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【訃報】斑目春樹・元原子力安全委員会委員長死去/斑目氏も事情聴取受けた刑事裁判の行方は……?

2022-11-30 21:36:40 | 原発問題/一般
班目春樹さん死去 福島事故時の原子力安全委員会委員長(朝日)

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 東京電力福島第一原発で事故が起きた際に国の原子力安全委員会委員長だった班目春樹(まだらめ・はるき)さんが22日、脳梗塞(こうそく)のため死去した。74歳だった。葬儀は近親者で営まれた。喪主は妻千恵子さん。

 専門は原子力工学。東京大学大学院工学系研究科修士課程を修了後、東京芝浦電気(現・東芝)に入社。東大講師、同教授などを歴任した。

 2010年4月に同委員長に就任し、12年9月に同委員会が廃止されるまで委員長を務めた。

 原発事故時には首相官邸に詰め、菅直人首相(当時)に事故対策を助言。その後は、事故を防げなかった責任も問われた。12年の国会事故調査委員会の聴取に対し、過酷事故の想定をしなかったことを「大変な間違いだった」などと振り返った。
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すでに10日近く経ってしまったが、斑目春樹氏が11月22日に死去した。福島第1原発事故当時の原子力安全委員会委員長。爆発を起こした原子炉の今後の見通しなどを記者から質問されても何も答えられなかったことは今も忘れない。「頭を抱える」という日本語はこういうときのためにあるのかと再認識するほど、文字通りテレビカメラの前で頭を抱えている様子が報道された。その様子とともに「デタラメハルキ」という不名誉なあだ名まで奉られ、無責任な原子力ムラの象徴とされた時期もあった。

2005年当時、ヘラヘラ笑いながら「原発って、儲かってるらしいね」などと発言している場面が原発事故直後、映像として掘り起こされた。原子力ムラの中心で推進する立場でありながら「安心なんかできるわけないじゃないですか、あんな不気味なもの」などと発言する様子は原発事故直後に大きな批判を浴びた。

記事にもあるように、原子力安全委員会は2012年9月に廃止されたため、最後の原子力安全委員長となった。事故後、「原発を推進・保護する部署と規制・チェックのための部署が同じ経産省に属していていいのか」との批判が高まり、環境省の下に原子力規制委員会(規制委)が置かれることになったからだ。

あれから11年経ち、岸田政権の下でエネルギー危機を口実に原発再稼働・新増設までも行われようとしている。当ブログが断固反対なのは言うまでもない。とりわけ、経産省が画策する「原発が停止していた期間を運転年数から除外」する案(関連記事:「停止期間除外」を大筋了承 原発60年超運転へ―建て替えに次世代原発・経産省会議)は、いくつか提案された中でも最悪のものだ。

なぜなら、現在、規制委の審査が遅れている原発は、問題があるから遅れているか、電力政策上重要でない(出力が小さいなどの理由)から遅れているかのどちらかだからだ。このような状況で、この案がそのまま法律になった場合、問題がある原発ほど建設から長期間運転できることになる。私が原発推進派であったとしても言語道断と言わなければならないほどひどいものだ。

斑目氏の過去の発言を発掘した動画では、「10倍のお金で納得して得られるものと、失うものがあります」という動画投稿者からのメッセージで締めくくられている。原子力施設がないと生きられないから仕方ないではなく、原子力以外で生きる道を地域を挙げて模索することが必要だ。エネルギーがないから原子力復活も仕方がないではなく、足りないなら再生エネルギーなど他の電源による発電量を増やすか、節電するかのどちらかしかない。11年経っても、問われている課題に変わりはない。

大失言!【原発儲かる】原子力安全委員長 【最後は金】2005年班目


なお、最後に、斑目氏について重要なことを述べておきたい。実は、当ブログも告訴人の1人として関わっている「福島原発告訴団」による刑事告訴を受け、検察は2013年、斑目氏を任意で事情聴取している(参考:「検察当局が班目原子力安全委元委員長から任意で事情聴取」(一般社団法人環境金融研究機構)から)。「取り調べかと思うほど、このときの事情聴取は厳しいものだった」と、聴取対象となった多くの参考人が話しているという情報が、当ブログ管理人にも伝わってきた。密室での事情聴取ゆえ、斑目氏がどのような供述をしたのか、当ブログ管理人には知る由もないが、少しでもこの原発事故の真相究明と再発防止につながるような供述をしてくれたものと信じたい。

結局、刑事告訴の後、福島地検は事件を東京地検に移送し不起訴決定。2014年7月、検察審査会による「起訴相当」議決を受けた再捜査でも再び検察は不起訴としたが、2015年7月、東京第1検察審査会は再び「起訴相当」と議決、原発事故は東電経営陣3人が強制起訴され初めて刑事事件として裁かれることになった。2019年9月の東京地裁判決で、3経営陣に無罪判決が言い渡された後、検察官役の指定弁護士が東京高裁に控訴し、現在も裁判が続いていることは、繰り返し、当ブログで報じてきたとおりである。

東京地裁で裁判が始まる前に行われた公判前整理手続きには、斑目氏の供述調書も証拠として提出されている。福島原発刑事訴訟支援団は、現在、1審判決の破棄を求めて東京高裁に申し立てを行っているが、残念ながら却下された。このまま行けば、年明け1月18日に、東京高裁で控訴審判決が言い渡されることになる。

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「死」を通じて見えたこの国の本当の姿 日本はどこへ行くのか?

2022-11-25 19:57:48 | その他社会・時事
(この記事は、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2022年12月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 ●「死」がかつてなく身近に

 本誌が読者諸氏のお手元に届いた時点で、2022年はまだ1ヶ月以上残っており、総括するのはまだ早いと思われる方も多いだろう。だが、半世紀を過ぎた筆者の人生の中で「こんな年、早く終わってしまえばいいのに」とこれほどまでに強く思った年はかつてなかった。自分の精神面ではなく、世情という意味でとにかく苦しい年である。

 こんなことを思っているのは自分だけかもしれないと思い、これまで筆者は、こうした感情を露出するのを本誌はじめ、どの媒体でも避けてきた。だが月刊誌「文藝春秋」2022年10月号で、作家・五木寛之さんがこんなことを述べているのを読んで少し考えが変わった。『小説を書くようになってから55年になりますが、この2022年ほど多難だった年はかつて経験がなく、数百年に一度の天下変動に直面しているような実感があります』。

 1932年生まれで、今年90歳を迎えた五木さんですらかつて経験がないというほどの年なのだ。たかが半世紀ごときの人生経験しかない「若輩者」の筆者が多少弱音を吐いたところで、今年に関する限り、大目に見ていただけるだろうと考えが変わった。読者諸氏からたとえ早すぎるとお叱りを受けたとしても、気が遠くなるほど強烈な多くの出来事が走馬燈のように駆け巡った2022年は、もう総括してしまいたいという思いが強くなってきたのである。

 2022年を思い切り乱暴に、ひとことでまとめるならば、「生」よりも「死」が優位に立った年、「死」を通じて人間の本質が見えた年であったと思う。

 2月、ロシアのウクライナ侵略で幕を開けた戦争は、9ヶ月経ってもまったく収束のめどは立たず、遠く離れた日本では「ウクライナ疲れ」などという軽い言葉で片付けられ始めている。だが現地では、私たち日本人にとっては名前も顔も知らないOne of themであっても、身近な人にとってかけがえのない誰かが今この瞬間も銃弾を受け、倒れ、傷つき、死んでいる。多くの人をウィルスの犠牲にしたコロナ禍もまだ去っていない。そして、安倍元首相襲撃事件である。

 本稿筆者は2016年8月に胃がんによる手術を経験した(本誌2018年9月号参照)が、このときですら「末期よりは初期に近いがんで、医師も摘出可能な部位にしかがんはないと言っているのだから、生還できるだろう」と楽観的だった。それが、病気が悪化しているわけでもない今年のほうが「死」を身近に感じる。他人に恨まれるようなことをした覚えはないし、安倍元首相のような巨大な影響力を持っているわけでもないが、ウクライナ戦争の今後の展開次第では「明日、どこか外を歩いているときに、突然、頭上の空にピカッと閃光が走り、そのまま苦しみすら感じることなく、自分の生きてきた歴史そのものが終わるかもしれない」という思いが頭から離れることがないのだ。

 毎年、10月1日になると年賀はがきの発売が始まる。今年もすでに始まっているが、今年は例年以上に年賀状を書く気が起きない。内容以前に、書いたところでそれが宛先に届くまで人類が生き延びているかどうかの確信が持てない。壮絶な1年だったと思う。

 ●「銃声は世界を変えない」と言われるが

 子どもの頃、学校の授業で「テロや銃弾が歴史を変えることはない」と教えられた。児童生徒にとって模範的存在でなければならない教員としては、理不尽な世界を変えるために闘う必要を認めるとしても、「そこに暴力を介在させてよい」などと教壇の上から子どもたちに向けてはとても言えないであろうし、目の前の児童生徒の中からそのような「最終的解決手段」を用いる者が出てくることは断固、阻止しなければならないであろう。

 だが、それとは別次元の問題として、1発の銃声が世界を変えることは、残念ながら起こりうる。オーストリア=ハンガリー帝国の皇太子に向け、セルビア人の青年が発射した銃弾は第一次世界大戦を呼び起こした。誰もが取るに足りないと思うような小さく偶発的な暴力行使が世界を暗転させた例は、歴史書を紐解けばいくらでもある。

 死者に鞭打たないことがこの国の「美徳」のように言われているが、凶弾に倒れた人物が、憲政史上最も長く首相の座にあった政治家とあっては嫌でもその評価に触れないわけにいかない。安倍元首相が日本に残したのは「言葉の通じない政治」だった。言葉を無力化することに徹底してこだわった。安倍支持者には成功体験が、反安倍派には諦念がもたらされた。その政治のあり方がひとつの争点として問われる選挙戦の最中に、白昼公然と「凶行」は起きたが、それは安倍元首相自身がもたらした「言葉の通じない政治」の必然的な帰結だった。

 『今回の事件は、山上容疑者の意図とは全く別として、日本政治の行方を大きく変える出来事になる可能性もあります』――五木さんの発言を伝えたのと同じ「文藝春秋」10月号誌上で、宗教学者の島田裕巳さんがそんな不気味な「警告」をしている。可能性としては高くないが、起こりうる展開のひとつではあろう。

 本誌読者に40歳代以下の若い世代がどれほどいるかはわからないが、筆者と同じかそれ以上の年代の方には、30年前も統一協会問題が世間を騒がせた記憶がおそらく残っているだろう。タレント桜田淳子さんや、元新体操日本代表の山崎浩子さんら著名人が次々、統一協会に絡め取られ広告塔となっていった。この山崎浩子さんと華々しく「合同結婚式」で結ばれた人物こそ、宗教法人「世界平和統一家庭連合」(旧統一協会)の勅使河原秀行・改革推進本部長である。30年前もメディアに頻繁に登場しては「テッシー」と呼ばれ、言動が物議を醸した(山崎さんとはその後離婚、山崎さんは統一協会を脱会している)。

 合同結婚式が世間を騒がせたのは1992年だったが、その翌年の1993年に行われた総選挙で、自民党は過半数割れを起こし、結党以来初めて下野する。非自民8党が連立し細川護煕政権が成立したのだ。このときの総選挙は、直前に宮沢喜一内閣不信任決議案が衆院で可決されたことによるもので、自民党から「造反」して賛成票を投じた小沢一郎らが離党、新生党や新党さきがけを作った。解散前の衆院で140議席以上を持っていた日本社会党は70議席あまりに半減し惨敗した一方、自民党は20議席程度しか減らさず踏みとどまった。にもかかわらず、このわずかな自民党の議席の減少が過半数ラインをめぐっての攻防だったために、選挙に負けなかった自民党が下野する一方、議席半減の大敗をしたはずの社会党が政権入りする。今振り返れば憲政の常道に反する政権交代劇だった。

 選挙制度は今と違って中選挙区制だったが、当時の宮沢政権が岸田政権と同じ宏池会であること、統一協会問題で世情騒然としていたこと、バブル崩壊直後で極度の経済不振だったこと、ソ連崩壊直後でロシア発の混乱が世界を覆っていたことなど、不思議と今に通じる共通点が多い。

 1993年は、内閣不信任案可決によって不意に訪れた総選挙だったが、今、歴史を振り返れば、自民党の選挙運動を陰で支えていた統一協会が、現在と同様、強い批判にさらされ、表だって選挙運動ができなかった結果の「政権交代」だったのではないかという気がする。社会党が大敗するなど、当時も野党への期待は全くといっていいほどなかったからだ。

 ここから何かの教訓的なものが読み取れるとすれば、野党への期待が高まらなくても、与党への怒りがそれを超えれば政権交代は起きうることだが、一方で当時と今で180度異なる点もある。ソ連崩壊で核戦争の危機が去り、自由と民主主義が世界の大半を占めるようになるとの期待があった当時と比べ、今は核戦争の危険が目前に迫り、世界的に民主主義よりも専制的政治体制が優位になりつつあることだ。明らかに状況は当時より今のほうが悪く、局面打開は容易ではない。

 ●日本衰退局面の中で

 当時より今のほうがはるかに日本の「基礎体力」が落ちてしまっていることも局面打開を困難にさせている要因のひとつだ。それは政治、経済、社会あらゆる領域に及ぶが、特に深刻なのは経済だろう。今や日本の賃金は韓国を下回り、タイやフィリピン、インドネシアなど、かつて日本がNIES(新興工業国)と呼んでワンランク下に見ていた国とほとんど変わらなくなった。「安いニッポン」で買い物をしようと、欧米人はもとより、これら東南アジア諸国の人まで大挙して来日するようになった。

 未曾有の少子高齢化により、日本社会全体も老化しつつある。かつてならあり得なかったクレーン倒壊、工場爆発などの事故を聞くことが増えた。福島第1原発事故は技術管理能力が落ちていくニッポンの象徴だった。子どもたちが昨日までできなかったことが今日はできるようになることで成長を感じ、高齢者は逆に昨日までできていたことが今日はできなくなることを通じて老いを感じる。日本社会全体で、昨日までできていたことが今日はできなくなっている例が増えたと感じる。それは日本社会全体の老いを示すものであり、日本社会全体に死期が迫っている感覚がある。

 こうしたことを、一部の勇気ある人々だけは認めても、過去の栄光を知っている大半の日本の市民は最近まで認めようとはしなかった。だがコロナ禍と東京五輪の無残な姿は、嫌でもその現実を日本の市民に見せつけることになった。五輪前までは、外国人を利用して「ニッポン、スゴイデスネ」と言わせる番組があふれていたのがうそのように、今は日本を「○○後進国」と呼ぶ論調ばかりになった。もともと人権、ジェンダーなどの分野は世界最低レベルの後進国だったが、IT後進国、環境対策後進国など何にでも「後進国」とつけておけば最低レベルの評論は成り立つという言論状況になってきている。差別やヘイトスピーチなどの問題を生まないだけ、空虚で無根拠な「ニッポン凄い」運動よりはマシだと思うが。

 東京五輪以降、市民の中にも「後進国願望」が芽生えているようにすら感じられる。基礎体力も落ちた日本が、誇りある先進国としての矜持など持てないし、そのような言動を私たちに期待しないでほしい。途上国の未開市民と同じように、自分の利益だけを考え楽にやりたい――特にインターネット言論空間にそうしたムードを強く感じる。筆者は、福島原発事故を契機に日本が先進国ではなくなった認識を持っていたが、多くの市民は否定的だった。そのことを多くの市民に自覚させることができたという意味で、皮肉を込めて言えば東京五輪は「大成功」だったのである。

 ●精神世界の変化と時代

 当時の私たちは歴史の進行過程に身を置いていたからわからなかったが、前回、合同結婚式や「テッシー」の名前とともに統一協会が日本を騒がせた1992~1993年頃が日本にとって「失われた30年」の入口に当たっていたことを疑う人は、今日ではいないであろう。あれ以降、日本は世界観やビジョン、中長期的な視野などの「大きな物語」も、人々の紐帯としての共同体も崩壊した。あらゆる物事の「自己責任」化と、それを背景とした短期的で小さな利益の追求だけに汲々とするようになった。

 国家神道とそれに基づく皇国史観が形成され、大戦を通じて崩壊したことで戦後が始まった。1992~93年頃、統一協会による霊感商法やオウム真理教による地下鉄サリン事件が騒がれ、日本社会は失われた30年に入っていった。もし精神世界とでも呼ぶべきものがあるならば、日本では、市民の精神世界の大きな転機に、カルト的な宗教や歴史観が登場し、その崩壊とともに時代が移り変わってきたことが見て取れる。

 そして時代はめぐり、今、再び統一協会が世間を騒がせている。筆者には、これが何かの警告であり、時代は再び「精神世界の転換期」に入りつつあるように思える。今はまだ、それがどちらに向かうかは見えない。だが『歴代最長政権を率いた安倍元首相は、保守を象徴する存在であり、安倍元首相が亡くなったことは、今後、日本の政治から大きな勢力が消え、流動化が進むことを暗示している気がします』と島田さんは述べている。「いま思えばあれは失われた30年ではなく、次の新しい時代に向けた長い助走期間だった」。後世の歴史家にそのような評価を受けられるような芽を、小さくてもよいから生み、育てていくことが、2023年に向けた課題ではないだろうか。

(2022年11月22日)

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【転載記事】国連自由権規約委員会第7回日本政府報告審査・総括所見

2022-11-11 22:59:52 | 原発問題/一般
原始時代並みの日本のひどい人権状況について調査するため、訪日していた国連自由権規約委員会が、去る11月3日、「審査・総括所見」を公表した。この所見は、入国管理局における外国人に対する非人道的取り扱いなど、多岐にわたる内容になっている。

全文はとても紹介しきれないが、当ブログは、このうち原発事故避難者に関する部分について、信頼できる学者による日本語訳を入手したので、以下ご紹介する。

なお、日本語訳を行っている人は翻訳業の平野裕二さんなど複数いるが、当ブログが入手したのはこれとは別の方の翻訳である。平野さんの翻訳はこちらから見ることができる。表現は異なるが、意味はほとんど同じである。避難者など、まるで存在しないかのように振る舞い続けてきたこの間の日本政府に猛省を迫る内容である。

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自由権規約委員会第 7 回日本政府報告審査・総括所見(CCPR/C/JPN/CO/7, Advance unedited version, 3 November 2022, paras. 22-23.)

22. 締約国が、「自主」避難者か「強制」避難者かという区別に関係なく、福島原子力災害を理由とするすべての国内避難民に対して支援を提供することを認めたことを歓迎する一方で、委員会は、締約国が福島において設定した放射線被ばくレベルに関する高い閾値と、避難区域の一部を取り消す締約国の決定が、人々が高度に汚染された地域に帰還せざるを得なくさせていることに引き続き懸念を表明する。また、委員会は、避難区域外で居住する避難者に対する無償の住宅支援の終了を懸念するとともに、すべての国内避難民が彼ら/彼女らの土地に帰還する決定をするかどうかにかかわらず、実質的に、すべての国内避難民が必要な支援を利用することができることを確保するために実施される措置に関する情報がないことを懸念する。さらに、委員会は、福島の多くの子どもたちが、福島原子力災害以降に甲状腺がんと診断された、又は甲状腺がんに罹患していると考えられるという報告に懸念を表明する(6 条、12 条及び 19 条)。

23. 委員会は前回の勧告を繰り返し述べつつ、次の点を勧告する。すなわち、締約国は、

(a)福島における原子力災害によって影響を受けたすべての人々の生命を保護するとともに、放射線レベルが住民にリスクを与えない場合にのみ、避難区域としての汚染地域の指定を解除すべきである。

(b)放射線レベルの監視を継続するとともに、時宜にかなった方法で、影響を受けた人々に対して放射線レベルに関する情報を公開すべきである。

(c)すべての国内避難民が、「自主」避難者か「強制」避難者かという区別に関係なく、又は彼ら/彼女らの土地に帰還する決定をするかどうかにかかわらず、避難区域外で居住する避難者に対する無償の住宅支援の再開を含む、必要な財政的支援、住宅支援、医療支援及びその他の支援のすべてを利用することができることを確保すべきである。

(d)子どもの中で見られるがんの高い罹患率との相関関係の可能性を含む、放射線にさらされた人たちの健康に福島原子力災害が与えた影響の評価を継続するとともに、無償で、定期的で、かつ包括的な健康診断を、子どもたちを含む放射線にさらされたすべての人々に提供することを検討すべきである。

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全国のJRが赤字区間を公表~JRの「これまで」と「これから」

2022-11-05 23:24:24 | 鉄道・公共交通/交通政策
(以下の記事は、11月3日(木・祝)、札幌学院大学で開催された日本科学者会議北海道支部主催「2022年北海道科学シンポジウム~北海道の地域振興の道は? -JR問題と原発問題から考える-」での発表に先だってまとめた「予稿」をそのまま掲載しています。このシンポジウムでは、原発問題を小田清・北海学園大学名誉教授、JR問題を当ブログ管理人が担当しました。)

 人口の多い大都市圏を抱え、これまで経営的に順調と思われてきた鉄道事業者に、コロナ禍で異変が起きている。JR北海道だけは、すでに2016年11月、「自社単独では維持困難」な10路線13線区を公表しており、まもなく6年が経過する。しかし、2022年に入って以降、JR東海を除く全JRが赤字区間を公表するに至っている。鉄道事業者がどのように表面を言い繕おうとも、赤字路線・区間の公表は廃止に向けた最初の意思表示であり、日本の鉄道史を紐解くと、その後はほとんどが廃線に至ってきた。この歴史を繰り返してはならない。

 私たちはそのために何をすべきか。現状分析と今後の方途を考える。結論を初めに述べておくと、筆者は今後、鉄道が生き残るためにはこれまでと異なる新たな役割の付与が必要であり、それは3つの「K」(環境・観光・貨物)にあると考える。本稿ではこのうち環境と貨物について述べる。

1. 環境対策、人手不足対策としての鉄道
(1)CO2排出量削減の手段としての鉄道


 日本では、全CO2 排出量の1/5 を運輸部門が占め、運輸部門のCO2 排出量の86.2 %を自動車が占める。鉄道は自動車に比べ、輸送量当たりCO2 排出量が旅客輸送で 7 分の 1 、貨物輸送ではなんと 55 分の 1である。「環境に優しい」鉄道の特性は、旅客輸送より貨物輸送の分野でこそ発揮されるといえる(「2018年度交通政策白書」より)。当研究会の独自試算でも、貨物輸送を自動車(2t車)から鉄道(500t列車)に転換した場合、列車1 本当たり輸送量は小型トラック 1 台当たりと比較して 250 倍に増えるのに、そのために必要なエンジン出力はトラック1台(100馬力)から国鉄DD51型ディーゼル機関車(2200馬力)に代えたとしても22 倍にしか増えない。

 持続可能な環境を作るには車を減らすことが必要である。貨物輸送のモーダルシフトにより CO2 排出を大幅に減らすことが可能になる。

(2)トラック運転手減少対策としての鉄道

 トラック運転手減少対策としても、モーダルシフトは避けて通れない課題である。国がこの危機を予想していたのに対策を講じなかったことを示す資料がある。「輸送の安全向上のための優良な労働力(トラックドライバー)確保対策の検討報告書」(2008年9月、国交省自動車交通局貨物課資料)である。これによれば、3つの予測パターンのうち、最も好況で推移した場合、基準年度(2003年)における全国の必要運転手数は823,704人から2015年には892,020人に増加するが、運転手供給数は逆に742,190人に大幅に減少。149,830人もの運転手不足が見込まれると予測している。国は、こうした事態を7年も前から見越していたのである。

 トラック運転手の有効求人倍率を見ると、コロナ前は2.7 倍(2016年12月)もあった。2.7 件の募集に1人しか応募がないことを意味する。人手不足、過重労働、事故、遅配の「物流危機」が、コロナ後に再び問題となることは確実である。

 過疎化のため全国に先駆けて危機が進む道内はさらに危機的状況である。トラック運転に必要な大型二種免許保有者は 2001~2016年の15 年間で 15 %(ほぼ年1 %ずつ)減少。免許保有者の8割を50 歳以上が占める。「3K」職場の上、低賃金では若者は就きたがらず、今後も減少は必至だ。

 運ばれる貨物の変化も背景にある。かつては産業用製品など「重厚長大、少品種、同一方向」への輸送が中心で、物流業界にとって利幅が大きかったが、最近は宅配便など「軽薄短小、多品種、多方向」への輸送がメインを占めるようになった。その結果、手間ばかりかかる割にはまったく儲からないという状況が生まれている。トラック運転手の低賃金是正が叫ばれながら実現しない背景に、こうした物流業界を取り巻く環境の変化がある。

 「モーダルシフト」(貨物輸送の道路から公共交通への転換)は筆者が若い頃からもう半世紀近くいわれているが実現していない。荷主から発地の貨物駅まで、着地の貨物駅から最終配達先までは結局、自動車が必要であり、「それなら全区間、自動車でいい」という物流業界の「自主性」に任せきりにしていた行政の怠慢が原因である。

 これまでと同じように、運転手を長期間拘束する長距離輸送の分野をトラック任せにしていては、減る一方のトラックドライバーの適正配置は今後、不可能となる。中長距離輸送は鉄道や海運を中心とする。トラック輸送は最寄りの港や貨物駅と配達先まで(または荷主から)の「ラスト・ワンマイル」だけを担う。そのような方向に物流政策を転換させる必要がある。

 JR貨物発足当時、専用トラックを直接貨車に乗せて運ぶピギーバック輸送が行われていた時期がある(トラックを鉄道貨車に乗せられるサイズに収めた結果、少しでも積載量を増やすため天井が丸みを帯びた形状になり、それが豚の背中(Piggie Back)に似ていたことからこの名がついた)。CO2 を減らし、運転手不足時代に備えるため、その価値を再確認する時期に来ている。

<写真>ピギーバック輸送(撮影:岩堀春夫さん)


 交通問題専門家・上岡直見さんは「JRに未来はあるか」(緑風出版)の中で、JR貨物が道路輸送を代替することで年間1兆4千億円の外部経済効果を生んでいると指摘する。この場合の外部経済効果とは、大気汚染・気候変動・騒音・交通事故・道路混雑の緩和を意味する。国鉄末期、国は鉄道貨物安楽死論に等しい議論の下、国鉄の貨物輸送を大幅に縮小させたが、一度手放した貨物駅跡地は再利用されているため、もう一度貨物駅を復活させたくてももはや不可能である。『国鉄分割民営化と、それにともなう鉄道貨物システム縮小は後世に悔いを残す愚策』(同書)であった。

2.新たな役割(復活する役割)―貨物輸送

 青森~函館~札幌間は、貨物列車が旅客特急列車の約2倍の本数を誇る。津軽海峡を越えて輸送される貨物は1日当たり25,500 tに上る。青函トンネルでは、新幹線が貨物列車のために減速運転するほどである。現在、新幹線のスピードアップのため青函トンネル区間で貨物輸送をやめる案が検討されているが、これだけの量をトラック(10t車)で置き換えた場合、青函区間では1日当たり車両延べ2,550 両、運転手もそれと同じ延べ2,550人が新たに必要になる。前述の通り、運転手は減る一方なのに、これだけの数の運転手も車両もどこにあるというのだろうか。

 コロナ前まで、外国人観光客に湧いていた日本では、観光バスもトラックも不足し、車両不足で宅配便が配達できない、バスに至ってはバス会社がメーカーに車両を発注しても納車に最大1年待ちの事例すらあった。「荷物があるのに誰も運んでくれないまま、北見で穫れたタマネギが腐っていく」――これが私たちの望む「未来」なのだろうか。

 道内では、食料品輸送において鉄道貨物の果たす役割は大きい。「JR北海道に対する当会のスタンスについて」(2017年5月、北海道経済連合会)によれば、道内~道外の輸送シェアのうち豆類50%、野菜類47.6%、タマネギに至っては67.6 %を鉄道が占める。2016年、北海道に4つの台風が上陸し、首都圏でタマネギなど野菜が高騰、ポテトチップスが棚から消え「ポテチショック」といわれた。

 一方で、「日本一の赤字線」といわれた美幸線の1974年度における営業係数(100円を稼ぐために必要な費用)は3,859円であるのに対し、最も儲かる路線である東京・山手線の1980年度における営業係数は48円。経費の倍以上の儲けが出る路線であった。国鉄時代は東京が北海道の鉄道を支える代わり、北海道が東京の「食」を支えていたのである。

 国鉄分割民営化で東京は地方の鉄道を支えなくなる一方、地方に対する東京からの「収奪」構造は変わらず残った。農林水産省が毎年公表している都道府県別食料自給率では、北海道は200%を超えるのに対し、東京はわずか1%である。首都圏の「食」を誰が支えているのか。地方からの収奪を当然の前提と考えている首都圏とその住民に、そろそろわからせるときが来たのではないだろうか。

 再び全国に視点を戻す。「令和2(2020)年度宅配便(トラック)取扱個数(国土交通省調べ)」によると、宅配便輸送量は、調査開始した1985年以降「右肩上がり」で推移している。乗客が減る一方でも荷物は増える一方であり、人が乗らなくても貨物がある。大量輸送、定時輸送、安定輸送に向く鉄道は貨物輸送にこそ活路がある。

 鉄道貨物を復活する上で障害もある。現行JRは、旅客列車は上下一体で、貨物は上下分離という変則的な形態である。線路を保有する旅客会社が自社優先でダイヤを編成するため、貨物列車が有利な時間帯に列車を設定できず、自動車に対して競争力を失っている現状がある。線路を持つ旅客会社が赤字線の廃線を提起しても、線路を借りる立場のJR貨物は対抗できないことが、北海道内の「5線区」や函館本線「山線」協議の過程で浮き彫りになってきている。

 線路をJR旅客会社の所有から国または自治体の所有に変更すれば、旅客・貨物が同じ条件となる。旅客列車より貨物列車を走らせる方が有利と考えられる路線、時間帯にはそのようなダイヤ編成も可能になる。ガラガラの線路も旅客列車が赤字というだけでの廃線は不可能となり、貨物列車を走らせ有効活用する方向に変わる可能性も生まれる。

 単線などの理由で列車本数を増やせない地方線区では、かつてのように1本の列車に客車と貨車を連結する「混合列車」の復活もひとつの方法だ。その際、JRの枠組みは今のままでよいか再検討も必要である。混合列車を復活するためには貨物が別会社の現行JRから、上下分離のほか、国鉄時代のように客貨一体に戻すことも必要であろう。

 2021年12月、徳島県と高知県を結ぶ阿佐海岸鉄道の一部区間(高知県側)で、世界初のDMV(鉄陸両用車両)の運行が始まった。この車両の開発は、もともとJR北海道が手がけたが、資金難で頓挫し、その後、四国で実現したものである。観光輸送に特化する形での運行だが、観光は水物でありコロナなどの有事に弱いことが明らかになった。むしろ、このような車両は貨物輸送にこそ向いている。宅配便を集荷して車両ごと道路から線路に乗る。目的地の駅で再び線路から道路に下りる。線路と道路の境界駅で、鉄道運転士とトラック運転手が車両ごと引き渡しをすれば、荷物の積み替えもなく効率的な輸送が可能になる。

<写真>阿佐海岸鉄道のDMV(当ブログ管理人撮影)


 新幹線貨物の検討も始まっている。JR発足時と異なり今は新幹線が函館~鹿児島をカバーしており、客貨一体に戻せば新幹線で貨物輸送ができる。「函館で獲れた新鮮なイカをその日の夕方に鹿児島の繁華街・天文館の料亭で食べる」などということが、可能な時代がすでに来ている。乗客が減る一方のローカル線に明るい話題は少ないが、貨物輸送には明るい未来がある。

 JR九州初代社長の石井幸孝さんは、鉄道を「平時の旅客、有事の貨物」と表現する。確かに、少子高齢化、コロナ禍、ウクライナ戦争と内憂外患の有事である。これらは国内・国際情勢の構造的要因が複雑に絡み合う形で引き起こされており、有事は当分、続くであろう。貨物のために線路を残せば、人も利用できる。これからの鉄道は「貨物が主、乗客は従」くらいの発想でよいし、それくらいの大胆な発想の転換が必要である。

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【週刊 本の発見】『国鉄-「日本最大の企業」の栄光と崩壊』

2022-11-04 23:42:55 | 書評・本の紹介
(この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」の書評コーナー「週刊 本の発見」に寄稿した内容をそのまま転載したものです。)

鉄道開業150年に送り出した「歴史書」
国鉄-「日本最大の企業」の栄光と崩壊』(石井幸孝・著、中公新書、1,100円+税、2022年8月)評者:黒鉄好

 元国鉄官僚であり、分割民営化後はJR九州初代社長を務めた石井幸孝(よしたか)氏が、日本の鉄道開業150年に送り出した著書である。「改革」から30余年を経て再び危急存亡の時を迎えつつあるローカル線をはじめ、貨物輸送、整備新幹線・並行在来線、リニアから安全対策、労使関係に至るまで、JR固有と思われている問題のほとんどは国鉄時代にその萌芽がある。歴史に「もし」は通用しないが、国鉄のままであればこれらの問題は避けられていたか? 私の答えはノーである。JRではなく「今さら国鉄を論じる」ことの重要性はこの点にある。

 国鉄「改革」への賛否という政治的立場を越え、確認しておかなければならないのは、本書における事実関係の正確、広範、詳細な記述である。国鉄発足の経緯に始まり、組織、予算、権限の変遷や国鉄を取り巻く事件・事故など、鉄道研究者の間でエポックとされるものは網羅されている。特に、第4章「鉄道技術屋魂」と第6章「鉄道貨物の栄枯盛衰」は圧巻だ。当時を知る人物の多くが鬼籍に入る中で、技術系幹部であった著者にしか書けないと思う。これらは後世の鉄道研究者の検証にも耐える優れた内容といえる。

 一方で、政治的立場の違いからどうしても私には受け入れがたい内容もある。JRグループに光と影の両面があり、JR北海道や四国の経営危機を「影」としている点は良いとして、国鉄改革を全体としては「成功」としていること、史上最強といわれた国鉄労働運動にとって栄光である現場協議制を「職場荒廃の原因」と断じていることなどはその典型である。国鉄経営悪化の原因を著者が公共企業体制度に求めていることもそのひとつである。総じて国鉄が戦争と戦後復興、高度経済成長という激動の時代に翻弄された側面が強く、他の形態なら経営悪化を避けられたとまで断言するほどの自信は持てない。

 2019年、私は札幌市で開催された石井氏の講演会に参加したことがある。JR北海道が「自社単独では維持困難」10路線13線区を公表、一部区間をめぐって沿線自治体と協議入りして3年近くが経過していた。1932年生まれの石井氏は当時すでに87歳。JR北海道の路線問題を重大局面と認識しており、自身の存命中に解決に向けた糸口だけでも提供しておかなければならないという彼なりの危機感が見えた。

 本書でも展開されている「新幹線貨物列車」による高速物流網構想などは、このときの講演でも述べられている。鉄道史研究者であれば、東海道新幹線が当初、客貨両用として計画されていたこと、途中まで建設された新幹線貨物駅の遺構がつい最近まで残されていたことは知っているだろう。未曾有の少子高齢化でトラック運転手不足は深刻さを増しており、新幹線貨物列車構想はいつ息を吹き返してもおかしくないといえるのである。

 国鉄改革をめぐって、私にとってはいわば「敵方」であった国鉄幹部だが、改革派の中心的存在ではなく、民営化後は九州の鉄道を創意工夫で楽しくするなど貢献も果たした。鉄道ファンとしては憎みきれない人物が石井氏である。これほどの規模で国鉄を論じきった著書はこれが最後になると思う。JRの「影」に対する今後の対策にも不十分ながら言及している。国鉄「改革」賛否の立場を越え、読む価値のある著書と評価する。

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【国連特別報告者セシリア・ヒメネス・ダマリーさん】調査終了後のステートメント~国内避難民の人権に関する特別報告者の日本国における調査 2022年10月7日

2022-11-01 22:02:58 | 原発問題/一般
【関連記事】【原発事故と国内避難民】「〝自主避難者〟含め全員が『国内避難民』だ」 国連特別報告者・ダマリーさんが都内で会見 〝追い出し裁判〟には「国際法違反」ときっぱり

上記、当ブログ10月9日付記事でお知らせした国連特別報告者セシリア・ヒメネス・ダマリーさんの「暫定版ステートメント」の日本語訳が完成、当ブログはその全文を入手したので、転載する。今回の訪日調査に関する正式な報告書は、2023年6月に国連人権理事会に報告される。

<注意>
・段落と段落の間の1行の空白は原文にはなく、当ブログが転載にあたり、読みやすくするために入れた。
・アンダーラインは、原文段階で引かれているものであり、原文に忠実に入れることにした。
・原文はA4で全10ページあり、注意を要する記述に関しては各ページの末尾に脚注が付されているが、省略した。

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調査終了後のステートメント
国内避難民の人権に関する特別報告者の日本国における調査 2022年10月7日

I. はじめに

東京、2022年10月7日 –国内避難民(IDPs)の人権に関する国連の特別報告者としての私の立場で、日本国政府との合意の上、2022年9月26日から10月7日まで、日本国への公式訪問を実施することができたことを光栄に思う。私の訪問は、2011年の東日本大震災と津波の後に続いて発生した福島第一原子力発電所災害によって移動を余儀なくされたIDPs(日本国では「避難者」としても知られている)の人権状況を、国内避難に関する指導原則という国際的な法的枠組みと、国内避難民のための恒久的な解決策に関する機関間常設委員会枠組みの範囲内で調査し評価することを主な目的としている。

私の訪問期間中には、東京でミーティングの機会を持ち、その後、福島県、京都府、広島県に移動した。私は、国、都道府県及び市町村自治体レベルで、行政官や議員と面談した。また、被害者である国内避難民、この災害による影響を受けた福島県の地域社会、市民社会団体、これらの問題に関して専門知識を有する弁護士及び学術研究者とも面談する機会を得た。私は、IDPsから心を動かされる直接の証言を聴き、この災害とこの災害後の救済措置に関連する研究について聴き、またこれらに関連する文書を受け取った。さらに、日本国における自然災害及び人為的災害によって避難を余儀なくされた人々の保護と支援に対する権利に関連する法律を検討することができた。これらの法律には、特に、災害救助法、災害対策基本法、原子力損害の賠償に関する法律、福島復興再生特別措置法、及び東京電力原子力事故により被災した子どもをはじめとする住民等の生活を守り支えるための被災者の生活支援等に関する施策の推進に関する法律を含む。

私は、日本国外務省に対して、私の任務に優れた協力をし、国際的かつ綿密な調査に対する開放性を示し、及び任務に関する特別報告者の委任事項を尊重していただいたことに関して、謝意を表明する。私は、私の訪問に関連する報告を行い、情報を提供していただいたその他関係省庁にも感謝する。また、現地の状況の実態に関する詳細な情報を提供していただいた福島県、京都府、広島県の各県当局と、会津若松市、大熊町、双葉町、いわき市、京都市の各市町当局にも感謝する。私は、この問題に関する状況の概要を提供していただいたさまざまな市民社会団体、弁護士及び研究者の方々と、とりわけ母親、若者、高齢者、障害のある人を含む国内強制移動と今回の原子力災害の被害者の皆様、並びに今回の原子力発電所事故以来直面してきた困難に関する詳細を共有していただいた人権擁護者の皆様に感謝する。

このステートメントは、私の訪問に基づく予備的所見のみを示している。政府及び他のステークホルダーに対する私の完全な分析と勧告は今後数ヵ月間で作成され、2023年6月の人権理事会で報告される。

II. 強制移動の状況と背景

2011年3月11日の東日本大震災、津波及び原子力災害は、ほとんど前例のない三重の災害だった。日本国の東部沖で発生したマグニチュード9.0の地震(日本国における観測史上最大の地震)は、最大40メートルに及ぶ津波を発生させたことに加えて、非常に甚大な破壊をもたらした。この災害の結果、2万人を超える人々が亡くなったか、又は行方不明となった一方で、100万棟以上の建物が完全に又は部分的に破壊された。

津波は次に福島第一原子力発電所で原子力事故を引き起こしたが、同原子力発電所ではこの規模の自然災害の可能性に対応することができるような緊急事態のための準備や減災措置がなされていなかった。最大14メートルの波は福島第一原子力発電所の防波堤を越え、同原子力発電所のタービン建屋が浸水し、そのことにより電源喪失を生じさせた。初期の災害に続く数日で、同原子力発電所内で発生した一連の炉心溶融や水素爆発は放射能汚染の放出を引き起こした。この事態に対して、日本国政府は、約11万人の住民が居住する福島第一原子力発電所から20キロメートル圏内を強制避難区域とした。この初期の境界線は、道路を通って移動する必要がある人々の人数の観点から、運用上の考慮に基づいて決定された。なぜなら、この段階で避難区域を拡大することは、福島第一原子力発電所に最も近いところに居住する住民が迅速に避難する能力を制限する可能性があった交通渋滞を発生させていた可能性があったからである。結局のところ、この強制避難区域は高濃度の放射能の影響を受けやすいと考えられるこの半径の外側の地域を含むように拡大され、最終的に福島県の合計15万4千人の住民が避難した。

この原子力災害が放射線被ばくの観点から及ぼしうる影響の可能性は、事故後数週間から数ヵ月をかけてゆっくりとしか明らかにならないため、隣接県の住民や避難指示を受けていない福島県内に住む人々を含む、さらに多くの市民が彼ら/彼女らの自宅から避難した。災害が発生した区域から放射能がどのようにして広がるのかに関してははっきりしておらず、また放射線被ばくやそのような放射能のリスクに関する公的な情報も錯綜していたことを考慮すると、多くの日本国の市民、特に子どものいる人々は、この災害の影響に関するより信頼できる情報が利用可能になるまで、避難をすることが最も安全であると感じていた。この災害の最中には、少なくとも合計47万人以上の人々が避難を余儀なくされた。

IDPsに対する当初の政府による支援は災害救助法を通じて提供され、後にこの災害により特化した福島復興再生特別措置法(2011年)を通じて行われた。この法律は、医療、福祉、住宅支援、教育及びその他のサービスへのアクセスをIDPsに提供するための措置の概要を示している。また、文部科学省(MEXT)内に設置された原子力損害賠償紛争審査会は、東京電力(TEPCO)が被害者に対して提供すべき賠償に関する一連の指針や過程を2011年に策定し、その後、TEPCOはこの災害の被害者に対して賠償の支払いを開始した。これらの措置を初期に採用したことは称賛に値するが、その一方で、IDPsがこれらの給付を利用することができるのかという点に関して、特に避難が当局によって「自主的」と呼ばれる人々に対しては相当程度の差別が存在し続けていた。これらの措置は、その後、2012年に成立した被災者の生活に対する支援措置の推進に関する法律により補完された。この法律は、帰還か避難かに関して、被災者自身が選択をする被災者の権利も認めている。しかしながら、この法律の完全な実施は、10年が経過した今も実現していない。また、IDPsが受けた支援やサービスのレベルは、IDPsの保護と支援に対する一貫した国のアプローチが存在していたというよりは、IDPsが避難した都道府県の政策に大きく依存していた。

近年、IDPs自身の将来を決めるためにIDPsを支援することから転換し、IDPsを説得して帰還させるか、又はいかなる支援も失う事態に直面させる方向に向かっている。住宅支援は、福島県外に居住するIDPsに対しては打ち切られてきた。復興資金は、以前避難指示が出ていた町で物的な社会基盤施設の再建のために用いられることが多くなっている。他の復興の取り組みには、原子力発電所の廃炉のための作業や、福島県にハイテク産業基盤の構築を目指す福島イノベーション・コースト構想などの開発計画が含まれる。基本的なサービスや、IDPsが所在し続け居住している地域での地方自治体のサービスに関する照会先を提供するために、全国26ヵ所に福島ヘルプデスクを設置することは、特に強制移動の初期においては情報の普及を可能にする上で役に立ってきたし、良い実践であるが、サービスの照会だけではIDPsのすべてのニーズに対処することはできない。

一方で、全国で何百ものIDPの原告が提訴し、政府とTEPCOの双方に対して訴訟を続けており、民法と原子力損害の賠償に関する法律に基づいてこの災害に関する基本的な支援と賠償を求めている。また、多くのIDPsは、同時に裁判外紛争解決手続(ADR)も行っている。

III. 福島原子力災害における国内避難民の人権

国内避難に関する指導原則は、IDPsとは、「…特に自然災害若しくは人為的災害の影響の結果として、又はその影響を避けるために、自らの住居若しくは常居所から逃れ又は離れることを強制され又は余儀なくされている者、又はこのような人々の集団であり、国際的に承認された国境を越えていない者」であると規定している。

2011年の福島原子力災害においては、強制避難指示を理由として避難を余儀なくされたIDPsである「強制避難者」と呼ばれる人々も、避難指示はないものの、避難しなくてはならないと感じたIDPsである「自主避難者」と呼ばれる人々も、国際法の下でのIDPsである。災害を契機とする避難する権利は、移動の自由に基づく人権である。

さらに、IDPsに対して人道的支援、保護及び実現可能な恒久的な解決策を提供することにおいては、区別はない。また、私がこの点に関して強調したいことは、国際法の下では、IDPsは強制移動に関する彼ら/彼女らの地位にかかわらず、依然として日本国の市民であり、この国の他のすべての市民が持っている権利を有しているということである。したがって、IDPsの保護における国家の主要な責任を果たす上で、IDPsが彼ら/彼女らの人権を通常通り行使できる状況が促進されることが重要である。

IV. 強制移動におけるIDPsの権利

安全及び安心に対する権利と住居に対する権利

上記で述べたように、実際のリスク又は認識されているリスクからの安全を求める権利は、移動の自由と関連する権利である。この点は、福島原子力災害による多くのIDPsが経験してきた多様な強制移動という点を考慮すると、検討されなければならない重要な点である。統計調査は、福島県からのIDPsの大多数が安全と安心を探し求めながら、6ヵ月間で4回以上避難したことと、彼ら/彼女らが自分たち自身の権利行使に影響を与えたさまざまな状況を経験していることを示している。

幸いなことに、福島県と受け入れ側の他の都道府県及び市町村の計画を含む日本国のいくつかの政策は、可能な場合には仮設住宅を提供した。特にこの重要な支援は、仮設住宅、公的な住居施設の利用及び家賃補助などの形態を取っている。残念なことに、住宅支援の多くは打ち切られてきたが、この住宅支援の打ち切りが貧困な状態にある人々、生活手段のない人々、高齢者、障害のある人たちに特に深刻な影響を与えてきた。さらに、ある種の公営住宅に今も居住しているIDPsは、現在、彼ら/彼女らを相手取って提訴された立ち退き訴訟に直面している。IDPsがどこにいようとも、政府は、特に脆弱な状態にあるIDPsに対して住宅支援の提供を再開すべきであると勧告する。

家族生活に対する権利

家族生活に対する権利は、私的な場と公的な場の両方で安定性を提供するほとんどの社会において必要不可欠な権利である。特に強制避難指示を受けていないIDPsの間では、子どもを持つ母親が安全を求めることを可能にするために選択がなされたが、その一方で、夫などの従来の稼ぎ手は家計収入を確保するために残った。残念ながら、このような状況は家族に2つの世帯を維持することを余儀なくさせ、このことが経済的困難を生じさせている。さらに、そのようなIDPsの中では高い離婚率が見られる。

二世代以上の大家族は離散傾向があり、高齢者のIDPsは元の家族から離れて暮らし、自分たち自身で生活することを余儀なくされた。統計的研究は、家庭崩壊のすべての事案の中で30パーセント近くがこの地震の後に起こったことを示している。災害救助法に基づく緊急の仮設住宅の入居制限のために、避難の初期段階に制度的に離散された家族に関する多くの事例がある。将来に関する不透明さのために、この離散は解決されるよりもむしろ長期化する傾向にある。特に高齢者人口と心的外傷後ストレス障害(PTSD)と診断された事例の中での高い不安のレベルは、そのような離散や支援制度の崩壊に端を発すると言われている。

特に地方レベルでの社会福祉計画は、避難において離散した家族の一員の脆弱性に特に注意を払うべきであると勧告する。

生活手段に対する権利

生活手段に対する権利は、いかなる文脈においても、IDPsの生計の中にある基本的人権である。この権利は、IDPsが尊厳を持って彼ら/彼女らの生活を再建することを可能にし、地域社会への帰属意識を提供することを可能にし、並びに経済的及び社会的な目的を持つことを可能にする。26ヵ所ある福島ヘルプデスクを通じた生活手段に関する機会の照会は、この点との関連で良い実践である。さらに、あるIDPsは避難先地域で中小企業を立ち上げ、避難者仲間や地元住民を雇用することができた。

それにもかかわらず、研究と統計調査は、IDPsの「生産年齢人口」(20〜60歳)の20パーセントが失業していることを示している。この数値は、ほんの3パーセント未満という日本国のかなり低い失業率と比べると、高い割合である。さらに、特に女性からのいくつかの証言は、女性としての彼女たちの重荷を明らかにした。これらの重荷は、女性たちが避難中にシングルマザーになったことや、彼女たちが育児の責任のバランスをとる助けとなった元の場所でのパートタイムの仕事と同様の仕事を見つけることができないことを理由としていた。したがって、仕事を通して生活手段を再建することは、依然として進展していない。また、多くの女性は元の場所で育児を家族のネットワークに依存していたが、このようなネットワークは避難先地域には存在しない。

IDPsが促進された企業資本を入手することができると同時に、情報を利用することができ、民間企業のプロモーションを行うことができる就職説明会やビジネスフェア、又は就職に関する仕組みのようなジョブマッチング制度で、生活手段のための既存のヘルプラインが強化されるべきであると強く勧告する。特にシングルマザーや働く母親のために育児の機会を拡大するための取り組みが至急実施されるべきであると勧告する。

健康に対する権利

IDPsの健康に対する権利への影響は、常にすべての国内強制移動の状況の結果の1つである。身体と心の健康の両方がIDPsに関わる。なぜなら、IDPsは、新しい環境や将来への不安、普段の生活の中にあった家族や地域社会の支援構造が崩壊してまったことに慣れようと日々挑戦する中で、新しい状況に慣れるために苦闘しているからである。さらに、高齢者や障害のある人々は特に脆弱であり、これらの人々が一人暮らしの場合には著しく脆弱である。今回も、IDPsの間で高いレベルのPTSDが見られることを研究が示したということはそれほど驚くものではない。専門的なモニタリングと治療が、避難を余儀なくされた結果PTSDで苦しんでいる人々に対して提供されるべきであると勧告する。

特に福島原子力災害は、住民とIDPsの両方の健康に対する放射線被ばくの影響に関して、とりわけ幼い子どもたちへの影響に関して、多くの問題を提起した。福島県は、例えば、甲状腺がんの無料スクリーニングを提供するという良い実践を実施したが、このような実践は定期的に継続されるべきであると勧告する。このような実践は、甲状腺がんを患う人々に対する集中した治療計画を確保するために、この問題の継続的なモニタリングを可能にし、経時的な健康上のリスクの変化を見るために必要とされる多くのデータを提供することになるだろう。

教育に対する権利

教育はすべての人々にとって不可侵の権利だが、避難を余儀なくされるという経験はしばしばこの権利の享受を妨げる。教育に対する権利は、IDPsの子どもたちが避難を余儀なくされた結果として経験する可能性がある挫折や不平等を乗り越えるために必要となる知識や技術を深めるために、きわめて重要である。

IDPの子どもたちは、慣れている学習環境から突然引き離されて、新しい状況に慣れることを強いられるときに、多くの場合、重大な課題に直面する。残念なことに、福島県から避難したIDPの子どもたちが、彼ら/彼女らの学習能力を実質的に危険にさらす可能性のある経験に心理的に挑戦しながら、クラスメートからのひどい非難やいじめに直面しているという多くの報告を受け取った。IDPの子どもたちは、彼ら/彼女らが離れるという「選択」をしたことや、彼ら/彼女らの親たちが避難者として多額の賠償金を不当に受け取っていると認識されたこと、又は避難者が放射能を「運んでいる」可能性があるというような放射能に関する誤った考えのために、いじめられてきた。福島原子力災害の被害者が直面するいじめをこの災害に関する副読本のような教材で認めることは、良い実践の1つである。2013年にいじめ防止対策推進法が成立したことは、この問題に広く取り組むための別の前向きな一歩であった。トラウマを抱えた子どもたちがこのような申立てを最初に行うことを待つのではなく、福島県から避難を余儀なくされた子どもたちや他の脆弱な集団が特に直面するいじめを監視し、いじめを積極的に根絶するためのより組織的な取り組みが、子どもたちの学習能力に悪影響を及ぼすこのような有害な行為を終わらせるために必要であると勧告する。

さらに、2013年に達成可能な最高水準の心身の健康の享受に対するすべての人の権利に関する特別報告者によって最初に指摘され、2019年の日本国の第4回及び第5回を合わせた報告における総括所見で子どもの権利委員会によって繰り返された点であるが、教材が、放射線被ばくのリスクと、子どもが放射線被ばくに対してより脆弱であることを正確に反映すべきであると勧告する。私の訪問期間中、私は、放射線に関連するリスクを最小限にするように見える放射線に関する副読本を示された。これらの教材は、特に放射線被ばくのリスクが高ナトリウム食や野菜の少ない食事のリスクと比較することができると示唆し、バックグラウンドの放射線量として受け取られる比較的低量の放射線と、放射能汚染の結果として受け取られる可能性のあるかなり高い放射線量とを十分に区別していない。また、これらの教材は、子どもたちへの放射線の特定の影響に関する詳細な検討も行っていない。

参加に対する権利

IDPsは、彼ら/彼女らに影響を及ぼす決定に参加する権利を有し、特に彼ら/彼女らの生活の保護と生活の再建に参加する権利を有する。IDPであることは、自分自身が通常の支援がない状態にあることを通常だと気づくことを意味する。私が受け取った多くの証言は、孤立と社会的排除を証明している。

非営利組織や支援団体が立案した計画を対象とする政府、福島県及び地方自治体が提供する支援は、IDPsの情報に関するニーズの一部に答え、特に特定の避難先においてはIDPsと地元住民との間に連帯感を一般的に生み出しながら、IDPs間におけるネットワークの構築に関連する非営利組織や支援団体の活動の実施を可能にしてきたという意味で、大いに賞賛に値する。NPOに対するそのような支援は継続されるべきであり、抑制されるべきではないと勧告する。なぜなら、これらの集団は、可能な場合には、IDPsに対していくらかの社会的安定性を提供しているからである。さらに、そのようなNPOの計画及び支援は、避難先地域でのIDPsの社会的統合という観点から強化されるべきであると勧告する。

これらの点に加えて、避難先の地方自治体を通じて、全国に離散したIDPsに故郷のニュースを発信するという福島県の実践は、確実に福島県に関する情報がIDPsに伝達されるようにしている。このようなニュースレターの適切性を確保するために、ニュースレターでIDPsが自分たち自身の話や意見を語ることによって、IDPs自身が参加することで、この良い実践が強化されるべきであると勧告する。また、このニュースレターは福島県の住民に対しても提供され、利用されるべきである。この方法をとることで、福島県に焦点を置いたいかなる復興及び復旧に関する構想も、住民とIDPs自身からの声で支えられ、福島県の市民の中の社会的一体性に貢献する理解と共感につながることが期待される意見交換を可能とする。

最後に、地方自治体の選挙過程への投票を通した政治参加という日本国の制度は、IDPsがどこにいようとも、またIDPsが彼ら/彼女らの住民票を変更するまで、IDPsの選挙権剥奪を避ける良い実践である。多くのIDPsが彼ら/彼女らの居住地に住民票を保持しているので、「不在者投票」手続きを簡素にすることによってこの制度を強化しなければならない。少なくとも、特に孤立している人々、又はこの方法で彼ら/彼女らの投票する権利を実施することが困難であると感じる人々に対して支援が行われるべきである。

V. 恒久的な解決策におけるIDPsの権利

国内避難民は、彼ら/彼女らの恒久的な解決策を探し求める中で、持続可能な帰還、持続可能な地域統合及び国内の他の地域での持続可能な定住という3つの選択肢がある。ここでのキーワードは「持続可能」であることであり、決定をする権利は、そのような「持続可能性」に関する完全な情報に基づいて、自由にかつ自主的に実施されるべきである。さらに、特に帰還に関するIDPsのための恒久的な解決策を策定する際には、IDPsに影響を与える決定に関する計画及び管理にIDPsが参加することができるように条件が整備されるべきである。言い換えると、IDPsの意見を聞かなければならない。

住居、土地及び財産の回復を含む十分な生活水準

特に持続可能な住居を通した住まいに対する権利は、十分な生活水準の中の必要不可欠な部分であり、帰還したいという願望に寄与する。残念なことに、福島原子力災害は、放射線だけでなく、物理的な破壊という点で、多くの私有財産を破壊した。私たちが受け取った統計的研究と証言は、IDPsの住居の破損とそれらの放射能汚染のために、多くのIDPsが帰還に大きな抵抗を感じているという事実を示している。私がインタビューをしたIDPsの一部は、たとえ彼ら/彼女らの家が除染されても、庭を含む家を直接取り囲む場所や地元の森林は多くの場合除染されていないということと、土壌の放射線レベルに関する情報は入手可能ではないということを伝える。それに加えて、避難指示解除のための許容可能な放射線レベルとしての年間20ミリシーベルトという基準は再検討されるべきである。この基準は緊急被ばく状態にある公人のみに適用されているが、これらの指針が長期的な状態にある私人に対して適用されてしまうことになるだろう。帰還するか他の場所に定住するかに関するIDPsの決定を導くための完全かつ科学的に正確な情報をIDPs に提供するために、この基準の適合性を再評価することは有益であるだろう。

さらに、たとえ帰還の意思が残っているとしても、帰還したいという意思はIDPsが経験してきた長期間避難を余儀なくされた状況に影響を受ける。十分な生活水準を可能にすることにつながる元の場所の居住地の損害を受けた財産の修理と除染の両方の促進に関して、特定の計画が立案されるべきであると勧告する。
特に帰還困難区域からの人々に対して代替の住宅が政府と福島県によって提供されていたことは、現在の良い実践である。しかしながら、この実践は、これらの重要な住宅事業計画が成功するためには、帰還を促す他のインセンティブが提供されることを示している。

雇用と生活手段へのアクセス

強制移動中のIDPsの権利と同様に、恒久的な解決策の一部としての働く権利は、人の尊厳、生産性及び包摂にとって必要不可欠である。経済復興における政府と福島県の取り組みを評価する上で、帰還するIDPsに対して確実に提供されることを目的とするより具体的な取り組みが、雇用と事業の観点からIDPsの生活の再開のための条件を容易にすべきであると強く勧告する。農業従事者や漁業従事者などの農業部門に従事する帰還するIDPsに特に注意を払うべきである。これらのIDPsの生活手段は、彼ら/彼女らの生活手段の性質に起因する放射線のリスクや、彼ら/彼女らの生産物に対する需要を抑制する世評の悪化のために、より脆弱である可能性がある。これらのIDPsの意見は聞かなければならず、またこれらのIDPsの意見に対して対応しなければならない。

賠償と侵害の原因に関する情報を含む強制移動に関連する侵害に対する効果的な救済

福島原子力災害に関連する強制移動の結果に関するもう1つの恒久的な解決策の基準は、効果的な救済の提供である。さまざまな日本国の法律がこれらの救済について定めており、現在、かなりの数の救済請求が裁判又はADRで行われている。

この件に関しては、多くのIDPsが、そのような訴訟に関わっているか否かにかかわらず、優先事項として彼ら/彼女らが災害の状況を十分に理解することが重要であると述べている。なぜなら、そのことが、居住の選択肢を選ぶ上で、IDPsの助けとなるからである。この点に関して、真の対話が開始されるべきであると強く勧告する。

VI. 予備的な一般的結論

私が日本国で実施した調査、インタビュー及び議論は、福島原子力災害に関連する多様な強制移動の原因に関するさまざまな視点、それらの軌跡、並びにIDPsの保護及び支援の現状の理解を可能にする上で、特に実りの多いものであった。日本国政府が取り組もうと努めている多くの問題が浮き彫りになった。さらに、対応が必要な問題もある。

現段階では、上記を考慮して、私の予備的結論をここに示す。

1. IDPs(避難者と呼ばれる)は、強制避難指示が執行されている指定された地域から来たかそうでないかにかかわらず、全員が国内避難民であり、日本国の市民と同じ権利と権限を有する。したがって、援助や支援を受けるという点での「強制避難者」と「自主避難者」という分類は、実際にはやめるべきである。人道的な保護と支援は権利とニーズに基づくべきであり、国際人権法に根拠のない地位に基づく分類に基づいて行われるべきではない。

2. 日本国政府によって実施されている現在進行中の取り組みや良い実践は、福島県の復興に対する地域に基づいたアプローチを包摂的な方法で可能にしながら、IDPsと福島県の住民の両方を共に含む権利に基づいたアプローチを確保することで強化されるべきである。このアプローチは、復興と復旧に対する社会的一体性に基づいたアプローチを実施するために、避難中のIDPs、帰還するIDPs及び現在の福島県の住民に対する完全な情報と参加を含むことを必要とする。このアプローチは、住居と住居の回復、土地、財産、健康、生活手段及び安全に関する地域戦略を含むべきである。

3. 避難生活を続けるIDPsに関しては、避難中には、受け入れ先の地域社会への社会的統合という観点を含む、特に脆弱な人々のための住宅と生活手段の状況に関する基本的な支援が継続されるべきである。IDPsの権利の実施を保障することは、避難先地域においても、最終的にIDPsが帰還することを選択する場合においても、その両方で社会的一体性に大きく寄与するだろう。

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