安全問題研究会~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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こんなホテルには泊まってはいけない~欠陥ホテルの実例、教えます

2016-09-24 21:48:01 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
当ブログ管理人が7月末、所用で大阪府内に出かけたときのこと。重大な欠陥ホテルの実例に遭遇した。その後、入院するなどしたため当ブログに書けないままになっていたが、当ブログは鉄道乗りつぶしや旅行を趣味にする方の多くに見られている可能性があるので、2ヶ月以上前のこととはいえ、今後のみなさんの旅行の参考になるように書き留めておくことにする。該当するホテルを「見せしめ」にすることが目的ではないので、ホテル名を挙げることはしない。

このとき私の泊まったホテルの何が問題だったのか? 論より証拠、まずはこの写真をご覧いただこう。



宿泊した部屋の入口ドアの内側に、このような避難経路図が貼ってあった。そのこと自体はよいことだが、問題はその内容だ。

私の泊まった部屋は、一番奥の706号室。705号室と706号室の間に挟まれた廊下の突き当たりの小さな空間が機械室になっていることを、私は直接見て確認した。

察しのいい方はお気づきになったかもしれない。そう、このホテルには廊下の突き当たりに非常口と、避難用の非常階段がないのだ。非常口は一応、2カ所に設けてあるが、その2カ所は、私の泊まった706号室から見ると同一方向に位置している。この状態で、例えば、708号室から出火して、廊下にまで燃え広がった場合、私はどこに逃げればいいのか? この部屋は7階なので、窓から飛び降りても助かる保障はない。

こんな状態で、よく消防署から何も言われなかったな、と思ってしまう重大な欠陥だ。接客態度がいいとか、食事がおいしいとか、そんなことはどうでもいいし、他でいくらでも代替が利く。いざというときに命を守れないようなホテルには、絶対に泊まってはならない。

とりあえず、このホテルは私の中で「ブラックリスト」入りした。当ブログ読者のみなさんも、ホテルに泊まったら設備のチェックはきちんとして、もしこのような実例を見かけたら今後は使わないようにしてほしい。

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高速増殖炉「もんじゅ」の「廃炉の方向」が定まったことに関する脱原発弁護団全国連絡会の声明

2016-09-22 23:03:28 | 原発問題/一般
すでに各方面で報道されているとおり、福井県敦賀市の高速増殖炉「もんじゅ」について、政府が「廃炉の方向」で年末までに正式決定を行うことが決まった。年末までの約3ヶ月間は、福井県や敦賀市など「もんじゅ」存続に固執している地元自治体を説得するための期間に充てるために設けられたとみられ、廃炉の方向性は揺るがないとみられる。

これに関し、脱原発弁護団全国連絡会が発表した声明を以下に全文掲載する。なお、「もんじゅ」をめぐるこの間の主な経過、そして今後の見通しについては、当ブログの2015年11月5日付け記事「もんじゅ、原子力機構(旧動燃)から運営剥奪へ ついに核燃料サイクル破たんのパンドラの箱が開く!」を参照されたい。この記事に、現時点で付け加えることはない。

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もんじゅ廃炉を歓迎し,核燃料サイクル政策の停止と全原発の稼働停止を求める共同声明(脱原発弁護団全国連絡会)

2016年9月22日

もんじゅ廃炉へ

政府は,21日原子力関係閣僚会議の結論として,高速増殖炉原型炉もんじゅの廃炉の方向を決め,年内に最終判断を行うと公表した。まだ,最終決定ではないが,我々第一次,第二次もんじゅ訴訟そして全国の脱原発訴訟に関わってきた者として,遅きに失したとはいえ,政府がもんじゅ廃炉の方向性を確認したことを歓迎し,年内には,確実に廃炉を決定することを求める。

軽水炉は,核燃料としてウラン235を使用するのに対し,高速増殖炉は,ウラン235を濃縮した残りの劣化ウランと燃えるプルトニウム239の混合酸化物を使用し,核分裂によって生じた高速の中性子を劣化ウランの約99.7%を占めるウラン238に衝突させ,それをプルトニウム239に転換し,消費した燃料以上の核燃料物質を増殖できる夢の原子炉とされた。

もんじゅは1995年にフル出力運転の15日分程度発電したに過ぎない。2014年度までに要した建設費と維持管理費,燃料費は1兆3300億円に達している(これは人件費を除いた数字である。)。まったく運転していない現在でも安全対策費や設備維持費等が年間約197億円,人件費が年間約30億円,固定資産税が年間12億円の合計年約239億円という莫大な政府予算が組まれてきた。その意味でも,今回の決定は遅すぎたといわなければならない。

もんじゅのケタ違いの危険性

「もんじゅの危険性」は高速中性子を使用することと,プルトニウム燃料を使用すること,水や空気と触れると激しく反応する液体ナトリウムを冷却材として使用することに由来する。

(1)炉心にはプルトニウムを18%も含んだ燃料を詰め込んでおり,軽水炉の場合と異なって制御しにくく,出力暴走事故を起こしやすい。(2)ナトリウムは熱しやすく冷めやすいので配管の肉厚は薄く天井からつりさげられているため,地震には弱い。(3)ナトリウムが空気中に漏えいすると激しく燃焼し,コンクリートと反応すると激しく化合して建物を損傷する。(4)蒸気発生器で細管が破断すると高圧の水がナトリウム中に噴出して反応し,他の細管を大量に破断する事故が起こりやすい。(5)冷却材が喪失したときのための緊急炉心冷却装置がなく,外部から水を掛けるわけにもいかない。

今こそ,最高裁判所は反省を

もんじゅについては,2003年1月27日名古屋高裁金沢支部(川崎和夫裁判長)は,このような危険性を認め,もんじゅ許可処分の無効を確認する住民側全面勝訴判決を下した。

しかし,2005年5月30日最高裁第1小法廷は,原判決を破棄し,地裁判決を正当として住民側の請求を棄却する判決を下した(泉徳治 横尾和子 甲斐中辰夫 島田仁郎 才口千晴)。この最高裁判決は,事故に対応して設置許可の変更までしなければならなかった原処分について,違法性がないと断じた驚くべきものであった。また,高裁判決が認定していない事実を最高裁が勝手に書き加え,その認定と矛盾する高裁の認定事実は全て無視してなされたものである。最高裁は,みずからの打ち立てた伊方判決基準すら無視し,国策に屈したものと評さざるを得ない。

もんじゅの廃炉がここまで遅れたことには最高裁の誤った判断にも大きな責任がある。そのことによって約2600億円(年約239億円×11年分)の税金が浪費された。最高裁は深く反省すべきである。そして最高裁が過剰に尊重した「国策」なるものが、この程度のものであったことを知るべきである。最高裁は,現在係属中の原発の再稼働をめぐる訴訟において,同様の過ちを繰り返すことなく,福島原発事故のような深刻な事故を繰り返さないための明確な司法判断の基準を示すべきである。

第一次もんじゅ訴訟の意義

私たちの訴訟は,高裁勝訴判決を勝ち取るところまでもんじゅを追いつめながら,最高裁での逆転判決を許し,もんじゅのとどめを刺せなかった。しかし,この訴訟はもんじゅの本質的な危険性を明らかにし,今回の政府決定につながる重大な意義があったといえる。

すなわち,第一次もんじゅ訴訟によって,原告団・弁護団ナトリウム漏洩事故直後に我々が事故現場に検証のために立ち入ることができた。そのためナトリウム・コンクリート反応を防止するための防壁であるライナーの損傷という重大事実をクローズアップすることができた。蒸気発生器の高温ラプチャ問題も,訴訟がなければ,大量の伝熱管破断をもたらしたSWAT3-RUN16実験の存在などは永遠に秘密にされたままだっただろう。炉心崩壊事故の潜在的な危険性についても,動燃の秘密レポートは明らかにされることなく,深く埋もれたままとなっていただろう。

もんじゅの延命を許さないため第二次もんじゅ訴訟を提起

第二次もんじゅ訴訟は,原子力規制委員会の日本原子力研究開発機構に対する「失格」宣言を機としてもんじゅに最後のとどめを刺そうとしたものである。動燃は,1998年10月1日,改組され,核燃料サイクル開発機構となり,2005年10月1日,日本原子力研究所と統合再編され,機構が発足した。機構は,2010年5月6日から同年7月22日まで,「もんじゅ」のゼロ出力での炉心確認試験を実施した。その直後の同年8月26日,「もんじゅ」の炉内中継装置を原子炉容器内に落下させ,変形し引き抜くことができなくなった。2012年11月,「もんじゅ」では,約9千機器について点検時期を超過していたことが確認されたことから,原子力規制委員会は,同年12月12日,保安措置命令及び報告徴収を発出し,2013年5月29日にも追加の保安措置命令を発出した。原子力規制委員会は,2015年11月13日,文部科学大臣に対し,原子力規制委員会設置法4条2項に基づき,勧告を行い,機構に代わってもんじゅの出力運転を安全に行う能力を有すると認められる者を具体的に特定すること,それが困難であるならば,もんじゅが有する安全上のリスクを明確に低減させるよう,もんじゅという発電用原子炉施設の在り方を抜本的に見直すことを求めた。

我々と立場は違うが,もんじゅの技術的困難性と機構の能力についての規制委員会の見方は共有できると私たちは考え,もんじゅの延命を許さず,その設置許可の取消を求めて第二次もんじゅ訴訟を提起した。これに対して,文科省は新主体を特殊法人として提案しようとしていた。しかし,規制委員会は厳しい立場を明らかにし,このような提案が認められるとかどうか不透明であった。こうした中で,官房長官の下にチームが作られ,費用の試算なども行い,今回政府として,対策費の高騰を理由に廃炉を決めたといえる。

プルトニウムの夢から覚めよ

政府は,もんじゅは廃炉としたものの,核燃料サイクル政策を維持し,実験炉「常陽」の運転再開とフランスの高速炉Astridへの参加を進め,高速炉開発自体は継続しようとしている。しかし,高速炉は,炉型の選択そのものに根本的な欠陥があり,事故が起きたときには軽水炉以上に取り返しがつかない。高速炉延命のための悪あがきはきっぱりとやめるべきである。

ウラン資源にも限りがある。原子力の化石燃料に対する優位はプルトニウム増殖の夢があったからのことである。プルトニウムの夢は,増殖の困難から,廃棄物の消滅・減少へと移行しているが,これもまた夢に過ぎない。再処理技術は核燃料を溶液にして取り扱うために,事故の際の危険性は計り知れない。プルトニウムの夢から覚めれば,再処理を続ける経済的な理由がないことも明らかである。軽水炉でのプルトニウム利用=プルサーマルは,危険性を増すだけで,経済的・エネルギー的には全く意味がなく,プルトニウムの燃焼以外には意味がない。

もんじゅ廃炉を,再処理を含む核燃料サイクル政策の放棄と再処理の停止に結びつけなくてはならない。2012年に民主党政権が脱原発の閣議決定を行おうとしたときに,アメリカ政府がこれにクレームを述べた事実はある。しかし,アメリカが日本に原子力を継続させているという俗説は誤りである。アメリカは脱原発をしつつ,再処理を続けるような政策を認めていないだけである。政府高官も含めたアメリカの多くの原子力専門家が,安全保障上の問題から,日本に対し使用目的の明確でないプルトニウムの製造,つまり再処理への強い懸念を示しているのである。このことは,正確に日本の世論に伝えられていない。

もんじゅ廃炉は長いプルトニウムの夢から日本の目覚めをもたらすだろう。いくら,法律で再処理を義務づけようとしても,再処理政策も見直しは避けられない。アメリカも,ヨーロッパも,日本も脱原発の流れは止められない。どんな世論調査でも脱原発は原発維持を圧倒している。もんじゅの廃炉を機会に,政府に今一度脱原発の早期実現を強く訴える。

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本州と異なる北海道特有の鉄道事情及びこれに即した道内鉄道政策の積極的展開について

2016-09-16 22:17:32 | 鉄道・公共交通/交通政策
1.はじめに

 JR北海道の経営が危機的状況を迎えている。2015年6月、JR北海道社内に設けられた「JR北海道再生推進会議」が行った事業の「選択と集中」を求める建議を受け、JR北海道が事業見直しに着手。2016年7月には「持続可能な交通体系のあり方」を発表し、ローカル線の整理を加速させる意向であることを明らかにした。この秋にも、単独では維持が不可能な路線・線区について公表し、沿線自治体との今後に向けた協議に入りたい旨を表明している。

 不幸なことに、今年8月、北海道を連続して3つの大型台風が襲い、道内の路線網は各地で寸断された。北海道に1ヶ月で3個の台風上陸は、気象庁が統計を取り始めてから歴史上初めてであり、また復旧に要する額も、有珠山噴火の際の20億円を上回って史上最大になるとの見通しが示されている(余談だが、有珠山噴火による災害は、旧国鉄時代、胆振線が国鉄再建法に基づく特定地方交通線に指定される遠因ともなった)。

 安全問題研究会は、すでに北海道内全体の路線維持を通じて地域社会と交通権、生存権を守るため、路線廃止反対の論陣を張ってきた。しかし、不幸な連続台風の襲撃により、道内に急速にあきらめ感、廃止容認論が広がりつつある。

 とはいえ、JR北海道の経営はすでに破綻状態であり、単に廃止反対を訴えるだけではもはやいかなる説得力も持ち得ないように思われる。本稿では、鉄道がなくなった場合に北海道で起きうる事態、また道内において鉄道が持つべき地位について、沿線地域が具体的かつ積極的なイメージを描けるようにすることを目的にしている。

2.北海道の鉄道の特性

(1) 中距離輸送が多く、鉄道に最も適した分野である

 もともと、鉄道は他の交通機関との比較において、300~700km程度の中距離輸送に適した交通機関である。300km未満においてはあらゆる交通機関・手段を選択可能だし、700kmを超えると新幹線よりも航空機が競争力を持つことは、すでにさまざまな研究結果により示されている。

 北海道の鉄道が道外と大きく違っているのは、札幌都市圏をごく一部の例外として、鉄道が優位性を持つ300~700kmの中距離輸送が多いことである。札幌を起点とした場合、300~700kmの範囲に入る都市として、函館(318.7km)、釧路(348.5km)、根室(483.9km)、網走(374.5km)、稚内(422.1km)などがある。道南、道東、道北、オホーツクの主要都市がほとんど入っている。これらの都市間輸送は鉄道が担うべき役割である。

 「鉄道がなくなっても、道路と航空輸送で代替できる」として鉄道廃止を容認する意見も多く見られる。だが、冬の気象条件が厳しい北海道では、空港の冬季における就航率が、12~2月でいずれも94%とのデータがある(注1)。丸1日にわたって空港が閉鎖となる日が月平均で1~2日、冬季(12~3月)全体では5日ほどに上ることが示されている。

 高速道路に至っては、道央自動車道が函館~士別、札樽自動車道が札幌~小樽、道東自動車道は千歳~足寄までしか供用していない。このような状態で鉄道廃止を容認することは「冬季において、人の移動手段も物流手段も月に1~2日くらいなら途絶えてもよい」という意見に賛成することと同じである。鉄道廃止は、とりわけ冬季における道中心部~道南、道東、道北、オホーツク間の旅客・貨物輸送の双方に致命的打撃を与えるであろう。

(注1)道内空港平均。平成18(2006)年12月15日付け「北海道交通政策審議会第4回航空分科会資料」。

(2)貨物輸送の比重が高い

 次に、北海道内の鉄道路線が道外と異なる点として、貨物輸送の比率が高く、かつ本州との間で貨物の道路輸送手段がないことを指摘しなければならない。

 以下に示すのは、道内主要路線における旅客特急列車と、貨物列車のうち特急に相当する「高速貨物」列車の本数を比較したものである(いずれも定期列車のみ)。



 特に、札幌と本州方面を結ぶ大動脈である青森~函館~札幌間は、旅客特急列車のほぼ2倍近い貨物列車が運行されていることがわかる。貨物列車の運転本数は1時間1本のペースを上回っており、このために青函トンネル区間では貨物列車に「敬意」を表して新幹線が140km/hの減速運転を強いられているのである。北海道では、鉄路は貨物輸送のために存在していると言っても決して過言ではない。

(3)本州との間で貨物の陸上輸送手段が鉄道しかない

 本州~九州間には、関門自動車道(関門橋)及び一般国道2号線(関門国道トンネル、有料)の2本の道路輸送ルートがある。本州~四国間には、瀬戸中央自動車道(瀬戸大橋)、瀬戸内しまなみ海道、神戸淡路鳴門自動車道の3本の道路輸送ルートがある。これに対し、本州~北海道間にこのような道路輸送ルートはない。

 したがって、陸上における本州~北海道間の貨物輸送は、青函トンネル開業以来、鉄道だけで行われてきた。トラック輸送を行うにしても、津軽海峡ではトラックをフェリーに乗せなければならず、手間もコストも余計にかかる。この機能は、鉄道以外では決して代替できない。

(4)大量高速輸送機関としての鉄道

 現在、日本では、貨物列車1編成におおむね5tコンテナ×5個積みの貨車を20両連結して走る形態が一般的である。すなわち、貨物列車1編成当たりおおむね500tの貨物を輸送することができる。

 仮に道内の鉄路がなくなった場合、同じ輸送力を確保しようとするとどのようなことが起こるだろうか。トラック輸送で代替する場合、10t車を使用するとして、延べ50台もの車両と延べ50人もの運転手が新たに必要となる。青森~函館~札幌間に限っていえば、500t×51本(上下合わせて)の貨物列車で1日当たり25,500tもの貨物が運ばれている。仮にトラック(10t車)で置き換えるならば、車両は1日当たり延べ2,550両、運転手も延べ2,550人も必要になるのだ!

 高齢化社会の到来に伴い、トラック業界も運転手の高齢化に悩まされている。これに対し、実店舗販売の減少に反比例するように「右肩上がり」で業績を伸ばしているネット通販により、貨物輸送量は小口のものを中心に激増しており、首都圏などではすでに指定期日・時間通りに宅配便が届かないことが常態化している。

 トラック運転手を多く組織している「連合」(労働組合)は、トラック運転手の賃金水準が2006年のまま改善されなかった場合、2015年には全国でトラック運転手が需要に対し、14.1万人も不足すると予測している(注2)。トラック運転手不足の時代が来ることがわかっていながら、それにさらに拍車をかける北海道の鉄道廃止は、国家100年の愚策といって差し支えないであろう。道内のみならず全国規模で「荷物があるのに運んでくれる人がいない」「誰も運んでくれないまま、北見で穫れたタマネギが腐っていく」――そんな未来をいったい誰が望んでいるのか。今こそ大量高速輸送機関としての鉄道の特性を最大限、活かすときだ。

(注2)「輸送の安全向上のための優良な労働力(トラックドライバー)確保対策の検討報告書」(国土交通省自動車交通局貨物課、平成20(2008)年9月)。

3.高速ツアーバス事故と鉄道

 北海道以外にも目を向けてみよう。近年、高速ツアーバスによる悲惨な事故が相次いでいる。過去10年に限っても、あずみ野観光バス事故(2007年2月、27人死傷)、関越道バス事故(2012年4月、7人死亡)、北陸道バス事故(2014年3月、2人死亡)など。そして今年2月にも長野スキーバス事故(14人死亡)が起きている。

 ここで興味深い事実を指摘しておきたい。それは、事故を起こしたツアーバスの走行距離である。あずみ野観光バス事故は長野~大阪(441.2km)、関越道バス事故は金沢~東京ディズニーランド(462.6km)、北陸道バス事故は仙台~金沢(741.7km)、そして長野スキーバス事故は東京(原宿)~斑尾高原(長野県飯山市)(251.6km)。鉄道が比較的優位とされる中距離(300km~700km)帯及びその周辺に集中していることがわかるだろう。しかもこれら重大事故は、関越道バス事故を除き、すべて冬に発生している。

 1990年代、日本の高速バス路線は爆発的に拡大し、90年代中期には、極端に言えば「高速バスで日本のどこにでも行ける状態」になった。東京~博多間(935.4km)の高速路線バス「はかた」号のように、運転距離が1,000km、全区間の所要時間が14時間に迫っているものもある。しかし、不思議なことにこれらの高速バスでは事故らしい事故は起きていない。明らかに、高速ツアーバスの事故は「中距離帯」「冬」に集中しているのである。

 あらゆる交通機関・手段が選択可能な短距離帯(300km未満)でも、航空機が競争力を持つとされる長距離帯(700km以上)でも起きていないバス事故が、なぜ、鉄道が優位とされる中距離帯(300~700km)及びその周辺に集中しているのか。その答えはもはや明らかであろう。300kmに満たない短距離であれば、運転手を交代させなくても支障なく安全運行ができる。一方、1,000kmに近い長距離であれば、「運転手を2人乗せなければ仕方ない」とバス会社もあきらめがつく。しかし、300km~700kmの中距離帯では「もしかすると、運転手1人でも工夫次第で何とかなるのではないか」という油断がバス会社側に生まれやすくなる。中距離帯における、コスト削減のための甘い誘惑――その最も悲惨な結果が相次ぐ事故であったと言えよう(注3)。

 同時に、これらのバス事故は、「短距離はマイカー・バス・トラック、中距離は鉄道、長距離は航空を基本」とすべき公共交通政策に鉄道が位置づけられなかったことの結果といえる。本来であれば鉄道が担うべき中距離帯の輸送から鉄道を排除し、自動車に担わせようとした歪な公共交通政策の結果が、これらのバス事故であったと言えないだろうか。

(注3)相次ぐバス事故を受け、2013年8月から発足した「新ツアーバス制度」では、実車距離400km、運転時間9時間(夜間)、実車距離500km、運転時間9時間(昼間)をワンマン運行の上限とする改正が行われている。ここに挙げた事例(運行形態がいずれも夜行)のうち長野スキーバス以外は、改正後の新制度の下では違法となる。

4.終わりに

 以上、簡単ではあるが北海道の特殊な鉄道事情、そして公共交通政策の中に鉄道をきちんと位置づけることの重要性を考察した。この論考が、JR北海道による拙速な鉄道廃止論に対する歯止めとなることを願っている。

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【必見】築地市場労組委員長が語る豊洲移転問題 本当の黒幕はこいつだ! 

2016-09-15 22:04:01 | その他社会・時事
レイバーネットTV、9/14放送の第107号で、今最もタイムリーな築地市場移転問題が取り上げられている。メインゲストとして全国一般築地市場労働組合委員長の中澤誠さんが出演。「地上波では語れないこと」を暴露しまくっている。

また、この問題に関係して、現在、民放テレビに出まくっている建築エコノミスト森山高至さんも出演している。「黒幕」の実名も暴露されており、必見だ。

とりあえず、この番組で明らかになった衝撃の点は次の2つ。

・デタラメ移転計画を進めた都庁幹部は当時の新市場整備部長・宮良眞(みやながまこと)氏と新市場担当の中西充副知事である。

・豊洲移転の実施設計案は当時、示されたが、これはあくまでも案。決定された実施設計は実はなく、移転計画は実施設計がないまま進められた。

この問題をどう考えるべきかについては、番組の最後、中澤氏の語った「流通を大手に牛耳られてしまうと、本当に生鮮品を入手したい人たちがそれをできなくなってしまう。そもそも市場、流通とは誰のものか」が問われている、との発言に尽きるだろう。この発言を聞いて、なぜ築地市場が都営なのか、民営ではなぜダメなのかが理解できた。

築地に水揚げされた生鮮食品は全国に出荷される。「なぜ東京ローカルの問題を、連日、メディアがこんなに騒いでいるのか。地方に住む自分には関係ない」と思っている人たちにとっても無関係ではない。ぜひこの動画を見て、築地移転問題を巡る深い闇の一端を知って欲しい。

なお、レイバーネット日本のサイトに、詳しい番宣記事もある(スタジオが築地市場になった!~「レイバーネットTV」実名をあげて責任者を追及)。

レイバーネットTV第107号「築地でええじゃないか!」

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【書評】感情の政治学(吉田徹・著、講談社選書メチエ)

2016-09-07 22:34:00 | 書評・本の紹介
入院中、妻に頼んで地元の図書館で借りてきてもらった1冊。読破は退院後の9月7日になってしまった。

「それまで自分の中で常識となっていたことを転換させてくれる本」「それまで地球の周りを太陽が回っていると思っていた人々に、実際に回っているのは太陽ではなく地球のほうなのだとわからせてくれる本」ーーこれが私の「名著、好著」の基準である。そして、この基準に照らすなら、本書は名著、好著の部類に入る。

なによりも、「政治とはどのようにして発生するのか」という問いから出発しているだけに、本書が扱う内容は根源的で、刺激的である。そして、選挙と、デモ・集会など「選挙に回収されない政治的意思を回収させる政治的行動」に優劣を付けず、フラットに扱っており、そのどちらも民主政治のために必要とした点は大いに評価したい。

最も刺激的で、吉田らしいと思うのは、政治についての根源的な考察をしつつも、「選挙は権利であると同時に義務なので行きましょう。行かなければ、政治家に白紙委任したことになります」に代表される、いかにも学級委員的、総務省的なきれい事を言わず、逆に、選挙にかかるコストと政治から受け取るリターンを比べて、前者のほうが大きいことはわかっているから、合理的な市民ほど選挙に行かない方が正しい選択になる、と堂々と述べている点。「政策を良く吟味する有権者」ほど「選択肢がない」と嘆く一方、自分の会社の仕事のために自民党に投票する人々や、費用対効果を度外視して自分の理想のために共産党に投票する人たちのように、選挙が「合理的でない行動を取る人たちだけのものになっている」日本政治の現状を、よく考察している。これを読んでいると、ますます選挙に行くのが馬鹿馬鹿しく思えてくる。

新自由主義を関係性の政治で置き換えることを説いた第3章だけでも、カネを出して読む価値がある。かつて、労働組合や企業、地域社会などに組織化されていた人々が粉砕され、個人単位にバラバラにされている状況では、人は自分の身を自分で守ることしか考えられないようになり、そのことが新自由主義を生み出した、このような状況では、政治的に維持が必要な公共財は獲得できない、とする論考には説得力がある(例えば、保育や介護も公共財なので、市民が個人単位に粉砕され解体された新自由主義的状況で、ブログに「保育園落ちた日本死ね」と書き込むだけでは保育所は獲得できない、という状況のよい説明になっている)。

中道左派がどれだけ弱者救済や格差是正を訴えても無党派層がまったく選挙に出て来ないのに、橋下徹や小池百合子のような新自由主義ポピュリストが小さな政府を訴えると、一気に投票率が上がるのはなぜか。日本にいわゆる中道左派的「リベラル」層は存在せず、存在しているのはリベラルでも「ネオリベラリスト」(新自由主義者)だけなのではないかという疑問を私は以前から抱いていたが、その見方が正しいことが証明されたように思う(ただし、この見方にかなり私の主観が交じっていることは付記しておきたい)。

日本の政治がよくなるためには、難解な「○○主義」などではなく、隣人との関係をきちんと取り結び、粉砕された個人を再度組織化し、相互不信から相互信頼へ転換すること、とした吉田の提言には傾聴の価値がある。

とはいえ、「感情の政治学」というタイトルほど難しい内容とは思わない。平たく言うと「政治とは仲間作りのことである」ということを大まじめに論じたに過ぎない。学級委員選挙に立候補した児童生徒が「なあ、俺とお前って、仲間だよな」と言っている風景を「政治」レベルに引き上げて論じている本だという言い方もできる。私の本書に対する理解が間違っていなければ、労働組合や政治組織で「オルグ」(組織化)と呼ばれるものこそが本来の政治だということになる。

著者の吉田は、この本ではない別の場所で、「リベラルは組織化されていないから選挙ではからきし弱い」という趣旨の発言をしているが、本書でもその基本路線にはまったくぶれがない。(吉田は本書ではひとことも触れていないが、)自民党政権を倒したければ、反自民の人たちが、味噌もクソも一緒でかまわないから、徒党を組み、仲間作りをして、一致結束して行動すればいいということがわかる。

でも、それが一番難しいんだよなぁ。「あんなウ○コなんかと一緒に行動できるか」とすぐ結束を乱す者が現れて、市民派・リベラル派はいつもバラバラになる。選挙に勝つためならウ○コでも平気で食べる自民党を、少し見習わなければならないのかもしれない。

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【必見】(8/26(金)放送)NHK討論スタジアム「どこへ向かう日本の原子力政策」

2016-09-06 20:50:23 | 原発問題/一般
当ブログ管理人が入院中の8月26日、NHKで放送された「討論スタジアム~どこへ向かう日本の原子力政策」が話題になっている。日本の原子力政策を5人のNHK解説委員が徹底批判し、その問題点をあぶり出す、見応えのある内容になっている。この番組の詳細は、日刊ゲンダイ8月29日付け記事で紹介されている。

見逃した方は、以下で見ることができるので、ぜひ見ていただくとともに、友人・知人にも広めてほしい。

なお、Youtube動画は、早々に削除される可能性があるため、dailymotionにも併せてリンクを張っておく。こちらからも見ることができる。

どこに向かう日本の原子力政策

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【書評】リニア中央新幹線に未来はあるか(西川榮一・著、自治体研究社)

2016-09-05 23:35:31 | 書評・本の紹介
2014年10月、全国新幹線鉄道整備法に基づき事業認可が下りたリニア中央新幹線について論じた本。リニア計画の概要からリニアの原理や走り方、旅客需要予測、環境問題・安全問題、コスト比較など、わずか120ページの中にリニアをめぐるあらゆる論点が盛り込まれている。それでいて、既刊のリニア批判本とは内容がほとんど重複しておらず、新たな論点を通してリニア問題に関する知見が得られる好著といえる。

この本の、既刊のリニア批判本と異なる大きな特色は、「無駄な公共事業」全般に対する批判にも使えるような普遍的な論点を提供している点にある。リニアの費用対効果を算出する際にJR東海や国土交通省が用いた「犠牲量モデル」(西川は「機会損失モデル」と呼んでいる)と呼ばれる手法に、批判を加えているのだ。

犠牲量モデルとは、本書の説明によれば、〔輸送量〕×〔利用者の時間価値〕×〔短縮時間〕によって計られ、鉄道に限らず公共交通機関の費用対効果を算出する場合に多く用いられる。〔移動コスト〕は〔運賃〕+〔移動時間〕×〔時間価値〕で計られる。移動時間短縮のためにいくらまでなら余計に費用を負担してもよいかを計る指標が時間価値であるとされ、時間短縮効果が高いことにより大きな価値を見出す旅客ほど公共交通機関に多くの費用を負担してもよいと考える(平たく言えば、急いでいる人ほど「時間をお金で買うこと」に肯定的となる)。

この算式では、移動コストに時間価値の概念を導入しているため、公共交通機関は速ければ速いほど、時間短縮効果が大きければ大きいほど、また、急いでいる旅客が多ければ多いほど、移動コストが低く算定されることになる。予想される乗客数を操作して多く見積もれば見積もるほど、移動コストが下がり、結果として高速輸送機関の建設推進派を利する。原発の安全性と同じで、推進派が算定する移動コストなど、いかようにも操作可能でまったくアテにならないのである。

同時に、この「犠牲量モデル」が公共交通機関の費用対効果の算定手法として使われる限り、リニアのような事業を止めることは永遠にできないことを意味している。政府・企業などの推進派によって行われるこの手の「まやかし、目くらまし」の手口を明らかにしたという点だけでも、本書は一読に値する。

リニアに3兆円もの国費が投入されることをおかしいと感じる人、「こんなことに使うカネがあるならもっと別のことに使うべきだ」と考えている人は、この犠牲量モデルに対する分析だけでもご一読をお勧めする。

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【書評】東芝不正会計 底なしの闇(今沢真・著、毎日新聞出版)

2016-09-04 22:54:38 | 書評・本の紹介
入院中に読んだ3冊目。東芝での不正会計問題について追ったドキュメントである。著者は毎日新聞論説委員、毎日新聞ウェブサイトの「経済プレミア」編集長兼論説委員であり、「経済プレミア」の立ち上げに関わった人物でもある。

アマゾンのブックレビューなどでは、「今沢氏の自分語りがウザい」「経済本としては食い足りない」という評価が目についた。当ブログとしては、今沢氏の自分語りについては別にウザいと思わないが(そもそも「本」とは自分語りをするための媒体でもある)、気になったのはこの本の中途半端さだ。どのような層を読者として想定しているかが今ひとつ見えにくいのである。

財務諸表が読め、日本経済新聞の記事も難なく読みこなすような人たちにとって、本書による解説は食い足りない、掘り下げが足りないと映るであろうし、逆に「日経の記事なんて読むだけで頭痛がしてくる」という層の人たちからは、もう少し詳細な説明が欲しいと思われるだろう。「経済プレミア」を、経済が専門でない人々にフォーカスした媒体にしたいと考えているのであれば、せめて「減損処理とは、企業の事業廃止や縮小に伴って不良資産となった固定資産の帳簿価格を、実勢価格に合わせて引き下げるとともに、差額を評価損とする会計処理」のことである、という程度の説明は必要だろう。今のままでは、経済プレミア自体「帯に短したすきに長し」の状態で中途半端になるのではないか。そんな懸念がわき上がってくる。

とはいえ、この間、毎日新聞や「経済プレミア」が報道してきた東芝不正会計問題を、1冊の本にまとめ、経過を追いやすくしたことは評価できる。東芝の不正経理問題に関心を持っているものの、インターネットで個別の記事を検索し、まとめる作業をこれから行うだけの労力を割きたくないと考える人たちにとって、この本は悪くない選択だと思う。ただ、そうした努力も、東芝の不正経理問題が完全決着していない2016年1月段階で第1刷が刊行されたため、中途半端なものに留まっている。

今沢氏には、ぜひ、この問題を最終決着まで取材していただくとともに、この本の続編としてまとめていただけるよう希望する。東芝の不正経理問題の全貌を明らかにする仕事は、それによって初めて完成したといえるだろう。

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【書評】蔡英文 新時代の台湾へ(蔡英文・著、前原志保 (監修・翻訳)、白水社)

2016-09-03 22:29:16 | 書評・本の紹介
台湾で史上初の女性総統に就任した蔡英文氏による著書。2015年12月に台湾で発売されたものの日本語版。

2,000円以上もする高い本だが、これだけのカネを出す価値はある。

「自民党政権に代わる新たな政権への交代につながるヒントはもはや日本国内にはない。日本に国情がよく似た海外の先行例を探るしかない」というのが、この本の購入の動機だった。少なくともアジアでは、平和的政権交代が最も上手く機能している台湾政治の中に、自民党政権に代わる新たな政権へのヒントがないかと考えたのである。

そうした私の疑問への答えは、本書にある程度提示されているように思えた。蔡英文が優れているのは、政治家として「自分の理想、成し遂げたいこと」と「国民、周囲が自分に期待していること」との間のバランスが良く取れている点にある。日本の政治家は、このどちらかに極端に偏っている人がほとんどである(具体例を挙げると、憲法改正という「やりたいこと」への思いが強すぎて、人の言うことにまったく耳を傾けない安倍首相のような人物と、「周囲が自分に期待していること」への思いだけが強すぎて、有権者の息子の就職の世話をするなどの単なる「御用聞き」に堕している人物の両極端しかいない)。「理想を掲げつつ、現実と格闘しながら進む」という、本来の意味での政治家は、日本に皆無と言っていい。

蔡英文が、2012年総統選に敗北してから、台湾各地を回り、人々と交流する様子が本書には描かれている。こうした人々との交流を通じ、人々が自分に何を求めているかを熟知しているからこそ、蔡英文は逆境でもぶれずに選挙戦を戦うことができたのだろう。

日頃は選挙区にも顔を出さず、それぞれの持ち場で歯を食いしばって働く庶民の中に入っていくこともなく、選挙が近づいてくると政党を壊しては新党を作り、「私に清き1票をください」と連呼するだけの日本の野党なんて、戦う前から蔡英文に負けている。日本の野党関係者は、蔡英文の爪の垢でも煎じて飲むべきだろう。

もうひとつ、感じたのは日本の行政が硬直化していてまったくダメな点だ。本書で印象に残ったのが、外壁にひびが入ったままの校舎で授業を受け続けている子どもたちを前に、地元住民がボランティアで外壁を修理したエピソードである。台湾ではこうしたことが、成熟した市民社会の下で普通に行われているようだ。

だが、これが日本なら、まず成功しないだろう。日本の市民が、見るに見かねて同じことをしようとすれば、「市(区町村)の財産である校舎を市民がなぜ、何の権限で勝手に修理しているのか」と役所から邪魔が入るだろう。もし市民が、子どもたちのために善意での修理を強行したとしても、下手をすると「権限のないものによる勝手な修理は認めない」として、役所がわざわざ血税を投じ修理前の状態に戻す工事を行う、などという事態が冗談ではなく本当に起こりかねない。

本書を読んで、悔しいけれど、日本はもう完全に台湾に負けていると思った。市民意識、政治、行政あらゆる意味で。「同じ島国で、面積が狭く、エネルギー・資源もなく、片や国民党、片や自民党による長期1党支配の歴史を持つ日本と台湾は、似たもの同士」だと、本書を読むまでは思っていた。だが、定期的に政権交代ができるようになった台湾に対し、日本は一時期の例外を除いて60年近く1党支配が続いている。産業構造の転換にも失敗し、建設業など非効率な産業への公共投資ばかりが続き、たいした成果も上げていない。シャープも鴻海に買収された。このまま行けば、日本はいずれ台湾の背中も見えなくなり、中国・北朝鮮とともに「東アジア最後の1党支配国家群」に分類される日が来るーーそんな近未来が、本書を読んではっきり見えた。

日本に果たして、蔡英文のような政治家がいるだろうか。「自分の理想、成し遂げたいこと」と「国民、周囲が自分に期待していること」との間のバランスが良く取れ、違う政治的意見を持つ人々とも交流を厭わず、「理想を掲げつつも現実と格闘しながら進む」タイプの政治家。蔡英文に比肩する政治家は、いないように思える。

蔡英文より、1回り、2回りスケールが小さくても良いなら、辛うじて、嘉田由紀子・前滋賀県知事が私の持つ蔡英文のイメージに最も近い日本の政治家だと思う。乱開発を抑制し、無駄な公共事業の象徴だった新幹線栗東新駅建設を中止し、利益誘導しか頭になかった県議会自民党を分裂させ、「対話でつなごう滋賀の会」(対話の会)という地域政党を作ることで県議会に足がかりも得た。こうした新しい政治家が、日本に、それも地方でなく中央政界に、ひとりでも出てくれることを願う。

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【書評】「野党」論~何のためにあるのか(吉田徹・著、ちくま新書)

2016-09-02 22:22:55 | 書評・本の紹介
さて、入院中、さすがに手術直後の2~3日間は身体が苦しく、何もする気が起きなかったが、4日目くらいからは次第に身体も楽になり、日頃なかなかできない読書をするのに十分な時間を確保できた。これから数日間の記事で、入院中、読んだ本の書評を書くことにしたい。なお、読んだ順に取り上げることにする。まず最初は「「野党」論~何のためにあるのか(吉田徹・著、ちくま新書)」から。

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55年体制当時の「政権を目指さない、反対だけの野党」の時代が終わり、ポスト55年体制期における「政権交代可能な保守2大政党」に向けた試みも民主党政権の失敗で潰えた後、未来の野党がどのようにあるべきかを論じた好著。

そもそも、日本では野党について真面目に論じた書物自体が極端に少なく、日本共産党以外の野党は論壇からまともな議論対象として認識されたことさえない。「対案を示さず反対ばかり」「外交・安保を理解できない反日売国集団」という自民党・ネトウヨの宣伝が行き届きすぎて、野党が国民に相手にされていない現実がまずある。そうした中で、あえて誰もやろうとしない仕事にチャレンジした吉田の心意気は評価できる。

吉田は、55年体制期の「抵抗反対野党」、ポスト55年体制期の「政権交代型野党」の後に来るべき未来の野党像として「対決型」野党を提示している。「争点対立的」で「動員の範囲」「野党性」がいずれも「高」い野党、つまり自民党とは異なる社会像(オルタナティブ)を提示でき、無党派層を含む国民多数を動員できる政党、というのがその具体的内容である。

私は、民主党政権崩壊の原因は「公約に書いていることはまともにやらず、公約に書いていない消費増税に踏み込んだこと」「第2自民党化したこと」に原因があると考えている(民主党が第2自民党に過ぎないならば、国民は政権担当実績の長い自民党でいいと考えるだろう)ので、吉田が提示したこの未来の野党像には大いに共感できる。

ただ、ここまで理想的な野党は政権交代の本場、欧米諸国でもそうそう実現していない(フランス社会党やドイツ社会民主党、スペイン社会労働党あたりが吉田の考える理想の野党像だろう)。歴史的に「野党不毛地帯」の日本で、こうした野党の生まれる余地があるのだろうか。考えれば考えるほど、暗澹とした気持ちになる。

著者の吉田は政治学者であり、現実政治を担わなければならない「当事者」としての野党とは立場が違う。学者の使命は「あるべき理想」を提示することであり、その意味で吉田は学者としてきちんと仕事を果たしたと言えよう。

自民党政権はすでに60年近くに及び、保守合同による自民党成立以前を知っている人は若くても70~80歳代という状況の下で、多くの日本人は、「野党を育てるといってもどうやって育てていいかわからないし、そもそも野党に何を期待していいのかもわからない」というのが実情だろう。このような有権者しかいない国で、まともな野党が育つわけがない。まともな野党は、それを育てたいという国民が存在して初めて育つものである。

そのように考えると、本書には「どうすれば野党が育つか」の処方箋が欲しかった。著者の吉田は、諸外国の政治事情にはそれなりに知見があり、諸外国の例も豊富に紹介されているが、政治的諸条件の違う諸外国の例は日本の参考にはなり得ない。日本の政治事情に即した野党の育て方についてのヒントが欲しかったが、それが提示されていないのは、吉田もその方法論を持ち合わせていないからだろう。

しかし、野党とは何か、それが政治においてどのような役割を果たすべきかについては示されている。日本の政治状況を考えると、今はそれで十分ではないだろうか。野党がこんな体たらくの日本で、あまり高望みをしても仕方がないと思う。

自分たちの子どもたち、孫たちの世代になっても、まだこの本が「有り難がられて読まれ続けている」状況にならないよう、今の世代の私たちが、吉田の提示する理想の野党に少しでも近いものを生み出せるよう、できることから取り組む以外にないのではないだろうか。

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