安全問題研究会~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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千曲川・信濃川エコツアーに参加して(2日目)

2012-05-27 23:30:04 | 鉄道・公共交通/交通政策
ツアー2日目。朝5時には目覚める(最近、ストレスのせいか眠りがものすごく不規則で困る)。起床ついでに、昨日かなわなかった温泉に入浴。

この日は名水百選にもなった「竜ヶ窪池」見学から開始。柱状節理(サムネイル写真)、見玉不動尊を回り、国道(というより「酷道」)405号線を走りながらガイドさんの案内を聞く。信濃川という呼称は新潟県側だけで、同じ川が長野県側では千曲川と呼ばれることまでは知っていた。だが、旧「信濃国」側の長野で信濃川と呼ばれず、「信濃国」でない側の新潟県内で信濃川と呼ばれるのはなぜか。私が長い間持っていたそんな疑問に対する回答もガイドさんの案内の中にあった。「古来、川は上流から下流への恵みであるとの考えから、上流に当たる国の名を冠するのが一般的でした」。それで、信濃に源流のあるこの川は、上流ではなく下流地域で信濃川と呼ばれるようになったらしい(念のため付け加えておくと、この説は確定的ではなく、諸説あるようだ)。

秋山郷結東温泉かたくりの宿で昼食を摂る。ついさっき裏山で店主みずから採集してきたという山菜が料理され、テーブルいっぱいに並べられる。自然と共生する里山の最も幸せな形がそこには展開していた。ここは元小学校の廃校を利用した施設で、きちんと今あるものの再利用をしているのも嬉しい。宿というくらいだから宿泊もできるのにここに泊まらないなんてもったいないと思う。「酷道」405号線が閉鎖される冬季はここも休業となるようだ。

思えば、原発事故が起きるまで、私も福島でこのようなスローライフ、ロハスな生活を楽しんでいた。3.11ですべてが暗転、自然との共生は断ち切られた。これがどれほど残酷なことか。「カブトムシはデパートで買うもの」だと思っている都会民には決してわからないだろう。

いよいよ、ここでの昼食が終わればエコツアーは解散となる。各自、解散に当たって一言ずつ述べよ、というので、私はこのような感想を話した。「原発事故以降、失われてしまった自然との共生、自然の恵みに感謝しながらそこで採れたものを食べる、という生活を久しぶりに取り戻すことができ、この2日間は自分の身体に久しぶりに血が通ったような気がしました。同時に、日本がこれから進んでいくべき新たな社会の姿がはっきり見えた、きわめて意義深いツアーだったと思います」

エコツアーはここで解散、以降はオプショナルツアーとして東電の西大滝ダム、そしてJR東日本信濃川発電所を回る。西大滝ダムに向かう途中の国道117号線は安定した広い道路で気持ちよく、3桁「酷道」の405号とは雲泥の差だ。飯山線が並行しており、鉄道ファンの私は線路が気になって仕方ないが、あいにくこの路線は1日数本しか列車がない超閑散路線。特定地方交通線によくぞ選定されなかったものだと感心する。

車は新潟県から長野県に入る。新潟県は東北電力(50Hz)だったのが、長野県に入ると中部電力(60Hz)のエリアだ。東北電力から東電の管轄区域を経ず、いきなり中部電力の管轄区域になってしまう新潟・長野県境は興味深いエリアだと思う。そう言えば、昨夜の宴会で気炎を上げる人がいた。「こんな狭い国の中に50Hz、60Hzと2つの周波数があるなんて恥ずかしい。こと電力に関する限り日本は最低最悪で、これから電力開発をする途上国にすら全くお手本にならない。そもそも同じ国の中で周波数の統一すらできないような連中に原発なんて扱わせてたまるか!」

当ブログはこの見解にほぼ全面的に同意する。大局を見ず狭い了見しか持ち得ない、自分の周囲の小さな利益の維持に汲々とする人々が決定権を持つ不幸が、新潟では川の破壊、福島では放射能汚染として罪無き人たちに襲いかかったのだ。

途中、「面白い場所があるのでご案内しましょう」と案内人が車を止める。そこに鎮座しているのは世にも不思議な「横向き地蔵」。お地蔵様が6体、見事に横を向き、行列を成して歩いているように見えるが、元々このお地蔵様は正面を向いていた。それが、東日本大震災の翌日の2011年3月12日に当地(長野県栄村)を襲った震度6強の巨大地震のため、一斉に90度、横を向いてしまったのだという。珍しい現象には違いないが、地震のエネルギーのかかり方が6体とも同じであったためにこのような現象が起きたに違いない。

「もうひとつの大震災」と呼ばれたこの長野県の大地震で、栄村ではひとりも犠牲者が出なかった。地元の人たちは、このお地蔵様が住民を守ってくれたと信じ、元に戻すのをためらっている。「元に戻すと天罰があるのではないか」と話す住民もいるとのことだ。

西大滝ダムは初めて訪れたが、JR信濃川発電所同様、どちらが本流でどちらが支流かわからないほどの凄まじい取水量で川を枯らしていた。「復権の会」のメンバーが怒るのも当然だ。

(参考:西大滝ダム取水後の信濃川 宮内ダム取水後の信濃川

信濃川発電所は「JRに安全と人権を!市民会議」(JRウォッチ)として訪れて以来、3年ぶりだ。改ざんが発覚して問題化した件の流量計を見ようと思い、現地に近づいたが・・・ない! なくなっている!

代わりといってはなんだが、発電所の事務所前の壁面に新たな流量計が設置されていた。毎秒43.6立方メートルと表示されていたが、JR東日本は改ざんの「前科一犯」だけに本当にこれが正しいかどうかは見定める必要がありそうだ。JRや東電のせいで私はずいぶん疑い深くなってしまった。

ダムを見た後は、休憩も兼ねて国道117号線の「道の駅信越さかえ」に立ち寄る。ソフトクリームが名物だという案内人に従い、食する。味はなかなか濃厚だ。

地元・栄村産のキノコ類などを買い込む。キノコ類は、福島では危なくて食べられないものの代名詞になってしまった(私が運営に関わっている白河の市民放射能測定所で、地元・白河産のキノコから9000Bq/kgの放射性セシウムが検出された例がある)。愛知県産のイチゴが並んでいるあたり、中部地方文化圏に入ったことをうかがわせる。「このあたりはなめこなどのキノコ類を作る農家が多いんですよ」と、案内人の説明があった。

道の駅を出発、十日町駅に向かう。到着後、案内人に丁重に謝意を伝える。十日町からは北越急行(ほくほく線)で越後湯沢へ。越後湯沢からは新幹線で帰宅。

「復権の会」の根津共同代表は、東電の株主代表訴訟で、本来あるべき水の姿とともに、東電の責任を問い続けている。私もまたJR株主として、信濃川のあり方を問う闘いに踏み出す。根津代表のグループが原発廃炉も争点にすれば面白い闘いになるだろう。

こうなれば共闘だ。新潟の「復権の会」が福島原発廃炉を含めて東電と闘い、福島の私が信濃川のためにJRと闘うというのも面白い。どのみち敵はひとつである。「恵みと災いの非対称性」(鬼頭教授)、「犠牲のシステム」(高橋哲哉さん)を問う闘いの先には、必ず真の敵、経団連が見えるはずだ。

今年もJR東日本、西日本の株主総会には会社提案に抗して株主提案が行われる。週刊「東洋経済」誌の報道によれば、野村ホールディングスの株主総会でも「東電・関電への融資・投資は行わない」よう定款変更を求める株主提案が個人株主から行われるという(関連記事)。社会的強者が弱者を踏みつけ、その悲鳴には聞こえないふりをして「シャンシャン総会」の茶番劇を演じていれば済む時代は終わりを告げた。傍若無人に環境を破壊し、命の持続可能性をも奪い尽くす者たちに対する異議申し立てが、いま、静かに、しかし確実に広がっている。

そのことを確認できただけでも、有意義な2日間だった。

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千曲川・信濃川エコツアーに参加して(1日目)

2012-05-26 23:00:15 | 鉄道・公共交通/交通政策
5月26~27日にかけて、千曲川・信濃川流域を旅する「エコツアー」(主催:千曲川・信濃川復権の会)に参加してきた。主催団体である千曲川・信濃川復権の会は、JR東日本による信濃川からの不正取水問題等をきっかけに、水は誰のものか、いかにして水環境を守るかを考えることを通じて、信濃川を日本一の大河として復活させようと2010年に発足した。「川と水環境を守ること」で一致する人であれば、立場を問わず参加できる。取水によって川を死に至らしめているダムを廃止させ、「水基本法」を制定させることを活動目標としている。その「復権の会」の主催で、水力発電の現場を実際に見て歩こうと企画されたものだ。

午前10時、越後湯沢駅に到着。今夜宿泊予定の旅館「田中温泉しなの荘」のマイクロバスが出迎えており、津南町へ。「農と縄文の体験実習館 なじょもん」を訪問。津南地区の縄文文化について学芸員の話を聞く。敷地内に竪穴式住居が復元されていたが、せっかく中に入っても倉庫として使われていて、もったいない気がする。

ここで昼食後、津南文化センターに移動。13時から、「千曲川・信濃川復権の会」第3回総会(会員以外もオブザーバーとして参加可)に参加。その後、「豪雪と名水の河岸段丘in津南」と題した記念講演が行われた。

会を代表して、まず「千曲川・信濃川復権の会」の根津東六共同代表(元十日町市議会議員)があいさつ。「糸魚川・静岡構造線と糸魚川から千葉を結ぶ構造線との間に挟まれた地域は、今から1600万年前は海であり、その後、陸地が隆起して今の日本列島がつながった」という話はなかなか興味深いものだ。なるほど、関東のほぼ全域は当時海だったことになる。関東地方で、地震のたびに激しい液状化が起きるのは、太古の昔、海だったことも関係しているに違いない。

また、根津さんのあいさつを聞いて、「海無し県」である長野県の高原地帯になぜ「小海線」を名乗る路線があるのか、という長年の疑問も氷解した。陸地が隆起する前は、ちょうど小海線付近が海岸線だったはず。地元参加者に話を聞くと、小海線以外にも海と付く地名が多いのだという。

「3・11以後の地域づくりの課題―自然との包括的な関係を築くために―」と題した記念講演では、鬼頭秀一・東京大学大学院教授(社会文化環境学)が「河川から受ける恵みは広域に及び、災いは狭い地域の住民だけに押しつけられる“非対称性”」を今日の技術・開発に関する問題として鋭く提起した。

災いと恵みの“非対称性”は、福島原発事故に最も典型的に現れている。利益は首都圏へ、放射能汚染は福島へ、の構図だ(この場合、福島は東電の電気など1ワットも使っていないが災いだけは押しつけられる、という意味で最も極端な“非対称性”だ)。高橋哲哉さんが指摘した福島・沖縄の「犠牲のシステム」と、表現こそ違うものの同じ問題意識と言っていい。そして、恵みだけはきっちりと自分が取り、災いは他の誰かに押しつけたいと思っている勢力が社会を支配し規定する地位にいる、というところに問題の根源がある。私たちはこの根源にこそ、恐れることなく大胆に踏み込まなければならない。

鬼頭教授はさらに、自然の徹底的な管理を前提とした20世紀型科学技術の終焉を指摘。災害時、コミュニティの力による助け合いと「競争より相互扶助」を基礎にする新しい社会のあり方を「3.11以後の新しい価値観」として提起する。災害や不確実性をむしろ受け入れ、共生していく精神的価値観の復権こそが必要である、とした。

私のライフワークである公共交通のあり方に関しては、交通・移動という「単機能」から、医療・福祉・購買・交流・農業体験支援等の「多機能」を担うオンデマンド交通の創造を訴えた。地方の人口減少、そしてそれに伴う人口分布の「点」化(面として存在していた人口が減少により面として存在できず、点となりながら細っていく)という状況を考えると、最も現実的な、あり得べき選択であろう。鬼頭教授の講演はほとんどの部分について同意できるものだ。

パネルディスカッションでは、内山緑さん(名水百選「竜ヶ窪池」を守る会会長)、庚(かのえ)敏久さん(パワードライブR117代表)、桑原悠(はるか)さん(津南町町議会議員)、橘由紀夫さん(環境カウンセラー、千曲川・信濃川復権の会正会員)が討論した。4人のパネラーは、いずれも饒舌ではないが、科学技術中心から人間中心の新しい社会のあり方について強い思いを持った人ばかりだった。内山さんは、「最も大切な権利である水、そして水利権が利潤のために行動する(JRや電力会社のような)私企業の所有という今のあり方でよいのか」と重要な問題を提起した。

地球上最初の生命は海(水)で誕生し、進化とともに陸に上がり、そして人間に行き着いた。人間の身体の7割は水でできている。だから当ブログ管理人は「水とはわたし自身・あなた自身」であると思っている。水利権が私企業に売り飛ばされると言うことは、つまり「わたし自身・あなた自身」が私企業に売り飛ばされるということと同じである。だから、そんな重要な権利を彼らに売り飛ばしてはならない。もし経団連会長が「水利権を売ってくれ」とやってきたら「お前らのような金の亡者にわたしたち自身を売り飛ばすつもりはない」と言って蹴飛ばしてやればいいのだ。

講演会を終え、再び「しなの荘」のバスでいよいよ旅館にチェックインする。私は温泉旅館に来たら、必ずチェックイン直後と朝の2回は入浴というポリシーを持っている。が、この日は午後5時45分過ぎのチェックイン後、「宴会は6時開始」とアナウンスがある。万事休すだ。仮にも「汽車旅と温泉を愛する会」会長を名乗るこの私が温泉でたったの1回しか入浴できないなんて。

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福島県民が問う原発事故の刑事責任

2012-05-25 23:19:11 | 原発問題/一般
福島県民が問う原発事故の刑事責任(BLOGOS・マガジン9)

やや長いが、私たちが起こした福島原発告訴団運動の内容が、きわめて適切に表現されている。これから告訴団に参加したいと思っている人はもとより、巨大な企業犯罪の被害に遭っているのに、誰にも相手にされず、誰にどのように責任を取らせたらよいかわからず苦しんでいる、という方にもぜひご一読いただきたい。何かのヒントに必ずなるはずだ。

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福島県民が問う原発事故の刑事責任 ‐ どん・わんたろう

 もしかすると福島第一原発の事故後、福島県民が原発に関して集会やデモとは違う形で、地域や世代、職業を超えたアクションを起こすのは初めて、と言えるかもしれない。県外ではほとんど報道されていないのでご存じない方も多いと思うが、「福島原発告訴団」が結成され、東京電力や国の担当幹部、学者らを6月11日に刑事告訴する準備を進めている。

 悲惨な原発事故によって、地元の人たちは生命や健康に甚大な被害を受けたのに、なぜ誰の刑事責任も問われようとしないのか。誰にどんな非があったかをはっきりさせるために、被害を受けた県民が自ら検察に告訴して捜査を求めようという試みである。

 告訴の対象(被告訴人)として名前が挙がっているのは、東電の勝俣恒久会長、清水正孝・前社長らの幹部、原子力安全委員会の班目春樹委員長や委員、山下俊一・福島県立医科大副学長、衣笠善博・東京工業大名誉教授、経済産業省原子力安全・保安院の前院長、文部科学省の局長ら、約30人に及ぶ。罪名は、業務上過失致死傷と公害犯罪処罰法(公害罪法)違反だ。

 告訴状は、こんな内容が想定されている。

 1997年には地震学者の石橋克彦・神戸大教授(当時)が論文で、大地震と原発事故が同時に発生する破局的災害の危険を指摘していた。しかし、国の原子力安全委員会は2006年に原発の耐震設計審査指針を改訂した際、担当委員の1人だった石橋氏の警告を無視して、地震による原発への影響を過小評価し、具体的な津波防護策も盛り込まなかった。これによって、福島第一原発の事故を未然に防ぐことを妨げた(第1の過失)。

 2008年に東京電力は、福島第一原発で想定される津波の高さが15メートルを超えるとの試算を出していた。しかし、対応する防潮堤の設置に数百億円の費用と4年の期間がかかるため、同社幹部は建屋や重要機器への浸水を防ぐ対策を取らなかった。2010年には原子力安全委員会が、津波を安全対策上の考慮に入れるよう定めた「手引き」を作ったが、東電はそれでも対策を怠り、原発事故を未然に防ぐことを妨げた(第2の過失)。

 さらに、福島第一原発の事故が発生した後、国や原子力安全委員会は、SPEEDIなどで放射性物質による汚染が広範囲に及んでいることを早期に察知していながら、とくに子どもたちへの防御策を積極的に取らずに放置した。学者らも、県内の汚染実態を把握していないにもかかわらず、「大丈夫」「安全」との見解を流し続けた。一般市民や子どもたちの避難策を取るべき作為義務があるのに、それを怠って住民の避難を遅らせ、結果的に多数の住民を被曝させた(第3の過失)。

 こうした結果、たとえば、大熊町の双葉病院に入院していた患者が避難に伴って相次いで死亡したケースや、津波の被災者の捜索・救出活動ができなくなったケース、農業が壊滅したことを悲観して自殺に追い込まれたケースなどが、業務上過失致死にあたるとみている。さらに、県民全員が間違いなく被曝しており、身体の安全を侵したことは傷害で、業務上過失致傷に該当するという。また、「事業所などから人の健康を害する物質を排出し、公衆の生命・身体に危険を生じさせる」ことを禁じた公害罪法への違反も挙げている。

 告訴団の代理人の一人で、薬害エイズ問題などに携わってきた保田行雄弁護士は「今回の原発事故は偶発の事故ではなく、本来やるべき仕事をしなかった結果もたらされた人為的な事故だ。以前から、石橋氏の論文で指摘されたり津波の高さを把握したりしており、被害の予見可能性はあった。全電源喪失や冷却機能喪失などを防ぐ方策はいくつもあるのに何ら取っていないなど、結果を回避できた可能性もあった。被害との間の因果関係も認められ、過失罪は成立する」と主張する。

 告訴先を福島地方検察庁にするのも大きなポイントだ。すでに東京地検などにいくつかの告発がされているが、ふだん福島県内に居住して仕事をしている検察官の方が、被害の実態や県民の気持ちを肌感覚で理解してくれるのではないか、という狙いがある。もし不起訴になっても、福島県民が審査員を務める福島検察審査会へ不服申し立てをすれば強制起訴になる可能性が出てくる、ともみているからだ。

 6月に告訴するのは、昨年3月11日時点で福島県内に住んでいた人。事故後に県外に避難していても良く、国籍や年齢は問わない。1000人を目標に募っているが、現在500人ほどだという。関係者の1人は「原発事故の補償金をもらっている人は、なかなか告訴にまでは踏み切れないようだ。関心は持たれているが、甘い状況ではない」と漏らしていた。被害者の「分断」が、こんなところにも影を落としているらしい。

 福島県外に住んでいてホットスポットなどで被曝した人についても、順次、第2次以降の告訴を起こしていく方針だ。直接被曝していなくても「告発」することはできるので、全国に運動を知ってもらう方法と併せて、今後検討していくという。

 告訴団の武藤類子団長は4月の説明会で「この1年間の国のあり方や東電の姿勢を見ていると、無責任さに腹が立つ。責任がどこにあったかを自覚させ、きちんと対応してもらいたい。せめて国のあり方を変えることが、若者に負の遺産を残してしまった我々の世代の責任だ」と話していた。

 副団長の佐藤和良・いわき市議も「『強制被曝』に対して、きちんと責任を取らせ、けじめをつけさせたい。日本は法治国家なのか、まさに民主主義が問われている」と告訴の意義を強調している。

 告訴が検察に受理されたとしても、起訴するかどうかの結果が出るまでには1年単位の時間がかかりそうだ。保田弁護士は「検察が自主的に動くことは期待できないが、国民の声となれば放置できない。特に国会の事故調査委員会が報告書を出した後ならば、捜査の支障もなくなるのではないか」と見立てていた。

 捜査当局は、少なくとも現に発生している莫大な被害への責任を誰がどう取るかという視点から、きちんと捜査して結果を出してほしい。仮に今後も原発を稼働させるのならば尚更、事故の責任を誰がどう取るかをはっきりさせておく必要がある。

 電気を消費してきた都会のかかわりも問われている。都会には、危険な原発を地方に押しつけ続けてきた責任がある。大規模な事故が起きてしまったいま、原発への賛否という次元を超えて、地元から出てきたこうした草の根の動きを支援していくことこそが、まさに責任の取り方なのだと思う。

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晴れ渡った空を脱原発の鯉は泳ぐ!~歴史的な稼働原発ゼロを祝う

2012-05-25 21:37:13 | 原発問題/一般
(当エントリは、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2012年6月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 5月5日、最後まで残っていた稼働原発・北海道、泊3号機が定期点検のため停止し、日本の稼働原発がゼロになった。これは1970年、原発が2基しかなかった時代に、定期点検とトラブルでその2基が同時に停止して以来42年ぶりだ。生まれたときから原発があった筆者にとっては人生で初めての事態である。

 たった1回の事故で日本が壊滅しかねない事態を目の当たりにしても、なお原発にしがみつく愚か者たちは相変わらず再稼働への執念を燃やしている。情勢は予断を許さないが、この歴史的な日のできごとを記録しておくことは、必ず後世の運動にとって巨大な励ましになると思うので、ここに記しておくことにしたい。

 ●原発村の「鈍感力」にほくそ笑む

 昨年3月11日以降の反原発の闘いは、子どもたちを放射能から守るための母親たちの闘いとして自然発生的に生まれ拡大していった。その間、いろいろな政治党派や労働組合がこの運動の主導権を握ろうと動いたが、主役は一貫して無名の母親たちであり続けた。それは、「ママから始まる日本の革命」(週刊「AERA」誌2011年12月19日号)という見出しが週刊誌の誌面に躍り、放射能除染の必要性を国会で強く訴えた児玉龍彦・東京大学アイソトープ総合センター長が「お母さん革命」と呼ぶほどの明らかな潮流だった。子どもの健康と命はこの間の反原発運動にとって一貫した原点だった。

 周囲との軋轢や断絶、孤立の恐れを抱きながらも、子どもを守りたいとの一心で活動を続けてきた母親たちにとって「こどもの日」はその最も象徴すべき日である。定期検査とはいえ、たった1基の稼働原発をそんな日に止めれば、母親たちがそれを最大限、政治的に利用するであろうことは、この間の事態の推移を見てきた者なら誰しも理解できることであろう。それだけに筆者は、わざわざ反原発運動側の宣伝効果が最大となるこの日に泊3号機の定期検査入りを持ってくるほど彼らも愚かではないと考え、その日を5月6日と予測していた。だが北海道電力はそんな私の予測を裏切って、4月26日、定期検査による泊3号機の停止を5月5日にすることを経産省原子力安全・保安院に報告した。

 この瞬間、「勝負は決した」と私は思った。予想通り、母親たちは「こどもの日、日本の子どもたちに最高のプレゼントを贈ろう」を合い言葉にしてよりいっそう結束を固めた。

 子どもたちを放射能から守るために必死で闘ってきた母親たちの前で「こどもの日」に最後の稼働原発を止める――この事実こそ、みずから再稼働を不可能な状況に追い込んでいった原子力村の鈍感さの象徴だと私は感じた。要するに彼らは、これがどれほど政治的に重要な意味を持つか、日本中の母親たちが誰のために、何のために闘っているのかを全く理解できていなかったということである。

 このことだけでも、彼らに原発を再稼働する資格は全くないし、国民の気持ち、思いが理解できない連中に原発という制御不能な怪物を操る資格も全くないと思う。

 ●止まったのではない、止めたのだ

 5月5日、東京の空はこの日を祝福するかのように晴れ渡った。正午、経産省前テントひろばでは、4月17日から続けられてきたリレーハンストが終了し、最後のハンスト終了者におかゆ、子どもたちに柏餅が振る舞われた。「原発いらない福島の女たち」の椎名千恵子さんが「原発は止まったのではなく止めたのだ。そのことをみんなで確認し合おう」と挨拶した。原子力村が危険を安全と言いくるめるようなでたらめ体質だったとしても、そのことだけで原発が止まるほど甘くないことは、この42年間一度も原発の電気が送電されない日がなかったことが証明している。彼らのでたらめ体質を暴き、この日を迎える原動力になったのは間違いなく運動の力であり、その力の背景にあるのは福島県民の間に広く存在している原発への怒りである。

 また、今日の記念日が歴史的なのは単に原発が止まっただけではない。平和的な手段で行動する国民ひとりひとりの政治的意思が、初めて現実の社会の政策決定に影響を与えたという意味においてこそ歴史的なのだ。

 全原発停止という事態を迎え、彼らがいかに衝撃を受けているかは、「原発老技術者、自負と失意」(5.4「毎日」)、「失われる理解、無念と寂しさ」(5.5「産経」)という御用メディアの見出しからもうかがえる。

 今、福島で原発を再稼働させてもよいなどと考える人はひとりもいないと言っていい。

 ●必死で走ってきた1年間

 今だから書けるが、実際のところ本稿筆者もこんなに早く全原発停止の日が来るとは予想していなかった。原発事故の衝撃で気が狂いそうだった昨年夏でさえ、放射能の影響も節電要請も受けなかった西日本は他人事のように感じたし、極端に言えば旧ドイツのように同じ民族、同じ言語ながら思想も社会体制も異なる別の国同士に引き裂かれているような感覚すら抱いてきた。夏まではほとんど何もできなかった私がようやく9.19東京6万人集会で元気になり、「女たちの経産省前座り込み」では多くの貴重な仲間を得た。2012年に入ってからは、地元・白河で市民食品放射能測定所の開所など重要な運動にも関わった。座り込みや食品測定所では、私と連れ合いが商業誌の取材を受け、自分たちの主張をメディアに載せることもできた。

 福島では職場以外にほとんど人間関係を持たなかった私が、反原発運動を契機に多くの仲間を得た。純粋で公正無私、自分のことは後回しにしてでも仲間、そして最も困っている人を助ける彼ら彼女らは、昔の言葉でいえば最も崇高なプロレタリア精神を持っている。私にとって生涯の友となるに違いない。

 「原発事故があったから生まれる縁もある。つくづく不思議なものね」。「ハイロアクション・福島原発40年実行委員会」の武藤類子さんはいみじくもこう述懐した。事故は確かに不幸な出来事だったが、こんな形で新たな縁ができるというのも悪くない。

 ●今後の課題

 福島で毎日被曝しながら過ごしている身としては、もちろん全原発停止は嬉しいけれど、それを素直に喜ぶことができない。原発が止まっても福島の放射能汚染の状況が好転するわけではないし、子どもたちが毎日激しい被曝を続けているのだ。子どもたちをどうやって救うべきか、避難をどうやって実現すべきか。唯一、その決断ができる政治はもうずいぶん前から「全停止」しており、即効的な処方せんは誰も持ち合わせていない。刻一刻と迫る健康被害の恐怖の中で、福島県民の苦悩はますます深まっている。こどもの日を契機に、もう一度子どもたちの健康問題を全国民が自分の問題として考えなければならない。

 再稼働を止めることも重要である。電力会社に巨額の融資をしているメガバンクが執拗に再稼働を求めていることは周知の事実だが、最近の報道で、そのメガバンクが長期にわたり法人税を納めていない事実が発覚した。巨額の利益を上げても、過去の累積赤字相殺のためにその黒字を利用することが許されるという極端な企業優遇税制に守られ、バブル崩壊後の累積赤字もあって三井住友銀行は15年、りそなホールディングスに至っては18年も納税せずに来たという。こんな連中が原発再稼働を求めているのだから、盗人猛々しいとはこのことだ。

 私は過去、富士銀行に口座を開設した関係から今もみずほ銀行に預金口座を持つが、この銀行はATMで自分の口座に自分の金を預け入れるのにさえ手数料を取る。過去には某大手銀行窓口で、両替のために多額の手数料を請求された男性が暴れて逮捕される事件もあった。もちろん犯罪は許されないが、こんなあこぎな商売のやり方をそのままに、バブル時代、メガバンクが踊ったマネーゲームの後始末の目的で消費税増税というのだから、日本国民もなめられたものだ。

 家計からも政府からもカネをむしり取り、その巨額のカネを原発村に垂れ流し続けるメガバンクを痛い目に遭わせなければならないと思う。消費増税反対と原発再稼働阻止の闘いは、実は底流でつながっているのである。

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本日の放射能測定値

2012-05-24 23:53:07 | 福島原発事故に伴う放射能測定値
1.測定年月日、時間
 2012年5月24日(木) 午後10時20分~10時30分

2.測定時の気象条件(晴/曇/雨/雪の別及び風向、風速)
 天気:曇
 風向・風速:南西 2m

3.測定場所及び測定結果(単位:マイクロシーベルト/時)
(1)福島県 JR新白河駅西口(高原口)
  ・新白河駅西口バス停横の土壌地
   大気中(高さ100cm)   0.50
   土壌(高さ10cm)    0.64

  ・新白河駅西口駐車場
   大気中(高さ100cm)   0.38
   舗装路面(高さ10cm)  0.41

(2)自宅室内(RC)    0.20

<放射線量測定に関するお知らせ>
次の定期測定は、2012年5月31日(木)に実施します。

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【速報】青森県で震度5強

2012-05-24 21:23:12 | 気象・地震
平成24年5月24日00時02分頃の青森県東方沖の地震について(気象庁報道発表)

青森県東北町で震度5強を記録した地震について、気象庁は、意外にも3.11とは無関係との立場を取っているようだ(報道発表のタイトルが「東北地方太平洋沖地震について(第○報)」になっていない)。震源深さが50kmであり、3.11(10km)より深いこともあるのかもしれない。当ブログとしては、昨年3月11日の東日本大震災の広い意味での関連地震と考えているのだが。

発表された震源はプレート境界よりやや内側の北米プレート内部とも、プレート境界上とも判断できる微妙な位置である。発震機構は逆断層型(3.11と同じ)で西北西-東南東方向に圧力軸を持つ。プレート境界より内側であること、逆断層型であることから考えて、近い将来発生が噂されているいわゆる「アウターライズ地震」ではない。

ただ、20日のエントリで示したように、三陸沖での地震活動が活発になっている上、この海域は3.11で揺れ残っている部分でもあり、今しばらくは警戒を続けて欲しい。

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趣味誌の世界からの貴重な意見書をどう見るか~鉄道誌とバス誌の違い

2012-05-24 20:08:10 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
当ブログ管理人が鉄道雑誌のあり方に疑問を抱いていることは、過去ログでお伝えしてきたとおりだが、鉄道雑誌に代わってバス雑誌である「バスラマ・インターナショナル」をしばらくの間、購読してみようかと思い立った。

きっかけは、国土交通省「バス事業のあり方検討会」の報告書が取りまとめられ公表されたことだ。4月29日、関越道で起きたバス事故以前から検討会は重ねられ、今回、高速ツアーバスも高速路線バス同様、道路運送法を適用する規制強化の方向で報告がまとめられたのだ。

この検討会には、バスファン向けの趣味誌「バスラマ・インターナショナル」編集長である和田由貴夫さんが委員として参加してきた。最終報告書が取りまとめられるに当たり、和田編集長が検討会に対し、意見書を提出しているが、「今こそ、バスのあり方の検討を」と題した意見書の内容が、大変すばらしいのだ。

「バス事業における需給調整規制の廃止以降、採算部門による内部補填は必要なしとする意見が定着したが、…(中略)…公共性が高いバス事業に関しては規制緩和という前提条件の正否も議論の俎上に上げるべきではないだろうか」

「都市におけるバス交通のコスト評価も事業者の内部ではなく、都市環境や輸送環境など社会性に重きを置いた評価軸が必要」

「バスの安全は制度が保障するものではなく、最終的にはドライバーに委ねられているという事実は、安全教育に厳しい事業者や現場には共通した認識である。本委員会にも労組の代表が参加し有益なご意見を述べられたが、近年は大手事業者が非採算部門を子会社に委託する例が多く、そこで働くドライバーには組合がない例が多い。その人々は津波で防潮堤が破壊された沿岸部で仕事をしているようなものである」

「利用者にとってのバスは、…(中略)…「健康で持続可能=ロハス」が前提だが、日本のバス業界は、残念ながら現場のドライバーを含めて歯を食いしばって懸命に維持している実情にある。「年始も祝日も勤務があり、休暇が取りにくい。拘束時間が長いが賃金は安い」という産業が「健康で持続可能」といえるのだろうか。利用者の立場では、よりよい生活の道具の喪失が懸念される。都市における公共交通、ここでいう経済的なバス交通の衰退は環境問題を含めた社会のコストアップに直結する」

これらの指摘は、まさに長年に渡って日本におけるほとんど唯一のバス専門誌として業界を見つめ続けてきた人だからこそ言えることであろう。安全問題研究会の問題意識とも一致しており、中途半端な「自称専門家」など足元にも及ばない、バスとバス事業に対する「愛」をそこに見ることができる。好きなればこそ、愛のムチを振るわなければならない、そんな惨状の中にあるバス事業に対する忸怩たる思いがストレートに伝わってくる。

率直に言って、彼のような人材が鉄道雑誌の世界にひとりでもいれば、鉄道の現状は安全をより強化する方向へ大きく変わるであろう。月刊誌だけで5誌もの雑誌がありながら、彼のように社会性を持ち、発言できる人材がいないことが鉄道趣味誌の世界における大きな不幸だということができる。

今回、和田編集長の意見書に感動したので、私は「バスラマ・インターナショナル」をしばらくの間購読してみようと思う。

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東京新聞の購読を始める

2012-05-23 19:50:19 | その他社会・時事
昨年9月限りで河北新報の購読を打ち切ったことは過去ログでお伝えしたが、4月から、我が家では代わって東京新聞を購読している。

福島県は購読対象エリア外で、販売店からの宅配サービスは行われていないため、第3種郵便制度を使った郵送での購読だ。郵送販売は、全国の新聞の取り次ぎを一手に引き受けている(株)全販グループに申し込めば日本中どこの地域でどの新聞でも購読できる。この場合、数日遅れての配送となるため、テレビ番組表は役に立たないが、番組表は今、テレビで見られるため問題はない。

購読の動機はもちろん、反原発の視点がはっきりしているからだ。政党機関誌であるはずの「しんぶん赤旗」よりもスタンスはよほどはっきりしている。日本共産党と「しんぶん赤旗」は今、商業誌であるはずの東京新聞に完全に負けていると思う。


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【重要】「放射能防護に関する科学者と市民のフォーラム」における福島からの報告

2012-05-22 21:55:29 | 原発問題/一般
「放射能防護に関する科学者と市民のフォーラム~チェルノブイリからフクシマまで」が、現地時間5月12日~13日の2日間、スイス・ジュネーブ市で開催され、放射能汚染から住民を守る活動をしている福島の女性を代表して、連れ合いがこのフォーラムに参加し、以下のとおり報告を行いました。

なお、医学的・専門的知見を必要とする報告は、別に日本から参加した医師が行っており、連れ合いに与えられた役割は、市民の立場から行われている放射能汚染からの防護活動について報告を行うことでした。

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 2011年3月11日の東日本大震災に続く、福島第一原子力発電所の事故は、私たちの暮らしから、様々なものを奪い、破壊しました。その影響は、世界中におよび、たいへん申し訳なく思っています。当時、原発の情報は、日本政府、福島県、マスコミからはありませんでした。原発が爆発した映像は、BBC放送のインターネットで流されました。スピーディー(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)の情報はアメリカ政府には3月14日に提供し、国民には3月23日に公開しました。福島県には3月11日からメールで情報が送られていたが、住民には、知らされませんでした。そのため、原発から30キロ圏内の住民は放射能が流れる方向に避難をしてしまい、不信感と怒りを募らせています。

また、汚染の実態が隠されたため、母親は子どもと雨の中、地震による断水のため、長時間給水の列に並ぶことになりました。母親たちは「自分が無知だったために、子どもを被曝させてしまった」と、非常に後悔しています。

 この間、事故の状況と汚染実態は小出しにされ、「レベル7」に引き上げられたのは1ヶ月後でした。飯舘村は高濃度汚染の中、住民を1ヶ月以上も村に居住させていました。長崎大学の山下俊一教授を初めとする福島県の放射線管理アドバイザーが入れ替わり立ち替わり訪れて、「子どもを外で遊ばせても大丈夫」「100ミリシーベルトでも大丈夫です」「放射能、放射線の影響というのは、くよくよしている人にくる」、「ニコニコしていると放射能の影響はこない」と話しました。しかし、その直後に「計画的避難区域」として全村避難となりました。村民は「私たちはモルモットなのか!」と怒っています。

 訳のわからない恐怖の中にいた人たちは、「大丈夫だ」という言葉を聞きたい、安心したいという心境の人と、放射能の危険性を知り、不安に思う人の間に温度差と分断がうまれてしまいました。「放射能の話をしたら、離婚だ」、「放射能を心配しすぎ」、「頭がおかしい」などと言われ、家庭内でも、地域でも放射能を話題にできない雰囲気が作られていきました。一方、市民による自主測定の結果、人口が集中している県中央部(中通り)でも大変深刻な汚染であることがわかってきました。

 ある親は、「毎日、子どもを学校に送り出すのに、子どもに不安を与えてはいけないと思うから笑顔で送り出す。けれどもその後、毎日毎日自分を責めて過ごしている。本当に今、学校に行かせていいのだろうか。自分は子どもを守れているのだろうか。自分は親失格だ・・」と。このような悲痛なメールや声がたくさんありました。

 福島県内の小中学校の76%が、放射線管理区域である空間線量0.6マイクロシーベルト以上の汚染の中にありました。昨年4月、文部科学省は子どもたちに「年間被曝量20ミリシーベルト(毎時3・8マイクロシーベルト)までの被曝は容認する」という通達を出しました。つまり、この国はこれ以上、子どもを守ってくれないのだとわかりました。

 その後、「国が動かないなら、私が守るしかない、そう気がついて、教育委員会に今日電話しました」など、ひとりひとりが動き出しました。昨年5月、子を持つ親が「子どもを放射能から守るためにあらゆる活動を行う」という1点で結びつき、「子どもたちを放射能から守る福島ネットワーク」が設立されました。放射線量を計測し、汚染地図を作ったり、『放射能の影響について』、『チェルノブイリから学ぶ』など、県内各地で毎日のように学習会、講演会が行われました。みなさんの力があわさって、昨年5月27日、文部科学省は「今年度の学校生活における被曝線量は1ミリシーベルト以下をめざす」と修正しました。

 現在、福島県内はもちろん、全国各地に市民食品放射能測定所が次々とオープンしています。国の食品の暫定基準値が高いこと、行政の検査の体制が十分に整っていないため、市民測定所が求められています。福島県が発表した「米の安全宣言」後に汚染米流通が発覚するなど、消費者の不安は高まっています。行政は放射能汚染を「実害」とは言わず、「風評被害」といい、「食べて応援キャンペーン」を推進しています。親たちは、検査をすり抜けた、汚染された食品が流通しているのではないかと、心配しています。そのため、家庭での食事は、「食材を遠くの産地から購入している家庭」と「何も気にせず、これまでどおりに地元産を購入している家庭」、「気にはしているが、経済的に厳しく、購入できない家庭」など様々です。そんな中、西日本から無農薬の野菜を仕入れ、販売する「野菜カフェはもる」をオープンし、情報提供や学習会なども始めました。

 学校給食については、「食品の放射能測定を徹底させること」、「安全な食材を使用してほしい」など、県や学校に対して、要請行動を行っている親たちが全国にいます。また、保育所や学校で自分の子ども一人だけでも、弁当持参にしているという人もいます。しかし、親たちの間で心配する気持ちの温度差が大きく、「学校やみんなが大丈夫だと言っているから、大丈夫だろう」、「自分の子どもだけ、他の子と違うとかわいそうだから」と、今までとかわらない親が多いのが現状です。一方で、全国ネットワークも結成され、子どもを守る取り組みが進められています。

 2012年1月、甲状腺検査を受けた福島県の子どもの30%に小さい「しこりやのう胞」が見られたが、「原発の影響とみられる異常は見られなかった」と報道されました。山下俊一氏は追加検査は必要ないと、日本甲状腺学会の会員に文書を出しました。本当に、そうなのでしょうか?

 保養、疎開、避難の取り組みは、主に市民どうしのつながりで行われています。福島市大波地区での特定避難勧奨地点の説明会で、冒頭、福島市は「避難は経済を縮小させますから、除染でいきます」と言いました。つまり、避難はさせませんと言ったのです。私たちは「除染をするということは地域が汚れているということです。どうして子どもたちを汚れた地域に置いたまま除染をするのですか?」と問うています。しかし、行政は、除染するのだから避難の必要はないという姿勢です。高線量地域のある学校は、運動会を校庭でやりました。お母さん方が「心配だから、中止するか、体育館でしてほしい」と申し入れをしたところ、校長先生は「当日は個人的にお休みください」と言ったそうです。また、中学、高校生は、親が言うことより、友達や部活動の方が大切な年代です。「避難は絶対にしない」と親に言っている女の子たちも、友達同士では「私、将来、結婚して、子供が産めるのだろうか」と話していると聞きました。どうして、こんなつらい思いを子どもたちにさせなくてはいけないのでしょうか?

 2012年2月現在、福島県外に避難している人は約6万2000人程度といわれています。年度がかわる3月末で、避難者はさらに増えました。昨年6月、郡山市で市民が「避難の権利」を求め、同市を相手取って裁判所への仮処分申請を行いました。「ふくしま集団疎開裁判」とよばれるものです。松井英介先生にも意見書を書いていただきましたが、半年後、申し立ては却下され、現在、上告しています。避難区域以外の人々は、「自主避難者」と呼ばれ、お父さんは仕事と家のため、福島に残り、母子のみで避難するケース、家族そろって避難するケース、家族内で意見対立があり、家から飛び出す形や、離婚して避難するケースなど、事情により様々です。みなさん、生活がとても苦しい状態にあります。避難した方は、「私は汚染された土地に多くの人を残して逃げてきてしまった。故郷を蹂躙され、自分の存在にすら、自信を持つのが難しいほどの日々を過ごしている。汚染地に留められている人は打ちのめされ、絶望し、自分が健康に生きる権利すらあきらめさせられている」と話します。

 私たちは、短期間でも子どもたちの心と体を癒すための「保養」や避難の相談会を行うなど、子どもたちやすべての命を守るために、あきらめずにあらゆる努力をします。どうぞ、世界中のみなさま、ご支援をお願いいたします。ありがとうございました。

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【要注意情報】三陸沖で中規模の地震が頻発しているのでご注意を!

2012-05-20 21:06:14 | 気象・地震
時事ネタや気象・地震の解説をひとつの目玉としている当ブログにとって、憶測、推測で記事を書くことが時には命取りになりかねない危険な行為であることは承知しています。それでも私が今回、この記事を書くのは、昨年3月11日の東日本大震災の巨大な被害を目の当たりにし、同じような被害が再び出ることを食い止めたいと思うからです。もしかすると事態は切迫しているかもしれない、と思ったので。

昨日19日から、三陸沖を震源とする中規模の地震が頻発しており、19~20日の2日間だけで10回に上っています。地震の規模も最も小さいものでM4.7であり、決して侮れる水準ではありません。

これら10回の地震はほぼすべて震源が同じです。プレート境界のごく近くということもあり、元々この地域で起きる地震は規模が大きいことに特徴がありますが、最も懸念されるのは、2日間で10回という地震回数の多さです。2日間で10回もの地震がこの地域で起きたのは3.11以降初めての事態であり、また、地震の発生履歴を見ると、この2日間3.11直前の三陸沖の状況が非常によく似ていることも気になる材料のひとつです。

3.11のときも、2日ほど前から三陸沖で急に地震の発生回数が増え、一気に大震災へとなだれ込んでいきました。今回も同じ経過をたどるのかは予測が不可能ですが、もし明日21日もこの地域での地震発生回数が加速度的に増えるようであれば、厳重に警戒すべきであると思います。

今回の記事は完全に憶測、推測に基づいており確たる根拠は全くありません。信じるか信じないかの判断は読者の皆さまご自身で行っていただきたいと思います。

しかし、巨大地震にただ怯えるだけでなく日常的に備えをしておくことが有意義であることには間違いありません。念のため、我が家では動物の異常行動に注意を払うとともに、備蓄品や避難ルートの確認等をしておきたいと思います。

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