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月刊『住民と自治』 2022年8月号 住民の足を守ろう―権利としての地域公共交通
核のない未来を願って 松井英介遺稿・追悼集(緑風出版)

●安全問題研究会が、JRグループ再国有化をめざし日本鉄道公団法案を決定!

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こんなにおかしい!ニッポンの鉄道政策
私たちは根室線をなくしてはならないと考えます
国は今こそ貨物列車迂回対策を!

【管理人よりお知らせ】「ノーモア尼崎事故!生命と安全を守る4.27集会」における管理人の講演資料を安全問題研究会ホームページに掲載しました

2024-04-29 21:03:12 | 鉄道・公共交通/交通政策
管理人よりお知らせです。

JR福知山線脱線事故の再発防止のため、毎年4月、兵庫県尼崎市で行われている「ノーモア尼崎事故!生命と安全を守る4.27集会」が今年も行われました。今年は、安全問題研究会代表が「住民本位の公共交通のために~国鉄分割民営化を問い直す~」として記念講演を行いました。

記念講演に使用したスライド資料を安全問題研究会サイトで公開したので、リンク先に飛んでください。印刷用版はこちらです。

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「2027年開業」正式断念したリニア、断ち切られる北海道の鉄路 大鹿村と新得町で現地を見る

2024-04-25 23:30:05 | 鉄道・公共交通/交通政策
(この記事は、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2024年5月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 ●JR東海、リニア2027年開業を正式に断念

 3月29日、JR東海はリニア中央新幹線の2027年開業が不可能であることをようやく公式に認めた。本誌2023年8月号でも取り上げたが、神奈川県駅予定地となる横浜線・橋本駅にはそれらしきものは影も形もなく、「3年後に開業」など絵空事に過ぎないことはかなり前からはっきりしていた。

 一方、4月1日に行われた県庁入庁式で「県庁職員は牛を飼っている人たちとは違う」などの失言をした川勝平太・静岡県知事が辞職することになった。せっかくリニアの躓きが世間に明らかになるという時期に手痛いオウンゴールとなったが、知事「辞職表明」後の4月4日になり、JR東海が急に山梨工区や長野工区における工事の遅れを公表したところを見ると、むしろ慌てているのは当のJR東海自身なのではないか。最大の「邪魔者」が消えたことで、リニア推進派は年内にも全線開業するかのようなはしゃぎぶりだが、むしろ、工事が進まない原因が静岡だけにあるわけではないことが、広く一般にも理解されるなら悪い話ではない。

 ●長野県大鹿村を中心にリニア建設現場を見る

 そんな中、4月12日から14日にかけ、大鹿村を含む長野県を訪問した。昨年6月にも「レイバーネット日本」で大鹿村フィールドワークが計画されたが、梅雨入り宣言も出ないうちから襲来した季節外れの台風で中止となったため、大鹿村入りは今回が初めてだ。北海道からどう行けばいいのか最初はまったくわからず、道路地図と時刻表の路線図を何度も見比べながら、最終的には中部空港でレンタカーを借り、中央自動車道を走るルートを考えついた。12日の夜は飯田市内に泊まり、久しぶりの温泉で身体を休めた。

 13日午前中、大鹿村民・北川誠康さんの案内で飯田市内の長野県駅予定地や、橋脚だけが建った工事現場、子どもたちの書いた絵が飾ってある現場などを見ながら大鹿村に入った。中央構造線博物館は、施設自体が中央構造線の真上に建つというユニークなものだ。顧問で元学芸員・河本和朗さんの地震や地質に関する説明は幅広く、大地震が起きるたびにテレビに出演し無内容なコメントを繰り返す「地震学者」より博識であることは明らかだった。

 この原稿を書いている4月17日夜にも四国を中心に震度6弱を観測する地震があった。正月の能登地震を初めとして、今年は震度5強以上の地震だけですでに10回も発生しており、東日本大震災のあった2011年に匹敵するハイペースだと報道されている。河本さんのお話は、今後の地震防災に役立つに違いない。


<写真>橋脚だけが建った工事現場=長野県豊丘村で


 午後からはリニア建設現場を見学した。西に向かうリニアが南アルプストンネルを抜け、一瞬だけ地上に顔を出す釜沢地区まで、普通自動車では通行困難な細い山道を軽自動車3台に分乗して回った。地下トンネル区間での事故・トラブルの際に地上に出るための非常口も2カ所見た。JR東海のホームページによると、非常口は約5kmおきに設置されるというが、事故やトラブルがJRの都合良く非常口のある場所で起きるとは限らない。

 実際、過去に開かれた説明会で、地下区間での事故発生時の対応をどうするのか質問を受けたJR東海は「お客様同士で助け合ってください」と無責任きわまりない回答をしている。非常口はせいぜいアリバイ作りか、最大限善意に解釈しても壮大なファンタジーとしか言いようのないものだ。

 大鹿村の人口はホームページによると918人(今年3月1日現在)とある。高レベル放射性廃棄物(いわゆる「核のごみ」)最終処分場問題に揺れる北海道神恵内村(人口750人)とほぼ同じだ。このような小さな自治体が、リニアや核ごみといった国策に抗うことはほとんど不可能に近い。大都市部と大企業の利益のため「踏み台」になるだけで、自分たちの村にはメリットさえないものを、わずかな交付金や公共事業と引き替えに受け入れる以外にない地方の小さな村の悲哀。自分たちは使うこともできない「東京電力」の電気のために福島が踏み台にされた「3.11原発事故」を福島県西郷村で経験した私にとって、この問題が生涯をかけたテーマになるとの確信は年々強まっている。


<写真>南アルプストンネルを抜けたリニア新幹線が一瞬だけ地上に顔を出す釜沢地区。残土置き場になっている


 現地見学会を終えた午後3時30分からは、村内で「どこに行く?日本の公共交通~リニア・新幹線とローカル線から」と題し、30分の報告時間をいただいた。私を含め11人が参加。リニア車両にはトイレの設置が困難なのではないかとの指摘が「超電導リニアの不都合な真実」(川辺謙一・著、草思社、2020年)で行われていることを紹介したら大きな反応があった。通常車両でトイレが置かれる車端部は磁力線の影響が最も大きく、また新幹線の2倍近い速度下での大きな気圧変化に汚物タンクが耐えられるか疑わしいため、川辺氏はリニア車内へのトイレ設置を困難視しており、リニア事業そのものにも中止を勧告している。なお、報告資料は安全問題研究会ホームページに掲載している。

 日本一美しい村と言われる大鹿村で、国と資本関係を持たない純然たる民間企業のJR東海が、着々と自然を改変し破壊している。遠く離れた地域の人にとっては、静岡以外でも大幅に工事が遅れ「リニアなんてどうせ開業しないのだからどうでもいい」でいいのかもしれない。だがそれではすまされない厳しい現実が地元にあることを知った。

 同時に、数多の困難を何とか克服してリニアが仮に開業できたとしても、こんな美しい村をトンネルで通過するだけで車窓に見ることもできない乗客が哀れに思えた。今、北海道ではJRが廃線方針を示している函館本線・小樽~長万部間の沿線地域(ニセコ、余市など)が観光地化し、シーズンの冬には3両編成が投入されるほど乗客が押し寄せている。真っ黒なトンネル外壁ばかりで外も見えないリニアを外国人観光客はどう思うだろうか。


<写真>リニア「非常口」。ファンタジーにしか思えない


 ●北海道では「最重要幹線」が一部廃線で切断

 北海道では、3月31日限りで根室本線・富良野~新得間(81.7km)が廃止になった。石勝線開通(1981年)までは札幌と道東をむすぶ大動脈として特急や貨物列車が頻繁に往来した。2016年の台風災害では石勝線が約1か月間も不通になり、貨物輸送路が絶たれた結果、都内でもジャガイモ不足が起きるなどの影響が出た。だが旅客単独会社のJR北海道はそのような貨物輸送上の重要性を考慮することもないまま、迂回路となり得る重要幹線の一部区間を切断するという暴挙を既定方針通り行った。本線を名乗る路線の途中区間が廃止され、分断された例は、1997年の北陸新幹線東京~長野間の開業に伴って横川~軽井沢間が廃止された信越本線に次ぐ。

 最終日となる3月31日、午後1時から新得駅前でJR北海道主催のお別れセレモニーが開催された。地元住民の足であるのみならず、貨物輸送や非常時の迂回路など複数の重要な役割を持つ幹線を、旅客輸送面での輸送密度の低さだけを理由に廃止するJR北海道に抗議するため、時折小雪の舞う中「根室本線の災害復旧と存続を求める会」(以下「求める会」)の平良則代表らが新得駅前に立ち、「復活を祈念」との横断幕を掲げ復活運動に向けた意気込みを示した。メディア取材に対し、平代表は「私たちの声が政治の場に届かず残念」だとして市民の声を聞こうとしない政治の機能不全を批判した。


<写真>新得駅前で根室本線廃止区間の復活を訴える「求める会」メンバーと平良則代表(7人中、左から2人目)


 JR北海道は、新得駅前に陣取り、セレモニー参加者の視野に嫌でも入ってくる位置に掲げられた横断幕がよほど目障りだったのか、セレモニー開始直後、横断幕を下ろすよう求めてきた。他にも「ありがとう根室本線」の横断幕を掲げる鉄道ファンのグループがいたのに、そちらにはお咎めなし。自分たちの方針に反対するグループだけを狙い打ちにする相変わらずの反民主的、強権的企業体質だ。だが、そのJR北海道から目障りだと思われる運動を6年間も続ける住民団体が存在したことは特筆すべきことだ。

 セレモニー終了後、多くのJR北海道や地元自治体関係者が「求める会」メンバーを無視して通り過ぎる中、セレモニーに参加していた長身の男性が平代表らメンバーに一礼した。地元・新得町の浜田正利町長だ。行政トップの立場上、JR北海道主催のセレモニーに出席せざるを得ないが、一方で「求める会」の集会にもほぼ毎回参加し、住民の意見をくみ上げるよう努めてきた。無念の思いを共有していることは間違いない。

 これに先立つ3月15日には、「求める会」の集会が新得町公民館で開かれた。根室本線の廃止問題が持ち上がって以来、私もこの公民館には10回近く通い、すっかり通い慣れた道になっていた。この日の集会にも浜田町長が参加、冒頭ご挨拶をいただいている。「求める会」は今後「根室本線の復活を考える会」に名称変更し再出発することを確認した。

 集会では、廃線後の線路撤去を許せば復活は難しくなるとして、線路撤去に反対することでは参加者の意見が一致したが、線路を残すための具体的方法に関しては、観光目的の保存鉄道とするよう求める意見と、営業路線として復活を目指す意見に分かれた。

 私が調べたところ、保存鉄道として列車が走っている場所は、日本国内で100カ所以上あり、すでに「過当競争」状態になりつつある。保存鉄道が走ることで満足してしまい、そこから先の段階に進まないことが多い。北海道では冬に運行できないという問題もある。

 この他、観光目的に特化し、正式な鉄道として国交省の認可を受けて運行する「特定目的鉄道」制度がある。とはいえ、制度ができてかなりの年数が経つのに、全国でいまだ「門司港レトロ鉄道」(福岡県)1例しかない。国交省の認可を受ける以上、通常の鉄道と同じ水準の保線を要求されることが普及のネックになっている。

 また、営業路線としての復活も、2003年に一部区間が廃止されたJR西日本・可部線(可部~三段峡間、46.2km)のうち可部~安芸亀山間(1.6km)が2017年に復活した事例があるくらいで、いずれも多いとはいえない。

 だが、「日経MJ」紙(旧「日経流通新聞」)2024年1月22日付記事によると、メキシコ政府は古代マヤ文明遺跡を訪れる観光客に対応するため、1554kmもの鉄道路線を整備するという。1554kmといえば、日本なら宇都宮から東京、大阪を経由して鹿児島までの距離にほぼ匹敵する。整備予算は4兆円で、この他、観光振興に5兆円の国家予算を投じる。トータルでは9兆円であり、途方もない額のように思われるが、日本政府はこれと同じ金額を、開業後の採算性はおろか、工事の先行きも見通せないリニアに投じようとしている。リニアを中止し、その資金を振り向けるなら日本でも同じことができるという事実を指摘しておくことは重要だろう。要はやる気の問題であり、それを実行する政治に転換できるかどうか、私たち自身が問われているのである。

 いずれにせよ、わずか半月足らずのうちに、公共交通をめぐる問題の象徴である北海道新得町と長野県大鹿村、両方の現地を見られたことは私にとって大きな収穫となった。物流2024年問題と相まって、これから数年で日本の公共交通は大きくその姿を変貌させることになるだろう。安全問題研究会にとって専門分野であるこの問題を、向こう数年は集中的に追っていきたいと思う。物流2024年問題については紙幅も尽きたので、号を改めて論じることとしたい。

(2024年4月20日)

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<地方交通に未来を(16)>変な形で注目集まるリニア、その陰で……

2024-04-18 22:13:24 | 鉄道・公共交通/交通政策
(この記事は、当ブログ管理人が長野県大鹿村のリニア建設反対住民団体「大鹿の十年先を変える会」会報「越路」に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 3月29日、JR東海はリニア中央新幹線の2027年開業が不可能であることをようやく公式に認めた。本連載第12回「でたらめだらけのストップ!リニア訴訟判決」でも述べたように、神奈川県駅予定地となる横浜線・橋本駅にはそれらしきものは影も形もない。「3年後に開業」など絵空事に過ぎないことはかなり前からはっきりしていた。

 一方、4月1日に行われた県庁入庁式での失言を原因に、川勝平太・静岡県知事が辞職することになった。せっかくリニアの躓きが世間に明らかになるという時期に手痛いオウンゴールとなったが、知事「辞職表明」後の4月4日になり、JR東海が急に山梨工区や長野工区における工事の遅れを公表したところを見ると、むしろ慌てているのは当のJR東海自身なのではないか。最大の「邪魔者」が消えたことで、リニア推進派は年内にも全線開業するかのようなはしゃぎぶりだが、むしろ、工事が進まない原因が静岡だけにあるわけではないことが、広く一般にも理解されるなら悪い話ではない。

 そんな中、4月12日から14日にかけ、大鹿村を含む長野県を訪問した。昨年6月にも「レイバーネット日本」で大鹿村フィールドワークが計画されたが、梅雨入り宣言も出ないうちから襲来した季節外れの台風で中止となったため、大鹿村入りは今回が初めてだ。北海道からどう行けばいいのか最初はまったくわからず、道路地図と時刻表の路線図を何度も見比べながら、最終的には中部空港でレンタカーを借り、中央自動車道を走るルートを考えついた。12日の夜は飯田市内に泊まり、久しぶりの温泉で身体を休めた。

 13日午前中、北川誠康さんの案内で飯田市内の長野県駅予定地や、橋脚だけが建った工事現場、子どもたちの書いた絵が飾ってある現場などを見ながら大鹿村に入った。中央構造線博物館は、施設自体が中央構造線の真上に建つというユニークなものだ。顧問で元学芸員・河本和朗さんの地震や地質に関する説明は幅広く、大地震が起きるたびにテレビに出演し無内容なコメントを繰り返す「地震学者」より博識であることは明らかだった。

 この原稿を書いている4月17日夜にも四国を中心に震度6弱を観測する地震があった。正月の能登地震を初めとして、今年は震度5強以上の地震だけですでに10回も発生しており、東日本大震災のあった2011年に匹敵するハイペースだと報道されている。河本さんのお話は、今後の地震防災に役立つに違いない。

 午後からはリニア建設現場を見学した。西に向かうリニアが南アルプストンネルを抜け、一瞬だけ地上に顔を出す釜沢地区まで、普通自動車では通行困難な細い山道を軽自動車3台に分乗して回った。地下トンネル区間での事故・トラブルの際に地上に出るための非常口も2カ所見た。JR東海のホームページによると、非常口は約5kmおきに設置されるというが、事故やトラブルがJRの都合良く非常口のある場所で起きるとは限らない。

 実際、過去に開かれた説明会で、地下区間での事故発生時の対応をどうするのか質問を受けたJR東海は「お客様同士で助け合ってください」と無責任きわまりない回答をしている。非常口はせいぜいアリバイ作りか、最大限善意に解釈しても壮大なファンタジーとしか言いようのないものだ。

 大鹿村の人口はホームページによると918人(今年3月1日現在)とある。高レベル放射性廃棄物(いわゆる「核のごみ」)最終処分場問題に揺れる北海道神恵内村(人口750人)とほぼ同じだ。このような小さな自治体が、リニアや核ごみといった国策に抗うことはほとんど不可能に近い。大都市部と大企業の利益のため「踏み台」になるだけで、自分たちの村にはメリットさえないものを、わずかな交付金や公共事業と引き替えに受け入れる以外にない地方の小さな村の悲哀。自分たちは使うこともできない「東京電力」の電気のために福島が踏み台にされた「3.11原発事故」を福島県西郷村で経験した私にとって、この問題が生涯をかけたテーマになるとの確信は年々強まっている。

 現地見学会を終えた午後3時30分からは、村内で本会報の読者会が行われ、私を含め11人が参加した。「どこに行く?日本の公共交通~リニア・新幹線とローカル線から」と題し、30分の報告時間をいただいた。リニア車両にはトイレの設置が困難なのではないかとの指摘が「超電導リニアの不都合な真実」(川辺謙一・著、草思社、2020年)で行われていることを紹介したら大きな反応があった。通常車両でトイレが置かれる車端部は磁力線の影響が最も大きく、また新幹線の2倍近い速度下での大きな気圧変化に汚物タンクが耐えられるか疑わしいため、川辺氏はリニア車内へのトイレ設置を困難視しており、リニア事業そのものにも中止を勧告している。なお、報告資料は安全問題研究会ホームページに掲載している。

 日本一美しい村と言われる大鹿村で、国と資本関係を持たない純然たる民間企業のJR東海が、着々と自然を改変し破壊している。遠く離れた地域の人にとっては、静岡以外でも大幅に工事が遅れ「リニアなんてどうせ開業しないのだからどうでもいい」でいいのかもしれない。だがそれではすまされない厳しい現実が地元にあることを知った。

 同時に、数多の困難を何とか克服してリニアが仮に開業できたとしても、こんな美しい村をトンネルで通過するだけで車窓に見ることもできない乗客が哀れに思えた。今、北海道ではJRが廃線方針を示している函館本線・小樽~長万部間の沿線地域(ニセコ、余市など)が観光地化し、シーズンの冬には3両編成が投入されるほど乗客が押し寄せている。真っ黒なトンネル外壁ばかりで外も見えないリニアを外国人観光客はどう思うだろうか。

 報告会終了後の13日夜は宗像さん宅に泊めていただいた。両側を流れる水の音と小鳥のさえずりで目を覚ます。人工物の音しか聞こえない都会の朝より、私はこのほうが好きだ。

 14日の朝早く宗像さん宅を辞し、一緒に泊まっていた報告会参加者を飯田線・伊那大島駅まで送る。その後は安曇野ICまで再び中央道~長野道を北上する。私と同じ九州・福岡から遠く安曇野に嫁いだいとことは、2000年の結婚式を最後に会えていない。嫁をなかなか外に出さない封建的な家らしく、家庭生活ではいろいろ困難もあると聞いていた。朝10時に待ち合わせた安曇野ちひろ美術館で24年ぶりに再会した。

 全国屈指の教育県と言われる長野県だが『「県人は身を修め、家を斉(ととの)い」という儒教的な価値観が強いため……「イエ」の名誉が重要視されている』(「県別性格診断」河出文庫、1986年)との意外な一面も紹介されている。北部と南部で気候も文化もまったく異なり、まとまりを欠くことが多かったため「県民統合の象徴」として県歌「信濃の国」が歌われるようになった、との紹介もある。

 大鹿村から垣間見た山岳風景は美しく忘れがたい旅の思い出になった。わずか2泊3日の行程だったのは本当にもったいないと思う。 

(2024年4月17日)

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【管理人よりお知らせ】4月13日、管理人が長野県大鹿村で行った報告資料を安全問題研究会サイトにアップしました

2024-04-15 20:57:45 | 鉄道・公共交通/交通政策
「日本一美しい村」として知られ、リニアの通る予定の村でもある長野県大鹿村で、2024年4月13日、リニア反対市民団体「大鹿の10年先を変える会」会報「越路」の読者会が開催され、当研究会代表がリニア問題、ローカル線問題について報告しました。講演に先立ち、リニア新幹線建設工事が進む現地を案内いただき、また大鹿村中央構造線博物館で学芸員・河本さんのお話が聞けるなど充実した旅となりました。

講演資料を安全問題研究会サイトに掲載しました。印刷向けPDF版はこちらです。

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【羽田空港衝突事故 第5弾】国交官僚の人生から透けて見える新自由主義的交通行政の半世紀/安全問題研究会

2024-02-18 16:42:11 | 鉄道・公共交通/交通政策
(この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」に寄稿した内容をそのまま転載したものです。)

 元日を襲った能登半島地震とともに全国の正月気分を引き裂いた「1・2羽田事故」。安全問題研究会は、過去4回にわたって本欄で報じてきた。今回は、前回報じた、空港施設の幹部人事に介入した元国交省官僚の姿を通して、過去半世紀間続いてきた交通行政の本質を読み解く。なぜなら彼の人生にこそ、旧運輸省から国土交通省に変わっても連綿と続いてきた「新自由主義的国交行政」が凝縮されていると考えるからだ。(以下、役職はすべて当時)


<写真=JR新会社へのメッセージを運ぶ「旅立ちJR北海道号」「同東日本号」の出発式で、メッセンジャーを前にメッセージを読み上げる杉浦喬也国鉄総裁(中央)=上野駅で(毎日新聞より)>

<シリーズ過去記事>
第1回「羽田衝突事故は羽田空港の強引な過密化による人災だ」(1月8日付け)

第2回「航空機数は右肩上がり、管制官数は右肩下がり~日本の空を危険にさらした国交省の責任を追及せよ!」(1月9日付け)

第3回「過密化の裏にある「羽田新ルート」問題を追う」(1月29日付け)

第4回「羽田新ルートを強行した「黒幕」と国交省、JAL、ANAの果てしない腐敗」(2月6日付け)

 ●国鉄分割民営化にも大きく関与

 空港施設に「別の有力国交省OBの名代」を名乗って乗り込み、乗田俊明社長に面会してまでポストを要求した本田勝・元国交省事務次官は1953年生まれ。76年、東大法学部卒業後、旧運輸省に入る。大臣官房文書課で運輸省が国会提出する法案などを担当後、1985年2月、大臣官房国有鉄道部財政課国有鉄道再建実施対策準備室に配属される。85年4月、準備室が正式に対策室(国鉄再建実施対策室)となるのに合わせ、本田氏は補佐官に就任した。

 当時の運輸省は、鉄道監督局に国有鉄道部(国鉄部)が置かれていた。1984年から国鉄部は大臣官房に移されるが、それは国鉄「再建」を求める首相官邸の意向に国鉄部を従属させることを目的とするものだった(国鉄以外は鉄道監督局がその後も担当。後に鉄道監督局は鉄道局となる)。

 国鉄分割民営化を答申した「第2臨調」基本答申原案では、総理府(現在の内閣府に相当)に国鉄再建監理委員会を置くこと、再建監理委を国家行政組織法第3条に基づき、強い独立性を持つ「3条委員会」とすることを求めていた。3条委員会は、当時としては公正取引委員会、中央労働委員会、公安審査委員会(公安調査庁の求めに応じて団体への破防法適用を審査する)などわずかな実例しかなかった。当時の運輸省大臣官房国鉄部はこれに強く抵抗したが、結局、1983年に再建監理委は当初の構想通り発足していた。

 こんなエピソードがある。角田達郎大臣官房長、吉田耕三鉄道監督局財政課長の2人が橋本龍太郎運輸相を尋ね、「(再建監理委を)3条機関とすることは運輸省国鉄部を解体し、消滅させるに等しい。それだけはやめてほしい」として国会行政組織法第8条に基づく「諮問委員会」とするよう求めたという。橋本運輸相が「国鉄改革に後ろ向きだからこういうことになるのだ」と言うと、角田官房長は「これからは心を入れ替えて全力で取り組みます。その証に私自身が出向します」と答え、林淳司国鉄部長とともにみずから再建監理委へ出向した(「国鉄改革の真実」葛西敬之・著、2007年、中央公論新社)。

 一方、本田氏は再建監理委には異動せず、運輸省側で国鉄分割民営化を推進。JRグループ各社が発足した1987年4月には大臣官房国有鉄道改革推進部監理課補佐官となる。国有鉄道再建実施対策室補佐官からの肩書きの変遷からわかるように、本田氏の役割は「発足直後のJRグループを軌道に乗せること」に変わった。

 再建監理委に出向した角田、林両氏と本田氏との関係がどのようなものであったかに関する資料は得られなかった。だが、双方が気脈を通じながら、車の両輪として動かなければ分割民営化はあり得なかっただろう。「官邸」側で動いたのが角田、林両氏、運輸省側で国鉄部解体に抵抗する「守旧派」を抑え込むのが本田氏。そのような役割分担だったというのが当研究会の見立てである。角田氏はその後JR西日本の初代社長となった(実権を握っていたのは井手正敬副社長だった)。

 JR北海道の経営が厳しさを増していた2016年11月12日、事務次官を退任していた本田氏は「日本経済新聞電子版」でこう語っている。「(JR北海道は)『国策会社だ』と誤解しないでほしい。この誤解は国鉄を破綻(はたん)させた要因の一つだ。なるべく早く株主を全員民間にし、規律ある経営をする。それが自分たちの任務だという意識を経営者と社員に持ってもらいたい」。ここに至っても分割民営化は正しいという主張だった。

 JR北海道が「自社単独では維持困難」な10路線13線区を公表したのは、わずかその6日後(2016年11月18日)のことだ。このとき「バス転換すべき5線区」(赤路線)に指定された根室本線・富良野~新得間がこの3月限りで廃止となる。この区間は、1981年に石勝線(南千歳~新得)が全通するまでは、札幌と釧路・根室をむすぶ大動脈として特急列車や貨物列車が頻繁に往来した重要区間だ。2016年の大雨災害で東鹿越~新得間が流出し、復旧さえ行われないままだった。赤字が最も酷い区間だからという理由で、つながっている路線の途中区間を災害から復旧もさせず、わざわざ断ち切る。世界鉄道史に残る愚策であることは指摘するまでもなかろう。

 ●航空部門の要職へ

 1987年10月、本田氏は航空局監理部航空事業課補佐官となる。国鉄改革推進部監理課補佐官の肩書きはわずか半年だったが、ここは国鉄部財政課国鉄再建実施対策準備室から部署名が変わっただけで事実上連続した組織なので、国鉄分割民営化関連業務を2年半担当したことになる。この2年半は国労の分裂と少数派への転落、国鉄改革関連8法案の成立(1986年11月)から新会社発足、採用差別事件の発生という最も重大な時期と重なる。本田氏が運輸省側の担当者として責任の一端を負っていることは言うまでもない。

 初めて航空部門に配属された本田氏は、1989年6月、いったん国会提出法案を担当する大臣官房文書課に戻るが、1994年に再び航空局に配属。航空事業課長を務める。この間、旧建設省と統合し、国土交通省に名称を変えた新組織で、航空局飛行場部長、航空局次長などの要職を歴任し、2009年7月に鉄道局長、2010年8月には航空局長を務めた。本連載第3回でお伝えしたとおり、国交省所管の財団法人「運輸政策研究機構」研究者らが羽田新ルート原案を公表したのもこの時期(2009年)のことだが、本田氏を初め省内の誰もこの案が実現可能とは信じていなかった。2014年に新ルートが「官邸案件」となった結果、強引な新ルート推進が始まるが、これと時期を同じくして2014年7月に国土交通省の事務方トップ・事務次官に就いたのが本田氏であったこともすでに明らかにしている。

 ●東京メトロの完全民営化にも

 事務次官を最後に国交省を退官した本田氏は、いったん損害保険会社顧問などを務める(前述のJR北海道をめぐる発言はこの時期のこと)。2019年、事務次官経験者の天下り先としてはJAL、ANAの役員と並んで最上級ポストである東京メトロ会長に就いた。東京メトロの株式は民営化後も国が53・4%、都が46.6%を持つ。国は東京メトロの早期完全民営化を図るため、株式売却を目指してきたが、なかなか進まなかった。

 その背景には、旧営団地下鉄時代から、東京都営地下鉄との一元化を目指したい都の思惑があった。旧営団が持つ路線は、丸ノ内線のように戦前から民間地下鉄会社の手によって建設開業した古い路線を買収したものもある。古くから開発が始まった路線ほど都心に近いため営業成績が良い一方、戦後になって計画が具体化した都営地下鉄の多くは現在も赤字である。東京都民ならずとも、旧営団(現メトロ)と都営の両方に乗車したことがある人なら、その混雑度に歴然とした差があることは「肌感覚」で理解できるだろう。ほとんどの路線が赤字である東京都は、黒字基調であるメトロとの一元化が完全民営化すると不可能になると考え、株式売却に抵抗してきた。

 当初計画では、株式売却期限は2022年度と定められていたが、国と都の交渉が難航して頓挫した。2020年には、売却期限を当初計画から5年先延ばしすることが決まっていた。だが2021年になって事態は動く。東京メトロに対する国・都の関与を残しつつ、売却益を有効活用するため、国・都が保有する株式のうち当面は半分の売却を適当とする国交省審議会の答申を受け、財務省が売却の方針を決めたのだ。2019年に就任した本田会長時代の出来事である。

 2023年6月、本田氏は任期満了に伴い東京メトロ会長を退任する。空港施設への人事介入問題の発覚がなければ続投の意思もあったようだが、かなわなかった。空港施設の株主総会で乗田社長の再任人事がJAL、ANAHDの大手航空2社の造反により否決されたのも6月のことで、ほぼ同時期だった。

 ●新自由主義的交通行政の「象徴」

 ここまで、本田氏の軌跡を旧運輸省入省時に遡って見てきた。その官僚人生の前半は国鉄分割民営化、後半は航空自由化・羽田新ルートの強行とともにあった。退官後は東京メトロ会長としてその完全民営化へ道筋をつけた。いわば、陸と空のあらゆる公共交通、公共財であるはずの鉄道と航空機、すべてを市場原理の下に売り飛ばしてきた官僚人生だった。彼の官僚人生の中間点で、運輸省は建設省と統合し国土交通省となったが、旧運輸省から引き継いだ新自由主義的交通行政のすべてを体現した存在だったと指摘しても決して過言でないだろう。

 本田氏が進めてきた「ニセ改革」によって、いま日本の公共交通は瀕死の状況に追い込まれている。廃止が相次ぐ北海道のローカル線やトラック・バス輸送などはすでに瀕死の状態にある。本田氏、そしてその官僚人生が「象徴的に体現」してきた国土交通省はこの事態に対しどう責任をとるのか。もし国交省が当連載に対し弁明する気があるなら、いつでも当研究会に連絡してきてほしい。

   ◇   ◇   ◇

 1月2日に起きた羽田空港での衝撃的衝突事故から5回にわたってお送りしてきた当連載は、いよいよ次回で最終回となる。今回の事故直後から、有識者や国土交通労働組合の声明などで何度も指摘された事故調査のあり方を問う。警察の捜査が運輸安全委員会の事故調査に優先する現状とその改善策を示して、本連載を終えたい。

<参考文献・記事>

「東京メトロ・本田会長が退任へ 人事介入問題の元国土交通事務次官」(2023年5月23日付け「朝日新聞」) 

「ピラミッドを上り詰め、東京メトロに 人事介入した元次官が歩んだ道」(2023年7月8日付け「朝日新聞」)

・「国鉄改革の真実」(葛西敬之・著、2007年、中央公論新社)

・「帝都高速度交通営団の経営形態について」(佐藤信之、月刊「鉄道ジャーナル」2000年1月号)

(取材・文責:黒鉄好/安全問題研究会)

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<地方交通に未来を(14)>今後の地域交通のあり方示す2つの路面電車

2023-12-11 20:56:00 | 鉄道・公共交通/交通政策
(この記事は、当ブログ管理人が長野県大鹿村のリニア建設反対住民団体「大鹿の十年先を変える会」会報「越路」に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 2023年も残り3週間という年の瀬にこの原稿を書いている。今年はコロナ禍明けということもあり例年になく鉄道に乗った年だった。その中で印象深かった2つの事例について述べておきたい。どちらも地域公共交通の今後のモデルケースとなり得るからだ。

 富山ライトレールには7月に乗車した。JR西日本・富山港線時代に一度乗っているが、一部区間は道路上に付け替えられるなどして旧富山港線とまったく同じではない。少なくともルートが変わった区間には乗っておかなければならなかった。

 富山駅は、もともと駅南側を走っている市内電車と、北側を岩瀬浜まで走っていた旧富山港線転換路面電車を直通運転できるようにするため、富山駅をぶち抜き、線路を駅構内でつなげるという大胆なものだ。

 市内線からやってきた車両(鉄道は「列車」だが軌道では正式には「車両」と呼ぶ)に乗る。道路信号に従いしばらく路面区間を走る。「奥田中学校前」電停付近で車両が大きく左折して道路を外れると、旧富山港線のレールに乗る。ここで右側を見ると、道路の向かいに遊歩道のような細い道があり、これが旧富山港線の跡地だとすぐにわかった。

 旧富山港線区間に入ると車両は急にスピードアップする。60~80km/hくらいは出していることが速度計からわかる。停留所の数は旧富山港線時代より大幅に増えた。国鉄系気動車から床面の低い路面電車車両に変わったため、JR時代のプラットホームは廃棄され、新たに電停が作られている。

 岩瀬浜に到着すると、駅前のロータリー付近で待機していた「フィーダーバス」がロータリー内に進入してくる。列車とバスの乗換待ち時間をなくすためで、全駅ではないものの、主要駅では行われている。正直、「ここまでやるのか!」と驚かされるが、冷静に考えれば、列車の到着に合わせてバスを運行するというのは、乗客目線で考えれば当たり前のことだ。この「当たり前」が日本ではなかなか実現せず、近年ではできなくて当たり前というある種のあきらめムードが支配的だった。富山港線時代は乗れば必ず座れるほど空いていたのが、いまや始発駅でも座れないのが当たり前なほど車内は混んでおり、しかも休日のせいか、明らかに中高生とわかる若年層が多いことも特筆すべきだろう。

 国が地域公共交通活性化再生「優良事例」に挙げたくなるのもわかる。「当たり前」のことを当たり前にやることが実は最も難しいのだ。その当たり前のことを、当たり前に実現した富山市の努力を多としたい。

 同時に指摘しておかなければならないのは、日本中、どこでも富山市のようにできるわけではないということである。もともと、富山地鉄という地元に広く定着した有力な私鉄が長大な路線網を持っており、その会社にJRのローカル線を引き受けてもらうことができた。このような好条件が重なっている場所はほとんどない。国が、地域公共交通活性化再生の旗を振ることに反対はしないが、同じような条件が揃っているのかどうかを見極めてからでないと、単なる公共交通のコンパクト化、縮小だけに終わりかねない。そんな危惧も同時に感じた。

 宇都宮ライトレールには10月に乗車した。宇都宮市自体、訪れるのは十数年ぶりだ。「平石」電停から「清陵高校前」電停までは専用軌道区間。「清陵高校前」から「芳賀・高根沢工業団地」電停までの区間は道路上を走るが、道路と線路は区切られている。

 富山の路面電車と大きく違うのは、信号のコントロールが路面電車優先であることだ。富山は電車の前を横切って右折する自動車を含め通常信号と変わらないが、宇都宮では道路側の信号を「赤」+「直進・左折矢印」表示にして、自動車が電車の前を横切って右折できないようにし、定時運転を確保している。

 小さな子どもを連れた母親が、子どもの分の運賃もまとめて払うのではなく、子ども自身に現金を持たせ、払い方を覚えさせていたことが印象に残った。親がまとめて払うやり方だと、子どもは親と一緒のときしか公共交通に乗れない。だが自分で払えるようにきちんと教えれば、子どもが自分1人だけでも乗車できるようになる。次世代の公共交通の担い手をみずからの手で積極的に育てていこうという市民意識は、富山よりも宇都宮のほうが強いと感じた。

 気になる点もあった。家族連れが下車する際、大人はICカードで支払うが、子どもの分の半額運賃は現金でしか支払えないことだ。にもかかわらず、運賃箱に表示されている運賃が、大人表示のまま子どもに切り替えられない。たとえば150円区間の場合、子どもが現金払いをする際も表示は150円のまま、運転士が目視で80円(端数の5円は切り上げ)の投入を確認していた。これだと、大人2人に子ども1人がまとめて下車するような場合、いくら払えばいいのかわからなくなる。子どもが1人でも乗れるように育てようという意識がせっかく市民の側に生まれているのだから、せめて運賃表示が子ども用に切り替えられるよう、早急にシステムを改修すべきだ。

 富山も宇都宮も、私が乗りに行ったのが休日という点は考慮する必要があるものの、乗客に若年層が多かったのが特徴だ。2017年に内閣府が行った「公共交通に関する世論調査」で「あなたは、鉄道やバスがもっと利用しやすければ、出かける回数が今より増えると思いますか」という質問に対し、「増えると思う」「少しは増えると思う」と答えた人の比率が18~29歳までで最も高かった結果と符合する。いわゆる交通弱者といえば高齢者問題だと思う人が多いが、本当の交通弱者は運転免許を取れない若年層なのだ。

 路面を走る大都市中心部と、専用軌道を走る郊外区間を連結するという点では、富山も宇都宮も共通しており、今後のトレンドになる予感がする。既存の鉄道でこの形態を取るものには広島電鉄(市内線(路面)と宮島線(専用軌道)の直通)や筑豊電鉄などがある。特に筑豊電鉄は、乗り入れしていた西鉄北九州市内線の路面電車が1992年に廃止されている。どちらも現状維持が精一杯の状況の中、なんとか生き延びてきたのが実態だろう。そうしているうちにぐるりと時代が1周し、「都心~郊外直通運転」が脚光を浴びる時代が再び来たのだから、世の中わからないものだ。

 2つの路面電車の事例は、今後、地域公共交通を衰退から発展に転換するために何が必要かを示唆している。自治体が前面に出て住民の声を吸い上げ、どのような公共交通にしたいか、それをまちづくりにどう組み込むかのグランドデザインを描く必要がある。地域住民もどんどん自治体や鉄道会社に意見する。乗って支えるだけでなく、子どもにも乗り方を教え次世代の担い手を育てる。「住民参加と対話」がキーワードだという印象だ。

(2023年12月10日)

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<地方交通に未来を(13)>踏みつぶせ! オリンピックと新幹線

2023-10-12 22:31:21 | 鉄道・公共交通/交通政策
(この記事は、当ブログ管理人が長野県大鹿村のリニア建設反対住民団体「大鹿の十年先を変える会」会報「越路」に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 コロナ禍明けの影響もあり、9月以来、休眠していた諸々が動き出し、盆と正月とお彼岸がまとめてきたような多忙の中にいる。今回の原稿では、4月に成立後、約半年の周知期間を経て10月1日から施行された改定「地域公共交通活性化再生法」とこれをにらんだローカル各線の動きを取り上げると腹は決まっていた。だが執筆直前になって思わぬビッグニュースが飛び込んできた。2030年に予定されていた札幌冬季五輪の招致と、北海道新幹線札幌延伸が揃って延期されるという。

 五輪延期と新幹線札幌延伸延期はどちらも北海道新聞の1面トップを飾った。それはそうだろう。今や北海道内の政財官界は、道民生活も、輸入肥飼料の暴騰による農家の苦境もそっちのけで、熱病に冒されたように五輪、新幹線中心に動いてきたからだ。

 この日が来るという予感はかなり前からあり、驚きはなかった。新幹線工事は多くの区間で遅れており、羊蹄トンネル比羅夫工区では2021年7月、シールドが岩盤に突き当たったまま2年以上工事が中断している。工事は長万部~札幌間が最も遅れていると思われているが、意外にも函館~長万部間の遅れが目立っており、トンネル掘削の進捗率が6~7割程度の区間がまだ多く残されている。この状態で6年半後に開通させるのが無理だということは、土木技術に疎い素人の目にも明らかだった。誰もがそれを知りながら言い出せなかったのは、札幌五輪という「北海道最大のタブー」があったからだ。

 もちろん表向き、五輪と新幹線の間には何の関係もないことになっていた。しかし鉄道の歴史を少しでも知る人であれば、1964年東京五輪に間に合わせるため、わずか5年の突貫工事で東海道新幹線が建設されたこと、1998年長野冬季五輪に間に合わせるため、北陸新幹線東京~長野間の建設が急がれたことは知っているだろう。札幌延伸の延期を伝える10月7日の北海道新聞記事は、札幌五輪招致と新幹線札幌延伸が「水面下では連動している」との国交省幹部の発言を伝えている。五輪と新幹線が「セットで押し売り」されてきたことは周知の事実なのだから、この程度の発言で国交省幹部が「守秘義務違反」に問われることもなかろう。

 1997年の東京~長野間の開業の際、並行在来線のうち通常運転方式としてはJR最大の難所とされた信越本線横川~軽井沢間が廃止となった。在来線時代、名物駅弁「峠の釜めし」のホーム立ち売りが行われ、列車の発車時には販売業者「おぎのや」従業員がお辞儀で乗客を見送るこの駅の風物詩も歴史の1ページに消えたが、66.7‰(1000分の66.7)という急勾配の影響で、重量100tを超える補助機関車を何両も用意し、全列車に連結しなければならない特殊区間だった。この区間の廃止は異例中の異例であり、並行在来線の第三セクター分離を沿線自治体とJRの同意を得て確定する(=存続させる)とした政府与党合意の趣旨からしても、前例にならないとみられていた。それだけに、札幌延伸で函館本線の通称「山線」(長万部~余市~小樽)の廃線を聞いたときは、自分たちで「同意」したことさえ平気で破り捨てる政府与党に対し、はらわたが煮えくりかえる思いだった。

 地元以外ではほとんど報道されていないが、山線はバス転換協議も行き詰まっている。事の発端は廃線の「陰の主導者」とされる道庁が、転換バスの委託を想定していた北海道中央バスに根回しさえしないまま、先に廃線を決めてしまったことだ。5年間猶予されていた残業時間規制が運転手にも適用される「2024年問題」を直前に控え、ただでさえ運転手不足で既存の路線さえ減便せざるを得ない事態に追い込まれていた北海道中央バスは、廃線決定後になって初めて転換バスの運行を打診され激怒。「道庁からの要請は二度と受けない」とまで態度を硬化させている。山線のバス転換を話し合うための協議会は先日、ついにストップしてしまった。

 確かに沿線自治体は廃線、バス転換に調印した。新幹線の駅ができる倶知安町を除けば苦渋の選択だった。今回、札幌延伸延期で国交省は延期後の新たな開業時期を明言しなかった。工事遅延とバス転換協議の行き詰まりの両面から、山線廃止は前提条件そのものが根底から崩れたことになる。もう一度原点に立ち返り、函館本線の鉄路を最大限活かす方向で協議をやり直すときだ。

 北陸新幹線は2024年3月に敦賀(福井県)まで開業するが、その後、関西地方まではルート選定すら終わっていない。開業から1年を迎えた西九州新幹線(長崎~武雄温泉)に至っては、できもしないフリーゲージトレイン(軌間可変式電車)にこだわり、「在来線をそのまま活用できる」として佐賀県の同意を取り付けたが、フリーゲージトレインはあえなく失敗。今度は「フル規格格上げ」に佐賀県の同意取り付けを狙ったが「提案されてもいないものへの同意などあり得ない」と拒否に遭う。国・長崎県は性懲りもなく「フル規格格上げに伴って発生する佐賀県の工事費は全額肩代わりしてもよい」と佐賀県に提案したが、「タダでも要らない」「今でも福岡まで乗換なしで行ける県内の鉄道環境は悪くないのに、それをわざわざこちらから壊してまで、メリットのない新幹線を求めに行く理由がない」とする佐賀県を翻意させるには至っていない。武雄温泉から先の区間は整備のめどさえ立たないまま「離れ小島新幹線」状態が長期化しそうな雲行きだ。そして「ラスボス」格のリニア新幹線。どんな状況にあるか、本会報読者には言うまでもない。

 北海道も西九州も北陸もリニアも、今や全国の新幹線は総崩れ状態。これが旧国鉄工事局~日本鉄道建設公団の栄光と伝統を引き継ぐ組織――鉄道・運輸機構の実態だとは信じたくもない。だがこれを裏付けるように2020年12月、国交省は機構として初の事業改善命令を出す。北陸新幹線敦賀延伸工事を大幅に遅らせることになった福井県内のトンネル亀裂事故のためである。命令を受け、当時の北村隆志理事長が年明け後の2021年1月、引責辞任している。「100%親会社」として命運を握っているのがこの程度の法人なのだから、JR北海道・四国両社の経営など傾いて当然だろう。

 もう一度歴史を振り返っておこう。1964年東京五輪・東海道新幹線開業。この年国鉄決算は初めて赤字となった。国鉄諮問委員会が「歴史的使命を終えた」として赤字83線の公表に踏み切ったのは1968年のことだ。2016年、北海道新幹線が函館開業したまさにその年、JR北海道は維持困難10路線13線区を公表する。五輪と新幹線は、いつも「両輪」となって在来線を踏みつぶしてきた。そう考えると、札幌冬季五輪と北海道新幹線札幌延伸、揃っての延期は千載一遇のチャンスかもしれない。さあ反撃だ。切り捨てられてきた在来線沿線住民が今こそ立って、新幹線とオリンピックを踏みつぶせ!

(2023年10月10日)

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リニア中央新幹線事業認可取消訴訟(ストップ!リニア訴訟) 請求棄却の不当判決

2023-07-24 21:29:30 | 鉄道・公共交通/交通政策
(この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」に寄稿した内容をそのまま転載したものです。)

 原告らの請求をいずれも棄却する――それだけを言い渡すと、3人の裁判官はそそくさと、逃げるように奥に消えた。判決理由の朗読すらないので、棄却の理由もわからないまま。裁判官が「消えた」法廷内では、何が起きたかわからず、呆然としたまましばらく動けない傍聴人もいた。行政訴訟など、国や自治体を相手にした訴訟ではしばしば見られる光景らしく、噂には聞いていたが、自分自身が体験したのはこれが初めてだ。249名の原告が、国にリニア中央新幹線の事業認可取り消しを求めていた「ストップ!リニア訴訟」の判決言い渡しが行われた2023年7月18日、東京地裁での出来事である。



 もともと、この日は朝から異例ずくめだった。朝10時過ぎにはすでに気温は35度近くに達した。訳あって前日から東京・立川駅前に宿泊していたため、筆者は横浜線で横浜市内に出た後、東京地裁を目指した。

 このルートを選んだのには理由がある。リニアの駅ができる予定の神奈川県・橋本駅の現状を、通過しながらの一瞬でもいいから見たいと思ったからだ。事前情報通り、リニアの駅らしきものは影も形も現れていなかった。用地買収すらまだ完全には終わっていない。こんな状況で「2027年開業」というJR東海の説明は寝言に等しい。何しろ4年後なのだ。公式の説明では大阪延伸が予定されている2045年に、当初予定の品川~名古屋間が開業できれば御の字というのが現状ではないだろうか。

 筆者は時折、大型書店の鉄道関連コーナーを見ているが、最近出版される書籍の中に、無邪気な「リニア礼賛もの」は全くといっていいほどない。代わりに並んでいるのは、リニアに疑問を呈するものばかりになっている。大手メディアがリニアについて全く報道しない現状でも、こうした書店の動向からは、大型事業の先行きを探ることができるのである。

 ●「飛行機の速度で地下鉄を走らせる非常識」

 判決に先立つ午後1時から、裁判所前で集会が行われた。





 川村晃生(あきお)原告団長は「2016年の提訴から、コロナによる中断を挟んで7年、ついに判決の日が来た。JR東海は私たちの主張に全く反論できず、法廷内では私たちが圧倒していた。しかし、裁判所もまた国の機関だ。日本では国を訴える行政訴訟に独特の難しさがあるが、裁判所が私たちを相手に真摯に耳を傾けてくれるなら、私たちの勝利は間違いないと確信している」とあいさつした。

 続いて関島保雄弁護団共同代表が発言した。「通常、この手の訴訟では、原告は事業が行われる周辺数キロの狭い範囲にとどまることが多い。しかしこの訴訟は、東京から名古屋まで、約300kmもの長い範囲に多くの原告を抱えるという意味で珍しい大型訴訟だと思っている」と訴訟の概要を説明。続いて「リニアは全区間の86%がトンネルだ。いわば、飛行機のような速度で地下鉄を走らせようという計画であり、非常識」だと国策事業を斬り捨てた。

 高山浩JR東海労働組合副委員長は「リニアをめぐって、何度も労使交渉を申し入れたが、会社は窓口でお茶を濁すような回答をするだけで応じなかった。労使関係が存在しない中で、会社と正面からぶつかり合う苦しい闘いだった」とこの間を振り返り、「引き続き、皆さんとともに闘っていきたい」と決意表明した。

 労働関係に詳しくない読者のために少し解説する必要があるが、企業と労働組合との間では、いきなり「本番」の労使交渉となることは少なく、その予備段階で「窓口協議」などと呼ばれる準備的打ち合わせが行われた上で労使交渉に進む場合がほとんどである。高山副委員長の「窓口」とはこの段階を指す用語である。広義では窓口協議を含めた全段階を労使交渉と呼ぶケースもあるが、それも「本番」あってのことだ。長年、労働組合役員を経験してきた筆者から見ても、会社の命運を左右するこのような根幹事業に関し、窓口協議で終わらせることはそもそもあり得ない。労働組合から交渉の申し入れがあった場合、会社には応諾義務がある。これにはJR東海労(JR総連系)が、JR東海内では少数派組合であり、労働者の過半数を組織していないという事情も関係している。

 ●ホールを埋めた判決後の報告集会

 判決後の報告集会には約150人が集まり、衆院第一議員会館多目的ホールをほぼ埋めた。本村伸子(共産)、山添拓(共産)、山崎誠(立憲)の各国会議員が連帯あいさつ。山崎議員は「コロナで休眠状態だった党の公共事業再点検を再起動させたいと考えている」と表明した。

 報告集会で配られた判決要旨は6ページで、ここで初めて棄却理由が明らかになった。これほどでたらめばかりの事業ですら認可は国土交通大臣の裁量の範囲内だという。これでは、いったん行政による認可を受けたら最後、どんなでたらめ事業でも司法の場で問うことは不可能になる。司法の事実上の「自殺」である。

 (1)鉄道事業法は、開業後の鉄道が継続的事業運営を行えるよう監督することが目的の法律であり、従って開業前のリニアには適用とならない、(2)認可はあくまで全国新幹線鉄道整備法に従って判断すればよい――という東京地裁の判断も責任逃れに他ならない。建設途中の鉄道に将来性があるかどうかは、周辺人口とその推移、沿線での経済活動の規模等を見れば相当程度わかる。JR東海の当時の社長みずから「採算に乗らない」と表明するような事業を行政が認可し、司法もそれを追認するならば、リニアが計画倒れに終わり、3兆円にも上る財政投融資が不良債権化したあげく、JR「倒壊」となった場合の責任は行政も司法も共に負うことになると警告しておこう。

 原告のひとり、天野捷一(しょういち)さんは、この日、裁判所の前で掲げた「不当判決」の旗のほかに、本来掲げるはずだった「勝利判決」の旗を開いて見せると「本当はこれを掲げたかったのですが、控訴審に向け取っておきます。控訴審ではこちらを使えると期待しています」と発言。事実上の控訴宣言だ。



 会場からは「司法はでたらめばかりで悔しい」という声が相次いだ。筆者もそれらに共感するが、原発訴訟で敗訴したときのような悲壮感はなかった。すでに稼働しているものを司法の場で勝って止めており、「負ければ翌日から即、再稼働」となる原発訴訟と異なり、まだ影も形も現していないものの建設工事の法的根拠を予防的に失わせることを目的としたリニア裁判の場合、負けたからといって、故障したままの工事用シールドが突然復旧し、明日から破竹の勢いで地下を掘り進めるようになるなどという事態は、およそあり得ないからである。

 この日、ストップ!リニア訴訟原告団、ストップ!リニア訴訟弁護団、同訴訟サポーター一同の3者連名で声明が発表された。「本判決は、国及びJR東海の主張を丸写しにしたものであり、現実に生じている実験線での環境被害を無視したもので、責任ある判断を放棄したに過ぎない。原告団・弁護団はこの不当な、詐取された認可処分を維持させることは、リニア中央新幹線という負の遺産を後世に残すことになると考え、上訴審で最後まで戦い続ける所存である」と結ばれている。

 安全問題研究会もこの訴訟を最後まで支援し続ける。リニア中央新幹線問題は、全国で同時進行するローカル線問題の深刻化と併せてJR体制を蝕み、揺るがさずにはいない。地域公共交通活性化再生法の小手先の見直し程度ですむほどJRの現状は甘くなく、民営JR7社体制が遠からず再編を迫られるという当研究会のかねてからの見通しを修正する必要は全くない。むしろその時期は予想より早く訪れると見越して、関係者は準備に入るべきだと当研究会は考えている。

<参考資料>
1.ストップ!リニア訴訟 判決要旨
2.ストップ!リニア訴訟原告団、ストップ!リニア訴訟弁護団、同訴訟サポーター3者連名の声明

<映像>ストップ!リニア訴訟 判決前集会/東京地裁前

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真夏の北陸の旅(第1日目)~「ノーモア尼崎事故!生命と安全を守る7.15集会」に参加、報告

2023-07-15 22:02:29 | 鉄道・公共交通/交通政策
JR福知山線脱線事故の翌年から、JR西日本の労働組合や関係者を中心に始まり、毎年4月に尼崎で開催されている「ノーモア尼崎事故!生命と安全を守る集会」は、統一地方選の年だけは4月を避けるという暗黙の合意がある。統一地方選の年は6月頃に開催されることが多いが、今年は諸事情で7月15日にずれ込んだ。

また、「ストップ!リニア訴訟」の判決が7月18日に東京地裁で言い渡されることはかなり早い段階でわかっていた。この両方に行くとなると、どうするのがいいのか考えていた。北海道から7月15日に大阪に行き、一度戻ってすぐにまた18日に上京なんてことをしていたら身体が持たないし、せっかく帰っても自宅でゆっくりできるのはほんのわずかな時間しかない。いろいろ考えた結果、15日の尼崎から18日の東京地裁まで遠征を続けることにした。

そうすると、7月16~17日の2日間が丸々空く。この2日間をどうすべきか。大阪から東京までサプライズで「サンライズ出雲・瀬戸」に乗り(サンライズは上り列車のみ、日付が変わってから大阪に停車するので乗車可能)、国立国会図書館(東京本館)で資料・文献の調査をすることも考えたが、あいにく3連休中は休館とわかった。

結局、以前から行ってみたいと思っていた富山地鉄、黒部峡谷鉄道に加え、今年4月に成立した「地域公共交通の活性化及び再生に関する法律」改正案の国会審議で、活性化再生の「優良事例」とされた富山ライトレールにまとめて乗るなら、2日間をフルに使えるここしかチャンスはない。ここを逃せば、おそらく次のチャンスは十数年後になるかもしれない――そう考え、思い切って行くことにした。なお、遠征自体は今日から始まっているので、便宜上、本日を遠征初日として扱う。初日は集会終了後、大阪市内中心部のホテルに投宿。

なお、この日、「ノーモア尼崎事故!生命と安全を守る7.15集会」における安全問題研究会の報告レジュメ「地域公共交通活性化再生法の一部改定について」 をアップしている。また、併せて集会資料も安全問題研究会サイトに掲載した。

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レイバーネットTV第187号 : どうする? どうなる? 今世紀最悪の国策事業「リニア」を斬る

2023-07-01 16:10:39 | 鉄道・公共交通/交通政策
管理人よりお知らせです。

安全問題研究会代表・黒鉄好が出演した「レイバーネットTV第187号 : どうする? どうなる? 今世紀最悪の国策事業「リニア」を斬る」が、6月28日に放送されました。以下、アーカイブで見ることができます。

放送終了後の速報記事はこちら。また、「レイバーネットTV「リニア特集」(6/28)を見て~公共交通とはどうあるべきものなのか」と題した、JR東日本輸送サービス労働組合・関昭生さんからの感想が寄せられました。

レイバーネットTV第187号 : どうする? どうなる? 今世紀最悪の国策事業「リニア」を斬る


なお、安全問題研究会代表も、放送終了後、この番組の企画に至る裏話や、時間切れで話せなかったことなどをレイバーネット日本に投稿しました。以下、全文をご紹介します。
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レイバーネットTV「リニア特集」を企画して思ったこと

自分で企画を立てたレイバーネットTVでしたが、無事終えてホッとしています。

この番組の準備も兼ねて、6月3~4日の週末、レイバーネットフィールドワーククラブで大鹿村現地交流を行う予定でしたが、思ってもみなかった台風接近による大雨のため中止になってしまいました。気象庁ホームページによれば、関東甲信の今年の梅雨入りは6月8日(速報値)。梅雨入りもしないうちから台風が来るなんてまったく予想もしておらず、こんなところにも最近の気候変動の深刻さを感じます。

それでも、レイバーネットメンバーの何名かは6/24に現地取材に入り、撮影や現地の反対運動関係者の聞き取りを行うことができました。ただ、私は北海道に住んでいるため、6/24に上京して大鹿村取材をした後、いったん戻って6/28にまた放送本番のため北海道から上京・・・なんてことをしていてはとても身体が持ちません。断腸の思いで6/24の取材参加は見合わせました。このため、結局、大鹿村現地を見ることができないまま放送本番に臨まざるを得ませんでした。自然相手なので仕方がないとはいえ、画面に映ったメインキャスト4人の中で、現地を一度も見ないまま放送本番に臨んだのは私だけです。

そんな経緯があったせいか、自分にコーディネーターの資格があるのか? 現地も見ず、本で読んだ付け焼き刃の知識で事が足りるなら、この役割は自分でなくてもいいのでは? という葛藤は、結局、直前まで消えることはありませんでした。「悩んでも仕方ない。リニア問題に関しては第一人者である樫田さん、天野さんに出演してもらうことができた時点でこの番組の成功は約束されたも同然なのだから、自分は大船に乗ったつもりで、2人の持ち味や知識を最大限、引き出す役割に徹しよう」と決心が固まったのは、東京入りした放送前夜のことです。インターネットTVに限ったことではありませんが、物事を成功させるにはやはり人選が大事だと再認識しました。貴重なお話をいただいた樫田さん、天野さんには、私からもこの場をお借りしてお礼申し上げます。

放送終了後、「本当はもっと話したかったんじゃないの?」と松原さんから本心を言い当てられ、付き合いが長い人はごまかせないな、と思いました。しかし、今回は「自分ひとりだけ現地を見ていない」という葛藤もあり、中途半端な自己主張は控えることにしました。若い頃の自分ならあたり構わず、ゲストそっちのけで話しまくっていたはずです。この変化を成長と呼んでもいいのか、それとも単に歳を取っただけか。判断は視聴者のみなさんに委ねます。

「無理無謀リニアやがて宙に浮き」という乱鬼龍さんの川柳のうまさには相変わらず脱帽です。鉄道も人間と同じで、地に足がついていなければ意味がありません。リニアは暗礁に乗り上げており、地に足を付けて走る日は来そうにありません。それ以前に、地に足がついてたらリニアじゃありませんが。

番組中でも放送後の懇親会でも時間が足りず、話せなかったことを何点か書いておきます。

懇親会では、こんな不合理だらけの事業がなぜ止まらないのだろう? という話になり「やっぱりゼネコンの利権のためだろう」という、ある意味日本的で無難(?)な結論に落ち着きました。しかし、ゼネコンの利権目的で税金垂れ流し、自然大破壊プロジェクトが強権的に推進されるのは、おそらくリニアが最後になると思います。番組中でも樫田さんからお話があったように、リニア自体、基本構想は1980年代後期で、「バブルの置き土産」的色彩が強いのです。

それよりもさらに大きな理由として、日本の土木・建築業界の弱体化がこのところはっきりしてきたことも見逃せません。国土交通省資料「建設業及び建設工事従事者の現状」によれば、日本の建設業従事者数は平成28(2016)年には492万人と、ピーク時(1992年、619万人)と比べて28.12%も減っています。一方、ローカル線の存廃(「地域公共交通活性化再生法「改正」案)が審議された先の通常国会で、日本の観光業従事者数が900万人にも上ることが明らかにされました。

もっとも、この900万人という数字は、東京23区内のコンビニ従業員まで「観光業従事者数」に含めるなど、かなり「盛った」ものだといえます。単なる販売店などは含まず、純粋に観光目的で事業を行っている人々の数だけを抽出した「673万人」(観光庁資料)が観光業従事者数の実態と見るべきでしょう。それでも建設業従事者数を大幅に上回っています。今や自民党にとって「ゼネコン利権公共事業」をやるよりも「GO TO キャンペーン」をやった方が多くの票が出る。そんな時代になっているのです。

コロナの流行は止まっていないものの、人々の意識の中ではコロナはとっくに後景に退き、ホテルも交通機関も今や政府のキャンペーンなど必要もないほど観光客でごった返しています。それにもかかわらず今も「全国旅行支援」がだらだらと続いているのは、誤解を恐れず言うと「観光業のみなさん、次の選挙も自民党をよろしく」という意味です。

地域公共交通活性化再生法「改正」は悪法ではあるものの、それでもいくつか前進面も持っています。国鉄分割民営化を決定的にした国鉄再建監理委員会答申(1985年)で、今後発足する新事業体は国に一切の財政支援を求めない、と決められました。答申に基づく国鉄解体(1987年)からちょうど20年後の2007年、この法律の制定で初めてJRローカル線への補助金投入の道が開かれました。さらに今回の改正で、まちづくり予算「社会資本整備総合交付金」まで鉄道に使えるようになります。

こんな法律を作って大丈夫なんだろうか、おらが町の「社会資本整備総合交付金」をJRに使うなんてけしからん、と自民党議員が青筋立てて怒りまくるのではないかと思い、はらはらしながら国会審議を見届けましたが、自民党議員から反発する声は上がりませんでした。それどころか、2011年の新潟・福島豪雨で不通になったJR只見線を復旧させるため、黒字会社には補助をしてはならないと決められていた鉄道軌道整備法を議員立法で改正してまで復旧に道筋を付けたのは、福島選出の自民党議員でした。そのときの「手柄話」を衆院国土交通委員会で延々、続ける自民党議員を見たとき「ああ、ゼネコンの時代、本当に終わったんだな」と思いました。

ゼネコン自身にも昔のプライドがなくなりました。税金垂れ流し、環境大破壊公共事業絶対反対の人がいることは昔も今も同じです。しかし昔のゼネコン(とその技術者)にはもっとプライドがあったように思います。「反対している人がいるからこそ、いいものを造って見返したい」「今は反対している人たちだって、完成すれば使うんだろ?」という、賛成反対は別として技術者にあるべき健全な職業的プライドです。

しかし今はどうでしょうか。沖縄・辺野古新基地、リニアは完成の気配すらありません。昨年10月に開業した西九州新幹線(旧「九州新幹線長崎ルート」)に至っては60kmの区間(武雄温泉~長崎)が完成しただけで、武雄温泉から新鳥栖(佐賀県)までは佐賀県の反対でまだルートすら決まっていません。60kmといえば、東京~平塚間とほぼ同じ。お正月の風物詩、箱根駅伝(1区が約20km)のランナーなら3人いれば走れる距離です。「始発駅を発車したら、15分後には終点で全員下車」という笑えない漫才のような状態が、この先何十年、場合によっては半永久的に続くことになるかもしれません。5000億円もの巨費を投じたあげくにこの結果です。

こんな馬鹿げたことを何十年も続けたあげく、国民に1000兆円もの借金を残した政府の下で、為替市場が円安になるのは当たり前です。私は、そう遠くない時期に日本円は紙屑になると考えています。すでにネット上ではいろんな「噂」が飛び交っています。2024年、つまり来年に迫った新紙幣発行のタイミングで「旧紙幣」(つまり現行紙幣)は使えなくなるのではないか……等々。1000兆円の借金を返す当てもなく、日銀総裁のなり手探しが難航する現状を見ていると、単なる「噂」と笑い飛ばす気になれません。それほど日本経済が深刻な状況になっていることも、この機会に知っておいていただきたいです。

そろそろこのあたりにしておきましょう。今後、リニア問題のパート2を企画する機会があるかもしれません。JRローカル線問題も取り上げたいと考えています。もう一度、番組枠を与えていただけるなら、今度は私から、こんな「ヤバい話」を思う存分、したいと思います。

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