安全問題研究会~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

公共交通と原発を中心に社会を幅広く考える。連帯を求めて孤立を恐れず、理想に近づくため毎日をより良く生きる。

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核のない未来を願って 松井英介遺稿・追悼集(緑風出版)

●安全問題研究会が、JRグループ再国有化をめざし日本鉄道公団法案を決定!

●安全問題研究会政策ビラ・パンフレット
こんなにおかしい!ニッポンの鉄道政策
私たちは根室線をなくしてはならないと考えます
国は今こそ貨物列車迂回対策を!

当ブログの更新頻度について

2008-08-29 23:12:26 | 運営方針・お知らせ
お知らせです。

当ブログ管理人は、7月中旬頃から本業が多忙になっています。会社の予算規模3億円のプロジェクトが、他部署の失敗のツケで私の部署に回ってきており、私がその担当者にされてしまったためです(その上、親会社の担当がズブの素人に代わってしまったことも大きい)。

それでも、なんとか時間を捻出しては仕事と当ブログの更新を両立させてきましたが、8月頃からはそれも困難になってきました。

今後、職場のイベント(10月)の準備、仕事関係で資格試験の受験(11月)も控えており、当面は落ち着いて当ブログの更新に取りかかれる見通しはありません。

そこで、当ブログについて、「鉄道・旅行(趣味)」「鉄道安全・総合交通問題」以外のカテゴリーの記事はしばらくお休みいたします。「鉄道・旅行(趣味)」カテゴリーについても、全線乗車活動に関する記事以外はしばらく休みます。
時期は、とりあえずイベント、受験が終わり、プロジェクトの成否もある程度判明する年末までとします。

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聖光学院の夏、終わる

2008-08-16 20:21:30 | 芸能・スポーツ
突然だが、8月に入ってからのあまりの多忙に、フォローできなかった夏の甲子園の話題。

福島在住の当ブログ管理人は、ずっと福島代表の聖光学院を応援してきた。今や福島県代表の定番となった感のある聖光学院は、大方の下馬評を覆し、ベスト8にまで駒を進めた。福島県勢として実に33年ぶりのベスト8進出。そして今日、聖光学院は強豪、横浜と対戦した。

横浜、聖光学院に15-1で快勝 筒香2本塁打でベスト4進出(毎日新聞)

・・・というわけで、聖光学院の夏は終わった。

明日17日に大阪で野暮用がある私。どうせ泊まらなければならないのなら1日早くても一緒だとばかりに、今日の昼大阪入りした私は、甲子園球場にやってきた。高校野球ではもっとも面白いといわれる準々決勝だけあってチケットは早々に売り切れ、無料開放されている外野スタンドに回った。そういうわけで、今日の横浜-聖光学院戦は生で見た。第1試合の常葉菊川-智弁和歌山戦は途中から見ることができた。

この試合、聖光学院はこれまで先発してきた佐藤ではなく仲田を先発させた。疲れの溜まった佐藤を休ませたかったのかもしれない。だが結果的に見ればこの起用は裏目に出た。甲子園で一度も投げた経験のない仲田をいきなり強豪・横浜相手に先発させるのはどう見ても賭けの要素が大きすぎる。監督の采配ミスだと私は思った。

仲田は変化球に切れがなく、唯一の決め球である直球を打たれ、前半で早々に勝負が決まってしまった。6回から中継に出た佐藤も火消しにならず、打ち込まれた。
終わってみると、3人目に登板したリリーフ、横山が直球も冴え、最も良かったのではないかと思う。

それにしても、2本塁打を含む3安打、8打点と大暴れした横浜の筒香(つつごう)は超高校級の大物スラッガーだと思う。今日の甲子園は天気が下り坂で、いつもの浜風ではなくセンターからホーム方向へ風が吹いていた。2本塁打はいずれも逆風だったが、2本とも風速7メートルの強い逆風をものともせずスタンド入りさせた。

甲子園では、毎年、どの大会にも必ず4~5人の「怪物」がいるが、この大会では間違いなく筒香もその1人だろう。今シーズン、打線の極度の決定力不足に苦しみ、打っても打っても残塁の山が築かれ本塁が遠い楽天あたりは本気で獲得を考えてもいいのではないか。そんなことを思わせてくれる怪物スラッガーである。

聖光学院は、圧倒的な横浜との力の差を見せ付けられた試合だったが、一方でリリーフ・横山の好投が光った。はじめから彼を出しておけば・・・と思うのは結果論に過ぎないだろうが、実は彼はまだ2年生で来年がある。聖光学院は来年、彼がエースに君臨するわけで、他の福島県勢が県予選で横山を擁する聖光学院を打ち砕くのは相当厳しいと見ておかなければならない。来年も福島県は聖光学院を軸に県予選が展開すると思う。

試合後、私が甲子園の外に出てみると、ちょうど横浜高校と聖光学院の貸切バスが仲良く並んでいるところだった。先に横浜高校ナインがバスに乗り、宿泊先へ向かって出発した。そばにいた聖光学院の生徒たちが、互いの健闘を讃え合うように横浜ナインに手を振った。バスの中から横浜ナインも手を振ってそれに応えた。聖光学院の女子生徒が携帯カメラを向けると、横浜の選手がVサインで応えていた。

こういう生徒たちのさわやかな交歓風景を見ていると、ああ、部活動なんだなあと思う。私にもこんなまぶしい青春時代があったはずだ。甲子園は、どこかに置き忘れてきたそんな思春期の感動を呼び覚ましてくれるすばらしい場所である。

決勝戦は2日後である。勝利の女神がどの高校に微笑むかはまだわからないが、残った4校も精一杯プレイしてほしい。ここの土を踏むこと自体が選ばれし者の誇りだと思うから。

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コミケで手荷物検査実施へ エスカレーターも一部停止

2008-08-13 22:53:59 | 芸能・スポーツ
コミケで参加者の手荷物検査実施へ エスカレーターも一部停止(ITmediaニュース)

手荷物検査は、「秋葉原で事件=オタクが悪い」という相変わらずのステレオタイプ的偏見が根底にあるようで大きなお世話な気もするが、何も対策をとらずに事件が起こってしまってはシャレにもならないので、致し方なしというところか。コスプレイヤーの表現の自由が制限されないように希望しているが、まぁ四半世紀にわたり修羅場をくぐってきた準備会だけにその辺は心得ているだろう。

エスカレーターについては妥当な措置と評価する。
そもそもワンフェスでのエスカレーター事故のニュースを聞いたとき、私が最初に思ったのが「コミケ当日はどうなるんだろ」だった。いくらワンフェスの人出が増えているといっても、コミケ会場のあの雰囲気を知っている人間からすれば、ワンフェスなんてまだまだ牧歌的なほうだ。そのワンフェス程度の人出で事故が起きたのだから、コミケ当日はどうなることかと心配でたまらなかった。
コミケは1日10万人を超える人出といわれる。あの人出で突然エスカレーターが止まったりしたら、それこそ「阿鼻叫喚の地獄絵図」になりかねない。

ちなみに、当ブログ管理人はコミケ3日目に参加するつもりでいたが、直前になって野暮用(それも準仕事的な全然楽しくない用務)で大阪に行かなければならなくなった。あのサークルとか、このサークルとか(謎)、顔を出したいところがたくさんあったのだが、何とも惜しい。

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日航機墜落事故のニュース3題

2008-08-12 23:34:08 | 鉄道・公共交通/安全問題
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日航機墜落:事故から23年 灯籠流し 公共交通、安全祈り(毎日新聞群馬版)

◇別事故の遺族も思い託す
 日航ジャンボ機墜落事故から12日で23年。11日夕、事故現場に近い上野村の神流川で行われた犠牲者を追悼する灯籠(とうろう)流しには、00年にオーストリア・アルプスで起きたケーブルカー火災事故や91年の信楽高原鉄道事故などの遺族も参加した。「天国のパパへ」「見守っていて下さい」。残された家族らは灯籠に思い思いのメッセージを託し、公共交通機関の安全を祈った。【畑広志、杉山順平、生野由佳】

 村役場前を流れる神流川の河川敷。夕闇が近づき、地元ボランティアによるアコーディオンの演奏が響く中、灯籠に立てられたロウソクに火がともされる。墜落時刻の午後6時56分、一列に並んだ遺族らは、持っていた灯籠を次々に川面に浮かべた。

 仕事で出張中だった父南慎二郎さん(当時54歳)を墜落事故で亡くした川崎市の内野理佐子さん(48)は、夫と長男の3人で参加した。内野さんは「空の安全のため、事故を忘れないで語りついでいきたい」と思いを語った。

 オーストリアの火災事故で長男博和さん(当時24歳)を亡くした大山峰雄さん(66)は妻朝子さん(55)、長女智恵さん(30)と参加。用意された灯籠に火災事故で亡くなった他の犠牲者の名前も書き込み「二度と事故が起きないでほしい」との願いを込めた。朝子さんは「参加できてよかった。息子が空から見守っているような気がします」と博和さんをしのんだ。

 また、鉄道事故で妻佐代子さん(当時53歳)を亡くした兵庫県宝塚市の吉崎俊三さん(75)は「事故を風化しないようお互い励ましあっていきたい」と話した。

 12日には御巣鷹の尾根に登る慰霊登山と追悼慰霊式が開かれる。
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 公共交通の安全をライフワークとする私にとって忘れられない事故の日がまたやってきた。この世のものとは思えない凄惨な現場、そしてその凄惨な現場の中に咲いた花のように輝いていた4人の生存者たち。暑苦しく、むごたらしいあの夏のことは今でも脳裏に焼き付いている。

 昨年のこの日はJR尼崎事故の犠牲者遺族らが慰霊登山をし、航空機事故と鉄道事故の犠牲者遺族が初めて「連携」して安全を訴えた。今年は、信楽高原鉄道事故の遺族、そしてオーストリアで起きたケーブルカー火災の犠牲者遺族らも慰霊登山に参加した。公共交通の安全を求める動きは、バラバラにされていた事故犠牲者たちのつながりがさらに拡大していく新たな局面を迎えたといえる。

オーストリアのケーブルカー火災については詳しいことはわからないが、123便、尼崎、信楽の3事故は、いずれもJRや日航が利益優先の強引な運行をしたことが背景にあると見てよいだろう。123便については、お盆の繁忙期で整備や乗務員の日常的な注意力が散漫になりやすい時期だったこともあると思う。

遺族たちが連携して安全のために行動しているのはよいことであり、当ブログは応援したいと思う。公共交通は専門性が高く、また安全管理を政府がほとんど民間事業者任せにしている。こうした事態を変えてゆくには、大きな声が必要であると考えられるからだ。

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日航機墜落 事故から23年 17遺品を展示(毎日新聞)

 85年8月に起きた日航ジャンボ機墜落事故で、所有者が特定できない遺品の展示が11日、東京都大田区の日本航空・安全啓発センターで始まった。展示して空の安全に役立ててほしいとの遺族の願いを日航側が受け入れ、実現した。12日で事故から23年を迎える。

 日航によると、群馬県上野村の墜落現場から見つかった遺品のうち、約2700点が引き取り手のないまま羽田空港内で保管されている。今回は、このうち▽腕時計5点▽眼鏡3点▽鍵3点▽カメラレンズ3点▽ボールペン2点▽電卓1点--の計17遺品が展示された。墜落時刻の午後6時56分前後を一斉に示す腕時計。フレームが大きくゆがんだ眼鏡。折れ曲がった鍵。いずれも事故の衝撃の大きさや悲惨さを訴える。

 遺品について、日航は当初、「だびに付して上野村の慰霊の園にまつりたい」との意向を遺族に示した。一方、遺族は「事故を忘れないためにも、遺品は保存すべきだ」と強く要望し、長く話し合いが続けられた。

 日航が方針を変えたのは、05年に安全上のトラブルが相次いだのがきっかけ。墜落事故を「負の遺産」でなく安全意識の原点にしようと考え、06年4月、社員研修を主目的とした安全啓発センターを開設。事故機の一部や乗客が家族に残したメモなどを展示した。

 遺品についても、事故の悲惨さが伝わるものをと遺族と検討し、展示が実現した。見学は11日から3日間は遺族と関係者、18日から一般も受け付ける。
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これも、安全の向上のためによいニュースと積極的に受け止めたい。事故の痕跡を消してしまうよりも、乗務員たちが遺品を見て安全への誓いを日々、新たにすることがなによりも大切だからである。犠牲者たちもそれを望んでいると思う。

前のエントリでも書いたが、事故調の123便事故報告書は欺瞞だらけであり、当ブログは事故原因の再調査を要求する。それこそが、非業の死に追いやられた521柱(注)の犠牲者の無念を晴らし、公共交通の安全を前進させる唯一の方法と考えるからである。

(注)123便事故の520名の犠牲者の中には妊婦が1人いた。事故後、母親から引きはがされ、冷たい山に叩き付けられて亡くなった胎児の遺体が現場から収容された。当ブログではこの胎児も犠牲者と考え、521柱としている。

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「クライマーズ・ハイ」の原田監督「まだ23年、再調査を」

2008-08-10 21:03:06 | 鉄道・公共交通/安全問題
「まだ23年、再調査を」原田監督語る(中国新聞)

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 「まだ二十三年、再調査やらないと」。日航ジャンボ機墜落事故を取材する記者を描いた映画「クライマーズ・ハイ」の原田真人監督が十二日の追悼の日を前に、共同通信のインタビューに応じ、撮影を通じて事故原因を再調査する必要性を強く感じたことを明らかにした。

 映画制作の話が持ち込まれたとき「運命と感じた」と振り返る。一九八五年八月十二日の事故当日、妻子は夏休みで長野県内にいた。「どこに落ちたのかと、心配でずっとニュースを見ていた」。さらに二〇〇一年九月十一日の米中枢同時テロの日、原田監督自身がロサンゼルスに向かう飛行機に乗っていたことも、飛行機事故への思いを強め「自分のやりたいものが来た」と撮影を決意した。

 撮影にあたり当時取材した記者やカメラマンら約二十人に取材した。中には当時の防衛庁関係者も。並行して資料を読みあさるうち、地元の上野村の人たちが「墜落して一、二時間後には墜落現場を特定していた」と述懐しているのを知り驚いた。「警察や自衛隊はなぜ現場の特定が遅れたのか。そこは調べるべきだ」と語気を強める。

 事故調査にも引っ掛かった。「尾翼が落ちた海域の捜索をきっちりやっていない。今年起きたイージス艦衝突事故のように、やればできたのにやらなかったのはなぜか」。尾翼の大部分は海底に沈んだままとなっているとされる。

 膨らむ事故への疑念。この夏公開された映画の最後に「事故原因には、諸説がある。再調査を望む声は、いまだやまない」とテロップを入れた。遺族の高齢化が進むが「まだ二十三年だ。映画を見て再調査を求める世論が出てきてくれれば。主人公の記者のように、愚直なジャーナリストが増えて再検証してほしい」と願っている。
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「クライマーズ・ハイ」公開直前、「君はもちろんこの映画、観るんだよね?」と友人から言われた。もちろん映画は公開直後、妻と2人で観に行った。それも、名物の餃子が食べたいという理由で福島ではなく宇都宮へ。

事故そのものを追うのではなく、事故を取材したマスコミの視点で事故を追うという異色の構成になっており、私は予告編を見たとき、「この映画は『日航ジャンボ機墜落~朝日新聞の24時』(朝日文庫)のような作品になるだろうな、と思った。そしてその結果は予想通りだった。

これから観に行こうと思っている人々のために詳しい「ネタバレ」は避けるが、この作品を見れば、他人の不幸で飯を食うマスコミがいかにヤクザな商売かがよくわかるというものだ(もちろん当事者たちは使命感を感じてやっているわけだが)。

ただ、原田監督が「事故原因には、諸説がある。再調査を望む声は、いまだやまない」とテロップを入れたことに対しては、私は原田監督の意地と良心を感じた。

当ブログ管理人は、事故調の「圧力隔壁崩壊説」が正しいと思ったことは1度もない。
国土交通省がこの報告書の誤りを認めないなら、私は何度でも主張するが、圧力隔壁が先に壊れたのであれば必ず発生していなければならない「急減圧」は起きなかった。事故調説に従えば急減圧が起きていなければならなかったとき、機内では誰ひとり酸素マスクを装着していなかったのだ。

私は、角田四郎氏が『疑惑~JAL123便墜落事故』(早稲田出版)で指摘した「自衛隊による123便撃墜説」を今は信じない。ボイスレコーダーの音声がテレビ放送されるまでは、角田説を信じた時期もあったが、テレビ放映されたボイスレコーダーの音声には自衛隊機との交信が記録されていなかったからだ。

事故直前のあの状況から見て、123便から視認できる至近距離に自衛隊機がいれば、無線で救助を求めたはずだし、その音声は必ずボイスレコーダーに記録されているはずである。事実がそうではなかったことで、自衛隊機による撃墜説は否定されたと思っている(ただし、無人標的機説についてはこれをもって否定されないと考えている。無人標的機はラジコンのように遠隔地から制御するため、無線交信の有無とは無関係だからである)。

生還した4人の乗客たちが「墜落直後はもっと多くの人が生きていた」と証言したことから、夜のうちに墜落現場を特定できなかった初動体制の遅れが悔やまれる。
上の記事にもあるように、地元の上野村の人たちは、墜落の1~2時間後には墜落現場が「スゲノ沢」だということを知っていた。上野村消防団のメンバーには地元の林業関係者が多く、「スゲノ沢は目をつぶっても歩ける」などと豪語していた者もいたほどである。

そうした地元の人たちの声を聞くことなく、「墜落現場は長野」という誤報を一晩中垂れ流し続けた防衛庁に対しては、未だに「何か隠したいことがあったのではないか」といぶかしむ声が消えていない。23年経った今なお「自衛隊犯人説」が根強い支持を得ているのも、墜落当夜の防衛庁のこうした不可解な行動があったからだろう。
ただ私は、事故現場で子どもの小さな遺体を抱きかかえ、泣きながら救助活動に当たった末端の自衛隊員たちに現場特定の遅れの責任などあるわけがないし、彼らの努力は多とすべきだと考えている。また上述したように、自衛隊撃墜説はボイスレコーダーの公開によって否定されたと考えている。

一方、ボイスレコーダーの公開は事故調報告書に対する私の疑念を決定的にした。123便は、午後6時24分頃、伊豆半島上空を飛行中に「ドカン、ドカン」と大きな爆発音のような音が2度響き、異変が発生するわけだが、事故調が発表したボイスレコーダーの筆記録では、この直後の機長の発言が「なんか爆発したぞ」になっている。だが、ボイスレコーダーの音声をもう一度良く聞いてほしい。「ドカン、ドカン」に続いてブーブーと警報が鳴り、その後「まずい」という声が聞こえる。そして、注目すべきはその直後…事故調の筆記録が「なんか爆発したぞ」になっている部分である。

「なんかわかったの」と聞こえないだろうか。間違っても「爆発したぞ」には聞こえない。絶対に聞こえないと断言できる。

この部分は、筆記録公開後に強い疑問が出され、最も論議を呼んだ部分である。「異音がした直後で機体に何が起きたかもまだわからず、“スコーク77”(飛行機の「非常事態宣言」。当時のマスコミでは「エマージェンシーコール」と呼ばれた)も発令されていない段階なのに、なぜ爆発とわかるのか」という強い疑問である。そして「圧力隔壁崩壊説」反対派が最もよりどころとした部分でもある。事故調が「初めに隔壁が壊れ、その後に垂直尾翼が破損した」というみずからのストーリーに合わせるために「わかったの」→「爆発したぞ」に改ざんしたのではないか、といわれ続けてきたのだ。

ここで、疑問に思う方はもう一度音声を聞いてほしい。高浜機長は間違っても「爆発」なんて言っていないと断言できる。本当のことを言えば、この部分が「わかったの」か「爆発したぞ」かは直接事故原因を左右する話ではないから、殊更にこだわる部分ではないのかもしれない。しかし、実際に「わかったの」としか聞こえようがない音声を「爆発したぞ」に書き換えた事故調の「真実に対する不誠実さ」こそが、人々をして事故調報告書への疑念に駆り立てるのである。

さて、圧力隔壁でもなく、自衛隊犯人説も根拠薄弱とすれば、この事故の原因はいったいなにか?
23年経った今も私は事故調の報告には納得できないし、だからといって真の事故原因の手がかりもない。原田監督が述べているように、やはりこの事故の原因は再調査されなければならない。

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JR西社長らは「刑事処分相当」 脱線事故、書類送検へ

2008-08-06 21:27:06 | 鉄道・公共交通/安全問題
JR西社長らは「刑事処分相当」脱線事故、書類送検へ(神戸新聞)

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 乗客ら百七人が死亡した二〇〇五年四月の尼崎JR脱線事故で、兵庫県警尼崎東署捜査本部は六日までに、業務上過失致死傷容疑で刑事告訴を受けたJR西日本の山崎正夫社長(65)ら数人について、宝塚線の現場カーブに新型自動列車停止装置(ATS-P)を整備せず安全対策を怠ったなどとして、刑事処分相当の意見を付けて書類送検する方針を固めた。

 捜査本部は告訴された七人のほか、山崎社長の前任の鉄道本部長ら二人からも事情聴取しており、事故列車を運転していた高見隆二郎運転士=死亡当時(23)=と合わせ計十人を同容疑で九月中にも書類送検する見通し。

 告訴状は、一九九六年十二月に現場カーブが半径六百メートルから同三百メートルに付け替えられた際、同線にATS-Pが設置されず、その後も事故前までの整備計画が決まりながら事故後にずれ込んだとして遺族が提出。日勤教育や過密なダイヤ編成も事故原因に挙げ、安全対策を担当していた当時の幹部七人を告訴した。

 捜査本部のこれまでの聴取に対し、カーブ付け替え時に鉄道本部長だった山崎社長らは、事故列車の大幅な速度超過が事故原因との認識を示す一方で、「ATS-Pがあれば事故は防げた」とも供述したという。

 こうした聴取結果などから、捜査本部はATS-Pの未設置により重い過失があったと判断。未設置に関与した数人について、起訴を前提とした「厳重処分」に次いで二番目に重い「相当処分」の意見書を付けることにしたという。相当処分は起訴と起訴猶予のライン上にあり、送検後に神戸地検が判断する。

 一方、日勤教育などを担当していた事故当時の運輸部長ら数人は、「相当処分」よりも軽い「寛大処分」、または「しかるべき処分」の意見書を付けるとみられる。

 尼崎JR脱線事故 2005年4月25日午前9時18分ごろ、尼崎市のJR宝塚線塚口-尼崎間にある右カーブで快速電車(7両編成)が脱線。線路脇のマンションに衝突するなどして乗客と運転士の107人が死亡、562人(兵庫県警調べ)が重軽傷を負うなどJR史上最悪の事故となった。国土交通省航空・鉄道事故調査委員会は、大幅な速度超過が事故の主原因と断定。車掌と輸送指令の無線交信に運転士が聞き入ったため、ブレーキが遅れた可能性が高いと指摘している。

(8/6 12:12)
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山口栄一・同志社大教授は、事故の原因は日勤教育などの精神論ではなく、なぜR300の急カーブが現場に設けられたかという科学的見地から検証するべきだ、と述べている。

今回、R300カーブ設置の責任者だった山崎社長を最も重い刑事処分相当としたことは、鉄道の専門家ではない兵庫県警がそれなりに科学的見地から事故原因を検証したと言えるかもしれない。

とはいえ、起訴するかどうかの判断は神戸地検にかかっており、不起訴となる可能性も否定できない。

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