安全問題研究会~鉄道を中心に公共交通と安全を考える~(旧「人生チャレンジ20000km」)

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【速報】太平洋沿岸に大津波警報発令 最大3mも

2010-02-28 09:48:20 | 気象・地震
大津波・津波警報(気象庁)

チリ地震の影響で、大津波・津波警報が発令された。大津波警報の発令は、北海道・奥尻島が大被害を受けた北海道南西沖地震(1993年7月)以来17年ぶりだ。

今回の津波は、三陸地方を中心に、日本国内で140人以上の死者・行方不明者を出した1960年チリ地震津波以来の被害となる恐れがある。海岸線の地形によっては5~6m近くに達する可能性もあり、海岸線の方は、今すぐ高台に避難してほしい。

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【速報】チリでM8.8の大地震 日本にも津波到達の恐れ

2010-02-27 22:51:08 | 気象・地震
2010年2月27日15時34分頃にチリ中部沿岸で発生した地震について(気象庁報道発表)

チリ近海で日本時間27日午後3時半頃、M8.8という巨大地震が発生した。マグニチュードが1上がると地震のエネルギーは約36倍だから、M7.9だった阪神大震災の約30倍はある巨大地震ということになる。

当然、この規模の地震となれば、日本沿岸まで津波が到達する可能性は極めて高い。この季節だからまさか海水浴などしている人はいないと思うが、明日いっぱいは沿岸でのサーフィン、釣りなどは絶対に控えて欲しい。

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チリ地震津波、日本へ28日13時過ぎ 1メートル程度(朝日新聞)

 南米チリ沿岸で発生した巨大地震で、気象庁は27日午後7時、記者会見を開いた。日本への津波は28日午後1時過ぎに小笠原諸島や北海道・根室に達した後、同日午後4時ごろまでに太平洋沿岸の全域に到達するとみられるという。マグニチュードをもとにした現時点の計算では、津波の高さは警報発表の基準となる高さ約1メートル前後になると予想される。

 ただ、遠方で発生した地震のため詳細な予測はできていない。同庁は今後、28日午前6時ごろに津波の到達が予想されるハワイ島の観測データなどをもとに日本への到達の2時間前には警報や注意報を発表するとしている。

 チリ沿岸では1960年にマグニチュード9・5の地震が発生。発生翌日に日本の太平洋沿岸にも1~4メートル程度の津波が到達し、三陸沖などで約140人の死者・行方不明者が出た。気象庁の観測では今回の地震のマグニチュードは8・6で、エネルギーは60年の地震の20分の1程度と推定されるため、同庁は当時のような大津波にはならないとみている。関田康雄・地震津波監視課長は「今後、津波警報や注意報が出た場合には速やかに高台などに避難できるように情報に注意をしてほしい」と話している。

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【速報】沖縄本島近海で震度5弱

2010-02-27 13:17:15 | 気象・地震
2010年2月27日05時31分頃に沖縄本島近海で発生した地震について(気象庁報道発表)

沖縄本島近海で震度5弱を記録する地震が発生した。この地域での震度5以上は1911年6月以来、実に1世紀ぶりというから、さぞ驚いたことだろう。

なお、津波警報が一時発表されたが、大きな津波は観測されなかった。これは、この地震の発震機構解(地震メカニズム)が、上下動の小さい横ずれ断層型だったためとみられている。

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シリーズ「2010年代を展望する」~過疎集落から見えてきた「新しい公共」の担い手とは?

2010-02-25 21:13:55 | その他社会・時事
(当エントリは、当ブログ管理人が月刊誌に発表した原稿をそのまま掲載しています。)


 2010年も早2ヶ月が過ぎ、この原稿が皆さんのお目にかかる頃はもう3月になっているはずである。2010年の正月は新たな年の始まりであると同時に、2010年代という新たな10年の始まりでもあった。そういうわけで、今回から何回かに分けて「シリーズ・2010年代を展望する」と題して今後の10年間を占ってみたいと思っている。今回はその第1回目である。

●「新しい公共」担当相の創設

 この2月、鳩山内閣で閣僚の入れ替えがあった。「事業仕分け」等を行ってきた行政刷新担当相を仙石由人氏から枝野幸男氏に代える一方、「新しい公共」担当相という耳慣れない閣僚ポストを新たに設け、それに仙石氏を充てたのである。

 内閣は、その重要課題に関して、自由に特命担当相を置くことができるから、どのような特命担当相を置くかは時の政権次第だが、「新しい公共」と言われても今ひとつピンと来ない。民主党の有力支持母体である公務公共サービス労働組合協議会(公務労協)が、自民党政権時代から「新しい公共サービスの構築」を訴えて活動をしてきた経緯から、公務労協の要請にも応える形でこうした閣僚ポストが設けられたのだろうという推測はできる。ただ、あまりにもイメージが漠然とし過ぎており、しっかりしたビジョンを持たなければお飾りに終わってしまう可能性が高いと思う。

 私自身、鉄道ファンとして、地方の公共交通を見る中で、地方の生活実態もある程度見てきたつもりである。今回は、そうした私自身の経験も踏まえながら、小泉構造改革で破壊されてしまった公共サービス復活のシナリオを考えてみたいと思う。

●ようやく光が当たり始めた交通弱者問題

ここにきて、地方の交通弱者の問題にようやく光が当たり始めた。国土交通省の「過疎集落研究会」が2009年4月17日にまとめた報告書は、医療や買い物、地域交通など基礎的な生活サービスを提供する小さな拠点づくりの必要性を初めてクローズアップした。特に、交通手段を持たないお年寄りが気軽に利用できる移動手段の確保、移動販売などの戸別サービスが必要であり、サービス提供の担い手として「農協や郵便局、地元商店街など」に期待する、としている。

 過疎集落研究会が実施した過疎集落調査(2008年12月)によると、住民の不便や不安は、「近くに病院がない」「救急医療機関が遠く搬送に時間がかかる」「近くで食料や日用品が買えない」など、移動手段にかかわる問題に集中した。とりわけ、ひとり暮らしの女性の8割強が車の運転ができないという事実が明らかとなったことで、過疎地で「足」を持たない交通弱者の存在がはっきりと浮かび上がったのである(2009年4月20日付「日本農業新聞」)。

 しかし、鉄道ファンとして、20年前からローカル線の乗り歩きをしてその実態に触れている私から見れば、こうした問題はすでに20年前から徐々に進行していた。地方の荒廃は2000年代に入ってから急速に深刻さを増し、2005年頃になるとついに崖っぷちに追い詰められた。神岡鉄道、三木鉄道など旧国鉄特定地方交通線(廃止対象路線)を引き継いだ第3セクター鉄道にもいくつか廃止になるものが現れたが、これらの鉄道では、廃止直前の時期、乗客は片手で数えられるほどで、神岡鉄道に至っては往復全区間乗客が私1人だけだったことすらあった。

 こうした状況を生み出した責任は政治にある。ここ10年ほどの日本では、大都市部さえ生き残れば地方などなくなってもいいという政治が行われてきたからだ。その結果、地方では鉄道はおろかバスも消え、自治体のマイクロバスなどのオンデマンド交通(タクシーのように必要なときに呼んで利用する)が唯一の交通手段というところが目立ってきている。早急に対策を講じなければ、買い物に行けなくてお年寄りが「孤独死」などという事態が起こりかねない。いや、実際、報道されないだけで、すでにそのような事態はどこかで起こっているのではないか。

 私がみずからの無力を最も感じるのは、このような事例に遭遇したときである。ビジネスのために活動している民間企業はこんな時、全くアテにならない。ハコモノ行政のツケで財政赤字まみれになった自治体も動けない。集落共同体もお年寄りなど弱者ばかり。そうなると、次の出番は農協などの協同組合やNPOなどの非営利法人である。民間企業のように利潤目的でなく、自治体のように財政赤字や法制度の縛りもそれほどなく、バブル期に危ないビジネスに手を出さなかったおかげで財政も健全で、かつある程度自由に動ける若者も組織でき、新しい存在であるため昔からの集落共同体的しがらみもない。そんな新しい時代に適合した新たな「公共」のあり方が、今後の鍵になりそうな気がする。

●「官」はお役ご免、市民と地域が担う新たな公共

 公共性をもって維持すべき経済分野には積極的に国や自治体が関与せよ、とかねてから私は主張しているが、実際には厳しい財政赤字と公務員の人材難(数は確保していても、時代に合った独創的、生産的アイデアを出せる人材の枯渇)の中で、国や自治体が新しい公共サービスの担い手となるのはもはや困難ではないかと思うことが最近よくある。新しい「公共」は、国・自治体からではなく、NPO法人や協同組合など、従来は「公共」の周辺部をうろうろしながら、その主流を担い得なかった人たちの中から生まれてくるのではないか。そして、そのとき、新しい「公共」の中心的担い手となるのはおそらく女性と若者だろう。少なくとも、既得権益の確保と自己保身しか頭になく、自分にとって得になることでなければ動こうともしない中堅男性がその担い手になり得ないことはすでにはっきりしている。あり得るシナリオの中で最有力なのは、苛烈な「派遣切り」などの体験を通じて、もはや都会では食べられないと悟った若者や女性たちの間に地方を見直す機運が生まれ、従来の発想にとらわれないアイデアと行動力を駆使して、彼ら彼女らが地方再生という仕事にみずからの居場所を見つけていく、というものである。

 そんな簡単に都市から農村への人口逆流が起こるはずがないし、そんな夢物語のようなことがあるはずもないと思う人もいるかもしれない。だが、ここにひとつの厳然たる事実がある。2008年末の「年越し派遣村」で炊き出しに使われた米や野菜の多くは農家からのカンパといわれており、中にはひとりで1.8トンものリンゴをトラックで派遣村まで運んできた農家もいたという(2009年12月30日付「日本農業新聞」)。農家がこうして貧困にあえぐ「派遣村」村民に救いの手を差しのべているときに、大都市に本社を置く大企業はまったく知らないふりをしていた。労働者を搾取するだけしておいて、大都市には労働者を食べさせる能力も意思もない…2008年末の「年越し派遣村」は、若者や女性たちにそのことをはっきり知らしめたのだ。

 自分たちを搾取し尽くした挙げ句、使い捨てた者は誰か。その反対に、最も苦しいときに助けてくれたのは誰か。「派遣村」村民たちはよく知っていた。「派遣村」が成功を収めた後の2009年、突如として農業ブームが起こったのは決して偶然ではなかったのである。2010年代、都市から農村への「逆流」は、ひとつの確かなムーブメントとして存在し続けるに違いない。

●交通弱者に市民の足を

 道路運送法の改正で、自家用車でも有償の旅客運送が可能になり、移送サービスを手掛けるNPO法人も増えてきた。島根県では2009年度から、まったく新しい地域公共交通の構築に乗り出している。車両は県が助成し、自治会が運行計画や運転手を手配、自治会活動として買い物や通院を支援する。利用者はガソリン代の実費を負担し、運転手への謝礼や車両の維持管理費は自治会費で賄う。この取り組みは、国・自治体にも民間企業にも相手にされない過疎集落における新たな地域公共交通のモデルケースに育っていく可能性を秘めている。

 アテにもならない「官」に寄りかかって文句を言うだけで済ませてきた地域から、住民同士のコミュニティを再構築し、みずからの足で歩き出す新たな公共へ向かっていく。現在はそのための揺籃期なのかもしれない。焼け野原になった地方に最後の砦として残った地域社会の助け合いが、今後、どのような形で結実していくのか、期待をもって見ていきたいと思っている。

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JR不採用問題、解決案まとまる

2010-02-24 20:17:04 | 鉄道・公共交通/交通政策
<JR不採用>与党と公明が解決案 230人雇用要請へ(毎日新聞)

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 87年の国鉄分割・民営化に反対した国鉄労働組合(国労)の組合員ら1047人がJRに採用されず、3年後に旧国鉄(国鉄清算事業団、現在は独立行政法人の鉄道建設・運輸施設整備支援機構)からも解雇された問題で、与党3党と公明党の各担当者は23日、会合を開き、政治解決に向けた素案をまとめた。戦後最大の労働問題とされる不採用問題を巡っては、組合員側が解雇撤回などを求める訴訟を争っているが、約23年ぶりに政治決着する方向で大きく動き出した。今後、政府の最終的な解決案が焦点となる。

 関係者によると、担当者が各党に持ち帰って検討し、3月上旬に国土交通省など政府に要請する。素案は「人道的観点から救済する」とした上で、同機構が▽解決金として1世帯当たり約1600万円▽解雇で消滅した期間の年金相当分として約1300万円--など計約270億円を組合員側に支払う。また、不採用者が設立した18の事業体に各1億円の支援金を提供することや、55歳以下の組合員約230人の雇用もJR各社に要請する。

 組合員側によると、救済の対象となるのは現在、約910世帯。4党案を基本的に受け入れ、訴訟を取り下げる構えという。

 これまで組合員側が旧国鉄を相手取った訴訟では、「所属組合による採用差別があった」と認め、賠償を命じる地・高裁判決が計3件ある一方、「時効(3年)が成立」として敗訴したケースもある。いずれも双方が控訴したり、最高裁に上告している。

 鳩山由紀夫首相は2月4日の参院決算委員会で、「人道的立場から解決を急がなければならない」と前向きな姿勢を示している。【坂本高志、松谷譲二】

 【ことば】JR不採用問題

 国鉄分割・民営化では北海道、九州の国労組合員を中心に約7600人がJRに採用されなかった。中央労働委員会は最終的に国鉄清算事業団にも解雇された1047人の大半について選考見直しや採用を命じたが、JR側は行政訴訟を起こし、03年に最高裁で「JRに採用責任はない」とした判決が確定。現在は旧国鉄を相手取った6件の訴訟が係争中。

 ◇解決へ「ラストチャンス」

 JR不採用問題について、与党と公明党が政治解決に向けたたたき台をまとめた背景には、国鉄分割・民営化から23年が経過した今も放置され、問題が長期化していることがある。国鉄改革の国会審議で当時の中曽根康弘首相は「一人も路頭に迷わせない」と述べたが、果たされないままで、国際労働機関(ILO)も政治的、人道的見地からの解決を促してきた。

 解雇された1047人は政治、行政、司法のはざまで翻弄(ほんろう)されてきた。全国の地方労働委員会はJRの「不当労働行為(採用差別)」を認めたが、最高裁は03年、「差別があった場合の責任は旧国鉄」と、JRを免責した。また、00年に自民、公明、保守の与党3党と社民党が「JRに法的責任なし」と認めた上で、雇用や和解金を検討するとの「4党合意」を示したことがあるが、国労が内部をまとめられず頓挫した。

 現在、平均57歳と高齢化した組合員の多くは「今回がラストチャンス」と受け止める向きが大半だ。4党合意時と異なり、採用差別を認めた三つの司法判断があるという支えのほか、左派系労組への抵抗感が強かった自民党が下野した今しかないとの思いもある。

 これまで裁判所が認めた賠償額は最大で1人550万円で、解雇無効とした判断はないが、4党案は「路頭に迷わない内容」を求める組合員側に一定の配慮をみせた。だが、鳩山内閣がたたき台を大きく後退させるようであれば、組合員側が裁判闘争にUターンし、自民党時代の「負の遺産」をいたずらに延ばす可能性も残る。【坂本高志】
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国鉄分割・民営化以来、23年間解決することなく続いてきた不採用問題は、連立与党3党案がまとまり、政治決着に向けいよいよ大きな山場を迎えた。現在、解雇された元職員のほとんどをまとめる立場にある「4者・4団体」が要求してきた3項目要求「雇用・年金・解決金」にほぼ沿った内容といえる。

この解決水準に納得のいかない人も当事者の中には大勢いるだろう。当ブログ管理人も、23年間、筆舌に尽くしがたい苦労をしてきた人たちに対する解決水準がこんなものでいいのだろうかと思うひとりである。しかし、ここで解決できなかったら、おそらく当事者が生きているうちに解決はないと思う。指導部は、この際、なんとしてもこの解決水準を下げることなく交渉をまとめる力量を発揮して欲しい。

55歳以下の組合員の雇用をJR各社に要請するという方針は妥当なものだ(55歳で区切る必要はないと思うが)。団塊世代の大量退職を控え、2011年度もJR東日本JR東海ともに大量採用の計画がある。被解雇者らを採用できないなどということは絶対にないはずである。

23年後の今、JRは国鉄とはまったく違った企業になり、尼崎事故などJRの安全性は崩壊している。そんなときに、安全に対しては大きなこだわりを持った元国労組合員たちの一群がJRに戻ることができるなら、それには大きな意味があるといえよう。

折しも、尼崎事故を巡って、神戸第1検察審査会が井手正敬・元JR西日本社長(元国鉄総裁室長)の起訴の是非を判断するため、遺族らから意見を聴いている。再び起訴相当の議決が出れば、改正検察審査会法に基づき、井手氏らは自動的に起訴されることになる。23年前、首を切られた国鉄マンたちが職場に戻り、一方で、元国鉄総裁室長として彼らの首切りを先導した井手氏が刑事被告人となれば、それは明らかな歴史の逆転といえる。「従業員のために経費節減に努めるメザシの土光こそが正しく、国民の迷惑も顧みずストで列車を止める怠け者集団の国労は国賊」という価値観から「国民のために安全・安定輸送に尽くしてきた労働者たちこそが正しく、企業を私物化し107人を殺した井手こそが真の敵」という価値観への、それは文字通りコペルニクス的転換となるのだ。

当ブログはこれまで、国労組合員らの解雇問題と、尼崎事故に代表される安全問題を根底でつながったひとつの問題として、すなわち鉄道の持つ「公共性」を破壊した民営化に起因する問題として捉え、それに対する批判的視点を持つよう常に提起してきた。民営化によって発生した問題は民営化の見直しによってしか解決することはできない。少なくとも、利益最優先と化したJRの民営化見直しに一定の見通しがつき、旧国鉄の全国ネットワークを引き継いだこの鉄道に新たな「公共性」復活の一歩が記されるまで、当ブログが「国鉄を壊した者」への告発をやめることはない。

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【鉄ちゃんのつぶや記 第38号】鉄道ブームの影で~撮影マナー非常事態宣言

2010-02-22 22:48:05 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
(この記事は、当ブログ管理人がホームページ向けに発表した原稿をそのまま掲載したものです。)

 数年前からマスコミが火をつけた鉄道ブームは、一般人をも巻き込んでさらに拡大の様相を見せている。巷では鉄道アイドルを標榜する女性タレントまで現れた。鉄道ファンが「根暗、オタク」と言われ続けた冬の時代を含め、35年以上鉄道ファンを続けてきた私にとって、この趣味への理解者が増えるのは結構なことだが、一方で一昨年ごろから目立ち始めた写真撮影のマナーの悪化は、今や「第3次非常事態宣言」を出さなければならない深刻な状況を迎えつつある。

 その象徴が、2010年2月14日に関西本線で起きた事件だろう。河内堅上駅周辺を中心に、年に数回しか走行しない臨時運転のお座敷電車「あすか」を撮影しようと集まった50人ほどの鉄道ファンの一部が線路敷内にはみ出していたため、現場を通る列車が急停車。JR西日本社員が構外に出るよう説得したが、一部のファンは聞き入れず、19本の列車が運休し、警察が出動する騒ぎになった。JR西日本は、この種の事件としてはきわめて異例の措置として被害届を提出し、大阪府警が鉄道営業法違反(鉄道地内立ち入り)容疑での捜査を始めた。場合によっては列車往来危険罪の適用も視野に入れたものになるという。

 事件現場となった河内堅上駅は、川に沿って走る関西本線の列車が山峡の勾配を上っていく絶好の場所にある。関西本線でも最も景色が美しいところであり、少しでもいい写真を撮りたいという気持ちは理解できないわけではないが、今回のファンの行動はあまりにも度を超している。このままでは、一部の不心得者のために善良な大勢のファンも含め、鉄道写真の撮影が不可能となる事態も予想される。

とはいえ、鉄道ファンの撮影マナーが問題化するのは今回が初めてではない。寄せては返す波のように興亡を繰り返してきた鉄道趣味の歴史の中で、マナー問題もまた幾度となく浮かんでは消えた。そうした過去の歴史を振り返ることは、撮影マナー問題を考える上で決して無駄ではないと思う。

 鉄道ファンの写真撮影マナーが問題となった歴史上最初の時代は、筆者の知る限りでは1972年頃から始まったSL(蒸気機関車)ブームだろう。国鉄が策定した動力近代化計画によって、1975年までに全てのSLは引退し、電気機関車・電車やディーゼル機関車・気動車に置き換えられることになっていた。国鉄が動力近代化を進めた背景には、SLのばい煙に苦しむ沿線住民からの無煙化への要望に加え、発生させたエネルギーの6~7%程度しか動力に使えないというSL特有の動力効率の悪さがあった(ちなみに、ディーゼル車両では発生させたエネルギーの30~40%程度、電車・電気機関車では50%程度は動力として使えるといわれている)。しかし、いざSL全廃が決まってみると、今度は力強く煙を上げて走るSLへの郷愁から、文化遺産としてSLの動態保存(動かせる状態に整備し、実際に走らせながら保存を行うこと)を求める声が高まることになった。

 第1次写真撮影マナー問題は、こうした時代背景のもと、SLブームの高まりによって1972年頃から次第に表面化した。この年10月、SLを使って汐留~東横浜間で運行された「鉄道100周年記念号」で大混乱が起き、国鉄内部でも安全運行を危ぶむ声が大きくなったが、ついに1976年9月4日、古参鉄道ファンの間で今も「負の歴史」として語り継がれる大惨事が起きるのである。

この日、東海道本線京都~大阪間開通100周年を記念して、京都市の梅小路蒸気機関車館に展示されていたC57型を使用した列車「京阪100年号」が運転された。この列車の運転は関西マスコミで大々的に予告され、当日は多くのファンが沿線に繰り出した。途中、いくつもひやりとする場面はあったが、京都発の下り列車は無事に大阪に到着し、折り返しの列車が京都駅に向かう途中のことだった。写真撮影を狙う鉄道ファンの暴走は次第にエスカレート、何人ものファンが線路に進入し、向かってくるSL列車を正面から撮影しては線路外に脱出するという危険きわまりない行為が繰り返された。当然、機関士は警笛を鳴らして警告を発したが、聞き入れる者などなかった。そして、とうとう小学生男児が列車の直前でカメラを持って線路内に進入するに至った。自業自得とはいえこの暴走行為の代償は大きく、男児は写真撮影後、線路から脱出しようとしたが間に合わず、わずか10歳の短い生涯を閉じたのである。

 この事故は社会に大きな衝撃を与え、都市部でのSL動態保存運転は永遠に不可能になったといわれた。動態保存運転によってSLの復活を図ろうと考えていた国鉄は計画再考を迫られ、結局、首都圏からも関西からも遠く離れた山口線で1979年から「SLやまぐち号」の運転が開始された。その後も、SLの動態保存運転は首都圏から遠いローカル線に追いやられたまま現在に至っている。

第2次撮影マナー問題は、1978年頃から始まったブルートレイン(寝台特急)ブームだ。1975年に山陽新幹線が博多駅まで開業したため、並行する東海道・山陽本線を走る寝台特急は大きな削減の時代を迎えていた。ダイヤ改正のたびに削減される寝台特急を撮影しようと、小中学生を中心に再び撮影ブームがやってきた。寝台特急が停車する大都市のターミナル駅では、深夜まで撮影目的の小中学生たちであふれた。中には、カメラからフィルムを取り出す方法も知らずに撮影に来て、使い切ったフィルムを前に途方に暮れた挙げ句、深夜の駅のホームで「誰かフィルムを抜いてくれませんか!」と大声で叫ぶ呆れた者もいたという。結局、この時も深夜まで駅構内にいた一部の子どもたちが警察官や鉄道公安官から職務質問を受けたり、補導される事態にまで発展したため、マスコミからもブームを煽った反省が生まれ、報道は次第に沈静化していった。

 5年ほど前から続く今回の鉄道ブームは、質・量ともに当時に匹敵するか、またはそれをしのぐ勢いを持ちつつある。当時と大きく違っているのは、カメラがデジタル化したこと、ビデオカメラを回す者が増えたこと、カメラ付き携帯電話の性能アップにより女性の参入が増えたことであろうか。そのこと自体は喜ばしく、否定すべきことではないが、初心者の参入がそのままマナーの低下をもたらした過去2回のブームと同じ状況を迎えつつある。本来なら、この道数十年の我々のような古参ファンがきちんと注意しなければならないのであろうが、どうしても躊躇してしまう。JR社員の説得も聞き入れないような連中が我々の説得など受け入れるはずもないし、下手をするとこちらが刺されかねないからだ。

 こうした鉄道ファンのマナーの低下は、突き詰めると結局、社会的存在である公共交通機関をあたかも自分の私有物であるかのように思い始めることから始まる。いつもは鉄道会社を批判することも多い当コラムだが、今回ばかりは愛する鉄道に迷惑をかけて何が鉄道ファンかと強い憤りを感じる。鉄道は社会の公器であるという認識をファンも再度新たにすべきだ。

 ブームを煽り続けるマスコミにも大きな責任がある。特に、ある路線や列車の廃止が決まると「さあ、最後だから乗りに行こう!」という報道のあり方には大きな疑問を感じる。こうした廃止の時にしか現場に出てこない鉄道ファンが、仲間内でも「葬式鉄」(列車の葬式を挙げるのが専門の鉄道ファン)と呼ばれ、特に忌み嫌われている事実を知らないのだろうか。そうでなくとも、こうしたファンを見ていると、まるで普段は冷たくしておいて、恋人から別れ話を切り出された途端に慌てふためく男のようで滑稽だ。

 鉄道の写真撮影は、多額の交通費を支払わなくても自宅の近所で手軽に始められることから、通常、鉄道ファンへの登竜門といわれる。写真撮影をある程度コンスタントに続けるようになった段階で、その人は鉄道ファンの一員とみなされ、「撮り鉄」の称号を与えられる。「撮り鉄」の多くはやがて、実際に鉄道に乗車して楽しむ「乗り鉄」その他へと成長を遂げる。鉄道会社にとってみれば、鉄道に金も落とさず写真だけ撮ってさっさと帰っていく「撮り鉄」は、職員や警備員の増員によって手間とコストだけがかかる厄介な存在である。いなくなっても痛くもかゆくもないが、それでも彼らが将来、社会常識と経済力を兼ね備えた立派な「乗り鉄」(=お客様)に育ってくれることを期待し、将来への投資として受け入れているのである。もし彼らが常軌を逸した行動を続けた結果、利益にならないと判断したら、鉄道会社はいつでも鉄道ファンを閉め出すに違いない。

線路やホームで自分勝手な振る舞いをしている「自称鉄道ファン」諸君に、当コラムは強く警告する。少なくとも私は、鉄道に迷惑をかけている自覚もなく愚行を繰り返す諸君をファン仲間とは認めない。職員に言われるまでもなく、線路や他人の私有地(庭、田畑など)に無断で入らない、ホームでは黄色い線から出ないなどは常識以前の問題である。夜間、走行中の列車に向かってフラッシュを発光させるのも、運転士の目をくらませ、一瞬、前方の安全確認を不可能にさせる危険行為として慎まなければならない。それから、写真撮影それ自体が鉄道会社に負担をかける行為なのだから、少なくとも撮影場所へ出かけるのには鉄道を利用してほしい。これらは、当コラムからの最低限のお願いであり、これさえ守れない者は写真撮影などやめて退去すべきだ。お小遣いの少ない子どもたちで当コラムを読んでいる人がいたら、撮影させてくれた鉄道会社に感謝して、せめて年に1回は家族で鉄道旅行に出かけて欲しいと思う。

 一般マスコミではあまり報じられていないが、2008年11月には神奈川県茅ヶ崎市のJR東海道本線の踏切で、倒れた三脚を立て直そうとしていた鉄道ファンらしき男性が列車にはねられて死亡する事故も起きている。過去2回のブームの際に起きた悲劇は決して他人事ではない。ルールを守らない者には、34年前、わずか10歳で命を散らした男子小学生と同じ運命が待っていることを、改めて強調しておこう。

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湯浅誠氏、内閣府参与を辞任

2010-02-19 22:42:02 | その他社会・時事
湯浅誠氏、内閣府参与を辞任 「一区切りつけたい」(朝日新聞)

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 元「年越し派遣村」村長で、内閣府参与の湯浅誠氏(40)が17日、官邸で鳩山由紀夫首相に辞任を申し出て、了承された。昨年10月26日付で参与に就任。「コンクリートから人へ」を掲げる鳩山政権の困窮者政策のご意見番を務めてきた。

 湯浅氏は失業者向けのワンストップ・サービスの実施などを提言、東京都の「公設派遣村」の実現にも尽力した。

 湯浅氏は朝日新聞の取材に対し、「もともと昨年秋から年末の困窮者対策を目的として参与になった。ここでひとまず一区切りつけたい。課題は残っているので必要に応じて今後も政権に協力していきたい」と述べた。(諸麦美紀)
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「派遣村村長」湯浅誠さんが、鳩山内閣から「三顧の礼」で迎えられた内閣府を去った。本人は「一区切り」というものの、役所のような硬直的な組織に飛び込んだ民間人が、わずか半年で成果など出せるはずもなく、疲れたのだろう。

この年末年始の「公設派遣村」は、湯浅さんの思い描く理想からはほど遠かったようだ。国はそれなりに湯浅さんに礼を尽くしたものの、石原都政下の東京都の対応があまりにひどすぎた。派遣村に何一つ具体的協力をせず邪魔ばかり、挙げ句の果てに「国から委託されたから(派遣村事業を)やっている」と石原知事が発言するに及んでは、都の正体見たりという感じだった。

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JR不採用問題で集会、早期解決訴える

2010-02-16 23:24:14 | 鉄道・公共交通/交通政策
JR不採用問題で集会 4千人参加、早い解決訴え(47news)

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 1987年の国鉄分割・民営化に伴う国労組合員らのJR不採用問題をめぐり、国労などが16日、東京都千代田区の日比谷野外音楽堂で集会を開催。雪交じりの雨が降る中、約4千人が参加した。

 組合員らに解雇が通知されたのが87年のこの日。高橋伸二委員長は「不採用問題は大きな正念場を迎えている。解雇された当事者の要求を実現させる決意をお互い固め合いたい」とあいさつ。

 北海道音威子府村から参加した杉山智子さんが家族を代表して「老後はどうなるだろうかと不安は大きくなるばかり。1日も早く元の生活と、路頭に迷うことを考えずに過ごせる日々を取り戻したい」と訴えた。

 不採用問題をめぐっては、与党3党が今年3月までの解決方針を確認。組合員らはJRへの採用や年金、解決金の支払いを求めている。
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1987年2月16日、国労組合員らが理由も告げられないまま採用通知をもらえなかった日から23年を迎えた。国労などは毎年この日に集会を開いている。

集会を主催した団体のひとつである、国鉄闘争に勝利する共闘会議によれば、国鉄清算事業団を引き継いだ鉄道・運輸機構は当事者らが求めた解決交渉を拒否したというが、「政治解決」を目指すと言いながら国会議員の来賓はゼロだったし、1時間足らずの集会の後にはデモ行進さえ行われなかった。こんな時だからこそ、自分たちを理由もなく解雇し、苦しめた相手を地獄の底まででも追いかけ、解決させる決意を見せつけなければならないにもかかわらず、集会の内容を見る限りでは、指導部の力不足は隠しようがない。

それに、指導部からは、結局のところ、なにがどのように進行しどのような成果を上げているのか、いつごろ解決の見通しが立ち、そして解決できるのかという、関係者が最も知りたい情報が目に見える形で語られたことは1度もない。この状態で「俺たちを信じろ」などといわれて、無邪気に信じられるほど当ブログはお人好しではない。指導部が自分たちに対する信頼と権威を高めたいと願うなら、密室交渉はやめて議論の経過を堂々と表に出すべきである。民主主義は対話と行動の中から生まれ、鍛えられるのだ。

国労組合員らが不当解雇されて23年間も闘ってこられたのは、「納得のいく解決がしたい」という当事者と家族の思いがあるからである。不甲斐ない指導部が不透明な形での早期決着を目指そうとするたびに、「納得のいく解決」を訴えてきた当事者と家族の意思が、依然としてこの闘いのあり方を規定している。そのことはきちんと押さえておく必要がある。その意味では、解決が長引いていることを悲観する必要はないともいえる。

国鉄は、政府が特別法によって設立した公法人であり、この不採用問題はそこで起こった出来事である。分割・民営化によって法的に国鉄を継承したのが鉄道・運輸機構である以上、解決の責任は政府と鉄道・運輸機構にある。そして、「非独立」行政法人とでもいうべき状況に置かれた鉄道・運輸機構が自主的な意思決定を許されていないとするなら、解決の責任を負うのは政府である。政府は、今こそ23年に及んだこの問題の解決のため、誠意を持って当事者との交渉に臨んでもらいたい。

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去って欲しい者は去らず、去って欲しくない者は去る

2010-02-15 23:45:27 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
暴走鉄道ファン、列車止める…線路脇で撮影(読売新聞) - goo ニュース

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 14日午前10時40分頃、大阪府柏原市青谷のJR関西線 河内 ( かわち ) 堅上 ( かたかみ ) ― 三郷 ( さんごう ) 駅間で、加茂発天王寺行き快速電車(6両、乗客約500人)の運転士が、線路脇に4、5人が入り、カメラの三脚を立てているのに気付き、約50メートル手前で電車を止めた。

 連絡を受けたJR西日本社員が説得を重ね、約30分後に敷地外に出た。

 午前11時25分頃には、約600メートル西の河内堅上―高井田間でも、JR難波発奈良行き普通電車(6両、乗客約200人)の運転士が、線路脇にカメラを持った人が入っているのを見つけ、約10分間、停車した。2度の停車で上下19本が運休、同26本が最大39分遅れ、約1万3000人に影響した。

 同社によると、この日は当時、運行回数の少ない団体用お座敷列車「あすか」(6両)が、カーブが多く撮影ポイントになっている現場付近を通るため、鉄道ファン約50人が沿線に集まっていた。周辺にはフェンスがなかった。

 快速電車の運転士が線路から離れるよう求めた際、拒む鉄道ファンがいたという。騒ぎで柏原署員も駆けつけたが、故意に電車を止める意図はなかったとして、注意するにとどめた。

 鉄道ファンが線路脇に入り、退去まで拒否したケースはほとんど例がないといい、同社広報担当者は「いくら鉄道好きといっても、極めて悪質。危険なので絶対にやめてほしい」と話している。
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写真撮りたさについついはみ出し、警笛を鳴らされてしまう鉄道ファンはいるが、鉄道係員の退去の説得まで拒むというのは聞いたことがなく、悪質だ。

最近、鉄道撮影マナーが悪すぎる。少しでもいい写真を撮ろうと他人の前に出るくらいならまだしも、係員の制止も聞かず黄色い線からはみ出したり、軌道内に進入するなど論外である。夜間、駅に行くと、走行中の列車に向けてもフラッシュを発光させ放題の状況になっているが、これも運転士の目を一瞬、見えなくさせる悪質な行為だ。

こんなことをブログに書くのは嫌だし、不謹慎だと思ってこれまで書かないでおいたが、彼らのような「暴走撮り鉄」に撮影マナーを守らせるためには、もはや命の犠牲が必要なのではないか。誰かが列車にはねられて死ねば、さすがの彼らもマナーを守るようになるだろうし、浮ついた撮影ブームに身を投じていた連中は波が引くように引いていくだろう。その後、どんなに冷たい視線を向けられようとも歯を食いしばって残る者こそが真の鉄道ファンである。

マナーを守る気のない、浮ついた撮影ファンは鉄道趣味界に不要である。そもそも、「撮り鉄」は鉄道に乗らなくても手軽に鉄ちゃん気分を味わえるために人口が増殖していると思われるが、いやしくも鉄道ファンを名乗るなら鉄道会社に少しでも金を落とすべきだ。鉄道会社にしてみれば、自分たちに金も落としてくれず、警備員や職員の動員を通じてコストと手間だけがかかる「撮り鉄」など消えてもらっても全然困らないのである。

もう一度言っておく。鉄道会社に金も落とさず、マナー違反で列車を止めるような奴らは、鉄道趣味界から退去せよ。

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500系のぞみ、今月末で引退 東海道新幹線からも姿消す(共同通信) - goo ニュース

 国内初の営業最高時速300キロを実現した新幹線500系が2月末で「のぞみ」の運行から引退する。新たに開発した「N700系」への入れ替えが進み、今後は山陽新幹線の「こだま」のみの運行となる。のぞみ引退に伴い、東海道新幹線からは姿を消す。高速性能を重視、窓側の席に座ると圧迫感があるとの指摘もあったが、戦闘機を思わせる特徴的なデザインは鉄道ファンや子供らの人気を集めた。
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500系がのぞみから消える。初めて登場したときの300km/h運転は、衝撃だった。ただ、電気をバカ食いするせいもあって、結局、増備はほとんどされなかった。シルバーに青の斬新なフォルムも、「東海道新幹線は白と青」と思っていた人たちの度肝を抜いた。

山陽新幹線区間で「こだま」に充当されるから完全引退とはならないが、富士山をバックに東海道区間を走る姿は今月いっぱいで見納めになる。体調が最近、万全ではないが、もし今度の週末、自分のコンディションが許せば撮影に行きたいと思っている。「ツーデーパス」が再発売になったし、行きたいなぁ。

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ついに、JR西日本の完乗達成

2010-02-13 16:00:14 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
6時55分発の普通列車で福井を目指す。福井には8時27分の到着だ。越美北線は越前花堂が始発だが、列車は全て福井から運転される。9時6分の発車まで朝食をとりながら待つ。

9時6分、いよいよ越美北線の列車は福井駅を滑り出した。くれぐれも道中、何もないようにと願う。いくら鉄道ファンが強い意志を持っていても事故と災害には勝てない。全線完乗には「運」の要素もある。

越美北線に入った列車の車窓は次第に険しさを増し、最後まで不通区間だった一乗谷~美山間に差し掛かる。険しい峡谷の間を縫うように流れる川を鉄橋で列車が渡っていく。並行して走るのは2車線の国道1本のみ。なるほど復旧に時間もかかるというものだ。儲からないローカル線を抱えながら復旧させたJR西日本に、当然とはいえ敬意を表する。リニア新幹線のために5兆円用意しながら、名松線復旧には金を出そうともしないJR東海は、JR西日本の爪の垢でも煎じて飲むがいい。

途中、10時2分着の越前大野駅では13分間の小休止。2両編成だった列車は切り離され、後ろの1両はこのまま福井行きとして折り返す。一方、先へ進む前方の1両にとって、ここから終点、九頭竜湖まではスタフ閉そく式となる。スタフを持った1列車だけが進入を許され、その列車が戻ってくるまで他の列車は入ってゆけない。鉄道の保安方式としては最も単純かつ原始的なものだが、人の手のぬくもりが感じられ、なぜかホッとするやり方でもある。10時15分、いよいよスタフ閉そく区間に列車は分け入ってゆく。車窓は1メートル近い雪が積もった銀世界で、もはや雪以外に何もない。心配していた天気は回復し青空が広がっている。日光を反射する一面の雪がまぶしい。勾配の厳しいローカル線のためにJR西日本が送り込んだワンマン運転用気動車・キハ120形に上り勾配の苦しさは感じない。

列車は相変わらず峡谷の間を縫って流れる川を、時々鉄橋で渡りながら走る。地形に逆らわずに敷かれた線路は、この路線がトンネル技術の拙かった昔に建設されたことを示している。川を渡る橋の上からふと車窓を見る。黒い山、黒い川…何もかも黒く染まった陰鬱な風景を純白の雪が覆うその美しさに一瞬、はっと息をのむ。それはあたかも水墨画の中の世界に迷い込んでしまったかのようである。この水墨画の世界を走るローカル線が私は好きだ。春は新緑、秋には紅葉、それもきっと美しいに違いないが、冬の水墨画の世界にはきっとかなわないと思ってしまう。

列車は長いトンネルに突入した。地形に逆らわないように作られたローカル線も、四方を山に囲まれた谷底から出るときはさすがにトンネルに頼らざるを得ない。そして、盲腸線は谷底を抜けて一定の規模を持つ集落に達したときに終着を迎えることが多いという事実を、私は経験上知っている。つまり、長いトンネルは盲腸線の終着駅が近いことの表れなのだ。

トンネルを抜けると、景色が山峡から小さな集落に変わった。まもなく終点にたどり着く。車内がざわつき始めたが、明らかに旅装の人はおらず、地元の人たちのように見えた。そして午前10時46分。私を乗せたたった1両だけの列車は、定刻通り終点・九頭竜湖に到着した。この瞬間、JR西日本区間の全線完乗が、ついに成った。

九頭竜湖駅は、終点の小さな駅ながらも、観光拠点としてそれなりに機能していることが明らかだった。委託駅員が配置され切符が売られている。駅前には「和泉ふれあい会館」があり、地域の観光名所の案内や特産品の販売を行っている。駅前に小さな食堂が営業しており、店員とみられる女性が高く積もった玄関前の雪をシャベルで片付ける作業をしていた。季節になれば、新緑や紅葉を求めてこの周辺を訪れる人は多そうだ。

駅のすぐ前を通っている国道158号線を20キロメートルほど東へ走ると、長良川鉄道の終点・北濃駅に抜けることができる。そんなわずかな距離ならどうして鉄道を接続させなかったのかと不思議に思う人も多いかもしれないが、もともとこの両線は1つにつながる予定だった。越前花堂から越美北線、美濃太田(岐阜県)から越美南線として工事が進められたこの両線は、いずれは越美線としてつながり、福井から美濃太田へ抜けられるようになるはずだった。しかし、九頭竜湖と北濃まで工事が進んだところで国鉄再建法施行に伴い工事は凍結となった。越美南線は特定地方交通線の指定を受け、長良川鉄道へと姿を変える。今でも長良川鉄道沿線では、同線を越美南線と呼ぶ人に出会うことがある。かつては両線を結んで走るJRバスの路線があり、福井~美濃太田間を抜けることが可能だったが、それも2002年に廃止され、両線は正真正銘の盲腸線となった。国鉄再建法になんとか間に合い、1本につながった三江線のような幸運な路線もある一方、こんな悲しい路線もある。

わずかな折り返し時間を利用して駅前を散策した私は九頭竜湖駅に戻った。ふと窓口を覗いてみると「到着証明書」なるものを配っているという。無料ということもあり、迷わず申し出ると、日付印で今日の日付を印字した絵葉書タイプの到着証明書をもらうことができた。『本日、あなたは福井県最東端にあり豊かな自然に囲まれたJR越美北線の終点駅九頭竜湖駅に到着したことを証明します 九頭竜湖駅』

過去、いろいろな鉄道路線を旅し、乗車証明書などはもらったことがあるが、到着証明書というのは初めての経験だ。なかなか粋な計らいだと思うと同時に、嬉しさがこみ上げてきた。水害による不通に陥り、いつまでも復旧の気配を見せない越美北線に苛立ち、恨めしく思った時期もあった。しかし今はそれすらも私への祝福であるかのように思えた。ローカル線、終着駅、水墨画のようなモノトーンの世界と、粋な到着証明書。もしここが水害で不通になることもなく、私がJR西日本区間の全線完乗を阪和線で終えていたら、都会の中の終着駅でもない幹線が完乗達成地点になっていた。そのように考えると、待った甲斐があったというものだろう。

九頭竜湖からの折り返し列車の発車時刻が迫った。私は簡単に写真撮影を済ませて車内に戻った。列車は軽くエンジンを吹かせると、思い出の地となった九頭竜湖を後にした。今回の旅は、所用で大阪に出かける途中のルートに「能登」と越美北線を組み込んだ経緯もあり、妻は一緒ではなかった。私は帰りの列車の中で、彼女の携帯電話に宛てて「完乗達成」のメールを送った。程なくして「おめでとさん」という返信があった。シャイな彼女は嬉しいときにわざとそのような表現をする。喜んでくれているのだな、と思った。

列車は再び長いトンネルを越えて集落から山峡へと入り福井へと向かう。思えば、本格的な鉄道乗車活動に踏み出した私が初めてJR西日本区間に入ったのは1989年、下関駅でのことである。それからゴールまでに21年もかかったわけだ。全国全線完乗達成者が出版した本によると、JR線全線完乗はすべてを捨てて専念すれば2ヶ月ちょっとで達成できるというが、普段仕事を持っている私にそんなことは無理だ。それに、私はもともとJR西日本区間の全線完乗を達成したからといって、それを有頂天になって祝おうという気はさらさらなかった。祝えば、旧国鉄の全国ネットワークをずたずたに引き裂いた23年前の「分割民営化」を承認することになるからだ。私はあの「改革」とやらを承認する気持ちには今もなれない。だから、今回のJR西日本区間の全線完乗も、全国全線完乗へ向けたひとつの区切りとして記録するにとどめておきたいと思っている。

いずれにせよ、私のJR線乗車率は90%を越えた。そう遠くない時期に、全国全線完乗を達成するときが来る。そのときこそ多くの人に祝福してもらおうと思っている。そのときが訪れるまで、終着駅は、新しい旅への始まりに過ぎない。

【完乗達成】越美北線

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