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【訃報】被爆医師・肥田舜太郞さん死去

2017-03-22 22:00:13 | 原発問題/一般
<訃報>肥田舜太郎さん100歳=広島原爆で被爆の医師(毎日)

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 広島原爆で被爆し、医師として被爆者医療に尽力した肥田舜太郎(ひだ・しゅんたろう)さんが20日、肺炎のため亡くなった。100歳。葬儀は26日午前10時半、さいたま市浦和区瀬ケ崎3の16の10のさがみ典礼北浦和葬斎センターで営まれる。喪主は元全日本民医連会長の長男泰(ゆたか)さん。

 軍医として広島陸軍病院在勤中の1945年8月6日に被爆し、直後から被災者救護にあたった。戦後、東京や埼玉で低所得者向けの診療所を開設し被爆者を診察。30年にわたって日本被団協原爆被爆者中央相談所(既に解散)の理事長を務め、全国の被爆者への医療相談に取り組んだ。医師の立場から原爆被害の実態を伝えるため、欧米など海外約30カ国も訪問。各国の反核団体と連携して核兵器廃絶を訴えた。

 2000年代の原爆症認定集団訴訟では証人として出廷し、長年の臨床経験と海外の文献研究を基に証言。原爆投下後に広島・長崎に入った「入市被爆者」が、飛散した放射性物質を呼吸や飲食で体内に摂取し、「内部被ばく」を起こしてがんなどの原因になったと訴えた。国の認定手法の問題点を突き、原告勝訴の判決を引き出す力になった。

 09年に医療の第一線から退いた後も、各地で精力的に講演活動を展開。毎日新聞が06年から続けている記録報道「ヒバクシャ」でも反核や平和への思いを語っていた。

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自らも広島で被爆しながら、被爆者の医療にも携わってきた医師・肥田舜太郞さんが亡くなった。享年100歳は大往生といえるが、福島で健康不安を訴える人が続いているときだけに、もう少し、肥田さんにお力添えをいただきたかったと思っている。本当に残念であり、深くご冥福をお祈りする。

肥田さんの被爆者に対する姿勢の基本は、常に「寄り添い続ける」ことだった。被爆者と向き合い、対話し、同じ被爆者として共感する。対話、共感が肥田さんのキーワードだった。だからこそ、肥田さんは多くの広島被爆者の信頼を勝ち得た。内部被曝という概念を初めて広めた功労者でもある。肥田さんの活動は、長い間、原爆被爆者を「外部被曝」だけで認定し、または切り捨て、賠償や救済の面で被爆者に分断を強いてきた国の姿勢を、裁判を通じて変えさせる原動力となった。

チェルノブイリでの健康被害を過小評価し、切り捨てる先頭に立ったのは、恥ずかしいことに日本の原子力ムラの手先となった医師グループだった。その筆頭に放射線影響研究所理事長を務めた重松逸造がいた。重松の「弟子」に当たるのが、福島で被害者切り捨ての先頭に立っている長瀧重信、そしてそのさらに弟子に当たる山下俊一が、高村昇らと一緒になって、飯舘村で「泥んこ遊びをしても大丈夫」「ニコニコしている人に放射線は来ません」などの不見識極まる発言を繰り返し、健康被害に直面する福島県民から袋叩きに遭った。

肥田さんも「健康に生きるには笑顔が大切」と被爆者に訴え続けた。実際の発言内容を見ると、山下の「ニコニコしている人に放射線は来ません」と大きく違わない。言っていることはほとんど同じなのに、子どもの健康を真剣に心配する母親たちから肥田さんは信頼され、山下は袋叩きにされる。山下の言うことには猛反発している母親たちが、肥田さんが「内部被曝の影響を軽減するには味噌汁を飲むのがいい」というと、一生懸命味噌汁を飲む。

この違いはどこから来るのか。それは、被害者に寄り添い、対話し、共感する姿勢が肥田さんにはあるのに対し、山下らにはそれが露ほども感じられないからだろう。内容的には同じことを言っていても、その発言者が「誰の利益を代弁しているのか」「誰の味方で、誰の敵か」を、理解する人はちゃんとしているのである。

現在、「原子力ムラ」側にいる学者たちは、リスクコミュニケーションの失敗、福島県民に「科学的な理解」をしてもらおうという対話の姿勢が欠けていた――として、リスクコミュニケーションの研究に余念がない。だが、彼らが彼らであり続ける限り、子どもの健康を心配する母親たちが彼らに理解、支持を与えることはないであろう。なぜなら母親たちは、彼らが「あちら側」の人間であることを正しく理解しているからである。彼ら「御用学者」が、子どもの健康を心配する母親たちの支持を得たいと望むなら、それは美辞麗句を弄することではなく、「あちら側」から「こちら側」の人間になることで初めて実現される。つまり、出世を諦め「御用」の立場を降り、母親たちととともに歩むことである。

『科学者が科学者たりうるのは、本来社会がその時代時代で科学という営みに託した期待に応えようとする努力によってであろう。高度に制度化された研究システムの下ではみえにくくなっているが、社会と科学者の間には本来このような暗黙の契約関係が成り立っているとみるべきだ。としたら、科学者たちは、まず、市民の不安を共有するところから始めるべきだ。そうでなくては、たとえいかに理科教育に工夫を施してみても、若者たちの“理科離れ”はいっそう進み、社会(市民)の支持を失った科学は活力を失うであろう』

これは、生涯を反原発に捧げ、62歳の若さで世を去った市民科学者、高木仁三郎が私たちに残したメッセージである(原子力資料情報室サイト「市民の不安を共有する」より)。これこそ市民とともに歩む科学者の模範であろう。肥田さんは、高木仁三郎と同じように、この道を貫いた模範的学者だった。彼に比肩する人物は今の日本には片手で足りるほどしかいない。肥田さんを失ったことによる損失は計り知れない。

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原発避難者群馬訴訟、国・東電の責任を初めて認める

2017-03-18 16:06:05 | 原発問題/一般
原発事故、国に賠償命令=「津波予見できた」―東電にも、計3800万円・前橋地裁(時事)

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 東京電力福島第1原発事故で福島県から群馬県に避難した住民らが、国と東電に計約15億円の損害賠償を求めた訴訟の判決が17日、前橋地裁であった。

 原道子裁判長は、津波を予見し、事故を防ぐことはできたと判断、国と東電に総額約3855万円の支払いを命じた。

 事故をめぐり、国の賠償責任を認めた判決は初めて。全国で約30件ある同種の集団訴訟に影響を与えそうだ。

 原裁判長は、政府の地震調査研究推進本部が2002年7月に「マグニチュード8クラスの大地震が起こる可能性がある」と指摘した「長期評価」を重視。「地震学者の見解を最大公約数的にまとめたもので、津波対策に当たり考慮しなければならない合理的なものだった」と述べた。

 その上で、国と東電は遅くとも長期評価が公表された数カ月後には、原発の安全施設が浸水する津波を予見できたと認定。長期評価に基づき、08年5月に15.7メートルの津波を試算した東電は「実際に予見していた」と言及した。

 事故は非常用発電機を高台に設置するなどすれば防げたとし、「期間や費用の点からも容易」だったと指摘した。東電については、「常に安全側に立った対策を取る方針を堅持しなければならないのに、経済的合理性を優先させたと評されてもやむを得ない」と厳しく非難した。

 国に関しては、長期評価から5年が過ぎた07年8月ごろには、自発的な対応が期待できなかった東電に対し、対策を取るよう権限を行使すべきだったと判断。国の権限不行使は「著しく合理性を欠く」とし、違法と結論付けた。

 原告側は、国の原子力損害賠償紛争審査会の指針に従って既に受け取った賠償金に加え、1人当たり1100万円の慰謝料などを求めていた。判決は、避難指示区域の住民19人に75万~350万円、区域外からの自主避難者43人に7万~73万円の賠償を認める一方、72人の請求は退けた。

 賠償基準を示した同審査会の指針については、「自主的解決に資するためのものだ」と指摘し、避難の経緯や放射線量などに応じて個別に賠償額を認定した。

 事故をめぐっては、東電の勝俣恒久元会長(76)ら3人が、津波を予想できたのに対策を怠ったとして、業務上過失致死傷罪で強制起訴されたが、初公判の見通しは立っていない。
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福島第1原発事故によって、各地に強制避難または「自主」避難した人たちによる各地の集団訴訟のうち、最初となる群馬訴訟の判決が言い渡された。内容は上記記事の通り、原発事故における国・東京電力の責任を認定、賠償支払いを命ずるものだ。

判決内容を精査してみると、原告弁護士が「一部勝訴」と判断したように功罪の両面がある。その両面から見ていこう。

●東電に加え、国の責任も認める画期的内容~福島原発告訴団が「雪辱」果たす

東京電力に加え、国の責任を認定したことに関しては、この判決は画期的といえる。原発は「国策民営」事業であり、国の強い関与の下で運営されてきたからだ。

判決は、2008年5月に15.7メートルの津波が福島第1原発に襲来する可能性があるとする試算が社内でまとめられながら、何の安全対策もとらなかった東電を「常に安全側に立った対策を取る方針を堅持しなければならないのに、経済的合理性を優先させたと評されてもやむを得ない」と強く非難。国に関しても、自発的に安全対策を取る気のない東電を放置し、甘やかした事実上の不作為について「著しく合理性を欠く」とした。事故を起こした当事者としての電力会社だけでなく、規制行政機関としての国の不作為をも厳しく断ずるものだ。福島第1原発事故国会事故調査委員会(黒川委員会)は、規制当局がむしろ電力会社の下請けとなり「規制の虜」となったと指摘。事故の背景に規制行政の機能不全があると厳しく断じたが、判決はこうした規制行政のあり方にも大きく反省を迫るものとなった。

原道子裁判長の訴訟指揮にも目を見張るものがあった。原告45世帯のすべてから法廷で意見を聴き、2016年5月には、福島県南相馬市などに出向いて原告の自宅周辺の視察も行った。裁判迅速化の流れの中、短時間で適当な判決を書く裁判官も多い現在、こうした労を厭わない裁判官はかなり珍しい。

また、産経新聞の記事にあるように、従来であれば非常に難しいとされる国家賠償法に基づく国家賠償の壁をこの裁判が突破、国の賠償責任を認めさせたことも画期的である。この判決が前例となり、各地の訴訟で次々と国の責任を認める判決が出されれば、国(原子力規制委員会)は地震や津波に関する原発の安全基準をより強化する方向で政策を変更せざるを得なくなる。結果として、福島第1原発事故以降、ただでさえ困難になっている原発再稼働のハードルはさらに上がり、多くの国民が望んでいる脱原発社会に向け大きく近づくだろう。

福島第1原発事故を福島県で迎え、従来のどんな公害事件をも圧倒する県内の混乱状況をつぶさに見てきた筆者は、この判決を喜びをもって受け止める。2012年6月、福島原発告訴団による第1次告訴の段階から告訴人に名を連ねた筆者にとって、勝俣恒久・元東電会長ら旧経営陣3名の強制起訴を検察審査会で勝ち取ったことは、確かに大きな喜びだった。しかし、これに続き、福島原発告訴団が経産省原子力安全・保安院の津波対策担当者を業務上過失致死傷罪で告発した第2次告訴(2015年)は、検察が強制捜査もしないまま、わずか1年足らずで不起訴。検察審査会(勝俣会長らの強制起訴を決めたのとは別の審査会)からも不起訴を相当とする不当な決定が行われたことにより、福島原発告訴団が刑事裁判で責任を問えるのは東電旧経営陣だけにとどまることになった。電力会社を監督・規制すべき国、規制行政の刑事責任を法廷で問う道は事実上閉ざされた。この悔しさで、筆者は何度か眠れない夜を過ごしたこともある。

そのような悔しさを味わわされてきた筆者は、今回、東電のみならず、国の責任をも認める判決を引き出した群馬訴訟の原告たちに大きな謝意を表したいと思う。福島原発告訴団に結集した告訴人にとって、この勝訴は福島の仇を群馬で討つものであり、刑事訴訟で国の責任を問う道を開くことができなかった雪辱を果たしたという意味で、今後に大きな展望を開くものといえよう。

●福島原発告訴団にとっても「勝利」

とはいえ、福島原発告訴団にとって、この判決は単に「他の訴訟仲間の勝利」ではない。福島原発告訴団自身にとっても勝利と積極的に評価すべきものだ。なぜなら、今回、裁判所が認定した事実、採用された証拠の多くは福島原発告訴団が調査し「発掘」したものだからである。

例えば、2008年5月、福島第1原発に15.7メートルの津波が襲来する恐れがあるとの試算が密かに東電によってまとめられながら、強制起訴となった武藤栄被告(元東電副社長)が安全対策を取ることなく見送ったとの事実は、福島原発告訴団が調査し「発掘」したものである。ついでに言えば、この試算は東電のグループ企業である土木コンサル会社、東電設計によって行われた。この試算が東電社内で幅広く「情報共有」されていた事実もある。にもかかわらず、武藤被告はグループ会社の試算すら無視。安全対策を先送りする口実を得るために「身内」である日本土木学会に再度、津波に関する検討を依頼することを決め、指示した。このようにして、東電が津波対策を遅らせているうちに東日本大震災を迎え、そして予想通りの大津波が襲来、福島第1原発は全電源喪失から爆発、メルトダウンへの破局に向かって進んでいったのである。

2008年5月、「試算」の段階で東電が津波対策を講じていれば、メルトダウンを避けられた蓋然性はかなり高かった。今回の群馬訴訟判決が、東電に関し、津波を「予見し得た可能性があった」ではなく「実際に予見していた」と言い切っているのは、これらの事実が認定されたからである。福島原発告訴団は、東電株主代表訴訟原告団とも連携し、情報を交換し合いながら、得られた証拠のほぼすべてを全国の賠償訴訟の原告団が自由に使えるようオープンにしてきた。群馬訴訟の原告たちが、これらの証拠をフル活用して訴訟に臨んだことは想像に難くない。その意味で、この勝訴は福島原発告訴団にとって、自分自身の勝利というべきものである。

判決が、政府の地震調査研究推進本部(推本)による2002年7月の「マグニチュード8クラスの大地震が起こる可能性がある」との指摘(長期評価)について「地震学者の見解を最大公約数的にまとめたもので、津波対策に当たり考慮しなければならない合理的なものだった」としたことも常識的な判断といえる。東日本大震災までは国民にその名も知られていなかった推本は、東日本大震災以降、俄然注目を集める存在となったが、実際、推本には様々な立場から、様々な研究をする地震学者が集まってきている。長年、地震や異常気象などの自然現象を観察し、解説記事を書いてきた筆者から見ると、現在、地震に関し、最も多くの優れた知見が集積しているのは気象庁でも地震予知連でも東大地震研究所でもなく、推本であるように思われる。

●低すぎる賠償が今後の課題

今回の判決の「罪」の部分についても触れておかなければならない。それは、賠償額が低すぎることに尽きる。45世帯、137人の原告のうち、賠償を認められたのは半分に満たない62人。15億円の請求額に対し、認められたのはわずかに3855万円。62人の原告ひとり当たりではわずか62万円だ。自主避難者ひとり当たりの引越費用が72万円だったとする毎日新聞の2011年の報道もあったが、この報道が事実なら、判決が認めた賠償額では引越費用もまかなえないことになる。

3.11以降6年間、避難者は筆舌に尽くしがたい苦しみを味わった。特に健康被害を恐れて「自主」避難した人たちは、鼻血の事実を申し出ても誰にも相手にされず、「神経過敏」とののしられた。国、福島県、御用学者たちを総動員したキャンペーンにより「風評被害の元凶」扱いされた。「被害者ビジネス」「いつまでも甘えるな」という謂われなき非難にもさらされてきた。挙げ句の果ての「原発避難者いじめ」だ。子どもは大人を映す鏡である。子どもたちが原発避難者の子どもたちをいじめるのは、大人たちがそうするのを見ているからである。安倍政権は避難者を忌避し、白昼公然と踏みにじり、経済的に困窮させて「被曝か貧困か」の二者択一を迫っている。そうした棄民政策こそが、子どもたちに対して「福島出身の者はいじめてもいい」というメッセージを発することにつながっているのだ。

現在、「避難者いじめ」の先頭に立っている不届き者がいる。電事連機関紙、電気新聞に寄稿、原子力ムラの広告塔として悦に入っている「自称社会学者」開沼博だ。「避難者は県民のたったの2%」などという愚劣極まる「脱原発派攻撃」を続けている。

開沼よ、お前は2%なら切り捨てられても仕方ないというのか。少数派の意見など白昼公然と踏みにじってもいいというのか。昨日まで同じ釜の飯を食べ、同じ苦しみの中で生きてきた「元」福島県民を、福島から1歩でも出た瞬間「裏切り者」扱いするのか。もしお前が今後も姿勢を改めないなら、筆者は全身全霊を賭けてお前を政治的に打倒する決意である。

筆者はあえて問おう――避難先でもがきながらも自分の手で新しい生活を確立しようとしている避難者と、「原発が動かなくては地元経済が立ち行かない」などと繰り返す「補助金クレクレ泥棒」の原発立地自治体、甘えているのはどっちなのかと。いつまでも原発依存から脱却しようともせず、補助金クレクレと甘え、わめき散らす原発立地自治体や推進派どもに「甘えている」と言われる筋合いなど、避難者にはこれっぽっちもないのだ。

6年間にわたった筆舌に尽くしがたい避難者の苦しみを思うなら、引越費用もまかなえない額しか提示されなかった今回の判決には不満だ。苦しみに見合う賠償がほしいと願う人、カネでなく名誉のために闘っているのだという人――原告にも様々な人がいる。だが、仮にこの「低額」賠償が今後の全国の原発賠償訴訟を規定するとしたら、避難者たちは浮かばれない。次に判決の出される訴訟で、この額が大きく突破されるよう、筆者は今後も闘い続けたい。

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【報告】小泉純一郎元首相の脱原発講演会「日本の進むべき道」(要旨)

2017-03-15 22:22:39 | 原発問題/一般
3月11日、札幌市内で、小泉元首相の脱原発講演会が開催された。たまたま、午前中に開催された「原発事故から6年 フクシマを忘れない!さようなら原発!北海道集会」と同じ会場だったこともあり、せっかくなので聴くことにした。内容は以下の通りだが、私の不確実なメモを基にしているので、間違いなどあるかもしれない。

日時:2017年3月11日(土)14:00~
場所:札幌市 共済ホール
主催:泊原発の廃炉をめざす会

 3.11前まで、私は原発推進論者だった。CO2を出さないクリーンエネルギーだと思っていた。3.11で安全に疑問を持った。エネルギー関係の本をたくさん読むようになり、様々な反原発の意見、考えがあることを知った。専門家の話を聞いているうちは、反原発は左翼的な人たちの話だと思っていた。

 原発推進派の言うことはウソばっかりだ。この前も、どこかの政治家が「福島第1原発はコントロールされている」と言っていた(会場笑い)。スリーマイル島、チェルノブイリの事故の後も、日本の専門家は日本の原発は違う、安全だと言っていた。当時の科学技術庁原子力局長がなんと言っていたか。「地元住民が避難しなければならないような事態は起こらない。なぜならそれが多重防護だからだ」と。今はなんと言っているか。「小泉さん、絶対に壊れない機械なんてないんですよ。飛行機も、自動車だって事故を起こすでしょう」と言っている。でも、飛行機や自動車は(被害は事故を起こした)1カ所だけ。原発は事故を起こしたら故郷がなくなる。原発は絶対に事故を起こせない産業だ。こんな地震大国の日本で、原発はやれない。

 小泉はぶれないとよく言われるが、自分が間違っているとわかったときはぶれなきゃいけない(会場笑い)。今日はこの会場に、小泉内閣で幹事長を務めた中川秀直も来ている(中川が起立しあいさつ。会場拍手)。元自民党総裁と元自民党幹事長のコンビが来ている。反原発に保守も革新もない。

 電力会社は今まで経営第一、利益第一だった。財界から「小泉さん、原発即時ゼロなんて無責任ですよ」と言われた。でも、これまで6年間、原発ほぼゼロでやってきた。事故前は原発の比率が3割、太陽光は2%だった。今は原発10基分を太陽光でまかなっている。政府が大して推進していないだけじゃなく、足を引っ張って妨害している。それなのに太陽光はここまで成長した。

 小泉は変人と言われたが、今、これだけの事故が起きてもなお原発を推進しようという人の頭の中はどうなっているのか。変人の私から見ても相当な変人ですよ(会場笑い)。

 産廃業者は自分で処分場を作らなければ産廃の会社を作る許可が都道府県知事から下りない。それなのに、産廃どころではない、危険な放射性ごみを出す原発を、処分場もないのになぜ政府は認めるのか。

 私はフィンランドを訪問した。フィンランドは岩盤でできた国だ。その400mメートル掘った地下に、オンカロがある。そのオンカロでも、2km四方の広場にたった原発4基分のごみしか入らない。だからオンカロは、フィンランド国内の原発のごみしか受け入れない。しかも、オンカロでも内部に湿気が発生している。フィンランド政府は、これが将来もずっと湿気のままでいてくれるか、水になって流れ出すんじゃないかと心配している。これ、日本で同じことができるか。400mも掘ったら、湿気どころか温泉が出る(会場笑い)。

 フィンランドでは、「10万年掘り出すべからず」を何語で書くか真剣に議論している〔注:高レベル放射性廃棄物の無害化には10万年かかると言われている。10万年後のフィンランド人に、10万年間、埋設された高レベル廃棄物を掘り出してはいけないと理解させるためにはどのように書いたらいいかを議論している、という意味〕。するなと言われるとしたくなるのが人間(会場笑い)。掘るなと言われると余計に掘りたくなるのが考古学者。彼らに、掘るなとどうやって書けばわからせられるのか。考古学者ですらピラミッドに書かれている文字を読めない。日本人だって、万葉集の意味はわからないし、百人一首だって、何が書いてあるのかわからない人が多いというのに、それでいいのか。自分たちの世代と若者世代、こんな短い時間でも言葉の意味は変わる。私の時代には、切れる人と言えば賢い人のことだったが、今は頭のおかしい人のことを言う。やばいという言葉だって、私の世代はまずいとか危ないの意味だったが、今の若者はおいしい物を食べると「これ、ヤバいっすよ」などと言う(会場笑い)。

 今までの核のごみも捨て場所がないのに、まだ原発を再稼働させて、ごみを増やすつもりか。北海道知事は情けないね。知事には大きな権限がある。「原発を認めてほしければ、自分が処分場を見つけてこい」と、知事が言えばいい。

 私は、原発推進だった頃の反省も込めて、自然エネルギーをやらなくてはいけない。北海道は自然エネルギーの適地だ。太陽光、風力。政府が妨害をやめるだけで、太陽光、風力はもっと普及する。自然エネルギーはごみを出さないから、ごみ処理に莫大なカネをかけることもない。自然エネルギーを増やしていけば、「おお、日本、凄いな」という話になる。日本のようになりたいという国も増える。

 小規模太陽光発電が増え、田んぼの斜め上に太陽光パネルを置いて発電をし、売電することで農家は収穫でも儲かり、売電でも儲かる。太陽光パネルを置くことで、田んぼや畑が一部、日陰になるが、最近の研究では1日中ずっと日光が当たっているより少し日陰になるくらいの方が米も野菜も収穫がいいとわかってきた。

 歴史上、日本人はピンチをチャンスに変えてきた。世の中に変わらないものなんてあるわけがなく、そのつど日本人は大きな変化に対応してきた。明治維新の前、江戸幕府が開国の方針を決めたとき、尊皇攘夷運動をした薩長は「開国なんてけしからん」と言っていたが、明治維新で自分たちが政権を取るとすぐさま開国した。戦後だって、米国と戦争していたのに、一番米国と仲良くなった。

 1ドル360円の固定相場制だって、日本人はずっと永遠にあるものと思っていた。変動相場制になり、1ドル360円が250円になったとき、「数字が小さくなって、俺の給料も下がっているのに、何で円高というのか」と聞かれ、経済学者が答えられない。私が「1ドルを買うのに、今まで360円出さなければいけなかったのが250円ですむ。日本人の価値が上がるから円高というのだ」と説明すると、わかってもらえた。経済学者もその程度の認識だったが、日本はいつの間にか見事に対応した。

 私の初当選は1972年。73年にオイルショックが起きた時のことは、1年生議員だったからよく覚えている。大量の買い占めが起きたが、今思い出しても不思議なのは、なぜ買い占めたのが食料じゃなく、洗剤とトイレットペーパーだったのか。これが外国なら間違いなく食料を買い占める。私の想像だが、日本人がきれい好きだからではないだろうか。石油がなくなっても、子どもの服を泥んこのままにしておけない。そんなきれい好きの日本人だからこそ、世界一厳しい排ガス規制を作り、それに対応する自動車を作り上げた。リサイクルも世界一見事にやり遂げた。そんなきれい好きの日本人は、必ず脱原発を実現できる(会場拍手)。

 今の日本の政治家の誰も絶対にかなわないことがひとつある。憲政の神様と言われた尾崎行雄だ。その尾崎行雄の銅像が憲政記念館に建っているが、そこに尾崎のこんな言葉がある。「人生の本舞台は常に将来に在り」。尾崎が亡くなった年、94歳の時の言葉だ。皆さん、70歳超えたら将来なんてどうでもいいと思ってるでしょう(会場笑い)。でも尾崎は違う。94歳でなお「人生の本舞台は常に将来に在り」と言った。今日この会場には高齢の方が多いけれど、尾崎を見習って、将来のために、私とともに、脱原発を実現できるようがんばっていきましょう。本日はご静聴ありがとうございました。

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【報告】原発事故から6年 フクシマを忘れない!さようなら原発!北海道集会

2017-03-14 23:58:20 | 原発問題/一般
前日の旭川集会に続き、3月11日は札幌に移動。表題の集会に参加した。路面が凍結して滑りやすくなっていた影響でデモ行進が中止となったが、主催者発表で900人が参加。会場に入りきれない参加者がホールの外で音声を聴かなければならないほどの盛況だった。こちらも以下、報告をまとめた。

●講演「泊原発 再稼働してはいけない8つの理由」(小野有五・北海道大学名誉教授)

小野名誉教授の配付資料。ほぼこの資料に沿った内容だった。今回の集会に合わせて作成した資料とのこと。

●講演「福島原発事故から6年 深刻さ増す福島原発事故」(伴英幸・原子力情報資料室共同代表)

伴さんの配付資料。こちらもほぼこの資料に沿った内容だった。

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【報告】東電福島第1原発事故から6年 フクシマを忘れない!さようなら原発!道北集会

2017-03-13 23:49:05 | 原発問題/一般
3月10日、旭川市内で開かれた表記の集会に参加してきた。その概要を報告したい。

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日時:2017年3月10日(金)18:30~
場所:旭川市 勤労者福祉会館

●主催者あいさつ 道北平和フォーラム代表委員 小川 敏扶 氏(北教組出身)

 教組出身ということもあり、学校現場の状況は常に関心がある。一番関心を持ったのは、(津波で7割の児童が亡くなった)大川小学校のこと。教師が正しかったか検証されなければならない。

 原発いじめ問題も深刻。避難者は、国の政策の失敗でやむなく避難をしたもの。好きこのんで避難したわけではない。原発事故では誰も責任をとっていない。そのことへの怒りを込めた闘いをする必要がある。

 核のごみの問題は10万年ともいわれ、永遠について回る。覚悟と決意が必要だ。

 これからお話をしていただく久世(薫嗣)さんは、チェルノブイリでの保養に長年、取り組んできた人。3.11以降は福島の子どもたちの保養にも取り組んできた方。

講演 「さよなら原発 さよなら核のごみ処分場」 藤田孝一さん(道北核廃棄物処分場反対連絡協議会代表)

藤田さんは、配付した資料に沿って説明している。大変充実した資料なので、ぜひご覧いただきたい。その他、資料にない発言を一部ご紹介すると、以下の通り。

・中川一郎(中川昭一の父、中川郁子の義父)は、従来、原発にしか交付されなかった電源交付金を、原発以外にも出るようにした人物。

・電源交付金は、原発が長く稼働するほど減る→新しい原発がもっと欲しくなる

・幌延は昔、海だった。そのため、深地層研の施設内には今も塩水が出る。

報告「エベコロベツ自給のむら」から 久世薫嗣さん(核廃棄物処分誘致に反対する道北連絡協議会代表委員、「エベコロベツ自給のむら」代表)

久世さんが配布した資料

 私は酪農家だが、昨年、大腸がんにかかってからは酪農らしいことはできていない。チェルノブイリの子どもと自分の子どもが同世代で保養を始めた。福島の子どもと自分の孫も同世代。日本政府が原発事故、放射能汚染に関する情報を出さないため、一時は海外避難も考えた。だが、じっとしていたら状況はもっと悪くなると思い、踏みとどまった。酪農家として放射能汚染が心配で、これまでずっと牛乳などの放射能測定を続けてきた。今も1ヶ月に1回程度に減らしたが、続けている。放射能汚染は、汚染食品の流通を通じて全国にまん延しており、閾値もない。

 福島から、親子とも逃げてほしい。特に子どもたちは何とかしたい。12歳までに子どもの体はほぼ作られる。そこまでの時期に身体にいい環境でないと傷ついた遺伝子が大人になっても残ってしまう。それを避けるには、環境を変える以外にない。

 これまで、保養で受け入れた人は通算で300人。保養が3回目の子もいる。保養を通じて生きる力を付けてほしい。生きる力とは、食べること、住むこと、着ること。これを自分でできるようになること。それが「自給のむら」の意味であり、これからは重要。こんなことを国がやるわけがないので、自分がやっている。

 ぜん息やアトピーなどはすべて環境が原因。これは福島に限らない。子どもたちは将来は北海道に来て一次産業をしてほしい。そうした選択肢が与えられることは、職業選択にもプラスになる。先日は女子高生が保養に来た。小学生当時、一度ホームステイに来た子だ。

 地方が過疎化を防ぐには、「(進学、就職などで)地元から若者を出さない」ことが重要。ただ、そのためには知恵が必要で簡単ではない。

 次の保養は、子どもたちにほとんどの役割を担ってもらおうと考えている。「自給のむら」には、イギリスや台湾からもホームステイが来た。無料で泊まれるようにしているので、皆さんもぜひ来てほしい。

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