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備蓄米放出でも止まらない危機 重大局面はこの秋に来る

2025-05-18 23:12:32 | 農業・農政

(この記事は、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2025年6月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 本誌3月号で報告した「令和の米騒動」は、私の予想通り拡大の一途をたどっている。政府は、この春から各界各層からの声に押されて備蓄米放出に踏み切ったが、私の試算では、その備蓄米の在庫もこの夏までに尽きる見通しが強まっている。「本当の危機」は、おそらくこの秋にもやってくる。

 ●着実に進んできた農業経営基盤弱体化

 コメが流通段階で目詰まりしているのではなく、絶対量そのものが不足していることは、本誌3月号既報の通りである。ウクライナ戦争で資材費・原料費の高騰が始まって以降、ギリギリのところで踏ん張っていた農家の多くが離農、廃業した。企業の倒産、廃業情報を専門に扱う東京商工リサーチによれば、コメ農家の倒産と、事業休止に当たる旧廃業・解散の合計は2023年に83件まで急増。2024年も過去最多の89件に達した。

 令和の米騒動が始まってすでに9か月が経つ。その間、全国のコメ農家の倒産・旧廃業件数としてあまりに少なすぎるのではないかと思う読者がほとんどだろう。東京商工リサーチが把握できるのは、企業・法人の形態を採っているものだけだ。当然のことながら、向こう三軒両隣以外の誰にも知られることなく、ひっそりと離農する個人農家の動向までは把握できていない。

 実際の離農件数を農水省の統計に基づいて確認すると、2015年に134万戸あった個人/家族農業経営体数は年5~6万戸ずつその数を減らしてきた。とりわけ、2019~2021年のわずか2年間で約16万戸も個人/家族農業経営体数が急減。2021年には、ついに全国の個人/家族農業経営体数が100万戸を割り込んだ。コロナ禍が農家の経営にも大きなダメージを与えたことがわかる。

 一方で、企業や法人の形態を取る「組織経営体」数はこの間、わずかながら上昇しているが、個人/家族経営体による生産量減少をカバーするには至っていない。農業基盤弱体化はこの間も着々と進んできたのである。

 「農村と都市をむすぶ」誌編集委員で農業ジャーナリストの神山安雄さんは、この間の離農の特徴として、土地持ち非農家数が9万戸増加していることを指摘。「農地を持ったまま、離農とともに離村する人が増えている」と述べている。

 農業を続けるために何とか農村で歯を食いしばって耐えていた農家が、離農とともに生活基盤も失われた農村地帯から離れ、都会に出て行く。コロナ禍が明けて以降、東京や地方中核都市(政令指定都市クラス)への人口集中の動きが再び加速していることと整合性を持つ。

 ●食糧法の正式名称も知らなかった農水相

 では、この危機の中で農業の現場を預かる農水省は何をしているのか。コメ価格が対前年同期比で2倍を超え、備蓄米放出を求める声が勢いを増す中でも、江藤拓農水相は記者会見で「価格は市場が決めるもので、コメ価格への介入はできない」と再三にわたって繰り返した。

 確かに、1995年、旧食糧管理法と食糧管理制度の廃止に代わって現在の食糧法が制定された。食糧法に基づく農政は、WTO協定(世界貿易機関を設立するマラケシュ協定)体制に基づいて、世界がグローバリズムに向かう時代の潮流に合わせたものだった。

 だが時代はコロナ禍を経て大きく変わった。食料、エネルギー、資材、そして労働需給に至るまですべてが過剰から不足に変わり、世界でインフレとともにこれらすべての奪い合いが激化している。

 しかし、日本政府・自民党はコロナ禍以降、根本的に変化したこのような世界情勢を認識していない。江藤農水相は、2月28日の衆院予算委員会で、記者会見で述べたものと同じ見解を繰り返し、食糧法には価格の安定とは「書いていない」と4回も繰り返した。実際には、食糧法は「主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律」が正式名称であり、条文はおろか題名からきちんと価格の安定が入っている。この程度の知識も持たない閣僚が自民党内で「農水族」議員と呼ばれているとする報道もあるが、これが事実なら、農業現場と農政を知悉する人材は、自民党からほぼ払底していると見るべきだろう。

 食料となる予定の家畜にもできるだけ苦痛を与えない飼養方法を採用すべきとするアニマルウェルフェア(家畜福祉)は、欧州はじめ世界では制度化の方向にあるが、この考え方では、多数の鶏を、身動きもできないぎゅうぎゅう詰めの鶏舎に押し込んで飼養する「バタリーケージ」方式は禁止が原則とされる。

 この措置が日本に波及するのを恐れた鶏卵生産販売大手「アキタフーズ」が、吉川貴盛元農相に寄付を行っていた事件が2021年に発覚した。江藤農水相が党内で農水族と呼ばれていることに触れたのは、2021年1月17日付け東京新聞だ。記事によれば、吉川元農水相の他に4人の自民党国会議員もアキタフーズからの寄付を受けたが、その1人が江藤農水相である。自民党「農水族」の実態は今や単なる「農業利権族」に過ぎないようだ。

 ●備蓄米在庫が尽き、この秋迎える「重大局面」

 令和の米騒動につながるコメ民間在庫量の減少が始まったのが令和4/5年度(2022/2023年度)産であることは3月号本誌ですでに述べた。その後も対前年同期比で40~50万トン程度の不足基調であることは変わっていない。

 驚くべきなのは、▲で表示されている不足数が、いわゆる累積在庫減少量ではなく、対前年度比の在庫減少量であることだ。大幅な前年度割れはすでに3年度にわたって続いており、本稿執筆時点で最新版「民間在庫の推移」(農水省)によると、3月時点では、2022/2023年度産から3年度の合計ですでに92万トンもの在庫量減少に陥っているのである。

 各界各層の声に押され、政府はすでに初回分として21万トンの備蓄米を放出した。今後も毎月10万トンずつ放出を続ける方針だ。だが、(1)コメの年間収穫量が680万トン~720万トン程度、1か月のコメ消費量が60万トン程度であること、(2)農協・全集連(全国主食集荷協同組合連合会)加盟各社などの大手集荷業者が集荷できる量が、コメ収穫量全体の半分程度に過ぎず、「民間在庫の推移」で把握されている在庫量もこれら大手集荷業者分しか反映していない可能性が高いこと、(3)残り半分は農協・全集連を通さず、生産者と外食産業や中食産業との間の直接取引によって売買されている可能性が高いこと――は私が3月号本誌ですでに指摘したとおりである。

 要するに、第1回放出された備蓄米21万トンでは、農協・全集連が集荷・販売している一般消費者向けコメの消費量の20日分、外食・中食も含めた消費量全体では10日分に過ぎず、「出さないより少しマシ」程度の効果しか持たない。これで高騰する米価の沈静化につながらないことは、長く農業界を見てきた私には自明だったのである。

 この数字を見る限り、「備蓄米が市場に出てくれば、5月以降、米価は落ち着く」とするコメンテーターなどの楽観論には何の根拠もないことがご理解いただけるだろう。それどころか、この秋、私たちを待ち受けているのはさらに戦慄の事態である。備蓄米の在庫が100万トンしかないことは農水省も公式に認めているが、前述したように、2022/2023年度産以降、生産量の前年割れが3年連続で続いており、その総量は3月時点で92万トンに上っている。つまり、現在放出している備蓄米も、秋には底をつく。

 ここ数年来で急減した100万トンの生産量を回復させる秘策でもあれば別だが、そうでない限り、日本はこの秋、重大な決断を迫られることになる。「100万トンの外国産米を毎年輸入するか、主食としてのコメを諦めるか」である。それが日本社会にもたらす衝撃の大きさは、WTO協定発効に伴い、ミニマム・アクセス(MA)米の一定量の輸入を日本が受け入れた1995年をはるかに上回るものになる。

 本誌読者のみなさんに思い出してほしいことがある。食糧管理制度廃止とWTO協定発効が同時並行で進んだ1995年当時、MA米受け入れ(それは同時に、コメ完全自給政策の放棄を意味していた)という重大な決断は、細川非自民連立政権によって行われた。長年の自民党政権によるコメ失政のツケを、非自民政権が払ったのである。

 現在、自公政権が衆院で少数与党になり、「あのとき」と同じように揺らいでいるのを偶然のひとことで片付けてもいいのだろうか。邪推かもしれないが、自公政権は、この夏の参院選で故意に敗北して政権から降り、「毎年100万トンの外国産米受け入れ」という重大な政治決断を「自民以外の新たな政権」に押し付けるつもりなのではないか――そんな予感が私の脳裏をよぎって離れないのである。

 ●やはり出てきた「MA米活用」論~これは仕組まれたコメ不足か?

 ところで、コメ不足解消のため「MA米を活用すればいい」との声が、財務省筋から出ているとの報道がここに来て流れている。私は「やはり来たか」との思いだ。

 MA米は、WTO協定発効当初は国内消費量の4%の輸入が義務付けられた。その後、段階的に8%まで引き上げられている。協定が発効した1995年の時点では日本の年間コメ生産量が約1000万トンだったことから、輸入量は約40万トンとされた。8%引き上げの段階では、輸入量が77万トンとされたが、それは「分母」に当たる生産量が減ったからである。

 ここまでで、察しのいい読者はお気づきかもしれない。現在、「不足」が囁かれている量(約100万トン)と、MA米の輸入量(77万トン)が近似していることである。MA米の用途を見ると、最も高く売れる主食用は9万トンに過ぎず、加工用17万トン、飼料用59万トン、海外への食糧援助用5万トン、バイオエタノール用16万トン、食用不適品4万トンとなっている。つまり、高い保管経費をかけながら、そのほとんどは二束三文の安値しかつかない用途に回されているのである。

 MA米の価格はSBS(売買同時入札)制度による競争入札の結果で決まる。輸入業者(商社など)とコメ販売業者が連合で参加し、輸入業者は輸入額を、販売業者は国内での販売価格を提示する。その差額の最も大きい――つまり、国にとって最も差益の大きい――入札額を提示した業者連合が落札となる。売買差益は国の特別会計に組み入れられ、ここから保管経費が賄われてきた。この売買差益が事実上の関税と同じ効果を持つため、MA米は無関税でよいというのが国の公式説明である。

 ただ、それでも多額の保管経費がかかっていることは想像に難くない。財務省としては、MA米すべてが高値販売される主食用米に回ってくれるなら、SBS方式で得た売買差益の一般会計繰り入れを農水省に対して求める。そうなれば財政均衡主義に一歩近づく。確証があるわけではないが、財務省だけにいかにもありそうな話といえる。

 ついでに言えば、ここ9か月来のコメ不足、高騰の責任を「流通を目詰まりさせている」「米を隠している」などとして流通業者に押し付ける論評があるが、それは正確ではない。そもそも、食糧管理制度が廃止の運命をたどったのも、MA米活用論がここに来て財務省筋から出てきているのも、コメの保管経費が高くつくからだ。国でも採算が取れないようなコメの長期保管(=隠匿)を、民間企業であるコメ業者にできるわけがない。

 ●令和の百姓一揆、トラクターデモ

 3月30日、都内を先頭に全国各地で「令和の百姓一揆」が行われ、農業者がトラクターでデモ行進した。デモには沿道から途中参加する人もいて、解散地点では出発時点より人数が増えていたという。デモ隊に拍手する人もいたと聞く。デモがこれほど市民の支持を受けたのは、私の知る限り、福島第1原発事故直後の反原発デモ以来ではないだろうか。

 主催団体「令和の百姓一揆実行委員会」委員長で、山形で有機農業を営む菅野芳秀さんは、集会でみずから壇上に立ち、こう訴えた。「まだ残っている農民と、(市民の)皆さんとが共同で力を合わせて、農業を滅ぼす政治から、食と農と命を大事にする日本に変えていかなければならない」。

 日本は今、重大な岐路に立っている。生産者と消費者が、その認識を共有できただけでも「令和の百姓一揆」は成功したと言っていい。だが、生産者と消費者が心をひとつにし、力を合わせたとしても、本当の困難はこれから始まるのだ。

(2025年5月18日)


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レイバーネットTV第213回放送「むらの貧困とまちの貧困をつなぐー「令和の百姓一揆」を世直しに」を見て

2025-04-11 23:32:12 | 農業・農政

4月9日に放送されたレイバーネットTV第213回放送「むらの貧困とまちの貧困をつなぐー「令和の百姓一揆」を世直しに」が以下、アップロードされました。刺激的な内容なので是非ご覧ください。

動画の下に、私の感想も書いています。

レイバーネットTV:特集「令和の百姓一揆」(音声修正版)

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レイバーネット第213回放送「むらの貧困とまちの貧困をつなぐー「令和の百姓一揆」を世直しに」を見て

今回の放送は、私としては珍しく、生で始めから終わりまで見ました。レイバーネットTVの放送がある水曜日は、職場がノー残業デーのため、いろいろな私用が入ることが多く、生で見られるときは多くありません。ただ、私にとって農業・農政問題は公共交通、原発と並んで「3大重点分野」。生視聴しないわけにいきませんでした。

令和の百姓一揆での菅野芳秀さんのスピーチ動画は、あちこちにアップされています。それを聴いて私は、今ではほとんど死語になってしまった感のある「篤農」という言葉を思い出しました。パルシステム生協と提携し「先に販路を開拓しておいてから、安全なものを高く買ってもらう」という菅野さんたち山形・置賜農民の農薬空中散布反対運動の話は、「大義を振りかざしては負けてばかりいる」「清く正しく美しく闘いさえすれば、散ってもいいのだ」といわんばかりの昨今の市民運動をどう変えていけばいいかについて、極めて示唆的な回答となるものでした。

1~2回、国政選挙に勝っただけで調子に乗っているどこぞの原発推進政党が「対決より解決」を売りにしていますが、菅野さんを見ていると、大切なのは「きちんと対決し、きちんと解決もする」新しい市民運動であることが理解できます。「きちんと対決、きちんと解決」「票田より水田」を来たるべき参院選で野党候補のスローガンにしてはどうでしょうか。

令和の百姓一揆で、菅野さんは「山下惣一さんが言ったように、(農家は)畑や田んぼだけを残して農業をやめて、別の職業に就けばいい。それだけのことなんですよ。しかし、困るのは消費者、国民の方です。」と発言しています。菅野さんがご紹介した農民作家・山下惣一さんの元の発言を確認しておきましょう――『個々の農民には日本農業とやらを守る義務も責任もないと私は思う。食えなくなれば、食える方法を選ぶだけだ。食糧問題、農業問題は生産手段をもたない都市の人たちの問題なのである』(「いま、米について」山下惣一、講談社文庫、1991年)。

首都圏に住んでいる人たちは知らないかもしれませんが、地方の東京への怒りは爆発寸前まで来ています。ここ北海道では、東京(国交省)の方しか向いていないJR北海道の無能な経営陣のせいで、多くの鉄道路線が廃線に追い込まれました。私は、廃線反対運動団体から招請されてこれまで何十回もの講演をしてきましたが、北海道の人たちからいつも決まって拍手で迎えられる話題があります。

「地元の鉄道がどんどん廃線になって悔しい思いをみなさん、されていると思います。でも北海道民のみなさんは何も悪くないのだから下を向く必要はありません。農水省が毎年春に公表する都道府県別食料自給率がどれくらいか知っていますか。北海道は200%を超えているのに東京はたったの1%。ここ数年の東京は0%の年さえあるんです。もちろん東京にも農家はいるので完全にゼロというわけではないのですが、農水省の都道府県別食料自給率では小数点以下は切り捨てて公表します。要は1%もないってことなんですよ。首都圏の無知無学なネット民が『ヒグマ、エゾシカしか乗っていない北海道の鉄道なんてカネの無駄だから廃線でいい』とわめき散らしているようですけれども、誰が都民を食わせてやっていると思っているんでしょうか。文句があるなら『鉄道が廃線になって輸送ができなくなった』でも何でもいいので、適当な理由をつけて首都圏向けの食糧輸送など明日から止めてしまってもいいと私は思っています。それで東京が食べていけるかどうか、『やれるもんならやってご覧なさい』と北海道民は高みの見物でもしていればいいんです」

こう講演で話すと、いつも会場からは拍手が起きます。首都圏の人たちは、この地方の怒りを甘く見ない方がいいと、私はあえて苦言を呈しておきたいと思います。

私が社会に出て、農業界の片隅に身を置いて30年。「農家の平均年齢は70~80代。このままでは10年後には日本から農業はなくなる」と、その頃から言われていました。しかし実際、そうはなりませんでした。なぜか。若い人は農業界には来ないけれど、脱サラした中年層や定年退職した世代が60代になってから農業界に参入をしていたからです。「菅野さんが言っているのと同じことは、何十年も前からずっと言われてきたこと。いつもの『農業もうすぐなくなる詐欺』だから相手にしなくていい」と思っている自称「農業専門家」もいます。しかしそうした人たちに踊らされてはいけません。

なぜなら今回だけは本当の危機だからです。少子高齢化で人口ピラミッドが逆三角形になり、下の世代ほど少なくなっているのが今の日本です。「脱サラして農業に入る中年層」「定年退職世代」の供給源がそれによって細っています。年金支給開始年齢がどんどん遅くなっているせいで、そもそも「定年になる人」も減っています。今までと同じように、シニア引退後の農業現場をミドルで支えることが、不可能になってきているのです。

なんだか絶望的な話ばかりになってしまいましたが、一方でこの番組の後半に私はかすかな希望も見ました。子ども食堂やフードバンクといった貧困世帯のための直接支援の場に多くの農家が食料を提供してくれたことです。「資本主義に見捨てられた人たちを、別の資本主義に見捨てられた人たちが助ける」という新たな共助の姿がここから見えてきます。資本主義から降りる人が増えていくことが、問題の解決になることが示されたといえます。

実をいうと、今回の番組には私もコメンテーターのひとりとして出たくて仕方ありませんでした。しかし、北海道からそう毎度毎度東京には出られませんし、多彩な顔ぶれのゲストを見て「私の出る幕はないな」と正直なところ、思いました。それに、出演者を農業の現場を知っている人だけで固めることは必ずしもプラスとは限りません。失礼を承知でいえば、「貧困の現場には精通しているけれど、農業現場にはまったく精通していない」瀬戸大作さんが出演してくださったことで、「貧農連携」(私の造語です)という思わぬ方面に話が広がったことは、結果的に良かったと思っています。「脱資本主義」にまで話題の幅、深みを持たせることは、おそらく私では無理だったと思います。

今、米トランプ政権が世界秩序をどんどん壊しています。しかし、意外にも(?)喜んでいる人が大勢います。小幡績・慶応大大学院教授は「世界経済へのトランプ自爆テロで資本主義は終わり、新しい時代が来る」(注1)と喜んでいますし、大手企業法務部門に勤務する男性は「いつか来るだろう、来てほしい、と思っていた”世界経済の中心地が米国でなくなる日”。それをもしかしたら、自分が生きている間に目撃できるかもしれない、という期待感で今は胸いっぱいである」とまで述べています(注2)。資本主義のど真ん中で生きてきた人ほど、世界経済のアメリカ支配にうんざりしていたのだと思います。

「アメリカを再び偉大に」どころか、アメリカを決定的に壊した男――後世の歴史家は、必ずやドナルド・トランプをこのように評するでしょう。自分以外の誰かにジョーカーを引かせるつもりでディール(取引)をしていたら、ジョーカーを引いたのは自分だった――それが「トランプ」の結末のようです。でも、それでいいのだと思います。私たちがなすべきことは、アメリカ自身が資本主義とそれに基づく世界秩序を壊しに行っている今こそ、堂々と胸を張って資本主義から降り、労農(そして、付け加えるなら「貧・労・農」)が協働する新しい世界の姿を描くことなのです。前首相が繰り返していた新しい資本主義ならぬ「新しい社会主義」とでも呼ぶことにしましょう。

番組の途中で「米価格の高騰で、農家の手取りは増えたのですか」という視聴者からの質問が寄せられました。菅野さんは、米1俵当たりの価格を示しましたが、農家の手取りが増えたかどうかは、現場をよく知り抜いている菅野さんだからこそ、視聴者に伝わるように答えることが難しい面もあったと想像します。そこで、私が代わりに答えたいと思います。

結論から言えば、さすがに2倍もの米高騰で農家の手取りがまったく増えていないということはないでしょう。しかしそれは農家が食べていける水準にはほど遠いというのが一応の回答になります。では、消費者のみなさんが払わされている高いお米代はどこに消えたのか? 農家? 米流通業者? それともJA(農協)グループ?

おそらくどれも違います。「このゲームの勝者は誰もいない」が、実態に最も近いと私は考えます。農家の苦境がより一層深刻化したのは2023年頃からですが、それにはコロナ禍とウクライナ戦争、そして歴史的な円安とインフレが関係しています。燃料費、資材費の値上がりが原因ですが、それらのほとんどは輸入なので、消費者が払わされた高い米代の大半は海外に流出しました。しかし、流出先の海外でも、人々は物価高とインフレにあえいでおり、生活は苦しくなっています。「全員が敗者となるクソゲーム」、その名を資本主義と呼びます。

菅野さんは「米農家の生活を保障する高い米代と、消費者の生活を保障する安い米代が必要」だと述べました。これを愚直にやっていたのが食糧管理制度時代の日本です。私が子どもの頃、農家が自民党本部の前で「エイエイオー」と気勢を上げ、それを受けた国が高い生産者米価で農家から米を買い、それより安い消費者米価で国民に売っていました。仕入れ値より安く売り、「損して得取れ」どころか本気で損して損する「逆ざや」という文字が新聞紙面に躍っていたのを覚えています。商売の常道に反するこうした芸当ができたのも「完全国営食糧管理制度」があったからです。

農家は米価が高ければ高いほど手取りが増え、消費者は米価が安ければ安いほど手元に残るお金が増えます。農家と消費者の利益は完全なトレードオフの関係なので、片方が笑えばもう片方は泣くことになります。両者をともに満足させる価格政策などあり得ないのです。ーーただひとつ、「逆ざや上等!」の完全国営食糧管理制度を除けば。

菅野さんの仰るような「米農家の生活を保障する高い米代と、消費者の生活を保障する安い米代」を同時に実現したいなら、方法は2つしかありません。かつての食管制度に戻るか、農家に所得保障を導入するか。これ以外の解決策は、30年農業界を見てきた私にも思い当たりません。

そろそろまとめましょう。消費者も農業者も、本気で怒っていいと思います。勝者不在のクソゲームに日本中の人々を晒した自民党と、そのワールドワイド版である資本主義をぶっ壊すべきです。今回の番組をそのささやかな一歩とするために、世界中の人々が連帯して頑張るときだと思います。

注1)「東洋経済オンライン」2025.4.5付け記事

注2)ブログ「企業法務戦士の雑感」2025.4.7付け記事

(文責・黒鉄好/農業問題ライター)


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3月30日、「令和の百姓一揆」実行委員会主催のトラクターデモ開催

2025-04-01 22:48:10 | 農業・農政

農家、所得向上求めトラクター行進 「令和の百姓一揆」(日経)

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コメ農家や酪農家らが30日、東京都の中心部を約30台のトラクターで行進した。コメ価格は高騰しているものの、担い手の高齢化で揺らぐ農業現場の厳しさや所得の向上を訴えた。デモを主催した実行委員会は「令和の百姓一揆」と位置づけた。

実行委員会には農家ら約500人が所属する。参加者は港区の青山公園に集まり、表参道や原宿などを通って、渋谷区の代々木公園までの計約5.5キロをトラクターで走った。歩いた参加者も含めて約3300人が加わった。「所得の補償を」「国産を守ろう」と抗議の声をあげた。

この日のデモは富山や奈良、沖縄など全国14カ所で行われた。実行委の菅野芳秀代表は「農家が減って一番影響を受けるのは消費者だ。他人事ではなく国民全体で一緒に考えてほしい」と訴えた。同氏は山形県で養鶏と稲作を両立する循環型農業を手がけている。

農林水産省の調べでは、農業を主な仕事とする「基幹的農業従事者」は2015年には176万人だったが、24年は111万人に減った。平均年齢は69.2歳だった。

足元はコメの価格が高騰している。スーパーでのコメ5キログラムの平均価格(10〜16日)は4172円と、1年前と比べて2倍の価格だ。日本経済新聞の取材では、初回入札で落札された備蓄米が5キロ入り3000円台半ばで店頭に並び始めた。既存の人気銘柄に比べて1〜2割安いが、コメ相場全体の過熱をすぐに抑え込むのは難しそうだ。

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3月30日、東京都内をはじめ、札幌、京都、大分、滋賀、浜松(静岡)、福岡、岐阜、奈良、富山、山口、沖縄の各地でいっせいにデモ行進が行われた(主催:「令和の百姓一揆」実行委員会)。同委員会が、当初、100万円を目標に始めたクラウドファンディングは、ネクストゴールの1000万円も軽く突破。終了期限まで2か月以上も残っているのに2000万円近い金額が集まっている。米価高騰への怒りがここまですさまじいとは思わなかった。

ちなみに、私も以前、少しだけ関わり合いのあった農業ジャーナリスト・小谷あゆみさんのブログ「ベジアナの農ライフ研究所」3月31日付記事で、「令和の百姓一揆」実行委員長・菅野芳秀さん(山形県で農業経営)のスピーチの動画と書き起こしがアップされている。

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令和の百姓一揆、実行委員会代表、山形・菅野芳秀さんのスピーチ

日本の農業は崩壊局面に入って来たと言っても言い過ぎじゃありません。

日本の村から農民が消え、農民が作る作物が消え、そしていま、村自体が消えようとしている。このことを多くの国民は知りません。何か風景が変わったという程度にしか感じてません。残念ながら。しかし間違いなく今、農業が滅びようとしている。その影響を一番受けるのは、我々農民じゃないんです。困るのは消費者の方ですよね。

かつて山下惣一さんが言ったように、(農家は)畑や田んぼだけを残して農業をやめて、別の職業に就けばいい。それだけのことなんですよ。しかし、困るのは消費者、国民の方です。

だからこそ、まだ残っている農民と、(市民の)皆さんとが共同で力を合わせて、日本の政治を、農業を滅ぼす政治を変えていかなければならない。今日はそのための第一歩なんだと言うことを皆さんとともに確認したいと思います。

あとね、もう一つ言わなきゃならないフレーズ忘れてた。皆さん、墓じまいという言葉を知っていますか?知ってるよね。今ね、農村で交わされている言葉は「農じまい」なんですよ。「農終い」。こんなことを農家に言わせちゃならないと思いますね。

いま残ってる農民を守りながら、消費者、市民と連携して、食と農と命を大事にする日本に変えていかなければならない。

今日はそのための第一歩であることをともに確認したいと思います。そして皆さん、その上で押さえて欲しい視点は、我々が作り出そうとするのは、対決軸では解決がつかない問題です。対決軸からは解答は生まれない。政治、信条の枠組みを超えて、大きな連携を作り出す必要があります。ものごとは、農であり、食であり、人々の命なんです。保守も革新もありません。大きな連携を作り出してこそ、日本農業の行き詰まりを打開する道が開けていくんです。そのことを確認したいと思います。

その上で、我々の世代の役割は、未来世代としっかりつながりながら話さなきゃならない課題だと思います。我々だけが食えれば済むという話じゃなくて、未来世代にその可能性をしっかり残して行く。その資源を残して行く運動として、やっていかなくちゃならない課題だと思います。

そしてその運動は、たおやかに柔らかく喜びを持って道を切り開いていくということ。そういう視点に立ってこそ、道が広がっていくし、波紋が広がっていくと思います。主義・主張を超えたおおらかな伸びやかな運動を作っていきましょう。

今日はその一歩として高らかにそれぞれのスローガンを掲げながら運動していこうじゃありませんか。私はその先頭に立って歩いていきます。一緒に頑張りましょう。


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終わらない、終わるはずない「令和の米騒動」日本人は飢餓の時代の入口に立った

2025-03-29 18:38:43 | 農業・農政

(この記事は、当ブログ管理人が「レイバーネット日本」に投稿した原稿をそのまま転載しています。)

 昨年秋、全国の食卓を揺るがした「令和の米騒動」に収束の気配が見えない。「新米の集荷時期が来れば価格は元に戻る」と繰り返してきた農林水産省の説明も虚しく、今も米の価格は高値に張り付いたままだ。今、私の地元のスーパーでも、5kg入りの米が1袋3,500円程度で売られているが、昨年の今ごろはこの価格で10kg1袋が買えていた。体感的には米価格は2倍に上昇したことになる。

 この騒動にはいつ終わりが来るのか。それ以前に終わりが来ること自体、あるのか。長年、農業界の片隅に身を置き、その変化を追ってきた私の目には、もうこの騒動が終わることはないように思われる。それどころか、十数年後に振り返ったとき「今思えば、あれが飽食の時代から飢餓の時代への転換点だった」と言われる歴史的転機かもしれないのだ。

 ●農水省公表資料「民間在庫の推移(速報)」が語る現状

 農水省が毎月、公表している「民間在庫の推移(速報、2024年12月末時点)」を見て、私は愕然とした。米不足問題は、実際には報道されているよりもずっと深刻だ。この数字から、私は今後の推移を、おおむね以下のとおり予測する。

・スーパー、米穀店の店頭で「お1人様5kg1袋限り」等の購入数量制限が始まる時期は、早ければ4月上旬、遅くとも4月中(※)
・店頭からお米が消え始める時期は、早ければ大型連休前、遅くとも5月中
・お米が完全に姿を消す時期は、早ければ5月末、遅くとも6月中

 8月になって騒ぎが始まった昨年より1か月半程度早く、今年は事態が進行すると予測する。

 そもそも、農業問題に少しでも知識がある人であれば、往時より少なくなったとはいえ、現在も年に700万トン程度、米が獲れているという基本的数字が頭に入っているだろう。この収穫量からすると、収穫直後の11~12月でも民間在庫が300万トン程度というのは、半分弱にしか過ぎない。私は、最初にこの数字を見たとき、あまりに少なすぎて何を意味しているのか理解できなかった。

 だが、表の欄外に「注」として「2 出荷段階は、全農、道県経済連、県単一農協、道県出荷団体(年間の玄米仕入数量が5,000トン以上)、出荷業者(年間の玄米仕入量が500トン以上)である」「3 販売段階は、米穀の販売の事業を行う者(年間の玄米仕入量が4,000トン以上)である」と記載されているのを見たとき、すべての謎が解けた。

 この表に掲載されているのは、全国の農協グループ及び「全集連」(全国主食集荷協同組合連合会)加盟集荷業者が集荷できた量だけである。逆に言えば、農協・全集連を通すことなく出荷された米は、この表には含まれていないということになる。

 1995年に廃止されるまで、日本には食糧管理制度(食管制度)があった。農協と全集連は、食管制度の下で、政府管理米と並んで正規米に位置付けられていた自主流通米の政府指定集荷団体として認められていた法人で、自主流通米の集荷比率は農協9割、全集連1割といわれた。

 奇しくも、食管制度解体から今年でちょうど30年になる。農協・全集連が集荷できているのが全収穫量の半分弱に過ぎないということが、このデータから見えてくる。もっとも、食管制度時代には、米どころが多い東日本では政府米2割、自主流通米7割の比率で、米どころが少ない西日本では政府米3割、自主流通米6割といわれてきた。食管制度廃止によって政府米がそのまま民間流通に移行したと仮定すれば、農協・全集連が集荷する旧「自主流通米」の減少幅は1~2割ということになる。これを多いと見るか、それほどでもないと見るかは意見の分かれるところだろう。

 日本の米の年間収穫量は、前述のとおり、ここ数年は700万トン程度で、需給はほぼ均衡しており、いわれているほどの「米余り」は実際には起きていなかった。計算の便宜上、年720万トン収穫できているとすると、1か月に60万トン消費されている。つまり「民間在庫の推移(速報)」は、流通量だけでなく消費量の面でも実勢の半分しか反映していないことになる。農協・全集連が集荷できた年300万トンの米が、月に20万~30万トン程度消費されているということを示したものに過ぎない。

 残る半分は、大きく分けると大口需要者(外食産業など)による直接買い付け、農協・全集連以外の流通業者による集荷分、そして産直などの小口需要ということになる。これら(産直除く)は外食産業、病院・学校給食の他、いわゆる「中食(なかしょく)」に回る。中食とは、外食と家庭「内食」の中間的形態で、具体的には弁当・総菜のことを指す。作って食べるまですべてが家庭内である「内食」と、作って食べるまですべてが家庭外である「外食」の中間的形態(作るのは「外」、食べるのは「中」)なので、このように呼ばれるわけだ。

 これら外食・中食によって米の半分が消費されており、近年はこの分野が伸びているため、米の消費量は言われているほど減っていない。減っているのは一般家庭で炊飯して食べる米だけだが、この分は農協・全集連が多くを扱ってきたため、「民間在庫の推移(速報)」では減っているように見えるという数字のマジックの面が大きい。

 ●日本では、ウクライナ戦争開始後、農協・全集連が集荷量を大きく減らした

 「民間在庫の推移(速報)」資料から、クリアに見える点がもう1つある。近年、秋の収穫期直後の11~12月時点で、おおむね300万トン台で安定していた流通量が、令和4/5年度(2022~2023年度)を境に大きく減少していることだ。

 この年に起きた大きな出来事は、いうまでもなくウクライナ戦争だ。同時に、燃料費、資材費の大幅な値上がりが始まった。この値上がりに耐えきれず、多くの農家が離農したことが、この表から見えてくる。

 米生産量全体としても670~680万トン程度に減っているが、この減少分(マイナス30~40万トン)は「民間在庫の推移(速報)」における減少幅とほぼ一致する。「民間在庫の推移(速報)」は農協・全集連が集荷した米だけを対象にした統計であり、ウクライナ戦争後の燃料・資材費の値上がりに耐えきれずに離農した農家のほとんどが、農協・全集連に出荷していたことも、この資料は示している。

 ●ウクライナ戦争を契機に起きた農協の集荷力の低下が「一般家庭」を直撃した

 離農のほとんどが農協・全集連に出荷していた農家に集中していたという私の推測通りだとすると、次のような結論が導き出される。ウクライナ戦争後に急騰した燃料・資材費の価格転嫁を、農協・全集連が認めなかったのに対し、それ以外の流通業者は認めた可能性が高いということである。

 この結果、農協・全集連に出荷していた農家の多くが農業に希望を失って離農するか、燃料・資材費高騰分の価格転嫁を認める農協・全集連以外の流通業者に出荷先を切り替えるかのいずれかを選んだと考えられる。こうして、流通量減少の影響が外食、中食には及ばず、農協・全集連が集荷した米を取り扱っているスーパー・米穀店だけを直撃したのだ。

 元々このような状態であるところに、「民間在庫の推移(速報)」に戻ると、令和6~7(2024~2025)年は、令和5~6(2023~2024)年に比べて、前年同月時点での流通量がさらに39~50万トンも少なく推移している。1か月の米消費量が60万トン(うち、一般家庭消費分が半分の30万トン)であることを考えると、平均で1.5か月分に相当する。つまり、昨年は8月に始まった米騒動は、今年は1か月半早まり、6月中旬には始まることになる。

 一般家庭で消費されている米(=外食、中食除く)が月に30万トンであることから考えると、政府が実施を公表している21万トンの備蓄米放出くらいではまったく足りない。その効果は、おそらく「令和の米騒動第2弾」の始まる時期を、半月~20日程度遅らせるのがせいぜいだろう。備蓄米21万トンを放出しても、令和の米騒動第2弾は、7月上旬までには始まると考えられる。

 今後、「米を隠し、売り惜しむ米穀業者」というストーリーで、マスコミによる米穀業者バッシングが激化すると予測する。だが、彼らの名誉のために述べておくと、米穀業者が保管している米は、外食産業など「すでに買い手がついている、売約済のもの」がほとんどであり、いわゆる「売り惜しみ」ではない。もちろん売約済なので、外食産業には契約通りの価格で出荷されることになろう。昨年起きたのと同じように、「レストランなどの外食や、弁当業者等には十分な量の米があり不足していないにもかかわらず、スーパーや米屋の店頭にだけ米がない」という状態が繰り返されるに違いない。

 石破政権は、参院選後まで米不足を先送りできるとの腹づもりのようだが、おそらくその見込みは外れる。参院選がまさに公示され、運動期間に入る頃に米が完全に消えるという、石破政権的には最悪のシナリオになる可能性が強まってきた。

 米不足が原因で、この夏、自公政権が倒れることになるかもしれない。野党もまとまれずバラバラだが、それでも「バラバラなりに非自民政権が成立」した1993年の再来は十分あり得る。思えばこのときも、時期を同じくして「平成の米騒動」があった。やはり歴史は繰り返しているのだ。

 長年、減少が続いているとされてきた米の需要は、すでに見たとおり下げ止まっており、今後は上昇に転じる可能性もある。これまでの農業政策は行き詰まっており、物価高とインフレの時代にふさわしい新たな政策に改める必要がある。

 3月30日、東京都内で「3.30「令和の百姓一揆」トラクター&デモ行進 農民に欧米並みの「所得補償」を!」行動が行われる。農業者によるトラクターデモは、米不足に収束の兆しが見えない中、注目を集めるに違いない。

(※)筆者が福島原発事故刑事訴訟関係要請行動のため3月3日(月)に上京した際、調査を行った「肉のハナマサ赤坂店」では、すでにこの日、「お1人様2袋(10kg)まで」の購入制限が行われていたのを確認している。

<参考資料等>
・農水省資料「民間在庫の推移
全集連(全国主食集荷協同組合連合会)

(文責:黒鉄好/2025年3月29日)


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令和の米騒動は必ず再発する! しかも、それは早ければ4月には始まる

2025-02-19 22:37:14 | 農業・農政

これを書くのは正直、怖い気もしますが、国民的関心事なので思い切って書くことにします。

農水省が毎月、公表している「民間在庫の推移(速報)」を見て、私は愕然としました。連日、米不足問題が報道されていますが、事態はそれよりもずっと深刻です。

この数字を見た上で、私は今後の展開を以下の通りになると予測します。

・スーパー、米穀店の店頭で「お1人様5kg1袋限り」等の購入数量制限が始まる時期・・・早ければ4月上旬、遅くとも4月中
・店頭からお米が消え始める時期・・・早ければ大型連休前、遅くとも5月中
・お米が完全に姿を消す時期・・・早ければ5月末、遅くとも6月中

8月になって騒ぎが始まった昨年より1か月半程度早く、今年は事態が進行すると予測します。このように考える根拠は、以下の通りです。

●上記「民間在庫の推移(速報)」から見えることは・・・

そもそも、農業問題に少しでも知識がある人であれば、往時より少なくなったとはいえ、現在も年に700万トン程度、米が獲れているという基本的数字が頭に入っていると思います。この収穫量からすると、収穫直後の11~12月でも民間在庫が300万トン程度というのは、半分弱にしか過ぎません。私が最初この数字を見たとき、あまりに少なすぎて何を意味しているのかわかりませんでした。

しかし、表の欄外に「注」として「2 出荷段階は、全農、道県経済連、県単一農協、道県出荷団体(年間の玄米仕入数量が5,000トン以上)、出荷業者(年間の玄米仕入量が500トン以上)である」「3 販売段階は、米穀の販売の事業を行う者(年間の玄米仕入量が4,000トン以上)である」と記載されているのを見たとき、すべての謎が解けました。

この表に掲載されているのは、平たくいえば、食糧管理制度(食管制度)があった時代(1995年以前)に、正規米である「自主流通米」の政府指定集荷団体として認められていた2団体--「農協」と「全集連」(全国主食集荷協同組合連合会及びその加盟集荷業者)が集荷できた量だけです。逆に言えば、農協・全集連を通すことなく出荷された米は、この表には含まれていないということです。

食管制度解体から今年でちょうど30年になりますが、農協・全集連が集荷できているのは、全収穫量の半分弱に過ぎないということが、このデータから見えてきます。

日本の米の年間収穫量は、上でも述べたとおり、ここ数年は700万トン程度で、需給はほぼ均衡しており、いわれているほどの「米余り」は実際には起きていませんでした。計算の便宜上、年720万トン収穫できているとすると、1か月に60万トン消費されていることになります。

つまり、上記「民間在庫の推移(速報)」は、流通量だけでなく、消費量の面でも実勢の半分しか反映していないことになります。農協、全集連が集荷できた年300万トンの米が、月に20万~30万トン程度消費されているということを示した表に過ぎません。

残りの半分は、大きく分けると大口需要者(外食産業など)による直接買い付け、農協・全集連以外の流通業者による集荷分、そして産直などの小口需要ということになります。これら(産直除く)は外食産業に回るほか、病院・学校給食や、いわゆる「中食(なかしょく)」にも回ります。

中食とは、外食と家庭「内食」の中間的形態で、具体的には弁当・総菜を指します。作って食べるまですべてが家庭内である「内食」と、作って食べるまですべてが家庭外である「外食」の中間的形態(作るのは「外」、食べるのは「中」)なので、このように呼ばれるわけです。

これら外食・中食によって米の半分が消費されており、実は、この分野が伸びているため、お米の消費量は言われているほど減っていません。減っているのは家庭で炊飯器で炊いて食べる米だけですが、この分は農協・全集連が多くを扱ってきたため、上記「民間在庫の推移(速報)」では減っているように見えるのです。

●日本では、ウクライナ戦争開始後、農協・全集連が集荷量を大きく減らした

上記「民間在庫の推移(速報)」資料から、クリアに見える点がもう1つあります。近年、秋の収穫期直後の11~12月時点で、おおむね300万トン台で安定していた流通量が、令和4/5年度(2022~2023年度)を境に大きく減少していることです。

この年に起きた大きな出来事といえば、ウクライナ戦争です。同時に、燃料費、資材費の大幅な値上がりが始まりました。この値上がりに耐えきれず、多くの農家が離農したことが、この表から見えてきます。

米生産量全体としても、670~680万トン程度に減っていますが、この減少分(マイナス30~40万トン)が、「民間在庫の推移(速報)」における減少幅とほぼ一致しています。「民間在庫の推移(速報)」は農協、全集連が集荷した米だけを対象にした統計なので、「ウクライナ戦争後の燃料・資材費の値上がりに耐えきれずに離農した農家のほとんどが、農協・全集連に出荷していた農家だった」ことが見えてきます。

●結論=ウクライナ戦争を契機に起きた農協の集荷力の低下が「一般家庭」を直撃した

離農した農家のほとんどが農協・全集連に出荷していた農家に集中していたという私の推測通りだとすると、次のような結論が導き出されます。つまり、ウクライナ戦争後に急騰した燃料・資材費の価格転嫁を、農協・全集連が認めなかったのに対し、それ以外の流通業者は認めた可能性が高いということです。

この結果、農協・全集連に出荷していた農家の多くが農業に希望を失って離農するか、「燃料・資材費の値上がりを加味して買い取り価格を上げてやるから、うちに売ってくれないか」と囁く農協・全集連以外の流通業者に出荷先を切り替えるかのいずれかを選んだと考えられます。こうして、流通量減少の影響が外食、中食には及ばず、農協・全集連が集荷した米を取り扱っているスーパー・米穀店だけを直撃したのです。

元々このような状態がベースにあるところに、「民間在庫の推移(速報)」に戻ると、令和6~7年(2024~2025年)は、令和5~6年(2023~2024年)に比べて、前年同月時点での流通量が、さらに39~50万トンも少なく推移しています。1か月の米消費量が60万トン(うち、一般家庭消費分が半分の30万トン)であることを考えると、平均で1.5か月分に相当します。つまり、昨年は8月に始まった米騒動は、今年は1か月半早まり、6月中旬には始まることになります。

一般家庭で消費されている米(=外食、中食除く)が月に30万トンであることから考えると、21万トンの備蓄米放出くらいではまったく足りません。「令和の米騒動第2弾」の始まる時期を、半月~20日程度遅らせるのが精いっぱいでしょう。備蓄米21万トンを放出しても、令和の米騒動第2弾は、7月上旬までには始まると考えられます。

今後、「米を隠し、売り惜しむ米穀業者」というストーリーで、マスコミによる米穀業者バッシングが激化すると思います。ですが、彼らの名誉のために述べておくと、米穀業者が保管している米は、外食産業など「すでに買い手がついている、売約済のもの」がほとんどであり、いわゆる「売り惜しみ」ではありません。もちろん売約済ですので、外食産業には契約通りの価格で出荷されることになるでしょう。

石破政権は、参院選後まで米不足を繰り延べできるとの腹づもりのようですが、おそらくその当ては外れます。参院選がまさに公示され、運動期間に入る頃に米が完全に消えるという、石破政権的には最悪のシナリオになる可能性が強まってきました。

米不足が原因で、この夏、自公政権が倒れることになるかもしれません。野党もまとまれずバラバラですが、「バラバラなりに非自民政権が成立」した1993年の再来は、十分あり得ます。思えばこのときも、時期を同じくして「平成の米騒動」がありました。やはり歴史は繰り返しているというのが、私の感想です。


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余波続く「令和の米騒動」 日本の歴史的転機になるかもしれない

2024-09-24 20:12:56 | 農業・農政

(この記事は、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2024年10月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 ●反響あった前号

 前号掲載の拙稿「じわり広がる「令和の米騒動」 これは日本の「暗い未来予想図」か」には大きな反響があった。記事をレイバーネット日本に転載したところ、右翼と見られる人物からレイバーネット日本に対し、私をライターから解任するよう要求があったという。「自民党が“保守”“愛国”を標榜しながら、舞台裏では、激しく攻撃している「左翼」以上に亡国的な政策を長年にわたって続け、日本と日本の市民を破滅の崖っぷちに追い込んでいる」実態を暴露されたことが、右翼・保守陣営にとっていかに打撃だったかを余すところなく物語っている。


 フランスの経済学者ジャック・アタリ氏に関する「ウィキペディア」(インターネット百科事典)日本語版の記事には、「日本人はいずれ雑草や昆虫しか食べる物がなくなる」という氏の発言が紹介され、レイバーネット日本に掲載された拙稿が出典として脚注に掲載されるに至った。この発言は「食料自給率が低い日本がこの先、どう生き残れば良いのか」を問うNHKのインタビューに答える形で行われた。アタリ氏は、高齢化が進んでいる農家の実態に触れ、農業が失われないよう農家になりたいと思う条件を整えることや、食生活を変化させ別の食材に切り替えることを提唱。その流れの中から飛び出したのが件の発言だったが、日本社会に与えるインパクトは私の想像をはるかに超えていた。

 ●食料危機の時代の入口か?

 主食の米が手に入らないという事態が現実化し、日本にとって食料危機の時代の入口になるのではないかとする論評も、経済ジャーナリスト荻原博子さんなど一部の識者から出始めている。十数年後に振り返ったとき「いま思えば、あれが飽食の時代から飢餓の時代への最も象徴的な転換点だった」と言われることになる可能性は、それなりに出てきていると思う。


 前号の拙稿で、私は1993年の「平成の大凶作」との比較で論じた。全国の作況指数が75になるとともに、東北の太平洋側では作況ゼロとなり、米が全滅する地域も出た1993年と、作況指数が101(平年並み)の今年ではそもそも比較対象にならないとの主張も多い。

 流通段階から米が不足し、「流通業者はおろか、農家に行っても米が買えない」という状況さえ見られた1993年と今年を比較することは確かに無理筋だろう。だが、前号の拙稿で指摘したとおり、この年でさえ793万トンの生産量を上げられた米を、ここ数年来の日本では700万トン程度しか生産できていないことは紛れもない事実である。人口が当時と比べて横ばいなのに、これだけ米消費を減らしても日本で飢餓が起きていない原因として、米消費の減少分を日本人が麺類消費の増加で補ってきたこともすでに指摘したとおりである。生産をいくら減らしても、それ以上に消費が減少するため余剰となった米の一部は、近年はこども食堂やフードバンク、フードパントリーに無償で提供されてきた。先進国とは思えないレベルでこの国に存在している「貧困のため食事にも事欠く子どもたち」にとって、これらの米が命綱になってきたことは、こども食堂やフードバンク、フードパントリー運動に関わってきた人たちにとっては周知の事実だろう。

 1993年は確かに壊滅的な米の作況だったが、これには前々年、1991年に起きたピナツボ火山(フィリピン)の噴火の影響だったことが今では知られている。20世紀に地上で起きた火山噴火としては最大規模で、噴出物は成層圏にまで巻き上げられた。日照時間が減り、地球全体の気温を0.5度も押し下げる要因となった。

 「平成の大凶作」は、火山噴火という一過性の出来事によるものだったため1993年限りに終わり、1994年の作況は平年並みに回復した。それに対し「令和の米騒動」は水田農業基盤の弱体化がもたらした構造的なものであるため、影響は今後も続くものと見込まれている。危機という意味では今回のほうがはるかに深刻なのである。

 農業危機は日本に限らず世界的なものである。アタリ氏が指摘する農家の高齢化もそのひとつだが、より根本的な問題は日本でも世界でも「農業では食べられなくなっている」ことだろう。農家にも生活がある。食べられなければ農業を辞め、別の仕事に移る。そうした労働移動が世界的に進行した結果、農業人口は減った。国連食糧農業機関(FAO)のデータによれば、2000年に10億人だった世界の農業人口は、2019年に9億人と報告されている。減少といっても20年間で1割であり、たいしたことではないなどと思ってはならない。世界の農業人口の75%は家族農業を中心とした小規模経営であり、しかもそのうちの95%は5ヘクタール以下の農地面積しか持たない零細農家だと報告されているからだ。

 これらのデータは、20年で1割減った農業人口の多くが大規模経営体の労働者であったことを示唆している。農産物価格の変動は、実は大規模経営体ほど大きな影響を及ぼす。資本主義的に大規模化した農業経営体から順に破たんし、その労働者が農業から他産業に移転。同時に、大規模経営体の破たんによって農業人口の減少を上回る規模で農業生産が減少していることも示唆するデータといえる。

 農業の大部分が、子どもを育てる必要がなく自分の老後の生活さえ保障されればよい高齢者によって担われるようになっている。こうした動機で農業を続ける農家は経営規模が小さいため、たいした生産量にならない。しかし、こうした農業者が世界の食料供給を支えてきたことに私たちはもっと着目する必要がある。

 このような実態は長く隠されてきたが、その一端はコロナ禍により明らかになった。農家だけでなく、食品加工、物流などエッセンシャルワークに携わる多くの労働者が不足していた。生活必需品自体は不足していないにもかかわらず、運ぶ人がいないため出荷できない工場が続出した。日本国内でも、製紙工場には天井に届かんばかりにトイレットペーパーが積み上げられているのに、最寄りの店頭にはなく、多くの人がトイレットペーパーを求めて長い行列を作った。あふれかえるコロナ患者を収容できない医療機関の状況を見た多くの有識者が新自由主義の終わりについて語ったが、終わるべきなのは新自由主義にとどまらず、人間の生存にとって真に必要な基幹産業における労働への対価(=賃金)をきちんと測定できず、そのためこれらの基幹産業に適正な労働力の配置もできない資本主義体制そのものではないのか。

 基幹産業とは、言うまでもないが医療、福祉、教育などの公共サービス、物流を含む公共交通、そして農業を含む食料供給などである。社会的に高い意義を持つが低賃金のため、人手不足がもう何十年も続いており、打開もされてこなかった分野である。こうした産業への大規模なテコ入れをこれ以上怠るならば、21世紀は人類にとって最後の世紀になるだろう。

 ●「飢餓の世紀」は予想されていた

 21世紀が飢餓の世紀になることが予測されていたといえば、多くの読者は驚かれるかもしれない。しかしそれは事実である。1995年に日本語版の初版が発行された「飢餓の世紀」(レスター・ブラウン著)は、自然条件の制約に伴う食料生産拡大ペースの鈍化について論じたもので、奇をてらったものではない。ブラウンは、人口大国であると同時に食料消費大国である米中印の三国について論じ、そのいずれも従来の食料生産の拡大ペースを、自然条件の制約のため維持できないと結論づけた。ブラウンが同著の執筆に取りかかった1990年代を起点として40年後の2030年代――それは今から見れば6年後の未来である――には世界に飢餓が訪れると予想していたのである。気候変動による温暖化ももちろん考慮に入れられている。


 ブラウンは、周光召・中国科学院教授(当時)の研究結果から、中国が食料を自給できなくなり、最悪の場合、世界から4億トンもの穀物を輸入しなければならなくなる事態に警告を発していた。現在、世界で7億人程度(世界人口の1割弱)が飢餓に瀕しているが、世界人口の半分が飢えるような破局的事態に至らなかったのは、良い意味でブラウンの予想が外れたからである。中国による2023年の食料輸入量は1億6千万トン。決して少ない量ではないが、ブラウンの30年前の予想に比べれば半分以下にとどまっている。これによって、世界食料危機が始まる時期は幾分、先送りされることになった。

 それでも世界の食料需給は逼迫基調にある。ブラウンが予想もしていなかった新たな食料需給逼迫要因も生まれている。ブラウンが「飢餓の世紀」の執筆を始めた1990年代は、ソ連が解体し、旧ソ連諸国が「独立国家共同体」(CIS)という緩やかな国家連合に再編され再出発したばかりの時期にあたる。かつて同じソ連だった兄弟国家同士が、世界の一大食料生産基盤となっている肥沃な大地の上で戦う事態など想定していなかったに違いない。ウクライナ戦争が今後も長く続けば、中国が作ってくれた「良い意味での誤算によるモラトリアム(猶予)期間」は終わり、世界の食料危機の時代が再び早まることもあり得るのである。

 兆候もすでに出ている。アフリカのナミビアやジンバブエでは、長引く干ばつのため食料が不足し、ゾウ200頭を処分、食料にすることを発表している。ジンバブエ当局は、国内人口の半分が飢餓に直面する可能性があると理由を説明する。

 ●求められる農政の方向性とは?

 エッセンシャルワークといわれる産業分野への適正な労働力の配置も、そこで働く労働者への適正な賃金の支払いもできない資本主義体制は、それが可能な新たな経済体制に席を譲らなければならない。しかしそれが今日明日のレベルで不可能であれば、当面は市場の失敗を踏まえた政府の出番とならざるを得ない。


 令和の米騒動に対し、農林水産省には驚くほど危機感がない。農水省職員の「現場無知」は昔からで、今に始まったことではないが、最近はますます酷くなっている。2010年代に入り、農水省に集中的にかけられた定員削減攻撃のため、農林統計担当職員数は2011年の2365人から、2018年には613人と、わずか7年で4分の1に減らされた。たったこれだけの人数で何ができるというのだろうか。

 実際、食糧事務所と並んで、かつて農水省の中でも花形といわれた統計情報部、地方統計事務所はなくなり、今は農政局の一部署になってしまっている。以前であれば、農政局統計情報部の職員が直接、農家に出向き「今年の作柄はどうですか」などと膝詰めで話しながら、要望を聞き、政策に反映させていたが、組織もなくなり人員も4分の1になった今の農林統計の現場にそのような力はない。そもそも昨年度産米の作況指数「101」(平年並み)自体、きちんとした調査やデータ分析に基づき、実態を反映している数値なのか。そこから検証しなければならないほど、農林統計業務の弱体化は深刻な状況にある。

 減反政策は、少なくとも表向きは廃止されたことになっているが、「生産目安数量」が地方自治体を通じて農業現場に降ろされていることは前号拙稿ですでに述べた。前号での分析を踏まえ、さしあたり、現状の農政で真っ先に改めなければならないのは価格維持政策である。農家が持続可能な水準で農産物価格を設定するなら、農産物価格は大幅に上がることになり、ただでさえ物価高にあえぐ消費者を直撃することになる。一方、消費者が満足する現行水準での価格が続くなら、農家の持続的経営は到底不可能だ。今の制度は、農家の利益と消費者の利益がトレードオフになっており、両方を満足させることはできないからである。

 この問題はかなり前から認識されており、かつては一度、メスが入れられようとした時期もある。2009年に成立した民主党政権は、価格維持政策を取りやめ、豊作によって農産物価格が暴落し、農家の手取り収入が下がった場合、国が農家に直接補償を行う「農業者戸別所得補償制度」を導入した。農産物価格の維持のため、作りたくても我慢しなければならなかった過去の農政からの決別であり、意欲的に生産した結果「豊作貧乏」になっても国から減収分が補償されるこの制度は、足下では農家に好評だった。

 だが2012年、自民党が政権復帰し安倍政権が成立すると廃止され、元の価格維持政策に逆戻りしてしまった。農業者戸別所得補償制度がそのまま残っていれば、「令和の米騒動」は起きていなかったと思われるだけに残念だ。「悪夢の民主党政権」などと安倍元首相は盛んに旧民主党攻撃を繰り返したが、悪夢は一体どちらなのか。こうした制度を作った旧民主党政権の実績はもっと正当に評価されるべきだ。

 令和の米騒動を通じて、価格維持政策よりも農業者戸別所得補償制度のほうが優位であることが示された。ただちに農業者戸別所得補償制度を再導入し、農業経営の安定性、持続性と意欲的生産の保障を通じた安定供給の確保に踏み切る必要がある。

 この場合、農業者への所得保障に税金が使われることになるが、日本以外の諸外国では「食料は軍備と同じ価値を持つ」が常識である。市民を危険にさらす防衛費や国土破壊の象徴である原発に使うカネが何兆円もあるのに、食料安全保障にカネを回さず、市民が主食を買えない事態が起きても放置し続ける自民党こそ最低最悪の反日売国政党であり、左翼を「反日」などと非難する資格はない。

 ●「赤上げて赤上げないで、白下げないで白下げろ?」

 令和の米騒動の背景に、8月8日、宮崎県日向灘沖で起きたマグニチュード7、震度6強の地震をきっかけに発表された「南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)」の影響を挙げる向きもある。だがこれに関しては、私は、影響は限定的だったと判断する。


 ただ、タイミングとしては最悪だった。仮にこの地震の発生がもう1か月遅ければ、すでに新米が出回り始めていたであろうし、逆にもう1か月早ければ、新米の流通開始まであと2か月近くもあるから、政府は迷うことなく備蓄米放出に踏み切れたであろう。このタイミングの悪さを混乱の背景要因のひとつに挙げる程度なら差し支えないと考える。

 情けないのは政府の対応が後手に回り、しかもちぐはぐだったことだ。南海トラフ地震臨時情報(巨大地震注意)が発表された直後は「大地震に備え、生活物資を備蓄しておきましょう」と呼びかけながら、米不足が始まると一転して「無駄な買い占めは控えましょう」と真逆の呼びかけを行った。「赤上げて赤上げないで、白下げないで白下げろ」と言われているようで、これでは混乱が起きないほうがおかしい。

 9月に入り、店頭には徐々に米が戻り始めているが、以前であれば2000円でお釣りが来ていた5kg入り白米1袋が3000円を超えているところも出ていると聞く。鳥インフルエンザの大流行によって鶏が大量に処分された結果、一時は完全に店頭から姿を消し、数か月後に戻ってきたときには価格が倍になっていた鶏卵の前例もあるだけに、今後しばらく価格は戻らないかもしれない。

 「今までが安すぎただけで、これが適正価格だ」とする見方も一定程度正しい。そもそも日本の消費者は米がどれほど安いかご存じだろうか。食管制度時代の古いデータではあるが、茶碗1杯のご飯が標準米で25円、コシヒカリ級のブランド米でもわずか45円に過ぎない。「これが高いとおっしゃるならば、もう勝手になさいと申し上げるしかない」――2022年に死去した農民作家・山下惣一氏の著書の「あとがき」として、作家・井上ひさし氏はこのような言葉を贈っている。

 「令和の米騒動」は日本と日本人の生存基盤の脆弱性を印象づけるまたとない機会だった。農家のためにも消費者のためにもならない農政はもとより、米の複雑な流通実態、政府の情報発信のあり方、デフレに慣れきった結果としての「安ければいい」という消費者意識に至るまで、今まで私たちが常識と考えていたことのすべてをこの際、ゼロベースで見直さなければならない。

<参考資料・文献>
・「飢餓の世紀」(レスター・ブラウン著、1995年、ダイヤモンド社)
・「今、米について。」(山下惣一著、1991年、講談社文庫)
世界の農業が抱える問題と国際報道
ゾウを国民の食料に 飢餓差し迫るジンバブエ

(2024年9月22日)


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じわり広がる「令和の米騒動」 これは日本の「暗い未来予想図」か

2024-08-23 23:01:43 | 農業・農政
(この記事は、当ブログ管理人が月刊誌「地域と労働運動」2024年9月号に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 ●始まった「令和の米騒動」

 大手メディアではなぜかほとんど報じられないが「日本農業新聞」等の専門媒体、またインターネットをここ数か月来、賑わせているキーワードがある。ずばり「令和の米騒動」だ。実際、スーパーやホームセンターなどの量販店では、早いところでは今年春頃から、購入数量を1人1袋に制限するなどの動きが出始めていた。6月頃からこの動きはさらに加速、7月に入ると、ついに流通業者から米が入荷しないため販売を取りやめざるを得ない店も出てきた。

 米の「欠品」は、まず東京都内など生産地から遠い大消費地で始まり、最近は大生産地である北海道、東北、北陸といった地域でも購入数量制限の動きが広がっている。20~30年くらい前までの農業界では、1等米比率の最も高い米どころといえば東北や北陸というのが常識だったが、10年くらい前から1等米比率の最も高い地域は北海道に移っている。今や日本一の米どころとなった北海道で、さすがにそのようなことはあり得ないだろうと思っていたら、先日、スーパーの店頭で実際に1人1袋の購入制限が行われていて衝撃を受けた。北海道でさえこんなことになっているとは……。事態は私たちの考えている以上に深刻だと考えなければならない。



 メディアが食料品高騰などを取り上げる際、取材に気軽に応じることで知られる都内のスーパー「アキダイ」の秋葉弘道社長は「ここまで米がないというのは、僕の記憶でも30年ぶりくらいだ」と話す。30年前といえば、私と同年代かそれ以上の読者には今なお記憶に残る「平成の米騒動」(後述)であり、今年の米不足はそれ以来だというのである。

 ●米不足の背景に気候変動

 今年の深刻な米不足の原因として、私から大きく2点、指摘しておきたい。

 第1点は、2023年夏の記録的な猛暑の影響である。昨年産米が「作況指数に表れない隠れた不作」だったことを多くの農業関係者が指摘している。どういうことか。

 農林水産省が公表した2023年産米の作況指数(確定値)は平年を100とした数値で101であり「平年並み」だ。数字だけを見れば悪くないが、米作りの現場の実感は数字とはまったく異なっていた。

 気温35度以上の「猛暑日」が1か月近く続く地点もあった昨年の記録的な猛暑により、主力のコシヒカリを中心に「白濁」現象などが多発。歩留まり(精米した際に白米として残る部分の比率)の良い1等米の比率は近年になく低かった。作況指数は「10a当たり平年収量に対する10a当たり収量の比率であり、都道府県ごとに、過去5か年間に農家等が実際に使用したふるい目幅の分布において、最も多い使用割合の目幅以上に選別された玄米を基に算出」(注1)した数値であるというのが公式の説明であり、作況指数に歩留まりは反映されていないことに注意を要する。玄米段階では平年並みの収量が上がったが、白米に精米する過程で平年以上に小粒になってしまうことによる「隠れた不作」だったというのが農業関係者の一致した見方だ。

 1993年は、東北地方の太平洋側ではほとんど日照がなく、「やませ」と呼ばれるオホーツク海高気圧からの冷たい風が吹き続けた。作況指数がゼロとなる地域も出るなど壊滅的な作況となり「100年に一度」「父母はもちろん、祖父母も経験したことのないほどの大冷害」といわれた。日照不足が続くと、稲が穂をつけないまま白く濁って倒伏する「いもち病」が発生することがある。この年、私は就職活動のため全国を回っていたが、面接先へ向かう列車の窓から見た水田の光景は今も忘れることができない。いもち病のため、白く濁った稲穂が折り重なるように倒伏した光景は、自分の生きているうちには二度と見たくないと思うほど悲惨なものだった。

 翌、1994年の春先には米不足の噂が広がり始め、人々が先を競うように米を買いだめに走る悪循環が始まった。6月頃になるとどこに行っても米が買えない事態となり、政府は史上初の外国産米の輸入に踏み切った。米の生産、流通を政府と農協が一手に取り仕切る食糧管理制度に、戦後初めて穴が空いた瞬間だった。

 冷害に弱いという重大な問題があるにもかかわらず、食味が良いことから全国で作付けされていたササニシキを見直す動きも出た。コシヒカリを中心に、冷害に強い品種への植え替えがこの年以降、進んだが、皮肉なことに、この年を最後に温暖化の進展で冷害は減った。私の記憶では、明確に冷害に分類できるのは東北地方で梅雨明けが特定できないまま終わった2003年、2009年くらいだろう。

 2010年代に入ると、猛暑の年が急激に増え、今度は暑熱対策が米農家最大の課題となった。1993年の大冷害の記憶もまだ残る中で、暑熱対策は道半ばなのが現状だが、気候変動は農家の対策を越えるスピードで進んでいる。

 2023年産米の不作が起きた原因は猛暑であり、1993年産米の冷害とは正反対だが、今年の米不足が当時と大きく違うのは、作況指数がほとんど崩れていないため、農水省など農政の現場に隠れた不作だという認識がほとんどないことかもしれない。そのせいか、農水省はメディア取材に対しても「在庫は大きく減っておらず、現在の米不足は一時的で、早場米が市場に出始める8月下旬頃から徐々に沈静化する」との回答を繰り返している。

 だが、私が足下の現場を見る限り、事態はそれほど楽観できなくなってきたといえる。農水省がデータを元に、必要な米の量は確保していると繰り返しても、消費者にとっては、馴染みのスーパーやホームセンター、米穀店の店頭で買えなければ「誰がなんと言おうと、ないものはない」ということになり、先を競うように買いだめが始まる。新型コロナ感染拡大期におけるマスクと同じように、長期保存が可能な米も「とりあえず自分が買っておけば、他者が買い占めに走っても走らなくても、自分が敗者になることはない」という事実は、すでにゲーム理論によって証明されている。

 事実ではなかったはずの「米不足」が、多くの人々の買い占めによって現実化する「予言の自己成就」のプロセスが進行しつつある。この段階になってから買い占めを沈静化させるのは、コロナ禍において、マスク転売業者に対して政府が実施したような手法を採らない限り難しいだろう。すなわち、罰則規定を持つ国民生活安定緊急措置法(1973年制定)や物価統制令(1946年制定)などの強制法規を発動することである(物価統制令はマスク転売業者には結局、適用されなかった)。

 今年の夏も、既に猛暑日が1か月以上続いている地点があるなど、昨年を上回る猛暑となりつつある。作況指数ベースではない「歩留まりを加味した真の作柄」が昨年から回復するかどうかは予断を許さない情勢だ。秋になっても米不足が解消せず、買い占め後、高値転売で荒稼ぎする業者が跋扈する事態になれば、マスクと違って主食の米だけに、前述の2法令の本格発動なども視野に入れた重大局面を迎えることになろう。

 新型コロナ感染拡大や、ウクライナ戦争以降の食料需給逼迫を受け、政府は今年、「食料・農業・農村基本法」を約30年ぶりに改定した。その際、関連法案として「食料供給困難事態対策法案」も可決、成立したが、この法律には政府の食料供出命令に従わなかった農業者に対する罰則規定のみが盛り込まれ、食料の買い占め、高値販売を行う事業者に対しては罰則が科されないことになった。販売業者に対しては、前述の2法令により対処可能だという判断に基づいているが、ここで重要な事実を指摘しておく必要がある。

 主食の米をめぐっては、敗戦直後の深刻な食料不足に対処するため、必要と認められる場合に政府が農家から米を強制徴発できる「食糧緊急措置令」(注2)が1946年に制定され、食糧管理法とともに廃止される1995年まで、形式的には存続していたという事実である。それから30年、食糧緊急措置令と名称も内容も酷似した法律が、装いを改め、再び登場することになるとは夢にも思わなかった。これがどれほど重大な意味を持つか、賢明な本誌読者のみなさんにこれ以上説明する必要はなかろう。

 ●真の原因は減反政策~「インバウンドが食べ過ぎ」はメディアの「論点ぼかし」

 大手メディアは、コロナ禍で入国が禁じられていたインバウンド(外国人旅行客)が急激に回復したことによって米の需要が急拡大したことも米不足の背景にあると報道しているが、これは誤りである。インバウンドによる米の消費量は1万トン前後と推計されており、これを日本における米の年間生産量(650~700万トン)と比べると1%にも満たない。統計上は誤差の範囲であり、無視できる数字と言っていい。もちろん米の需給全体に影響を与えるほどのものでもない。明らかに米不足への不満、政府の農業政策の失敗に対する批判を排外主義へ流し込む危険な動きである。

 むしろ、多くの農業専門家が口を揃えるのが国の農業政策の失敗だ。元農水官僚で、キヤノングローバル戦略研究所の山下一仁研究主幹は、半世紀にわたって続けられてきた減反政策こそ、米の生産基盤弱体化を通じて米不足を引き起こした主因だと指摘する。

 もちろん、現在政府が行っている減反政策は、かつての食糧管理制度の下で行われてきたものと同じではない。食管制度の下では、国が買い上げる「政府米」の他、政府が指定した民間2団体――農協及び「全集連」(全国主食集荷協同組合連合会)――が買い上げる「自主流通米」だけが正規米とされ、これ以外のルートで出荷される米は「非正規流通米」(俗に言う「ヤミ米」)扱いだった。減反に従わず、非正規流通米として出荷した米の数量分は翌年の減反数量に上乗せされることになっていた。認められた数量を超過した分は国にも農協、全集連にも買い上げてもらえないため「誰にも売れない」恐れがあり、減反は事実上強制力を持つ仕組みといえた。

 食管制度廃止後は、国が地方自治体を通じて生産目標数量を農業現場に降ろす形となり、さらに安倍政権下では、政府が「生産目安数量」を示す形にまで弱められた。いわば「これ以上作ると米価暴落のおそれがありますよ」というものだが、戦前の小作制の反省の上に生まれた戦後農業は自作農主義だから、米価はそのまま農家の所得に直結する。そのような制度下で「手取り収入が暴落してもいいから政府が示した目安数量を超えて作りたい」「他の農業仲間などどうでもいいから、自分だけ目安を大幅に超過した数量を生産して出荷し、同業者を出し抜いて儲けたい」などという「勇気ある」行動を取れる農家は多くない。結局は、米消費量が戦後、一貫して減り続ける情勢の中で、手取り収入を維持するため、農家ができることは「生産を減らすこと」だという減反の本質はそれほど変わらなかったと言っていい。

 このようにして生産を減らし続けた結果、最盛期には年間1500万トンも生産されていた日本の米は、現在では700万トンを切るところまで来ている。最盛期の半分以下の生産量にまで減らしたことになる。前述した「平成の大凶作」の年、1993年の米の生産量が、それでも783万4千トンあったことを知れば、たいていの読者は仰天するだろう。ここ最近の米の年間生産量はそれより少ないのだ。数字だけ見れば、もはや米が日本人の主食の地位を維持できるかどうかも危ういところまで来ているのである。

 これほどまでに米を食べなくなった日本人は今、何を食べているのか。それを解き明かすデータがある。総務省「家計調査」によれば、1世帯あたり年間支出額は1985年には米7万5302円に対し、パンは2万3499円で、3倍以上の差があった。それが2011年、米2万7777円、パン2万8371円とついに逆転する。2012~13年には米が一時的に上回ったが、2014年に再び逆転。以降ずっとパンが米を上回っている。

 注意していただきたいのは、パンに対する支出額が1985年と2011年でほとんど変わっていないことである。すなわち日本人が米消費を減らす代わりにパン消費を増やしたわけではないということだ。日本人の人口減少が本格化したのは2010年代に入ってからで、2011年の時点ではまだ人口減少は本格化していないから、米消費量の長期的な減少トレンドを人口減少で説明するのも適切とはいえない。

 日本人の米消費量の長期的減少トレンドを説明できる要因として、当てはまらないものを順に消していくと、最後まで消えずに残るものがある。ラーメン、パスタ、うどんなどの麺類である。日本人は、米消費量を減らした分を、麺類、つまり小麦の消費量を増やすことで補ってきたといえる。

 米と異なり、日本は小麦を自給できない。大半を輸入に頼っている小麦の消費が一貫して上昇トレンドにあることは、食料自給率の低下と直結している。実際、1980年代にはカロリーベースで50%を超えていた食料自給率は今、38%にとどまる。

 農水省は、生産額ベースでの食料自給率が6割近くに達したことを公表している。だが、食料生産が質・量の両面で増えていなくても、今までより高く売ることによって生産額ベースでの食料自給率はいくらでも引き上げることができる。高くなった農産物を食べたからといって、質・量が増えていなければお腹の膨れ方は変わらない。生産額ベースでの食料自給率の数値は、日本の農産物がどれだけブランド化されているかを知る上での指標として、参考程度に留めてほしい。

 ●「日本人は世界で最初に飢える」「コオロギを食え?」

 「日本人はいずれ雑草や昆虫しか食べる物がなくなる」――そんな衝撃的な予言をして日本中を慌てさせたのはフランスの経済学者ジャック・アタリ氏だ。ウクライナ戦争によって世界の食料需給が急速に逼迫の度合いを強める中で、「現代欧州最高の知性」(もちろん半分皮肉だが)の発言は飛び出した。だが、この発言を「日本政府とも日本人とも利害関係を持たないフランス人のエスプリの類」に過ぎないと軽視してはならない。日本政府がこのまま食料自給率の低下を放置し、亡国的農政を続けた場合、確実に訪れるであろう「暗い近未来予想図」である。

 アタリ氏が日本人に向かって「コオロギを食べる」よう勧告したかのような言説も散見されるが、アタリ氏は前述のように発言しただけであり、コオロギとは言っていない。アタリ氏の名誉のために付け加えておきたいと思う。

 いずれにせよ、ここまで本稿を読み進めてきたみなさんは、現在進行形の「令和の米騒動」が今年限りの一過性の出来事でなく、構造的な原因によって引き起こされたことをご理解いただけたと思う。円安の進行で輸入購買力も以前に比べて落ちつつある日本に、いつまでも食料を提供し続けてくれる国や地域があるとも思えない。

 世界の食料事情は、多くの日本人が想像しているよりもずっと厳しい状況にある。日本の政治家、官僚、経済人の多くが危機感も持たないまま、大部分の食料を輸入に頼ってきたこれまでと同じ世界が今後も続くと、根拠もなく信じ続けていることのほうが、私にはとても信じ難く、恐ろしい。

注1)「令和5(2023)年産水稲の作柄について」農水省

注2)食糧緊急措置令、物価統制令はいずれも1946年に制定されたが、当時はまだ日本国憲法の施行(1947年5月3日)より前だったため、旧帝国憲法が効力を持っていた。食糧不足への対処は一刻を争うにもかかわらず、帝国議会を召集できなかったため、両令は、帝国憲法第8条に基づき、本来であれば法律によらなければ制定できない内容(罰則規定等)を、天皇の裁可によって制定する緊急勅令としての施行だった。

 なお、緊急勅令は、直後に召集される帝国議会に提出が義務づけられており、可決されればそのまま法律として存続する一方、否決された場合には制定時にさかのぼって失効することになっていた。両令は可決され、本文にあるとおり、食糧緊急措置令は1995年の廃止まで存続した。物価統制令は廃止されておらず、現在も有効である。

(2024年8月20日)

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農水省組織再編が映し出した日本の食卓の危機

2021-07-16 23:36:24 | 農業・農政
(この記事は、当ブログ管理人が長野県大鹿村のリニア建設反対住民団体「大鹿の十年先を変える会」会報「越路」に発表した原稿をそのまま掲載しています。)

 ●日本の「食卓」象徴する組織再編

 2021年7月1日、農林水産省で大きな組織再編が行われた。輸出・国際局新設や大臣官房に設置される環境バイオマス政策課の他、約20年ぶりに農産局、畜産局が復活することなどが大きな特徴だろう。これらはどのような意味を持つのだろうか。

 中央省庁の組織は、大きいほうから順に省-庁-官房・局-部-課・室-班-係であり、当然ながら大きな組織ほど予算も人員も大規模となる。筆者は農業・農政関係者としてこの30年近く業界の内外情勢を見つめてきたが、農水省の組織の変遷について語るとき、避けて通れないのは日本人の主食のはずだったコメの地位の著しい低下である。

 食糧管理法が廃止され「新食糧法」に移行する1995年まで、日本のコメは強い政府統制下にあった。食糧管理制度の実行部隊として食糧庁が置かれ、全国津々浦々に食糧事務所があった。1980年に廃止されるまで、都道府県食糧事務所の地方支所の管轄下に出張所があった。出張所を含めた食糧事務所の数は郵便局より多いといわれたほどだ。

 食管制度廃止と同時に食糧庁は食糧部となった。局を飛ばして庁から部へ、一気に「2階級降格」は中央省庁の組織としては戦後初といわれ、当時は農業界全体がひっくり返るほどの騒ぎとなった。それが今回の組織再編ではついに農産局穀物課となる。今後、農水省はコメ、麦、大豆などの「耕種作物」をまとめて穀物課で担当する。かつての庁から課へ「3階級降格」されたコメは、日本の主食としての面影すらない凋落ぶりだ。

 実際、最もコメ消費量の多かった戦前、日本の人口は8千万人で今の3分の2だったにもかかわらず、年に2000万トンものコメを食べていた。戦後は食の多様化、洋風化で日本人がコメを食べなくなったといわれるが、それでも1990年代初頭にはまだ1億2千万の人口で1000万トンの消費量を誇った。1993年、「100年に1度」「祖父母も経験したほどがないほどの大冷害」といわれた平成の大凶作が起こり、日本は200万トン近い外米の緊急輸入に追い込まれたが、この年ですらコメは800万トン近い生産量をあげていた。

 ところがここ数年来、日本のコメ生産量は毎年800万トン程度で推移している。驚くことに、平成の大凶作の頃と同程度の生産量しかあげられていないのである。それでも当時のような騒ぎにならないのは、この30年間で日本人のコメ離れがさらに進んだからだ。

 コメを食べなくなった日本人は今、何を食べているのか。それを解き明かす2つのデータがある。総務省「家計調査」によれば、1世帯あたり年間支出額は1985年にはコメ7万5302円に対し、パンは2万3499円で、3倍以上の差があった。それが2011年、コメ2万7777円、パン2万8371円とついに逆転する。2012~13年にはコメが一時的に上回ったが、2014年に再び逆転。以降ずっとパンがコメを上回っている。

 もっともこれは金額ベースの比較なので、最近の「高級食パン」ブームなども考えると、単純にパン消費量の拡大ではない可能性もある。だが若い世代ばかりではなく、GHQ(連合国軍総司令部)が敗戦直後に普及させたパン食中心の学校給食で育ってきた高齢世代にもパン派が多いとの指摘もある。パンと同様、右肩上がりで消費量が増えている品目としては、ラーメンやパスタなどの麺類がある。

 もうひとつのデータは農業生産額だ。9兆円あまりの日本の農業総生産額のうち、コメは1兆7千億円。食管制時代には米価審議会を通じて政府がコメ価格を統制してきたという事情はあるとしても、茶碗1杯のご飯がわずか数十円では農家は収入どころか作れば作るほど赤字になってしまう。

 これに対し、今、稼ぎ頭になっているのが畜産で、2018年のデータでは総生産額はなんと3兆2千億円に上る。コメのほぼ2倍であり、畜産だけで農業総生産額の3分の1を叩き出している。畜産が「局」になる一方、コメが麦や大豆とまとめて「課」扱いになった事情が理解できる。今や日本人の主食はコメではなくパン・麺・肉。マクドナルドのハンバーガーこそ日本の食卓の象徴なのだ。

 ●あるべき食卓の姿とは

 「そんな状況になっているとは知らなかった。でもウチはお金がなくて、牛肉なんて年に数回も食べられればいいほうなのに」と思っている読者がいるとしたら、おそらくその「肌感覚」は正しい。今、日本の畜産は極端な高級路線にシフトしているからだ。日本の牛肉は、おいしさなどの品質を基準にA1からA5まで5等級に区分されているが、農畜産業振興機構の調査によると、2018年にはついに最高級のA5区分が生産量全体の4割を占めるに至っている。こうした実態はメディアでも報道されず隠されてきたが、新型コロナ感染拡大という思わぬ事態でその一端が露呈した。多くの高級料亭が閉店や営業時間短縮要請の対象となり、売れ残った大量の高級牛肉がスーパーなどで安く買えるとして話題になったからである。日本の庶民には手が出ない高級肉ばかりが大量生産される歪な畜産業の構造が明るみに出たことは数少ないコロナの「功績」かもしれない。

 捌ききれないほどに大量生産されたA5等級の高級牛肉は、その大半が金に糸目を付けず「爆買い」を繰り返す外国人観光客の胃袋に入っていた。こうした外国人富裕層の需要に応えるため、国は食料輸出を基本方針に掲げるようになった。この役割を担うのが「輸出・国際局」なのだというのが、筆者の現在の見立てである。こうした農業・農政が日本の市民・労働者を幸せにする方向と正反対のものであることは改めて述べるまでもなかろう。この先、日本の農業・農政が向かう先を思うと、深い憂いを抱かざるを得ない。

(2021年7月1日)

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アキタフーズ事件から分かる日本の後進性とアニマルウェルフェアの展望

2021-02-27 11:54:35 | 農業・農政
農政、募る疑念 鶏卵大手との癒着露呈(時事)

鶏卵業者「アキタフーズ」から農水省幹部らが接待を受けていた問題で、幹部6人が懲戒処分を受けた。この問題に関し、レイバーネット日本に以下のとおり寄稿したので、転載する。

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アキタフーズ事件から分かる日本の後進性とアニマルウェルフェアの展望

アニマルウェルフェアは、日本語では動物福祉と訳されることもありますが、この訳語が適切かどうかの論議もあり、英語がそのまま使われているのが現状です。

日本の厚生労働省の英語表記は"Ministry of Health,Labour and Welfare"で、アニマルウェルフェアのウェルフェアもWelfareです。Ministry of Health,Labour and Welfare は直訳すると「健康労働福祉省」で、英語圏にはそうしたニュアンスで伝わっていると思います。英語表記には福祉と入っているのに日本語でそれを名乗らないのには、何か意図があるのかと勘ぐってしまいます。(労働がLabourとイギリス英語の表記なのが面白いと思います。アメリカ英語ではLaborで、uの文字は入りません。)

アニマルウェルフェアについては、EUではもう20年近く前に委員会指令が出され、加盟国は推進に向け努力しなければならないとの方向性が示されています。EU議会が制定した「法律」ではなくEU委員会「指令」(日本でいう政令に近いです)のため、直接的に加盟国政府を拘束するものではなく、加盟国政府はこの指令が示す方向性に沿って、各国の実情に応じた立法措置を講じるように、という程度のものです。しかし、立法措置を講じる国が増えてくると、自分の国も同じ基準を適用しなければ自国の動物や畜産物を輸出できなくなるので、現実は多くの国が立法措置を講じていると聞きます。

パリに本部を置くOIE(国際獣疫事務局)という国際機関があります。加盟国が家畜伝染病の清浄国(=非汚染国)か非清浄国(=汚染国)かを決定する権限はこの機関が握っています。清浄国は清浄国にも非清浄国にも動物や畜産物を輸出できますが、非清浄国は清浄国に動物や畜産物を輸出できません。だからどの国も清浄国の地位を得ようと一生懸命になります。

どの国がどちらのグループに属するかは、家畜(牛、豚、鶏など)ごと、病気の種類ごとに決められるので一様ではありません。動物の病気が発生し、それが一定規模、一定の期間続けば非清浄国となります。

OIEは、アニマルウェルフェアに関する基準も策定しています。今回、吉川貴盛元農相らに賄賂を渡していたアキタフーズは、この基準を緩和するよう働きかけ、一定の成果を収めたわけですが、今の段階では、OIEの定めるアニマルウェルフェアの基準を守っているかどうかは、清浄国、非清浄国の判定とはリンクしていません。守らなかったからといって、直ちに非清浄国認定となるわけではありません。

しかし、欧米諸国はこうしたことに敏感なので(というより、日本が鈍感すぎるだけといったほうが正確ですが)、いずれこの2つはリンクするようになるでしょう。衛生基準を守れる国=健康な国というのは、ヒトの医療の世界では疑う余地のないほどの常識なので、当然、今後は動物の世界も同じような考え方で臨もう、というのが国際基準になるはずです。アニマルウェルフェアの基準を守れない国は非清浄国として扱われる時代が、遠からず必ず訪れます。賄賂を渡した業界団体もそのことは理解していて、「だからこそ」基準自体のハードルを今のうちに下げておこうという動きに今回、出たのです。


(写真提供:北穂さゆりさん(レイバーネット写真部))


アキタフーズ事件は、森暴言などと同様に、日本の後進性を明らかにするものだといえます。乱暴な言い方かもしれませんが、家畜がどのような飼われ方をしているかは、その国で「人間がどのように飼われているか」すなわち人権状況を現す映し鏡のようなものだと、長年、この世界に身を置いてきて思います。鶏が狭いケージにぎゅうぎゅう詰めにされ、「密」状態が作り出される中で、鳥インフルエンザが拡大しているのと、東京のような大都市に人間がぎゅうぎゅう詰めにされ、「密」状態の中で新型コロナ感染が拡大している状況は表裏一体のものであり、決して偶然などではありません。アキタフーズが、できるだけ狭いケージに多数の鶏を押し込む効率的経営しか考えなかったように、日本政府もできるだけ狭い都市部に多くの人間を押し込んで「効率的に管理」することしか考えていません。その「新自由主義的人間の飼い方」の帰結が新型コロナ拡大なのです。

人間も霊長類ヒト科という動物なので、防疫の基本は他の動物と変わりません。OIEは、豚熱について、発生から2年経っても沈静化できなければ非清浄国に格下げすると定めていますが、日本は豚熱を2年以上沈静化させられなかったため、豚熱については非清浄国に降格されました。動物の病気を沈静化させられない国が人間の病気を沈静化させられるとは私はまったく思いません。残念ですが、自民党政権が変わらなければ新型コロナもあと数年は続き、日本は豚熱がそうであったように、いずれ「後進国」扱いになると思います。

悲観的な話ばかり続きましたが、逆転の目はあります。実は、北海道・十勝地方では、アニマルウェルフェアに目覚めた一部の先進的農家が、独自にアニマルウェルフェアの基準を策定し、満たした農家に認証マークを交付する試みが始まっています。少しくらい価格が高くても、家畜に苦しみを与えない形できちんと経営している農家のものを買いたいという「エシカル消費」的ニーズは消費者の間に確実に存在しています。そこに商機、ビジネスチャンスがあるとにらんだ先進的農家が取り組みを始めています。今後は、そのようなエシカル消費路線と「アキタフーズ的安かろう悪かろう」路線に二極化していくだろうと私は予測しています。OIEがアニマルウェルフェアの基準を清浄国認定要件とした場合、後者はいずれ海外への輸出はできなくなると思いますが、国内で貧困層だけを相手に商売をする限りはそれでいいと居直る業者も出てくるかもしれません。

人間も動物も、特効薬はワクチンではなくソーシャルディスタンスです。北海道・十勝の先進事例が日本でも標準になるような畜産のあり方を目指すべきだと思います。

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TPP交渉中止を求め市民、国会議員らが提訴

2015-05-19 21:38:14 | 農業・農政
TPP 交渉中止求め提訴 山田元農相ら(日本農業新聞)

日本のTPP交渉への参加の中止を求めて、「TPP交渉差止・違憲訴訟の会」の1063名が原告となって東京地裁に提訴した。原告には山田正彦・元農相、山本太郎参院議員ら国会議員も加わっている。

なお、当ブログ管理人もこの訴訟に原告のひとりとして参加している。訴訟に当たって提出した「陳述書」の内容を以下、ご紹介する。

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 私は、鉄道ファンとして、これまで、鉄道を初めとする公共交通機関の安全問題に重大な関心を持ってきました。とりわけ、2005年のJR福知山線脱線事故では、原因調査などを通じて、速度照査型自動列車停止装置(ATS)の不備などの実態が見えてきました。

 公共交通機関で安全性が確保されるためには、各国政府がその国の公共交通の発展の歴史、投入されている技術の水準や内容などの実情に応じて、その国にふさわしい適切な安全基準や規制を確立し、適切に実施する必要があります。例えば、ATSの作動方式や条件などは、国ごとにそれぞれ異なります。

 ところが、TPP参加によりISD条項が適用されるようになった場合、このような各国の実情に応じた安全規制までが、多国籍企業により「非関税貿易障壁である」として訴えられる恐れがあります。公共交通に関する安全規制も、国際間で合意を得た最小限のものしか実施できなくなります。

 このような事態になった場合、TPP加盟各国では、社会の実情に合わない安全基準の下で、公共交通機関の事故が続発し、安心・安全な社会が根こそぎ崩壊することになるでしょう。

 私は、このような理由から、日本のTPP参加に強く反対を表明します。

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