安全問題研究会~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

公共交通と原発を中心に社会を幅広く考える。連帯を求めて孤立を恐れず、理想に近づくため毎日をより良く生きる。

当ブログのご案内

当サイトは列車の旅と温泉をメインに鉄道・旅行を楽しみ、また社会を考えるサイトです。

「あなたがすることのほとんどは無意味でも、あなたはそれをしなくてはなりません。それは世界を変えるためではなく、あなたが世界によって変えられないようにするためです」(マハトマ・ガンジーの言葉)を活動上の支えにしています。

<利用上のご注意>

当ブログの基本的な運営方針

●当ブログまたは当ブログ付属サイトのコンテンツの利用については、こちらをご覧ください。

●その他、当サイトにおける個人情報保護方針をご覧ください。

●当ブログ管理人に原稿執筆依頼をする場合は、masa710224*goo.jp(*を@に変えて送信してください)までお願いします。

●当ブログに記載している公共交通機関や観光・宿泊施設等のメニュー・料金等は、当ブログ管理人が利用した時点でのものです。ご利用の際は必ず運営事業者のサイト等でご確認ください。当ブログ記載の情報が元で損害を被った場合でも、当ブログはその責を負いかねます。

●管理人の著作(いずれも共著)
次世代へつなぐ地域の鉄道——国交省検討会提言を批判する(緑風出版)
地域における鉄道の復権─持続可能な社会への展望(緑風出版)
原発を止める55の方法(宝島社)

●管理人の寄稿
ローカル鉄道に国・自治体・住民はどう向き合うべきか(月刊『住民と自治』 2022年8月号掲載)
核のない未来を願って 松井英介遺稿・追悼集(緑風出版)

●安全問題研究会が、JRグループ再国有化をめざし日本鉄道公団法案を決定!

●安全問題研究会政策ビラ・パンフレット
こんなにおかしい!ニッポンの鉄道政策
私たちは根室線をなくしてはならないと考えます
国は今こそ貨物列車迂回対策を!

自社ビル内に日本原燃を入居させ、平然と紹介記事を書く「東奥日報」は日本一の原発推進御用腐敗新聞だ!

2019-03-30 23:59:05 | 原発問題/一般
原燃情報センター 来月開設前に公開 東奥日報新町ビル内(3月27日付け「東奥日報」)


青森県六ヶ所村で使用済み核燃料再処理施設反対運動を続けている関係者からもたらされた情報である。再処理施設を運営するのは国策会社である日本原燃という企業だが、その日本原燃の事務所がこの3月に移転。移転先がなんと、青森県の地方紙である東奥日報社の新町ビルというのだ。

今時呆れるほどのマスコミと原子力ムラとの癒着。福島第1原発事故の起きた3月に記事を掲載というのも凄い。まるで福島原発事故などなかったかのようだ。今後も堂々と原発、核燃サイクル推進を続けるという、ある意味すがすがしい宣言といえる。3.11を福島県内で迎えて以降、強硬な脱原発の立場を取る当研究会にはまったく理解不能だが。

原発広告と地方紙 原発立地県の報道姿勢」(本間龍・著、2014年、亜紀書房)によれば、東奥日報は日本一原発関連広告の多い地方紙である。さらに、今は脱退しているが、日本原子力産業協会に会員として加入(福島原発事故後の2012年時点)していたことを当研究会は確認している。メディアで日本原子力産業協会に加入していたのは、東奥日報、福島民報、福井新聞、三重テレビの4社のみ。現在もなお加入を続けているのは三重テレビのみだ(興味のある方は直接、日本原子力産業協会サイト内の会員名簿で確認できる。この協会のトップページは見ていると吐き気がしてくるので、あえてリンクは張らないでおく)。

「政・官・財・学・報」の5者による原発推進体制を表現したわかりやすい図表として、福島原発事故直後にずいぶん話題になった「原発利権ペンタゴン」という資料をネット上では今も見ることができる。改めて掲載しておこう。



自社ビル内に日本原燃を入居させる東奥日報はどこまで原発推進御用腐敗新聞に身を堕とすのか。双葉町の少女が原発事故直後に100ミリシーベルトの甲状腺被ばくをしていたことを東京新聞が情報公開請求で突き止め大々的に報道している間、原発事故の地元でありながら無視し続けた福島県内の2紙(福島民報、福島民友)も随分ひどいが、東奥日報はそれ以上だと思う。

ちなみに「少女被ばく問題」を無視し続ける福島県内2紙は、「原発事故の被災地である福島県において、県民の健康問題は非常に大きな課題だ。にもかかわらず、地元紙が触れないのは違和感しかない」として、同じ福島県の地元雑誌「政経東北」から批判されている(「少女被ばく問題」で地元紙の対応に違和感~政経東北2019年2月号「巻頭言」)。

原発立地県の地方紙は、どこも原発批判には及び腰の対応が続いており、そのことが地元で反対運動が抑え込まれる理由にもなっているが、それでもまだ「福井新聞」は、地元の反原発運動のリーダー的存在である中嶌哲演さん(明通寺住職)のハンストを取り上げるなど反対派にも配慮した報道姿勢がある。原発にとって不都合なことはたとえ事実であっても無視する福島県内2紙や、日本原燃を堂々と自社ビルに入居させる東奥日報は誰のためのメディアなのか。原発事故から8回目の3月を終えるに当たり、当研究会は改めて3紙に強く反省を促したい。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【金曜恒例】反原発北海道庁前行動(通算331回目)でのスピーチ/3・8国際女性デーに寄せて~ジェンダーと原発

2019-03-29 22:42:57 | 原発問題/一般
 皆さんお疲れさまです。

 1月は行く、2月は逃げる、3月は去るの言葉通り、今年も早くも4分の1が終わろうとしています。2018年度の金曜行動も今日が最後になりました。実はおととい、「シアターキノ」で「福島は語る」を見てきたのですが、その話は来週以降にするとして、今日は、3月中にお話ししておかないと賞味期限切れになりそうなテーマを取り上げます。それは「ジェンダーと原発」というお話です。

 少し前になりますが、3月8日は国際女性デーでした。ジェンダーや女性の人権問題を考える集会などが世界各地で開かれますが、今年、私が注目したのは3月9日付け「北海道新聞」の記事です。「女性管理職割合、道は43位 課長級以上6.1% 内閣府調査」という見出しで、北海道庁職員の課長級以上に占める女性の比率が全国43位であることを伝えました。47都道府県中の43位ですから、下から5番目ということです。女性知事がいながら情けない数字と思います。しかしそれ以上に私が気になったのは45位に福島がランクインしていたことです。下から数えて3番目、しかもその比率はわずかに5.6%に過ぎません。

 私は、福島がワースト3位、北海道がワースト5位という結果を見て、ひょっとして原発の建っている地域と女性の地位の低い地域には何らかの関係があるのではないかと思いました。ネット上にそうした資料が載っていないか調べましたが残念ながら載っていません。そこで、ないなら自分で作ってしまえ、と思い作ってみました。それが今日、皆さんのお手元にお配りした資料です。その資料を見ながら聞いてください。



 資料は、内閣府男女共同参画室が毎年公表している「女性の政治参加マップ」の2018年最新版です。知事、政令指定都市の市長、市区町村長、つまり自治体の公職トップや、都道府県議会、政令指定都市の議会、市区町村議会の議長、つまり議会のトップに女性がどれだけいるかが示されています。また、市区町村議会における女性議員の比率に応じて47都道府県が色分けされています。黄色が濃いほど女性議員の比率が高く、白くなるほど比率が低いという形で示されています。

 私が今回、行った作業は簡単なもので、この地図上で、原発のある道県に原子力マークをプロットしていく、ただそれだけですが、作業を終えたとき、あまりに結果が明瞭すぎてめまいがするほどでした。もう一度資料を見てください。原発があるのは北海道、青森県、宮城県、福島県、新潟県、石川県、福井県、茨城県、静岡県、島根県、愛媛県、佐賀県、鹿児島県で、全部で13道県。一方、市区町村議会における女性議員の比率が白、つまり「5%以上10%未満」は21県あります。驚くのはこのうち9県が重なっていることです。原発のある道と県が13しかないのに、そのうち9つが女性議員の比率が最も低い県と重なっているのです。これは偶然でしょうか? そんなことはありません。偶然にしては重なりすぎです。

 もうひとつ重要な事実を指摘しておきましょう。市区町村議会における女性議員の比率が最も低い「白」の県のうち、自治体トップにも議会のトップにも女性がひとりもいない県が秋田、岩手、福島、石川、島根、香川、大分、佐賀、長崎、熊本の10県あります。東北と九州に集中しているのは象徴的ですが、なんとこの10県のうち4県が原発立地県と重なっているという驚くべき結果が出たのです。福島がその1つであるという事実も見逃せません。女性の議員はほとんどおらず、自治体トップにも議会トップにも女性がひとりもいない県で原発事故は起きたのです。

 一方、1986年にチェルノブイリ原発事故が起きたウクライナでは、最高会議議長だったシェフチェンコさんという女性が避難の実施を強く主張しました。1986年5月7日、ウクライナ共和国政府で開かれた「子どもたちの疎開に関する検討会」で、国家水文気象委員会のイズラエリ議長とモスクワから送り込まれた「御用学者」が「避難の必要はない」と主張したのに対し、チェフチェンコさんは「同志イズラエリ、もしキエフにあなたの子どもや孫がいたら、あなたはどうしますか。同じように何もせず、この町で暮らせますか」と主張し1歩も譲りませんでした。

 この会議から2日後、ウクライナ共和国政府は子どもたちを避難させるという重大な決定をしました。事故から約2週間後の5月9日、奇しくもその日は旧ソ連にとって最も重要な祝日である「対独戦勝記念日」でした。ナチスドイツが連合国に降伏したのは1945年5月8日深夜ですが、ヨーロッパよりも東に位置するモスクワで、市民がナチスドイツ降伏の事実を知ったときにはすでに日付が変わっていたのです。ロシアでは今でも戦勝記念日のパレードは5月9日に行われています。

 話を元に戻しましょう。女性議員の比率が少ない県に原発が集中しているということ、女性議員の比率が最低で、女性の自治体トップも議会トップもひとりもいない福島で原発事故が起きたこと、ウクライナで、人口300万人の首都キエフから25万人もの子どもたちを避難させるよう強く迫り、実現させた最高会議議長が女性であったことを皆さんはどう考えますか? 政治の場、それも重要な決定ができる責任ある役職に女性を増やしていくことが、経済、「カネ」優先から「命」優先に政治を変えていく上で重要であるという事実を示しているように思います。高橋はるみ知事のような「名誉男性」ではなく、命を大切にしたいと願う普通の女性の普通の感覚を政治の場に送り届ける。そんな女性を権限と責任ある仕事に積極的に登用していくことが、原発をなくしていく上でも最も重要だと思います。

 さて、来週は、泊村で海水温を測定する活動を続ける斉藤武一さんのお話を聞いての感想、またおととい見た「福島は語る」の感想などを述べたいと思います。

注)ウクライナ・キエフでの子どもの避難については、「原発廃止で世代責任を果たす〜放射能汚染は害毒 原発輸出は恥~」(篠原孝・著、創森社、2012年)を参考にしました。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

北海道知事選/JR北海道問題をめぐって明らかになった両候補の姿勢

2019-03-27 20:49:12 | 鉄道・公共交通/交通政策
(この記事は、当研究会代表が「レイバーネット日本」に投稿した内容をそのまま掲載しています。)

いよいよ統一地方選が始まりました。

知事選では、保守分裂型の選挙や、多党相乗り候補と共産党系候補が戦う図式の選挙が多い中、最も注目を集めているのが、全国で唯一、与党系候補と野党統一候補の一騎打ちとなった北海道知事選です。

4期16年務めた高橋はるみ知事が引退、いずれも新人の石川知裕候補(小沢一郎衆院議員の元秘書、立憲、国民、共産、社民、自由推薦)と鈴木直道候補(前夕張市長、自民・公明推薦)が立候補しています。

最大の争点はJR北海道問題への対応でしょう。その次が泊原発再稼働問題、そして苫小牧市などが名乗りを上げているカジノ誘致(IR)問題です。

原発は英語でNuclear Power Plantであり、頭文字はRではありませんが、原発から出る放射線は英語でRadiation。これにJRとIRを合わせた「3つのR」が争点だと私は思います。

さて、昨年春、JR北海道の路線維持を求めて、わずか1ヶ月半で8万以上の署名を集めた「北海道の鉄道の再生と地域の発展をめざす全道連絡会」の主要構成団体のひとつであるJR北海道研究会を始め、道内沿線住民団体は、今回の知事選に当たり、両候補に対し、公開質問状を送って回答を求めました。その結果、両陣営から回答が寄せられましたので、その内容をご紹介します。

北海道民の皆さまは、この内容を参考に投票先を決めていただくようお願いします。

●根室本線の災害復旧と存続を求める会の公開質問状とこれに対する回答(PDF)

●石北本線ふるさとネットワークの公開質問状とこれに対する回答(PDF)

●JR北海道研究会の公開質問状とこれに対する回答(PDF)

なお、この回答を受け、JR北海道研究会は以下のようにコメントしています。

--------------------------------------------------
公開質問状への回答についてのコメント
 2019.3.20 JR北海道研究会


〇 鉄道の存続・再生の必要を主張する私たちの公開質問状に対して、両候補が正面から受け止め回答を寄せられたことに感謝する。両候補ともに鉄道の果たす役割の重要性を認め、地域の意見を尊重するという基本的な立場が表明されたと考える。

〇 質問1の原因と責任についての質問には、石川氏は国とJRの「責任」を指摘したのに対して、鈴木氏は人口減少とモータリゼーションが「原因」であると指摘し、JRの努力はうながしつつも国の責任についてはふれていない。責任と原因についてのこうした認識の違いは、将来、国に対して向き合うときの姿勢の違いに繋がる可能性があるのではないかと考えられる。

〇 質問2の地域発展と鉄道の関係について、鈴木氏はJRの重要性を認めつつも、必ずしも鉄道に限定せず地域交通のあり方等を幅広く検討するとしているのに対し、石川氏は少子高齢化・過疎化が進む地域社会を維持するための鉄道の役割を重視しており、鉄道を地域再生に生かすという視点が注目される。

〇 質問3の13線区と並行在来線については、設問が必ずしも明快でなかったため質問2と重なる部分が多かったが、石川氏が並行在来線について道がリーダーシップをとって議論を尽くすと回答したことが特に注目される。

〇 質問4の今後の鉄道存続の枠組みについて、鈴木氏は、経営安定基金の枠組みの問題点を指摘したうえで時代の変化に即した経営支援策の再構築を主張している。ただ、その支援策の内容が制度的枠組みに踏み込む考えがあるかは明示されておらず、もしなにがしかの一時的追加財政支援を国に要請するだけであれば、JR問題の解決は不可能であると危惧する。これに対して石川氏は、鉄道を公共インフラとして位置づけ、中長期的には国が「下」を持つ上下分離を展望するとしている。これはEU諸国の事例などもふまえた当研究会の基本的な提言と大枠で一致するものである。

〇 質問5の決意と展望について、鈴木氏は「検討・協議を早急に進める」とし、また鉄道とバスを同列において公共交通の利便性の向上を図るとしている。これは実質的に地域協議会に早急な決断を促し、バス転換を推進することに帰結するのではないかとの危惧を禁じ得ない。これに対して石川氏は「地域交通網形成計画」策定し、市町村と連携して鉄道の存続と活用をめざすと述べており、基本的な立場の違いが示されていると考える。

〇 全体を通じて
1.鈴木氏の立場は、必要な鉄道は残すとしながらも、公共交通は必ずしも鉄道でなくてもよいという立場であるのに対して、石川氏は北海道の地域の将来のためにも鉄道を生かしてゆくべきだと主張している。

2.すでに述べたように、部分的な追加財政支援だけでは北海道の鉄路の維持は困難であり、鉄道に関する持続的な制度的枠組を国に求めていくことが北海道知事のもっとも重要な役割であると考えるが、この点について具体的に述べたのは石川氏のみであった。
--------------------------------------------------

<この他参考資料>

●「北海道の鉄道の再生と地域の発展をめざす全道連絡会」ホームページ

●「こんなにおかしい!ニッポンの鉄道政策」パンフレット(安全問題研究会)

●2月20日、北海道浦河町で開催された「今だから、ちゃんと話そう。日高線」集会で寄せられた日高線存続を求める発言「JR日高線を守る会」ブログ記事より)

●JR根室本線の早期災害復旧と路線維持を求める十勝集会~「廃線になると町は死ぬ」

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

たった1人の反乱が揺るがした「24時間営業問題」 半世紀迎え、曲がり角に来たコンビニ業界

2019-03-25 22:24:42 | その他社会・時事
(この記事は、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2019年4月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 東大阪市のコンビニエンス・ストア、セブン・イレブンの店主が、人手不足を理由に2月1日から24時間営業の休止に踏み切ったところ、セブンイレブン・ジャパン本部から契約解除に加え1700万円の“違約金”を請求された、として各メディアが一斉に報道。最近の“働き方改革”の風潮にも乗る形で一気に社会問題化した。

 日本全体の人手不足化が進む中で、低賃金・長時間労働の象徴的存在であるコンビニには学生バイトはおろか、一時期主流を占めた外国人労働者ですら集まらなくなり、オーナーが身体を壊す極限まで働き続けなければならないという実態の一端が明るみに出たといえるが、一方、半世紀近くの間、24時間営業が当たり前と思われてきたコンビニ業界がその慣行を見直す千載一遇のチャンスが到来したといえよう。背景には約半世紀にわたって日本社会が見て見ぬふりを続けてきた構造的問題もちらつく。今回は、便利さと引き替えに日本社会のあらゆる矛盾も一手に引き受けることになったコンビニ問題の一端に迫ってみたいと思う。

 ●日本初のコンビニは営業時間も「セブン・イレブン」

 今から半世紀近く前の1970年代、日本初のコンビニエンス・ストアは朝7時に開店、夜11時に閉店する形態で営業を始めた。若い方はご存じないかもしれないが、今なお「セブン・イレブン」と呼ばれるのは開業当初のこの営業時間に由来している。当時、毎週土曜日夜8時から放送されていたTBSテレビの伝説の人気番組「8時だヨ!全員集合!!」(ドリフターズ主演)で、教師役のいかりや長介さんが「英語で1から10まで数えてみろ」と出題。志村けんさんなど生徒役のメンバーが「ワン、ツー、スリー、……」と数え始め、「セブン、イレブン、いい気分、開いててよかったー」と数えたところで、いかりや長介さんが机に激しく頭を打ち付けるギャグをご記憶の方も多いだろう。スーパーや酒屋などの個人商店のほとんどが夜7~8時頃までには閉店する時代だったから、当時はこの営業時間でも画期的だったのである。

 その後、福島県郡山市のセブン・イレブンで初の24時間営業が開始。その結果が好調だったことから、24時間営業は他店にも徐々に拡大。少なくとも筆者が学生だった1990年代までには24時間営業はコンビニの代名詞になった。かつての配給制や専売制度の名残で営業に免許や許可が必要だった酒屋などの個人商店の店主が相次いでコンビニに業態転換していったのもこの頃である。世はバブル経済真っ盛り。日本の平均年齢も大幅に若かったから、24時間営業体制のコンビニが人手に困る時代でもなかった。コンビニエンス・ストア(直訳すると「便利な店」)の名の通り、圧倒的な便利さで日本社会に急速に根付いていった。

 ●新自由主義の時代に

 コンビニが24時間営業体制の下、拡大の一途をたどった2000年代はまた新自由主義の猛威が吹き荒れた時代でもあった。それでもまだ日本の平均年齢が若く、量的拡大の余地が残されていたコンビニは拡大スピードを鈍らせながらも、既存店の売り上げ減を新規出店でカバーしながら拡大を続けた。新自由主義的「構造改革」路線の下で、労働者の大量解雇が起こった際には、非正規労働者の雇用の受け皿としてコンビニが大きな役割を果たしたことも事実である。低賃金・長時間労働というきわめて低質な雇用ではあったが、首切りで急場をしのがなければならない大量の労働者の存在によって、24時間営業の維持自体は可能だった。

 団塊世代の大量退職によって、2010年代に入ると日本経済は一気に人手不足に転じた。それでもコンビニは、労働力を若者から高齢者、次いで外国人に求めながらなんとか24時間営業を維持してきた。しかしそれも不可能になり、ついに現場から悲鳴が上がり始めたというのが最近の事態なのである。

 バブル経済のちょうど入口にあたる時代(1980年代末)の国鉄分割民営化から始まった新自由主義の猛威の中、公務員バッシングが横行。公務員削減と並行して行政サービスはどんどん切り縮められ、民間委託されていった。そのような行政サービスの受け皿になったのもコンビニだった。郵便局が担っていた小包サービスもコンビニが拠点になり、やがて住民票の発行など、自治体の基幹業務さえコンビニが担うようになった。コンビニが「重要な社会的インフラ」と認識されるようになったのもこの頃である。もし筆者が「コンビニにとって24時間営業が後戻りできなくなったのはいつ頃だと認識するか」と聞かれたら、この頃だと答えるだろう。

 深刻なトラックドライバー不足で「物流崩壊」「宅配危機」が叫ばれ始めた1~2年ほど前、日本の宅配物流量の約2割を不在再配達が占めるという状況が明らかになった際には、識者と呼ばれる人々までが「コンビニは24時間開いているのだから、そこで受け取れるようにすればいい」と安易なコンビニ物流拠点化を主張するという出来事もあった。さすがにこの主張に対しては「コンビニは物流センターではない」「商品の在庫を置くスペース以外に宅配便の荷物を一時保管するスペースまで設けなければならず、現実的でない」との反対論が出て立ち消えになった。実際、「不在再配達」は独身・単身世帯の集中する都市部で多く、そのような地域ほど用地も不足しているから、不在世帯の宅配便荷物を保管するためだけにコンビニが新たな場所を確保することは無理な相談だった。

 ●夜の治安維持までコンビニにやらせるニッポン

 コンビニが日本で営業を始めた当時と比べて大きく社会情勢が変わった面もある。約半世紀前、夜勤をするのは主に交代制の工場労働者など男性がメインで、女性はそもそも深夜労働が原則として禁止されていたから、深夜に街を歩くのは深夜労働禁止の例外である医療関係者や、繁華街のいわゆる「夜の仕事」の従事者などごく一部の職種の人に限られていた。だが製造業が衰退する一方で、医療や福祉などの対人サービス業が拡大。それに合わせて女性の深夜労働禁止の原則が撤廃された結果、多くの女性労働者が福祉施設等で夜勤などの変則勤務をするようになったという日本の産業構造、雇用構造の変化も見逃せない。本人の意思とは無関係に、仕事上、どうしても夜の街を歩かなければならない女性の数は飛躍的に増えたのである。

 半世紀前であれば、少し大きな駅に行けば、国鉄が貨物や小荷物を扱っていて、そうした仕事は旅客列車の走らない時間帯がメインだったから、多くの国鉄職員が深夜でも仕事をしていた。駅には鉄道公安官もいて、深夜に身の危険を感じても、駅に駆け込めば警察官代わりになってくれることもあった。郵便局でも「特定集配局」は深夜まで仕事をしていた。電電公社(若い読者のために「NTTの前身」と注釈を付けなければならない時代になった)でも深夜の通信トラブルに備えて電話局には職員がいることが多かった。さすがに市町村役場の窓口は閉まっているが、多くの公務員が深夜の街を見守っていた。

 だが、半世紀後の現在、夜行列車がなくなり、貨物列車も大幅に削減されたJRの駅は夜になると閉まってしまう。ここ数年は大都市周辺の駅でも無人化が進んでいて深夜はおろか日中でも無人ということが珍しくない。郵便局も集約が進んだ。警察でさえ本部、本庁中心の組織に再編され現場が軽視されるようになった結果、地域の交番は次第に無人の時間帯が拡大している。その結果、夜道を歩いていて身の危険を感じても駆け込む先が「民間企業」のコンビニしかないという状況が、すでに日本のほとんどの地域で当たり前になっているのである。

 訳知り顔で「コンビニは重要な社会インフラ」として24時間営業継続を主張する自称「識者」たちは、住民票の発行や夜の治安維持までコンビニという「民間企業」に負わせる社会が健全といえるかどうか、寝ぼけているなら顔を洗って再考すべきだ。公務員削減と引き替えに、諸外国なら国や自治体が担って当然とされてきた業務の多くがコンビニに押しつけられてきた結果がこの事態を招いたのである。

 外交と治安維持だけが政府の仕事と考えられていた福祉国家登場以前の時代、そうした国家は「夜警国家」と呼ばれたが、新自由主義が貫徹しすぎて治安維持もやらなくなった国家を私たちはなんと呼べばいいのだろうか。安倍政権が米国トランプ政権から最新兵器をいくら「爆買い」したところで、足下がこんな状況では国民の生命も財産も守ることなどできない。

 ●いつまでもコンビニに甘えず、公共サービス再建を

 こうして考えてみると、私たち日本人は、あまりに便利すぎるコンビニに甘えすぎていたのではないか。「彼らなら何とかするだろう」と面倒ごとはすべてコンビニに押しつけられてきた。コンビニは川の河口と同じで、日本社会の上流~中流域から流れてきた歪みや淀みが最後にたどり着く場所として、この半世紀の日本の矛盾をほぼ引き受けてきたのである。

 夜勤労働者など、どうしても生活をコンビニに頼らなければならない人々も一定数いるから、24時間営業をいきなり全面廃止することは困難かもしれないが、現在、コンビニがやっている業務の多くはコンビニでなくてもよいものばかりである。行政サービスとして「公」の分野で行われるべきものも多い。行き過ぎた新自由主義を転換し、現場の破綻を防ぐ意味からも、コンビニに押しつけられた多くの行政サービスを「公」に戻していくことが必要な時期に来ている。住民票の発行や宅配便の受付などの業務はその筆頭であり、こうした業務からは思い切って撤退してもいいのではないか。

 こうしたことを主張すると、「住民票の発行などはコンビニに備え付けの端末ででき、店員の手を煩わせるわけでもないのだから撤退を主張するのは便利さの否定であり行き過ぎだ。深夜にしかコンビニに行けない人々もいる」などと反論してくる自称「識者」が必ずいる。だが、労働者を保護するためは「便利さの否定」が一定程度必要である。それに、安倍政権がわざわざ上からの「働き方改革」(その多くはニセ物だが)を提唱せざるを得ないほど長時間労働是正が進まなかった日本で、深夜にしかコンビニに行けないごく一部の人々のために社会全体が不利益を甘受しなければならないというのもおかしい。毎日深夜にしか帰れない労働者がいるなら帰れるようにするのが企業、労働運動双方にとっての最重要課題なのであって、それにはまず「早く帰れないと買い物もできず生活が成り立たない」という状況を作り出して外堀から埋めるのもひとつの方法である(こうした手法に対しては、順序が逆だという批判が出る恐れもあるが、台風などの自然災害でも全員に出社を強制、どんな状況でも改善が進まなかった日本企業の文化が鉄道会社の「計画運休」導入によって変わり始めたように、「外圧」のほうがむしろ効果的な場合もある)。

 最も重要な論点は、コンビニ店員の手を煩わせる必要がないからといって行政が本来自分たちのやるべき仕事から逃げ、関知しなくてもよいとする主張自体が議論の本質からして間違っていることである。筆者が求めているのは「誰がやると便利か」ではなく「誰がやるべき仕事なのか」というきわめて本質的な議論だ。

 東大阪市のコンビニ店主、松本実敏さんがたったひとりで始めた24時間営業休止の「反乱」は大きな反響を呼び、社会問題としてクローズアップされた。たまたまこの時期に重なった「コンビニ店主に労働者性を認めるかどうか」の審判で、中央労働委員会は労働者性を否定する反動的な判断を示した。だが、マルクスの考えが今なお普遍性を持っているなら、社会のあり方を決めるのは生産様式、生活様式など下部構造としての「経済」である。そこでの「人手不足」、そして、日本国内のコストが高ければ海外移転できる製造業中心から、コストが高くても海外移転ができないサービス業中心への産業構造の転換という流れが変わらない限り、労働力の「売り手」である労働者、店主側が有利という状況は今後も当分の間、続くに違いない。労働者、店主側は有利な状況を最大限利用し、今のうちに24時間営業の全店舗への強制を緩和させる方向へ闘いを続けるべきだろう。

 筆者が現在生活している北海道では、コンビニの最大手は「セイコーマート」だが、セイコーマートは最初から24時間営業の全店舗への強制などしておらず、昨年3月まで生活していた日高管内新ひだか町では24時間営業のセイコーマートを探すほうが難しい状況だった。セブンイレブン・ジャパン本部は「24時間営業をやめれば昼間の売り上げも下がる」などと具体的な根拠やデータさえ示さないまま強弁を続ける。だが24時間営業を強制していないセイコーマートが、本土系コンビニ各社を抑えて北海道でシェア1位という事実をどのように考えるのか。店主たちを締め付ける前に、自分たちのしているサービスが本当に顧客の求めるものと一致しているのか、行政の下請けとなって安易に便利さを強調するだけの商売に堕していないか再検討すべきだろう。

 いずれにしても、コンビニで当たり前とされてきた「全店舗共通24時間営業体制」は明らかな曲がり角に来ている。たったひとりで問題提起に立ち上がった松本さんは「アリと象の闘い。自分ひとりだったら踏みつぶされていたし、相手は踏んだことにすら気がつかなかっただろう」と語る。「アリと象の闘い」という言葉は、これまで労働争議の世界では何度も聞かれてきたし、沖縄でもよく聞かれた。だが、気づかれることなく踏みつぶされるアリにも五分の魂がある。多くのコンビニ店主を勇気づけた松本さんの闘いが実るよう、労働運動業界の片隅に身を置くもののひとりとして、できることは惜しみなくしていきたいと考えている。

(黒鉄好・2019年3月24日)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【金曜恒例】反原発北海道庁前行動(通算330回目)でのスピーチ/去りゆく高橋はるみ知事へ贈る言葉

2019-03-23 11:57:12 | 原発問題/一般
 皆さんお疲れさまです。

 昨日、いよいよ北海道知事選が告示されました。高橋はるみ知事、あなたの任期もあとわずかを残すのみです。そこで今日は、昔流行った歌の歌詞ではありませんが、去りゆくあなたへの贈る言葉を申し上げたいと思います。

 私は、札幌に来る前の静内時代も含め、この道庁前行動に40回ほど参加をしてきましたが、この道庁前行動も、脱原発の実現そのものも、主役はここに参加していらっしゃる皆さんだと考えてきたので、参加者の皆さんのほうを向いてスピーチするように心がけてきました。その結果として、道庁にも、そして北海道政トップのあなたにも常にお尻を向けて話す形になってしまいました。そんな私の失礼をまずお詫びしなければなりません。

 でも、そんな私にも言い分があります。私があなたにお尻を向けて話をしてきたのは、あなたが私たちに振り向いてくれないからです。人は自分のほうを振り向いてくれる人に興味を持つことは、様々な実験で明らかにされています。自分のほうを振り向いてくれない人には、どうしても自分もお尻を向けててもいいや、と思うようになっていきます。人間とはそんなものです。

 あなたが道政トップの知事を務められていた間、北海道はまさに失われた16年としか言いようがありませんでした。道庁職員の給与を引き上げるよう人事委員会が勧告しても完全実施せず、自分だけはしっかりと高い給与を受け取ったことは自分に甘く、他人に厳しくあるべき公務員としてまさに模範的行動です。

 あなたは前の知事から「試される大地」というキャッチフレーズを引き継ぎましたが、まさか私たち道民があなたに試されることになるとは夢にも思っていませんでした。銀行も、JRなどの鉄道路線も、そして地方からは人口までじわじわと減ってゆき、北海道はすっかり試されすぎてダメになった大地へと姿を変えていきました。

 あなたを支持する人の支持理由1位は「目立った失策がない」で、あなたを支持しない人の不支持理由1位は「目立った実績がない」でした。この評価は表裏一体のものであり、支持する人もしない人も、あなたが何もしていないという点では意見が一致していました。

 公務員の世界は減点主義と言われます。先に失敗をした人から減点されて出世レースを脱落してゆき、最後に残った1人がトップになる。そんな世界で生き残るには減点されないこと、減点されないためには失敗をしないこと、そして失敗しないためには何もしないことが一番です。あなたは知事として、この公務員の掟に忠実に従い、ついに16年間何もしないで乗り切りました。並大抵の努力でできることではありません。公務員が定年まで無事に勤め上げる秘訣は「休まず遅れず働かず」だといわれた時代もあります。今からほんの20~30年前までそんな時代だったのです。もし時代がもう少し古ければ、あなたは模範的公務員として表彰されていたと思います。

 原発・電力政策でも、あなたの「休まず遅れず働かず」ぶりは遺憾なく発揮されました。昨年9月の胆振東部地震で全域大停電(ブラックアウト)が起きた原因が、発電量全体の4割を苫東厚真火力発電所だけに依存するという、極端な電源集中政策にあることがこの間、明らかになってきました。しかし、それでもあなたは何もせず、苫東厚真への電源一極集中を放置し続けています。大停電が起きたのが、道民にとって冷暖房が要らない秋だったことは不幸中の幸いでしたが、もしこれが真冬の猛吹雪の時に起きていたらどうなっていたでしょうか。ホワイトアウトにブラックアウトなんてシャレにもなりません。そんな事態を招いたあなたを私は一刻も早くノックアウトしたかったのですが、その望みもかなわないままタイムアウトを迎えてしまったことが残念でなりません。

 あなたは昨年12月22日、「公共交通の利用促進に向けた道民キックオフフォーラム」の席上で「来年からは中央に行くので楽になる」と仰いました。まだ国会議員に当選してもいないのに当選後を見据えるなんて、すばらしい先見の明をお持ちだと思います。何よりも私が感動したのは、道内経済界や企業経営者、そして道民の皆さんが大勢いらっしゃる公開の場で堂々と「楽になる」と仰るその度胸と図太い神経です。せめてその度胸、図太い神経の半分でも私にあれば、違った人生が開けていたと思います。北海道を出て行く前に、あなたのその図太い神経の一部をお土産として私たちに残していただけるようお願いしたいと思います。

 中央に出られても、あなたは模範的公務員として「休まず遅れず働かず」を貫かれることでしょう。閣僚にもならず、自民党の役職にも一切就かず、質問もせず、政府与党提出法案の「自動賛成マシーン」として働くのは、あなたに最も合った、まさに天職だと私は思います。採決のたびに立ったり座ったりを繰り返すのは、スクワットをするのと同じできっと健康にもいいと思います。国民の税金を使って、国会議事堂でスクワットをして身体を鍛えていただき、長生きをして、何もせずに道民の税金からたっぷりもらった知事の報酬に続き、国会議員の報酬も国民の税金からたっぷり受け取っていただきたいと思います。

 さて、今度の知事選挙、争点は泊原発再稼働、そして鉄道の路線問題とカジノ誘致問題です。略すとJRとIR、そして原発は英語ではNewclear Power Plantですが、原発から出る放射線は英語で言うとRadiationです。JRとIRとラジエーション、つまり3つのRが争点だと、私はあえて申し上げたいと思います。

 私たちは、泊原発もカジノも要らない、そしてJRの路線は残して道の将来のため活用していくと言ってくれる人を知事にするため全力を尽くします。新しい知事のやることがあまりにひどすぎて、「これでは何もしないだけまだ高橋はるみさんの方がよかったよね」と知事選後わずか2~3ヶ月であなたのことを懐かしく思い出す……そんな事態にだけはならないようにしたい。それが今、この道庁前にいる人たち共通の願いだと思います。そのために皆さんとともに頑張ります。高橋はるみさん、最後まであなたは振り向いてくれませんでしたが、最後にちょっとだけ道庁に顔を向けたいと思います。私からの最後の言葉、聞こえましたか?

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福島「エートス」首謀者を人物紹介に堂々登場させた北海道新聞

2019-03-18 22:17:48 | 原発問題/一般

ここで紹介したのは、2019年3月15日付け北海道新聞「ひと」欄(人物紹介欄)だ。

たかが「ひと」欄とはいえ、よりにもよってこんな人物を堂々、登場させるとは北海道新聞の今さらながらの不見識にあきれる。この人物は、被ばくを受け入れ、放射能汚染後の福島でも楽しく生きようと主張する福島「エートス」運動の首謀者だ。いわき市で「自営業」(造園業)として生活している。

3.11直後から、ICPR(国際放射線防護委員会)第4委員会委員長にして、被害者を汚染地に留め置くことを推奨するICRP勧告No.111(原子力事故または放射線緊急事態後の長期汚染地域に居住する人々の防護に関する委員会勧告の適用)の主筆であるジャック・ロシャール氏を招き、いち早く放射線勉強会を連続開催。わずか数ヶ月で福島世論を「制圧」、健康被害の話をできなくさせた「A級戦犯」に等しい人物だ。

本人は政治的背景のない「一介の植木屋」などとうそぶいているが、その素早く組織だった動きはとても素人とは思えない。福島の一植木屋がどうして原発事故発生後数ヶ月でICRP第4委員長を招請などできるのか。明らかに大きな力が働いているとみるべきだろう。

もちろん、放射能汚染されたからといって誰もが行政の支援のない状態で避難できるわけではない。事故後8年を経て、被ばくよりも周囲との人間関係や社会的生活基盤を断ち切られることの方がかえって死を早める例も報告されている。そうした人にとっては避難より帰還、福島に残って被ばくと折り合いをつけながら暮らすという選択のほうが有効なケースもあろう。ICRP勧告No.111も、本来はそうした選択をした人々を、せめて最悪の事態から少しでも救うことを目的として制定されたものと解釈すべきである(そうした人々のために防護基準を定めたNo.111のような勧告は、ないよりはあった方がましとは思うが、当ブログにとってのNo.111の位置づけはその程度であり、汚染地からの避難移住に優先すべきものではない)。

しかし、そうした選択が行われる場合であっても、それは被ばくを許容範囲(安全と同義ではない)とする意見、許容できない(危険とほぼ同義)とする意見の両方に関する十分な情報を与えられた上で、福島県民ひとりひとりが熟慮に熟慮を重ねて導き出した結果としてのものであるべきだろう。国際原子力ロビーの中心に位置し、さんざん原発を推進してきた「加害者」であるICRPを招請して、異なる意見を踏みつぶしておいてから加害者目線で「安全だよ」とうそぶく、エートスのその強圧的で汚いやり口が許せないのである。

もし福島のエートス運動関係者がここを見るようなことがあるなら警告しておく。当ブログ管理人を説得などしようとしても無駄である。エートスは忌むべき対象であり悪魔の言葉である。加害者や、加害者を仲間に引き入れる者が発するいかなる言葉も私は信じない。信じるのは被害者とともに歩み、最も弱い立場に置かれた被災者と苦楽をともにする者の言葉だけである。

-------------------------------------------------------------------
<参考記事>

上の記事を読んだとしても、エートスがなぜ危険なのかわからない、という方も大勢いらっしゃると思う。そんな皆さんにとって役に立つのが以下の記事である。参考として紹介する。

(核の神話:25)内部被曝を認めぬ主張、今も福島で(朝日、2016年4月28日付)

チェルノブイリ原発事故後のベラルーシと現在の福島で、「エートス」プロジェクトを指揮するジャック・ロシャール国際放射線防護委員会(ICRP)副会長は「あなたもジャーナリストだったら現地へ行って村人の話を聞くべきだ」と促した(「核の神話:24」で紹介)。現地取材に基づく著書「チェルノブイリの犯罪」(緑風出版から邦訳)や映画「真実はどこに」(ネット上で公開)といった作品があるジャーナリストのヴラディーミル・チェルトコフさんは、チェルノブイリ後、子どもたちを無用に被曝(ひばく)させた「犯罪」が福島でも繰り返されかねないと告発する。3月に広島、兵庫、京都、東京で講演したチェルトコフ氏にインタビューした。



――原発事故から5年、福島でも166人の子どもが甲状腺がん(悪性または悪性疑い)と診断されました。

 「チェルノブイリと福島は同じような事故ではない。チェルノブイリは10日間の火事の間に放射性核種があちこちに拡散してしまった。福島は短時間に何度か爆発が起きたが、それで終わった。放射能は出たけれども、放射性物質の拡散はチェルノブイリと全く同じだというわけではないと思う。どういうふうに違うのかは科学者がきちんと調べる必要があるだろう」

 ――科学者たちは「福島はチェルノブイリとは違う」といい、医師たちも「低線量被曝(ひばく)と福島の人々の健康被害との因果関係は考えにくい」と言います。一方、ICRP副会長でフランスのNPO原子力防護評価研究所(CEPN)ディレクターのジャック・ロシャール氏は福島に頻繁に入って、ベラルーシで実践した「エートス」の活動を広めています。

 「ICRPやIAEA(国際原子力機関)は『福島はチェルノブイリと違う』と言うことによって、低線量被曝の影響さえも消去しようとしているのだろう。いわゆる強い放射線による外部被曝の問題と違い、毎日毎日少しずつ摂取せざるをえない環境に置かれる問題は、チェルノブイリであれ福島であれ、いずれにしてもセシウムが体内に入って長く慢性的に摂取することによって細胞が傷つけられ、一種の臓器の崩壊現象が起こってくる。そういうことが、チェルノブイリでも福島でも起こりうる。違いをいくら強調したところで、低線量被曝の問題を否定することはできないだろう」

 「私のドキュメンタリー映画『真実はどこに』で、2001年にキエフで開かれた世界保健機関(WHO)後援の『チェルノブイリの健康影響に関する国際会議』の模様を撮影することができました。IAEA、UNSCEAR(国連科学委員会)、ICRPの代表者らと、科学者や現地の医師らが大論争を繰り広げます。当時のUNSCEARのゲントナー事務局長は『内部被曝と外部被曝を分けるのはナンセンスだ』とはっきりおっしゃっている。彼らの主張は、外部被曝だけが健康に影響があって、内部被曝は考慮するにあたらないと言いたいわけです。原子力を推進する国際機関や原子力ロビーは内部被曝というものが実証されると非常にまずい。自分たちの生き残りの問題になってくるので、どうしても否定したい。さらに、低線量被曝が慢性化して健康が悪化してくることを認めて、(ベラルーシでベルラド研究所のネステレンコ氏が導入した)ペクチンが効くということを認めてしまうと一大事になってしまう。ベラルーシの何十万という子どもたちに毎日ペクチンを与えなくてはならないとなると、経済的にも大変なことになるし、原子力が人間の体にいかに悪い影響を与えるかの証明になってしまうのもまずい。だから、あの会議の時点では、内部被曝を認めることは絶対にできなかったのだろう。その主張は今も福島で続いている」

 「とりわけ、ペクチンがベルラド研究所によって使われて、かなりの効果を上げたことを一生懸命否定して、そういう資料を一切見ることを拒否する。これはおかしいことであって、人間は日常生活の中でもリンゴや海草を食べてペクチンを摂取し、体を自然に浄化している。それなのに、それを否定して内部被曝がないことにしようとしていること自体がおかしい」

     *

 ――ロシャール氏とベルラド研究所の関わりは。

 「当初はネステレンコ氏が立ち上げたベルラド研究所と、そこにやってきたロシャール氏のエートスは協力しようとしていたが、ある時期から、いきなりエートスはペクチンを拒否し、ペクチンを配給するための財政援助は一切しないという形になった」

 ――エートスが活動したベラルーシのオルマニー村について、ロシャール氏は「あなたもジャーナリストだったら、現地に行って村人に聞くべきだ」と言いました。実際にご覧になっていかがでしたか。

 「オルマニー村に行ってみたらいいというロシャール氏の提案は、本当にいいことかもしれません。彼にとっては悪いことになるかもしれないですが。現地の医者や誠実な科学者に案内してもらえば、本当のデータがもらえるかもしれません」

 ――ロシャール氏によると、オルマニー村の隣の村はダメだそうです。

 「UNSCAERのゲントナー氏も、ICRPのロシャール氏も、国際機関で働いている、いわゆる事務官僚です。組織間の調整をして、原子力推進の方向に持っていくということにはたけているが、科学者ではない。あたかも科学的な根拠を持っていて、それを証明できるかのように語る。だけど、自分たちは何の科学研究もしていないし、資料を集めて現場に持っていくかもしれないが、すべてのことを論理的、科学的、医学的に説明できる人たちではない」

 ――ロシャール氏はフランスの原子力産業から資金をもらっていることを否定しませんでした。原発事故による被曝で困っている人々に身を守る術を教えること、彼のいうところの「放射線防護文化」を普及させることの何が悪いのか、と。故郷に帰りたいと願う福島の人々の心に、これは響くようです。

 「彼らが原子力ロビーからお金をもらっているかどうかが問題なのではなくて、彼らの考え方自体が問題です。放射線の影響が体に出ても、彼らは医療的な側面を全部カットしている。治療はしないのです。福島でも流行語になっている『レジリエンス(回復力が強い)』の精神で、とにかくがんばろうという考え方によって、あたかもこの事故は天災か自分が起こした事故であるかのように、自責の念さえ持たせてしまう。受忍を強要する。最後は、自分で自分を責めてしまう。そういう考え方のマニピュレ-ション(操作)をやっている」

 ――原発事故が起きても放射能の罪を免罪して原子力を維持・推進しているということですか。

 「その通りです。住民は放射能のことなんて知らない。さらに郷土愛を利用して、故郷に居続けられるよう私たちはそれを支えますと言う。しかし、医療関係のことは何もしない。ベラルーシでエートスの後に行われたコール・プロジェクトは被災者に自責の念を押しつけるものでした。自分で責任を持って、とにかく何とかやっていきましょう、と」

 「ベラルーシのルカシェンコ大統領も今、原子力推進の立場をとっていて、汚染地に住民を戻そうとしている。しかし今年に入り、原発から300キロも離れたミンスクの小学校で2人の少女が心臓疾患で亡くなったら、ベラルーシの保健当局は子どもたちに定期的に心電図をとらせることを決めた。政治のトップがいくら原子力を推進しようとしても、足元の現場ではチェルノブイリ事故の影響が続いていて、医師たちが歯止めをかけている」

     *

 ――福島では、年間20ミリシーベルト以下の場所への帰還を促しています。また、子どもたちに線量計を持たせて、外部被曝線量を測るプロジェクトも行われているようです。

 「子どもたちの本当の線量を測りたいんだったら、ガラスバッジのような線量計は意味がない。ホールボディーカウンターで体全体の線量を測る必要があるだろう」

 「国際機関が因果関係を認めたのは外部被曝にまつわる病気のみ。ベラルーシでも、甲状腺がんが多発して初めて認めた。当初は原発事故とは関係ないという論調だったが、多発が否定できなくなってから認めていくという経過だった。甲状腺がん以外にも様々な病気が出た」

 ――鼻血はどうでしたか。福島では「鼻血が出た」と言うだけで「放射能と関係ないのに、そんなことを言うな」とバッシングされるようですが、日本の特殊事情でしょうか。

 「私の著書『チェルノブイリの犯罪』の第1部で、(チェルノブイリ原発から68キロの)小学校の場面が出てきますが、鼻血は日常茶飯事です。チェルノブイリ事故の健康影響報告書をまとめたロシアの生物学者ヤブロコフ氏も放射能によって鼻血が出ると認めています」

     *

 ――日本では、ロシャール氏はCEPNではなく、ICRPの帽子をかぶっています。

 「(ロシャール氏は)フランスの原子力ロビーの中では尊重されていますが、反原発団体からは批判されています。ただ、一般市民にはほとんど知られていないでしょう。フランスのルモンドやリベラシオンといった主要紙が彼をインタビューして取り上げることはありません」

 ――ロシャール氏は福島での活動について「次の原発事故に備えるため」と明言しました。欧州では、そういう考え方が受け入れられるのですか。

 「人類滅亡にかかわるような原子力過酷事故への備えとしては、それなりの貢献があるのかもしれないが、ロシャール氏の場合はフランスのロビーのために立ち回っているだけです。フランスでは国策として原子力が推進され、核兵器を持ち続けている。原子力がないと社会が成り立たないんじゃないかと思ってしまう人が大半だろう。だが、アレバ社は経営危機に陥り、原発の管理はフランス電力公社に譲ってしまった。それでも、フランスは核産業と結びつく原子力から撤退することは当面ないでしょう」

 ――日本でも原発維持・推進派の「安全」が声高に叫ばれ、原発事故後に子どもが鼻血を出したお母さんたちは心配でも口をつぐんでいる。市民が真実を見極めるにはどうすればいいでしょうか。

 「その質問を受けて頭に浮かぶのは、犠牲になった子どもを持つ母親たちの困惑した表情です。彼女たちは、被害を受けた子どもや自分自身のことが良くわかっている。男性の場合は、生活費を稼がなきゃいけないとか、ローンを返さなきゃいけないとか、社会的な枠の中での義務感や使命を感じてしまいがちです。現実に起こっている自分の健康被害や子どもたちの鼻血の苦しみにはなかなか敏感に反応しない。女性はそれを毎日見届けていて、そのことを実感している」

 「何か世界が変わるためには、一点、しっかりと支える場所があれば、ぐっと回転させることができる。支えがなければ回転できない。その支えになるのは、実感している女性たちでしょう。女性たちが本当のことを言えば、社会は変わるかもしれない。希望は福島と福島以外の被災した女性たちの声。これこそが日本社会を変える武器になるでしょう」

 「チェルノブイリの後、ネステレンコ氏もいろいろ苦しんで、体制から弾圧され、殺されかかったけれども、多くの女性たちが共感して彼を支えた。医者であり母親であり、現実を見たベラルーシの女性たちです。彼が女性を選んで連れてきたわけじゃなくて、自然にそういう状態が生まれたのです」

     ◇

 Wladimir Tchertkoff ジャーナリスト、ドキュメンタリー作家。1935年、ロシア移民の子としてセルビアで生まれる。イタリア国籍。スイスやイタリアのテレビ局ディレクター。チェルノブイリ原発事故処理にあたった作業員のその後を描いたドキュメンタリー映画「サクリフィス」でイル・ド・フランス(パリ首都圏)環境映画祭最優秀映画賞(04年)。

     ◇

 たいなか・まさと 中東アフリカ総局(カイロ)、米ハーバード大客員研究員(フルブライト・ジャーナリスト)などを経て、核と人類取材センター記者。(核と人類取材センター・田井中雅人)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「お国のため被ばく受け入れろ」暴かれた衝撃の音声記録 環境省「除染土秘密会」の全貌

2019-03-17 18:05:09 | 原発問題/一般

環境省が、福島県内の除染で発生した「汚染土」を土木工事などで再利用できるようにするため、秘密会を開いて地ならしをしてきたことは、これまで、毎日新聞が再三にわたって報じてきました。

取材・報道を続けてきたのは「除染と国家」などの著書がある日野行介記者ですが、日野記者が情報公開請求で入手した「秘密会」の音声データが、3月12日、札幌市一帯を聴取エリアとするコミュニティFM局「ラジオカロスサッポロ」の番組の中で放送されました。

福島からの原発避難者の方がパーソナリティを務める番組で、日野記者をゲストに迎える形で番組が進行します。

当日の番組を録音したものを、Youtubeにアップしましたので、是非お聞きください。

「お国のため被ばく受け入れろ」暴かれた衝撃の音声記録 環境省「除染土秘密会」の全貌


環境省官僚たちは、防潮堤工事などで除染土の再利用に道を開くのは「我が国全体の便益のため」だと言い放っています。しかも、ヘラヘラと笑いながら。

環境省官僚たちのこの底なしの腐敗を見せつけられると、もはや今後、原発事故からの日本の復活は絶望的といわざるを得ません。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【福島原発事故刑事裁判第37回公判】自分たちに都合のいい証拠だけをコピペした東電「言い訳全集」 しかし緻密、微細にわたった論告は覆せず

2019-03-16 12:22:52 | 原発問題/福島原発事故刑事訴訟
福島原発事故をめぐって強制起訴された東京電力旧3役員の刑事訴訟。3月12日(火)の第37回公判(被告側最終弁論)の模様を伝える傍聴記についても、福島原発告訴団の了解を得たので、掲載する。3役員の裁判はこの日をもって結審した。注目の判決は2019年9月19日(木)午後1時15分から、東京地裁104号法廷で言い渡される。

執筆者はこれまでに引き続き、科学ジャーナリスト添田孝史さん。

----------------------------------------------------------
●爆発からちょうど8年目の結審。語らなかった勝俣元会長ら

 2019年3月12日、東京地裁で第37回公判が開かれた。ちょうど8年前、東京電力が福島第一原発1号機を爆発させた日でもある。

 被告人側の最終弁論があり、この日で結審した。永渕健一裁判長は、判決を半年後の9月19日に言い渡すと述べた。

 公判の最後に、被告人3人はひとりずつ証言台に立って意見陳述をした。

 勝俣恒久・元会長(78)
「申し上げることはお話しました。付け加えることはございません」

 武黒一郎・元副社長(72)
「特に付け加えることはありません」

 武藤栄・元副社長(68)
「この法廷でお話ししたことに、特に付け加えることはありません」

 膨大な量の放射性物質を発電所の外に撒き散らし、今も山手線の内側の6倍の面積に人は住めない。何万人もの人たちは8年たっても故郷に戻ることができない。民間のシンクタンクは、後始末に最大81兆円かかると予測する(注1)。そんな史上最大の公害事件を引き起こした被告人たちの最後の発言としては、あまりに素っ気なかった。

 被告人らが法廷から出る間際、傍聴席からは
「勝俣、責任とれ」
「恥を知りなさい」
と怒号が飛んだ。

●「東側から全面的に遡上する津波」は予見できなかった?

 この日の主役は、武藤氏の弁護人、宮村啓太弁護士だった。午前10時から午後4時ごろまで、パワーポイントも使いながら最終弁論を読み上げ続けた。

 宮村弁護士が力を入れて主張したのは、次の点だ。政府の地震本部が2002年に予測した津波地震の津波(長期評価による津波)は、敷地南で津波高さが最も高くなる。一方、311の津波は東側から全面的に津波が遡上した。津波の様子が異なるので、長期評価の予測に対応していたとしても事故は防げなかったというのだ。

 具体的には、長期評価による津波の高さが敷地(10m)を超えるのは敷地南側など一部だけなので、対策は、そこだけに局所的に防潮堤を作ることになったはずだという(図1)。一方、311の時は敷地東側から全面的に津波が遡上したので、その防潮壁で事故は防げないという理屈である。


図1_敷地の一部だけに設置する防潮壁


 しかし、宮村弁護士の主張は、刑事裁判の中で明らかにされてきたいくつもの証拠と矛盾している。

 津波の発生場所が変われば、それによって敷地のどこに高い津波が集中するかも変わってくる。一部だけに高い防潮堤を作ることは工学的に不自然で、保安院の審査は通りにくい。

 たとえば2008年には、長期評価とは異なる位置で発生する津波が、東電社内で大きな問題になっていた。「敷地一部だけに防潮壁を作る」では通用しないことは、東電には、すでにわかっていたはずである。

 それは貞観地震(869)による津波だ。貞観地震は、津波地震より陸側で発生し、大きな津波を福島第一原発周辺にもたらしていた証拠が2000年代後半に続々と見つかっていた。

 地震の大きさは起きるたびにばらつくので、対津波設計では、869年に実際に発生したもの(既往最大)より2割から3割程度余裕を持たせて想定することを、土木学会が定めていた。それに従えば、貞観地震の再来を想定すると、1号機から4号機の東側から全面的に敷地を超えてしまうことがわかっていた(グラフ)(注2)。


グラフ_各号機前面で予測された津波高さ


 東電にとっては、さらに都合の悪いことがあった。東北電力は、耐震バックチェックの報告書に貞観地震も取り入れ、2008年11月にはすでに完成させていたのだ(図2)。それが保安院に提出され、「では東電は貞観津波に耐えられるのか」と問われると、10mの敷地を超えて炉心溶融を起こすことが露見してしまう。


図2_東北電力がバックチェック報告書に入れていた貞観津波の波源域


 東電は、2008年10月から11月にかけて、繰り返し、しつこく東北電力と交渉して、その報告書の記述を自社に都合の良いように書き換えさせた。その記録も刑事裁判は明らかにしている。

 宮村弁護士の主張は、被告人らに都合の悪い証拠には全く触れず、反論もできていない。東電の主張する「東側から全面的に遡上する津波は予見できなかった」というのは、真っ赤な嘘なのである。

 東側から全面的に遡上する津波がすでに予測されていたからこそ、それを消し去ろうと、東北電力の報告書まで書き換えさせていたのだ。

●土木学会手法の位置付け

 宮村弁護士は、「長期評価をとりこむかどうか、土木学会で審議してもらうのは適正な手順である」「合理的だ」という従来の主張も繰り返した。

 これにしても、なぜ合理的なのか、説得力のある根拠は示されなかった。すでに述べたように東北電力は、土木学会の審議を経ることなく、貞観地震を想定に取り入れ、2008年11月にはバックチェック報告書を完成させていた。日本原電東海第二発電所も、土木学会の審議を経ることなく、地震本部の予測を取り入れて2008年以降、津波対策を進めていた。

 「土木学会の審議を待つ」としたのは、東電だけだったのだ。それがなぜ合理的で、他の会社は不合理なのか、宮村弁護士の説明からはわからなかった。

 指定弁護士は「土木学会に検討を委ねるという武藤被告人の指示は、津波対策を行うことを回避するための方便に他なりませんでした」と昨年12月26日の論告で厳しく指摘している。宮村弁護士は、「土木学会に委ねるのは決して誤りではない」と繰り返したが、指定弁護士の論告に十分答えられていないように見えた。

●山下調書を巡る批判

 東電社内での意思決定過程については、第24回公判で読み上げられた山下和彦・新潟県中越沖地震対策センター所長の調書が詳しかった。ところがこの内容について、宮村弁護士をはじめ、武黒一郎氏や勝俣恒久氏の弁護士は、口をそろえて「信用できない」批判した。

 山下調書では

1)地震本部が予測した津波への対策を進めることは、2008年2月から3月にかけて、東電経営陣も了承していた。「常務会で了承されていた」と山下氏は述べていた。

2)いったんは全社的に進めようとしていた津波対策を先送りしたのは、当初は7.7m程度と予測されていた段階のことだった。それが15.7mという予測値が出されてから、対策がとても難しくなった。対策に着手しようとすれば福島第一原発を何年も停止することを求められる可能性があり、停止による経済的な損失が莫大になるから先送りが決められた。
と述べられている。

 山下調書を裏付ける社内の電子メールや会合議事録などが多く存在する。それにもかかわらず、被告人側の弁護士は、自分たちの主張と矛盾するそれらの証拠については無視し、説明しないままだった。

●指定弁護士コメント、記者会見

 最終弁論について、被害者参加制度による遺族の代理人である海渡雄一弁護士は「ひと言で言えば、自分に都合の悪い証拠は全部無視して見ないことにし、都合の良い証拠と証言だけを抜き出して論じたものだといえる。そして、その内容はこれまでの公判をみてきた者には到底納得できない荒唐無稽なものである」としている(注3)。

 指定弁護士は、以下のような声明を発表した(注4)。

 「弁護人の主張は、要するに東側正面から本件津波が襲来することを予見できず、仮に東電設計の試算結果に基づいて津波対策を講じていたからといって、本件事故は、防ぐことはできなかったのだから、被告人らには、本件事故に関して何らの責任はないという点につきています。

 何らかの措置を講じていればともかく、何もしないで、このような弁解をすること自体、原子力発電所といういったん事故が起きれば甚大な被害が発生する危険を内包する施設の運転・保全を行う電気事業者の最高経営層に属する者として、あるまじき態度と言うほかありません」

 公判で明らかにされた多くの証拠や証言をどう考えるのか説明せず、「予見は未成熟だった、信頼性がなかった」という冒頭陳述と同じ主張を繰り返すだけで被告人らは逃げ切ろうとしている。そのありさまを、東京地裁はどのように判断するのだろうか。

注1)事故処理費用、40年間に35兆〜80兆円に 日本経済研究センター

注2)福島第一・第二原子力発電所の津波評価について 2011年3月7日 東京電力

注3)海渡雄一弁護士の反論

注4)指定弁護士の声明

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

福島原発事故刑事訴訟で被告弁護側、無罪を主張(&当ブログ管理人の地裁前スピーチ)

2019-03-12 23:37:37 | 原発問題/福島原発事故刑事訴訟
旧経営陣側、改めて無罪主張=「大津波予見できず」-判決は9月・東電公判(時事)

----------------------------------------------------------------------
 東京電力福島第1原発事故で、業務上過失致死傷罪で強制起訴された元会長勝俣恒久被告(78)ら旧経営陣3人の最終弁論が12日、東京地裁であり、弁護側が「大津波の予見可能性は認められず、罪が成立しないことは明らか」と改めて無罪を主張し、結審した。

 永渕健一裁判長は判決期日を9月19日に指定した。

 勝俣元会長は最終意見陳述で、「申し上げるべきことは既にお話しした」と述べ、元副社長の武藤栄(68)、武黒一郎(72)両被告も「付け加えることはない」などと多くを語らなかった。

 弁護側は最終弁論で、2008年3月、東電が襲来可能性のある津波高を「最大15.7メートル」と試算したことについて、「いったん数字を出してみただけ」と主張。試算の基となった政府機関の地震予測「長期評価」は信頼性に欠け、「原子炉停止が義務付けられる予見可能性が生じたとは言えない。実際の津波が襲ってきた方角も違っていた」と訴えた。

 検察官役の指定弁護士側は、原子力・立地本部副本部長だった武藤元副社長が対策先送りを指示し、勝俣元会長らも対策を怠ったと主張している。

 これに対し、弁護側は「社内で長期評価を採用する方針は決定していなかった」とし、「直ちに対策工事が必要だと進言した人はいなかった」と反論。本部長だった武黒元副社長について「担当者から『試算は信用できない』とも聞いていた」と訴え、勝俣元会長が試算を知ったのは事故後で、「業務命令を出せる立場になかった」と述べた。 
----------------------------------------------------------------------

本日行われた福島原発事故刑事訴訟の傍聴のため、東京地裁まで行ってきた。裁判は上記記事の通り。当ブログ恒例の科学ジャーナリスト・添田孝史さんによる傍聴記は、後日、まとまり次第アップする予定だ。

なお、傍聴券の抽選が始まる前の朝の地裁前行動では、福島からの傍聴参加者(事故当時の福島居住者でその後避難・移住した人を含む)がスピーチをすることになっている。今朝は、当ブログ管理人含め4人がスピーチをした。以下、当ブログ管理人のスピーチ内容を紹介する。

----------------------------------------------------------------------
 皆さん、おはようございます。

 8回目の3・11がやってきました。福島から遠い北海道、札幌に住んでいて、しかも8年、もう大丈夫だろうと思っていてもやっぱりこの時期になると夜眠れない。福島県民、被害者誰もが心の奥底に傷を押し込んで日々を生きている。でもやっぱりこの季節になるとその傷がふっと頭をもたげてくる。それが3・11なんだろうと改めて思います。

 今、山木屋の人からお話がありました。その山木屋では、昨年4月に避難指示が解除になって、再開したばかりの学校がわずか1年で閉校になろうとしている(参照:2018年9月28日付「河北新報」記事)。先日の新聞でも、避難指示が解除になった10の自治体で、学校に戻ってきた子どもたちは1割しかいないと報道されていました(参照記事)。国や県がいかに帰還せよと旗を振っても、この厳しい現実があります。原発事故の被害を受けた地域は消滅を早めるしかない。福島のそんな厳しい現実が見えているのが8回目の3・11なのです。

 いよいよ、今日この東電の刑事裁判も結審の日を迎えます。先ほど武藤副団長からもお話があった通り、私も被告弁護側が、前回のあの完璧な論告を覆すことはできないと思います。本来なら今日明日と2日間の予定だった弁論が今日1日に短縮されたことがそれを示しています。あの論告に真剣に反論しようと思うなら2日間あっても足りないはずです。それが1日でいいというのですから、おそらく言い訳レベルの反論にとどまるでしょう。

 この8年、私たちは多くのことを実現してきました。54基あった原発のうち9基の再稼働は許しましたが、全体の4割、24基の廃炉がすでに決まっています。原発輸出はすべて頓挫しました。安倍政権がいくら再稼働、輸出の旗を振っても、原発は滅び行く存在なのです。原発をめぐって公開討論会がしたいと言っていた経団連会長は、小泉元首相から討論会を申し入れられると逃げ回り、ついには同じ推進の意見の人としか討論したくないと言い出す有り様です。反対の意見の人を説得もできない、納得もさせられないなら、そんなものを推進するなと怒りが込み上げます。

 原子力に終わりが見えてきたことは事実です。しかしそれが実現するために、かつて自分自身も住んだ福島で取り返しのつかない大きな犠牲が伴わなければならなかったことが悔しくて仕方ありません。先ほど言った怒り、そして今申し上げた悔しさ、それを晴らすのがこの刑事裁判の法廷なのです。

 私たちは8年間、色々なことを実現してきたと、今、申し上げました。しかしまだ実現できていないことがあります。それが原子力ムラに責任をとらせることです。原発を推進する者に、ただではすまないとわからせる必要があります。皆さんとともに、それを実現するため頑張りたいと思います。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

【金曜恒例】反原発北海道庁前行動(通算327回目)でのスピーチ/電力自由化に起きている異変

2019-03-01 22:57:59 | 原発問題/一般
 皆さんお疲れさまです。今日は、電力自由化に異変が起き始めているというお話です。

 昨年秋に、大手新電力のF-Powerが北海道から撤退するというニュースが流れたことをご記憶の方も多いと思いますが、その後も大手新電力各社が主に企業向けの高圧契約から撤退を始めています。これらは、2016年春に自由化になった一般家庭用の低圧電力ではなく、それ以前から自由化していた部門です。その高圧部門で今、新電力の撤退が相次いでいるのです。すでに、電力を購入する道内の官公庁や企業で、入札や見積もり合わせをしても北海道電力以外にどこも来ないという状況になりつつあります。

 このような事態を引き起こしている原因に、電力市場における価格の高止まりがあります。日本における唯一の電力市場である一般社団法人日本卸電力取引所のレポートによれば、北海道における電力取引単価は最も安い九州の2倍近くになることがあり、例えば2018年12月1日12時現在における北海道の電力取引単価は1kwh当たり12.45円で、6.62円だった九州の2倍近くになっています。瞬間的には1kwh当たり14.99円を記録したこともあるほどです。

 北電が標準的な契約条件を定めたものとして経産省から認可されている約款では、企業の多くが契約している高圧電力の1kwh当たり単価は18.12円となっています。もちろん、自前で発電所を持っている北電と、電力取引所で電力を調達しなければならない新電力を単純に比較することはできませんが、電力会社にとっては電力の市場調達原価だけがコストではないということを考えると、今の電力取引所における北海道の電力市場価格は北電でさえ利益を出すのが難しい水準にあると言えるでしょう。北電よりはるかに経営基盤が脆弱な新電力が北海道から逃げ出すのも無理はありません。そして、高圧電力で起きていることが一般家庭用の低圧電力で起きないという保証はどこにもありません。なぜなら市場で取引されている電力は高圧、低圧という区別をしているわけではないからです。このままでは、自前の発電所を持っている北海道ガス、採算を度外視して脱原発という理念のためにやっているコープさっぽろを除き、新電力は北海道からすべていなくなってしまうことになりかねません。

 なぜこんなことになってしまったのでしょうか。言うまでもありませんが、これは国の失策です。本州と北海道とを結ぶ電力線、北本連系線の増強を怠ってきたこと、狭い日本の国土の中で、50Hzと60Hzの2つの周波数を統一もせず放置してきたことです。資源エネルギー庁の資料を見ると、電力は首都圏、東北、北海道の50Hz地域では需給が厳しく、逆に東海地方より西の60Hz地域で需給に余裕があることも示されています。東日本全域で電力に余裕がなく、その中でも本州と陸続きでない北海道が北本連系線が貧弱なために最も需給が厳しいという結果になっているのです。昨年9月、北海道胆振東部地震による大停電は、起こるべくして起きた出来事だったということがわかります。そして北海道だけが、九州の2倍もする高い電力を買わされている。北海道の運賃が本州より高いJRと同じ構造が電力でも起きています。

 解決策は、北本連系線の増強をすることももちろんですが、電力の地産地消を進めることだと思います。津軽海峡を通す必要がなくなれば、電力需給も安定するでしょう。農村地帯の十勝管内など、バイオマス発電をやろうと思えばいくらでもできる、再生エネルギーをやりたい人がたくさんいる。札幌以外に目を転じると、そんな地域は道内にいくらでもあります。なぜこんなに豊富な資源を道民が使えず、北電から高い電力を買わなければならないのでしょうか。電力政策の矛盾が爆発しているのがここ北海道です。そして、矛盾しているからこそ電力政策の根本的転換を北海道から始めていく必要があります。

 福島の惨事からまもなく8年。今こそ電力政策の転換を北海道から実現していきましょう。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする