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東海地震予知「白書」(2)

2002-02-10 23:26:50 | 気象・地震
5.広げられた想定震源域

 2001(平成13)年秋に入り、東海地震をめぐって新たな動きがあった。総理大臣が議長を務める中央防災会議が、大震法制定以来初めての想定震源域の見直しを行ったのである。

 22年ぶりとなるこの見直しでは、それまで駿河湾沖とされていたものが、大きく西へ移動し、静岡・愛知県境付近までが想定震源域に含まれることになった。事実上、御前崎から豊橋付近までが震源となりうると考えて差し支えないだろう。

 想定震源域が西へ大きく移動した結果、想定震度6弱以上の地域は、それまで静岡県全域と愛知県の東部地域(豊橋市、鳳来町などの地域)に限定されていたものが、一気に愛知県西部から岐阜県の一部までが含まれるという新たな状況を迎えた。日本有数の大都市、名古屋市の一部でも不測の事態が憂慮されるという、きわめて重大な内容を含むものである。政令指定都市クラスの大都市でこの規模の大地震が起きればどのような結果になるかは、先の阪神大震災に見るとおりであり、早急な対策を講ずる必要があると思う。

 現在、報道によれば、政府部内には今回の想定震源域見直しによって、想定震度6弱以上の地域として新たに加わった地域について、これを強化地域に含もうとする動きがあると伝えられている。もし強化地域に含まれれば、大震法に基づき、これらの地域も24時間体制の「監視下」に置かれることになる。

(注)中央防災会議は、2002年3月に同会議専門委員会が行った強化地域見直しの答申案を受け、関係自治体から意見聴取を行ってきたが、2002年4月24日、新たに96市町村を強化地域に追加した。これにより強化地域は東京都・神奈川県・山梨県・長野県・静岡県・愛知県・岐阜県・三重県で計263市町村となった。この結果、東海4県で強化地域となった地域は以下の通りである。なお、赤字で示した地域は今回の見直し前からすでに強化地域だった地域を表し、また黒太字で示した地域は、3月の答申段階では追加指定地域に含まれていなかった地域を表している。(中央防災会議による意見聴取の段階で、当初62市町村の予定だった追加指定地域が96市町村へ拡大した。)

〔静岡県〕全地域
〔岐阜県〕中津川市
〔愛知県〕新城市、名古屋市、豊橋市、岡崎市、半田市、豊川市、碧南市、刈谷市、豊田市、安城市、西尾市、蒲郡市、常滑市、東海市、大府市、知多市、知立市、高浜市、豊明市、日進市、東郷町、長久手町、阿久比町、東浦町、南知多町、美浜町、武豊町、一色町、吉良町、幡豆町、幸田町、額田町、三好町、設楽町、東栄町、津具村、鳳来町、作手村、音羽町、一宮町、小坂井町、御津町、田原町、赤羽根町、渥美町、津島市、七宝町、美和町、甚目寺町、大治町、蟹江町、十四山村、飛島村、弥富町、佐屋町、立田村、八開村、佐織町
〔三重県〕大王町、志摩町、阿仁町、伊勢市、尾鷲市、鳥羽市、熊野市、長島町、木曽岬町、二見町、南勢町、南島町、紀勢町、御薗村、浜島町、磯部町、紀伊長島町、海山町
〔この部分、2002.5.14追記〕

6.宏観異常現象との出会い

 もともと地震に関心のあった私にとって、東海地震は常に関心のトップだった。石橋助手によって東海地震が「明日起きてもおかしくない」と言われるようになってから四半世紀が過ぎた。幸いにしてこれまでの所、東海地震は発生していない。しかし、4で述べたように、事態は石橋助手の想定通りに進みつつある。そして、想定震源域とも強化地域とも遠い九州に生まれ育った私自身が今、まさにこの問題の最前線である名古屋に住むようになったことには複雑な思いがする。かつては他人事ですまされた遠い世界の地震予知が今、自分自身の切迫した課題になりつつあるのだ。

 私が宏観(こうかん)異常現象という言葉とともに、それに触れる機会を得たのは、阪神大震災の痛手から神戸の街が立ち直り始めた2000年の秋だった。被災地の住民から、飼っていたペットなど動物の異常行動や、不気味な「地震雲」らしきものを見たといった証言が多く寄せられているのを知ったからである。

 もともと古来から我が国には、ナマズが地震を予知するという言い伝えがあった。ナマズが暴れると地震の前触れ、という民間伝承が広く信じられてきたのである。もちろん現在に至るまで、この民間伝承が科学的に実証されたことはないのだが、それでも静岡県では1990年代後半から、行政までが本気で宏観異常現象の収集とその分析に本腰を入れるようになってきている。強化地域のまっただ中である静岡県としては、県民の命を守れるならどんなものにでもすがりたいというその心情は大いに理解できる。

 さらに情報収集を進めていくうちに、この宏観異常現象を本気で研究している大学の研究室があることが分かった。それが、岡山理科大学の弘原海(わだつみ)清教授らが中心となった「地震危険予知プロジェクト」(略称e-PISCO)である。ここでは、宏観異常現象として、特に動物の異常行動と大気中のイオン濃度に注目し、これらを予知に役立てようとする研究が本気で行われていた。そのために、動物の異常現象に関する情報提供を広く市民に求め、また独自に開発したイオン観測装置まで設置して、24時間の観測体制をとり、実証的手法を取り入れている。

 彼らの多角的で真摯な研究姿勢に接したとき、私は胸がいっぱいになり、とたんにこの研究の虜になってしまった。そしてついにe-PISCOのシンポジウムに出席するまでに至ったのである。

 以下、7、8の両項目では、このe-PISCOのシンポジウムについて報告するとともに、宏観異常現象を現実の地震予知に役立てていく上で克服すべき課題についての筆者の私見を織り交ぜながら論評を進めていくこととする。

7.岡山理科大学シンポに参加して

 e-PISCOシンポは、2002年1月26日午後1時から、岡山駅前のホテル「ニューオカヤマ」6階「瑞雲の間」で開催された。当初、ネット上で行われた開催案内では午後4時までの予定だったものが、当日のプログラムでは午後5時までに変更となり、いざ始まってみると議論が白熱したため、結局会場の使用時間ぎりぎりの午後6時まで続くという極めて熱心なシンポとなった。

 第1部では、冒頭、まずe-PISCOを代表して弘原海教授が挨拶。「市民へ向けた広範な防災対策の一助とするために、岡山理科大学の一ゼミとして活動しているe-PISCOをNPO法(特定非営利活動促進法)に基づくNPOとして組織整備していきたい」との決意を述べた。続いて「単点試行実験の現状報告(平成13年度まで)」として10人の学生が、自分の研究成果を次々に報告した。単点試行実験というのは、簡単にいえば、e-PISCOが宏観異常現象のひとつと考えている大気中のイオン濃度について、岡山理科大学の建物の1点(単点)からのみ観測していくもので、これまでのe-PISCOの中心的な活動のひとつとして行われてきたものである。

 しかし、観測地点を1ヶ所にしか設けない単点試行実験では、イオン濃度の急激な変化を観測できても、それを地震予知に結びつけることは困難であり、事実、e-PISCOは予知の失敗を余儀なくされた。こうした不完全さを踏まえ、続く第2部では、平成14年度以降に予定されている多点実用化実験(観測地点を増やすことによってイオン濃度と地震との関連性をよりいっそう追究すること)の概要説明が行われた。これまでの観測では、プラス、マイナス両イオンの観測を行ってきた手法も改め、今後はプラスイオンのみに観測を集中させるという。(観測の対象をプラスイオンに絞るのは、大規模地震に先立って発生する地殻のひび割れによって地中から大気中にプラスイオンが放出されることが大気中のプラスイオン濃度の上昇をもたらしているとのe-PISCOの認識に基づく。また、e-PISCOでは、このプラスイオンの放出により大気がプラスイオンを帯びることが動物の異常行動の原因であると説明している。)このための新しい観測機器の開発についても説明された。

 第1部、第2部を通じ、全般的に学生たちが緊張気味で、原稿棒読みの雰囲気は否めなかったが、学生主体のシンポとしては上出来であろう。

 第3部では、いよいよ総合討論に移った。まず、パネリストたちが意見を述べる。

 新開発のイオン観測装置の仕組みとテスト運用について、開発元の(株)シグマテックから、土屋政義・代表取締役社長が説明(理科系の用語が飛び交う難解な説明で、理数系の頭脳がない私にはこれ以上の説明はご容赦を!)。続いて権藤槇禎・神戸市立王子動物園科学資料館館長が動物の異常行動について、この面での研究が盛んな中国での実例を交え報告。最後に鈴木計夫・福井工業大教授(工学博士)が建築専門家としての立場から、建築物の安全対策について報告した。

 その後は参加者全員による「徹底討論」。市民からe-PISCOに宏観異常現象として通報される情報のうち、通常現象でしかないものをどうふるい落とすか、一般的な現象でしかないものまでが宏観異常として続々報告されている現状をどう捉えるかといったものや、宏観異常として通報される動物の「異常現象」のうち、真に異常なものとそうでないものとを確実に区分するために、専門家である獣医師の助言を仰いではどうか、といった建設的な提案がなされた。

 この総合討論には、非常に興味深い内容の議論が含まれており、筆者の見るところ、その中には今後の「地震予知」の成否の帰趨を左右しかねないほどの重要な論点も含まれていた。今回のシンポでは録音は特に禁止されていなかったため、筆者は総合討論を含めシンポの全内容を録音テープに記録しているが、それをすべてこの場に発表することは膨大な作業量を伴う。すべてアップしていては当ページそのものの公開が遅れ、ひいては市民の地震への備えに遅れが出かねない。それでは本末転倒なので、総合討論の詳細については次の機会に譲り、ここでは筆者がパネリストに対して行った質問およびe-PISCOに対する提案内容だけを概略、お知らせするにとどめる。

・筆者が行った質問:(鈴木教授に対して)阪神大震災において家庭内で家具の倒壊によって死亡した人の割合はどれくらいか。また阪神大震災後、家具等への耐震工事(タンス等を壁面等にボルト等で固定する工事)が一時、集中的に行われた時期があったが、これは家具の倒壊による家庭内での圧死を防ぐための手法として効果はどの程度あるのか。

・鈴木教授の回答:家具等による圧死者の全体に対する割合は、データを持ち合わせていないのでわからないが、相当数に上ることは確かだと思う。耐震工事は、犬釘程度の固定ではさしたる効果は認められないが、強固なボルト等による固定になると相当の効果がある。一般に、大地震の際の家具倒壊は、ほとんどが地震の揺れに対して家具が反対向きに揺れようとして起こるものであり、地震と同じ方向への揺れであれば、家具が倒壊する確率は非常に小さくなる。壁面等への家具の固定は、ボルト等の強度が十分であれば非常に効果があると考えられることから、もっと積極的に行われてよい。

・筆者がe-PISCOに対して行った提案(要旨):私は動物を相手にする部署で仕事をしており、仕事柄、職場で日常的に獣医師たちと接しているが、各都道府県の獣医師会等を通じた獣医師同士の横のネットワークには強固なものがある。今後、宏観異常現象のひとつとして動物の異常行動を利用していくのであれば、e-PISCOと獣医師会との間で連絡会や、正式なものでなくてもよいから異常行動に関心を持つ獣医師「有志」との間で宏観異常に関する勉強会等を立ち上げていってはどうかと考える。

(注)筆者のこの提案に対しては、後日、e-PISCOのサイト上で次の通りe-PISCO側から回答があった。

 「PISCOでは、既に獣医師の方々と協力して活動しています。具体的には、2002年1月20日の「地震感知動物の育成プロジェクト;第2回シンポジューム(ママ)で神戸市獣医師会の旗谷昌彦代表と協力し、麻布大学獣医学部の太田光明教授、大阪大学大学院・池谷元司教授などと協力して活動組織作りを進めています。〔弘原海 清〕」
〔この部分、2002.3.9追記〕

8.おわりに~「カルト」批判を乗り越えるには~

 上でも既に述べたがe-PISCOによるイオン観測は、いよいよ平成14年度からは多点実用化実験に移る。実用化へ向けたレベルであっても実験はあくまでも実験である、と捉えることもできよう。しかし、逆の見方をすれば単点試行実験から多点実用化実験への移行はe-PISCOとして、ある程度「予知」へ近づくことを念頭に置いてのものとなるに違いない。e-PISCOがイオン観測の根拠としてきた「プラスイオン上昇=大地震前兆」論そのものが、観測地点の拡大によっていよいよその真価を問われるときがやってこようとしている。e-PISCOにとっては、これからの数年間が正念場となるだろう。イオン観測の精度が高まったにもかかわらず、イオン濃度と大地震との間にもし何らの関係性も見いだせなかったとしたら、e-PISCOの「地震観」そのものが根底から覆されることになる。逆に、その2つの間に明確な関係性が確認されるなら、e-PISCOのこれまでの研究は、我が国で誰もなし得なかった地震予知への地平を大きく切り開く画期的なものとなるであろう。

 e-PISCOがイオンと並んで最重要視している動物の異常行動についても、これまでは所詮「民間伝承」の域を出るものではなかった。科学的に裏付けられたものではなく、過去の同様な大地震の経験の中から例証を積み上げていくという手法を取らざるを得なかった。さらに、その例証となるべき宏観異常現象そのものが、自然界の一般的現象との区別が極めて困難な代物で、その大部分が、大地震がいざ起こったあとで「今から考えると、あのとき見た○○も前兆現象のひとつだったのか」とようやく気づくような不確実なものでしかなかった。地震雲に至っては、公式の「権威」である気象庁はその存在すら認めていない。(前述の「週刊読売」誌が、阪神大震災直前に兵庫県下で確認され、多くの被災者が「今まで見たことがないような不気味な雲だった」と口をそろえた雲について気象庁に問い合わせたところ、気象庁側は「それはやはりふつうの雲であり、地震雲と呼べるものではありません」と回答している。)
 科学の世界は、科学的な論証やデータによる裏付けを非常に重視する世界であり、その裏付けのないものを通常、科学とは認めない。それはご多分に漏れず地震の世界にも当てはまる。e-PISCOの取り組みは、ある意味とてもユニークである反面、現段階では科学的な論証、データによる裏付けの非常に乏しい「伝承・言い伝え」の集大成に過ぎない。

 そのため、e-PISCOの研究にはこれまで、常に「カルト」との批判がつきまとってきた。「弘原海の個人的妄想」「根拠のない伝承を権威化しようとするカルト私党」「イオン教教祖とその信徒の集団」などという公然たる批判が他ならぬe-PISCOのサイト上で連日行われている有様である。状況は残念ながら、e-PISCOに対して極めて不利といわざるを得ない。

 しかし、私はそれでもe-PISCOの献身的取り組みを支持していきたいと思っている。何よりも、大地震発生の際にひとりでも多くの命を救う上で、可能性のあるものであれば何にでも賭けてみよう、という若者たちの心意気は多とすべきものではないだろうか。

 それに、批判するだけなら誰にでもできる。「カルト」批判者たちは、たしかにe-PISCOのもっとも至らない点・・・科学的論証、データの裏付けに欠けている点・・・を攻撃している。しかし、彼らは「ひとりでも多くの命を大地震から守りたい」という若者たちの純粋な「心」に対し、それを凌駕するだけの「何か」を提示できているだろうか。かけがえのない人命を守るための処方箋を何ら提示できない「自称科学者」よりも、人命を守るために体当たりで努力している学生たちの方が、私には数倍も立派なものに見える。

 学生たちの試行錯誤は、今後も当分の間続いていくことだろう。残念だが、東海地震発生には間に合わない可能性が高いと思う。しかし、東海地震は気象庁も判定会メンバーもある程度予知に自信を持っている以上、専門家に任せ、大震法が想定していない地域の地震予知に生かせるよう、地道に経験を蓄積し、観測データを分析してイオンと大地震との関係性を証明するしか道はない。「科学的に論証して見せろ」「データをよこせ」とうるさい科学界において認められるには、やはり決められた道を行くしかないのである。それがカルト批判に応える道でもある。

 もし彼らが成功するなら、いま批判している人々は、かつてキリスト教会がコペルニクスの地動説にひれ伏したように、e-PISCOにひれ伏すことになるであろう。それを我々は「科学の進歩」と呼ぶ。もしその時が来たら、科学界が認めるよりもずっと以前から「地震学界のコペルニクス」を認めていた者のひとりとして、筆者も少しは胸を張れるかもしれない・・・との希望を胸に、とりあえず本稿を締めくくることとする。

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東海地震予知「白書」(1)

2002-02-10 22:25:46 | 気象・地震
・はじめに~管理人あいさつ

 環太平洋地震帯上に位置する日本は、世界有数の地震国である。有史以来、日本は数え切れないほどたくさんの地震によって大きな被害を受けては先人たちがそれを克服する営為の連続であった。近代以降に限っても、帝都・東京を大混乱に陥れた関東大震災(1923年)、そして記憶に新しい兵庫県南部地震(阪神大震災、1995年)と、大きな犠牲を伴う地震災害に見舞われた。

 ひとたび地震が起こると、その被害は物的・人的なものにとどまらない。様々な公共インフラや産業基盤の破壊は、経済活動の低迷をもたらし、それはしばしば社会不安にすらつながっていく。関東大震災後の日本は、産業の基盤が破壊された結果、深刻なデフレと昭和恐慌に見舞われ、それは太平洋戦争への序章になったし、阪神大震災も、日本の社会基盤の重要な変動をもたらし、その影響を日本は今日に至るまでなお脱しきれないでいる。そして戦前と大きく異なる点として、我が国経済が世界経済に与える影響があげられる。大地震で経済大国・日本の社会基盤が破壊されることは、今や世界経済の大きな不安要因にさえなりかねないのである。

 残念ながら、人類は自然現象である地震そのものを避けることはできない。とすれば、重要なことは、その危険を正確に予知し、物的・人的被害を最小限にくいとどめることであるということができよう。日本が地震災害を回避し克服することが、今や国際社会全体からの要請となっているのである。

 しかし、日本の地震予知体制は、大規模地震発生が差し迫り、緊迫した状況を迎えつつある今日においてもなお脆弱にとどまり、実用にはほど遠い現状である。関係機関に配分される予算も人員もあまりに少ない。このままでは、来るべき大地震の際にまた同じ悲劇が繰り返されることになる。私が、今まさにこの場を通じて地震予知の必要性を訴えようと考えた動機もこの点にある。

 念のため申し上げておくが、いたずらに地震への危機感やパニックを煽り立てようと言う悪意を持って私はこの問題提起をしているのでは決してない。むしろ、地震というものの予知が科学的にも技術的にもいかに困難であるかということ、日本の科学者たちがいかにして地震予知に挑み、また失敗の繰り返しであったかということ、そして、そうした苦難の歴史の中にあってそれでもなお多くの有志たち(それは必ずしも専門的知識を持った学者・研究者だけでなく市井の一般人をも含む)が、貴い犠牲をひとりでも減らすために日夜努力を続けているということを、知っていただきたいがためである。

 そういう私とて、所詮は「市井の一般人」のひとりでしかない。この壮大なテーマに挑もうと決めたものの、どこまで肉薄できるかはなはだ怪しい。しかし一般人であることを逆に生かし、誰が読んでも「イザというときのささやかな判断材料」程度にはなるような分かりやすい内容づくりをしていきたいとの思いのもとに、本日、この企画をスタートさせる。

・コンテンツの内容
1.プレートテクトニクス理論
2.プレート理論による「東海地震説」の発表
3.大震法制定と観測・予知体制の整備
4.東海地震~迫り来る危険
5.広げられた想定震源域
6.宏観異常現象とのかかわり
7.岡山理科大学シンポに参加して
8.おわりに~「カルト」批判を乗り越えるには~

1.プレートテクトニクス理論

 これについては、次の2で述べるプレート衝突論の根幹をなすもので、きわめて大切な理論であるが、それ自体は難しいものではない。プレートテクトニクス理論という言葉そのものも、高校の理科・地学の教科書にも登場するメジャーな言葉であり、初めて聞くという方はまれであろう。従って、ここでは概説にとどめる。

 プレートテクトニクス理論とは、「地球表層の岩石圏が分かれたプレートと呼ばれる板状の岩石圏が境界部で衝突し,一方が他方に潜り込む時に造山活動や地震活動を引き起こしている」(平成2年版「科学技術白書」)というもので、1960年代からは地学界における主要学説となった。古くから語られていた「大陸移動説」(アフリカ大陸と南アメリカ大陸は陸続きだったものが、大陸の移動により引き裂かれたとか、ヒマラヤ山脈はユーラシア大陸にインドが衝突した際の大地の隆起によって生まれたという説)に通ずるもので、地球上には十数枚のプレートがあり、しかもそれらのプレートが相互に勝手な動きをしているため、あちこちで衝突や、一方のプレートの他方に対する潜り込みが発生し、その衝突や潜り込みが地震の原因になっているというのが現在の主力学説となっている。プレート(plate)は「岩盤」と訳されることが多い。

 なお、このように書くと、地震の発生原因はプレートだけと誤解される向きもあるかもしれないので、火山活動によって発生する「火山性地震」もあるということを付記しておく。

2.プレート理論による「東海地震説」の発表

 1により、地球上がプレートで覆われ、そのプレートの衝突・潜り込みが地震発生のメカニズムであることがお分かりいただけたと思う。

 この理論をもとに、1976(昭和51)年、東大理学部の石橋克彦助手(当時)が、いわゆる東海地震説を発表する。その骨子は、

1.日本はユーラシアプレートの上に乗っており、これに東から太平洋プレートが西に移動する形で衝突、一方南からはフィリピン海プレートが北北西に進む形でやはり衝突しており、この3つのプレートの「衝突地点」が静岡県・駿河湾沖である

2.プレートの衝突が起こっている地点では、一方のプレートが他方の下に潜り込む。駿河湾沖では、太平洋・フィリピン海の両プレートがユーラシアプレートの下に潜り込んでいて、ユーラシアプレートもこれに引きずられる形で潜り込んでいる

3.最初のうちは順調に進むプレートの潜り込みであるが、やがてプレートの歪みがそれ以上の潜り込みに耐えられなくなると、ある瞬間に反転してピョンと跳ね上がり、地震が発生する

というもので、石橋助手はまた、衝突によるプレートの歪みは限界に達しており、「極端な言い方をすれば(東海地震は)明日起きてもおかしくない」と述べ、日本中が騒然となったのである。

3.大震法制定と観測・予知体制の整備

 石橋助手による東海地震説の発表は、それが現在、地学界で主流となっている学説に基づく科学的根拠を持つものであり、また発表の場が政府機関である地震予知連絡会(予知連)であったことから、政府もそれを無視することはできなかった。東海地震の予知は、こうして「国策」へと格上げされたのである。

 東海地震説の発表から2年後の1978(昭和53)年、国会で「大規模地震対策特別措置法」(略称:大震法)が制定された。この法律は、東海地震の「想定震源域」およびその周辺で地震発生の際に大規模な被害が見込まれる地域を「地震防災対策強化地域」(強化地域)に指定し、この地域では最新鋭の観測装置を用いた24時間の監視体制を取り、計器類による観測データに異常が現れた場合には直ちに予知連メンバー全員に通報すること(従って予知連メンバーは24時間常に連絡の取れる態勢を確保しておくことが申し合わせられている)、観測データに著しい異常が現れた場合には気象庁長官が「地震防災対策強化地域判定会」(判定会)を直ちに招集、観測データの分析結果が地震発生の蓋然性を示すなど切迫した状況になったときには、気象庁長官の報告を受けた内閣総理大臣が「警戒宣言」を出すことができることとされた。警戒宣言が出された場合、行政機関には主要高速道路の通行止め、新幹線など主要鉄道の運転中止などの強い権限が与えられる。

 大震法施行に伴い、静岡県を中心とする強化地域周辺での観測体制が整備された。駿河湾周辺では体積ひずみ計など、プレートの潜り込みに伴う地殻の歪みを観測する計器類が集中的に設置された。1990年代に入ってからは、急速に技術が進歩し、カーナビゲーションシステムへの採用で一般にも知られることとなったGPS(全地球測位システム)による地殻移動観測装置も設置された。このGPS導入により、地殻変動の観測精度は飛躍的に向上し、「ミリ単位での地殻の移動も観測が可能になった」(関係者)といわれている。

 それでは実際、東海地震の予知を専門家はできると考えているのだろうか。判定会メンバーに名を連ねるある予知連委員は、「週刊読売」誌の取材で、97年に測地学審議会がとりまとめ公表した「地震予知の実用化は現時点では困難」との報告書に関連してこのように答えている。

 「東海地震に関しては、予知は必ずできる、との自信を持っています。地震の前兆現象とは、徐々に輪郭が明らかになっていくものではなく、ある時点を境に急にはっきりと見えてくるものだからです。競馬に例えれば、スタートした直後はどの馬が一着になるのかは誰にも分からない。しかし、ゴール直前になればそれは誰の目にも明らかとなる。地震予知とは元来、そういうもので、わずかな前兆現象を確実に捉えられれば予知の可能性は劇的に高まるのです」
 気象庁も、測地学審議会報告での悲観的見通しにもかかわらず、東海地震の予知に対してそれなりに自信を持っているようだ。97年4月28日に開かれた判定会の席上で、気象庁側は「1944年12月の東南海地震(M7.9)の半分から3分の1程度の前兆現象があれば、現在の観測網で十分探知できる」との見通しを示した。現在、気象庁は相変わらず予算・人員の乏しい中で、東海地震発生直前に発生が予想されている「プレスリップ」(地表の揺れを伴わずに地下の岩盤だけが急激に移動する現象)を確実に捉えるため全力を挙げている。

4.東海地震~迫り来る危険

 体積ひずみ計やGPSなどによる観測データは日々集められ、分析されているが、専門家・関係者の間では、1992~93年頃を境に、それ以前と比べて地殻の動きに変化が見られるようになったといわれる。その「変化」とは、静岡県・御前崎付近の沈降のペースがこの頃から徐々に鈍り始め、最近ではほとんど沈降を止めた様子が伺われることである。御前崎が駿河湾を望む岬の町で、「想定震源域」の最前線に当たる場所であることは言うまでもない。

 それ以前の御前崎は着実に沈降を続けており、時折沈降のペースが一時的に鈍ることがあっても、周辺部で中規模程度の地震が発生すれば、それによってストレスが解放され沈降が再開する繰り返しであった。しかし、この頃からは、沈降がほとんど止まった状態が一般的になり、また中規模程度の地震が周辺部で発生しても、再び沈降する気配が感じられなくなったという。

 これが何を意味するか、改めて説明の必要はないであろう。やはり、事態は石橋助手の想定通りに進行しつつあるのだ。そして、沈降から停滞へのターニングポイントが92~93年にあったとすれば、それから早くも10年になる。これほど長期間の停滞はかつてこの地域で観測網が整えられ、本格的な観測が始まってから1度もなく、従って偶然などではない。沈降~停滞~反転(地震発生)、というプロセスの中で、明らかに第1段階から第2段階へ入ったということなのだ。

 93年の段階で、青信号から黄信号に変わったということである。専門家の間では、現在の状況を「長期的前兆活動の中期」とする見方が大勢を占めている。

 そうなってくると、関心事は「この停滞の第2段階がいつ頃まで続くのか」、言い方を変えれば地震発生まであとどれくらいの時間的猶予があるのか、ということである。

 その謎を解くためには、駿河湾沖での沈降がいつ始まったかを知ることが近道である。全体のプロセスにかかる時間が分かれば大勢がつかめるからである。だが、残念なことに筆者はそれに関する資料を持ち合わせていない。ネット上でそれらしきものも探してみたが、あいにく述べられていない。関東大震災を参考にすればいいではないか、とお考えの方もあるかもしれないが、関東大震災は駿河湾からやや離れた千葉県沖の地殻変動が原因とされており、駿河湾沖でのプレートの潜り込み活動を考察する上ではさほど参考にならないのが実情である。大震法制定まで観測網すらなかったことを考えれば無理からぬことだ。

 しかし、この程度のことなら言及して差し支えないだろう。すなわち、沈降~停滞~反転のプロセスの中ではその大部分を沈降が占めており、停滞から反転への時間は沈降の時間に比べてわずかしかないということである。そのことは、2枚の下敷きを用意し、それをプレートに見立てて互いに押しつける実験をしてみれば一目瞭然、理解できるはずである。下敷きがずるずると押し下げられる時間が圧倒的に長く、下敷きが変形に耐えられなくなると、おそらくあっという間もなく反転しているだろう。停滞と反転の動きは、ビデオに録画してスローモーションで見なければ捉えられないほど短時間の出来事であるに違いない。

 ここまで読んでこられた方の大部分が、おそらくぞっとしたはずである。御前崎の観測データを見る限り、もう沈降のプロセスは終わっている。停滞のプロセスですら、すでにそれが始まって10年経過している! 全体のプロセスの中で、10年がどれほどの割合を占めるのかが正確につかめないため、筆者は断定的に結論を出すことは差し控える。しかし、これだけは確実に言えると思う。停滞のプロセスもまもなく終わり、いよいよ駿河湾沖のプレート運動は最終の第3段階・・・つまり「反転」(~地震発生)の局面へ向かうということである。

 黄信号が赤信号に変わる瞬間が、目前に迫っているのだ。

 関東・東海地方の「強化地域」内に住む人々は、そろそろ備えを始めるべき時期に来ていると思う。

(つづく)

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