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<スクープ!>復興庁の福島「風評対策事業」が電通にお手盛り発注! トリチウムゆるキャラ制作は復興庁の指示だった

2021-09-29 22:18:04 | 原発問題/一般
(この記事は、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2021年10月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 復興庁が今年春、トリチウム汚染水の海洋放出で発生が予想される「風評被害」対策の一環として「トリチウムゆるキャラ」を公開しながら、全国からの批判を受け即撤回に追い込まれるという出来事があった。危険な放射性物質をゆるキャラに仕立て、海を泳がせるというセンス、無神経さには呆れるほかないが、その制作を指示していたのは復興庁であることが、本紙が行った情報開示請求で明らかになった。

 ◎国の直接指示で

 本紙が行ったのは令和2年度「放射線等に関する情報発信事業」発注関係の情報開示請求だ。復興庁は、黒塗りを含む36ページの資料を開示した。

 「企画競争理由書」によれば、事業発注目的は「放射線に関する基本的な情報や福島の現状等について広く国民一般(特に、乳幼児・児童生徒の保護者及び妊産婦。)に伝え」ること。放射能への不安を持ちやすい層を明確にターゲットに打ち出している。

 特に重点を置く事項として「放射線以外のリスクを示しつつ、放射線リスクを相対化して発信する」ことを記載している点には注目すべきだ。事故直後、御用学者を大動員し「福島より国際線乗務員の被曝量の方が多い」「放射能よりたばこの方が身体に悪い」などのキャンペーンが繰り広げられた。放射能のリスク自体は否定できず、他よりマシという宣伝しかできないことは原発最大の弱点だ。そうした宣伝が国の直接指示によることを公文書で確認した意義は大きい。

 「マンガ、アニメーション、動画など親しみやすいコンテンツを作成する」との記載もある。ゆるキャラも復興庁の指示だった。


復興庁が公表した「トリチウムゆるキャラ」



<資料1>復興庁から開示された令和2年度「放射線等に関する情報発信事業」関係文書のうち「企画競争理由書」の一部。「放射線以外のリスクを示しつつ、放射線リスクを相対化して発信する」と堂々と指示している。

 ◎選定は電通ありき

 予定価格とその積算根拠はすべて黒塗りにされているが、企画競争理由書には契約予定金額を2億5千万円程度と記載している。通常、これほどの金額は一般競争入札としなければならないが、復興庁は入札になじまない案件を随意契約にできる会計法の特例条項を適用したと説明する。

 事業参加を希望する業者から事業目的を実現するための企画提案書を提出させ、発注者(復興庁)側が指名した委員がその内容を審査して業者選定するのが企画競争方式だ。開示された企画提案書審査基準及び採点表によれば、全15項目120点満点のうち「放射線に関する基本的な情報等」「福島の現状に関する情報」「インフルエンサー(ネット上で影響力を持つ人物)等を通じた情報」発信の実現可能性を問う3項目に各20点、計60点と全体の半分が配点されている。事実上この3項目を制する業者が「落札」となるが、実現可能性を審査基準にする限り、過去、類似事業に参加実績を持つ業者が有利なのは明らかだ。半永久的に電通だけに受注を保障する仕組みといえる。


<資料2>開示された「企画提案書審査基準及び採点表」。この3項目だけで120点満点のうち60点を占める。採否の鍵を握るこの項目で「過去の実績」を評価し電通に誘導できる。

 ◎あの御用学者にも電通マネー?

 国・電通一体となった赤裸々な「洗脳」計画を隠したいのか、電通が復興庁に提出した企画提案書は9割がた黒塗りとなっている。そのわずかな開示部分にやはり開沼博の名前がある。福島県民に寄り添うふりをしながら、放射能に不安を抱く市民や避難者を一方的に「風評加害」者と決めつけ攻撃する最悪の扇動者だ。その「功績」が認められ、立命館大准教授から御用学者の殿堂・東大へ華麗なる「栄転」を遂げた。

 「3・11から10年目の福島の課題」と題し、電通が開沼准教授に講演依頼したことが黒塗りの隙間から覗く。報酬支払の明示はないが、さすがに無料はあり得ないだろう。汚い電通マネーの一部が「新進気鋭の御用学者」に流れている可能性を匂わせる。

 今年4月14日の参院「資源エネルギーに関する調査会」。山添拓議員(共産)の質問に対し、角野然生・復興庁統括官はゆるキャラ作成費を数百万円程度と答弁した(注)。そもそも事業全体の費用は3億700万円で、この2億5千万円もその一部でしかない。3億7千万円との差額は何に使われたのか。開沼准教授への報酬があるとすればいくらか。開示文書からは新たな疑問も生まれた。


<資料3>契約予定金額を2億5千万円と予定。一方、復興庁はゆるキャラ制作費は「数百万円程度」と国会答弁している。差額は何に使われたのか?


<資料4>電通から復興庁への企画提案書。黒塗りの隙間から「開沼博」の名前が覗く。


<資料5>資料4の拡大部分


 ◎3.11までこれが原子力ムラの日常だった

 復興庁は、今回、国民からの批判で「トリチウムゆるキャラ」撤回に追い込まれたが、3・11前まではこれが原子力ムラの「日常」だった。

 1993年、動力炉・核燃料開発事業団(動燃、現在の日本原子力研究開発機構)が核燃料サイクルへの「国民理解」を進めるために登場させた「プルト君」にそっくりだ。当時もチェルノブイリ原発事故の直後で市民の原子力不信が高まっていた時期だった。市民、反対派を小馬鹿にした図柄、「原子力に反対する者がどんな目に遭うかわからせてやる」とばかりに反対派が静かにしていてもあえて挑発してくる傲慢さ。昔の悪しき体質の復活だ。

 2015年、政府は復興資金の財源捻出と称して復興特別所得税を創設。全国民に対し2・1%もの増税を今も続ける。その増税の使い道がこれでは、公開即削除となるのも当然だろう。

 3・11前まで「日本の原発からは毎日、放射性物質が漏れている」などと反対派が言おうものなら、直ちに推進派から嘘つき呼ばわりされた。今、推進派は「韓国の原発からもトリチウムは排出しているのだから処理水も流せ流せ」の大合唱だ。かつてと180度態度を変え、3・11前に否定していたことを白昼堂々と主張する。それも「隣の人は2回立ち小便をしているのだから自分も1回くらいしてもかまわないのだ」と臆面もなく主張する連中を同じ人間とすら思いたくない。

 原子力自体の危険性やコストなどの問題はもちろん、「原子力に携わる人びとや組織を信用できるか」もこの10年で問われてきた。やはりこんな嘘つきに日本の運命は委ねられない。

 ◎今後に向けて

 国の機関では、入札での応札者、随意契約での応募者が1者のみであった場合に事後検証が求められている。今後、類似の契約を行うこととなった場合に再び参加者が1者のみとなることがないよう、発注手法を改善させるためである。1者となった理由、より多くの業者が参加できるようにするための仕様書の改善などについて検証し、文書化することを義務づけている省庁もある。今回、この事後検証文書の開示も請求したところ、復興庁は当該文書を所持していない(不存在)と回答してきた。

 この回答からは、2つの可能性が浮かび上がる。1つ目は復興庁が事後検証とその後の文書作成を義務づけていない可能性である。2つ目は多くの省庁と同様、復興庁でも契約応募者が1者のみとなった場合の事後検証を義務づけているが「その必要がない」。すなわち応募者が電通以外にいた可能性だ。後者の場合、電通以外からの企画提案書の開示を請求することで、新しい事実を明らかにすることができるかもしれないと考えている。今後も情報開示請求を続け、ジャーナリズムとして読者の知る権利に応えたい。

注)参院「資源エネルギーに関する調査委員会」会議録(2021年4月14日)。

ここで、「復興庁のホームページを見て驚きました。トリチウムがゆるキャラのように登場しております。これは親しみやすさのためだと、そういう担当者の発言も報道されておりました。しかし、事故原発から放出されるトリチウムは親しむべき存在ではありません。六ページを見ますと、世界でも流しているといって、ほかの原発の排水と同じであるかのように強調までしているんですね。復興庁に伺いますが、この広報、どこに幾らで発注したものですか。」との山添議員の質問に対し、角野統括官が「御質問いただきました点、当該事業全体額、すなわち事業者の契約金額は三億七百万円でございますが、お尋ねのありました動画及びチラシ作成に掛かった金額につきましては、不開示情報のため詳細な金額は申し上げられませんが、今申し上げた金額の内数として、大体数百万円程度でございます。これは電通でございます。」と答弁している。

(2021年9月25日)

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【訃報】人見やよいさん(福島原発告訴団・福島原発刑事訴訟支援団最重要支援者/フリーライター)

2021-09-28 19:12:59 | 原発問題/一般
東京電力旧経営陣の刑事訴訟のきっかけとなった告訴・告発団体「福島原発告訴団」及び強制起訴後の刑事訴訟支援団体「福島原発刑事訴訟支援団」の最重要支援者である福島県郡山市のフリーライター人見やよいさんが、かねてよりがん闘病中のところ、薬石効なく、逝去されました。電話連絡を受けたのは27日早朝のことです。

人見さんは、福島県民のみに対象を絞った東京電力の第1次告訴から福島原発告訴団運動に関わりました。この間、全世界に対象を広げた第2次告訴から検察審査会による2度の起訴相当判決、強制起訴を経て東京地裁での裁判傍聴に至るまで、多大な貢献をしていただきました。福島原発刑事訴訟支援団ホームページに掲載されている「東電刑事裁判傍聴handbook」も人見さんが作成されたものです。イラストを交え、東電刑事裁判のポイントがわかりやすく整理されたハンドブックは関係者に大変好評でした。

福島で原発事故後、反原発運動に取り組む女性同士で集まる場では、「やいちゃん」と呼ばれ、親しまれました。ご本人のブログ「やいちゃんの毎日」は最近ではツイート自動投稿ブログ状態になっていましたが、地元・郡山市のタウン情報誌など多くの媒体に寄稿するなどによりライターとして生活してきました。得意の文章力・イラスト力を活かし、命の尽きる最後の瞬間まで情報発信を続けたことに、当ブログからも改めて謝意を表するとともに、お疲れ様と申し上げたいと思います。

東電刑事裁判の2019年9月の判決は、勝俣恒久・元東電会長ら3経営陣全員を無罪とする不当なものでした。検察官役の指定弁護士が、この判決がそのまま確定してしまうことは著しく正義に反する、との控訴趣意書をもって東京高裁に控訴。この11月2日に、控訴審の初公判が開かれるタイミングでの逝去となりました。東京地裁前で、集会の司会を元気に務める「やいちゃん」の姿がもう二度と見られないのだと思うと、改めて大きな悲しみが襲ってくるのを感じます。

「やいちゃん」との出会いは原発事故直後のことだったと記憶します。ファッションセンスがよく、お洒落で元気。当初、当ブログ管理人は自分より年下だと思っていたほどです。後に、自分より10歳も年上と聞いたとき、あまりの衝撃に思わず力が抜け、その場に座り込んでしまったのが、昨日のことのように思い出されます。

福島の反原発運動界隈でも一番の「元気印」だった「やいちゃん」に病魔が忍び寄っていることを知ったのは、2018年頃のことだったと思います。当ブログ管理人自身も2016年に胃がんが発覚、胃を全摘出する中でお互い気をつけようね、と言い合ったことも思い出されます。胃の摘出後、体調にほぼ問題なく推移してきた当ブログ管理人と裏腹に、「やいちゃん」の病状はどんどん重くなっていきました。抗がん剤がまったく効かず、放射線治療に切り替えましたが、「原発事故による放射線被曝に反対してきた私が何で放射線治療を受けなければならないの」と抵抗したと聞いています。そんな彼女を励ますために、「がんを克服し、長生きして、みんなで日本の原発最後の日を見届けようね」と言うと「そうだね」と言って笑った「やいちゃん」。約束は結局、果たされないまま終わりました。

「やいちゃん」が生きた原発事故後の郡山市は、チェルノブイリ並みの汚染が全域にわたって広がる厳しい状況でした。当ブログ管理人は、当然、チェルノブイリでの前例に倣い、福島市や郡山市は強制避難になるものと思っていました。しかし実際には日本政府は避難政策をどんなに進言されても頑なに拒み、汚染地に人を残す政策にこだわり続けました。その結果がこれです。日本政府の非人道的棄民政策は、多くの福島県民を死に追いやっているのです。

それでも、福島に残って反原発運動を続ける多くの人々にとって「やいちゃん」が元気であることがある種の希望になっていました。彼女だけはどんなことがあっても生き延びるだろう、という根拠がないけれど淡い希望が当ブログ管理人にもあったことは事実です。原発災害と放射能被害に対する意識も高く、知識量も豊富な彼女がもし生き延びられないとしたら、他の郡山市民の誰も生き延びられないのではないかという思いがありました。彼女「でさえ」生き延びられないのが福島、そして郡山市の現実だとするなら、今後、残された福島県民、郡山市民にはおそらく、もっと厳しい未来が待ち受けていると思います。

「がんを克服し、長生きして、みんなで日本の原発最後の日を見届けようね」という約束を果たせないまま旅立った「やいちゃん」。当ブログ管理人は、「やいちゃん」の遺志を受け継いで、必ず自分の命あるうちに原発を1基残らず滅ぼし去る決意です。

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以下の文章は、当ブログ管理人にとって反原発運動の戦友だった「やいちゃん」の死を受けて、原発避難者が参加している某メーリングリスト向けに投稿したものです。以下、再掲します。

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福島事故から早いもので10年ですが、このひとつの「節目」(と私たちはまったく思っていませんが)を象徴するかのように、10年間、思いをひとつに福島現地にとどまって闘ってきた方の訃報を耳にする機会が最近、増えました。

私が見知っている方だけでも、すでに今年に入り3人。

そして今朝早く、4人目の方の訃報に接しました。

福島原発告訴団、福島原発刑事訴訟支援団の最重要支援者で、郡山市在住のフリーライター人見やよいさん。ご存じの方もいると思います。

がんで闘病生活が続いていましたが、今年まだ還暦を迎えたばかりの、あまりに早すぎる別れです。

恐るべきことに、今年に入って訃報に接した4名の方は、全員が70歳に達せず、60歳代でのご逝去です。全員、あまりにも早すぎます。

過去、私は原発問題で何度も講演会の講師などを務めてきました。

その中で「避難生活が経済的に苦しくて疲れた。もう福島に戻りたい」とか、逆に「もう●年経っていますが、今からの避難でも意味があると思いますか」という質問を何度も受けてきました。

そのたびに私は「今ははっきりとはわからないけれど、事故から10年くらい経てば、避難した人のほうが正しかったとわかる日がはっきり来る。それも悪夢のような恐ろしい形で。だから、避難生活がどんなに経済的に苦しくても福島には絶対に帰ってはならないし、放射線被曝量は生涯累計なので、避難は時間が経ってからでもできるならしたほうがいい」と答えてきました。

この点は過去10年、まったくぶれていないし、考えがほんの一瞬といえども揺らいだことはありません。なぜならそれは、チェルノブイリで事故後に起きたことを見れば明らかだからです。

ウクライナ・ルギヌイ地区住民の健康状態(イワン・ゴドレフスキー/ウクライナ科学アカデミー)

私は、過去の講演会でこの資料を基に話をしたことがあります。

福島では事故の影響がはっきりしていない時期だったので、「先行事例」であるチェルノブイリの例を基に話すのがいいと考えてきたからです。

この資料を作成したイワン・ゴドレフスキー氏はウクライナ科学アカデミーの研究者です。ウクライナのような旧共産圏では、科学アカデミーは政府系研究機関で、どんなに成績優秀でも、共産党員の資格がなければ門も叩けないと言われてきました。

そのような権威ある政府系研究機関の研究報告書が、このような形で警鐘を乱打している事実があります。

この資料の終わりから3ページ目、「図9 1000人当り死亡率の年齢別グループ内訳(チェルノブイリ事故の前と後)」を見ると、チェルノブイリ事故(1986年)前の1984-1985年と事故5~10年後の1991-1996年では、60歳以下の若年層では死亡率はあまり変わらないものの、60歳以上では大きな差があり、特に65-69歳の年齢層では2倍もの差があります。

原発事故の被害では、若年層の甲状腺がんばかりが騒がれており、日本政府は意図的に人々の意識をそこに引きつけようとしていますが、本当の被害はむしろ高齢者の超過死亡という形で起きていることがはっきり示されています。

「高齢者は避難なんてしても仕方がない。それより早く避難解除して、ふるさとに帰らせてやったほうがいい」などという言説がまったくのデタラメであることがわかります。高齢者でも汚染地に帰る選択などしてはならないのです。

人見やよいさんを初め、今も福島に残って活動をしているみなさんは、それを自分の人生だと見定め、自分の意思で残った方がほとんどです。その人の人生であり、部外者がそれに口を挟める余地は最近ではほとんどないことから、私も事故後5年目くらいからは、避難を呼びかけるのは「要らぬお節介」になりかねないと、本人の意思を(仕方なく)尊重してきました。

しかし、10年目を迎えた今年あたりから、事故の影響がはっきり目に見える形になってきたな、と身震いする思いです。「逃げるは恥だが役に立つ」は真実です。

今、公務員宿舎から2倍家賃を請求され困難に直面している人を支える活動をしている人も、このMLにはいると思います。どんなに経済的に苦しくとも、困難に直面していても、命より大切にすべき価値観などありません。やはり避難はすべきだし、継続すべきです。

もうひとつお伝えしたいのは、郡山市の汚染状況です。

私は2013年3月まで、事故後の2年間を福島県西郷村で過ごしました。
外出時は常にマスク着用、水道水は飲まず、地元産のものは食べないという生活を続けてきました。

郡山市の汚染状況については「ほぼ全域がチェルノブイリ並み」という厳しい認識を持ち、不要不急の理由で郡山市に立ち寄ることは避けてきました。福島市は、事故直後3度出かけ、3回とも後日体調不良に見舞われたことから、「もはや人間の住む場所ではない」と判断し、その後一度も立ち入っていません。

一方、郡山市では「行くたびに体調不良」という極端な状況でなかったため、福島市に立ち入るのを避けるようになってからもやむを得ない事情で何度か足を運びました。汚染状況については、福島市渡利、大波などの極端な地域(避難指示区域と実質ほとんど変わらず)を見てきたせいか、福島市のほうが数倍、激しいという認識でいました。

しかし、福島市は実際には渡利や大波などの地域がある一方で、西部の土湯温泉など、子どもたちを数週間から1か月スパンで短期保養に出そうと思えば出せる程度には汚染の少ない地域も存在します。汚染状況はかなり「まだら状態」というのが実際のところです。

しかし郡山市はほぼ全域が高濃度汚染され、ほとんど逃げ場がないという状況で事故直後の数年間を過ごしました。この状況は現在もほとんど変わっていません。郡山市の汚染状態は、福島時代に私が認識していたよりもはるかに厳しい状態だったのかもしれないと、最近の相次ぐ訃報に接して、改めて感じています。

10年経った今、すでにほとんどの人が生き方を固めている中で、避難の呼びかけなどしてももう意味がない時期に来ていると私は思っていました。しかし、人見やよいさんのような意識、知識量いずれも高い方ですら生き延びられないという現実を前にして、いかに放射能の前に人間は無力かを改めて思い知らされ、打ちのめされています。

改めてみなさんにお知らせします。

1.いま避難をしている方は、絶対に継続すべきです。
2.今から避難を考えている方は、いまからでも遅くないので実行すべきです。
3.いま帰還を考えている方は、絶対に中止すべきです。

当たり前すぎるほど当たり前のことですが、最も心強い戦友を失ったいま、この原点に改めて立ち返るときだと思い、お知らせすることにしました。私がこんな当たり前すぎることをここで再度訴えなければならないほど、10年経っても福島現地の状況が深刻だという認識を、みなさんが改めて持っていただけることを望みます。

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【管理人よりお知らせ】「原子力推進派 今週の暴言・失言集」の連載を開始します

2021-09-23 23:32:55 | 原発問題/一般
管理人よりお知らせです。

空騒ぎに終わった東京オリ・パラに続き、今度はまたも自民党総裁選という一民間団体のボス選びにマスコミがジャックされる中、元々当ブログ管理人はテレビはあまり好きではなかったのですが、最近はますます見なくなりました。内外ともに問題は山積しているはずなのに、これら山積する問題はいつになったら取り上げられるんでしょうか。というより、もうメディアにそれを期待するのは無理だと思います。

原発問題も相変わらず重要なのに取り上げられる気配はまったくありません。そこで、「マスメディアがやらない/やれない課題だからこそ取り組む」という当ブログ開設時の原点に立ち返り、今回から新シリーズ「原子力推進派 今週の暴言・失言集」をスタートさせることにしました。

原子力推進派の過去の暴言・失言を集めた「図説 危険な話」(ふゅーじょん・ぷろだくと)という本が、チェルノブイリ原発事故後の1989年に出版後、絶版となっていましたが、2011年の福島第1原発事故を機会に復刻しました。当ブログは、最近になってこの「図説 危険な話」の入手に成功しました。

日本は今、自民党総裁選が続いていますが、この後、遅くとも11月中には総選挙があり、来年夏にも参院選があります。でたらめの限りを尽くしてきた原発推進派を日本の政官界から一掃し、反/脱原発派を1人でも増やすことが世直しのためにぜひとも必要です。

基本的には「図説 危険な話」に掲載されている原子力推進派の暴言・失言を基本にしますが、懲りない原子力ムラ住人たちは3.11後も当ブログが身震いしてしまうようなステキなネタを途切れることなく提供し続けてくれています。当ブログが独自に収集した暴言・失言も併せて紹介することで、原発推進派がいかにでたらめ、嘘つき、ペテン師かを明らかにしますので、総選挙、参院選に臨む有権者のみなさんの参考にしていただきたいと思います。

掲載は週1回としますが、掲載する曜日は特定しません。当ブログ管理人のスケジュールも週ごとに異なるため、決めないほうが柔軟に運用できるためです。

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●原子力推進派 今週の暴言・失言集【第1回】

●事故を起こした東京電力福島第一原発を含めて、事故によって死亡者が出ている状況ではない(高市早苗・自民党政調会長/2013.6.17 自民党兵庫県連会合で)

では、まず記念すべき連載の第1回は、自民党総裁選を記念して、今をときめく「ネトウヨの希望の星」高市早苗さんの素敵な発言から始めましょう。

もちろん、事故による死者は出ています。福島原発事故刑事訴訟では、避難指示区域内にあった双葉病院の入院患者たちが、避難途中に亡くなったことが業務上過失致死傷罪に当たるとして、勝俣恒久・東京電力会長らが強制起訴されています。1審・東京地裁は「津波は予見できない」として無罪判決が出ましたが、検察側が控訴しています。

双葉病院の入院患者たちは、確かに高市さんがおっしゃるとおり、直接的に事故の影響を受けて亡くなったわけではないのかもしれません。しかし、事故がなければ亡くならずに済んだはずの人々が、事故が起きた結果亡くなった。これは事故による死者ではないでしょうか。もし、これを事故による死者に含めないとしたら、どんな原発事故でどんな亡くなり方をすれば死者として認めてもらえるのでしょうか。「高市理論」では、世界中どこのどの原発でどんな過酷事故が起きたとしても、原子炉の中で直接火に焼かれることでもない限り、死者としては認めてもらえなさそうな雰囲気です。

まだ世界中の人々に福島第1原発事故の記憶が強く残っていた事故わずか2年後の時期に、こんなことを平然と言い放つような人物に私たちは日本の原子力政策を委ねるわけにいきません。原子力推進の立場であっても、事故が起き、犠牲者が出たという事実そのものは認めた上で、福島の反省を表明し「二度と事故を起こしません。エネルギー小国・日本が脱炭素や停電の危機を乗り切るために、仕方なく再稼働をせざるを得ないので、伏してお認めください」というならまだしも(当ブログは脱原発が実現するなら停電くらいしてもいいと思っているので、こう言われても困りますが)、事故で犠牲者が出た事実すら否認するという人と原子力政策でまともな話し合いが成立するとは思えません。

自民党総裁選の行方はまだ予断を許しませんが、少なくとも当ブログとしては高市さんだけは断固、阻止すべきだと思います。
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これから、毎週1回、こんな感じで「原子力推進派の暴言・失言集」を掲載していきます。日本の原子力ムラのとどまるところを知らない堕落・腐敗ぶりを、とくとご覧あれ!

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【訃報】小林久美子さん(元国労本部書記) タクシー暴走事故で

2021-09-20 10:39:51 | 鉄道・公共交通/交通政策
2021年9月11日、東京都内で、タクシー運転手が運転中にくも膜下出血で死亡。暴走したタクシーに歩行者がはねられ、6人が死傷する事故があった。この事故では、JR不採用問題について、長年、講談の形で告発を続けてきた講談師の神田香織さんがはねられ軽傷を負った。

福島県いわき市出身の神田さんは、2007年以降は「チェルノブイリの祈り」と題した講談活動も続けてきた。当ブログ管理人は、JR不採用問題、福島第1原発事故と原子力問題の両方で交流のある方である。JR不採用問題で続けてこられた講談を受け、2010年には著書「乱世を生き抜く語り口を持て」を出版された。

実は、この日は「経産省前テントひろば」発足10周年記念の集会が経産省前で行われることになっており、この集会に参加する予定だった。福島第1原発事故からちょうど半年後の2011年9月11日、全原発即時廃炉を目指す人たちが経産省前にテントを張り、24時間体制で寝泊まりするようになった。テントは2016年8月に警察によって強制撤去されるまで実に5年近く続き、実際、ここ宛ての郵便物は「経産省前テントひろば」と書けば届くほど認知されていた。

この事故では、小林久美子さんという女性が死亡した。以下の記事で、死亡した小林さんについて伝えられている。

5人死傷のタクシー事故、運転手が死亡 発進後に急加速か(朝日)

タクシー事故で死亡の女性「問題意識高かった」 同居する弟の無念(朝日)

小林さんが「20代から勤めていた労働組合」とは、記事にはないが国鉄労働組合(国労)である。小林さんが、長く国労本部で書記を務められた方であることは、JR不採用問題に関わった方、「根室本線の災害復旧と存続を求める会」関係者などからほとんど同時に連絡を受けて知った。

国鉄分割民営化を、一度は受け入れる方向に傾きながら、国労は、1986年10月、静岡県・修善寺で開いた臨時全国大会で、ヤジ・怒号が飛び交う中、国鉄改革法案の承認を反対多数で拒否する。山崎委員長ら執行部が責任を取って総辞職。分割民営化反対派だった六本木敏さんが国労委員長に就任する。国労は改革反対を貫いたがその代償も大きく、大半の組合員はJR新会社に採用されなかった。六本木執行部の闘いと、その後を襲った過酷な運命は「人として生きる―国鉄労働組合中央執行委員長339日の闘い」として出版されている。

就任したばかりの六本木新委員長を取材した、当ブログ管理人の知人ジャーナリストが私に宛ててきた私信がある。本人の転載許可を得ていないが、彼なら許していただけるだろう。差し障りのない範囲で紹介しておこう。

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国鉄分割・民営化反対闘争の取材にあたって小林さんには随分お世話になりました。とくに忘れらないのは、国労が1986年10月に静岡県修善寺で臨時大会を開き、労使共同宣言受け入れ路線をきっぱり拒否して闘う道を選択した際に新たに委員長に就任した六本木敏(ろっぽんぎ・さとし)さんをインタビューしたときのことです。

当時、東京駅八重洲南口にあった国労会館の委員長室をおそるおそる訪ねると、(アポはもちろんとってありましたが)どこの馬の骨とも知れない新参者のメディアを小林さんはやさしい笑顔で迎え、六本木委員長と引き合わせてくださいました。おかげで私は気持ちを落ち着け、六本木さんの決意あふれるお話をしっかりと聞きとることができました。

その後も国労本部を訪れる都度、丁寧に接していただき、あいさつ程度の会話でしたが穏やかながら芯の強さを感じさせるお人柄に触れて気持ちよく取材できたのを思い出します。

国労を退職された後も、国会前だったかでばったりお会いしたときに、地域などでさまざまな活動を続けていらっしゃると聞き、こちらも頑張らなくてはと奮起させられたものです。

なぜこんなすてきな方が突然逝ってしまわなければならないのか。不条理きわまりありません。合掌。
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小林さんは、戦後半世紀にわたって日本の労働運動を牽引してきた国労に本部書記として奉職し、文字通り、国労という大組織の栄枯盛衰すべてを内部から見てきた。その中には、日本の労働者階級人民のために秘さなければならない恥部、墓場まで持って行かざるを得ない暗部もあったことだろう。その身の処し方、矜持、労働者階級人民に奉仕し続ける気概には、当ブログ管理人も大いに学ばざるを得ないと思っている。改めて、こんな不条理な形で逝かざるを得なかった小林さんに対し、当ブログは敬意と深い哀悼の意を表する。

 ○     ○     ○

小林さんの死去を受け、急きょ、国労の運命を決めることになった1986年の臨時大会の模様を伝えるニュース音源をアップした。

1986年ニュースハイライト/国労、臨時大会で分割民営化受入を拒否


NHKラジオ第1放送では、毎年、年末に、その1年をニュースで振り返る「○○年ニュースハイライト」が放送されていた。この音源は、1986年12月31日放送の「1986年ニュースハイライト」から、1986年10月10日に国労が静岡県修善寺で開催した臨時大会の模様を伝える部分を抜き出した。わずか1分強だが、国鉄改革法(=分割民営化)を承認するかどうかをめぐって揺れる国労の内部対立の様子が伝わってくる。

この大会で、国労執行部は分割民営化を受け入れ、国鉄当局・政府との協調路線に転換する方針を提案するが、音声にあるとおり、賛成・反対両派のヤジ・怒号が飛び交うなかで採決に持ち込まれ、執行部提案は否決。山崎委員長ら執行部が総辞職。その後、分割民営化反対派の六本木敏さんが新委員長に就任することになる。

国鉄改革法案が参院本会議で可決・成立したのは86年11月28日なので、この臨時大会の時点では成立していなかったが、この番組の放送時点ではすでに成立し、JRへの移行は避けられない状態となっていた。「法案成立後も無益な抵抗を続ける国労」を聴取者に印象づけるため、国労の組織について「分裂はさらに深まる」などと報じるNHKの「政府・自民党御用放送」ぶりが昔も今もあまり変わっていないことも、この悪意ある(?)報道内容から見えてきて、興味深いものがある。

昔も今も、重大な歴史の分岐点、重要な政策変更の最前線では、常に政府・自民党に肩入れするのがNHKだという「歴史的告発」の意味も込めての音源を公開する。当ブログ管理人は「あの時代」を知る最後の世代だと思うが、当時を知る世代にとっては時代の雰囲気も懐かしく思い出されるだろう。そしてこうも思うのだ。「この国労への攻撃でさえ、ほんの“手始め”にすぎなかったのだ」と。

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【訃報】内橋克人さん死去 1986年に「原発への警鐘」出版

2021-09-12 11:48:34 | 原発問題/一般
内橋克人さん死去 人重視の経済に信念 環境、脱原発幅広く取材(神戸)

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 「今日に明日をつなぐ人びとの営みが経済なのであり、その営みは、存在のもっと深い奥底で、いつまでも消えることのない価値高い息吹としてありつづける」(「共生の大地」)。1日、89歳で亡くなった経済評論家、内橋克人さんの60年に及ぶジャーナリスト活動の底流に流れていたのは、市井の人々への温かなまなざしだった。

 12歳で神戸空襲に遭い、焼夷(しょうい)弾の下を逃げ惑った。1957年、神戸新聞で経済記者として歩みだした際は中小零細企業の取材に打ち込んだ。中内功氏(故人)が興したダイエーの草創期の熱気に触れたのもこのころだ。「神戸という地域と経済活動が重なる場の大切さ」を感じたという。

 67年、フリーとして独立後、夕刊フジで連載した「匠(たくみ)の時代」は後に数多くの文庫所収となるほど生命力のある作品となった。利益追求とは別の次元で動く技術者の群像。「どのような技術開発も、人間と地域社会が主人公」という確信に裏付けられていた。その後、競争が全てという市場原理主義や規制緩和万能論を怒りともいえる厳しい態度で批判したのも、人間重視の揺るぎない思想があったからにほかならない。

 「生きる、働く、暮らす」という営みにこだわった。巨大資本に翻弄(ほんろう)される自営業者、東京一極集中に追いやられる限界集落、農業自由化の波にもまれる農業者、震災復興に取り残される被災者…。「権力を背にした国家に代わって、もう一つの選択肢がある」として「共生経済」を提唱。環境負荷ゼロ、脱原発、エネルギー自給、地産地消の豊かな地平を丹念な取材で指し示した。

 戦争の悲劇を伝えることにも熱心に取り組んだ。2013年、神戸空襲の犠牲者名を刻んだ慰霊碑が完成した際も「再び同じ犠牲者を出さないよう、いまを生きる者が心に刻む場所であるべき。集団的自衛権などが議論され、歴史の岐路に立っている」と憂いた。

 今、感染症が現代社会の弱点を突いて拡大している。暮らしは脅かされ、生業は苦境に沈む。一方、動くべき政治は混迷の極みにある。時代を見据えた筆一本のジャーナリストに共生の思想を今こそ語ってほしかった。(加藤正文)
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少し遅くなったが、経済評論家・ジャーナリスト内橋克人さんが9月1日に死去した。謹んで哀悼の意を表する。

当ブログが内橋さんの功績としてぜひとも挙げておかなければならないのは、1986年に「原発への警鐘」を出版したことだ。講談社文庫からの出版だったが、福島第1原発事故後の2011年に朝日新聞出版から復刻版が出版されている。

この本の内容については、元原発技術者だったと思われる方の個人サイトの「原発と地域振興」コーナーでその一端が紹介されている。高木孝一・福井県敦賀市長(当時)が1981年の講演で「50年後に生まれてくる子どもが全員障害児になっても、儲かる原発は推進すべき」と発言したことも書かれている。高木元市長は、先日、当ブログで紹介した原発推進派議員連盟「電力安定供給推進議員連盟」の事務局長を務めている高木毅・自民党衆院議員の父親である。親子2代にわたって、このような人物が推進役を務めている限り、彼らがどんなにきれい事を並べようと、口先だけの「反省」や「謝罪」を何億回繰り返そうと、原発賛成とはならないのである。

当ブログが福島で経験したようなことを、二度と他の人たちには経験してほしくない。再生エネルギーが成功せず、途上国のように毎日停電が繰り返される事態になっても、当ブログは原発再稼働には断固反対する。停電したいなら勝手にすればよい。電気が足りないなら、足りる範囲内でライフスタイルを見直し、身の丈に合った生き方をするだけだ。

10年前の福島原発事故を教訓とし、1日も早く原発をゼロにする。これこそが、誰よりも早く、1986年段階で警鐘を鳴らしてくれた内橋さんへの供養になる。当ブログは、内橋さんの墓前に原発消滅を報告できる日が来るように、今後もあらゆる形で闘いを続ける。

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浦河町で日高本線廃線跡地の活用考える会議開催

2021-09-11 11:17:11 | 鉄道・公共交通/交通政策
廃線になったJR日高線の線路跡 浦河町で活用策考える会議(NHK)

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ことし4月に廃線になったJR日高線の鵡川・様似間を活用して町の活性化につなげようと、8日夜、浦河町で地元の人たちなどが意見を交わしました。

浦河町で開かれた会議には地元の人たちが集まったほか、オンラインで札幌市や千歳市から参加した合わせておよそ20人が意見を交わしました。

JR日高線の鵡川・様似間がことし4月に廃止された中、会議では浦河町に公園が少ないことから駅を町民が集まることができるコミュニティースペースに改修する案が出されました。

また、線路跡をサイクリングロードにして町の観光の活性化につなげていく案や、スピードスケートなどスポーツ選手のトレーニングに活用する案が出ていました。

会議に参加した女性は「みなさんいろいろ考えているなと思った。今後も意見交換をしながら伝えていけたらいいと思った」と話していました。

会議を主催した樋口倫崇さんは「線路については浦河町だけの問題ではないので、隣の町の人たちとも話していきたい」と話していました。

この会議を開いたメンバーは今後も意見交換を続け、アイデアを出していきたいとしています。
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報道の通り、9月8日、廃線となった浦河町内の旧日高本線跡地利用について考える町民イベントが、浦河町内の映画館「大黒座」ホールで開催された。大黒座は、戦前から続く道内ではもっとも古い映画館である。

8月に、浦河町が日高線の跡地利用策について町民からの意見募集を行った。「町民限定」という条件だったが、町外からでも閲覧できるホームページに掲載されている以上、町民に限定することは不可能だ。実際、札幌市からも応募があったほか、当ブログ管理人も「馬車鉄道運行」提案を行った。

メディアが取材に入っているとは思っていなかったので、報道されたとの地元町民からの連絡を受け、驚いたところ。急きょ、当ブログ管理人が浦河町に提案した内容をアップロードした(PDFのみ)。ぜひご覧いただいた上、ご支援をいただきたい。

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アフガニスタン情勢に思う

2021-09-10 18:36:30 | その他社会・時事
タリバンによるアフガニスタン全土制圧という事態が仮になかったとしても、今年は9.11テロ20年の「節目」として、元々、アフガニスタンに光が当たる予定の年でした。大手メディアの中には、9.11から20年の企画としてすでに番組制作を終えていた局、記事執筆を終えていた新聞社もあるかもしれません。

ソ連軍も米軍も勝てなかったアフガニスタンに、今後軍事介入をしようとする奇特な国は、(可能性ゼロとは言い切れませんが)しばらく現れないと思います。タリバンを掃討できそうな国内勢力も見当たらず、しばらくはタリバンの天下が続くと思います。

今回もし光が当たらなかったら、次に当たるのはかなり先のことになるでしょう。私たちの存命中に、もう一度光が当たるチャンスがあるかどうかというところではないでしょうか。だからこそここで私たちが頑張らなければ、との思いがありました。

米軍撤退の報道を受けて、アフガニスタンが再びタリバンの手に落ちるのでは……との予想はしていたものの、アフガニスタン政府軍は悪くても年内いっぱいくらいは保つと思っていたので、想定外だったのは「制圧の速さ」です。8月いっぱいも保たないとはよもや思ってもいませんでした。

しかし、カブール陥落から3週間経った今、改めて振り返ってみると、タリバンは「20年目の9.11」を目標に、意識的かつ周到に全土制圧準備を進めてきたのではないかと思えてなりません。

タリバン報道官は「シャリア法体制で民主主義の国はない」とアフガニスタンでの民主主義に否定的な発言をしていますが、イスラム教を国教としながら部分的にでも選挙を導入している国など、探せばいくらでも見つかるはずです。

アメリカの介入で前回、タリバン政権が崩壊して20年、不完全ながらも一定の自由や権利をアフガニスタン市民は享受してきました。籠の中から大空へ、一度羽ばたいた鳥がみずから籠に戻ってくることはありません。自由や権利の意味を知った市民が20年前と同じような状況に完全に戻ってしまうことはあり得ないと思います。そこに一縷の望みをつなぐことが、今後のアフガニスタン支援の鍵になるような気がします。

アフガニスタン情勢が、まずい方向に向かっているとはっきり自覚したのは、なんと言っても中村哲さんの死でした。地方の軍閥は、井戸を掘っている丸腰の民間外国人1人も守れないのか、と驚くとともに、アフガニスタンの今後の苦難を思いました。

多くのアフガニスタン人が、井戸を掘りに来る中村哲さんを心待ちにしていたと聞きます。現地の人に中村哲さんが愛されていたことはうれしく思いますが、アフガニスタン中の人々が心待ちにしていたら、1人しかいない中村哲さんが来るのはいつになるか分かりません。

哲さんを待つのではなく、ひとりひとりのアフガニスタン人が、自分で井戸を掘ろうと思うようになったとき、アフガニスタンは本当の意味で民主主義のスタートラインに立つのだと思います。それまでにどれだけの時間がかかるかは分かりません。しかしその日は遅かれ早かれ必ず来ると信じます。

私たち日本の市民にできることは、そのためのサポートだ……と書こうとして、ふと、一瞬手が止まりました。アフガニスタンの女性が置かれた過酷な状況は、ぜひ私たちが世界に向け発信しなければならない大切なことのひとつです。しかし、その前に日本の女性の人権状況は大丈夫なのでしょうか。

東京五輪組織委員長が「女がいると会議が長い」と放言して辞任したのはつい最近のことです。世界経済フォーラムが発表した「ジェンダーギャップ指数」では、日本はここ数年来順位は右肩下がりで、「政治」部門に限って言えば、156カ国中147位。つまり下から10番目でとうとうワースト10入りしてしまいました。

日本より下の9カ国は、カタール、ナイジェリア、オマーン、イラン、ブルネイ、クウェート、イエメン、パプアニューギニア、バヌアツ。ほぼすべてがイスラム圏か、男性の部族長が「酋長」などと呼ばれ、ふんぞり返っている部族国家ばかりです。

ここにアフガニスタンの名前がないことにも驚きます。「政治」部門のジェンダーギャップ指数で言えば、アフガニスタンより日本のほうが下という衝撃的状況に置かれています。国際社会はアフガニスタンより日本の女性の地位を心配しているかもしれません。

私は、日本とアフガニスタンの女性の人権状況を、同じ問題として捉えたいと思っています。まず私たち自身が、足下で自分たちの人権のことも頑張らなければならないと思います。米軍を70年近く駐留させている日本と、米軍を追い出したアフガニスタン。頑張らなければ、アフガニスタン市民の方が日本より先に「外国軍のいない本当の民主主義」を実現させてしまう、という冗談のようなことが現実になるかもしれない。

カブール陥落のニュースを聞きながら、ふと、そんなことを考えてしまいました。

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【管理人よりお知らせ】アフガニスタン情勢の急変に伴い、ブックマークに関連団体を追加しました

2021-09-09 22:04:32 | 運営方針・お知らせ
管理人よりお知らせです。

8月15日にタリバンがアフガニスタンの首都カブールを制圧して、まもなく1か月を迎えます。これに伴い、当ブログのブックマークに「RAWAと連帯する会」の公式ホームページ及びYoutubeチャンネルを追加しました。

RAWA(アフガニスタン女性革命協会)は、アフガニスタンで抑圧されてきた女性の権利全般、特に教育の権利を獲得しようと、1977年に首都カブールで結成され現在に至ります。女性の権利実現、宗教的原理主義反対、民主主義の政教分離を掲げて、学校や孤児院を建設し、教育活動も行ってきました。

結成以来、今年で44年になりますが、その間、アフガニスタンが平和だった時期はまったくと言っていいほどありません。中央アジアの戦略的要衝に位置し、5か国と国境を接するこの国は、常に周辺諸国からの介入圧力と戦乱にさらされてきました。

そのRAWAの活動を、日本から支援しているのがRAWAと連帯する会です。当ブログ管理人は、アフガニスタン戦争直後の2002年頃からわずか数年の短期間でしたが、RAWAと連帯する会の活動に関わりました。

2001年、ニューヨークの世界貿易センタービル2棟が、ハイジャックされた航空機2機の相次ぐ突入によって破壊された衝撃的テロからあさってで20年を迎えます。米軍の軍事介入で「排除」されたはずのタリバンが復活するという新たな事態を迎え、せめて、「何が起きているのか知りたい」というみなさんのために、当ブログ管理人が知っている唯一のアフガニスタン関係団体として、当分の間、当ブログのブックマークからRAWAと連帯する会のホームページ、Youtubeチャンネルに飛べるよう、ブックマークに追加することにしました。なお、スマホ・タブレット端末ではブックマークは表示されないため、この記事のリンクから閲覧していただきたいと思います。

RAWAと連帯する会のブックマーク掲載期間をいつまでにするかは決めていません。当面、年内いっぱいは掲載しますが、年明け以降は未定です。とはいえ、昨年、ルカシェンコ大統領の「当選」に端を発し、ベラルーシで市民の抗議行動が始まった際も「ベラルーシの部屋」を「当面の間の措置」としてブックマークに加えましたが、結局、現在まで掲載したままになっています。情勢が好転する兆しがないこと、「ベラルーシの部屋」の活発な更新が続いていることもあり、こちらももうしばらく掲載を続けたいと思います。

この結果、現時点で当ブログのブックマーク掲載サイトは25になります。これ以上はさすがに管理も困難なので、整理したいとの思いはあるものの、これらはいずれも何らかの形で当ブログ管理人が関わっているサイトであり、整理もできずに困ったものです。

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ローカル線衰退史としての「全線完乗」

2021-09-07 20:31:53 | 鉄道・公共交通/交通政策
(この記事は、当ブログ管理人が長野県大鹿村のリニア建設反対住民団体「大鹿の十年先を変える会」会報「越路」に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 筆者は鉄道全線完全乗車に取り組んでいる。多くの鉄道ファンも取り組んでおり、国鉄時代には「いい旅チャレンジ20000km」という国鉄公認のファン向けキャンペーンが行われたこともあった。筆者はJRが発足した1987年に初めて全線完乗を意識したが、当時はまだ高校生で本格的活動にはならなかった。就職後の1997年11月、鉄道雑誌の付録だった完全乗車地図で乗車済路線を塗りつぶすと半分以上が埋まっていた。「よし、やるか」と決心したのはこのときである。国鉄分割民営化のあおりを受け凍結されていた整備新幹線第1号、高崎~長野間の開業を控え、鉄道ファンには有名な「碓氷峠」を超える信越本線・横川~軽井沢間が廃止されると聞き、出かけたときのことだった。

 本線を名乗る路線が廃止されるのは、特定地方交通線となった名寄本線を除けば初めてだった。鉄道はたとえ1センチでもレールが途切れればネットワークとして機能しなくなる。1区間とはいえレールを途切れさせる前例を作った横川~軽井沢間の廃止は今思い返しても日本鉄道史に残る汚点であり、愚策だったと思っている。

 全線完乗といっても統一的ルールがあるわけではなく、ルールは自分なりに決めればよいが、ポイントレールがある駅ではすべてのポイントレールを通過しなければならないという厳しいルールをみずからに課している人もいる。あまり厳しいルールでは自分の心が折れてしまう一方、8割方のファンから「それなら完乗達成と認めてもいい」と納得感をもって迎えられる程度には厳しいルールである必要がある。最低限、乗車しない区間(中抜け区間)があってはならないことは完乗を標榜する以上当然だろう。筆者が自分に課しているルールは以下のとおりである。

1.JR線のうち、旧国鉄から継承した路線の名称は「日本国有鉄道経営再建促進特別措置法施行令別表第一」の例によることとし、JR化以降に開通した路線は国土交通省が認可した路線名による。ミニ新幹線区間は在来線とみなして記録し、私鉄の路線名は時刻表掲載の路線名とする。

2.独自の営業キロを持たない新幹線区間(東海道・山陽、上越、東北(盛岡以南))も完乗の対象とする。

3.二重線籍区間を乗車した場合、線籍を共有する関係路線すべてに乗車したものとする。

4.夜行列車で就寝中に通過した場合も乗車に含める。

5.ポイントレール、側線等は考慮しない。

6.貨物線など、通常旅客列車が走行しない区間を走行する列車に乗車した場合は、当該区間がJR旅客会社の第1種免許区間(旅客会社が第一種鉄道事業を行う区間)である場合に限り参考記録として整理する。

7.すでに乗車を終えた区間で、(1)路線延長があった場合は、延長開業初日をもって新たな未乗車区間が発生したため完乗の記録喪失となり、延長区間の全部に乗車した場合に再度完乗達成とする。(2)JR→第三セクター、JR→私鉄のように経営形態が変わった場合、乗り直しはしなくてよいが、「過去○○線時代に乗車済み」のように記録の補正を行う。(3)大規模な線路付け替えが行われた場合は、通常、乗り直ししないが、営業キロが変更となった場合、または建築限界測定車による建築限界の再測定が行われた場合に限り、新たな未乗車区間が発生したものとみなして、該当区間の乗り直しを行う。

 2011年の東日本大震災以降、今日まで10年以上にわたって、JRグループ全線に不通区間がなく、全線で列車が通常運行されたのは1日もない。常にどこかの路線が災害運休中であり、日本の「災害列島化」にますます拍車がかかっている。ここ数年は、被災路線が復旧する前に次の災害で新たな不通路線が生まれてしまう状況で、災害不通と復旧のいたちごっこは今日まで果てしなく続いている。大規模災害が経営基盤の弱いローカル鉄道を襲うケースも増え、災害になったら道路は復旧するのに鉄道はむしろ廃線になるのが当然というムードさえ出てきている。どちらも公共交通なのにこの差は一体何なのだろう。『各旅客鉄道株式会社及び日本貨物鉄道株式会社の輸送の安全の確保及び災害の防止のための施設の整備・維持、水害・雪害等による災害復旧に必要な資金の確保について特別の配慮を行うこと』とした国鉄改革法成立時の国会における附帯決議が守られなかったことが根底にある。鉄道が民間企業の経営で、鉄道自身を守るという名目で政府が自由に使える予算もないに等しい。鉄道事業法では事業収支見積書を提出し、黒字化の見通しが立たなければ新規路線開設を認めないと定めている。こんなばかげた法律はあり得ないと、この8月、ついに全国23道県知事が鉄道事業法改正を求めて国土交通省に直訴した。鉄道会社が廃止届を出したら1年後に勝手に路線廃止できる法律はおかしいという当たり前すぎる問題提起だ。

 毎年、少しずつ形を変えて襲いかかる大規模災害で、当初、40歳までに達成する予定でいた私の全線完乗計画は、今年50歳になっても達成できなかった。災害不通区間の中に未乗車区間が多く含まれており、存命中に達成できるかも怪しくなっている。その上、自分で自分に課した7の(2)のルール(線路付け替えで営業キロが変更されたら乗り直し)のせいで、東北には乗り直しが必要な区間が多く生まれている。それでも災害原因ならまだ諦めもつくが、群馬県・吾妻線に至っては、税金垂れ流し公共事業の典型として反対し続けてきた八ッ場ダム工事が強行された上、ダムのせいで線路が付け替えられ、営業キロが変わったため乗り直しまで必要になったのだから踏んだり蹴ったりだ。

 国土が細長い日本は本来なら最も鉄道に向いているはずだが、道路偏重の自民党的利権政治が鉄道をダメにしてしまった。グレタ・トゥンベリさんから「炭素を減らせ」といわれているのに、排気ガスを吐きながら走る車を国民1人に1台「配車」し、炭素を吸収する森林を壊してまで、誰も通らない道路を作る工事でまた炭素を出す。炭素も血税も垂れ流しの無駄遣いニッポンに、いつになったら終止符が打てるのだろうか。

 全線完乗に取り組み初めて20年。ゴールはまだはるか彼方にあるように感じる。地方では駅前にコンビニもなく、食事のできる店も大手チェーン系列の居酒屋だけという個性のない町だらけになった。見せつけられたのは地方衰退史そのものだ。声高に叫ばれ続けた「地方創生」とは何だったのか、そろそろ検証すべき時だろう。

(2021年9月1日)

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【転載記事】〔週刊 本の発見〕企業犯罪を罰するには~JR福知山線事故から生まれた1冊

2021-09-02 20:33:57 | 書評・本の紹介
(この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」の書評コーナー「週刊 本の発見」に寄稿した内容をそのまま転載したものです。)

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組織罰はなぜ必要か』(組織罰を実現する会・編、現代人文社ブックレット、1,200円+税、2021年4月)評者:黒鉄好

 企業や法人、政府機関などの組織が不注意などの過失により事故を起こし、多くの被害者を出しても、日本には100年近く前に制定された刑法の規定により責任者の「個人としての罪」を問うことしかできない。法人にも罰金刑を併科できると定めた法律も一部にあるが、あらゆる形態の組織犯罪を網羅して、そのような規定を持つ法律は存在していない。このため、大組織になればなるほど責任と権限が分散、「誰もが少しずつ悪いが決定的に悪い人は存在しない」という壁に阻まれ、日本では墜落事故で520人が死亡しても、脱線事故で107人が死亡しても、原発事故で10万人近い人が避難民となっても、いまだ誰一人として刑事責任を問われていない。

 本書が生まれるきっかけとなったのは2005年の福知山線脱線事故である。当時23歳の娘さんを事故で失った大森重美さんが代表となり「組織罰を実現する会」が結成された。大森さんは「組織の構成員ひとりひとりは灰色であっても、灰色が重なり合うことで黒に近づき、組織全体であれば罪に問えるのではないか」として、組織に高額の罰金刑を科することができる制度(組織罰)の創設に意欲を見せる。

 構成員に理不尽な事故対策サボタージュを強いることで得をするのは個人でなく組織だ。高額の罰金刑を通じて組織から「不当利得」を返還させることには合理性がある。

 福知山線事故のほか、笹子トンネル天井板崩落事故や軽井沢スキーバス事故遺族など、本書には様々な事故の遺族が登場する。第2章ではそうした遺族たちが思いを述べる。遺族の悲痛な思いに接すると胸が締め付けられる。第3章では、質問に対し専門家が回答するQ&A方式で、組織罰という聞き慣れない制度に対する解説が行われている。第1章で制度の概要を説明し、第2章では遺族の思いを前面に出して、法制度不備の理不尽さに対する読者の怒りと共感をうまく引き出し、組織罰制度の必要性に対する確信を与えてから、第3章で導入への具体的な道筋を描くという本書の構成は、全体を読み終えてみると意外にうまくできていると感じる。

 評者自身も福知山線脱線事故には長く関わってきた。福島第1原発事故当時、県内に住み間近でその理不尽も味わった。この事故も、福知山線事故と同じように検察の不起訴処分を検察審査会が覆し、強制起訴によって刑事訴訟が行われている。ただ2019年9月の東京地裁判決はここでも無罪。現行裁判制度の限界も改めて浮き彫りになった。

 組織罰制度がモデルとしている「法人故殺法」制定後の英国では、公共交通機関の事故が3割も減ったとの報告がある。制定に激しく抵抗した英国産業連盟(経済団体;英国版経団連)も「企業の信用度が高まることがビジネスにもプラスになる」として今では法人故殺法を容認している。世界の組織罰制度の一覧表からは多くの国がすでに同様の制度を設けていることが分かる。ここでも「日本の常識は世界の非常識」なのである。

 法人故殺法案は、保守党政権下では黙殺され続け、労働党政権時代になって日の目を見た。日本で組織罰制度が実現するかどうかは、私たちが政治を変革できるかどうかにかかっている。

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