安全問題研究会~鉄道を中心とした公共交通を通じて社会を考える~

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<安全問題研究会声明>JR西日本歴代3社長への再度の「無罪」判決に抗議する

2015-03-28 16:53:18 | 鉄道・公共交通/安全問題
<安全問題研究会声明>JR西日本歴代3社長への再度の「無罪」判決に抗議する~司法も認定した組織罰法制整備の国民運動を

 2005年4月25日、JR福知山線で快速列車が脱線・転覆、107名が死亡した尼崎事故に関し、3月27日、大阪高裁は、業務上過失致死傷罪で強制起訴されていたJR西日本歴代3社長(井手正敬、南谷昌二郎、垣内剛の各被告)に1審に引き続き無罪の判決を言い渡した。再び国策企業JRを免罪した司法は、「これだけ多くの犠牲者を出しながら、なぜ誰ひとり責任を問われないのか」という遺族・被害者の疑問に今回も答えなかった。

 判決は、3社長が有罪となるためには「一般的な大規模鉄道事業者の取締役の立場にある一般通常人と同様の情報収集義務に基づいて、因果関係に基づいた具体的な予見可能性が証明されることが必要」と有罪のハードルを極めて高く設定。「単なる事故の不安等では足りない」と指定弁護士の主張を退けた。速度照査型ATSが設置されているカーブは危険だから安全対策を講じるべきだった、とする指定弁護士側の主張に対しては「ATS設置基準を満たしているからと言って直ちに危険とはいえない」、また普通鉄道構造規則での通常の基準に反する半径304mのカーブは違法とする指定弁護士側の主張に対しては「普通鉄道構造規則では、地形上等のためやむを得ない場合は半径160mのカーブまで認めている」「このようなカーブは全国至る所にある」とした。半径160mのカーブまで認められる「地形上等のためやむを得ない場合」とはどのような場合なのかの具体的基準も示さず、「同じような場所がどこにでもあるから違法ではない」とするのは司法の居直りだ。この論法を認めるなら、そもそも鉄道に関するすべての安全規制の体系が根底から崩れ去ることになる。

 1時間半に及んだ判決言い渡しのなかで注目すべきなのは、(1)「JR西日本は我が国を代表する大規模鉄道事業者であり、安全対策では他の鉄道事業者をリードすべき」とした指定弁護士側の主張を認めたこと、(2)「法人組織としてのJRの責任を問うのであれば(指定弁護士側の主張は)妥当する面がある」と裁判長が判決理由の最後にわざわざ判示したことだ。(1)は、今後相次いで判決を迎えることになる原発事故裁判の中で、原告側が「東京電力のような代表的企業は通常の企業の安全対策程度では責任を免れない」と主張する根拠を得たことになる。また(2)は、遺族の一部が求めている組織罰法制(一例として、企業に対する罰金刑を規定した英国の「法人故殺法」がある)が整備されれば企業を有罪に問える、との司法の見解を示すものだ。企業経営者個人の罪しか問えない現行刑法に対する問題意識が特定の一裁判官だけにとどまらず、司法内に広がりを見せていることを窺わせるものであり、今後に向け一筋の希望といえる。世界一企業が活動しやすい国を目指す安倍政権との対決姿勢を明確にしながら、グローバル企業の手を縛り、あるべき責任を負わせていく組織罰法制の整備に向けた運動展開が今後の課題であること、そのために運動側の構想力、組織力、行動力が問われていることを判決はいっそう浮き彫りにした。遺族からのこの問いに、私たちは全力で応えなければならない。

 尼崎事故から10年、日航機御巣鷹事故から30年を迎えた節目の今年、JR体制は崖っぷちに立たされている。安全問題が噴出する北海道、どの面から見ても先の見通しのないリニア中央新幹線の建設を強行する東海、経営安定基金を飲み込んだまま上場へ向けひた走る九州。華やかな北陸新幹線金沢延長のニュースが伝えられる中で、ついにJR在来線だけでは東日本各地から北陸に到達するのも困難なほど在来線鉄道ネットワークは引き裂かれた。新幹線だけが発展すればいいという風潮の中で、地方創生の掛け声とはうらはらに、地方はついにその最後の命脈を絶たれようとしている。事故遺族の心の傷はなお癒えておらず、節目の年を「風化に向けた通過点」ではなく、新たな闘いの結集点とすることが全国民的課題である。

 安全問題研究会は、組織罰法制こそ「責任社会ニッポン」に向けた突破口であるとの認識に立ち、その法制化を従来にも増して強く求めていく。地方切り捨て、東京一極集中を加速するだけの新幹線・リニアばらまき体制との対決をあらゆる機会を捉えて訴え続ける。限界に来た「命よりカネ」のJR体制から真の「公共交通」への転換に向け、今後もあらゆる努力を続ける。

 2015年3月28日
 安全問題研究会

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JR尼崎事故判決/無罪で再びJRを免罪、しかし今後に一筋の光も

2015-03-28 13:50:02 | 鉄道・公共交通/安全問題
昨日、大阪高裁で判決が言い渡された福知山線脱線事故を巡る歴代3社長の裁判について、レイバーネット日本に報告を書きました。こちらから読むことができますが、当ブログにも全文を貼り付けます。(以下、文中敬称略)

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2005年に起きた福知山線脱線事故。神戸地検が不起訴とした歴代3社長(井手正敬、南谷昌二郎、垣内剛の3被告)について、神戸第1検察審査会が二度にわたる起訴相当議決を出し、2010年、3社長は強制起訴。以降、裁判所が指定した弁護士(以下、指定弁護士)が検察官役として通常の刑事裁判と同様の裁判が行われてきた。

1審、神戸地裁は13年9月、禁固3年の求刑に対し無罪判決。指定弁護士側が控訴し、14年12月の被告人質問で3社長側が改めて無罪を主張し結審。今日を迎えた。

朝、自宅前で取材を受けた遺族のひとり、藤崎光子さんは「1審判決はJRの主張を引き写しただけでひどいものだった。良い判決を勝ち取るため、公正判決を求める署名に取り組んできた。高裁では司法の良識に期待する」と述べた。また、午前中、改めて事故現場を訪れた藤崎さんは「ここに立つたびに『私はなぜこんなところで死ななければならなかったの』という娘の声が聞こえる」と語った。

判決言い渡しは大阪高裁201号法廷で午後2時から。これに先立ち、1時58分、民放テレビによる代表撮影が行われる。

午後2時。「被告人は前へ」。横田信之裁判長の声で、あらかじめ入廷していた3社長が被告人席に並んで立つ。

「これから業務上過失致死傷事件に関する判決を言い渡します。主文:本件各控訴を棄却する」。指定弁護士側の控訴を棄却。すなわち1審の無罪判決を維持する、との内容だ。

裁判長に促され、法廷右側の弁護側席に戻る3社長。判決理由の朗読が始まった。

傍聴席から見て、弁護側席右から2人目に井手。弁護士を挟み、4人目に南谷。弁護士を挟み、一番右の席に垣内。6人が並ぶ。井手は視線を上に向け、南谷はじっと目をつむり、裁判長から最も遠い席にいる垣内は基本的に裁判長のほうを見ながら、時折机に目を落とし、判決を聞く。傍聴者の反応が気になるのか、傍聴席に視線を向ける瞬間もあった。無罪判決を受けても厳しい表情のまま、3社長は何を思うのか。

一方、検察側席では、指定弁護士が落ち着かない表情をしている。隠しきれない判決への怒り、不満は傍聴席にまで伝わってくる。

判決は、3社長が有罪となるためには「一般的な大規模鉄道事業者の取締役の立場にある一般通常人と同様の情報収集義務に基づいて、因果関係に基づいた具体的な予見可能性が証明されることが必要」と有罪のハードルを極めて高く設定。「単なる事故の不安等では足りない」と指定弁護士の主張を退けた。「現場担当者からの報告を待たなければ社長らが情報収集できないような場合、(より多くの情報に接している)現場担当者の方が罪に問われやすくなりバランスを欠く」との指定弁護士側の主張に対しては「社長らが情報収集を適切に行えたとしても、結果回避ができたとは必ずしも言えない」という驚くべき論法でJRを免罪した。「どのみち事故は避けられなかったのだから無罪」という司法の居直りであり、無罪との結論はやはり初めから決まっていたと言わざるを得ない。

速度照査型ATSが設置されているカーブは危険だから安全対策を講じるべきだった、とする指定弁護士側の主張に対しては「ATS設置基準を満たしているからと言って直ちに危険とはいえない」、また普通鉄道構造規則での通常の基準(カーブ関係600m以上)に反する半径304mのカーブは違法とする指定弁護士側の主張に対しては「普通鉄道構造規則では、地形上等のためやむを得ない場合は半径160mのカーブまで認めている」「このようなカーブは全国至る所にある」とした。半径160mのカーブまで認められる「地形上等のためやむを得ない場合」とはどのような場合なのかの具体的基準も示さず、「同じような場所がどこにでもあるから違法ではない」とするのも司法の居直りだ。

全体として、判決は、福知山線脱線事故の原因について具体的に検証もせず、「一般論としては~」「他にも同様の事例があるから~」と言うだけのものだった。大阪高裁のこの論法を認めた場合、そもそもATS設置基準は何のためにあるのか。国土交通省令である普通鉄道構造規則は守る必要もないただの作文なのか。鉄道に関するすべての安全規制の体系が根底から崩れ去ることになる。聞けば聞くほど疑問ばかりが膨らんでいく。

1時間半に及んだ判決言い渡しの中で、小さいが今後に向け、収穫が2点だけあった。そのひとつは「JR西日本は我が国を代表する大規模鉄道事業者であり、安全対策では他の鉄道事業者をリードすべき」とした指定弁護士側の主張を認めたこと、もうひとつは「法人組織としてのJRの責任を問うのであれば(指定弁護士側の主張は)妥当する面がある」と裁判長が判決理由の最後にわざわざ判示したこと――である。

前者は、原発事故をめぐる裁判の中で、「通常の企業に要求される程度の安全対策は講じており、津波は予見できなかった」とする東電の主張を打ち砕く根拠になる(東電のような代表的企業は通常の企業の安全対策程度では責任を免れない、と主張する根拠を得たことになる)。

また後者は、遺族の一部が求めている組織罰法制(一例として、企業に対する罰金刑を規定した英国の「法人故殺法」がある)が整備されれば企業を有罪に問える、との司法の見解を示すものだ。通常、裁判官が、起訴事実となった罪(今回は業務上過失致死傷罪)以外の罪について、間接的にであれ言及するのは極めて異例である。1審・神戸地裁では、判決言い渡し後、閉廷前に裁判長が「このような事故で誰も罪に問われないのはおかしいという被害者の方の感情は理解できる」と発言したが、これは裁判長の不規則発言であり記録に残らなかった。

今回、判決文はまだ入手していないが、裁判長は明らかに判決理由の一部としてわざわざこの点を判示しており、判決文としてこの判示内容が記録されることは小さくない意味を持つ。1審での裁判長の発言よりさらに踏み込んで司法が組織罰法制の必要性に言及したものとも言える。企業経営者個人の罪しか問えない現行刑法に対する司法の問題意識が特定の一裁判官だけにとどまらず、司法内に広がり始めていることを示している。組織罰法制の整備に向けた運動展開が今後の課題であることがいっそう浮き彫りになったといえる。

「これだけ多くの犠牲者を出しながら、なぜ誰ひとり責任を問われないのか」という遺族・被害者の疑問に、司法は今回も答えなかった。だが、えん罪防止の観点から、刑法は拡大解釈が強く戒められる法律のひとつであり、適用条件には厳格さが要求される、との原則を司法が守ったこと自体は理解できる。問題はやはり、現行刑法が100年前の明治時代に作られた骨格をそのまま維持しており、責任と権限が分散した株式会社制度の下での企業犯罪という事態に全く対処できないことにある。100年に及ぶ立法不作為が現在の遺族の悲しみを招いているのである。

世界で最も企業が活動しやすい国を目指し、私たちの残業代まで取り上げようとする安倍政権が、企業の手を縛る組織罰法制に取り組む可能性はない。私たちが国民運動としての大きなうねりを作りだし、組織罰の法制化に乗り出していく必要があることを、今回の判決は改めて示した。

判決言い渡しは1時間半に及んだ。午後3時半、閉廷。

(報告・文責 黒鉄好)

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【JR尼崎事故】JR西日本歴代3社長へ、27日、いよいよ高裁判決

2015-03-25 23:31:20 | 鉄道・公共交通/安全問題
乗客ら107人が死亡した2005年のJR福知山線脱線事故をめぐって、検察審査会による2度の起訴相当議決を受け強制起訴とされた後、1審・神戸地裁で無罪とされた井手正敬、南谷昌二郎、垣内剛のJR西日本歴代3社長に対する控訴審判決が、いよいよ27日午後2時から、大阪高裁(第201号法廷)で言い渡される。

1審の無罪判決後、遺族のほとんどが控訴を希望したことから、検察官役の指定弁護士が控訴した。大阪高裁での実質審理は、昨年12月の被害者による意見陳述1回が行われたのみ。遺族らが希望した被害者参加制度の適用も見送られるなど、訴訟指揮も良いとは言えなかった。下級審判決を変更する際に開かれる弁論も開催されず、事実上、1審の無罪判決を踏襲するとみられる。

裁判所は、この間、一貫して事故の具体的な予見可能性を否定し、速度照査型ATSの設置を命じなかったことが過失とは言えない、としてきた。福知山線事故以前にJR函館本線で起きた貨物列車の転覆脱線についても、予見可能性を検討すべき事例とは言えないとしてきた。だがこの判決は間違っている。列車の重量や車種に関わらず、一定の条件を満たす場合(カーブでの遠心力と重心からの重力の合力を示す線が車輪より外側に出た場合)に転覆脱線するということは、すでに脱線理論として確立しているのだ。神戸地裁の判決は、この理論を無視または否定するものであり、きわめて非科学的なものである。

10万人を超える労働者の大量解雇とともに「発車」した殺人JR体制は、四半世紀が過ぎた今なお死屍累々だ。安全が完全崩壊した北海道、採算も環境対策も度外視したリニア建設へ向けて暴走するJR東海、経営安定基金を飲み込んだまま上場へとひた走る九州。北陸新幹線の華々しい開業の影でずたずたに引き裂かれた在来線の鉄道ネットワーク。

東日本大震災の津波で大きく被災した山田線沿岸部(宮古~釜石間)はついにJRとしての復旧を見ないまま、今年2月、三陸鉄道への売り渡しが決まった。JRが復旧費を全額負担し、復旧させた上で地元に拠出する交付金は当初、5億しか提示されなかったが、地元自治体の粘りで30億まで引き上げられた。国鉄再建法による特定地方交通線の第三セクター鉄道化の際、国が送った転換交付金は営業キロ1kmあたり3000万円が上限だったから、宮古~釜石間の営業キロ(55.4km)に当てはめれば16.6億円相当ということを考えると、国鉄再建法による赤字路線切り捨てのときに比べれば山田線沿線自治体は倍近い額を確保したことになる。しかし、転換交付金を送られた第三セクター鉄道でさえ、すでに4線(北海道ちほく高原鉄道、神岡鉄道、三木鉄道、高千穂鉄道)が赤字や災害を理由に消えている(この他、のと鉄道も廃止されたが、これは厳密に言えば赤字が原因ではない)。

福知山線脱線事故は、決してこのようなJR体制と無縁ではない。これらの出来事のすべては「利益優先、安全軽視」という地下茎でつながっている。それゆえに、この3社長の裁判は、JR体制を根底から裁くものでなければならないと当ブログ、安全問題研究会は考える。

さて、安全問題研究会は、福知山線脱線事故としては関西地区で言い渡される最後の判決となる今回、大阪高裁を訪れる予定だ。地元メディアや労働組合(特にJR西日本労働組合)による関係者の大量動員が予想され、1審・神戸地裁に続き競争率10倍を超える厳しい抽選になる可能性がある。だが、法廷に入れなくてもいい。JR史上最悪の事故の判決で、司法が「井手天皇」にどのような審判を下すのか、その歴史的瞬間を目に焼き付けておきたいと思う。

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「選択肢がない」「どこに投票したらいいかわからない」~それでもあなたの責任なのです

2015-03-25 22:15:52 | その他社会・時事
(当エントリは、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2015年4月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 「国民の自業自得だ。ドイツ国民が地獄を味わうのは当然の義務。われわれを選んだのは国民なのだから、最後まで付き合ってもらうさ」

 時代は第2次世界大戦末期、1945年4月。「ソ連軍に包囲される前にベルリン市民を脱出させるべき」との周囲からの助言を、ヒトラーはこう言って退ける。映画「ヒトラー~最期の12日間~」(2004年公開)にこんなシーンがある。この映画はその大部分が史実に基づいて作られており、ヒトラーは実際にこう言ったのだろう。やがてヒトラーは愛人エヴァ・ブラウンとともに地下壕で自殺。ベルリン市民が市内にとどまったままソ連軍突入の日を迎える。ベルリンは圧倒的なソ連軍の前に廃墟となり、5月8日、ドイツはついに連合国に降伏する。以降、1989年に「壁」が崩壊するまでベルリンは東西に分割統治され続けることになる。

 敗色濃厚となった「第三帝国」の滅亡に積極的に国民を巻き込むかのように、「自分でナチスを選んだドイツ国民の自業自得」とうそぶいたヒトラー。ドイツ国民もまた、その負の歴史と真摯に向き合いながら、ナチス戦犯を地の果てまで追いかけ、断罪し続けてきた。今年1月に死去したワイツゼッカー元西ドイツ大統領は、「過去に目を閉ざす者は、現在に対しても盲目となる」と連邦議会で演説した。今では地図から消えてしまった旧ドイツ民主共和国(東ドイツ)の国歌「廃墟からの復活」には「われら兄弟団結すれば人民の敵は打ち負かされる/平和の光を輝かせよう/母親が二度と息子の死を悼まずにすむように」という一節があった。人類史上最悪のホロコーストを生んだナチスと第二次世界大戦への強烈な反省に、保守・左翼の違い、また東西ドイツの違いはなかった。

 ナチスによる戦争犯罪が語られるとき、決まって言われるのが「ドイツ国民は自分でナチスを選んだのだから責任を取るべき」論だ。大正デモクラシーの歴史を持つとはいえ、天皇主権の明治憲法の下で限定された形でしか存在していなかった市民の権利が軍部のクーデターで殺されていった日本と異なり、当時、少なくともヨーロッパでは最も民主的だといわれたワイマール憲法に基づいて、自分でナチスを選び取ったドイツ国民はその責任を免れないというのだ。

 だが、私はこれにずっと疑問を抱いてきた。先の侵略戦争も福島第1原発事故もまったく反省しない日本人よりは賢明に思えるドイツ国民が本当に自分の手でナチスを選んだのだろうか。選ばざるを得ない何らかの事情があったのではないだろうか。そう思いながら、当時のドイツ政治事情を調べていくと、興味深い事実に突き当たった。

 ●「自分で選んだ」は本当か? ~「選択肢がなかった」ドイツ国民

 以下の表は、ワイマール体制下のドイツにおいて、ベルサイユ条約(第1次大戦関係国による講和条約)が締結された1919年から、ナチスが政権に就く1933年までの連邦議会総選挙の結果を示したものである。

 社会民主党(社民党)は現在まで続く最古参政党であり、最近ではシュレーダーを首相に就けている。独立社会民主党は、社民党内で第1次世界大戦に反対した左派グループが分離してできたもので、ローザ・ルクセンブルクやカール・リープクネヒトらが所属したことでも知られる。共産党はナチス政権成立後、禁止・弾圧される。中央党はカトリック政党であり、政治的に中道に位置しているわけではないことに注意を要する。当時のドイツで中道政党と呼ばれる位置を占めていたのは人民党(リベラル右派)や民主党(リベラル左派)であり、民主党は「職業としての政治」「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」などを著した社会学者マックス・ウェーバーが所属していたことでも知られる。国家人民党は富裕層を支持基盤として共和制反対・帝政復活を主張しており、今日では右翼政党に位置づけられる。


(出典:「現代政党学」ジョヴァンニ・サルトーリ)

 詳しく見ていこう。1919年段階で得票率18.6%だった民主党は選挙のたびに勢力を減らし続け、1933年にはついに0.9%と壊滅状態に追い込まれる。人民党も同様であり、1920年選挙(14.0%)を頂点に、1933年にはわずか1.1%の得票率に落ち込んだ。

 一方、共産党は、独立社会民主党を糾合した影響もあり1924年選挙で得票率2.0%から12.6%に躍進、その後も一貫して9.0%~16.9%の得票率を維持する。社民党は、1919年の37.9%から、翌1920年には一気に21.6%まで勢力を減らすが、その後は微増・微減を繰り返しながらも1933年の18.3%まで基本的に勢力を維持する。中央党は1919年段階での19.7%を徐々に減らしながら、固定支持層を持つ宗教政党としての特殊性のためか、1933年段階でも11.2%を維持。1924年、初めて国政に進出したナチスは、1928年までに目立った伸びは認められないが、1930年、18.3%へと一気に躍進。1932年には得票を37.4%へと倍増させ、社民党をも抑えて第1党に躍り出る。1933年選挙では単独で43.9%を獲得。ヒトラーはついに首相になった。

 もう少し分析を続けよう。社民・共産の2党を「左翼」、民主・人民の2党を「中道」、そして国家人民・ナチスの2党を「右翼」としてその勢力の変遷を見ることにする(中央党は宗教政党という特殊な立場であり、ここでの分析にそぐわないため除外する)。独立社会民主党が共産党に糾合されるとともに、ナチスが登場してヒトラー以前の勢力図が確定し、比較が容易な1924年と1933年で見ると、「左翼」は33.1%から30.6%。「右翼」は26.1%から51.9%。そして「中道」は14.9%から2.0%である。

 その後の政党結成・解党など変動が激しいため単純比較はできないが、1919年の総選挙を、同じように比較分析してみる。1920年総選挙を最後に姿を消した独立社会民主党は明確な社会主義政党だったので、これを「左翼」に含めると45.5%、「右翼」は10.3%、そして「中道」は23.0%だ。

 わかりにくくなってしまったので、最後にもう一度まとめると次のようになる。左から順に、1919年、1924年、1933年である。
 
 「左翼」…45.5%→33.1%→30.6%
 「右翼」…10.3%→26.1%→51.9%
 「中道」…23.0%→14.9%→ 2.0%

 この分析結果から確実に言えることがある。この間、ワイマール憲法という、当時としてはヨーロッパで最も民主的な憲法を持ちながら、ドイツでは一貫して過激な主張を掲げる左右両極が勢力を伸ばし続ける一方、穏健な主張を掲げる中間勢力は一貫して勢力を減らし続けたという事実である。とはいえ、左翼は1924年以降、現状維持に過ぎないから、1924年から1933年までの10年間のドイツは「右翼の伸張と中間勢力の没落」の歴史であったと言える。中間勢力から票を奪いながら、一貫して右翼が伸び続けたのである。ナチスが政権を獲得した1933年には、ついに連邦議会の8割以上を右翼と左翼で占める。当時のドイツ国民も「選択肢がなかった」のである。

 この間のドイツにおける投票率のデータがないので、ドイツ国民がどの程度「選択肢がない」政治状況にため息をついていたのかはわからない。しかし、ナチスにも共産党にも投票したくない多くの良識ある国民が棄権したことは想像に難くない。「自由からの逃走」(エーリッヒ・フロム)は、まず選挙からの逃走によって準備されたのだ。

 すでに述べたように、右翼は1920年段階では国家人民党の15.1%のみにとどまっており、それほど大きな政治勢力だったわけではない。これを1924年のナチスの登場が一変させる。国家人民党の勢力がほとんど変わらない中での「右翼」全体の躍進は、言うまでもなくナチスの伸張による。

 右翼陣営が国家人民党だけであった時代に勢力を伸ばすことができなかった理由は、データがないため推測の域を出ないが、この政党が富裕層を支持基盤とし、帝政復活など時代錯誤の主張をしていたために、貧困層・知識層への浸透ができなかったためと考えるのが最も理にかなっている。そこにナチスが登場、カリスマ性を持ったヒトラーが繰り返すポピュリズム的プロパガンダを前に、「選択肢がない」貧困層が雪崩を打つようにナチスへと向かっていったことを、データ分析結果は示している。

 ●「第2の1933年」を迎えてしまった私たちがなすべきこと

 選挙のたびに中間勢力が衰退し、左右両極が躍進していくワイマール体制期のドイツの総選挙結果を見て、察しのいい読者の方はすでにお気づきになったであろう。選挙のたびに自民党と共産党ばかりが躍進し、民主党などの中間勢力が没落していく「どこかの国」とそっくりだということに。安倍政権の登場は自民党の圧倒的なバラマキ「アベノミクス」のせいでも、小選挙区制のせいでもない(よく小選挙区制が悪いといわれるが、自民党は選挙制度がどのように変わろうとも第1党である。小選挙区制はもともとあった第1党の優位を拡大するシステムであり、ありもしない現象を「拡大」などできるわけがない)。それはドイツの例ですでに見たように、中間勢力の没落によってもたらされているのであり、その背景には、経済的に中間層が没落し、富裕層と貧困層に二極化していく社会の反映でもある。

 残念ながら、「中道」が没落への流れを強める中で、日本もついに安倍首相の登場により「第2の1933年」を迎えてしまった。安倍首相は、戦後日本が過去、自民1党支配の下でも決して容認しなかった「初めての独裁者」であり、安倍政権の下で今進められている集団的自衛権の行使容認や、その先の「改憲」への流れは、ナチスとヒトラーがワイマール憲法の破壊を企てた当時の動きと完全に重なって見える。

 私たちは今、ドイツでいえば1933年から1939年(第2次大戦の開始)までの間にいる。ドイツと同じ歴史を再び迎えないため、私たちは何をすべきだろうか。

 過激な政治勢力に身を委ねたくないと思いながらも、「選択肢がない」と嘆き、投票所から遠のいている有権者(その多くは政治意識が高くない)に対し、「右翼に対する防波堤として中間勢力を機能させることの重要性」を説くべきだろう。何もできなくてもいいし、政策がなくてもいい。内部がバラバラでひとりひとりが別々の主張をし、混乱しているだけの「中道」政党でもヒトラーよりはましだ。彼らに一定勢力を与えることが、史上最も危険な安倍自民1強体制に風穴を開けることにつながる。

 同時に、「災害時に助けてくれる自衛隊はあってもいいけど戦争はイヤ」「農産物の価格が高いよりは安い方がいいから自由貿易に反対はしないけど、でも安全な国産の農産物が食卓の中心であってほしい」と考えているような「普通の健全な人たち」の投票先として中道リベラル勢力を育てる試みを、どんなに困難であっても続けなければならない。最終的に、日本が戦争に向かうか平和を維持できるかは、彼ら最大勢力にかかっているのだから。

 中間勢力を見殺しにし、左右両極しか選択肢のなくなったドイツ国民は「自業自得」の結果としてベルリン市街戦に巻き込まれ、多くの命を落とした。戦後も敗戦国として責任を背負い続けた。もし私たちが平和憲法を失い、再び世界の人々に「銃」を突きつけるなら、「選択肢がない」ことの結果であったとしても、日本国民は未来の歴史において断罪されるだろう。国家による戦争犯罪が「選択肢がない」ことによって免罪されるわけではないことを、ドイツの歴史は教えている。私たちは今こそ歴史に学ばなければならない。

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【転載記事】甲状腺がん症例数がさらに増加 フクシマ原子力災害による健康被害

2015-03-22 12:30:20 | 原発問題/一般
この記事は、すでに1月に発表されていたもので、他サイトには2月頃掲載されたものです。遅くなりましたが、当ブログ読者にとって大切な内容を含むので、掲載します。IPPNW(核戦争防止国際医師会議)の発表で、翻訳はグローガー理恵さん。

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甲状腺がん症例数がさらに増加 フクシマ原子力災害による健康被害

福島で甲状腺集団スクリーニングの最新データが公表された。データは初めて、日本の子供たちにおける甲状腺がんの新規症例数の増加を示している。最初の一巡目のスクリーニング(先行検査)の枠内で既に、84人の子供たちに甲状腺がん診断が確定され、その中の一部には既に転移が見られた。その結果として、これらの子供たちにおいて甲状腺の部分的摘出手術が実施されなければならなかった。さらに、24人の子供たちに、「がんの疑いあり」との細胞診の結果が出ている。これまでのところ、日本の当局は、これら全ての症例は所謂「スクリーニング効果 (独語:Screeningeffekt)」に起因するものであるとしている。「スクリーニング効果」とは、まだ臨床症状がなく、もっと後になった時点になってから初めて臨床症状が出たであろうという症例が、集団スクリーニングで発見されることの知見を説明する用語である。

しかし今、最初のスクリーニング(先行検査)で既に把握されていた子供たちにおける再検査(本格検査)の最初のデータがある。これまで、60,505人の子供たちに再検査が実施され、その内の57.8%に結節もしくは嚢胞が見つかった。最初のスクリーニング(先行検査)において、これらの(結節もしくは嚢胞が見つかった)割合は、まだ48.5%であった。これを具体的な数値で表すと:最初のスクリーニング(先行検査)においては、まだ何の異常も見つからなかった12,967人の子供たちに、現在、再検査(本格検査)で、嚢胞と結節が確認されたということである。しかも、その内の127人に見つかった嚢胞/結節のサイズが非常に大きいため、さらなる解明が緊急に必要とされている。

また、最初のスクリーニング(先行検査)で小さな嚢胞もしくは結節が見つかった206人の子供たちの再検査において、非常に急速な(嚢胞/結節の)増大が確認されたため、さらなる診断検査が始まった。目下のところ、これらの子供たちの内11人に穿刺吸引細胞診がなされ、今、その中の4人にがん疾患の‘強い疑い’がある。これら(4人)のケースにおいて、がん疾患の診断が確定されるのであれば、もはや、この事を「スクリーニング効果」で理由づけることはできなくなる。なぜなら、これは、過去2年間の間に発生した新規症例に関わる問題となってくるからである。

「確かに、原子力災害による長期的な健康影響を評価できるには、まだ時期が早過ぎますが、これらの最初の検査結果は確かに憂慮すべきことです」と、IPPNW副会長、アレックス・ローゼン(Alex Rosen)医師は説明する。

「これまでのところは、まだ再検査結果の部分的なデータのみが提供されているだけです。チェルノブイリからの経験に基づきますと、甲状腺がんの疾患数が、さらに長年に亘り増加していくことになるでしょう。」

UN(UNSCEAR)によって出されたデータに従えば、フクシマ原子力災害がもたらす健康影響として1,000件以上の甲状腺がん症例数が予測されている。一方、UNは彼らの算定を疑わしい仮定に基づかせているため、実際に予期される症例数は、多分、その何倍も高い数値となる。

同時に、甲状腺がんは、放射能汚染が人々に及ぼす健康影響のほんの僅かな一部を提示しているに過ぎない:過去の原子力事故の体験に基づけば、(1)白血病、(2)リンパ腫、(3)固形がん、(4)心臓血管系疾患、(5)ホルモン障害、(6)神経障害、(7)精神障害などの罹患率の上昇が予測される。さらに、精神的外傷や当局に失望させられ、放置されたという感情が及ぼす心理社会的な影響を無視することはできないということが、付け加えられる。

福島や日本におけるその他の放射能汚染地域の人々が緊急に必要としているのは:

(1) 包括的な医療支援/アドバイス

(2) それぞれの人々の必要に適合した透明な健康診断の提供

(3) その提供された健康診断によって、疾病を早期発見し早期治療できるようにすること

(4) 患者が自分たちの健康診断の結果にアクセスできるようにすること

現在、日本では、これら全ての事柄が存在していない。IPPNWドイツ支部は当局責任者に訴える:「被災者になおこれ以上の健康被害が発生することを防ぐために、必要な措置を講ぜよ」と。

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青春18きっぷのチラシが作成中止に?

2015-03-19 21:32:29 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
「18きっぷ」消えた? JR、ちらし作製中止(神奈川新聞)

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 幅広い年齢層に人気があるJRの格安乗車券「青春18きっぷ」のちらしがこの春、駅頭から一斉に姿を消した。ほかにない叙情的な写真や惹句(じゃっく)が旅心を誘い、ちらしを収集する愛用者もいたほどだが、JR各社は「配布に見合う効果がない」と作製を中止。一方で専門家は、新幹線ばかりを宣伝するJRの姿勢に対し「もっと多様な選択肢を提示すべきだ」と話す。

 18きっぷはJR全線の普通列車に乗り放題の切符。春夏冬の一定期間中、任意の5日間を選べて1万1850円(1日当たり2370円)。横浜-大阪間は普通列車で8時間以上かかるが、費用は新幹線の2割弱と安い。年齢制限はなくシニア世代にも人気だ。

 JR東日本は「販売実績に結び付かない」と、中止の理由を説明する。駅貼りのポスターは残るが、掲示駅は激減した。「北陸新幹線や上野東京ライン開業関連のポスターが多く、掲示機会が少ない」とする。

 とはいえ、18きっぷの人気は衰えていない。全国の販売枚数は2011年度以降、63万枚、65万枚、67万枚とむしろ増えている。

 ちらし自体にもファンがいる。味わい深い駅舎や沿線の写真があしらわれ、かつては鉄道写真の第一人者、故真島満秀さんの作品も使われた。惹句も凝っていた。「たまには道草ばっかりしてみる」「通過しない。立ち止まって記憶する。そんな旅です」「なんでだろう、涙がでた」…。

 横浜市港南区に住む男性公務員(51)は「ポスターが旅情を誘い、それが18きっぷだけでなく鉄道旅行のきっかけになるはずなのに…」と残念がる。

 公共交通の在り方を考える交通権学会の上岡直見会長(横浜市在住)は「鉄道が味気なくなる」と懸念。「目先の合理化より、若者も利用しやすい安い切符など、多様な選択肢を示すべきだ」と話している。
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青春18きっぷのシーズンになると駅に置かれていたチラシが作成中止になっているらしい。当ブログ管理人は、このチラシを集めるためだけに駅に行くことはしないが、駅でこのチラシを見つけたときは必ずもらうようにしてきた。

記事が紹介している「たまには道草ばっかりしてみる」は2001年春版のキャッチコピーだ。その他、当ブログ管理人が持っている青春18きっぷのチラシのキャッチコピーをいくつか紹介すると、「冒険が足りないと、いい大人になれないよ」(2002年冬)、「この旅が、いまの僕である」(2003年春)、「大人には、いい休暇をとる、という宿題があります」(2009年夏)など、思わず旅に出たくなるような秀逸なものが多い。

JR各社は「配布に見合う効果がない」とチラシの効果を疑問視するが、青春18きっぷがなければ、この切符の利用者の多くはおそらく移動手段として高速バスを選ぶか、移動そのものを止めていただろう。最近ではLCCという選択肢もある。青春18きっぷの廃止は、ここ数年は毎年のように噂に上るが、それが実現できないでいるのはこうした事情があるからだ。

チラシ廃止の背景には、青春18きっぷの認知が進み、宣伝の必要がなくなったという事情もあるのかもしれない。発売枚数の増加を伝える神奈川新聞の記事はそれを裏付けている。最近は、青春18きっぷで旅をする高齢者が増え、普通列車が混雑するようになったことに対し、「カネも暇もある高齢者は新幹線に乗れ」と言う若者の怨嗟の声も聞こえる。ただ、これには、青春18きっぷのシーズンが春、夏、冬の最繁忙期であるという事情も考慮すべきだろう。

北海道新幹線が開業する2016年春以降は、津軽海峡線もついに青春18きっぷの対象区間から外れるのだろうか。私の鉄道ファン仲間には「通過利用に限り、石勝線のような特急利用の特例ができる」と楽観的な見方をする人もいるが、そんなに甘くないような気がする。利用エリアが狭まる一方の青春18きっぷと、それを手に知恵を絞る利用客のせめぎ合いは、当分続きそうだ。

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悲喜こもごものJR3月改正

2015-03-18 22:05:54 | 鉄道・公共交通/趣味の話題
<北陸新幹線>人の流れ激変 「JR8割、航空2割」予想も(毎日)

上野東京ライン開業、京浜東北線・山手線上野駅からの混雑は緩和されたか(マイナビニュース)

「トワイライトエクスプレス」がラストラン 26年の歴史に幕(フジテレビ)

『北斗星』四半世紀の定期運行に幕…4月から臨時列車に(レスポンス)

鉄道ブログを標榜していながら、これまでほとんどJRグループのダイヤ改正を取り上げていなかったが、今年の改正は開業あり、延長ありの一方で、ブルートレインの歴史が今後こそ本当に終わるということで悲喜こもごもの風景となった。特に北陸新幹線金沢開業は一般メディアでも報道のみならずバラエティ的にも大々的に取り上げられ、久々にメディアを賑わした。新幹線の延長開業、ブルトレ終焉、上野東京ラインの開業…まさに今回は歴史的改正だったように思う。

ただ、北陸新幹線に関しては、相変わらずの並行在来線切り捨て(三セク化)、そして金沢の「独り勝ち」という問題が早くも出てきているように思う。上野東京ラインに関しても、東京駅が始発でなくなったことにより、これまで東京駅から座って行けた人が座れなくなるなどの問題点が早くも出ている。上野東京ラインは、どちらかといえば運行するJR側の都合による部分が大きいのではないか。

近年、並行在来線三セク化など、在来線全国ネットワークを活かす方向とは逆の政策ばかりが採られてきただけに、在来線のネットワークを活かす上野東京ラインのような動きは注目すべき出来事だろう。鉄道ファン的には(実現はしないだろうが)「ムーンライトながら」を黒磯始発にし、黒磯~大垣間で運転するなどの夢を描けば楽しいのに、と思ってしまう。

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東日本大震災から4年

2015-03-11 23:31:55 | 原発問題/一般
早いもので、東日本大震災から4年。この3.11を私は北海道の職場で迎えた。掲揚台には半旗が掲げられ、震災発生時刻の午後2時46分、職場で黙祷を捧げた。2万人の犠牲者、いまだ故郷に帰れない/帰らない避難者12万人という数字に、被害の大きさを思う。あの日を福島県内で迎えた当ブログ管理人にとっても、福島県内の困難な状況が人ごととは思えない。

8日に札幌市内で「遺言~原発さえなければ」の鑑賞会があったので観てきた。「原発さえなければ」の遺言を残して自ら命を絶った福島の酪農家の姿を追ったドキュメンタリー映画(映像集といったほうがいいかもしれない)。監督を務めたフリージャーナリスト豊田直巳さんのスピーチもあった。豊田さんは、イラクなどで戦場取材には定評のある人だ。

この中で豊田さんは「4年間も故郷に戻れない。そんな人々を生んでしまう原発事故での“避難計画”とはいったい何なのか」と憤りを表明した。当ブログ管理人もまったく同感だ。原発再稼働の条件として30km圏内自治体に「避難計画の策定」が求められているが、こうした実態を目の当たりにすると、避難計画など絵に描いた餅に過ぎないと実感する。それは本来であれば避難計画ではなく移住計画でなければならず、事実上、ふるさとを捨てることと同じなのだ。

3.11から3年を過ぎた昨年あたりから顕著になってきたが、東日本大震災に関する報道は、東北地方ではともかく全国レベルではかなり少なくなった。3月になると集中的に震災関連のことが報道されるのは(報道されないよりはいいが)、8月になったときだけ思い出す原爆や敗戦と同じになりつつあるような気がする。あまりに忘却が早すぎ、本当にこれでいいのだろうかと思う。

実際、「原発事故風化感じる59.3% 24年10月より7ポイント上昇 本社県民世論調査」(福島民報)との記事を読むと、事故の風化はかなり深刻なように見える。2015年度、福島県庁に「風評・風化対策監」なるポストが新設されることも決まっているそうだ(関連記事)。

リンク先の福島民報の記事を読むと、「原発事故の風化を感じるとした回答が59.3%」となる一方、原発事故に伴う「風評が収束する兆しを感じない」とする回答も61.3%となっているのは一見、不可解に見える。風評は「福島」であることが強く意識されるのでなければ発生しないはずであり、人々の意識が薄れる風化と風評が同時に存在しているという回答は「意識されているけど、意識されてない」という矛盾したものになっているからである。

この結果には、福島県民の複雑な心情が見え隠れしている。ネガティブなイメージのときだけ「福島」として捉えられる、という福島県民の、県外に対する抜きがたい不信感がこの結果に凝縮されているように私には思える。事故は「風化」し、風評は「収束していない」と答えた人の8割が福島県の現状を「理解されていない」としたのは、こうした意識に基づいているのだと思う。こうした気持ちは、事故後の2年間を福島で過ごした当ブログ管理人にも理解できないわけではない。

現状は、河北新報の記事の通り、福島県産を避けている人は全体の3割程度で固定化しており、これは当ブログの実感とも一致する。「風評が収束しない」6割は福島県民の意識過剰の側面が強い。

この結果を受けて、福島県が「情報発信に努める」としているのは当然だが、問題はその発信の仕方だ。「甲状腺がんの疑いのある子どもが100人出ていますが、本県に問題はありません」などという情報発信のやり方では不信感を持たれるだけだし、鼻血を気にするような「意識の高い」人々からは「また県がウソをついている」と思われるだけで逆効果にしかならない。さらに、具体名は伏せるが、福島県の地元誌「政経東北」によれば、東京から相双地方のある自治体に出向いたボランティアスタッフが、自治体担当者に「もっとプレスリリースをしましょう」と呼びかけたところ「プレスリリースって何ですか」と言われたという。ここまで来ると情報発信以前の問題だ。

原発事故以降、福島からの情報発信はセンシティブで悩ましい問題だが、県に残った人々が厳しい現実と向き合いながらも懸命に生きているという事情を考慮したものであるべきだろう。特定の価値観を権力的に押しつけるような表現は避け、客観性を維持しながらも県の魅力を発信できるような内容がふさわしい。『原発事故以降、それ以前より放射線量が高い状態が続いていますが、会津地方の大部分は首都圏並みかそれ以下の放射能汚染にとどまっています。一方で、会津地方を中心に、福島県では、首都圏にはない歴史的名所や豊かな自然を楽しむことができます』と言ったような客観的なものであれば、最大公約数の人々から支持を得られるのではないだろうか。

もちろん、各方面に気を配った表現にしたところで、叩かれるときは叩かれるだろう。しかし、自分の県が「理解されていない」と回答する県民が6割もいる現状を放置してよいわけがなく、県には権力的な「安全の押し売り」ではない、きめ細かな情報発信が求められる。

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残す? 解体? 大川小学校跡地 当ブログは「全面保存」に1票

2015-03-10 22:13:31 | その他社会・時事
<大震災4年>津波被災石巻・大川小「全体保存」市に要望へ(毎日)

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 東日本大震災の津波で児童74人と教職員10人の計84人が死亡・行方不明となった宮城県石巻市立大川小学校の被災校舎の保存について、地域住民で作る「大川地区復興協議会」と遺族との集会が8日開かれ、参加者にアンケートを実施した結果、「全体保存」を望む意見が最多となった。協議会の大槻幹夫会長は「全体保存を求める要望書を市に提出することになる」と話した。市は住民の意見を踏まえて検討を始める方針で、保存に向けた議論が大きく動き出す。

 この日の話し合いには遺族や現在の大川小の保護者を含めて約120人が参加。(1)全体保存(2)一部保存(3)解体し、立体映像で見せる拡張現実装置の設置--の3案について参加者から賛否の意見を聞いた後、アンケートを実施した結果、「全体保存」が57人で最も多かった。「一部保存」は3人、「解体」が37人、「その他」が15人だった。

 話し合いでは、娘を亡くした男性が「負の遺産。亡くなった子らも(校舎を見て)親が苦しむ姿を喜ばない」と解体を求める一方、地元での意見表明をためらってきた同小の卒業生6人も発言。当時5年で、津波にのまれ助かった只野哲也さん(15)が「校舎を見ることはどんな文章や映像よりも強い印象を与える。なくなれば友達や地域の人が生きた記憶が薄れ、本当の意味で死んでしまう」などと訴えると、涙を流す遺族の姿もあった。

 「全体保存」が多数を占めた結果について、遺族会の鈴木典行会長(50)は「遺族会が12年8月にとったアンケートでは壊す方がいいという意見が多かったが、遺族の間でも保存を求める声が増えている。来られなかった遺族もいるが、住民、遺族が集まって出た意見として意味がある」と述べた。
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被災地の中で唯一、全校児童の7割が津波に流され亡くなった大川小学校。その跡地をどうすべきかについて、当ブログは当初は「解体でいい」と思っていた。残したところでどうせ日本人は反省も、教訓をくみ取ることもしない、それなら復興の邪魔になる物は取り除けばいい、と冷めた気持ちだったからである。しかし、石巻市教育委員会のあまりにずさんでいい加減な対応を見ているうちに、全面保存すべきと考えを変えるに至った。いわば、石巻市当局に対する「政治的見せしめ」として「当時の記憶を強制的によみがえらせるための装置」が必要だと思うようになったのである。

児童たちは、高台に避難すれば助かる可能性があることを知っており、高学年の児童を中心に「山さ逃げよう」という声が何度も上がったという。その声を無視して、津波到達まで51分もの時間を無為無策のまま過ごし、児童たちを校庭に留め置いたのはなぜなのか。ただひとり生き残った教諭の証言を、なぜ石巻市教委はメモを破棄してまで葬り去ったのか。「本当の真実を知りたいだけ」の遺族に対し、なぜのらりくらりとした受け答えに終始し、誠意ある態度が示されなかったのか。さながら原子力ムラを思わせる隠蔽、ごまかし、はぐらかしに明け暮れる石巻市教委の姿がそこにある。遺族たちは、真実を知るために石巻市教委を提訴までしなければならなかったのだ。

石巻市教委のこの隠蔽、ごまかし体質を放置したまま「震災遺構」としての大川小学校跡地を解体すれば、その結果は明らかだろう。真相は永遠に闇に葬られ、津波の中で無念のまま幼い命を散らした子どもたちの犠牲は無駄になる。

だからこそ大川小学校跡地は全面保存されなければならないし、全校児童のうち7割もが死亡した学校が、被災3県をくまなく見てもここしかない以上、その原因は究明され、今後に生かされなければならないと思う。隠蔽とごまかししかできない無能な石巻市当局は、せめて地元の復興協議会が住民と話し合って決めた全面保存の結論を尊重してほしい。

あの日、石巻市立大川小学校で何が起きたのかについては、「ダイヤモンド・オンライン」のシリーズ連載「大津波の惨事 大川小学校~揺らぐ真実」が詳しくルポしている。遺族に寄り添い、執念の取材を続けたジャーナリスト池上正樹さんに当ブログは敬意を表する。また、この連載をまとめた著書「あのとき、大川小学校で何が起きたのか」も発売されているので、是非お読みいただきたい。

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地下鉄日比谷線事故から15年

2015-03-09 21:17:59 | 鉄道・公共交通/安全問題
社長「今も申し訳なく」日比谷線事故の慰霊式典(読売)

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 乗客5人が死亡、64人が重軽傷を負った日比谷線脱線衝突事故から15年を迎えた8日、東京都目黒区の事故現場近くで慰霊式典が行われ、関係者が犠牲者の冥福を祈った。

 小雨が降る中、事故発生の午前9時1分を迎えると、東京メトロの奥義光社長らが衝突現場脇にある慰霊碑に向け、黙とうをささげた。奥社長は「事故から15年がたったが、今も大変申し訳なく思っている。安全確保に向けて最大限努力していきたい」と述べた。当時を知る社員は半数以下となったが、奥社長は「事故の与えた影響をこれからもきちんととどめていきたい」と誓った。
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早いもので、あの日比谷線事故から15年が経った。60年の歴史を誇った旧帝都高速度交通営団で唯一の死亡事故だ。

当ブログとこの事故との関わりは、過去の記事に書いたとおりだ。当時、横浜在住だった私は危うく自分がこの事故に巻き込まれかねなかった。亡くなった5名の方々と私との差は、ほんの紙一重だったと今でも思っている。

この事故に関してのこの間の新しい動きとしては、事故10年に当たる2010年に初めて事故現場の慰霊碑を訪問したこと(過去ログ)、そして2013年には、「失敗学会」において、学会員のひとり、吉岡律夫さんが当ブログ掲載の慰霊碑の写真を使って発表を行ったことが挙げられる。吉岡さんは福島原発事故における失敗の研究をしている方で、過去の鉄道安全・公共交通の分野に関する私の活動が、よもやこのような形で原発事故の失敗研究と結びつくことになるとは夢にも思っていなかった。世の中、何が何とつながるかわからないものだと思う。亡くなった5名の方のためにも、当ブログ管理人は鉄道の安全のために尽くさなければならない。

なお、亡くなった5名の方の遺族の中に、東京メトロの対応にいまだ、納得していない方もいることを、最後に付記しておきたい。

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