原発事故、国に賠償命令=「津波予見できた」―東電にも、計3800万円・前橋地裁(時事)
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東京電力福島第1原発事故で福島県から群馬県に避難した住民らが、国と東電に計約15億円の損害賠償を求めた訴訟の判決が17日、前橋地裁であった。
原道子裁判長は、津波を予見し、事故を防ぐことはできたと判断、国と東電に総額約3855万円の支払いを命じた。
事故をめぐり、国の賠償責任を認めた判決は初めて。全国で約30件ある同種の集団訴訟に影響を与えそうだ。
原裁判長は、政府の地震調査研究推進本部が2002年7月に「マグニチュード8クラスの大地震が起こる可能性がある」と指摘した「長期評価」を重視。「地震学者の見解を最大公約数的にまとめたもので、津波対策に当たり考慮しなければならない合理的なものだった」と述べた。
その上で、国と東電は遅くとも長期評価が公表された数カ月後には、原発の安全施設が浸水する津波を予見できたと認定。長期評価に基づき、08年5月に15.7メートルの津波を試算した東電は「実際に予見していた」と言及した。
事故は非常用発電機を高台に設置するなどすれば防げたとし、「期間や費用の点からも容易」だったと指摘した。東電については、「常に安全側に立った対策を取る方針を堅持しなければならないのに、経済的合理性を優先させたと評されてもやむを得ない」と厳しく非難した。
国に関しては、長期評価から5年が過ぎた07年8月ごろには、自発的な対応が期待できなかった東電に対し、対策を取るよう権限を行使すべきだったと判断。国の権限不行使は「著しく合理性を欠く」とし、違法と結論付けた。
原告側は、国の原子力損害賠償紛争審査会の指針に従って既に受け取った賠償金に加え、1人当たり1100万円の慰謝料などを求めていた。判決は、避難指示区域の住民19人に75万~350万円、区域外からの自主避難者43人に7万~73万円の賠償を認める一方、72人の請求は退けた。
賠償基準を示した同審査会の指針については、「自主的解決に資するためのものだ」と指摘し、避難の経緯や放射線量などに応じて個別に賠償額を認定した。
事故をめぐっては、東電の勝俣恒久元会長(76)ら3人が、津波を予想できたのに対策を怠ったとして、業務上過失致死傷罪で強制起訴されたが、初公判の見通しは立っていない。
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福島第1原発事故によって、各地に強制避難または「自主」避難した人たちによる各地の集団訴訟のうち、最初となる群馬訴訟の判決が言い渡された。内容は上記記事の通り、原発事故における国・東京電力の責任を認定、賠償支払いを命ずるものだ。
判決内容を精査してみると、原告弁護士が「一部勝訴」と判断したように功罪の両面がある。その両面から見ていこう。
●東電に加え、国の責任も認める画期的内容~福島原発告訴団が「雪辱」果たす
東京電力に加え、国の責任を認定したことに関しては、この判決は画期的といえる。原発は「国策民営」事業であり、国の強い関与の下で運営されてきたからだ。
判決は、2008年5月に15.7メートルの津波が福島第1原発に襲来する可能性があるとする試算が社内でまとめられながら、何の安全対策もとらなかった東電を「常に安全側に立った対策を取る方針を堅持しなければならないのに、経済的合理性を優先させたと評されてもやむを得ない」と強く非難。国に関しても、自発的に安全対策を取る気のない東電を放置し、甘やかした事実上の不作為について「著しく合理性を欠く」とした。事故を起こした当事者としての電力会社だけでなく、規制行政機関としての国の不作為をも厳しく断ずるものだ。福島第1原発事故国会事故調査委員会(黒川委員会)は、規制当局がむしろ電力会社の下請けとなり「規制の虜」となったと指摘。事故の背景に規制行政の機能不全があると厳しく断じたが、判決はこうした規制行政のあり方にも大きく反省を迫るものとなった。
原道子裁判長の訴訟指揮にも目を見張るものがあった。原告45世帯のすべてから法廷で意見を聴き、2016年5月には、福島県南相馬市などに出向いて原告の自宅周辺の視察も行った。裁判迅速化の流れの中、短時間で適当な判決を書く裁判官も多い現在、こうした労を厭わない裁判官はかなり珍しい。
また、
産経新聞の記事にあるように、従来であれば非常に難しいとされる国家賠償法に基づく国家賠償の壁をこの裁判が突破、国の賠償責任を認めさせたことも画期的である。この判決が前例となり、各地の訴訟で次々と国の責任を認める判決が出されれば、国(原子力規制委員会)は地震や津波に関する原発の安全基準をより強化する方向で政策を変更せざるを得なくなる。結果として、福島第1原発事故以降、ただでさえ困難になっている原発再稼働のハードルはさらに上がり、多くの国民が望んでいる脱原発社会に向け大きく近づくだろう。
福島第1原発事故を福島県で迎え、従来のどんな公害事件をも圧倒する県内の混乱状況をつぶさに見てきた筆者は、この判決を喜びをもって受け止める。2012年6月、福島原発告訴団による第1次告訴の段階から告訴人に名を連ねた筆者にとって、勝俣恒久・元東電会長ら旧経営陣3名の強制起訴を検察審査会で勝ち取ったことは、確かに大きな喜びだった。しかし、これに続き、福島原発告訴団が経産省原子力安全・保安院の津波対策担当者を業務上過失致死傷罪で告発した第2次告訴(2015年)は、検察が強制捜査もしないまま、わずか1年足らずで不起訴。検察審査会(勝俣会長らの強制起訴を決めたのとは別の審査会)からも不起訴を相当とする不当な決定が行われたことにより、福島原発告訴団が刑事裁判で責任を問えるのは東電旧経営陣だけにとどまることになった。電力会社を監督・規制すべき国、規制行政の刑事責任を法廷で問う道は事実上閉ざされた。この悔しさで、筆者は何度か眠れない夜を過ごしたこともある。
そのような悔しさを味わわされてきた筆者は、今回、東電のみならず、国の責任をも認める判決を引き出した群馬訴訟の原告たちに大きな謝意を表したいと思う。福島原発告訴団に結集した告訴人にとって、この勝訴は福島の仇を群馬で討つものであり、刑事訴訟で国の責任を問う道を開くことができなかった雪辱を果たしたという意味で、今後に大きな展望を開くものといえよう。
●福島原発告訴団にとっても「勝利」
とはいえ、福島原発告訴団にとって、この判決は単に「他の訴訟仲間の勝利」ではない。福島原発告訴団自身にとっても勝利と積極的に評価すべきものだ。なぜなら、今回、裁判所が認定した事実、採用された証拠の多くは福島原発告訴団が調査し「発掘」したものだからである。
例えば、2008年5月、福島第1原発に15.7メートルの津波が襲来する恐れがあるとの試算が密かに東電によってまとめられながら、強制起訴となった武藤栄被告(元東電副社長)が安全対策を取ることなく見送ったとの事実は、福島原発告訴団が調査し「発掘」したものである。ついでに言えば、この試算は東電のグループ企業である土木コンサル会社、東電設計によって行われた。この試算が東電社内で幅広く「情報共有」されていた事実もある。にもかかわらず、武藤被告はグループ会社の試算すら無視。安全対策を先送りする口実を得るために「身内」である日本土木学会に再度、津波に関する検討を依頼することを決め、指示した。このようにして、東電が津波対策を遅らせているうちに東日本大震災を迎え、そして予想通りの大津波が襲来、福島第1原発は全電源喪失から爆発、メルトダウンへの破局に向かって進んでいったのである。
2008年5月、「試算」の段階で東電が津波対策を講じていれば、メルトダウンを避けられた蓋然性はかなり高かった。今回の群馬訴訟判決が、東電に関し、津波を「予見し得た可能性があった」ではなく「実際に予見していた」と言い切っているのは、これらの事実が認定されたからである。福島原発告訴団は、東電株主代表訴訟原告団とも連携し、情報を交換し合いながら、得られた証拠のほぼすべてを全国の賠償訴訟の原告団が自由に使えるようオープンにしてきた。群馬訴訟の原告たちが、これらの証拠をフル活用して訴訟に臨んだことは想像に難くない。その意味で、この勝訴は福島原発告訴団にとって、自分自身の勝利というべきものである。
判決が、政府の地震調査研究推進本部(推本)による2002年7月の「マグニチュード8クラスの大地震が起こる可能性がある」との指摘(長期評価)について「地震学者の見解を最大公約数的にまとめたもので、津波対策に当たり考慮しなければならない合理的なものだった」としたことも常識的な判断といえる。東日本大震災までは国民にその名も知られていなかった推本は、東日本大震災以降、俄然注目を集める存在となったが、実際、推本には様々な立場から、様々な研究をする地震学者が集まってきている。長年、地震や異常気象などの自然現象を観察し、解説記事を書いてきた筆者から見ると、現在、地震に関し、最も多くの優れた知見が集積しているのは気象庁でも地震予知連でも東大地震研究所でもなく、推本であるように思われる。
●低すぎる賠償が今後の課題
今回の判決の「罪」の部分についても触れておかなければならない。それは、賠償額が低すぎることに尽きる。45世帯、137人の原告のうち、賠償を認められたのは半分に満たない62人。15億円の請求額に対し、認められたのはわずかに3855万円。62人の原告ひとり当たりではわずか62万円だ。自主避難者ひとり当たりの引越費用が72万円だったとする毎日新聞の2011年の報道もあったが、この報道が事実なら、判決が認めた賠償額では引越費用もまかなえないことになる。
3.11以降6年間、避難者は筆舌に尽くしがたい苦しみを味わった。特に健康被害を恐れて「自主」避難した人たちは、鼻血の事実を申し出ても誰にも相手にされず、「神経過敏」とののしられた。国、福島県、御用学者たちを総動員したキャンペーンにより「風評被害の元凶」扱いされた。「被害者ビジネス」「いつまでも甘えるな」という謂われなき非難にもさらされてきた。挙げ句の果ての「原発避難者いじめ」だ。子どもは大人を映す鏡である。子どもたちが原発避難者の子どもたちをいじめるのは、大人たちがそうするのを見ているからである。安倍政権は避難者を忌避し、白昼公然と踏みにじり、経済的に困窮させて「被曝か貧困か」の二者択一を迫っている。そうした棄民政策こそが、子どもたちに対して「福島出身の者はいじめてもいい」というメッセージを発することにつながっているのだ。
現在、「避難者いじめ」の先頭に立っている不届き者がいる。電事連機関紙、電気新聞に寄稿、原子力ムラの広告塔として悦に入っている「自称社会学者」開沼博だ。「避難者は県民のたったの2%」などという愚劣極まる「脱原発派攻撃」を続けている。
開沼よ、お前は2%なら切り捨てられても仕方ないというのか。少数派の意見など白昼公然と踏みにじってもいいというのか。昨日まで同じ釜の飯を食べ、同じ苦しみの中で生きてきた「元」福島県民を、福島から1歩でも出た瞬間「裏切り者」扱いするのか。もしお前が今後も姿勢を改めないなら、筆者は全身全霊を賭けてお前を政治的に打倒する決意である。
筆者はあえて問おう――避難先でもがきながらも自分の手で新しい生活を確立しようとしている避難者と、「原発が動かなくては地元経済が立ち行かない」などと繰り返す「補助金クレクレ泥棒」の原発立地自治体、甘えているのはどっちなのかと。いつまでも原発依存から脱却しようともせず、補助金クレクレと甘え、わめき散らす原発立地自治体や推進派どもに「甘えている」と言われる筋合いなど、避難者にはこれっぽっちもないのだ。
6年間にわたった筆舌に尽くしがたい避難者の苦しみを思うなら、引越費用もまかなえない額しか提示されなかった今回の判決には不満だ。苦しみに見合う賠償がほしいと願う人、カネでなく名誉のために闘っているのだという人――原告にも様々な人がいる。だが、仮にこの「低額」賠償が今後の全国の原発賠償訴訟を規定するとしたら、避難者たちは浮かばれない。次に判決の出される訴訟で、この額が大きく突破されるよう、筆者は今後も闘い続けたい。