安全問題研究会~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

公共交通と原発を中心に社会を幅広く考える。連帯を求めて孤立を恐れず、理想に近づくため毎日をより良く生きる。

当ブログのご案内

当サイトは列車の旅と温泉をメインに鉄道・旅行を楽しみ、また社会を考えるサイトです。

「あなたがすることのほとんどは無意味でも、あなたはそれをしなくてはなりません。それは世界を変えるためではなく、あなたが世界によって変えられないようにするためです」(マハトマ・ガンジーの言葉)を活動上の支えにしています。

<利用上のご注意>

当ブログの基本的な運営方針

●当ブログまたは当ブログ付属サイトのコンテンツの利用については、こちらをご覧ください。

●その他、当サイトにおける個人情報保護方針をご覧ください。

●当ブログ管理人に原稿執筆依頼をする場合は、masa710224*goo.jp(*を@に変えて送信してください)までお願いします。

●当ブログに記載している公共交通機関や観光・宿泊施設等のメニュー・料金等は、当ブログ管理人が利用した時点でのものです。ご利用の際は必ず運営事業者のサイト等でご確認ください。当ブログ記載の情報が元で損害を被った場合でも、当ブログはその責を負いかねます。

●管理人の著作(いずれも共著)
次世代へつなぐ地域の鉄道——国交省検討会提言を批判する(緑風出版)
地域における鉄道の復権─持続可能な社会への展望(緑風出版)
原発を止める55の方法(宝島社)

●管理人の寄稿
月刊『住民と自治』 2022年8月号 住民の足を守ろう―権利としての地域公共交通
核のない未来を願って 松井英介遺稿・追悼集(緑風出版)

●安全問題研究会が、JRグループ再国有化をめざし日本鉄道公団法案を決定!

●安全問題研究会政策ビラ・パンフレット
こんなにおかしい!ニッポンの鉄道政策
私たちは根室線をなくしてはならないと考えます
国は今こそ貨物列車迂回対策を!

東京地検、東電元経営陣3名を再び「不起訴」に~福島原発告訴団、証拠追加と新告訴で刑事責任追及強化

2015-02-25 22:39:02 | 原発問題/福島原発事故刑事訴訟
(当エントリは、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2015年3月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

<筆者より>
 本稿は、本誌第167号に寄稿した拙稿「東電元経営陣3名に「起訴相当」議決~福島原発告訴団、原発事故刑事責任追及へ前進」の続稿となるものである。ぜひ、167号と併せて一読いただくことをお勧めする。

 東京電力元経営陣らに対する告訴・告発に対し、東京地検が不起訴の決定をした後、福島原発告訴団が行っていた審査申し立てに関し、検察審査会が昨年7月、勝俣恒久元会長ら3人を「起訴すべき」と議決(以下「起訴議決」)したことについては、本誌第167号の本欄で詳しく取り上げた。検察審査会が起訴相当または不起訴不当と議決した事件については、捜査当局には再捜査の義務があることから、東京地検が再捜査を行ってきた。この再捜査の期限は通常、3ヶ月間とされているが、検察審査会法はさらに3ヶ月間延長することを認めている。東京地検は昨年10月24日、再捜査期間の3ヶ月延長を福島原発告訴団に通告。起訴議決を受けた東電に対する再捜査は越年確実な情勢となっていた。

 この間、福島原発告訴団は、検察への起訴要請などの行動を配置、働きかけを強化してきた。しかし、私たちの要求を無視するように、検察は2015年に入った1月22日、東電経営陣4人(「不起訴不当」議決の1人を含む)を再び不起訴とした。この結果、検察審査会が不起訴不当と議決した小森明生元常務については、刑事責任が問われないことが確定した。起訴議決を受けた3人(勝俣元会長、武藤栄、武黒一郎の両元副社長)については、検察審査会が再び審査を担当。再度「起訴相当」議決が出された場合は強制起訴となり、裁判所が指定した弁護士を検察官として刑事裁判が始まることになる。

 ●納得できない検察の再捜査と不起訴理由

 検察審査会法が定める期限ぎりぎりまで延長された「再捜査」だったが、この間、東京地検は何をしていたのかと私は問いたい。再捜査で検察のやったことと言えば、「津波は予測不可能」「対策は困難」とする立場の専門家ばかり訪ね歩き、ひたすら不起訴の補強証拠を集めていたに過ぎない。「起訴は無理と示すための捜査。要は頭の体操」と検察幹部が発言した最初の捜査と同じ、初めに結論ありきの再捜査だった。捜査も一貫して特捜部ではなく公安部が担当。国民のための検察だと私たちが実感できる見せ場さえ、ついに一度もないまま終わった。

 検察が説明した「再不起訴」の理由は「十分な津波対策を講じていたとしても、今回の大津波は予見し難く嫌疑が十分でない」というもので、市民感覚からはかけ離れている。東電が2008年に東日本大震災と同じ規模の15・7メートルの高さの津波を試算しながら、有効な対策をとらなかったことを指摘、「地震や津波はいつどこで起きるか具体的に予測するのは不可能で巨大津波の試算がある以上、原発事業者としてはこれが襲来することを想定して対策を取ることが必要だった」とした検察審査会の議決に対しては、ご丁寧にも「敷地東側では試算を超える津波が襲来しており、防潮堤を建設しても浸水は阻止できなかった」と反論。「予見は不可能で、刑事責任は問えない」と結論づけた。

 検察は、東日本大震災で福島第1原発同様の巨大津波に襲われながら、福島第1を上回る津波対策を講じていたため、微少な被害で済んだ東北電力女川原発(宮城県)や日本原子力発電東海第2原発(茨城県)との比較検討も行わず、2008年の段階で予想津波高さを15.7メートルとした予測が東電社内で共有され、武藤副社長が対策に動き出しながら具体的な津波対策が何ら取られなかった事実も考慮することがなかった。「初めに不起訴ありき」の再捜査であり、3ヶ月間の捜査期間延長も、東電を免責するための証拠集めと時間稼ぎであったと断罪するほかはない。

 この不起訴決定はまた、「何をやっても巨大災害には無力なのだから仕方ない」という、ある種の居直りとも言うべきものだ。検察のこの論法を認めるならば、原発に限らず、あらゆる巨大技術の現場では安全対策を取らなければ取らないほど、また危険を予測できなければできないほど運営事業者は免罪されることになる。起こりうる危険性を予測し、まじめに安全対策を取った事業者ほど罪を問われ、馬鹿を見ることになるわけだ。この結論を見て、女川原発や東海第2原発を管理する東北電力や日本原子力発電までが「安全対策を取らなくても刑事免責されるなら、津波対策など最小限にして会社の利益を最大限にしておけばよかった」などということになりかねない。事実関係の是非以前の問題であり、このような理由で東電を無罪放免にした検察の無責任、不見識もここに極まったといえる。

 読者の皆さまには、改めて東京第5検察審査会の議決書と、今回の東京地検の再不起訴理由書を読み比べていただきたいが、事実と証拠に基づいて、起訴すべき理由を理路整然と説明した検察審査会の議決書と、予断と偏見に基づいて自分に都合のいい証拠ばかり集めた検察の再不起訴理由書では、どちらが法律のプロが書いたものなのかわからないほどだ。多くのメディアが「刑事司法に限界」(2015.1.23付け「東京」)、「現実の検察、理念の検審」(2015.1.23付け「産経」)などと書き立てたのも当然だ。産経新聞のように「3人の強制起訴が現実味を帯びてきた」と踏み込んだ報道をするものもあった。一般市民からなる11人の検察審査員がまっとうな感覚の持ち主ならば、検察審査会での勝負は決まったも同然だ。

 ●経産省は津波による事故の可能性を知っていた!

 一方、一連の「吉田調書」をめぐる報道をきっかけに公開された政府事故調査委員会の調書は多くのことを明らかにした。とりわけ衝撃的なのは、経産省旧原子力安全・保安院関係者が、2009年頃には東日本大震災に匹敵する貞観地震(869年)クラスの津波の到来する可能性を把握しながら対策を先送りしていたこと、対策の必要性を指摘した経産省関係者に、上司に当たる幹部が「保安院と原子力安全委員会の上層部が手を握っているのだから、余計なことはするな」「クビになるよ」などと恫喝し、福島第1原発の津波対策を中止させていたことだ(こうした事実の多くは「原発と大津波~警告を葬った人々」(添田孝史著、岩波新書、2014年)に詳しい)。これらの事実を基に、私たちは今回、経産官僚や電気事業連合会関係者ら9名を新たに告訴した。プロの検察官ではない、市民・被害者と弁護士との共同作業という中では高いレベルの立証活動ができたとものと自負している。考えたくはないが、たとえ東電が不起訴となり罪に問われなかったとしても、それは私たち市民と福島原発告訴団の敗北を意味するものではない。日本が法治国家でないこと、電力会社が在日米軍同様、完全な無法地帯に置かれていること、そして日本の刑事司法こそが真の敗者であることが明らかになるに過ぎない。

 私たちが告訴・告発運動の先に描いている未来は、国民を切り捨て大企業の協力者と化した迷惑な「代表者」――政治家や官僚から主権を取り戻すことである。私たちは、引き続きそのために全力を挙げる。

(黒鉄好・2015年2月15日)

<参考資料>
福島原発告訴団ブログ

東京第5検察審査会の議決書

東京地検の再不起訴決定書

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

気象庁、震源地の測定誤り~津波注意報を一部出せず

2015-02-19 22:09:29 | 気象・地震
気象庁、震源を100キロ修正 到達予想や注意報に影響(河北新報)

気象庁、誤認判明は注意報解除後 津波観測の震源地修正(河北新報)

17日朝、岩手県太平洋沿岸に津波注意報が出される原因となった最大震度4の地震で、気象庁が震源地の測定を100kmも間違え、実際より沖合を震源としていたことがわかった。実際の震源通りなら、岩手に加え、青森や北海道沿岸にも津波注意報が必要な状況だったという。

平成27年2月17日08時06分の三陸沖の地震の震源要素について(気象庁報道発表)

当ブログは、気象庁が当初行った報道発表で、震源を三陸沖(宮古の東、約210km付近)と発表したとき、若干の違和感を持った。この位置が震源だとすると、日本海溝より東であるにもかかわらず発震機構(地震のメカニズム)が逆断層型だったことになるからだ。

通常、日本海溝より東側では、全面的にとは言わないが正断層型となることが多く、実際、震源が「牡鹿半島の東、約240km付近」(今回の地震について、当初発表された震源よりさらに沖合)だった2012年12月7日の地震(気象庁報道発表)は正断層型となっている。ただ、地殻の動きは複雑で、他のプレートを押す側のプレート内部では正断層型が多いと言ってもすべての地震がそうだとは言い切れないから、当ブログは若干の違和感を覚えながらも、気象庁の発表内容を前提に解説を行った。実際、「宮古の東、約210km付近」は日本海溝の斜め上(やや東)であり、2つのプレートが触れ合う海溝のほぼ真上ではいろいろな状況が考えられることも事実なのだ。

気象庁は、現在、地震発生時のP波とS波の差を利用して震源を割り出しているが、震源地の測定を誤るのは、たいていは今回のように、他の地震が同時に起きたときである。こうしたことが往々にしてある中で、どのように観測精度を上げていくかが今後の大きな課題として浮上したと言えよう。

それにしても、上で紹介した気象庁の訂正発表を見ると、いかにも素っ気ない感じだ。訂正後の震源を経緯度だけで示されても一般の人にはピンと来ないだろう。せめて、閲覧した人が内容を理解しやすくなるよう、当初発表した震源、訂正後の震源を地図上に落とした資料くらいは添付すべきではないだろうか。自分の誤りを認めたくない心理はわかるが、自分たちがミスをしたときに限って「できるだけわかりにくい資料で煙に巻きたい」という思惑が透けて見え、感心しない。こうした姑息なやり方が、国民の広範な行政不信につながっているのだと思う。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

本日発生した2回の地震について

2015-02-17 20:28:49 | 気象・地震
今朝8時6分頃に三陸沖で、また13時46分頃には青森県沖で、それぞれ地震が発生。今日は騒々しい1日だった。気象庁は2つの地震の関連は薄いが、どちらも東日本大震災の余震のひとつとしている。

●今朝8時6分頃の三陸沖の地震(気象庁報道発表

発生日時:2月17日08時06分頃
マグニチュード:6.9(速報値)
場所および深さ:三陸沖(宮古の東、約210km付近)、深さ約10km(速報値)
発震機構等:東西方向に圧力軸を持つ逆断層型 (速報)
最大震度:4

この地震では、岩手県沿岸に津波注意報が発令された。日本周辺海域での津波注意報は、昨年4月2日に南米チリ沖で発生した地震以来、ほぼ10ヶ月半ぶりだ。震源は、2011年3月11日の東日本大震災が牡鹿半島の東南東約130km付近だったから、今回の地震のほうが遠かった。にもかかわらず、津波は最も早かった釜石港では8時35分に第1波の押し波を観測している。東日本大震災時と比べて地震発生~津波第1波到達までの所要時間はほとんど変わらなかったから、津波の速度は今回、かなり早かったことになる。M6.9にもかかわらず、最大震度が4で済んだのは震源が遠かったことが大きい。

発震機構(地震のメカニズム)は東日本大震災と同じ逆断層型。震源は日本海溝(プレート境界)のほぼ真上(わずかに東)であり、地殻が最も複雑な動きをしている場所にある。この場所では、正断層型、逆断層型、横ずれ断層型いずれのタイプの地震も珍しくない。

この地震を、東日本大震災の余震とした気象庁の見解に当ブログは同意する。震源地、震源深さ、発震機構いずれも東日本大震災にきわめてよく似ており、違うのは地震の規模だけである。

津波について言えば、観測最大値は久慈港の20cmだった。通常、津波注意報発表基準は20cm以上だから、ぎりぎりで発表基準を満たしていたが、大部分の人は肩すかしという意識を持っただろう。人によっては「空振り」と怒り出す人もいるかもしれない。

しかし、当ブログは今回の津波注意報発表は適正だったと考える。久慈港では実際、20cmの津波を観測しているし、M6.9という地震の規模を考えれば、30~40cm程度の津波の可能性は十分あった。20cmにとどまったことは運が良かったと言える。東日本大震災の被災地で復興が遅れ、防潮堤が復旧していない場所もあることを考えれば、予測が過小で被害を拡大させるより、厳しい予測を出しておくに超したことはない。

●13時46分頃の青森県沖の地震(気象庁報道発表

発生日時:2月17日13時46分頃
マグニチュード:5.7(速報値)
場所および深さ:岩手県沖、深さ約50km(速報値)
発震機構等:北西-南東方向に圧力軸を持つ逆断層型 (速報)
最大震度:5強

震源が本州に近いこともあり、津波はなかった。今朝の地震が最大震度4だったのに対し、こちらは最大震度5強だったから、こちらの地震のほうが強かったように感じられるが、地震の規模はM5.7。今朝の地震よりマグニチュードが1.2小さいから、地震のエネルギーは今朝の地震の32分の1より小さかったことになる(地震のエネルギーは、Mが1上がるたびに約32倍となる)。それにもかかわらず揺れが大きかったのは、今朝の地震とは逆に震源に近かったことによる。

発震機構は圧力軸の方角こそ違うものの、同じ逆断層型。日本海溝より西側で起きるものとしては一般的である。東日本大震災と比べて、震源地は大幅に日本列島に近く、震源深さは若干深め、発震機構は同じ。この地震を東日本大震災の余震とした気象庁の見解に関しては、全面同意ではないが否定する根拠もなく、関連地震の範囲にぎりぎり含まれ得る範囲かな、という気はする。

東日本大震災の震源域では、ここしばらく大きな地震はなく、以前は毎日確認していた地震情報も、当ブログは最近、3日に1回程度に確認回数を減らしていたところだった。だが、1000年に一度の巨大地震の余効変動がたかだか数年程度で終わるはずもなく、数週間程度は細心の注意をもって動向を見守ることにする。

「東日本大震災の震源域のエネルギー状態が、震災前と同じレベルに戻った可能性がある」との報道もある(関連記事)。折しも3.11まであと3週間だ。もう一度、あの震災の教訓をかみしめよ、という天からの戒めかもしれない。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

建国記念日に考える~ある高校卒業生の「手紙」

2015-02-11 21:17:40 | その他社会・時事
世間――あえて社会とは呼ばない。呼ぶ価値もない――では、人質事件を契機に異様な自粛ムードが形成されつつある。安倍首相の唱える「テロとの戦い」に少しでも異を唱えるものはすべて悪でありテロリストと同じだという、猛烈なレッテル貼りの嵐が吹き荒れている。イラク戦争当時、ブッシュ米大統領が「テロリストを選ぶか、我々を選ぶか」とテレビ演説で絶叫していたことを思い出す。世の中には「敵」と「味方」しかおらず、味方でないものは全員敵だ――そんな子どもじみた安倍首相を見ていると、本気でこの国の先行きが不安でたまらなくなる。安倍政権の下で刻一刻とファシズムに向かいつつある日本。戦争はもうすぐそこまで来ている気がする。

今日は建国記念の日。古代日本の神話の上では、紀元前660年の旧暦元旦(新暦では今日、2月11日)に初代天皇である神武天皇が即位したとされる。戦前は「紀元節」と呼ばれ、天皇を賛美する日だった。そんな日だからこそ、ご紹介したい「手紙」がある。2014年3月にある西日本の高校の卒業生が書いたものだ。みんなと同じだと安心する、人と違うことをするのは怖い。そんな同調圧力の強い日本で、このような行動を貫くことがいかに大変か、心の葛藤も含めてよくわかる文章である。当ブログを読んだ皆さんも是非一緒に考えてほしい。「考えるのが面倒だから、周りのみんなと一緒でいい」と思うことが、ときにどんな怖ろしい結果を生むかということを――

----------------------------------------------------------------------------------------------

 こんにちは、私は今年A高を巣立つ三年生です。まず最初にことわっておきますが、私は、親に言われて君が代の不起立を決めたわけではありません。

 私は卒業式での君が代の際、不起立を貫こうと中学生の時から決意しました。そんな私ですが、実は中学生の卒業式の直前まで私は不起立をするかしないか、とても悩んでいました。なぜなら私は、何処にでもいる、自分だけ目立つのが怖い人間だからです。

 いえ、周りにとっての普通以上に私は怖いと感じていると思います。それはイジメを受けた経験があるからです。人と違うことをすればどうなるかわかっていました。人と違うこと、多数の常識や雰囲気から外れたことをすれば、イジメられる、馬鹿にされる、責められる。私がどれほどの思いを持っていたとしても、どんなに正直に話しても、それを無視する程の数によって踏みにじられる。そんな経験を昔味わったことがあるからです。

 こんなことをしたんだ、されたんだと正直に話しても周りが違う嘘つき謝れと何度も何度も大声で私を責めました。私は何度も言い返しましたが、大人ですら、そのような状況に置かれれば疲弊するのに、こどもの私では耐え切れず何度も自分の意思をねじまげられました。しかし、ねじまげられる度に、私はとても悔しくて、歯を食いしばり、涙を流しました。それから私は、自分の踏みにじられたくない思いを、自分で説明しきれるまで、周りに対することができるようになるまで、表に出すまいと決めました。

 そんな決意を固めた私が何故中学生の卒業式で不起立を行い、意思を表明したいと思ったのか。それは、理路整然と説明しきれるようになったのではなく、数に対抗する勇気が生まれたわけでもなく、とある先生の言葉のおかげでした。

 本当に卒業式の数日前までは、私が自分の考えを、思いを貫く為に不越立を行ったら、私は周りの異物を見る目に耐えられないかもしれない。だけど、思いを曲げるのだって辛い。どうすればいいのだろう、とずっと悩んでいました。だけどそんな卒業式まで一日、三日のある日、私の先生は卒業式の予行のとき、みんなの前で言いました。

 「立つ立たないは個人の自由。だからもし、立たなかった人が居たとしてもそれを責めてはいけない」と。 それを聞いて私は、立たない決意を固めたのです。

 先生が、一人一人の思いを尊重したことを言ってくれた、立つ立たないどちらが悪いとかではなく、少数を切り捨てるのでもなく、多数を抑えるのでもなく、少数多数関係なく、私たちみんなを尊重してくれたその言葉は私のターニングポイントになりました。

 今の日本の民主主義とは多数決であると思います。そして、少数は何時だって多数に「お前らは間違っている」と言われつづけていると感じます。だけどその先生は、多数少数ではなく、一人一人の思いを考えてくれた、私たち生徒を思ってくれていたことを私は忘れられません。

 それでもやっぱり私は、多数が怖いので、高校では卒業式まで、君が代が流れるその時まで、自分の考えは隠しておくことに決めました。それと、先生には話さないだろうとも思いました。なぜなら、誰が多数派で誰が少数派かわからなかったから。もしかしたら先生はみんな多数派かもしれない。そう思うとなかなか打ち明けられませんでした。

 けれどある時、A高の先生の中で昨年お世話になった先生が不起立で処分を受けたと聞き、ようやく自分の不起立に対しての思いを相談できる人が居ることを知り、とても安心できました。

 不起立を取り締まる条例は私のような少数の生徒にとって安心できる先生を奪われることなのです。このままどんどんそういう先生が居なくなってしまったら、私のような少数派を理解してくれる人は居なくなるでしょう。もし、理解してくれても、卒業式のときに起立しているところを見てしまうと、結局身体を張ってくれるほど私達のことを思ってくれるわけではないのだと思ってしまいます。

 そうなれば、心の中で先生がどう思っていても、私にとっては信じていいのかわからない存在になってしまいます。そうなれば何時しか、生徒に強制はされなくとも、実質自粛ムードになり、わざわざ座る人は居なくなるでしょう。それがもし、当たり前になったら。最後にどうなるかはわかりません。ですがこのまま、誰も声を上げなくなったら、今まであったことが風化してしまうのではないでしょうか。

 私達は最近失敗をしませんでしたか? 予測では絶対大丈夫。それを信じて、大丈夫じゃない可能性を考えることを放棄し、大丈夫じゃない可能性を考えた少数を事故が起こるまで軽く扱ってきませんでしたか? 何か起こってから、失敗したと言っても後の祭りです。取り返しはつかないのです。

 例えば、私達は三年前より先に反原発と声をあげるべきでした。だけど、人ごとだからとまともに向き含わなかったのだと思います。だからあんな事故が起きてしまったのではないでしょうか。

 少数を切り捨てることは簡単です。でも、お願いします。少数の声を聞いてください。

 有るか無いかもわからないもしもを考えたとき、起こってしまってからでは取り返しがつかないのです。だから私は、今、声をあげます。不起立で意見を表明したいと思います。

卒業生 B
----------------------------------------------------------------------------------------------

当ブログには、この卒業生の気持ちが痛いほどよくわかる。『私がどれほどの思いを持っていたとしても、どんなに正直に話しても、それを無視する程の数によって踏みにじられる』『こんなことをしたんだ、されたんだと正直に話しても周りが違う嘘つき謝れと何度も何度も大声で私を責めました。私は何度も言い返しましたが、大人ですら、そのような状況に置かれれば疲弊するのに、こどもの私では耐え切れず何度も自分の意思をねじまげられました。しかし、ねじまげられる度に、私はとても悔しくて、歯を食いしばり、涙を流しました。それから私は、自分の踏みにじられたくない思いを、自分で説明しきれるまで、周りに対することができるようになるまで、表に出すまいと決めました』…それは、当ブログ管理人がまさに青春時代の一時期に経験したことと同じだからである。

個性の尊重とはお題目ばかり。個を主張する者はいつも同調圧力にさらされ、従わない者は最後には排除され、疎外され、迫害される。いじめられっ子、在日外国人、LGBTなどの性的マイノリティ、そして福島からの避難者――「人と違う」ことをする者には、いつも集団という多数派から「私刑、リンチ」の刃が振り下ろされる。21世紀の今になっても。

福島で「大丈夫じゃない可能性を考えた少数」がいること、そしてその人たちが排除されてきた事実は、政府、財界、原子力ムラ、そしてメディアによって黙殺され、徹底的に隠されてきた。そうした隠蔽構造を射貫く目を、被災地から遠い西日本にいながら彼女が持つことができたのは、彼女自身が「排除される側」にいたからだ。

学校という閉鎖的空間の中で排除された経験を持つ当ブログ管理人は、今も彼女と同じように『多数が怖い』。このブログも、もともと多数派と闘うために生まれた。多数派から投げつけられる悪罵には、子ども時代よりは慣れたつもりだが、精神的に疲弊することは今もある。多数派にしか属したことのない人間(自民党など)には、この気持ちは絶対に、永遠にわからないだろう。

自分と同じ空の下にこんな思いで生きている人間がいるということすら、たぶん自民党にはわからないだろうし、今さらお前らごときにわかってもらいたいとも思わない。ただひとつ言えるのは、踏みにじられている、たったひとりの気持ちがわからない為政者は、最後はそのために滅亡することになるだろうということだ。福島、沖縄、人と同じになりたくても、なることもできないマイノリティたち…「調子に乗ってる多数派よ、お前らを恨んでいる者は大勢いる」とだけは言っておく。

将来ある若者が、その将来を毀損することになるかもしれない中で一生懸命闘っている。彼女の手紙を読んで、久しぶりに私は胸が熱くなった。踏みにじられているひとりがいるなら、そのひとりのために闘うのが当ブログの使命だ。最近は何かと「対案も出さず、批判だけする野党は情けない」などと訳知り顔でのたまう「自称有識者」も多いが、踏みにじられ、希望を失って漂流している者にとって対案などどうでもいいことだ。そんなことは官僚が考えればいいことであり、当ブログの知ったことではない。これからも当ブログは、踏みにじられているひとりのために闘い続ける。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

<安全問題研究会声明>「法の番人」放棄し正社員ゼロ時代に道開くJAL訴訟不当決定を糾弾する

2015-02-10 20:36:09 | 鉄道・公共交通/交通政策
<安全問題研究会声明>
「法の番人」放棄し正社員ゼロ時代に道開くJAL訴訟不当決定を糾弾する かつてない支援運動の盛り上がりで被解雇者を職場に戻そう


 2010年末に日本航空を整理解雇された労働者165名が職場復帰を求めた訴訟で、2月4日から5日にかけ、最高裁は、客室乗務員・パイロットいずれの訴訟も上告を不受理とする不当決定を行った。実質審理をなにひとつ行わず、事実上の門前払いだ。

 稲盛会長(当時)みずから165名の解雇は必要がなかったと発言する中で、被解雇者が会社の方針に反対していた特定の労働組合員に集中しているなど不当労働行為の存在は明らかであり、最高裁には審理すべき事実は山ほどあった。最高裁は、そのような事実に注意を払うこともなく、労働者が「単なる法令違反を主張」(客室乗務員裁判決定文)しているに過ぎないとして上告不受理を決定した。法の番人たる最高裁が法令違反の有無を審理せずにいったい何を審理するのか。今回の決定は、最高裁の職務放棄であり法の番人としての自殺行為である。

 今回の決定はまた、安倍政権が「世界で最も企業が活動しやすい国」のスローガンを掲げ、政権の御用学者が新年早々「正社員をなくせ」と放言、残業代ゼロ法案の提出と労働者派遣法改悪が狙われる情勢の中で行われた。労働者総奴隷化に向けて日本社会を掃き清める役割をみずから担い、安倍政権を援助する最高裁を当研究会はこの上ない怒りをもって糾弾する。今回の決定が、大飯原発訴訟などを通じて司法へのいちるの希望を取り戻しかけていた市民の失望と怒りを呼び起こすことは必至であろう。

 JAL訴訟ではいまだ1人の職場復帰も1円の賠償も実現しておらず、このまま闘いを終わらせることはできない。不当解雇された国鉄労働者が裁判闘争で多額の賠償を実現し、また、不当解雇された社会保険庁の公務労働者の約3分の1が人事院闘争を通じて職場復帰を勝ち取ったように、JAL労働者も政府・グローバル資本に対し、解雇が高くつくことを思い知らせる闘いをしなければならない。そのためには、原告団にも従来の運動の枠組みを超えるためのさらなる飛躍が求められる。支援運動の力でJALを解決の場に引きずり出し、被解雇者の職場復帰を実現するため、これまでに倍する支援運動の高揚を勝ち取ることが必要だ。

 JAL原告団とは別に、被解雇者が起こした関西訴訟では、大阪地裁で労働者が勝訴するなどの動きも見られる。こうした訴訟を支えていくことも私たちの果たすべき課題である。

 御巣鷹事故から30年の今年は日本の航空業界にとって節目の年である。慰霊登山を続ける多くの関係者が「御巣鷹の鎮まりを感じたことはない」と言う。真の原因が究明されないまま30年を迎えようとしているのだから当然だ。ありもしない急減圧があったとうそぶいて真の事故原因を隠蔽し、矛盾だらけの事故報告書を公表して恥じない日本の航空行政を国民本位に転換できない限り、520柱の無念が晴れることはない。

 今回の不当決定により、JAL争議の司法による解決の道は閉ざされた。だが、司法の不当な決定が当研究会の闘う意思を挫くことはない。当研究会は、今年、安全問題を再びクローズアップし世論を喚起すること、安全問題で積極的な行動と発言を続けてきた熟練労働者の職場復帰に向けた支援運動の高揚を勝ち取ることに引き続き努力する。安倍政権がもくろむ労働者総奴隷化を阻止するとともに、真に国民本位の公共交通行政を実現するため、全力をあげる決意である。

 2015年2月10日
 安全問題研究会

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

TPP交渉参加・締結を阻止しよう~札幌で山田正彦さん報告会開催

2015-02-07 21:00:53 | その他社会・時事
(以下の文章は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」に発表した内容をそのまま掲載しています。)

「TPP(環太平洋経済連携協定)交渉差止・違憲訴訟」を準備中の山田正彦さん(弁護士、民主党政権時代の農水相)によるTPP交渉の現状についての報告会が1月29日、札幌市内で開催され、約20人が集まりました。少し遅くなりましたが、以下報告します。

 ●山田正彦弁護士の報告内容

 半年間、膠着状態だったTPP交渉は、ここに来て急に動き出した。首席交渉官会合は「次が最後」と言われており、一気に決まる可能性がある。決まるとしたらシンガポール(での首席交渉官会合)になるだろうか。

 米国内の状況を言えば、共和党など右派陣営ほどTPPに反対で、その理由は「関税は引き下げではなくゼロでなければならない」というもの(つまり、より原理主義的な自由貿易体制を、という意味)。年齢層で言えば若手議員ほど反対している。米国民は7割がTPP反対で、かつてNAFTA(北米自由貿易協定)を締結後、多くの米国人が失業、賃金は43年前の水準にまで戻ってしまった経験で懲りている。米国以外に目を向けると、カナダ、マレーシアは交渉から抜けたがっている。

 TPPはこの3~4月が山場。米国では連邦議会が貿易協定の締結権限を持っており、オバマ大統領がTPPを締結するには大統領に貿易協定締結の権限を授権する法案を成立させなければならないが、3~4月まで法案を成立させられなければ、米国は大統領選モードに入り、TPPどころではなくなる。3~4月を乗り越えるなら締結阻止の展望が開ける。

 もし日本がTPPを締結したらどうなるか。それには、かつてのレモンの輸入自由化の時に何が起きたか思い出してみればいい。レモンは自由化前には、広島や瀬戸内海地域では広く作られる地場産業だった。当時の国産レモンの価格は1個50円。ところが自由化後、(米国の大手資本の)サンキストが入り、レモンを1個10円で売るようになった。国内のレモン産業が壊滅に追い込まれたタイミングを見て、サンキストはレモンを1個100円に値上げ、ぼろ儲けした。米国の農業資本はこのような怖ろしいことをする。

 レーガン政権当時の農務長官は「食糧はミサイルと同じだ」と発言した。これはとりわけ食糧自給率の低い日本には決定的な影響を持つ。米韓FTAを締結した韓国の農業はメチャクチャになった。EUは遺伝子組み換え食品を決して域内の市民には食べさせない。一方、米国の遺伝子組み換え食品が多く流通するメキシコは今、米国を上回るほどの肥満大国になった。肥満と遺伝子組み換え食品との関係は明らかではないが、影響がないとも言い切れない。

 現在、TPP反対運動の中心だった農協グループは、安倍政権に農協改革を仕掛けられ、TPP反対運動でまったく動けない。安倍政権成立後、日本医師会も自民支持に戻ってしまい動かなくなった。国民にまったく経過が知らされないまま進む秘密交渉は知る権利を定めた憲法21条に違反する。

 ●報告を受けて

 サンキストが日本のレモン産業を壊滅させた後に値上げをした話は衝撃でした。グローバル資本主義、新自由主義の恐ろしさを示しています。TPP反対派の「急先鋒」である鈴木宣弘東大教授は、TPP交渉は聖域(重要5品目)死守の国会決議すら風前の灯火で、国民向けに「踏みとどまった感」を演出しつつ際限ない譲歩が求められているのが現状だと指摘しています。北海道内では牛肉関税の大幅引き下げ、米国産米の輸入枠拡大などの報道が続いており、重大局面を迎えていることは間違いありません。

 昨年秋以降、農協改革が急浮上した裏にTPPがあるに違いない、と私はにらんでいましたが、山田さんの話を聞いてやはりそうだったかと思いました。農協グループの中でも、これまでTPP反対運動の「司令塔」となってきた全中(全国農業協同組合中央会)を狙い撃ちするような改革案が政府側から出てきた背景を、TPPなくして説明することはできません。そこに安倍政権の「抵抗勢力つぶし」の狙いがあることは、はっきりと指摘しておく必要があります。

 日本国憲法21条は集会、結社、言論、出版及び表現の自由、検閲の禁止とともに通信の秘密を侵してはならないと定めた条文であり、国民の知る権利について直接言及した条文ではありませんが、弁護士でもある山田さんがそのことを知らないはずはありません。国民の知る権利を保障するための根拠として、この条文を使いたいという山田さんなりの積極的な憲法解釈として受け止めました。国民の立場に即したこのような「解釈」はよいことだと思います。

 その上で、山田さんは、「日本は三権分立国家。国民は裁判で司法の判断を仰ぐことができる。TPP交渉差止・違憲訴訟を提起し、北海道だけで1万人の原告を集める集団訴訟にしたい」と意気込みを見せました。TPP交渉が山場を迎える3月に合わせて、北海道でキャンドルデモをやりたいとの方針も示しました。

 これを受け、会場参加者、ツイキャス中継視聴者を交えて議論。集団的自衛権関連法制に反対して1月に国会周辺で行われた「女の平和キャンペーン」に倣ったテーマカラーによるアピール、札幌市営地下鉄に通じる地下歩道での集会開催、北海道新聞の記事や意見広告でアピールする、「フラッシュモブ」(不特定多数の集団による踊りなどによるアピール行動)を行う、などのアイデアが出されました。

 事務局からは、「TPP反対運動が農家だけの運動と捉えられるのでは前進はないし、そのようにはしたくない。もっと国民のいろいろな階層にTPPの影響を訴えなければならない。そのために、国民生活のあらゆる領域に影響があることをもっと示していく必要がある」との発言もありました。この日の報告は、元農水相という山田さんの経歴もあり、話の内容が農業分野に偏ることはある程度やむを得ませんが、TPPは単に農業分野のみならず、労働分野、医療分野、著作権などの知的所有権、中国やベトナムとの関係では国有企業「改革」(という名の解体、民営化)に至るまで様々な影響があります。企業が「非関税貿易障壁」に関して相手国政府を訴えることのできる「ISD条項」が発動すれば、各国政府による市民のための規制措置そのものが無意味となってしまいます。国民を守るための「遺伝子組み換え食品の禁止」や食品表示の適正化、私がライフワークとして取り組んでいる公共交通の安全規制までが「非関税障壁」として撤廃を迫られるという恐るべき未来が待ち受けているのです。

 会場には、労働組合の支援もなくひとりでブラック企業との労働裁判を闘った若い女性も参加していました。この女性は「裁判は普通の人にはなじみのない場所だけれども、自分の意見を法廷で堂々と主張するうちに楽しみに変わった」として、多くの人に訴訟参加を呼びかけました。一方、スーツ姿のサラリーマンとおぼしき男性からは、「連合がTPPをどのように考えているのか見えない」との質問も出ました。連合本体はTPP推進という体たらくで、山田さんからその旨の発言がありましたが、加盟組織の中には、食品産業の労働者で作る「フード連合」(日本食品関連産業労働組合総連合会)のように明確にTPPに反対し、運動方針に明記しているところもあります(参考:TPPに対するフード連合の考え方)。その旨は私から補足として説明しておきました。

 会場からは「こんなことで世の中が変わるのか」と訴訟に懐疑的な意見も出ました。山田さんは「ひとりでも本気になれば社会は変わる。あなただって本気になれば、キャンドルデモに10人誘うことはできるはずだ」と答えました。山田さんは政治家、閣僚より運動家のほうが向いていると思います。

 TPP交渉差止・違憲訴訟の会では、これから訴状を作成し、提訴の準備に入ります。訴状は、農家の訴え、食の安全、医療問題を「3本柱」とすることが山田さんから明らかにされましたが、TPP交渉の山場が1ヶ月後に訪れるという中で、これから訴状作成という現状からは「準備の遅れ」の感は否めません。これから山場に向けて提訴を急ぐ必要があります。現在、原告参加を表明した人は700人程度です。訴訟の会による準備作業を後押しする意味でも、もっともっと多くの市民の訴訟参加が必要です。

 なお、私、黒鉄好はこの集会において「原告参加」を表明しました。これから委任状の作成、陳述書の提出もできることならしたいと思います。私の拙い知識で陳述書に書けるのは公共交通の安全規制がISD条項で撤廃されかねないということの他は、若干の知識がある農業分野程度になると思います。しかし、会場で宣言した以上「有言実行」あるのみです。もっともっと多くの方にこの訴訟に加わっていただくよう、私からもお願いします。

 原告募集は「TPP交渉差止・違憲訴訟の会」で行っています。原告には誰でもなれます。訴訟の会への加入はひとり2千円です。

 (文責:黒鉄好)

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

徳島県南部の地震について

2015-02-06 21:10:27 | 気象・地震
平成27年2月6日10時25分頃の徳島県南部の地震について(気象庁報道発表)

今日午前10時25分に起きた徳島県南部の地震について簡単に述べる。

この地震の情報を聞いて、当ブログ管理人がとっさに思い浮かべたのが、昨年3月14日に伊予灘で発生した地震(気象庁報道発表)と、一昨年4月13日に淡路島で発生した地震(気象庁報道発表)の2つである。ただ、伊予灘地震とはあまりに震源が離れすぎていて関連があるとは言いがたい。一昨年の淡路島地震とは若干震源が近く、震源深さも10kmとほぼ同程度であるが、2年近くも前の地震であり、関連はあるともないと断定できない。

ただ、ひとつ言えるのは、3回の地震の中では今回が最も南海トラフに近いところで起きたということだ。内陸直下型の地震であり、東日本大震災のようなプレート境界型ではない通常の断層型地震だから、直ちに南海トラフ地震の前兆と言い切るのは難しい。現に、記者会見した気象庁の地震津波監視課長も、予兆とは言えないと慎重な言い回しをしている。

当ブログは現状で地震予知は困難だと思っている。だがそれでも、いざそのときが来たら人的被害は最小限であってほしいという思いもある。そこで、苦肉の策として「将来、○○大地震が起きたとき、あれも前兆のひとつだったのだとして振り返られる地震になる(かもしれない)」という表現を使うことがしばしばあるが、今回の地震についてはその表現を使う必要はないと思う。そもそも最大震度こそ5強であるものの、地震の規模はM5.0と、日本周辺では月1回~数回程度は起きている日常的範囲のものである。それなのに揺れが大きかったのは、直下型でしかも震源が10kmと浅かったことによる。当ブログが東日本大震災の「予兆」のひとつと考えている2008年6月14日の「岩手・宮城内陸地震」はM7.0、2008年7月24日の「岩手県内陸北部地震」はM6.8だった。それに比べ、今回の地震はあまりに規模が小さすぎる。岩手・宮城内陸地震と比べると、今回の地震はマグニチュードが2も小さく、地震のエネルギーは1000分の1である。少なくとも「岩手・宮城内陸地震」「岩手県内陸北部地震」クラスにならないと、近い将来の巨大地震の予兆とは言えないであろう。

ところで、昨年の伊予灘地震、一昨年の淡路島地震、今回の地震の3つを見比べて、気になることがある。この3つの震源がいずれも中央構造線(画像:Wikipediaより)にきわめて近いことである(伊予灘地震はわずかに北、今回の地震はわずかに南、そして淡路島地震はほぼ真上)。東日本大震災以降、和歌山県北部でも地震が相次いでいることを考えると、やはり中央構造線とその周辺での地震活動は明らかに活発化している。

この中央構造線のほぼ真上に位置しているのが、伊方、川内の両原発である。ここを再稼働すれば、数年後にどのような事態が待ち受けているか、考えるだけで身の毛がよだつ。この両原発の再稼働は無期限中止すべきであろう。――もっとも、安倍政権が反対意見に耳を傾けるなんて、原発事故以上にあり得ないと思うが。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

いや、だから問題は鼻血だけじゃなくて…

2015-02-02 22:14:51 | 原発問題/一般
「鼻血は出る」と反論=「美味しんぼ」作者、単行本刊行(時事)

--------------------------------------------------------------------------------------------
 週刊「ビッグコミックスピリッツ」(小学館)に昨年掲載された漫画「美味(おい)しんぼ」(現在休載中)で、東京電力福島第1原発を訪れた主人公が鼻血を出す描写が批判された問題をめぐり、原作者の雁屋哲氏が近く刊行する単行本「美味しんぼ『鼻血問題』に答える」(遊幻舎)で、「今の福島の環境なら鼻血は出る」と反論していることが1日分かった。

 同書は、放射線被ばくと鼻血の因果関係を「考えられない」とした環境省の見解を疑問視。研究者が行った住民調査の結果などから、福島では「多くの人が鼻血で苦しんでいる」としており、改めて議論を呼びそうだ。

 雁屋氏は福島の農漁業の現状や第1原発周辺を取材した記録にページを割く一方、内部被ばく・低線量被ばくへの懸念も表明した。「美味しんぼ」の単行本で、表現を連載時から一部修正したことについては、バッシングを受けた実在の登場人物を守り、誤解を防ぐためと説明した。

 さらに最終章では「大事なのは『土地としての福島の復興』ではなく、『福島の人たちの復興』」と強調。自身の取材に基づく見解として、住民に「自分を守るのは自分だけ。福島から逃げる勇気を持ってください」と呼び掛けている。 
--------------------------------------------------------------------------------------------

「美味しんぼ」問題で日本中が沸騰したのは昨年5月。それから9ヶ月…「まだ言っているの? この人」が率直な感想だ。

当ブログは放射能による健康被害は「起きるし、これからも起こりうる」という立場だ。放射能による健康被害を「ない」と決めつけバッシングする立場には立たないし、立てない。しかし、そんな当ブログから見ても、雁屋氏はあまりに鼻血にこだわりすぎ、というより、より正確な表現をするなら「放射能による健康被害は鼻血だけとは限らないのに、わかっていない」という思いだ。

もちろん、原発事故当初には、当ブログ管理人も鼻血と、それが原因で自主避難した人の話もたくさん聞いた。ゲマインシャフト的地域共同体が強固な形で残っている福島で、仕事も、家も、人間関係も、子どもの学校の交友関係も、親兄弟、親戚などの家族関係もすべて捨てなければならなかった自主避難者たちが、福島の何をそんなに恐れていたのかと言えば、ほとんどは鼻血だった。それも、アレルギー体質の人、特に化学物質過敏症の人には鼻血が多かった。現職の福島県郡山市議にも鼻血が止まらなかった人がいる(本人から直接聞いたのだから間違いない。それでも「そんなことがあるわけがない」と決めつけ否定する人とは、雁屋氏と逆の意味で当ブログは議論するつもりはない。そのような人に対しては、日本には信教の自由はあるから、カルト「放射能安全教」を好きに信じなさい、とだけ言っておく)。

福島県内で、鼻血があるかないか論議になったのは、当ブログの見るところ、事故から最初の半年程度だったと思う。その間に、鼻血が止まらずに恐怖を感じた人たちはほとんどが「覚悟を決めて」自主避難し、強い放射線にさらされても身体の変化を感じなかった人も「覚悟を決めて」福島に残った。こうして、鼻血問題は「個人差」であり、出る人は出るし、出ない人は出ない、で2011年が終わる頃には、福島県民の中では決着したのである。

「美味しんぼ」問題で国論が沸騰したとき、ほとんどのメディア(特にテレビ)は福島県内で「鼻血が出た人っていますか?」のようなインタビューを住民に投げかけ、それに地元住民がお決まりのように「私の周りにはいませんねぇ」と答える、というシーンが見られた。だが、すでに指摘したように、鼻血に恐怖を感じた県民は最初の半年でほとんどが避難した。その後に残った住民だけにインタビューをしたところで鼻血の証言など出るわけがない。メディアのほうもそれはわかっていて、あえて福島県内「だけ」を取材している(実際、当ブログ管理人は「鼻血が出た人がいるなら取材したいから紹介してくれ」とある在京メディアに言われ、鼻血経験者を紹介したが完全に無視された)。放射能による健康被害を何があっても認めたくない国、見せかけの「復興」だけを考えたい県、国や県と面倒を起こしたくない事なかれ主義のマスコミ、そして今まで通り、静かに暮らしたい残留県民の4者合同出来レースなのである。

私個人としては、放射能にまみれた土地で、子ども・妊婦を含めた若者に「それでもそこで暮らしなさい」とは口が裂けても言えないし、放射能の影響は累積被曝量で決まること、食品に十分気をつけたとしても、内部被曝は呼吸からが全体の半分を占めると言われていること等を踏まえれば、被曝地でできることは限られており、まもなく4年が過ぎる現時点でも、移住できる条件がある人はした方がいいとの考えは変わらない。だが最近は考えてしまう。チェルノブイリで大いに放射能汚染されたベラルーシやウクライナでも、それでも人は暮らしているのだ。当ブログが、福島県中通りからは避難・移住が必要との考えを維持しながらも、最近はその呼びかけをまったく行っていないのはこのような事情によっている。冷たいようだが、所詮その人の人生はその人のものなのだ。

福島の地元誌「政経東北」2014年12月号の社説に当たる「巻頭言」が、『県民の多くはこうした(事故の)呪いと向き合いながら、県内もしくは県外の避難先で「それでもここで生きていく」とある種の覚悟を持って暮らしているはずだ。だが、そうした感覚は県外の人に十分伝わっていないように感じるし、覚悟に対する評価も正当になされていない』と指摘していることに対しては、私も大いにうなずける。こうした感覚に対してはもっと理解があってしかるべきだし、覚悟を決めて生きている人たちに対して、移住した人には移住した人なりの、残った人には残った人なりの支援が求められているのが最近の状況なのである。避難・移住した人、帰還する人、残った人それぞれに対して等しく支援がなされるべきだが、国・県など行政の支援は残った人と帰還する人にばかり手厚く、避難・移住した人を完全に無視している点に激しい憤りを持っている、というのが当ブログの現在の基本スタンスだ(より正確に言えば、残った人・帰還する人に対する支援も、本当に住民のためになっているかはかなり疑わしい。行政の支援はほとんどが企業に対するものばかりで、相も変わらず「命より経済」が貫かれているからだ。この点に関しては、むしろ福島だけではなく日本全体の問題である)。

放射能の影響による鼻血は、どちらかといえば急性被曝に特有の症状で、放射線量が急激に上昇し、そのまま高い状態を維持した2011年春~夏頃にかけては最も憂慮すべき身体症状だった。だが、放射線量も幾分低下し、鼻血経験者の多くが最初の半年から1年くらいの間に避難していった現在、放射能による健康への影響はどちらかと言えば慢性的なものが主体になっている。倦怠感、空咳が止まらない、免疫力が落ちて風邪が治りにくい、等々。心疾患も増加すると主張する専門家もいる。だが、そうした健康被害の多くは高齢者の通常の病死や老衰と区別がつかなかったり、もともとあった病気の発生率が上がっては見たものの、それが放射能のせいかどうか判然としない、というレベルにとどまっており、もともと検証が難しいものなのである。それをいいことに、原子力ムラは放射能のせいではないと言い張り、何とか原発再稼働をもくろんでいる。福島で行われている健康調査が子どもの甲状腺がんに的を絞っているのは、この病気が子どもでは通常、100万人に1人と言われ、きわめて珍しいものであるため、増えれば容易に因果関係を推定できるからだ(逆に言えば、それすら放射能のせいではないと言い張る原子力ムラが、それ以外の病気についてどのような態度をとるかは考えるまでもないだろう)。

放射能汚染地での健康被害は、このように複雑で多岐にわたっている。原子力ムラが切り捨てて顧みない、様々な病気のほんのわずかな罹患率上昇であっても、それが放射能と関係があるのではないかと疑い、真摯に検証することがこれからの日本社会には求められる。ところが、雁屋氏がいつまでも急性被曝が問題とされていた原発事故直後(2011年春~夏)のフェーズから抜け出せず、ヒステリックな形で鼻血の議論ばかりすることが、かえって真摯な健康被害の検証を遠ざけているのではないか、という気が私はするのである。健康被害を問題にすること自体は正しいし、検証もせず「ない」と決めつける原子力ムラ直系の御用学者と「放射能安全教」信者よりは雁屋氏のほうがマシであることは疑いないが、放射能と健康被害との関係について真摯に検証したいと思っている当ブログにとって、雁屋氏のような「3周遅れでしかも木だけ見て森を見ない議論」ははっきり言って邪魔である。

いずれにせよ、当ブログにとって2015年も、原子力ムラとの妥協なき対決がスローガンである。

  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする