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九州電力前金曜行動に初参加 事故直後から続く福島の状況を訴える

2018-10-27 07:44:24 | 原発問題/一般
今日午後から所用があって九州・福岡に来ている。日曜日まで滞在予定だが、金曜反原発行動はここ福岡でも行われている。今日はいつもの北海道庁前行動に代わり、ここでアピールを行った。被災地から遠い九州では、なかなか福島の生の声を聞く機会は少ないと思い、福島での経験を話すことにした。

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 皆さん、初めまして。今日は北海道・札幌から参りましたが、日本と、そして原発の運命を大きく変えたあの3.11当時は福島県西郷村に住んでいて、原発事故をそこで経験しました。今日、10月26日は偶然にも「原子力の日」です。その日に合わせて、今日は私の経験をお話ししたいと思います。

 福島県西郷村は栃木県との県境で、新白河という東北新幹線の駅があります。3.11当日は震度6弱という大きな揺れで立っていられないほどでした。地震による被害はなく、内陸部なので津波も受けませんでしたが、原発事故の影響はこの村にも及びました。一時避難をしていて、4月下旬に村に戻りましたが、「今まで見たことのない量の鼻血が出て止まらない。子どもだけではなく自分も鼻血が出るんです」と言いながら、若いお母さんたちが目を血走らせながら自主的な避難先を探していました。一方、県や市町村などの行政は、異常時であればあるほど平静を装おうとし、放射能の影響を不安に思う保護者がいるのに通常通り学校が再開されていきました。県庁所在地の福島市などは、チェルノブイリ原発事故では強制避難区域に該当する放射線量だったのに行政は避難指示をどこにも出しませんでした。私の住んでいた西郷村も、チェルノブイリ事故の際、移住を希望する人は国から移住支援を受けられる地域に該当するほどの放射線量になっていました。草刈りをした後に積まれたままになっていた雑草の山に線量計を当ててみると、振り切れたことがあります。

 健康不安を感じた福島県民が避難する流れは、その後2~3年くらいは続き、春の進学・就職シーズンになるとまとまった数の県民が避難して県の人口が減るということが続きました。県外に避難した人は4万人、県の人口が200万人でしたからその約2%が避難したことになります。

 1年を過ぎるころから、今度は住民の間で分断が深刻になってきました。避難指示が出た地域と出なかった地域、自主避難した人と県内に残った人とはもちろん、県に残った人同士でも賠償金をもらえた地域ともらえない地域の間に分断の線が引かれました。地域によっては道路1本を隔てて、東京電力からの賠償金をもらえる「特定避難勧奨地点」に指定されたところとそうでないところに分かれました。

 福島は自然が豊かで、広い家が多く、自宅の庭先で多くの野菜や農産物が採れます。原発事故が起きるまでは向こう三軒両隣、採れたものをお裾分けしたりして助け合っていた人たちの間で「お前のところは賠償をがっぽりもらえていいな」「賠償で毎日パチンコに行けていいな」という会話が飛び交うようになりました。助け合っていたはずの人々から会話も消え、ついには挨拶さえも交わさなくなり、地域コミュニティが壊れていくのを私は目の当たりにしました。

 やがて、避難区域が放射線量ごとに再編されると、激しい放射能汚染のため1年間の外部被曝が50ミリシーベルトを超えることが見込まれる地域は帰還困難区域とされました。これ以外の区域の人たちは、避難者であってもお盆やお彼岸、年末年始には自宅への一時帰宅が許されましたが、帰還困難区域の人たちは一時帰宅さえ許されないまま7年半が過ぎました。ほんの数十分の間、自宅の様子を見に行くこともかなわず、着の身着のまま住み慣れたふるさとと永遠の別れを強いられたのです。

 「原発事故とは何か」と聞かれたら皆さんは何と答えるでしょうか。私は「すべてを失うこと、奪われること」だと答えます。「ふるさとは遠きにありて思ふもの」という有名な詩があります。しかし人がそのように思えるのは、いつでも帰れる存在としてのふるさと、功成り名を遂げていつでも凱旋しようと思えばできる存在としてのふるさとが存在しているからです。しかし、福島で住み慣れた家を追われた人たちに、そのようなふるさとはありません。子どもの頃駆け回った野や山、思い出の詰まった学校や公園、先祖たちが眠る墓――それらのすべてに、帰還困難区域の人たちはもう二度と帰ることができないのです。事故から数年の間、避難指示区域の人たちは、集まるたびに「ふるさと」を合唱していました。しかし歌ったからといってふるさとに帰れる日が来るわけではありません。むしろこの歌が歌われれば歌われるほど、ふるさとに帰りたいとの目標が遠ざかっていくのが見ていてはっきりわかりました。長年、自分を生み育ててくれたふるさとに帰りたいのに帰れない。その一方で、健康不安のため避難した人たちは、住宅支援が打ち切られたため生活が困窮して家賃が払えず、帰りたくない福島に帰らなければならない。ふるさとに帰りたいと思う人、新天地で新たな生活を始めたいと願う人、原発事故とその後の安倍政権による冷酷な政治は、その両方の人たちの願いを打ち砕いたのです。

 私は、こんな残酷な目に遭う人たちを二度と生んでもらいたくありません。こんな思いをするのは福島が最後であるべきです。そのために、いま原発が再稼働している地域の人たちには、何よりもまず原発を止めてほしい。再稼働に反対してほしいと思います。

 玄海原発と福岡市は、直線距離で50km程度と聞いています。福島第1原発と福島県最大の都市である郡山市、高い放射能汚染の中にある郡山市がちょうど50kmくらいです。玄海で事故が起きれば福岡市も同じようになるでしょう。福岡市の人口は福島県とほぼ同じくらいです。同じ比率で2%が避難すれば、3~4万人近い人がふるさとを奪われることになるのです。原発に反対しましょう。皆さんと一緒に頑張りたいと思います。

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【福島原発事故刑事裁判第32回公判】武藤氏同様、津波の危険を深く知りながら対策先送りに加担した武黒氏 東電の主張は「チッソ」など過去の公害企業と同じだった

2018-10-26 22:19:17 | 原発問題/福島原発事故刑事訴訟
●「福島第一は津波に弱い」2度の警告、生かさず

 10月19日の第32回公判では、武黒一郎・東電元副社長の被告人質問が行われた。武黒氏は2007年6月から2010年6月まで取締役副社長原子力・立地本部本部長であり、津波対策が検討された当時、原発の安全対策の責任者だった。

 2008年2月の「御前会議」、同3月の常務会で、政府の地震本部が予測した津波に基づく対策を、被告人らがいったん了承したのではないかと問われ、武黒氏は「意思決定の場ではありませんでした」「常務会の報告内容と直接かかわらない補足的な内容だ」などと否定。2009年4月か5月に、初めて15.7mの津波予測を聞いたと説明した。

 一方、この公判で初めてわかったこともあった。武黒氏は、事故前に二度にわたって「福島第一は津波に弱い」という情報を受け取っていたらしいことだ。武黒氏は、敷地を超える津波が全電源喪失を引き起こすこと、政府予測では津波は敷地を超えること、両方の報告を遅くとも2009年春までには受けていた。それにもかかわらず、福島第一原発の安全確認である耐震バックチェックを当初予定より7年も先送りしていた。

●「来てもおかしくない最大の津波を想定すべき」

 武黒氏が福島第一の津波に対する脆弱性を知ることが出来た最初の機会は、1997年から2000年ごろにかけてのことだ。

 このころ、東電の原子力管理部長だった武黒氏は、電事連の原子力開発対策会議総合部会(以下、総合部会)のメンバーにも入っていた。ここではたびたび、津波問題が話し合われていた(注1)。

 1997年6月の総合部会議事録によると、当時建設省などがとりまとめていた「7省庁手引き」(注2)について、以下のように報告されている。

 「この報告書(7省庁手引き)では原子力の安全審査における津波以上の想定し得る最大規模の地震津波も加えることになっており、さらに津波の数値解析は不確定な部分が多いと指摘しており、これらの考えを原子力に適用すると多くの原子力発電所で津波高さが敷地高さ更には屋外ポンプ高さを超えるとの報告があった」

 同年9月の第289回総合部会でも、以下のように報告されている。

◯従来の知識だけでは考えられない地震が発生しており、自然現象に対して謙虚になるべきだというのが地震専門家の間の共通認識となっている。

◯最近の自然防災では活断層調査も含めて「いつ起きるか」よりも「起きるとしたらどのような規模のものか」を知ることが大切であるとの基本的な考え方となってきており、津波の評価においても来てもおかしくない最大のものを想定すべきである。

◯現状の学問レベルでは自然現象の推定誤差は大きく、予測しえないことが起きることがあるので、特に原子力では最終的な安全判断に際しては理詰めで考えられる水位を超える津波がくる可能性もあることを考慮して、さらに余裕を確保すべきである。


 1998年7月の第298回総合部会でも、「津波に対する検討の今後の方向性について」として、以下のような報告がされている。

(前略)

(2)余裕について

・原子力では数値シミュレーションの精度は良いとの判断から、評価に用いる津波高には余裕を考慮せず計算結果をそのまま用いてきた。

・MITI顧問(注3)は、ともに4省庁の調査委員会にも参加されていたが、両顧問は、数値シミュレーションを用いた津波の予測精度は倍半分程度とも発信されている。

・さらに顧問は、原子力の津波評価には余裕がないため、評価にあたっては適切な余裕を考慮すべきであると再三指摘している(ただし、具体的な数値に関する発言はない)。


●「全国で最も脆弱」と判明していた福島第一

 2000年2月24日に電事連役員会議室で開かれた第316回総合部会で、重要な報告があった。検察官役の指定弁護士、石田省三郎弁護士が、電気事業連合会の議事録をもとに明らかにした。

 津波予測の精度は倍半分(2倍の誤差がありうる)と専門家が指摘していたのを受けて、通商産業省は、シミュレーション結果の2倍の津波が原発に到達したとき、原発がどんな被害を受けるか、その対策として何が考えられるかを提示するよう電力会社に要請していた。電事連がとりまとめたその結果が示されたのだ。

 福島第一は、1.2倍(5.9〜6.2m)の水位で、「☓(影響あり)」「海水ポンプモーター浸水」と書かれていた。1.2倍で「☓」になるのは、福島第一と島根しかないことも報告された(表)。福島第一は、全国で最も津波に余裕がない原発だとこの時点でわかっていたのだ。約半分の28基は、想定の倍の津波高さでも影響がないほど安全余裕があることも示されていた。


第316回電事連総合部会で示された津波影響評価。福島第一と島根がもっとも脆弱なことがわかる。(国会事故調参考資料p.41から)


 石田弁護士は解析結果を示して、「当時より、福島第一に津波が襲来したとき裕度が少ないことは議論されていたのではないか」と武黒氏に質問。武黒氏は「欠席しております。津波評価に関わることですので、担当部署に伝えられたと思う」と答えた。

 議事録によると、確かにこの回は武黒氏は欠席していた。しかし前述したように、1997年以降、電事連の総合部会では何回も津波問題が話し合われていた。それを武黒氏が知らなかったとは考えにくい。

 この回の総合部会では、土木学会手法のとりまとめをしていた土木学会津波評価部会の審議状況についても報告されていた。議事録にはこう書かれている。

 津波評価に関する電力共通研究成果をオーソライズする場として、土木学会原子力土木委員会内に津波評価部会を設置し、審議を行っている。

 電力関係者が過半数を占め、電力会社が研究費を負担して津波想定を策定する土木学会の実態(第22回傍聴記参照)についても、武黒氏は知っていた可能性がある。

●「可能であれば対応した方が良いと理解していた」

 「福島第一が津波に弱い」と聞いた2回目は、2006年9月の第385回総合部会の時だ。このころ、武黒氏は常務取締役原子力・立地本部長で、総合部会長を務めていた。この回では、原子力安全・保安院と原子力安全基盤機構(JNES)が設置した溢水勉強会の調査結果について紹介されている。

 同年5月、福島第一に敷地より1m高い津波が襲来したらどんな影響が出るか、東電は溢水勉強会に報告していた。非常用電源設備や各種非常用冷却設備が水没して機能喪失し、全電源喪失に至る危険性があることが報告されていた。それが総合部会で取り上げられたのだ。

 「国の反応は、土木学会手法による津波の想定に対して、数十センチは誤差との認識。余裕の少ないプラントについては「ハザード確率≒炉心損傷確率」との認識のもと、リスクの高いプラントについては念のため個別の対応が望まれるとの認識」と議事録にはある。

 また、同年10月6日に、耐震バックチェックについて保安院が全電力会社に一括ヒアリングを開いたときの、電力会社への要請も武黒氏に伝わっていたと証言した。

 保安院の担当者は以下のように述べていた(注4)。

 「自然現象は想定を超えないとは言い難いのは、女川の地震の例からもわかること。地震の場合は裕度の中で安全であったが、津波はあるレベルを越えると即、冷却に必要なポンプの停止につながり、不確定性に対して裕度がない」

 「土木学会の手法を用いた検討結果(溢水勉強会 )は、余裕が少ないと見受けられる。自然現象に対する予測においては、不確実性がつきものであり、海水による冷却性能を担保する電動機が水で死んだら終わりである」

 「どのくらいの裕度が必要かも含め検討をお願いしたい」
 「バックチェックでは結果のみならず、保安院はその対応策についても確認する。今回は、保安院としての要望であり、この場を借りて、各社にしっかり周知したものとして受け止め、各社上層部に伝えること」

 武黒氏は、保安院の要請について「必ずしもという認識ではなかった。可能であれば対応した方が良いと理解していた」と述べた。

●「武黒・吉田会談」もう一つの運命の日

 武黒氏は、2009年の4月か5月に、津波想定を担当する原子力設備管理部長だった吉田昌郎氏から、15.7mの津波予測を初めて聞いたと証言した。この場面で武黒氏が何を考えたのか、石田弁護士は何度も質問して迫った。

 石田「現実に津波が襲来したらどんな事態になるか考えられましたか」「もし来るとなれば、福島第一の状況はどのようになるんでしょうか」

 水に浸かったとしても、原発の機能が保たれるなら問題はない。しかし、武黒氏は、津波が敷地に浸水すれば全電源喪失に至る危険性を知っていた。吉田氏から示された浸水予測が、どんな事故につながるのか、イメージできたのだ。武藤氏より明確に見えていたのではないだろうか。

 武黒氏は「溢水勉強会は、無限の時間を仮定している。ダイナミックな津波の動きは仮定していない」「そういう議論はありませんでした」などと答えたが、原発の技術者として、その日、何を直感したか、大事な返答をしなかった、ためらったように見えた。

 吉田部長から津波想定を土木学会で検討してもらうのに「年オーダーでかかる」と聞いたとも述べた。

 石田弁護士は、武黒氏が検察官の聴取に「少し時間がかかりすぎるとは思いました」と述べていたのではないか確認すると、「時間がかかるなとは申しました」と答えた。

 この日、福島第一の津波に対する脆弱性と、政府の津波予測、二つの情報が重なりあった。事故リスクははっきり見えたはずだ。武黒氏は、この日、指示を出すことができた。日本原電東海第二のように、こっそり長期評価への対策を進めることや、中部電力浜岡原発のように、ドライサイトにこだわらない浸水対策を実施することも出来た。実際、武黒氏は「女川や東海はどうなっているのか」と、他社の動向を気にしていた(2009年2月の御前会議)。

 しかし、福島第一では何も対策を進めなかった。「土木学会で3年ぐらいかけて議論してもらう」という方針を認めたのだ。それは他の電力会社は選ばなかった方法だった。

 2008年7月31日「ちゃぶ台返し」の日と並んで、2009年の4月か5月、日付が特定されていないこの日も、福島第一の運命にとって重要な日だったように思われる。

●責任者が隠された「大きな流れ」

 武黒氏は、勝俣元会長らが出席することから「御前会議」と呼ばれていた「中越沖地震対応会議」について、「情報共有の会合であり、意思決定の場ではない」と何度も強調した。これは武藤氏と同様だった。

 しかし、注目される発言もあった。御前会議の位置づけについて、「大きな流れが、結果として出来上がってくることもあります」と説明したのだ。

 2008年2月の御前会議で、津波想定を担当する部門は、地震本部の長期評価を取り入れて津波対応をすると書いた資料を提出した。それに対し、幹部らから特に異議が無かった。報告者はそれを「承認された」ととらえていたのではないだろうか。

 津波想定に限らず、これが東電の原子力における意思決定の実態だったのではないかと推測される。異議がなければ承認されたものとして、前に進められる。東電として「大きな流れ」が作られる。しかし、いざ問題が生じた時、会議の場にいた責任者は、「報告を受けただけで、承認したわけではない」と責任回避の言い逃れが出来る仕組みだ。

●バックチェック7年先延ばし、誰が意思決定?

 武黒氏、武藤氏の本人質問を傍聴した後でも、二点、良くわからないことが残った。

 一つは、耐震バックチェック中間報告を福島県に報告する際(2008年3月)の想定QA集(注5)はどのように作られて、誰が承認したのかという点だ。

 このQA集には、「過去に三陸沖や房総半島沖の日本海溝沿いで発生したような津波(マグニチュード8以上のもの)は、福島県沖では発生していないが、地震調査研究推進本部は、同様の津波が福島県沖や茨城県沖でも発生するというもの。この知見を今回の安全性評価において、「不確かさの考慮」という位置づけで考慮する計画」(SA7-1-7)と書かれていた。

 対外的なQAは、会社の方針を明らかにする文書であることから、多くの会社では、かなりの上層部の決裁が必要となる。東電では、この手続が無かったのだろうか。武黒氏はQA集に書かれているような長期評価の取り扱いについて東電として決定したことは「ありません」と述べた。それでは一体誰が、このQA集の記述を認めたのだろう。

 もう一つは、耐震バックチェックを先延ばしすることについて、経営幹部はどう判断していたのかわからないことだ。福島第一原発の耐震バックチェック最終報告は、当初は2009年6月だった。ところが2009年2月の御前会議資料では「2012年11月」とされ、「他電力最終報告時期(2010年11月)より2年程度の遅れ」とも書かれていた。

 武黒氏は「当時(2009年2月ごろ)の認識として、あと3年で終えられるかどうか自信を持って見通せる時期ではなかった」と述べた。

 さらに、2011年2月6日の御前会議に提出された資料では「2016年3月となる見通し」と書かれている。

 現在運転中の原発について、安全確認の期限を先延ばしする。そんな重大な事項について、いったい誰がどのように承認したのか、武黒氏、武藤氏の本人質問からはわからなかった。

 もしかするとバックチェック先送りも、現場からの報告が、なんとなく「大きな流れ」となって、特段の承認もなく、既成事実化されていたとでも言うのだろうか。

 「安全確認を当初より7年も遅らせる」ことを、誰が責任を持って認めたのか、最高責任者が説明出来ない。それは原発を運転する会社としては信じられない。

●公害企業の決まり文句「不確実なことに対応するのは難しい」

 「わからないこと、あいまいなこと、不確実な事柄への対応は難しい」

 「その当時わかっていたこと、当時わからなかったことの間に乖離(かいり)があった」

 津波の予測に不確実性があったから対応が難しかったと武黒氏は主張した。これは、過去の公害企業が責任逃れに科学的な不確実さを持ち出す構図とそっくりだ。

 水俣病を引き起こしたチッソは、裁判でこう主張していた。

 「本件水俣病発生当時においては、アセトアルデヒド製造工程中に水俣病の原因となるメチル水銀化合物が生成することは、被告はもとより化学工業の業界・学界においても到底これを認識することがなかった」

 これについて、宮本憲一氏は『戦後日本公害史論』で、以下のように述べている。

 「(研究者間で)内部の意見の対立があったかなどを例にして、チッソ自らの予見不可能性や対策の失敗をあたかも科学的解明の困難にあったかのように責任を転嫁している。(中略)科学論争に巻き込もうとしているのだ」(注6)

 地震学はまだ発展の途上にあるため、津波の予測にともなう科学的不確実さは、いつまで先送りしても無くなることはない。原発を安全に運転するためには、不確実さを適切に考慮して余裕を持って対処する必要がある。

 武黒氏は1990年代後半から、電事連総合部会で、不確実さを巡る議論を聞いていたと思われる。他の電力会社は、建屋の水密化を進めるなど対策を進めていた。何もしなかったのは東電だけだった。耐震バックチェックを大幅に先延ばししようとしていたのも、東電だけだった。

 武黒氏は「私としては懸命に任務を果たしてきた」と述べたが、他の電力会社と比べると、東電の津波対策は明らかに劣っていたのである。

注1)国会事故調 参考資料 p.41〜46

注2)「太平洋沿岸部地震津波防災計画手法調査報告書」及び「地域防災計画における津波対策の手引き」国土庁・農林水産省構造改善局・農林水産省水産庁・運輸省・気象庁・建設省・消防庁 1998年3月

注3)故・阿部勝征・東大名誉教授と首藤伸夫・東北大名誉教授

注4)2006年10月6日に、耐震バックチェックについて保安院が全電力会社に一括ヒアリングを開いたときの記録(電事連作成)

注5)福島第一/第二原子力発電所「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針」の改訂に伴う耐震安全性評価(中間報告)QA集 東電株主代表訴訟 丙88号証

注6)宮本憲一『戦後日本公害史論』岩波書店(2014) p.301

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北海道ブラックアウトは戦後の電力失政の巨大なツケだ 国策民営体制を改め今、電力国有化を

2018-10-25 22:37:34 | 原発問題/一般
(この記事は、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2018年11月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 北海道全域を停電に追い込むきっかけとなった北海道胆振東部地震、震度7の激震から1ヶ月半が経過した。混乱状態に陥った北海道では、震度4を記録する大きめの余震が数回記録されたものの、最も揺れが大きかった厚真町では避難指示が解除され、電力不足の懸念から出されていた節電要請も解除されるなど、道民生活は表面上、落ち着きを取り戻しつつある。

 のど元過ぎれば熱さを忘れるということわざもあるが、そこはとりわけ自分たちにとって不都合な歴史的教訓は忘れることが大得意の日本国民のことだ。のど元も過ぎないうちからもう大停電などなかったかのように見える。平穏な日常生活が戻りつつあることは喜ばしいことだが、この間、大停電を引き起こした問題は何ひとつ解決されていない。

 筆者の見るところ、震度7の激震は確かに大停電の引き金を引く出来事ではあった。だが同時に賢明な本誌読者の皆さんなら当然にこのような疑問を抱かれたことだろう。「震度7は一昨年の熊本地震でも観測されたが、九州では大停電は起きなかった。東日本大震災でも太平洋沿岸の多くの発電所が被災したのに東北でも大停電は起きなかった。なぜ北海道でだけこの程度のことで大停電が発生したのだろうか」と。

 大停電以降、この問題を自身の売名や個人的利益のために利用しようと狙う愚か者たちが「大停電は泊原発が稼働していなかったせいだ」との言説を垂れ流している。だがこの論が間違っていることは、東日本大震災で全原発が停止した首都圏でも東北でも局地的停電や節電といった動きはあったものの、全域大停電は起きなかったことひとつ取ってみても明らかだ。

 本稿は、筆者自身がこのような疑問を持ち、この1ヶ月半思考を続ける中から生まれた。たどり着いた結論は「北海道大停電は、戦後70年の電力失政が蓄積した結果起きた最終的大破たん」だというものであった。同時にこの間、危機が進行してきたJR北海道の路線廃止問題と構図がそっくりであることに気づくとともに、鉄道も電力も国有化の必要性にますます確信を抱くに至った。

 この問題を単なる大停電問題に矮小化して考えてはならない。そのような矮小化は事態の本質をも見誤らせ、根本的解決を困難にする。逆に、現在の利権構造を維持するため、事態の本質に触れられたくない者たちが必死に「大停電問題への矮小化」を図っている様子もおぼろげながら見える。さらに言えば、筆者は今回の大停電が今後の日本の電力政策に与える影響は、もしかすると2011年の福島第1原発事故さえ上回ることになるかもしれないと考えている。福島第1原発事故は確かに戦後日本の転換点となるべきものであり、日本の電力政策の破たんを内外に強く印象づけた。だがそれは日本の電力政策のうちあくまで原子力の部分に限られていた。しかし今回の大停電を通じて、戦後日本の電力政策の失敗が単に原子力分野にとどまらず、他のすべての電源を含めた全面的敗北を意味するものへと、より一層深化したことを示す数々の兆候が見え始めている。筆者は、事態の本質を解明したいと考えているすべての読者のため、北海道現地から本稿を贈る。

 ●エンゲルスが150年前に提起した課題~公共財を私企業が担うことの危険性

 そもそも鉄道事業を初め、電力・ガスなどのインフラ型産業には、一般の産業とは違う特性がある。(1)独占性・非競争性(利用客は、それが気に入らないからといって他社の同種のサービスに乗り換えることができない。また事業者は、客が増えないからといって線路や送電線をはがして別の場所に移転することもできない)、(2)一般産業の場合、資産(製造設備)は商品を生み出す道具であり、商品が貨幣と交換(=売買)されて収入となるのに対し、インフラ型産業は資産(インフラ施設それ自身)を利用させた対価が収入源である、(3)固定費用が膨大で巨大な資本投下が必要――などである。

 例えば米10kgを買いに来た客に対し、在庫が5kgしかない場合、とりあえず5kgのみ販売することができる。だが電力は、発電所から100km離れた住宅で供給を待っている人々に対し、送電線が発電所から50kmの区間までしか敷設できなかったから今日は半分で我慢してください、ということはできない。送電線が半分敷設できても、その家に届いていなければ給電を行うことはできないからだ。最初から完全な状態で供給する必要があるし、電力供給できない家庭から料金を徴収するわけにいかないであろうから、初期投資を行い、電力供給を実際に始めるまで1円の売り上げも計上することができない。このため、電力などのインフラ型産業には、事業が開始される前段階で巨額の資金が必要となる。民間セクターでそれだけの巨額な資金を集めることは困難であり、だからこそインフラの建設は、最も新自由主義が貫徹している資本主義国家であっても公共事業として行われるのである。

 『生産手段や交通機関には、たとえば鉄道のように、もともと非常に大きくて、株式会社以外の資本主義的搾取形態ではやれないものが少なくない。そしてそれがなお発展して一定の段階に達すれば、この形態でも不十分になる。そこで、……大生産者たちは合同して一つのトラストをつくる。……トラストがあろうとなかろうと、資本主義社会の公の代表である国家は、結局、生産の管理を引き受けざるをえないことになる。このような国有化の必要は、まず郵便、電信、鉄道などの大規模な交通通信機関に現われる』。

 社会主義の祖フリードリヒ・エンゲルスはすでに150年近くも前、「空想より科学へ」の中でこのような考察を行っている。また、米国のノーベル賞経済学者ポール・サミュエルソンは、この問題にまったく別の角度からアプローチを試みている。道路や鉄道などの基礎的社会資本は経済学的に見て「共同消費性」を持っている。例えば、他人が自分の食料品を食べてしまうと、それだけ自分の食べられる量が減少するのに対し、道路は他人が歩いたからといって自分がそこを歩けなくなるわけではないからだ。彼は、こうした性質を持つものを公共財と位置づけ、政府による関与が必要とした。アプローチの方法は違っても、エンゲルスとサミュエルソンがまったく同じ結論にたどり着いたのである。

 北海道大停電に当たり、例えば「誰が電気のスイッチを入れたことにより停電が起きたのか」との課題が提起されたとき、皆さんはなんと答えるだろうか。「北海道内の発電量の4割を占める苫東厚真火力発電所の直下で激震が起き、破損した発電所の発電量が低下する中、みんなが一斉に飛び起きて照明やテレビのスイッチを入れたため」だと答えることはできるだろう。だが「最後に誰が電気のスイッチを入れたときに停電したのか」の検証は不可能である。このことは、電力が「共同消費性」を持っており、すなわち公共財であることの最も有力な根拠である。

 公共財が共同消費性を持つということは、すなわちその消費が不可能になった場合の影響もくまなく全体に及ぶということを意味する。電力生産量に対し、需要がわずか住宅1軒分上回ったに過ぎないものであっても、停電はその家だけがするのではなく全体に及んでしまう。このため、公共財は常に最大需要を上回る供給力を備えていなければならないのである。

 エンゲルスが約150年も前、正しく考察したように、株式会社などの私企業に公共財の運営を委ねた場合には大きな問題が発生する。株式会社などの私企業は、利益を目的として活動する存在であるからだ。私企業は費用対効果を追求し、その結果利潤が大きいほど優良であるとして市場から高い評価を受ける。1年にわずか1日しかない最大需要の日に合わせて発電所や送電線を作った場合、残り364日はこれらの施設に「遊び」が生まれることになる。だが利益を最大にすることを要求される私企業では、1年のうち364日は稼働せず、遊んでいるような設備を維持するためのコストは無駄と判定される。株主の期待に応えるため、こうした無駄なコストからまず削減が始まる。株主が許容できる程度に無駄を削減しようとすると、私企業としては、常に最大需要を下回る量の公共財しか供給を許されなくなる。普段は需要が少ないため、そうしたコスト削減の悪影響は隠されておりすぐには現れないが、いざ最大需要を迎えたときや、突発的事態が起きて供給力が極端に低下したときに、それが露見することになる。北海道での大停電もこのような経過をたどって発生したものであり、電力を民間企業に委ねた結果としての最終的破たんというのが本稿における結論である。北電にも責任はもちろんあるが、それよりもっと大きな枠組み、すなわち国の電力政策の失敗について、その責任を追及しなければならないであろう。

 なお、北電の責任に言及すると、インターネットを中心に「現場社員は懸命に復旧に努めており、むしろこの程度の期間で復旧できたことに感謝すべきである」として責任追及を求める人たちを糾弾する動きが顕著になっている。その愚かな言説からして大半がネット右翼によるものと見られるが、「現場が一生懸命頑張っているのだから批判は許さない」として権力や強者を擁護する最近の風潮を見ていると絶望的気分になる。「皇国臣民、一億総火ノ玉トシテ敵艦ヲ竹槍デ突キ刺サムト欲スル処(ところ)、是ヲ批判スルガ如キハ正(まさ)ニ非國民ノ所業ナリ」という大戦末期といったいどこが違うのか。歴史の教訓に学ぶなら、このような無意味な精神主義の先に待ち受けるのは敗北のみと言わなければならない。そして、愛国心を標榜するならず者たちこそが社会を破滅の淵に引きずり込もうとしている点でも、歴史は繰り返されようとしているように思われる。ことこの問題に限らず、日本のあらゆる面で最近、言論が精神主義化、焦土化しているように思うが、この問題については別の機会に改めて論ずることにしたい。

 ●JR北海道問題と酷似

 北海道大停電問題を主に公共財と私企業の関係から考察してきた。ここまでで読者の疑問のうち「大停電がなぜ起きたのか」については示せたように思う。だがこれではまだ半分に過ぎない。「大停電がなぜ他の地域でなく北海道だったのか」について何も答えていないからである。次にこの面を考察する。

 今回の北海道大停電問題を考察していて、ふと思ったのがJR北海道問題と酷似していることだ。(1)私企業が公共財供給の任を負わされており、供給企業(JR北海道・北海道電力)の弱体化が顕著に進行している、(2)弱体化の結果、極端なコスト削減が数十年の長期にわたって続けられた結果、公共財供給が需要に対し著しく過少に陥った、(3)これらの帰結として大需要期(JRで言えばお盆や年末年始、北電で言えば厳冬期)の供給をまかなえなくなり、混乱が常態化した、(4)それにもかかわらず、監督官庁(JRは国交省、電力は経産省)が既存の政策(JRでいえば民営化体制の維持、電力でいえば原発存続)に固執するあまり、方針転換ができない状況で道民に不利益が押しつけられている――という点で両者に大きな共通点があるのだ。加えて電力に関しては(5)自由化で競争が激しくなり、北電にただでさえ過少な設備投資のより一層の抑制を強いる一因となっている――という事情も見える。この自由化に関しては、電力事業を上下に分離して考えた場合、地域電力会社だけが発電所や送電線など「下」のコスト負担を強いられる一方、「下」を持たない新電力各社は地域電力会社が維持する「下」にフリーライド(ただ乗り)して利益を上げるという別の問題も現れている。同一の市場の下で、上下一体の事業者(地域電力会社)と上下分離の事業者(新電力各社)が不公平な競争を強いられれば、そのしわ寄せが条件不利な地域電力会社に及ぶことは当然である(この問題は経産省が進める発送電分離により、地域電力会社と新電力各社がともに発送電会社の施設を利用して売電事業を行う形になれば、一定程度整理されると思われる)。

 これらの課題は、北海道以外の地域にも共通した課題である。問題が北海道ほど顕在化していないだけで、JR各社、地域電力会社が次第に弱体化していることも全国共通の課題だ。だが、JR各社、地域電力会社の営業区域は多くが陸続きであり、東北から中国地方までのJR各社(東日本・東海・西日本の3社)や地域電力会社(東北・北陸・東京、中部・関西・中国の6社)は不利な条件があったとしても会社間共助によって影響をある程度緩和できる。だが、本州と陸続きでない北海道、四国、九州のJR3社、沖縄を加えた電力4社は他の会社が「共助」を行うためのコストが高くなりすぎることから十分な「共助」を受けられない状態にある。

 その中でも、他社からの「共助」の基盤が最も脆弱なのが北海道である。九州、四国にある道路橋は北海道になく、陸での物流は鉄道(青函トンネル)しかない。電力を本州から融通するための連系線に関しても、九州、四国と比べ、北海道と本州を結ぶ「北本連系線」の容量は増設の余地があるにもかかわらず、現状では圧倒的に少ないのである。

 こうした不利な条件が北海道には重なっている。考えれば考えるほど、今回の電力危機もJR北海道の路線の危機も、地下茎のようにつながっているということがご理解いただけるであろう。要するに両方とも、中央の地方軽視がもたらした帰結なのである。

 ●国有化で脱原発が遠のく?

 この狭い日本列島の中に、地域を分割する形で10もの電力会社と、6つもの鉄道会社が並び立つ――非効率きわまりないこうした体制が鉄道でも電力でも危機を作り出した原因だとする本稿での考察が正しいなら、エンゲルスやサミュエルソンの指摘に立ち返り、こうした公共財への政府の関与を強める方向へ、今すぐ政策の変更が必要だ。公共財では経営規模が大きいほど内部補助によって効率が上がることは過去の歴史が証明しているからである。とはいえ、会社を統合・国有化しても、別に北海道と本州が陸続きになるわけではない。だが、陸続きであることを活かした本州での効率的経営の結果、得られた利潤を本州以外とりわけ北海道での設備投資の強化に充てることが可能になる。「利潤の範囲内でしか設備投資ができない」「1年のうち1日しかない最大需要の日に合わせて最大供給力を確保するような無駄なコストはかけられない」という問題には、少なくとも利潤を目的としない公的企業体に変わることで解決の道筋が描けるだろう。

 「無限にコストをかけられる公的事業体になれば脱原発が遠のくのではないか」という懸念を抱く人もいるかもしれない。福島第1原発事故以降、電力に占める原発の比率は一時ゼロになり、今なお5%程度に過ぎない。資源小国(筆者は必ずしもそう思わないが)といわれながら日本でここまで脱原発が進んできた背景として、安全基準の強化や国際的な脱原発の潮流によって原発のコストが飛躍的に高くなったという事情を見逃すことはできない。せっかく市場原理によってコスト高の原発が淘汰され比率が下がってきたのに、採算度外視でいくらでもコストを投入できる公的事業体に変わったら、原発が理不尽に維持されるのではないかという心配は理解できないわけではない。

 だがここでもそうした心配が無用であることは事実が証明している。多くの国で電力は国有企業が担っているが、そうした国々のすべてが原発を維持しているわけではない。逆に米国は多くの民営事業者によって電力が供給されているが原発も多く立地している。脱原発という個別政策と、公共財としての電力の経営形態は別の問題として論じなければならない。

 電力国有化が実現しても、高レベル放射性廃棄物の処理や、福島第1原発の廃炉の頓挫によってそう遠くない将来、日本の原子力政策が行き詰まることは確実だ。福島第1原発事故後の7年半、日本の国土の2%が放射能汚染で失われる一方で、この間、原発でわずか5%の電力しか供給できていないという事実がそれを証明している。そのような原発を「安定電源」「クリーン」などと持ち上げ、再稼働を主張するような連中には脳神経外科への入院でも勧めておけばよかろう。

(黒鉄好・2018年10月21日)

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【福島原発事故刑事裁判第31回公判】「真摯さ」強調する武藤元副社長 よりによってお前がそれを言うか!

2018-10-21 22:04:40 | 原発問題/福島原発事故刑事訴訟
●「Integrity(真摯さ)」を大切にしていた?

10月17日の第31回公判は、前日に引き続き武藤栄・元副社長の被告人質問だった。(今回の傍聴記では、30回、31回の2回の中で出てきた話が混在していることをお断りしておく)。武藤氏は「ISQO」(アイ・エス・キュー・オー)という言葉をたびたび持ち出して、自分の判断が正しかったと説明していた。

 武藤氏によると、

Integrity(誠実さ、正直さ)
Safety(安全)
Quality(品質)
Output(成果)

の頭文字をつなげたのが「ISQO」。それを仕事では心がけていたのだそうだ。そして「Integrityに最も重きを置いていた、Outputは最後についてくるもので優先させてはいけない」と何度も強調した。

 具体例として、発電所から「稼働率の明確な目標を示して欲しい」と声が上がったときに、数値目標をかかげることを自分の判断で却下した事例を武藤氏は法廷で紹介した。「Outputを目指すとどこかで勘違いする人がいるので認めませんでした」のだという。

 経営の分野において有名なピーター・ドラッカーの『現代の経営』で、上田惇生氏はintegrityを「真摯(しんし)さ」と訳している。

 真摯さに欠ける者は、いかに知識があり才気があり仕事ができようとも、組織を腐敗させる。(『現代の経営』から)

●「原発止めると大変な影響」

 武藤氏は、原発を止めるのが、いかに「大ごと」なのか、以下のように説明した。

------------------------------------------------
 原発は東電の電力の4割近くを生み出す大きな電源なので、止めるとなれば代替を探してこなければならない。

 火力しかない。その燃料を確保しなければならない。燃料を輸送する手当も必要だ。燃料費も一年に何千億円もかかる。火力は原子力より1kWhあたり10円ぐらい高くつくから、柏崎刈羽原発のように500億kWh生み出す原発を止めると、年に5000億円燃料代が余計にかかる。

 そのお金を借りるなど、手当しなければならない。収支を企画や経理にも検討してもらう必要がある。顧客に負担してもらうことになれば、料金部門にも考えてもらうことになる。

 送電線の中を電気が流れる「潮流」も大きく変わるので、電力系統の運用をやっている部門にも、系統の信頼性や安定性にどういう影響があるか見てもらわないといけない。

 火力発電所を増やすと、二酸化炭素の排出が増えるので、その排出権も手当する必要がある。

 日本全体の3分の1が東電。東電の原発から電気を送っている東北電力など他の電力会社でも検討してもらわないといけない。また、東電が原発を止めるとなると、他社の原発は止めなくても大丈夫なのかともなる。それへの対応も検討してもらうことになる。

 地元の自治体、資源エネルギー庁、原子力安全・保安院や原子力安全委員会にも説明して理解を得る必要がある。
------------------------------------------------

 だから「大変多くの部門に協力してもらわないといけない」とし、「止めることの根拠、必要性を説明することが必要です」と強調した。

 この説明からは、Outputへの影響が多大だから、津波のリスクが確実でないと原発は止められないと武藤氏は考えていたように聞こえた。稼働率という数字を確保すること(Output)を、IntegrityやSafetyより上位に置いていたのではないだろうか。

 本当のISQOに従えば、原発が事故を起こしたときの被害の大きさを考えると、津波予測に不確実な部分が残っていたとしても、その不確実さを潰すのに何年も費やすより、早めに予防的に対処するのが、真摯で安全な経営判断だったのではないだろうか。

●最も安全意識の低かった東電

 武藤氏は「地震本部の長期評価に、土木学会手法を覆して否定する知見は無かった」とも述べた。しかし反対に、土木学会手法に、長期評価を完全に否定できる根拠も無かった。

 「土木学会手法は、そこ(福島沖)に波源を置かなくても安全なんだという民間規格になっていた。それと違う評価があったからと言って、それをとりこむことはできません」

 武藤氏のこの陳述は、事実と異なる。他の電力会社は、土木学会手法が定めている波源以外も、津波想定に取り込んでいた。

 東北電力は、土木学会手法にない貞観地震の波源を取り入れて津波高さを検討し、バックチェックの報告を作成していた。

 中部電力は、南海トラフで土木学会手法を超える津波が起きる可能性を保安院から示され、敷地に侵入した津波への対策も進めていた。

 日本原電は、東電が先送りした長期評価の波源にもとづく津波対策を進めていた。原電は「土木学会に検討してもらってからでないと対策に着手出来ない」と考えていなかったのだ。

 「津波がこれまで起きていないところで発生すると考えるのは難しい」と武藤氏は述べた。これも間違っている。

 2007年度には、福島第一原発から5キロの地点(浪江町請戸)で、土木学会手法による東電の想定を大きく超える津波の痕跡を、東北大学が見つけていた。土木学会手法の波源設定(2002)では説明できない大津波が、貞観津波(869年)など過去4千年間に5回も起きていた確実な証拠が、すでにあったのである。

 土木学会が完全なものとは考えていなかった他社は、どんどん研究成果を取り入れて新しい波源を設定し、津波想定を更新していた。東電だけがそれをしなかった。Safetyのレベルは、電力会社の中で、東電が最も低かったことがわかる。

●時間をかけて議論しても「安全」なのか

 「知見と言ってもいろいろある。簡単に取り入れられるかどうかわからない」「現在でも社会通念上安全で、安全の積み増し、良いことをするのだから」

 武藤氏はこのように、バックチェックに時間をかけても良いとも主張した。

 確かに、新たな知見にもとづく津波を原発でも想定すべきかどうか確かめるのに、ある程度の時間は必要かもしれない。しかし、長期評価の津波予測については、東電は2002年8月に検討を要請されていた。それを事故が起きる2011年3月まで9年近く、ほぼ対策を取らないままの状態で、運転を続けていた。

 原発が最新知見に照らし合わせても安全かどうか、運転しながらの確認作業について、規制当局は2006年当時、「2年から2年半以内で」と念押ししていた。なぜなら、安全を確認している期間中は、原発の安全性が保たれているという保証がないからだ。

 しかし東電は、土木学会手法を超える津波の予測が次々と報告されていたにもかかわらず

「確率論的な方法で検討する」(2002年)
「土木学会で検討してもらう」(2008年)
「津波堆積物を自分たちで掘って確認する」(2009年)

など、いろいろな言い訳を持ち出して、想定見直し・対策着手を先延ばしし続けていた。

●「記憶に無い」「読んでない」「説明を受けてない」の真摯さ

 そういうことを考えながら傍聴していたので、「記憶にない」「説明を受けてない」「読んでない」と、自分の主張と矛盾する証拠類を否定し続ける武藤氏がIntegrityという単語を持ち出すたびに、「またか」と苦笑せざるをえなかった。

(第30回、31回公判の武藤被告人の傍聴記は、AERA2018年10月29日号[22日発売]にも2ページの記事を書いています。そちらもあわせてご覧ください)


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【金曜恒例】反原発北海道庁前行動(通算311回目)でのスピーチ/最終盤を迎えた東電刑事訴訟-武藤元副社長の被告人質問を見て

2018-10-19 21:58:09 | 原発問題/一般
 皆さんお疲れさまです。

 すでにメディアでも報道されていますが、東京電力旧経営陣の刑事訴訟で、武藤栄元副社長に対する被告人質問が行われました。これは、検察側、弁護側、裁判官が被告人に質問する手続きで、論告求刑に先立って行われるものです。最大の見せ場であると同時に、いよいよこの裁判も終盤であることを示しています。

 被告人質問までに有力な証拠はほぼ提出されているため、ここで新たな事実が明らかになることは通常、ほとんどありません。しかし、事件に対する被告人の姿勢、態度、考えなどが明らかになるため、実際に法廷に出されている証拠並みかまたはそれ以上に被告人質問での被告人の印象は量刑に影響を与えることがあります。

 強制起訴されている3人――勝俣恒久元会長、武藤栄元副社長、武黒一郎元副社長の中で、武藤氏の質問が最初だったのは、彼が3人の被告の中で最も津波対策、そして2008年の対策「先送り」の決定に深く関わっており、津波対策のキーマンとされるからです。

 武藤被告の被告人質問での主張はメディア報道の通りで、津波予測の根拠である地震本部の長期評価や、東電設計の津波予測を「信頼できない」と否定しました。「津波予測をもう少し低くすることはできないか」という部下の法廷での発言に対し、自分はそんなことは言っていない。土木学会に改めて評価をやり直させようとしていた自分自身の当時の判断について、津波対策「先送り」とされたことに「大変心外」というものでした。

 武藤被告の主張は、ここ十年くらいの裁判の傾向を捉え、業務上過失致死傷罪の裁判では「予見不可能に逃げ込んで無罪を勝ち取る」という弁護側の基本戦略に沿ったものといえるでしょう。しかし、今回の原発事故裁判に限って言えば筋が悪すぎるように思います。そもそも地震本部は日本の一流の地震学者が集う国の機関であり、また東電設計は東電の子会社です。一方、土木学会は電力会社、JR、ゼネコンなどが集まって作る親睦団体であり、学会というアカデミックな名称とは裏腹に、「日本土木業協会」に名前を変えた方が実態にかなっています。要するに、何かと批判の多い大型公共事業で利益を得ている企業の利権団体なのです。国の機関も子会社の津波予測も、自分たちに都合が悪いからと言って耳を貸さず、「オトモダチ」なら自分たちに都合のいいデータを出してくれるだろう、という東電と武藤社長の態度を見ていると、自分たちに都合の悪いものは公文書でも改ざんし、オトモダチにばかり便宜を図るどこかの国の総理大臣と同じです。もし土木学会も「津波対策が必要」という結論だった場合、武藤副社長はまたどこか別のところに評価を依頼し直すつもりだったのでしょうか。じゃんけんで負けてから「やっぱり3回勝負にしよう」と言い出す小学生のようで、往生際が悪いと言わざるを得ません。

 自分たちにとって都合の良い結論が出るまで何回も津波評価をやり直させる東電と武藤副社長の態度をどのように表現するか。被害者の立場からはやはり「先送り」としか言いようのないものです。武藤被告がそれに「心外」を表明したことに対しては、こっちこそ心外と言いたい気分です。皆さんの会社にもいませんか? 仕事がなかなか進まず、上司や周りの人になぜ進まないのかと聞かれたら「慎重に丁寧に進めようとしていただけです」という人。よりよい仕事にするために慎重、丁寧に進める、様々な人の意見を聞くということと、自分たちにとって都合のいい結論が出るまで堂々巡りを繰り返し、その間は何も進めないというのは根本的に違います。武藤被告の態度は、丁寧や慎重という単語をやるべきことをやらない言い訳に使っていただけであり、許されないことです。

 このことを主張すると、「電力会社は公益性が高いとはいえ民間企業。民間企業は利益を出すビジネスだから公的機関のように費用対効果を考えずにコストを投入するのは無理」だとして電力会社を擁護する人が必ずと言っていいほど現れますが、それは間違っています。必要なコストを必要なだけ投入することができるように、電力会社は競争を制限された環境の中で、総括原価方式が認められ、必ず2%の利益が上がるように電気料金を設定できる体制が保証されてきました。今でこそ電力自由化で多少揺らぎ始めていますが、福島第1原発事故が起きた2011年当時はまだ一般家庭の電力は自由化される前で、こうした言い訳は成り立ちません。福島第1原発の津波対策にコストがかかるなら電気料金にそれを転嫁すればよいだけであり、なぜそのコストの投入を先送りしなければならなかったのかは疑問のままです。東電は今年になって、福島第1原発の敷地内から汚染水が海に流れ出さないようにするための「津波対策」として、防潮堤の増設工事をすると発表しました。福島第1、第2原発の廃炉が決まり、原発が利益を出さなくなった今頃になってそのコストを投入できるなら、なぜ10年前に同じことができなかったのか不思議で仕方ありません。私が検察官役の指定弁護士なら、そのことを武藤被告に問いただすと思います。

 裁判は年内にも論告求刑となり、春までに地裁で判決が出ると見られています。私は有罪を確信していますが、政権への忖度がはびこる司法、それも権力に最も近いヒラメ裁判官の集合体といわれる東京地裁だけに予断を許しません。市民の力で法廷を包囲し、よりよい判決を出させるために、声を上げていきましょう。

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【福島原発事故刑事裁判第30回公判】「記憶にございません」は追い詰められた者の常套句!武藤元副社長に一片の反省もなし

2018-10-18 22:36:34 | 原発問題/福島原発事故刑事訴訟
福島原発事故をめぐって強制起訴された東京電力旧3役員の刑事訴訟。10月16日(火)の第30回公判、10月17日(水)の第31回公判、10月19日(金)の第32回公判の模様を伝える傍聴記についても、福島原発告訴団の了解を得たので、掲載する。次回、第33回公判は10月30日(火)、第34回公判は10月31日(水)に行われる。

●武藤氏、「ちゃぶ台返し」を強く否定

「だから、この話は私は聞いていません」

「私のところに来るようなことではないです」

「それはありません」

 被告人の武藤栄氏は、強い口調で質問を否定し続けた。

 10月16日の第30回公判から、被告人質問が始まった。トップバッターは、津波対策のカギを握っていたとされる武藤・東電元副社長だ。

 2008年2月から3月にかけて、勝俣恒久・元会長ら被告人が出席した会合で津波対策はいったん了承されていたのに、同年7月に武藤氏が先送りした(いわゆる「ちゃぶ台返し」)と検察官側は主張。それを裏付ける東電社員らの証言や、会合の議事録、電子メールなどが、これまでの29回の公判で繰り返し示されてきた。ところが武藤氏は「先送りと言われるのは大変に心外」と、それらを全面的に否定したのだ。

「山下さんがなぜそんなことを言ったか、わからない」

 第24回公判(9月5日)では、耐震バックチェックを統括していた東電・新潟県中越沖地震対策センターの山下和彦氏が検察に供述していた内容が明らかにされた。

 それによると、勝俣氏ら経営陣は、地震本部が「福島沖でも起きうる」と2002年に予測した津波地震への対策を進めることを、2008年2月の「御前会議」(中越沖地震対応打ち合わせ)、同年3月の常務会で、了承していた。

 ところが、これらの会合の内容、決定事項について、山下氏の供述を武藤氏は認めなかった。

 「山下さんがどうしてそういう供述をしたのかわからない」

 「山下さんの調書は他にも違うところがある」
と、山下調書を否定する発言を繰り返した。 

 公判後の記者会見で、被害者参加代理人の甫守一樹弁護士は「山下センター長には嘘をつくメリットは何もない」と説明した。一方で武藤氏は、山下氏の証言を否定しないと、先送りの責任を問われることになる。そして、武藤氏は山下調書を否定できる客観的な証拠を挙げることは出来なかったように見えた。

●「土木学会手法で安全は保たれていた」のウソ

 私が傍聴していて気になったのは、武藤氏が土木学会のまとめた津波想定方法(土木学会手法、2002)を
「我が国のベストな手法」
「土木学会の方法で安全性を確認してきた」
「現状(土木学会手法による想定)でも安全性は社会通念上保たれていた」
などと評価していたことだ。



 これは、事実と異なる。土木学会の津波想定方法で、原発の安全が保たれているのか規制当局が確認したことは一度も無い。武藤氏が言うように「社会通念上安全が保たれている」とする根拠は何も無かった。たまたま、2011年3月11日まで津波による事故が起きなかっただけのことだ。

 2002年に土木学会手法が発表されたとき、保安院の担当者は以下のように述べていた。

----------------------------------------------------
 本件は民間規準であり指針ではないため、バックチェック指示は国からは出さない。耐震指針改訂時、津波も含まれると思われ、その段階で正式なバックチェックとなるだろう。(東電・酒井俊朗氏が2002年2月4日に他の電力会社に送った電子メールから)(注)
----------------------------------------------------

 当時、すでに耐震指針の改訂作業が始まっており、それがまとまり次第、土木学会の津波想定方法が妥当かどうか調べると保安院は言っていたのだ。保安院の担当者は、まさかバックチェックが9年後の2011年になっても終わっていないとは想像していなかったに違いない。
 
 土木学会手法と地震本部の長期評価は同じ2002年に発表された。同じころの科学的知見をもとに、土木学会手法は福島沖では津波地震は起きないと想定し、一方で地震本部は福島沖でも発生しうると考えた。

 両者の想定の違いについて、武藤氏は「地震本部の長期評価に信頼性はない」と断じた。しかし、その根拠は無かった。土木学会がアンケートしたら、地震本部の考え方を支持する専門家の方が多かったこともそれを裏付けていた。

 第29回公判(10月5日)で明らかにされたように、保安院は土木学会手法による津波想定に余裕がないことにも気づいていた。土木学会の想定を1.5倍程度に引き上げ、電源など最低限の設備を守る対策を進める計画もあった。土木学会手法で原発の安全性が保たれているとは、保安院も考えていなかったのだ。

注)H14年当時の対応 電事連原子力部が保安院に送ったメールの添付文書
原子力規制委員会の開示文書

----------------------------------------------------

なお、今回の被告人質問は刑事訴訟最大の山場のため、メディア報道も多かった。以下、メディア報道を紹介する。

東電津波対策先送りどう認識 被告人質問キーマン武藤氏(朝日)

<東電公判>武藤元副社長、冒頭被災者におわび 被告人質問(毎日)

津波対策先送り「心外」=長期評価の信用性否定―武藤元副社長・東電公判(時事)

東電元副社長、津波対策は“適正な手順” 福島第1原発事故裁判(フジテレビ)

東電強制起訴裁判、元副社長「当事者として申し訳なく思う」(TBS)

津波対策の「先送り」否定 東電の武藤元副社長(東京)

東電強制起訴 武藤元副社長「津波予測信頼性ない」(東京)

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2027年の開業に早くも赤信号が灯ったリニア中央新幹線(2018年団結まつり報告)

2018-10-14 22:17:03 | 鉄道・公共交通/交通政策
本日、都内で開催された2018年「団結まつり」で、安全問題研究会はリニア問題に関する報告を行いました。その内容を以下、掲載します。

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1.談合発覚、大井川水量問題など相次ぐトラブルで建設大幅遅れへ、2027年開業に早くも赤信号

 国が3兆円の財政投融資資金を貸し付ける形で大阪延伸前倒しが決まったリニア新幹線は、昨年末の談合発覚に加え、大井川水量問題の深刻化によって、当初予定の2027年開業に早くも赤信号が灯った。大井川上流に位置する南アルプストンネル静岡工区(静岡市葵区、8.9km)において、「トンネル掘削に伴う大井川の減水分を川に戻す」とするJR東海の説明に対し、湧水をすべて川に戻すよう主張する静岡県側が納得せず、JR東海は着工の前提となる利水団体との協定が結べていない。リニアが通過するだけで駅ができるわけでもなく、大井川の水量減少という不利益だけを押し付けられる形の静岡県は8月、水など環境への影響を調べる有識者会議を設けた。川勝平太知事は「水問題は県の人口の6分の1に及ぶ。有識者会議の報告が出る年度末まで締結は難しい」としており、なお抗戦の構えだ。金子慎JR東海社長は「(開業までの時間的)余裕がどんどんなくなっている。思っていたより着手が遅れて困っている。このままの状態が続くと2027年の開業に影響が出てしまう」(今年4月の記者会見)とした上で「地域と協定を結ばなければいけないという法的ルールはない」(今年9月の記者会見)と、県や地元との同意を得ないままの工事強行もちらつかせ始めた。一方、田辺信宏静岡市長は、JR東海が静岡工区の本体工事着手を望んだ場合、県と合意に達していなくても市が林道の使用許可を出す方針を示すなど、関係者の動きは混とんとしている。

 南アルプストンネル工事自体も難易度の高さの面で「前人未到の領域」(ゼネコン幹部)とされ、難航が予想される。土被り(地表からトンネルまでの距離)が最大1400mという前例のない環境で、土中に何が眠っているかも「掘ってみなければ分からない」(別のゼネコン幹部)状況だ。リニア推進派の中には日本のゼネコンの技術力を妄信し工事に楽観的な見方も多いが、昨年12月には、長野県大鹿村と村外を結ぶ国道59号線でトンネル工事に伴う発破作業の失敗から崩落を引き起こしている。この崩落に対しては、大鹿村のリニア反対派住民グループ「大鹿村の10年先を変える会」が今年1月10日、原因究明と工事中止を求める声明を発表。事故を起こしたJR東海が原因究明に当たっている点も疑問視、原因究明のための第三者委員会を作るよう求めた。声明にはリニア沿線や山岳関係などの全国53団体が賛同している。この程度の基本的作業にも失敗しているゼネコンが、前人未到の難工事を予定通りに完了できるとはとても思えない。

 そもそもJR東海は、トンネルの開通だけで2026年11月までかかるとしている。この時点で開業まで1年も残されていないが、ガイドウェイ建設~完了はその後となる。1997年からの走行実験のため建設され、リニア本線への転用が決まった山梨リニア実験線の延伸区間(全長24.4km)でさえ建設に1年10か月かかっている(2011年3月~2013年1月)ことを考えると、総延長286kmのリニアのガイドウェイ建設が1年でできるわけがない。すでに予定通りの開業は絶望的であり、大阪延伸もこの影響で遅れることになる。大阪延伸の前倒し目的で投入した3兆円財投資金はムダ金に終わる可能性が高く、JR東海はこの事実を知っていながら隠していると断定せざるを得ない。

2.リニア訴訟、これまでに11回の公判 問題点明らかに

 リニア事業認可の取り消しを国に求め、738人が原告となった「STOP!リニア訴訟」は今年9月14日までに計11回の公判が開かれ、問題点が明らかにされた。岐阜県東濃地区には日本最大のウラン鉱床が存在し、リニアのルートはその真下を通過する。トンネル掘削で放射性物質を含む残土が排出された場合、その処分先と保管方法はどうするのか明瞭に示されていない(第3回口頭弁論・意見陳述)。「日本で最も美しい村」連合に加盟する長野県大鹿村では、片道走行しかできない村の狭い道路を最大1日1700台のトラックが通行し、それが工事完了までの長期にわたって続く。村民の生活破壊、観光客の減少が予想される(第5回)。すでに実験線が走行している山梨県では水涸(が)れ、異常出水が起き、騒音や日照権を巡る被害が現実化している(第4回)。都市部においては大深度法(地下40メートル以下の公共的使用に関しては地権者の承諾を必要としない。リニアのために作られた法律ともいわれる)が適用されるが、地盤沈下や地下水の枯渇等の懸念がある(第7~9回)。大井川の水量減少問題も第6回公判で明らかにされた。6月25日の第10回公判では環境アセスメントの内容や事業認可の根拠そのものが問われた。

 リニア事業認可に先立って行われた環境アセスメントに当たっては、そのあまりのずさんさに政府内部からさえ疑問の声が上がった。環境省は「その事業規模の大きさから本事業に伴う環境への影響を最大限、回避・低減」するため、自治体や住民の十全な関与、CO2削減や沿線地域における水量変化への十分な対策、南アルプス国定公園への影響回避など多項目に及ぶ対策を求めた。国策に対して政府内部(省庁)からこのような意見が出ることはもちろん異例中の異例である。

3.葛西敬之JR東海名誉会長のメンツのためだけに強行される理不尽なリニアは中止を

 JR東海は、老朽化した東海道新幹線のバイパス機能が必要であることをリニア建設の理由に挙げるが、既存のどの路線ともつながらず、貨物輸送もできないリニアが非常時の輸送ルートとして機能することは絶対にない。東日本大震災当時、太平洋側の路線がすべて寸断される中で、根岸製油所(横浜市)から東北への燃料輸送の大役を担ったのは新潟など日本海側の在来線だった。災害時に鉄道が輸送ルートとして機能するためには既存の路線とつながっていることが重要であり、東海道新幹線の代替路線なら、現在、金沢まで開通している北陸新幹線を関西まで延伸すればよい。

 国策のリニア事業に対する批判はメディアではタブーとされてきたが、経済誌など政府・財界寄りとみられてきた雑誌を中心に批判的論調が増えてきている。今年8月、大々的にリニア特集を組んだ「日経ビジネス」は、リニア事業を「旧国鉄を破綻に至らしめた我田引鉄の繰り返し」「安倍首相の右翼仲間、葛西JR東海名誉会長優遇の“第3の森加計問題”」として批判している。旧国鉄の線路を引き継いだJRグループ各社は助け合うのが当然だが、この記事では、経営危機に陥ったJR北海道救済のための資金拠出を求められることが葛西会長にとって「最も恐れるシナリオ」であり、リニアはそれを潰すための事業であるとまで指摘している。理不尽なリニア強行と北海道切り捨ては地下茎のようにつながっており、そのどちらも葛西会長を倒さない限り解決できない。それは裁判所も不当と認めた国労組合員ら分割民営化反対派労働者1047名に対するJR不採用(不当解雇)を旧国鉄職員局長として強行した葛西会長に対するけじめ、責任であると同時に、1人も職場復帰がかなわなかった1047名の無念を晴らす国鉄闘争の「本当の解決方法」としては現状、残された唯一のものである。


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【金曜恒例】反原発北海道庁前行動(通算310回目)でのスピーチ/室蘭での原発廃炉金属処理に反対する

2018-10-13 23:11:01 | 原発問題/一般
 皆さんお疲れさまです。

 先日、室蘭の方にお話を聞く機会があり、そこで重大問題が起きていることを知りました。皆さんにもぜひ知っていただきたい問題です。

 茨城県・東海原発の廃炉によって出された放射性物質を含む金属60トンを、日本製鋼所(日鋼)室蘭製作所に運んで加工するというプロジェクトが、市民に一切知らされることなく、極秘で行われたということです。放射性物質が検出され、加工工程で放出されているにもかかわらず、住民への告知は事前説明会ではなく、報告会として事業実施後に行われるというとんでもないものでした。

 このプロジェクトに反対する室蘭市民を中心に作られた市民団体「原発廃炉金属の再利用を監視する市民の会」の計算によれば、放射性物質は3500万ベクレルも含まれていました。そのうちの9割はトリチウムと炭素14、そしてセシウムですが、これ以外のものも含め、計11種類の放射性物質が含まれていることがわかったのです。ストロンチウム90やプルトニウムなど、きわめて危険なものも含まれていました。

 日鋼は、こうした原発廃炉金属の取扱について、「放射線測定や地元への情報提供等については、通常の金属スクラップと同様の取扱を行っていきます」と説明しています。放射性物質としての特別な扱いはしないと宣言したのです。一般の産業廃棄物同様の扱いとして、焼却炉で燃やし、煙突にもバグフィルターさえ付けないというのですから正気の沙汰とは思えません。

 そもそも、60トンの金属から3500万ベクレルですから1kg当たりでは583ベクレルとなりますが、原子炉等規制法では廃炉によって生じた物質を放射性物質として取り扱わなくてもよいとされる「クリアランスレベル」をあくまでも1kgあたり100ベクレル以下としています。福島原発事故後、除染で出た廃棄物を再利用する場合に限り、1kg当たり8000ベクレルまで再利用を可能とする大改悪が行われましたが、これは福島第1原発事故後のいわゆる「除染特措法」で定められた基準であり、福島第1原発事故で出た除染廃棄物に限っての特例措置です。東海原発の廃炉によって出た金属には除染特措法は適用されず、この水準での放射性物質の環境中への放出は違法行為に問える可能性があります。

 この数値さえ、まともに信頼できるものかどうかはわかりません。汚染数値の分析を担当したのが、神戸製鋼とその子会社コベルコ科研だったからです。神戸製鋼が起こした昨年のデータねつ造事件をご記憶の方も多いと思います。

 とはいえ、相手は遵法精神などひとかけらもない、無法者の原子力ムラです。事実をつかんで追及しても、大人しく法律に従うとは考えられません。電力会社には日本の憲法も法律も及んでいないことが、この間の経過から明らかになりつつあります。政府も裁判所も電力会社の味方です。私たちの味方は私たち自身以外に誰もいませんが、あきらめることなく、情報公開で正確な数値を出させ、100ベクレル以下に抑えるか、こうした汚染金属の処理自体をやめるよう、日鋼に圧力をかけなければなりません。

 同時に、国に対しては総量規制を導入するよう求めるべきでしょう。1kg当たり100ベクレル以下に薄めさえすれば、永遠に放射性物質を環境中に垂れ流し続けられるようなシステムはおかしいと言わなければなりませんが、これは何も放射性物質に限ったことではありません。ダイオキシンなどの汚染物質も、日本には単位重量当たりの濃度規制、つまり、重さ何kg当たり何グラムまで、といった形の規制しかなく、総量でこれ以下、という規制がありません。このため、どのような汚染物質も薄めさえすれば永遠に垂れ流し続けられるシステムになっています。だからこそ政府は今、トリチウム汚染水もこの方法でごまかし、逃げ切ろうとしているのです。汚染物質に対して総量規制を設けないと、日本はいずれ人の住めない場所になってしまうに違いありません。

 最近、子どもたちに食物アレルギーが異常なレベルで増えており、中にはひとりで2種類、3種類のアレルギーを持つ子どももいます。小麦アレルギーと大豆アレルギーを併せ持つ子どもがいたら、和食も洋食も食べられません。こうした子どもたちが激増していることは、このままでは日本は人が住めない場所になるがそれでもいいのか、という天からの警告なのではないでしょうか。

 大企業の自由な経済活動だけが最大限に保障され、国民の命も健康も顧みられないような社会は変える必要があります。企業の利益のために小さな命の犠牲は仕方ないというのであれば、私たちは人間を幸せにしない資本主義に別れを告げることも真剣に考えなければなりません。資本主義の権化のようなアメリカで、最近、資本主義よりも社会主義に好感を持つと答えた若者が多かったという驚くべき結果が出ています。世界は今、お金が人間を支配する資本主義を見直す動きさえ出始めているのです。こうした動きに注目するとともに、利益のために暴走する大企業にストップをかける闘いの中に脱原発をきちんと位置づけ直す必要が出てきていると思います。室蘭の人々の闘いを、ここにいる私たちだけでも支えましょう。

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JR北海道への「別れ」

2018-10-09 00:28:18 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
話は少し遡るが、2年前に受けた胃がんの手術後の診察を受けるため、9月11日、半年ぶりに病院を受診したときのことだ。

前回の受診は3月。今後は半年ごとの受診でよいとのことで、4月に現在の札幌の職場に転勤&転居してからは初めての受診だった。手術を受けた病院(苫小牧市)に引き続き通院したいので、道内の通院できる範囲にしてほしいとの異動希望はそれなりに考慮してもらえたようだ。転勤を機に札幌の病院への転院も考えたが、半年1回の通院ならあえて転院の必要もないと、今まで通りの病院に引き続き通うことにした。

新ひだか町時代は日高本線が長期不通になっていることもあり、片道2時間弱、車を運転して通院しなければならなかった。だがこれからは公共交通機関を使って楽に通院できる。朝9時半に診察開始だったので、9時前に苫小牧駅に着くように、特急「北斗」を使えば、特急料金が片道1,650円(通常期)かかるが、「すずらん1号」なら出発時間が少し早くなる代わり、「すずらんオプション特急券」を使えば料金が330円ですむ。少し早起きすることになっても「すずらん1号」を使おうと思い、準備を進めていた。

9月6日未明の北海道胆振東部地震はすべての計画を狂わせた。それでも、通院当日の11日には停電からも復旧。北海道電力からの節電要請こそ出されていたものの、JR北海道のダイヤも一部の列車が間引きされ、運行本数が減る以外、混乱は収まりつつあった。とはいえJR北海道のことだ。不測の事態もあり得ると思い、事前にJR北海道の公式サイトで確認したが、「すずらん1号」については節電要請に伴う運休の案内はなかった。何とか行けるだろう、と思い、乗車予定の駅に着いた。

だが、ここで不安が的中した。駅の発車案内表示板に「すずらん1号」が表示されていない。みどりの窓口の係員に尋ねると「運休」とのことだった。駅の放送案内を聞いたところ、動物との衝突による運休で、節電要請によるものではないとわかったが、運休は運休だ。自分のスマホで改めてJR北海道のサイトを確認したが、やはり「すずらん1号」については運休の情報はどこにも掲載されていなかった。

あまりに酷い対応に怒りが湧いたが、とにかく通院しなければならない。いったん自宅に戻って車で出直すか、と考えたものの、ここまで来て引き返すのも忍びなく、千歳線の快速「エアポート76号」で何とか千歳駅(8:19着)までたどり着く。しかし今度は乗り継ぐ予定の苫小牧方面の普通列車、2734M(千歳8:46発)がこれまた予告なく「節電要請」を理由に運休。次の列車を確認すると、なんと2738M(千歳9:26発)まで1時間以上も空く。2738Mだと苫小牧には9:49着。9時半開始の病院での診察にはまったく間に合わない。

もちろん、市域を越えて千歳市から苫小牧市まで運転される路線バスもない。空港行き高速バスは千歳駅前からは乗れない。新千歳空港まで路線バスで行けば、苫小牧に出られるバスはあるものの、それも9時半の診察開始までに着けないことが判明。千歳駅前で放り出された私は途方に暮れた。

もう、こうなったら仕方ない。私はタクシーを拾い、病院まで走ってもらった。ギリギリ、診察開始の3分前に病院に着き、何とか間に合った。しかし、タクシー代は7000円もかかり、痛い出費になった。

もちろん、震度7を記録した地震の直後という特殊事情であり、JR北海道を責めるのは酷かもしれない。自力で経営再建の見通しもないこのクソ会社が今さら列車をダイヤ通りに動かせないくらいで私は怒ったりなどしない。問題はホームページにも掲載せず、駅に張り紙すら出さず、こっそりと列車を運休させるという姑息なやり方をとったことだ。特に、今回の北海道大停電は北海道電力の責任が問われることはあってもJR北海道に責任はない。堂々と、電力不足を理由に運休と駅に張り紙くらい出せばよいのに、こそこそと列車運休の理由を隠す動機が私にはまったく理解できないのだ。

結局、この日、診察を終え札幌に戻ってくる際には、北海道中央バスの高速バス、苫小牧~札幌線を使うことにした。高速道路は幸い被災せず、バスは時間通りに運行。地下鉄、バス共通カード「SAPIKA」での運賃支払いもできるのだから、次回からもこれで行こうと心に決めた。

数日後、貨物列車を含め、ダイヤが完全に元に戻ったと聞いた私は、ただでさえ苦しい経営状態の上に停電による減収がのしかかるJR北海道を何とか応援しようと、貨物列車の撮影を兼ねて自宅最寄りの駅に出た。しかしそこでまた「信号トラブル」による運休。お目当ての貨物列車はもちろん、自分が乗る予定だった普通列車も千歳線全体が運休となったため、運休となってしまった。

運休のアナウンスを聴いた瞬間、プチンという音が自分の心の中から聞こえた。憤怒に近い感情が湧き、もう2度とJR北海道になど乗るものか、と思い、そのまま地下鉄で自宅に戻った。

プチンという音は、私の心の中で細い糸が切れる音だった。生まれてこのかた40数年、物心ついたときから鉄道ファンとして生きてきた。「民間企業が運行するローカル線に未来なんてあるわけがない」と、多くのファン仲間が見切りをつけ、国鉄分割民営化を契機に鉄道趣味界を去る中、それでも私はなんとかしてファンであり続けようと努力を続けてきた。JR7社のことも好きであり続けるためにエネルギーを注ぎ続けた。しかし、この相次ぐ「裏切り」に、ついに私とJR北海道をなんとか辛うじてつないできた最後の細い糸が、切れてしまったのだ。

北斗星、トワイライトエクスプレス、カシオペアなど写欲をそそる寝台特急列車が消え、すでに数年の歳月が流れた。ただでさえJR北海道を対象に趣味活動を続けていくモチベーションがなかば失われつつあったときにこの仕打ちだ。私はJR北海道を公共交通としてはもちろん、趣味活動の対象としてもまったく考えられなくなった。道内の移動でJR北海道以外の選択肢がある限り、私は今後、そちらを選ぶだろう。

路線を維持する活動だけは、自分のためではなく住民のためでもあり、またそれが住民が私に求めている役割である限り、続けることになる。だがもうこの会社を対象に趣味活動を継続していくというモチベーションは完全に失われてしまった。

2030年の北海道新幹線札幌延伸を、JR北海道の体制のまま迎えられるとは私は思わない。再国有化されるかJR東日本に吸収されるかして、いずれこの会社の名は消える。だがその前に、趣味活動の対象としては別れを告げるときが来たように思う。さようならJR北海道。多くの夢を見せてくれた栄光の過去だけは、忘れることはないだろう。

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【福島原発事故刑事裁判第29回公判】原子力安全・保安院を無力化し腐らせた男 その名は名倉繁樹

2018-10-07 23:23:12 | 原発問題/福島原発事故刑事訴訟
●東電の無策を許した保安院

 10月3日の第29回公判には、現役の原子力規制庁職員、名倉繁樹氏(注1)が東電側の証人として登場した。事故前は、原子力安全・保安院の原子力発電安全審査課で安全審査官として、福島第一の安全審査を担当していた。


保安院が入っていた経産省別館(出展:国土交通省のHP)


 最初に、東電側弁護士の質問に答える形で、土木学会の津波評価技術(土木学会手法)が優れた手法だ、「三陸沖から房総沖のどこでも津波地震がおきる」と予測した地震本部の長期評価(2002)の成熟度は低かったと、名倉氏は繰り返し述べた。国が訴えられている裁判で国が主張している内容をなぞっているだけで、新味はなかった。

 一方、興味深かったのは、検察側が名倉氏とのやりとりで明らかにした事故前の保安院の動きだ。2004年にインドの原発が津波で被害を受けたことをきっかけに、保安院は津波に危機感を高めていた様子がわかった。名倉氏の上司は、対策をとらせようと電力会社と激しく議論していた。しかし、その危機感は事故前には薄れてしまい、対策はとられないままだった。


国際原子力機関(IAEA)が2005年8月にインドのマドラス原発で開いた津波ワークショプ。日本からは、地元インドに次ぐ10人が参加。これを契機に、国内でも津波対策の検討が本格化した。
 
●名倉氏、事実と異なる証言の「前科」

 最初に言っておくと、私は名倉氏の証言をあまり信用できない。横浜地裁で2017年4月に名倉氏が証言(注2)したとき、事実と異なることを述べていた過去があるからだ。

 横浜地裁で、名倉氏はこんな証言をしていた。

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 国側代理人「長期評価の見解を前提にした試算を、2002年あるいは2006年、2009年の段階で、保安院自らが算出したりとか、東電に算出するよう求めることはできなかったんですか」

 名倉「はい」

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 この「はい」は間違っている。2002年に保安院は東電に算出を求めていた。今年1月、千葉地裁で進められている集団訴訟で、東電社員が社内に送った電子メールが証拠として提出され、明らかになった(注3)。これによると2002年8月に、保安院の審査担当者は、「長期評価にもとづいて福島から茨城沖でも津波地震を計算するべきだ」と東電に要請。社員はこれに「40分間くらい抵抗した」。その後、確率論で対応すると東電は返答し、実質何もしないまま、津波対策を引き延ばした。

 東電で津波想定を担当していた高尾誠氏(第5〜7回証人)は、「津波対応については2002年ごろに国からの検討要請があり、結論を引き延ばしてきた経緯もある」と2008年に他の電力会社に説明していた。その文書も、今年7月に開示されている(注4)。

 津波の確率論的ハザード評価についても、刑事裁判の公判で名倉氏は「まだ研究開発段階だった」として、規制には取り込まれていなかったと証言した。しかし、2002年段階で、保安院は、東電が津波地震への対応を確率論で進めることを許していた。確率論を事実上、規制に導入していたのだ。これについても、名倉証言と、保安院の実態は矛盾している。


東電社員が2002年8月5日に、社内に向けて送ったとみられる電子メール。保安院の川原修司・耐震班長から「福島〜茨城沖も津波地震を計算すべき」と要請を受けたが、「40分間くらい抵抗した」と書かれている。

●「津波に余裕が無い」保安院は危機感を持っていた

 検察官役の神山啓史弁護士は、以下のような文書を示しながら、事故前の保安院の動きについて名倉氏に質問を重ねた。

 1)2006年10月6日に、耐震バックチェックについて保安院が全電力会社に一括ヒアリングを開いたときの記録(電事連作成)(注5)

 2)2007年4月4日、津波バックチェックに関する保安院打ち合わせ議事メモ(電事連作成)。出席者は、保安院・原子力発電安全審査課の小野祐二・審査班長、名倉氏、電事連、東電の安全・設備・土木、3分野それぞれの担当者。

 3)小野・審査班長が後任者に残した引き継ぎメモ

 1)によると、名倉氏の上司である川原修司・耐震安全審査室長は、各電力会社の担当者に以下のように述べていた。(川原氏は、2002年に東電に津波を計算するよう要請しながら東電の抵抗に負けてしまった、その本人)。

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 「バックチェックでは結果のみならず、保安院はその対応策についても確認する。自然現象であり、設計想定を超えることもあり得ると考えるべき。津波に余裕が少ないプラントは具体的、物理的対応を取ってほしい。津波について、津波高さと敷地高さが数十cmとあまり変わらないサイトがある。評価上OKであるが、自然現象であり、設計想定を超える津波が来る恐れがある。想定を上回る場合、非常用海水ポンプが機能喪失し、そのまま炉心損傷になるため安全余裕がない。今回は、保安院としての要望であり、この場を借りて、各社にしっかり周知したものとして受け止め、各社上層部に伝えること」

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 この時、小野審査班長も、以下のように述べていた。

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 「自然現象は想定を超えないとは言い難いのは、女川の地震の例(注6)からもわかること。地震の場合は裕度の中で安全であったが、津波はあるレベルを越えると即、冷却に必要なポンプの停止につながり、不確定性に対して裕度がない」

 「土木学会の手法を用いた検討結果(溢水勉強会(注7))は、余裕が少ないと見受けられる。自然現象に対する予測においては、不確実性がつきものであり、海水による冷却性能を担保する電動機が水で死んだら終わりである」

 「バックチェックの工程が長すぎる。全体として2年、2年半、長くて3年である」(地質調査含む)


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●名倉氏の上司「津波対策巡り、電力会社と激しく議論」

 名倉氏は、小野氏について「事業者との間で、基準津波に対してどれぐらい余裕があればいいか、激しい議論をしていました。水位に対して何倍とるべきだとか、延々と議論していたと思います。(具体的な対応をしない事業者に)苛立ちがあったと思います」と陳述した。

 2)によると、小野氏はこう述べていた。

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「津波バックチェックでは、設計値を超えた場合、どれぐらい超えれば何が起きるか。想定外の水位に対して起きる事象に応じた裕度の確保が必要」

「1mの余裕で十分と言えるのか。土木学会手法を1m以上超える津波が絶対に来ないと言えるのか」

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 この会合では、「3月の安全情報検討会でも、対策をとるべきだと厳しい意見が出た」という発言があったことも残されている(注8)。

 名倉氏によると、このときも小野氏は「事業者とかなりはげしくやりとりしていた」。

 小野氏は、後任者に残した3)の引き継ぎメモで、

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「津波高さ評価に設備の余裕がほとんどないプラント(福島第一、東海第二)なども多く、一定の裕度を確保するように議論してきたが、電力において前向きの対応を得られなかった」

「耐震バックチェックでとりこみ対応することとなった」

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などと書き残していた。

 電力会社に対策を迫っていた小野氏の姿勢について神山弁護士に問われ「バックチェックルールとの関係から、基準津波を超えるものに対する確認は難しい」と名倉氏は冷ややかな評価をした。国が訴えられている訴訟との関係からそう答えざるをえなかったのか、それとも上司らの津波に対する危機感が伝わっていなかったのか、どちらかはわからない。

 溢水勉強会の検討をもとに、保安院は土木学会手法の1.5倍程度の津波高さを想定して、必要な対策を2010年度までに実施する予定を2006年ごろにはまとめていた。小野班長の厳しい姿勢の背景にはそれがあったのだろう。ところが津波への対策を単独で進めるはずだったのが、耐震バックチェックと一緒に、それに紛れ込ませて実施されることになった。理由は不明だ。そのため、当初予定していた締切「2010年度」は、達成されなかった。

 「不作為を問われる」とまで考えていた津波対策を、耐震バックチェックに委ね、遅らせてしまったのは、保安院の大きな失策だ。しかし、このテーマはほとんど検証されていない。保安院が2006年ごろ持っていた津波に対する危機感は、なぜかき消されてしまったのか。今回、刑事裁判で示された文書が、検証の足がかりになるだろう。

●浜岡原発は、土木学会手法超えた津波を想定。対策を進めた

 2009年8月に名倉氏と東電・酒井俊朗氏、高尾氏、金戸俊道氏らが面談した記録には、浜岡原発の津波対応が記されていた。浜岡原発では、JNES(原子力安全基盤機構)がクロスチェックした結果、中部電力の津波想定結果を大きく上回る結果となり、保安院はそれへの対応を求めていたことがわかった。

 JNESは、南海トラフで起きる津波について、土木学会手法を超える規模を想定していた。「体系的に評価する手法として、土木学会のものしかありませんでした」という名倉氏の証言とは矛盾する。浜岡以外にも、東北電力による貞観地震の想定(2010年)、東海第二が地震本部の長期評価にもとづく波源を想定(2008年)など、土木学会の想定を上回る津波波源を想定することは、事故前にも、あたりまえのように実施されていた。

 さらに、保安院はJNESの計算結果をもとに、津波が防潮堤を超えた場合でも対応できる総合的な対策を指導。中部電力は、敷地に遡上した場合に備え、建屋やダクト等の開口部からの浸水対応を進め、ポンプ水密化、ポンプ回りの防水壁設置などを検討していた。
 
バックチェックは、なぜ遅れたのか

 東電は、福島第一のバックチェックを当初は2009年6月までに終える予定だった。それが事故当時は、2016年まで先延ばしするつもりだった。

 前述したように、2006年のバックチェック開始当時、保安院は「バックチェックの工程が長すぎる。全体として2年、2年半、長くて3年である」(地質調査含む)と電力会社に伝えていた。ところが2007年7月の新潟県中越沖地震で柏崎刈羽原発が想定外の震度7に襲われたことから、まずは中間報告を2008年3月に提出することになった。

 名倉氏は「中間報告を出すことになり、全体の工程が見えなくなった。中間報告の確認作業で精一杯になった」「中間報告が一時期に集中することになり、下請けのマンパワーにも限りがあるので、最終報告が速やかに提出できなくなった」と説明した。

 名倉氏の説明は、実態を表しているのだろうか。福島第一は、新潟県中越沖地震と同じようなタイプの地震が起きても揺れは比較的小さいため、最終報告への影響が小さいことを2008年9月の段階で東電は確かめていた。「バックチェック工程の遅れを対外的に説明する際、解析のマンパワー不足についても触れるが、それがメインの理由になってはいけない。これまで嘘をついてきたことになってしまう」(小森明生・福島第一所長)という発言が残っている(注9)。

 名倉氏自身も、2009年7月14日に、保安院の審議会委員に、こんなメールを送っていた(注10)。

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 ■■先生

 返信ありがとうございます。

 東京電力が秋以降に提出する本報告に可能な限り知見を反映するよう指導していきます。

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 この文面からは、東電の本報告は2009年秋以降のそう遠くない時期に提出することが予定されていたように見える。

 バックチェック最終報告の提出は、どんな意思決定過程で、ずるずると引き延ばされたのか。より詳しい検証が必要だろう。

●東電に舐められていた保安院

 被告人の武藤栄氏の指示で、バックチェックを先延ばしするため、東電の高尾氏らは保安院でバックチェックを審議する委員の専門家を個別に訪問して、根回しをした。東電が保安院の審議会委員に接触していたことについて、名倉氏は以下のように証言した。

 「審査する側の専門家に、評価方針そのものについて聞いて回ることは、心中穏やかでなかった部分があった」

 東電の山下和彦・中越沖地震対策センター所長は、検察の調べに以下のように述べていた。

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山下「バックチェックには最新の知見を取り込むことが前提になっているので、後日取り込むときめたところで委員や保安院が納得しない可能性があった。武藤は、その可能性を排除するために、有力な学者に了解をえておくように根回しを指示した。武藤は委員と命令したかは定かではないが、委員以外の先生に根回ししても意味がなく、委員の了解を得ないといけないので、委員を指していた」

検察「保安院の職員の意見は?」

山下「保安院は、委員の判断に従ってくれると考えていた」(注11)

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 審議会の委員に根回しすれば、保安院自身では文句をつけてこない。そんなふうに、東電は保安院をすっかり舐めていたのである。小野氏が電力会社と激しい議論をしていたころの保安院の迫力は、そこには感じられない。

 東電は、豊富な資金力と人手で、じゅうたん爆撃的に専門家の根回しを進め、津波対策の方針が公開の審議会で検討される前に、自分たちの思い通りに変えてしまっていたのだ。

注1)名倉氏は、工学部建築学科卒業後、ゼネコンに入社。原発の構造や設計手法の研究開発などをしていた。2002年4月から2006年3月まで原子力安全委員会事務局の技術参与として耐震設計審査指針の改訂作業に携わっていた。2006年4月に保安院の安全審査官になり、福島第一原発の耐震バックチェックを担当。原子力規制庁発足後は、安全規制管理官として安全審査を担当している。(国が訴えられている裁判に名倉氏が提出した陳述書から)

注2)福島原発かながわ訴訟 神奈川県への避難者とその家族61世帯174人が、国と東電に慰謝料を求めて2013年9月に集団訴訟を起こした裁判で、名倉氏が証言した。

注3)東電の津波対策拒否に新証拠 原発事故の9年前「40分くらい抵抗」 2018年1月30日 AERA

注4)「津波対応、引き延ばした」東電、事故3年前に他電力に説明 2018年8月1日 Level7

注5)文書の一部は国会事故調報告書p.86で引用されていた。原典が明らかになったのは初めて。私も初めて見た。

注6)2005年8月に発生した宮城県沖地震の揺れは、一部の周期で女川原発の基準地震動を超えた。

注7)2004年にインド・マドラス原発が津波で緊急停止したトラブルをきっかけに、保安院とJNESが2006年1月に溢水勉強会を設けた。
http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3532877/www.nisa.meti.go.jp/oshirase/2012/06/240604-1.html
http://warp.da.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3532877/www.nisa.meti.go.jp/oshirase/2012/05/240517-4.html

 ここでまとめられた「内部溢水及び外部溢水の今後の検討方針(案)」(2006年6月29日)には以下のように記されていた。

◯土木学会手法による津波高さ評価がどの程度の保守性を有しているか確認する。

◯土木学会手法による津波高さの1.5倍程度(例えば、一律の設定ではなく、電力会社が地域特性を考慮して独自に設定する。)を想定し、必要な対策を検討し、順次措置を講じていくこととする(AM対策=アクシデント・マネージメント対策=との位置づけ)

◯対策は、地域特性を踏まえ、ハード、ソフトのいずれも可

◯最低限、どの設備を死守するのか。

◯対策を講じる場合、耐震指針改訂に伴う地盤調査を各社が開始し始めているが、その対応事項の中に潜りこませれば、本件単独の対外的な説明が不要となるのではないか。そうであれば、2年以内の対応となるのではないか。

注8)安全情報検討会とは、国内外の原発トラブル情報などをもとに、原発のリスクについて議論する場。2006年9月13日の第54回安全情報検討会には、保安院の審議官らが出席。津波問題の緊急度及び重要度について「我が国の全プラントで対策状況を確認する。必要ならば対策を立てるように指示する。そうでないと「不作為」を問われる可能性がある」と報告されている。

注9)耐震バックチェック説明会(福島第一)議事メモ 2008年9月10日

注10)原子力規制委員会の開示文書 原規規発第18042710号(2018年4月27日)

注11)山下和彦氏の検察官面前調書の要旨 甲B58(平成25年1月28日付検面調書)

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