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核・ミサイル開発続ける北朝鮮 やっかいな隣人は何を目指しているのか

2017-10-25 20:29:08 | その他社会・時事
(当エントリは、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2017年11月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 今年に入り、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)をめぐる情勢が困難の度を深めている。今年だけで日本上空に2度もミサイルを通過させ、米国中心の世界秩序に挑戦する姿勢をはっきりと打ち出している北朝鮮は、核・ミサイル大国の一角を占めようという野心に満ちている。日本国内では、この年内にも東京が核ミサイル攻撃で滅亡するかのような言説に戸惑った人もいるかもしれない。

 筆者は北朝鮮ウォッチャーでもある。北朝鮮にとって建国の父である金日成主席(1994年死去)の時代から、もう四半世紀もこの国のことを観察し続けてきた。今、訳知り顔でテレビに出演し、解説をしている「自称有識者」には決して引けを取らないという自負もある。今月号では、日本にとってやっかいな隣人として台頭してきたこの国が何を目指しているのか、今後どこに向かうのかを可能な限り分析することで、読者諸氏の北朝鮮理解の一助となれれば幸いである。

 ●国家の歴史と基本原則

 朝鮮半島は、1910年以来、日本帝国主義による植民地支配にあえいだ。1945年、日本が敗戦で撤退すると、朝鮮半島は第2次世界大戦後の東西冷戦の舞台となった。日本敗戦からちょうど3年後の1948年8月15日、北緯38度線以南を領土とする大韓民国が、李承晩を「大統領」として建国宣言すると、遅れて同年9月9日、38度線以北を領土とする朝鮮民主主義人民共和国が建国を宣言、金日成が首相に就任する。

 1950年、東西冷戦を背景に、ついに朝鮮戦争の火ぶたが切って落とされる。当初は北朝鮮軍が優勢で、韓国軍を釜山周辺まで追い詰めるが、米軍を主力とする国連軍の参戦で逆に北朝鮮軍を朝鮮半島北端にまで追い詰める。しかし、1949年に成立した中華人民共和国が中国人民義勇軍を参戦させ、ソ連も武器供与で北朝鮮を援助した結果、北朝鮮軍・中国人民義勇軍が米韓軍を押し返し、戦線は38度線付近で膠着状態となる。結局、3年にわたる戦争は勝者も敗者もなく、どちらが朝鮮半島における正統な政府かの決着もつけられないまま、1953年7月27日、南北双方が板門店で休戦協定に調印した。

 この間、偶発的で小規模な軍事衝突はあったが、幸い全面戦争には至らず、休戦協定に基づく「休戦」はすでに今日まで64年間にも及んでいる。朝鮮戦争を知っている世代は若くても80歳代となり、南北ともに準戦時体制を維持しながら、国民の間から戦争の記憶が失われつつある。そんな奇妙な状態に、北朝鮮と韓国は置かれている。

 南北朝鮮は、こうした歴史的経緯から、互いに相手を「朝鮮半島の一部を不法占拠している反乱勢力」と規定し、いずれ統一することを公式の国家政策にしている。北朝鮮は韓国を「南朝鮮傀儡」「米帝追随者」と非難するなど米国の傀儡政権と見なしており、一貫して韓国との対話を拒否している。韓国との間で何かの合意に達しても、米国がノーと言えばすぐ翻してしまいかねない。そんな傀儡政権と対話などしても無駄だというのが北朝鮮の一貫した姿勢であり、北朝鮮が対話を要求する相手は一貫して米国である。

 北朝鮮は、建国以来、4つの基本原則に基づいて国家運営を行っている。「思想における主体、政治における自主、経済における自立、国防における自衛」だ。このうち自主、自立、自衛は独立国家であれば目指されて当然のものだ(むしろ、低い食糧自給率を放置し、外交上も米国追随の日本のほうが独立国家としての気概を持たない恥ずべき状態といえるだろう)。だが、「思想における主体」とはいったい何を表しているのだろうか。

 北朝鮮では、中国など他の社会主義国家と同様、党が国家を指導している。指導政党である朝鮮労働党は主体(チュチェ)思想をその指導原則とすることが党規約で定められている。主体思想とは何かと問われて正確に答えることは難しいが、1988年9月、北朝鮮建国40周年に当たって招待を受けたポーランド国営ポルテル社取材班が、北朝鮮から提供された資料に基づいて制作した「金日成のパレード 東欧の見た“赤い王朝”」の中にその答えがある。この映画では、主体思想について次のように説明している。

 『朝鮮労働党の党員の考え方や、革命のための人々のあらゆる活動は、主体思想を拠り所にしている。党の指導者に忠誠を誓う核心となるのは、革命に対する考え方、つまり主体思想である。社会主義及び共産主義の道は、指導者によって切り開かれ、党や指導者の管理の下に実現する。革命運動は党の指導者の指揮によってのみ勝利をもたらす。したがって、革命の勝利を確信するためには、党や指導者に対して、限りない忠誠を誓わなければならない』。

 主体思想は、マルクス・レーニン主義を北朝鮮に適用できるようにしたものだという俗流の解釈もある。だが少しでもマルクス主義を学習した経験を持つ人なら、これがマルクス主義とは似ても似つかないことをすぐに理解されるだろう。社会の全員が労働者階級になり、経済発展の結果「各人にはその必要に応じて」供給が行われるようになれば、国家は死滅するとしたマルクス主義に対し、主体思想では絶対的指導者が人民の上に半永久的に君臨し続けることが前提条件になっている。どう見ても、最高指導者の個人独裁を権威付け、正当化するための思想体系としか思えない。


北朝鮮国旗。星は共産主義を表す


朝鮮労働党旗。左から順にハンマー(労働者)、ペン(知識人)、鎌(農民)を表す


 ●核・ミサイル開発成功は30年の「努力」の集大成

 核・ミサイル開発は、金王朝「3代目」である金正恩朝鮮労働党委員長の時代になってからのここ数年で急激に進展したとの印象を持っている人も多いだろう。実際、金日成主席は、1994年元日に行った恒例の「新年の辞」の中で「ありもしない朝鮮の核問題を声高に言い立てながら、実際に朝鮮半島に核を持ち込み、我が国を威嚇しているのは米国である」と米国を非難するとともに、核疑惑を否定している。この時代、北朝鮮が将来核・ミサイルを保有することになるとはまだ誰も思っていなかった。だが北朝鮮は、核・ミサイル開発の道を金日成主席の時代から一貫して追求してきた。そのことは、この間の北朝鮮における「公式報道」を見れば明白だ。

 政治中心のお堅い番組が多い北朝鮮の国営メディアだが、クイズやドラマなどの娯楽番組も多く放送されている。1993年11月3日、朝鮮中央テレビで放送された「小さな数学者」という番組では、中学生~高校生レベルの問題を次々に解く「天才4歳児」リ・チョルミン君が取り上げられている。天空高く打ち上がるロケットをチョルミン君が見上げるアニメーション映像からは、すでにこの時代、ミサイル開発を目指す北朝鮮政府の意向がはっきりと示されている。


1993.11.3放送 朝鮮中央テレビ番組「小さな数学者」より。天才少年がロケットを夢見る


 筆者の手元にある映像資料の中には、この他にも、全国各地から選抜された少年少女が難しい計算問題を次々に解いていくクイズ番組があるが、朝起きてから夜寝るまでの生活すべてが政治と結びついている北朝鮮では、このような番組も単なる娯楽ではない。党や政府の目に留まった天才少年少女たちは、早くから国によって科学者用宿舎を与えられ、将来の科学技術を担う研究者の卵として育てられる。チョルミン君もそうした科学者の卵のひとりなのだ。

 この番組の放送当時、4歳だったチョルミン君。政治的粛清などの嵐に遭わず、順風満帆の人生を送っていれば、今年28歳になる。科学者としてはまだ若いが、そろそろ仕事が面白くなってくる働き盛りの入口世代だ。北朝鮮における核・ミサイル開発を支えているのは彼のような人物である。北朝鮮メディアは核・ミサイル開発の相次ぐ成功を「最高尊厳」(金正恩委員長)の政治的成果として華々しく宣伝しているが、実際には、金日成主席の時代から、着々と担い手を選抜・育成しながら進められてきた遠大な計画が、ついに実を結んだものと見るべきだろう。

 ●国際的包囲の中で

 北朝鮮は、国際社会からの非難も意に介さず、今後も核・ミサイル開発を続けることを繰り返し表明している。朝鮮戦争で共に血を流して戦ったはずの中国との関係が、歴史上最悪といわれるほど冷え込む中で、逆に歴史上最高の関係といわれ、北朝鮮の事実上の「後ろ盾」となっているロシアのプーチン大統領は、「彼らはたとえ雑草を食べてでも核・ミサイルを手にするだろう」と述べている。首都の市民が、毎朝、パンを求めて国営商店に行列を作らなければならないほど疲弊した経済の一方で、世界を何十回も滅亡させられるほどの核兵器を保有するに至ったソ連を、マーガレット・サッチャー英首相(当時)は「パンより核を大切にする国」だと非難した。これに激怒したソ連国防省機関紙「クラスナヤ・ズヴェズダ(赤い星)」はサッチャーに対し、その後、彼女の象徴的キーワードとなる「鉄の女」の称号を贈った。雑草を食べなければならないほど飢えたとしても、核・ミサイル開発を続ける鉄の最高尊厳・金正恩党委員長に率いられた「不思議の国」は今後どこに向かうのだろうか。

 世界地図の中で北朝鮮を見ると、列強に包囲されている小国の姿が見えてくる。北と西に位置するロシアと中国は、軍事的にも経済的にも強国だ。南に位置する日本と韓国は経済的には強国であり、不足する軍事力を米軍駐留で埋め合わせている。主体思想で固く武装してはいても優秀といえるかどうかは保障できない労働力と劣悪な石炭くらいしか資源のない北朝鮮が、強国の包囲の中で自主・自立・自衛を掲げ、必死に生き残りをかけて戦っている。かつて国際的孤立の道を歩む日本は米国(America)、英国(British)、中国(China)、オランダ(Dutch)による「ABCD包囲陣」によって包囲され、戦争に突入していったが、今、北朝鮮指導部からは、自分たちが「ACJS包囲陣」によって包囲されているように見えているであろう。米国、中国、日本(Japan)、韓国(South Koria)による包囲網である。もし、あなたが金委員長の立場だったらどうするだろうか。2200万人といわれる北朝鮮国民、300万人の朝鮮労働党員を守るため、彼と同じように行動するのではないだろうか。

 北朝鮮の姿は、戦前の日本と一見、似ているようにも思えるが、拡張主義と侵略の野望に燃えていた戦前の「神国日本」と異なり、北朝鮮には領土拡張の野心はなく、現実的にそのようなことが可能な状況にもない。その意味で、北朝鮮問題への対処は戦前の「神国日本」への対処ほどには難しくない。核を持たなければ、我が国は米国によって滅ぼされる――金委員長が抱いているそのような強い強迫観念を捨てさせるためには「ACJS包囲陣」による包囲を解く以外に方法はない。圧力で解決できないことは「神国日本」のその後の不幸な歴史を見れば明らかだ。圧力と制裁に明け暮れる安倍政権から、包囲網を解き、対話によって危機を乗り越える英知を持った新しい政権へ、私たちも勇気を持って進まなければならない。

<読者のみなさまへ>
 朝鮮民主主義人民共和国の国名表記については、同国の公式メディアが使用している「朝鮮」を使用すべきであるが、日本の報道機関で一般的に使われている北朝鮮の表記をそのまま用いた。北朝鮮による日本人拉致問題が発覚するまで、同国と日本の報道機関との間では、北朝鮮について報道する場合、「記事の最初で『朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)』と表記すれば、2回目以降に国名が登場するときは『北朝鮮』表記を認める」との合意が成立していたが、その後、破棄された経緯がある。

<参考文献・資料>
本稿執筆に当たっては、「北朝鮮データブック」(重村智計・著、講談社現代新書、1997年)の他、映像資料については文春ノンフィクションビデオ「金賢姫 私と北朝鮮」(1994年)に収録されているものを参考とした。

(黒鉄好・2017年10月22日)

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「福島から始発で間に合わず「傍聴抽選遅くして」」とのメディア報道について

2017-10-15 21:02:52 | 原発問題/一般
福島から始発で間に合わず「傍聴抽選遅くして」(読売)

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 東京電力福島第一原発事故で強制起訴された東電旧経営陣の刑事裁判を巡り、事故被害者らで作る「福島原発告訴団」などは12日、傍聴希望者の受付時間を遅らすよう求める要請書を東京地裁に提出した。

 同地裁では、傍聴希望者が多いと予想される裁判については、当日の受付時にクジで傍聴者を選ぶ。今年6月30日午前10時に始まった旧経営陣の初公判では、締め切りの午前8時20分までに717人が集まり、54人が当選。倍率は13倍だった。

 一方、福島駅からは始発電車に乗っても東京駅に着くのは午前8時16分のため、告訴団のメンバーらは夜行バスを利用するなどしたという。要請書では「事故の最大の被害地域の住民が傍聴するのが非常に困難」と指摘。次回以降の公判の締め切り時間を遅らせるよう求めた。これに対し、東京地裁は「コメントできない」としている。
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当ブログ管理人も告訴人のひとりとして参加している福島原発告訴団が東京地裁宛てに行った、傍聴抽選の開始時間を遅くするよう求める要請の内容が、メディアで報道された。記事は読売の他、共同通信の配信で地方紙にも掲載されている。もともとは告訴団が報道各社に宛てて行ったプレスリリースに基づいて報道されたものだ。

傍聴抽選の時間が朝7時30分に設定されたため、原発事故で最も大きな被害を受けた福島県民が、当日朝の出発では傍聴できなくなってしまった問題は、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2017年8月号に発表した原稿の中で触れている(当ブログにも過去記事として掲載)。

上記、読売の記事が転載されたヤフーニュースのコメント欄には、事情を知らない閲覧者によって「地元の福島地裁に訴えればよかったのに」等のコメントが書き込まれているのが散見されるが、そうした書き込みをしている人は、上記の過去記事を見てほしい。もともと、福島原発告訴団は地元の福島地検に告訴・告発していたが、検察が事件を東京地検に移送したためこのような事態になっているのだ(もちろん、この移送は告訴団に了解なく勝手に行われたものである)。検察審査会法は、「事件を処理した検察官が所属している地検を管轄する検察審査会」でしか審査を認めていないため、東京地検に事件が移送された結果、東京の検察審査会でしか強制起訴の判断ができず、裁判所の管轄も東京地裁になってしまったのである。

当事者である福島県民で作る「福島原発告訴団」の了解を得ることもなく、検察が不当な事件処理をしてきたことが「裁判の東京移送」の原因だ。そのような不当な事件処理に巻き込まれただけに過ぎず、何ら落ち度のない福島県民が、今度は裁判所による傍聴抽選時間の設定によって裁判を傍聴する権利を制限される。これが単純に人権侵害だという事実を、理解できていない人が多すぎるのである。

もっとも、検察当局は、福島原発告訴団による告訴・告発を東京地検に移送したことを、今ごろ後悔しているのではないだろうか。福島地検が不起訴処分を行った後続の第2次告訴は、福島の検察審査会で強制起訴にならなかったからだ。大変申し訳ないが、東京と福島では、検察審査会で審査員を務める市民にも能力・識見の面で大きな差があることが明らかになったといえよう。全国から優秀な人材が集まっている首都としての東京のいろいろな意味での「力」を認識させられる結果だったとも言える。

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「生業を返せ!地域を返せ!福島原発訴訟」で、再び国、東電の責任を認める

2017-10-13 22:45:18 | 原発問題/一般
国・東電に再び賠償命令=原状回復認めず―原発事故、3件目判決・福島地裁(時事)

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 東京電力福島第1原発事故をめぐり、福島県や近隣県の住民約3800人が、国と東電に居住地の放射線量低減(原状回復)と慰謝料など総額約160億円を求めた訴訟の判決が10日、福島地裁であった。

 金沢秀樹裁判長は「事故は回避できた」と述べ、約2900人に総額約5億円を支払うよう国と東電に命じた。原状回復の訴えは却下した。

 全国に約30ある同種訴訟で3件目の判決で、国の責任を認めたのは3月の前橋地裁に続き2件目。原告数が最も多い福島地裁の判断は、今後の判決に影響する可能性がある。

 金沢裁判長は、2002年7月に政府機関が公表した地震予測の「長期評価」は信頼性が高く、国はこれに基づき敷地高を超える津波を予見できたと判断。安全性確保を命じていれば事故は防げたとし、「02年末までに規制権限を行使しなかったのは著しく合理性を欠く」と述べた。

 その上で、原告の7割を占める福島、いわき、郡山各市など自主的避難等対象区域の住民には、国の中間指針(8万円)を超える16万円の賠償を認めた。中間指針の対象から外れた茨城県の一部住民にも1万円を認めた一方、960人は放射線量が低いなどの理由で棄却した。

 国の賠償責任は「原子力事業者を監督する2次的なものにとどまる」と指摘。責任の範囲は東電の2分の1と認定し、賠償額は約2億5000万円とした。

 原状回復請求については「心情的には理解できるが、民事訴訟としては不適法」と却下した。原状回復までの将来分の請求も認めなかった。
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 「生業を返せ!地域を返せ!福島原発訴訟」(生業訴訟、10月10日、福島地裁、金沢秀樹裁判長)は、3月の前橋地裁に続き再び国の責任を認め、国・東電双方に賠償を命じた。判決が出た原発賠償訴訟は3例目となる。

 判決は、地震調査研究推進本部(推本)の地震に関する長期評価が発表された2002年時点で津波襲来を予見できたのに対策を取らなかったとして、国の責任を認定。「2008年段階で津波を予見できた」とした前橋判決と比べても、国が津波を予見可能だったとする時期を6年も前倒しする、国にとってさらに厳しい内容となった。

 賠償額は原告3800人に対し5億円で、1人当たり約13万円となる。低額の賠償水準で、原告が求めていたふるさと喪失の損害を認めない(9月の千葉地裁はこれを認めた)などの点で今後に課題を残した。原告が求めていた原状回復も「知見が確立されていない」として退けた。原発事故が起これば、汚染地を元に戻す方法はないと、司法が公に認めたことになる。

 今回の裁判が、先行した前橋、千葉の判決と大きく異なる点は、避難者中心の訴訟ではなく、避難せず福島に残って生活を続ける人が原告全体の8割を占めるところにある。今回、福島に残り、被曝しながら生活を続ける住民の苦しみが、具体的な国の責任として、金銭的価値を伴って認定された意義は大きい。「自主」避難者らが福島県を相手に住宅無償提供の継続などを求めてこの間、何度も交渉を続けてきたが、そのたびに県官僚から「福島に残った人たちはみんな“普通”に暮らしている」と暴言を浴びせられ、涙を流してきた。福島に残る人たちにも苦しみがある、残った人たちも、自分たちは普通なんだとなんとかして自分自身に思い込ませようとしているだけで、すべてが元に戻ったわけではない、被害が消えたわけではないと裁判で認められたことは、福島県による「普通に暮らしている」論を打ち破る大きな根拠を得たことになる。この点にこそ今回の判決の最も重要な意義がある。

 この判決を根拠として、「福島県に残っている人の被害も裁判所が公式に認めたのだから、県は真剣に対策を取れ」と要求できる。自分たちにとって都合の悪いことはすべて「風評被害」で片付け、まともに向き合ってこなかった福島県。ナントカのひとつ覚えのように、いつまでも風評風評と騒ぐ暇があるなら、そろそろいい加減で被害者の声と向き合ってもらいたい。

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「希望の党は絶望の党、自民党小池派」「国難は安倍首相本人」厳しい改憲勢力批判~10/9さようなら原発北海道集会

2017-10-12 21:06:45 | 原発問題/一般
(この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」に投稿した内容をそのまま転載しています。)

10月9日、札幌・大通公園で行われた10/9さようなら原発北海道集会に参加した。さわやかな秋晴れの空の下、2200人(主催者発表)が集まった。

小野有五・北海道大名誉教授は、北海道電力泊原発(岩内町、泊村)沖合にある断層について、原子力規制委員会が「活断層」とする考え方を支持している現状とこれまでの推移を報告。「規制委が初めて(断層が活断層でないとする)北電の主張を退けた。もう泊原発は動かないと思っている」と、再稼働阻止への自信を見せた。小野名誉教授は地質学者として、世界各地の地層を調査し、これらの資料を規制委に提出。規制委がこの断層を実地調査した結果、「活断層」との見方に変わるなど、規制委の審査に影響を与える活動を続けてきた。また、「できるだけ多くの人が北電から新電力に契約を切り替えることで、北電を追い込むことができる」と、新電力への契約切り替えを呼びかけた。

北海道では、2016年4月の電力自由化からわずか1年半で、15%近い契約が新電力に流出している。泊原発沖合の断層について活断層との見方を強めた規制委が北電に対し、追加の安全対策工事を求めたことと併せ、ダブルパンチだ。泊原発の再稼働の見通しが立たない状況に追い込んでおり、一部地元経済誌で北電の経営危機が取りざたされるほどだ。

続いて、西尾正道・北海道がんセンター名誉院長は「希望の党は絶望の党であり、自民党小池派に過ぎない」と批判。東京電力が福島県沖の海に投棄を計画している汚染水の主力、トリチウム(三重水素)の危険性をアピールした。トリチウムは水素の同位体であり、水素を含む細胞は水素の同位体を水素同様に取り込んでしまうため、細胞内に入り込んだトリチウムが直接細胞核に向かって放射線(β線)を発して破壊してしまう、とその危険性を強調。「泊原発ができるまで、北海道内市町村の中でがん死亡率が下位だった岩内町、泊村は原発稼働後がん死亡率上位になった」と警告した。

今、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が水爆実験に成功した可能性が指摘されているが、トリチウムは水爆の原料物質でもある(私は「科学者は戦争で何をしたか」(益川敏英・著)を読んでこの事実を知った)。人体への影響もさることながら、「水爆の原料物質が含まれた福島沿岸の魚を食べたいか」と聞かれて、食べたいと答える人はいないだろう。東電による汚染水の海洋投棄は許されない。

麻田信二・北海道生活協同組合理事(学校法人「酪農学園」前理事長)からも、厳しい安倍政権批判が飛び出した。「秘密保護法、違憲の安保法制、共謀罪。そしてあまり注目されていないが食の安全を脅かす種子法廃止。北朝鮮への軍事挑発。安倍首相は国難突破解散と言うが、国難を作り出しているのは安倍首相本人だ」。

麻田さんが少し前まで理事長を務めていた酪農学園は、首都圏以外で私学としては唯一、獣医学部を持つ。「加計学園に獣医学部を開設するための規制改革会議での審議内容は私の元に届いていた。安倍首相は、加戸守行・元愛媛県知事が獣医が足りないと言っていることを引き合いに、獣医が足りない足りないと討論番組で言っている。だが、この10年間で獣医は8千人も増えている」と、安倍首相のウソを一刀両断した。獣医学教育の最前線にいる人の発言だけに重みがある。

ちなみに、加戸元愛媛県知事もまた、日本会議愛媛県支部役員を務める安倍の「オトモダチ」人脈のひとりだ。知事時代の2001年には、愛媛県立高校の歴史教科書にあの扶桑社版(「つくる会」教科書、現在は育鵬社版に引き継がれている)を採択するよう県教育長に働きかけ、採択にこぎ着けている。愛媛の教育右傾化に決定的な役割を果たしたと言っていい。そうした観点からは、加計学園問題のまったく違う側面が見えてくる。今治市への加計学園進出は、単なる獣医学部問題ではなく、安倍とそのお友達一派による愛媛の教育右傾化路線「総仕上げ」でもあることを、ここで忘れずに指摘しておきたい。

北海道幌延町には、日本原子力研究開発機構による放射性廃棄物処分に関する研究施設(幌延深地層研究センター)がある。その幌延町に隣接する豊富町で、酪農を営む傍ら、深地層研に反対し、3.11後は福島の子どもたちの保養も受け入れてきた久世薫嗣さん。今年になって経産省が核のごみ「適地マップ」を発表した背景について興味深い指摘をした。高レベル放射性廃棄物は、受け入れを表明していない自治体の区域を通過して陸上輸送することは認められておらず、内陸部の自治体はそもそも受け入れできない制度なのだという。「適地マップ」では沿岸部の自治体が軒並み「適地」を示す緑色に塗られているが、これはそもそも陸上を通過せず、船で沿岸部の自治体に直接、廃棄物を持ち込むためのものだという指摘は重要だ。

久世さんの話を聴いて「やはりそうだったか」との思いを新たにした。原発の立地場所を先に決めてから、その場所が地震が少なく、活断層もない場所であるかのようなデータを出すということを繰り返してきた原子力ムラの非科学的で汚いやり口は福島第1原発事故の後もまったく変わっていない。どうせまた財政難の自治体に目をつけ、札ビラで受け入れを迫るつもりなのだろう。

私は、今年3月、旭川市での反原発集会でも久世さんの話を聴いている。「高レベル放射性廃棄物の輸送は、強い放射線が船外に漏れ出ないよう遮蔽しながら行わなければならないため、ある程度大きな船がいる。そのため、ある程度大きな船が入れる大きな港が必要になる。核のごみを受け入れたくない自治体は、立派な港湾を整備してはいけない」という話だったと記憶している。もし、皆さんの住んでいる地域で、国から港湾整備をしませんか、という話があったときは、地元の持ち出しなく便利になるのだから、と安易に受け入れず一度立ち止まってほしい。うまい話には必ず裏があるのだ。

この他、ルポライターの鎌田慧さん、上田文雄・前札幌市長からスピーチがあった。

集会後は、「自然とともに生きるなら原子力なんて必要ない」「原発をなくすことは核の脅威をなくすこと」と書かれた横断幕を掲げた小野さん、西尾さん、麻田さんらを先頭に、労働組合、市民が大通公園から札幌市中心部を経て北海道庁前までデモ行進。晴れ渡る空の下、サウンドデモの小気味よいリズムが響き渡った。

「原発をなくすことは核の脅威をなくすこと」は、昨年までのこの集会のスローガンにはなく、今年から追加されたものだ。選挙で無党派層の票をかすめ取るため、ポピュリズム的に「原発ゼロ」を掲げながら、同じ口で北朝鮮への圧力強化を叫び、核ミサイルの危険を招き寄せている希望の党の欺瞞を暴くこのスローガンを、私は個人的に気に入った。

(文責・黒鉄好)

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【衆院総選挙参考情報】北海道9区立候補者に地元市民団体が行ったアンケート調査結果を公表します

2017-10-11 22:14:59 | 鉄道・公共交通/交通政策
管理人よりお知らせです。

2015年1月から、高波災害のため不通が続いているJR日高本線について、地元選挙区である北海道9区(胆振・日高管内)有権者の皆さんの参考にしていただくため、地元で日高本線の復旧を求めている市民団体「JR日高線を守る会」では、9区で総選挙に立候補予定の3氏に対し、文書で聞き取り調査を行いました。「JR日高線を守る会」から当サイトへの掲載の許可をいただきましたので、回答があった順に掲載します。

質問は「2015年1月より災害のため運休中のJR日高本線の今後について、どのようにお考えでしょうか。ご意見をお聞かせ下さい(自由記述)」です。

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【衆院選北海道9区立候補予定者3氏へJR日高線に関する見解をお聞きしました!】

私たち「JR日高線を守る会」は、このたびの衆議院解散をうけまして、北海道9区に立候補を予定されている候補者の方々に、JR日高線についてのご意見をうかがいました。以下に公開いたしますので、皆さまが投票される際の参考にして戴ければ幸いです。アンケートにご協力戴きました立候補予定者の方々には、お忙しい中本当にありがとうございました。

なお、公開の順序は、返信到着順といたします(敬称略)。

*************
1.日本共産党公認 松橋ちはる

 JR北海道は、日高本線など10路線13区間を「自社単独での維持が困難」と発表し、全路線の半分以上を廃止しようとしています。こうした事態を招いたJR北海道経営陣の責任も重大ですが、もともと赤字になることが分かり切っていた国鉄の「分割・民営化」を行った国にこそ、問題を解決する最大の責任があります。

 鉄道線路の廃止に歯止めをかけ、住民の足と地方再生の基盤を守るためには、自治体に「後始末」を押しつけるのではなく、国がJR北海道の路線廃止を食い止める緊急対策を行うことなど、全国の鉄道網を維持するために、国の責任を果たすことが大事だと思います。公共交通基金を創設し、全国鉄道網を維持するための安定的な財源を確保すべきです。

 道内の鉄路は枕木1人1本といわれ、人の命がかけられ敷かれています。簡単になくしてしまうべきものではありません。外国では、国などが支えています。国の責任で復旧、支援し、住民の命と暮らしを守るべきだと考えます。

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2.前衆議院議員 自民党公認 堀井学

 全面復旧とバス転換、BRT、DMV、あらゆる交通体系のあり方を比較、検証を行い、総合的に判断しなければならない。

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3.希望の党公認 山岡達丸

JR日高線に関する見解について

 JR日高線の問題は単に日高の問題ではありません。北海道の将来に影響を及ぼす深刻な問題だととらえる必要があります。その視点から公共交通機関としての位置づけを今一度明確にした上で国や道が責任をもって経営立て直しを図る仕組みを構築することが重要だと思っています。

 この問題は2つの視点から見なければならないと思っています。1つは公共交通機関としての役割、そしてもう1つは北海道全体のまちづくりのあり方への影響です。JR日高線の問題は、JR北海道全体の経営問題です。日高だけの問題として扱うべきものではないと思っています。北海道の多くの小~中規模都市は、中心的な駅を中心として街づくりを進めていく必要があります。また観光地においても駅に到着した外国人観光客が駅舎を含めて観光地を楽しむという考え方がこれからの北海道に必要です。そうした中で、JR北海道の経営そのものが深刻な赤字である限り、この北海道において駅舎を中心にした街づくりや観光地振興などの手段は今後もはや不可能ということになります。その上で、公共交通機関であるという視点を見たとき、やはり国あるいは道がきちんとその対応を図るべきものです。

 具体策については国土交通省がそのスキームを考えるべきことですが、一つの例として東日本大震災のあとの東京電力の賠償問題について、国では「原子力損害賠償機構」をつくり全国の電力会社が出資する中で、東京電力のための損害賠償を行う仕組みをつくりました。この例を応用すれば、全国のJRの出資の中で、赤字路線の支援を目的とした機構をつくり、JR北海道はもちろんのこと、JR四国や貨物など経営的に厳しい会社を支えることも可能だと考えます。JR北海道が400億円の赤字だとするならば、JR東海や東は4000~5000億規模の黒字経営をしています。この数値を一つ見ても北海道や四国などで切り離され、その中で独立採算を求められる考え方は、公共交通機関という特性からはなじまないものと思っております。

 いずれにせよ、深刻な地域課題です。地域から選出される議員はこうした問題に正面から向き合い、議会においてきちんと声を上げる立場にあります。特に衆議院議員は一般に「代議士」とも呼ばれますが、代議士とは代わりに議論する人という言葉で構成されています。地域の代弁者としてきちんと国でその声を上げる、その取り組みなくしてこの問題の前進はないものと思っています。

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【希望の党】これのどこが「寛容保守」か? まるでヤ○ザの脅迫状 寝言は寝て言え!

2017-10-03 23:00:15 | その他社会・時事
昨日あたりからネット上に出回っている、絶望希望の党の「政策協定書」。希望の党が立候補予定者との間で締結する協定書のスタイルを取っているが、実際は候補者に党が一方的に提出を要求する「宣誓書」といえる。その内容がまぁ……とにかく、サムネイル画像を見てほしい。

小池百合子・東京都知事が口走っていた「脱原発」はきれいさっぱり消え、代わりにあるのは戦争法容認、そして外国人参政権反対だ。民進党内リベラル派は来るな、左翼も来るな、外国人も政治参加するな、と日本人にも外国人にも排除、排除、排除。これのどこが「寛容」なのか? しかも「改革保守」政党なんて、正反対の意味を表す単語を接合していて意味がわからない。中国共産党が1992年の党大会で打ち出した「社会主義市場経済」並みに意味不明だ。

選挙資金を、党が指示する額だけ持ってこい、という要求内容もなにげに凄い。要は「白紙小切手を渡せ。金額はこっちが書く」と言っているのと同じで、今どきヤ○ザでもこんなえげつないことはしないだろう。

政治ニュースでこんなに笑わせてもらったのは本当に久しぶりで、腹筋が筋肉痛になりそう。総裁が安倍首相でなければ自民党のほうがまともに見えるほどひどい差別排外主義だ。私がもし民進党議員でこの協定書の提出を求められたら、その場で「ファシストに死を!」と叫んで、迷わず辞めると思う。

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「絶望の党」めぐるドタバタ劇と「いつか見た風景」~決意と覚悟をみんなで少しずつ持ち寄ろう

2017-10-01 18:29:33 | その他社会・時事
当ブログ管理人が「レイバーネットに寄稿した文章をそのまま掲載しています。) 

「絶望の党」、もとい「希望の党」をめぐるドタバタ劇を見ていて思う。これはいったい誰にとっての希望なんだろう、と。少なくともその対象が私たちでないことだけは確かだ。

 テレビを見ていると、あるコメンテーターの言葉が私の耳に飛び込んできた。「私もこれまでいろいろな政党の離合集散を見てきましたが、ここまでひどい例は今回が初めてでしょうね」。これには文句なく同意する。

 解散に抵抗する前代表が更迭され、新たに就任した組織のトップがみずから組織を解散。海のものとも山のものともしれないが、今より良くなると思えないということだけは確実に言える正体不明の新組織に労働者を再就職させようとするが、新組織は「彼らが新しい組織にふさわしいかどうか、選別させてもらう」と宣言。

 新組織に移れる者、移れない者を選別するため、「採用候補者名簿」が作られる。旧組織の労働者は新組織による「面接」を通じて思想信条で「選別」され、合格した者は新組織へ。採用候補者名簿に載せてもらえなかった不合格者はそのまま旧組織に残り、やがて解雇へ。ドタバタ劇が終わってみると、被解雇者は特定の思想信条を持つ人に集中していた――

 今、民進党をめぐって起きていること、これから起きるであろうことを大まかに述べると、こんな感じだろうか。昔、これと同じ風景を、どこかで見たような気がする。さて、どこだっただろう。記憶の糸をたどってみる。今からちょうど30年前に国鉄で起きたことと同じだ、と思い出す。

 「解散に抵抗する前代表」を仁杉巌総裁に、「新たに就任した組織のトップ」を杉浦喬也新総裁に、「新組織」をJRに、「労働者」を議員・党員に、「旧組織」を国鉄または国鉄清算事業団に置き換えれば、本当にそっくりだ。国会に議席を持つ公党、自民党を別にすれば、(届くかどうかは別にして)最も政権獲得に近い場所にいる野党第1党が、よもやJRばりの「偽装倒産解雇戦術」とは……。しかも、思想・信条で選別し、反対する者を解雇ときている。

 共通の思想信条を持つ者が集まり、共通の政治的目標達成のために行動する団体である政党や政治団体を、企業と単純比較するわけにはもちろん行かないだろう。「共通の政治的目標の達成」を阻害する者は排除されて当然だといわれれば、確かにそうかもしれない。だが、どうも釈然としない。いろいろな、幅広い立場の人を包摂していることで何を決めるにも党内対立がついて回ることがこの党の欠点でもあったが、いろいろな人が集まり多様性があることがこの党の長所であり特色でもあった。ほんのひとときとはいえ旧民主党が政権を獲得できたのは、大きくあることを目指したからだ。

 「共通の政治的目標の達成」を可能にするために、党は緩やかにいろいろな立場の人を包摂し、大きくあるほうがよいのか。それとも決意と確信に満ちた人々のみで構成され、戦闘力があるなら小さくてもかまわないのか。政治の世界ではずいぶん前から論争が続いてきた。党が職業革命家だけで組織されるほうがよいのか否かをめぐって闘われたレーニンとマルトフの論争を思い出す人も多いだろう。答えは、どちらもイエスであると同時にノーでもある。どのような政治情勢かによっても違う。レーニンの言葉を借りるなら「何をなすべきか」によっても左右される。党の目標を国会で議員として活動することだけに置くのか、院外の広範な市民と結んだ闘いまでをも目標に含めるのかによっても異なる。

 野党共闘がイエスという人がいればノーという人もいる。「まとまらなければ自民党を倒せないじゃないか」と言う人がいればそれは正しいし、「考えが違うから別々の党なのであって、同じ候補者を推して闘うなら同じ党になればいい」と言う人がいればそれも正しい。

 インターネット上に、首相の名前は載らなくても民主党~民進党批判の載らない日はないほど民進党への批判は強い。自公の野合は棚に上げ、「考えが違うのになぜ野合するのか」というご都合主義的批判が与党支持者から投げつけられるのがインターネットの日常だ。日本人には政党は同じ考えを持った人々だけの結社であるべきとの考えの人が多いようだ。案外、レーニン主義者が多いらしい。

 小さくとも一体感、まとまりのある政党による切磋琢磨こそが政治のあるべき姿だと日本人の多くが考えているなら、小選挙区制は最悪の制度であり廃止されるべきだ。比例代表制こそ日本の選挙制度にふさわしい。レーニン主義者の多い日本で完全比例代表制を導入したら、「20党連立政権」のようなものができあがり、小党乱立には慣れっこのイタリア人も腰を抜かすことになるかもしれない。でもそれでいいではないか。現在、閣僚ポストは全部で19。それらのポストに就いている政治家が全員、違う党なんて、想像するだけでも楽しい。

 それはともかく、新組織への採用候補者名簿に載せてもらえず「民進党清算事業団」に送られる「国労組合員」(リベラル派)はどうすればいいのだろうか。解雇撤回を目指して四半世紀、闘い続けた本物の国労組合員のように、どんなにひもじくても、苦しくても、最後まで信念を貫くよう私は求める。議員バッチを守りたいばかりに節を曲げる民進党議員の姿なんて私は見たくも聞きたくもない。たとえ議員バッジを失っても、国会の外で「国民との連立政権」を組めばいい。

 有権者は政治家が思っているほど愚かではない。何十年もかけて闘って、やっと勝ち得た政権交代。弱小政党の一員として非自民連立政権の一角を占め、さあこれからという時に、米軍基地の「県外」を求めて闘っている沖縄を裏切りたくないと、社民党は断腸の思いで政権から離脱した。消費税引き上げに反対し、行革で捻出した予算で「コンクリートから人へ」を実現しようとした小沢一郎氏は、勝手に消費税引き上げを決めた野田政権の下で、「約束を破りたくない」と信念に基づいて離党し、自由党を旗揚げした。それがどうだろう! 民進党が今まさに消えようとしているこの瞬間、社民党も自由党もしっかり残っているではないか!

 安倍首相から「こんな人たち」呼ばわりされた私たちは、彼らとは違う世界に生きている。金も権力もない私たちが大切に守らなければならないのは「命」と「信頼」だ。それこそが私たち唯一の資産だと知っていたからこそ、社民党は沖縄の「命」を優先して政権を捨て、自由党は信頼を優先して与党の座を捨てた。だからこそ今がある。

 議員バッジを守るために節を曲げ、おめおめと生き恥をさらそうとする民進党議員たちよ! 恥ずかしくないのか? 沖縄の命、有権者との信頼のために生きた社民党や自由党、「許せないものは許せない」と四半世紀、1人も職場に戻れなくても闘い続けた本物の国労組合員たちに、このままで顔向けできるのか? もう一度繰り返そう。権力や金などなくていい。政治家が命と信頼のために生きなくて何のために生きるのか? ひとりでも多くの民進党議員たちが、信念を貫き、「こちら側の世界」にとどまることを強く求める。これを求めることは私たちにとって当然の権利でもある。

 最後に、ここを見ている多くの有権者、市民の皆さんにも呼びかけたいと思う。今訪れているのは戦後最大の危機である。安倍と小池の闘いは、ヒトラー対ルペンの闘いであり、原爆と水爆ならどちらがよいかと聞かれているようなものである。今さらじたばたしても仕方がない。私たちにできることは何か? 私たちが持っている小さな決意、小さな覚悟の火をみんなで持ち寄り、右翼を燃やし尽くす大火にすることである。

 私の政治上の「師」でもあった立山学さんは、私にこんな言葉を遺された。「暗闇が深ければ深いほど、小さな闘いの火でもよく見える」。今、私には、あちこちで灯されている小さな火が今までよりもよく見える。ここを見ている多くの人は、おそらくそれぞれが闘いの現場を持っているはずだ。基地と闘う人々。安全な食べ物を口にしたいとの思いで自由貿易に反対する人。世界中の原発と放射能を始末したいと考える人。貧困のどん底に落とし込まれ、生活保護を受ける以前にそのような制度があることさえ知らされず、もがいている仲間を助けたいと思っている人。保育園落ちた、日本死ねと思っている人。結婚すると、男じゃなく女が姓を変えなければならないのはおかしいと思っている人。それぞれに凄絶な現場がある。

 そのような凄絶な現場で格闘しながら、決して大言壮語するのではなく、自分の与えられた持ち場の中で、自分のできることを、自分にできる範囲で、最後までやり遂げよう。この仕事のためなら、自分の身が粉になってもかまわない――ここ10年くらいだろうか。私の周囲でも、それほど政治的な生き方をしているわけでなくても、そんな「自分なりの小さな決意と覚悟」を持った人が、少しずつではあるが、増えている実感はある。このような人々の格闘、奮闘こそが、草の根の民主主義を鍛え、国会情勢がどうあろうとも、憲法を守ることにつながってきたような気がする。そんな小さな決意と覚悟をみんなが持ち寄り、自己保身と差別排外主義に身を堕とした政治家たちを焼き尽くす大火にしよう。たとえ戦後日本が焼け野原になっても、そうすることでしか新日本の再生はない――そう思わざるを得ないほどの崖っぷちに私たちは追い詰められてしまったのだから。

 自分なりの小さな決意と覚悟で、地に足のついた闘いを続ける人たちの灯火は、しばらくの間、明るくともり続けるだろう。それは日本の闇の底なしの深さを物語っている。だがそこに現場がある限り、その火が消えることはあり得ないと断言する。日本の闇がいつ明けるかは私にもわからないが、とりあえず、私はもう少し自分の現場で小さな火を燃やし続けたいと思う。どんなに長く、暗くても、明けない夜はないと信じて。(2017.10.1)

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