安全問題研究会~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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磐越西線にキハ52・58新潟色走る

2009-03-29 23:38:53 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
磐越西線にキハ52・58新潟色が走るというので、折からの荒天を押して出かけた。車を飛ばし、現地へ向かうが、3月も終わりだというのに激しい雪のため、途中で高速を降りざるを得なかった。

しばらく一般道を走ること1時間あまり、道の駅西会津にほど近いところで絶好の撮影ポイントを見つけた。そこで撮影したのがご覧の写真である。結果的には、雪の中を行くキハ52・58の5両編成が、味わいのある写真にできあがった。

半世紀にわたって走り続けてきたキハ52も、3月改正でいよいよ米坂線の定期運用がなくなり、廃止が秒読みになってきた。

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JR不採用訴訟、元国労組合員らに賠償認める

2009-03-26 23:30:34 | 鉄道・公共交通/交通政策
JR不採用、二審も国労差別認定=賠償増額、雇用確認は棄却-東京高裁(時事通信)

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1987年の国鉄分割・民営化で、JRに採用されず、旧国鉄清算事業団も解雇された国労組合員と遺族計304人が、事業団を承継した独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構に雇用関係の確認と損害賠償を求めた訴訟の控訴審判決で、東京高裁は25日、一審東京地裁判決と同様に不採用の背景に組合差別があったとし、一部の原告を除いて1人当たり550万円の賠償を命じた。賠償は50万円増額されたが、雇用関係の請求は一審に続き退けた。原告側は上告する方針。

同機構を相手にした一連の訴訟で初の二審判決。南敏文裁判長は「判決を機に早期解決を望みます」と述べた。原告側が「戦後最大級の不当労働行為」と訴えたJR不採用問題は20年以上を経て大きな節目を迎えた。

南裁判長は、所属組合により極端に採用率が異なり、国労脱退の有無が採否を分ける決定的要因になったと指摘。「国鉄は国労嫌悪ないし弱体化の意図を持っていた」と組合差別を認めた。控訴審では、国鉄改革の合理化で中心的役割を果たした葛西敬之JR東海会長が証人出廷。国労組合員の採用率について「勤務実績から出た結果」と反論していた。
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20年以上にわたって続いている裁判闘争。2003年、JRを相手にした訴訟では国労組合員らが敗訴したが、鉄道・運輸機構(旧国鉄清算事業団)を相手取った訴訟がその後も続いている。

このJR不採用を巡る訴訟では、1審の地裁レベルでも1件を除いてすべて原告側に賠償が認められており、所属組合による差別があったこと、採用候補者名簿の作成が不公正な形で行われたことに関しては、もはや疑いの余地がなくなったと考えられる。

ちなみに、当ブログは、国鉄分割民営化当時言われていたような「働かない国鉄職員」などという世間のムードには同調しなかったし、その気持ちは今も変わらない。当時の国鉄には、1日に約2万本の列車が設定されていたが、国鉄職員が仕事をサボっているとバッシングを受けていた中でもその2万本の列車はきちんと動いていた。国鉄が30分も遅れればNHKがニュースで報じるほどだった。

ひるがえって今のJR東日本はどうだろうか? 最近、首都圏でのJRの遅れがニュースを賑わすことは(新幹線を除いて)ほとんどなくなってしまったが、昔に比べて遅れなくなったわけではない。事態はむしろ逆であり、遅れるのが当たり前になりすぎて、もうニュースにも相手にされなくなってしまったのだ。

上記のような理由で、当ブログは今でも国労組合員が仕事をサボっていたなどとはとうてい信じられないし、家庭の事情で転勤できない社員に対し、それなりの処遇をする民間企業はいくらでもあった。どこをどう見ても彼らが不採用になる理由は見あたらないのである。それにもかかわらず、20年以上も職場を追われ続け、損害賠償もたったの550万円では被解雇者にとってあまりに理不尽である。生活再建も困難であり、当ブログは一刻も早くこの問題が解決されるよう、関係者に訴えたい。

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JR江差線で大規模なレール破断

2009-03-22 23:12:16 | 鉄道・公共交通/安全問題
<JR江差線>レール接合部が破断特急など9本運休(毎日新聞)

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21日午前5時ごろ、北海道函館市亀田港町のJR江差線五稜郭-七重浜間でレールに異常が発生したのを運行システムが感知した。検査の結果、約3時間半後にレール接合部に幅7センチの破断を発見。点検・補修のため特急など計9本が運休、約1600人に影響が出た。

JR北海道によると、レールは85年の製造で高温ガスを吹きつける「ガス圧接方式」で接合した。その際、内部に欠陥が生じ列車が繰り返し通過したことで破断に至った可能性があるという。JRは同時期に同じ方式で溶接した117カ所の緊急点検を始めた。

JRはシステム感知後、すぐに検査したが異常が見当たらなかったため運行を再開した。破断が見つかるまでに上下6本が通過。それに伴い破断が徐々に大きくなったとみられる。幅口堅二工務部長は「安全上の問題はなかった」と話している。

JRでは昨年12月、室蘭線富浦-登別間のレールに6ミリの破断が見つかり、その際525カ所を点検したが今回の破断個所は対象外だった。【水戸健一】
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7センチものレール破断は尋常な事態ではない。いつ脱線事故が起きても不思議ではなく、大事に至らなかったのは不幸中の幸いである。

それにしても、JR北海道では1月にも信号の配線ミスによる異常接近が起きたほか、2月にはキハ283系からのブレーキ部品脱落事故が発生している。そして今回、またも重大事案である。
重大インシデントやトラブルが続発しているJR北海道は、今明らかに異常事態と言っていい。

これほどの事態なのに、JR北海道労使には今ひとつ危機感がないように感じられる。今ここで、腰を据えて安全対策を強化しないと、いずれJR北海道管内で重大事故の発生は避けられないのではなかろうか。

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阪神なんば線、開業

2009-03-21 23:23:38 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
阪神なんば線:開通 神戸-大阪-奈良、3都市結ぶ--三宮駅で初発式

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◇「愛される路線に」--乗客、ファンどっと

 神戸、大阪・難波、奈良を乗り換えなしで結ぶ「阪神なんば線」が20日開通し、阪神三宮駅(神戸市中央区)にも朝から乗客や鉄道ファンが集まった。同駅では、午前7時43分、近鉄奈良駅までの初の直通電車となる快速急行が出発した。

 阪神三宮駅では午前7時半過ぎから「初発式」があり、阪神電鉄の坂井信也社長ら関係者がテープカット。初発の快速急行の運転士や車掌に花束が手渡された。同43分、初発の快速急行がホームから走り出すと、関係者から拍手が起こり、鉄道ファンは盛んにカメラのシャッターを切っていた。坂井社長は「ほっとした。安全で便利な運行を心がけ、皆さんに愛される路線を目指したい」と述べた。

 同社によると、この日は駅のシャッターが開く前から外に50~60人が並び、始業と同時に窓口には記念切符などを購入する人で列ができたという。大阪難波駅に向かう神戸市須磨区の会社員、田中陽一朗さん(23)は「週に一度は難波に行くので乗り換えがなくなってうれしい。せっかくなので奈良にも行きたい」と話した。

 ◇せんとくんも

 阪神三宮駅に近いそごう神戸店では、平城遷都1300年祭の公式キャラクター「せんとくん」など奈良や阪神地域にちなんだキャラクターが登場して記念イベントが行われ、開通を盛り上げた。

 イベントには「せんとくん」のほか、阪神タイガースの「トラッキー」なども登場。阪神なんば線にちなんだクイズを出題し、利用を呼びかけた。神戸市東灘区の小学4年、廣瀬楓果さん(10)は「奈良に行ってせんとくんに会いたい」と話していた。【高山梓】

〔神戸版〕
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3月20日に大阪に行く用事があったので、1泊し、翌21日に阪神なんば線に乗車してきた。本当は朝一番でホテルを出て阪神なんば線に乗り、その足で甲子園球場へ、この日始まる選抜高校野球開会式に行く予定だったのだが、前日の飲み会で深酒しすぎ、寝坊してしまったのである。

そういうわけで、ホテルをチェックアウト制限ぎりぎりの10時前まで粘り、センバツ開会式をホテルのテレビで見た後、チェックアウト。ホテルは江坂なので、ここから地下鉄御堂筋線でなんばに出て、いよいよ阪神なんば線である。

この阪神なんば線、西九条以西は従来から西大阪線として営業している路線で、新規開業したのはなんば~西九条間だけに過ぎないが、この開通によって尼崎以西と奈良が直通運転で結ばれるだけではない。今は直通運転こそ行われていないが、山陽姫路・網干から豊橋までJRも地下鉄も使わず、私鉄だけで行けるようになるのである(もっとも、名鉄だけは狭軌なので直通運転というわけにはいかないが)。

データを調べたわけではないが、山陽網干~豊橋となると、「私鉄だけで行ける日本最長区間」になるのではないか(違うというデータを持っている方がいたら教えてほしい)。

難波から新規開業区間に乗る。なんばから九条まではすべて地下区間で、西九条駅直前で地上に上がる。ミニトリップはわずか数分で終了した。

【完乗達成】阪神なんば線(新規開業線)

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米坂線・山形鉄道乗りつぶし

2009-03-15 23:21:01 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
未乗区間だった米坂線、山形鉄道に出かけた。切符は「青春18」を利用。

新白河を普通列車で出発。福島まで普通列車に乗り、福島~山形間は運賃・料金を別払いで奥羽本線特急(通称「山形新幹線」)に乗る。米沢で下車、米沢牛弁当を調達後、米坂線へ。

米坂線は、名にし負う豪雪地帯だ。さすがに3月中旬になると雪も線路脇に追いやられていたが、それでも各駅には除雪の跡らしき雪壁ができていた。積雪に覆われた断崖をニホンザルが上っているシーンも見られた。

坂町駅に到着すると、突然の冷たい雨が降り始めた。足止めを食らった私たちは駅の待合室で昼飯を食べた。

坂町からは、再び米坂線で今泉へ戻る。山形鉄道に乗り換え、荒砥へ。折り返し、赤湯まで全線を乗り通す。赤湯温泉・大和屋で入浴後、赤湯から再び奥羽本線特急で福島へ。福島から普通列車で帰宅。

【完乗達成】米坂線、山形鉄道(フラワー長井線)

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【鉄ちゃんのつぶや記 第37号】私の原点・日比谷線事故

2009-03-13 23:34:28 | 鉄道・公共交通/安全問題
 2000年3月8日、営団地下鉄(現・東京地下鉄)日比谷線・中目黒駅で起きた脱線事故から早いもので9年経った。例年、この事故に関するマスコミ報道はきわめて冷淡なものだったが、どういうわけか今年は例年よりも扱いが良かったような気がする。慰霊祭では、死亡した5人の乗客の遺族の他、東京地下鉄の梅崎寿社長も献花。「9年が経ちましたが、心から申し訳なく思っており、改めておわびするとともに亡くなられた方にご冥福をお祈りします」と追悼の辞を述べたという。

 9年前の「あの日」…2000年3月8日の出来事を、私は今も忘れない。横浜勤務で、大船に住んでいた当時の私は、その日、高田馬場で仕事を命じられ、同じ仕事を言い渡された同僚と2人で高田馬場へ向かうことになっていた。大船から横浜までJRで行き、横浜から東急東横線に乗り換える。渋谷まで東横線で行き、JR山手線で高田馬場へ…というルートで行こうと前日から打ち合わせていた。

 ところが、いつもは集合時間より早めに来ている同僚から、その日に限って少し遅れると電話があった。「横浜、渋谷で2回も乗り換えしていたら時間ヤバいよ。乗り換え回数を減らした方が早くなりそうだから、少し遠回りになってもJRにしない?」と同僚からルート変更の提案があったので、私は承諾し、大船から品川までJRで直行、そのまま山手線に乗り換え高田馬場に着いた。

 途中、午前9時15分頃だっただろうか。品川で東海道線から山手線に乗り換えようとしたとき、駅のアナウンスが「地下鉄日比谷線が爆発事故で運転見合わせ」を告げた。同僚と「爆発? あり得ないよな。誰かのいたずらだろう」と言い合いながら、私たちは山手線に乗り換えたのだった。

 午後3時過ぎ、高田馬場で仕事を終えた私は、残務がある同僚より一足先に帰ろうと高田馬場駅に着いた。このとき、駅の張り紙で日比谷線がまだ不通のまま、復旧のめども立っていないことを知った。事あるごとに復旧が遅いJR東日本と違い、いつもはすぐ復旧するはずの営団地下鉄が、運転見合わせから6時間経っても再開のめどすら立たないとは、よほどの重大事態だと思った。やがて、日比谷線で脱線事故が起き、乗客が亡くなっていることを電光表示のニュースで知ったとき、私は全身が震えるのを感じた。今朝、もし当初の予定通り東横線に乗っていたら、まさに事故が起きた午前9時頃、現場の中目黒を通過するタイミングだったからだ。

 同僚の遅刻が、結果的には私たちの命を助けてくれたのだと、そのとき知った。亡くなった5人の乗客と、助かった私たちの間に存在していたのは、ほんの少しの場所と時間の違いだけだった。同僚が遅刻してこなければ、私たちと5人が入れ替わっていた可能性は高かった。このとき私は、運命の非情さ、冷酷さを思わずにいられなかった。

 運輸省(当時)の調査によって、この事故の原因が、急カーブでの横圧による脱線だったことが突き止められた。中目黒は、日比谷線と東急東横線が合流する地点にあり、地下を走っている日比谷線が地上に躍り出てくるところである。ここには、通常運転方式の鉄道としては限界値に近い35パーミル(1000分の35)の急勾配があり、しかもその急勾配区間に半径160メートルの急カーブがあった。

 160メートルが鉄道線路の半径としていかに小さいか。それは、2005年に脱線転覆事故が起きたJR福知山線の事故現場のカーブが半径300メートルだったことを付け加えておけば十分だろう。福知山線のカーブのほぼ半分の半径だ。しかもこのカーブが、35パーミルの登り勾配の途中に位置しているのである。誤解を恐れず言えば、ちょっとしたジェットコースターのようなものである。

 脱線防止のための護輪軌条(いわゆるガードレール)はなかった。営団は、半径140メートル以下のカーブには護輪軌条を設けなければならないという社内規定を制定してはいたが、この社内規定はアリバイ作りと断定してもいいほどの酷いものだった。なぜなら、そもそも当時、鉄道施設・設備の基準だった運輸省令「普通鉄道構造規則」が、鉄道の曲線の最小半径を160メートルとし、それより小さい半径を認めていなかったからである。つまり、この時点での営団の規定は「護輪軌条はどこにも設置しなくてよい」というのと事実上同じことであり、全くの無意味だった。

 この場所では、1965年、1992年にも事故が起きており「魔のカーブ」と言われていた。しかも、電車の左右の車輪にかかる重量(輪重比)が最大で30%以上も偏っているという危険な状態がありながら放置され続けていた。輪重比の極端な偏りに危険を感じた現場から、会社上層部に対し、実態解明のための輪重計設置を要求する声が公然と上がっていたが、会社は無視した。1941年の創立以来、(踏切とホーム転落を除けば)一度も死亡事故を起こしていなかった帝都高速度交通営団の輝かしい歴史とは裏腹に、「魔のカーブ」はいつ犠牲者が出てもおかしくない危険な状態だったのだ。

 事故後、営団は現場に護輪軌条を設置するとともに、運転速度を落とす措置を取った。運転速度を落とせば、遠心力に起因する横圧は減少するから、脱線の危険性も大きく減る。だが、これはあくまでも対症療法的な措置に過ぎないのであって、このような危険な状態を放置していた営団の責任は、きわめて重い。

 9年前のあの日、同僚の遅刻によって私たちは偶然、命を救われた。なんの取り柄もないのに生き残った私は凄惨な現場のすぐそばにいた。私と引き替えるように散っていった5つの貴い命。みずからが持っている鉄道の知識を安全向上のために使おうと決意したのは、このときだった。

 日比谷線事故は、鉄道の安全向上に取り組む私にとって「原点」となった事故である。あれから9年…乗客が死亡する鉄道事故は不幸にして3件発生している(京福電鉄列車正面衝突事故、尼崎脱線事故、羽越線事故)。鉄道その他、公共交通の安全を求める私の活動は、これからも続く。

(2009/3/13・黒鉄 好)

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さようなら九州ブルートレイン

2009-03-13 22:24:04 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
鉄道ブログとして、やはり今日はこの話題しかないだろう。

東京発ブルートレイン「はやぶさ・富士」最終日(レスポンス)

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3月14日のダイヤ改正で姿を消すブルートレイン、寝台特急「はやぶさ・富士」(東京 - 熊本・大分)。13日の東京駅9・10番線ホームは、同列車の最後の出発シーンを見届けようとする3000人以上のファンで埋め尽くされた。

最後まで残った東京 - 九州間ブルートレイン「はやぶさ・富士」の乗車率は、JR九州によれば、ここ数ヶ月は惜別ファンの記念乗車などによって乗車率100%という数字を出してきたものの、2007年度の平均では約20%。1989年時と比べるとおよそ4分の1まで減少したという。

東京から九州まで行く夜行の公共交通といえば、1990年に登場の、新宿と博多を結ぶ西鉄高速バス「はかた号」があげられるが、こちらの乗車率は常に概ね好調のよう。東京 - 博多間の通常期料金で比べると、同列車で約2万3000円、同バスで約1万5000円。似ているルート・所要時間でおよそ8000円の開きがある。

また、夜を徹して関西方面へ向かう公共交通のひとつとして、ウィラートラベルのツアーバスに目を向けると、同社の全路線全便の昨年の平均乗車率は90%超。今後の目標として95%超を掲げているという話もある。

ブルートレインという公共交通が時代に取り残された存在となってしまったことが、乗車率だけを見てもわかる。そして高速バスは今後、高速道路大幅値下げによるマイカー利用増加という事態に対応する局面にさしかかっている。

《レスポンス 大野雅人》
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九州ブルートレインについては、もう当ブログも「廃止やむなし」の姿勢なので、あれこれ言うつもりはない。北海道夜行が今でも盛況なのは、津軽海峡を車で渡れないため(フェリーという手段はあるが)車との競合がないという特殊事情がある。「日本海」の場合は、他に選択肢がないという事情で仕方なく選んでいる人がほとんどだろう。

寝台列車を「夜の時間を有効利用するための列車」と位置づける時代は、とうの昔に終わった。今後はカシオペアやトワイライトエクスプレスのように、移動手段ではなく「乗ること自体の付加価値」を見いだすような「商品」としての売り出し方でないと維持は困難だと思う。

九州寝台特急のいつか全廃される運命は、実は国鉄分割民営化のときにすでに決まっていた。利益のために鉄道を動かそうなどと考える連中が、こんな非効率なものをいつまでも放置しておくわけがないからだ。鉄道ファン仲間の中には「民営化なんてしたら夜行は10年持たないのではないか」という人もいた。JR化直後にバブル経済という恩恵があったとはいえ、利益第一の「私企業」の下で、よく20年間も持ったなぁと、私はむしろ思っている。

廃止の原因は乗客減と車両老朽化が原因とマスコミは書いている。確かにそれも原因には違いないが、九州夜行廃止には他の原因も潜んでいる。最も大きい要因が、2008年から始まった東北本線の東京乗り入れ工事で、東北、高崎、常磐線の列車が東京に乗り入れるようになったら、品川の車両留置スペースが確保できなくなるためだ。これに、JR東海での機関車運転士の養成中止、九州地区での機関車交換作業の廃止による効率化などの事情も絡んでいる。はっきり言ってしまえば、関係4社(JR東日本・東海・西日本・九州)のうち、九州ブルトレを現状のまま残してもいいと思っていたのはJR西日本くらいだろう。その西日本にしたって、九州ブルトレは「残してもいいけどなくてもいい」程度の認識だったのではないか。

九州ブルトレの時代はこれでいよいよ終わった。だが名残惜しいとか、残念だとかいう感情は不思議に湧いてこない。完全燃焼し尽くし、定年退職する人を送別会で送り出すイメージに近い。昨年の0系新幹線引退のときと同じである。

九州ブルトレの引退にあたり、当ブログが「去りゆくあなたに贈る言葉」は「長い間お疲れさまでした」のひとことだけでいい。

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富士・はやぶさ最終撮影

2009-03-07 21:54:37 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
東京へ行かなければならない用件があったので、ついでに横浜駅で「富士・はやぶさ」のラスト撮影をしてきた。携帯しか持っていなかったので出来映えは保証できないが、とりあえず成果発表(動画)。

なお、空き時間を利用して未乗区間だった京急久里浜線を全線乗車した。

【完乗達成】京浜急行電鉄久里浜線

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【農地法改正】企業参入と担い手/副作用徹底して審議を

2009-03-06 22:16:07 | その他社会・時事
企業参入と担い手/副作用徹底して審議を(日本農業新聞論説)

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 政府は農地法改正案を国会に提出した。狙いの一つは、企業の農業参入促進であることは間違いない。農水省の伝統的な担い手政策を修正する考えが含まれており、影響はさまざまな面に及ぶ。国会審議で、企業参入の可能性と限界、参入による副作用について、よく議論し、必要な処方せんを講じるべきだ。

 同省は、戦後の「自作農創設」から旧農業基本法の「選択的拡大」、「新しい食料・農業・農村政策の方向」の「効率的安定的な経営体」に至るまで、農家と、農家を基盤とする経営体(農業生産法人)を農業活動の主体に据えてきた。現行の食料・農業・農村基本計画で集落営農組織を担い手に位置付けたのも、この延長線だ。企業を新たな担い手とする考えは、農業構造改革の質的な変化で、「歴史的な大転換」であることを指摘したい。

 同省の構造改革とは、農業で勤労者並みの所得を挙げる農家を育成し、こうした層が生産の相当部分を占める効率的な生産体制を確立するというものだ。認定農業者とは、その目標に向かって経営努力する人であり、国がさまざまな対策で支援する。これが農政の基本である。ポイントは育成すべき対象があくまで農業内部にいるという点だ。

 今回の農地法改正案には、農業の内部外部を問わず、主体を拡大・多様化する意図が込められている。営農意欲があるなら、農家であれ企業であれ問わない。特区で始まったリース方式による企業などの参入は、2005年の農地法改正で全国に展開し、08年9月現在320に上る。今回は、所有制限が最後のとりでとして残ったが、この流れでは外れるのが時間の問題となる恐れがある。

 「企業への農地解放」が、さほどの軋轢(あつれき)を生まずに進む背景には、39万ヘクタール近い耕作放棄地を生み出した負い目が農業関係者にあるからだろう。農家自らが農地を守り切れないのに、とやかく言うなというわけだ。「耕作放棄地の解消」を、錦の御旗にして反対論を封じ込めている。

 企業の農業担い手論には、楽観論の響きが感じられる。規制緩和すれば企業の農業参入が次々と進み、自由化に対抗できる力強い農業構造が実現し、食料自給率も上がる――というようなことが簡単にできるだろうか。

 逆にこんなケースが想定されないか。企業は収益性の低い水田農業には参入しない。条件の悪い農地には見向きもせず、中山間地の耕作放棄地の増加に歯止めがかからない。地域によっては優良農地の取り合いが認定農業者との間で激化する。

 各党は企業の農業参入への過大な期待を戒めてもらいたい。国会は、農地法改正案の功罪を冷静に、そして十分に審議するべきだ。同時に家族経営に対する政策支援を後退させてはならない。
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いよいよ戦後農政の一大転換、農地法改正が日程に上ってきたようだ。

戦後農政の柱は、記事にもあるように「自作農創設」であり、これは別の言い方をすれば「小作農からの解放」を意味した。この戦後改革は、大地主による農民への搾取がなくなったという意味で巨大な前進ではあったが、所得の農工格差解消という課題の解決には失敗した。

農家の所得が増えなかったわけではない。しかし、戦後、サラリーマンの給与が10倍になったのに、米価は4倍程度にしかならなかったから、結果的に農業では食えなくなった。農家のうち、ある者は廃業して都会を目指し、またある者は兼業農家として農業を副業にしながら生活をすることになった。耕作放棄地の拡大は、食えなくなった農家が大量に廃業していった結果であり、農村の現実が深く影を落としている。

「耕す者が所有する」農地法の原則を、「土地を持たない者が耕す」貸与も含めた方向への改正が、こうした農村の現実を何とかしたいという思いから出たものであることは理解できる。自作農で食えなくなったことが耕作放棄の原因だから、土地資本の集積を認め、多様な経営体に参入をさせてみようということである。だが、うまくいく保証はない。

『企業の農業担い手論には、楽観論の響きが感じられる。規制緩和すれば企業の農業参入が次々と進み、自由化に対抗できる力強い農業構造が実現し、食料自給率も上がる――というようなことが簡単にできるだろうか。

 逆にこんなケースが想定されないか。企業は収益性の低い水田農業には参入しない。条件の悪い農地には見向きもせず、中山間地の耕作放棄地の増加に歯止めがかからない。地域によっては優良農地の取り合いが認定農業者との間で激化する』

日本農業新聞のこの予想は、かなり現実味を帯びていると私は思う。結局のところ、企業というのはビジネスのためにやるのだから、儲かるところでしかやらない。中山間地域のように、耕作放棄が広がり、本当に関係者が担い手を捜している非効率な場所ほど担い手は見つからないだろう。大潟村のように、個人農業でも何とか食べていける優良な土地ほど企業が虎視眈々と狙いを定めるというのは、じゅうぶんあり得るシナリオである。

もうひとつ、企業に農業を解放した場合、企業が狙っているのはおそらく高い付加価値をつけられそうな施設利用型農業(果樹・花き、畜産など)ではないだろうか。この分野ではすでにかなり企業化が進んでいるが(特に畜産)、既存農家の耕作放棄地を借りられるようになった場合、そこで水田を経営するのではなく、果樹・花き、畜産などが展開されるのではないかと当ブログは予想する。

もちろん、放棄された耕作地が有効に活用される中で、安全な食材が「顔の見える生産者」の元で供給され、自給率も向上するならそれに越したことはない。それに、事態がここまで深刻化した現在、「デメリットが考えられるから改革反対」と言う段階はとうに過ぎたのではないか。

だが、日本農業新聞の懸念もあながち杞憂とばかりは言えない。改革がもはや避けられないとしたら、その中で私たちの目指すべき方向性ははっきりしている。生産者が誇りを持って働き、食べていける所得水準を確保すること、国土と自然の保全に役立つような環境型農業であること、産地偽装等が生まれないよう、生産から消費まで一貫して透明化された流通形態を確立すること、そして何より私たちの食が安全であること。

これらが時代の要請であることは間違いないと思う。今後の農政には、こうした課題を解決するための方策こそが、求められる。

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「時代遅れの経産省は解体せよ」について

2009-03-05 22:59:55 | その他社会・時事
3月3日付エントリの経産省ネタ、改めて読み返してみると、かなり怒りの感情にまかせて書いた文体で我ながら恥ずかしいと思っている。冷静になってきたところで少し補足しておきたい。

3日のエントリの意味するところは、こうである。すなわち、経済は発展段階を経るごとに第1次産業から製造業、サービス業、知識労働へと転換していく。マルクスは、資本主義のある段階においては肉体労働と頭脳労働の対立が発生すると予言したし、経営学者のドラッカーも、社会が豊かになるほど経済は知識労働がその中心になっていく、と考えた。マルクスは社会主義者であり、一方のドラッカーは、企業経営者の中に熱烈な信奉者がいるほどの経営学者である。政治的立場は正反対とも言える2人が、揃って経済の知識労働化を予言したことは大変興味深い。

その2人が予言したとおり、日本も農林水産業から炭鉱などのエネルギー産業、製造業の時代を経て、サービス業など「第3次産業」の時代となった。農林水産業からエネルギー・製造業への転換は大正・昭和期、製造業からサービス業への転換は高度経済成長の終焉の頃に起こったと言えるが、そもそも資源産業を第1次産業、製造業を第2次産業、サービス業を第3次産業とした戦後型の産業分類ですら、最近の経済構造の変化を考えるとかなり時代遅れになってきていると思う。

20年ほど前(バブル期あたり)から、サービス業の中心が金融・保険業に移り、さらにIT産業に見られるように製造業も専門知識が必要なものに次第に変わってきた(これらを仮に第4次産業と呼ぶ)。

現在では、この第4次産業の上に、新たに第5次産業とでも呼ぶべき構造物が積み重なっている。医療・福祉・教育など人間力がそのまま仕事の質を決定するような新たな産業であり、現在、最も人手不足が深刻なのは、人間力が仕事の質を決定するこのような産業なのである。

これらの産業は、人間力勝負なのであるから、製造業で大量の失業者が出たからと言って、彼らを単純に送り込めば成功するほど簡単なものではないし、そもそも数を送り込めばいいというものでもない。人間力勝負だから、研修・育成に長い時間がかかり、それが功を奏する前に本人が我慢できなくて辞めるか、医療・介護・福祉の現場が持たなくなるかのどちらかである。人手不足は、こうした背景もあって深刻さを増してきている。

私が、経済産業省の横やりに激しく怒ったのは、経産省がこうした日本経済の産業構造の転換という事実を全く理解できずに、「製造業の失業者は製造業で新たな産業を創出して吸収」という古い価値観から脱却できていないからである。いわば経産省という役所は、未だに古くさい「重厚長大型製造業信仰」を振りかざし、戦艦大和と旧式戦車で戦地に赴こうとしているのである。

日本の製造業は、極限まで合理化に次ぐ合理化を進めた結果、もはや労働者を食べさせるだけの雇用吸収力を失っており、以前のように正社員で大量に労働者を雇用する選択肢はなくなりつつあるのではないか。そのことを浮き彫りにしたのが今回の経済危機だったのではないかという気がする。だとすれば、失業者への支援を社会全体で担いながら、産業構造の転換に見合った労働力吸収の道筋を考えなければならないと当ブログは考える。

新たに人手を求めている「第5次産業」は、人間力が仕事の質を決定する産業だけに、働き手の研修・育成が最も大きな意味を持つ。それには、これらの仕事を所管する文部科学省や厚生労働省が関わりを持ち、ある程度長期的視野で取り組むべきものであり、どう考えても経産省が出る幕ではないのである。いずれにしても、「重厚長大型戦時体制」でしか物事を捉えることができない経産省の役割は終わったと言うべきである。

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 1月下旬に盛り上がった「大企業は内部留保(利益剰余金から配当金を差し引いたもの)を取り崩して、その原資で非正規切りをやめるべきだ」という野党・労働組合の主張を沈静化させた経産省幹部の働きである。

 雇用問題に関する国会答弁の想定問答は厚労省が準備するのが通常だが、この件に関しては、経産省が以下のシナリオを準備した。

 ――内部留保は、過去の利益の蓄積であり、その多くは生産設備などに再投資されている。これを使うには、設備を売却し現金化する必要がある。仮に工場を売却するならば、そこで働く従業員をクビ切りしなければならず、逆に雇用を不安定化させる――。

 内部留保はキャッシュとして積んであるものではないという企業会計を、厚労省は理解できていなかった。経産省は黒子のごとく与党をサポートし、「雇用問題は企業経営を知らないと解決できない、と厚労省に見せつけたのだ」(内閣官房関係者)。
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最後に、この部分に少しだけコメントしておく必要があるだろう。
内部留保は、現金の形を取るものばかりとは限らないから、企業が内部留保を取り崩せば明日の生産活動ができなくなる、という見方はもちろん「一部」正しい。しかし、この経産省のシナリオに乗せられると、物事の本質は見えなくなる。

今の日本経済は、「1年後の企業活動より国民の明日の命」という状況に来ている。経産省が経済界を守るため、そのお先棒を担いで国民不在の理論武装をするのは勝手だが、それならば、当ブログは経産省に問いたいことがある。「労働者は企業にとって生産活動の基盤ではないのか」と言うことだ。

労働者を首切りして工場を守ったとして、誰が工場を動かすのか。社長が作業着を着て北海道から沖縄まで全国の工場で機械のスイッチを入れて回るのか。決してそうはならないことは明らかであり、すなわち経産省の言っていることは、プロ野球労組のストライキに対して「たかが選手が」と言い放ったナベツネと同じ低レベルの議論に過ぎない。

このように考えると、事の本質は内部留保の形態の問題ではないことがわかるだろう。企業が明日の経済活動を続けたいなら、工場を守るだけではダメで、労働者も同時に守るものでなければならない。そのために、現金化されていない内部留保は取り崩せないというのであれば、役員報酬や株主への配当を削ればよいのだ(いくら経産省が厚顔無恥でも、まさか役員報酬や株主配当が非現金だなんて言わないだろう)。

結論として、現在、無慈悲に行われている大量首切りは、やはり身勝手な行動といわなければならないし、そうした身勝手な首切り企業から労働者を守る手段を考えようとしている厚労省に横やりを入れてかき回す経産省は不要である。3日のエントリで当ブログが主張したかったことは、おおむねこのような内容である。

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