福島原発事故がいっこうに収束の気配を見せない中で、事故直後の4月頃、まことしやかに囁かれ、その後はいったん下火になった首都移転(政府による東京放棄)の可能性が、8月に入ってからまた囁かれ始めたようだ。私のところにも「そのような動きがあるらしい」という内容のメールがある人から届いた。首都移転先はまたしても関西である(現実問題として、首都圏に代わりうる場所といえば関西しか見あたらないが)。
どうやら、今回の噂はAFP通信社が伝えた
テロや大災害想定し、首都機能のバックアップを検討へという記事が発端らしい。AFPといえばフランスを代表する通信社で、米国AP通信、英国ロイター通信と並ぶ「老舗」としてそれなりに信頼されてもいる。しかし、フランス製ガイガーカウンターが2万円台で発売開始という噂が流れながら結局は誤報だったり、まともに動きもしないアレバ社製の汚染水循環装置をバカ高い値段で売りつけてきたりと、こと今回の原発事故に関する限り、フランスには胡散臭い印象しかない。
ただ、AFPはこのニュースを「時事通信が報じたもの」として配信しており、実際、時事通信サイトには
「首都機能のバックアップ検討=今秋にも本格議論に着手-国交省」という記事が掲載されている。
当ブログ管理人が公共交通・安全問題ジャーナリストや農業ジャーナリストという肩書きで活動する傍ら、霞ヶ関ウォッチャーとしてこの国の支配中枢を眺めてきた感想でいえば、この首都移転構想は今のところ本気ともそうでないとも判断できない。あくまで可能性のひとつとして検討段階ということしか言えないと思う。
この国での官僚用語の語法のひとつとして「検討する」は「検討だけして実際は何もしない」という意味であることも多い反面、「実現に向けて勉強する」の意味で使われることもあるのが実情だ。官僚が「勉強」するのはやる気があることを意味しており、全くやる気がない(あるいは実現可能性がない)ときに官僚が「勉強する」ことはないのである。
移転先が関西であるかどうかはさておくとしても、東京からの首都移転をこの国の権力中枢がある程度「勉強している」ことは確かだろう。首都機能移転はもう何十年も前から議論があるし、世界に目を転じれば、首都はひとつであっても、重要な社会的機能をいくつかの都市に分散配置している例はいくらでもある。例えば、政治はワシントン、経済・金融はニューヨークを中心にしている米国や、政治は北京、経済は上海を中心にしている中国、政治はキャンベラ、経済はシドニーを中心にしているオーストラリアなどだ。南アフリカ共和国に至っては、首都プレトリアのほか、ケープタウン、ヨハネスブルグも首都機能の一部を担っている。政治も経済も金融も文化もスポーツも、すべてが東京に集中している日本のような例がむしろ少数派とさえ言える。原発事故があってもなくても、社会の中枢としての機能をいくつかに分散しておくことは危機管理のイロハのイに属する基本的事項なのだ。
何事も切迫した危険が現実のものにならなければ決断を先送りしてしまうこの国の権力中枢にとっても、東京から200kmにも満たない福島原発で事故が起き、半年が経過しようとしている現在も事態収拾の見通しすら立たない現状が「切迫した危険」であることは論を待たないだろう。商業メディアの中にも「今年夏までに放射能漏出を止められなければ、中規模の原発事故がもう1回起きたのと同じになる」という趣旨の記事が4月の段階で出ていた記憶があるが、すでに事態はその通りになっている。いわば日本は、中規模の原発事故が3~4ヶ月に1回ずつ起きているのと同じという深刻な状況の中にある。これを深刻な事態だと認識できない人は、よほどの楽観主義者か、よほどの鈍感か、さもなければよほどの○○だろう。
すでに当ブログ既報の通り、埼玉県三郷市でチェルノブイリ原発事故における第2区域(全住民に避難勧告)レベルの深刻な汚染があることも明らかになった。福島原発では、当面、耐震補強工事の竣工によって最も恐れていた4号機倒壊の危険は減少したが、1~3号機については事態は何も好転していないし、好転する見通しもない。下手をすれば来年の今頃になってもまだ汚染水と闘っているか、作業員が確保されなくなり、東電以外の電力社員に「召集令状」を出すかどうかで揉めている、なんて事態さえ起こりかねない。三郷市の高度放射能汚染の実態を明らかにした木下黄太氏は「東京はキエフと同じ」と主張している。チェルノブイリからの距離も放射能汚染の状況もウクライナの首都キエフと同じだという主張だ。私はそれをきわめて冷静かつ正確な現状分析だと捉えている。
このまま東京で皇族やエスタブリッシュメント(支配層の中の重要層)を被曝させ続け、日本中枢が緩やかに壊死していくのを座して見守るのか、さもなければ汚染された首都を捨てて新たな土地で日本再生を目指すのか。まともな神経と頭脳を持った人間なら、その答えはおのずと明らかだろう。
時事通信~AFPの報道が事実なら、国内各地の都市機能とそれを維持するインフラの状況、そして交通機関の状況を最もよく知る国土交通省に検討が委ねられるのは自然の成り行きである。そして、日本の権力中枢が本気で首都の東京からの移転を考えているのだとすれば、国土交通省の検討会が一定の方向性を出した後、この問題の所管が国交省から内閣官房あたりに移されるはずである。なぜなら、首都移転とは日本にとって1000年に1回レベルの歴史的な政治決断であるからだ。たかだか一省庁の判断でそんな大それたことができるわけがなく、それは首相直属の機関である内閣官房のお膳立ての下で行われるはずである。
ついでに述べておくと、時事~AFPの記事は具体的な移転候補先を明らかにしていないが、前述した都市機能とそれを維持するインフラの状況、そして交通機関の状況から見て、やはり関西以外にあり得ないと思う。その場合、首都は京都で経済の中心機能を持つのが大阪という分散型の首都機能移転になるだろう。なにしろ京都は江戸時代まで首都だったし(京都市民には、明治維新の際に遷都の詔勅が出されていないことを根拠に、今でも京都が首都だと主張する人もいる)、京都御所を皇族の居所に定めれば新たに皇居を作る必要もなく、隠密に事を進められる。そしてそれは、水面下で周到に準備が進められた後、ある日突然発表されるだろう。
このように考えてみれば、玄海原発再稼働が「保安院やらせ問題」で失敗し、伊方原発への燃料棒の搬入作業が突然中止させられた理由もおぼろげながら見えてくる。福井県内各原発の再稼働に対する福井県知事の慎重な発言、政権中枢から出てきた「もんじゅ廃炉」発言、そして浜岡原発に対する菅首相の突然の停止要請…首都機能移転と奇妙に符合するこのドミノのような西日本での一連の流れの背後にあるものは何なのだろう。
チェルノブイリ原発事故の後、ソ連政府(モスクワと党中央)は「リクビダートル」(作業員)らに「死の労働」をさせて放射能漏出を何とか食い止め、プリピャチなど原発から至近距離にある地域の住民を避難させたが、その後はほとんど何もせず、事故から5年後の1991年、ソ連を解体させ後始末をウクライナ、ベラルーシ各国政府に押しつけ逃走した。考えたくないが、日本の権力中枢がチェルノブイリの先例に「学ぶ」なら、かつての彼らと同じように、事故の後始末は東日本の各地域自治体に押しつけ、自分たちだけ西日本に逃走して新たな日本再生を目指すのかもしれない。
福島から脱出できないでいる当ブログ管理人の「被害妄想」かもしれないが、福島の子どもたちを避難もさせないで放置しながら、西日本だけを守ろうとするかのような一連の動きの中に、私はそのような不純な動機をどうしても感じてしまうのだ。もし日本の権力中枢が「東日本はどうせ見捨てるのだから、福島の子どもたちなどどうなってもかまわない」と考えているなら、それは間違いなく国家による犯罪と言える。
この関西への首都機能移転を進めたいと考えている勢力にとって、日本における地震活動の中心が今後、西日本に移りそうな気配があることが唯一の頭痛の種だろう。しかし、原発さえ何とかすれば、地震と津波だけならどのようにでもできる。彼らがそう考えているとしても何ら不思議はない。