安全問題研究会~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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【鉄ちゃんのつぶや記 第3号】12歳の凶行に思う

2003-07-18 22:21:56 | その他社会・時事
 長崎市で、4歳の男の子がパーキングビルの屋上から突き落とされて死亡し、12歳の男子中学生が容疑者として補導されるというショッキングな事件が起きてからほぼ1週間が経つ。この男子中学生は、主要5教科の学内テストで500点満点中465点を取ったらしいが、言動に幼稚さがあると伝えられる以外はごく普通の子だという。

 相も変わらずこの国のマスコミは、少年法改正を煽ってみたり、容疑者の顔写真をなんとかして手に入れネット上にアップしようと企む某匿名掲示板住人のことを面白おかしく伝えたりと、事件の本筋と関係ないところでそのバカさ加減を遺憾なく発揮するだけで、神戸の事件の時から全くと言っていいほど進歩していない。そんなマスコミに期待したところで事の本質はなにも見えてこないだろうから、マスコミなど無視して私なりにこの事件の持つ意味を考えてみることにする。

 まず最初に、私の少年時代を振り返ってみて、この12歳少年のようなタイプは身近にいたかを思い返してみる。

 答えは「イエス」である。私の教室の中にも、勉強ができテストではいつもこの少年と同じように高得点を取っているのに、言動が幼稚なため女の子からバカにされているK.S君(仮名)がいた。そのたびにいつも床を踏み鳴らして悔しがっていた彼のことを、私は今でも忘れない。

 私がそんな体験を持っているくらいだから、他にも心当たりのある方は多いだろう。
つまりこの「12歳の少年」と同じタイプの中学生は、今も昔も変わることなく存在していたのだ。

 でも、K.S君は決して人を殺めるような人間ではないと周囲には理解されていたし、事実そうだった。私が少年だった頃、鬱積した少年たちの不満は、ガラスを割ったり教師への暴力になったりと「上」に向かっていたと思う。それが最近は「下」・・・より弱いものへと向かうようになったのはどういう背景によっているのだろう?

 「子供は親を見て育つ」という。いつの時代も子供は大人の背中を見て育つ。つまり大人の生き写しである。頭の悪いマスコミは「昔と比べて子供の質が変わった」などとわけ知り顔で言っているが、それはウソである。なぜなら、人は誰でも生まれたときは真っ白であり「何も知らない」からだ。何も知らない赤ん坊が成長の過程で以前と違う価値観を持つようになっているとしたら、それは周囲の大人がそうさせているに過ぎない。変わったのは子供ではなく、彼らを取り巻く大人の方である。

 それでは大人はどう変わったのか? それは、ここに来ている人たちには改めて説明するまでもないだろう。虫けらのように労働者の首を切る企業。不当に首を切られた労働者の訴えを、ロクに聞きもせず切り捨てる裁判官(村上敬一、お前だ!)。御飯にふりかけでもかけるように、罪もないイラクの民衆の上に爆弾を振りかける「超大国」。右を見ても左を見ても、世の中弱いものいじめをする大人ばかりじゃないか!

 子供たちは見ている。そして知っている。大人たちがやりたい放題に弱いものいじめをしておいて、子供だけに「弱いものいじめをするな」と、どの面さげて言えるのか。自分は職員室でタバコを吸いながら、「子供はタバコを吸うな」と注意する教師と同じである。人まで殺さなくとも、そんな大人の姿を見て、子供たちはきっと思っているに違いない。「弱いものをはけ口にしてなぜ悪い。お前らがやっているのと同じようにしているだけだ」と・・・。

 少年法改正などで問題は決して解決しない。子供たちに突きつけられた「宿題」をやらなければならないのは、私たち大人の方ではないのか?

 私はまだ独身なので、子供を持たない。だから父親になると言うことがどんなことであるのか、理屈では理解できても感覚的には分からない。でも、将来そんな日が来るとしたら、生まれてくる息子や娘のテストの点数が少しくらい悪くたって構わない。

 美人でなくても、美男子でなくてもいい。

 ただ、他人の心の痛みが分かる人間であって欲しい。虐げられている人々の痛みを、我が痛みとすることのできる美しい「ひと」であって欲しい。

 そして、自分が虐げられても決して悲観しないで欲しい。社会の上に立ち虐げている人間こそ、働きもせず他人の労働を強奪して飯を食う厚顔無恥な連中だということを覚えておいて欲しい。自分がどんなにちっぽけな雑草であろうとも、その根が、その茎が、その葉こそが底辺から社会を支えているのだということに、誇りを持って生きて欲しい。

 そんな美しい「ひと」が多数派になったとき、きっと社会は変わってゆく。

(特急たから・2003/7/18)

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