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禁酒生活2年を経て思うこと~いいことずくめの禁酒、皆さんもいかが?

2018-08-25 22:05:11 | その他社会・時事
(この記事は、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2018年9月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 本誌先月号(215号)掲載の杜海樹さんのコラム「忍び寄るアルコール依存」を興味深く拝読した。以前の本誌記事でも表明したように、筆者は普段、他の方が書いたものに感想を述べることはめったになく、今回も杜さんの記事に直接的に感想を述べるものではない。だが、せっかくアルコール依存のことが取り上げられたのを契機に、私自身の体験も踏まえ、今回は雑感的に述べてみたい。

 ●アルコールを口にせず2年

 私はもともと酒を飲むこと自体は好きだが、体質的に酒が強いかどうかと問われると、お世辞にも強いほうだとはいえない。飲むとすぐに眠くなる。職場の飲み会後の2次会で行ったスナックでは、会話もそこそこにカウンターに突っ伏して寝ていることもよくあった。これでも飲み代は他の参加者と割り勘だから、何をしに行ったのか今振り返ってもよくわからない。

 酒の上での失敗も数えきれないほど経験した。かつて横浜で勤務していた頃、通勤は京浜東北線で、自宅は終点・大船にあったが、駅に着いても起きられず、電車で何往復もしたあげくに、逆方向の大宮に到着、そのまま電車が終わってしまい、大宮のホテルに泊まってそこから翌朝出勤したこともある。観察眼の鋭い女性の同僚から「あら黒鉄さん、そのネクタイ、昨日と同じですよね」と言われて顔面蒼白になった。

 自宅とは全然方向の違う路線の無人駅のホームや、駅のベンチで寝ていたこともある。気がつけば隣の県の駅だったことも2~3度あった。「気がつきゃホームのベンチでごろ寝/これじゃ身体にいいわきゃないよ」の歌詞で知られるスーダラ節(植木等)の世界そのままの愚行である。電車の中で眠りこけ、起きたら網棚の上に置いていたはずのカバンがなくなっていたこともある。上着のポケットに入れていた財布はしっかり残っており、「なぜ財布でなくカバンなのだろう」と盗んだ人の真意がこのときはわからなかった。そのたびに、次からは同じような失敗を繰り返さないようにしようと思いながら、気がつくと似たことをまたしている。煙草は一切吸わず、ギャンブルも少し試してみたものの、自分には才能がないと悟って20代前半で早々と手を引いた私にとって、酒は数少ない楽しみであり、若いころ(20~30代当時)は酒が飲めなくなるくらいなら死んだほうがましだとすら思っていた。

 そんな私に転機が訪れたのは一昨年6月だった。喉や胸に異常を感じて職場の人間ドックを受けたところ、胃がんの宣告を受けたのである。すでに初期の段階は過ぎており、「胃を全摘出する以外にない」との宣告に一瞬、頭の中が真っ白になった。不幸中の幸いなのは他の場所への転移がなかったことだ。

 一昨年の8月、職場も休暇扱いになり、胃を全摘出する手術を受けた。入院は16日間。この間も本誌の連載は休まなかったため、大半の本誌読者にとって、私の胃がん手術は今回初めて知る事実だろう。

 主治医からは「無理は禁物だが、口にしたいものがあるのに自分で我慢してしまうのもよくない。自分が食べたいものがあるなら試すのは構わないし、飲めると思うようになったら飲んで試してもらうのも構わない」とのあいまいな指示があっただけで、特段、飲酒を止められているわけではない。実際、手術直後は1日も早くお酒を飲みたくて仕方がなく、何度も飲んでみようかという誘惑にかられた。だが、胃を摘出され消化器官を失ってしまった私が、普通の食事でさえまともに吸収できないのに、刺激が強く、毒性を持つアルコールをすぐに消化・吸収できるとも思えない。それよりもきちんと食べるべきものを食べられるようにすることが先決で、食べるトレーニングをするうちに1カ月、2カ月と時が過ぎていった。

 私にとって大きな心境の変化が起きたのは、退院から半年経過した昨年3月だった。あれほど強く持っていた飲みたいという欲求がスーッと消えていくのを感じたのだ。もう一生飲めなくてもいい、アルコールのない人生を楽しもうという大きな心境の変化だった。

 入院する前夜「ひょっとするともう二度と飲めなくなるかもしれない」と思い、連れ合いと一緒にビールを1缶だけ口にした。それから今月でちょうど2年になる。かつて、酒が飲めなくなるくらいなら死んだほうがましだとすら思っていた私が、この間、ついに1滴のアルコールも体内に入れないまま経過した。職場や労働組合、市民団体などの付き合い上、必要な飲み会には参加しているが、周りの人が飲んでいるのを見ても、アルコールを口にしたいという欲求はまったく湧いてこない。職場など、必要な範囲には病気を公表しているので無理に飲酒を勧められることもない。もし、10年前の私がタイムマシンで現在を訪れ、今の私の姿を見たら「こんなの自分じゃない!」と驚くだろう。

 ●飲まなくなって見えてきた新たな光景

 アルコールを口にしなくなったことで、今までと違った新たな光景が見えてきたような気がする。今までは自分自身が飲んではすぐに眠っていたため見えなかった飲み会での同僚や仲間の痴態が観察できるようになった。酒が入ることによって周りの人が普段は覆い隠している本来の姿を見られるのは面白い。運転手を頼まれることが多くなり、帰りの車内で普段は口の堅い管理職から思わぬ人事の裏話を聞いたときは、不可解だった人事の謎が解けたような気がした。運転手をした人は飲み代を少し安くしてもらえるなど、経済的な実利もある。

 深酒をしすぎて、翌朝、腫れぼったい顔をしながら仕事をしている上司や同僚を見て、人間にとってほどほどに飲むことがいかに難しいかも実感させられる。そういう人たちは実際、飲み会明けの日の午前中は著しく能率が下がり、ほとんど仕事になっていない。これが労働組合のストやサボタージュによる職務能率の低下だったら、政府・メディア・右翼を通じた激しいバッシングにさらされるのに、なぜ酔っ払いによるサボタージュに対してはどこからも誰からもお咎めなしなのだろうという当然の疑問が湧く。

 今のところ、酒をやめたことによるメリットはいくらでも思いつくが、デメリットはまったく思いつかない。最大のメリットは1日が長くなったように感じることだ。もともと手術前でも私は自宅ではほとんど飲んでおらず、飲む場所は外での飲み会にほぼ限られていたが、そんな日は帰宅後、入浴もそこそこに早い時間から眠ってしまうことも多く、飲み会があった日の帰宅後の生活時間はないに等しかった。それが、飲まなくなってからは飲み会から帰宅後も明日の仕事のイメージを描いたり、労働組合や市民団体で取り組んでいる署名やインターネットでの情報収集・情報提供などに時間を有効活用したりしている。福島第1原発事故当時、福島県内に住んでいた私たち夫婦には、事故後、原発関係で署名やパブリックコメントへの意見提出、講演などさまざまな依頼が来るし、本誌やレイバーネット等の媒体に寄稿するための原稿執筆、取材、資料整理などやるべきことは山ほどある。私が手術を受けた2016年以降は、JR北海道が10路線13線区を自社単独で維持困難と公表したことによって、さらにJR問題まで加わった。こうした多忙にもかかわらず、これだけの仕事量をこなせているのは何よりも酒を飲まなくなったことで「可処分時間」が大幅に増えたことが大きい。

 労働者・市民に時間の余裕ができると、余裕時間を使った思考が生まれる。思考することによって政治や社会への不満を自覚すると、労働者・市民は政権批判を始める。それゆえ権力者にとっては、労働者・市民に酒を飲ませて余裕時間と健康を奪い、思考させないようにすることこそ自分たちの権力基盤を固め、支配を続けるのに好都合ということになる。だからこそ日本では企業や広告会社が結託して酒のCMを浴びせ、労働者・市民に何とか飲ませようとするのだ。

 私に付き合う形で連れ合いも酒を控えているうちに以前より弱くなり、夫婦揃って酒をまったく飲まなくなった。酒のために無駄遣いしていた時間が減り、夫婦2人で見てどれだけ余裕時間が生まれたかは検証していないが、世界的に酒の弊害が言われる現在、試算してみる価値があるかもしれない。

 ●欧米で狭まる「アルコール包囲網」

 飲酒のもたらす健康被害についての認識が広まるにつれ、欧米諸国では2017年ごろから飲酒の害に関する論文の発表が増えてきた。2017年4月、英オックスフォード大学が発表した論文では、適量であっても毎日飲酒している人は、まったく飲まない人やほぼ飲まない人に比べ、脳のうち記憶をつかさどる「海馬」が収縮し、記憶力が低下することが示された。従来の見解では、適量の飲酒はまったく飲まないよりもむしろ健康にいいとの学説もあったが、「まったく飲まない」の群の中にドクターストップによる断酒者を含んだまま集計する統計処理上の誤りが指摘されたためだ。ドクターストップによる断酒者を除いて再集計すると、海馬の収縮度は飲酒量に比例していた。少量の飲酒でも心筋梗塞や脳卒中のリスクが上がることもわかった。飲酒が余命を縮めるとの英国の別の論文もある。WHO(世界保健機関)の外部組織、国際がん研究機関(IARC)はアルコールを発がん性物質のグループ1(確実な発がん性を持つ)に分類。グループ1には煙草やアスベストの他、ヒ素やマスタードガスなどの毒ガスが含まれる。

 2017年11月には、米国臨床がん学会(ASCO)が「2012年における新規発生のがんの5.5%、がん死亡者の5.8%がアルコールに起因する」との声明を出した。欧米諸国を中心に飲酒に対する包囲網は確実に狭められつつある。このまま行けば、2020年代の欧米諸国は冗談抜きに1920年代の米国のような禁酒法の時代になるかもしれない。

 日本でも、厚生労働省の研究班が2008年、飲みすぎによる社会的損失が年間4兆1483億円に上るとの試算を公表した。労働生産性が21%低下するほか、飲酒運転による交通事故まで加えた総額は5~7兆円と、煙草の社会的損失に匹敵する規模になることが示された。

 つい最近も、東京五輪を控え、受動喫煙禁止の範囲をどこまでにするかをめぐって政府与党や東京都までを巻き込む激しい議論があったが、これだけ撲滅が叫ばれながら悲惨な飲酒運転事故が後を絶たない現状を見ると、そろそろ飲酒にも何らかの社会的規制を考える時期に来ているといえよう。とはいえ、最近も量販店におけるビールの値引販売規制法を作った自民党政権は、酒屋業界が重要な選挙基盤となっていて、多くの議員が酒屋業界からの政治献金を受けるなど、今後もまともな飲酒規制は期待できそうもない。この春以降、世論調査で支持率より不支持率が上回る状態が続いている安倍政権だが、鉄道や農業など国民生活に役立つ産業にはまともに税金を投入せず、保護・育成している産業が酒・煙草・ギャンブル(カジノ)というのでは国民の支持など離れて当然だ。この面からも安倍政権には退場いただかねばならないが、それにはどのような方法があるか、労働者・市民もじっくり考えよう。酒など飲んでいる暇があるなら、その時間で思考すれば今までよりも良いアイデアが浮かぶかもしれない。酒がなければ不安で生きていけないという人は、何か他の目標を立てるといい。私の今の目標は「お酒をやめてできる限り長生きし、日本から原発がなくなる日をこの目で見届けること」である。

 そういうわけで皆さん、お酒をやめてみませんか?

(黒鉄好・2018年8月19日)

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2018年 六ヶ所ピースメッセージ

2018-08-22 21:46:06 | 原発問題/一般
昨年に引き続き、今年も六ヶ所ピースサイクルへのメッセージ依頼があった。以下、当ブログが寄せたメッセージをご紹介する。

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六カ所ピースメッセージ

 青森県知事 殿
 六ヶ所村長 殿
 日本原燃株式会社代表取締役社長 殿

 日本がフランスと共同研究しようとしている新型高速炉「ASTRID」について、フランス原子力庁は今年6月、計画縮小を表明しました。今年7月に策定された新エネルギー基本計画で、政府は世界からのプルトニウム削減の声に押され、47トンにも及ぶプルトニウム保有量の削減を打ち出さざるを得ませんでした。

 この1年間の大きな情勢の変化は、なんといっても米朝首脳会談によってアジアから核戦争の危機が大きく遠のいたことです。日本が使用目的のあいまいなプルトニウムをこれ以上保有し続ければ、国際社会の日本核武装への懸念は強まるでしょう。そうした懸念を払拭するためには、核燃料サイクルからの撤退を日本がはっきり打ち出すこと以外にありません。

 世界は核のない未来に向けて努力を続けています。未来のない原子力推進から脱原子力へ、青森県、六ヶ所村、日本原燃が、勇気を奮って、政策を転換するよう強く望みます。

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第100回高校野球記念大会講評

2018-08-22 01:21:13 | 芸能・スポーツ
夏の全国高校野球記念大会は、大方の予想通り「やはり」大阪桐蔭の優勝で幕を閉じた。同一高校が春夏連覇を2回達成したのは高校野球史上初。桑田真澄・清原和博のあの「KKコンビ」を擁した80年代のPL学園でさえ成し得なかった快挙だ。

KKコンビ時代のPLも「憎たらしいほど強い」と言われたが、それでも1984年春の選抜で岩倉高校(東京)に負けたり、同じく84年夏の大会では、その後長く常総学院の監督として君臨することになる屈指の名将・木内幸男監督率いる取手二(茨城)に負けたりするなど結構取りこぼしもしている。もともと大阪代表にとっては、甲子園で勝つよりも大阪府予選で勝つほうが難しいといわれているが、甲子園に「出てくるのが当たり前」、出てくれば「優勝するのが当たり前」と認識され、負ければそれだけで厳しい批判にさらされるというプレッシャーの中、それでも下馬評通りに優勝してしまうところに大阪桐蔭の底力を感じる。当ブログの個人的感想だが、大阪桐蔭の強さは往時のPLすら上回っており、倒せるチームはここしばらくは現れないだろう。大阪桐蔭の「黄金時代」は、少なくとももう5年程度は続くのではないだろうか。

準優勝した金足農業(秋田)は、その84年の大会でKKコンビのいるPLを相手に中盤までリードし、あわや勝つかと思わせるほど互角の戦いを演じた過去があるだけに、開会式で学校名を聞いた瞬間、台風の目とまではいかなくとも小旋風くらいは巻き起こすだろうと直感的に思っていたらその通りになった。東北勢悲願の初優勝はまたもならなかったが、「黄金時代」を迎えた大阪桐蔭と対戦しなければならなかったことは大変気の毒だ。大阪桐蔭はいわば「別格」であり、事実上の優勝と思っていい。胸を張って秋田に帰ってきてほしい。

東北勢は、春夏合わせてこれで12回目(春3回、夏9回)の準優勝となった。毎回、あと1歩のところまで来ながらどうしてあと1つが勝てないのだろうと、東北に6年暮らした当ブログも大変悔しく思う。しかし、夏の大会に限ったデータだが、東北勢が決勝に進出したのは高校野球の前身、中等学校野球大会の歴史が始まった第1回(1915年)のほか、1969年、1971年、1989年、2003年、2011年、2012年、2015年(参考記事)。1915~2000年の85年間で4回しか決勝進出できなかった東北勢が、2001年以降のわずか17年間で今回含め5回も決勝進出したのである。大会期間中、「甲子園「四国凋落と東北躍進」の明らかな根拠~データで読み解く「甲子園」強豪地方の変遷~」(東洋経済オンライン)という記事が掲載されたが、四国勢凋落はともかくとして、東北勢の躍進についてはこの記事に異存はない(この記事に対しては、同じ期間での比較でなければ意味がない、などとする批判があるが、各地域が最も強かった時期を取り出して比較することにはそれなりの意味があるし、何十年もの間、高校野球を見続けてきた当ブログの皮膚感覚とも一致していて問題ないと考える。むしろ、同じ期間での比較でないと意味がないと騒いでいる人たちは、一昨年~昨年とセ・リーグV2を果たした広島が、今年も首位を走っているのに、巨人V9時代と同時期の広島とを比較して、巨人のほうが強いと主張するのと同じ誤りを犯している)。

大会全般を振り返っておこう。

今年は、通算100回の記念大会ということもあり、盛り上がったというより「盛り上がってくれなければ困る」人たちが、往年のプロ野球選手を次々登場させる「レジェンド始球式」を仕掛けるなど集客に向けた試みも抜かりなかった。通常は49校の代表校も56校と大幅に増やした。だが、結果的にはこうした仕掛けがなくとも十分に見ごたえのある大会だった。

今大会が面白かったのは、なんといっても大量得点差のゲームが少なく接戦が多かったことだ。大半の出場校がビッグイニングを作れる力を持っている中で、逆転可能な得点差(おおむね5点以内)に収まるゲームが多かった。そしてその結果として逆転試合も多かった。1~2年生の活躍が目立ったのも今大会の特徴で、来年~再来年に向けて楽しみが持続するのはうれしいことだ。

昨年春の選抜で1日のうち2試合が延長15回引き分け再試合となった「反省」を踏まえ、延長戦による選手の疲労対策として今年春の選抜から導入されたタイブレーク制(延長13回以降は毎回の攻撃を無死1、2塁からスタートさせる)は、選抜では適用される試合がなかったが、今大会は2試合が適用対象になった。タイブレーク制は、地方大会ではここ数年で徐々に導入され始めていたが甲子園では正式導入は今年からだ。タイブレークとはどういう意味なのだろうと思っていたが、「タイ」スコアをブレーク(破壊、打破)するという意味なのだと推測される。

このタイブレーク制が思わぬドラマを生むことになった。8月12日、大会8日目(2回戦)の星稜(石川)×済美(愛媛)戦。タイブレークの末、甲子園の長い歴史上初の逆転満塁サヨナラ本塁打によって済美が勝った1戦は、間違いなく球史に長く語り継がれる名勝負だろう。試合結果を伝えるインターネットの記事に対して、「星稜はいつも負けて伝説を残すチーム」だとのコメントがあったが、なるほどと思った(参考記事:星稜、また敗れて伝説 延長13回激闘「勝ちたかった」)。ついでに言えば、済美の中矢太監督は、かつて1992年の大会で、松井秀喜(星稜)にあの「5打席連続敬遠」を指示して社会問題となった明徳義塾(高知)・馬淵史郎監督の教え子で、その大会にも明徳の選手としてベンチに入っていた。不思議な因縁のある試合だった。

新しい制度のため整理しておくと、タイブレークは決勝戦には適用されないが、決勝戦が延長15回で引き分け再試合となった場合、再試合には適用される。もちろん決勝戦以外にも適用だ。適用の場合は13回表の攻撃から。打順は前の回からそのまま引き継ぎ、無死1、2塁からスタート。出塁する走者は打者から見て最も遠い打順の2人(例えば、前回の攻撃が6番打者で終わったとすると、7番打者からの攻撃となり、走者は5、6番打者となる)。けがをした選手が治療するため一時的に代走を務める「臨時代走」の場合、投手は免除となるが、タイブレークの場合の走者は投手も免除とはならない。タイブレークのため出塁した1、2塁走者が生還した場合、自分の責任で出した走者ではないので、得点を与えた相手チームの投手には失点のみが記録され、自責点は記録されない――との運用になっている。従来の公認野球規則に沿ったもので、妥当な運用と言えよう。

当ブログは、タイブレークになれば後攻チームが圧倒的に有利なのではないかと予測していた。結果的には先攻チーム、後攻チームが1勝ずつで後攻チームが特段有利との結果にはならなかった。だがよくよく考えてみればこれは当然の結果で、もともと延長戦だからと言って後攻チームが圧倒的に有利なわけではない(毎回、サヨナラ勝ちのプレッシャーを相手チームに与えることができる一方、先攻チームは本塁打以外で大量得点を挙げ一気に試合を決めることができる利点があり、一長一短である)。その上に、両チームにとって公平な新しい条件が加わるだけだから、先攻チームと後攻チームの勝率に変化が出るほうがおかしいわけで、当ブログとしては不明を恥じねばならない。

タイブレークの導入は延長戦が延々続くという事態を避け、選手の過労対策という意味でも根本的対策には程遠いものの、一定の効果があったと思う。タイブレークが今後の高校野球を変えるかどうか、現時点では判断し難いが、延長13回以降の攻撃が無死1、2塁から始まるこの制度の導入により、今後は強攻策だけのチームに対して、バントなど小技で着実に走者を進めるタイプのチームが有利になる効果はありそうだ。特に決勝まで進んだ金足農業は、タイブレーク適用試合こそなかったものの、大会14日目(8月18日)の準々決勝での近江(滋賀)戦では3得点がすべてスクイズによるものだった。

ここ20年くらい、小技が使えなくても本塁打を打ちまくって相手を圧倒すればいいというメジャーリーグばりの大味なチームが甲子園の主流を占め、当ブログは辟易としていた。大技だけでなく小技も多用できるチームが上位に勝ち残れることを高校野球の「原点」と定義するならば、タイブレーク制の導入という思わぬ形で高校野球に「原点回帰」の可能性が出てきたと当ブログは考える。これは長期的に見ればよいことである。

タイブレークに関しては、「自分の責任で背負ったわけではない走者の生還で試合の決着がつくのはおかしい」との批判のほか、「過去の記録とタイブレーク制適用下での記録の整合性がつかなくなる」との批判もある。だが、どちらも当ブログはやむを得ないと考える。そもそも両チーム同じ条件なのだから許容すべきであろうし、タイブレークが適用されない試合にこの批判は当てはまらない。むしろ、1991年に行われた甲子園のラッキーゾーン撤去のほうが、全試合、全選手の記録に影響するのだから大事件だっただろう。ラッキーゾーン撤去の前後の記録さえ通算・比較されてきたことを考えると、この程度のことが問題になるとは思わない。

プロ野球に話は飛ぶが、「1964年に年間本塁打55本を達成した王貞治(巨人)と、2001年に同じく年間本塁打55本を達成したローズ(近鉄)ではどちらが上か」と尋ねられた場合、みなさんならどう答えるだろうか。1964年当時、巨人が本拠地としていた旧後楽園球場の両翼は90mに対し、ローズがいた当時の近鉄が本拠地としていた大阪ドームの両翼は100mである。これだけを見れば、広い球場で55本塁打を記録したローズのほうが上であるように思える。しかし、ローズが55本塁打を記録した当時の年間試合数は143試合であるのに対し、王が55本塁打を記録した1964年は年間140試合だった。この意味では、試合数が少ないにもかかわらず同じ本塁打数を打った王のほうが偉大だとの反論もできる。記録とはもともとそのようなものであり、結局は各自がそれぞれの価値観で評価するしかないものである。

100回記念大会の目玉企画「レジェンド始球式」に不思議な因縁を感じたのは、開会式初日、松井秀喜が始球式を行う第1試合を彼の母校、星稜が引き当てたことだ。昨日の準決勝でも、金足農業が出場する試合の始球式を桑田真澄(PL~巨人)が務めたが、1984年の大会におけるPL×金足農業の試合を知るオールドファンにとってはこれも不思議な因縁だ。

最後に、山口直哉(済美)、吉田輝星(金足農)など何人かの投手は地方予選から甲子園での敗退までを1人で投げ抜いたが、予想していた通り「投げ過ぎ」批判が上がった。近年は選手の健康管理の観点から、エース級投手を複数用意して戦うスタイルが主流になっている。これに対しては、元ロッテの里崎智也氏が「甲子園での高校野球で球数制限は必要か」(日刊スポーツ)と題する記事で「私は高校時代に鳴門工で野球をしたが、同じ部員で高校卒業後、野球を続けたのは私1人だった。1つ上の先輩にも聞いたが、1人しかいなかった。草野球などを除き、本格的な野球を継続する選手は一握り。野球部でも高校卒業後は、将来の仕事に向けて進む人が大部分で、全員がプロ野球を目指すわけではない」として投球数制限に反対している。しかし、「卒業後も野球を続ける選手がほんの一部」であることを理由に選手全員が不合理な精神主義に付き合わされる必要性はまったくないわけで、里崎氏のこの主張は時代遅れの誤ったものと言わなければならない。一部の不合理な行動に全体が支配され疲弊していくのは、野球界、スポーツ界に限らない日本社会全体の悪弊である。

「投球数制限が導入されたら、ぎりぎりの選手数で大会に出場している学校が不利になり、ますます学校間格差が開く」と里崎氏は主張しているが、別にそれでいいではないか。全国からプロ入りを目指す選手が集まってくる大阪桐蔭などは今や完全に「プロ野球予備校」状態であり、そのことの是非自体が問われるべき新たな段階に入っている。むしろ、今の状態のまま進むより、甲子園出場校を「プロ野球予備校」と「それ以外の健全な教育活動としての野球部を目指す学校」に分離し、それぞれを別の大会にするなどの抜本的改革が必要なのではないか。そう思わせられるほど最近の大阪桐蔭の強さは異常なレベルと言える。今後に向け、ひとつの問題提起としておきたいと思う。

東京の夏が昔より断然暑くなっている、とする報道もある。地方予選段階では、京都府大会が今年から最も熱くなる午後1~4時の時間帯の試合を取りやめ、従来この時間に行われていた試合をナイターに繰り下げる措置を取った(参考記事)が、地方予選段階でのこうした取り組みは甲子園での全国大会でも取り入れてはどうだろうか。

何かと話題の多かった区切りの100回大会も終わり、猛暑日続きだった異常な夏にもようやく陰りが見えてきた。100年の歴史の重みが積もり、すっかり国民的行事と化した高校野球だが、昭和の遺物とでもいうべき矛盾も噴出し、今後に向けた改革の方向性もよりはっきりしてきた。守るべき点は守り、改めるべき点はきちんと改める。それこそが、戦争や震災という苦難の中でもこの行事を作り、育て、守ってきた歴史の先人たちに対するあるべき姿勢だと当ブログは考える。関係者一同、そのために改めて英知を結集してほしい。

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【金曜恒例】反原発北海道庁前行動(通算303回目)でのスピーチ/原発を見限ったゼネコン業界の新たな動き

2018-08-17 23:58:16 | 原発問題/一般
 みなさんこんにちは。

 今日は、日本の原発を陰で支えてきたゼネコン、建設業界に、原発から自然エネルギーへの大きなパラダイムシフト、地殻変動が起きつつある。そんな少し希望の持てる話をしたいと思います。

 ご存知の方もいるかもしれませんが、おととし2016年に「水力発電が日本を救う」という本が出ました。著者は、元国土交通省河川局長として、3つのダムの建設に携わった竹村公太郎さんという方です。かつてダム建設といえば、建設予定地の住民を追い出し、土地を強制収用で奪い、時代の変化によって事業の必要がなくなったころになってようやく建設が始まるような、自然破壊と税金垂れ流しのイメージが付きまとっていました。群馬県で建設が進んでいる八ッ場ダムなどは今もこうした負のイメージそのままといっても過言ではありません。

 しかし、竹村さんはこの本の中でこれからのダム事業は違うと強調しています。この本のポイントはいくつかありますが、治水用だけに作られ、発電用に作られていなかったダムに新たに発電の機能を持たせ、半分程度しか水を貯めていないダムの貯水率ももっと引き上げる。それでも不十分な場合には少しだけダムをかさ上げする。要するに、今あるダムの使い方を変え、また少し改修するだけで大幅に水力発電量を増やすことができる。ダムはワイングラスのような形をしていて、上に行くほど容積が大きくなるので、今あるダムを10%かさ上げするだけで、発電量を2倍に増やすことができるのだそうです。電源を一極集中から多極分散型に変えるため、各地に小水力発電所をたくさん作るべきだという提言もしています。

 竹村さんは、これらの施策を組み合わせることによって、永遠に枯れることのない水から新たに2兆円分の電力と200兆円分の富が生み出せると試算しています。夢のようなバラ色の未来が描かれていますが、これは日本政府が政策を変えさえすれば夢ではなく現実となるのです。

 自分にとって心地よいことを言う人物ばかり重用し、耳の痛い忠告をする人物はことごとく遠ざけるなど、すっかり裸の王様となった安倍首相は、相変わらず経産省の言うことばかり聞き、原発にしがみついています。しかし情勢は大きく変わりつつあります。

 日本プロジェクト産業協議会という団体があります。ゼネコンや中小建設会社、機械金属メーカーなど218社が加盟する業界団体で、これらの企業の利益につながるような公共事業についての情報交換や国への陳情活動などを主な目的としています。はっきり言ってしまえばゼネコン利権団体ですが、この日本プロジェクト産業協議会の中の委員会のひとつである水循環委員会の前委員長が、この本を書いた竹村さんだったのです。

 日本プロジェクト団体協議会水循環委員会は、2013年12月、水力発電に関する提言をまとめました。「純国産の自然エネルギー・水力による持続可能な未来社会~既存のダム・水力施設の最大活用による水力発電の増強~」と題したこの提言では、竹村さんが提案したダムのかさ上げや使い方の改善によって新たに324億kwhの電力が生み出せるとしています。福島第1原発事故直前の2009年における原発54基の年間発電量は2798億kwhでした。この数字は、日本の年間発電量全体の29.3%に当たります(注1)。昨年(2017年)の日本の原発比率は2.8%(注2)なので、単純に2009年の1割とすると、原発の発電量は約280億kwhとなります。つまり、竹村さんが提案した水力発電の活用策を実行に移せば、少なくとも今、再稼働している原発程度の電力はまかなうことができるのです。

 今、日本の発電量全体に占める水力の比率は7.6%(注2)で、1割にも達していません。まだ記憶に新しい西日本豪雨をはじめ、近年、日本は大雨によって次々と多くの水害に襲われています。これだけ多くの雨が降っているのに、それが資源として活かされることもなく、災害だけをもたらし海に流れ出てしまうのはもったいない話です。まともな感覚を持った人なら、この水を何かの役に立てられないか考えるのは当然のことです。

 福島第1原発事故では、東京電力の責任ばかりが問われていますが、本来であれば法律で免責されている原子炉メーカーの責任は問われて当然ですし、建屋を作ったのは建設会社なのですから、ゼネコンや建設業界の責任も本来は問われておかしくありません。そうした責任の話はとりあえず今日は置いておきます。

 日本プロジェクト産業協議会という建設業界最大の利権団体で水力発電を拡大する方向での提言が出されたことに私たちはもっと注目すべきでしょう。もちろん、過去のダム建設による環境破壊や税金無駄遣いが再び繰り返されないよう、ゼネコン業界を監視することは必要だと思います。しかし一方でこれらの動きは、日本の建設業界が、原発にはもう未来がないと判断し、事実上、原発を見限ったことを意味しています。事故の反省もせず、深刻な環境汚染や健康被害はすべて隠蔽し、なかったことにしてやり過ごすだけの安倍政権の姿勢をよそに、民間レベルではすでにポスト原発に向けた動きが始まっているのです。海外への原発輸出も多額の費用が掛かることがわかり、早くも困難に直面しています(参考記事:日立の英原発建設、米大手が外れる方向 建設費の高騰で)。国内でも海外でもコストの膨れ上がった原発、危険で地球上のあらゆる生命を不幸にするだけの原発はいますぐやめろと、私たちが粘り強く声を上げ続けるなら、原発のない未来は必ず実現します。頑張りましょう。

(注1)(独)原子力安全基盤機構安全情報部・編「原子力施設運転管理年報 平成22年版(2010年11月)」より
(注2)いずれも「電源調査統計」より(参考資料

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33年迎えた日航機事故 原因めぐって新たな動きも……

2018-08-12 20:49:17 | 鉄道・公共交通/安全問題
墓標そばの木、夫婦は赤パーカ着せた 日航機乗った息子(朝日)

墜落事故で失った娘へ 完成まで15年、千羽鶴を2人に(朝日)

単独機の事故としては史上最悪の520名が死亡した日航123便墜落事故から33年を迎えた御巣鷹では、例年通り多くの遺族に加え、他の事故や災害で犠牲になった人の遺族も慰霊登山をした。東日本大震災による津波で息子さんを亡くした七十七銀行女川支店員の遺族も4度目の慰霊登山だ(参考記事)。時を超え、場所を超え、災害や事故など「企業による過失犯罪」の犠牲となった人の関係者の多くを引き付ける「磁場」として、御巣鷹は今年も健在だ。

安全問題研究会は、昨年8月12日にも現地を訪れたが、遺族以外は事故当日の慰霊登山を遠慮してほしいと言われ、入山は断念している(関係記事)。これだけ多くの人がこの事故のことを思い、考え、行動している事実を目の当たりにした当研究会は、この事故に関する限り、みずからの役割は事実上終わったと判断し、慰霊登山は今後しばらくは行わない考えでいる。次に行うのは、早くても節目の35周年か40周年のいずれかになるだろう。

その一方、ここ数年で新たな動きが出てきている分野もある。この事故の原因に関してである。事故20年を過ぎた2005年に、何者かの手によって持ち出されたボイスレコーダーの音声が流出し、メディアで流されたのを境として、原因究明の動きには一区切りがついたと思われた。2000年代後半からしばらくの間、この事故に関する本の出版などが下火になった時期もある。しかし、事故29周年の2014年に「8.12日航機墜落30回目の夏~生存者が今明かす“32分間の闘い”ボイスレコーダーの“新たな声”」(関係記事)が放映されて以降、再びこの事故の原因をめぐる本の出版などが活発化した感がある。端的に言えば、事故調説(圧力隔壁破壊説)対「撃墜/無人標的機衝突説」の闘いが再び激しさを増しているのである。

「撃墜/無人標的機衝突説」を唱える本は、「疑惑 JAL123便墜落事故―このままでは520柱は瞑れない」(角田四郎・著、早稲田出版、1993年)以来、読み応えのあるものは久しく出ていなかったが、昨年7月出版された「日航123便墜落の新事実~目撃証言から真相に迫る」(青山透子・著、河出書房新社)は「撃墜説」を唱える本の中では久しぶりに読み応えのある内容だった。当ブログ管理人が現在、読み進めている本は「日航機123便墜落 最後の証言」(堀越豊裕・著、平凡社新書)だが、こちらは事故調の圧力隔壁説をベースとし、青山説への反論を試みながらも撃墜説を「一笑に付せない」と結局、否定しきれずに終わっている。これらの本については、久しぶりに読後、書評を書いてみようと思っている。当ブログの事故原因に関する最新の見解も、併せて公表できるだろう。

当ブログのおすすめ番組 ボイスレコーダー~残された声の記録~ジャンボ機墜落20年目の真実(2005年放送,TBS)

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【金曜恒例】反原発北海道庁前行動(通算302回目)でのスピーチ/韓国の反原発運動の現状

2018-08-11 18:31:33 | 原発問題/一般
レイバーネット日本の報告はこちら→「高橋知事、あなたは何かのために命を懸けたことがありますか」~8.10道庁前行動レポート

 みなさんこんにちは。

 2週間、この道庁前行動をお休みさせていただき、今日は3週間ぶりの参加です。しかしこの間、何もしていなかったわけではなく、先々週の金曜、27日には大阪で関西電力本社前行動に参加してきました。いま日本で、原発を4基も動かしているのは九州電力と関西電力だけです。仲間とともに「再稼働やめろ」と叫ぶと、ただでさえ35度近い大阪の夏が余計に暑くなった気がしました。

 わざわざ北海道から来たということで、発言を求められたので、2つのことを話しました。ひとつは私の仲間が集めている「放射能健康診断を求める署名」が北海道内でついに1000筆を超えたということ、もうひとつは道庁前行動が今日で300回だということです。高橋はるみ知事が泊原発をやめるというまで1000回でも2000回でも行動を続けると発言すると拍手が起きました。でも本当は高橋知事が泊原発をやめて、北海道を原発のない地域にすると言ってくれさえすれば、こんなめんどくさい行動はせずに済むんです。35度近い猛暑の中、市民がこの社会と子どもたちの未来を思い、汗を流しながら原発廃止を訴えているのに、まだあなたのところに私たちのこの声は届きませんか?

 大阪には3日間滞在しました。韓国で反原発の闘いをしている慶州(キョンジュ)環境運動連合のイ・サンホン事務局長が来ていて興味深い話を聞きました。韓国では現在23基の原発が稼働しています。2030年までに28基へと拡大する方針だったのが、文在寅政権の下で現在、建設は止まっています。韓国でも原発なしで電気は足りています。イさんは「原発は東海岸に集中していて、もし事故が起きれば日本にいちばん影響する。中国も原発は東側に多く、事故では韓国が被害を受ける。だから反原発運動は国際連帯が必要だ」と問題意識を語りました。

 反原発の運動は、放射性廃棄物処分場反対の運動とともに進みました。「2003年に扶安(プアン)郡蝟島(ウィド)が処分場に選定されると、怒りが頂点に達し、扶安住民は108日間の抵抗闘争を行い全国から支援が寄せられました。住民投票委員会を組織し、約72%が投票に参加し、うち91%以上が反対でした。政府は不法投票だとして住民投票を認めませんでしたが、高濃度の廃棄物処理はやめさせました。しかし慶州の住民投票では、地域の経済発展ばかり強調されて約9割が賛成し、中濃度の廃棄物処理場が決まってしまいました。ショックで反対市民は出て行った、とのことでした。

 福島の原発事故は、韓国にも衝撃をもたらしました。その年の選挙では、すべての候補者が原発縮小を公約しました。住民投票や署名運動、裁判闘争も前進し、ロウソク革命の流れの中で、2017年には裁判で勝訴して月城(ウォルソン)原発1号機の再稼働を止めました。放射能の健康被害も問題にされるようになり、2014年には古里(コリ)原発から6kmに住むイ・ジンソプさんが甲状腺がんで訴え、因果関係が認められました。それを機に、韓国では最大規模の618名が原告となって共同訴訟を闘っています。原発から半径10km内に5年以上住み、甲状腺がんになった人たちが原告になっています。

 この話を聞いて、私が素晴らしいと思ったことがいくつかあります。日本では、選挙で与党系の候補が争点隠しのために自分も基地や原発に反対だというと、みんな政府の「経済対策」に期待してすぐに自民党に投票してしまいます。しかし韓国では地方選挙でも文在寅大統領系の政党が連戦連勝であり、保守系の野党は敗北を続けています。原発推進の保守政党の見え透いた嘘に市民が騙されない。まずここが日本の市民と決定的に違います。自民党に投票するなとは言いませんが、それなら死ぬ気で自民党を脱原発に変える闘いも並行してするのでなければならないと思います。

 もうひとつは、古里原発近くに住む住民の甲状腺がんについて、原発との因果関係を認めた裁判所のすごさです。日本では福島原発が事故を起こしてもなお、福島県民の甲状腺がんさえ事故との因果関係が認められていないのに、韓国では事故も起こしていない普通の原発の近くに住んでいる人が病気との因果関係を認められたわけです。韓国のゲストの皆さんは、日本、福島の闘いに学びたくて来日したとのことですが、どうやら学ばなければならないのは私たちのようです。

 しかし韓国もいいことばかりではないようです。慶州の原発がある村の住民の100%つまり全員の尿中からトリチウムが検出されました。原発から離れた市ではもちろんほとんど出ていません。原因は報告されませんでしたが、現地では雨水にトリチウムが含まれているのではないかと言われているそうです。住民は抗議行動を起こしていて、福島の原発事故以降、韓国市民も原発周辺を避けるようになりました。原発に近い住民が2016年に移住を要求するようになりましたが、認められていません。法案を提出しても、この2年間議論にもなっていないのです。韓国の憲法では〝居住・移住の自由〟があり、8月に法案を再提案して、被ばく問題というより権利の問題として議論していきたい。慶州(キョンジュ)環境運動連合のイ・サンホン事務局長からはこんな報告がありました。

 北海道でも、市町村別がん死亡率1位が泊村、2位が岩内町であることはよく知られていますし、居住・移転の権利を行使していくため、積極的な意味で福島からの避難をされている方も多くいることも私は知っています。むしろ話を聞けば聞くほど、日韓で抱えている課題は同じだということが見えてきた有意義な3日間だったと思います。これ以外のことは、また何かの機会にお話しできればと思います。

 今日は以上で終わります。ありがとうございました。

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【福島原発事故刑事裁判第23回公判】原電も東海第2の津波対策を実施していた! 改めて東電の異常さ浮き彫りにする数々の「新事実」

2018-08-02 23:28:33 | 原発問題/福島原発事故刑事訴訟
福島原発事故をめぐって強制起訴された東京電力旧3役員の刑事訴訟。7月27日(金)の第23回公判の模様を伝える傍聴記についても、福島原発告訴団の了解を得たので、掲載する。8月は公判も休みとなり、次回、第24回公判は9月5日(水)に行われる。

執筆者はこれまでに引き続き、科学ジャーナリスト添田孝史さん。

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●「福島も止まったら、経営的にどうなのか、って話でね」

 7月27日の第23回公判では、関係者の発言、別の原発が密かに実施していた津波対策など、「あっ」と驚くような事実が数多く開示された。事故に関して、まだ多くの情報が公開されていないことを実感させられた公判だった。

 「柏崎刈羽も止まっているのに、これに福島も止まったら、経営的にどうなのか、って話でね」

 東京電力が津波対策の先送りを決めた2008年7月31日のすぐ後に、東電・酒井俊朗氏(第8・9回証人)は、このように発言したらしい。

 「こんな先延ばしでいいのか」「なんでこんな判断するんだ」

 2008年8月6日、日本原子力発電(原電)の取締役開発計画室長は、東電の津波対策先送りを聞き、こう発言していた。東電の決定は、原電役員が唖然とするようなものだったのだ。

 東電が先送りした津波地震対策を、原電は先送りせず、少しずつ進めていたこともわかった。敷地に遡上することを全面阻止する(ドライサイト)のやり方ではなく、建屋の水密化なども実行していた。「他の電力会社も、地震本部の津波地震に備えた対策はしていなかった」ことを東京地検は、東電元幹部の不起訴理由に挙げていたが、それは間違いだと明確になった。

 この日の証人は、日本原電で津波想定や対策を担当していた安保秀範(あぼ・ひでのり)氏。大学院では応用力学の研究室に所属。1985年に東電に入社し、2016年からは東電設計に移っている。2007年10月から2009年3月まで原電の開発計画室土木計画グループのグループマネージャーとして出向し、東海第二原発の耐震バックチェックに関する業務を担当していた。

 検察官役の久保内浩嗣弁護士の質問に安保氏が答える形で、事故前の議事録、メールなどをもとに、関係者の発言や考え方を追っていった。

●「今回BCに入れないと後で不作為であったと批判される」

 地震本部が予測した津波地震について、「今回のバックチェック(BC)にいれないと後で不作為であったと批判される」と、2007年12月10日、東電の高尾誠氏(第5〜7回公判証人)は語っていたようだ。公判で示されたメモ(注1)で明らかになった。

 2008年2月、高尾氏が今村文彦・東北大教授に面談し、その際に今村教授は「福島県沖海溝沿いで大地震が発生することは否定できないので、波源として考慮すべきである」と指摘した(注2)。

 その内容について報告を受けた安保氏は、東電の金戸俊道氏(第18・19回証人)に、「こうすべきだとダメ押しされたという内容ですね」とメール(注3)を送っていた。

 これらのデータをもとに、日本原電の2008年3月10日の常務会では、地震本部による津波地震の予測について「バックチェックにおいて上記知見に対する評価結果を求められる可能性が高い」と報告されていた(注4)。

●「こんな先延ばしでいいのか」「なんでこんな判断するんだ」

 東電の「津波地震を考慮する」という判断に引っ張られて、日本原電も防潮壁の設置した場合の敷地浸水をシミュレーションするなど、対策に動き始めていた。ところが2008年7月31日、東電は方針変換して津波対策の先送りを決める(いわゆるちゃぶ台返しの日)。

 東電の先送り決定直後に、安保氏は、「なぜ方針が変わったのか」と東電・酒井氏に尋ねた。

 「「柏崎刈羽も止まっているのに、これに福島も止まったら、経営的にどうなのか、って話でね」と酒井氏は答えた」。安保氏は検察の聴取に、そのように述べていたことが、公判で明らかにされた。当時、2007年7月の地震により柏崎刈羽原発の7基が全て止まったままで、東電は2007年度、2008年度連続の赤字がほぼ決まっていた。

 酒井氏の発言について、この日の公判では、安保氏は「今の記憶ではありません」「そういうふうに思ったということだと思います」などと述べ、内容を明確には認めなかった。

 東電の先送りを受け、2008年8月6日に原電で社内ミーティングが開かれた。ここでの状況について、安保氏は以下のように検察の聴取に答えていたことが公判で明らかにされた。

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 当時取締役・開発計画室長だった市村泰規氏(現・同社副社長)は「こんな先延ばしでいいのか」「なんでこんな判断するんだ」と延べ、その場が気まずい雰囲気になった。

 安保氏は、東京電力の方針を受け入れる代わりに、長期評価をバックチェックに取り入れない積極的な理由は東京電力に考えてもらいたかったと考えた。
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 このような8月6日の様子について、安保氏は公判で自ら説明することは無かったが、検察の聴取結果を指定弁護士に読み上げられると「言われてみればそういうふうに言ったと感じます」と述べた。

 また、原電としては、東電の方針について「リーディングカンパニーである東電に従わないということは考えにくい」と検察に答えていたことも明らかになった。

●津波地震への対策、多重的に進めていた

 公判で示された資料によると、東電の先送り後、原電は2008年8月段階で、津波対策の方針を以下のように決めた。

 ・地震本部の津波地震による津波については引き続き検討を続ける。

 ・バックチェクについては茨城県津波でやる。

 ・津波対策については、耐力に余裕があるとは言えない。バックチェックの提出時点で対策工が完了していることが望ましい。茨城県の波源についての対策は先行して実施する

 「茨城県の波源」とは、茨城県が2007年に延宝房総沖地震(1677年)と同じ規模の地震を想定し、浸水予測を発表したものだ。原電は東海第二原発の津波を最大4.86mと予測していた(2002年)が、茨城県の予測は5.72mでそれを上回り、原子炉の冷却に必要な非常用海水ポンプが水没してしまうことがわかった。そこで、ポンプ室の側壁を1.2mかさ上げする工事をした(注5)。

 ただし、茨城県の津波予測は、敷地(約8m)を超えない。しかし、地震本部の津波地震でシミュレーションすると敷地に遡上し、原子炉建屋の周辺部が85センチ浸水することがわかった。


茨城県の津波想定(2007)で、東海第二は浸水が予測されていた


 そこで、原電は「津波影響のある全ての管理区域の建屋の外壁にて止水する」という方針を決める。

 工事で不要になった泥を使って海沿いの土地を盛土し、防潮堤の代わりにして津波の遡上を低減。それでも浸水は完全には防げないため、建屋の入り口を防水扉や防水シャッタ−に取り替えたり、防潮堰を設けたりする対策を施した。

 東日本大震災の時、東海第二を襲った津波は、対策工事前のポンプ室側壁を40センチ上回っていた。外部電源は2系統とも止まったので、もし、津波対策をしていなければ、非常用ディーゼル発電機も止まり、電源喪失につながる事態もありえたのだ。

 安保氏も「側壁のかさ上げが効いていたと認識しています」と証言した。

 原電の津波対策には、注目すべきポイントが二つある。

 一つは、地震本部が予測した津波地震対策も進めていたことだ。東京地検は2013年9月に東電元幹部らの不起訴処分を決めた時、理由の一つに「他の電力事業者においても、推本の長期評価の公表を踏まえた津波対策を講じたことはなかった」を挙げていた。原電は、実際に長期評価の津波地震に備えて建屋の水密化などを進めていたので、地検の不起訴理由で、この部分は間違っていたことがわかる。

 もう一つは、敷地に津波が遡上してくることを前提にした対策を進めていたことだ。東電元幹部らの弁護側証人として出廷した岡本孝司・東大教授(第17回公判)は、防潮堤を超えた津波に対応する扉の水密化などの多重的な津波対策をとっている原発は「残念ながらありませんでした」と証言していた。これは間違っていたことがわかる。

 また、東京地検も、2回目の不起訴の時(2015年1月)に「本件のような過酷事故を経験する前には、浸水自体が避けるべき非常事態であることから、事故前の当時において、浸水を前提とした対策を取ることが、津波への確実かつ有効な対策として認識・実行され得たとは認めがたい」としていた。原電が実施していた対策を見れば、これも間違いだったことがわかった。

 この公判では、福島原発事故を検証する上で、同じ日本海溝沿いにある原電の津波対策を見ていくことがとても役立つことが明らかになった。しかし、原電は、盛り土や建屋の水密化などの対策を実施していたことを、これまで公表していなかった。東電は、原電の28%の株を持つ筆頭株主である。その関係が、影響したのだろうか。


東海第二原発の津波対策(同社のホームページから)。
建屋扉の水密化や、盛土など地震本部津波への対策は、掲載されていなかった。


注1)2007年12月10日 推本に対する東電のスタンスについて(メモ)高尾氏からのヒヤ

注2)2008年2月26日 今村教授ご相談議事録

注3)2008年3月3日、安保氏から金戸氏へのメール

注4)2008年3月10日 日本原電 常務会報告 既設3プラントの耐震裕度向上工事の検討実施状況について

注5)このかさ上げ高さでは、津波地震の津波には不足している。安保氏は「波力の問題があるので、かさ上げが難しいので別の方法を検討しなければならなかった」と述べている。このため東日本大震災前に、ポンプ室については津波地震に対応できていなかった。推測だが、原電が高さ22m(緊急時対策室建屋の屋上)に空冷の緊急用自家発電機を設置し、原子炉建屋にも接続する工事を2011年2月に終えていたのは、この代替案の一つだったと考えられる。


絵:吉田千亜さん

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