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安全問題研究会(旧・人生チャレンジ20000km)~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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4月。新たなステップと、復活したものと・・・

2025-03-31 21:55:26 | 日記

4月に入り、北海道での生活は13年目に突入した。代わり映えのない人生のようにも思えるが、小さな変化はあちこちに転がっている。

1つ目は、なんといっても半世紀以上の人生でまったくやったことのなかった料理を始めたことだ。

今年2月に、妻が凍結した道路で転倒し、手をついた拍子に左手首を骨折してしまった。左手の手首から下が装具で固定されることになってしまった影響で、手先を使う細かい作業ができなくなった。このため、2月中旬以降、妻と一緒にキッチンに立ち、アドバイスを受けながら料理に取り組んでいる。我が家では、私が胃の摘出手術を受けて以降、質の悪いサラダ油を受け付けなくなったので、米油やオリーブオイルを使っている。その米油やオリーブオイルをフライパンにひき、野菜を切って入れ、炒めるところまではできるようになった。

卵をフライパンに落としスクランブルエッグを作るのも、思っていたより簡単にでき、これなら初心者の自分にも続けられそうな気がする。妻の骨折が治った後も、料理は続けることを宣言している。仕事もあり毎日はさすがに難しいが、間を開けると忘れてしまうおそれもあり、週に1~2回程度なら無理なく続けられると思っている。

雇用形態は問わないが、妻に働きに出てもらう計画もある。管理職昇任の見込みがほぼなくなったことで、今後、私の大幅な給与アップは見込めそうにない。世帯収入を上げるには「2馬力」にするのが最も手っ取り早いが、そうなったときでも、私が料理を覚えれば、仕事から帰ってくる妻を料理を作って待つこともできるようになる。想像するだけで今後の人生が明るくなってくる。

2つ目は、記事に不満を持ってやめた北海道新聞の購読を今日から再開したことである。

購読を取りやめた経緯は、当ブログ2021年10月4日付け記事「2021年、別れと決意の秋のようで……」に詳しく書いたため繰り返さないが、科学的には原発事故と甲状腺がんの関係は明白であるにもかかわらず、それを否定する記事ばかり執筆・掲載し続ける関口裕二記者(現・編集委員)の姿勢に激怒して、購読を取りやめた経緯がある。

それが、今回購読を再開することになった。当ブログでもしばしば取り上げてきた福島県の地方雑誌「政経東北」でこの問題を追ってきた牧内昇平さんが、記者として北海道新聞に入社したためだ。

すでに、「子どもの甲状腺がん 届かない当事者の声 福島の10代罹患率5~11倍」という優れた記事を書いていただいた(北海道新聞3月9日付け紙面。PCの方はサムネイル画像参照)。福島の子どもたちの甲状腺がんが原発事故に由来することを、きちんと記事にしてくれている。

北海道新聞3月18日付け記事「消えない心配 続く給食の放射能測定と健康調査 原発事故から14年~福島市は今」も、牧内記者が書いたものだ。事故から14年経った今なお、放射能汚染の心配を抱え続ける福島県民にきちんと寄り添う内容になっている。この2つの記事を、2021年10月4日付当ブログ記事で紹介した紙面と比べてみると、2つの記事が被害者と原子力ムラのどちらの側に立っているかは一目瞭然だ。

福島原発事故は「政(政治)・官(官僚)・財(経済界)・学(御用学者)・報(報道機関)」の鉄の五角形によってもたらされた。それだけに、事故直後は原発の危険性を伝えなかった報道機関も厳しい批判を受けた。だが、報道機関を権力の監視装置として再建していくためには、単に批判するだけでは足りない。被害者に寄り添い、政府・原子力ムラのウソ・隠蔽・ごまかしを暴くために活動している良心的な媒体・記者に対しては、購読して支えることも必要である。今回、北海道新聞の購読を再開した背景にはこのような事情がある。

北海道新聞の購読再開に代えて、2021年10月以降購読してきた「しんぶん赤旗」日刊紙を取りやめ、日曜版のみに戻すことにした。知り合いの日本共産党員には大変申し訳ないが、国政選挙で同党が連続敗退するようになってから、低迷する党勢が紙面にも明らかに反映している。政党機関紙であることを割り引いたとしても、党内引き締めのためとしか思えない記事の割合が以前より増えたように感じ、以前と比べてつまらなくなった。

原発関係記事に至っては、放射能による健康被害をめぐって党内世論が割れている事情があるせいか、党執行部の見解は示されず、共産党傘下の反原発運動団体が取り組む運動・行動を紙面に載せてお茶を濁しているだけになっている。政党機関紙ならこれらの事態に対し、党としてどのような方針を掲げ、党員にどのような活動を求めるのか明確にすべきだと思う。それがきちんとできていないからこそ、党首公選制を求める勢力による党内からの「揺さぶり」に全組織が動揺する事態になるのだと思う。

北海道新聞の購読は、牧内記者が社内にいる限り、そして私が道内に住んでいる限りは続けたいと思っている。


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第97回選抜高校野球大会 講評

2025-03-30 23:43:52 | 芸能・スポーツ

当ブログとして高校野球大会の講評を書くのは、2022年8月24日付で第104回夏の高校野球大会を取り上げて以来のことになる。

第97回選抜高校野球大会は、横浜(神奈川)の2006年以来、19年ぶりの優勝で幕を閉じた。

今大会は、ひとことで言えば「安心して見ていられる静かな大会」だった。天候に恵まれ、雨天順延は1試合もなく順調に日程を消化した。本命視されていた学校が順当に勝ち上がり、上位に残った。強豪校同士の対戦も「こことここの対戦なら、おそらくこちらの勝ち」と予想しておおむねその通りになった。

近年の大会にありがちな関係者の失言、グラウンド外の不祥事、選手以外の生徒の悪目立ちといった「場外戦」的な話題にもほとんど接することがなかった。出場校の中に、メディア関係者の目を引くような個性的な生徒が少なかったのかもしれないが、高校野球にサプライズ、波乱、番狂わせなどを期待していた向きには、平凡すぎてつまらない大会に映ったかもしれない。

しかし、平凡で静かな大会もときには必要である。喧噪にかき消されて見えてこない高校野球の「普段」「ありのまま」の姿の中から、次の時代に向けた「小さな変化の芽」を読み取るにはこのような大会こそ好都合だからだ。

そのような観点で言えば、今大会から見えた小さな変化は、リーダー像やリーダーシップのあり方である。特徴的な出場校として、エナジックスポーツ高等学院(沖縄)を挙げたい。なんと言っても、この学校の特徴は、監督がベンチから一切、サインを出さず、次の作戦--例えば、盗塁か、送りバントか、エンドランか、それともヒッティングか--を、打者と走者がアイコンタクトしながらそのつど決める(参考記事:甲子園に旋風「ノーサイン」沖縄エナジックスポーツの革新 2回戦敗退も「時代を先取りした野球」高評価/J-CASTニュース)。創部4年目での出場とのことだが、新時代の野球スタイルとして、関東圏の強豪校も注目しているという。

もうひとつ、大会中に報道された興味深い記事として、「主将2人制」を採る学校が増えているとされたことだ(参考記事:「1人だときつい」甲子園に「ダブル主将」の波 背景は? センバツ/毎日)。「以前のキャプテンがチームメートに『これを言うのはどうか』と、気を使って言葉を濁す場面をよく見た。それなら2人で話し合った上で、統制を取ってみたらどうかと思った」(藤原忠理・天理高校野球部監督)という監督のコメントの他、「プレッシャーを2人で分けられるのが大きい」「1人だときつかったと思う。2人の方がやりやすい」「1人で抱えたくないので、迷うことがあったらすぐに(もう1人の主将に)相談します」という選手の声も紹介されている。

このニュース記事に関しては、識者も「今の時代に合っている」(ノンフィクションライター上原伸一氏)との好意的な見方の他、「今の時代、昔のように誰もが認めるリーダータイプは減っている」(スポーツジャーナリスト矢崎良一氏)と積極的な評価ではないものの、リーダー不在の現状ではやむを得ないとする見解が出されており、いずれも否定的ではないことも興味深い。

スポーツの中でも野球のような団体競技は、勝利という分かりやすい目標のために、チームのメンバーが協力し合う必要があるという意味で、最も優れた組織運営の教科書といえる。そして、高校野球のような学生スポーツの場合、選手たちはあと数年もすれば社会に出てくる。そこでどのような選手がリーダーとなり、どのような形でチームという組織が運営されているかを見ることは、企業などの「大人社会」のリーダー像やリーダーシップのあり方が今後、どのような方向に変化するかを占う上での「先行指標」としての意味を持つ。

エナジックスポーツの事例は、極端な言い方をすれば「リーダー不在の中で、メンバーがどのようにコミュニケーションを図り、目的を達成していくか」の見本である。メンバー間に強い信頼関係と密なコミュニケーションが成立していない限り、このような組織が結果を出すのは難しい。だが、エナジックスポーツがこのやり方で一定の成果を出したことによって、「リーダーが不在か、事実上存在しないに等しいような無力な場合でも、現場がコミュニケーションを密にし、高度なメンバーシップを確立すれば目標達成ができる」と示されたところに展望がある。

主将2人制も、矢崎氏の指摘にある「昔のように誰もが認めるリーダータイプは減っている」という事情の中で編み出された苦肉の策という側面が強いと思うが、この方法が一定の成果を収めれば、今後の日本では企業など「大人社会」でも同様の方向での変化が起きる可能性がある。部長-課長―係長―一般社員という縦系列から、例えば「各チームにチームリーダー1名、サブリーダー数名を配置し、それ以外のメンバーは全員が平等で、あるのは役割分担だけ」という、スポーツチームのようなフラット化した組織形態への移行の予感を抱かせるものとなった。

矢崎氏の指摘は、最近、自分の職場に配属される若手社員を見たときの私の感覚と一致している。リーダー人材自体は、昔と比べて減ったとはいえ枯渇したわけではないが、ここ10年ほどは「誰もが認めるリーダータイプ」に当てはまるのはほとんどが女性で、男性は極めて少ない。数値目標など設けなくても、適正かつ公平な人事評価さえ行われるなら、10年後、管理職は女性ばかりになってしまうのではないかと思わせる状況が生まれてきている。高校野球に出場できるのは、当然、男子生徒だけなので、識者の目には、その点でリーダー人材の枯渇感が一層強まって見えているのではないだろうか。

今大会、記録面で特筆すべきなのは、西日本短大付(福岡)が1大会で2本のランニングホームランを記録したことだ。1大会に1本でも出れば珍しいと言われるランニングホームランが2本記録されるのは、長い高校野球の歴史でもかなり珍しい部類に入ることは間違いない。同じ学校による記録となれば、もしかすると初めてかもしれない(参考記事:西日本短大付またランニング本塁打、2戦連続の“珍記録”…今大会5本中2本、正真正銘弾も/Full-count)。

さて、春のセンバツといえば、開会式の名物が大会歌「今ありて」(作詞:阿久悠、作曲:谷村新司)だ。旧大会歌として1992年の第64回大会まで歌われた「選抜高等学校野球大会歌」(通称「陽は舞い踊る甲子園」)に代わって1993年の第65回大会から導入された。当初から一貫して神戸山手女子高校の生徒によって歌い継がれてきたが、同校が来年から男女共学となり、学校名も変わるため、この形で歌われるのは今大会が最後となった。

来年以降、どうなるかはまだわからない。だが、新たに入学してくる男子生徒が「なぜ女子だけなのか。自分たちも晴れ舞台に立って一緒に歌いたい」と望んだ場合、その流れに抗するのはほぼ不可能だろう。来年以降は「男女混声合唱」となる方向へ動いていくのではないだろうか。

トランプ政権の復活で、米国ではDEI(多様性・包摂性/ダイバーシティ・インクルージョン)への逆風が強まり、潮流がかなり怪しくなってきている。だが、性別などの属性による「聖域」をできる限り減らしていくという時代の要請は、基本的には変わらないと思う。旧大会歌の時代から、半世紀近く甲子園ウォッチを続けているオールドファンにとっては残念だが、これも時代の流れと割り切るしかない。

昔も今も変わらぬ憧れの大舞台――甲子園のグランドで、思う存分力を出し切った球児たちに拍手を送りたい。

第97回選抜高等学校野球大会 大会歌 「今ありて」(2025年・第97回大会/神戸山手女子高校として最後)


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終わらない、終わるはずない「令和の米騒動」日本人は飢餓の時代の入口に立った

2025-03-29 18:38:43 | 農業・農政

(この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」に投稿した原稿をそのまま転載しています。)

 昨年秋、全国の食卓を揺るがした「令和の米騒動」に収束の気配が見えない。「新米の集荷時期が来れば価格は元に戻る」と繰り返してきた農林水産省の説明も虚しく、今も米の価格は高値に張り付いたままだ。今、私の地元のスーパーでも、5kg入りの米が1袋3,500円程度で売られているが、昨年の今ごろはこの価格で10kg1袋が買えていた。体感的には米価格は2倍に上昇したことになる。

 この騒動にはいつ終わりが来るのか。それ以前に終わりが来ること自体、あるのか。長年、農業界の片隅に身を置き、その変化を追ってきた私の目には、もうこの騒動が終わることはないように思われる。それどころか、十数年後に振り返ったとき「今思えば、あれが飽食の時代から飢餓の時代への転換点だった」と言われる歴史的転機かもしれないのだ。

 ●農水省公表資料「民間在庫の推移(速報)」が語る現状

 農水省が毎月、公表している「民間在庫の推移(速報、2024年12月末時点)」を見て、私は愕然とした。米不足問題は、実際には報道されているよりもずっと深刻だ。この数字から、私は今後の推移を、おおむね以下のとおり予測する。

・スーパー、米穀店の店頭で「お1人様5kg1袋限り」等の購入数量制限が始まる時期は、早ければ4月上旬、遅くとも4月中(※)
・店頭からお米が消え始める時期は、早ければ大型連休前、遅くとも5月中
・お米が完全に姿を消す時期は、早ければ5月末、遅くとも6月中

 8月になって騒ぎが始まった昨年より1か月半程度早く、今年は事態が進行すると予測する。

 そもそも、農業問題に少しでも知識がある人であれば、往時より少なくなったとはいえ、現在も年に700万トン程度、米が獲れているという基本的数字が頭に入っているだろう。この収穫量からすると、収穫直後の11~12月でも民間在庫が300万トン程度というのは、半分弱にしか過ぎない。私は、最初にこの数字を見たとき、あまりに少なすぎて何を意味しているのか理解できなかった。

 だが、表の欄外に「注」として「2 出荷段階は、全農、道県経済連、県単一農協、道県出荷団体(年間の玄米仕入数量が5,000トン以上)、出荷業者(年間の玄米仕入量が500トン以上)である」「3 販売段階は、米穀の販売の事業を行う者(年間の玄米仕入量が4,000トン以上)である」と記載されているのを見たとき、すべての謎が解けた。

 この表に掲載されているのは、全国の農協グループ及び「全集連」(全国主食集荷協同組合連合会)加盟集荷業者が集荷できた量だけである。逆に言えば、農協・全集連を通すことなく出荷された米は、この表には含まれていないということになる。

 1995年に廃止されるまで、日本には食糧管理制度(食管制度)があった。農協と全集連は、食管制度の下で、政府管理米と並んで正規米に位置付けられていた自主流通米の政府指定集荷団体として認められていた法人で、自主流通米の集荷比率は農協9割、全集連1割といわれた。

 奇しくも、食管制度解体から今年でちょうど30年になる。農協・全集連が集荷できているのが全収穫量の半分弱に過ぎないということが、このデータから見えてくる。もっとも、食管制度時代には、米どころが多い東日本では政府米2割、自主流通米7割の比率で、米どころが少ない西日本では政府米3割、自主流通米6割といわれてきた。食管制度廃止によって政府米がそのまま民間流通に移行したと仮定すれば、農協・全集連が集荷する旧「自主流通米」の減少幅は1~2割ということになる。これを多いと見るか、それほどでもないと見るかは意見の分かれるところだろう。

 日本の米の年間収穫量は、前述のとおり、ここ数年は700万トン程度で、需給はほぼ均衡しており、いわれているほどの「米余り」は実際には起きていなかった。計算の便宜上、年720万トン収穫できているとすると、1か月に60万トン消費されている。つまり「民間在庫の推移(速報)」は、流通量だけでなく消費量の面でも実勢の半分しか反映していないことになる。農協・全集連が集荷できた年300万トンの米が、月に20万~30万トン程度消費されているということを示したものに過ぎない。

 残る半分は、大きく分けると大口需要者(外食産業など)による直接買い付け、農協・全集連以外の流通業者による集荷分、そして産直などの小口需要ということになる。これら(産直除く)は外食産業、病院・学校給食の他、いわゆる「中食(なかしょく)」に回る。中食とは、外食と家庭「内食」の中間的形態で、具体的には弁当・総菜のことを指す。作って食べるまですべてが家庭内である「内食」と、作って食べるまですべてが家庭外である「外食」の中間的形態(作るのは「外」、食べるのは「中」)なので、このように呼ばれるわけだ。

 これら外食・中食によって米の半分が消費されており、近年はこの分野が伸びているため、米の消費量は言われているほど減っていない。減っているのは一般家庭で炊飯して食べる米だけだが、この分は農協・全集連が多くを扱ってきたため、「民間在庫の推移(速報)」では減っているように見えるという数字のマジックの面が大きい。

 ●日本では、ウクライナ戦争開始後、農協・全集連が集荷量を大きく減らした

 「民間在庫の推移(速報)」資料から、クリアに見える点がもう1つある。近年、秋の収穫期直後の11~12月時点で、おおむね300万トン台で安定していた流通量が、令和4/5年度(2022~2023年度)を境に大きく減少していることだ。

 この年に起きた大きな出来事は、いうまでもなくウクライナ戦争だ。同時に、燃料費、資材費の大幅な値上がりが始まった。この値上がりに耐えきれず、多くの農家が離農したことが、この表から見えてくる。

 米生産量全体としても670~680万トン程度に減っているが、この減少分(マイナス30~40万トン)は「民間在庫の推移(速報)」における減少幅とほぼ一致する。「民間在庫の推移(速報)」は農協・全集連が集荷した米だけを対象にした統計であり、ウクライナ戦争後の燃料・資材費の値上がりに耐えきれずに離農した農家のほとんどが、農協・全集連に出荷していたことも、この資料は示している。

 ●ウクライナ戦争を契機に起きた農協の集荷力の低下が「一般家庭」を直撃した

 離農のほとんどが農協・全集連に出荷していた農家に集中していたという私の推測通りだとすると、次のような結論が導き出される。ウクライナ戦争後に急騰した燃料・資材費の価格転嫁を、農協・全集連が認めなかったのに対し、それ以外の流通業者は認めた可能性が高いということである。

 この結果、農協・全集連に出荷していた農家の多くが農業に希望を失って離農するか、燃料・資材費高騰分の価格転嫁を認める農協・全集連以外の流通業者に出荷先を切り替えるかのいずれかを選んだと考えられる。こうして、流通量減少の影響が外食、中食には及ばず、農協・全集連が集荷した米を取り扱っているスーパー・米穀店だけを直撃したのだ。

 元々このような状態であるところに、「民間在庫の推移(速報)」に戻ると、令和6~7(2024~2025)年は、令和5~6(2023~2024)年に比べて、前年同月時点での流通量がさらに39~50万トンも少なく推移している。1か月の米消費量が60万トン(うち、一般家庭消費分が半分の30万トン)であることを考えると、平均で1.5か月分に相当する。つまり、昨年は8月に始まった米騒動は、今年は1か月半早まり、6月中旬には始まることになる。

 一般家庭で消費されている米(=外食、中食除く)が月に30万トンであることから考えると、政府が実施を公表している21万トンの備蓄米放出くらいではまったく足りない。その効果は、おそらく「令和の米騒動第2弾」の始まる時期を、半月~20日程度遅らせるのがせいぜいだろう。備蓄米21万トンを放出しても、令和の米騒動第2弾は、7月上旬までには始まると考えられる。

 今後、「米を隠し、売り惜しむ米穀業者」というストーリーで、マスコミによる米穀業者バッシングが激化すると予測する。だが、彼らの名誉のために述べておくと、米穀業者が保管している米は、外食産業など「すでに買い手がついている、売約済のもの」がほとんどであり、いわゆる「売り惜しみ」ではない。もちろん売約済なので、外食産業には契約通りの価格で出荷されることになろう。昨年起きたのと同じように、「レストランなどの外食や、弁当業者等には十分な量の米があり不足していないにもかかわらず、スーパーや米屋の店頭にだけ米がない」という状態が繰り返されるに違いない。

 石破政権は、参院選後まで米不足を先送りできるとの腹づもりのようだが、おそらくその見込みは外れる。参院選がまさに公示され、運動期間に入る頃に米が完全に消えるという、石破政権的には最悪のシナリオになる可能性が強まってきた。

 米不足が原因で、この夏、自公政権が倒れることになるかもしれない。野党もまとまれずバラバラだが、それでも「バラバラなりに非自民政権が成立」した1993年の再来は十分あり得る。思えばこのときも、時期を同じくして「平成の米騒動」があった。やはり歴史は繰り返しているのだ。

 長年、減少が続いているとされてきた米の需要は、すでに見たとおり下げ止まっており、今後は上昇に転じる可能性もある。これまでの農業政策は行き詰まっており、物価高とインフレの時代にふさわしい新たな政策に改める必要がある。

 3月30日、東京都内で「3.30「令和の百姓一揆」トラクター&デモ行進 農民に欧米並みの「所得補償」を!」行動が行われる。農業者によるトラクターデモは、米不足に収束の兆しが見えない中、注目を集めるに違いない。

(※)筆者が福島原発事故刑事訴訟関係要請行動のため3月3日(月)に上京した際、調査を行った「肉のハナマサ赤坂店」では、すでにこの日、「お1人様2袋(10kg)まで」の購入制限が行われていたのを確認している。

<参考資料等>
・農水省資料「民間在庫の推移
全集連(全国主食集荷協同組合連合会)

(文責:黒鉄好/2025年3月29日)


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【転載記事】東電原発事故は「勝てる事件だった」。刑事裁判で旧経営陣の責任を追及した弁護士の悔い なぜ無罪決着に終わったのか、9年半の闘いに思うこと

2025-03-28 21:34:25 | 原発問題/福島原発事故刑事訴訟

東電原発事故は「勝てる事件だった」。刑事裁判で旧経営陣の責任を追及した弁護士の悔い なぜ無罪決着に終わったのか、9年半の闘いに思うこと(47ニュース)

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共同通信の単独インタビューに応じる石田省三郎弁護士

 未曽有の大事故から14年、東京電力福島第1原発事故で強制起訴された旧経営陣は無罪が確定し、刑事裁判が終結した。この事件は、検察が旧経営陣をいったん不起訴にしたが、市民で構成される検察審査会が「起訴するべきだ」と判断したため、弁護士が代わりに検察官役となって旧経営陣の刑事責任を追及するという経緯をたどった。

 裁判で検察官役の指定弁護士を務めた一人、石田省三郎弁護士(78)は「勝てる事件を勝ちきれなかった」と唇をかむ。選任されてからの期間は、指定弁護士の任期として過去最長の9年半にわたった。単独インタビューに応じ、なぜ引き受けたのかや裁判の意義、制度の課題など多岐にわたるテーマについて語った。(共同通信=帯向琢磨)

▽反対の立場「割り切れる」

2012年8月、弁護人を務めた東電女性社員殺害事件を巡り記者会見する石田省三郎弁護士

 1973年に弁護士となった石田弁護士は、ロッキード事件やリクルート事件、東電女性社員殺人事件で弁護人を務めるなど、日本を代表する刑事弁護人として、40年以上にわたり検察と対峙してきた。

 それが今回、双葉病院(福島県大熊町)の入院患者ら44人を死亡させるなどした容疑について、検察審査会が「起訴すべき」と議決したのを受け、2015年に訴追する側の検察官役となった。

 「そこは割り切れると言わざるを得ない。結局、証拠を見て証拠に基づいて主張をするわけだから」。プロの法律家としての矜持をのぞかせ、「争いの一方当事者として職務を淡々と遂行するだけだった。受けたときからそう考えていた」と話した。

 ロッキード事件で田中角栄元首相の弁護団に加わったときは、それまで新左翼関連の事件を担当していたこともあり、その転身ぶりに抗議や脅迫の電話が相次いだという。「その時と比べると、今回は大きな影響はなかった」

▽「どうしても」と頼まれて

東京電力旧経営陣3人の強制起訴が決まり、垂れ幕を掲げる「福島原発告訴団」のメンバー=2015年7月、東京地裁前

 受任の経緯を尋ねると、事務所の奥から色あせたノートの束を持ってきてくれた。関係者とのやりとりの記録や、事故のポイントを整理した手書きの備忘録だ。最初の日付は2015年7月31日。所属する第二東京弁護士会のある弁護士から「どうしても」と依頼されたことが書かれていた。

 この時、一部の時効があと半年ほどに迫っていて、時間との闘いでもあった。

 弁護士として長年一緒にやってきた仲間からの後押しもあり、8月21日に選任が決まった。

 強制起訴の対象となった裁判はそもそも、検察が証拠が十分ではないとして起訴せず、裁判にしなかったものだ。その判断を覆さなければならず、ハードルは高い。そのことを「非常に困難な壁に立ち向かう意識だった」と表現する。

元東電幹部を強制起訴する検察官役に指定され、記者会見する石田省三郎弁護士(中央)ら=2015年8月、東京・霞が関の司法記者クラブ

 ノートの8月30日の記述によれば、検察から引き継いだ証拠はファイルにして191冊、段ボール箱にして138個。最大の争点となった国の地震予測「長期評価」の信用性について、旧経営陣側がこれを基に対策を進めようとしていたことを示す文書が「いろいろ残っていた」のだという。石田弁護士が「勝てる事件だった」と振り返るゆえんだ。

▽感じた手応え、遠い認定

東京地裁前で開かれた被災者らの集会(左上)、煙を上げる福島第1原発3号機(右下)を背景に、武藤栄元副社長(右上)ら東京電力旧経営陣のコラージュ

 かくして指定弁護士は16年2月、勝俣恒久元会長=昨年10月に84歳で死去、武黒一郎元副社長(79)、武藤栄元副社長(74)の3人を強制起訴した。

 東京地裁で審理された一審では、東電の当時の担当者らも指定弁護士の主張に沿う重要な証言をした。公判の「ハイライト」と位置づけた被告人質問も「(知っていたのに)知らんぷりをしたという印象を与えられれば良かった。尋問としては成功だったと思う」と一定の手応えも感じた。だが、裁判所の認定は遠かった。一審でも二審でも有罪判決を得られず、上告した。

 だが最高裁は今月5日、上告を棄却する決定をした。「結局、見方や考え方の違いだけの問題に収斂されてしまい、極めて不本意だった。われわれの立証のどこが足りなかったのかも書かれていなかった」と肩を落とした。

 この決定では、草野耕一裁判官が別の起訴内容について「犯罪の成否を論じる余地があり得た」と言及する異例の意見を出したことも注目されたが、石田弁護士は「(起訴内容は)検審の議決の範囲内で構成しなければならず、限界がある」と反論した。

▽「民意実現できず責任感じる」

強制起訴された東京電力の旧経営陣の公判が開かれた東京地裁の法廷=2018年2月

 旧経営陣の裁判で出てきた証拠は民事裁判にも生かされ、福島の住民らも「知らないことが明らかになった」と意義を強調する。

 それでも石田弁護士は「実務家としては裁判は勝たなければ意味がない。検審が示した民意を実現できなかったことに責任を感じている」と残念がった。元々高いハードルだったとは、言い訳しなかった。

 これまで刑事弁護人のキャリアを通じて、「無罪に対する検察官の控訴はけしからん」と主張してきた。この考えが変わったわけではないが、今回は指定弁護士との立場を貫き、最高裁まで争った。「民意を反映しなければいけないという公的な責任がある。自分の思想や考え方は、別にしなければいけない」

 それに、これだけの大事故の刑事責任について「一審や二審の判断だけで終わらせるわけにはいかなかった」との思いもあったという。

▽負荷に見合った手当を

石田省三郎弁護士

 制度面の不備についても言及した。

 石田弁護士ら指定弁護士としての役割は選任されてから9年半に及んだ。これだけ長期にわたったにもかかわらず、制度上、手当が一審につき最大315万円と固定されており、「負荷に見合っていない」のだという。

 証拠の評価が問題になる今回のような事件は時間が多くかかり、特に一審段階は膨大な証拠の読み込みなどに多大な時間を費やし、他の仕事をする余裕はなかった。こうしたケースに対し、弁護士会からのバックアップも含めた対策を求めた。

 指定弁護士としての重責は、石田弁護士にとってどんなものだったのか。最後にこう聞くと、しっかりとした口調で、引き受けた案件に全力で取り組む姿勢をこう表現した。「われわれにとってはワンオブゼムなわけですから。どんな事件でもね」

© 一般社団法人共同通信社


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【訃報】佐藤栄佐久元福島知事 プルサーマルに反対し国・東電と闘った信念の人

2025-03-22 23:28:23 | 原発問題/一般

佐藤栄佐久元福島知事が死去、85歳 5期18年…分権、原子力で国と対峙(福島民友)

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 福島県知事を5期18年務め、地方分権の推進や本県の均衡ある発展に尽力した佐藤栄佐久(さとう・えいさく)さんが19日午前3時1分、老衰のため郡山市の高齢者施設で死去した。85歳。自宅は郡山市。通夜は27日午後5時、葬儀・告別式は28日午後2時から郡山市方八町の郡山斎場で。喪主は長男栄祐(えいゆう)さん。

 佐藤さんは郡山市出身。安積高、東京大法学部卒。日本青年会議所副会頭を経て1983年の参院選で初当選し、大蔵政務次官を務めた。参院議員を辞職して立候補した88年の知事選で初当選。以降、連続5回当選した。全国知事会副会長、北海道東北知事会長などを歴任した。

 知事時代は一貫して地方分権の確立を掲げ、小中学校の少人数学級制や森林環境税の導入など独自施策を展開、地方の自立を目指して積極的に声を上げた。

 2002年に東京電力のトラブル隠し問題が発覚した際には、福島第1原発でのプルサーマル計画受け入れを白紙撤回。原子力政策への問題提起を通じ国とも対峙(たいじ)するなど、「物言う知事」としても知られた。

 任期中は、ふくしま国体やうつくしま未来博の開催のほか、福島空港の開港と国際化、会津大開学、あぶくま高原道路の整備、アクアマリンふくしまの開館など大規模な事業を次々手がけた。東京一極集中に異議を唱え、本県への首都機能移転も推進。1997年に発覚した県の公費支出問題では大きな批判も浴びた。

 収賄で有罪

 5期目の06年9月、県発注工事を巡る談合、汚職事件に絡み、実弟が東京地検特捜部に逮捕されると知事を辞職。翌月には自身も収賄容疑で逮捕された。裁判では無罪を主張。一審東京地裁と二審東京高裁の有罪判決を不服として上告したが、12年10月に最高裁で懲役2年、執行猶予4年の刑が確定した。

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故後は、講演などで反原発の発信を続けた。

 次女美樹子さんの夫は玄葉光一郎衆院副議長。

 内堀知事、哀悼の意

 佐藤栄佐久さんの訃報を受け、内堀雅雄知事は19日、コメントを発表した。佐藤さんが知事在任中に掲げた県民運動のスローガン「うつくしま、ふくしま。」は策定から30年以上が経過した今もなお、多くの県民の心に息づいているとし「これからも福島県が復興していく姿を見守っていただきたかっただけに、本当に残念でなりません」と哀悼の意を示した。

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佐藤栄佐久元福島県知事が死去した。ご紹介した福島民友の記事にあるように、福島原発へのプルサーマル導入計画と闘った。在任中から逮捕、起訴に至る過程では、政策・人物のどちらにも賛否両論ある人だったが、東日本大震災・福島第1原発事故後は、原発のずさんな管理運営を続けてきた東京電力から県民を守るため、果敢に闘った知事として評価が急上昇した。

あぶくま高原道路の整備など、個別の政策の中には疑問を感じるものもあったが、福島第1原発事故の直後、親しい福島県民の前で不用意にそれを口にしたら、「栄佐久さんこそ先見の明を持って東電と闘ってくれた恩人。福島県で今後もうまくやっていきたいと思うなら、栄佐久さんを悪く言わないほうがいい」と「忠告」を受けたこともある。

福島県民には他県以上に佐藤姓が多いため、県民同士では、それほど親しい間柄でなくても、佐藤姓の人を、他の佐藤さんと区別するためファーストネームで呼ぶ習慣がある。「栄佐久さん」も、特に3.11後は県民に慕われていた。「栄佐久さんが知事のままで2011年までいてくれたら、あの事故は起きなかった」と多くの県民が今も言う。その県民の言葉に、私は全面的に同意する。

栄佐久さんの政治家人生を暗転させた「収賄罪」の刑事裁判では、記事にもあるように懲役2年、執行猶予4年の有罪判決を下しながら、裁判所が認定した収賄額は「0円」だった。それならなぜ有罪なのか、意味がわからない。「東京電力にとって目障りだった栄佐久さんを陥れ、抹殺するために検察が仕組んだ国策捜査だった」とする説は福島県民の間でコンセンサスとまでは言えなくとも、かなり広く信じられている。ご自身が「知事抹殺」という本を上梓。最近では「知事抹殺の真実」(我孫子亘監督)という映画も制作されている。私も、あの原発事故への怒りを忘れないために、その説を信じる県民の列に加わりたいと思う。

これだけの功績を残した「福島県民の恩人」栄佐久さんを「0円の収賄」で起訴した検察は、あれほどの事故を起こした東京電力旧経営陣を不起訴にした。検察の主張を鵜呑みにし、栄佐久さんに有罪判決を下した最高裁は、検察審査会の議決で強制起訴された東京電力の旧経営陣には無罪判決を下した。裁判所も検察もどこを見て仕事をしているのか。今、東京では毎週のように財務省解体デモが行われているが、役立たずどころか有害な裁判所も検察もこの際、一緒に解体したらどうだろうか。

福島原発をめぐって、東電によるトラブル隠しが発覚したのは2002年2月だった。激怒した栄佐久さんは東電管内の原発稼働を拒否。2003年4月から2006年7月まで3年以上にわたって東電管内全原発が止まった。だがこのとき、東電管内で停電はおろか、電力不足も起こらなかった。3.11後、私たちが反原発運動を進める中で、「原発が動かないと電力が不足する」と市民を脅す原発推進派に対し、「原発が止まっても電力不足は起きない」と胸を張って堂々と主張できたのは、栄佐久さんがこのときに「証明」してくれていたからである。原子力ムラ挙げての「電力不足」キャンペーンに打ち勝つことができたのは、栄佐久さんのおかげである。

このような経緯があり、福島原発告訴団・福島原発刑事訴訟支援団の集会に、ゲストとして招請しようという話が持ち上がったのも一度二度ではなかった。だが、ここ5年ほどは栄佐久さんのご体調が優れず、その目標はかなわないままとなった。私たちの闘いを支えてくれた栄佐久さんに、改めてお礼申し上げたいと思う。全原発廃止までもう少し時間はかかると思うが、いずれ栄佐久さんの墓前に「原発全滅」の報告ができるよう頑張りたいと思う。


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<地方交通に未来を(21)>新幹線と原発の怪しい関係

2025-03-16 12:14:27 | 鉄道・公共交通/交通政策

(この記事は、当ブログ管理人が長野県大鹿村のリニア建設反対住民団体「大鹿の十年先を変える会」会報「越路」に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 この話はずっと前から当コラムに書きたくて仕方なかった。それができないでいたのは自分の中で確証が持てなかったからである。だが最近になって確証とは言えないまでも「状況証拠」はかなり揃ってきたように見える。ずばり、原発誘致や再稼働同意と引き替えに新幹線が「返礼品」として贈られているのではないかという「疑惑」についてである。

 整備新幹線は、1997年に開業した北陸新幹線東京~長野を皮切りに、順次延伸開業を続けてきた。だが、延伸した新幹線の路線図を見ていた私はあることに気づいた。延伸した新幹線がことごとく原発や原子力施設のすぐそばを通っているのだ。例えば、2010年に延長開業した八戸~新青森を見ると、七戸十和田駅から30km圏内に六ヶ所村の使用済み核燃料再処理施設がある。20世紀のうちに開業する約束だったのに、27回も完成が延期になり、つぎ込まれる税金は19兆円とされるいわくつきの施設だ。

 北海道新幹線も、現在の始終点である新函館北斗から札幌までは、特急「北斗」や貨物列車がひんぱんに走るメインルートの室蘭回りではなく、かつては急行「ニセコ」が走ったものの、単線で現在はメインルートを外れたはずの余市~小樽を経由する。その沿線にあるのは北海道電力泊原発だ。

 長野から先の北陸新幹線も、金沢開業を経て、2024年3月に現在の福井県・敦賀まで延伸している。ここが日本一の原発銀座であることは本会報読者には説明するまでもなかろう。稼働中のものだけでも関西電力美浜原発1基、高浜4基、大飯2基の計7基が集中する。この先、関西までのルートが決定していないことは、すでに当コラムで何度も述べているが、政府が目指しているのは福井県・小浜から京都を経由して新大阪に至るルート(小浜・京都ルート)だ。このルートになれば美浜原発のみならず、新たに高浜・大飯原発のすぐそばも新幹線が走行することになる。

 鉄道と原子力施設との歴史をひもとくと、1999年に茨城県東海村のJCO東海事業所で起きた臨界事故の際、すぐそばを通るJR常磐線が数日にわたり不通になった。常磐線の車両基地である勝田電車区がJCOから至近距離にあることを理由に、関係者の放射線被ばくを恐れたJR東日本が勝田電車区への社員の出勤を停止したためだ。

 福島第一原発事故でも、常磐線が津波に流された上、避難区域となった区間では復旧作業もできず、長期にわたって不通になった。いざ原子力施設で事故が起きればこのようなリスクがあることは過去の事例からはっきりしているのに、なぜわざわざ原子力施設のそばに新幹線を通す愚行をこの国の政府は繰り返すのか。私にはずっと疑問だった。

 特に、小浜・京都ルートに関しては、古都の水環境や自然を破壊する「千年の愚行」だとして京都仏教会が反対署名に乗り出す事態になっている。これほどの反対があるにもかかわらず、政府がなぜわざわざ7基の原発がある地域を走行するルートに固執し続けるのかという疑問について考える中で、私がたどり着いた推論こそ冒頭に書いた「原発立地地域に対する新幹線『返礼品』説」だった。

 最近、私のこの推論を裏付ける証言・証拠が複数の関係者から出てきている。北海道新幹線と北陸新幹線の延伸が決まったのは2012年6月29日。整備費用は、同時に着工が決まった九州新幹線西九州ルートと合わせて3兆400億円に上った。

 福島原発事故からわずか1年。原発ゼロが続いていた日本で、野田民主党政権が示した大飯原発再稼働方針に反対する首相官邸前の反原発デモが20万人に達した時期だった。野田政権は、このわずか13日前(2012年6月16日)に大飯再稼働を決定している。これを「偶然の時期の一致」と思うほど筆者はお人好しではない。

 2024年12月4日、「北陸新幹線の延伸に関する与党整備委員会」に出席した杉本達治福井県知事はあけすけにこう述べている。「原子力発電所の立地地域ということを申し上げた。50年以上も志を持って電力を供給し、関西・日本の発展のために尽くしてきた。原子力基本法にある『立地地域の振興』というものを、しっかりと国の責務として果たしていただきたい」。国の原子力政策に協力してきたのだから、立地地域振興のため「新幹線という返礼品をさっさとよこせ」というのだ。

 1987~2003年まで4期16年務めた栗田幸雄元福井県知事も重大な証言をしている。「当時の自民党は一層、原子力発電に力を入れていくということで、福井県が原子力発電へ積極的に協力してくれるならば、いわばその見返りとして新幹線を1日でも早く自民党として努力しましょうと言ってくれました」。歴代福井県知事の間で、新幹線=原発協力の見返りは公然の秘密だったのだ。

 1999年、地元選出の辻一彦衆院議員(社会党→民主党)が提出した「北陸新幹線若狭ルート堅持に関する質問主意書」はこう述べている。「福井県、特に若狭の住民は、この三十年近く「いつか新幹線が通る」という悲願で生きてきた。そのために原発銀座を許容するという苦渋の選択を受け入れてきたのである。日本一の原子力発電地域を国土の均衡ある発展から取り残すことのないようにするのは政治の責任である」。新幹線を原発受け入れの返礼品とみなす考え方は、自民党だけではなく、野党にまで広く浸透していたのだ。

 福井以外の地域の話もしておこう。本会報前号でも紹介した九州新幹線西九州ルートである。1973年、田中角栄首相が日本列島改造論を唱え、整備新幹線の根拠法である「全国新幹線鉄道整備法」を制定、5整備区間(北海道、東北、北陸、鹿児島、長崎)を決定した。だが、決定直後に石油危機が起き、5区間すべての計画が凍結される。この凍結は5年後の1978年に解除となるが、その際、5区間の中で最も優先順位が低いとみなされていたのが長崎新幹線だった。

 長崎新幹線が着工されるか危惧した久保勘一長崎県知事は、高田勇副知事を自民党本部に派遣。「長崎新幹線の工事着工は、他の四路線に遅れないこととする」との約束を自民党から取り付ける。当時の党3役――大平正芳幹事長、中曽根康弘総務会長、江崎真澄政調会長が直筆で署名した約束文書は、放射能漏れ事故を起こし、寄港先を失っていた原子力船「むつ」の修理を佐世保で受け入れる見返りとされた。この文書が後に「むつ念書」と呼ばれるようになったゆえんである。

 政府与党が頑ななまでに「小浜・京都ルート」にこだわる理由も、このように考えると見えてくる。同ルートを熱心に推進する西田昌司参院議員(自民党京都府連会長)は今夏の参院選で改選となるが、石破茂総裁のままでは選挙を戦えないとして辞任を要求するらしい。良い噂などひとつとして聞いたことのないあなたこそ、この際、潔く政界から引退されてはいかがだろうか。

(役職はいずれも当時。2025年3月15日)

<参考記事>

北陸新幹線延伸「原発立地地域振興を」早期着工を要望 福井県知事(2024.12.5「朝日」)

「これで長崎は良くなる」 新幹線計画決定・むつ念書 見返りは空手形に 長崎新幹線の軌跡・1(2022.6.15「長崎新聞」)


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カテゴリー再編について(今後の予定など)

2025-03-15 19:06:34 | 運営方針・お知らせ

管理人より、カテゴリー再編についてのお知らせです。

・「共産趣味」カテゴリーを「共産趣味/労働問題(公共交通・原発除く)」に変更しました

便宜上の措置ですが、「その他社会・時事」カテゴリーに含めていた労働問題関係の記事をここに移動するため、カテゴリー名を変更しました。

もともと、当ブログが「観察対象」にしているのは、本気で経営側と闘って社会改革や問題提起につなげることを目的としている戦闘的労働組合やその周辺に関するものがほとんどであり、共産趣味の一環と捉えてもいいと考えたからです。

労働問題のうち公共交通に関するものは「鉄道・公共交通/交通政策」カテゴリで、原発に関するものは「原発問題/一般」カテゴリーで扱います。この2つは従来通りです。

この措置により「その他社会・時事」カテゴリーの記事数は200を割り、だいぶコントロールしやすくなりました。なお、どのような記事をどのカテゴリーで扱っているかについては、2013年4月1日付記事に掲載しています。

・「原発問題/福島原発事故刑事訴訟」カテゴリーの今後の取り扱いについて

2025年3月7日付記事「東電刑事裁判、経営陣2人を「無罪」とする不当判決が確定/福島原発告訴団等の声明」のとおり、最高裁が東京電力旧経営陣3被告のうち、途中で死去した1名を除く2被告に無罪判決をしたことにより、2012年の福島原発告訴団結成以来、12年半にわたった原発事故の刑事訴訟が終わりました。

今後、4月30日に無罪判決に抗議する集会が予定されているものの、それ以降、福島原発告訴団・福島原発刑事訴訟支援団をどのようにするかは決まっていません。

もし、福島原発告訴団・福島原発刑事訴訟支援団が活動を終える場合、当ブログのこのカテゴリについても更新することがなくなります。「原発問題/一般」カテゴリーと統合することもひとつの選択肢ですが、統合後のカテゴリーの記事数が500を超える規模になります。種々雑多な問題がひとまとめになっている「その他社会・時事」と異なり、特定問題の専門カテゴリーのためコントロールは効くと思いますが、この規模では過去記事の検索も難しくなります。

また、刑事裁判の過程で明らかになった証拠類を多く含むこのカテゴリーの記事は資料的価値が高く、独立したカテゴリーとして残し続ける意味もそれなりにあると思います。

4月30日以降も、当面、更新しないことを前提としてそのまま残しておき、その後の扱いは追って考えたいと思います。


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3.11 全交関電前プロジェクト 関電前行動へのメッセージ

2025-03-09 20:16:48 | 原発問題/一般

管理人よりお知らせです。

3月11日、関西電力本店前で「老朽原発うごかすな!上関に使用済み核燃料を押しつけるな!311関電本店抗議行動」が行われますので、お知らせします。この集会に向け、私から以下のとおりメッセージを出しましたのでご紹介します。

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 関電前行動に参加のみなさん、こんにちは。3.11福島原発事故当時、福島県西郷村に住んでいた元県民の1人としてメッセージを送ります。

 国が、2月に正式決定した新しいエネルギー基本計画で、「原発依存度をできる限り低減」するとの文言が削られ、原発「最大限活用」の方針に転換したことは、今なお続く原発被害も、事故の教訓そのものもなかったことにするものであり許すことはできません。国が何度口先だけの「反省」を基本計画に書き込んでも、心の痛みは消えることがありません。

 東京電力旧経営陣が強制起訴された「東電刑事裁判」で、3月5日、最高裁は武藤栄、武黒一郎の2人の元副社長を無罪とする決定をしました。日本の歴史上最大最悪となった原発事故でさえ、刑事責任を誰ひとり問われないことが確定したのです。もはや日本で企業犯罪の責任は、社会が滅亡してからでないと問えないとでもいうのでしょうか。苦痛の中で14年を過ごしてきた元福島県民として、認めることはできません。

 原発でいったん巨大な事故が起きると、国も原子力ムラも誰ひとり責任を取ることができないし、取る気もないという事実が改めて突きつけられています。刑事裁判の1審、東京地裁判決も旧経営陣を無罪にしましたが、一方で裁判長は「原発事故の安全対策に完全はない。事故を防止したいなら、その方法は原発停止しかない」とわざわざ判決文で言及しているのです。だったらみなさんの力で止めようではありませんか!

 福島原発告訴団を2012年6月に結成し、旧経営陣を刑事告発しました。強制起訴が決まったのが2015年7月。そこから10年近くにわたる長い刑事裁判は、多くの成果を残しました。(1)政府、国会、東電、民間の4つの事故調査委員会がまとめた報告書をすべて合わせたよりも多くの事実、証拠を明らかにできたこと、(2)「賠償金目当て」などとバッシングされることを恐れて、民事訴訟に踏み切れなかった多くの福島県民の共感も得て、政治的立場の違いを超えた大きな闘いとなったこと、(3)他の民事訴訟との共同を作り出す中から、最高裁の堕落・腐敗の実態を明らかにできたこと――などです。

 多くの最高裁判事が東京電力と密接な関係にあることが暴露され、最高裁の権威は完全に失墜しました。昨年の最高裁裁判官国民審査では、有権者から10%を超える罷免賛成率を突きつけられる裁判官が20年ぶりに出るなど、裁判所は市民の大きな不信を招いています。一方で、私たちが何も悪いことをしていないという事実は無罪判決であっても変わりません。旧経営陣を有罪にすることはできなかったため、勝利と評価するのは控えたいと思いますが、相対的には勝利と見ることもできるかもしれません。

 この3月、私の地元の「北海道新聞」は初めて原発事故と甲状腺がんの関係に言及する記事を掲載しました。歩みは遅くても、時代を進歩させるのは私たち市民の力です。それを信じて、脱原発社会の実現のために進んでいきましょう。


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【訃報】竹田とし子さん(「大間原発訴訟の会」代表)津軽海峡の「対岸」から大間原発反対運動を率いる

2025-03-08 23:56:03 | 原発問題/一般

青森・大間原発建設差し止め訴訟原告の竹田とし子さん死去 76歳(朝日)

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 建設中の大間原発(青森県大間町)の建設差し止めなどを求める訴訟を起こした北海道函館市の市民団体「大間原発訴訟の会」代表の竹田とし子さんが死去した。76歳だった。2011年の東京電力福島第一原発事故の前から「命を守れ」と声を上げ続けた半生だった。

 訴訟の会事務局長の中森司さん(76)によると、竹田さんは2月28日朝、市内の自宅で倒れ、くも膜下出血で亡くなった。

 北海道旭川市で生まれ、キリスト教を基盤に女性の社会参画、人権や健康や環境が守られる世界の実現を目指す国際NGO「YWCA」の活動に参加した。結婚して函館で暮らしはじめ、夫と食料品店を営んだ。1986年のチェルノブイリ事故を機に原発問題に取り組み、大間原発建設地の30キロ圏内にある函館で2006年に発足した訴訟の会の代表に推された。

 市民ら168人で訴訟を函館地裁に起こしたのは10年7月。原告総数は第9次訴訟までに1168人に上った。地裁は18年3月、住民側の請求を棄却。住民側が札幌高裁に控訴し、審理が続く。

 竹田さんは一審の第1回口頭弁論で意見陳述してから、昨年7月の控訴審第12回口頭弁論までに計6回、陳述に立ったという。

 4日夕、函館市内の寺で通夜・告別式が営まれた。大間原発の用地買収を拒み続けた故・熊谷あさ子さんの娘で原告の1人でもある厚子さん(70、大間町)は「とし子さんは母と一緒で、信念を持って原発をなんとかしようとがんばってきた。勝訴する前に亡くなったのが残念でならない」と声を詰まらせた。

 中森さんは「温厚で人の話をよく聞く人だった。危険な原発を造らせないという遺志を引き継ぎ、大間原発を建設中止に追い込みたい」と語った。

 訴訟の会は今後、お別れの会を開くという。

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すでに10日ほど経っているが、「大間原発訴訟の会」代表・武田とし子さんが2月末に急逝された。2月26日に開かれた青森県・東北電力大間原発差し止め訴訟の意見陳述に立つなど精力的に活動されていた。私は直接、面識はなかったが、連れ合いは札幌高裁での裁判傍聴の際、何度かお会いしたという。

大間原発は、青森県・下北半島に電源開発が建設中で、完成後は東北電力に引き渡される。本来なら青森県の地元住民が頑張らなければならないが、六ヶ所村に使用済み核燃料再処理施設を受け入れてしまっていることもあり、青森県内の原発反対運動は抑え込まれ、孤立させられている。代わって、津軽海峡の対岸にある函館が闘いを担ってきた。

函館市も、電源開発を相手に2014年に訴訟を起こしたが(参考:大間原発の建設凍結のための提訴について/函館市)、これには先行する「大間原発訴訟の会」の訴訟の存在も大きかったとされる。工藤寿樹・前函館市長が自民党を含む市議会全会派を説得して提訴にこぎ着けた。

行政、民間がそれぞれ大間原発建設の凍結を求めて提訴した背景には、函館市が対岸の大間原発から30km圏内にあるという事情が大きい。福島原発事故後、原発から半径30km圏内自治体は避難計画の策定を義務づけられたが、青森県外であるため原発の運転に対する同意権限も持たない函館市が、事故が起きれば甚大な被害を受けることに対する強烈な危機感があった。

函館市の危機感が単なる絵空事ではないことは、以下の写真を示せばご理解いただけるだろう。いずれも私が2016年4月9日~10日にかけて現地を訪問した際に撮影したものだ。

<写真1>大間フェリーターミナルから望遠(300mm)レンズを使って撮影した大間原発。目と鼻の先にある

<写真2>出港直前の船内客室から。青森県側の大間港に停泊中なのに、対岸・函館のテレビ放送がクリアに映る。電波が何ものにも遮られずに飛んでくるということは、いざというとき、放射線も飛んでくるということを意味する

<写真3>大間出港直後の青函フェリー船内から。すでに対岸の函館市街地がくっきり見える

このような状態で、福島の惨事を見せつけられた函館市の行政も市民も「次は自分たちの番かもしれない」と思うのは当然だろう。

大間原発訴訟の会で竹田さんは中心的存在だった。「竹田さんがいたから会がまとまってこられた」と話す関係者もいるほどだ。裁判そのものは会の他のメンバーが引き継ぐが、新しい幹部が竹田さんほどの求心力を持てるかどうかはわからない。

竹田さんを失ったことは、函館の反原発運動にとって痛手であることに間違いない。だが、対岸にあり地元である青森県内の運動が孤立させられている以上、引き続き函館での闘いが重要であることも事実だ。私も引き続き、この闘いを支援していきたい。


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東電刑事裁判、経営陣2人を「無罪」とする不当判決が確定/福島原発告訴団等の声明

2025-03-07 22:08:07 | 原発問題/福島原発事故刑事訴訟

東電強制起訴、旧経営陣の無罪確定へ 福島原発事故で最高裁上告棄却(毎日)

私自身も、福島県民に参加者を絞って、2012年6月に発足した福島原発告訴団発足から関わり、12年半にわたって支援を続けてきた福島原発事故刑事訴訟について、最高裁は3月5日付で、1~2審の無罪判決を不服として検察官役の指定弁護士が行った上告を棄却する決定をしました。日本の歴史上最大の被害を出した福島第1原発事故の刑事責任は、誰ひとり問われることなく終わることになります。

告訴・告発運動を担ってきた福島原発告訴団と、検察審査会による強制起訴以降の裁判支援運動を担ってきた福島原発刑事訴訟支援団は、この決定を受け、共同で声明を発表しました。福島原発刑事訴訟支援団ホームページから全文をご覧いただけますが、念のため、当ブログでも、全文をご紹介します。

印刷に適したPDF版をご希望の方は、福島原発事故刑事訴訟支援団ホームページからダウンロードできます。

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東電刑事裁判、最高裁の上告棄却決定に抗議する声明

被害者を踏みにじり、次の原発事故を準備する最高裁を許さない!

2025年3月6日

福島原発告訴団

福島原発刑事訴訟支援団

東京電力福島第一原発事故の刑事責任を問う東電刑事裁判において、最高裁判所第2小法廷(岡村和美裁判長)は3月5日付で、業務上過失致死傷罪で強制起訴された武黒一郎、武藤栄両被告について、検察官役の指定弁護士の上告を棄却し、1~2審の「無罪」の判決を維持する決定をしました。

最高裁第2小法廷は、三浦守裁判官を除く裁判官3人(岡村和美裁判長、草野耕一裁判官、尾島明裁判官)全員一致として「業務上過失致死罪の成立に必要な予見可能性があったものと認定できず」「発電所の運転停止措置を講じるべき業務上の注意義務が認められない」とし、被告人を無罪とした第1審判決を是認した原判決の判断は「不合理な点があるとはいえない」と最悪の決定をしました。

私たちは、東京電力との深い関係にある草野耕一裁判官が裁判の公正を妨げると考え、事件の回避を求めてきましたが、3月21日の定年退官の直前の判断に強い憤りを禁じえません。一方で、2022年、東電民事裁判の最高裁6.17判決で、少数意見を書いた三浦守裁判官が事件を回避したことにも驚きました。

そもそも、第1審判決は、地震本部の長期評価に基づいて東電設計が算出した15.7メートルの津波高をもとに、東京電力が常務会で津波対策を承認していながら武藤らによって先送りした事実が公判で明らかになり、予見可能性は十分立証されたにもかかわらず、東京地裁永渕健一裁判長が握り潰した不当判決でした。

この最高裁の決定は、本件の双葉病院から避難の途中で亡くなった被害者とその遺族をはじめ、万余の人々の生活と人生を壊した、日本最大の公害事件である福島第一原発事故の全ての被害者と被災者を踏みにじるものです。

さらに、人災事故を引き起こし、国民の生命と財産を窮地に陥れ、甚大な被害をもたらしながら、原子力発電事業者は何らの責任も問われず免責されるという法的前例をつくり、むしろ、新たな原発事故を準備するものです。

決して許されるものではありません。満腔の怒りをもって抗議するものです。

私たちは、2012年、福島原発告訴団を結成し福島地検に告訴して以来、事件が移送された東京地検における不起訴処分と検察審査会の起訴議決を経て、市民の力で強制起訴を勝ち取り、2016年の福島原発刑事訴訟支援団結成、2017年から東京地裁の37回の公判の中で多くの真実を明らかにしました。2019年東京地裁の不当判決。2021年からの控訴審と23年の控訴審判決、さらに23年から24年にかけての最高裁で上告審と13年にわたる道のりでした。

私たちは、改めて無念の死を遂げた被害者、その遺族、そして被災者の14年の想い、これまでの道のりの中で鬼籍に入られた多くの方々の想いを、決して忘れることはできません。

私たちは、兄弟姉妹関係の東電株主代表訴訟はじめ、全国で裁判を続ける仲間の皆さん、各地に生きる原発事故被災者の皆さんと共に、今も続く過酷な福島原発事故の被害に真摯に向き合い、原子力行政におもねる司法をも変えるためにも、これからもあきらめずに活動を継続して参ります。

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(関連資料)

最高裁決定

最高裁決定に対する指定弁護士のコメント(PDF版のみ)

東電刑事裁判の歩み

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3月6日に開かれた福島原発刑事訴訟支援団・福島原発告訴団の記者会見、及び検察官役の指定弁護士の記者会見の動画がyoutubeで公開されました。

東電刑事訴訟指定代理人記者会見

東電刑事訴訟支援団、東電告訴団記者会見


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