安全問題研究会~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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【訃報】「一水会」元代表・鈴木邦男さん

2023-01-30 23:32:40 | その他社会・時事
鈴木邦男さん死去 79歳、「一水会」元代表(東京)

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 民族派団体「一水会」の元代表で、イデオロギーの枠を超えた言論活動を展開した評論家の鈴木邦男(すずき・くにお)さんが十一日、誤嚥(ごえん)性肺炎のため死去した。七十九歳。福島県出身。葬儀は近親者で行った。後日お別れの会を開く予定。

 早稲田大在学中に民族主義運動に没頭し、新聞社に入社。作家三島由紀夫の自決に影響され一九七二年に一水会を結成し、九九年まで代表、二〇一五年まで顧問を務めた。

 当初の武闘派右翼から新右翼の論客に転じ、左翼の言論人とも交流。安倍晋三政権の改憲論に「国家主義的だ」と反対、在日韓国人へのヘイトスピーチに抗議したほか、中国人監督の映画「靖国 YASUKUNI」公開を右翼が妨害した際も上映実現に尽力するなど、思想信条や価値観の違いを超えた「愛国」の在り方を追求した。テレビの討論番組などでも活躍した。

 「夕刻のコペルニクス」「言論の覚悟」「憲法が危ない!」「新右翼<最終章>」など著書多数。
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当ブログが右翼団体関係者の訃報を取り上げるのは、異例中の異例であることはお断りしておきたい。ちなみに、引用した東京新聞記事末尾に紹介されている鈴木さんの著作のうち「夕刻のコペルニクス」は、かつて「週刊SPA!」誌に同じ名前の連載があった。書籍としては読んでいないが、おそらくこの連載をまとめたものだと思う。

取り上げる理由は、私が短時間、一度だけとはいえ、実際に鈴木さんにお会いし、直接話した経験を持つからである。その当時のことは、2013年1月17日付当ブログ記事「ある右翼人との対話」に書いてある。この記事は1ヶ月後に書いたもので、実際、お会いしたのは2012年12月。福島在住当時だった。

私が、西郷村在住であることをカミングアウトして話しかけると「僕も自分の出身は郡山だけど、母親は坂下(ばんげ)なんですよ」と上半身を乗り出すようにして話しかけてきた。坂下とは会津坂下町を指しており、福島県内ではこれで通じる(会津若松も「若松」と表現するなど、福島県内では会津○○町のことを話題にするときには「会津」を省略することが多い)。

自分の出身地を大事にするところなどは、やっぱり郷土愛というか、保守の人だなぁと感心した覚えがある。黒塗りの街宣車に乗り、大音響で君が代や軍歌を流し「北方領土返さんかい! オラァ!」とか「売国日教組粉砕せよ!」などと叫んでいる人たちで、目が合ったら最後、殴りかかられるんじゃないかという右翼のイメージとはかけ離れ、親しみやすい人だった。

「ある右翼人との対話」を10年ぶりに読み返してみたが、鈴木邦男さんを「戦後自民党的な「保守」の立場に近い」と評したのは、いま思えば的外れもいいところで、私はやっぱり保守の人たちのことを何もわかっていなかったな、と反省する。そういう自民党的なものと最も対峙してきた人が鈴木さんではなかったか。そういう面で、今はかなりというか、当時とは180度違う評価を持っている。本来なら鈴木さんに謝らなければならないくらい失礼な評価をしていたと思うが、鈴木さんが違う世界に旅立たれたせいか、それもできなくなり申し訳ない。あと20年後か30年後かに、私がそっちの世界に行ったら鈴木さんには失礼を詫びておきたいと思う。

戦後自民党的なものが持つ欺瞞性は、安倍元首相殺害後に明るみに出た統一協会との関係で完全に明らかになった。清濁併せ飲むと言えば聞こえはいいが、そうやって何でも飲み込んでいるうちに、善悪の判断すらできなくなっている自民党から、本来の敵である共産党まですべてをYP(=ヤルタ・ポツダム)体制と規定し、打倒の対象とするのが民族派の本来の立ち位置だったはずだ。日本人から巻き上げたカネを、彼ら的に言えば「いつまでも執拗に謝罪を要求してくる」韓国に貢いでいた統一協会や、表向きは「日本人の子孫に二度と過去の謝罪をさせない」などと息巻いておきながら、裏では選挙のため彼らと抱き合っていた自民党を見て、心ある「民族派」の人たちはおかしいと思わないのだろうか。当然、思うはずだし、思わないようなら彼らに未来はないと思う。

「ある右翼人との対話」を書いた2012年当時、私は自分をこんな苦しみに追いやった原発に対し、「原発と自分は共存できない。原発をこの手で殺さなければ自分が原発に殺される」と強い敵愾心を抱いていた(この点は、暦が一回りした現在も変わっていない)。だが、保守の人たちに対する思いは当時とはかなり変わった気がする。JRのローカル線廃止に反対する活動を通じて、元町長(自民党員)など保守の人たちにも「地元、郷土を守りたい」という強い思いがあることを知ったからだ。

左翼と右翼には、実は共通点がある。「金銭に換算できなくても、時には命を賭けるほど大事なものがある」ということを知っている点だ。たとえば、我々が天皇制と呼んで批判しているもの(保守派は皇室制度と呼ぶ人が多い)であったり、郷土であったり、国旗や国歌であったり。こうしたものが、金銭には置き換えられなくても守るべき価値があると思っている。私のような立場の人間が、人権や憲法や平和主義などを、カネに換算できなくても守るべき価値があると理解しているように。「守る対象が何か」が違うだけで、「カネに換算できないものにも守るべきものがある」と知っている点では、「カネ」しか理解できない腐った新自由主義者より何万倍もマシである。「赤字を垂れ流すだけのローカル線はさっさと廃止しろ」「税金で食っているくせに、ヒモ男と結婚する眞子様は日本から出て行け」などとネットに書き込んでいる連中を見ると吐き気がしてくる。それなら「北方領土返さんかい! オラァ!」のほうがはるかに健全な精神である。

私の言っていることが理解できないという人には、「竹中平蔵と鈴木邦男ならどちらを選ぶか」と言い換えてもいいだろう。私は断然、鈴木さんを選ぶ。竹中みたいな奴と比べること自体が失礼に当たる。

たとえば私が、一院制の100議席の国会を持つ国で、中道左派政党の党首として率いている党が、100議席のうち40議席を獲得して第1党になったと仮定する。第1党にはなったが、過半数には10議席届かず、このままでは少数与党として政権を樹立しても早晩、行き詰まりは必至。ここで他の政党に目を向けると、新自由主義政党と右翼政党が20議席ずつ獲得していて、このどちらかと連立政権を組めば過半数を維持でき、安定政権となる。中道左派の自分から見て、どちらも与しがたい相手だが、政権安定のためにはこのどちらかと組まなければならない。さて、どちらと組むかーー。

このような状況になったら、私はたぶん右翼政党と組むと思う。「カネに換算できなくても守るべきものがある」という価値観を、右翼とは共有できるが新自由主義者とは共有できないからである。ただし右翼政党には、法務大臣(人権問題を担当)、文部科学大臣(学校教育を担当)、環境大臣(原発政策を担当)などのポストは与えないだろうけれど。

そういう意味では、鈴木邦男さんと、ほんの一瞬、わずか数分間だけの対話に過ぎなかったが、そこから得たものは大きかったのではないかという気がする。保守の人の中にも、郷土や歴史、地元経済を守りたいと考える人たちがいる。それを知ることができ、自分の考え方に昔と比べて「幅」が生まれたことは、今につながっていると思う。改めて、そのことを教えてくれた鈴木さんに哀悼の意を表する。

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【転載記事】日本は未来だった、しかし今では過去にとらわれている BBC東京特派員が振り返る

2023-01-25 23:11:38 | その他社会・時事
外国特派員として、10年間という異例の長期間日本で過ごし、このほど離日したBBC記者による日本への「惜別の辞」が話題になっている。日本人の自画自賛的「ニッポンスゴイ」より何倍も参考になるので、全文掲載する。

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日本は未来だった、しかし今では過去にとらわれている BBC東京特派員が振り返る(BBC)

ルーパート・ウィングフィールド=ヘイズ、BBC東京特派員

日本では、家は車に似ている。

新しく入居した途端に、マイホームの価値は購入時の値段から目減りする。40年ローンを払い終わった時点で、資産価値はほぼゼロに等しい。

BBCの東京特派員として初めて着任した時、このことを知って私は途方に暮れた。あれから10年たち、離任の準備をする中でも、この現象は同じだった。

この国の経済は世界第3位の規模だ。平和で、豊かで、平均寿命は世界最長。殺人事件の発生率は世界最低。政治的対立は少なく、パスポートは強力で、新幹線という世界最高の素晴らしい高速鉄道網を持っている。

アメリカとヨーロッパはかつて、強力な日本経済の台頭を恐れていた。現在、中国の経済力の成長を恐れているように。しかし、世界が予想した日本は結局のところ、出現しなかった。1980年代後半に、日本国民はアメリカ国民よりも裕福だった。しかし今では、その収入はイギリス国民より少ない。

日本はもう何十年も、経済の低迷に苦しんできた。変化に対する根強い抵抗と、過去へのかたくなな執着が、経済の前進を阻んできた。そして今や、人口の少子高齢化が進んでいる。

日本は、行き詰まっている。

■かつて未来がここにあった

私が初めて日本に来たのは1993年。当時とりわけ驚いたのは、ネオンがきらびやかな銀座や新宿の街並みではなく、原宿に集まる少女たちのワイルドな「ガングロ」ファッションでもなかった。

自分が行ったことのあるアジアのどこよりも日本ははるかに裕福だと、当時の私は感じて、そのことに驚いた。アジアの他のどの都市よりも、いかに東京が見事なほど清潔できちんとしているか、そのことにも驚いた。

対照的に、香港はうるさくて臭くて、こちらの五感に襲いかかってくる街だった。ヴィクトリア・ピークの高級住宅街と、「魔窟」のような九龍北端の工場街の落差をはじめとして、極端から極端に振れる落差の街だった。私が中国語を勉強していた台北は当時、道路にあふれる2ストローク自動二輪車の騒音がたえまなく響き、鼻をつく排気ガスの臭いと煙で、数十メートル先はもうほとんど見えないというありさまだった。

当時の香港と台北がアジアのやかましい10代の若者だったとするなら、日本はアジアの大人だった。確かに東京はコンクリート・ジャングルだったが、美しく手入れの行き届いたコンクリート・ジャングルだった。

東京の皇居の前には、三菱、三井といった日本の巨大企業のガラス張り社屋がそびえていた。ニューヨークからシドニーに至るまで、野心的な親は子供たちに「日本語を勉強して」と力説していた。自分が中国語を選んだのは間違いだったのか、私もそう思ったことがある。

日本は第2次世界大戦の破壊から復興を遂げ、世界の製造業を席巻した。その利益は国内に還流し、不動産市場を急成長させ、日本の人たちは手当たり次第に土地を買った。森林さえ買った。1980年代半ばにもなると、皇居内の土地の値段が、カリフォルニア州全体の土地の値段と同じだとさえ、冗談めかして言われた。日本で「バブル時代」と呼ばれる時期のことだ。

バブルは1991年にはじけた。東京の市場では株価と不動産価格が暴落し、いまだに回復していない。

最近のことだが、日本の山林を数ヘクタール購入しようとしている友人がいた。所有者の売値は平米あたり20ドル。「今の山林時価は平米あたり2ドルですよと伝えた」のだと友人は言う。

「でも所有者は、1平米あたり20ドル払ってもらわないと困ると言うんだ。1970年代に自分が買った時の地価が、そうだったから」

日本のスマートな新幹線や、トヨタ自動車の驚異的な「ジャストインタイム」生産方式を思えば、この国が効率性のお手本のような場所だと思ったとしても仕方がない。しかし、実態は違う。

むしろ、この国の官僚主義は時に恐ろしいほどだし、巨額の公金があやしい活動に注ぎ込まれている。

私は昨年、日本アルプスのふもとにある小さい町で使われる、見事なマンホール蓋(ふた)の裏話に巡り合った。町の近くの湖で1924年に、氷河時代のナウマンゾウの化石が発見されて以来、ゾウはこの町のシンボルになった。そして数年前に、この有名なゾウの姿をあしらったマンホール蓋を、町のすべてのマンホールに使おうと、誰かが決めた。

同じようなことは日本各地で行われている。「日本マンホール蓋学会」によると、全国のマンホール蓋のデザインは、6000種類に及ぶ。マンホール蓋が大好きだという人が大勢いるのは理解できる。芸術品だと思う。けれども、1枚につき最大900ドル(約12万円)するのだ。

日本がどうして世界最大の公的債務国になったか、理解するヒントになる。そして、高齢化の進む人口は膨れ上がる巨額債務の軽減につながらないし、医療費や年金の圧迫で高齢者は仕事をやめることができないのだ。

私が日本で自動車運転免許を更新したとき、とことん丁寧なスタッフは私を視力検査から写真撮影ブース、料金支払いまで案内してくれて、さらには「第28講習室」へ行くよう指示した。この「安全」講習は、過去5年間で何かしらの交通違反をした全員に義務付けられている。

部屋に入ると、同じように罰を受けるのを待つ人たち、心もとなさそうに座っていた。パリッとした身なりの男性が入ってきて、「講習」は10分後に始まると説明した。しかも、2時間かかると! 

講習の内容を理解する必要さえない。私は内容のほとんどがわからなかったし、2時間目に入ると受講者の何人かは居眠りを始めた。私の隣の男性は、東京タワーのスケッチを完成させた。かなり上手だった。私は退屈で、不満だらけになった。壁の時計が、こちらをあざ笑っているようだった。

「あれはいったい何が目的なの?  あれは、罰なんだよね?」 

オフィスに戻り、日本人の同僚にこう尋ねると、「そうじゃないよ」と彼女は笑った。

「あれは、定年退職した交通警官の働き口を作るためなの」

しかし、この国に長く住めば住むほど、いらいらする部分にも慣れて、愛着さえわくようになる。ちょっと妙だなと思うことさえ、ありがたく思うようになる。たとえば、ガソリンスタンドに行けば、給油している間に従業員4人が車の窓を片端から拭いてくれて、出発する際には全員がそろってお辞儀してくれるのだ。

日本では今でも日本であって、アメリカの複製ではない。そういう感じがする。だからこそ世界は、パウダースノーからファッションまで、日本のいろいろなものが大好きなのだ。東京には素晴らしいことこの上ないレストランがたくさんあるし、(ディズニーには申し訳ないが)スタジオ・ジブリは世界で一番魅力的なアニメを作る。確かにJ-Popはひどいが、それでも日本はまぎれもなく、ソフトパワーの超大国だ。

ギークや変わり者は、日本の素晴らしく妙な部分を愛している。しかし同時に、移民受け入れを拒否し家父長制を維持していることをたたえる、オルタナ右翼もいる。

日本は、古い社会のあり方を手放すことなく、現代社会への変貌を成功させた国だと、よく言われる。これはある程度、本当だ。しかし私は、日本の現代性は表面的なものに過ぎないと思う。

新型コロナウイルスのパンデミックが起きると、国境を封鎖した。定住外国人でさえ、帰国が認められなかった。何十年も日本で暮らし、ここに自宅や事業がある外国人を、なぜ観光客のように扱うのか、私は外務省に質問してみた。返ってきたのは、「全員外国人だから」という身も蓋もない答えだった。

無理やり開国させられてから150年。日本はいまだに、外の世界に対して疑心暗鬼で、恐れてさえいる。

■外部という要因

房総半島の村で会議場に座っていたことがある。消滅の危険があるとされる約900の日本の集落のひとつだったからだ。議場に集まった高齢の男性たちは、現状を心配していた。1970年代以降、若者が仕事を求めて次々と村を離れ、都会へ行くのを、ここのお年寄りたちは見ていた。残る住民60人のうち、10代はたった1人。子供はいなかった。

「自分たちがいなくなったら、だれが墓の世話をするんだ」。高齢男性の1人はこう嘆いた。日本では、死者の霊を慰めるのは大事な仕事なのだ。

しかし、イングランド南東部で生まれた自分にとって、この村が死に絶えるなど、まったくあり得ないばかげたことに思えた。絵葉書にしたいようなたんぼや、豊かな森林におおわれた丘に囲まれた、美しい場所だ。しかも東京は車で2時間弱という近さなのに。

「ここはこんなに美しいのだから」と、私はお年寄りたちに言った。「ここに住みたいという人は大勢いるはずです。たとえば、私が家族を連れてここに住んだら、どう思いますか」。

会議場はしんと静まり返った。お年寄りたちは黙ったまま、ばつが悪そうに、お互いに目をやった。やがて1人が咳ばらいをしてから、不安そうな表情で口を開いた。

「それには、私たちの暮らし方を学んでもらわないと。簡単なことじゃない」

この村は消滅へと向かっていた。それでも、「よそもの」に侵入されるかと思うと、なぜかその方がこの人たちには受け入れがたいのだった。

今では日本人の3割が60歳を超えている。そのため日本は、小国モナコに次いで、世界で最も高齢化の進む国だ。生まれる子供の数は減り続けている。2050年までに人口は現状から2割は減っているかもしれない。

それでもなお、移民受け入れへの強い拒否感は揺らいでいない。日本の人口のうち、外国で生まれた人はわずか約3%だ。イギリスの場合は15%だ。ヨーロッパやアメリカの右翼運動は、日本こそが純血主義と社会的調和の輝かしいお手本だとたたえる。

しかし、そうした称賛をよそに、日本は実はそれほど人種的に一様ではない。北海道にはアイヌがいて、南には沖縄の人たちがいる。朝鮮半島にルーツを持つ人たちは約50万人。中国系は100万人近くいる。そして、両親の片方が外国人だという日本の子供たちもいる。私の子供3人もここに含まれる。

2つの文化にルーツを持つこうした子供は「ハーフ」、つまり「半分」と呼ばれる。侮辱的な表現だが、この国では普通に使われる。有名人や有名スポーツ選手にもいる。たとえば、テニス界のスター、大坂なおみ選手もその1人だ。大衆文化では、「ハーフはきれいで才能がある」とちやほやされることもあるが、ちやほやされるのと、受け入れられるのは、まったく別のことだ。

出生率が低下しているのに移民受け入れを拒否する国がどうなるか知りたいなら、まずは日本を見てみるといい。

実質賃金はもう30年間、上がっていない。韓国や台湾の人たちの収入はすでに日本に追いつき、追い越している。

それでも、日本は変わりそうにない。原因の一部は、権力のレバーを誰が握るのか決める、硬直化した仕組みにある。

■年寄りがまだ権力を握っている

「いいですか、日本の仕組みについて、この点を理解する必要がある」。とある高名な学者が、私にこう言った。

「武士は1868年に刀を手放し、髷(まげ)を落とし、西洋の服を着て、霞ケ関の役所にぞろぞろと入っていった。そして、今でもそこに居座っている」

1868年の日本では、欧米列強によって中国と同じ目に遭うのを恐れた改革派が、徳川幕府を倒した。それ以降、日本は急速な工業化へと邁進(まいしん)することになった。

しかし、この明治維新は、フランス革命におけるバスティーユ陥落とは全く異なる。明治維新は、エリート層によるクーデターだった。1945年に2度目の大転換が訪れても、日本の「名家」はそのまま残った。圧倒的に男性中心のこの国の支配層は、日本は特別だという確信とナショナリズムに彩られている。第2次世界大戦において、日本は加害者ではなく被害者だったのだと、この支配層は信じている。

たとえば、殺害された安倍晋三元首相は元外相の息子で、岸信介元首相の孫だった。岸氏は戦時下に閣僚を務め、戦犯容疑者としてアメリカに逮捕された。それでも絞首刑は免れ、1950年代半ばに自由民主党の結党に参加した。この自由民主党がそれ以来、日本を支配し続けている。

日本は単独政党国家だろうと、冗談で言う人もいる。それは違う。しかし、特権的なエリートが支配する政党、アメリカに押し付けられた平和主義を廃止したいと切望する政党、それなのにもう30年も生活水準を向上させられずにいる政党に、なぜ日本の有権者は繰り返し投票し続けるのか、そこを不思議に思うのは、当然のことだ。

最近の選挙の最中、私は都心から車で西に約2時間離れた、山間の狭い渓谷を車で登った。自民党の地盤だ。そこの地元経済はセメント作りと水力発電に依存している。小さい町の投票所に歩いていくお年寄りの夫妻に、私は話を聞いた。

「自民党に投票する」と男性は言った。「信用しているので。私たちの面倒をしっかり見てくれる」。

「私も主人と同じです」と、男性の妻は言った。

この夫妻は、最近完成したばかりのトンネルと橋を挙げた。これがあれば週末に、都心からの観光客が増えるかもしれないと期待していると。

自民党の支持基盤はコンクリートでできているとよく言われる。利益誘導型のこの政治が原因のひとつとなって、日本の海岸がテトラポッドだらけで、河岸は灰色のコンクリートでがっちり固められている。コンクリートを作り続けるのが不可欠だからだ。

人口構成の影響で、都市部を離れたこうした地域の支持基盤が、今や自民党にとって何より重要だ。何百万人もの若者が就職のために都市部に移動したのだから、それ以外の地域の政治的影響力は減少したはずなのに、そうはならなかった。自民党にとってはその方が好都合だ。高齢者の多い非都市部の票が、重みをもつので。

しかし、高齢者が亡くなり世代交代が進めば、変化は避けがたい。だからといって、日本が今よりリベラルに開放的になるかというと、私は必ずしも確信できずにいる。

日本の若い世代は上の世代よりも、結婚したり子供を持つ可能性が少ない。同時に若い世代の間では、両親や祖父母の世代に比べて、外国語が話せたり、海外留学したりする割合は減っている。日本の経営者に占める女性の割合はわずか13%で、女性の国会議員は10%に満たない。

女性初の東京都知事となった小池百合子氏を取材したとき、男女格差対策をどうするつもりか質問した。

「うちにはもうすぐ大学を卒業する娘が2人います」と私は小池氏に話した。「2人はバイリンガルな日本国民です。君たちはこの国に残ってキャリアを築くべきだと2人を応援するため、何が言えますか」と尋ねた。

「私が成功できるならあなたたちもできますよと、そう言うでしょうね」と、小池氏は答えた。それだけですか? と私は思った。

しかし、こうした諸々のことがあっても、それでもなお、私は日本を懐かしく思うだろう。日本にとてつもない愛着を抱いている。同時に、日本はたまにではなく、しばしば私を辟易(へきえき)とさせる国だ。

東京出発を目前に控え、私は年末に友人たちと都内の商店街を訪れた。ひとつの店で私は、古くて美しい大工道具の入った箱を物色した。そのすぐそばでは、華やかな絹の着物姿の女性たちが立ち話をしていた。昼には、ぎゅうぎゅうづめの小さい食堂になんとかみんなで収まって、焼きサバと刺身とみそ汁の定食に舌鼓を打った。おいしい料理、居心地の良い店、何かと世話を焼いてくれる親切な老夫婦……。すっかりおなじみの、慣れ親しんだものばかりだ。

この国で10年過ごして、私は日本のあり方に慣れたし、日本がそうそう変わらないだろうという事実も受け入れるようになった。

確かに、私は日本の未来を心配している。そして日本の未来は、私たち全員にとって教訓となるだろう。人工知能(AI)の時代には、労働者の数が減っても技術革新は推進できる。高齢化の進む日本の農家も、AIロボットが代役を務めるようになるかもしれない。国土の大部分が自然に帰ることだってあり得る。

日本は次第に、存在感のない存在へと色あせていくのだろうか。それとも日本は自分を作り直すのか。新たに繁栄するには、日本は変化を受け入れなくてはならない。私の頭はそう言っている。しかし、日本をこれほど特別な場所にしているものをこの国が失うのかと思うと、心は痛む。

(英語記事 Japan was the future but it's stuck in the past)

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「裁判所はこれでいいのか」「恥を知れ」~再び怒号が飛び交った東電刑事裁判 1・18報告

2023-01-19 23:22:12 | 原発問題/福島原発事故刑事訴訟
(この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」に発表した記事をそのまま掲載しています。)

 判決結果を知らせる「旗出し」は午後2時15分前後と聞かされていた。しかし、予定より早くその瞬間は訪れた。

 とぼとぼと、引きずるような重い足取りに、悪い予感しかしない。掲げられたのは、3年半前の1審とまったく同じ「全員無罪 不当判決」だった--。

 歴史上最大の公害事件を起こした責任者に罪を負わせてほしい--私たちが望んでいるのはたったこれだけのことである。それ以上のことは望んでいない。こんな簡単なことが、日本の司法ではなぜここまで認められないのだろうか。それとも、私たちの願いが、分をわきまえない、身のほど知らずの高望みだとでも言いたいのだろうか。もし、細田啓介裁判長が心中でそう思っているとしたら、裁判官以前に人間として決定的に間違っていると思う。人を裁く刑事司法を預かる資格が細田裁判長にあるとは思えない。

 2019年の1審の判決文を、結局私は読まなかった。読むのが苦痛だったということもあるが、「読むにも値しない“判決文”という名の駄文なら、読まないこともひとつの抵抗手段なのではないか」と思い直したからである。中身もなく論評にも値しない今回の判決文に対しても、たぶん私は「読まないという形の抵抗権」を行使することになると思う。ここがもしヨーロッパだったら、判決文にトマトソースでもぶっかけられるに違いない。

 もとより予想された判決であり、覚悟はしていた。高裁での審理はわずか3回。検察官役の指定弁護士と被害者代理人が求めた現場検証も、重要な地震学者らの証人申請もすべて却下された。結審を撤回し審理を尽くすよう求めたが、昨年末にこれも棄却される経過を見てきた。だから私は今回「傍聴抽選に当たっても法廷内には入らない」と宣言していた。「お前を殺してやるから出てこい」と言われて、のこのこ出て行く者はいない。初めに結論ありきのやらせ裁判、見せしめ裁判なら、ボイコットも立派な抵抗戦術だと私は思っている。

 昨年6月の結審から半年もあったのに、まったく時間の無駄だった。1審に続き、結果回避可能性はおろか、またも予見可能性すら認めなかったという。「津波の高さ、幅から態様に至るまで、1ミリも違わない正確無比なシミュレーションでなければ予見とは言わない」というのが、偉い裁判官様の出した結論だと聞かされた。あまりに馬鹿げすぎていて、お笑い芸としても少しも面白くない。

 福島原発刑事訴訟支援団の武藤類子副団長は、廷内で手持ちのノートに「裁判所はこれでいいのか」と書いたそうだ。いつもは淡々と、法廷内で話された事実以外は書かない武藤さんの実直な人柄を私は知っている。その心中、悔しさは察して余りある。閉廷直後の法廷では「恥を知れ」という怒号も飛んだ。

 「事故を止められなかった以上、“次”を防ぐことができるなら、福島県民は人柱になってもいいと思ってきた。でもこんな判決では近い将来また事故が起きてしまう。私たちは人柱にもなれないのですか」。福島県三春町から駆けつけた女性は、判決後の裁判所前で、思い詰めた表情でそう話した。

 判決は悪い意味で予想通りだったが、私が恐れていた最悪の展開は免れた。それは、全員無罪の結論を変えないまま、今後の原発に厳格な津波対策を講じることを前提に、司法が原発に「安全」とお墨付きを与えるというシナリオだった。しかし、同時にそれは無理だろうという予測もしていた。もし、そのようなお墨付きを司法が与え、近い将来、2度目の事故が起こったら今度は「あのとき、安全と言ったじゃないか」と司法も責任を問われることになる。そうならないために、東京高裁は1審判決と同じ内容を違う言語表現に置き換えるだけで、「自然災害の予見はできない。故に結果回避もできないから、原発事故を完全防止するには停止以外にない」という1審の論理構成を大枠では変えないだろうというのが判決前の私の予測だった。こうしておけば、2度目の事故が起きても「私たちは安全とは言っていない」と言い逃れができるからである。東京高裁が真の意味での「日本型無責任組織」なら必ずそうするはずだという確信が私にはあった。そして結果はその予測通りになった。

 見方によっては、これは私たち反原発運動には好都合のシナリオである。「誰も責任をとれない原発に安全はなく、全面停止以外に事故を逃れるすべがない」という運動側の主張が正しいことが、司法の場で逆説的に証明されたからである。これまで反原発運動を闘ってきたみなさんは「事故に遭いたくなければ原発は即時全面廃炉にすべきだ」と胸を張って主張してほしい。

 3年半前、1審判決後の報告集会は急きょ、抗議集会と名称を変えて行われた。しかし今回、弁護士会館で開催された報告集会では「抗議集会に名称を変えよう」という声は起きなかった。この日の会場内に敗北感、怒りがなかったと言えばウソになる。しかしそれは3年半前ほどではないと感じた。あきらめ、敗北慣れしたからではない。むしろ逆で、この日の3被告(勝俣恒久元会長、武藤栄、武黒一郎両元副社長)に清水正孝元副社長を加えた4人の元経営陣に、13兆円もの巨額の弁償を命じる株主代表訴訟判決を勝ち取っているからである。仮執行もつけられており、「取り立てが今日にも来るかも」と怯えなければならない3+1被告の立場はこの日も変わっていないのだ。

 「自分1人ならとっくに心が折れていた。ここまでやってこれたのはみなさんと一緒だったからだ」。報告集会では、ぶれずに団結し、闘い抜いた被害者を称える声が上がった。「悔しいが、まだ最高裁がある」と気を引き締める声も出た。

 『割れる司法判断のはざまで苦しむ被災者から疑問の声が上がるのは当然だろう。検察官役の指定弁護士は上告するかどうかを検討するとしている。未曽有の災禍を招いた背景や責任の所在をより明確にするためにも、前向きに考えるべきではないか……刑事的な責任についても上告審の場で厳しく審理してほしい』(判決翌日、1月19日付『福島民報』社説)。

 地元民放・福島テレビの株式は、半分を福島県が、1割を福島民報が保有している。「県営放送」と揶揄されてきた民放局の影響下にあり、300人もの子どもたちが甲状腺がんにかかっても完全黙殺を貫く地元紙に、これまで何度も悔しい思いをさせられた。その「県営新聞」がここまで踏み込んだ論陣を張るのは珍しい。岸田政権の原発政策「180度大転換」「原発全面活用」政策が、おとなしかった福島県民の怒りに再び火を点けつつあるのではないか。

 確かに刑事訴訟の前途はひいき目に見ても厳しい。もちろん勝つことは大切だが、裁判の価値はそれだけにあるのではない。強制起訴が実現することによって、日の目を見なかった膨大な証拠が開示され、株主代表訴訟の法廷にも提出された。日本裁判史上最高の「13兆円の賠償」を引き出す力になったのがこれらの膨大な証拠である。検察の不起訴を検察審査会が覆した強制起訴事件で、無罪判決が出るたびに繰り返されてきた「強制起訴不要/見直し論」を今回、メディアに展開させなかった。東電刑事裁判が歴史を一歩進めたことは紛れもない事実だ。

 報告集会では私も登壇し発言した。「私たちが裁判で負けるような悪いことでもしたのでしょうか。何もしていません。悪いことをしていない私たちに負ける理由がありません。だから私は、負けたのは私たちではなく日本の司法だと思うのです。本音を言えば、検察官役の指定弁護士には今日中に上告手続きを取ってもらいたい」。

 某国の前大統領ではないが、私たちには2つの選択肢しかない。「私たちが勝つか、司法が盗まれるか」だ。私たちは負けていない。司法が原子力ムラに盗まれただけだ。当たり前のことほど、今の日本では通らない。それを当たり前のこととして通るようにしたいーーその願いは決して身のほど知らずの高望みなどではない。闘いはまだ終わらない。

<参考記事>
「恥を知れ」と怒声が飛んだ…高裁が出した無罪判決に被災者から怒りの声 東電旧経営陣の刑事裁判(2022.1.19「東京新聞」)

(社説)【強制起訴二審無罪】決着とはいかない(2022.1.19「福島民報」)

<当日の動画>
2023.1.18 東電旧経営陣は原発事故の責任をとれ! 東電刑事訴訟控訴審 東京高裁前アピール行動


2023.1.18 東電刑事訴訟 「全員無罪 不当判決」旗出しの瞬間

 
2023.1.18 東電刑事訴訟 旧経営陣を免罪する不当判決糾弾! 判決後報告集会


(報告・文責 黒鉄好)

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2023.1.18 東電刑事裁判・判決直前 東京高裁前スピーチ

2023-01-18 23:15:17 | 原発問題/福島原発事故刑事訴訟
 みなさん、新しい年、2023年を迎えました。本年もよろしくお願いします。

 私は、昨年末まで、人類は2023年を果たして本当に迎えられるのか、2022年のうちに人類は滅亡してしまうのではないかという不安にさいなまれていました。世界で最も多い、6000発を超える核兵器を持つ国が戦争を始め、何度も核兵器の使用がほのめかされる状況にあったからです。それでも、ともかくも2023年を迎えることができた。まずそのことを、この場にいるみなさんと喜び合いたいと思います。

 核の時代の平和とは、はかなく、脆いものです。もはや原発、原子力と人類はこれ以上1日たりとも共存することはできません。新しい年を核廃絶への一歩にする、その決意をみなさんと共有したいと思います。

 2023年は卯年です。2011年も卯年でした。ちょうど暦が一回りしたことになります。この12年間、原発事故に起因する問題で1つでも解決したものがあるでしょうか。まだ何も解決していないじゃないですか。それなのに、日本政府は、暦が一回りしたのだから、もう福島のことなんてどうでもいいのだと言わんばかりに、原発再稼働・新増設、運転期間延長とやりたい放題です。しかし、暦が一回りしたということは、見方を変えれば、ぐるりと回って元に戻る、原点に立ち返るとも解釈できます。苦しかった12年前の卯年、悔しくて仕方なかったあの卯年の気持ちに立ち返り、再びそこを原点に、足下を固め直し、原子力の時代を1日も早く終わらせる。2023年をそのような年にしなければなりません。

 奇しくも、昨日1月17日は阪神大震災から28年目でした。阪神大震災の日ということで、私は昨日、久しぶりに地震本部(推本)のホームページを見てみました。「阪神・淡路大震災の経験を活かし、地震に関する調査研究の成果を社会に伝え、政府として一元的に推進するために設置された特別の機関」が地震本部だと、そこには書かれています。

 地震本部もまた、28年の歴史を持つ組織です。生まれたばかりの赤ん坊が、大人になるよりも長い期間、日本で一流といわれる地震学者が、日々議論し、積み重ねた知見、長期評価、それらすべてを司法が否定し、信頼性のないものだとするならば、私たちはこれからいったい何を信頼し、何によりどころを求めればいいのでしょうか。全世界的にみればわずかな陸地面積なのに、世界の地震の1割は日本で起きています。30年近く積み上げられてきた知見を否定するということは、そのような地震大国で、実質的に地震対策は何もするなと言っているに等しく、これはまさに暴挙です。そのような1審判決は、今日、この高裁で、全面的に書き改められるものと、私は確信しています。

 今日は、首都圏からも多くの人が応援に駆けつけてくれています。首都圏の人たちにぜひお知らせしたいことがあります。1923年の関東大震災から、今年は100年の節目の年だということです。今、この瞬間も、東京の地下では、太平洋プレート、フィリピン海プレート、北米プレート、ユーラシアプレートという4枚のプレートがぶつかり合い、押し合っています。4枚のプレートがぶつかり合うという、世界有数の危険な場所で、100年もの間、多くの被害者を出す地震らしい地震が起きなかったことはまさに奇跡というほかありません。日本の首都・東京の繁栄も、みなさんの豊かで平和な暮らしも、明日崩壊してもおかしくない薄氷の上にあります。そのような薄氷の上に原発などとんでもないことです。私は、今日ここに、核と原子力の時代に直ちに終止符を打つべきことを、改めて訴えるとともに、みなさんとともに手を携えて頑張りたいと思います。

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2023年 新年目標

2023-01-15 22:03:30 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
さて、大変遅くなりましたが、2023年の新年目標を発表します。コロナ禍と、私自身の精神的不調もあって、2020~2022年の3年間は新年目標の発表を見合わせました。そのため、目標発表は4年ぶりです。

2023年は5線区以上の完乗達成を目標とします。今年は「相鉄・東急新横浜線」、福岡市の地下鉄「七隈線」延伸、そして全国初の全線新設LRT(次世代型路面電車)「芳賀・宇都宮LRT」の開業が予定されています。このうち、相鉄・東急新横浜線だけは、必ず乗りたいと考えています。このほか、首都圏周辺で4線区乗りたいです。

宇都宮のLRTも、できれば乗りに行きたいですが、開業が延期になった上、試運転からいきなり脱線事故が起きるなど前途多難です。開業後にきちんと運行できるかどうかも見守りたいと思います。

しかし、鉄道会社が試運転を無事故で終えることすらできないとは……改めて、日本の鉄道技術力の著しい低下を感じますが、3大都市圏以外では、日本の鉄道はもう四半世紀以上、廃線以外のことは何もしてこなかったのですから、技術力など低下して当然だと思います。鉄道事業者には、鉄道開業150年を機会に心を入れ替えていただきたいと思います。

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【週刊 本の発見】『東電役員に13兆円の支払いを命ず!~東電株主代表訴訟判決』

2023-01-06 20:43:46 | 書評・本の紹介
(この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」の書評コーナー「週刊 本の発見」に寄稿した内容をそのまま転載したものです。)

【週刊 本の発見】日本反原発運動史上最大の勝利をご覧あれ!

『東電役員に13兆円の支払いを命ず!~東電株主代表訴訟判決』(河合弘之・海渡雄一・木村結・編、旬報社、1,700円+税、2022年10月)評者:黒鉄好


 2023年初の「週刊 本の発見」は新年にふさわしく、元気の出る1冊から始めたい。2022年7月、東電元経営者4人に13兆3210億円という天文学的金額の弁償命令が出された東電株主代表訴訟の本である。

 1986年のチェルノブイリ原発事故をきっかけに、ミニ政党「原発いらない人びと」が結成され、1989年参院選では比例区に候補者を立てる。東京電力の株主運動がそこから続く息の長いものであることは本書を読むまで知らなかった。「日本の原発はチェルノブイリと違い危険な黒鉛は使っていない。絶対安全なので一緒にしないでほしい」とテレビで言い放つ御用学者たちの堕落、無反省ぶりを見て、次の大事故は日本かもしれないと危惧を抱いたのが高校生の頃だった。その小さな危惧は、四半世紀の時を経て現実となった。

 第5章「福島原発事故をめぐる東京電力物語」は、株主側代理人を務めた弁護士による対談形式となっており異彩を放っている。物語というタイトルだけ見ると小説のように感じられるが、この裁判で認められた事実を中心に、福島第1原発建設から事故に至るまでを歴史として描き出し、事故に立体感を与えている。

 この裁判を完全勝利に導いた決定打は3裁判官による現地進行協議である。朝倉佳秀裁判長らは、日本の裁判官として初めて福島第1原発の構内を視察。津波による浸水の恐れがある箇所の扉が防水構造になっていなかったことなどを直接見て確認している。

 第4章、第6章~第8章で詳述された膨大で多岐にわたる争点の中でも避けて通れないのは、国の地震本部が2002年に公表した三陸沖地震に関する「長期評価」である。朝倉裁判長は、地震学者の議論を経てこの長期評価がとりまとめられる際、事務局として気象庁から地震本部に出向した浜田信生氏などの重要人物を出廷、証言させている。同じように旧経営陣の責任が争われている刑事訴訟でも、検察官役の指定弁護士が浜田氏の証人申請をしたが認められなかった。刑事訴訟はこの18日に控訴審判決(東京高裁)を迎えるが、その内容次第では、朝倉裁判長の訴訟指揮の的確さが再び浮き彫りになる可能性がある。

 日本を代表する大企業の多くが本社を置き、良くも悪くも一極集中の象徴である東京では、企業統治は一大関心事だ。だからこそ東京地裁には商事部がある。今回の判決が東京地裁商事部の威信をかけたものであり、13兆円の弁償に仮執行(判決確定前の取り立て)の許可が付されたのも商事部の自信の表れであると、本書は暗にほのめかす。何かあれば巨額の弁償・賠償が待つと思うと気になって夜も眠れない――経営者にそう思わせることができたとき、初めて企業統治に生命力が与えられるのである。

 「40年に及ぶ弁護士人生のなかで、・・この日にあの法廷で胸にあふれた感動は最も印象深い」(本書P.52)と海渡雄一弁護士は述べる。儲けにならず、光も当たらず、負け戦が当たり前の人権派弁護士として半生を送ってきた人物にそう言わしめた珠玉の判決の全貌に本書でぜひ触れてほしい。福島県民に相談もなく決まった「原発フル活用」政策の全面転換めざして闘うすべての人びとにとって「栄養価」の高い本である。

(※評者による東電株主代表訴訟判決の報告記事も参照)

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お正月こぼれ話~ブログ仲間と「闘うオフ会」②守田敏也さんと京都を歩く

2023-01-03 20:24:33 | 日記
1月2日。昨日に引き続き、今日もネット上だけのおつきあいだった方とリアルで初めてお会いする。昨日と異なり、今日は妻も同行している。ブログ「明日に向けて」管理人、守田敏也さんと10時に京都駅で落ち合う。守田さんは福島原発事故後にこのブログを立ち上げ、フリージャーナリストとして放射能被ばくの問題と向き合い続け、その危険性を訴える活動をほぼ休みなく続けてきた。

京都駅から地下鉄烏丸線で烏丸御池へ。東西線に乗り換え、東山で降りる。最初の訪問地、南禅寺を見る。

<写真>南禅寺


南禅寺内部を拝観後、お茶席(有料)で抹茶をご馳走になる。拝観後、近くの湯豆腐屋で昼食を取ろうとしたが、満席だったため、うどん屋「大力邸」に変更する。この店は、うどん屋を名乗っているものの、本業は精肉卸売業で高級牛肉に定評がある。守田さんは肉うどんを注文。私は別のうどんを注文したが、やっぱり肉うどんがよかったかなぁとも思う。

お腹を満たした後は、3人でしばし談義。守田さんはこれまで、原発問題を中心に発信、講演活動などを続けてきたが、最近はこれに加えて経済問題、特に社会的共通資本に対する問題意識が加わってきているという。拙著「地域における鉄道の復権 持続可能な社会への展望」(緑風出版)、「住民の足を守ろう―権利としての地域公共交通」(月刊「住民と自治」2022年8月号)の話をすると、ぜひ購入したいとのことだった。後日の送付を約束する。

午後からは銀閣寺を訪れる。京都には、中学時代に修学旅行で来ているが、二条城、清水寺などには行ったものの、銀閣寺はもちろん金閣寺も訪れていない(金閣寺と東映太秦映画村はどちらか1つだけと学校に言われ、まだ子どもだった当時の私たちは迷わず映画村を選んだ)。したがって、銀閣寺は今回、初訪問となる。

<写真>銀閣寺


それにしても、コロナ禍で中止されていた外国人の受け入れが再開されてまだ半年程度なのに、もうそこここに外国人観光客が往来しているのには驚かされる。最近は北海道も外国人が増えてきているが、この状況だと、コロナ以前、京都市営バスが観光客に占拠され、京都市民が乗れないなどといわれて騒ぎになった「観光公害」状態に戻るのも時間の問題だと思う。

銀閣寺を見た後、歩き疲れた私たちは喫茶店で歓談する。当ブログでも取り上げている昨年10月の国連特別報告者セシリア・ヒメネス・ダマリーさんによる「国内避難民の人権に関する訪日調査」など、原発や放射線被ばく、福島県内の状況や避難者の現状などが話題に上った。

午後4時00分京都発の特急「はるか41号」に乗るため、3時頃喫茶店を辞す。タクシーで今出川駅まで行き、地下鉄烏丸線で京都へ。何とかぎりぎり間に合う。関西空港から新千歳行きANA便で帰宅。帰省している間も北海道は温暖だったようで、路面にほとんど雪がなく、道外用に履いていた雪道用でない靴のまま帰宅できたのは驚きだった。改めて今年の冬の異常さを思う。

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お正月こぼれ話~ブログ仲間と「闘うオフ会」①大阪・釜ヶ崎越冬闘争の現場で

2023-01-02 23:07:45 | 日記
さて、今年の正月は3年ぶりに行動制限がなかったため、私も12月29日から久しぶりに実家に帰省した。数年前に後期高齢者入りした父に続き、今年は母も後期高齢者入りする。この年齢で五体満足ということはないが、幸い、見た限りではもう少し余生を送れそうな雰囲気で、良かったと思っている。

九州の自分の実家に帰った後、元日に出発し、妻の実家のある大阪に向かう。今回は諸事情で元日から1月2日までしか大阪に滞在できない。その上、元日の夕方から2日にかけて時間が空いてしまったため、関西方面でかねてからお会いしてみたいと思っていた方に連続してお会いすることができた。今回はその話をしておきたいと思う。

1人目は、ブログ「アフガン・イラク・北朝鮮と日本」管理人のプレカリアートさんという方である。JR福知山線脱線事故(2005年)当時に当ブログを知って以来、もう20年近くも当ブログの記事を読んでいただいている。私も、イラク戦争と前後して「アフガン・イラク・北朝鮮と日本」を時折閲覧するようになり、それは今なお続いている。政治的立場もきわめて近い方だと思って以前から親近感を抱いていた。書き込みからは、流通業に従事する非正規労働者の男性で、私と同じく鉄道ファンという人物像が見えていたが、それ以外のことはまったくわからない。正直なところ、会ってもらえるかどうかも含め、手探り状態だった。

12月に入って連絡を取ってみたところ、元日なら公休日なのでお会いできるとの返事があり、さすがに嬉しくなった。ネット上だけだった人と実際にお会いする体験をするのは、今はもう閉鎖されてしまったネットの掲示板で初めてのオフ会が開催された1999年以来のことだ。なんと20年以上ぶりである。

プレカリアートという言葉にはちゃんと意味がある。「不安定」を意味する英語のprecarious、またはイタリア語の precarioと労働者階級を意味するプロレタリアートを掛け合わせた造語で、非正規雇用が一般化した2000年代頃から使われるようになった。ただし、用語のニュアンスとしては階級意識を持ち、きちんと働いて生計を立てている非正規労働者が、誇りを持って自称するための用語である。プレカリアートユニオンという労働組合もあるくらいだ。

(まったくの余談だが、団塊世代の元学生運動家の間では、革命に役立たない落ちこぼれ労働者をルンペンプロレタリアート、略してルンプロと呼んでいた。マルクス自身がそう呼んでいたことに由来する。学生運動家が「ご通行中の労働者、学生、ルンプロ諸君! 我々は○○派です」などと街頭演説していた時代があった。ルンプロは蔑称であり、労働者が自分自身をそう呼ぶことは決してなかった。これに対し、プレカリアートは労働者が自称するのに恥ずかしくない用語であり、かつてのルンプロとはまったく違っている。)

待ち合わせ場所に現れたプレカリアートさんは、私より小柄な方で、かつて西成で日雇い労働をしていたイメージからはかけ離れていた。物腰も柔らかく、人格者であることはすぐにわかった。

しばらく、西成区の日雇い労働者の町、あいりん地区を案内していただいた。今では言われないと、ここがあいりん地区とはわからないくらいに街並みはきれいになっているが、プレカリアートさんによれば、かつては女性、いや男性でも夜間、ひとりで歩くのは危険なほど治安は悪かったという。時折、阪堺電車が走っていくのが見えた。今でこそ新型車両に置き換わったが、かつては「半壊」電軌と呼ばれていた時代もある。

<写真>あいりん労働センター争議団事務所前。建物の取り壊しの計画があり、労働者が阻止のため寝泊まりしている


<写真>あいりん地区から見える白い瀟洒なホテルは星野リゾートが建設。外国人富裕層が主に利用するという。
日雇労働者との間に「階級社会」が到来していることを見せつけられる


その後は釜ヶ崎で行われている越冬祭りの現場に2人で行く。日雇い労働者は、仕事がなくなる年末年始に生活が困窮することが多く、炊き出し支援が行われてきた。東京・山谷、名古屋・笹島、そしてこの大阪・釜ヶ崎が日本3大越冬闘争として知られている。会場で配られたパンフレットを見ると、この越冬祭りも53回目と長い歴史を持つ。

実はこの釜ヶ崎越冬闘争、過去2年は新型コロナのためステージ企画などの祭りは中止され、弁当配布だけの異例の形となっていた。行動制限が解除され、この年末はステージ企画、温かい食べ物の炊き出しが3年ぶりの復活。この支援を心待ちにしている労働者がいかに多かったかは、私にまで「炊き出しはどこでやっていますか」と尋ねてくる人がいたことからもわかる。3年ぶりに炊き出しが復活するとあってか、会場にいる労働者にどこか安堵の表情が見えたような気がしたのだ(もっとも、今回が初めての私には、過去との比較はできないものの、少なくとも悲壮感は見えなかった)。

プレカリアートさんから「炊き出しのカレーを食べませんか」とお誘いを受けた。私には正直、2つの意味でためらいがあった。1つは、日雇い労働者でもなく、安定した正規雇用を保障されている自分に炊き出しの列に並ぶ資格があるのか、というある種の「後ろめたさ」。もう1つは、自分が並ぶことで本来、食べられるはずだった誰かが食べられなくなるのではないかという「恐れ」だった。

だが、そのどちらも杞憂だった。日雇い労働者は無料で食べられるが、それ以外の人も100円を払えば炊き出しを利用できるという。しかも、大量に振る舞われ、既に1杯目を食べ終わった人たちがおかわりに長蛇の列をなしている。誰かがあぶれる心配もしなくて良さそうな雰囲気だった。

胃の摘出手術をして以来、極端にスパイスの効いた辛いものを食べると下痢をしてしまうことが多く、食べるかどうかに迷いもあった。だが、私のような立場の人間にとって、普通なら接点を持てないはずのプレカリアートさんとせっかくこのような形で労働者同士の連帯が芽生えようとしているのだ。一晩くらいなら影響があってもかまわない。それより労働者同士の連帯のほうが大事だ。食っちまえ! とばかりに口に運んだ。幸いなことに、カレーを食べたことによる体調悪化は見られなかった。術後6年経過し、少々の刺激物なら受け入れられるようになってきていることを、改めて確認できた。

<写真>釜ヶ崎越冬祭りにて、踊っているスタッフ。公園内では「参加者の顔が見える形での撮影・配信は禁止」となっていたが、今どき漢字で「夜露四苦」なんて……昔の暴走族みたいなノリで、面白くてつい撮影してしまいました。後ろ姿だし、お許しを……(ちなみにヤンキーや暴走族の場合は「夜露四苦」ではなく「夜露死苦」と書く場合が多いです……って、何を言ってんだか)


<写真>炊き出しで出されたカレー。おかわりで並ぶ労働者も多く、越冬闘争の重要さを思い知らされる。
もっとも、本当に重要なのは「休暇を取っても賃金の減ることのない」安定雇用だと思うが……


大阪という土地柄もあるのかもしれないが、労働者が煙草を吸っては、吸い殻をポイポイと公園内に捨てている。それを1本1本、拾って歩くスタッフもいるなど、越冬祭りには「秩序」と「カオス」が同居して不思議な魅力がある。祭り全体としては地域に迷惑をかけない形できちんと自己完結できていることも、この越冬闘争が長く続いている秘訣だと感じた。

夜のとばりが降り、カレーが配られ始める頃、自称「いおり」さんという年齢不詳の女性シンガーがステージに立つ。ここで歌い始めて10年ほど経つと自己紹介。「誰でも知っている曲を歌いま~す!」と宣言。THE BLUE HEARTSの「青空」、山本リンダの「こまっちゃうナ」「どうにもとまらない」をノリノリの熱唱。なるほど、私たちの年代でこれらの曲を知らない人はいないだろう。

ちなみに「青空」はTHE BLUE HEARTSのなかでも気に入っている1曲である。「生まれたところや皮膚や目の色で いったいこの僕の何がわかるというのだろう」という部分が、特に好きだ。つまらない差別や、ヘイトや、弱者へのバッシングを繰り返す愚か者への怒りがわいたときに聴くことにしている。

プレカリアートさんは、年末年始といっても公休日以外は出勤で、普段と変わらない。明日も仕事があるため、カレーを食べ終わった午後6時半頃、再会を期して別れた。

ブログを見ている限りでは、もっと尖ったキャラクターを想像していた。繊細な妻を会わせるのはちょっとどうかな、と思い、妻に同行を求めなかった理由もそこにある。だが、プレカリアートさんに事前に抱いていたイメージはいい意味で裏切られた。オフ会の楽しさ、醍醐味だ。次回、関西方面に来るときに、彼の負担にならない範囲でまた会えたら、と思う。

この国を動かしている「エリート」と呼ばれる人にこそ、ここで働いている人たちの姿を見てもらいたいと私は思っている。この国と社会の「もうひとつの姿」など、興味も知る気もないかもしれないが、不安定な雇用形態であっても、労働者としての自分自身に誇りを持って働いている人が日本経済を支えている。社長や総理大臣が1ヶ月くらい不在でも日本経済は動くが、この労働者たちが1日でもいなくなったら日本経済は決して動かないのだ。

プレカリアートさんとの出会いが心地よく、すがすがしかったため長文になってしまった。本当は、この翌日(1月2日)の京都での「オフ会パート2」についても書きたかったが、稿を改める。

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管理人より新年のご挨拶を申し上げます

2023-01-02 20:44:00 | 日記
既に1月2日も終わろうとしていますが、改めて、管理人より新年のご挨拶を申し上げます。

2022年2月にウクライナ戦争が勃発して以来、戦争当事国の首脳から何度も核兵器使用の言及が行われる中、ともかくも、人類に新しい年、2023年が到来したことをまずは喜びたいと思います。結局、戦争は停戦できないまま、新しい年に持ち越されました。

戦争を善悪二元論で捉えると本質を見失うと思います。戦争は正義と悪の闘いではありません。正義と「別の正義」との闘いです。「盗人にも三分の理」があります。だからこそ簡単には終わりません。

既に、この戦争を停戦に導くことができる人や組織が現れればノーベル平和賞という噂も聞こえてきています。いつの時代も戦争は多くの罪のない人々の命を奪う最も非生産的犯罪行為です。この原点に立ち返り、2023年を停戦の年にする必要があります。

国内では、統一協会問題が引き続き最大の争点だと思います。このような勢力が政治を支配している限り、日本の暗黒は終わりません。昨年、当ブログは、統一協会に関係している人や組織の調査を続け、いくつかの背後関係が見えてきていますが、今年も引き続き、調査と洗い出しを進めます。

昨年、開業150年の節目を迎えた鉄道に関しては、当ブログの予想通り大きな動きがありました。JR東日本・西日本が赤字区間を公表し、沿線自治体との協議の意向を示しました。

この問題に関しては、一部メディアが報じていますが、昨年7月、国交省の検討会が公表した提言に沿って、赤字区間に関するJRと沿線地域の協議を義務づけるための鉄道事業法改正案が、この1月に招集される予定の臨時国会に提出される可能性があります。一方で、日本共産党が全路線を維持するための提案を公表し、攻防が激しさを増しています。

本州3社はコロナ禍からの急激な回復で2022年度、黒字決算に戻っており、巨額の内部留保も抱えたままです。このような状態で赤字区間の廃止など許されません。当ブログ・安全問題研究会は今年を勝負の年と位置付け、公共交通維持の活動を強化します。

新年目標等は、追って発表します。今年も当ブログと安全問題研究会をよろしくお願いします。

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