安全問題研究会~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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こんなにおかしい!ニッポンの鉄道政策
私たちは根室線をなくしてはならないと考えます
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【ウクライナ侵攻1ヶ月】映画「ひまわり」(ソフィア・ローレン主演)テーマ曲

2022-03-24 22:31:50 | その他社会・時事
ウクライナで撮影、名作「ひまわり」上映広がる 「同じこと現実に」(朝日)

早いもので、ロシア軍によるウクライナ侵攻から1ヶ月となった。当初は短期終結が見込まれたこの戦争は予想外に長引いている。ロシア、ウクライナとも停戦交渉は続けているが、現状は「交渉のチャンネルは閉ざさない」というメッセージの意味合いが大きいように見える。

当ブログ管理人は、9条改憲を狙う改憲派が衆院ではすでに発議に必要な3分の2を握る中、この戦争が継続したままの状態で参院選に突入するのはまずいと考え、早期停戦を願ってきた。だが、ロシア、ウクライナともに政治・軍事両面で決め手を欠いており、当ブログが最も恐れていた展開--「停戦できず、戦争が継続したまま参院選突入」もそれなりに考えなければならない事態になってきた。

これ以上、この戦争のことを考えても今は決め手もないので、今日はウクライナにまつわる話題として、1970年制作のイタリア映画「ひまわり」を取り上げる。第二次大戦における独ソ戦の悲劇を描いた反戦映画で、ソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニ主演。一面にひまわりが咲き誇るシーンは、当時のソ連・ウクライナ共和国(正式国名「ウクライナ・ソビエト社会主義共和国」)のヘルソン州で撮影されたとされる。ヘルソン州での撮影には、ソ連の映画制作スタジオ・モスフィルムが協力している。モスフィルムは、これ以外にも「誓いの休暇」などの優れた反戦映画を世に送り出している。

今、半世紀前に映画で描かれたのと同じ事態が進行、ひまわり畑のすぐそばで独ソが激戦を繰り広げたヘルソン州は再び戦場となり、ロシアに制圧された。戦争に翻弄された主役たちを象徴するように、美しくももの悲しいメロディーが印象的な主題歌がアップされているので、曲だけでも聴いて現地に思いを馳せてほしい。

ひまわり テーマ曲


なお、ウクライナでの今回の戦争は現在「社会・時事」カテゴリーで扱っているが、もともとこのカテゴリーは他のカテゴリーに収まりきれない種々雑多な記事のために設けたものである。この戦争が長期化した場合、ウクライナ戦争を専門に扱うカテゴリーを新設する可能性があるので、お知らせしておきたい。4月末までに戦争が終結しなかった場合をひとつの判断時期としたいと考えており、当ブログとしては、その前に停戦となるよう努力を続けたいと考えている。

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<地方交通に未来を(4)>沼田町「鉄道ルネサンス構想」はローカル線の救世主となるか?

2022-03-23 18:19:41 | 鉄道・公共交通/交通政策
(この記事は、当ブログ管理人が長野県大鹿村のリニア建設反対住民団体「大鹿の十年先を変える会」会報「越路」に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 北海道で、廃線の危機に瀕している留萌本線沿線の沼田町が2021年9月に公表した「鉄道ルネサンス構想」(以下「構想」)が、玄人筋から注目され始めている。道内ローカル線の廃線問題のほとんどが決着した今となっては時すでに遅しの感もあるが、この構想が実現すれば、廃線復活も含めた反転攻勢も可能と思う。

 構想は全20ページ。「鉄道は今、あり方を考える時期に来ている」として「既存の制度にとらわれない新しい制度を考える」ためとその意義を説明する。「自家用車と比較して(複数人で利用する場合には)料金が高い」「駅からのアクセスが不便」「切符の種類が複雑で購入が面倒」「時間的な制約が大きい」(本数が少なく待ち時間が長い)などと現状のローカル線の問題点を指摘する。これらは、長年、全線完乗活動を通じて鉄道を見てきた筆者の実感と完全に一致する。こうした問題点が生まれた背景として、鉄道網が道内に引かれたのは明治から昭和中期までであり、自動車の普及で周辺環境が激変したこと、鉄道運賃が国鉄時代から変わらない距離制であること、固定費が高いため大量高速輸送では特性を発揮するが「輸送密度が低くなりがちな地方ローカル線に弱点」を抱えていることなどを指摘する。「地方ローカル線」という表現は「頭痛が痛い」というのと同じ二重表現で気になるが、指摘自体は適切だ。駅からのアクセスが不便なのも、自動車中心のまちづくりばかり続けてきた自治体の責任であり、指摘する資格があるのかという気持ちもあるが、そんな遠い過去を今さら問うても仕方ないので筆者の胸の内にとどめておこう。

 構想は、持続可能な鉄道を守るためには新たな収入源が必要であるとして、JR北海道の鉄道を会員制に変更するよう提案する。JR北海道の年間赤字額420億円を道人口530万人で割り、1人当たり年間8千円を負担すれば1年中、道内全線が乗り放題となる「フリーダムパスポート」の導入を訴える。パスポートは、会員と非会員との間で貸し借りを防ぐため顔写真入りにするという具体的なものだ。シルバープラン(高齢者割引)やファミリープラン(家族割引)なども提案。2人以上での利用だと結局は自家用車のほうが安いという問題の解消が期待される。

 沼田町は提案理由について「会員制度を魅力的にするには、スケールメリットと広いネットワークが必要」としている。乗客減少→減便→不便になりさらに乗客減少→廃線のスパイラルをこれにより断ち切りたいとの思惑だろう。利用者には「年会費制のため乗れば乗るほど得になる」メリットがあり、またJR北海道にとっては「景気に左右されにくい安定収入」が確保できるとしている。注目されるのは「現在の鉄道を上下分離により存続させても延命措置を施すだけとなり利用者は増加しない」と、最近の安易な上下分離ブームを戒めていることである。最後に、構想はそのまとめとして「JR北海道のこれまでの経営努力に敬意」を評しつつ「今こそ鉄道が大きく変わらなければならない時」であると締めくくる。

 筆者は読み終わってみて、ある種の清々しさを感じた。国からも道からも「廃線の手引き」ばかりが続けられてきたこの間の情勢を理解した上での「国、道への決別宣言」と筆者は受け止めた。「JR北海道のこれまでの経営努力に敬意」という表現ひとつとっても、「減便と廃線しか頭にないあなた方はもう結構です」という決別宣言と取れる。沼田町の不退転の決意が感じられる。この間、ローカル線問題を追ってきた筆者の目には、道内から提案される最後のJR再建策であるように見える。

 この再建策自体は決して奇をてらったものではなく、むしろ筆者が提案している「日本鉄道公団法案」によるJR再国有化よりはるかに実現が容易である。既存の法制度に一切手を付けることなく、営業施策の枠内で取り組みが可能だからである。会員制鉄道というと大上段に構えた表現に聞こえるが、若い世代にとっては「鉄道運賃料金へのサブスクリプション(サブスク)制の導入」だといえばそれ以上の説明は不要だろうし、中高年層に対しては「北海道全線で利用可能な定額制1年定期券」だといえば理解されるだろう。年間8千円という金額設定も、現行の通勤定期から見ても破格の安さである。

 この構想に懸念があるとすれば、全道民の加入を想定している点だと思う。鉄道沿線でなく利用機会もなさそうな道民が、自分が乗らない鉄道を支えるためだけに毎年8千円を払い続けるかどうかには疑問がある。むしろ、北海道の魅力を理解しているファンは道外にこそ多くいることを踏まえると、半分は道外会員でもいいと割り切るべきだ。

 日本の鉄道はもともと、その輸送力の大きさに着目した篤志家が資本を募り、線路を引いた。東海道本線などの主要路線も、東京の地下鉄もすべて建設は民間である。政府は富国強兵路線の中、戦争のために民間から鉄道を強引に買収し、さんざん戦争に使い倒した後、自動車普及で経営が悪化すると民営化の名の下、鉄道をポイ捨てにした。東日本大震災のとき、早々に被災地での配達を取りやめた日本郵政に対し、ヤマト運輸はがれきを乗り越え配達を続けた。民営化反対、公共サービス強化を訴え続ける筆者にとってはなはだ残念なことだが、日本では公共サービスの分野に関しても官より民のほうが優れていることを示す実例のほうが多い。だからこそ、筆者は日本鉄道公団法案を自分でとりまとめておきながら、実効性に疑問を感じるときがある。日本の鉄道の基礎を築いた民間の手で何か再建方策が考えられるならそれでもいいのではないか。今この瞬間も揺れ動いている。

 勝手に来店し、マスクもせず大声で話し続ける客に辟易して会員制を導入する飲食店がコロナ禍以降、増えている。客が企業を選ぶ時代は終わり、これからは企業が客を選ぶ時代に入ったといえる。

 鉄道も同じだ。「無駄なものには誰が何と言おうとビタ一文払いたくない」という考えが世界でも突出して強く、公共財なんて概念すら理解していない多くの日本人に「他の誰かのために必要な公共財だから税金で支えてくれ」などと説得をする段階はとっくに過ぎている。前回も述べたが、鉄道なんてもう支える意思を持つ人だけの会員制でいい。みずからの構想に基づく新たな会員制鉄道が実現したら、赤字線の廃止を主張してきた人の乗車は拒否するくらいの強い決意で臨むよう、沼田町には望みたい。

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【管理人よりお知らせ】「節電したくない。原発動かせ」とわめき散らすヤフコメ民2名に対し、制裁を加えました

2022-03-22 21:46:06 | 原発問題/一般
管理人よりお知らせです。

当ブログは本日、電力危機に伴う節電要請を伝えるニュースのコメント欄において「節電したくない。原発動かせ」とわめき散らしていたヤフコメ民に対し、制裁を加えました。

制裁対象としたのは、「即刻原発再稼働に向けて議論すべきだ。我慢などする必要はない。必要な電気は当然使わせてもらう」と放言した「kokoro6012」及び「存在するだけでリスクがあるのだから原発動かして欲しい」と主張した「ccc*****」の2名のヤフコメ民です。

そもそも、いま多くの原発が停止しているのは、各電力会社が好きで止めているからではなく、福島原発事故後に策定された新規制基準に基づく審査に合格していないことが理由です。規制基準は、原子炉等規制法に基づいて、原子力規制委員会が定めたもので、それを満たさないまま再稼働を認めれば、政府みずから原子炉等規制法に違反することになります。日本が法治国家である以上、国権の最高機関である国会が定めた法令による基準を満たしていないものは、たとえ電力不足で停電になろうと動かしてはならないのです。

にもかかわらず、停止している原発を動かせと主張するのは、原子炉等規制法違反となる行為をそそのかすものであり、犯罪教唆に当たります。政府が行っている節電要請に対する不満は理解できますが、今回の事態はコロナ禍、ウクライナ戦争、大地震のトリプルパンチによって引き起こされた非常事態であり、各界各層が協力して乗り越えるべきものです。

そうした事態の本質を理解せず、自分勝手なわがまま放題を繰り返したあげく、違法行為まで扇動したこれら2アカウントの悪質な言動は、もはや当ブログの忍耐の限界をはるかに超えており、「敵」認定した上で無慈悲に叩き潰すべきと判断しました。このため、本日、これら2アカウントをヤフーに対し、犯罪教唆として通報しました。たとえ匿名であっても、国民のためにならないふざけた主張、デマ、誹謗中傷を執拗に繰り返すアカウントとは徹底的に闘争します。

なお、当ブログにおける「敵認定基準」は、当ブログの基本的な運営方針に示しているとおりであり、「差別排外主義者、戦争・軍拡・原発・貧困推進勢力」に限定しています。当ブログがこの基準に該当しない人を敵認定することはありません。一方、この基準に該当し、特に悪質と判断した結果「敵」認定した相手に対しては、マルクス主義活動家として、今後も含め断固たる決意で臨みます。

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世界情勢を一夜にして塗り替えたロシアのウクライナ侵略戦争 第3次世界大戦に至る前に停戦を!

2022-03-21 21:36:00 | その他社会・時事
(この記事は、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2022年4月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 ●2世紀も戻った歴史の針

 2月24日、ロシアが引き起こしたウクライナ侵略戦争は、世界情勢を文字通り一夜にして塗り替えた。21世紀も5分の1をすでに終えた今日になって、20世紀どころか19世紀に戻ったかのような野蛮な帝国主義がこんな露骨な形で復活するとは予想さえしていなかった。近年の「戦争」は、国家対テロ組織のような形で行われるものが多く、互いに国連に議席を持ち、国際社会に承認を受けている主権国家同士のこれほど本格的な戦争は、米国の対イラク侵略戦争以来、約20年ぶりのことである。

 時計の針を2世紀も逆流させるような今回の戦争の発生は、多くの識者によって昨年秋くらいから予想されていたことでもある。ロシアが2021年から10万を超える兵力をウクライナ国境へ展開させていたからである。日本でもこのニュースは報道されている。

 軍事に疎い一般の人々にとって、10万が軍事作戦上どのような意味を持つのかを判断するのは難しいかもしれない。しかし、自衛隊の兵員数が陸15万、海4.5万、空4.7万、計25万(出典:令和2年版防衛白書)という数字を示せばその巨大さがわかるだろう。自衛隊の約半数と同規模のロシア軍をウクライナ国境に投入するという信じがたい事態が起きていたのである。ロシアのような広大な国土面積を持つ国では、兵員を移動させるだけでも莫大な経費がかかる。単なる軍事的威嚇のレベルでここまでの犠牲は通常、払わない。悪い意味でロシアの本気度を見せつけるのに十分な兵員数である。

 もうひとつは、ウクライナの死活的重要性である。ウクライナはロシアにとって裏庭というべき存在であり、ロシア革命によるソ連建国後、第2次大戦中の一時期、ナチスドイツに奪われたことがあるものの、ソ連が奪還した。以降、ウクライナはソ連内の共和国として存在し、ソ連解体後も現在のゼレンスキーが大統領に就任するまではずっと親露派政権が続いてきた。ウクライナはナチスから奪還後、ロシアにとって敵対的外国勢力には一度も割譲したことがない絶対不可侵の土地である。

 ソ連・ロシアでは第2次大戦中の独ソ戦を「大祖国戦争」と呼ぶが、ウクライナ東部では、ソ連軍とナチスドイツ軍が激突、死闘が繰り広げられ、多くの犠牲者を出した。世界地図を見ればわかるが、ウクライナ、ベラルーシ両国が親露派の手中にある限り、NATO(北大西洋条約機構)加盟諸国は陸路で直接ロシア領内に入れない。一方でここを失うなら、ロシアにとってウクライナ領内に展開するNATO軍と国境で直接対峙しなければならない。冷戦終結当時「NATOは1インチたりとも東方拡大させない」との約束が反故にされ、NATOに加盟したバルト3国(エストニア、ラトビア、リトアニア)とロシアはすでに国境を接する事態を迎えている。バルト3国は、ロシア革命後のソ連政府が自国に編入した経緯もあり、最初から自宅の裏庭だったわけではないから我慢できるとしても、戦後一度も親西側勢力に譲ったことのない「裏庭」ウクライナまで失うならば、それはロシアにとって悪夢そのものであり、第2次大戦後最大の危機といえる。盗人にも三分の理と言われるが、戦争では一方だけに100%責任があるということはなく、ロシアにもこうした「言い分」がある。もちろん、そうした理由があっても武力による国境線変更を正当化できるものではない。

 今、国内では何の罪もないロシア料理店が破壊されるなど、反ロシア感情が暴走する兆しも見え始めている。こうした嫌がらせは中韓両国に対する「ヘイトスピーチ」と同じであり、戦争とは別問題として毅然と対応すべきであることは言うまでもない。


<地図>ウクライナがNATOに加盟した場合、NATO軍はウクライナ経由で直接、陸路からロシア領内に侵入できる。

 ●理解できるウクライナ市民の心情

 全人類を何度も全滅させることができるといわれる6千発の核兵器をロシア軍は持つ。そんな超大国と戦いたい国などあるわけがなく、現時点ではNATO加盟国でもないウクライナはNATO加盟国にとって「集団的自衛権」の発動対象に当たらない。どこからも助けが来ないまま、早ければ2月中に首都キエフがロシア軍の圧倒的軍事力の前に陥落し、ウクライナは独立国家からロシアの事実上の衛星国になるか、最悪の場合、旧ソ連時代のような形(ロシア連邦共和国内の1共和国に格下げ)となる――本稿筆者もまたロシアによる開戦の時点ではそのようなシナリオしか思い描けなかった。

 ところが大方の予想に反し、ロシアによる侵攻開始から3週間を過ぎた本稿執筆(3月20日)段階でもウクライナ全土はおろか首都キエフが陥落する気配さえ見えない。ロシアは国際法違反を承知で大規模な軍事侵攻を仕掛けた行きがかり上、引くに引けない。一方、ウクライナはNATOに接近し、加盟を望むという「命知らずの政治的冒険」の過ちを犯したとはいえ、それだけで国際法違反に当たる一方的軍事侵攻を受け、屈服を強いられなければならない道理はない。危惧されるのは、お互いのメンツがぶつかったまま、落としどころが見つからず、消耗戦に突入して犠牲者数だけが積み上がることである。

 ウクライナは、スターリン時代、モスクワの党中央による非人道的飢餓政策が採られるなど「大ロシア」に虐げられた歴史を持つ一方で、第2次大戦後は旧ソ連を構成する共和国同士、ロシアとは家族のように仲良く暮らしてきた。そうした歴史と、西側とロシアの狭間で両文明の衝突を防がなければならない自国の微妙な地理的事情を踏まえることなく、バランス感覚を失い、NATO接近と加盟を訴える危険な人物をトップに選んでしまったことで、ウクライナ市民が払う代償は高くつきつつある。しかし、「民主主義は、これまで人類が経験してきた他の制度を除けば最低の制度である」(ウィンストン・チャーチル英元首相)という言葉通り、民主主義もまた多くの欠陥を抱えている。多くの国々で民主主義が選択されているのは完璧な制度だからではなく、単なる比較優位の結果に過ぎない。

 選挙で誤った人物を選んでしまうことは「自由選挙」である以上はいつでも起きうる。侵略決行を決断したウラジーミル・プーチン大統領が口を極めて非難するヒトラーもまた「正当な自由選挙」によって生まれた。米国ですらドナルド・トランプという奇特な人物をトップに選ぶことで国際的評価を大きく下げるという経験を最近したばかりである。プーチン大統領にとっての最善の道は、ロシアにとって家族だったウクライナとその市民を信じ、ゼレンスキー大統領が他の親露的人物に取って代わられるまで数年間我慢するという理性的な方法を選ぶことだった。だが、その数年間すらプーチン大統領は待てず、時計の針を2世紀も逆戻りさせる野蛮な帝国主義的侵略に打って出た。この暴挙を許すことはやはりできない。

 筆者にはウクライナ市民の心情は大いに理解できる。同列に論じられないかもしれないが、本稿筆者もまた2011年3月の福島原発事故以降、ずっと東京電力と闘い続けてきたからである。東電という企業には、一般的な企業が持ち合わせているような良識、常識はまったく通じない。ライオンがウサギを殺すにも全力を尽くすといわれるように、原発反対派をつぶすためにどんな卑劣な手段でも平気で使う。見え透いたデマやプロパガンダを平然と流し、1万の証拠を突きつけても事実を認めることも恥じることもない。いわば東電とその背後にいる原子力ムラは「日本経済界のプーチン」である。

 自分たちは何も悪いことをしていないにもかかわらず、一方的に生業を奪われ、生活を壊され、健康を害され、財産を毀損させられ、踏みにじられる。その原因を作った相手がどれだけ巨大であっても、自分の名誉・生活・健康・財産を守るために闘いをやめる選択肢はない。正直なところ、勝てるとは思えない。しかし、自分たちを見くびった代償がどれだけ高くつくかくらいは、せめて相手にわからせたい。武器を取るか取らないかが違うだけで、巨象と闘うアリの心境としては通じるものがある。筆者の立場上、戦争や日本の軍事支援に同意することは決してできないが、ウクライナの市民がロシアに屈せず闘い続ける心情には、寄り添いたいと思っている。

 ●今後の行方は?

 ロシアに戦争を止めさせる唯一の手段は、ウクライナが望むNATO加盟をあきらめさせることである。第2次大戦後、人の一生に匹敵する時間を家族のように暮らしてきたロシアの元に戻るか、ロシアの専制主義的政治体制に同意できないのであれば、せめて文明の衝突を防ぐ「緩衝地帯」として、政治的には民主主義を、軍事的には中立を維持する。前述した歴史、地理的条件を考えると、ウクライナにはこの2つの道しかない。

 大半の日本人にとって初めて聞く話かもしれないが、ウクライナのゼレンスキー大統領は元コメディアンである。政治経験、行政経験はなく、ポピュリズムと、旧ソ連時代、スターリンに虐げられてきたウクライナ国民の歴史的反ロシア感情をうまくくすぐり、大統領の地位を射止めた。「吉本興業のお笑い芸人が大阪維新に担がれて首相を射止めるようなもの」だと例えれば日本人にもぐっと理解が容易になるであろう。面白半分に維新所属の犯罪予備軍を選挙で連戦連勝させるようなことをしていては、日本もいずれ戦争を招き寄せることになる。日本人にとっても教訓とすべき事例だと筆者は考える。

 軍事力による現状変更は認められないという近代以降の世界が確立してきたルールに忠実であろうとするならば、今回の軍事侵攻でロシア軍が強奪し、支配下に置いた場所はウクライナに返すべきである。プーチン大統領は「民主主義的“自由選挙”の下では、自分たちの意に沿わない人物がリーダーに選出されることがある」ということを理解しなければならない。ロシアでもはなはだ不公正ではあるが「選挙」が行われており、自分自身もそれにより選ばれることで大統領の地位に就いているはずである。

 有権者は、公職に選ばれた人が自分の投票した人物以外であったとしても、ルールとして受け入れると同時に、全体の奉仕者として行動しているか任期中常に監視する。選ばれた公職者は「自分に投票しなかった有権者も含む国民全体」を代表しているのだという自覚の下に政治、行政を担う。この原則が貫かれる限り、「これまで人類が経験してきた他の制度を除く最低の制度」としての民主主義の地位くらいは少なくとも維持できるだろう。

 平穏期と動乱期が交互に現れ、その両極端を行ったり来たりするのがロシアの歴史であるという点で、ロシアに詳しい識者の認識は一致している。ロシアはソ連時代という安定期を終え、ソ連崩壊から始まった本格的動乱期に入ったと認識すべきである。これから2020年代末くらいまでは何が起きてもおかしくないと見ておかなければならない。

 ウクライナ侵略への懲罰として国際社会が科している経済制裁が実を結ぶかどうかは正直なところわからない。ロシアは何度もこのような極限の経済危機に直面しては、克服してきた歴史を持つからである。レーニン率いるロシア社会民主労働党(ボルシェヴィキ)が人類史上初の社会主義革命を実現したときも、世界はこの革命が広がることを恐れてソ連に経済封鎖を科した。ロシアの通貨ルーブルは紙屑同然になったが、スターリン政権は重工業部門での生産力強化と並行して無価値となったルーブルを事実上廃棄、チェルヴォーネツという新通貨を臨時に発行した。一部を金との兌換制(金本位制の部分的復活)とし、市場流通する財・サービスの総価値を超えるチェルヴォーネツの発行を禁止することで通貨価値を維持した。この大胆な新政策に成功し経済を急回復させたことがその後の「大祖国戦争」における勝利にもつながった。

 ウクライナ戦争に伴う制裁で今またルーブルが紙屑になっても、過去の歴史に学んだロシアが経済制裁に耐え抜くという展開もあり得る。広大な国土面積を持ち、エネルギー・食料から生活必需品に至るまで何でも自分たちで作ることができるという点もロシアの強みである。世界がロシアを必要とする時期は遠からず再びやってくる。この大国を追い詰めすぎることが得策とは思えない。

 一方、世界をあっと言わせる別の展開もあり得る。ロシアの再社会主義化である。荒唐無稽だと思われるかもしれない。しかし世界史の教科書を紐解き、もう一度、社会主義がどんなときに生まれてきたか調べてみるといい。戦争と動乱、格差拡大と貧困が同時進行するときに社会主義は生まれてきた。

 ロシアの中高年世代にはまだソ連時代の記憶が残っている。加えて、ロシア議会(一院制)には小選挙区制が導入されており、プーチン与党「統一ロシア」7割、ロシア共産党3割という議席構成になっている。ロシア共産党は、ゴルバチョフ大統領によるソ連解体と共産党解散に反対していた旧党員らがその後再建したが、ソ連のような一党独裁制は再び採用しないとしている。プーチン政権の政策に反対はしておらず準与党的立場にある。真の意味での野党は存在せず、そのことが「プーチン1強」の政治的土壌となってきた。

 このまま制裁による経済危機が長引けば、ソ連解体で巨大な財を成した「オリガルヒ」(新興財閥)がプーチンを見限る可能性がある。一方、プーチンは自分に敵対する者は許さないとして、オリガルヒの財産を接収し、国有化すると言い出すかもしれない。それは決して杞憂ではない。実際、制裁によってロシアから撤退したスターバックスやマクドナルドなどの西側企業の「接収」をほのめかす発言が「統一ロシア」幹部からすでに出ている。プーチンが統一ロシアを解党してロシア共産党と合流しそのまま全産業を再国有化(ロシアの再社会主義化)――冗談ではなく本当に起こりかねない。そのような可能性さえ視野に入れなければならない動乱期に、ロシアは突入しているのである。

 ●反戦の闘い続く

 野蛮な帝国主義的戦争の勃発によって、この2年、人類を悩ませてきた新型コロナ問題はすっかり後景に退いた感がある。新型コロナ感染拡大以降、人々の感情は自分自身の内部へと向かい続けてきた。長く続いた行動自粛とあいまって鬱屈した市民感情が、何らかのはけ口を求めるタイミングでウクライナ戦争は起きた。抑鬱的状態にあった市民感情が爆発的に解放された結果、はなはだ不適切な表現だが、日本国内にも世界にも妙な高揚感すら漂っているように感じる。まだまだ新型コロナの感染拡大が続く地域があるにもかかわらず、世界は科学的検証抜きに「ポストコロナ」時代という新しいフェーズに突入させられた。プーチンという野蛮で常識外れの指導者が「世界劇場」のカーテンを暴力的に引き裂いたのである。

 抑鬱的感情が解放された結果、市民はコロナを恐れず街頭で再び意思表示を始めた。2月24日以前はウクライナがどこにあるのかさえわからなかった市民までが、黄色と青の旗を振り、反ロシア感情をみなぎらせている。ウクライナ国旗の色は、青空とその下で黄色く実る小麦畑を象徴する。「木の枝をウクライナの土に突き刺せば、そのまま育つ」といわれるほど肥沃な土地を持つウクライナは世界の穀物倉庫として重要な役割を果たしてきた。そこでの戦争を止めることは、世界を食糧危機突入という事態から救う意味でも、価値ある行動であることは確かだろう。

 今月号の本誌はウクライナ情勢一色になると見込まれる。首都圏や関西圏での戦争反対行動に関しては他の執筆者に譲って、本稿では筆者も参加し、札幌で開催されたウクライナ戦争反対集会についてのみ報告する。

 3月19日、「戦争させない北海道委員会」主催のウクライナ反戦集会には、約200人が集まった。主催者を代表して、佐藤環樹代表(自治労北海道本部副委員長)があいさつ。「大阪では、都構想をめぐる住民投票が二度行われ、二度とも否決。2015年は橋下徹・大阪府知事が辞任。2020年は松井一郎・大阪維新の会代表が政界引退を表明した。改憲国民投票でもし負ければ、トップは辞任しなければならないことを与党は理解しており、だからこそ今年夏の参院選で改憲派に3分の2を与えれば、彼らは死に物狂いで改憲に全力を挙げるだろう」と参院選に向けた結束と「3分の2阻止」を訴えた。

 同委員会呼びかけ人の清末愛砂・室蘭工業大学大学院教授は「ウクライナ戦争を台湾有事に結びつけ改憲をあおる動きに断固抗議する」とロシアと国内改憲勢力を批判する一方、旧ソ連による侵略が行われたアフガニスタンについて、今日のウクライナのような世論の盛り上がりはなかったとして「私たちの中にあるレイシズムと不平等性を問いたい」とした。同じ戦争被害者なのに、世界のどこにいるどんな人々かによって関心に差を付ける日本の市民の意識に一石を投じる重要な問題提起として受け止める必要がある。

 岩本一郎・北星学園大学教授は核保有国による帝国主義的戦争が核抑止戦略を破たんさせ、冷戦時代さながらに人類を滅亡の危機に追いやっている、とした上で「プーチンに対し、勇気を持って民主的手段で反戦の声を上げているロシア市民を支えなければならない。21世紀を20世紀のような野蛮な暴力と戦争の時代に戻してはならない」と訴えた。

 北海道高等学校教職員組合に所属する20代女性労働者からも発言があった。「私は学者でも政治家でも専門家でもなく、地域の有力者でもないただの1人である。戦争を前にして市民にできることは少ない。しかし2015年の戦争法強行採決の際、テレビの前で怒っているだけでは何も変わらないと、初めて自分の意思でデモに参加した。黙っていてはいけないという自分の意思に背中を押された。会場に行ってみると、同じ思いの仲間がこんなにいたんだと思い勇気が出て、毎週のように仲間がいる会場に行くようになった」。

 札幌での護憲集会、反戦集会では必ず一般市民の発言枠が設けられる。労働現場で、デモや集会の現場で、闘いながら成長する自分の姿を生き生きとした言葉で表現する。その表現が空気振動のように、場を共有する参加者に伝わる。オンライン集会では決して味わうことができない久しぶりの臨場感。やはり街頭集会はいいと思う。「今日は久しぶりの大型の街頭集会ですよ」という市民の弾む声を開始前にも聞いた。ステイホームが始まって2年、市民はこの瞬間を待っていたのだ。

 「安保法は成立させられてしまったが、私たちの闘いによって強行採決せざるを得なかったという事実は残った。世界には逮捕される危険があっても街頭に出る人たちがいる。ロシアで声を上げる人たちへの連帯を表明し、世界中の人々が見ているよ、と伝えたい」――若き労働組合員からの訴えは続く。この日の集会で、発言者が異口同音に訴えたのはプーチン政権に怯まず平和的、民主主義的手段で闘う市民への連帯だった。

 この他、同じく戦争させない北海道委員会呼びかけ人の上田文雄・元札幌市長から「ロシア軍によるウクライナの原発占拠が、福島を経験した日本の市民の前で、よりによって3月に行われるとは許しがたい暴挙だ」との発言があった。

 ●小さな「予兆」

 集会翌日の20日。ロシア国営テレビで生中継されていたプーチン大統領の演説の映像が突然途切れた、というニュースが短く伝えられた。日本のメディアでは片隅扱いの小さなニュースを、しかし私は見逃さなかった。中継が途絶えた画面の向こう側で何が起きていたのかを、遠く離れた異国の地では知る術もない。だが、1989年、ルーマニアでチャウシェスク独裁政権が一気に倒れたとき、筋書きのないドラマは首都ブカレストで開催された政府支持の官製集会で、演説するチャウシェスク大統領を映す国営テレビの映像が突然途絶えるという小さな異変によって幕を開けた。ルーマニア語では、飢え、寒さ、恐怖を表す単語はすべてFで始まることから、チャウシェスク時代のルーマニアは「3つの“F”の国」と言われていた。その国で起きた小さな異変が、後の大きな歴史的政変につながるとまで予想できた人は当時、ほとんどいなかった。時として歴史は人々の思惑を超えて大きく動くことがある。この小さな異変は、もしかするとプーチン失脚という大きな歴史的出来事の序幕になるかもしれない。

(2022年3月20日)

2022.3.19 ウクライナ反戦集会@札幌

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3月16日の福島県沖の地震について

2022-03-18 22:54:57 | 気象・地震
令和4年3月16日23時36分頃の福島県沖の地震について (気象庁報道発表)

16日夜、福島県沖で発生した地震は相当の規模だった。当ブログ管理人の住む北海道内でも震度3を記録。揺れは優に1分以上続いた。揺れを感じ始めてから、感じなくなるまでに、2分くらいはあったかもしれない。東日本大震災以降では間違いなく最大規模だった。

若干の解説をしておきたい。

気象庁の報道発表資料9ページに、過去、周辺地域で起きた地震と今回の地震の震源地をプロットしたものが示されているが、昨年2月14日に起きた地震(気象庁報道発表)とまったく同じ震源地である。

そればかりではない。両方とも地震の規模はM7.3、発震機構(地震のメカニズム)は西北西-東南東方向に圧力軸を持つ逆断層型でまったく同じ。震源深さも昨年2月の地震が55kmで今回が60kmとほとんど同じである。今後の解析を待たなければならないが、昨年2月の地震が今回の地震の前震だったと評価されることになるかもしれない。

また、資料最終ページには、地震調査研究推進本部(地震本部)による三陸沖地震についての長期評価が転載されている。それによると、宮城県沖でのひとまわり小さいプレート間地震はM7.0~7.5で、12.6~14.7年周期のものもある。しかも、前回の発生が東日本大震災と同時となっており、現時点で11年経過している。

今回の地震が、その規模、周期から見て、この「宮城県沖でのひとまわり小さいプレート間地震」の発生として、後日、評価される可能性もあるように思う。一方で、そのように評価するには若干発生時期が早すぎ、また震源が南に寄りすぎで、プレート境界からも内側に寄りすぎている。

この記事を読まれたみなさんは、今後、地震本部がどのような評価をするか注目してほしい。もし、「宮城県沖でのひとまわり小さいプレート間地震」に該当しないと評価された場合には、今後、遠くない時期に宮城県沖地震がもう一度来ることになる。私たちは改めて、地震の巣の上に住んでいるのだという自覚を持ってほしい。

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ウクライナ問題をどう見るか(レイバーネットTVより)

2022-03-17 22:24:35 | その他社会・時事
ロシアのウクライナ侵略開始から3週間が過ぎた。大方の予想を覆し、ウクライナは善戦しており、ロシアは全土制圧はおろか、首都キエフ制圧も困難な情勢だ。

長期化の様相も見せ始めたウクライナ情勢をどう見たらよいのか。当ブログ管理人が運営委員を務めるレイバーネット日本のインターネットテレビ放送「レイバーネットTV」の3月特集番組がウクライナ情勢を取り上げている。

つまらないテレビのバラエティー番組を見るよりもこの問題の本質に迫れると思うので、ぜひご覧いただきたい。

レイバーネットTV第167号 : ウクライナ危機をどう見るか? 一緒に考えよう

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【週刊 本の発見】少女の澄んだ瞳が見た福島原発事故後10年の記録/『わかな十五歳 中学生の瞳に映った3・11』

2022-03-03 19:00:58 | 書評・本の紹介
(この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」の書評コーナー「週刊 本の発見」に寄稿した内容をそのまま転載したものです。)

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わかな十五歳 中学生の瞳に映った3・11』(わかな・著、ミツイパブリッシング、1,700円+税、2021年3月)評者:黒鉄好

 著者・わかなさんは、福島県伊達市に住む中学3年生の時に福島原発事故に遭った。それまでは親の敷いたレールの上を、いい子の仮面をかぶって走るのがいい人生だと信じてきた。そんな虚構を打ち砕いたのが3.11だった。この世で最も大切なのは「命」のはずなのに、親も教師も友人も自分自身をごまかし、命より他のものを上位に置き、平気で天秤にかける。その矛盾に心を苛まれ、わかなさんは何度も死を思ったと告白する。

 この葛藤は多くの福島県民に共通のものだ。震災死者数は岩手県5,145人、宮城県10,567人、福島県3,920人と東北太平洋側の被災3県の中で宮城が半数を占める。だが震災「関連死」は岩手県470人、宮城県929人に対し、福島県は2,319人で福島が3分の2を占める。自死や孤独死が大半だと思われる。先の見えない辛さ、それまでの人間関係を中心とする「社会関係資本」の喪失が、被災者の心理に大きな影響を与えるのだ。

 2011年3月11日はわかなさんの卒業式だった。望んでいた福島県内の高校にせっかく合格したのに、自分の意思で避難を決めたわかなさんは山形県の高校に編入となる。山形も放射能汚染されているはずなのに、編入先の高校の生徒たちが他人事で、福島を外国での出来事のように見ていることにショックを受ける。この高校生活が「暗黒の3年間だった」とわかなさんは言う。

 高校の友人の助言で、ツイッターに思いを吐き出すようになると、心配してくれる人の多かったのが北海道であり、移住への希望が募る。短大生の時、山形の自宅を出て北海道に移住。自分の気持ちに蓋をしようとして壊れてしまった多感な思春期は、それでも自分に正直に生きようと決めた今、貴重な準備期間だったとわかなさんは振り返る。

 読み終わった瞬間、痛みを感じる。著者わかなさんの純粋さが、大人たちのどんな小さな心の欺瞞も容赦なく撃ち抜くからだ。「嘘や、不正や、隠ぺいを野放しにしてきた積み重ねが、原発事故を招いた」(本書P.92)との指摘に評者は全面的に同意する。評者もまた各地に講演に招かれるたびに同じことを主張してきたからである。

 評者の政治上の師であった国労闘争団の故・佐久間忠夫さんは「14歳の時国鉄に入り、戦争が終わった。昨日まで軍国主義を唱えていた教師が無反省に民主主義に変わるのを見て大人を信じられなくなった」と、生前よく語っていた。わかなさんの澄んだ瞳にもそれと同じものを感じる。昨日まで信じていた価値観が目の前で崩れ落ちた77年前の焼け野原。2011年3月の福島も、日本にとって第2の敗戦なのだ。

 大人を信じず、自分の頭で考える人々が戦後民主主義の礎を築いた。77年後の今、私たちは再びスタートラインに立たされ、試されている。わかなさんは自分に正直に生きることを、読者はじめ他者へも求める。日本、そして日本人が壊れ墜ちた民主主義を再建できるかどうかは、どれだけ多くの人がいわゆる「大人としての分別」を投げ捨てられるかにかかっている。

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