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絶対許さない御用学者~原発メーカーからの献金1位は「ミスター爆破弁」関村直人【東大教授】

2014-05-30 22:31:57 | 原発問題/一般
電力会社側から研究費 最高3270万円 規制委審査会6人(東京新聞)

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 原子炉や核燃料の安全性について原子力規制委員会に助言する二つの審査会の委員六人が、原発メーカーや電力会社の関連団体からそれぞれ三千二百七十七万~六十万円の研究費などを過去数年間に受け取っていたことが二十二日、分かった。規制委事務局の原子力規制庁が公表した。

 最も多かったのは東京大の関村直人教授で、三菱重工業と電力関係団体の電力中央研究所から研究費計三千二百七十七万円を受領。審査会長を務める田中知(さとる)東京大教授は、日立GEニュークリア・エナジーなどから計百十万円受領したほか、東京電力の関連団体から五十万円以上の報酬も得ていた。
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関村直人…当ブログはこの名を決して忘れない。2011年3月12日にNHKニュースに出演、1号機の水素爆発を「爆破弁を作動させた」と言ってのけた人物だ。以下、証拠動画

<4分24秒頃から>

キャスター「スタジオには、東京大学教授の関村直人さんにもお越しいただきました。関村さんは、この情報(注:「1号機で爆発音」の情報)をお聞きになって、どのような印象ですか」

関村「今の…爆発的な…ということですか。今、格納容器の圧力を下げるという作業をしておりますので、その一環として、弁を、一気に、爆破弁というものがあるんですが、そのような弁を作動させて、一気に圧力を抜いた、というようなこともあるのかな、と(以下略)」

キャスター「爆破弁というのはどういうものなんでしょう」

関村「圧力が高まった場合に、そこを一気に圧力を低めるために用意されているような、こういうものが一部ある、と…ありますので、それを作動させたのかというふうに考えてます」
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これほど重要な動画が、わずか5000人程度のアクセスしかなく、コメントも今日現在、全くついていない。もっと多くの日本の市民が、この動画を見るべきだろう。原子力ムラの論理にどっぷり染まり、原発マネーに汚染された御用学者の姿、そして日本の最高学府といわれる東大の「教授」の無様な姿が見えてくる。

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さっぽろ自由学校「遊」の公開講座「福島を遠く離れて」に参加して

2014-05-29 22:23:54 | 原発問題/一般
5月28日、この日から開講となったさっぽろ自由学校「遊」の特別講座「福島を遠く離れて」に参加してきた。この特別講座は、この日の第1回目を皮切りに、9月まで毎月1回、最終水曜日に計5回開催される。

この日、トップバッターとして講師を務めたのは、札幌市に本拠地を置く避難者団体「チームOK」の代表、森田千恵さん。森田さんとは、先日報告した木下黄太氏のウクライナ報告会でお会いした。福島からではなく群馬からの避難者である。この日の話の内容は以下の通り。

・原発事故での北海道への避難者は約7800人。当初はそのうちの6~7割がいわゆる「母子避難」だったが、現在は、父親が転居してきて同居となるケースが増えた結果、母子避難の割合は5割程度に減っている。避難者の内訳は、福島からが70%、宮城からと関東からが各15%ずつ。

・チームOKの「OK」とは、「避難してOK」「OK FOOD」(安心できる食料)「OKLIFE」(安心できる生活)にちなんで名付けた。みんなが自主避難を、負い目ではなく誇りに思えるようにするために、避難者の笑顔の写真をホームページにできる限り載せていくのが基本方針。

・(10年ほど前に躁うつ病と診断され、精神障害者として障害者手帳を持つ森田さん自身の経験を踏まえ)原発自主避難と精神障がいには共通点がある。どちらも「なりたくてなったわけではない」こと。ただ、精神障がいになるのに自分の意志は全く介在しないのに対し、自主避難はまだ「自主」的に決めただけに自分の意志が介在できる余地がある(だからこそ、自分の決断が間違っていたのではないかという思いを自主避難者は常に抱え、自分を責めている)。

以上の通り話した上で、森田さんは、今後、自主避難者が避難先で自立して生活を確立していくために、

(1)自分と向き合う
(2)(今まで当たり前と思っていたそれまでの生活基盤や人間関係を)手放す力
(3)無駄に集まる(ネットではなく顔が見える場を頻繁に持つ)
(4)1人の100歩より100人の1歩
(5)旗を掲げて門を閉ざさず(常に「チームOKはここにいるよ」という旗を立てる)
(6)できる人ができることを
(7)できる人は半歩前へ
(8)本当の自立とは、共に生きる仲間を自分でつくること

・・・を提唱。そして「活動のために子どもに寂しい思いをさせることがあっても、最後に子どもは必ず理解してくれる」と締めくくった。

1時間にわたる話を聞いて、自主避難に成功した人とそうでない人を分けたのは(2)の「手放す力」が大きいと私は思う。それまで持っていたものを手放すことはマイナスのイメージが強いが、それを新しいものを獲得していくプロセスとして捉える逆転の発想が必要なのだろう。

「避難者の笑顔の写真をホームページにできる限り載せていく」というチームOKの基本方針は斬新だと思う。多くの福島県民が未だに避難をできないでいる背景に、もちろん、国・福島県による徹底的な避難者敵視政策があることはいうまでもないが、それとともに「避難者が苦しんでいる」式の意図的、一方的な報道ばかりが行われていることも大きい。自主避難に前向きな未来が描けなければ多くの人が踏み切れないのは当然で、自主避難者が避難先で成功し、苦しさの中でも未来を見据えて生きている姿が発信されることが必要ではないだろうか。原子力村の手先と化し、真実をねじ曲げてまで「美味しんぼ」叩きに狂奔する大手メディアにはこの仕事は決して果たせない。私たち市民自身が、そうした未来志向の自主避難者の姿を肯定的に捉え、発信していくことで「自主避難は悪いことではない」と多くの人の背中を押す結果につながればよいと思う。

森田さんが掲げた(1)~(8)までの項目は、自主避難者が避難先で自立していくために何が必要か、という文脈で語られたものだが、単にそれだけにとどまらず、私たちが原発再稼働を阻止し、廃炉につなげるために何が必要か、という問いかけに対しても十分な回答になる。反原発運動に限らず、あらゆる闘いにもそのまま通用する「方程式」のようなものだ。小出裕章・京大原子炉実験所助教が「自分ひとりで40年頑張っても1基の原発も止めることができなかったが、3.11以降、1億人の日本人が頑張った結果、50基の原発が全部止まっている。みんながそれぞれ、できることをしていけば原発は明日にでも止められるし、なくすことができる」と発言している。このことは、森田さんが指摘した「(4)1人の100歩より100人の1歩」にも通じる。1人が1億歩進もうと思えば、気が遠くなってどんな人でも倒れてしまうが、1億人が1歩進むなら明日にでも実現できる。反原発の闘いを「一部のイカれた少数派の闘い」として孤立させないよう守っていくことが大切だ。

なお、最後にひとつ、予告も兼ねたお知らせ。この講座の最終回(5回目、9月24日(水)開催分)は、当ブログ管理人が講師を務める予定になっている。札幌近郊の方で興味をお持ちの方は、私の拙い話でよければ、ぜひ参加してほしい。

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「美味しんぼ」騒動が明らかにしたもの~鼻血は事実だ

2014-05-25 21:13:06 | 原発問題/一般
(当エントリは、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2014年6月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 雁屋哲氏の連載漫画「美味しんぼ」(週刊「ビッグコミックスピリッツ」(小学館)連載)がメディア、学者、文化人、果ては官房長官や環境大臣など閣僚まで加わって袋叩き状態になっている。「福島の真実」編と題した連載の中で、(1)主人公の山岡士郎が福島訪問後に鼻血を出す(2)福島大准教授の「福島は除染しても再び住めるようにすることはできない」などの発言(3)井戸川克隆・前双葉町長の「鼻血は被曝したからですよ」などの証言――が、原発推進派にとってよほど痛かったらしい。

 ●鼻血は事実だ

 筆者が福島に住んでいた事故以降の2年間で、鼻血の話など、それこそ毎日のように聞いた。通常の鼻血のようにドロッとしてすぐ止まるのではなく、さらさらした水のような鼻血が大量に出るのが特徴だ。ティッシュペーパーの箱が空になっても止まらない鼻血が何度も続いた結果、恐怖を感じて避難する人も出始めた。事故直後の早い時期に、着の身着のまま避難に追い込まれた人にはこのようなケースが多い。

 初めは子どもの鼻血の陰に隠れて表面化しなかったが、大人からも鼻血の話を聞いた。現職の郡山市議にも鼻血を出す人がいた。化学物質過敏症などのアレルギーのある人には特に多かった。地域別では福島市や郡山市が多かったが、それは当然だろう。最も人口の多い中通りが最も放射線量が高いからだ。

 広島で多くの被爆者を診察してきた肥田舜太郎さんは、内部被曝の初期症状を鼻血、下痢、紫斑であるとしている。どれも事故直後の福島で耳にした。

 ●双葉町の「抗議」

 「美味しんぼ」に真っ先に抗議したのは井戸川さんが町長を務めた双葉町だ。

 筆者は、その背景に依然として続く双葉町の「井戸川派×反井戸川派」の政治闘争があると見ている。昨年末、井戸川さんが町長を失職する契機となった不信任決議案が提案された際、議会で提案理由の説明を行ったのが岩本久人町議だが、この人物は井戸川さんの前の町長・岩本忠夫氏の息子だ。日本社会党員だった岩本元町長は「双葉地方原発反対同盟」メンバーとして反原発派に推されて当選したが、その後、原発推進に寝返った。立地自治体の交付金を頼りに次々とハコモノ建設に狂奔した結果、双葉町は早期健全化団体(財政破綻の一歩手前)となった。井戸川さんが町長になった直後、「赤字で予算が組めません」と総務課長が町長室に駆け込んでくる事態も起きている。町財政を破綻に追い込んだ元町長の息子が、恥を恥とも思わず「井戸川潰し」を続けているのが実態だ。

 福島県内には、行政の長でありながらいち早く福島を「見捨てて避難」した井戸川さんを裏切り者とする空気がある。それならば問おう。「反原発派に推されて当選しながら原発推進に寝返った岩本元町長こそ裏切り者ではないのか」と。

 ●雁屋哲氏の良心

 「自分が今まで体験したことのない身体症状が出ると、ついに(被爆の健康影響が)出たかと思い、どきっとする」。広島、長崎の被爆者がこんな証言をしていることを事故後に知って驚いた。それはまさに筆者を含む福島県民が事故後に抱いている不安と同じものだったからだ。広島、長崎、福島のヒバクシャはみんな同じ気持ちを抱きながら毎日を生きている。

 統計上、有意なものとして現れた明らかな数字の変化、それまでと違う明白な身体症状さえ「医学で説明できない」とあざ笑い、切り捨ててきた医学界と御用学者たち。「美味しんぼ」で雁屋氏が訴えたかったのは、医学やデータで説明できないものでも、そこに被害者がいて訴えが続く限り、最大限寄り添い、理解に努めようとする雁屋氏自身の良心、そして決意だったのだと思う。それは賞賛に値するもので、非難すべきものでは断じてない。

 もし、真実を伝えることで起きる「風評被害」があるならば、その風評も含めて責任は国、東電、原子力ムラにある。彼らは「美味しんぼ」を非難する暇があるなら賠償すべきだ。井戸川さんに不当な攻撃を加えることが敵の目的であるならば、井戸川さんが呼びかけ人になっている放射能健診100万人署名の飛躍的発展で答えることが私たちの使命だ。

(2014.5.17 黒鉄好)

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【転載記事】画期的な関西電力大飯原発3,4号機運転差止判決 全原発廃炉を(原発を問う民衆法廷声明)

2014-05-23 21:37:30 | 原発問題/一般
<原発を問う民衆法廷実行委員会 声明>

画期的な関西電力大飯原発3,4号機運転差止判決 全原発廃炉を

 5月21日、福井地裁は大飯原発3、4号機運転差止請求裁判で、「大飯発電所3号機及び4号機の原子炉を運転してはならない。」との判決を下した。

 3.11福島原発事故後の全国の16原発30件の訴訟の先頭を切って出されたこの判決は、人格権~国民の命を超える価値を他に見出すことはできないとして原発の安全性や経済性などを主張する被告関西電力の主張を退けた画期的な判決である。その特徴は、以下の点である。

 第一に、判決は、「人格権とりわけ生命を守り生活を維持するという人格権の根幹部分に対する具体的侵害のおそれがあるときは、人格権そのものに基づいて侵害行為の差止めを請求できる」ことを本件訴訟の解釈上の指針とし、この観点から原発の安全性や経済性について検討を加えたことである。

 第二に、「原子力発電所は、電気の生産という社会的には重要な機能を営むものではあるが、…憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべき」で、人格権が極めて広汎に奪われる原発事故の「具体的危険性が万が一でもあれば、その差止めが認められるのは当然である。」として、新規制基準の対象となっている事項にも裁判所の判断が及ぶとした。この観点から、地震による緊急停止後の冷却機能における「1260ガルを超える地震」は、既往最大の震度は岩手宮城内陸地震における4022ガルであるから大飯原発には1260ガルを超える地震は来ないとの想定は本来的に不可能であるとした。また被告関西電力が「700ガルを超える地震が到来することはない」とする「基準値振動」についても、「この理論上の数値計算の正当性、正確性について論じるより、現に、全国で20箇所にも満たない原発のうち4つの原発に5回にわたり想定した地震動を超える地震が平成17年以後10年足らずの問に到来しているという事実を重視すべき」として、信頼に値しないとした。さらに、原発の冷却機能を維持する主給水ポンプの耐震安全性の確認は行われていないことにふれ、このような設備を安全上重要な設備ではないとするのは社会通念上理解に苦しむ主張とし、「地震大国日本において、基準地震動を超える地震が大飯原発に到来しないというのは根拠のない楽観的見通しにしかすぎない」と断じた。

 第三に、使用済み核燃料の保管状況について「我が国の存続に関わるほどの被害を及ぼすにもかかわらず、全交流電源喪失から3日を経ずして危機的状態に陥いる。そのようなものが、堅固な設備によって閉じ込められていないままいわばむき出しに近い状態になっている。」とその危険性を指摘し、「国民の安全が何よりも優先されるべきであるとの見識に立つのではなく、深刻な事故はめったに起きないだろうという見通しのもとにかような対応が成り立っているといわざるを得ない。」とずさんな管理体制を批判している。

 第四に、現在の原発の安全性について「本件原発に係る安全技術及び設備は、…確たる根拠のない楽観的な見通しのもとに初めて成り立ち得る脆弱なものであると認めざるを得ない。」との認識を示した。そのうえで、被告関西電力の「電力供給の安定性、コストの低減」論について、人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じること自体法的には許されないとし、「たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。」として、国民の命と生活の持続は経済性に優ると明快に断じた。

 最後に、原発の「CO2排出削減」論にふれて、「原発でひとたび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじいものであって、福島原発事故は我が国始まって以来最大の公害、環境汚染であることに照らすと、環境問題を原子力発電所の運転継続の根拠とすることは甚だしい筋違い」とした。

 本判決は、3.11福島原発事故の15万人もの住民が避難生活を余儀なくされ、避難の過程で少なくとも入院患者等60名がその命を失ったこと、いまだ収束していない現実を念頭において、政府・電力会社のよって立つ「原発安全神話」「コスト論」「環境論」のすべてをうち砕いた画期的で極めて妥当な判断である。

 この判断は単に大飯原発3、4号機の危険性にとどまらず、すべての原発に当てはまるものであり、新規制基準に適合したとしても運転差止は免れず、各地で提起されている運転差止裁判でも採用されるべきものである。

 原発を問う民衆法廷実行委員会は、2012年2月の東京法廷を皮切りに、郡山、福島、大阪(2回)、札幌、広島、四日市、熊本、そして結審した東京法廷(2013年7月)と全国各地で10回にわたる巡回法廷を開催してきた。各地での反原発運動や被害者の証言で法廷を構成し、人格権に基づく大飯原発等の再稼働差止などの決定を下して、最終法廷では全原発の廃止など28項目の判決・政府、自治体等への勧告を決定した。

 原発を問う民衆法廷実行委員会は、被告関西電力が大飯原発3、4号機の再稼働を断念して廃炉とすることはもとより、政府及び各電力会社はこの判決を真摯に受けて、すべての原発から撤退するべきであることを要求する。

  2014年5月21日
  原子力発電所を問う民衆法廷実行委員会

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【転載記事】大飯原発運転差し止め判決に関する「原子力情報資料室」「たんぽぽ舎」声明

2014-05-22 23:02:36 | 原発問題/一般
21日に出された大飯原発運転差し止め判決について、長く反原発運動に関わってきた原子力情報資料室、たんぽぽ舎の声明を紹介する。

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関西電力大飯原発3,4号機運転差し止め訴訟 福井地裁の判決について

2014年5月21日
NPO法人 原子力資料情報室


 福井地裁は5月21日、大飯原発3、4号機の運転差し止めを求めた住民の訴えを全面的に認め、同機の「原子炉を運転してはならない」との判決を下した。これまでの司法の判断を根本的に変える画期的な判断と言える。

 判決は、人格権という「根源的な権利が極めて広汎に奪われるという事態を招く可能性」を指摘し、「かような危険を抽象的にでもはらむ経済活動は、その存在自体が憲法上容認できないというのが極論にすぎるとしても、少なくともかような事態を招く具体的危険性が万が一でもあれば、その差止めが認められるのは当然である」とした。

 その上で「本件原発には地震の際の冷やすという機能と閉じ込めるという構造において次のような欠陥がある」と具体的危険性をていねいに述べている。

 判決は、原子力規制委員会で行なわれている、いわゆる新基準適合性審査で新たな基準地震動が定められ、それに耐えられると結論づけられたとしても信用できないことを明らかにした。電力各社が策定している基準地震動の不十分さを指摘したことを意味する。この意味から、それらは単に大飯原発3、4号機の抱える危険性にとどまらず、すべての原発に当てはまるものである。この判例は、各地で提起されている運転差し止め裁判に続く可能性が高い。また、判決を契機として新たな裁判が提起される可能性も高い。

 関西電力が大飯原発3、4号機の再稼働を断念して廃炉とすることはもとより、電力会社はこの判決を真摯に受けて、すべての原発から撤退するべきである。
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大飯原発再稼働認めずの歴史的勝訴判決-たんぽぽ舎・声明
判決無視は許されない、原発再稼働阻止に全力を!

○安全性の欠如-「大飯原発には冷却機能と閉じ込める構造に欠陥がある」

 2014年5月21日、福井地裁の樋口英明裁判長は、関西電力大飯原発3,4号機の運転差し止めを認める判決を下した。

 商業用原子力発電所の差止としては、2006年3月の北陸電力志賀原発2号機(金沢地裁 井戸謙一裁判長)に続く画期的なものであるが、東日本大震災による福島第一原発震災後の初めての司法判断となった。

 (なお高速増殖炉「もんじゅ」については2003年1月に名古屋高裁金沢支部が、設置許可を無効とする判決を出している。)

 判決では、基準地震動を856ガルに引き上げた大飯原発について、その想定が楽観的に過ぎると指摘、東日本大震災時の福島原発も含めて、過去10年間に5度も基準地震動を超える揺れを観測したことを重視し「地震大国の日本において、大飯原発に基準地震動を超える揺れの地震が来ないというのは、根拠のない楽観的な見通しに過ぎない」と関電の姿勢を強く批判した。

 福島原発の惨状を見てすら、この程度の対策では「大飯原発には冷却機能と閉じ込める構造に欠陥がある。」と判示したのは当然である。

○人格権-人格権が極めて広範に奪われる危険 危険性が万一でもあれば、その差し止めが認められるのは当然だ

 大飯原発訴訟は、訴えの基礎に人格権を置いた。これは志賀原発訴訟でも提起されたもので、「ひとたび深刻な事故が起これば多くの人の生命、身体や生活基盤に重大な被害を及ぼす事業に関わる組織は、被害の大きさ、程度に応じた安全性と高度の信頼性が求められる。これは当然の社会的要請で、人格権がすべての法分野で最高の価値を持つとされている以上、本件でもよって立つべき解釈上の指針だ。」と指摘し、福島第一原発に被災し、故郷から切り離された15万人の人々に寄り添った。

 近藤駿介前原子力委員長による「不測事態シナリオの素描」(2011年3月25日付)にも描かれた250キロ圏強制移住を根拠とし、250キロ圏内の原告を的確と判断した。

 判決は原発についてこう述べる。

 「法的には電気を生み出すための一手段たる経済活動の自由に属し、憲法上、人格権の中核部分よりも劣る。人格権が極めて広範に奪われる危険を抽象的にでもはらむ経済活動は、少なくとも、具体的危険性が万一でもあれば、その差し止めが認められるのは当然だ。」

 そう。原発とは電気を作る道具に過ぎない。その道具に命を奪われ、故郷を追われ、仕事を奪われ、自然を汚され、日々放射能の脅威でPTSD(心的外傷後ストレス障害)になることに、いかなる合理性があるのかも問われた。

○地震活発期の日本で、全原発の耐震性が根本から問われた

 大飯だけではない。いまやほとんどの原発や核燃料施設で差し止め訴訟が闘われている。その最初の判決は、大きな勝利をもたらした。地震対策の不備が認定された。これは地震活発期の日本で、全原発の耐震性が根本から問われた-再稼働してはいけないことを意味する。

 もちろん関西電力は控訴するだろう。しかし差止を命じられた後の控訴審は電力側に厳しい立証責任が課せられる(はずである)。

 最優先で取り組むべき課題は、福島第一原発の安全確保だ。

 他の原発を再稼働するような資金や人員があるのだったら、福島第一原発に送るべきだ。

 たんぽぽ舎は、今後、「判決無視は許されない」「原発再稼働をなんとしてでも阻止する」運動に全力をあげるものです。以上、声明します。

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【速報】大飯原発運転差止請求事件判決要旨全文

2014-05-21 23:17:17 | 原発問題/一般
NPJ訟廷日誌より

※「判決全文」ではなく判決「要旨」の全文です。判決全文は入手していません。

※原則として原文のまま転載していますが、PC環境によっては文字化けのおそれのある丸数字に限り、転載時にカッコ付き数字に改めました。(管理者)

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大飯原発3、4号機運転差止請求事件判決要旨

主文

1  被告は、別紙原告目録1記載の各原告(大飯原発から250キロメートル圏内に居住する166名)に対する関係で、福井県大飯郡おおい町大島1字吉見1-1において、大飯発電所3号機及び4号機の原子炉を運転してはならない。

2  別紙原告目録2記載の各原告(大飯原発から250キロメートル圏外に居住する23名)の請求をいずれも棄却する。

3  訴訟費用は、第2項の各原告について生じたものを同原告らの負担とし、その余を被告の負担とする。

理由

1 はじめに

 ひとたび深刻な事故が起これば多くの人の生命、身体やその生活基盤に重大な被害を及ぼす事業に関わる組織には、その被害の大きさ、程度に応じた安全性と高度の信頼性が求められて然るべきである。このことは、当然の社会的要請であるとともに、生存を基礎とする人格権が公法、私法を間わず、すべての法分野において、最高の価値を持つとされている以上、本件訴訟においてもよって立つべき解釈上の指針である。

 個人の生命、身体、精神及び生活に関する利益は、各人の人格に本質的なものであって、その総体が人格権であるということができる。人格権は憲法上の権利であり(13条、25条)、また人の生命を基礎とするものであるがゆえに、我が国の法制下においてはこれを超える価値を他に見出すことはできない。したがって、この人格権とりわけ生命を守り生活を維持するという人格権の根幹部分に対する具体的侵害のおそれがあるときは、人格権そのものに基づいて侵害行為の差止めを請求できることになる。人格権は各個人に由来するものであるが、その侵害形態が多数人の人格権を同時に侵害する性質を有するとき、その差止めの要請が強く働くのは理の当然である。

2 福島原発事故について

 福島原発事故においては、15万人もの住民が避難生活を余儀なくされ、この避難の過程で少なくとも入院患者等60名がその命を失っている。家族の離散という状況や劣悪な避難生活の中でこの人数を遥かに超える人が命を縮めたことは想像に難くない。さらに、原子力委員会委員長が福島第一原発から250キロメートル圏内に居住する住民に避難を勧告する可能性を検討したのであって、チェルノブイリ事故の場合の住民の避難区域も同様の規模に及んでいる。

 年間何ミリシーベルト以上の放射線がどの程度の健康被害を及ぼすかについてはさまざまな見解があり、どの見解に立つかによってあるべき避難区域の広さも変わってくることになるが、既に20年以上にわたりこの問題に直面し続けてきたウクライナ共和国、ベラルーシ共和国は、今なお広範囲にわたって避難区域を定めている。両共和国の政府とも住民の早期の帰還を図ろうと考え、住民においても帰還の強い願いを持つことにおいて我が国となんら変わりはないはずである。それにもかかわらず、両共和国が上記の対応をとらざるを得ないという事実は、放射性物質のもたらす健康被害について楽観的な見方をした上で避難区域は最小限のもので足りるとする見解の正当性に重大な疑問を投げかけるものである。上記250キロメートルという数字は緊急時に想定された数字にしかすぎないが、だからといってこの数字が直ちに過大であると判断することはできないというべきである。

3 本件原発に求められるべき安全性

(1)  原子力発電所に求められるべき安全性

 1、2に摘示したところによれば、原子力発電所に求められるべき安全性、信頼性は極めて高度なものでなければならず、万一の場合にも放射性物質の危険から国民を守るべく万全の措置がとられなければならない。

 原子力発電所は、電気の生産という社会的には重要な機能を営むものではあるが、原子力の利用は平和目的に限られているから(原子力基本法2条)、原子力発電所の稼動は法的には電気を生み出すための一手段たる経済活動の自由(憲法22条1項)に属するものであって、憲法上は人格権の中核部分よりも劣位に置かれるべきものである。しかるところ、大きな自然災害や戦争以外で、この根源的な権利が極めて広汎に奪われるという事態を招く可能性があるのは原子力発電所の事故のほかは想定し難い。かような危険を抽象的にでもはらむ経済活動は、その存在自体が憲法上容認できないというのが極論にすぎるとしても、少なくともかような事態を招く具体的危険性が万が一でもあれば、その差止めが認められるのは当然である。このことは、土地所有権に基づく妨害排除請求権や妨害予防請求権においてすら、侵害の事実や侵害の具体的危険性が認められれば、侵害者の過失の有無や請求が認容されることによって受ける侵害者の不利益の大きさという侵害者側の事情を問うことなく請求が認められていることと対比しても明らかである。

 新しい技術が潜在的に有する危険性を許さないとすれば社会の発展はなくなるから、新しい技術の有する危険性の性質やもたらす被害の大きさが明確でない場合には、その技術の実施の差止めの可否を裁判所において判断することは困難を極める。しかし、技術の危険性の性質やそのもたらす被害の大きさが判明している場合には、技術の実施に当たっては危険の性質と被害の大きさに応じた安全性が求められることになるから、この安全性が保持されているかの判断をすればよいだけであり、危険性を一定程度容認しないと社会の発展が妨げられるのではないかといった葛藤が生じることはない。原子力発電技術の危険性の本質及びそのもたらす被害の大きさは、福島原発事故を通じて十分に明らかになったといえる。本件訴訟においては、本件原発において、かような事態を招く具体的危険性が万が一でもあるのかが判断の対象とされるべきであり、福島原発事故の後において、この判断を避けることは裁判所に課された最も重要な責務を放棄するに等しいものと考えられる。

(2)  原子炉規制法に基づく審査との関係

 (1)の理は、上記のように人格権の我が国の法制における地位や条理等によって導かれるものであって、原子炉規制法をはじめとする行政法規の在り方、内容によって左右されるものではない。したがって、改正原子炉規制法に基づく新規制基準が原子力発電所の安全性に関わる問題のうちいくつかを電力会社の自主的判断に委ねていたとしても、その事項についても裁判所の判断が及ぼされるべきであるし、新規制基準の対象となっている事項に関しても新規制基準への適合性や原子力規制委員会による新規制基準への適合性の審査の適否という観点からではなく、(1)の理に基づく裁判所の判断が及ぼされるべきこととなる。

4 原子力発電所の特性

 原子力発電技術は次のような特性を持つ。すなわち、原子力発電においてはそこで発出されるエネルギーは極めて膨大であるため、運転停止後においても電気と水で原子炉の冷却を継続しなければならず、その間に何時間か電源が失われるだけで事故につながり、いったん発生した事故は時の経過に従って拡大して行くという性質を持つ。このことは、他の技術の多くが運転の停止という単純な操作によって、その被害の拡大の要因の多くが除去されるのとは異なる原子力発電に内在する本質的な危険である。

 したがって、施設の損傷に結びつき得る地震が起きた場合、速やかに運転を停止し、運転停止後も電気を利用して水によって核燃料を冷却し続け、万が一に異常が発生したときも放射性物質が発電所敷地外部に漏れ出すことのないようにしなければならず、この止める、冷やす、閉じ込めるという要請はこの3つがそろって初めて原子力発電所の安全性が保たれることとなる。仮に、止めることに失敗するとわずかな地震による損傷や故障でも破滅的な事故を招く可能性がある。福島原発事故では、止めることには成功したが、冷やすことができなかったために放射性物質が外部に放出されることになった。また、我が国においては核燃料は、五重の壁に閉じ込められているという構造によって初めてその安全性が担保されているとされ、その中でも重要な壁が堅固な構造を持つ原子炉格納容器であるとされている。しかるに、本件原発には地震の際の冷やすという機能と閉じ込めるという構造において次のような欠陥がある。

5 冷却機能の維持にっいて

(1) 1260ガルを超える地震について

 原子力発電所は地震による緊急停止後の冷却機能について外部からの交流電流によって水を循環させるという基本的なシステムをとっている。1260ガルを超える地震によってこのシステムは崩壊し、非常用設備ないし予備的手段による補完もほぼ不可能となり、メルトダウンに結びつく。この規模の地震が起きた場合には打つべき有効な手段がほとんどないことは被告において自認しているところである。

 しかるに、我が国の地震学会においてこのような規模の地震の発生を一度も予知できていないことは公知の事実である。地震は地下深くで起こる現象であるから、その発生の機序の分析は仮説や推測に依拠せざるを得ないのであって、仮説の立論や検証も実験という手法がとれない以上過去のデータに頼らざるを得ない。確かに地震は太古の昔から存在し、繰り返し発生している現象ではあるがその発生頻度は必ずしも高いものではない上に、正確な記録は近時のものに限られることからすると、頼るべき過去のデータは極めて限られたものにならざるをえない。したがって、大飯原発には1260ガルを超える地震は来ないとの確実な科学的根拠に基づく想定は本来的に不可能である。むしろ、(1)我が国において記録された既往最大の震度は岩手宮城内陸地震における4022ガルであり、1260ガルという数値はこれをはるかに下回るものであること、(2)岩手宮城内陸地震は大飯でも発生する可能性があるとされる内陸地殻内地震であること、(3)この地震が起きた東北地方と大飯原発の位置する北陸地方ないし隣接する近畿地方とでは地震の発生頻度において有意的な違いは認められず、若狭地方の既知の活断層に限っても陸海を問わず多数存在すること、(4)この既往最大という概念自体が、有史以来世界最大というものではなく近時の我が国において最大というものにすぎないことからすると、1260ガルを超える地震は大飯原発に到来する危険がある。

(2) 700ガルを超えるが1260ガルに至らない地震について

ア 被告の主張するイベントツリーについて

 被告は、700ガルを超える地震が到来した場合の事象を想定し、それに応じた対応策があると主張し、これらの事象と対策を記載したイベントツリーを策定し、これらに記載された対策を順次とっていけば、1260ガルを超える地震が来ない限り、炉心損傷には至らず、大事故に至ることはないと主張する。

 しかし、これらのイベントツリー記載の対策が真に有効な対策であるためには、第1に地震や津波のもたらす事故原因につながる事象を余すことなくとりあげること、第2にこれらの事象に対して技術的に有効な対策を講じること、第3にこれらの技術的に有効な対策を地震や津波の際に実施できるという3つがそろわなければならない。

イ イベントツリー記載の事象について

 深刻な事故においては発生した事象が新たな事象を招いたり、事象が重なって起きたりするものであるから、第1の事故原因につながる事象のすべてを取り上げること自体が極めて困難であるといえる。

ウ イベントツリー記載の対策の実効性について

 また、事象に対するイベントツリー記載の対策が技術的に有効な措置であるかどうかはさておくとしても、いったんことが起きれば、事態が深刻であればあるほど、それがもたらす混乱と焦燥の中で適切かつ迅速にこれらの措置をとることを原子力発電所の従業員に求めることはできない。特に、次の各事実に照らすとその困難性は一層明らかである。

 第1に地震はその性質上従業員が少なくなる夜間も昼間と同じ確率で起こる。突発的な危機的状況に直ちに対応できる人員がいかほどか、あるいは現場において指揮命令系統の中心となる所長が不在か否かは、実際上は、大きな意味を持つことは明らかである。

 第2に上記イベントツリーにおける対応策をとるためにはいかなる事象が起きているのかを把握できていることが前提になるが、この把握自体が極めて困難である。福島原発事故の原因について国会事故調査委員会は地震の解析にカを注ぎ、地震の到来時刻と津波の到来時刻の分析や従業員への聴取調査等を経て津波の到来前に外部電源の他にも地震によって事故と直結する損傷が生じていた疑いがある旨指摘しているものの、地震がいかなる箇所にどのような損傷をもたらしそれがいかなる事象をもたらしたかの確定には至っていない。一般的には事故が起きれば事故原因の解明、確定を行いその結果を踏まえて技術の安全性を高めていくという側面があるが、原子力発電技術においてはいったん大事故が起これば、その事故現場に立ち入ることができないため事故原因を確定できないままになってしまう可能性が極めて高く、福島原発事故においてもその原因を将来確定できるという保証はない。それと同様又はそれ以上に、原子力発電所における事故の進行中にいかなる箇所にどのような損傷が起きておりそれがいかなる事象をもたらしているのかを把握することは困難である。

 第3に、仮に、いかなる事象が起きているかを把握できたとしても、地震により外部電源が断たれると同時に多数箇所に損傷が生じるなど対処すべき事柄は極めて多いことが想定できるのに対し、全交流電源喪失から炉心損傷開始までの時間は5時間余であり、炉心損傷の開始からメルトダウンの開始に至るまでの時間も2時間もないなど残された時間は限られている。

 第4にとるべきとされる手段のうちいくつかはその性質上、緊急時にやむを得ずとる手段であって普段からの訓練や試運転にはなじまない。運転停止中の原子炉の冷却は外部電源が担い、非常事態に備えて水冷式非常用ディーゼル発電機のほか空冷式非常用発電装置、電源車が備えられているとされるが、たとえば空冷式非常用発電装置だけで実際に原子炉を冷却できるかどうかをテストするというようなことは危険すぎてできようはずがない。

 第5にとるべきとされる防御手段に係るシステム自体が地震によって破損されることも予想できる。大飯原発の何百メートルにも及ぶ非常用取水路が一部でも700ガルを超える地震によって破損されれば、非常用取水路にその機能を依存しているすべての水冷式の非常用ディーゼル発電機が稼動できなくなることが想定できるといえる。また、埋戻土部分において地震によって段差ができ、最終の冷却手段ともいうべき電源車を動かすことが不可能又は著しく困難となることも想定できる。上記に摘示したことを一例として地震によって複数の設備が同時にあるいは相前後して使えなくなったり故障したりすることは機械というものの性質上当然考えられることであって、防御のための設備が複数備えられていることは地震の際の安全性を大きく高めるものではないといえる。

 第6に実際に放射性物質が一部でも漏れればその場所には近寄ることさえできなくなる。

 第7に、大飯原発に通ずる道路は限られており施設外部からの支援も期待できない。

エ 基準地震動の信頼性について

 被告は、大飯原発の周辺の活断層の調査結果に基づき活断層の状況等を勘案した場合の地震学の理論上導かれるガル数の最大数値が700であり、そもそも、700ガルを超える地震が到来することはまず考えられないと主張する。しかし、この理論上の数値計算の正当性、正確性について論じるより、現に、全国で20箇所にも満たない原発のうち4つの原発に5回にわたり想定した地震動を超える地震が平成17年以後10年足らずの問に到来しているという事実を重視すべきは当然である。地震の想定に関しこのような誤りが重ねられてしまった理由については、今後学術的に解決すべきものであって、当裁判所が立ち入って判断する必要のない事柄である。これらの事例はいずれも地震という自然の前における人間の能力の限界を示すものというしかない。本件原発の地震想定が基本的には上記4つの原発におけるのと同様、過去における地震の記録と周辺の活断層の調査分析という手法に基づきなされたにもかかわらず、被告の本件原発の地震想定だけが信頼に値するという根拠は見い出せない。

オ 安全余裕について

 被告は本件5例の地震によって原発の安全上重要な施設に損傷が生じなかったことを前提に、原発の施設には安全余裕ないし安全裕度があり、たとえ基準地震動を超える地震が到来しても直ちに安全上重要な施設の損傷の危険性が生じることはないと主張している。

 弁論の全趣旨によると、一般的に設備の設計に当たって、様々な構造物の材質のばらつき、溶接や保守管理の良否等の不確定要素が絡むから、求められるべき基準をぎりぎり満たすのではなく同基準値の何倍かの余裕を持たせた設計がなされることが認められる。このように設計した場合でも、基準を超えれば設備の安全は確保できない。この基準を超える負荷がかかっても設備が損傷しないことも当然あるが、それは単に上記の不確定要素が比較的安定していたことを意味するにすぎないのであって、安全が確保されていたからではない。したがって、たとえ、過去において、原発施設が基準地震動を超える地震に耐えられたという事実が認められたとしても、同事実は、今後、基準地震動を超える地震が大飯原発に到来しても施設が損傷しないということをなんら根拠づけるものではない。

(3) 700ガルに至らない地震について

ア 施設損壊の危険

 本件原発においては基準地震動である700ガルを下回る地震によって外部電源が断たれ、かつ主給水ポンプが破損し主給水が断たれるおそれがあると認められる。

イ 施設損壊の影響

 外部電源は緊急停止後の冷却機能を保持するための第1の砦であり、外部電源が断たれれば非常用ディーゼル発電機に頼らざるを得なくなるのであり、その名が示すとおりこれが非常事態であることは明らかである。福島原発事故においても外部電源が健全であれば非常用ディーゼル発電機の津波による被害が事故に直結することはなかったと考えられる。主給水は冷却機能維持のための命綱であり、これが断たれた場合にはその名が示すとおり補助的な手段にすぎない補助給水設備に頼らざるを得ない。前記のとおり、原子炉の冷却機能は電気によって水を循環させることによって維持されるのであって、電気と水のいずれかが一定時間断たれれば大事故になるのは必至である。原子炉の緊急停止の際、この冷却機能の主たる役割を担うべき外部電源と主給水の双方がともに700ガルを下回る地震によっても同時に失われるおそれがある。そして、その場合には(2)で摘示したように実際にはとるのが困難であろう限られた手段が効を奏さない限り大事故となる。

ウ 補助給水設備の限界

 このことを、上記の補助給水設備についてみると次の点が指摘できる。緊急停止後において非常用ディーゼル発電機が正常に機能し、補助給水設備による蒸気発生器への給水が行われたとしても、(1)主蒸気逃がし弁による熱放出、(2)充てん系によるほう酸の添加、(3)余熱除去系による冷却のうち、いずれか一つに失敗しただけで、補助給水設備による蒸気発生器への給水ができないのと同様の事態に進展することが認められるのであって、補助給水設備の実効性は補助的手毅にすぎないことに伴う不安定なものといわざるを得ない。また、上記事態の回避措置として、イベントツリーも用意されてはいるが、各手順のいずれか一つに失敗しただけでも、加速度的に深刻な事態に進展し、未経験の手作業による手順が増えていき、不確実性も増していく。事態の把握の困難性や時間的な制約のなかでその実現に困難が伴うことは(2)において摘示したとおりである。

エ 被告の主張について

 被告は、主給水ポンプは安全上重要な設備ではないから基準地震動に対する耐震安全性の確認は行われていないと主張するが、主給水ポンプの役割は主給水の供給にあり、主給水によって冷却機能を維持するのが原子炉の本来の姿であって、そのことは被告も認めているところである。安全確保の上で不可欠な役割を第1次的に担う設備はこれを安全上重要な設備であるとして、それにふさわしい耐震性を求めるのが健全な社会通念であると考えられる。このような設備を安全上重要な設備ではないとするのは理解に苦しむ主張であるといわざるを得ない。

(4) 小括

 日本列島は太平洋プレート、オホーツクプレート、ユーラシアプレート及びフィリピンプレートの4つのプレートの境目に位置しており、全世界の地震の1割が狭い我が国の国土で発生する。この地震大国日本において、基準地震動を超える地震が大飯原発に到来しないというのは根拠のない楽観的見通しにしかすぎない上、基準地震動に満たない地震によっても冷却機能喪失による重大な事故が生じ得るというのであれば、そこでの危険は、万が一の危険という領域をはるかに超える現実的で切迫した危険と評価できる。このような施設のあり方は原子力発電所が有する前記の本質的な危険性についてあまりにも楽観的といわざるを得ない。

6 閉じ込めるという構造について(使用済み核燃料の危険性)

(1) 使用済み核燃料の現在の保管状況

 原子力発電所は、いったん内部で事故があったとしても放射性物質が原子力発電所敷地外部に出ることのないようにする必要があることから、その構造は堅固なものでなければならない。

 そのため、本件原発においても核燃料部分は堅固な構造をもつ原子炉格納容器の中に存する。他方、使用済み核燃料は本件原発においては原子炉格納容器の外の建屋内の使用済み核燃料プールと呼ばれる水槽内に置かれており、その本数は1000本を超えるが、使用済み核燃料プールから放射性物質が漏れたときこれが原子力発電所敷地外部に放出されることを防御する原子炉格納容器のような堅固な設備は存在しない。

(2) 使用済み核燃料の危険性

 福島原発事故においては、4号機の使用済み核燃料プールに納められた使用済み核燃料が危機的状況に陥り、この危険性ゆえに前記の避難計画が検討された。原子力委員会委員長が想定した被害想定のうち、最も重大な被害を及ぼすと想定されたのは使用済み核燃料プールからの放射能汚染であり、他の号機の使用済み核燃料プールからの汚染も考えると、強制移転を求めるべき地域が170キロメートル以遠にも生じる可能性や、住民が移転を希望する場合にこれを認めるべき地域が東京都のほぼ全域や横浜市の一部を含む250キロメートル以遠にも発生する可能性があり、これらの範囲は自然に任せておくならば、数十年は続くとされた。

(3) 被告の主張について

 被告は、使用済み核燃料は通常40度以下に保たれた水により冠水状態で貯蔵されているので冠水状態を保てばよいだけであるから堅固な施設で囲い込む必要はないとするが、以下のとおり失当である。

ア 冷却水喪失事故について

 使用済み核燃料においても破損により冷却水が失われれば被告のいう冠水状態が保てなくなるのであり、その場合の危険性は原子炉格納容器の一次冷却水の配管破断の場合と大きな違いはない。福島原発事故において原子炉格納容器のような堅固な施設に甲まれていなかったにもかかわらず4号機の使用済み核燃料プールが建屋内の水素爆発に耐えて破断等による冷却水喪失に至らなかったこと、あるいは瓦礫がなだれ込むなどによって使用済み核燃料が大きな損傷を被ることがなかったことは誠に幸運と言うしかない。使用済み核燃料も原子炉格納容器の中の炉心部分と同様に外部からの不測の事態に対して堅固な施設によって防御を固められてこそ初めて万全の措置をとられているということができる。

イ 電源喪失事故について

 本件使用済み核燃料プールにおいては全交流電源喪失から3日を経ずして冠水状態が維持できなくなる。我が国の存続に関わるほどの被害を及ぼすにもかかわらず、全交流電源喪失から3日を経ずして危機的状態に陥いる。そのようなものが、堅固な設備によって閉じ込められていないままいわばむき出しに近い状態になっているのである。

(4) 小括

 使用済み核燃料は本件原発の稼動によって日々生み出されていくものであるところ、使用済み核燃料を閉じ込めておくための堅固な設備を設けるためには膨大な費用を要するということに加え、国民の安全が何よりも優先されるべきであるとの見識に立つのではなく、深刻な事故はめったに起きないだろうという見通しのもとにかような対応が成り立っているといわざるを得ない。

7 本件原発の現在の安全性

 以上にみたように、国民の生存を基礎とする人格権を放射性物質の危険から守るという観点からみると、本件原発に係る安全技術及び設備は、万全ではないのではないかという疑いが残るというにとどまらず、むしろ、確たる根拠のない楽観的な見通しのもとに初めて成り立ち得る脆弱なものであると認めざるを得ない。

8 原告らのその余の主張について

 原告らは、地震が起きた場合において止めるという機能においても本件原発には欠陥があると主張する等さまざまな要因による危険性を主張している。しかし、これらの危険性の主張は選択的な主張と解されるので、その判断の必要はないし、環境権に基づく請求も選択的なものであるから同請求の可否についても判断する必要はない。

 原告らは、上記各諸点に加え、高レベル核廃棄物の処分先が決まっておらず、同廃棄物の危険性が極めて高い上、その危険性が消えるまでに数万年もの年月を要することからすると、この処分の問題が将来の世代に重いつけを負わせることを差止めの理由としている。幾世代にもわたる後の人々に対する我々世代の責任という道義的にはこれ以上ない重い問題について、現在の国民の法的権利に基づく差止訴訟を担当する裁判所に、この問題を判断する資格が与えられているかについては疑問があるが、7に説示したところによるとこの判断の必要もないこととなる。

9 被告のその余の主張について

 他方、被告は本件原発の稼動が電力供給の安定性、コストの低減につながると主張するが、当裁判所は、極めて多数の人の生存そのものに関わる権利と電気代の高い低いの問題等とを並べて論じるような議論に加わったり、その議論の当否を判断すること自体、法的には許されないことであると考えている。このコストの問題に関連して国富の流出や喪失の議論があるが、たとえ本件原発の運転停止によって多額の貿易赤字が出るとしても、これを国富の流出や喪失というべきではなく、豊かな国土とそこに国民が根を下ろして生活していることが国富であり、これを取り戻すことができなくなることが国富の喪失であると当裁判所は考えている。

 また、被告は、原子力発電所の稼動がCO2排出削減に資するもので環境面で優れている旨主張するが、原子力発電所でひとたび深刻事故が起こった場合の環境汚染はすさまじいものであって、福島原発事故は我が国始まって以来最大の公害、環境汚染であることに照らすと、環境問題を原子力発電所の運転継続の根拠とすることは甚だしい筋違いである。

10 結論

 以上の次第であり、原告らのうち、大飯原発から250キロメートル圏内に居住する者(別紙原告目録1記載の各原告)は、本件原発の運転によって直接的にその人格権が侵害される具体的な危険があると認められるから、これらの原告らの請求を認容すべきである。

福井地方裁判所民事第2部

 裁判長裁判官 樋口英明

    裁判官 石田明彦

    裁判官 三宅由子

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木下黄太ウクライナ報告会

2014-05-20 23:57:07 | 原発問題/一般
2014.5.18 木下黄太ウクライナ報告会

2014年5月18日、札幌市で開催された木下黄太ウクライナ報告会に参加してきた。木下黄太氏は、3.11まで日本のメディアに勤務していたが、現在はフリーのジャーナリストとして原発・放射能問題の発信を続けている。

ウクライナは現在、親ロシア派と親欧米派の対立により内戦の危機に直面している。木下さんがウクライナ入りしたのは、まだ内紛が顕在化する前の昨年11月であり、落ち着いて取材できる最後の時期だったのは幸運だった。

したがって、情報は基本的に半年前のものだが、そんなに現状と大きく異なっているわけではない。放射能問題、特に健康への被害は半減期が長い核種を中心に展開するから、半年くらい発表が遅れたところで状況が大きく動くことはない。むしろ、日本でもこの問題は20~30年の長い闘いになることを見越して、今から戦略的に動くことの方がずっと大切である。

報告会では、まず木下さんが現地で撮影した映像を1時間程度、再生しながら説明した。映像に登場するホリシナさんという女性は、「(健康障害は)多岐にわたっており、放射能を除いて考えられない」という。ドイツ放射線防護庁は、ホールボディーカウンター(WBC)の測定の曖昧さ、不十分さから、WBCにおける内部被曝の数値は最大で10倍を推定する必要があるとの立場だという。例えば、WBCで25Bq/kgの内部被曝が明らかになった場合、最悪の場合、250Bq/kgの可能性があり、女性は「最低でも半年は妊娠を避けるよう」助言される。

木下さんが取材した市民活動リーダーで「緑の力」代表の男性は「政府は健康被害が拡大すれば必ず(私たちに)なびいてくる」と指摘した。ウクライナと日本では国情が違うため、日本でも健康被害が拡大したときに同じことが起きるかどうかは予測できない(それ以前に、様々な身体症状が健康被害として認められるかどうかから怪しい)が、心にとどめておくべきひとつの意見だとは思う。

木下さんたち一行は、当初の予定になかったキエフ市内のある家族を「突撃取材」する。映像の撮影、録画・録音が禁止されたためお見せできないのが残念だが、キエフ市内で取材した夫婦は30歳代なのにとてもそのようには見えなかった。どう見ても50歳前後で、「実年齢より10歳程度老化して見える。老化が被曝の特徴的症状だ」と、木下さんは説明した。

チェルノブイリ原発事故から3週間後、キエフから子どもは避難した。福島と違い、「リクビダートル」(収束作業員)を大量動員し、爆発した4号炉にセメントを大量投入、1週間で「石棺」を造って放射能漏出を止めたチェルノブイリではその後の追加被ばくはないにもかかわらず。しかし、それでも健康被害が出ている厳しい現実がある。

取材した夫婦の高校生の娘さんは、心臓病の持病があった。木下さんが通訳兼案内人を通じ、この娘さんに「体育の授業を受けられるのは何人くらい?」と尋ねる。結果は衝撃的で、「2人に1人は受けられない」とのことだった。

この夫婦はキエフ市内でも決して裕福な層ではなく、この娘さんが通っているのは市内の普通の学校である(日本で言えば一般的な公立高校のイメージ)。一方で、生活に余裕のある富裕層の子どもたちが通う学校では、被曝の影響をできるだけ少なくするための体操など特別なカリキュラムが組まれているところもあり、この学校の児童生徒たちには比較的放射能による健康影響が少ない、との解説も行われた。

私がここまで映像を見てショックだったのは、健康被害の実像もさることながら、「放射能は人々を平等には襲わない」という事実だった。地獄ならぬ「放射能の沙汰も金次第」ということなのだろうか。日本でも、地震などの災害が起きるたびに貧困層ほど強い影響を受けた。予想していた結論ではあったが、改めて残酷な現実を突きつけられた。政府に雇われてカネをもらい、遠く離れた安全な場所から「ニコニコしている人には放射線は来ません」とのたまう金持ちどもは、貧困ゆえ福島から避難できない弱者を尻目にきっと長生きするのだろう。

映像が終わり、木下さんが講演する。「典型的な差別排外主義者の安倍首相が、なぜ移民の受け入れにだけは熱心なのか。政府は、30年後に起きることをすでに知っているのだ」。3.11前から少子化が急速に進んでいたところに原発事故の影響が重なり、30年後には日本から労働力人口はほとんどいなくなる。そうした事態をすでに日本政府は理解し、覚悟して行動している――木下さんが言外に含めたニュアンスを私はすぐに理解できた。この他、チェルノブイリで起きていることとして、甲状腺疾患(甲状腺がんではない)、橋本病の増加。甲状腺がんは思ったほど増えていないと説明があった。

私は、チェルノブイリでの健康被害が、IAEA調査団に参加した重松逸造、長瀧重信、そして山下俊一らの御用学者グループによって矮小化された事実をすでに明らかにしている。彼らはチェルノブイリで甲状腺がんが予想ほど増えなかったことを知っているからこそ、福島での県民健康管理調査を周到な準備で「甲状腺がん」だけに流し込んでいるのだ。

だが、事態は彼らの思惑を超えて動いている――チェルノブイリでの健康被害について、彼ら御用学者たちは、事故後10年以上経った90年代中期に「甲状腺がんは50人程度」などと吹聴している(「原子力文化」など推進派の雑誌に詳しい)。だが、それと同じ数の甲状腺がん患者が、福島で、事故からわずか3年で生まれるとは、彼らも予測していなかったのかもしれない。甲状腺がんについてこの状況なのだから、心臓疾患など他の健康被害についても「推して知るべし」だろう。これは現実から導き出される冷徹な見通しである。鼻血ごときで風評風評とうるさいお花畑の福島県は決して認めないであろうが、起こりうるシナリオである。

木下さんによれば、首都圏では圧倒的に汚染が酷い「東葛エリア」(柏市、三郷市、松戸市、江戸川区、江東区などの地域)からは、西日本に避難しても好中球などの数値が好転しない人が最近は多いという。放射線被曝は累積だから、事故後の3年間被曝するままに過ごしてきた人の身体は、回復不能なダメージを受けつつあるのかもしれない。ただ、それでもなお西日本の避難者受け入れを行っている団体から木下さんが聞き取った限りでは、西日本への避難の相談は「全く減っていない」という。

3.11直後は毎日のように首都圏からの避難を呼びかけていた木下さんも、最近はご自身のブログ等で以前ほど避難の呼びかけをしていない。その理由を問う会場からの質問に対し、木下さんはこう答えた。「最近よく聞くのが、避難者が避難先で孤立しているという話。極端な例になると、避難者がそこにいるということを周囲の誰も知らず、本人も隣近所の誰とも会話していないということもあった。避難後に避難先で生活が成り立っていけないなら意味がなく、人的つながりが重要。しょせん、人はひとりでは生きられない」。

原発事故から早くも3年が過ぎた。3年というのは、何か物事に区切りを付けるにはふさわしい時期だと思う。「国や東電は、先の見通しを示さず、いつまで自分たちを宙ぶらりんにしておくのか」という避難者もいるが、2時間にわたる講演会を通じて見えてきたのは、四半世紀が経過しても何も解決しないウクライナの姿だった。現在のウクライナが福島の20年後を暗示しているのだとすれば、たかだか3年程度で「何かが解決」する幻想を抱いたまま、移住でも帰還でもない「避難」の形をとり続けている人は、いずれ決断を迫られるだろう。責任をとる意思も能力もない彼らにこれ以上何かを期待することは貴重な人生の無駄遣い以外の何ものでもない。そろそろ避難者も「避難先で仕事を見つけて定住」「覚悟して帰還」など、生き方を決めるべき時期に来ているのではないだろうか。厳しいようだが、自分の人生は自分のもの、それを決めることは自分にしかできないのだ。

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5月5日、東京都震度5弱の地震について

2014-05-05 23:40:52 | 気象・地震
平成26年5月5日05時18分の伊豆大島近海の地震について(気象庁報道発表)

東京都心で震度5弱を観測した地震は東日本大震災以来とあって、久しぶりの衝撃に驚いた人も多いだろう。

気象庁の報道発表には発震機構(地震のメカニズム)等が書かれていないため、当ブログとしても詳細な論評はできないが、震源の深さは162kmとかなり深い場所での地震だった。震度5弱程度で済んだ背景にこの震源の深さがあることは間違いないが、このために揺れが伝わった範囲はかなり広かったといえる。

今回の震源は、ユーラシアプレート、北米プレート、フィリピン海プレートの3つがせめぎ合う場所であり、複雑な地震活動を伴うことで知られる。プレートの境界はこれよりもかなり浅いところにあるので、今回の地震は震源の深さから見てプレート境界型地震ではないが、今後数日は余震には注意してほしい。

なお、この地震に先立つ3日頃から、岐阜県飛騨地方で群発地震が続いていた。現在は終息しているが、東日本大震災直前の2011年2月下旬にも岐阜県飛騨地方で群発地震があったことを根拠に、大震災が近いとして警戒を呼びかける言説がインターネットの一部で出ている。当ブログは、そのような単純な経験則が通用するほど地震予測は簡単ではないと思っているが、一方で否定する材料がないことも事実である。3.11以降、世界的に地震活動が活発になっていることも事実であり、気になる人は警戒をしておくに越したことはない。

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