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【金曜恒例】反原発北海道庁前行動(通算308回目)でのスピーチ/本丸に入った福島原発事故刑事訴訟

2018-09-29 12:58:28 | 原発問題/一般
レイバーネット日本の報告はこちら→「それなりに」適切? 他人事の北海道知事に怒り、批判相次ぐ~9.28反原発道庁前行動


 みなさんお疲れ様です。

 検察審査会の強制起訴議決を受けた福島原発事故の刑事裁判がこの秋から新局面を迎えています。今日はこの裁判についてお話しします。

 9月5日の第25回公判で、東京電力がコスト削減のために津波対策を中止させていたという決定的な証拠が出ました。この日は、東電で地震対応を行う部署のトップだった山下和彦氏が出廷しない代わりに、山下氏の検察官面前調書(検面調書)が読み上げられました。検面調書は、事情聴取を受けた参考人が検事の前で供述した内容を書面にしたもので、裁判では一般的な供述書よりも証拠能力が高いとされます。検察は、最終的には不起訴にしましたが、任意での事情聴取とはいえ「まるで容疑者を取り調べるかのような厳しいものだった」と関係者が証言(注1)するほど熱心に捜査をしていた時期もあったといわれます。

 山下氏の検面調書で明らかになった事実のうち最も重要なものについて述べます。それは、東電の首脳陣も了承し、いったんは全社的に進めていた津波対策の先送りが2008年に決められた経緯についてです。「津波対策に数百億円かかるうえ、対策に着手しようとすれば福島第一原発を何年も停止することを求められる可能性があり、停止による経済的な損失が莫大になるから」が先送りの理由であったことです。東電では、原発の稼働率が1%下がると収益が100億円減少することを国会事故調報告書は指摘しています(注2)。2002年に発覚した事故隠しによって、当時の佐藤栄佐久福島県知事から福島原発の全原子炉を停止させられたのに続き、2007年の新潟県中越地震で柏崎刈羽原発も停止するという状況の中で、運転再開したばかりの福島原発が再び津波対策を理由に止まってしまう事態を、東電首脳陣はどんなことをしてでも避けたかったのです。東電の「命より金」の経営が津波対策先送りの理由であることはこれまでも推測で多く語られてきましたが、これが東電内部からの証言、事実として出てきたことは大きな衝撃をもって受け止められるとともに、「やはりそうか」との思いを抱くに十分なものでした。

 もうひとつ驚かされることがあります。「10m級の津波は実際には発生しないと思っていた。根拠は特にないが、2007年に新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原発が想定を上回る地震を経験していたので、原発の想定を上回る地震が何度も起こるとは思いつかなかった」と山下氏が事情聴取の中で供述していたことです。さすがにこの調書が読み上げられると、法廷内で失笑に近いざわめきが起きました。よその地域で大きな地震があったら「自分のところでもあるかもしれない。対策を考えよう」と思うのが普通の人の一般的な感覚だと思います。ところが「よその地域で大きな地震があったから、しばらく大きな地震はないだろう」と、しかも根拠もなく思えるところに東電の浮世離れした感覚を指摘せざるを得ません。このような浮世離れした感覚の人たちに危険な原発を預けられるほど私たちはお人好しではありません。

 9月18日の第26回公判、19日の第27回公判では、原発から20km圏内に位置しているため避難指示区域となった双葉病院の看護師が出廷しました。避難指示が出たため、避難する途中で死亡した入院患者に関し、検察官役の指定弁護士が「地震と津波だけなら助かったか」と質問すると、この看護師は「そうですね、病院が壊れて大変な状況でも、助けられた」と述べたのです。原発事故で高線量地域ができると、助ける人たちも被曝するため、助けがなかなか来ず、結果として高線量地域は見捨てられる――刑事裁判はそのことを明らかにしました。今、原発から30km圏内の自治体には避難計画の策定が求められていますが、このような事態まできちんと織り込んだ避難計画を一体どれだけの自治体がきちんと作っているのでしょうか。福島の実態を知れば知るほど、実効性のある避難計画などできるわけがない、原発と地域は共存できず、原発はやめるしかないと理解できるはずです。

 現地に何の情報もなく、混乱だけが深まる中で、それでも入院患者を救うために走り回っていた双葉病院関係者は、福島県の誤った発表のために「患者を置き去りにして逃げた」ことにされてしまいました。このあたりの事情については「なぜ院長は「逃亡犯」にされたのか――見捨てられた原発直下「双葉病院」恐怖の7日間」という本も出ているのでぜひ読んでほしいと思いますが、今回の刑事裁判で双葉病院関係者が懸命に患者を救おうとしていたことも明らかになり、福島県から逃亡犯呼ばわりされた関係者の名誉回復にもなったと思います。

 この刑事裁判は、東京の検察審査会が勝俣恒久東京電力元会長ら3人に関し、起訴相当の議決を出したことによって始まりましたが、双葉病院の入院患者らが避難中に死亡したりケガをしたりしたことが業務上過失致死傷罪に当たるというのがそもそもの起訴容疑でした。つまり、ここで双葉病院の看護師が出廷したことは、この裁判がいよいよ「本丸」に入ってきたことを意味しています。起訴事実を証明するために、直接の関係者が出廷し「原発事故がなく地震と津波だけなら私たちは死亡した入院患者を助けられた」との証言をしたことは、この裁判が有罪に向かって巨大な前進をしたことになるからです。

 裁判は年内にも論告求刑に進むとみられています。これでもし誰ひとり罪に問われずに終わるなら、この日本にもはや正義も希望も法の支配もありません。日本の最高法規である憲法が、安倍政権によって朝から晩まで攻撃に晒されている時代だからこそ、法と正義を守らなければなりません。そのためにはこの裁判で東電を有罪に導く必要があります。今後もこの裁判の行方は節目で紹介していきたいと思います。

 今日は以上で終わります。ありがとうございました。

注1)「福島原発事故の第2次刑事告訴・告発状に1万3千超の人々――検察は政府関係者も聴取へ」(「週刊金曜日」2012年11月23日号)

注2)国会事故調報告書(P.534)

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【金曜恒例】反原発北海道庁前行動(通算307回目)でのスピーチ/「泊原発が動いていれば北海道大停電はなかった」論を主張する者たちは恥を知れ!

2018-09-22 01:15:15 | 原発問題/一般
レイバーネット日本の報告はこちら→「泊原発が動いていれば北海道大停電はなかった」論を主張する者たちは恥を知れ!~9.21反原発道庁前行動

 みなさんお疲れ様です。

 さて、北海道胆振東部地震では史上初の全北海道ブラックアウトという事態が現実のものとなりました。この原因が、自然災害リスクに備えて電力分散をせず、大規模発電所の集中配置という災害に脆弱な体制を放置していたこと、動く当てのない泊原発の「安全対策」に多額の資金を投じながら、原発以外の発電所は老朽化したまま改修もせず放置していたこと――この2つの北電による不手際が招いた結果です。経産省が、この事態を事前にまったく正確に予測していたことは、先週のこの時間でお話ししました。電力業界内部にも、大きな発電所を集中配置している北電に対し「大丈夫か」と心配する声があったと言います。あらゆる専門家が北電の運営体制にリスクを感じていたのです。

 ところが、北海道がブラックアウトになったこの機会に乗じて、「泊原発が稼働していれば大停電は起こらなかった」と主張する連中がネットを中心に現れました。その主張する内容は根拠がまったくないばかりか、主張している人物を見ても品性下劣な連中ばかりです。今日は「泊が動いていれば大停電はなかった」論を主張している人物がどれだけでたらめか、お話ししたいと思います。

 まず、経済学者を自称する池田信夫という人物です。この男は元NHK職員で、早期退職後はテレビ局の独占に反対し、電波オークションの実施などを主張していましたが、福島原発事故後は反原発派をさんざん誹謗、中傷するばかりでなく、子ども騙しにすらならないような低劣な原発推進論を主張。それまで人類がどんなに科学的英知を結集しても到達できなかった数々の「珍学説」を恥ずかしげもなく発表してきました。あまりに馬鹿げていて口にするのも恥ずかしいですが、池田信夫が発表した「珍学説」で最も斬新なのは、「放射性セシウムは燃やせば分解する」(注1)と「核廃棄物は1万メートルの海底に投棄すればマントルに飲み込まれて消滅する」(注2)です。この他「内部被ばくは都市伝説」(注3)だとも主張しています。あまりにも斬新すぎて私のような凡人の理解をはるかに超えています。めまい、吐き気を催さずにはいられません。最近では原発の電気が最もコストが安いと主張し、再稼働を執拗に主張しています。福島原発事故の後始末に21兆円が必要と試算されており、民間シンクタンクの試算では70兆と見積もっているところもある(注4)にもかかわらずです。計算もろくにできない、こんなレベルの男が経済学者を名乗って平気でいられるのですから、日本がノーベル賞の中で経済学賞だけ受賞できていないのもなるほどと思います。

 次に、石井孝明という自称「経済・環境ジャーナリスト」です。この男も福島原発事故以降、私たち反原発派を「放射脳」などとののしり続けています。「夕刊フジ」紙上でも「今回の大規模停電も、電力会社が危機に対応する経費を削減したことが一因かもしれない。脱原発の声が強いため、原発の稼働が遅れ、それの生み出せる巨大な電気を、北海道では活用できないままだ」などと、あたかも私たち反原発派のせいで停電が起きたかのように主張しています。

 しかし、この男ははっきり言うとその発言の内容以前に犯罪者です。なぜならこの男は2014年5月にグルメ漫画「美味しんぼ」が福島の鼻血の問題を取り上げた際、作者である雁屋哲さんへのリンチをツイッター上で呼びかけた前科があるからです(注5)。このような呼びかけをすることは、暴行教唆罪という立派な犯罪要件に該当します。私は一時、真剣にこの男の刑事告発を考えたほどです。今も時々、刑事告発をすべきではないかと思うことがあります。辛淑玉さんを根拠なく「北の工作員」認定して訴えられ敗訴するなど、言動は醜いネトウヨそのものです。

 このほか、ホリエモンこと堀江貴文氏も泊再稼働を主張しています。ロケットと一緒に宇宙に飛んでいき、そのまま二度と地球に戻ってくるなと言いたいです。宇佐美典也氏は、元経産省の官僚で、現役時代から自分の給与明細をネット上で公表するなど型破りな行動で知られましたが、一方、朝日新聞紙上で「民主党政権になってから、同期が十何人も辞めていった」と主張するなど、経産省が自民党べったりであることをみずから暴露しています(注6)。経産省が官邸に送り込んでいる今井尚哉(たかや)秘書官と安倍首相の「蜜月」ぶりを見ると、改めて安倍首相と経産省のべったりぶりに怒りがわきます。

 「泊原発が動いていれば大停電はなかった」論を主張している連中は、このような品性下劣で人間の風上にも置けない奴らばかりです。さすがに原発推進派の中でも、東大原子力工学科を卒業しているようなエリートはこのような発言はしません。彼らは沈黙を維持しており、「プルトニウムは飲んでも安全」と主張した大橋弘忠元東大教授、原発メーカーからの献金額が1位だった関村直人東大教授をはじめ、かつてのような権力中枢への復帰はできないままです。原発再稼働を主張するのに池田信夫や石井孝明のような下劣な人物を使わざるを得ないところに、原発推進派の焦りも感じます。そもそも北海道民でもなく、東京でぬくぬくといい生活を送っていて、北海道の冬の厳しさも知らない連中に外からとやかく言われる筋合いなどありません。北海道民には自分たちの生活のありようを自分たちで決める権利があります。その道民である私たちが泊はいらない、原発はいらないと言っている以上、誰が何と言おうといらないのです。

 こんな下劣な連中、相手にする価値もないと思っている皆さんも多いかもしれません。しかし彼らにはネットでの発信力があります。在特会のような怪物に膨れ上がる前に、徹底的に批判する必要があると考え、今日はこのような激しい批判をあえてしました。

 ご通行中の皆さん! 子どもたち、孫たちに放射能汚染も健康被害もない地球を残してやりたいという私たちには1点の曇りもありません。正義は私たちの側にあります。頑張りましょう。

注1)証拠→http://kingo999.blog.fc2.com/blog-entry-604.html

注2)証拠→http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51804705.html

注3)証拠→http://ikedanobuo.livedoor.biz/archives/51766494.html

注4)「エネルギー・環境選択の未来・番外編 福島第一原発事故の国民負担~事故処理費用は50兆~70兆円になる恐れ」(公益財団法人日本経済研究センター、2017年3月7日)

注5)ジャーナリストが「美味しんぼ」原作者の「リンチ」呼びかけ? 石井孝明氏、批判されツイートを削除

注6)「官僚の肩書き捨てたら地獄だった」 貯金千円から這い上がった男

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【福島原発事故刑事裁判第27回公判】業務上過失致死傷罪の起訴事実に迫る証言続く

2018-09-21 22:09:04 | 原発問題/福島原発事故刑事訴訟
事故からの避難が患者の命を奪った

 9月19日の第27回公判は、昨日に引き続いて被害の様子を詳しく解き明かしていった。福島第一原発の爆発現場の直近にいた東電関係者、亡くなった患者さんらを診断した医師、遺族らが、事故調報告書ではドライに描かれている情景を、一人一人の言葉で生々しく肉付けしていった。

●「流れ込むがれき、よく誰も死ななかった」東電関係者

 3月12日午後3時36分、1号機水素爆発。現場にいた3人がけがをした。

 「視界がもうもうと蜃気楼のようになって、青白い炎が見えた。すさまじい爆風が襲いかかってきて、がれきが宙に浮かんで、鉄筋が消防車のガラスを突き破り、前腕に直撃。疼痛を感じた」(消防隊所属の東電関係者。供述を検察官役の弁護士が読み上げ)

 3月14日午前11時1分、3号機水素爆発。けが10人。

 「コンクリートのがれきが、煙のように多数流れ込んできた。周囲を見ることも出来なくなった。タンクローリーの影に隠れたが、タイヤの間から、がれきが飛んできた。破片は長い時間振り続けた。タンクローリーの爆発も怖かった。このまま死にたくないと思っていた。一刻も早く逃げないと被曝してしまうと、歩いて免震重要棟に向かった。よく誰も死ななかったと思います」(東電関係者、供述の読み上げ)


爆発した3号機(出典:東京電力ホールディングス)


●「国や東電の責任ある人に、責任を取ってほしい」遺族

 事故直後の混乱期の避難で、双葉病院の患者32人、ドーヴィル双葉の入所者12人が亡くなった。

 「とうちゃんは、2010年5月にドーヴィル双葉に入所。2週間に1回、土曜日に会っていた。顔を合わせるとにっこりしていた。3月17日に電話で遺体の確認をしてくださいと言われ、現実のように思えませんでした。『放射能がついているかも知れないので、棺は開けないで下さい』と県職員に言われた。東電や国の中で責任がある人がいれば、その人は責任を取ってほしい」(夫を亡くした女性、供述を読み上げ)

 「原発事故さえなければ、もっと生きられたのに」(両親をなくした女性、供述を読み上げ)

 「シーツにくるまれただけで遺体が置かれていた。家族や親戚に看取られ、ベッドで安らかに最期を迎えさせてやりたかった。避難している最中で亡くなったと思うとやりきれない」(遺族、供述を読み上げ)

 「避難ストレス、栄養不良、脱水、ケア不良で死亡。極端な全身衰弱。これだけの避難がなければ、今回の死亡に至ることはなかった」(診断した医師が検察に回答した内容)

●「避難が無ければ、すぐ亡くなる人はいなかった」医師

 事故当時、双葉病院に勤務していた医師の証言もあった。

 検察官役の渋村晴子弁護士が「事故による避難がなければ、すぐに命を落とす状態ではなかったですね」と尋ねると、医師「はい」と答えた。

 医師は、長時間の移動が死を引き起こす原因を、こう説明した。「自力で痰を出せない人は、長時間の移動で水分の補給が十分でない中で、たんの粘着度が増してくるので、痰の吸引のようなケアを受けられないと呼吸不全を引き起こす。寝たきりの人も100人ぐらいいたが、病院では2時間ごとに体位交換をする。そんなケアができないと静脈血栓ができて、肺梗塞を起こして致命的な状況になる」

●「避難する前には、普段の様子でバスに乗っていった」ケアマネ

 3月14日に、ドーヴィル双葉から98人の入所者をバスに載せて送り出したケアマネージャーの男性も証言した。このバスは受け入れ先が見つからず、いわき光洋高校に到着するまで11時間以上かかった。自力歩行できない人が40人から50人おり、寝たきりの人や経管栄養の人もいたが、医療ケアがないままの長時間移動になり、移動中や搬送先で12人が亡くなった。

 「避難する時には、普段の状況でバスに乗っていかれたので、死亡することは予想できませんでした。移動すれば解放され、正直助かったと思いました。その後、次々亡くなる人が出てショックでした。原発事故が無ければ、そのまま施設で生活出来ていたと思います」

●2227人、突出して多い福島県の震災関連死

 この日の公判では、被告人がこの裁判で責任を問われている44人の死について、それぞれの人が亡くなった状況や、遺族の思いが、鮮明にされた。

 刑事裁判では触れられていないが、原発事故がなければ死なずにすんだ人は、もっと多いと思われる。東日本大震災における震災関連死は、福島県2227 人、宮城県927人、岩手県466人で、福島が突出して多い(注)。その原因は、東電が引き起こした原発事故にあるだろう。この裁判で争われているのは、被告人の責任のうち、ほんの一部にすぎない。

注)東日本大震災における震災関連死の死者数 復興庁 2018年3月31日現在

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【福島原発事故刑事裁判第26回公判】「避難による患者死亡は原発事故のせい。地震と津波だけなら助けられた」と看護師が証言

2018-09-20 23:49:12 | 原発問題/福島原発事故刑事訴訟
福島原発事故をめぐって強制起訴された東京電力旧3役員の刑事訴訟。9月18日(火)の第26回公判、9月19日(水)の第27回公判の模様を伝える傍聴記についても、福島原発告訴団の了解を得たので、掲載する。予定されていた9月21日(金)の公判が中止となったため、次回、第28回公判は10月2日(火)に行われる(なお、通常この刑事裁判は午前10時開廷となっているが、次回、10月2日だけは13時15分開廷となる。傍聴を予定されている方はご注意いただきたい)。

執筆者はこれまでに引き続き、科学ジャーナリスト添田孝史さん。

傍聴記に入る前に、ここで改めて当ブログ読者の皆さんに説明しておくと、勝俣恒久元東京電力会長、武藤栄元東電副社長、武黒一郎元東電副社長の3被告に対するこの刑事裁判は、検察審査会による2回の「起訴相当」議決を受けた強制起訴によって始まったが、そもそもの起訴事実は「福島原発事故発生によって双葉病院の患者が強制避難させられ、その過程で死亡、負傷したことが業務上過失致死傷罪に当たる」とするものである。その意味では、双葉病院の看護師が出廷、「事故がなければ患者は避難する必要も、避難途中で死亡することもなかった」との証言をしたことは、いよいよこの裁判が核心に近づいてきたことを示している。起訴事実に直接関係する証言を、直接の関係者から引き出した今回の公判は、これまでで最も重要なものである。今回の公判については、メディア報道もご紹介するので、参考にしていただきたい。

<東電訴訟>双葉病院患者死亡は原発事故が原因 看護師証言(毎日)

東電裁判で元看護師「原発事故なければ治療できた」(テレビ朝日)

福島事故後44人死亡 東電元幹部ら公判 双葉病院・元看護師証言(東京)

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●事故がなければ、患者は死なずに済んだ

 勝俣恒久・東電元会長ら被告人3人は、福島第一原発近くの病院などから長時間の避難を余儀なくされた患者ら44人を死亡させたとして、業務上過失致死罪で強制起訴されている。9月18日の第26回公判では、東電が引き起こした事故が、どんな形で患者らの死とつながっているのか、検察官側が解き明かしていった。病院の看護師は、寝たきり患者らの避難がとても難しかったと当時の状況を証言。救助に向かった自衛官や県職員、警察官らが検察官に供述した調書も読み上げられた。

 放射性物質で屋外活動がしにくくなり、通信手段も確保できない中で現地の情報が伝わらなくなっていた。そのため患者の搬送や受け入れの救護体制が十分に築けず、患者たちが衰弱して亡くなっていく様子が証言で浮かび上がった。

●地震と津波だけなら助かった

 証人は、福島第一原発から4.5キロの場所にある大熊町の双葉病院で、事故当時、副看護部長を務めていた鴨川一恵さん。同病院で1988年から働いていたベテランだ。避難の途上で亡くなった患者について、検察官役の弁護士が「地震と津波だけなら助かったか」という質問に「そうですね、病院が壊れて大変な状況でも、助けられた」と述べた。

 事故当時、双葉病院には338人が入院、近くにある系列の介護老人保健施設「ドーヴィル双葉」に98人入所していた(注)。鴨川さんは、3月12日に、比較的症状の軽い209人とバスで避難、受け入れ先のいわき市の病院で寝る間もなく看護にあたっていた。

 3月14日夜、後から避難した患者ら約130人が乗っていたバスを、いわき市の高校体育館で迎えた。このバスは、病院を出発したものの受け入れ先が見つからず、南相馬市、福島市などを経由して、いわき市で患者を下ろす作業が始まるまで11時間以上かかった。継続的な点滴やたんの吸引が必要な寝たきり患者が多く、せいぜい1時間程度の移送にしか耐えられないと医師が診断していた人たちだ。本当は、救急車などで寝かせたまま運ぶことが望まれていた。

 鴨川さんは、「バスの扉を開けた瞬間に異臭がして衝撃を受けた。座ったまま亡くなっている人もいた」と証言した。バスの中で3人が亡くなっていたが「今、息を引き取ったという顔ではなかった」。体育館に運ばれたあとも、11人が亡くなった。

●高い線量、連絡や避難困難に

 福島第一3号機が爆発した3月14日に、双葉病院で患者の搬送にあたっていた自衛官の調書も読み上げられた。「どんと突き上げる爆発、原発から白煙が上がっていた」「バスが一台も戻ってくる気配がないので、衛星電話を使わせてもらおうと、(双葉病院から約700m離れた)オフサイトセンターに向かいました。被曝するからと、オフサイトセンターに入れてもらうことが出来ませんでした」。オフサイトセンター付近の放射線量は、高い時は1時間あたり1mSv、建物の中でも0.1mSvを超える状態で、放射性物質が建物に入るのを防ぐために、出入り口や窓がテープで目張りされていた。自衛官はオフサイトセンターに入ることが出来なかったため、持っていたノートをちぎって「患者90人、職員6人取り残されている」と書き、玄関ドアのガラスに貼り付けた。

 病院からの患者の搬送作業の最中、線量計は鳴りっぱなしですぐに積算3mSvに達し、「もうだめだ、逃げろ」と自衛隊の活動が中断された様子や、県職員らが「このままでは死んじゃう」と県内の医療機関に電話をかけ続けても受け入れ先が確保できず、バスが県庁前で立ち往生した状況についても、供述が紹介された。

 これまで、政府事故調の報告書などで、おおまかな事実関係は明らかにされていた。しかし、当事者たちの証言や供述で明らかになった詳細な内容は、驚きの連続だった。刑事裁判に役立つだけでなく、今後の原子力災害対応の教訓として、貴重な情報が多く含まれていたように思えた。

注)福島県災害対策本部の救援班は、3月17日午後4 時頃、双葉病院からの救出状況について「3月14日から16日にかけて救出したが、病院関係者は一人も残っていなかった」と発表し、報道された。このため、双葉病院の関係者は「患者を置き去りにした」と一時、非難された。しかし、実際は院長ら関係者が残って、患者のケアや搬送の手配に奔走しており、バスに同乗して移動した病院関係者も、ピストン輸送で病院にすぐ戻ることができると考えていた。政府事故調の最終報告書は、県の広報内容について「事実に反し、あたかも14日以降病院関係者が一切救出に立ち会わず、病院を放棄して立ち去っていたような印象を与える不正確又は不適切な内容と言わざるを得ないものであった」と評価している(政府事故調最終、p.241)


双葉病院の避難支援を担当した陸上自衛隊第12旅団の配置

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【金曜恒例】反原発北海道庁前行動(通算306回目)でのスピーチ/想定外ではなかった北海道大停電

2018-09-14 23:09:57 | 原発問題/一般
レイバーネット日本の報告はこちら→北海道大停電は想定外ではなかった!~9.14反原発道庁前行動

 みなさんお疲れ様です。

 6日未明の胆振東部地震、皆さんご自身や周囲では被害はなかったでしょうか。幸い私の自宅で被害はありませんでしたが、地震直後に停電し、復旧したのは地震翌日、7日の夜7時前でした。停電から復旧まで40時間かかったことになります。すでに道内の半分が復旧した後で、かなり遅めの復旧です。この3月まで生活していた日高管内新ひだか町では7日の未明(午前2時ごろ)に復旧したとのことで、震源からほど近い日高管内よりも遅かったことになります。

 携帯ラジオのニュースで、北海道内全体が停電していると聞き、唖然としました。まさか道庁や札幌市役所本庁、北電本社にすら電気が通っていないとは想像していませんでした。泊原発も外部電源を喪失し、非常用ディーゼル発電機でプールの核燃料をようやく冷却している状態で、もう少しで第2の福島になるところでした。

 この停電の原因は、今後のためにも早い段階で究明する必要がありますが、今日は皆さんに重大な事実をお伝えしなければなりません。それは、今回の北海道大停電が、決して「想定外」ではなかったということです。

 『例えば、北海道電力の最大ユニットが脱落した場合、北海道電力エリア内の周波数が大きく低下。この際、北海道エリアの系統規模を踏まえれば、この脱落に対して、周波数を維持できない。』――2013年12月9日に経産省が開催した「総合資源エネルギー調査会 第4回制度設計ワーキンググループ」の会議に事務局が提出した資料(注1)がこのように指摘しています。「広域的運営推進機関が整備すべき事項について」との副題が付けられたこの資料は、5年も前に、まるで今回の事態を予言でもしていたかのように正確に見通していたのです。

 地域によって電力が足りなかったり余ったりという事態をなくすため、5年前の電気事業法の改正で、電力業界には、全国ベースで電力の需給調整を行うことが求められるようになりました。電気事業連合会は、政府の意向を受け、電力会社同士が電力を融通しあえるようにするため「電力広域的運営推進機関」という認可法人を設立しました。この電力広域的運営推進機関が電力会社同士の電力融通を効果的に行えるようにするため、経産省が開催した会議の資料の中にこの記述があったのです。全国でも最も電力融通が困難なのが北海道であること、電力融通が東日本で困難である一方、西日本では難しくないこともこの資料では述べられています。経産省はこの事態をとっくにわかっていたのであり、想定外という言い訳など聞きたくもありません。

 現在、メディアを使って行われている電力不足キャンペーンにはまったく根拠がありません。他ならぬ北電のホームページに、北海道電力の発電能力が780万kwであることが記載されています。ここから泊原発1~3号機の207万kw、今回の地震で壊れた苫東厚真火力発電所の165万kwを引いてもなお402万kwの発電能力があります。北電管内の電力のピークは1年で最も寒くなる1月で、この時期には510万kwの電力が必要ですが、現在、石狩湾新港に建設中のLNG火力発電所は170万kwの発電能力を持っています。これを足せば北電管内の発電能力は570万kwになります。2月に予定されている運転開始を1カ月程度前倒しできれば、泊原発が動かず、苫東厚真火力発電所が壊れたまま復旧しないという最悪の事態が現実のものになったとしても問題なく乗り切れる発電能力なのです。計画停電などまったく必要ありませんし、節電も現在の10%水準を10月いっぱいまで続けられれば、苫東厚真火力発電所の部分的な仮復旧で十分間に合うでしょう。電力不足は泊原発再稼働のために作られた偽りの物語にすぎません。

 ここにいる人たちにとっては必要ないかもしれませんが、泊原発再稼働を訴える懲りない人たちがネットを中心にいるようなので、この点について触れておきます。多くの道民が実感しているのは、今度の地震の震源地が火力発電所の真下でよかったということです。これがもし原発の真下だったらどうなっていたでしょうか。大飯原発、高浜原発の運転差し止め裁判では、日本の原発が700ガルの揺れしか想定していないことが明らかになっています。しかし、政府の地震調査研究推進本部が行った評価では、今回の胆振東部地震で最も揺れが大きかった安平町の観測点でなんと1796ガルの揺れが観測されていました(注2)。原発が想定している揺れの2.5倍の大きさです。この地震が仮に泊原発の直下で起き、原発が直撃を受ければひとたまりもなく破壊されていたでしょう。これでも原発の再稼働を推進する人たちは日本破壊主義者であり殺人犯と呼ばなければなりません!

 最後に、私は福島で3.11も経験しました。福島原発事故直後、自主避難先を探すため、子どもを抱えて相談会に来ていたある若い母親の一言を私は今も忘れません。「子どもがこんな目に遭うくらいなら私は停電してもいい。ろうそくの生活になっても原発はいらない」。

 3.11から7年半、日本の市民の反原発の意識はひところに比べて風化しているといわれますが、根底では変わっていないと私は信じます。ろうそくの生活になっても原発はいらない。これが日本の市民の変わることのない意思です。私はあの惨劇を経験した者のひとりとして、誰がなんと言おうと日本から原子力の火を消す。そして最後の1基が止まるのを必ずこの目で見届ける覚悟です。

 今日は以上で終わります。ありがとうございました。

注1)電力広域的運営推進機関(認可法人)第1回調整力等に関する委員会 資料6-2「現行のマージンの考え方について」(2015年4月30日)で該当部分が引用されている。

注2)地震調査研究推進本部(地震本部)地震調査委員会 2018年9月11日公表「平成30年北海道胆振東部地震の評価」より

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【福島原発事故刑事裁判第25回公判】「長期評価は不確実」としながらも福島沖での地震確率「ゼロとは言えない」

2018-09-11 22:15:48 | 原発問題/福島原発事故刑事訴訟
●第25回公判傍聴記~「福島沖は確率ゼロ」とは言えなかった

 9月7日の第25回公判の証人は、松澤暢(まつざわ・とおる)・東北大学教授(地震学)だった。松澤教授は、政府の地震調査研究推進本部(地震本部)の長期評価とはどんなものか、そして2002年の長期評価が予測した日本海溝沿いの津波地震について説明した。

 ポイントは以下のとおりだ。

1)「長期評価、それ以外に方法ない」

 松澤教授は、長期評価に不確実なところがあることは認めた。一方で「わからない=ゼロとして過小評価されるより、仮置きでも数値を出すとした地震本部の判断には賛同する」と述べた。

2)「福島沖の確率がゼロとは言えなかった」

 長期評価が予測した津波地震が福島沖でも起きるかどうかについて、「日本海溝北部に比べて起こりにくいとは考えたが、絶対起こらないとは言い切れなかった」と話した。

3)長期評価の改訂時にも、異議は唱えなかった

 松澤教授は、福島沖の津波地震を最初に予測した2002年の長期評価策定には関わっていないが、2009年や2011年(震災前、震災後)の改訂作業には参加していた。「そこで大きな問題点は指摘しなかった」と述べた。

 松澤教授は、東北大学大学院理学研究科の教授で、大学附属の地震・噴火予知研究観測センター長も務める。地震の波形を詳しく分析して、地震発生の過程を調べる専門家だ。地震予知連絡会の副会長でもある。公判では、最初に弁護側の宮村啓太弁護士、続いて検察官役の久保内浩嗣弁護士が質問した。少し詳しく見ていく。

●「乱暴だが、それ以外に方法はない。地震本部の判断に賛同する」

 松澤教授は、長期評価に「不確実だ」という意見があることについて、こう説明した。

 「よくわかっていること、よくわかっていないところがあったが、仮置きでもいいから数値をおいていくべきだと判断した。理学屋が黙っていると、誰かが勝手にやってしまう。わからないとして放っておけば確率ゼロ、過小評価になる。全く知らない人に判断があずけられる。それは正しいのか。とりあえずおすすめの数値を、仮置きでも、仮置きと見える形で出すことが良いと判断した」と説明した。「非常に乱暴だけど、それ以外に方法がない。地震本部が仮置きの数字を置いた判断は賛同する」とも述べた。

●「福島沖はおこりにくいが、確率はゼロとは言えなかった」

 松澤教授は、日本海溝沿いの津波地震について、2003年に論文を発表している(注1)。「津波地震」が引き起こされるためには、プレート境界に付加体とよばれる柔らかい堆積物が必要だとする仮説に基づいていた。松澤教授はこの論文で、以下のように書いていた。

 「福島県沖の海溝近傍では、三陸沖のような厚い堆積物は見つかっておらず、もし、大規模な低周波地震が起きても、海底の大規模な上下変動は生じにくく、結果として大きな津波は引き起こさないかもしれない」。

 一方で、松澤教授は、津波地震について土木学会による2008年のアンケート(注2)に以下のように答えていた。

(1)三陸沖と房総沖のみで発生するという見解 0.2
(2)津波地震がどこでも発生するが、北部に比べ南部ではすべり量が小さい(津波が小さい)とする見解 0.6
(3)津波地震がどこでも発生し、北部と南部では同程度のすべり量の津波地震が発生する 0.2

 松澤教授は「福島沖でも起きる」とする見解の方に重きを置いていたのだ。

 アンケートの際、松澤教授は「不確実性が大きく過去と同じ場所だけとは言い切れない」とコメントしており、法廷では「北部に比べて福島沖では津波地震はおこりにくいが、確率ゼロではないので、このように回答した」と説明した。

●長期評価の改訂時にも、津波地震の評価に異議を唱えなかった

 地震本部が2002年に発表した津波地震についての長期評価は、2009年に一部改訂された。また2011年にも改訂作業が進められており、東日本大震災前にはほぼ出来上がっていた。東日本大震災の発生で、その改訂版は没となったが、2011年11月には、今回の地震を踏まえて第二版が公表された。

 松澤教授は、地震本部の委員として改訂作業にかかわり、「(福島沖をふくむ)日本海溝沿いのどこでも起きる」とした津波地震の評価に、異議は唱えなかった。そして「どこでも起きる」とする評価は、2009年、2011年の事故前、事故後、いずれの長期評価でも変更されなかった。「我々は(地震について)まだ完全に知っているわけではない。共通性を重視してそこに組み入れた」と理由を説明した。

●「積極的に否定」も出来なかった

 こんなやりとりもあった。

 宮村弁護士「津波地震が福島沖でも起きると積極的に根拠付ける研究成果はあったのでしょうか」

 松澤教授「なかったと思います」

 福島沖ではプレートが沈み込んでいるから津波地震を起こす必要条件は満たしていた。しかし、海溝に柔らかい堆積物(付加体)が少ないため、津波地震を発生させるモデルの条件を十分には満たしていなかったからだ。

 しかし松澤教授も認めたように、「津波地震の発生に付加体が必要」というのは仮説にすぎない。「付加体が無いから福島沖では津波地震は起きない」と断言できるほど「強い科学的根拠」とは言えなかった。付加体が福島沖と同じように少ない房総沖で、1677年に津波地震が発生したと考えられていた。それが付加体の仮説では十分説明できない弱みもあった。

 宮村弁護士は、「津波地震が福島沖で起きるという強い根拠は無かった」と強調したかったように見えた。しかし、逆に「極めてまれにも、福島沖で津波地震は起きない」と言える「強い根拠」もなかった。

 2006年に改訂された耐震設計審査指針では「施設の供用期間中に極めてまれであるが発生する可能性があると想定することが適切な津波によっても、施設の安全機能が重大な影響を受けるおそれがないこと」と定められていた。

 「極めてまれにも起きない」「だから対策はしない」と言い切る根拠を見つけることは、とても難しい。だからこそ、東電の津波想定担当者らは対策が必須と考え、いったんは常務会でも了承されていたのだ。

 2007年度には、東北大学が、福島第一原発から5キロの地点(浪江町請戸)で、東電の従来想定を大きく超える津波が、貞観津波(869年)など過去4千年間に5回あった痕跡を見つけていた(注3)。「大津波は福島沖では極めてまれにも起きない」として対策をとらないことは、とうてい無理になりつつあったのだ。



注1)松澤暢、内田直希「地震観測から見た東北地方太平洋下における津波地震発生の可能性」 月刊地球 Vo.25.No.5 2003 368-373

注2)土木学会津波評価部会 ロジックツリーの重みのアンケート結果(平成20年度)

注3)地震本部 宮城県沖地震における重点的調査観測 平成17−21年度統括成果報告書

これの
3.研究報告
3.3津波堆積物調査にもとづく地震発生履歴に関する研究

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【福島原発事故刑事裁判第24回公判】ついに出た決定的証拠 東電幹部「検面調書」で「カネのために津波対策やめた」を裏付ける証言! 命よりカネの東電を徹底弾劾せよ

2018-09-10 22:45:38 | 原発問題/福島原発事故刑事訴訟
福島原発事故をめぐって強制起訴された東京電力旧3役員の刑事訴訟。8月、休みだった公判が9月に入って再開。9月5日(水)の第24回公判、9月6日(木)の第25回公判の模様を伝える傍聴記についても、福島原発告訴団の了解を得たので、掲載する。次回、第26回公判は9月18日(火)に行われる。

執筆者はこれまでに引き続き、科学ジャーナリスト添田孝史さん。

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第25回公判傍聴記~津波対策、いったん経営陣も了承。その後一転先延ばし

 9月5日の公判では、津波対策の先送りを東電が決めた2008年当時、地震対応部署のトップだった山下和彦(やました・かずひこ)氏が検察に供述していた内容が明らかにされた。幹部による、これだけ貴重な証言が、事故から7年以上も隠されていたのかと驚かされた。

 重要な点は三つある。

 1)地震本部が予測した津波への対策を進めることは、2008年2月から3月にかけて、東電経営陣も了承していた。「常務会で了承されていた」と山下氏は述べていた。

 2)いったんは全社的に進めていた津波対策を先送りしたのは、対策に数百億円かかるうえ、対策に着手しようとすれば福島第一原発を何年も停止することを求められる可能性があり、停止による経済的な損失が莫大になるからと説明していた。

 3)「10m級の津波は実際には発生しないと思っていた。根拠は特にないが、2007年に新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原発が想定を上回る地震を経験していたので、原発の想定を上回る地震が何度も起こるとは思いつかなかった」と述べていた。

 山下和彦氏は、2007年10月に新潟県中越沖地震対策センター所長に就任。柏崎刈羽原発や、福島第一、第二原発の耐震バックチェックや耐震補強などの対策をとりまとめてきた。2010年6月に、吉田昌郎氏の後任として原子力設備管理部長に就任。事故後は、福島第一対策担当部長、フェロー(技術系最高幹部として社長を補佐する役)として事故の後始末に従事した。2016年6月にフェローを退任している。

 山下氏は、当初は証人として法廷で証言すると見られていたが、健康上の理由などから出廷が不可能になったらしい。そのため、2012年12月から2014年12月にかけて4回、山下氏が検察の聴取に答えた調書を永渕健一裁判長が証拠として採用し(注1)、この日の公判で検察官役の渋村晴子弁護士が約2時間かけて読み上げた。

 山下氏が述べた三つのポイントについて、それぞれ見ていく。

●経営陣は、常務会で津波対策を了承していた

 政府の地震調査研究推進本部(地震本部)は2002年、福島沖でも大津波を引き起こす津波地震が起きると予測していた。東電で津波想定を検討する土木調査グループの社員らは、それに備えなければならないという共通認識を持ち、対策の検討を進めていたことは、これまでの公判で明らかにされていた(5〜9、18、19回公判)。   

 この日の公判でわかったのは、経営陣も、地震本部が予測した津波への対策を了承していたことだ。2008年2月16日に開かれた「中越沖地震対応打ち合わせ」(いわゆる御前会議)に、被告人の武藤、武黒両氏や山下氏が出席。この場で、地震本部の予測に対応する方針が了承され、それが3月11日の常務会でも認められたと山下氏は証言していた。6月10日に、津波想定を担当する社員が想定される津波高さが15.7mになることを武藤氏に説明した会合終了時点でも、「(津波対策を)とりこむ方針は維持されていました」と山下氏は検察官に説明していた。

運転停止による経営悪化を恐れて、対策先送り

 2008年7月31日に、武藤氏は一転して津波対策の先送りを決めた(いわゆるちゃぶ台返し)。この理由について、防潮堤建設など数百億円の対策費用がかかることに加え、対策工事が完了するまで数年間、原子炉を止めることを要求されることを危惧した、と山下氏は説明。以下のように語っていた。「当時、柏崎刈羽原発が全機停止していて火力発電で対応していたため収支が悪化していた。福島第一まで停止したらさらに悪化する。そのため東電は、福島第一の停止はなんとか避けたかった」(注2)

 想定される津波高さは、当初は7.7m以上と説明されていたが、2008年5月下旬から6月上旬ごろ、山下氏は「15.7mになる」と報告を受けた。「これが10mを超えない数値であれば、対策を講じる方針は維持されていただろう」とも述べていた。

 15.7mより低い想定値にすることは出来ないか、それによって対策費を削ることができる可能性がないか検討するために、土木学会を使って数年間を費やす方向が決められ、大学の研究者への根回しが武藤氏から指示された。

 最終バックチェックに、地震本部の予測を取り込まないと審査にあたる委員が納得してくれないだろう。武藤はその可能性を排除するため、有力な学者に根回しを指示した。「保安院の職員の意見はどうなる」という検察官の問いに、「専門家の委員さえ了解すれば職員は言わない」と山下氏は答えていた。

 2009年6月に開かれた保安院の審議会で、専門家から東電の津波対応が不十分という指摘がされた(注3)ことについて、土木調査グループの酒井氏は「津波、地震の関係者(専門家)にはネゴしていたが、岡村さん(岡村行信・産業技術総合研究所活断層・地震研究センター長、地質の専門家)からコメントが出たという状況」と関係者にメールを送っていたことも、公判で明らかになった。水面下で進めていた専門家へのネゴ(交渉)に漏れがあり、公開の審議会で問題になったと白状していたのだ。

●「大地震、何度も、とは思わなかった」

 検察官の「津波は10mを超える可能性があったので、防潮堤まで作らないとしても暫定的な対策を考えたことはなかったのか」という質問に、山下氏は以下のように答えていた。

 「10m級の津波は実際には発生しないと思っていた。根拠は特にないが、2007年に新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原発が想定を上回る地震を経験していたので、原発の想定を上回る地震が何度も起こるとは思いつかなかった」

 この言葉に、傍聴していた人たちはざわついた。

 その程度のリスク判断で原発を運転していたことに驚かされたのだ。大きな地震が2007年に柏崎刈羽原発を襲ったばかりだから、そうそう続いて大地震は起きないだろうというのは願望にすぎず、科学的な裏付けは全くなかった。

 第9回傍聴記の最後に、私は「めったに起きないはずの地震に連続して襲われることはなかろうと、高をくくっていたのではないだろうか」と推測を書いていたが、本当にそのとおりだったのでびっくりした。

 東電は、15.7mの津波想定を「試し計算」と自社の事故調報告書に書いている(注4)。裁判でも、そう主張している。ところが刑事裁判における東電社員たちの証言で、報告書の記述は実態とかけ離れた「嘘」であることがはっきり見えてきた。検察の二度の不起訴を検察審査会がひっくり返して刑事裁判が始まったおかげで、ようやく事実に近づいてきたのだ。自分たちが引き起こした事故の検証を正直に出来ない会社が、柏崎刈羽や東通で再び原発を動かそうとしている。その状況は、とても恐ろしい。

 この日の公判では、東電の西村功氏の証人尋問もあった。西村氏は、2008年当時、原子力設備管理部の建築グループで、原発の基準地震動設定など耐震設計に関わる業務を担当していた。地震の揺れの想定と、地震による津波の想定の間で、どのように調整していたか、違いはなにかなどを証言したが、特に目新しい事実は無かったようだ。

注1)刑事訴訟法321条による

注2)原発の稼働率が1%下がると、収益は100億円悪化する 国会事故調報告書 p.534

注3)総合資源エネルギー調査会原子力安全・保安部会 耐震・構造設計小委員会 地震・津波、地質・地盤 合同WG(第32回)議事録

注4)東京電力「福島原子力事故調査報告書」(最終報告書)2012年6月20日 p.21

写真=東京電力本社

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北海道胆振東部地震について

2018-09-09 13:24:44 | 気象・地震
平成30年9月6日03時08分頃の胆振地方中東部の地震について(気象庁報道発表)

平成30年北海道胆振東部地震の評価(地震調査研究推進本部)

停電と、その後の友人、知人の安否確認などで遅くなってしまったが、気象庁のプレス及び今回の地震に関しては地震調査研究推進本部(地震本部)の評価も併せて見てみる。

地震規模M6.7、震源は胆振(いぶり)地方中東部、震源深さ37km(暫定値)、発震機構(地震のメカニズム)は東北東-西南西方向に圧力軸を持つ逆断層型。最大震度はこの発表の時点では震度6強(安平町)とされたが、その後の第3報では震度7(厚真町)に修正されている。

当初は、M6.7の規模と比べ、最大震度7というのはあまりに大きすぎるような気がした。だが2016年4月の熊本地震(報道発表)でもM6.5で最大震度7(益城町)を記録しており、直下型地震であればこの程度の激しい揺れはありうるということだろう。

逆断層型であることから、日本列島の乗っている北米プレート内部の地震で、プレート境界よりは内側(日本列島寄り)が震源であることはいうまでもない。北海道沖のプレート境界型地震としては2004年の十勝沖地震があるが、これ以降まだ14年しか経っていない。そろそろ浦河沖のプレート境界を震源とする「次」の海溝型大地震が発生してもおかしくないとの声も聞くが、それには少し早すぎるというのが当ブログの見解だ。ただ、将来、浦河沖のプレート境界型大地震が起きたとき、「今思えばあれも余震活動のひとつだった」と振り返られる地震のひとつに今回の地震がなることは確実だ。5~10年後に向け、「次」に備えるにはちょうどいいスタートラインに立てると思う。

気象庁報道発表と地震本部の「評価」を見て気になるのは、石狩低地東縁断層帯との関連だ。特に地震本部は今回の地震はこの断層帯によるものではないとしており、この大きな断層帯が今回の地震によって「目覚める」可能性を暗に示唆するものとなっている。その場合、今回の地震で終わりにならない可能性があるばかりか、さらに大きな地震がこの断層帯によって引き起こされる可能性もある。北海道の胆振・日高地域は今後も大地震の可能性がある地域として要注意だと思う。当ブログとしても今後の推移を注意深く見守りたい。

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とっさに線量計のスイッチ入れる/巨大地震に襲われた北海道レポート

2018-09-08 13:20:40 | その他社会・時事
管理人よりお知らせです。

北海道胆振東部地震について、レイバーネット日本にレポートを書きました。こちらから読むことができます。

結局、管理人の自宅で電力が復旧したのは7日(金)の午後6時50分ごろでした。地震発生から40時間以上かかったことになります。

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北海道地震について

2018-09-07 15:08:56 | 日記
昨日午前3時8分、北海道胆振地方を震源とする地震では、当ブログ管理人の自宅でも震度5弱を観測しました。幸いにも縦揺れが中心だったため、家の中に被害はなく、無事です。

しかし、1日半経過し、北海道全域の半分で電力が復旧した現在も自宅の電力が復旧していません。地方部でもどんどん復旧している中、札幌市内の自宅が復旧しないのはなぜでしょうね。

そのような事情ですので、管理人のネット復帰はもう少し先になります。

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