安全問題研究会~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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こんなにおかしい!ニッポンの鉄道政策
私たちは根室線をなくしてはならないと考えます
国は今こそ貨物列車迂回対策を!

2016年 六ヶ所村ピースメッセージ

2016-08-30 21:22:42 | 原発問題/一般
ピースサイクル全国ネットワークという団体が東京にある。毎年、お盆の時期になると自転車でキャラバンをし、「ゴール」となる青森県六ヶ所村の使用済み核燃料再処理工場で、施設を管理する日本原燃に全国から集めたメッセージを手渡すという行動を続けている。このピースサイクルの実行メンバー(千葉県在住)から、当ブログ管理人にメッセージ依頼が届いた。以下、当ブログが書いたメッセージをご紹介する。

なお、サムネイル画像はこのピースサイクルを伝える東奥日報(青森の地方紙)の記事。

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六カ所ピースメッセージ

 青森県知事 殿
 六ヶ所村長 殿
 日本原燃株式会社代表取締役社長 殿

 核燃料サイクルは、高速増殖炉「もんじゅ」とともに完全に破たんしています。稼働すれば1日で原発1年分の放射能を放出する危険な処理施設を、これ以上、巨額の税金を投入しながら維持し続けることは人類に対する犯罪です。
原発事故以降、福島では、食品の安全性や賠償をめぐってさまざまな対立や分断が生まれました。行き場のない廃棄物がたまり続け、子どもも大人も、口に出さないだけで病気に怯えています。福島県内で事故を経験し、このような状況をつぶさに見たひとりの被害者として、原子力の存在を決して許すことはできません。

 青森県、六ヶ所村、日本原燃が、勇気を奮って原子力推進から脱原子力へ、政策を転換するよう強く望みます。

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【管理人よりお知らせ】8月末まで、ブログ更新をお休みします

2016-08-15 21:15:00 | 運営方針・お知らせ
管理人よりお知らせです。

8月末までの間、当ブログの更新を原則としてお休みします。

6月に、職場で受けた健康診断の結果、当ブログ管理人は重要な消化器系疾患が見つかったため、入院、手術が必要になりました。

明日から手術に伴って入院となります。退院は、早くても今月中は無理と思います。

今後は仕事(本業)も休み、治療に専念することになります。

退院し、ブログの更新が可能な状況になりましたら、改めてお知らせいたします。

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”SUNRIZE ROCK FESTIVAL2016 in EZO”で、大黒摩季、6年ぶり復活ライブ

2016-08-13 23:31:55 | 芸能・スポーツ
大黒摩季、故郷で完全復活 6年ぶり涙のライブ「ホーム、ただいま~!」(オリコン)

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 2010年11月から活動休止中だったシンガー・ソングライターの大黒摩季(46)が13日、故郷の北海道で開催された野外フェス『RISING SUN ROCK FESTIVAL 2016 in EZO』(石狩湾・新港ふ頭)に出演。完全復活を果たし、10月16日に再び故郷・札幌で単独ライブを行うことを発表した。

 午後2時50分、この日のために集結したスペシャルバンドのメンバー(Dr:青木和義=T-BOLAN、Ba:徳永暁人=doa、Sax:勝田一樹=DIMENSIONら)がステージに登場。20年前の夏、日本中を沸かせていたNHKアトランタ五輪テーマソング「熱くなれ」のイントロとともに大黒が登場すると「お帰りなさい!」「待ってたよ~!」という大歓声があがった。

 復帰の第一声は「ホーム、ただいま~!」。立て続けに「DA・KA・RA」「チョット」「別れましょう私から消えましょうあなたから」「Halem Night」とヒット曲を畳み掛けた。鳴り止まない拍手や歓声に思わず涙しながら、1990年代を代表するヒット曲の連発で常に会場は興奮状態。

 「『もう一度歌えるかな?』って何度も思っていたから、きょうこの場に立てるのは奇跡です! なまら(とても)楽しい」と満面の笑み。「ただいま!って月並みですけど勇気出して良かったな~、って思いました」と心の底からライブを楽しんだ。

 子宮疾患の治療と不妊治療を理由に無期限で活動を休止し「大黒摩季として復帰できるのか?という不安の日々の連続だった」という大黒だが、6年間のブランクを感じさせないパフォーマンスで8000人を盛り上げていた。
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予告通り、『RISING SUN ROCK FESTIVAL 2016 in EZO』に行ってきた。目的はもちろん、6年ぶりに復活した大黒摩季を見届けるためだった。初めは客の入りもそこそこかな、と思ったが、始まる頃には8000人が集結。会場は立錐の余地もないほどになった。

2010年に活動休止する直前には、過去の自分の曲でさえキーを下げなければ歌えないほどの状況に陥っていたが、結論から言えば、この日の大黒摩季の声は全盛期とまでは行かないものの、相当程度戻ったと判断する。何しろ、6年ものブランクがあったにもかかわらず、オープニングの「熱くなれ」以外はすべて原曲のキーのままで歌えたからである。逆に言えば、活動休止直前の体調は相当深刻だったということになる。

セットリストは以下の通り。

熱くなれ
DA・KA・RA
チョット
別れましょう私から消えましょうあなたから
Harlem Night
永遠の夢にむかって
あなただけ見つめてる
夏が来る
いちばん近くにいてね
Anything Goes
ら・ら・ら
Higher↑↑ Higher↑↑(新曲)

オープニングは「熱くなれ」「夏が来る」のどちらかだろうと思っていた。現在、リオ五輪開催期間中という事情を考えると、1996年アトランタ五輪NHK中継テーマソングに起用された「熱くなれ」が最有力、2番候補が「夏が来る」と予想したら、その通りになった。エンディングが「ら・ら・ら」でなかったことは意表を突く展開だったし、「Anything Goes」は完全に予想外だった。今回、大黒摩季がビーイングに復帰したという事情もあり、ビーイング以外から発売された曲はいろいろな意味で歌いにくくなると思っていたからだ。

ちなみに、ステージ終了間際、10月16日に札幌・ニトリ文化ホールで第2弾のライブを行うことが発表されるというサプライズもあった。今後の大黒摩季の活動が楽しみだ。

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野党事務所への違法な「隠しカメラ」設置問題の背景にあるもの~大分県警に染みついた「謀略体質」を暴く!

2016-08-12 23:28:29 | その他社会・時事
 7月に行われた参院選を前に、大分県警別府署が野党候補の事務所に出入りする関係者を監視するため、違法にカメラを設置した問題が波紋を呼んでいる。

 一連の報道によれば、カメラが設置されていたのは、別府地区平和運動センターや連合大分東部地域協議会が入居する別府地区労働福祉会館(同市南荘園町)の敷地内。連合大分が支援している民進党現職候補や比例区に立候補していた社民党・吉田忠智党首の支援拠点として使われていた。カメラの設置は6月の参院選公示直前に行われ、事務所に出入りする人々を無差別に撮影。カメラ本体に装着されたSDカードを取り替えるため、別府署員が3回、敷地内に侵入していたこともわかっている。

 警察がたびたび民有地内に侵入したことは選挙への不当な干渉であり言語道断というしかないものだ。そもそも、例えばコンビニなどの民間施設に設置されている防犯カメラは、記憶容量が一杯になると古いデータから順に消去しながら新しいデータを上書きする方式が採られているものが多い。航空機に搭載されているボイスレコーダーなども同様だ。事故が起きれば、直前の状況を記録した状態で録音が自動的に停止するから、事故原因究明が目的ならそれで十分なのだ。

 これに対し、今回、大分県警は、SDカードを取り替えながら撮影を続けている。明らかに、事故や犯罪の「直前の状況さえ記録されていれば良い」という民間防犯的なカメラの使用方法ではない。特定政党、特定候補とその支援者を狙い撃ちする形で、事務所に出入りする人々のデータを蓄積するため、公安的手法で行われたものといえる。

 今回、警察がこうした直接的な情報収集活動を、なりふり構わず行ってきた背景に「野党共闘」の進展があることは間違いない。昨年9月の安保関連法案強行採決を契機として、日本共産党の「国民連合政権」構想を呼び水に始まった野党共闘は、32の参院選1人区すべてで統一候補を立てるところまで、わずか1年足らずで急進展。11勝21敗の「負け越し」ではあるものの、前回参院選1人区のうち野党が2選挙区でしか勝てなかったことを考えると巨大な前進を勝ち取った。こうした情勢に驚愕した権力側が、民進党(旧民主党)の急速な「左傾化」と、共闘進展の背景を探ろうとしたことは想像に難くない。

 しかし、今回、「隠しカメラ問題」の報道に接した市民の多くは、同時にこんな疑問も抱いているのではないだろうか。「なぜ、警察による監視活動が、基地問題で野党圧勝の勢いだった沖縄や原発が争点となっている福島、野党が全勝しそうな勢いだった東北各県でなく大分だったのか」という疑問である。今回の私のこの記事が、みなさんのそうした疑問を解きほぐすための一助になると思う。

 ●大分で警察が起こした「ある事件」

 サンフランシスコ講和条約が発効したばかりの1952年6月、大分で小さな駐在所が爆破される事件が起きた。爆破された駐在所の所在地は大分県直入郡菅生村(現在の大分県竹田市菅生)。当時の国家地方警察(国警)大分県本部は、直ちにこの事件を日本共産党員の犯行と「断定」、現場近くにいた2人の共産党員を逮捕した。現場にはなぜか多数の新聞記者が「偶然」居合わせ、事件は直ちに新聞報道される。起訴された共産党員は1審では有罪判決を受けたが、2審・福岡高裁では逆転無罪となった。一体、何があったのか。

 明らかになった事件の全容は驚くべきものだった。市木春秋と名乗り、地元では生い立ち・経歴すべて不詳の「謎の男」が実行犯。事件直前の1952年春、菅生村にやってきた市木が駐在所に爆発物を仕掛けていたことが判明したが、後に、市木が地元で「行方不明」扱いになっていた国警大分県本部所属の警察官・戸高公徳と同一人物であることが、被告となった共産党員の弁護団により突き止められた。

 事件から5年後の1957年、衆院法務委員会で中村梅吉法相は、警察が戸高を使って「おとり捜査」を行ってきたことを認めた。警察庁長官も、大分県警備部長の命令により、公安警察官の身分を隠して共産党に「潜入」させる目的で戸高を派遣したと述べた。市木春秋こと戸高公徳による駐在所爆破事件は、共産党に政治的打撃を与えるために警察みずから仕組んだ事件だったのである。

 一方、事件を起こした戸高は何ら罪に問われないどころか警部補に「昇任」。警察大学校校長、警察庁装備・人事課課長補佐などを歴任し、警視(地方の警察署長クラス)にまで昇進した後、1985年、警察大学校術科教養部長を最後に退官した。

 しかし、驚くのはまだ早い。この戸高公徳は退官後、警察関係者向けに設立された傷害保険会社「たいよう共済」の常務に就任している。共産党に打撃を与えるための謀略の最前線で刑事事件まで起こした警察官が、異例の出世をするのみならず、警察ファミリー企業に天下りまでしていたのである。

 ●連綿と続く謀略の「伝統」

 爆破された駐在所の所在地にちなんで「菅生事件」と呼ばれたこの出来事はもう64年も前のことだ。既に歴史の領域に入りつつあり、現在の警察は表向き、こうした身分を隠しての「スパイ的潜入」は行っていないとされる。事件を引き起こした国家地方警察も、幾多の組織改正を経て今は都道府県警察に姿を変えた。だが、1986年に発覚した緒方靖夫・日本共産党国際部長宅電話盗聴事件で、東京都町田市の緒方部長宅の電話を盗聴していたのが神奈川県警だったように、警察の中でも公安部門だけは警察庁警備局の指揮の下、全国統一の運用をされており、今なお都道府県の垣根を越えて活動している。

 今回の隠しカメラ設置は別府警察署刑事課が行っており、直接的には公安部門の「犯行」ではない。しかし、別府署員らがこうした行為を疑問もためらいもなく実行できるのは、やはり菅生事件以来、大分県警に連綿と受け継がれた謀略の「伝統」が波打っているからだろう。

 私たちは、安倍政権の「暴力装置」としての警察を今後も絶え間なく監視していくべきだ。そして、安倍政権が狙う改憲とは、今でさえこのような非合法行為を実行している警察にフリーハンドを与えることを意味する。憲法審査会の動きも絶え間なく注視しなければならない。特高がのさばった「あの時代」の悲劇をよみがえらせないために。

<参考文献>
 この記事の執筆に当たっては、「日本の公安警察」(青木理・著、講談社現代新書、2000年)を参考にした。

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崖っぷちに立つJRローカル線 危機の原因と私たちにできること

2016-08-11 20:15:00 | 鉄道・公共交通/交通政策
(本記事は、当ブログ管理人が「北海道経済」誌に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 JR北海道の鉄道事業が会社発足以来の危機に立たされている。昨年6月、JR北海道社内に設けられた「JR北海道再生推進会議」が行った事業の「選択と集中」を求める建議を受け、JR北海道が事業見直しに着手。今年7月には「持続可能な交通体系のあり方」を発表し、ローカル線の整理を加速させる意向であることを明らかにした。

 JR北海道の本業である鉄道事業の現状は惨憺たるものだ。旧国鉄時代、赤字ローカル線選定の根拠となった国鉄再建法による「特定地方交通線」(廃止路線)の基準(輸送密度4000人キロ未満)を基に、もう一度特定地方交通線の選定を行うとすれば、小樽~札幌~中小国、札幌~北海道医療大学、札幌~旭川、札幌~帯広を除く全路線が該当する。JR北海道の列車走行100万km当たり修繕費は本州3社に比べて少ないが、鉄道収入に対する修繕費の率は圧倒的に高くなっている。JR北海道が全く儲かっていないことがわかる。

 JR北海道は、社員の給与支払に充てる資金さえ2018年度には枯渇しかねないとして、昨年度、1122億円もの国の緊急支援を受けている。民間企業なら給与遅配寸前の会社は倒産状態とみなされ、破たん処理に入るのが普通だ。JR北海道の経営は実質的に破たん状態であり、自力再建は今や不可能である。

 「持続可能な交通体系のあり方」は、事実上の経営破たん状態に陥ったJR北海道の「断末魔」であり、事態はJR北海道の会社整理が先か、道内全路線の消滅が先かの「持久戦」に入ったといえる。このような事態がなぜ起きたのか、これに対して私たちがいかに対峙してきたのか。そして私たちの今後の闘いはどのようにあるべきなのか。これが本稿のテーマである。

 ●「羊羹の切り方を間違えた」

 結論を先に言ってしまおう。JR北海道がこのような経営危機に陥る日が来ることは初めからわかっていた。国鉄分割民営化に反対していた人々の多くは、JR北海道・四国・九州のいわゆる「三島会社」の経営危機を、来るかどうかではなくいつ来るかの問題として認識していた。実際、国鉄「改革」初年度――1987年度のJR7社の決算は、早くも次のようなものであった。

 すなわち、JR7社の営業収入全体に占めるJR北海道の割合はわずかに2.5%、JR四国が1%、JR九州が3.6%。JR北海道全体の営業収入(919億円)は東京駅の収入(約1000億円)より少なく、JR四国全体の乗客数は品川駅の乗客数とほぼ同じ程度であった。JR東日本1社だけでJR7社の営業収入の43.1%を占めていた。

 この決算を見た当時の運輸省幹部が「羊羹の切り方を間違えた」と発言したと伝えられている。JR発足初年度から、運輸省が国鉄分割の誤りを認めざるを得ないほどその経営格差は歴然としていた(「JRの光と影」立山学・著、岩波新書、1989年)。

 全国1社制の国鉄時代、儲かる路線で儲からない路線を支えていた「内部補助制」が国鉄分割で崩壊した。儲かる路線の利益はJR本州3社の経営者が分捕り、北海道、四国、九州の損失は地元地域(自治体・住民)に押しつけられる――国鉄「改革」によって発足したJR7社体制とは最初から既にこのようなものであった。

 中曽根康弘首相によって、国鉄「改革」の号砲が鳴らされた当時、筆者はまだ中学生であったが、テレビ等、マスメディアを総動員して行われた「国鉄労使国賊論」などの異様な国鉄叩きは、30年以上経った今なお決して忘れることができない。「なぜ東京の私たちが毎日満員電車に耐えながら、北海道の熊しか乗らない路線を支えなければならないのか」――当時、「痛勤」などと評された東京都心の国電の異常な通勤ラッシュを逆手に取る形で、このような電車通勤の労働者の声を垂れ流しながら、メディアは「東京での国電の売り上げが東京の通勤ラッシュ解消に使われず、北海道や九州のローカル線のために消えるのはおかしい」と繰り返した。

 こうした「世論誘導」が功を奏し、次第に世間の空気は国鉄分割やむなしに傾いていった。特に、国鉄時代、首都圏の「お下がり」車両ばかりが転属によって配置され、新車の恩恵に浴することのなかった関西圏では、国鉄分割民営化によってJR西日本が発足した結果、新車に乗れるようになったとして「これだけでも分割民営化は大成功」だと宣伝されていた。

 もし今も、当時と同じように考えている人たちがいるとしたら、ひとつのデータを示しておこう。



 営業係数とは、100円の売上を達成するのに何円の経費がかかるかを示す。国鉄時代「日本一の赤字線」といわれた美幸線の営業係数は、山手線より2桁も大きかった。一方、食糧自給率を見ると、東京都の1%に対し北海道は200%もある。こちらは最近のデータだが、国鉄改革当時から大きな構造的変化があるとは思えない。

 このデータが示していることは、国鉄時代、東京は北海道の鉄道を支える代わりに北海道から「食糧援助」を受けていたという事実である。国鉄分割はこうした東京と地方の「助け合い」も破壊、後には東京による地方の「収奪」だけが残った。不利益だけが地方へ押しつけられる構図は、今、日本を揺るがす2大政治課題である原発や基地の問題にも通じている。

 先の参院選では、原発事故の起きた福島、反TPP感情が強い北海道、東北、新潟などの農業地域、基地の集中する沖縄でいずれも「野党統一」候補が自民党候補に勝利した。地域住民の間に「中央政治から抑圧、収奪されている」との意識が強い地域での相次ぐ自民敗北は、地方、弱者を平然と切り捨て、踏みつける新自由主義的政治に対し、地方がはっきりと拒絶の意思を示したことを意味する。

 ●鉄道事業が持つ経済的特性とは?

 昨年1月の風水害以来不通になっている日高本線の復旧の前提となる海岸保全工事費について、昨年5月、記者会見した島田修JR北海道社長は「鉄道会社が本来負担すべきものか」と疑問を呈した。JR北海道のこれまでの姿勢に対し、思うところは多々あるものの、この指摘に関しては、筆者は間違っているとは思わない。というのも、道路、空港は国が建設・維持し、航空会社やバス・トラック事業者は使うだけ(厳密には着陸料・空港使用料やガソリン税などによる間接負担はある)であるのに対し、鉄道だけ、事業者が全額負担しなければならないのは明らかに不公平でありバランスを欠くからだ。

 2013年11月、筆者は国会議員を通じて政府に対し「JR北海道で発生した連続事故及び日本国有鉄道改革の見直しに関する質問主意書」を提出した。質問主意書とは、国会法74条の規定に基づき、国会議員であれば誰でも政府に対して行うことができる文書による質問だ。質問主意書には、政府は原則として7日以内に答弁書により答弁しなければならない。答弁書の決定の手続は法律では定められていないが、現在は閣議決定されている。従ってその答弁書は、同じように閣議決定される政府提出法律案や政令に準じる重いものだ。

 『道路の維持管理は政府や地方公共団体などの公共セクターが実施しており、空港もほとんどが公共セクターによる維持管理が行われている。しかしながら、鉄道に関しては線路の維持管理は原則として鉄道事業者に委ねられている。同じ公共交通である以上、道路や空港と同様、鉄道線路の維持も国や地方公共団体により行われることが必要と考えるが、政府の見解を明らかにされたい』との質問に対し、政府による答弁は驚くべきものであった。『我が国の鉄道事業については、一般的に、鉄道事業者がその運営及び鉄道施設の維持管理等を一体として行っており、国土交通省としては、輸送の安全の確保等のため、鉄道事業者に対し、補助金等により支援を行っているところである』――要するに「日本では今までそうだったから」という以上のものではないのだ。

 そもそも鉄道事業を初め、電力・ガスなどのインフラ型産業には、一般の産業とは違う特性がある。(1)独占性・非競争性(利用客は、それが気に入らないからといって他社の同種のサービスに乗り換えることができない。また鉄道事業者は、客が増えないからといって線路をはがして別の場所に移転することもできない)、(2)一般産業の場合、資産(製造設備)は商品を生み出す道具であり、商品が貨幣と交換(=売買)されて収入となるのに対し、インフラ型産業は資産(インフラ施設それ自身)を利用させた対価が収入源である、(3)固定費用が膨大で巨大な資本投下が必要――などである。

 例えば米10kgを買いに来た客に対し、在庫が5kgしかない場合、とりあえず5kgのみ販売することができるが、鉄道は、隣町まで10kmの区間を乗りに来た客に対し、未開通だからといってとりあえず5kmだけ乗ってもらうというわけにはいかない(もしそのようなことを言えばその客は乗らずに帰ってしまうだろう)。最初から完全な状態で供給する必要がある。しかも、初期投資を行い、建設している間、売り上げは1円も入らない。

 このため、鉄道を初めとするインフラ型産業には、事業が開始される前段階で巨額の資金が必要となる。民間セクターでそれだけの巨額な資金を集めることは困難であり、だからこそインフラの建設は、最も新自由主義が貫徹している資本主義国家であっても公共事業として行われるのである。

 『生産手段や交通機関には、たとえば鉄道のように、もともと非常に大きくて、株式会社以外の資本主義的搾取形態ではやれないものが少なくない。そしてそれがなお発展して一定の段階に達すれば、この形態でも不十分になる。そこで、……大生産者たちは合同して一つのトラストをつくる。……トラストがあろうとなかろうと、資本主義社会の公の代表である国家は、結局、生産の管理を引き受けざるをえないことになる。このような国有化の必要は、まず郵便、電信、鉄道などの大規模な交通通信機関に現われる』(「空想より科学へ」エンゲルス)。

 鉄道を初めとする社会資本は経済学的に見て「共同消費性」を持っている。例えば、他人が自分の食料品を食べてしまうと、それだけ自分の食べられる量が減少するのに対し、道路は他人が歩いたからといって自分がそこを歩けなくなるわけではないからだ。米国のノーベル賞経済学者ポール・サミュエルソンは、こうした性質を持つものを公共財と位置づけ、政府による関与が必要とした。

 鉄道が民間企業の手によって無計画に建設された結果、全国各地に鉄道会社が群雄割拠状態にあった日本では、明治時代中期に政府による民営鉄道の全面的買収(国有化)が軍部主導で始まった。鉄道国有化法の貴族院における審議では、田健治郎議員が「鉄道ハ大ナレバナル程、運賃ノ低落スルハ明ラカナリ」と演説。事業規模の大きい方が効率的経営になるとして国有化の必要を訴えた。ドイツで鉄道の国有化を推進したのは、保守政治家であり、社会主義者鎮圧法を制定したことで知られる「鉄血宰相」ビスマルクであった。

 確かに、今から140年近く前、鉄道国有化論を唱えたのはエンゲルスであったが、現実にそれを実行したのが日本では軍部、ドイツでは反共主義者ビスマルクであったということ、米国の経済学者も社会資本には公的関与が必要と唱えていることは大変興味深い。鉄道が国有化でこそ最も効率的に運営できるというのが、思想信条に関係なく経済学的事実であることをこれらの例は私たちに教えている。

 ●ブームの様相を呈する上下分離方式

 ここ数年、経営危機に陥ったローカル線を救済する手法として急速に注目を浴びているのが「上下分離」方式だ。

 『運行事業者とインフラの整備主体が原則として別人格であって、インフラの整備に公的主体が関与する場合』――2000年8月1日付け運輸政策審議会答申第19号「中長期的な鉄道整備の基本方針及び鉄道整備の円滑化方策について」は、上下分離方式をこのように定義している。列車の運行(上)を民間企業が行う場合でも、線路や鉄道施設の保有・維持管理(下)を国・地方自治体など公共セクターが行うもので、筆者が先に国会議員を通じて提出した質問主意書に見られるように、鉄道以外では当たり前の方式である(余談だが、鉄道だけが空港や道路と異なり「上下一体」である事情を無視してコスト計算を行い、「鉄道存続よりバス転換の方が安い」などとする鉄道廃止論者を時折見かける。だがそうした比較論は、廃炉・賠償・放射性廃棄物処理のための費用を除外して「原発が最もコストが安い」と主張する経産省・原子力ムラの議論と同じで、不公平であるのみならず有害である)。

 上下分離方式では、鉄道事業者の損益は「運賃料金収入-運行経費」で測られる。従来の上下一体方式では「運賃料金収入-運行経費-保線費・復旧費」であることを考えると、保線費・復旧費が不要である分、経営上「身軽」になる。上下の責任分担も明確であり、経営が困難になると官民が互いに責任を押しつけ合っていた第三セクター方式と比べても優れているといえよう。三陸鉄道、若桜鉄道(鳥取県)、青い森鉄道(青森県)などに先行例があり、例えば三陸鉄道が、(復興予算という特例があるにせよ)東日本大震災による津波被害からわずか3年で復旧した背景に、上下分離の導入があったことは指摘しておくべきである。震災前から上下分離方式によって「下」を沿線自治体の所有としていたため、「公有財産の復旧」として全額国費補助となったのである。

 EU(欧州連合)では、「共同体の鉄道の発展に関する閣僚理事会指令」(1991年)により、加盟国で上下分離が本格導入された。ただし、当時の欧州各国の鉄道はほとんど国有か公共企業体であったため、上下分離が「下」を国有のまま、「上」をオープンアクセス(自由競争)化するための民営化の手段として導入された点に注意を要する。上下分離が、経営危機に陥ったローカル鉄道救済の手段として現れた日本と正反対だ。

 サッチャーリズムの嵐が吹き荒れ、より徹底的な新自由主義が貫徹された英国では、国鉄が100社以上に分割民営化され保線体制が崩壊した。2000年、列車走行中にレールが突然砕け列車が転覆、4人が死亡する事故(ハットフィールド事故)が起きる。「上」を受け持つ列車運行会社から「下」を受け持つ線路保有管理会社へ、列車の走行本数に応じて線路使用料が支払われる契約になっていたため、線路保有管理会社が最も儲かる夏休みの繁忙期に列車を止めることをせず、通常はその時期に行うべき保線作業を繁忙期が終わるまで先送りしたことが原因だった。「乗客の命よりカネ」の民営化体制こそが事故を引き起こし、4人の命を奪ったのである。

 この後、労働党政権が線路保有管理会社であるレールトラック社に破産を宣告。同社を非営利企業に変更した。列車運行は営利事業体が行っており、これも一種の上下分離に含まれる。

 フランスでは、フランス鉄道線路公社(下)とフランス国鉄(上)に上下分離したが、ダイヤへの不満、ネットワークの維持・管理に関する責任の分散、増加する高速鉄道建設投資による負債額の増大、情報共有不足が招いた新型車両による事故・トラブルなどの結果、持ち株会社によって上下を再統合する組織改正が行われた。だが、この「改革」は上下分離を否定した「上下一体の民営化」であり、今後の安全崩壊が危惧される。

 ●日高本線復旧のための課題

 ここまで、JR北海道の現状、国鉄「改革」が引き起こした問題、鉄道事業の経済学的特性、上下分離方式の国内と海外における動向に至るまで幅広く考察してきた。災害で不通となった日高本線を「塩漬け」にしたまま、鉄道事業見直しに向け暴走するJR北海道と、私たちは今後どのように対峙すべきだろうか。

 JR北海道の会社整理が先か、道内全路線の消滅が先かの「持久戦」に勝利するため、筆者は次の2点を特に強調しておきたい。すなわち(1)線区ごとの存廃論議に持ち込ませず、仮にそうなった場合でも廃止の言質を与えないこと、(2)北海道全線をどうすべきかの大局的観点に立ち、鉄路が維持できるならJR北海道の会社整理もやむなしとの強い意志を持つこと――である。(1)を守らなければ、線区ごとの損益を基にした存廃論議になり、沿線地域は「各個撃破」されるであろう。また(2)を守らなければ、「鉄路破れて会社あり」になりかねず、まったく意味がない。

 闘いの基本は「何のために闘うか」、すなわち大義である。私たちは鉄路、交通権、そして地域と住民を守るために闘うのであり、JR北海道という会社とその経営者を守るために闘うのではない。

 そのために、さしあたり必要なことは、線路保有、維持管理をJRから切り離し、国による管理に移す「上下分離」の実現だ。地方自治体による線路保有を主張する勢力もいるが、JR北海道の「下」の維持は市町村レベルではまったく不可能である。鉄道が「大ナレバナル程、運賃ノ低落スルハ明ラカ」とした田健治郎の指摘は上下分離を行った場合にもそのまま当てはまる。すなわち「下」の事業主体は規模が大きければ大きいほど効率的な経営が可能になるのであり、それは国をおいて他にない。

 国による直営が困難ならば、(独)鉄道建設・運輸施設整備支援機構(鉄道・運輸機構。日本鉄道建設公団と国鉄清算事業団を統合した組織)でもよいだろう。鉄道・運輸機構は旧国鉄を法的に継承した法人であり、ここにJRの線路が戻ることは「旧国鉄の線路が国鉄を継承した法人に戻る」ことを意味する。それは分割民営化政策の失敗を印象づける政治的効果も持つ。

 JR北海道がたとえ私たちにとって巨艦のように見えたとしても、それは船底に穴が開き、沈みゆくタイタニック号である。その沈没を止めることはもはや不可能だ。私たちは丸太にしがみついてでも海面に浮いていれば、やがてタイタニック号は海に消え、持久戦は私たちの勝利となる。大切なのは路線廃止の言質を与えず、公共交通の維持という使命を放棄したJR北海道の沈没を辛抱強く待つことである。

 北海道民は何も悪くない。萎縮も遠慮もする必要はなく、言いたいことはどんどん言うべきだ。すべての責任は、初年度からみずから「切り方を間違えた」と認めるようなずさんな民営化を強行、東京駅より少ない収入しか上げられないような会社を作り、30年も放置し続けた政府にある。

 ローカル線だけではない。分割民営化に反対して闘った国労組合員を初めとする1047名もの不当解雇、107人もの犠牲者を出した福知山線脱線事故などの安全崩壊、新幹線が開業するたびに行われてきた並行在来線の切り捨て――これらはすべて国鉄分割民営化の「負の遺産」だ。誤った「改革」が日本の労働者と市民に与えた損害は計り知れないものがある。来年はいよいよ国鉄分割民営化30年、そろそろ年貢の納め時だ。いつまでも隠れている彼らを引きずり出し、今こそ全責任を取らせなければならない。

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【管理人よりお知らせ】8月27日、中川功さん(元留辺蘂町収入役)をお迎えし、JR問題学習講演会を開催します

2016-08-10 12:12:00 | 鉄道・公共交通/交通政策
管理人よりお知らせです。

少し早いですが、8月27日、北海道新ひだか町で、元留辺蘂町(現・北見市)収入役の中川功さんをお迎えし、JR問題学習講演会を開きます。

JR北海道再生推進会議による「選択と集中」提言(昨年6月)に続き、7月にはJR北海道が「持続可能な交通体系のあり方」についてを発表して事業縮小を打ち出すなど、JR北海道内ローカル線の環境は厳しさを増す一方です。このまま同社に任せていては、北海道内の鉄路はすべて消滅することになりかねません。

そうした中、旧国鉄池北線~北海道ちほく高原鉄道(2006年廃止)の地元・留辺蘂町の元収入役であり、「ふるさと銀河線沿線応援ネットワーク」副代表として北海道ちほく高原鉄道の存続運動に関わってきた中川さんをお招きして開催する今回の講演会は、今後、JR北海道のローカル線にどのような存続の道がありうるかを探る場となります。

銀河線を存続させることができなかった地元の「敗北」から時代は大きく変わりました。今、上下分離など、当時は議論の対象にならなかった新しい鉄道経営の手法が注目を集めるなど、可能性も見え始めています。

なお、当日は地元・新ひだか町の酒井芳秀町長による冒頭あいさつもあります。この問題に関心のあるみなさま、万障お繰り合わせの上、ご参加ください。詳細はチラシの通りです(サムネイル画像が表示される場合はクリックすると拡大します)。

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【転載記事】原発メーカー訴訟:原子炉メーカー免責の不当判決と小石勝朗さんの解説記事

2016-08-04 21:25:44 | 原発問題/一般
原子力損害賠償法(正式名称:原子力損害の賠償に関する法律、略称:原賠法)が原子炉メーカーを賠償上「免責」にしているのは不当だとして、国内外の約3800人(判決時点)が福島第1原発の原子炉を製造した東芝、日立製作所、米ゼネラル・エレクトリック(GE)日本法人の3社を相手取って損害賠償を求めた「原発メーカー訴訟」で、7月13日、東京地裁は原発メーカー「免責」を相当とする不当判決を言い渡した。

この訴訟には、当ブログ管理人も参加している。こんな「ゼロ回答」に等しい判決で終わることはできない。現在、1審原告の中から控訴人の募集が行われているが、当ブログ管理人は控訴し、最高裁までかかっても闘い抜くことを表明する。

なお、「マガジン9」記者の小石勝朗さんが、この判決について、優れた解説記事を書いているので全文を掲載する。

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小石勝朗の「放浪記」第71回~「原発メーカー」の賠償責任を否定した判決(マガジン9より)

 事故から5年以上が経ったので、忘れてしまった方も多いかもしれない。

 福島第1原子力発電所の原子炉を製造したメーカーには、2011年3月に起きた未曾有の事故の責任を取る必要はない。原子力損害賠償法(原賠法)が、原発事故の賠償責任は原子力事業者(電力会社)だけが負うとする「責任集中制度」を定めているからだ。

 しかし、市民感覚からすると、原子炉に明らかな欠陥がある場合にまでメーカーの賠償責任が問われないのは、いかにもおかしい。被害があれだけ甚大で、今なお苦しめられている被災者も多い状況にあって、原発のハード面の問題を解明する糸口を閉ざしてしまうことにもなる。

 そんな疑問を出発点に、国内外の約3800人(判決時点)が2014年、福島第1原発の原子炉を製造した東芝、日立製作所、米ゼネラル・エレクトリック(GE)日本法人の3社を相手取って損害賠償を求めたのが「原発メーカー訴訟」だった。

 1審・東京地裁(朝倉佳秀裁判長)の判決が7月13日に言い渡されたので報告する。結論から言うと、原告の請求は退けられた。

 原告弁護団が据えた論点は、大きく2つあった。

 1つは「責任集中制度は憲法に違反する」という主張だ。制度が違憲で無効となれば、製造物責任(PL)法にもとづく「欠陥」や、民法の不法行為責任にもとづく「過失」を立証することで、通常の損害賠償訴訟と同様に原発メーカーの責任が認められ得るからだ。この訴訟の最大のポイントである。

 原告弁護団は、違憲の根拠となる憲法上の人権として、前文や幸福追求権(13条)、生存権(25条)から導いた「原子力の恐怖から免れて生きる権利」を提唱し、「ノー・ニュークス権」と命名。責任集中制度が、ノー・ニュークス権に含まれる「原発事故の責任主体に完全な被害賠償を求める権利」を侵すと訴えた。財産権(29条)や平等権(14条)、裁判を受ける権利(32条)の侵害も挙げていた。

 2つ目は、原賠法5条にもとづく主張だ。

 この条文は、原発事故がメーカーの「故意」で起きた場合には、原発事業者(東電)は事故の被害者への賠償金をメーカーに請求できる旨を定めている。原告弁護団によると、ここで言う「故意」とは民法上の概念で、「損害の発生を認識していながら認容して行為する心理状態」を指す。福島第1原発と同じ「マークⅠ型」に事前に脆弱性の警告があり、事故が発生するかもしれないと知っていたのに何もしなかったことなどがメーカーの故意に該当する、と立論した。

 そこで、民法の「債権者代位権」の規定を利用。無資力で十分な被害賠償ができる見込みのない東電に代わって、原発事故の被害者である原告がメーカーに直接、賠償請求する、というロジックを構築した。

 請求額は、原告1人あたり100円。原発事故の報道や映像を見たために精神的な苦痛を受けたことを理由にした。その点でも異例の訴訟だった。

 これに対して被告のメーカー3社は「原発事故で誰がどんな賠償責任を負うかは国の立法政策の問題だ」「責任集中制度があるからこそ、被害の賠償がされている」などと反論。ノー・ニュークス権に対しては「あまりに抽象的で成り立つ余地はない」と切り捨て、早期に結審して原告の請求を退けるよう求めていた。

 で、判決である。言い渡しは、わずか数十秒で終わった。責任集中制度の違憲・無効主張にもとづく請求に対しては棄却、もう1つの代位請求に対しては却下だった。東京地裁は今年3月の第4回口頭弁論で、原告弁護団の要請を振り切る形で審理を打ち切っていたので、予想された判決ではあったのだが…。

 判決はノー・ニュークス権について「要するに、人格権・環境権として憲法上保障されている人権を原発事故の場面に当てはめた際に、どのような具体的権利を有していることになるかという点について、原告の理解・見解を述べたもの」と独自の解釈を施し、憲法上の権利とは認めなかった。

 そのうえで「原発事故が発生した場合に、人格権・環境権として憲法上保障されている人権から、ただちに、原子炉を製造した者に対して直接完全な損害賠償を請求する権利が発生するものと解することはできない」と述べ、責任集中制度がノー・ニュークス権を侵害するとの原告の主張を退けた。

 また、原賠法が、必要があれば政府が原発事故を起こした電力会社に援助をする条項などを置いていることに触れ、「被害者に対する損害の賠償が全うされるように規定が整備されている」と指摘。「責任集中制度は被害回復のために合理的でないとは言えず、立法の裁量の範囲内である」と述べ、財産権や平等権などを侵害するとの主張も受け入れなかった。

 2点目の代位請求については、東電が事故の賠償金支払いのために原子力損害賠償・廃炉等支援機構から多額の資金援助を受けていることなどを挙げて「いかなる方法によるにせよ、東電は原発事故の賠償のために資金を調達し続けている」との見方を示し、東電は無資力ではないと判断した。そのため、原告が東電に対して損害賠償請求権を持つとしても、それを保全する必要性は認められないので、原発メーカーに対して代位請求する要件を欠くとして、請求を門前払いした。

 判決後に記者会見した弁護団の島昭宏・共同代表は「レベルが違う人格権と環境権を一緒くたにするなど、判決の法律論は未熟。このくらいの判決なら高裁でひっくり返す主張・立証ができる」と批判した。

 この訴訟の原告で、かつて被告の東芝で原子炉格納容器の設計をしていた後藤政志さんは「電力会社は原発を運転しているだけなので、安全性の議論はプラントの構造や特性を一番よくわかっているメーカー抜きに成り立たない」と訴えてきた。福島第1原発の欠陥について実質的な審理が行われないまま判決に至ったことに対し、「議論の場は今やこの裁判しかないのに、判決は法的な枠組みを言っているだけで問題の本質に一切答えていない。メーカーも表に出てこないままで『発言』さえしなかった」と失望した様子だった。

 たしかに難しい裁判だとは思う。憲法上の新しい人権を裁判所はそう簡単に認めないだろうし、法律を違憲・無効だと判断させるハードルが極めて高いことは否定できない。しかもこの裁判では、審理の途中で原告団が2つに割れて同じ法廷で異なる論理が飛び交う事態に陥ったために、原告の主張がわかりにくくなり、裁判所の印象が悪くなった面も否めない。

 しかし、この訴訟の意義は決して小さくはないはずだ。

 そもそも、1961(昭和36)年に原賠法が制定されたのは、原発事故の「被害者の保護」とともに、「原子力事業の健全な発達」が目的だった。

 「原賠法ができた当時はエネルギー確保の必要性から、メーカーが原子力事業に取り組むためにリスクの回避=事故の際の免責が不可欠という理屈だった。しかし、事故が起きて安全の追求こそが強く求められるようになり、代替エネルギーも普及してきた今日、もはや説得力はなくなっている」

 提訴にあたって、島弁護士はこう話していた。原発に対するスタンスがどうであれ、この考えに賛同する方は多いのではないだろうか。原発再稼働に向けた動きを進めるのであればなおさら、事故が起きた際の責任の取り方を今の社会情勢に則って改めて議論しておくべきに違いない。この裁判を活用したい。

 福島第1原発にハード面の欠陥や問題があったのかどうかを、検証する場にもしてほしい。後藤さんが言うように、原子炉のことを一番よくわかっているメーカーがこの機会に法廷に出てきて、きちんと説明するべきだろう。事故によって原発に対する信頼は失墜したのだから、安全性を担保する丁寧なプロセス抜きの再稼働では国民の理解は得られまい。

 原告側は7月27日、東京高裁に控訴した。高裁で少しでも実のある審理が行われるように、裁判所と原発メーカーには真摯な対応を切に望みたい。

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都知事選を終えて

2016-08-02 23:12:18 | その他社会・時事
東京都知事選については、当ブログで論評するのはやめようと思っていた。北海道民の自分には無関係な話だし、今回も「投票権がなくて良かった」と思わざるを得ないほど見るも無惨な選挙だったからだ。誹謗、中傷、ネガティブキャンペーンに終始、政策論争以前に政策を提示できない候補者が「主要3候補」の一角として扱われるという状況は、2020年五輪をめぐるゴタゴタと併せ、東京の落日を思わせるには充分だった。

福島第1原発事故により東京が「放射能汚染首都」となってはや5年、東京の劣化ぶりは今や誰の目にも覆い隠せないところまで来ている。本当にこのまま東京が首都であり続けることが日本にとって利益になるかどうか、そろそろ考える時期だろう。

もっとも、世界人類の運命を握っているはずの米大統領選でさえ、サンフランシスコ在住の和美さんのレポート(レイバーネット日本)にあるようにまともな政策論争など皆無に等しく、共和党の予備選に至っては「トランプは世界一流の詐欺師だ」「トランプの手は小さいが手の小さいやつは信じる事が出来ない」(マルコ・ルビオ候補)、「小さいマルコは討論の前、のどがひからびていて、付き添いに水、水とどなっていた」(ドナルド・トランプ候補)など、子どものケンカレベルの誹謗中傷合戦で終わってしまった。その意味では、日本の選挙も「世界標準になってきた」と言えるのかもしれない。

●「演説上手な候補」を侮るなかれ

それにしても、当選した小池百合子氏の勝負勘の良さ、「機を見るに敏」な嗅覚には驚かされる。新進党、自由党などを渡り歩き、「権力と添い寝」を続ける女性、というかなり悪意に満ちた報道攻勢にもさらされてきた。それは裏返せば世論の風が吹いている方向を読むのに長けているということができる。そうした独特の鋭い嗅覚を持った小池氏が、自民党東京都連を「抵抗勢力」に仕立て上げ、それと対決する自分を戦略的に演出する道を選ぶのを見ていると、安倍政権成立以降、国政選挙で自公与党が4連勝してきた政界の潮目の変化を感じる。

米国大統領選にも共通して言えることだが、トランプ氏があれだけ荒唐無稽な主張を繰り返しているにもかかわらず、共和党の予備選を勝ち抜き候補者指名を手にすることができた理由は、(内容の善し悪しは別として)わかりやすい言葉、自分の言葉で有権者に語りかけたからだ。たとえそれがどんなに荒唐無稽な内容であったとしても、「語りたいこと」が明確にあり、それを平易な言葉で聴衆に伝えられる演説技術を持った候補が選挙戦を制する傾向が、近年はますますはっきりしてきたと思う。逆に、ヒラリー・クリントン氏が民主党予備選でバーニー・サンダース上院議員に予想外の苦戦を強いられたのも、「米国をどうしたいのか」に関するビジョンがクリントン氏から明確な言葉で語られなかったからだろう。貧困層にターゲットを絞り、明確に格差是正を訴えるサンダース上院議員のほうが、その意味でははるかに上手だった。

そうした傾向はインターネットにより拡大している。在特会の桜井誠元会長が11万票も獲得したり、「NHKをぶっ壊せ」という政見放送で話題をさらった立花孝志氏が泡沫候補の中では健闘したのも、(内容の善し悪しは別にして)尖った主張、明確な主張があり、(上品、下品は別にして)それを平易な言葉に乗せて有権者の前で表現する技術を持っているからだと思う。

当ブログ管理人が、ネット小説を執筆する上で参考にするため、子どもたちの学校における学級委員や生徒会役員などの実態を調べていると、最近は子どもたちの間でも、以前のような「みんなをうまくまとめる調整型リーダー」に代わり、「やりたいこと」を的確に表現できる演説技術を持った児童生徒が有利になっている様子が垣間見えた。

大人社会でも子ども社会でも、「上手いこと言ったもん勝ち」へ時代は確実にシフトしている。当ブログ管理人のような口下手な人間にとっては受難の時代であり、どうすればいいのか。しばらくの間、リーダーはあきらめ、表に立たなくていい参謀・女房役などのポストで実力を発揮するか、専門性を磨き、特定分野のスペシャリストになるかのどちらかだろう。

●鳥越氏は初めから無理筋だった

野党統一候補として担ぎ出された鳥越俊太郎氏は、「巨悪の巣窟」自民党東京都連が擁立した増田寛也氏にさえ敗れ3位に沈んだ。2014年都知事選での宇都宮健児氏の得票(98万票)からは大幅に上回っているが、この票の上積みはほとんど投票率の上昇だけで説明できる。

2年前の宇都宮氏は、有権者からは事実上「共産党系候補」と見られていた。今回、野党統一候補になったにもかかわらず、鳥越氏に票の上積みがほぼなかったことから、共産党以外の野党は、事実上、政党として機能していないとの厳しい評価を下してもいいだろう。

小池氏やトランプ氏に見られるような、「主張を的確に表現し、有権者に伝えられる」候補者が優位に立つ時代への変化を踏まえると、鳥越氏を擁立したのは決定的な失敗だったと思う。インターネット討論会にたびたび欠席するなど、鳥越氏には「主張を的確に表現し、伝える」以前にその機会さえ自分から放棄してしまった。確かに、ジャーナリストとしては優れた業績を残したかもしれないが、やはり鳥越氏はそうした時代の変化を読み誤った「過去の人」に過ぎなかったということになる。

鳥越氏の敗因を週刊誌のネガティブキャンペーンに求める声もある。だがネガティブキャンペーンは今回、3候補すべてに行われた。小池氏は「右翼、タカ派」「日本会議と懇意」「権力と添い寝を続けた女」と言われたし、増田氏も、岩手県知事時代に県の借金を1.5倍に増やした「行政手腕」や、東電の社外取締役であった経歴が問われた。鳥越氏の敗因をネガティブキャンペーンに求めるのは無理がある。

候補者の擁立過程もひどいものだった。宇都宮氏の事務所には、「降りろ、立候補を辞めろ」との電話がひっきりなしにかかったという。宇都宮氏は、立候補を強行した場合、自分の陣営の若手運動員が「野党共闘の破壊者」と罵られることになるのを恐れ、苦渋の決断として立候補を取りやめた。民主的に、政策論議をしてどちらが統一候補にふさわしいか決めるのではなく、より勝てる可能性が少ない候補者に圧力をかけて立候補をやめさせる--せっかくの「野党統一」陣営がこれでは、「一族郎党、非推薦議員を応援した者は除名する」との恫喝文書を送りつけた「不自由非民主党」の東京都連と変わらない。

相手陣営が非民主的、強権的な締め付けをしているときだからこそ、野党統一陣営は開かれた民主的な候補者選定過程を経なければならなかった。猪瀬直樹・元都知事から「北朝鮮ばり」と言われるような独裁与党と同じことをしていて、野党統一候補が勝てるはずがない。しかも、芸能界から干されるのも覚悟の上で、勇気を奮って立候補表明をした石田純一氏を守り抜くこともせず、「立候補会見」後、石田氏が実際に干されているのに見殺しにした。これでは、野党統一陣営から立候補の声がかかっても、誰も怖くて立候補できなくなる。

あらゆる意味で、今回、野党は自分の首を絞める結果になった。安倍政権打倒のための野党共闘の大義は認めるが、その大義のためなら「何でもあり」でいいのか。民主的で開かれた候補者選定をしてほしいという市民の願いを無視してもいいのか。石田氏のような無責任な「ポイ捨て」にも大義の前には耐え忍ぶべきなのか。そうではないだろう。そもそも何のため、誰のための野党共闘なのか、もう一度原点に立ち戻って考えるときだ。

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