は、戦争。」(赤木智弘氏の雑誌寄稿、2007年)のように、この世代の手によりセンセーショナルな刊行物は多く世に出たが、それらの「多くは個別の事例を取材したルポルタージュであり、世代の全体像をとらえたものは意外と少ない」(本書「まえがき」)ことは私もかねてから気になっていた。

 氷河期世代に関する研究は緒に就いたばかりであり、この世代の実態を明らかにするのに最適なデータなどもとより望むべくもない。そのため本書では労働力調査、賃金基本構造統計調査、就業構造基本調査など、他の目的のために作成された公的統計から得られたデータを、まるでパズルのピースをつなぎ合わせるようにして、断片から全体へ迫っていくという手法が随所で用いられている。この手法は大変な面倒さを伴う反面、そのピースをつなぎ合わせる作業の過程で、本人が意図した範囲を超え、本書の主題でないため述べられていない多くのことまで証明されてしまう楽しさもある。

 就職氷河期世代に対して多くの人々が抱いていた先入観や通説の多くが本書によって覆される。「前後の世代と比べて就職氷河期だけが極端に不遇だった」という通説などはその典型である。実際にはバブル世代より下の全世代で、同年齢時点における所得が上の世代より少なく、上層と中間層との所得格差よりも、中間層と下層とのそれのほうがより大きくなっていることもデータで示されている。就職氷河期世代は問題の始まりに過ぎず、ここで発生した低賃金、非正規化、貧困層ほど所得が低下する「下に向かっての格差拡大」などの諸問題は何ら解決しないまま、その後の全世代に引き継がれていたのである。

 40歳までに生んだ子どもの数では、氷河期後期世代(1999~2004年卒)の女性のほうが氷河期前期世代(1993~1998年卒)の女性より上回っていたことも意外性をもって受け止められると思う。これらの事実を知ったとき、ほとんどの読者はこの間、日本政府が就職氷河期世代や、それより下の世代に対して打ち出してきた「再チャレンジ」などの政策や少子化対策の多くが失敗に終わったことに納得感を持つだろう。そもそも少子化対策を実施すること自体に意味があるかどうかさえ、本書を読み進めるうちに怪しくなってくる。日本はもはや少子化を抗いがたい現実として受け入れ「社会の幸せな縮小方法」を模索する以外にないかもしれない。

 近藤さんは、むしろ氷河期以下の世代で既存の貧困対策から漏れている人々(一例として、生活保護水準より少し所得が上の現役世代が挙げられている)に向けた包括的なセーフティネットの導入や介護サービスの拡充を提案する。再就職支援などの既存の枠組みではすでに手遅れになりつつある就職氷河期世代に対しては、もとより他に方法がなく、賛否以前の問題として直ちに実施すべきである。データに基づく実証的な手法で、就職氷河期とその後の世代の全体像を明らかにし、対策を提案した本書の意義はきわめて大きい。


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【週刊 本の発見】『いま、米について。』

2025-05-02 21:46:52 | 書評・本の紹介

(この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」の書評コーナー「週刊 本の発見」に寄稿した内容をそのまま転載したものです。)

【週刊 本の発見】34年前に書かれた農村の「予言書」

『いま、米について。』(山下惣一・著、講談社文庫、本体388円、1991年5月)評者:黒鉄好

 3月30日、都内はじめ全国各地で「令和の百姓一揆」があった。実行責任者である山形の農家・菅野芳秀さんはみずからステージに立ち、あいさつした。「山下惣一さんが言ったように、(農家は)農業をやめて、別の職業に就けばいい。困るのは消費者、国民の方です。」

 菅野さんにとって、本書の著者・山下惣一さんは、やや大げさに言えば「師」と呼ぶべき存在だろう。山下さんは本書の中で、農業で食べていくことの難しさを考えれば、農家をやめるのなんて簡単にできると述べている。食べていけない、休みも取れない、後継者がいない、未来もない。多くの農家がそれでも農村に踏みとどまる理由を、山下さんは、海外から視察に訪れた学生を前に「墓」と「血縁」だと答えた(本書217ページ)。先祖代々、受け継いできた農地を自分の代で潰してはならないという意地だけが農家を支えている。自分たちの農産物を買えとうるさい米国、机の上だけで図面を引き、農地改良をはじめる農水省。「農業の生産性を上げるため農地を企業に渡せ」と迫る経済界。「お前らは選挙で票だけくれればいいんだ」といわんばかりの自民党――四面楚歌の中で、全国各地の篤農たちの「小さな意地」の集合体が、辛うじて食料自給率38%を支えてきた。

 山下さんが55歳のときに送り出した本書は、令和の米騒動に揺れる今日の日本を見通していたかのようだ。政府、財界、メディア挙げての農業攻撃の先に待つのが地方全体の地盤沈下であることを見抜くだけでなく、彼らの目指す生産性の高い農業の正体を「食べることによって資本に食われるシステム」(本書229ページ)だと看破している。

 「読者の世界観を変えてしまう書物」のことを仮に名著と呼ぶならば、「山下惣一氏のこの本は正真正銘の名著である」――作家・井上ひさしさんが執筆した本書巻末の「解説」に私は同意する。本書と出会ったことで、学生だった私は「常識」を疑うことを覚えた。地球の周りを太陽が回っていることを多くの人が自明と考えていたとしても、あえて地球の方が太陽の周りを回っている可能性を考えてみる。この思考法が身についたことで、それまで見えなかった多くのことが見えるようになった。世界観が変わった本だった。

 山下さんは、農業は親に無理やり継がされただけで、好きで従事しているわけではないという。「多くの人にとっては、職業の選択の自由があるのではない。生きていくために選択せざるを得ない不自由があるだけだ」という山下さんの言葉を見て、私がとっさに思い出したのが「賃労働と資本」(マルクス)だった。真の意味での職業選択の自由が、資本主義経済下では存在し得ないと見抜いていたところに、私は山下さんとマルクスの共通点を見いだしていた。バブル崩壊によって私たちの世代は就職氷河期の入口に立たされたが、同級生たちと比べて私が冷静でいられたのも、生きていくための職業をやむを得ず選択する場が就職活動だと割り切ることができたからである。

 山下さんは2022年、86歳の生涯を閉じた。もしご存命なら「食べることによって資本に食われるシステム」がもたらした令和の米騒動に重要な示唆を与えてくれたに違いない。本書をご紹介することで追悼の辞に代えるとともに、山下さんの意思を受け継ぎ、農家・消費者のどちらも幸せにしない現在の農政の転換を勝ち取りたいと考えている。


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【週刊 本の発見】『3.11 大津波の対策を邪魔した男たち』

2025-03-06 20:02:09 | 書評・本の紹介

(この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」の書評コーナー「週刊 本の発見」に寄稿した内容をそのまま転載したものです。)

無視された警告〜そして事故は起きた

『3.11 大津波の対策を邪魔した男たち』(島崎邦彦 著、青志社、本体1,400円、2023年3月)評者:黒鉄好

 私は、本書の著者・島崎邦彦さんの講演を、福島原発刑事訴訟支援団の集会で一度、聞いたことがある。穏やかな学究肌で組織内政治や権謀術数とはおよそ無縁の人である。その穏やかな人柄を象徴するような優しい筆致で書かれているが、内容は辛辣だ。自身が再三にわたって発してきた警告を無視した者に対する告発の書である。

 島崎さんは福島第1原発事故後、原発政策立案と規制の分離を目的として発足した原子力規制委員会の委員長代理を務めた人物として知られる。一方、1995年から2012年まで17年もの長きにわたり、政府の地震調査研究推進本部(地震本部)長期評価部会長の任にあったことはあまり知られていないかもしれない。実際には、島崎さんの功績はこの地震本部時代のほうが大きい。東京電力以外の電力会社は、島崎さんの下で2002年7月に公表された三陸沖地震に関する長期評価を津波対策に取り入れるよう求めた旧原子力安全・保安院の行政指導を受け入れ、津波対策を実施した結果、事故を免れたからである。

 「長期評価」は、津波地震の影響範囲を極めて広く設定したこともあり、公表に当たって政府筋から様々な圧力を受けたと島崎さんは明かす。首相が議長を務める中央防災会議からの圧力によって、長期評価に限界があるかのような奇妙な前文が島崎さんたちに相談もなく付け加えられた。政府機関であるはずの地震本部が公表した長期評価の価値、影響力を低め、貶めるような策動がこの間、政権中枢によって絶え間なく続けられた。

 本書では、長期評価の過小評価の一方で、土木学会が取りまとめ公表した「津波評価技術」なる著書が過大評価されていく過程を描き出す。土木学会という名称からアカデミックなイメージを描く人が多いかもしれないが、現実には電力会社やJR各社など大規模インフラ事業を担う企業の関係者がメンバーの多くを占める。資金もこれら業界から提供されており「日本土木業協会」とでも呼ぶほうがふさわしい。インフラ事業者が費用対効果の範囲内で安全対策をそこそこやろうね、という枠組みに過ぎない業界団体のマニュアルが政府機関の報告より上位に置かれる。司法もそれを追認し、東電経営陣に1、2審とも無罪の判決を出す。本書を通じて見えてくるのは日本の厳しく悲しい現実だ。

 2018年5月9日、東電刑事裁判第11回公判に証人出廷した島崎さんは「長期評価に従って防災を進めておけば、原発事故も起きなかった」と重大な証言をしている。長期評価の「生みの親」として、貶められた「我が子」の名誉を命あるうちに回復したい――今年79歳となる島崎さんの決意を私は本書の中に見た。私もその決意に応え、東電経営陣を告発した被害者の1人として、最高裁で逆転有罪を勝ち取らなければならない。

 司法が原発事故被害者の切り捨てをこれ以上続けるなら私にも覚悟がある。さしあたり、先の大戦で誰ひとり責任を取った者がいないのが裁判所と医学界だということははっきりさせておきたい。法衣の下に東電のユニフォームを隠し着て原発事故の責任を免罪し続ける裁判官たちと、通常の1000倍も甲状腺がんが過剰発生しているのに原発事故と無関係だと言い張り続ける医者たち。戦後80年の今年、この2つと徹底的に闘争し、戦争責任からきちんと取らせる――本書を読んで改めて固めた2025年の私の大目標である。


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【週刊 本の発見】『日本鉄道廃線史~消えた鉄路の跡を行く』

2025-01-02 20:13:31 | 書評・本の紹介

(この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」の書評コーナー「週刊 本の発見」に寄稿した内容をそのまま転載したものです。)

【週刊 本の発見】過去の鉄道廃線事例から「明日への提言」へ

『日本鉄道廃線史~消えた鉄路の跡を行く』(小牟田哲彦・著、中公新書、本体1,050円、2024年6月)評者:黒鉄好

 タイトルだけ見ると、鉄道ファン界隈にありふれた廃線跡「歴史探訪」系の本のように思える。だが、単なる廃線跡の訪ね歩きに終わらせず、路線ごとの廃線史を鉄道政策の中に位置付けて検証し、ローカル線の明日につなげたいとの意欲が見える。

 まず興味を惹かれるのは、この手の新書としては異例の7枚に及ぶ巻頭カラー写真と時代ごとの鉄道路線地図である。巻頭カラー写真では廃線後の各線の悲喜こもごもの風景が登場する。放置された線路跡をエゾシカが横断する北海道・石勝線夕張支線(2019年廃止)と放置された車両が草むす石川県・のと鉄道能登線(2005年廃止)の写真からは「悲」の強い印象がある。衰退が止まらない地域、過去の災害と比べても復旧の遅い地域と一致しているのは決して偶然ではない。「鉄道の扱われ方を見れば、その地域全体に対する国の扱い方が見える」ことは私自身、全国各地を鉄道で訪問し、何度も実感している。

 私がかつて国鉄闘争に関わっていた頃、ある国労闘争団員から「昔は鉄道で日本列島の地図が書けたが段々難しくなっている」と聞いたことがある。7枚の路線地図を見ると、本州、四国、九州の形は現在でも鉄道でほとんど描けるのに、北海道だけが原形を留めていない。北海道「独り負け」がローカル線問題の現在地だ(今後はわからないが)。

 鉄道路線の廃止を許可制から届出制に変更した2000年の鉄道事業法改悪によって、廃線がそれ以前と比べて増えたことを筆者はデータで示す。鉄道事業者が線路や路盤も含めて管理する「上下一体」方式では、廃線後に線路が撤去され、数十年後に再度、線路が必要になっても難しく、筆者は線路を残すことの重要性を訴える。保存車両の運行などと並んで「特定目的鉄道」制度(国が事業免許を与える観光専用鉄道。2000年の鉄道事業法改正で新設)の活用を提案している。

 筆者は、ローカル線を含めた鉄道ネットワークを維持するため、廃線パターンの類型化が必要ではないかと主張しており、私はこれに同意する。廃線に至る要因を解消しなければ廃線阻止はできないからだ。本書を読破してみると、大まかに戦後前半期(1970年代まで)は道路の充実と自動車の普及による廃線が、また戦後後半期(1980年代以降)は地域衰退がそのまま鉄道の自然死につながる形が多いことが見えてくる。

 現在まで続く「地域衰退型」廃線に関しては、鉄道事業者だけで対策を講じるのは不可能だ。地方の過疎対策、東京一極集中の是正を含む政策パッケージが必要であり、政治を転換する必要がある。衆院で少数与党となった2025年は千載一遇のチャンスである。

 英国では、政権を獲得した労働党が民営化した鉄道の再国有化を掲げている。このような国際的動向も踏まえつつ、民営化JRが公共交通機関としての役割と両立しなくなるのであれば、民営化を再考するという発想が出てくるのは当然のことだと指摘。鉄道維持に向けた国の関与を求める。これらは、過去の拙著「地域における鉄道の復権」「次世代へつなぐ地域の鉄道」で指摘した私自身の問題意識、解決の方向性とも一致している。

 廃線に減便、駅窓口の削減、割引切符の相次ぐ廃止・改悪などJRへの市民・利用者の不満はかつてなく高まっている。民営化からの脱却へ突破口を切り拓く2025年にしたい。


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〔週刊 本の発見〕『ザイム真理教』

2024-11-07 23:20:00 | 書評・本の紹介

(この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」の書評コーナー「週刊 本の発見」に寄稿した内容をそのまま転載したものです。)

【週刊 本の発見】日本経済「失われた30年」容疑者・財務省への「有罪判決」

『ザイム真理教』(森永卓郎・著、フォレスト出版、本体1,400円、2023年6月)評者:黒鉄好

 痛快で面白い本である。今や多くのアジア諸国の後塵を拝するようになった日本経済。外国人観光客が、まるで100均ショップを訪れるような感覚で来日し「安いニッポン」に歓喜する。誰が日本をこんな状態にしたのか。「失われた30年」の真犯人は誰か。経済評論家として講演や著述活動で日本中を駆け回り「寝ているとき以外はすべて講演するか、原稿執筆している」と豪語する著者が、財政出動を否定する財務省を真犯人と断定。財務省が信仰し、布教を図る財政均衡主義と緊縮財政を、かつてテロ事件を起こしたカルト教団になぞらえ、「有罪判決」を下す。

 第1章から2章では、財務省が国民生活を犠牲にしてまで財政均衡主義という「邪教」を布教するためのカルト集団であると説く。実際、カルトかどうかは別として、長く「霞ヶ関ウォッチャー」を続けてきた私の耳にも財務省の「軍隊組織」ぶりは何度か聞こえている(誤解を恐れず言えば、森友学園事件で近畿財務局職員・赤木俊夫さんを自殺に追い込んだのにも、この「軍隊体質」が少なからず影響している)。政治家、国民を洗脳し「健全財政至上主義」に染め上げていく姿をカルトとして描き出す。

 日本のように独自通貨発行権を持つ国では、国債が国内で消化される限り、いくら発行しても財政は破たんしないとするMMT(現代貨幣理論)が最近注目を集めている。森永さんは、さすがに青天井に国債を発行してもいいとの極論に賛同はしないものの、MMTに支持を表明している。

 通貨発行権を持つ政府が、紙切れに1万円と書いて印刷すれば、それが1万円として通用し、引き替えに1万円相当の財物が転がり込んでくる。それが通貨発行益である――と、通貨を発行することがあたかも新たな価値を創造するかのように論じていることには危惧を感じる。市場流通している財・サービスと貨幣との交換価値が物価であるというこれまでの経済学の常識を根底から覆すものになっているからだ。生産力に裏打ちされていない巨額の国債発行が現在の物価高、異常な株高・円安を招いているのが実態ではないだろうか。残念ながら、総じて第3章~第4章は荒唐無稽な内容と言わざるを得ない。

 一方で、たび重なる消費税引き上げが国民生活を破壊し、失われた30年を作り出したとする第5章、日本政府と自民党政権の経済政策が富裕層を利していると批判する第6章以降はきわめて説得力がある。国民生活を犠牲にして巨額の防衛費増額に走った岸田政権に対する「ロシアや北朝鮮のようだ」との批判は、多くの賛同を得られるに違いない。できるだけ都市を離れ、農村で自給自足生活を送るべきだという主張は経済学的にも正しい。インフレで貨幣価値が低下する局面ではカネより財物のほうが価値を持つからだ。

 森永さんは末期がんで余命幾ばくもないと宣告されており、痩せ細った近影も伝えられている。だが「もうすぐ死ぬとわかっている人間をわざわざ殺しに来る人なんていない。今の僕にタブーはないんですよ」と意気軒昂だ。知っていることは存命中にすべて書くつもりらしい。森永さんには「もうすぐ死ぬ死ぬ詐欺」をあと10年くらい続けていただき、国民生活を破壊するケチ臭い貧乏神・財務省と自民党を木っ端微塵に打ち砕いてほしい。


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〔週刊 本の発見〕『誰も書かなかった統一教会』

2024-09-05 21:47:23 | 書評・本の紹介
(この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」の書評コーナー「週刊 本の発見」に寄稿した内容をそのまま転載したものです。)

まさに空前絶後、ジャーナリスト有田芳生の集大成
『誰も書かなかった統一教会』(有田芳生・著、集英社新書、本体960円、2024年5月)評者:黒鉄好

 半世紀を超える人生を生きた評者だが、これほどまでに身震いする本を読んだのはいつ以来だろうか。私が世を去るとき「あなたの人生で最も驚愕した本を5冊挙げよ」といわれたら多分ランクインすると思う。それほど衝撃的で、空前絶後。人生を賭けて統一教会を追ってきたジャーナリスト有田芳生の、まさに集大成と言っていい。

 第1章「安倍首相が狙われた理由」、第2章「政治への接近」、第3章「政治への侵食」を通読すれば、統一教会と自民党がただならぬ関係であることがわかる。岸信介の時代に自民党に食い込み、殺害された安倍晋三元首相の父・安倍晋太郎元外相をさながら「組織内候補」のように位置付け、自民党総裁に押し上げようとした統一教会の過去が容赦なく暴かれる。岸信介―安倍晋太郎―安倍晋三の三世代は、組織拡大を狙う統一教会にとってまさに「生命線」だったのだ。

 第4章「統一教会の北朝鮮人脈」では、統一教会と一心同体の関係にある政治部門「国際勝共連合」の名にふさわしからぬ朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)への政治工作の実態が明らかになる。国営以外の経済部門を一切認めないはずの北朝鮮の「我々式社会主義」に風穴を開けるように展開してきた統一教会と北朝鮮との合弁事業の赤裸々な実態に迫っている。南北朝鮮の政治的緊張関係の激化・緩和の度合いを測るバロメーターとして機能してきたのが、軍事休戦ラインに近接する「金剛山」の観光開発事業だが、そこにまで統一教会が関わっていたことを知れば、大半の読者が息を呑むに違いない。

 しかし、驚くにはまだ早い。続く第5章~第7章こそ本書の「本丸」だからである。米国議会下院に設置された「フレイザー委員会」は、統一教会が単なる宗教団体ではなく「文鮮明機関」だとする報告書を公表した。CIA(米中央情報局)のような「秘密工作機関」「謀略組織」だとするフレイザー報告こそが統一教会の実態を正しく表現している。

 統一教会が最も暴かれたくなかった「不都合な真実」は、1987年5月3日に起きた朝日新聞阪神支局襲撃事件(いわゆる「赤報隊事件」)との関わりである。統一教会がすでに1960年代から1万5千丁もの銃器を調達し、極秘に射撃訓練まで行っていたという驚愕すべき事実を、公安当局の資料を基に明らかにする。1980年代に朝日新聞、朝日ジャーナルが行った徹底的な反統一教会キャンペーンに統一教会が憎悪を募らせていたことも示される。

 赤報隊事件の実行犯が統一教会だと明言する表現は本書のどこにも登場しない。しかし、丹念な取材に基づく事実を積み上げていくことによって読者の想像力を極限までかき立て、字面に書かれていることの何倍も多く表現する有田のジャーナリストとしての真骨頂はここでも遺憾なく発揮されている。

 統一教会は「単なる宗教団体」ではない。秘密工作・武装闘争を含むあらゆる手段を通じて世界を征服し、韓鶴子総裁を「世界連邦王国」の女王に押し立てるための謀略組織である――有田の筆力によってかき立てられた私の「想像力」が示した結論だ。それを擁護し、利用し、野放しにする自民党こそ「世界最悪の危険団体」である。自民党を下野させ、一刻も早く解体しなければ、世界人類はこのカルト団体によって滅ぼされるだろう。

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〔週刊 本の発見〕『JRは生まれ変われるか~国鉄改革の功罪』

2024-07-04 22:49:49 | 書評・本の紹介
(この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」の書評コーナー「週刊 本の発見」に寄稿した内容をそのまま転載したものです。)

【週刊 本の発見】JRのこれまでとこれからを読者とともに考える本
『JRは生まれ変われるか~国鉄改革の功罪』(読売新聞経済部・編、中央公論新社、本体1,800円、2023年10月)評者:黒鉄好


 日本で最初の鉄道が開業してから150年の節目を迎えた2022年、新型コロナ禍で日本の鉄道は一気に苦境に陥った。日本の鉄道の歴史的転機になると見た読売新聞社は独自取材班を編成。2022年7月から紙面連載した「JR考」を再編集したのが本書だ。

 最も読み応えのある場所はどこかと聞かれたら、最初と最後だと答えたい。第1章「限界~公共交通機関のジレンマ」では、いきなり旧運輸省「機密文書」をあぶり出す。「取扱注意」の印が押された「国鉄改革の記録」だ。国鉄分割民営化3年後の1990年、運輸官僚によって作成され、ごく一部の関係者にだけ配られた。「分割民営化は地方ローカル線の廃止に拍車をかけることになるのではないか」――バブル経済に乗って世間がJRを順風満帆だと思っていたこの時点で、一部運輸官僚はすでに今日の事態を予見していたのだ。

 第10章の後ろに付け加えるように置かれた「番外編 予算編成」も読み応えがある。2023年に施行された「改正」地域公共交通活性化再生法を踏まえ、JRローカル線「再構築事業」に国の予算を投入できるようにしたい国交省と、その阻止をもくろむ財務省の攻防が描かれている。最終的には、新たな財政支出を求めず、国交省内部で旧運輸省関係公共事業から鉄道へ、予算配分を変更することで決着した。

 第1章から第3章「民営化の光と影」までは、旧国鉄時代から分割民営化して現在までの歴史をたどる。第3章では北海道、四国、九州の3島会社に用意された経営安定基金が、北海道、四国で低金利のため赤字補てん用として機能しなくなった「誤算」を描くが、分割民営化のスキーム自体には踏み込んでおらず、物足りない。そこにはやはり分割民営化を推進してきた読売というメディアの限界も見える。

 第4章「新幹線」、第5章「在来線」では、佐賀県の反対で工事が暗礁に乗り上げた西九州新幹線や、災害から復旧しないまま廃線となったローカル線の実例を挙げ、在来線の上下分離や交通税導入など「次代にふさわしい鉄道像の描き直し」(本書P.123)を求める。

 本州3社と貨物の4社に1章ずつを割く一方、3島会社がまとめて1章で扱われている点には疑問がある。本州3社にもさまざまな問題があることはわかっているが、3島にこそJRの問題は凝縮しているのだ。6社それぞれに1章を割く丁寧さがほしかったと思う。

 取材班のほとんどが国鉄時代を知らない記者という状況で、歴史的経過含め、全体としてはよく取材して書いている。「JR考」が紙面連載された2022年頃を境に、それまで国鉄分割民営化に好意的だった読売、産経、新潮などのJRに対する視線が厳しさを増している。ローカル線問題の浮上を契機とした精力的な取材を通じて、JRの実態が想像以上に酷いことを各社が知ったからだろう。

 本書は、そのタイトルと裏腹に、JRが生まれ変わるための解決策は示していない。だが、問題の深刻さに気づいた結果だとすれば、私はむしろそれを誠実な姿勢として評価したい。JR問題に人生の大半を捧げてきた私ですら最適解はいまだに見いだせていないのに、半年程度の取材で知ったような顔をされては逆に本気なのかと疑いたくなるからだ。問題点は十分洗い出せているので、解決策は本書を手に日本社会全体で考えればいい。

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〔週刊 本の発見〕『戦後日本の対米従属とFRB/日銀・財務省・「特別会計」体制』

2024-05-01 23:03:30 | 書評・本の紹介
(この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」の書評コーナー「週刊 本の発見」に寄稿した内容をそのまま転載したものです。)

【週刊 本の発見】日米金融資本「利権」の実態を全暴露!
『戦後日本の対米従属とFRB/日銀・財務省・「特別会計」体制』(森健一・著、オレアの実書房、本体2,000円、2024年1月)評者:黒鉄好


 読んでいて心配になってくる。内容ではなく、著者・森さんの身の上に対してだ。ここまで書いて本当に大丈夫か。石井紘基代議士(民主党:当時)が2002年10月、暴漢に刺殺されたのは、政府・財界の利権の「本丸」特別会計の闇に切り込もうとしたことが原因だと森さんが考えていることが一読してわかる。同じことが森さんの身にも起きないか。それほど本書が暴露していることは重大で、これを多くの日本の市民が知れば、怒りは物価高や裏金問題程度ではすまないだろう。

 前著「戦後日本の対米従属と官僚支配~特別会計体制」と同じように、膨大な数の事実や証言を積み上げることで背後の闇に光を当てる。読み手によっては散らかっているとの印象も受けてしまう可能性があるが、戦後史の闇という巨大なものの正体を明らかにするうえでこれに勝る手法は存在しないと思う。

 政府の特別会計や財政投融資のために国債が発行されると、そこに発行益が生まれる構造の解明に取り込んでいる。特に闇が深いのは財務省が管理する外国為替資金特別会計(外為特会)だ。為替介入や金利操作、内外金利差などを利用して巨額の内部留保(2014年度決算で27兆円)を溜め込み、財務省が「官営マネーゲーム」をしていることを示している。

 日本の市民を物価高に追い込み苦しめている最近の急激な円安ドル高の進行について、メディアは日米金利差が原因と繰り返す。だがそれは事実の一側面に過ぎないし、日米金利差を誰が何の目的で作り出しているのかには誰も触れない。だがそこに本書は忖度なく切り込む。日米金利差は官営マネーゲームで儲けるためなのだ。

 このからくりが明らかにされた以上、私は日銀が利上げで円安を沈静化させる「量的緩和脱却シナリオ」を採用することは絶対にないと確信した。輸入品とりわけエネルギーや食料品など生活必需品の値上げはこのまま徹底的に放置されるだろう。

 日米金利差を縮めても円安ドル高は改善されないと見るエコノミストも多い。通貨の本当の実力がわかるとされる「実質実効為替レート」では、日本円の実力はすでに固定相場制時代の1ドル=360円にも劣るとの説さえ唱えられている。1990年代末に韓国で起きた通貨危機が今度は日本で起き、円は紙くずになるかもしれない。

 特別会計のマネーゲームで得た資金の多くを、政府・日銀は米国に貢いでいる。しかも米国債に投資されるということは、米国政府のウクライナ・イスラエル支援にも充てられることを意味する。日米が軍事だけでなく財政金融でも一体化し世界の危機を深化させていることが見えてくる。

 森さんは、膨大な外為特会の内部留保を一般会計に入れて市民生活のために使うべきだと当然すぎる指摘をする。同時に、中央銀行が発行した通貨に政府が信用を与える「信用貨幣」から脱却し、発行益を社会的共通資本への投資に振り向けさせる「公共貨幣」への転換を訴える。しかもそれは世界規模でなければならないという。夢物語にも思えるが、それでも人類はこの大プロジェクトを実現させなければならない。人間を幸せにしない腐った資本主義に別れを告げ、滅亡を免れるために。

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〔週刊 本の発見〕『東京電力の変節ー最高裁・司法エリートとの癒着と原発被害者攻撃』

2024-03-07 22:39:39 | 書評・本の紹介
(この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」の書評コーナー「週刊 本の発見」に寄稿した内容をそのまま転載したものです。)

司法の腐敗、ここに極まれり!  『東京電力の変節ー最高裁・司法エリートとの癒着と原発被害者攻撃』(後藤秀典・著、旬報社、1500円+税、2023年9月)評者:黒鉄好

 <「国に責任はない」原発国賠訴訟最高裁判決は誰がつくったか-裁判所、国、東京電力、巨大法律事務所の系譜>と題した記事(月刊誌「経済」2023年5月号掲載)が、法曹界を中心に静かな波紋を呼んでいる。この記事は今後、確実に日本法曹界を揺るがすだろう。本書はこの記事をベースに、司法と国・東京電力の癒着をえぐり出す力作である。

 最高裁判事には裁判所内部からの登用の他、行政官(官僚)出身、検事出身、弁護士出身などいくつかの「枠」がある。かつて「レフェリーが一方のチームのユニフォームを着てプレイしているようなものだ」として「判検交流」(裁判官と検事との人事交流)問題がクローズアップされたことはある。その一方で、弁護士枠の裁判官には「人権擁護の最後の砦」だという漠然としたイメージを持っている市民も多いのではないだろうか。そのようなイメージは本書を読めば粉々に打ち砕かれるに違いない。

 第1章では、原発事故以降、表向きとはいえ「謝罪」を口にし、平身低頭だった東電が、2020年以降、法廷という公の場で、出廷した原告・被害者を白昼堂々「攻撃」する様子が暴露される。13年経った今なお苦しみ続ける被害者に向かって投げつけられる内容の下劣さは、まるで「Yahoo!ニュース」のコメント欄のようだ。私は読んでいて吐き気を覚えた。事故被害者、避難者の方はもちろん、読んで身体に変調を来す方は、第1章は無理して読まなくていいと思う。吐き気を催してでも知らなければならない事実があるという強い精神力を持つ方にはもちろん読んでほしい。

 第2章以下が、冒頭で紹介した雑誌記事に新たな事実を加え再構成した部分に当たる。大手法律事務所に属する東電の代理人弁護士が最高裁判事に次々と送り込まれる衝撃の実態が暴かれる。その中には東電の代理人弁護士を数多く擁する大手法律事務所の代表経営者だった人物まで含まれているのだ。民間企業であれば利益相反として排除されて当然の人物が「審判」を務める非常識がなぜ司法の場でのみまかり通っているのか。普通の感覚を持った人なら誰しも怒りと疑いを抱かずにはいない。

 国の責任を否定し、原子力損害賠償法の無過失責任原則に従って東電にのみ賠償を命じた2022年「6.17不当判決」。書いたのは法衣の下に東電のユニフォームを隠し着た判事たちだった。

 私も関わっている東電刑事裁判では、勝俣恒久元会長ら旧経営陣が1審・2審とも「無罪」となった。検察官役の指定弁護士の上告によって、現在、この裁判が帰属している最高裁第2小法廷には元「代表経営者」草野耕一判事がいる。福島原発刑事訴訟支援団は、草野判事に対し、みずからその任を退くよう求める署名を3月8日、最高裁に提出する。

 6.17不当判決から1年後の2023年7月。この判決を乗り越えようと、全国の原発事故被害者が一堂に会した「原発被害者訴訟原告団全国連絡会」の会場で著者・後藤さんとお会いした。最高裁の腐敗を世に知ってもらうため、判検交流ならぬ「判電交流」という私の考えた造語を広めたいと提案したら「いいですね」と賛同してくれた。日本の恥ずべき「判電交流」の酷さをぜひ本書で知ってほしい。

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【週刊 本の発見】『東電刑事裁判 問われない責任と原発回帰』

2024-01-04 19:20:24 | 書評・本の紹介
(この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」の書評コーナー「週刊 本の発見」に寄稿した内容をそのまま転載したものです。)

東電刑事裁判から「日本原子力史」の暗黒を暴く~『東電刑事裁判 問われない責任と原発回帰』(海渡雄一・大河陽子・著、彩流社、1500円+税、2023年9月)評者:黒鉄好

 日本の原発裁判には、賠償や差し止めを求めるものなどがある。その中でも異彩を放つのが東電刑事裁判だ。福島第1原発事故発生当時の東京電力旧経営陣3名が業務上過失致死傷罪で強制起訴され禁固5年が求刑されている。福島原発事故の刑事責任を問うものとしては唯一の裁判である。

 経過も異例だ。検察は巨大事故にもかかわらず強制捜査(家宅捜索)さえせず「嫌疑不十分」を理由に不起訴。福島県民を中心とする福島原発告訴団による告発を経て、検察審査会が2度の「起訴相当」議決を出すことでこの裁判開始が決まった。裁判所の指定する検察官役の指定弁護士が起訴し、論告求刑を行う一方、退官した元検事が勝俣恒久元会長ら3被告を弁護する。攻守ところを変えた裁判は1審東京地裁、2審東京高裁とも無罪判決で、指定弁護士側が上告している。

 本書は、原発事故の責任が誰ひとり問われないまま、岸田政権が「史上最悪の原発大回帰」を進める政治情勢の中、この裁判の被害者代理人弁護士のうち2名の手によって出版された。最高裁での逆転勝訴が目的であることは言うまでもない。

 東電刑事裁判を取り上げた第1部では、Q&A方式や、2著者による対談形式を取り入れるなど理解しやすくしている。この裁判を難しいと思う人々もいるようだが、東電役員が『自社の専門家の「津波対策をやりたい」という提案に「やってくれ」と言いさえすればよかった』(本書P.23)ことを法廷で証明するのがこの裁判の本質である。津波対策を避けがたいものと捉え、実施を目指す現場の動きを無根拠にひっくり返し、中止させた経営陣(特に武藤栄副社長)の犯罪性は、指定弁護士側の証拠によって完全に論証されている。

 本書は、刑事裁判の「周辺」に位置する他の裁判にも言及している。2023年6月17日、最高裁は原発事故の賠償裁判で東電だけに責任を認め、国の責任を否定する不当判決を出したが、三浦守裁判官(元大阪高検検事長)は国の責任を認める反対意見を述べた。事実関係を精緻に分析し、判決文の形式を取った反対意見はほとんど前例がない。多数意見による判決文として世に出すつもりで、三浦判事と最高裁調査官らが「合作」したものではないかという話は、評者も多くの弁護士からこの間、聞いており、単なる海渡弁護士の個人的推測にとどまらない説得力を持つ。海渡弁護士は、調査官らのこの良識に訴える中から最高裁での逆転有罪を勝ち取りたいと意気込む。そのためには、エネルギー事情の変化の中で下火になってしまった法廷外の反原発運動をもう一度盛り上げることが必要だ。

 第2部から第3部では、原発推進派による隠蔽、ごまかし、開き直りの数々、そして被害者不在の「復興」にスポットを当てる。東電刑事裁判と一見、無関係のようにも思えるが、黒を白と言いくるめる「政治判決」をいくら積み重ねても、原子力ムラの暗黒を漂白することはできないと司法に思い知らせるための、2人の著者の意欲の表れと受け止めたい。原子力黎明期から今日まで連綿と続いてきた「無原則・無責任体系」の行き着いた先が福島第1原発事故だったことを証明するためには、スタート地点に立ち返っての根源的かつ徹底的な批判が必要であり、本書はそれに応える内容となっている。

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