安全問題研究会~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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関越道でバス事故、7人死亡~背景に規制緩和、国土交通省の責任を追及せよ

2012-04-30 23:15:24 | 鉄道・公共交通/安全問題
TDRツアー暗転、「寝ちゃった」運転手逮捕へ(読売新聞) - goo ニュース

4月29日未明、関越道で起きた高速バス事故は、7人の乗客が死亡する惨事となった。重傷者の中には重体の人もおり、今後、犠牲者が増える事態も考えられる。

直接の事故原因として運転手の居眠りが指摘されているが、当ブログと安全問題研究会は運転手の個人的ミスにはあまり興味がない。むしろ、過去に何度か指摘してきた安全面での規制緩和、そしてその結果引き起こされた過当競争のほか、規制行政のあり方等いくつかの重要な点について、触れておく必要がある。

事故を起こした千葉県印西市のバス会社「陸援隊」の悪質さについてはすでにいろいろな形で報道が出ている。2009年、この会社が道路運送法による営業認可を受けない、いわゆる「白バス」営業を行っていたほか、乗務記録の記入不備により行政処分も受けていた。また、同社に運行を委託していた旅行社「ハーヴェストホールディングス」も、運転手の勤務時間管理を怠っていたとして2008年、国土交通省富山陸運支局の行政処分を受けている。いわば「ブラック旅行社」が「ブラックバス会社」に運行を委託して組まれたのが今回のツアーだった、というわけだ。

最近の格安ツアーバスの料金は、東京-大阪間で3,500円というケースもあるなど常軌を逸した状態になっている。全国に高速バス網が張り巡らされるようになったのは1980年代末期だが、このころの高速バスの運賃は安いとはいえ、まだJRの普通運賃程度のものだった(東京~大阪で8,000円~10,000円程度)。この頃の高速バスですら「1台当たり乗客20~25人が採算ライン」と言われていたことから考えると、現状の格安ツアーバスが利益を出すには運転手の人件費を当時の40~50%に値切るか、常に補助席まで埋め尽くす超満員運行でなければならないだろう。当ブログの見る限り、利益を出せている事業者はほとんどなかったのではないか。

当ブログと安全問題研究会は、国土交通省の責任を追及しなければならないと考える。2000年の規制緩和がこのような事態を招いたことは今さらいうまでもない。このときの規制緩和たるや酷いもので、バスを5台持ち、責任者を置き、運転手の休憩所を設けるなどの一定要件を満たしさえすれば誰でも貸し切りバス事業に参入できるようにしたのだ。この規制緩和の後、雨後の竹の子のようにバス会社が乱立、バス業界は走らせても走らせても儲からない消耗戦に突入した。その最も悲劇的な結末が、2007年2月に大阪・吹田市でスキー客ら27人が死傷した「あずみ野観光バス」事故だった。

今回の事故は、2007年の事故にもましてくっきりと、国土交通行政の犯罪性を浮き彫りにした。何よりも許し難いのは、「陸援隊」「ハーヴェストホールディングス」が両者とも過去に処分歴のあるブラック会社であったにもかかわらず、国土交通省が短期間の運行休止だけで抜本的な措置を何も講じなかったことである。この両社の処分理由は単なる事務手続きミスなどではない。「白バス」営業、乗務記録の記載不備、運転手の勤務管理の欠如という、まさに安全運転の根幹に関わる部分での処分だった。

常識的に考えれば、この時点でバス事業の許可取り消しなどの処分によって、こうした悪質業者は退出させなければならなかった。参入は誰でもでき、このような悪質な法令違反を犯してなお許可取り消しによる退出措置が下せないなら、そのような許可制度はあってもなくても同じで事実上の自由化と言っていい。

国土交通省のこうした怠慢、不作為は、そもそも行政制度として儲けられている許認可そのものを形骸化させるもので、同じように許認可制が導入されている他の行政分野にも悪影響を与えかねない。当ブログと安全問題研究会は、こうした怠慢、不作為を断じて認めることはできない。

今回の事故を踏まえ、安全問題研究会では、バス事業に関わる規制緩和の実態、安全対策について緊急の調査を行い、その結果を基に、国土交通省への申し入れを行うことを検討している。

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【連休前半】野生トキの生まれた佐渡を巡る(2日目)

2012-04-29 22:34:41 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
佐渡旅行2日目。今日は観光地をまとめて回る。妻にとってはどれも初めてだが、私はすべて8年前に回っているところばかりだ。

まず最初は佐渡金山(サムネイル写真)だ。採掘は戦後まで行われており、江戸時代の金鉱、明治時代の金鉱の2種類があるが、なんといっても面白いのは江戸の金鉱だろう。重機もなかった江戸時代、人力だけでこんな金鉱を掘った。改めてその技術力に感嘆する。

金山で働いていたのは、流刑になった犯罪者や実家を勘当され、戸籍のなかった身元不明の人たちが多かった。重労働だったため給与は高かったが、反面、危険労働で寿命は短かった。給与は現金の他、米などの「現物支給」もあったという。しかし、当時の金山経営者は労働者の身元をきちんと把握しており、いわゆる労働者名簿のようなものも整備されていたとのことだ。原発の下請け労働者の名前も所在もわからず放置している東電なんかより、江戸時代の方がよほどきちんと労務管理されていたというわけだ。正規労働者(本工)ばかり大切にして、非正規労働者の労務管理体制は江戸時代以下なんて、東電、ホントいい加減にしろよ。

金山の後は尖閣湾に移動し、海底透視船「シャーク」に乗る。前回来たときは台風の直後で海が濁っていたが、今回は晴天続きで海が澄んでいて、魚がよく見えた。

朝早く出発したため、海底透視船を乗り終わったところでまだ午前11時過ぎ。食事を取るには早すぎるし、腹も減らないので、引き続き佐渡トキ公園とトキ保護センターを回る。野生トキの孵化は全国ニュースでも大きく取り上げられ、もっと観光客が増えるかと思っていたが、意外にも少なかった。トキの孵化はこれまで失敗に次ぐ失敗の歴史だったので、もう少し今後の推移を見極めようということなのかもしれない。

ひとつだけ嬉しかったのは、トキの羽数が8年前より着実に増加しているように見えたことだ(4月20日現在で167羽)。8年前はトキのケージは閑散としていたが、今はケージの数に見合った数になってきたように思える。トキが生きやすい環境は人間にとっても生きやすい環境であり、孵化成功は自然保護活動の着実な成果なのだ。

午後2時を過ぎ、これで目標としていた場所はすべて回り終えた。実際、佐渡は人口が6万人あまりと白河市に匹敵するほどの人口規模の島で、面積は855平方キロメートル(東京23区の約1.4倍)もある。生活に必要な店はすべて島内に揃っており、実際、8年前の案内人だった友人は島での生活で困ったことは何もないと言っていた。ただ、観光スポットとしては今回訪れた場所の他に目立つところはあまりなく、数日もあればじゅうぶんのようにも思える。観光は島にとって重要だが、佐渡はあくまで地元民にとっての生活の島なのである。当ブログの読者で佐渡へ行ってみたいと思われる方がいるとしたら、これ以外の観光スポットは自分で開拓してほしい。

帰りのフェリーの両津港発は16時5分。まだ少し時間があるので、スーパーで福島では危なくて買えない椎茸などの地元産食料品を買い込む。佐渡以外では手に入らないという郷土料理「いごねり」も試しに買ってみる。

地元で有名なハム・サラミのお店「へんじんもっこ」を最後に回ることにする。事務所を兼ねた小さな店舗を訪れると、経営者の夫人とおぼしき女性が出てきた。「どちらからですか?」と聞かれたので福島からと答えると「それは大変でしょう。放射能はどういう状況ですか」と聞かれた。

「何もかもが大変。放射能のせいですべてがめちゃくちゃの状況です」と答えると、その女性はこう言った。「実は佐渡も柏崎刈羽原発が近くて、あそこが事故でも起こしたらうちも商売が成り立ちません。絶対に再稼働はして欲しくないので、先日も新潟県・市に申し入れに行ってきたところなんですよ」。

それはそうだろう。食料品を扱うお店にとっては死活問題だ。「私たちも、こんな被害は私たちだけでたくさんだと思っています」と答えた。佐渡に渡ってくるフェリーの中で購入した「新潟日報」の読者投稿欄には、早く再稼働してくれないと生活が困る、という投書が載っていて、やれやれと思ったものだが、一方ではこうした原発阻止のための草の根の動きが存在していることも知った。私の感覚では、1通の新聞投稿よりも行政への申し入れの方がはるかに大きな力を持つ。ましてや、わざわざ佐渡から本土まで申し入れのために渡って行くこの女性のような人がいることを私はとても心強く思った。これからの新しい時代を創るのはこのような人たちでなければならない。

フェリー出航の時間が近づいた。8年前もそうだったが、ここに来るたびに去りがたい思いになる。その思いを振り払い、港に向かう。フェリーの待ち時間を利用してターミナル横の展望台に上がる。両津港が一望でき、最後のいい思い出になった。

両津港からフェリーが出た。この2日間、抜けるような青空だった。離島は都会と違って時の流れが遅い。8年くらいでは何も変わっていないだろうと思った私の予想のとおり、佐渡は8年前と同じ静かなたたずまいの中にあった。

新潟港着は18時30分過ぎ。市内で、福島ではすっかり縁遠くなってしまった寿司を食し、帰途につく。

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【管理人より】佐渡の面積、人口などのデータについては「島の話」を参考にしました。このサイトでは佐渡の人口を7万8千人としていますが、若干昔のデータのようで、佐渡市ホームページによると平成22(2010)年の同市の人口は約6万3千人です。佐渡島内は以前8市町村に分かれていましたが、合併で佐渡全体が佐渡市となったため、現在では佐渡市の人口イコール佐渡島全体の人口とお考えいただいてかまいません。

なお、今は閉鎖となってしまった旧「汽車旅と温泉を愛する会」で8年前の佐渡旅行の体験記を発表した際にも、サイト「島の話」様にはお世話になっています。改めてお礼申し上げます。

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【連休前半】野生トキの生まれた佐渡を巡る(1日目)

2012-04-28 20:49:19 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
連休前半、予報は好天とのことだったので、野生トキが生まれた佐渡に1泊2日で出かけることにした。東日本大震災以降、全く心の安まる日はなかったし、妻はこの間、座り込みや地元での集会・イベントの準備等に奔走してきた。今回の旅行は、そうした妻への慰労の目的もある。こうして2人で旅行するなんて本当に久しぶりだ。

佐渡島内は鉄道はない。バスはある程度の便数が確保されているが、車がなければ不便であることに変わりなく、今回は車を使う。本当は朝7時に出る予定だったが、いろいろ所用が立て込み、出発は9時になった。国道289号で甲子峠を越え、会津若松市内へ。会津若松ICから磐越道に乗り、新潟中央で降りる。

新潟市内を走り、正午前、新潟港の佐渡汽船ターミナルへ。ここからカーフェリーに乗る。時刻表にあるように、カーフェリーの便数は1日5便のみ。私たちが乗るのは12時35分発だ。事前予約はしておらず、大丈夫かと思ったが、直前でも確保できた。事前に聞いていた「海外好調、国内不振」は事実かもしれない。JR・航空国内線の対前年比大幅アップのニュースもあったが、昨年が震災で特別だったから単純比較はできない。

カーフェリーの車両運賃は往復で20,330円(プラス2人分の運賃がかかる)。乗船手続きを終えて戻ってきた妻から運賃を聞いて、カーフェリーがこんなに高いとは思わなかった。思えばカーフェリーなんて、子どもの頃の家族旅行以来もう何十年も乗っていない。自分で運賃を払って乗るなんて人生でこれが初めてだから、事前に調べておくべきだった。佐渡に故郷があり里帰りする人や、出張で長期滞在するような人には現地でレンタカーを手配するよりずっと安いと思うが、私たちのように1泊2日で来る人にとっては、場合によっては現地でレンタカーを借りた方がいい。極論を言えば、新潟港にマイカーを置いておき、運賃の安いジェットフォイルで佐渡に渡る。島内では別にレンタカーを借りる。新潟港の駐車料金とレンタカー代を加味してもその方が安かった可能性もある(とはいえ、旅を終えてから計算し直してみると、結局ほとんど変わらなかったが)。

12時20分頃、乗船開始。12時40分頃、やや遅れて新潟港を出港。カーフェリーというのは長距離航路だから、船内に売店あり、食堂あり、ロビーありで旅の雰囲気を高めてくれる。昔の青函連絡船、宇高連絡船もきっとこういう雰囲気だったんだろうな、と思う。

レストランで軽い昼食を摂った後、甲板に出る。フェリーの後を追うようにしてカモメが飛んでいる。子どもたちが「かっぱえびせん」をカモメに餌として与えている。空に向かって「かっぱえびせん」を投げると、カモメがくちばしでキャッチするのはなかなか面白い。船内の売店には「かっぱえびせん」が大量に売られており、こんなに売ってどうするんだろうと思っていたが、謎が解けた。私も子どもたちのまねをして、かっぱえびせんを投げてみる。

売店には地元紙、新潟日報がおいてあるので購入。1面トップ記事は野生トキの孵化のニュースで、地元の喜びが伝わってくるようだ。柏崎刈羽原発の問題も紙面の多くを占めている。天気予報欄に国内各地の他、ウラジオストク、ハバロフスクの天気が載っているのが新潟らしいと思う。ロシア沿海州にあるウラジオストク、極東最大の都市ハバロフスクには新潟空港から直行便が出ており、新潟とは交流が深い。

5月とはいえ、フェリーの甲板は寒く、客室に戻る。2等船室では長旅に疲れた乗客が三々五々、思い思いの格好でくつろぐ。今は昔に比べ人間関係が希薄になってしまったが、昔ならこの船室で知らない人同士が互いに交流をしていたに違いない。

ジェットフォイルなら65分で渡る新潟~佐渡間を、カーフェリーは2時間半かけゆっくりと進んでいく。14時半を過ぎる頃、まもなく到着の放送があった。14時45分頃、マイカーへと急ぐ。15時過ぎ、両津港に降りる。

佐渡に来るのは独身時代の2004年8月以来、8年ぶりだ(妻は佐渡へは初めて)。当時は佐渡島内に勤務する友人がおり、車を出してくれるというので私はジェットフォイルで佐渡に渡った。その友人は今は「本土帰還」を果たし、金沢に勤務する。島内につてはないので、どうしても車は必要だ。

着いてはみたものの、もう15時を過ぎている。佐渡トキ保護センターは16時までだし、観光施設にこの時間から行くのは無理そうだと思い、白雲台に行くことにする。ここは友人の案内で8年前にも行っており、ルートもわかっている。ようやく雪が解け、数日前に通行可能になったばかりの大佐渡スカイラインを上り、白雲台に着く。登山客中心の施設だが軽食スタンドなどがあり、土産品も売っている。ここから一望する佐渡の眺めは絶景だ。眼下にはついさっき渡ってきた両津港の他、一面の水田が見下ろせる。通常、離島では灌漑用水路を造ろうとしても、水が塩分を多く含んでいて稲作に適さないことも多い。しかし佐渡は一定の面積を持っている上、雪解け水も豊富で稲作ができる。江戸時代には、江戸で罪を犯して佐渡へ流刑となった人が多かったそうだが、明日行く予定の金山からは金が豊富に採れたし、当時から稲作もできた。流刑者にとって、変なプライドにさえこだわらなければ生活に困ることもなく、住みよい島だったと思われる。

白雲台の売店に地元の銘酒「拓」(加藤酒造)があったので購入。あまり詳しく書けないが、この酒は妻の学生時代の友人で、佐渡で農業をしている人が作り上げた銘酒であり、BS朝日「エコの作法」でも取り上げられている。お酒が苦手でない人にはぜひお勧めしたい。

夕方になり、陽も落ちてきた。今日の宿泊先、ペンション長倉に向かう。こじんまりとしているが、静かでいいと思う(目の前が道路だが、交通量は少なく、車の音はほとんど気にならない)。チェックイン後、日帰り温泉で入浴。ペンションに戻った後は徒歩数分の至近距離にある「蛇の目寿司」で小宴会。

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本日の放射能測定値

2012-04-27 23:42:37 | 福島原発事故に伴う放射能測定値
1.測定年月日、時間
 2012年4月27日(金) 午後8時40分~8時50分

2.測定時の気象条件(晴/曇/雨/雪の別及び風向、風速)
 天気:曇
 風向・風速:北 3m

3.測定場所及び測定結果(単位:マイクロシーベルト/時)
(1)福島県 JR新白河駅西口(高原口)
  ・新白河駅西口バス停横の土壌地
   大気中(高さ100cm)   0.63
   土壌(高さ10cm)    0.68

  ・新白河駅西口駐車場
   大気中(高さ100cm)   0.38
   舗装路面(高さ10cm)  0.41

(2)自宅室内(RC)    0.16

<放射線量測定に関するお知らせ>
次の定期測定は、2012年5月2日(水)に実施します(大型連休中のため実施日を変更します)。

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原発震災1周年~福島で「原発いらない!地球(いのち)のつどい」開催!

2012-04-26 22:02:17 | 原発問題/一般
(当エントリは、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2012年5月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 報告が遅くなってしまったが、福島原発震災から1周年を迎えるのに合わせて、3月10~11日、福島県郡山市で「原発いらない!地球(いのち)のつどい」「原発いらない!福島県民大集会」が開催された。以下はその報告である。

 ●被ばく者援護法制定を求めるシンポジウム

 「原発いらない!地球(いのち)のつどい」メイン会場では、まず、「福島原発事故被害者のいのちと尊厳を守る法制定を求めて」と題するシンポジウムが開催。被ばく者全員に健康手帳を配布し、無料で医療が受けられる原爆被爆者と同様の制度を作るための運動が提起された。

 午後からは、ルポライター・鎌田慧さんが「脱原発と民主化への道」と題した講演を行った。民主化と聞くとどこの発展途上国の話かと思ってしまうが、原発事故が浮かび上がらせた日本の姿はウソと隠ぺいがまかり通る独裁国家と変わらない。

●エイディ・ロッシュさんの話

 チェルノブイリ・チルドレン・インターナショナル代表 エイディ・ロッシュさん(女性、アイルランド人)が以下のとおり話した。

 「チェルノブイリの人たちは福島のために力になりたい。一緒に涙し行動できる。福島の人たちと一緒に闘いたい。福島は孤立していないと伝えたい。家族、友人、知人のことを考えて立ち上がることが大切だ。福島は不死鳥のようによみがえる。私たちから希望まで奪うことはできない。生活の隅々にまで入り込んだ見えない敵の中で、次の世代を構想すること。今の世代で原発を終わらせることが必要である」

 ●「野菜カフェはもる」模擬店サロン&パネル展示

 第2会議室では、3月10日午後の時間をフルに利用して、「野菜カフェはもる模擬店サロン&パネル展示」(主催:子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク)が行われ、多数の参加者が訪れた。

 福島では、少しでも放射性物質による汚染のない安全な食べ物を子どもたちに食べさせたいという母親たちの願いとは裏腹に、安全な食料品を入手できる機会は少ない。事故から1年過ぎた現在でも、行政による食品の全量検査は行われておらず、少ないサンプル検査の結果を基に、市町村単位で「安全宣言」が出され、汚染の疑いが消えないまま多くの食品が出荷されている。検査結果も公表されず、今なお多くの消費者が危険な食品かどうかを産地情報のみで判断しなければならない状況が続く。

 まともな検査も行わないみずからの責任を棚に上げ、行政は、危険を避けるため消費者に残された唯一の防衛手段である「産地選別」を「風評被害」と非難し、食べて応援キャンペーンに参加しない消費者に責任を転嫁し続けている。消費者も危険な産地を避け自己防衛を続ける人々と、行政を信じることにして地元産を積極的に買う人の二極化が進んでいる。

 そのような中、福島市に昨年11月にオープンしたのが「野菜カフェはもる」だ。子どもたちを放射能から守る福島ネットワークを中心にした市民グループにより設立された。主に西日本を中心に協力を申し出た有機農家などの安全な野菜を並べ、ただでさえ高い外部被曝にさらされている福島県民に、せめて内部被曝だけでも減らしてもらおうという取り組みである。この日の模擬店サロン&パネル展示では、関西産の野菜のほか、愛知県産の大豆を原料とした納豆や豆腐、岐阜県関市産の卵などが並べられた。

 福島原発事故はまだ収束の気配もなく、大量の放射性物質の放出が続く。避難が困難な福島県民にとって、外部被曝の数百倍も危険と言われる内部被曝から身体を防護することが最も重要だ。面積が広く、交通事情も良くない福島県で「はもる」が福島市の1か所では、多くの県民が安全な食品を買いたいと思っても困難な状況だが、今後の取り組みの拡大に期待したい。

 ●避難・保養相談会

 第3会議室では、避難・保養情報に関するブースが設けられるとともに、相談会が開催された。出展したのは、宮城~青森(東北ヘルプ)山形(リトル山形)、栃木、神奈川、山梨、京都、兵庫の各地域。いずれのブースも相談待ちができるほどの人出で、避難を希望しながらできない人がほとんどを占めるといわれる福島の現状にあっても依然として避難へのニーズが強いことを示している。

 会場から出てきた父親、母親それぞれ1人ずつから話を聞くことができた。郡山市から参加している幼児を持つ父親は次のように話す。「原発爆発の直後からすぐ避難を考えた。妻が犬のトリミングの仕事をしており、やっと顧客も付いてコミュニティができてきたばかりで、お客さんを置いて避難する決断が未だできずにいる」。避難しても生活は楽ではない。仕事はどうするのか、地域の人間関係は? 改めて人間は社会的関係の下で生活しているということを強く感ずる。避難したくてもできない福島県民の大半が同じ悩みを抱える。

 郡山市から参加し、あちこちのブースで熱心に話を聴いていたある母親は次のように語る。「初めは保養の相談のつもりで来たが、話を聞いているうちに保養よりも避難した方がいいのではないかと思うようになった。自宅は木造で、室内でも放射線量は1μSv/h以上ある。子どもに目立った症状はないが、今まで冬でも1度も病院に行ったことがなかったのに、この冬は病院に行くなど、免疫力の低下かと思うようなことが目立っている。昨年までは相談相手だったママ友仲間はみんな避難してしまった。今は相談する人もおらず、「放射能を気にする方がおかしい」といわれる状況だ」。ご主人の理解は得られていますか、との問いには「まだ得られていません。二重生活への不安もあり、決断には踏み切れません」とのことだった。

 避難をしたいという潜在的な需要はまだかなりあるというのがブースの雰囲気を見ての感想だ。ただ、避難を希望する人に相変わらず必要な情報が与えられていない。行政が避難に関する情報を意図的に隠し、伝えないようにしている中で、今後も市民レベルで情報を発信していくことの重要性を痛感した。

 ●ドイツ緑の党記者会見

 ドイツ緑の党連邦議会議員が来日したことに伴い、急きょ記者会見が設定された。会見は、「野菜カフェはもる」展示が行われている第2会議室の一角を使用して行われた。

 会見したのは、ドイツ連邦議会議員のジルヴィア・コッティング=ウールさん(緑の党・同盟90原子力政策スポークスパーソン)。4回目となる今回の来日では、飯舘村から、避難者が多く生活している山形市を回り避難者の状況を見た後、現在停止中の浜岡原発を視察した。ジルヴィア議員の会見内容は以下のとおり。

 *  *  *

 今回来日したのは、福島原発事故から1年経過後の状況を見るとともに、依然として原発再稼働の危険性があるという事態を踏まえ、脱原発に向けた強いメッセージを発するためである。出発前、日本国民が放射能の危険から解放されるようにするため野田首相と会談するようメルケル首相に申し入れた。

 今日は、ドイツ国内から野田首相に宛てた署名を携えてきている。この署名には、緑の党全議員の署名5000筆を含んでいる。私としては、東京で「脱原発1000万人アクション」の大江健三郎さんにこの署名を託し、一緒に提出してもらうつもりだ。日本には自然エネルギーの国になってもらいたい。明日、東京でもデモに参加し、日本の政治家と会談する予定である。皆さんも、原発に関して公聴会をどんどん開かせ、声を上げていくようにしてほしい。

 *  *  *

 この後、質疑応答が行われ、私からは「公聴会を開かせるのはいいと思うが、日本では公聴会は単なるセレモニーであり、公聴会での意見を受けて政府が政策を変更した例はない。政府に市民のいうことを聞かせるためにはどうしたらよいか、ドイツでの経験を元に助言をいただきたい」と質問した。

 これに対し、ジルヴィア議員は「日本でも原発事故以降、それまでであればできなかったようなことができるようになるものと信じる。日本国民の8割が脱原発を望んでいる。脱原発を本当はしたくなかったメルケル政権にそれを実現させたドイツのように闘ってほしい」と答えた。また、「脱原発を言わなければ政権維持が不可能になるような状況を作り出すために、政権交代に耐えうる脱原発政党が議会に登場することが必要である」と、日本国内での緑の党の結成に強い期待感を示した。

 ドイツ連邦議会に緑の党が登場したのは1983年。1986年のチェルノブイリ事故ではドイツ国内にも大量の放射能が降った。2000年、いわゆる「赤緑連合」(社会民主党と緑の党の連立政権)が脱原発を決定したが、メルケル政権が稼働中の原発の運転期間延長を決めたところだった。この方針が福島事故で覆され、再び脱原発が決定された。

 また、ドイツでは原発労働者の被曝基準は年間20mSvを上限としているが、緑の党が当面、年間10mSvまでとするよう要求していることが報告された〔筆者注:日本では「電離放射線障害防止規則」により、年間50mSvかつ5年間で100mSvまで〕。

 なお、ジルヴィア議員の記者会見では触れられていないが、国内17基の原発のうち約半数にあたる8基を停止したドイツが昨年、周辺諸国との間で、電力輸入量よりも輸出量が多い輸出超過になっていたことが報道されている。脱原発後、いったんは輸入超過に陥ったが、太陽光や風力などの再生可能エネルギーの増加と、全体のエネルギー消費量を抑える「効率化」により、厳冬で電力不足の原発大国フランスにも輸出しているとのことである(「毎日新聞」2012.2.20付け)。

 ●原発推進に今も加担する地元メディア

 ところで、この記者会見には週刊金曜日やフリージャーナリストのほか、朝日新聞や福島民友(福島の地方紙)の記者も参加していたが、その姿勢は本当に酷いものだった。週刊金曜日やフリージャーナリストが次々と質問しているのに序盤は何も質問せず、最後にジルヴィア議員から「他にありませんか」と言われてようやくおずおずと手を挙げたかと思うと、記憶にも残らないような平凡な質問をする。福島民友に至っては「ドイツとは違い、日本で脱原発は即時は無理ですよね」などと言い出す始末。ジルヴィア議員から「いいえ。日本国民の意思ひとつですぐにでも可能です」と言われると、そのまま黙り込んでしまった。彼らはそもそも質問の仕方を知らないし、記者クラブによって権力に飼い慣らされるうちに質問するという文化自体、失ってしまったのだろう。

 福島では県議会が脱原発を決議し、あの佐藤雄平知事すら「今後は原発に頼らない福島を目指す」と表明、福島第1、第2原発の全機廃炉を求めている。その中で、脱原発のメッセージを伝えるためにわざわざ来日している外国人ゲストまで「即時脱原発は無理」に誘導しようとするとは言語道断だ。今回の福島原発事故ではマスコミもA級戦犯であることがますますはっきりした。

 3月10日夜には「原発いらない!交流と文化のつどい」が行われ、「ハイロアクション・福島原発40年実行委員会」の武藤類子さんが会津伝統の「かんしょ踊り」を披露。参加者全員が武藤さんの指導で踊った。「原発いらない福島の女たち」の1人、椎名千恵子さんは、地域コミュニティが原発事故で分断された福島の実情を「イムジン川」の替え歌に込めて歌った。

 ●上関原発反対運動から~祝島農家の講演

3月11日午前、上関原発予定地である祝島の氏本農園・氏本長一さんの講演が開催され、約30人が熱心に氏本さんの話に聴き入った。祝島は、山口県上関町に属する瀬戸内海の島で、30年近く前から上関原発建設計画があるが、地元の漁民たちが建設反対の闘いを続け、建設を止め続けている。氏本さんは次のように述べ、原発反対の闘いを紹介。併せて、必要以上に電力に頼らない生活を実践してきたみずからの体験を踏まえて、ライフスタイルを変える必要性を訴えた。

 *  *  *

 祝島でも、海の埋め立てに反対して先頭で闘ったのは女性だった。海に体を縛り付け、「埋め立てるなら自分たちも一緒に埋めろ」と抵抗を続けた。中国電力から地元・上関漁協には漁業補償金3000万円が振り込まれたが、漁民たちはそれを要らないとして受け取らなかった。法律では、補償金が漁協ではなく土地の真の持ち主に渡らなければ工事はできないことになっており、漁民たちが個人で補償金を受け取らなかったら工事に入れない。そのようなやり方で、ギリギリのところで工事を阻止してきた。

 町の選挙では、町長選も町議選も反対派は6連敗している。福島の事故で少しでも反対票が上積みされるかと思っていたが、全く票数が変わらなかったので驚いた。祝島住民のほとんどは原発反対だが、島外の町民に賛成派が多く、もうずっと前から賛成票・反対票は固定している。大切なのは、選挙で6連敗しても建設を阻止できていることだ。

 原発を推進してきた歴代の政府は、また「得意なものだけを大量に作る農業」を推進してきたが、大切なのは多角経営である。狭い畜舎に大量の家畜を押し込め、運動量を減らすやり方で「食味の良い肉」を作る畜産を続けてきた結果起きたのが2010年の口蹄疫〔こうていえき・家畜伝染病〕だった。エネルギーを大量に消費する農業、効率的農業の先にはTPP(環太平洋経済連携協定)への参加が待っている。原発とTPPはどちらも経団連が望んでいるものだ。

 地域コミュニティをきちんと維持していけるかも問われている。阪神大震災の時、救助率が高かった集落に共通していたのは地域の祭りがきちんと継続、維持されていたことだ。

 大切なことは、お天道様に従った生活をすること。子どものように夜9時になったら寝る。エネルギーを使わない生活を不便と思うからいけない。何でも自分でやり、自分の体を使うと気持ちよいとわかる。我慢する節電より、そのように思えるパラダイムシフトが必要だ。

 最近、祝島に住みたいとやってくる若者が多い。特に、就職氷河期で正規職に就けなかった30歳代のIターンが多い。彼らの発言で興味深いのは「組織に勤めて賃金を稼ぎ、物を買う生活の先に未来が見えない」ということ。「そんな自分でも、ここなら生きていけるかもしれない」とやってくる。私は彼らに「ここでは何でも自分でやらなければいけない。思っているほど楽じゃないぞ」と言うが、彼らはそれでもいい、と言う。実際、彼らは生き生きしながらやっている。大量生産、大量消費社会の先に来るべき新たな社会の姿がここにある。

 *  *  *

 氏本さんが指摘した「得意なものだけを大量に作る農業」とは、農水省が進めてきた農業の「選択的拡大」路線のことで、日本がコメの完全自給を達成したのを機に政府が1961年に制定した旧農業基本法でその路線が確立された。これ以降、日本の農政はひたすら規模拡大と効率的経営だけを目指してきたが、このようなやり方は、(1)一部の「やる気のある農家」への農地集約(=小規模農家が離農せざるを得ないような締め付け)、(2)諫早湾干拓事業のような大規模な自然破壊、(3)大量のエネルギーを消費するハウス農業等の展開と、それに伴うCO2排出量の増加、(4)狭い畜舎に大量の家畜を押し込む「効率的畜産」の結果、発生した家畜伝染病…等により、全面的に破綻した。

 ●福島から怒りを! 「原発いらない!福島県民大集会」に16000人

 3月11日午後からは「原発いらない!福島県民大集会」が郡山市・開成山野球場に16000人を集めて行われた。集会では、地元・福島の高校生が「人の命も守れないのに、電力とか経済とか言っている場合ではない」と、命より金を優先するグローバル資本主義への強い怒りを表明した。

 福島で1つの集会にこれだけの人数が集まったのは前代未聞のことである。それだけ福島県民の間に広範な怒りが存在し続けていることが伺える。

 今回の「つどい」「県民集会」の開催に当たっては、「犠牲者を静かに追悼すべき慰霊の日に、自分勝手な反原発イデオロギーを振り回すな」という誹謗・中傷もあったという。だが福島では警戒区域に指定されたため、津波犠牲者の遺体の収容すら数ヶ月後という地域がたくさんあった。くだらない誹謗・中傷をする人に対し筆者は逆に問いたい。「遺体も家族の元にすぐ戻してやれないのに何が追悼なのか。犠牲者の家族に追悼もできなくさせた原発事故の責任をいま追及しなくていつするのか」と。

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【管理人よりお知らせ】JR株主代表訴訟第2回公判の傍聴にご参加ください!他

2012-04-25 23:40:44 | 鉄道・公共交通/交通政策
管理人よりお知らせです。

1.JR東日本株主代表訴訟第2回公判の傍聴にご参加を!

JR東日本株主代表訴訟第2回公判が、明日26日、東京地裁で行われます。

第1回公判よりも大きな法廷に変更となったのに、肝心の傍聴者がおらず法廷がガラガラ、という事態は避けなければなりません。直前の呼びかけですが、ぜひご参加をお願いいたします。(裁判の詳しい内容についてはこちらをご覧ください)

日時:4月26日 14時
場所:東京地裁706号法廷

なお、裁判終了後、JR東日本に要請に行きます。
18時からは報告集会も開催されます(場所:飯田橋・東京清掃労働組合本部ビル)。なお、当ブログ管理人も明日、裁判・報告集会に参加の予定です。

2.放射線量測定を1日延期します。
上記の理由で、当ブログ管理人が明日、東京に出かけることとなったため、明日26日に予定されていた放射線量測定は27日(金)に延期します。

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【管理人よりお知らせ】「ノーモア尼崎事故・生命と安全を守る4.21集会」の報告資料をアップしました

2012-04-23 21:04:08 | 鉄道・公共交通/安全問題
管理人よりお知らせです。

4月15日付記事にてお知らせしました「ノーモア尼崎事故・生命と安全を守る4.21集会」では、「JR尼崎脱線事故と福島原発事故を検証する」とのテーマで安全問題研究会が報告を行いました。

この報告で使用したスライド資料「尼崎と福島~今、私たちに問われているもの」(PDF)を安全問題研究会サイトに掲載しました。

集会会場で大変好評だった資料で、早期の公開が求められていたので、すでに昨日から公表しております。興味のある方はぜひご覧ください。

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特急「こうや」で南海高野線に乗り、高野山へ

2012-04-22 22:26:39 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
4月21日の「ノーモア尼崎事故!生命と安全を守る4.21集会」で関西に立ち寄る傍ら、未乗となっている南海高野線に乗ることにした。

宿泊していた桜ノ宮駅前のホテルをチェックアウトして、桜ノ宮から環状線~阪和線を乗り継ぐ。三国ヶ丘から南海線に乗り継ぎ、林間田園都市へ。ここから極楽橋までは直通する普通列車がなかったので、いよいよ特急「こうや7号」(サムネイル写真)に乗り込む。

こうや7号に使用されている30000系ズームカーは、窓の位置が肘掛けよりも高く、485系など国鉄時代の特急車両を思わせる内装だ。車両が振動するたびに、座席もガタガタと音を立てて振動するなど、時代がかっている。

11時50分、林間田園都市を出た「こうや7号」は、高野下から極楽橋までの区間に入ると急カーブと上り勾配が続いて速度がガクンと落ちる。私が乗っていたのは指定席の先頭車(1号車)だが、座席に腰掛けていても前方の線路が見えるほどの急勾配だ。勾配標には40(パーミル)、50(パーミル)という数字が見える。通常運転方式でこんな急勾配を見たのは在りし日の碓氷峠以来だ。この区間を含む林間田園都市~極楽橋間の24.6kmに「こうや」は40分もかかる。表定速度は40km/hそこそこ、しかも単線という厳しい区間である。

途中、行き違い駅で普通列車を待避しながら進む。どちらが特急かわからないようなダイヤだが、どのみち特急でも表定速度は40km/hそこそこなのだし、支払った特急料金はスピード料金というより一種の座席指定料金に近いものだから、致し方なしと思う。12時39分、「こうや7号」は極楽橋に着く。この駅に来ただけでもじゅうぶん「天空」の雰囲気がある。極楽橋からは、高野山ケーブル(写真)で高野山駅に到着。

ここで空腹を覚えたので、駅前にわずか1店のみ立地している喫茶店で昼食を摂る。食事を終え、これから金剛峯寺にお参りをしようと思っているところで急に風雨が強まってきた。天気予報は、中国地方で強まっている風雨が東に移動していることを伝えており、無理せずここで下山した方がいいかもしれないと思い始める。登山でもそうだが、たいていの遭難事故は、登山を中止して下山すべきところでその決断ができなかったことにより起きる。物事はなんでもそうだが、進むより退く方がはるかに難しい。日本人は特に撤退戦が不得手で、撤退戦をうまく戦える人材はもっと重宝されてよいと思う。

風雨がさらに強まってきた。ケーブルカーが止まっては元も子もなく、目標だった南海高野線、高野山ケーブルの完乗も果たした以上、無理をすべきでないと判断しここで下山を決める。せっかく高野山まで来たのだし、妻のために高野豆腐、椎茸など若干のおみやげを買う。椎茸などのキノコ類は、福島では原発事故のためまず食べられなくなってしまった(根拠なく安全だという政府の宣伝を信じるなら食べてもよいが、それを信じるほどいまの私はお人好しではない)。西日本産の椎茸を入手できるときにしておくべきだと思ったのだ。

再び高野山ケーブルで極楽橋に降りる。残念ながら特急「こうや」には接続しておらず、快速急行で新今宮まで起き、そこで環状線~新幹線に乗り換え帰宅。

【完乗達成】南海高野線、高野山ケーブル

南海高野線は、たまたま鉄道ジャーナル誌2012年6月号でも取り上げているが、「やって来るだけで天空の雰囲気で、特に信心深くない人でも来たくなる」との評価は間違っていないと思う。今の私にできることと言えば神仏頼みくらいだ。南海高野線の雰囲気は大変気に入ったので、天気のよい日に再び来てみたい。

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本日の放射能測定値

2012-04-20 23:26:54 | 福島原発事故に伴う放射能測定値
1.測定年月日、時間
 2012年4月20日(金) 午後8時10分~8時20分

2.測定時の気象条件(晴/曇/雨/雪の別及び風向、風速)
 天気:曇
 風向・風速:東 1m

3.測定場所及び測定結果(単位:マイクロシーベルト/時)
(1)福島県 JR新白河駅西口(高原口)
  ・新白河駅西口バス停横の土壌地
   大気中(高さ100cm)   0.60
   土壌(高さ10cm)    0.63

  ・新白河駅西口駐車場
   大気中(高さ100cm)   0.37
   舗装路面(高さ10cm)  0.38

(2)自宅室内(RC)    0.18

<放射線量測定に関するお知らせ>
昨日は、福島原発告訴団説明会とその事務局打ち合わせが開催されたため、事前予告なく測定を1日延期させていただきました。事前予告できず、申し訳ありません。

なお、次の定期測定は、2012年4月26日(木)に実施します。

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【安全問題研究会よりお知らせ】ノーモア尼崎事故・生命と安全を守る4.21集会にご参加ください!

2012-04-15 23:24:04 | 鉄道・公共交通/安全問題
安全問題研究会よりお知らせです。

今年も、あのJR福知山線脱線事故の日が迫ってきました。

そこで、今年も例年通り、尼崎市で「ノーモア尼崎事故・生命と安全を守る4.21集会」が開催されます。

今年は、福島原発事故とJR福知山線脱線事故をどちらも「科学技術とそれをコントロールする社会の問題」と捉え、この2つの事故が私たちに問いかけているものは何か、そしてその問いに応えるために私たちが何をすべきかという観点からの報告が行われます。併せて、安全対策の名の下に管理だけが強化されるJR西日本の実態が現役社員から報告されます。

集会終了後は、尼崎現地で例年通り犠牲者への献花を行います。

お忙しい中とは思いますが、ぜひ皆様のご参加をお待ちしています。なお、日時、場所は以下のとおりです。

日時:2012年4月21日(土)14:00~
場所:尼崎市小田公民館1階ホール(地図

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