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戦争法案反対大阪集会に2万5千人~現役創価学会員も「廃案目指す」

2015-08-31 20:56:27 | その他社会・時事
(以下は、当ブログ管理人が参加した集会の模様を報告したレイバーネット日本の記事を転載したものです。)

8月30日、戦争法案反対の行動は大阪でも取り組まれ、会場となった扇町公園には主催者発表で2万5千人が集まった。公園内も、公園最寄りの大阪環状線・天満駅も人であふれかえった。

午後4時から始まった集会では、主催者あいさつの後、民主、共産、社民の野党3党があいさつ。辻元清美衆院議員(民主党)は「私は、今、安倍総理に一番嫌われている国会議員だろうと思う。だが私はそのことに誇りを持っている。今日の集会後、ただ「しんどかったわ~」で終わるのではなく、ここにいる参加者全員が、少なくとも10人に働きかけてほしい」と参加者に法案反対の働きかけを強めるよう訴えた。

続いて、辰巳幸太郎参院議員(共産党)は、「イラク復興支援として現地に出向いたのは7割が企業関係者など民間人だった。戦争法案が成立すれば、港湾、航空、運輸など多くの民間労働者も戦地に送られ、また戦争への協力を強いられる。これこそ経済的徴兵制だ」として、政府与党が戦争法案で「徴兵制復活はあり得ない」などとしていることに対し反論。戦争法案の危険性を訴えた。

又市征治参院議員(社民党幹事長)は、「違憲の法案をいくら審議しても合憲になるわけがない。廃案しかない」と、改めて戦争法案廃案への決意を表明した。

ここで、おそらく予定外であったと思われる「ゲストスピーチ」。発言者が紹介されると会場からどよめきが起きた。現役創価学会員の女性2人が登壇。ひとりはマイクを握り、もうひとりは創価学会のシンボル、三色旗を高く掲げて。

マイクを握った学会員の女性は、牧口常三郎・初代会長、戸田城聖・第二代会長が現在の平和を築くため、どれだけの努力と苦労を重ねてきたかについて述べた後、一気に法案への思いを訴えた。

「(公明党は)法案への理解が深まっていないというが、私たちは法案をきちんと理解しているからこそ反対している。安保法案で自民党に追随することは、SGI(創価学会インターナショナル)が戦後、追い求めてきた平和の理念を覆すもの。安保法案の廃案を願っており、絶対廃案を目指す。皆さんも学会員に働きかけてほしい」。

女性がこのように述べると、会場から大きな拍手が湧いた。辻元議員は「学会員のスピーチが一番拍手が大きかった」と述べているが、これは私も現場にいたから間違いない。

牧口初代会長は、戦時下の1943年、伊勢神宮の神札を祭ることを拒否したため、治安維持法と不敬罪により逮捕、投獄され、翌1944年、収監先の巣鴨拘置所で獄死している。初代会長を弾圧し、奪った軍国主義、戦争と対決することは創価学会員にとって原点のはずである。与党の地位を維持するため、下駄の雪のように自民党に追随する公明党、創価学会指導部に対し、多くの心ある学会員が声を上げている。

集会中、不思議なできごともあった。この日の大阪市は、朝から時折、小雨のぱらつく空模様だった。集会が始まるころ、ようやく雨があがったが、どんよりした空は相変わらずだった。だが、この学会員女性がスピーチをしているとき、ほんの一瞬、雲の切れ間から陽が差した。女性のスピーチが終わると、再び太陽は雲間に隠れ、以降、集会が終わるまで二度と姿を現すことはなかった。

参加者が全員で「戦争アカン」と書いた紙をいっせいに掲げアピールした後は、落語家の笑福亭竹林さん、元大阪市小学校長会長、日蓮宗の僧侶など各界各層の人たちが次々と演壇に立った。安倍「独裁」と戦争法に反対する闘いが、あらゆる人々の間に広がっていることを改めて印象づける集会となった。

普段であれば、集会・デモを申し訳程度に小さく報道した後で、居丈高に市民を威嚇する安倍の肉声を垂れ流すNHKニュース。だがこの日はキャスターが谷垣自民党幹事長の発言内容を読み上げるのみで安倍の肉声も流さなかった。闘いに確信を持ち、ますます意気盛んな10万人の大デモ隊に、安倍も「安倍さまの犬HK」も恐れおののいている。

戦争法案は当初、お盆前にも成立が狙われていたが、市民の闘いで8月中の採決を阻止した。会期末まで1ヶ月を切っており、週末、「シルバーウィーク」の連休などを除くと、実質的な国会会期は約半月程度しかない。野党とその支持者だけでなく、公明党の支持母体、創価学会にまで広がった闘いは、戦争法案粉砕のゴールが見え始めるところまで安倍政権を追い詰めた。

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この集会の2日前、8月28日には札幌市で行われた「戦争法案反対フライデーアクション」に参加した。札幌では毎週金曜、このアクションが連続して行われている。北海道庁前でも毎週金曜日には、首相官邸前に呼応して反原発行動が行われており、この日は通算162回目の行動だった。

参加者は約200人。札幌市中心部・大通公園で集会後、若者たちの「戦争させない、憲法守れ」「解釈変えるな、総理を変えろ」「安倍は辞めろ」のコールに合わせてデモ行進した。デモ隊は、自民党北海道連前で解散すると、そのまま隣接する道庁前で反原発を訴えた。

「戦争法案反対フライデーアクション」に参加した女性グループ(2015.8.28 札幌市、大通公園)


「戦争法案反対フライデーアクション」でデモの先頭に立つ若者(2015.8.28 札幌市)


通算162回目となった北海道庁前金曜行動で反原発を訴える人たち(2015.8.18 札幌市、北海道庁前)

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北茨城市が公表した「甲状腺がん3人」は事実か?

2015-08-27 22:52:33 | 原発問題/一般
北茨城市甲状腺超音波検査事業の実施結果について(北茨城市公式サイト)

8月25日、茨城県北茨城市が発表した「北茨城市甲状腺超音波検査事業の実施結果について」が一部メディアでも報道されている。詳細はリンク先をご覧いただきたいが、平成26(2014)年度に北茨城市で甲状腺超音波(エコー)検査を受けた人は3,593人。このうち3人で甲状腺がんが確定したと発表されている。がん確定者を受診者数で割ると0.0008349人。1万人あたり約8.35人の割合で甲状腺がんが発生していることになる。報道されているように、これは福島県内の一部地域よりも高い割合だ。

北茨城市は、茨城県の太平洋沿岸北部にあり、福島県いわき市と接する。福島第1原発のある福島県浜通り地域に近いとはいえ、茨城県で、福島県内より高い割合で甲状腺がん患者が発生するなどということが、本当にあり得るのかという疑問を抱く人も多いに違いない。

だが、当ブログは、福島原発事故直後の北茨城市の状況から、その可能性は大いにあると考えている。そのように判断する根拠のひとつが、原発事故直後の各地の空間放射線量である。以下は、当時、NHK公式サイトに掲載されていた放射線量の推移を表すグラフ(放射線量のデータは、各自治体のものである)。すでにNHKサイトからは削除されているようなので、当ブログが保存しておいたものを示す。


福島市(福島県中通り) 2011.3.15~16に最高で約24μSv/hを記録


郡山市(福島県中通り) 2011.3.15~16に最高で約8μSv/hを記録


白河市(福島県中通り) 2011.3.15~16に最高で約8μSv/hを記録


いわき市(福島県浜通り) 2011.3.15~16に最高で約24μSv/hを記録


南相馬市(福島県浜通り) 2011.3.11~12に最高で約20μSv/hを記録


北茨城市(茨城県) 2011.3.15~16に最高で約16μSv/hを記録

この放射線量を見ると、北茨城市では、ピーク時には郡山市、白河市の2倍もの空間放射線量を記録していたことがわかる。とはいえ、モニタリングポストや簡易線量計は放射線の中でも飛距離の長いガンマ線を測定するものに過ぎない。甲状腺がんを引き起こすとされる放射性ヨウ素131もガンマ線を発する放射性物質であるものの、空間放射線量の測定結果だけでは、大気中に当時、飛散していたのが放射性ヨウ素131だと特定することはできないのである。

だが、このとき空間放射線量を急上昇させた原因に、別の面からある程度迫ることができる。大気中の放射性物質が風によって拡散することを考慮しなければならないとしても、空間放射線量がピークに達した後、急激に低下している事実から、このときの空間放射線量の急上昇が「半減期の短い核種」によるものであるとの推定が成り立つ。ガンマ線を放射する核種のうち、甲状腺がんを引き起こすとされる放射性ヨウ素131の半減期は8日。これに対し、同じくガンマ線核種である放射性セシウム134の半減期は約2年、放射性セシウム137に至っては半減期は約30年である。

このように考えると、福島原発事故による放射能の放出がピークを迎えた2011年3月15日から16日にかけて、各地で空間放射線量を急上昇させた「犯人」が放射性ヨウ素131である可能性は高いと考えられる。仮に当ブログのこの推定が正しければ、北茨城市に飛来した放射性ヨウ素131の量は郡山市や白河市の2倍近くに達していた可能性がある。北茨城市での甲状腺がん患者が、福島県内の比較的汚染の低い地域を上回る可能性は、決して否定できない。

以上は、当ブログによるあくまでも推定だが、傍証はある。「ストップ・ざ・もんじゅ」公式サイトに掲載されている『3月15日 東京を襲った「見えない雲」』と題する記事によれば、小出裕章助教ら京大原子炉実験所のグループが行った空気中の放射性物質分析の結果、東京都台東区では2011年3月15日の11:14~12:14の1時間に、放射性ヨウ素が1立方メートルあたり720ベクレル。これに対し、放射性セシウム134は110ベクレル、セシウム137は130ベクレル。つまり、放射性セシウム134、137を合計したものより3倍も多い量の放射性ヨウ素131が検出されていたのである。空間線量を上昇させた主因が放射性ヨウ素131であるとした当ブログの推定を、ある程度裏付けるデータである。

以上の結果から、北茨城市が発表したデータに不審な点はないと当ブログは判断する。北茨城市周辺にお住まいの方で、当ブログをご覧の方は、念のため甲状腺検査を受診することをお勧めする。

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検察審査会が2度目の「起訴相当」議決~東電3経営陣強制起訴へ 刑事訴訟で責任追及を

2015-08-25 21:34:23 | 原発問題/福島原発事故刑事訴訟
(当エントリは、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2015年9月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

<筆者より>
 本稿は、本誌第167号「東電元経営陣3名に「起訴相当」議決~福島原発告訴団、原発事故刑事責任追及へ前進」及び本誌第174号「東京地検、東電元経営陣3名を再び「不起訴」に~福島原発告訴団、証拠追加と新告訴で刑事責任追及強化」(いずれも拙稿)の続稿となるものである。ぜひ、167号、174号と併せて一読いただくことをお勧めする。

 7月31日、東京第5検察審査会は、東京電力の勝俣恒久元会長、武藤栄、武黒一郎の両元副社長の3人について、起訴すべきとする2回目の議決を公表した。昨年7月に続くもので、3人は今後、裁判所が指定する検察官役の弁護士により強制起訴される。

 2012年に、福島原発告訴団が勝俣元会長ら33人を業務上過失致死傷罪で福島地検に刑事告訴・告発した。2013年9月、検察は告訴・告発を福島地検から東京地検に移送し不起訴とした。その後、福島原発告訴団が東京電力旧経営陣6人に絞って検察審査会へ審査を申し立てたのに対し、東京第5検察審査会が2014年7月に、3人を「起訴相当」と議決。東京地検が「再捜査」の後、今年1月、再び不起訴としたため、検察審査会が再審査していた。

 司法制度改革の一環として、2009年に導入された強制起訴制度によるものだ。起訴相当は、11人の検察審査会委員のうち、3分の2以上に当たる8人が賛成しなければ出すことができない。1回目と2回目の審査は別の審査員が担当するので、22人の審査員のうち16人以上が東電を起訴し、責任を問うべきと判断したことになる。107名が死亡したJR福知山線脱線事故(2005年)に続いて、検察が免罪しようとした巨大企業犯罪の責任者を市民が再び刑事裁判に引きずり出した意義は大きい。

 議決が公表されたこの日はちょうど金曜日。強制起訴の一報は、首相官邸前で反原発の声を上げる市民にもすぐに伝わった。東京都杉並区の丸山暢久(のぶひさ)さんは、「東電元会長ら旧経営陣3人が強制起訴されることになったのは非常に良い。裁判の過程で責任の所在や原因を究明するのは最低限やるべきこと。その前に早く廃炉にしなくてはいけない」と議決を歓迎する声を上げた。

 この議決を受けて、福島原発告訴団は、武藤類子団長名で以下の声明を発表した。

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 ●起訴議決を受けての団長声明

 2015年7月31日
 福島原発告訴団 団長 武藤類子

 私たち福島原発告訴団が2012年に14,716人で行った告訴・告発事件について、東京第五検察審査会は本日7月31日、被疑者勝俣恒久、武黒一郎、武藤栄の3名について起訴議決としたことを発表し、3名は強制起訴されることとなりました。

 未だに11万人の避難者が自宅に戻ることができないでいるほどの甚大な被害を引き起こした原発事故。その刑事責任を問う裁判が開かれることを怒りと悲しみの中で切望してきた私たち被害者は、「ようやくここまで来た」という思いの中にいます。

 この間、東電が大津波を予見していながら対策を怠ってきた事実が、次々に明らかになってきています。これらの証拠の数々をもってすれば、元幹部らの罪は明らかです。国民の代表である検察審査会の審査員の方々は、検察庁が不起訴とした処分は間違いであったと断じ、きちんと罪を問うべきだと判断したのです。今後、刑事裁判の中で事故の真実が明らかにされ、正当な裁きが下されることと信じています。

 福島原発告訴団は、この事件のほかにも汚染水告発事件、2015年告訴事件によって原発事故の刑事責任を追及しています。事故を引き起こした者の刑事責任を問うことは、同じ悲劇が二度と繰り返されないよう未然に防ぐことや、私たちの命や健康が脅かされることなく当たり前に暮らす社会をつくることに繋がります。その実現のために、私たちは力を尽くしていきます。これからも変わらず暖かいご支援をどうぞ宜しくお願い致します。
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 ●万が一の津波にも備えよ

 そもそも、政府の地震調査研究推進本部(推本)の津波試算結果や「福島県沖で大地震が発生する恐れが否定できない」とする大学教授の指摘に基づいて、東電は2008年、明治三陸地震並みの津波が福島県沖で発生した場合に、福島原発敷地で最大15.7メートルの高さになる恐れがあるとの試算をまとめていた。福島第1原発タービン建屋は高さ10メートルであり、予想通りの津波が襲来した場合、タービン建屋を大きく超える。これとは別に、非常用海水ポンプが水没するとの推定も2009年には東電社内でとりまとめられていた。こうした試算結果が具体的な社内資料として、東電幹部の間で広く共有されていたという事実もある。

 議決はこうした事実に基づいて、試算結果を「原子力発電に携わる者としては絶対に無視することができないもの」とした。「放射能が人体に及ぼす多大なる悪影響は、人類の種の保存にも危険を及ぼす」と健康被害にも言及。原子力発電に関わる責任ある地位にある者」であれば「万が一にも重大で過酷な原発事故を発生させてはならず…備えておかなければならない高度な注意義務」があるとした。東電には具体的な津波の予見可能性があったこと、津波対策を検討している間だけでも福島第1原発の運転停止を含めた結果回避措置を講じるべきだったと結論づけた。

 その上で、東電の3人の責任者について「適正な法的評価を下すべき」として、起訴相当と議決した。

 検察審査会はまた、武藤副社長が推本の評価を無視していた事実を指摘。事故当時の東電が「原子力発電所の安全対策よりもコストを優先する判断を行っていた」と、東電の「命よりカネ」の企業体質を厳しく批判した。

 今回、新たに判明した事実もある。東電設計がまとめた最大13.6メートルの津波予測を、東電が2008年に受け取っていたのである。国の調査機関である推本のデータもグループ会社である東電設計のデータも、自分たちにとって都合が悪ければ無視――議決書からは、そんな東電の傲慢な企業体質が見える。

 ●市民による厳しい「専門家」検察批判

 検察は、審査会の1回目の起訴相当議決の後も、東電を免罪するための証拠ばかり収集する不当な「再捜査」を行い、言い訳を並べ立てて不起訴とした。審査会は、こうした検察の姿勢についても「何の説得力も感じられない」「事柄の重大さを忘れた、誤った考えに基づくもの」と厳しく批判。改めて、原子力ムラの代理人と化した検察の姿が浮き彫りになった。

 事実だけを淡々と見つめ、東電の刑事責任を問うべきと判断した市民に対し、はじめに「東電免罪」の結論ありきであった検察。福島原発事故を巡って、「専門家」は126人(疑い含む)もの甲状腺がん患者が発生した今なお「放射能による健康被害ではない」などと非科学的言辞を繰り返す。そのたびに「自称専門家」は市民の厳しい批判を受け、権威を失墜させていく。放射能の健康影響を巡って繰り返されてきた「専門家」と市民との厳しい対立が、法律の世界にも飛び火したかに見える。3.11以来、今日までの4年半の中で、「専門家」と市民のどちらが正しかったかは今さら繰り返すまでもない。

 ●有罪の可能性は?

 「識者」の多くは、強制起訴の先行例であるJR福知山線脱線事故を巡る3社長の裁判などで相次いで無罪判決が出されていることを根拠に「有罪は困難」との見方が強い。しかし、当コラム筆者の見方は異なる。

 そもそも、JR福知山線脱線事故の裁判では事故の「予見可能性」が大きな争点となった。JR西日本が速度照査型ATS(自動列車停止装置)を事故現場のカーブに設置しておかなかったことが、直接に事故原因となったかが検証された。当コラム筆者は、速度照査型ATSが現場にあれば制限速度を50kmも上回るような極端な速度超過は起こり得ず、転覆脱線という結果は回避できたと考えるが、裁判官はその可能性を否定した。

 だが今回は、東電が適切な津波回避対策を取らなかったことと事故との直接的因果関係を強く推認させる証拠は、すでに福島原発告訴団によって多く提出されている。前述した推本や東電設計による津波予測を東電が無視し、不採用としていく経緯を示した証拠はその典型だろう。検察は最後まで東電の強制捜査を行わないままこの日を迎えたが、福島原発告訴団が揃えた証拠を概観すれば、有罪を立証するための強制捜査などすでに不要なレベルにも思える。裁判官が不当配転や退官後の天下りさえ気にしなければ、有罪は十分あり得ると考える(過去には、原発訴訟で原発は「安全」だとして電力会社勝訴の判決を書いた後、原発メーカー・東芝に天下りした味村治裁判官の例もある)。

 今年4月の福井地裁による高浜原発3・4号機運転差し止め仮処分決定に続き、今回の強制起訴は政府・電力会社と原発推進勢力に打撃を与えた。国策として原発を推進しておきながら、政府は事故が起きても守ってくれず、自分たちが被疑者として法廷で責任を追及されるとなれば、電力会社の中に再稼働をためらう動きが出る可能性もある。市民と被災者の闘いが原発廃炉への道を切り開いている。

 すべての民事訴訟と強制起訴裁判、反原発の闘いを結び、東電の責任追及、事故の真相究明とともに全原発廃炉を実現しなければならない。

(黒鉄好・2015年8月25日)

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臨時運転としても最後のブルトレ「北斗星」を見送る

2015-08-22 20:03:44 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
「北斗星」が完全引退=最後のブルトレ、1500人見送る-北海道(時事)

このところ、またしばらく鉄らしい活動ができていなかった当ブログだが、今日は特段所用もないこともあって、北斗星を見送ってきた。サムネイル写真は、千歳線美々駅で撮影した最後の「北斗星」だ。普段は静かな美々駅にも40人弱が集まっていた。

これで、日本に残る寝台特急は「カシオペア」「サンライズ出雲・瀬戸」のみとなったが、いずれもすでに車体色は青ではない。「サンライズ」に至っては客車方式ですらない。青函を結ぶ「はまなす」は青い車体で残るが種別は急行で、特急ではなく、おまけにブルートレインの要件である「全車寝台車」にも該当しない。これで本当にブルートレインの歴史も終わったのだと思うと、感慨深い。

青函トンネル開通に伴う1988年の運転開始から現在まで、一貫して寝台券は「プラチナチケット」だった。この間、何度もチャレンジしたがまったく取れなかった。昨年秋までは、それでも何度もチケット確保にチャレンジしたがダメだったので、代わりに新幹線「はやぶさ」のグランクラスに乗ったら、それをきっかけに諦めがつき、乗りたいという意欲もなくなった(あるものが満たされないとき、別の似たもので満足するのを心理学で「代償」と呼ぶ)。「北斗星」にも「トワイライト」にも、私はついに一度も乗らずに終わってしまったが、グランクラスに乗ったことで、北斗星、トワイライトの「代償」になったらしく、悔やむ気持ちは全くない。

なお、北斗星の動画を見たい方は、2013年7月21日に南千歳で当ブログ管理人が撮影したものがある。以下からご覧いただける。

130721寝台特急北斗星(南千歳)

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第97回(2015年)夏の高校野球を振り返って

2015-08-21 23:55:29 | 芸能・スポーツ
第97回夏の全国高校野球は、東海大相模(神奈川)の45年ぶり2回目の優勝で幕を閉じた。45年前(1970年)の優勝時、東海大相模の監督は原貢さん。いうまでもなく、原辰徳・巨人監督の父である。改めて45年という歴史の重みを感じる。

高校野球が始まって今年は100年の、記念ではないが節目の年。それなのに今年が第100回大会でないのは、太平洋戦争中の1943(昭和18)~1945(昭和20)年までの3年間、大会が中止に追い込まれたからである。1943年度に入学した生徒たちは、在学中、一度も野球ができないまま卒業しなければならなかった。戦後70年の節目でもある今年、改めて野球ができるほど平和であることに感謝するとともに、安倍政権の「戦争法制」を阻止しなければならないと思う。学生たちが白球ではなく黒光りする武器を持ち、甲子園の土の上ではなく遠い異国の土の上を行進しなければならなかった、あの時代を繰り返さないために。

今年の大会を一言で形容すれば、人気も実力も話題性も、すべて関東勢が独占した大会だった。特に早実(西東京)の清宮幸太郎は、まだ1年生ながら大物の予感を大いに感じさせ、ブームの様相すら呈した。1人の選手を巡ってここまでフィーバーが起きたのは、ハンカチ王子こと斎藤佑樹(早実→日本ハム)以来だろう。その斎藤が、プロ入り後は全く精彩を欠き、日本ハムでお荷物的存在になりつつあることを考えると、清宮には今後の頑張り次第で先輩を超える可能性は十分にある。ただ、斉藤がプロ入り後に精彩を欠くことになった最大の原因が、必要以上に彼をちやほやし、フィーバーを起こした周囲にあるだけに、清宮には斉藤先輩の轍を絶対に踏まないでほしいと思う。

例によって、個別の試合を取り上げて論評する余裕が当ブログにはないが、大会全体を概観すると、

(1)例年以上に「東高西低」が際立っていた
(2)打撃戦がほとんどを占め、ロースコアの投手戦がほとんどなかったものの、極端なワンサイドゲームも少なく熱戦が多かった
(3)失策があまりに多く、当ブログの我慢の限界をはるかに超えていた

――等が、今大会の特徴として挙げられる。

(1)に関して言えば、ベスト16のうち関東勢は早実、東海大甲府(山梨)、花咲徳栄(埼玉)、東海大相模、作新学院(栃木)、健大高崎(群馬)、関東第一(東東京)と7校。これに鶴岡東(山形)、秋田商(秋田)、仙台育英(宮城)、花巻東(岩手)の東北勢4校を含めると、16校中11校を関東・東北勢で占めた。

特に、一昨年4強入りした日大山形、昨年16強入りした山形中央に続き、今大会も鶴岡東が16強入りした山形県勢の躍進には目を見張るものがある。山形県民にとっては、1985年の大会で、東海大山形がPL学園(大阪)に29-7で敗れた後、「我が県勢はなぜこんなに弱いのか」と県議会で取り上げられるほどだった。それから30年かかったが、かつては「初戦敗退常連県」だった山形県勢が4強1回を含め、3年連続16強以上というのは驚くべき躍進だ。しかも、同じ学校ではなく、3年続けて別の学校が出場しながらすべて16強以上という結果は「山形野球」の底上げを物語る。当ブログは、誤解を恐れずあえて断言しよう――「全体として強くなった東北野球の中でも、最も強くなったのは山形県勢である」と。

準々決勝(8強)段階でも、早実、花咲徳栄、東海大相模、関東第一、仙台育英、秋田商の関東勢4校、東北勢2校が残った(残る2校は九州国際大付(福岡)、興南(沖縄)の九州勢)。準決勝は関東勢3校、東北勢1校。今大会が、例年にも増して関東・東北勢中心の大会だったことに異論はないと思う。

関東・東北勢優位があまりに極端だったせいか、毎日新聞(参考記事:夏の甲子園:「打高投低」「東高西低」が顕著に)や、夕刊紙「日刊ゲンダイ」(参考記事:様変わりした甲子園勢力図 「東高西低」はいつから、なぜ?)などのメディアが相次いで「東高西低」問題を取り上げた。だが、一昨年(過去記事)、昨年(過去記事)とすでに「東高西低」を指摘している当ブログから見れば「今さら」感は拭えない。

(2)に関しては、ほとんどの試合が打撃戦だったが、追いつき追い越し、追い越されのシーソーゲームも多く、観客を飽きさせない実力伯仲の大会を象徴していた。

そして(3)だが、この問題を当ブログは過去にも指摘している。守備より打撃を優先させる野球であってもかまわないが、今大会で無失策試合は大会3日目、1回戦の敦賀気比(福井)-明徳義塾(高知)戦と、大会9日目、2回戦の鳥羽(京都)-津商(三重)戦のわずか2試合のみ。これ以外のすべての試合でエラーが記録され、中には記録に残るだけで1試合3失策以上の学校もかなりあった。

今大会は、特に打撃に関して言えば、各出場校の間に大きな差はなかったように思う。どのチームもビッグイニングを作る力があり、やや極端な言い方をすれば、初戦で敗退した学校も優勝した東海大相模も、こと打撃に関する限り、差はあっても紙一重に過ぎなかったのではないか。

打撃力に大きな差がないだけに、通常であれば試合の行方を決めるのは打撃力以外の部分(守備力、投手力)となる。先にエラーをしたチームから順に敗退し、甲子園を去るのが通例だが、今年はデータを見る限り、両チームともエラーが多いため、エラーが勝敗の行方に決定的影響を与えない試合も多かったように思う。相手より多くのエラーが記録されながら勝っている学校も多く、「エラーで失点しても、それ以上に打って取り返し、勝つ」というメジャーリーグ並みの試合をするチームが例年にも増して多かった。

そんな中、エラーの多かった今大会を象徴していたのが、大会4日目の第1試合、初出場の津商を相手に初戦敗退した智弁和歌山だろう。記録に残るだけで実に7失策を喫し、「長い監督生活の中でも、生徒たちがこんなにエラーをするのを見たことがない」と監督みずから声を絞り出さなければならないほど壊滅的な守備の崩壊だった。「エラーで失点しても打って取り返す」がいくら今大会の趨勢とはいえ、これほどの守備崩壊では取り返しようもない。対戦相手の津商も3失策。両校合わせて2ケタ失策という締まりのない試合こそ、今大会の象徴だった。

これまでの当ブログであれば、「守備力の強化が今後の課題。打撃ばかりでなくもっと守備練習を」と苦言を呈していたことだろう。しかし、毎年のように同じことを指摘しなければならないとすれば、それは日本の高校野球の質が以前と変わってきていることの現れかもしれない。多くの高校野球指導者がそうしたスタイルを容認し、問題とも思っていないのだとすれば、単に当ブログ管理人の頭が「古い」だけであり、ひょっとすると意識を変えなければならないのは当ブログのほうなのかもしれない。したがって、今回はそのような指摘はやめる代わりに、このような状況が長く続けば、日本のプロ野球が10年後、メジャーのような方向に大きく「様変わり」する可能性に触れるにとどめたい。

最後に、決勝戦で散った仙台育英についてひと言触れておこう。東北勢初の優勝はまたも決勝戦の厚い壁に跳ね返された。東北勢の準優勝は、春の選抜を含めこれで実に11回目という。東北の高校野球ファンにしてみれば、準優勝はもう見飽きた、そろそろ優勝が見たいという気持ちだろう。だが、当ブログの見るところ、今大会の仙台育英よりも、2年連続準優勝を成し遂げた2011~2012年の光星学院(青森、現在の八戸学院光星)のほうが強かったように思う。

何人かのインターネット民が指摘しているように、東北勢は「東北勢初優勝の重荷」を背負いすぎているのではないか。特に、東北勢の中でも激戦区である宮城、岩手県勢には、被災地という事情もあり大きな重圧がかかっているように感じる。優勝なんてできなくてもいいし、「復興のために懸命に頑張っている地元の人たちへの恩返し」のような余計なことは考えず、元気に、のびのびと自分たちの野球をやりきるという姿勢に徹したほうがいいように思う。こんな言い方をするのは大変失礼だが、東北勢初優勝は、案外、期待されてもいないような意外な学校(山形県勢や秋田県勢の、例えば初出場校)によって達成されるのではないかという気が、最近はしてきた。

今ではすっかり国民的行事として定着した高校野球だが、元々は教育活動としての部活動に過ぎない。優勝はたしかに尊いが、それだけが目標であってはならない。前述したように、30年前は初戦敗退常連県だった山形県勢が3年連続16強以上となるなど、細かいところまで検証すると、この間、成果ははっきり見えている。少なくとも、東北勢優勝の可能性は、この間退潮の著しい九州勢や四国勢よりは高いと考えて良いだろう。閉会式で奥島高野連副会長が「東北勢の全国制覇は近い。そう思わせる準優勝でした」と総括したように、遅かれ早かれその日は訪れる。トンネルは長ければ長いほど、抜けたときの明るさも喜びもひとしおである。そのように前向きに考え、次の機会を焦らず騒がず粘り強く待つことにして、当ブログ恒例の大会講評を締めくくりたい。

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迷走していた野党にかすかな光が見えてきた?

2015-08-14 22:16:10 | その他社会・時事
8月10日、NHKが報道した内閣支持・不支持と政党支持率に関する世論調査は、当ブログにとって久しぶりに興味深い結果となった。安倍政権に関しては不支持が支持を上回っており、現時点で驚きはなく、むしろ興味深いのは政党支持率である(サムネイル画像=NHKのテレビ報道)。

「戦争法制」の影響で、与党の自民、公明が下げるのは当然としても、これまで、与党から離れた世論は「支持政党なし(特になし)」に向かい、野党支持率が上昇することはなかった。国会議員の選挙は「椅子取りゲーム」だから、与党の支持率がどんなに低くても、野党支持がそれ以下であれば「相対的に」与党はいつでも選挙に勝つことができる。実際、2014年総選挙は安倍政権の不支持が支持を上回る中で行われたが、それでも、ふがいない野党に助けられる形で自公は衆院の3分の2維持に成功した。自民党の支持率はこのところ30%台が続いているが、55年体制当時もこの程度だったこと、小選挙区制で少数野党が分立し、選挙協力もできない現状にあることを踏まえると、この程度で十分である。

当ブログはこの間、継続的に世論調査を見てきたが、最大野党の民主党はじめ、野党はすべてひと桁台の支持率が続いてきた。民主党は2012年に政権から転落して以降、支持率が2桁台に乗ったことは一度もなかった。それが今回、一気に3.2%も支持率を上昇させ、10.9%と、政権崩壊以降では初めて2桁台に乗ったのである。

この間、民主党に支持率を底上げさせるような重要な変化があったのか、なかったのか。実はあった。民主党が、安倍政権と闘う姿勢を明確にしたことである。かつての社会党のような「反対野党、抵抗野党」として、急激に「左カーブ」を切ったことが支持率上昇の理由である。

民主党が「原理主義者」の岡田氏を再び代表に就け、安倍政権の「解釈改憲による9条解体」「憲法、立憲主義破壊」に反対姿勢を強めるにつれ、民主党内で明らかな主役交代が起こった。細野豪志・政調会長や前原誠司氏のような「対案提示、政権交代指向」型のメンバーが表舞台から消え、代わって辻元清美、蓮舫、白真勲各氏のように、かつての社会党を思わせる「反対、抵抗、追及」型のメンバーが台頭してきたのである。

対案提示、政権交代指向型のメンバーを中心に党運営、国会審議をしていた頃の民主党の支持率が全く上向かなかったにもかかわらず、「反対、抵抗、追及」型の国会運営をするようになった途端に支持率が上昇したことは大変興味深いものがあると同時に、国民が民主党に何を期待しているかをも浮き彫りにした。平たく言えば、民主党に期待されているのは政権交代ではなく、自公政権を厳しく追及し、暴走にストップをかける役割である。つまり、55年体制下の社会党と同じ役割が期待されているのである。

55年体制下では、野党第1党(社会党)に期待が集まっているときはそのひとり勝ち、批判・不満が集まっているときはそのひとり負けとなり、代わって自民党と共産党が伸びる、ということが繰り返されてきた。(第○○回総選挙、という形で)具体的な例を挙げて論証する時間的余裕が現在、当ブログにはないが、55年体制下の日本で、総選挙の勝敗の鍵を与党ではなく野党第1党が握っていたことは常識だった。つまり、ここ数年来の衆参両院の選挙における「自民が不人気なのに連勝」「特段の理由が見当たらないのに共産党が連続躍進」といった現象は、野党第1党(民主党)の不人気によってもたらされていたのである。それが、ここに来て民主党支持率が2桁の大台を超えたことで、この流れが大きく変わる可能性が出てきた。

多くの「識者」が、55年体制は崩壊したと主張する中で、当ブログはそれに対し異議を唱えてきた。当ブログの過去記事でも、55年体制は再評価すべきと訴えてきたが、どうやらそれは世間でもかなり「異端」に属するようだ。少なくとも、55年体制を評価し、その復活を望んでいる識者は当ブログの知る限り、内田樹さんくらいのものであろう。

旧社会党が実質的に崩壊して以降、日本では有権者の大きな部分を占めるリベラル勢力の受け皿が全くない状態が続いてきた。旧社会党を支持していたような「自民でも共産でもない層」の中には、もうずいぶん長い間投票所に足を運んでいない人もいるのではないか(極端に言えば、子どもが生まれてから成人するまで一度も投票に行っていない、という人すらこの層の中にかなりいるのではないかというのが当ブログのおおよその推測である)。日本の政治の劣化は、この層の受け皿がないことと表裏一体の形で進行してきた。もしかすると、ここ最近の民主党の急激な「左カーブ」が、長く続いた日本政治の混迷に終止符を打つことになるかもしれない――当ブログが望んできた通りの、野党第1党が社会党から民主党へ装いを新たにした、事実上の55年体制復活という形で。

それは、事実上民主党を「万年野党」に固定化するとともに、政権交代の可能性を捨てること、新たな自民1党支配時代の幕が開くことを意味する。でもそれでいいと当ブログは思う。経産省を若くして退官した宇佐見典也氏が、朝日新聞のインタビューで「僕の経産省同期は40人いたのですが、残っているのは20~25人くらい。民主党政権の誕生前後にけっこう辞めました」と述べているように、日本の中央官僚は自民党政権でなければ仕事ができないタイプが多い。彼らは、自分が自民党以外の政権に仕える日が来るなどと露ほども思っていない。あまりに長すぎた自民1党支配は、結局、日本を政権交代が不可能な政治システムに追い込んでしまったのである。

共産党がみずからの意思で解散を選ぶまでソ連が存続し続けたように、自民党も、みずからの意思で解散を選ばない限り、与党として半永久的に君臨し続けるであろう。民主党は自民党にすり寄って対案路線を目指したところで、「それなら60年の政権与党経験がある自民党でいい」と言われるだけで、自民党に取って代わることは不可能だろう。求められているのはリベラル勢力を結集し、自民党政権が暴走しないよう、しっかりと監視、批判、追及する勢力である。どのみち政権には就かないのだから、「対案なき反対路線」で全く問題はない。

このように考えると、やはり民主党は旧社会党を目指すべきである。55年体制は戦後日本が生んだ最も優れた政治体制であり、その政治的基盤も崩壊していない以上、そこに戻る以外に日本政治の再生の道はない、とする当ブログの過去の結論を変更する必要はないように思う。

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【安全問題研究会コメント】日航機墜落事故から30年~空の安全をより高め、未来に引き継ぐために~

2015-08-12 20:08:34 | 鉄道・公共交通/安全問題
1.単独機の死亡事故としては世界の航空史上最悪となった1985年8月12日の日本航空123便旅客機墜落事故から30年の節目の日を迎えた。安全問題研究会は、亡くなられた520名の乗客・乗務員に改めて深く哀悼の意を表する。

2.御巣鷹の悲劇から30年の間に、日本と世界の空を取り巻く情勢は大きく変わった。日本航空は、事故当時の半官半民の国策会社、ナショナルフラッグから完全民営化された。JAS(日本エアシステム)との統合に見られる無理な拡大戦略を採り続け、2010年には経営破たんした。この過程で、会社に批判的な労働者を中心に165名の不当解雇が起きた。

3.スカイマークなど「第3極」として誕生した新規航空会社は、日本の空の寡占状態に風穴を開けたが、公共交通での競争政策の激化は多くのトラブルも生み出した。スカイマークは経営破たんし、全日空との経営統合により再建を目指すことになった。日本の空は、一部のLCC(格安航空会社)を除き、かつての2強による寡占時代に還りつつあるかに見える。

4.安全問題に目を転じると、この間、ボンバルディア製航空機や、B787型機による相次ぐ重大トラブル(発煙など)が発生した。これらの機体はいずれも、経費削減など経済優先思想の下に開発されたという特徴を持っており、こうした経済優先の航空政策や技術開発が安全に重大な影響を与える例が近年特に目立っている。

5.一方、この日航機墜落事故を最後に、30年間、日本国内で営業飛行における航空機の墜落事故がなく、また乗客にひとりの死亡者も出さずこの日を迎えられたことは、当研究会にとって大きな喜びである。これは、御巣鷹の教訓からしっかりと学び、各現場で奮闘してきた航空労働者が達成した偉業であり、当研究会は、日本国内におけるすべての航空労働者に最大級の謝意を表明する。

6.当研究会は、30年間、片時もこの事故のことが頭から離れることがなかった。80年代後半から90年代は、主として運輸省航空機事故調査委員会(当時)が発表した報告書の分析や文献調査を中心にこの事故の真相究明に取り組んできた。2000年代に入り、ボイスレコーダーの音声が流出して以降は、乗務員の会話の聴き取りや書き下ろし、また事故現場である「慰霊の園」への訪問などを行ってきた。30年もの長きにわたってこのような活動を続ける原動力となったのは、人生を最も悲劇的な形で断ち切られ、理不尽な最期を迎えなければならなかった犠牲者に少しでも報いたいとの思いであり、また事故調が発表した報告書への疑問と怒りであった。

7.節目の今年も、当研究会は現場となった御巣鷹の尾根への慰霊登山を行った。520人の悲しみをたたえた山は、30年の歳月を経てもなお鎮まることなく、慰霊登山を行うすべての人に安全とは何か、私たち全員がこれからの時代をどのように生きるべきかを問いかけている。この問いかけに答えることこそ、犠牲者と同時代を生き、悲劇を次の世代に継承する使命を背負った私たちの責務である。

8.最近では、鉄道や高速バスなど公共交通事故の遺族や関係者のみならず、エレベータ事故の遺族や東日本大震災の関係者などが、険しい登山道を相次いで上り、御巣鷹の尾根を目指している。当研究会が慰霊登山を行った当日には日本航空の客室乗務員の姿もあった。被害者・加害者の立場を超え、社会の安全のために行動する人々をひとつに結びつける存在として、御巣鷹の尾根は今、不可欠の場所となっている。

9.私たちの果たすべき課題は多く残されている。この事故の風化、幕引きを許さず、引き続きその真相究明と情報公開を政府に求めていくことが必要である。同時に、高齢化した遺族に寄り添い、遺族との共同の中から事故を次の世代に向け継承するための活動を強化することである。市民と航空労働者の奮闘で築いた「日本国内での30年間墜落ゼロ、乗客死者ゼロ」を今後も永遠の目標として続けていくことは、何にも増して重要な課題である。

10.当研究会は、こうした課題を達成するため、今後も全力を尽くす決意である。

 2015年8月12日
 安全問題研究会

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サムネイル写真=当ブログ管理人の自宅の本棚

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国民の大多数が反対する中、川内原発が再稼働

2015-08-11 23:27:49 | 原発問題/一般
川内1号機が再稼働=新規制基準で初―「原発ゼロ」終わる・九電(時事)

8.10 現地報告 : 川内原発ゲートの真ん前に私たちは立っていた(レイバーネット日本)

多くの国民が原発即時廃炉を願い、再稼働に強く反対する中、九州電力川内原発1号機が11日に再稼働した。当ブログは、3.11を福島で過ごした者として、原発再稼働に強く反対してきたし、原発に賛成する者はたとえ親族でも敵と見なすと、再三にわたって警告してきた。警告を無視し、東日本大震災と原発事故の起きた「11日」に原発を再稼働した九州電力に対し、満身の怒りを込めて抗議する。

当ブログを日常的に巡回し、原発問題にも関心を持っている多くの読者の方は、原子力規制委員会が定める新「規制基準」なるものが、およそ「安全基準」の名に値しないことなどとっくにご承知であろう。田中俊一・原子力規制委員長みずから「安全とは申し上げない」と宣言した規制基準、国際原子力推進マフィアの総本山であるIAEA(国際原子力機関)からさえも指弾されるような世界「最低水準」の安全基準など、当ブログとしては論評にも値しない。

3.11前と同じように、彼ら「原子力ムラ」の言動はすべてがウソ、ごまかし、はぐらかしに満ちている。3.11以前には「建前」として、一応は維持してきた「安全神話」も崩壊した今、彼らのできることは事故が起きることを前提として、できるだけ被害を(彼らの言うところの)「最小限」に抑えることくらいだろう。

とはいえ、避難計画すら不十分なまま原発再稼働を容認する連中に期待などしてはならない。彼らのいう「最小限」とは、事故の被害を最小限に「食い止める」ことではなく、最小限である「ように見せる」ことだ。福島の事故から「学んだ」彼らは、遠くない将来起きるであろう2度目の原発事故では見事にこの仕事をやり遂げるであろう――ウソ、デマ、ごまかし、隠蔽、はぐらかしによって。

原子力ムラの言うがままに再稼働に同意した鹿児島県、薩摩川内市の「推進派」諸君に警告しておこう。次に起こるであろう原発事故では、福島では避難区域になった事故原発から20km圏内ですら避難対象とはされないであろう。避難者は原発事故の象徴的存在であり、目に見えない放射能被害を「可視化」してくれるほぼ唯一の存在だ。だからこそ国や福島県は、どんなに汚い手を使ってでも避難者を潰しにかかったのである。しかし、最終的に避難者を抹殺することは彼らにはできなかった。この経験に「学んだ」国・自治体は、次の原発事故では「初めから避難者を生まない」ことを至上命題とするであろう。規制委員長みずから安全性を否定するような「基準」での原発再稼働が意味するもの――それはずばりこういうことだ。「原発事故はまた起きるであろうが、命より大事なカネには代えられない。事故が起きたら、キミたちには死んでほしい」。

これが、原発推進派、命よりカネの経済界、そして安倍政権に連なるろくでなしどもの本音である。このような非人間的な社会から日本の市民が解放されたいと願うなら、対話の通じない彼らを叩き潰すしかない。そしてそれが私たちの使命である。

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【管理人よりお知らせ】安全問題研究会が行った御巣鷹山慰霊登山の報告をアップしました

2015-08-09 23:27:07 | 鉄道・公共交通/安全問題
管理人よりお知らせです。

8月3日、安全問題研究会が行った「御巣鷹の尾根」慰霊登山の模様を、安全問題研究会サイト(こちら)にアップしました。

当初は当ブログの記事としてアップする予定でしたが、写真の枚数があまりに多く、手間がかかるため、申し訳ありませんがリンク先の安全問題研究会サイトでご覧ください。

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原発「母子避難」の背景に福島県の県民性??

2015-08-07 23:26:45 | 原発問題/一般
読売テレビ系で、毎週木曜夜9時から放送されている「秘密のケンミンSHOW」という番組がある。これだけ長く放送が続いているということは人気番組なのだろう。ご存じの方も多いと思うが、みのもんたと久本雅美が司会を務め、各都道府県の独特の文化・習慣などを紹介していくというものだ。当ブログ管理人の家でも、他によほど面白い番組と重ならない限り、木曜日の夜9時はたいていこの番組を観ている。東京一郎・はるみ夫妻が、全国を転勤しながら各都道府県の独特の文化・習慣に触れる「全国転勤ドラマ 辞令は突然に」というコーナーも、全国転勤族の私にとって他人事とは思えない。

先日、8月6日の放送では、「全国転勤ドラマ 辞令は突然に」コーナーも終了間際になって「全国驚愕の習慣BEST3」の栄えある第1位として「福島県民の会議における行動」が取り上げられた。概略は番組公式サイトに記述があるが、要約すると次のとおり。

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全国驚愕の習慣BEST3 第1位 福島県 「会議で積極的に発言しない!?」

福島県では、会議などでも進行役の話をだまって頷きながら聞き、最後まで発言しないというのは当たり前!? 何か意見があれば、会議が終わったあとでこっそりと担当に伝えるのが福島流なのだという。
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実際の番組では、全国転勤族のため地元の流儀を知らない京一郎が、福島県内の企業の会議で「何か意見はありませんか」という司会者の発言を文字通りに受け取り、「はい!」と元気に挙手、起立。その瞬間、隣にいた上司とおぼしき人物が渋い顔をしながら、京一郎の衣服を手でつかみ、まだ何も発言しないうちから座らせてしまうシーンが映し出された。

これ以外にも、番組公式サイトには掲載されていないが、福島県の離職率が4%台で全国47位(つまり最下位)であることも紹介された。福島県民は我慢強く、どんなことがあっても会社を辞めないのだという。

これを観て、ああ、なるほどね、と当ブログ管理人は納得した。福島にいた6年間、職場の会議はいざ知らず、反原発運動の市民団体にいくつか関わる中で、会議で決まったはずの結論が、参加者のあずかり知らないところでいつの間にか覆されていることは日常茶飯事だった。誰が何に対してどのように決定権を持っているのかわからないまま、参加者が自分の言いたいことだけを一方的に主張して終わる「会議」もたびたび見てきた。

一見すれば制御不能で、会議が形骸化しているように見えながら、決定自体はどこかの誰かの手によって行われている。決して表に出てくることのない「実力者」によって地域社会全体を覆う「空気」(「福島を捨てて避難するものは裏切り者だ」がその典型例)が作られ、この空気に逆らう者は弁明の機会も与えられないまま抹殺される――よそ者には一見不可解な福島での様々な出来事の背景が、この番組で少しだけ見えた気がする。やや極端な言い方をすれば、福島では「会議室にいない者」こそが真の実力者なのだ。

離職率が4%で全国最下位というのも、平時であれば生活の安定につながり悪いことではない。しかし、3.11以降はこうした県民性が、結果として多くの母子避難者を生み出してしまったように当ブログには思える。すでに原発事故から4年を過ぎたが、福島に残って働く父親がいつまでも転職して母子と一緒に暮らす決意をできないでいることも母子避難の背景のひとつにある。厳しい言い方になるが、「父親の仕事には代わりはあっても子どもの健康には代わりはない」のだから、この問題は本来、一家の稼ぎ手の父親がそのことを理解できるかどうかにかかっている。

しかし現実はそうなっていない。政府与党が、2017年3月限りで「自主」避難者に対する住宅支援の打ち切りを狙う中で、「勝手に避難しながら税金から支援を求める者は自分勝手だ」という非難を、何の罪もない母親ばかりが背負う状況が続いている。原発事故がもし福島でなかったら、「自分が転職して母子とともに避難先で新しい生活を築こう」という決意のできる父親がもっと多かったかもしれないと思うと、やるせないものを感じる。

福島を「復興」させるにしても、意味ある除染や避難者への支援を勝ち取るにしても、福島の多くの男性が「会議室では発言せず、陰でコソコソとボスにお伺いを立てる」「現状にしがみつき、今とは別の世界=オルタナティブを創る意思も気概もない」状況で実現などするはずがない。政府・東電に舐められたくなかったら、福島の男性が現状を打破し、新しい福島を1から作り直すくらいの気概を持たなければならない。

これは別に批判ではない。原発事故の影響を完全に除去でき、子どもたちが3.11前のように、病気におびえることなく暮らせる福島が蘇る道があるとしたら、その道をひとりでも多くの県民が、少しでも早く通れるようにするために、よそ者があえて贈る「苦言」である。

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