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新幹線トラブル原因は「制御装置HD故障」

2008-09-30 22:22:12 | 鉄道・公共交通/安全問題
<新幹線トラブル>制御装置HDが故障 JR東日本調査(毎日新聞)

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 信号系統の故障で28日、東北新幹線などのダイヤが乱れたトラブルで、東京新幹線車両センター(東京都北区)に設置された「デジタルATC」(自動列車制御装置)のハードディスクの故障が原因だった可能性が高いことが、JR東日本の調査で分かった。

 JR東日本によると、デジタルATCは、列車同士の間隔や勾配(こうばい)、カーブなどの線路の状況を、デジタル信号で列車に伝え、各列車の速度を制御する装置。通信系統に故障が発生しても、予備系統が自動的にバックアップする仕組みになっているが、今回は機能しなかった。

 これまでの調査で、本系統のコンピューターソフトに異常がないことなどから、ハードディスク機器に異常があった可能性が高い。一方、予備系統が作動しなかったのは、予備系統のソフトにプログラムミスなどの異常があった可能性が高く、複合的にトラブルが起きたとみられる。

 デジタル方式の制御システムは新幹線全線のほか、山手線や京浜東北線など首都圏にも導入されている。【斎藤正利】
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私の職場でも、愛知・岡崎への出張に東北新幹線を使おうとして、このトラブルに巻き込まれた同僚がいた。彼は結局、在来線で東京まで行ったという。

デジタル式ATCについては、JR東日本のサイトに解説があるが、これまでのアナログATCが、減速→惰行→減速→惰行を階段状に繰り返しながらガクンガクンと停止していくため、乗り心地が悪かったのに対し、デジタルATCは滑らかに減速していくため乗り心地がよい。

新幹線に久しぶりに乗った方は、駅到着直前、列車が減速しているときに車内でよろける人が以前と比べて減ったことに気付くかもしれない。

デジタルATCはこのように優れた技術ではあるのだが、2003年から導入され始めた新しい技術で、まだ5年程度の経験しかない。鉄道のような安定が第一のシステムに、信頼性のおけない新技術を導入することは実際にはありえないであろうが、家庭用の電化製品にしても、デジタル技術をちりばめた最近の電子制御のものより、黒いレバーを動かしてスイッチを入れる方式だった昔のアナログな機械のほうが安定していて壊れにくかったと思っている中高年の方もいるかもしれない。

今度の大トラブルは、少なくない中高年の方がおそらくは感じているような、そうした「デジタル化によって逆に脆くなっていくシステム」を象徴するトラブルといえるかもしれない。

ただ、安全性を低下させることなく乗り心地を向上させたデジタルATCの優位性は揺るぎようがないといえる。せめてデジタルATCを擁する鉄道会社はトラブルの防止に努めるとともに、他社で起きたトラブル情報をも共有してシステムの安定性を向上させてほしい。

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会津~野岩鉄道乗り潰し

2008-09-23 22:45:08 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
野暮用、それも夕方6時開始という用事で東京に行かなければならなくなった。どうせならこの際、変わったルートを通ってみようという気持ちになり、未乗区間だった会津~野岩~東武鉄道経由を選んだ。この区間は、政治的にも物理的にも最も工事が困難だった野岩鉄道がようやく1980年代終わりに開通し、全線がつながった若い線区である。

「政治的に困難」という意味は、既に国鉄線だった会津線(現・会津鉄道)と国鉄日光線を結ぶ路線として計画された野岩線が、工事の遅れのために国鉄再建法施行に間に合わず、工事凍結となってしまったことを指す。
最後は結局、地元が第三セクターを設立して引き受け手となったため工事凍結が解除、国鉄線ではなく東武線と結ぶことに変更している。
「物理的に困難」というのは、言うまでもなくその地形だ。

日本の鉄道の中には、つながっていることを路線図の上で確認し、それを頭では理解できても、実際に通ってみないとつながっている実感が湧かないという区間が少なからずある。私にとって、会津~野岩~東武鉄道線もそのような路線のひとつである。特に野岩鉄道は、前述したような険しい地形もあり、こんなところを通っていて本当に日光に着くのかとヒヤヒヤするほどだ。

だが実際にはここを通って浅草へ行けるばかりでなく、栗橋駅に東武~JR連絡線が設けられて以降は大宮や池袋や新宿にも行ける…はずである。会津若松駅をスタートすると、JRから会津鉄道~野岩鉄道~東武鉄道を通り、栗橋駅の連絡線を通れば最後は再びJRに戻るという、ファン的にはなかなか興味深いルートでもある。

新白河から東北本線で郡山へ移動。郡山からは、臨時快速「あいづ」で会津若松に着く。

いよいよ会津若松から「AIZUマウントエクスプレス」に乗る。この列車に使われている8500系は、元名鉄~JR高山線特急「北アルプス」に使われていた車両である。快速列車用として使えるJR直通仕様の車両を探していた会津鉄道が、「北アルプス」廃止後名鉄から譲渡を受けたものである。久しぶりに見る8500系はなんだかとても懐かしかった。会津鉄道線内の大部分の区間で各駅停車に身を落としながらも、往年のパワーの片鱗は十分に見せてくれた。8500系は意外に元気そうだ。

会津田島から先、会津鉄道は電化区間に入るが、8500系がそのまま「架線下DC」として直通してゆく。新線区間である野岩鉄道線に入ると、トンネル、駅、トンネル、駅の繰り返しになる。それはまるで新神戸駅、あるいは同様に駅とトンネルが前後する三陸鉄道を思い出した。よくぞこんな険しいところに線路を引いたものだ。先人たちの苦労が偲ばれる。

列車は新藤原に着く。15時03分発「スペーシアきぬがわ」で新宿目指す。本当は、浅草行きの特急に乗りたかったが、それを待っていては6時からの野暮用に間に合いそうにないのでやむなくこちらを選ぶ。栗橋からJRに入り、17時19分、新宿到着。

【完乗達成】会津鉄道、野岩鉄道、東武鬼怒川線

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さて、今年も早いもので間もなく9月が終わる。9月中の新規完乗達成はこれ以上ないと思うので、2008年の現在までの完乗達成状況をまとめておこう。

【3月】鹿島線、鹿島臨海鉄道、おおさか東線〔新規開業線〕
【5月】磐越西線、左沢線、仙山線
【6月】東京地下鉄有楽町線、副都心線〔新規開業線〕、東京都交通局日暮里・舎人ライナー〔新規開業線〕、北上線、田沢湖線
【7月】埼玉新都市交通伊奈線、水郡線
【9月】高徳線、牟岐線、阿佐海岸鉄道、土佐くろしお鉄道中村線、宿毛線、会津鉄道、野岩鉄道、東武鬼怒川線

合計…21線

〔内訳〕
【JR】10線
【国鉄JR転換三セク】2社2線
【上記以外の三セク】4社4線
【公営】1線
【大手私鉄】2社3線
【地方中小私鉄】1社1線

今年も昨年同様、よく乗っている。頑張れば昨年を上回ることも可能かもしれない。

なお、全体を眺めてみて、新規開業線が多いこと、「国鉄JR転換以外の三セク」の乗車が4社4線と目立っているのが2008年の特徴である。この4線とは鹿島臨海鉄道、阿佐海岸鉄道、土佐くろしお鉄道のうち宿毛線、そして野岩鉄道が該当するが、鹿島臨海鉄道以外の3線はいずれも国鉄再建法施行に伴う工事凍結線を、その後設立された第三セクターが凍結解除させ開業したグループという特徴がある。

この「国鉄凍結線の復活開業」組は、開業がもう少し早ければ「国鉄JR転換三セク」に分類されたであろうグループで、開業時期だけに着目して「その他三セク」に分類するのは実態にそぐわない感じもする。したがって、年末に年間実績を取りまとめる際には、「転換三セク」に分類し直す可能性もあるので、ご了解いただきたい(現在、扱いを検討中)。

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甲子トンネル、ついに開通

2008-09-21 23:09:50 | 鉄道・公共交通/交通政策
県南・南会津 風吹きぬけた 甲子トンネル(朝日新聞福島版)

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 県南の西郷村と南会津の下郷町を結ぶ国道289号の「甲子(かし)トンネル」(4345メートル)の開通式が21日、西郷村側入り口であった。全長23、3キロの甲子道路の着工から33年。急峻(きゅうしゅん)な山並みが車両の往来を遠ざけてきたが、ようやく互いの地域に風が吹き抜けた。

 喜多方―山形間の「大峠トンネル」(3940メートル)を超える県内一の長さで、佐藤雄平知事は「100年にわたる地域の悲願。大変感慨深い」とあいさつ。式の終了後、早速パレードバスが出発した。

 下郷町側入り口では沿道の住民が小旗を振ってバスを出迎えた。祝賀会で湯田雄二町長は「沿線自治体が力を合わせてそれぞれの発展につなげよう」とあいさつした。

 午後2時からの供用開始で一番乗りは白河市の自営業工藤隆久さん(50)。16日からキャンプをして待ったという。「高校は会津。白河と会津が近くなり、めでたいことだと思う」と話した。
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http://mytown.asahi.com/fukushima/news.php?k_id=07000000809180005(朝日新聞福島版 2008.9.18付け)より

 県南の西郷村と南会津の下郷町を結ぶ「甲子(かし)トンネル」(全長4345メートル)が21日から通行できるようになる。両地域をつなぐ現在の国道289号は、徒歩で越すにも険しい「登山道」だ。車は通行できず、双方で「行き止まり」状態だった。着工から33年。同日午後2時、「悲願の道路」が開通する。(常松鉄雄)

 -着工33年、21日午後開通-

 甲子トンネルの西郷側入り口付近で16日、最後の路面整備を手掛けていた作業員が言った。「何十年もかかった工事。これだけの道路は県内ではもうできないだろう」

 国道289号は新潟市から南会津、県南を抜けていわき市に至る総延長約300キロの路線だ。しかし、下郷―西郷間の甲子峠が障害となり、一気に走り抜けることができなかった。

 県道路整備課によると、この道は1923(大正12)年に県道田島―白河線に指定され、70(昭和45)年に国道に昇格した。両地域の境を通す「甲子道路」(総延長23、3キロ)を4工区に分けて工事が始まったのは75(昭和50)年。県事業の一部に旧道は残るものの、西郷側入り口では甲子大橋(199メートル)も完成し、国直轄事業の第2工区は甲子トンネルの供用を待つのみになっていた。総事業費は計約407億円に上る。

 「歴史春秋社」発刊の「会津の峠」(笹川壽夫編著)などによると、馬産奨励で旧白河藩主・松平定信も力を入れた「白河馬市」には会津地方で育てられた馬が、多いときには1日100頭も甲子峠を越えた。同課は「車社会になって使わなくなっていた昔の『大動脈』だ。その歴史が今回、再開されることになる」と話す。

 ●30分短縮

 実際、南会津町の田島からだと、会津若松まで45キロ、東北新幹線が通る白河まで47キロになる。これまで下郷―白河間は、天栄村の羽鳥湖を通る国道118号を「迂回(うかい)」して車で約1時間20分かかっていた。これが約50分に短縮される。農産物などの輸送コストの削減とともに、南会津にとっては大手企業の工場が多い県南が通勤圏になり、新たな就労も見込まれる。

 救急搬送にも変化が現れそうだ。白河には会津若松より一つ多い四つの総合病院がある。南会津地方広域消防本部は「急患の選択肢が広がるのは確か。今後の交流を通じて白河方面にシフトする可能性もある」という。

 ●観光誘致      

 トンネル開通に伴う回遊性に目を付けた動きもある。
 観光地・羽鳥湖がある天栄村役場で8月末、栃木県那須町と白河市、下郷町、西郷村の5町村や各観光協会などが「那須白河会津観光推進協議会」を結成した。

 今月1日から、西郷村と栃木県那須町を結ぶ那須甲子有料道路(全長12、1キロ)が無料化されたことを受けたものだ。年間を通じて多くの観光客がある那須を訪れる人たちに対し、ひとあし延ばせば県境をまたいで周遊できる観光エリアがある、とPRしていく計画だ。すでに「塔のへつり」や「大内宿」などを入れたロードマップを作製、来月18日から東北道の那須高原サービスエリアやJR新白河駅などで無償配布するという。

 下郷町の星澄雄副町長は「トンネルを抜けた時の景観はすばらしく、紅葉狩りの客も見込める。那須に来た若い人たちがドライブがてら、数日の滞在でこのエリアを回ってくれたら」と期待を寄せている。
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9月18日付の記事のほうが「地元の悲願」ぶりが伝わるので、併せて引用した。
1975年に計画ができてから、20年後の1995年にやっと甲子山地の両側まで工事が到達。1997年に石楠花(しゃくなげ)トンネルが開通して、後は甲子山地にトンネルをぶち抜くだけ、あと一歩…というところで悲劇がこの道路を襲う。2002年の台風による大雨で、石楠花トンネル付近で大規模な地滑りが起き、トンネルが亀裂、変形してしまったのだ。

この地滑り発生後、道路事務所が行ったボーリング調査で、トンネルを補強して使い続けることは危険と判断されたため、石楠花トンネルが廃棄され、新たに地盤が強い山側に長大トンネルを掘り直す工事が施工されることになった(工事区間の道路全線が供用開始になる前に一部が災害で放棄されるのは極めて異例)。

その後、甲子大橋の建設工事で業者の工法にミスがあることが発覚したため工事はさらに遅れることになった。甲子道路の建設は、トラブル続発の難工事だったのである。

「何十年もかかった工事。これだけの道路は県内ではもうできないだろう」という工事関係者の言葉は、こうした経過をたどっているだけに実感がこもっている。東北で最後の国道不通区間に、東北で2番目の長大トンネルを通す工事は着工から33年を経て終わり、今日、こうして晴れの日を迎えたのだ(青森県・竜飛崎にある国道339号線の「階段国道」は歩いて通れるため不通区間ではない)。

半年ほど前、道路特定財源問題に関連して、日本中の道路工事はすべてが無駄であるかのように言われた。しかし、この甲子道路のように、生活道路として地元から待ち望まれる道路が存在するというのもまた日本の現実なのである。

何はともあれ、白河と会津を結ぶ大動脈は今日、こうして動き出した。とりわけ奥会津地方は、閉ざされ分断されて不便を強いられてきた。そうした不便な暮らしにも風穴を開ける新時代の到来を、地元の人たちとともに祝いたい。

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国道289号甲子道路「トンネルウォーク」

2008-09-14 21:50:07 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
甲子トンネル楽しく散策 西郷で開通記念フリーウオーク(福島民友新聞)

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 国道289号「甲子道路」の開通を記念した甲子トンネルフリーウオークは14日、行われた。約4000人が参加、21日の開通を前に、同トンネルや甲子大橋の散策を楽しんだ。
 西郷村国道289号甲子トンネル開通記念事業実行委員会の主催。
 延長4345メートルある甲子トンネルの内部を散策できるのは、この日が最初で最後。貴重な1日を体験しようと、県内各地から観光客らが訪れ、トンネル内などを思い思いのペースで歩いた。
 トンネル内の町村境では、佐藤正博西郷村長と下郷地区みちづくり委員会主催のフリーウオークで下郷町側から歩いた湯田雄二同町長による記念セレモニーが行われた。
 ウオークに先立ち、西郷村で開会式が行われた。佐藤村長、黒河内豊福島民友新聞社取締役事業担当、佐藤正洋那須町長、高木信嘉西郷村議会議長があいさつした。(2008年9月15日 福島民友ニュース)
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家から近いし、日頃の運動不足の解消も兼ねて、このトンネルウォークに2人で参加してきた。記事にあるとおり大盛況で、主催者側の予想を遙かに超える4000人が、秋の1日、トンネル散策を楽しんだ。(国土交通省東北地方整備局郡山国道工事事務所のサイトに詳細な報告あり)

甲子トンネルは4345mもあり、東北で2番目の長さだという。往復だと8.7km。それを片道1時間、往復2時間かけて歩いた。日頃の運動不足がたたってか、帰宅すると脚がガクガク震えていた。

頂上に向かって上り、後半になると下っていく、長く暗いトンネルを歩きながら、私はふと、人生のようなものだと思った。山あり谷あり、長く暗い闇が続くこともある。でも、1人では辛い片道1時間の道が2人で歩くと30分程度に感じられた。最愛の妻が一緒なら、長く暗い闇さえ短く感じられる。これからも2人、人生が長く暗い闇に覆われようとも、手を携えて歩いたこのウォーキングのことを思い出しながら、乗り越えていきたいと思う。

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福知山線脱線事故:JR西日本の山崎社長ら10人書類送検

2008-09-09 23:44:14 | 鉄道・公共交通/安全問題
JR西日本の山崎社長ら10人書類送検(毎日新聞)

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 兵庫県尼崎市のJR福知山線脱線事故(05年4月)で県警尼崎東署捜査本部は8日、業務上過失致死傷容疑でJR西日本の山崎正夫社長(65)ら鉄道本部幹部経験者9人と高見隆二郎運転士(死亡、当時23歳)の計10人を神戸地検に書類送検した。これを受け地検は遺族や負傷者に意見などを聞くアンケートを実施し、約20人の専従捜査チームを設ける方針。立件の可否について年内を目標に判断するとみられる。

 幹部経験者9人は▽元鉄道本部長の山崎氏と梅原利之氏(69)、徳岡研三氏(61)▽元安全対策室長の池上邦信氏(63)、村上恒美氏(59)▽元運輸部長の仲井徹氏(60)、長谷川進氏(58)、橋本光人氏(55)、三浦英夫氏(58)。県警は山崎社長ら5人には地検に刑事処分の判断を委ねる「相当処分」、他の4人には起訴を求めない「然(しか)るべき処分」と意見を付けた。9人は「事故を予見できなかった」などと容疑内容を否定している。

 神戸地検のアンケートは犠牲者106人の遺族と負傷者562人に郵送し、捜査への意見や現在の気持ちなどを聞く。

 事故は05年4月25日午前9時18分に発生。快速電車(7両編成)が制限速度70キロの現場カーブに時速約116キロで進入して脱線し、乗客106人と高見運転士が死亡、562人が負傷した。

 ◆10人の容疑内容◆

・高見運転士=ブレーキ操作を怠り速度超過でカーブに進入し電車を脱線させた。

・山崎氏、梅原氏、池上氏、仲井氏、長谷川氏=現場が急カーブに変更された96年当時、自動列車停止装置(ATS)設置などの安全対策を怠った。

・徳岡氏、村上氏=現場へのATS設置が決まった03年9月以降、事故までATS設置を完成させなかった。

・徳岡氏、橋本氏、三浦氏=日勤教育などで高見運転士に過度のプレッシャーを与えた。

 ◇社長辞任せず
 JR西の山崎社長は8日、記者会見で進退に触れ、今後も辞任しない意向を示した。「安心できる鉄道をつくりあげ、企業風土を抜本的に変えていくことが、今の私に課せられた責務」と述べた。
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当ブログは、かねてから高見運転士の立件につながる書類送検に強く反対してきた。高見運転士は、被害者との関係において加害企業社員としての地位を持っているが、一方では決定権のない末端の社員であると同時に、締め付けが厳しく、自由のない社内において日勤教育に怯えながら勤務していた。その意味で運転士もまたこの事故の犠牲者である。高見運転士を犠牲者の列に加えず、事故から3年経った今なおこの事故の犠牲者数を106名とするJR西日本の姿勢を許すことはできない。

運転士の立件は事故の原因究明に何ら寄与しない。運転士のみならず、鉄道乗務員に刑事罰が加えられることになれば、乗務員が自己にとって不利益になる供述を拒むことになり、真の事故原因の究明がかえって困難になるからだ。事故の原因究明と再発防止のためには、乗務員を免責する勇気を持たなければならない。

JR西日本幹部らの立件は妥当である。とりわけ、山崎社長と徳岡研三氏の責任は厳しく追及されなければならない。なぜなら山崎社長は、1996年、現場の線路が付け替えられ、半径300メートルの急カーブとなった際の鉄道本部長であり、急カーブ化と同時に速度照査型ATSの設置を決定しなかった責任があると認められるからである。徳岡氏に至っては、尼崎事故当時鉄道本部長であったばかりでなく、これに先立つ2002年、尼崎市の東海道本線で列車にはねられた中学生を救助しようとした救急隊員が後続列車にはねられ死亡した「救急隊員死亡事故」の際にも鉄道本部長の職にありながら、尼崎事故後、その責任を取る振りをして辞任後、程なく子会社に天下りしている。徳岡氏こそ、傲慢で堕落しきった安全軽視のJR西日本を象徴する人物である。

今回の事故をめぐり、事故当時社長だった垣内剛氏をはじめ、96年の線路付け替え以降の社長である井手正敬氏、南谷昌二郎氏の送検が見送られたことには納得できない。送検見送りの理由を県警は「事故当時の安全状況について詳しい報告を受けていなかった」ためであると説明するが、経営トップが事実を知らなかったから立件できないというのであれば、現場とトップの間が階層化・重層化し、官僚主義化した大企業ほど経営トップは免責される結果につながるからである。事故の犠牲者遺族・負傷者にとって、相手が大企業であるほど責任を追及できないなどという理不尽なことが許されてよいはずがない。

このような事故が起こるたび、法人としての企業を処罰することができない日本の刑事法の不備を実感させられる。「犯罪は個人が起こすもの」であるから刑事で法人は罰しないとする従来からの古典的な刑事法思想が、企業犯罪が多発する現在においては特定の個人に責任をかぶせ、企業を免責するための隠れ蓑に使われてしまっている。個人の集合体としての官僚主義的な組織のあり方こそが企業犯罪の主な構成要因となっている現在、このような時代遅れの刑事法は社会情勢に応じて見直さなければならない。

大勢の利用者の安全に直接関わる企業犯罪の刑事責任は、企業を主、個人を従とすべきだと当ブログは考える。刑事法の抜本的見直しが困難であれば、当面、個人と同時に法人にも刑事責任を負わせる「両罰規定」の整備を進めながら、法人たる企業を主として財産刑を科することができるような法体系の構築を急ぐべきである。事故を起こすことが、法人たる企業にとって「高くつく」ことが明確にされるなら、企業はこぞって安全対策を進めると考えられる。JR西日本のように、必要な安全投資まで削減したことによって蓄積された利潤は不当利得にほかならないのであり、これを没収して犠牲者遺族・負傷者に補償を行うことは、不当利得の還元という意味でも社会的意義を持つ。

関係者の送検という節目を迎えるに当たり、当ブログは、107名(後追い自殺者を含めると108名)の犠牲者遺族に改めて哀悼の意を表するとともに、今なお治療過程にある負傷者の方に対しても、お見舞いを申し上げるとともに1日も早いご快癒をお祈りする。同時に、鉄道事故の再発防止という当ブログに課せられた使命を再認識し、引き続き安全問題に取り組んでゆく。

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四国清流四万十川の旅(3)~いよいよ四万十川へ

2008-09-03 23:51:01 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
旅もいよいよ最終日。今日は、妻のかねてからの希望だった四万十川を巡る。
秋沢ホテルを出発、宿毛駅9時4分発の「南風12号」で中村へ行く。

中村へ着き、四万十川の遊覧船業者に電話連絡すると、事前リサーチ通り「お迎えに行きますので観光案内所の前でお待ちください」と言う。暑さの中、しばし待つと送迎の車が現れた。

駅から30分ほど走ると、四万十川の観光船乗り場に着く。運転手によると、船着き場自体は宿毛駅よりも、江川崎駅(予土線)のほうが近いという。

9月に入った平日ということもあり、遊覧船は私たち2人の貸切だった。実際には屋形船といった方が正確だろう。エンジン付きの船は清流を行きつ戻りつする。さすがは四万十川、清流の名に恥じない水の清さだが、それでも数日前に降った雨のせいで普段よりずっと濁っているという。透き通っていれば川底が見えるというが、残念ながらこの日、川底は見えなかった。その意味では、6月末に訪れた猊鼻渓のほうが水はきれいだったかもしれない。

カヌーをしている一団と交歓しながら、屋形船は1時間かけて清流を回った。
この四万十川にしろ吉野川にしろ、四国の川はみな清流をたたえている。この清流がいつまでも残り、地域の人々に愛され続けるよう願ってやまない。

四万十川めぐりを終えた私たちは、再び送迎の車で中村駅に戻る。駅前に感じの良い暖簾を掲げた鰻屋があったので、昼食は鰻に決める。昼食を取り終えると、今回の四国旅行はその全目的を終了した。後は長い長い帰途につくだけだ。

中村駅で一休みした後、13時25分発特急「南風20号」に乗り込む。南風20号は、これから17時40分の岡山着まで4時間を超える長旅だ。
途中、高知では高松行き「しまんと4号」を併結する。昨日訪れた新改を本線直結で通過(動画を見る)、四国山地に分け入ってゆく。四国有数の景勝、大歩危峡を過ぎることには雨が降り出した。阿波池田停車後、再びスイッチバックの坪尻を通過する。こちらはシーサスクロッシングでないため、新改ほどの感慨はない。

周遊きっぷ「四国ゾーン券」の出口となる宇多津では、高知からずっと一緒に山を越えてきた「しまんと4号」を分割する。途中駅で併合した列車を終着前に再び分割するという運転形態は、国鉄の気動車急行全盛時代にはあちこちで見られたが、現在では相当珍しいのではないかと思う(併合した列車が終着駅までずっとお供するというのであれば、東北新幹線にも例があり、それほど珍しくない)。

坂出から瀬戸大橋線に進んだ「南風20号」は、いよいよその長い旅路の最後のハイライト、瀬戸大橋を渡る(動画を見る)。眠っていた妻を起こし、瀬戸大橋通過を告げる。曇りがちの空だったが、瀬戸内海の島々を眼下に見ることができた。

岡山から新幹線を乗り継ぎ、帰宅。

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四国清流四万十川の旅(2)~新改駅観察と宿毛駅事故調査

2008-09-02 22:22:15 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
旅2日目の今日は、スイッチバック駅である土讃線・新改駅を見る。

室戸荘を朝8時半に出発し、昨日私たちをここに運んできてくれた「岬めぐりのバス」、高知東部交通・安芸営業所行きに乗り、奈半利駅を目指す。バスは安芸まで直通しているし、ごめん・なはり線は既に開業初日(2002年7月1日)に乗っているから、バスで安芸まで行くのもひとつの方法だが、手にしている「周遊きっぷ」四国ゾーンを少しでも生かしたい。

それにしても、漁村の中を通りながら進んでいくバスの沿線には何もなく、時折個人商店や集落が見える程度だ。『建物と言えば民家しかないからバス停の名前が山下さん家(ち)前』という歌があったが(「佐賀県」はなわ)、ここには「住宅前」というバス停があった。市営住宅前でも公団住宅前でもない、ただの「住宅前」である。バス停の前にあるのは民家だ。

室戸岬を出て約1時間、奈半利駅に着く。ごめん・なはり線4865D(9時47分発)への乗り継ぎは無理と見て、次の4867D(10時51分発)への乗り継ぎを考えていたが、意外にもバスは定刻通り着き、4865Dへの乗り継ぎに成功。このおかげで後免到着が10時55分と、1時間以上も早まった。

当初の計画通り4867D乗り継ぎでは、後免から新改まで土讃線の列車がなく、タクシーを利用することになっていた。だがこの「嬉しい誤算」の結果、土讃線4242D(後免11時2分発)への乗り継ぎに成功する。1987年に国鉄とJRをつなぐ目的で登場し、「国鉄仕様のレールバス」というべき珍車・キハ54に揺られながら新改に着く。

新改駅はシーサスクロッシングを持ち、堂々たるスイッチバック駅である。写真は私の乗ってきたキハ54系列車が本線に入ったところを撮影したものだ。

鉄道が素人の妻(それでも最近、私の「鉄毒」に侵され「ここの駅には架線がないね」とか「あれは国鉄カラーだよね?」などと言うようになった)に、スイッチバック駅が発生した理由と引上線の必要性を説明する。珍しい駅の構造に少しは興味を引かれたようだった。

新改駅の観察を終えた私たちは再び土讃線245D(新改13時12分発)に乗る。245Dで高知まで行く予定だったが、途中、土佐山田で後続の「南風7号」に乗り換える(四国ゾーン券は特急自由席フリーである)。高知には13時39分到着。

高知でやや遅い昼食とする。土佐電鉄の電車に試し乗りし、はりまや橋の繁華街に着くと、高知名物である鰹のたたきの店があった。価格が手ごろな店を発見し、鰹のたたきを中心に食す。太平洋で獲れた新鮮な鰹のたたきを定食にして、価格はほぼファミレス程度である。

午後からは、高知市中心街の一角にある「まんが甲子園通り」を訪れ、モニュメントを見る。実は私の母校がまんが甲子園で全国制覇したことがあり、高知に来たらぜひ行こうと思っていた。母校を含む歴代優勝校のモニュメントにじっくり目を通し、写真に納めた。

高知で土産物屋さんを物色するなどした後は、15時44分発特急「南風11号」に乗り、未乗区間の土佐くろしお鉄道線へ。中村からは621Dに乗り換え。学校帰りの高校生たちと一緒に宿毛に到着。

ああ、思えば遠くへ来たもんだ。昨日の室戸岬も、最寄り駅からバスで1時間半も走らなければならないほどの最果てだった。だがこの宿毛もそれに勝るとも劣らない最果てである。「清流四万十川を見たい」という妻の希望とはいえ、ここは四国の奥も奥。鉄道ではもうこれ以上先へは行けない。

宿毛に着いた私は、宿毛駅事故の調査を行った。リンク先にある通り、2005年3月に起きた列車暴走事故である。停車できなかった特急「南風」が駅舎に突っ込み大破、運転士が亡くなった。

この事故に関しては、事故現場を見るまで「速照ATS不備」が事故の原因とにらんでいた。事実、国土交通省航空・鉄道事故調査委の報告も同様の見解を示している。しかし、今回私が中村~宿毛間を全線走ってみた限りでは単純にそれだけともいえないと思う。
なぜなら中村~宿毛間は1997年に完成した高規格路線で、ほとんどが高架線上を走るため、途中、110km制限区間が1ヶ所あるほかはすべて本則での走行を認めている。そもそも線路条件による速度制限区間がほとんどないわけだから、土佐くろしお鉄道としては速照ATSを設けるという発想自体が、事故以前はなかったのではないかと考えざるを得ない区間なのだ。誤解を恐れず言えば、「高規格路線を造れば事故なんて起きない」という運行サイドの盲点を突く事故だったのではないかというのが、現場を見ての私の率直な感想である。

事故調査を終えた私たちは、宿毛駅前の「秋沢ホテル」を今夜の宿とした。
さあ、四国旅行も残りあと1日である。

【完乗達成】土佐くろしお鉄道中村線、宿毛線

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四国清流四万十川の旅(1)~室戸岬を巡る

2008-09-01 22:08:36 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
今日から3日間、わずかな夏休みを利用して、2人で清流四万十川を巡る四国の旅に出た。

朝8時過ぎ、所要で宿泊していた大阪市内を出る。9月になっても西日本は相変わらずの暑さだ。

新大阪から「ひかり453号」に乗る。え? 「のぞみ」じゃなくて「ひかり?」と言う方、時刻表をよく見てほしい。この列車は「ひかりレールスター」なので車内設備が良く、得した気分。しかも、後続の「のぞみ5号」は新神戸のほか姫路にも停車するため、新大阪~岡山間に51分かかるが、この列車は「ひかり」なのに新大阪~岡山間では新神戸しか停車しないため、同区間を46分で走破する。列車によっては「のぞみ」より「ひかり」のほうが速い逆転現象が起きる区間なのだ。

岡山からは快速「マリンライナー21号」に乗り、一路四国目指す。私は2002年にキハ181系復活イベントで四国に行って以来6年ぶりの瀬戸大橋。妻は何と初めての瀬戸大橋線である(四国には行ったことがあるらしい)。私は、瀬戸大橋線のすばらしい車窓を妻に見せてやりたくて、グリーン車を確保しておいた。

高松に着くと、駅近くの讃岐うどん屋で少し早めの昼食を摂る。高松駅で列車撮影の後、高徳線特急「うずしお9号」で徳島へ移動する。徳島駅に降り立った瞬間、私は目を疑った(リンク先の写真を参照)。狭くて暗い構内と強烈な日射しのコントラスト、武骨で飾り気のない屋根、木造の古い跨線橋、アナログ式の時計…30年前にタイムスリップしたかのようだ。すべてが子供の頃、親に連れられて見に行った「国鉄」の駅の姿そのものだった。今時まだこんな懐かしい駅が残っていたのかと思うと胸がいっぱいになった。

徳島からは牟岐線特急「むろと1号」に乗って四国東岸を南下する。「むろと1号」は牟岐から普通列車扱いとなり16時24分、海部に着く。
海部からは未乗区間だった阿佐海岸鉄道で甲浦へ。全線で3駅しかない阿佐海岸鉄道は日本有数のミニ鉄道だが、千葉県には全線2駅(つまり、発車したら次は終点)の芝山鉄道があるから日本一ではない。

16時42分に甲浦着。16時44分発の室戸岬行きバスに2分で乗り継げるかどうか、今回の旅行で最も危険な賭けだったが、バスは若干遅れてやってきた。
やや乱暴な運転の高知東部交通バスに揺られること1時間。バスは室戸岬に到着した。

写真は室戸岬から見た夕陽である。この日は室戸岬先端の民宿「室戸荘」泊。

【完乗達成】高徳線、牟岐線、阿佐海岸鉄道

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