安全問題研究会~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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【鉄ちゃんのつぶや記 第17号】鉄道「危機」の現場から~日立電鉄訪問記

2004-06-05 22:46:19 | 鉄道・公共交通/交通政策
 鉄建公団訴訟第15回口頭弁論を聴くために東京へやってきていた先週末、空き時間を利用して茨城県のローカル私鉄・日立電鉄に出かけてきた。日立電鉄は鉄道の廃止届を運輸局に提出している。

 私は鉄道を愛するファンのひとりとして「廃止になるから行く」というアプローチの仕方は本来、好きではない。長年にわたって疎遠になっている子供が、親が死にそうだと判った瞬間突然親元へ行くようなもので、もしこれが人間だったら「何をしに来た。帰れ!」と言われても仕方がないだろう。そう言うわけで、こんなアプローチの仕方は避けられるなら極力避けたいものだが、日本列島のあちこちで間断なく路線の廃止が決められている今日、どうしても廃止予定線は優先して出かけざるを得ないこともまた事実なのである。

 しかも、今の鉄道事業法では地元の同意が得られなくても、届出から1年後には鉄道事業を廃止できることになっている。同法はさらに、地元との協議が整えば廃止までの期間を1年から短縮することも認めており、のんびり構えていると突然廃止が前倒しされることもあり得るのだ。それに、いざ廃止が近づいてくると、常識をわきまえない“マニア”たちがどこからか湧いてきて、その路線・車両をじっくりと眺めることが困難になってくる。

 それならもっと早く行けばいいものを、と思った人もいるかもしれない。実際、私はこの日立電鉄訪問を1999年秋に一度計画したことがある。JR全線完乗を目指している私にとって、JR水郡線(水戸~郡山)が未乗車のままになっているのが心苦しかったので、水郡線に乗るついでに行こうと計画に組み入れていたのである。

 だが、まさに行こうとしたその矢先の1999年9月30日、「事件」が起こった。水郡線と日立電鉄から至近距離にある茨城県東海村で、作業員に死傷者を出すJCO東海事業所の臨界事故…ちょっとのことでは動じないこの私もさすがに放射能漏出と聞いて寒気がした。計画は延期し再訪を誓ったが、結局そのまま機会を逸し、水郡線と日立電鉄は未乗車のまま今に至っている。

 前置きが長くなったが、日立電鉄に行くにはJR常磐線が唯一の交通手段だろう。上野駅で常磐線特急に乗り込む。常磐線は、「人らしく生きよう・国労冬物語」の上映呼びかけ人のひとりである記録映画作家・土本典昭さんの作品「ある機関助士」の舞台になっている路線だから、乗車したことがなくても情景が浮かんでくる人は多いかもしれない。

 上野を発車した列車はまもなく三河島駅を通過する。ここは1962(昭37)年、国鉄がATS(自動列車停止装置)を大規模に導入するきっかけとなった多重衝突事故(いわゆる「三河島事故」)が起こった場所である。上野発車から約25分後には我孫子付近を通過。上下線の線路に挟まれる形で、「人らしく生きよう」にも登場した山田則雄さんの職場…我孫子保線区PCリニューアルが見える。千葉県をしばらく走ったあと、取手からは茨城県。この取手駅が、割安運賃が適用される「電車特定区間」(昔の「国電区間」)の終点であり、「ある機関助士」で上野を目指した上り急行「みちのく」の機関助士が遅れ回復の目標とした駅である。取手を過ぎると車内灯が一瞬消えるが別に列車の故障ではない。常磐線には、直流電化区間と交流電化区間があるが、鉄道では異なる電気方式が混在する場合、その切替地点では両者を電気的に遮断するため、電流を流さない区間を設ける必要がある。そのための区間…「死電区間」(デッドセクション)が取手~藤代間にあるのだ。死電区間を通過した列車は交流電化区間に入り、走り続ける。

 牛久駅のすぐ隣には1998(平10)年開業の新しい駅、「ひたち野うしく」がある。しかし、ここに駅ができたのはこの時が初めてではない。1985(昭60)に筑波研究学園都市で「科学万博つくば85」が開催されたとき、「万博中央」駅が臨時に設置されたのがこの場所なのである。当時は万博会場以外に何もない場所だったから、万博中央駅は科学万博終了とともに当然のごとく廃止された。しかしその後、周辺は住宅地となり、鉄道への需要は高まった。13年の時を経てかつての「万博中央」は装い新たに復活したのだ。

 面白味がない路線だと思っていた常磐線も、こうしてみるといろいろ面白い路線だということに気付かされる。日立電鉄との合流地点である大甕(おおみか)駅には約1時間半で到着だ。JRでも難読駅名のひとつだろう。

 日立電鉄の大甕駅で時刻表を見る。すぐに乗れる時刻の列車があり、期待したが、日曜日は運休と知りややがっかり。仕方ないので(?)2人の駅員さんと話をしてみると、既に日立電鉄が鉄道から手を引くことは決定事項だという。しかし意外にも、第三セクター化してこの鉄道を残す計画があることも知った。だが、計画があるといっても話はそんなに単純ではない。「肝心の“太田の町”(常陸太田市のことだろう)が相手にしてくれない」と、初老の駅員さんは力無く笑う。それはそうだろう。初老の駅員さんにとって廃線は即、失業につながりかねない。笑顔を作る気になどなれなくて当然である。

 やがて電車の発車時刻になった。電車に乗り込み常北太田駅へ行く。駅舎などを撮影した後、折り返しの電車で大甕を通り過ぎ、終点の鮎川へ。再び電車や駅舎を撮影し、大甕に戻ってきたのは薄暗くなりかけた午後7時前だった。

 大甕ではまだ2人の駅員が駅の営業を続けている。地方私鉄なんて通学時間が終われば駅の営業を終了するところも多く、まして通学生のいない日曜日に2人も駅員を置いていることに驚かされたが、日立電鉄で窓口が開いているのはここだけだから不思議はないともいえる。

 駅ではいかにもファン向けの鉄道グッズを置いている。「常北太田~鮎川」と書かれた行先表示板に心を動かされるものがあったが、レプリカだと判ったので購入は見合わせようと思う。この手のグッズは本物だからこそ価値があるのだ。「これ本物じゃありませんよね?」と念を押すと、さっきの駅員さんは「本物は電車がなくなるまで出ないよ」と教えてくれる。駅員さんの親切には感謝するが、私もファンだからその程度のことは聞くまでもなく判っている。「本物の行先表示板が売りに出される」…つまり、電車がなくなる可能性をストレートに尋ねるよりも、婉曲的な表現を使う方が、より正確な情報を引き出せるかもしれないと思ったのだ。

 「お客さん、どうします? 買いますか?」帰り支度をする私を見て、駅員が尋ねる。行先表示板のレプリカのことである。「本物ではないので見合わせておきます」と答える。だが、それだけではお互いにとってあまりにも悲しい。いろいろ考えた結果、私は帰り間際にこう付け加えた。「本物の行先表示板が出たら買いに来ます。でも、本物が出てこないことを望んでいます」と…。

 そのとき、一瞬だが駅員に笑顔が浮かんだような気がした。たかが1年、されど1年。あきらめるにはまだ早い。頑張れ、日立電鉄!

(2004/6/5・特急たから)

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