安全問題研究会~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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【ご報告】安全問題研究会の請願が実現しました!

2023-04-29 23:58:18 | 鉄道・公共交通/安全問題
知床事故受け海上運送法などの改正法成立 罰則強化盛り込む(NHKニュース)

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知床半島沖で起きた観光船の沈没事故を受けて、運航管理者の試験制度の創設や罰則の強化を盛り込んだ海上運送法などの改正法が参議院本会議で可決・成立しました。

去年4月に知床半島沖で起きた観光船の沈没事故を受けて、国土交通省は7つの分野の66項目にのぼる安全対策をとりまとめました。

これらの中には法改正が必要なものも含まれるとして国会に提出された、海上運送法などの改正法が28日の参議院本会議で賛成多数で可決・成立しました。

改正法では、▼不適格な事業者を排除して安全管理体制を強化するため、運航管理者の試験制度を創設するほか、▼罰則を強化することが盛り込まれ、行政処分として出される輸送の安全確保命令に違反した場合、▽事業者への罰金を最高で1億円に引き上げるとともに、▽個人への罰金を150万円と重くし、1年以下の懲役刑も設けます。

また、沈没事故では、船長の出航判断についても課題が指摘されたことから、船長の資質の向上を図るため免許を取得する際の講習の内容を拡充し、修了試験を新たに創設することになりました。

斉藤国土交通大臣は「痛ましい事故が二度と起きることがないよう、国土交通大臣として責任を持って、旅客船の安全安心対策に全力を挙げていきたい」と述べました。
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今年2月24日、安全問題研究会など2団体が合同で行った要請行動で、国土交通省に対して2通の請願書を提出したことは、当ブログ2月25日付記事でお知らせしました。

1.JRローカル線問題に関する請願書PDF版
2.船舶の安全問題に関する請願書PDF版

今回行われた海上運送法の改正は、違法運航を行った船舶事業者への罰則(罰金)が従来、最高100万円だったのを、1億円に引き上げ、同時に1年以下の懲役刑を併科できるというもので、当研究会の要望通りの内容です。

・今回の事故が、単独の船舶の事故としては、少なくとも平成以降では最悪であること
・安全向上については国民の間でほとんど意見の相違がない(=反対されるような案件ではない)こと
・同じ国交省内に、高速バスの罰則引き上げの前例があること
・国交省として、新たな財政支出を伴わないため他省庁との協議も最小限で済むこと

当研究会では、請願が早期に実現した要因を、以上のように分析しています。

知床遊覧船・桂田精一社長に対しては、一部で「立件間近」とする報道も出ていますが、北海道警による捜査が現在も続いています。刑事事件としてまだ立件もされていない段階で、早期に海上運送法改正案が成立し、当研究会の請願書2の内容が全面的に盛り込まれたことは大きな成果です。請願提出にご協力いただいた皆様に対し、この場をお借りしてお礼を申し上げます。

当研究会は、今後とも、公共交通の安全の向上に向け、最大限、努力を尽くしていきます。

なお、鉄道局に対しては、先日成立した「地域公共交通の活性化及び再生に関する法律」の一部「改正」法が、請願書1の内容とはまったくかけ離れていることから、引き続き、政策の修正を求めていく考えです。

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原発全面回帰を「国の責務」 政府が狙う原発推進束ね5法案は廃案だ

2023-04-26 20:22:44 | 原発問題/一般
(この記事は、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2023年5月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 政府が今国会に提出、衆院での審議が続く原発推進5法案。「GX(グリーントランスフォーメーション)脱炭素電源法」の名で、電気事業法など性格も性質も異なる法案を審議も採決も一括強行突破するいつもの手口だ。5法案どれも問題だらけで廃案以外にない。

 ◎原発「推進基本法」に

 5法案の中でも最悪なのは原子力基本法の改悪だ。同法は日本が原子力の開発に乗り出す際、軍事転用(核開発)を防止するため、研究の基本的方向性を示す目的で制定された。原子力開発に「自主・民主・公開」の原則を盛り込み、原子力の憲法と呼ばれてきた。

 改定案で、政府は原子力開発の目的として「産業の振興」「地球温暖化の防止」の追加を盛り込む。経済のためなら原発事故で市民が死んでもいいという究極の「命よりカネ」政策だ。

 原発を通じたエネルギー安定供給を「国の責務」とする露骨きわまりない規定も盛り込まれている。再生エネルギーなどへの投資を妨げ、危険で未来のない原発依存を半永久的に固定化する。日本社会の未来さえも閉ざしてしまう。

 「エネルギーとしての原子力利用」は「福島第一原発事故を防げなかったことを『真摯に反省』した上で『原子力事故の発生を常に想定』し『防止に最善かつ最大の努力』が必要との認識に立って行う」と謳う。原発事故が起きることを前提とする、このどこが「真摯な反省」なのか。反省というなら原発は即時全機廃炉以外にない。

 あまりに恥知らずな法案に、かつて原発推進だった〝識者〟からさえ強い批判の声が上がる。鈴木達治郎・元内閣府原子力委員会委員長は「基本法は原子力利用の基本的な哲学や方向性を示すもの。なぜ改正するのか理解に苦しむ。推進側を後押しするための強引な基本法改正」だと批判する。

 北村俊郎・元日本原子力発電(原電)理事も「事故の教訓を忘れている。原発推進は経済的にも不合理な判断」と疑問を呈する。会社から「原発は安全。事故は絶対に起きない」と言われて購入した富岡町(福島第二原発の地元)の自宅は避難区域になり、帰還できないまま解体となった。
 
 ◎「40年」には根拠
 
 原発運転期間を原則40年、例外60年とする規定も、停止期間を運転期間に上乗せできる改悪でさらに骨抜きになる。「原則40年は目安であり根拠はない」という政府の説明は間違っている。

 東京電力が、福島第一原発3号機を設置する際に国に提出した「原子炉設置変更許可申請(三号炉増設)」資料には原子炉の「寿命末期、つまり四十年後」とする記述がある。東海第二原発建設時に原電が提出した設置許可申請にも「メーカーは(中略)主要機器の設計耐用年数を四十年としている」と記載されている。原発メーカーも電力会社も、寿命40年を前提に設計したことがわかる。

 法案は「耐用年数が切れても電化製品を使い続けろ」と要求するものだ。断じて許されない。
 
 ◎脱原発を果たすには
 
 原発推進「啓発」団体である日本原子力文化財団が毎年実施する世論調査がある。ウクライナ戦争後のエネルギー事情も影響した2022年調査では、再稼働容認の意見が増えた。だが詳細を見ると、再稼働に「国民の理解が得られていない」が46%。高レベル放射性廃棄物の最終処分場は51%が「しばらく決まらない」と回答している。

 今後日本が利活用すべきエネルギー源は太陽光73%、風力64%、水力55%に対し、原発は26%にとどまる。再稼働容認の理由では「電力の安定供給」35%以外、3割を超える項目はなかった。

 原発事故の危険を感じつつ「エネルギー不足」の宣伝の間で揺れる市民の意識が調査からうかがえる。

 ウクライナ戦争以降、エネルギー不足に苦しむドイツは、それでもメルケル前政権の公約通り4月15日限りで脱原発を実現させる。

 日本でも脱原発を実現するために、原発の実態が基本法と正反対の〝非民主・隠蔽〟であること、核ごみや健康被害、避難の問題を徹底して訴えよう。同時に、再生エネルギー安定供給の道筋を示すことも必要だ。

 ◎G7環境大臣会合に合わせ汚染水放出反対のアピール行動

 G7環境大臣会合が4月15~16日、札幌市で開催されるのに合わせ、札幌の市民団体・環境運動団体などが汚染水海洋放出反対やGX法案反対などのアピール行動を行った。このうち札幌駅南口広場では、「これ以上海を汚すな!市民会議」(福島)、「新宿御苑への放射能汚染土の持ち込みに反対する会」(東京)、「平和と民主主義をめざす全国交歓会(ZENKO)北海道」の3団体共同行動として、2日間で述べ約20人の市民が駅前を行く人に福島第一原発からの汚染水放出反対を訴えた。

 「新宿御苑への放射能汚染土の持ち込みに反対する会」は、東京都民の憩いの場である新宿御苑内の環境省施設に、福島県内の除染で出た汚染土のうち8,000bq/kg以下のものを持ち込む計画が浮上したことをきっかけに結成された。今年2月24日には、汚染土持ち込みの撤回を環境省に申し入れた。環境省は、文部科学省が事故当初、2011年に行った環境モニタリング調査の結果を繰り返すだけで、市民からの質問にもまともに答えなかったが、当初は2022年度中に行うとしていた持ち込みを3月中には行わないと回答してきた。本稿執筆時点では持ち込みはまだ行われていない。

 G7環境大臣会合に先立つ4月13日には、シュテフィ・レムケ独環境相(緑の党)が福島入りし、原発事故被害者の意見を聴く場が設定された。ドイツは、メルケル政権当時「2022年末までの脱原発」を公約。その後、ウクライナ戦争によるエネルギー事情悪化で実施を半年延期していたが、稼働中の3基の原発を4月15日限りで停止させ、公約通りの脱原発に踏み切った。G7環境大臣会合開催期間中のドイツの脱原発は、最近逆風続きの反原発運動にとって貴重な追い風といえる。

 レムケ環境相は、福島第一原発現地を視察、福島県が設置した「東日本大震災・原子力災害伝承館」も訪問した。この「伝承館」は、津波襲来時刻のまま止まってしまった時計、津波で流されたランドセルなど的外れのものばかりを展示。「誰も経験したことのない事態に(中略)対策に奔走しました」と関係者の頑張りをただ賛美し、「放射線に対する正しい理解の欠如や誤解」により「風評」が広がったと堂々と書かれているなど、国、県、東京電力の加害責任を徹底的に否定する。原発事故も津波同様「天から降ってきた」とでも言わんばかりの展示内容に、「原発事故の原因にまったく触れておらず、福島は復興に向けて頑張っているという美談だけが並べられている」(元福島原発作業員で県内在住の今野寿美雄さん)と怒りを買った代物だ。

 レムケ氏に展示内容を説明したのは、福島県放射線健康リスク管理アドバイザーも務める高村昇館長だ。事故直後の福島で、山下俊一・福島県立医科大学副学長とともに「年100㍉シーベルト以下の被ばくなら安全」と触れ回った人物である。

 だが、こうした数々の欺瞞にもかかわらず、レムケ氏は「震災と原発事故が人々にいかに苦しみを与えたか明確に知ることができた」と表明。本当に事態を知ろうとする姿勢があれば、どのような状況の下でも真実を知りうることを示した。

 ◎汚染水「放出支持」の共同声明盛り込みを阻止

 日本政府は、汚染水の海洋放出を「歓迎する」との文言をG7環境大臣会合の共同声明に盛り込み、お墨付きを得ることを狙っていた。会合終了後の共同記者会見では、西村康稔経済産業相が「処理水の海洋放出を含む廃炉の着実な進展、そして、科学的根拠に基づく我が国の透明性のある取り組みが歓迎される」と説明したのに対し、レムケ氏が「原発事故後、東電や日本政府が努力してきたことには敬意を払う。しかし、処理水の放出を歓迎するということはできない」と反発。西村経産省が会見後、「私のちょっと言い間違えで、『歓迎』に全部含めてしまった」と釈明。処理水の放出については「IAEA(国際原子力機関)の独立したレビューが支持された」と訂正する一幕があった。

 実際に、発表された声明は『我々は、(福島第一原子力)発電所の廃炉及び福島の復興に不可欠である多核種除去システム(ALPS)処理水の放出が、IAEA安全基準及び国際法に整合的に実施され、人体や環境にいかなる害も及ぼさないことを確保するためのIAEAによる独立したレビューを支持する(以下略)』(下線:筆者)となっている。「我々」が支持しているのは「汚染水放出の安全性確保のために行われるIAEAのレビュー」であり「放出」そのものではないことは何度でも強調しておきたい。レムケ独環境相が抗議しなければ、「放出」そのものが支持されたと受け止められるように意図的に誤認させる西村環境相の説明が既成事実となっていたことは確実だ。

 G7環境大臣会合に向けた市民のアピール行動と、レムケ独環境相への福島原発事故被害者による真摯な訴えが功を奏し、G7による汚染水海洋放出承認という最悪の事態だけは阻止することができた。

 この6~7月にも予定されている汚染水海洋放出を阻止できるかどうかは予断を許さない。だが、日本政府によるこの「同意取り付け失敗」により、仮に海洋放出が行われたとしても、同盟国であるG7各国の支持さえ取り付けられないまま、国際的孤立の中での強行という事実が残ることになる。

 世界の海は1つにつながっている。日本政府を国際的に包囲し、海洋放出を防ぐぎりぎりの攻防は今後も続く。

<写真>汚染水海洋放出反対アピール行動(札幌駅前)




(2023年4月23日)

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統一地方選 雑感

2023-04-24 19:15:30 | その他社会・時事
(以下の文章は、私がある知人に書き送ったもので、「大変興味深い」との感想をいただいたので、以下、転載します。)

今回の統一地方選、全体としては、私たち市民派にとって自民党以上に「好ましからざる勢力」の日本維新の会が躍進しました。好ましい面としては、与野党、左右、老若問わず女性が躍進したことです。私が個人的に感じたことを書きます。

<今回の統一地方選の特徴その1:「世襲・高齢・多選」「女性・若者躍進」の二極化>

統一地方選全体を通じて、地域・自治体の「二極化」が進んでいるように感じました。左右、上下、貧富といった昔のようなわかりやすい階層・イデオロギーによる分断でなく、①世襲、高齢、多選批判なんのその、世襲、高齢、多選政治家ほど楽々当選する自治体、②世襲、高齢、多選に対する強い批判で女性、若者が躍進する自治体--の二極化が進んだことです。詳しく分析したわけではありませんが、もともと①に属していた地域・自治体では世襲、高齢、多選がさらに進む一方、もともと②の傾向があった地域・自治体では、女性、若者の躍進がさらに進む--という形で、「①世襲・高齢・多選の町」「②女性・若者躍進の町」の二極化が鮮明になってきた感があります。

かつて(10年くらい前まで)は、①②のほぼ中間領域に位置し、どちらにも分類できない地域・自治体が多くありました。しかし、ここ数年、過密・過疎がさらに進んだ結果、中間領域に属していた地域・自治体が次第に①②のどちらかに収斂して行っているように感じます。

②の典型例は、手厚い子育て支援と、その裏腹の相次ぐ「暴言」で有名になった泉房穂・前市長の後継指名を受けた女性が当選した兵庫県明石市や、女性議員が半数を超えた兵庫県宝塚市議会、東京都杉並区議会などです。特に杉並区は、女性区長(岸本聡子さん)に、半数以上が女性の区議会が対峙する--という、日本では歴史上あまり例がない事態を迎えることになります。

逆に、①に属する自治体は全国至る所にあります。地方議員の「なり手不足」が言われているところはたいていこのパターンです。閉鎖性・排他性に嫌気がさし、女性・若者が町を出て行ってしまい、定着しないため、持続可能性に赤信号が灯っています。平たく言えば「10年後に滅びる町」です。

今回、みなさんにはご自分の住む町や周辺の町、また自分が関心や注目を寄せている町でどんな人たちが当選しているか、よく見てください。もし当選者が①のパターンになっているなら、その町は10年後に滅びます。

<補論:自治体の適正規模について>

今回の統一地方選では「自治体の適正規模」が見えてきた感じがします。上で私が挙げた②の典型例、つまり「女性・若者が躍進している町」の人口規模を見ると、明石市29万人、宝塚市22万人、杉並区56万人--と、おおむね20~50万人規模の自治体に集中しています。女性や若者の意見が取り入れられ、多様性も尊重された結果、民主主義が適切に機能する人口規模が見えてきました。

これより人口が多いと(100万人以上)、住民ひとりひとりの顔が見えなくなり、きめ細かな住民サービスを行うことが難しくなります。一方で、これより人口が少ないと(20万人未満)、密室で町を取り仕切る「地域ボス」が生まれ、やはり民主主義は機能しなくなります。

「地域ボス」に密室で町を仕切られないよう、多数による監視が働く程度に大きく、ひとりひとりの顔が見え、きめ細かな住民サービスが行き届く程度に小さい--これが民主主義が機能する条件であることが見えてきました。市町村のうち「市」には政令指定都市(認定基準人口100万人)、中核市(同50万人)、特例市(同20万人)がありますが、中核市・特例市クラスが民主主義が機能する自治体として最も適正な規模といえそうです。

<今回の統一地方選の特徴その2:組織政党の明らかな退潮>

一方で、今回の選挙では、自民・公明・共産のような、大勝もしない代わりに大敗もしない「安定の組織政党」が揃って退潮傾向を見せたことも大きな特徴です。自民党・公明党は統一協会問題や物価高批判、共産党は党員除名問題が響いていると思っていました。一般的には、投票率が下がっている今回のような選挙の場合、固定票を持っている組織型政党が有利のはずです。にもかかわらず、組織型政党が揃って退潮していることの説明がつきません。

ところが、前回(2019年)から今回の統一地方選までの4年間が丸々、コロナ禍だったという点を考慮すると、組織型政党が、通常は有利なはずの低投票率下の選挙で揃って退潮傾向を示した原因が見えてきます。

これら「組織型政党」は、対面型の選挙運動を全面展開してこそ最大のパワーを発揮します。どぶ板をこまめに踏み、手が筋肉痛になるまで有権者と握手し倒して1票1票、獲得していくのがこれら組織型政党の選挙運動です。コロナ禍で対面での運動が十分できなかったことが、組織型政党に不利に働いたという面を、こと今回の選挙に関しては見逃すことができないように思います。

今回がコロナ禍による「特殊事例」だったかどうかは、4年後の次の選挙で明らかになるでしょう。対面型選挙運動が通常通りにできるようになり、これら組織型政党が盛り返すのか、それとも退潮傾向が続くかによって、この先20~30年の大まかな流れが決まるでしょう。

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投票率低下と岸田首相襲撃事件~破滅への「帰らざる河」を渡ったニッポン

2023-04-20 23:36:52 | その他社会・時事
まったく盛り上がらない統一地方選全体の低調さもさることながら、またも選挙期間中に起きた岸田首相襲撃事件を見ていて思う。この国、ニッポンは、破滅に向け引き返すことのできない、最後の「帰らざる河」を渡ってしまったのではないか、と。

それは投票率にも表れている。保守が3分裂し、それなりに見応えがあったと思われる徳島県知事選ですら54.6%と半分を超えるのがやっと。女性スキャンダルが暴かれた現職に、対抗馬が共産新人と元NHK党新人だけという惨状だった神奈川県知事選に至っては40.35%と、知事選なのにもう少しで3割台に落ちるところだった。

ここ数年、選挙のたびに投票率は右肩下がりを続けている。国政選では50~55%くらいのことが多いが、この調子では50%を切るのは時間の問題だろう。「日本では、国民、特に女性や若者を強圧的に支配し、『日本版タリバン』と呼ばれてきた宗教原理主義政党、自民党による長期一党支配が続き、国内には沈滞ムードが漂っていました。今回、有権者の半分以上が選挙をボイコットしたことは、いつまでも変化の兆しが見られない原理主義支配に対する、国民の抗議の意思の現れといえます。以上、東京からお伝えしました」--こんなふうに伝える海外メディアも、きっと出てくるに違いない。

安倍元首相殺害事件の余波は、様々な形で今も続いている。死後半年以上経つ今もなお、ニュースで安倍元首相の名前を見聞きしない日がないほどだ。一方で、事件から1年も経たないのに再び選挙期間中を狙った現職首相襲撃事件が起きたことは、この国の底流で何かが壊れ、社会全体が深く暗い谷底に向かって引き込まれているような、言いしれない気味悪さを感じる。

「もう政治になんて頼っても仕方ない。政治家は江戸時代の大名と同じで、俺たちのことなんて領地領民としか思っていない。領民から五公五民で年貢を取り立て、自分たちだけは腹一杯食べ、政治に飽きたら息子に家督と領地領民を世襲で引き継ぐだけだ。そんな連中に対話など呼びかけても仕方がないし、選挙なんて江戸時代の寄り合いと同じでどうせ形式だけ。やる前から当選者は決まっている。そんな茶番劇になど興味はないし、できるならどんな手を使ってでも復讐してやりたい」--そんな危ういムードを最近の若い世代からはひしひしと感じるのだ。

政治家から発せられる「テロは民主主義への挑戦」だという学級委員のような綺麗事も、メディアが繰り出す「政治家の警備体制を考え直さなければならない」というお決まりの問題のすり替えにも飽き飽きする。問題は民主主義への挑戦でも警備体制でもない。「非合法的手段を使ってでも<政治それ自体>に復讐したい」「自民党を倒すのに選挙など無力。実力あるのみだ」という彼らの気持ちの<源泉>を突き止める努力をしないと、同じことは今後何度でも繰り返されるだろう。

コロナ禍と、それを背景にした各国政府の権力的な行動制限があり、ウクライナ戦争が起こり、そして安倍元首相は凶弾に倒れた。日本でも世界でも人心荒廃は限界に達している。積もり積もった鬱屈が、政府の権力をもってしても抑えられず、ほんのちょっとした「かがり火」でも引火、爆発しかねない状況に至っている。

世界は明らかに「動乱と転換の時代」に入った。このような時代には、「まさか」と思うような考えられない事態が、人知を越える形で進むことがある。第二次世界大戦において最も重要な戦勝国に数えられ、その終了とともに、United Nations(日本では「国際連合」と訳されているが、実際には「連合国」という意味しか持たない)を中心として確立した世界秩序の中で、安全保障理事会にかけられるすべての議案に拒否権を持つという形で最も特権的な地位を享受してきた大国が、みずからそれを壊しにかかるとは思いもよらなかった。通常の感覚で考えれば、戦勝国としての特権を失うことになりかねない自殺行為に等しく、益のない振る舞いであることは明白だが、そんな簡単なことですら理解できないプーチン大統領は、やはり衰えたというほかない。

合法的な手段に限定していては、自分の願いは果たせない。思いを遂げたいと願うなら、手段など選んでいる場合ではないのだ--そんな危険な合唱が、今、耳をふさいでいてもはっきりした声で聞こえてくる。日本も世界も明らかに「一線」を超えてしまった。それでも人類は、なんとか2023年の新年を迎えることができたが、2024年の新年も今年と同じように迎えることができるかどうかは予断を許さない。

これまで、日本国内では、政治的意味合いを持たせることなく、単純に時代を区切る用語としての「戦後」というキーワードが、ファーストフードを食べるような軽い感覚で使われてきたが、この意味での「戦後」ははっきり終わったと断言できる。現在は、次に来るのがどのような秩序になるのか、そもそも秩序自体が確立できるのかも見通せない不安定の中で、世界中の人びとが浮き足立っているように見える。

このような時代を、自分を見失うことなく生き抜くために必要なものは何か。私は「覚悟」だと思う。今日が自分の人生で最後の日になっても恥ずかしくなく、悔いも残らないように毎日を懸命に生き抜くことに尽きる。

中国には天地人という言葉がある。誰も見ていない場所、自分1人しかいない場所でも、天知る、地知る、我知る、人知るという。天、地、人、そして自分自身は自分の行いを常に見ている。この4者には誰も嘘をつくことはできない。子どもたちに、誇りを持って自分の生きる姿を見せられるか。戦争や原発など生命そのものを脅かす絶対的巨悪と覚悟を持って対峙できるかが問われている。

世界には190もの国があり、それぞれが自国中心主義の下に行動している。このような国際社会を束ね、新しい世界秩序を打ち立てるのは容易なことではない。「動乱と転換の時代」はしばらく(数十年単位で)続くだろう。私の生きている間に何かが打ち立てられること自体、ないかもしれない。「覚悟」の時代ももう少しの間、続くと思う。

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レイバーネットTV第182号 : 小出裕章さんに聞く〜「原発回帰」ホントにいいの?

2023-04-14 20:35:31 | 原発問題/一般
レイバーネットTV第182号 : 小出裕章さんに聞く〜「原発回帰」ホントにいいの?


レイバーネットTV最新、182号(4/12放送)は「小出裕章さんに聞く〜「原発回帰」ホントにいいの?」である。反原発の有名人、小出裕章さんのお話をぜひ聞いてほしい。以下は、視聴後に私が書いた感想である。

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六ヶ所村の使用済み核燃料再処理施設と福島第一原発の汚染水放出問題が関係している、というのは初めて聞く話でした。

小出さんの講演会には何度か参加しています。

話を聞くたびに思うのですが、すぐに数値の話に持って行きたがる御用学者と違って、小出さんのお話は「人間として我々はどのように生きるべきか」を説いていて、科学者というよりはむしろ哲学者のようです。

「いつ死んでもかまわない」という小出さんの死生観には強い共感を覚えます。3.11を福島で迎えたとき、私自身も「ああ、これで自分は死ぬんだ」と思ったからです。私もスピーチや講演を依頼されたときは「原発の電気を使うくらいなら死んだ方がマシだ」と発言し続けてきました。3.11以降の12年間、「今日が自分の人生最後の日になっても恥ずかしくないように生きよう」と思い、それを実行してきました。カネのために原発を動かし続けようとする人たちに小出さんや私のような覚悟があるようにはとても思えません。

ウクライナ戦争で未曾有のエネルギー危機に直面しながらも、ドイツは4月15日限りで原発を卒業します。メルケル政権に脱原発に踏み出すよう助言した「脱原発倫理委員会」の筆頭委員は社会学者ウルリッヒ・ベックでした(「危険社会~新しい近代への道」というベックの著書が日本語訳されています)。ドイツでは原発が「安いか高いか」や「エネルギーとして有効かどうか」ではなく、倫理や道徳の面から原発の是非が話し合われました。議論の結果、ドイツが選び取った結論は「倫理、道徳に反する原発は廃止すべき」でした。

原発は倫理、道徳に反している--この点での国民的合意を形成できたからこそドイツは脱原発を実現できたと私は考えています。未曾有の事故を起こした原発を反省もなく再び「最大限活用」するなどと寝言を言っている日本と、原発を倫理、道徳に反する電源と認定し、苦しいエネルギー事情の中でも脱原発に踏み出したドイツ。この違いはどこにあるのか。

ドイツにあって日本にないもの--それは「哲学」だと思います。人としてどうありたいか。日本はどんな国を目指すべきか。国際社会でどんなポジションを占めたいか。そんな大局的な議論を日本人がしている姿を、私はもう何十年の単位で見ていません。目先の課題も大切ですが、日本が滅亡の淵から脱したいなら、哲学を持つべきです。小出さんひとりにその役割を負わせるのでなく、私たちひとりひとりが「人間として我々はどのように生きるべきか」を自問自答し、他人にも回答を迫るべきです。その上で、原発をどうすべきか問うならば、答えはしかるべきところに落ち着くと私は信じます。

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<地方交通に未来を(10)>「点」路で暮らしは守れない

2023-04-13 23:25:08 | 鉄道・公共交通/交通政策
(この記事は、当ブログ管理人が長野県大鹿村のリニア建設反対住民団体「大鹿の十年先を変える会」会報「越路」に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 昨年7月25日、国交省に設置された「鉄道事業者と地域の協働による地域モビリティの刷新に関する検討会」によるローカル線問題に関する提言が公表されたことは、本連載第6回「騒がしくなってきたローカル線~鉄道40年周期説から考える」(本会報第29号掲載)でお知らせした。この提言を具体化するための法案を政府が国会に提出するのでは……との噂は昨年末くらいから聞こえてきていた。もし噂が本当なら、年明け早々に召集という通常国会のタイミングから逆算してすでに法案は完成しているはずだと考えた私は、年末に国交省鉄道局に電話取材。「検討中。それ以外は答えられない」が回答だった。

 国交省が提出したのは「地域公共交通の活性化及び再生に関する法律」(活性化再生法)の一部改定案。(1)輸送密度1000人未満の線区について、国が特定線区再構築協議会を設置して、鉄道事業者と「地域」との間で存廃の前提を置かず協議する、(2)従来は、持続が困難となった線区の沿線自治体側からのみ設置の申出が可能だった再構築協議会を、今後は鉄道事業者からも申し出ることができる――等を内容としている。

 活性化再生法は、地方の過疎化の進行により持続が困難になった地方交通を再構築するための特別法として、2007年に制定された。持続が困難となった公共交通の関係自治体が法定協議会を設置し、鉄道事業再構築事業の実施を含む「地域公共交通活性化再生計画」を策定、国土交通大臣の認可を受ければ関係自治体に補助金が交付されることになった。

 この制度は、持続困難な状態に陥った地域公共交通が手遅れになる前に対策を講じたいと考える自治体にとって、活性化の呼び水となるまったく新しいものであった。『抜本的な国鉄事業再建策を即刻実施し、これ以上国民の負担を増やさないように措置する必要』があり、そのために『毎年の赤字の発生をストップさせ、今後は赤字補填の借入金はもとより、財政援助をも国には求めない』(国鉄再建監理委員会答申、1985年7月26日公表)ことが国鉄分割・民営化(1987年)の最大の目標とされた。この答申を「丸呑み」して以降、「巨額の赤字を生み出したローカル線には今後、一銭の財政援助もしない」という方針を金科玉条のように守り抜くことが日本政府の既定路線だった。

 国鉄分割民営化からちょうど20年後、一定条件を満たせばローカル線に税を投入することを認める法律が活性化再生法の形で成立したことは、国鉄分割・民営化以来のローカル線切り捨て政策に重大な変更を迫るものとなった。今回の改定は、設置が沿線自治体の自由意思に委ねられていた法定協議会を、国が主導する形で輸送密度1000人未満の線区に「横展開」できるようにするものといえる。

 一方で、活性化再生法は重大な弱点も抱えていた。沿線自治体間で意見がまとまらず、法定協議会の設置ができない場合には、従来の枠組みのまま、地域公共交通が衰退していくのを座して見ている以外にない。バスと異なり、地域に大きな外部経済効果(間接的経済効果)をもたらす一方、輸送力が大きいため維持費も高い鉄道の再構築事業を行う場合であっても、予算措置されるのは輸送の「高度化」に関する部分のみ。最も肝心な鉄道の日常の維持管理費や運行費は財源化されなかった。このため、活性化再生法をもってしても、多額の運行経費がかかる鉄道の維持には消極的にならざるを得ない地域がほとんどであり、多くのローカル鉄道が消えていった。

 今回の改定案にも、運行経費の財源化は盛り込まれず、活性化再生法最大の弱点は解消されなかった。この状態のまま、国が主導し、鉄道事業者側からも協議会設置を求めることができるようになれば、各地域、とりわけ地方自治体の熱意や行政能力によって協議の行方は大きく左右されることになるだろう。熱意や行政能力の低い自治体しか持ち得ない地域では鉄道を存続させるのは難しくなるであろうし、財政力の小さい地方の市町村が、地場では有力企業である鉄道事業者に対抗するのは事実上難しいのではないだろうか。

 輸送密度1000人未満の区間について、協議会が認めた場合には別の運賃体系を設ける「認定運賃制度」も新たに盛り込まれる。認定運賃がどのように設定されるかは2通りの未来予測が成り立つ。ひとつは、初乗り運賃を2km以下の区間について100円に値下げした若桜鉄道のように大幅値下げとするケース。もうひとつは、地方交通線の運賃を幹線の1割増しとした旧国鉄~JRのように値上げとするケースである。その後の展開を見ると、若桜鉄道は大幅に乗客を増やす一方、旧国鉄~JRの地方交通線はさらに乗客の逸走を招き、それが今回の「提言」と活性化再生法改定を招いた。運賃引き上げは鉄道に代替手段がない大都市部では有効でも、地域鉄道では命取りになる。認定運賃制度により輸送密度が極端に低い区間のみ別の運賃体系が可能となると、極端な場合、遠くの駅に行くよりも、近くの駅に行くほうが運賃が高くなるような未来も排除できない。同じ会社の同距離であれば同運賃となるように設定されている現在の運賃秩序の崩壊は避けられないだろう。

 それでも、レールが残るならまだいい。最悪なのは、輸送密度が低い区間が廃線となり次々線路が断ち切られることだ。鉄道は、悪路でもハンドルを切り、ゴムタイヤで何とか乗り切れる自動車とは違う。たとえ1mでも線路が途切れていれば列車は先に進めずネットワークは途絶してしまう。報道によれば、「提言」が協議会入りを前提とする区間は全国で100カ所近くあるという。この100カ所で線路がすべて途絶した場合、日本の鉄道は全国どこに行っても行き止まりばかりになってしまう。

 鉄道はレールが線のようにつながっているからこそ「線」路と呼ぶ。全国100カ所もの区間で途切れて行き止まりになってしまえば、それはもはや「線」路と呼ぶに値しないだろう。「点」路とでも呼ぶ方が実態に合っているが、全国規模で運行されている貨物列車の中には、2泊3日かけて札幌から福岡まで走るものもある。この列車は今後、「点」路のどこを走ればいいのだろうか。

 ただでさえ日本経済は失われた30年で地盤沈下し、今やOECD(経済協力開発機構)加盟国の中でも労働者の賃金は下から数えた方が早いような状況になりつつあるのに、この上線路が「点」路になってしまえば生活物資の輸送すらままならなくなる。アジア諸国の経済成長は近年著しく、国民1人当たりGDPで日本は今年中にドイツに抜かれ、いずれインドやインドネシアにも抜かれるとする予測もある。「公共サービスである鉄道を民間企業の商売にし、儲からない区間を次々と廃止することで、物流をみずから崩壊させ、経済力を著しく衰退させた日本は、OECDから脱退させられることになりました」――アジア諸国の子どもたちの教科書に、いずれ、そんなふうに書かれる日が来るだろう。これが私たちの望む未来なのか。私たちは今、重大な歴史的岐路にさしかかっている。

(2023年4月10日)

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